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制作作日記
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そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局(副会長) 吉田守 ☎090-7839-4437
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※年会費は5000円。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
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1月
 
❶ 銅山手(初鋳) 
長径49.04㎜ 短径33.03㎜ 銭文径41.28㎜ 重量26.2g
 
❷ 銅山手(反玉手)
長径47.2㎜ 短径31.1㎜ 銭文径40.9㎜ 重量11.7g
銅山手(細字美制小様)
長径47.9㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.8g 
銅山手(小様)
長径47.9㎜ 短径32.2㎜ 銭文径40.4㎜ 重量18.8g 
❺ 銅山手(大様)
長径49.0㎜ 短径32.9㎜ 銭文径41.1㎜ 重量25.0g
大字濶縁広郭(最大様)
長径49.9㎜ 短径33.6㎜ 銭文径41.2㎜ 重量21.3g 
大字(初鋳)
長径49.1㎜ 短径32.3㎜ 銭文径41.5㎜ 重量17.6g  
1月20日【南部天保の思い出】
収蔵画像にて南部天保について語ります。天保通寶収集を始めたときは、1万円を超える南部藩の天保は高嶺の花でした。今のその地位は変わりませんが、気になったものの出会ったときは思い切って買うことにしています。

❶の銅山手は私のものになったこともありますが、今は関西のTさんの持ち物になっているはず。49㎜、26gを超える立派な姿で、故、暴々鶏師はこのタイプを山内の初鋳銭だと申していました。素朴で全体に浅字でテーパーが強め、砂目も粗く文字抜け悪い。銅色は黄褐色~赤黄色が多いと思います。
なお、山内とは浄法寺地区のことで、山内と浄法寺・本炉と分類する東北以外の古銭家は多いけど、あんまり意味がないとは暴々鶏師のお言葉。(栗林・山内・明治以降の浄法寺ならわかる)

❷は軽量で薄く小さく、私所有の天保通寶の中で一番軽い・・・しかし、彫が深く摩耗して軽くなったものではありません。暴々鶏師が「南部當百銭の謎」において鋳造地不明銭として掲拓しているもので、なぜか銅色を純黄色としていますが、実物は白黄色というかかなりの白銅質です。
この色と作風の四文寛永密鋳銭を某先輩が反玉手として暴々鶏師に伝えたとも聞いていますので、反玉手の銅山手と私も仮称していますが、それが正しいのかは不明。
仙人様にお見せしたところ、これは密鋳ではなく本銭の末鋳ではないかとのご意見。山内座そのものが密鋳なのでややこしい。山内座は何度か手入れがあり、そのたびに鋳銭道具や母銭が破却されたとか。銅山手は急遽つくられた木彫り母銭から生まれたとの説があるようです。(銅山手の銅母銭はかつて存在(倉田屋田中桂寶師所持)したとのこと。今はいずこでしょう。)
末炉とはいえ銭文径は意外に大きいのが不思議。あるいは本当に仿鋳なのかもしれません。

❸は暴々鶏師が栗林座ではないかと仮説を立てて、八つ手極印を探し求め続けた銅山手の一枚。
浅字ですけど文字抜け最高。南部小字は栗林座で藩主導で作られたと結論付けられているようで、小字のとある種と雰囲気が似ているこの銅山手に暴々鶏師は夢を抱いたのではないかしら。
ただし、銭文径は最小なので、普通ならこれが初出とは考え難いのです。
この品には地染めらしきものがはっきりあるのですが、地染めがない赤銅色の銅山手(暴々鶏師は黄色とよく申していましたが)が存在し、そのサイズが美制のものとほぼ同じなんです。

❹がほぼ❸と同じサイズ規格の銅山手です。小さいけどしっかりしたつくり。砂目は細かくテーパーも強め。

❺ はやや製作が近い大様の品。銅色は褐色を帯びていますが文字抜けや製作はまずまず。重量もずっしりある。ちょっと砂目が粗いかしら。

❻は銅山手ではなく大字の最大様。肉厚で非常に製作が良く、新渡戸仙岳の記述が正しければ、「天保通寶鋳造がうまく行かず、そのため鋳造方法教えてもらうためを栗林座に職人が見学に行った」・・・という物だと私は推定しています。天保仙人様は通用母銭の可能性すら語られていました。テーパーがかなり強いのも特徴です。なお、❻の大字はとらさんがうらやむ数少ない美品大様・・・いいいでしょう?

❹の銅山手はその大字❻の製作血統をひくものじゃないかな・・・と暴々師が申していたものだと思いますが、これは私の妄想も多分に含まれます。と、なると❸と❺も同じようなものかもしれません。

さて、新渡戸の著述には鋳銭工程において砂抜けの悪さにとくに苦労したような記述があります。そのせいかたしかに盛岡藩銭は鋳だまりがすごく多いのです。そして鋳造時に通用銭に喰いこんだ鋳砂を除去するため、銭を焼いたような記述もあり、暴々鶏師はそれをもとに焼けたような雰囲気のある赤いものを初鋳銭❼でないかと推定されました。何かの資料で南部藩の初鋳銭は紫褐色だ・・・と書いてあるのを見ましたが、暴々鶏師はこの色だと仰っていたのです。❸の銅山手をよく黄色っぽいと仰っていたのであるいは私の色彩感覚が違うのかもしれません。

❼の大字はサイズこそ小さいのですが銭文径はわずかに❻より大きい。暴々鶏師はあまり銭文径は気にされていなかったようなのですが、銭文径信者の私にしてみればこの事実は大きいのです。つまり、人為的に熱せられて焼け延びをわずかに生じたとも考えられます。

さて、ランダムに銅山手と大字を並べ、さも分かっているようなお話を並べましたが、私のお話は暴々鶏師と七時雨山師、それに新渡戸仙岳とめんどう師などから聞いたお話に妄想を加えてごちゃまぜにしたものにすぎません。
大字・銅山手をつくった山内(浄法寺)の黙許私炉はがさ入れを複数回受け、処罰と称して証拠隠滅の鋳銭道具や母銭の破却をされては短期間で復活をしたようで、技術もかなり変遷をしたようなので、通常の・・・銭径は末鋳に近づくほど小さく、銭文径も小さくなるとか、初鋳ほど立派というのも必ずしも当てはまらないようなのです。
新渡戸仙岳の記録が正しければ・・・1.大字の焼けたものがはじめ 2.大字の美しいものは栗林座で学んだ後にできた 3.銅山手は大字のあと、がさ入れ後に出現していることになりますが、多少大字とかぶる部分もあるような気がします。(銅山手の初期は砂抜けが悪くて大きいのできまりかも。小字は栗林座でいいと思います。)製作や銭文径が多岐にわたるのは、それこそ短期間で大量生産を行うため、通用母の写しを繰り返したんじゃないか、鋳銭場も分散させたのではないかと思う次第。はい、妄想です。
南部藩銭はとにかく謎だらけ・・・誰か決定的な解明をしてください。
 
雑談)今年、はじめて鋸山を登りました。病み上がりで息も絶え絶え・・・いえ、いつも通りのことで。やたら登山客が多いな・・・と思ったら2月中旬までメンテナンスでロープウェイが運休中。
山頂を越えて鋸山の裏側までゆく人はよほどのもの好きなんですけど、4~5人にあったのは久しぶり。小鋸山に行った人がいて様子を聞いたら荒れていて超危険だそうで・・・私はいけない場所。別名、裏鋸山キャニオン。本当の地獄のぞきです。ダム湖や映画のロケ地もあります。すれ違う方に話を聞くと、超マニアな会話が出てくる。封鎖された旧登山道なんかもよくご存じで。
保田駅までの道中、キョンには4~5匹であった。人に慣れてしまい逃げない。小型犬サイズの鹿で見た目は可愛いいけど、鳴き声は不気味。食べたら美味らしい。害獣扱いだけど観光資源にしちゃうしかないんじゃない。じゃなきゃ食材。もう、うじゃうじゃいるよ。この山。
保田駅まで残り100mちょっとで「間もなく電車が来ます」というアナウンス。ここで逃したら1時間以上待ちぼうけになるのでダメもとで猛ダッシュしました。間一髪で間に合いましたが、両ふくらはぎがつりそうでした。(いえ、つってました。スイカ持っていなかったらOUTでした。)
 
1月17日【男前ギャラリー:俯頭通の思い出】 
天保通寶の収集を本格的に始めた頃、この三種を揃えるなどとは、まったく考えられませんでした。ましてや奇天手や張天保まで所持するようになるとは夢にも思わず、もし美銭を並べることができたなら「もう死んでもいい」と思ったほどです…とはいえ、まだ死にたくないので、もう少しだけ頑張ろうと思います。
俯頭通平マ頭(大様) 小字(黄銅質) 広穿大字
※いずれも本座以上の上作。美術品です。
俯頭通は、中学生のときの正月休みに、千葉市にあった「大宝堂」という古銭店で入手しました。店主は石橋さん。根っからの古銭好きで、銭帷子(ぜにかたびら)の中から奴銭(やっこせん)を発見した話を、よく聞かせてくれたものです。
お店は千葉市のはずれにあり、私は電車とバスを乗り継いで通っていました。取扱い品目は古銭の他に囲碁・将棋用品。石橋さんは店番をしながら囲碁の定石を並べ、スポーツ新聞を読み、タバコをくゆらせている…今思えば実にのんびりとして優雅な時代でした。

私は店の片隅に積まれた雑銭の山に夢中になり、千木永や秋田銭を見つけては店主に見せて、1枚10円や20円で買っていました。当時のお小遣いは月600円。千葉市までの行き来だけで、その半分以上が消えてしまいます。その頃の中学生のお小遣い水準としても我が家は渋めでしたが、その代わり、年3回あった中間・期末試験で好成績を取れば報奨金が出る約束を両親に取り付けていました。獲得条件は学年成績で10番以内に入ること。マンモス校で同学年生は450人ほどいましたから、かなり厳しい条件です。成績は校舎の壁にはり出される、今の個人情報保護の流れからは考えられない個人情報の見える化&過酷な競争の時代。スパルタ世代なんですね。
ところがこの「馬の鼻先にニンジン作戦」が驚くほど良く効き、ごぼう抜きで上位常連となり、一度だけですが総合1番になったこともありました。必殺技は教科書の丸暗記。音読で一言一句を暗唱できました。
クラブ活動にも夢中でしたから、勉強一辺倒というわけではありません。ただ、どんなに疲れていても、毎日1時間は机に向かうことだけは習慣にしていました。友人との付き合いのためには報奨金はなくてはならない存在だったのです。
当時、クラブ練習帰りに仲間とときどき立ち寄る甘味屋の餡かけラーメンは300円ほど、コーラは50円ほど。コーラは私には高嶺の花で、もっぱら10円程度で買える「チュウチュウ(別名チクロ)」と呼ばれる氷菓子が定番で、余裕があるときはオロナミンCに似た味のガラナ(30円ぐらい)という炭酸飲料を楽しみました。ちなみに「チクロ」とは、毒性があるとして使用禁止になった人工甘味料。この話が通じるのは、たぶん60歳以上だけでしょう。

「お年玉が出たから、今日はお金あるよ」と胸を張る私に、石橋さんは「すごいものがあるぞ」と言って金庫から旧二十円金貨と、この俯頭通を出して見せてくれました。もちろん、私の目はキラッキラで釘付けです。「坊主、いくら持ってる?」と聞かれ、「1万円ちょっとくらい」と実際に数えて見せると、「残念だな、それじゃ買えないね」と悪戯っぽく笑われました。ちなみに旧二十円金貨は、400万円くらいだったと思います(初年度の未使用品だったはず)。一方、俯頭通は12,000円。旧二十円金貨とは比較になりませんが、これは当時も今も破格の安価。伝えられた金額は石橋さんの悪戯心だったのかもしれません。

当時、天保銭は今以上に高価なものばかり。収集対象外でしたが、大宝堂を出た後もその姿が頭から離れません。
そこで、京成千葉駅近くで小さな焼肉店を営んでいた叔父のもとへ早足で行き、「おじさん、明けましておめでとう!」とお年玉をねだり、首尾よく入手。すぐさま大宝堂に引き返し、唖然としている石橋さんに12,000円を掴ませ、俯頭通をひったくるように手にして帰路につきました。
残金は電車賃ぎりぎり。食事代もバス代もなくなりましたが、大満足です。

こうして私のコインアルバムには、ミニカーコレクションと交換して友人から手に入れた(その結果、両親から大目玉を食らった)「本座広郭」と、この「俯頭通」の二枚だけが並ぶことになりました。
その後も天保通寶を特別熱心に集めたわけではなく、水戸銭と高知額輪が増えた程度でしたが、大学1年の秋、1,500円で買った「張点保」が、突如として加わることになります。

※1/24 事業所の新年会が入ってしまいました。八厘会は欠席です。選挙の手伝いもあり、しばらくは大変になりそう。
 
1月14日【膳所額輪】
体調悪く引きこもってます。何食べたんだか腹が痛い。何かに中ったようで力が入らない。古銭も新規に入手できないので古い新寛永の鑑賞と決めました。
ここにある4枚中3枚はおそらくこのHP作成開始時には所有していたもの。というのも制作日記や更新略歴(休止中)に出てこないものばかりなのです。と、いうわけでそんな日陰者たちを 今一度紹介。
❶膳所額輪(大様母銭)
外径23.7㎜ 重量3.2g  
内径はいづみ会譜とそん色ない。もちろん通用銭や次鋳母銭より内径は大きい。
❷膳所額輪(通用銭)
外径22.97㎜ 重量3.6g
❸膳所額輪縮寶(母銭) 
外径23.67㎜ 重量2.9g
❹高津銭小字背元降寶(大様母銭)
外径23.54㎜ 重量2.9g 
❶ 元文期不知銭 膳所額輪(大様母銭)
膳所額輪は、2001年に組み物として、たぶん入札誌「鈴鹿」で購入したものです。当時の収集方針では母銭は対象外としていたのですが、このような珍品は一度入手機会を逃すと再会すら難しいと覚悟を決めて入手したものと思います。背に朱点が見られることから、古い収集家の蔵品であったことは間違いありません。

今回あらためて撮影していて、気づいたことがあります。いづみ会譜には、①大様母銭、②母銭、③通用銭の三種の拓本が掲載されていますが・・・
❶は入手当初から「大きい」とは感じていましたが、拓本①と比較してみると、どうやら本品は大様母銭である可能性が極めて高そうです。

❷ 膳所額輪(通用銭)
これが実に悩ましい一枚。まるで母銭のように銅の練れも良く、輪の角も立ち、厚みもあり、面背の研ぎも美しい。しかし、背郭は甘く、穿内仕上げも雑で母銭とは言えません。内径も❶より小さい。
そこで、いづみ会譜の②小型の母銭の拓本と比べてみると・・・同じ。これは?!と思い、③の通用銭の拓本とも比較すると、あれっ? これも同じ。
結論から言うと、いづみ会譜掲載の②母銭拓本と③通用銭拓本は内径が同一なのです。つまり②が次鋳の母銭、もしくは通用母銭であるとすれば、③よりさらに内径の小さな通用銭が存在することになります。
真相は不明ですが、私の❷は「製作の良い通用銭」としておくのが妥当でしょう。極美銭であることは言うまでもありません。

❸ 膳所額輪 縮寶(母銭)
背郭の出来は甘いものの、郭内の丁寧な仕上げから見て、絶対的な母銭です。私のメモによれば、2002年の銀座コインオークションで落札した品でした。やや白銅質で、面の研ぎは美しいのですが、文字が絹糸のように細く、老眼の肉眼では何が書かれているのかすら分からないほどです。

これら膳所銭類は鉄銭が存在しないことから、銅から鉄にに材質が切り換えられた元文期末に企画されたものの、採算が取れず製造打ち切りになったものではないか、(あるいは文字が細すぎて鋳造に合わず不合格になった?)とも考えられ、鋳造地不知銭とされています。
謎の多い膳所銭ですが、膳所の地で製作された直接の根拠は見つかっていません。でも近江「膳所」の名称は捨てがたいところです。

❹ 寛保期高津銭 小字背元降寶(大様母銭)
2004年の銀座コインオークションで入手したもの。このサイズの母銭は、いづみ会譜の解説だと「特別なサイズの母銭」に該当します。通用銭で23㎜を超えるものはほとんどありませんので、本品は名品と言ってよいでしょう。(リップサービスかもしれませんが)落札時、元方泉處の石川氏に褒められた思い出があります。

なお、当時の手動計測では外径23.4㎜としていましたが、今回新しいデジタルノギスであちこち測定したところ、25.8~25.0㎜と、どこを測っても25㎜を下回りませんでした。そのため、25.4㎜としています。一般的な小字降寶と並べると、その雄大さには驚かされますよ。もっとも、それが分かるのは、いわゆる“病気”の方々だけでしょうけれど。
③額輪通用銭 ②母銭とされる拓本 ①額輪大様母銭
穴銭入門新寛永の部 いづみ会編より
 
琉球通寶中字(黄褐色)
長径49.15㎜ 短径33.10㎜ 重量19.0g
1月13日【療養中】
昨夜から腹が痛いし張る。むかむかするし、ゲップがさかんに出る。頭も痛いし、だるい。朝、体温を計測したら37.4度。今、38.1度ある。で、お休みしました。この後受診します。こういうときは古銭リハビリに限るのですが、あいにく大した入手物がありません。
この本座色の琉球通寶は今年の入手品第一号。きれいでこれで桐極印だったら病は全快しちゃうのですがそうは簡単にいきませんね。琉球の黄色いものは小字と広郭にはありますが中字にはありません。この中字も黄色じゃなくて黄褐色。でもこの発色はそんなにないと思いますよ。だからどうしたって言われれば実に苦しいのですけど。
 
1月12日【再び競鑑古寛永2】
古寛永リハビリです。今回は最初から泉譜を開いた。あたりは付けていて寶珎のバランスが悪いので水戸。それとなんだこの変な寛足の形状は・・・ということで長門の勁文でほぼ間違いなし。で、その大様母銭。長門銭はツヤがなく、角が立つ研ぎ仕上そのままの手本銭のイメージがあるから、このようにつるっとした顔を持つ母銭はエアポケットに陥りやすい。書体ではこの変な寛足のイメージは覚えといて損はないです。
と・・・ここまで書いて先日の関東のAさんの古寛永が無性に気になり始めた。
あれって長門の可能性はないのかしら・・・どうなんだろう。今度Aさんに聞いてみよう。
 
1月11日【再び競鑑古寛永】
過去の蓄積画像より。26㎜を超える古寛永。ネットに出ていたのですけど持ち主不明で、情報はこの画像のみです。いかにも特別なつくりの古寛永・・・さて、これはなんでしょうか?
余談)玉塚証券のノベルティグッズ
こんな画像を見つけました。
「者ち里ん(はちりん)のつもりて家の福寿草 
天保銭人 塚榮(天保銭人 玉塚榮次郎)」
※鍋敷きなのか、お盆なのか、菓子皿なのか?

八厘のつもりて家の床抜ける
八厘のつもりで貯金したつもり
 
1月10日【古寛永岡山銭】
天保仙人様と出会ってから15年は天保銭ばかり集めていましたので、「新寛永通寶分類譜」とは名ばかりになってしまいお𠮟りを受けそうです。ここ数年は古寛永は基本買わない・・・と心に決めて臨んでいました。老眼・乱視で目が悪くなったことに加え、終活を考えたとき一番処分に困りそうなのがこの古寛永。分類が細かくマニアックすぎるんですよね。ただ、最近は南さんや関東のAさんの影響で、少しずつ古寛永をいじくり始めてしまった。古銭リハビリですね。しかし、物忘れがひどくて困ったものです。
古寛永はHPを造り始めた頃はさかんに収集していました。HP作成そのものが自分の勉強だったからで、古寛永泉志は表紙が取れて、破れて、バラバラになるまで眺めていたものです。寝る際は枕元、トイレに入るときも持参するほど。その頃はまだ古寛永はいくつかの古銭の店におかれていましたが、どちらかと言えば売れない組で厄介者扱い。そんななかでも富山貨幣研究会の三鍋師のお店と大和文庫さんは私の格好の採取場所でしたね。
古寛永岡山銭はどちらかというと地味な存在で、皆同じに見えたので私も敬遠しがちだったのですが、判りやすいものから拾うことにしてぽつぽつ収集品に加えていました。今は古寛永の収集家はライバルも少なく、とても集めやすい環境だと思いますが、果たしてこれがチャンスなのか、ピンチなのか・・・。
ともあれ、まずは基本銭の美銭探しからはじめれば、良いコレクションができると思いますよ。
❶俯永抬頭永
❷俯永大字
❸俯永小永
❹俯永短尾永
❺短尾寛大様母銭(25.2㎜)
❻濶縁小字
❶俯永抬頭永
抬頭永は私がはじめて江戸コインオークションの会場落札をした古寛永です。初参加の記念に何かを落札して帰ろうとがんばってしまった。応札の理由は「抬頭永」という名前。蛇が鎌首をもたげる・・・なんて優美な名前だと思いませんか? 巳年の代表銭にすればよかったと反省です。新寛永の元文期伏見手も抬頭永なのですが名称はこちらが本家。彫が深く刔輪で細縁になります。位付けは四位なので珍銭の部類になります。

❷俯永大字
この分類名は泉譜にはない気がします。たぶん入札誌で見つけて何も考えずに落札したのじゃないかしら。たしかに文字が大きくて立派。分類的には俯永肥字じゃないかと思うのですが良く分からないまま今日まで来ています。かっこいいでしょ。(HPには俯永肥字の名称で掲載しているようですね。忘れてました。)

❸俯永小永
俯永の類なのですが、仰フ永・俯頭永で、短ノ永という変な奴です。見ての通り永字がものすごくアンバランスなのです。これも中々の難獲銭ですから岡山銭の中では隠れた珍品になります。
こうやって並べてみると岡山銭の背は深くて結構立派なものが多いですね。珍銭とはいえこのあたりの品に対してお金を払ってまで入手しようとする人はそんなにいないと思います。位付け四位、美銭を探しましょう。

❹俯永短尾永
俯永小永の姉妹銭と言って良い古銭。こちらは短ノ永ではないものの永尾が短く気持ち跳ね気味。それに仰永気味でまったく俯永とは言えない天邪鬼な存在です。
文字の彫が深くて結構真面目なつくりの銭である気がします。古寛永泉志で位付け四位。難獲銭です。

❺短尾寛大様母銭
短尾寛は古くは狭足寛手とも称され、また御蔵銭の未使用母銭挿の中からも母銭が選り出された経緯があるなど、謎に包まれたミステリアスな古銭です。文字の太細がほとんどなく棒書き状の書風。個人的には岡山じゃあないよね・・・と感じています。この銭はネットにでていて、やけに大きく見えたので落札したもの。25.2㎜ある立派な母銭でした。通用銭は雑銭です。

❻濶縁小字
これも隠れた珍銭。書風は長嘯子に近く、長尾永です。この品は貨幣273号を飾った原品で濶縁厚肉の大ぶり銭。外径は24.90㎜あります。寛爪の上部に瑕があり爪がやや下に向いてい癖がありますが…果たしてすべてがそうなのかは不明。お気に入りです。
 
1月9日【競鑑:年賀状の古寛永2】
湧泉堂こと関東のAさんからの年賀状生拓本。皆様は判定出来ましたか?私はすぐにここらかなあと、判断した後・・・改めて泉譜を見て確認したら逆に迷いが出てしまいました。難しいですね。古寛永は。

見どころは・・・
文字が小さく、隔綸している。中字としましたが小字といって良いですね。
寶珎は比較的整っている。連玉珎じゃない。寶貝は短く爪が陰起?、さらに寶足がアンバランス。だから寶字が頭でっかちに見える。
通用は細めで縦長。

さて、このような文字が小さく隔輪する書体・・・岡山の類(小字系・良恕手)と太細の類、水戸(宏足寛・狭足寛)・高田(縮通)との一部と仙台ぐらいか?
第一印象は岡山・・・いやそれしかない。寶前足・寶珎・文字形状から、岡山しかないのです。永字が小さくなる・・・小字系もしくは婉文系に感じる。これは感性。偶然かもしれないが小字手にも見える。だとしたら奇跡の一致だ。
いや、何も考えずに婉文本体の大型母銭としたくなる。永の文字の太細があるし、幅も狭いよな。
泉譜で確認。ところがだ・・・
寛目がでかい。でかすぎる。あれ・・・全然違う。

これで思考回路がショートした。で・・・送られてきた画像でさらに混乱。あれー
永の字平たいじゃん。永尾も長い。俯永系も視野に入れるべきのようです。銭体がでかすぎて小字に見えているだけ?
俯永短尾永?・・・違うよなあ・・・永頭長くね?進点永?
寶王がエ一に見える・・・異王寶? 違う。

俯永広目寛・・・いや 俯寛あたり・・・
縮寛かもしれぬ・・・迷う。俯寛で短爪寛の特徴は間違いない。永尾に太細寛目の二引きは細いなあ・・・これ、縮寛の特徴って泉志にあり、探したことがある。でも前後の柱からはわずかに離れているように見えます。だから縮寛は厳しい。
ちょっと拓本を加工。ほんの少し曲がっていた拓本画像を1度だけ角度修正し、真直ぐにしました。寛目の前柱が俯して俯寛ははっきりしたので俯寛はいいでしょう。拓本では永尾は長く見えないけど仰柱永気味なのも古寛永泉志の説明に沿っています。久泉研究資料の寛目の二引きが後柱に寄り気味という説明も合致かな。寛前足も細長くとがっている?

と言う訳で私の結論は
「古寛永 岡山銭 俯永 俯寛 大様 母銭」でどうでしょう。ただし、拓本で見る限りは短尾永に見えますし、大貝寶短爪貝寶にも見える・・・偶然かな。久しぶりに古寛永泉志や久泉研究資料を開きました。これだけ大様だと銭の書体の全体印象がかなり違ってきて、過去の蓄積情報があてはまらず頭からすっぽ抜けますね。岡山銭は難しいです。

なお、古寛永泉志には俯永大様の拓本が巻末にあります。通頭の鋳だまりなどは合致しますが、細かいところは異なって見えますのでまったく検討していませんでした。どうなんでしょうかね。
※古寛永泉志の拓本画像を並べてみましたがやはり違う。内径も違う。別物。格が違う。
皆さん・・・見解を教えてください。
 
1月4日【競鑑:年賀状の古寛永】
湧泉堂こと関東のAさんからの年賀状生拓本です。拓本以外の情報はありませんが大きさは25㎜台後半だと思います。(追加情報あり)
拓本なので、銅質・製作は不明。大きいこと、背郭がしっかりしているからおそらく大様の母銭。文字は隔輪している中字系の書体。
さて・・・皆様はもうお分かりでしょうか?
これはAさんからの挑戦状だと考え、ご自分で答えをだしてみて下さい。

※一生懸命更新していますが、私の仕事場は年中無休を交代で休んでいて、今年は珍しく12/31と1/2と1/3がお休みになりました。31日は買い出しと掃除&近隣散歩。2日は親族大集結の日、本日はグロッキーでした。久々に良く寝た・・・つもり。早朝目覚めるのは変わりませんが・・・。天気が良くても外出はしなかったのは久々です。明日から通常シフトに戻ります。
※スライドショーが3回壊れた。もろい。どうしよう。

追加情報
   直径26㎜を超えるそうです。
 
小字手濶縁
穴銭入門(静岡いづみ会編 収集誌掲載品)の原品
1月3日【小字手濶縁】
房総半島も初雪です。車の屋根に3㎝ほど積雪している。雪の降る地域の方には申し訳ありませんが、私の住む千葉県は滅多に雪が降らず、路上に2cm積もれば大騒ぎ。5cm積もれば災害です。
冬用タイヤはもちろん、チェーンなど持っている人はほとんどいないので、降雪を理由に出勤できない、機能マヒということが起こる。私の仕事は年中無休なのでこういった事態が一番困ります。子供らは大喜びですが、大人は雪かきと人集めに駆り出されるわけで・・・それで大変とは雪国の人には笑われてしまいますね。
濶縁小字 小字(古寛永泉志)


さて、鳳凰山師から「最近、マニアックな古寛永にハマっています。」という新年のお便りを頂戴しました。(ありがとうございます。)
小字手濶縁と聞いて・・・あれ、そんなものあったっけ・・・と思われた方、古寛永泉志を良く読み込んでいる方です。(ぱちぱち👏)
私も目にした瞬間は「ああ、濶縁小字だよね。」・・・と、勝手に判断していましたが、濶縁小字は全く別物。(小字手の記事もHPに載せているのに・・・)
古寛永泉志には「小字手」の名前も「濶縁」の分類もありません。「小字仰頭永」と「小字短尾寛」しかないのです。
古寛永岡山銭泉譜にもこの分類名はなく、「小字仰永」と「小字」とがあるものの、古寛永泉志の「小字仰頭永」と岡山銭泉譜の「小字仰永」は別物の分類。
拓図を見る限り「小字仰永」はわずかに離郭傾向の書体であり、古寛永泉志は接郭気味の書体の違いがあります。

「小字手」は穴銭入門(静岡いづみ会編)として月刊収集のみにある名称なんですね。ここまで書くともう訳が分からなくなりそうですね。
詳しくは「コインの散歩道 古寛永・(称)岡山小字~小字手濶縁」をご覧いただくのが一番かと思います。(私には小字手濶縁は仰フ永で寛前足が跳ね上がろうとしているように見えます。)
そして鳳凰山師の写真は穴銭入門の原品にほぼ間違いない。

いずれにしても超マニアックな分類。泉譜にものっていない変化が小字の類にはあり、さらにマニアック。鳳凰山師いわく「ハマっている」とは、今でいう「ヌマってる」状態かな。それも「泥ヌマってる」かも?
沼は深そうですね~。

 
言い忘れておりましたが、私・・・喪中ですので賀状は遠慮させていただいております。
葉書代も高くなりましたので、これを機会に勝手ながら賀状仕舞とさせて頂こうかと思います。もちろん、お送りいただいた賀状の古銭等は楽しみにさせて頂きますよ。
 
中郭手小点尓(尨字系)
黄褐色の肌で地はうねる雰囲気。
長径48.7㎜ 短径32.05㎜
銭文径40.8㎜ 重 量22.3g
 左:塞頭通 右:小点尓 當田右肩に穴がある 

塞頭通 収集誌掲載画像
異頭通不接培に見えませんか?
長径49.10㎜ 短径32.30㎜
銭文径40.90㎜ 重量20.6g
異頭通?  不接培?

関西S氏提供 制作日記2017/9/12
鋳浚い肌の異頭通
長径49.03㎜ 短径32.54㎜
銭文径41.33㎜ 重量19.8g
※関西のSさんから2017年に頂戴した尨字異頭通の画像。鋳浚痕跡が明瞭でぬめぬめの紫褐色の肌。
尨字は黄褐色とどちらが主流なのだろうか?鋳肌はどちらも不規則にうねる感じがある。
 
1月2日【小点尓と塞頭通】
小点尓は昨年入手に費やした価格の中のNo2で、しかも真贋等に不安を抱きながらも購入を踏み切るなど、私にしては大博打を打った品でした。
2025年3月23日に同炉銭の極印の話について書いた際に尨字に関して触れたので、次は手持ちの尨字塞頭通の拡大撮影を行い、話題にしようと心に決めていました。私の尨字塞頭通は収集の誌上入札で遊び半分で落札したものです。
マ頭や當田などに加刀があり、通頭は口をあけ、田の十の横画の両端が縦画に接していないように見えます。天保泉譜には「不接培」という名称で掲載されていたものがあったのがとても気になっていました。
この塞頭通は入手した直後にうっかり妻に話をしてしまい、少しばかり「馬鹿じゃないの」と、睨まれたこともあってさして話題にもせずそのまましまい込んだ形になっていました。
したがって、撮影の際には鋳肌や極印などをじっくりと見なおすことができたのでした。
それから1ヶ月後にTICCで小点尓に出会うのですが、購入を決断するまで30分以上は店頭で迷っていたはずです。その間、懸命に記憶を絞り出していました。私の記憶像もあやふやで正直絶対と言えるものではありませんでしたが、確かこうだった程度の印象が残っていたのは幸いでした。そして細かい砂目と地肌のうねり、極印の印象だけで・・・えいやっと買ってしまったのです。博打ですね。けっして褒められたものではありません。
泉譜における小点尓は、長径49㎜台の塞頭通に比べて皆小さく48㎜台です。銅色は黄褐色ともありますが、紫褐色~黒褐色の異製作のものも多いようです。
ただし、私の頭の中の情報はあくまでも塞頭通の印象ばかり・・・それもぼんやりとしたものに過ぎません。
小点尓は不知天保通寶分類譜に上巻の中郭手「寶の変化」に4枚、「製作の変化」に広郭気味になったものが1枚掲載されているだけ。そもそも比較する現物そのものがあまりないのです。
小点尓が尨字の仲間だと語ったのは、私が知る限りは天保仙人様が方泉處誌上でインタビューに答えた記事を読んだぐらいですので、その発見者は天保仙人様なのかもしれません。
その後、極印の一致ととらさんのご指摘で特徴的な文字画の欠損などのポイントが見つかり、どうやら私の小点尓も大丈夫そうだと自分で結論付けた次第です。
仙人様がおっしゃるように鋳肌のぬめぬめ感がない点は確かなのですが、これは塞頭通を観察する限り地肌の穴ぼこを塞ぐような地染め加工と鋳ざらいの有無が大きそう。側面の色を見る限りは、小点尓と塞頭通の銅色は黄褐色でよく似ているのです。
結果として私は「運が良かった」・・・あるいは「運が良かったと思い込んでいる」おめでたい人なのかもしれません。一昨年は会津大濶縁、昨年は本座広郭母銭(背大郭)で大失敗しましたので、これが失敗となると立ち直れないかも。(懲りないけど。)
知らぬが仏。もう少し幸せでいたい私です。

※塞頭通として入手しましたが、マ頭が開き不接培気味になっています。

 不知分類譜上巻 の小点尓
 ページ 長径 短径
❶  135-3 48.70㎜ 32.25㎜
❷  135-4  48.50㎜ 32.30㎜
❸  136-5 48.10㎜ 32.35㎜
136-6  48.50㎜ 32.15㎜
❺  152-2 47.80㎜ 31.80㎜
❶黄褐色
❷やや濶縁に見える・異製作
❸異極印・内反足寶(異足寶)
❹内反足寶(異足寶)
❺極端な小様・異製作・・・拓本の印象だが小さすぎ、写しのような雰囲気があり、正規のものではなさそう。
 
1月1日【駒曳銭】
あけましておめでとうございます。午年のコインといえば・・・駒曳銭しか思いつかなかったのでアラカルトをお届け。

❶御蔵銭駒曳(寛永駒)
仙台絵銭なのになんで御蔵銭なのかは・・・なんでも戦後仙台伊達家から出現した古寛永の鋳ざらい母とこの寛永駒の鋳ざらい母の製作が近似すること、東北地方で良く見つかることからだそうで、かなり古い時代からある絵銭のようです。
色は黒灰色で浅地の物と南部地方特有の赤い銅質ものが続きます。

❷御蔵銭仙台左駒
面が仙台絵銭の左駒になります。古銭は銭を人の体に例えるので向かって右側を左といいます。ややこしい。南部の銅質。

❸双馬背古寛永
芝接郭もしく仙台濶字刔輪の寛永との組み合わせに見えます。駒曳銭は通常は駒側が面になります。馬をリスペクトしているのです。

❹長門寛永索出し駒
「索出し」はおそらく「つなだし」と読ませると思います。これも駒側が面で広穿になります。企画ものかと思いますが日本の絵銭にも掲載されています。

❺古寛永草喰駒
小笠原白雲居が見つけたという草喰駒絵銭。入手字、「白雲居発掘品ハ小型細縁」という説明の文字がついていました。

❻古寛永折れ綱駒
伝説の武将、渡辺綱が羅生門で鬼の腕を切り落とした際、愛馬の綱が切れたことから「折れ綱」は、悪いものを断ち切る、厄を落とすといった意味を持つようになったとAIは答えていますが、半分はこじつけでしょうね。

似せ(にせ:偽)と似非(えせ)
「にせ」は似せてつくった偽りの品、「えせ」は似ているけど中身が全く異なる見せかけだけの品。格付け的には「似せ」の方が「似非」より上で、言葉としての使われ方もたしかにそう。「似非」の方が卑しい感じがします。贋作も偽の方が似非より上物ということになります。絵銭という言葉の響きにはそのような意味が込められているのかもしれません。

市原市の馬頭観音
観音様なのに忿怒の相で、まるで不動尊のような顔。3面と8本の腕の像が多く、頭もしくは宝冠に馬の頭を戴くのが特徴です。市原市にはなんと400を超える馬頭観音が残されているそうです。(415ヶ所だそうで、どなたが数えたのでしょう。)古来、交通往来の要所であったこと、幕末に鶴牧・鶴舞・菊間の三藩が存在し、農耕文化とともに武家文化が色濃く残されていることも要因かと思います。子育講・出羽三山講や五人組の風習も昭和後期まで普通に残っていました。石仏・碑等が残るのは馬が亡くなった場所や埋葬地・供養された寺院の他、街道沿いに建てられ道標や一里塚等になっているケースもあるようです。画像は大厩から若宮に抜ける道に残る馬頭観音。道祖神神社と呼ばれる小さな祠の周囲にあるもの。年代は不詳。
(庚申塔とよく似ていますが腕の本数が多く、鳥や猿の従者がいません。)。
 
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新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
八厘会のご案内 
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
地下鉄日比谷線・JR京葉線 八丁堀駅より徒歩3分
地下鉄日比谷線・東西線  茅場町駅より徒歩7分
都営浅草線        宝町駅より徒歩5分
JR 東京駅からあおぎり通りを経由して徒歩13分
※八重洲中央口改札から大通りを渡り、右手へ・・・セブンイレブンで左折しあおぎり通りへ
 あとはまっすぐ。八丁堀石川クリニックの隣の庄司ビル3階。その先隣は佐藤調剤薬局。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目19-7 庄司ビル3貝「セキレイ会議室」 
 
     私の古銭史
1971/3 友達の天保通寶(本座広郭)とミニカーを交換 収集品第一号
自宅捜索で安政一分銀を・古銭・記念貨幣・古紙幣発見
1972/1 千葉市の古銭店(大宝堂)で千木永発見 新寛永等の雑銭収集の始まり
1972/4 成績に応じて報奨金もらえる制度発動 泉譜の購入開始
1973/1 不知俯頭通を大宝堂で購入! 12000円
1975/3 中学卒業記念に天保丁銀・四匁六分銀判を購入(お年玉+貯金放出)
1978/3 大学合格記念 横浜ドラゴン商会で、踏潰銭 低寛背一などを購入
1979/10 日本橋高島屋で不知天保張天保を発見・入手 1500円
1982/5~ 島屋文・幻足寛等を通信販売で購入(いったん収集を休止)
1994/ なんでも鑑定団開始 収集再開
1995/秋 入札誌を片っ端から購読開始
富山貨幣研究会の三鍋師のお店にはまる 古寛永の収集はじめる
1997/秋 方泉處7月号購入(隆平堂) → 庶銭会に入会
1998/頃 練馬雑銭の会 入会(会員No13)
2001/5 方泉處解体の報告を札幌で聞く(現地旅行中)
2002/4 浅草古銭会設立(旧方泉處) 入会(2004年解散)
2003/春 島屋文小頭通細縁 入手 石川諄師との出会い
2004/4 新寛永通宝分類譜 作成開始
2007/4 練馬雑銭の会に初参加 故、暴々鶏師 天保仙人師 等との出会い
2011/1 下町個古泉会の赤坂師の紹介で日本貨幣協会へ入会
新・古寛永 絵銭寛永 密鋳寛永 天保通寶と収集変遷
 
 
愛読書だったもの 
日本貨幣カタログ これは初心者が必ず買うもの。発行枚数を調べて特年探し。
貨幣手帳 穴銭に目覚めるきっかけ。地方銭もこれで調べました。
新寛永銭鑑識と手引 はじめて自分で買ったと言える泉書。これは熱中しました。
古銭と紙幣 矢部倉吉氏の著。これも本当に読んだ本。島銭にあこがれました。
コイン利殖入門 ジャンピングインディアンやワイマール銀貨などを購入。
穴の細道 本がバラバラになるほど愛読・熟読。中国穴銭に目覚めた瞬間。
符合泉志 穴の細道によって符合銭に目覚め購入。しかし挫折もしました。
清朝泉譜 康熙銭・順治銭などずいぶん集めた時期もありました。
天保泉譜 (勢陽譜) 超愛読書。大学生時代に張点保を見つけたときは狂喜した。
古寛永泉志 収集を再開した頃は古寛永に燃えた。ボロボロになるまで読んだ。
穴銭入門 新寛永の部 これも収集を再開した直後に購入。版違いで3冊を愛読。
季刊 方泉處 日暮里の隆平堂で発見購入。私の中で何かがはじけた。
新寛永通寶図会 この本の影響で計測に目覚め、ノギスを買ってしまいました。
月刊 収集 もう30年ぐらい愛読しています。私の知識の原源ですね。
天保通寶と類似カタログ 複数冊購入。持ち運びやすく便利
不知天保通寶分類譜 不知天保通寶狂いの原因。この泉譜原品は実に多い。
久泉研究資料 古寛永の計測比較には欠かせない存在。