戻る 進む
 
密鋳四文銭タイプ別分類研究
 
密鋳銭は当然の事ながら製造に関する文献など残っていません。また、ほとんどが通用銭を利用して鋳造しているために、一部の種類を除いて書体による識別はできません。そのため鋳造技術の差異によって分類作業を進めてゆくしか手段はありません。このコーナーではその鋳造技術の変遷をたどることによって、密鋳銭のルーツを探る足がかりを作ろうと思います。
なお、分類などは私の個人的な見解と推論に基づいています。従って間違いだらけだと思いますがご容赦下さい。
 
【密鋳四文銭の主な鋳造地】
密鋳銭を熱心に研究されている方によると、密鋳銅銭の大規模な産地は北上以北、鹿角、十和田、浄法寺など南部領北西部あたりが中心地になるそうです。原料の多くが現地産出の銅で調達されたようです。原料の銅の調達が難しい北上以南の地域では密鋳はもっぱら鉄銭に限られ、銅銭が鋳造されたとしても極めて小規模にならざるを得ず、採算面から見ても銅銭鋳造は稀であったそうです。と、なると銅密鋳銭は極めて狭い地域でその多くが鋳造された可能性が高く、状態変化は鋳造技術や調達原料の変化によることが多いと思われます。

※地図に鋳造推定地を写してみると江刺はかなり南部にあることが分かります。材料の銅の調達はどうしたのでしょうか?ただ、付近には大迫や栗林など鋳銭場になった地がありますので、技術的には十分な裏づけがありそうです。
なお、奥州市江刺区には銭町という地名が確認できます。ここで何らかの鋳銭作業が行われたのでは・・・と推定できます。

※栗林付近に橋野・砂子渡・大橋・佐比内銭座が密集しています。
※南部藩の黙認銭座の材料調達には藩の協力体制があったようです。
銭座のタイプ

幕府許可請負支配銭座(幕府公認銭座)
幕府公認の銭座。堂々とした規格のものが整然と鋳造されています。元文期の秋田川尻銭座、慶応期では大迫銭座などが幕府公認の銭座でした。

藩許可請負支配銭座(藩公認銭座)
大政奉還以降については中央の力が地方に及ばなくなったため、藩の許可で鋳銭が行われています。代表的なのが栗林付近の橋野・砂子渡・大橋・佐比内銭座です。

藩黙許私鋳銭座(藩黙認銭座)
密鋳が天下の大罪であることを知りながらも、藩の一部の役人が行為を黙認した上で私鋳をさせていたもの。利益の一部が藩財政に還元されたり、飢饉時の救済資金創出を行ったため、藩側も原材料調達に加担したこともあったと思われます。とくに銅原材料は鉄に比べて入手が困難であったため藩の積極的な関与が必要になります。主な地域として浄法寺・葛巻・雫石などの地が推定該当します。秋田藩の加護山もおそらくこの類だと思います。発見されたとしても藩としては知らぬこと・・・逃げ口上を作っていたわけです。内偵の危機が迫ると藩がわざと摘発して形式的に取り潰しを行い、刑罰はごく軽くしてほとぼりが冷めた頃再開することを繰り返したところもあるようです。また、一部の役人しかしらない鋳銭ですから事情を知らない役人が摘発してしまった事件などもあるようです。
鋳銭工も領内や仙台藩からも募ったようで、正規母銭の流用もみられることから本格的な密鋳が行われた地域もあったようです。

厳罰私鋳銭座(非公認銭座)
幕府はもとより藩も非公認の銭座です。摘発されて一族が極刑に処された記録があるようです。

鋳銭(銅銭)に必要な原材料など
@木炭・・・鋳銭にはとにかく大量の木炭が必要になります。この点、東北地方は恵まれていたと思います。
A水力・・・フイゴの動力として水力が欠かせません。また、鉱石選別や運搬にも水の流れが必要です。
B銅・錫・鉛・・・鉱山の多い東北地区はとにかく原材料には恵まれていましたが大量調達には藩の助力が必要だったと思います。
C鋳砂・・・鋳造のための必需品。きめが細かく、適度な保湿能力のある砂が大量に必要です。
D砥石・・・銭を磨くためにはきめの細かい砥石が必要でした。
E見つからないこと・・・公認銭座を除き、目立つことは厳禁です。

※このうち、東北地方では仕上げ砥石の入手が比較的難しく、秋田天保などでは砥石仕上げではなくやすり仕上げになっています。東北地区の密鋳銭の独特の側面仕上げはこれが原因です。同様に、良い鋳砂に恵まれなかった地域も多く、秋田ではやむなく川砂を布で濾して使用したと推定されています。元文期は関西方面から調達していたのですが幕府非公認の鋳銭においてはあくまでも現地調達しかなかったわけです。
鉱石については、銅・鉛の調達は比較的容易でしたが、岩手側では錫の調達が難しかったようです。錫は銅の溶解温度を下げる効果をもっているので、鋳銭には不可欠な金属でした。浄法寺のあの独特の鋳肌は、錫不足と不純物としての硫化亜鉛の混入という問題から生じた結果だと思います。
密鋳銭といっても民間で流通させるにはできるだけ公式銭貨に近いもの(大きさ、色など)にする必要があります。また、鋳銭技術や材料の調達が一定しなかったため、同じ銭座でも色調や制作がかなり変化したようです。なお、銭座は必ずしも鉱山のそばに作られたわけではないそうです。(鉱山付近は目立ちすぎるため?)
 
浄法寺系
短尾寛二十一波写 
阿仁とは赤土の意味。その阿仁とも例えられる純赤の柔らかな銅質で輪側は垂直に成形されています。

※入手のときは加護山とされていましたが、加護山は四文銭を作っていないという論があり、銅質から見て浄法寺系に移籍させます。

→ 短尾寛写

→加護山銭(一文銭)
浄法寺 背盛鋳放銭
ある意味で典型的な浄法寺銭です。天保銭の浄法寺銭の鋳放しを見た事がある方なら異論はないでしょう。銅質は赤味はあるものの白味含みの独特のもの。
側面から見ると台形状になるのは、母銭のテーパーの形状なのでしょう。

※このタイプの浄法寺は新しい作である可能性があります。
浄法寺 盛無背異永
正統派の浄法寺の有名銭。この後に出てくる浄法寺と同じようなつくり。
浄法寺 仰寶(赤銅)
輪側面の仕上げが特徴的で、丁寧な横やすりなのですが型抜けのためか面径より背径が大きく、横から見ると台形になります。そのせいでか背輪縁がめくれ上がるようになっているものが多見されます。背が浅いものも多いようです。これを浄法寺系だと思うようになったのは、練馬雑銭の会からの影響で、銅質は加護山に近いものがあるのですが、輪側面や背の仕上がりは上掲銭に近いものがあるからです。
小字写 浄法寺系
これをどうして浄法寺とするのか・・・と、いうと銅質と側面の大雑把なやすり目だけが理由です。仕上られて流通した浄法寺銭は角が取れて上掲のような特徴が薄れてしまっています。個人的には赤茶系の銅色よりこのようなやや白味のある焼けたような赤色こそが典型的な浄法寺の色だと思っています。ただし、この判断は私だけのものかもしれません。公式の場における発表、発言にはご注意下さい。

※浄法寺には色々なタイプがあり、判別に迷うケースが多々あります。
 
江刺系
江刺 正字手(不跳永)C
黒っぽい黄褐色で銭面全体がざらついた感じがするのが江刺銭の特徴。なかには茶褐色に近いものもあり、焼けて真っ黒くなっているものも多く見られます。輪側 横か斜めやすりの粗い仕上げで穿内鋳放しのものが多く見られます。銭面へのやすり仕上げはほとんど確認できません。銭径は明和期銭よりわずかに小さいだけで厚みが充分ある立派なものが多いようです。

※江刺にも稀に赤褐色のものがあり浄法寺との中間的なものも存在します。加護山と浄法寺と江刺にはどこか接点があるのでは・・・と思います。
浄法寺?江刺?
小字手長広穿赤銅
(小字手C)
秋田貨幣研究会の菅原氏の分類によるとこれも江刺銭になるのですが、鋳肌などには近似点はあるものの銅質は赤く、背輪の縁のめくれなど浄法寺系(赤銅)としたものとの近似点の方が目立ちます。これを浄法寺とする意見も強く、現時点では結論は下せません。

(このタイプは手ずれすると赤茶〜赤黄色の銅色になるようです。)

→ 江刺銭の細分類
 
踏潰系
踏潰 小字手(小字写)
延展(叩き伸ばし)という技法がとられているために銭径はやや大きめですが銭全体がイビツになります。背の波が潰れて幅広く不均一に歪みます。輪側面は横やすりで銭面にも細かいやすり目が走ります。厚みについては延展によって薄くなるものもありますが、再鋳によって厚みを増したものもあります。銅色は黒褐色〜茶褐色。
踏潰系 俯永写輪斜やすり
黄銅質で面背のやすり目などは踏潰銭です。ただし、延展銭にしては銭径が縮小気味なことと輪側面の仕上げが斜めの強いやすり目であることから完全に同炉とは言い切れないのですが、どの系統と言われれば間違いなく踏潰となるものです。
踏潰系 小字写
秋田の畠山師が踏潰と分類したものを分譲戴いた。穿内にやすりがあるのが特徴的だが、この銅色と表面の仕上げはやっぱり踏潰というにふさわしいと思います。

 
【直写し系密鋳銭】
密鋳の基本で、流通している通用銭から直接型をとり、鋳造するもので書体変化はほとんどなく、銅質や鋳肌、輪側の仕上げの差において区別されます。
江刺銭タイプ
直写し系の代表銭です。外径は28oを切り、わずかに縮小していますが、肉厚はたっぷりあり明和期銭に比べても遜色ありません。掲示品は俯永Iタイプとされるもの。鋳肌はいわゆる魚子肌状で粗くざらついていますが、手ずれや研磨によって変化したものが多いようです。銅色は暗黄褐色のものが多いようですが変色して黒くなったものが多見されます。(中には赤系薄肉のものも見られ、今後の研究が待たれます。)輪側は横やすりあるいは斜めやすりで、穿内仕上げを省いたものが多いようです。存在は比較的多く、厚肉の直写しで赤銅以外のものの密鋳銭はほとんどこのタイプではないかと思われます。
江刺銭(滑肌)タイプ
流通による手ずれ、あるいは研磨によって肌のごつごつ感が少ないものが生まれた可能性があります。あるいはごく初期においてこのようなきれいな制作を行なったのかもしれません。

江刺小字写
純黄銅質薄肉タイプ(穿内仕上あり)
密鋳銭の黄銅質の代表に江刺銭がありますが、掲示品は黄色味がさらに強く、面や穿内仕上げも明確で薄肉になっています。タイプとしてはやや珍しいものです。

俯永写
黒味赤銅質粗肌タイプ 大頭通写
鋳肌は粗く江刺風ですが、やや薄肉で赤銅質のものです。ただし赤肉といってもやや黒味があり、制作面で次掲示のもの(浅背タイプ)とは差異があります。とはいえ密鋳銭としては制作は非常に優秀であり、技術力のある鋳銭場であったことが推定できます。
黒味赤銅質粗肌タイプ 俯永写
黒味赤銅質粗肌タイプ 正字写

浄法寺系かしら?

※非常に微妙な位置づけ。輪側面の仕上げが下の類と異なります。
赤銅質直写浅背タイプ
きれいな赤褐色の厚肉銭です。やすり仕上げも丁寧で輪側は面から背に向かって横あるいは斜め方向にやすりが走っています。総じて浅背になっておりやすり掛けのためか背の縁がめくれ上がるように盛り上げっています。加護山銭に見られる銅質とほぼ同じで鉛成分の多い柔らかい銅質です。
心をこめて端整に作られた銭・・・という感じです。


※銅質は異なりますが、ここにあるものは制作技術的には浄法寺系のものと思われます。肉厚がたっぷりあり、輪側は丁寧なやすり仕上げが多いようです。横から見ると台形になるものが多いかもしれません。やすりは面側から背に向かって掛けられています。 
赤銅質延展写タイプ
おそらく前銭と同炉であると思われますが、銭形の縮小を補うために鋳写す前(後?)に銭を叩き伸ばしたものと思われます。そのため背波が歪み変化しています。詳細は延展系密鋳銭の項で説明します。
紅銅質タイプ(浄法寺系)
赤味はありますがやや硬い感じのする銅質です。浄法寺とされる粗い制作の銭貨の基本銅質と同じですが、本銭は鋳肌がさほど荒れていません。
加護山系の銅質に比べ鉛成分が低く、赤茶けた感じはありません。制作もやや粗さを感じますが、手抜きというより製造慣れのような感覚を受けます。下段右側は銅質に近似性はありますが厚肉で輪側に強いテーパーが見られます。これは浄法寺の仕上げ銭で間違いないと思います。
浄法寺タイプ(新作?)
銅質は紅銅質で硬い感じですが、すすで変色して真っ黒になるものが多いようです。鋳放しかそれに準じるものが多く、掲示品は鋳ばりがそのままついています。湯道が幅広く太く、はさみで切り落とされたような感じです。ごつごつした感じはありますが江刺のような極端な砂目の粗さはありません。輪側の角が立つような感じです。
混合タイプ1
地元の研究家の間では江刺と確定されたようですが、肌は江刺、銅質は浄法寺に近いものです。制作的には赤銅質直写浅背タイプにも似ていますが非常に薄く、鐚銭的な雰囲気も持っています。下のものは兄弟銭で、文字や鋳だまりの特徴が完全に一致しますので、流通や保存状態によって鋳肌や銅色がこのように変化する可能性も予測されます。
← ↑ 秋田貨幣研究会 菅原氏の分類で江刺小字Cとされたもの

一般的な江刺銭に比べて薄肉で穿内仕上げも明確です。あるいは江刺銭ではないのかもしれません。ただし浄法寺とも雰囲気があまりにも違います。(銅質に浄法寺とは矛盾はないと思います。)
赤銅質その他タイプ
どろんとした風貌をもつものです。すべてが同炉とは限りませんが比較的しっかりしたつくりです。赤味はかなり強いものが多いようです。
鐚銭タイプ
出来の悪い鋳写し銭です。再写しもあるようで薄肉に出来ているものもあります。ここにあるものは赤銅質ながらもさほど赤味は強くありません。
【粗製厚肉系密鋳銭】
ごく初期の鋳銭技術の低いタイプの密鋳銭です。直写には違いないと思いますがいかにも田舎の出身といった垢抜けない風貌をしています。肉厚を標準としますがそれをさらに鋳写した薄肉のものも存在します。
厚肉狭穿赤銅タイプ
素朴でいかにも田舎の密鋳・・・といった感じの一群です。銭の角がとれて丸くなっているのは材質が柔らかいためかもしれません。輪側のやすりも大雑把で銭径が歪むものも多いのが特徴です。浅字で文字がつぶれるものが多いのは、硬い粘土質の鋳砂を用いたことに原因があるのかもしれません。(これは私の想像です。)穿内は鋳放しになります。赤味は非常に強いものが多いようです。

※一般分類では浄法寺系とされることがあるようです・・・。
粗製歪形タイプ
極めて鋳肌が粗く、銭形は極端に歪みます。厚肉が基本ですが鋳写しによる薄肉のものもあるようです。(最下段のもの)
銅色は赤褐色のものと紫褐色のものがあるようです。このタイプは次の厚肉拡穿タイプに雰囲気が似ています。鋳砂は相当粗かったか、あるいは粘土質で型抜けが悪かったと思われます。
厚肉歪形拡穿タイプ
上の一群に似ているのですが輪側、穿内とも丁寧なやすり掛けが見られます。特に穿内は面側が極端に広がった形に仕上げられていて、この類が一群であることを証明しています。銅色は紫褐色を基本にするようです。
浄法寺系
金質は浄法寺、制作は粗製厚肉で直径もたっぷりあります。
砂目から上掲の混合タイプ1との類似性も考えましたが、やはり浄法寺系のものであると落ち着きました。
 
【延展系密鋳銭およびその前駆密鋳銭】

※基礎知識 延展とは・・・
初期の密鋳銭はその技術の未熟さから薄手のものは作成できませんでした。重さを現行流通貨とあわせるためには外輪を削るのが一番簡単なことですが、、四文銭の場合鋳写しを行なうと外径がおおよそ0.4〜0.7oほど小さくなると思われますので、この行為を行なうとさらに小さな四文銭
(厚肉縮小銭)が出来上がり、貨幣としての信用価値を失ってしまいます。
そこで考え出されたのが延展という技法です。銭を叩き伸ばすことで、銭径を大きくし厚みを減少させる・・・これはまた原料の節約にもつながります。
(第一段階の延展銭)
ところで、できあがった銭をひとつひとつ叩き伸ばすのでは手間隙がかかります。そこで通用銭を延展して薄くて大きな母銭をつくり、それを写すことによって鋳縮みしても元の大きさを保つ方法を編み出しました。
(第二段階の延展銭)
さらにそれを再び鋳写したり、延展したり、延展母銭にしたり、加刀修正したりと延展銭はさらなる進化を遂げることになります。(第三段階の延展銭)
厚肉縮小銭
分厚い鋳写し銭の外輪を削り重さを調整したもの。延展に至る前の前駆銭だと思われます。見かけの割りにずっしりしています。
延展銭
第一段階の延展銭だと思われます。銭を叩き伸ばすのは手間ですが見てくれが良くなり流通しやすくなる効果があります。初期の踏潰銭はこの手法で作成されたと思われ非常に薄肉になり、文字や波が歪み外輪もいびつになるのが特徴です。
延展銭写し(踏潰系)
延展銭を母銭として鋳造されたと思われるもの。掲示品上段は外径こそ小さいのですが銅色や背波は踏潰銭そのものです。鋳造的には良心的で厚肉で狭穿になっています。
通用延展銭写し
通用銭(あるいは通用銭を鋳写したもの)を叩き伸ばし、母銭に仕立てたものから生まれたものと考えています。前銭の進化形でより経済性と生産効率を重視したものと思われます。最初から鋳縮みを考慮して薄くて大きな母銭をつくった訳です。薄肉広穿になり、仕上げの手抜きも見られます。
再延展(踏潰銭)
延展写しをさらに叩き伸ばしたと思われるもの。掲示品はかなり薄肉です。

→ 踏潰銭
再延展写し(踏潰系?)
推定ですが再延展したものを鋳写したもので郭抜け気味です。踏潰銭としても良いと思うのですが、外輪の歪みは浄法寺的ですね。
延展系?小字写狭穿
銭形がさらに縮小しています。背波の乱れ、銅質、輪側面の仕上げは踏潰銭として合格なのですが銭径が小さく面背が砥石仕上げ風になっているので踏潰銭と断定し切れませんが、延展という技法は間違いのないところ。永フ画も少し仰いでいます。狭穿ぶりもなかなかの味です。

この銅色、製作のものが一グループを形成すると思います。こげ茶の銅色、背の歪み、輪側面の仕上げなどに共通性を見ます。
延展系?小字写
上掲品と同系統だと思われます。
第15回 江戸コインオークションから

改造母銭ということで出品されていましたが、これこそが延展系の改造母銭だそうです。知らないことは幸せで、知ったときには後の祭り・・・。うーむ、勉強になりました。
 
無所属の密鋳銭】
上掲のいずれにも属さず、独自の技術によって制作されたものです。密鋳銭としてはあまりに立派な制作で、非常に面白いものが多いと思います。もちろん東北地方以外の鋳造もあったと思いますし、中には鋳銭関係者の関与や有力藩による密鋳の可能性もあると思います。
直写美制
密鋳銭としては初出の部類でしょう。やや紅銅質で面背にはっきりとしたやすり痕が残ります。非常に丁寧なつくりで浄法寺系に近いものを感じます。

※浄法寺系のような気がしますが、制作が近似してやや白銅質のものを持っています。
安政期様(ロクロ風)
やすり仕上げが安政期あるいは文久様と同じもの。外径は大きいのですが、わずかに内径が小さく、鋳写し銭であることを物語っています。銅質がいずれのものとも異なるため、密鋳銭としましたが非常に珍しい存在であることは間違いありません。また、制作側も実力あるところだと推定されます。
江刺様大様
江刺で良いかもしれません。江刺以上に立派な大様銭です。これだけ大きいのは珍しいですね。
→ 南部藩 母銭聚泉譜(仙台古泉会)
 
南部藩写しのバラエティ
背盛(ロクロ仕上げ)
よく見かけるテーパー(ござすれ)のある母銭と違い、輪側面はロクロ仕上げで面背は砥石によるなめらか仕上げ。あめ色の銅色がとてもきれいな母銭。本炉か?

外径28.4o 内径20.0o 肉厚1.4o
背盛(別炉)
別炉としましたが、藩命を受けての作かもしれません。多見されるものとは銅色が全く異なり、表面にぶつぶつと穴が空いています。見た目以上に軽量です。輪側は縦やすり。
外径29.0o 内径20.5o 肉厚1.4o

→ 南部密鋳背盛
→ 関連記事
背盛濶縁(踏潰様)
文字が縮小して濶縁になっています。通常の次鋳銭より内径が小さく、内郭仕上から母銭には違いないようですが非常に踏潰銭に近似している作風です。少なくともこのタイプは正炉ではないと思います。ずしりと重く、また、輪側やすり目は確認できません。地元の研究家によると寶上に星のある亜種があるそうです。
外径28.9〜29.3o(いびつです)
内径19.35o 肉厚1.85o

→ 踏潰銭
背盛 江刺様(輪斜めやすり次鋳)
鋳肌は一見江刺風ですがやはり微妙に異なります。輪側は斜めやすりが生々しく、テーパーがしっかりとられています。非常に面白い存在です。

外径28.5〜28.1o

内径19.8o 肉厚1.7o

→ 江刺銭
背盛 江刺様(輪斜めやすり大様)
鋳肌を見れば分かるように上掲銭とは同じ銅質、同制作です。輪側面のやすり目も上掲のものほどはっきりしませんが同じ。外径も少し大きいのですが、内径もまた一回り大きいようです。

外径29.1o
内径20.2o 肉厚1.5o
背盛 赤銅
この画像は銀座コインオークションカタログから参考借用したものです。一般的な藩鋳銭と違い、仕上げが粗く背側の輪縁がめくれ上がるような感じが面白いと思います。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
背盛 磨輪小様
磨輪は後天的なものかもしれません。廃棄母銭として通用銭に混入するにあたって削り取ったか、あるいはサイズダウンして原料を節約する母銭としたかのいずれかでしょう。いずれにしても正炉ではありません。

※実は小型の母銭は意外に少ないそうです。
背盛異足寶
寶足が隷書風に変化し、カギ状に曲がります。輪側は縦やすりで意外にしっかり仕上られています。
聞いた話ですがこの手のものは古い時代の山内通用の様式(風貌)を残しているんだそうです。
背盛異足寶(大型母銭)
練馬雑銭の会のホームページによると、背盛異足寶は大迫外川目銭座から鋳銭技術指導を仰いで鋳造したもの・・・だそうです。寶足に鋳だまりがあって変形するのが特徴で、明治期の真っ赤な銅質が多いとのことですが画像の品は立派な大型で銅質も少し違うようです。

(練馬雑銭の会ホームページより)
浄法寺盛無背異永
昔から浄法寺銭とされている有名品ですが、こうして画像比較してみるとやや違和感を禁じえません。
上のシンプルな鋳写しに比べて実に手の込んだ制作です。まさに密鋳銭のお手本のようなつくりで実に興味深く感じます。

(練馬雑銭の会ホームページより)

→ 浄法寺銭
仰寶 母銭(正炉:ござすれ)
ござすれ・・・と、いうのは型抜けを良くするために輪側面を楔形に加工するものです。母銭を置くときにござとの摩擦で削れた・・・という誤解から名づけられた・・・と、いうように記憶しています。堂々とした銭容はまさに正炉のものならではです。
仰寶 母銭(橋野座タイプ)
内径20.1oは上掲の正炉銭とほぼ同じです。ただし、輪側はろくろ仕上げであり、銅質も異なります。あるいはこれが後の浄法寺系の流れとなる原形の母銭なのかもしれません。
※工藤氏によるとこのタイプは橋野座のものということになります。
仰寶 未仕上大型母銭(外径29.2o)
銅質の感じは上掲のものとほぼ同じですが、ひとまわり大きい母銭です。上掲の母銭も外径は28o以上ありますので本銭は本当に大きな母銭です。銅質もやや白銅質気味です。
仰寶 次鋳母銭
情けないほど小型化した母銭ですが、この手の存在が非常に多いようです。薄肉で見栄えがしません。どう見ても正炉銭には見えないのですが・・・。上掲母銭と比較してみて下さい。
仰寶 次鋳(江刺風ながら浄法寺系)
輪側面はロクロ風に垂直横やすりですが鋳肌は江刺風のざらざら肌です。銅色は茶褐色、外径は27.7o。背が浅くなる特徴は浄法寺の特色・・・多分浄法寺系で間違いないところですが・・・断定はできません。ところでこれは母銭なのでしょうかね?
仰寶 浄法寺写
江刺ということで入手しましたが、金質、輪側の仕上げから浄法寺系と判断しました。肉厚もたっぷりあります。
仰寶 浄法寺系(赤銅)
明確な浅背にはなっていませんが、輪側の仕上げに浄法寺特有のものが見られます。
マ頭通 浄法寺系(赤銅)
画像で見る限り上掲銭と良く似ています。ただし、輪側の仕上げが非常に粗くなっていますし、薄肉です。浄法寺だとしても末炉に近いものでしょうか?
仰寶(踏潰様)
細かい仕上げ荒砥石の目?が面背に残るもの。輪周囲は不正形気味であり、穿内は未仕上げ。
延展こそ確認できませんが、まるで踏潰銭の銅質です。
上記の背盛異永との共通点はいかに?
 
戻る