9月30日 【ボナンザ・収集再び】
M氏に続き、関東地区のT氏からボナンザ19巻と収集82年8月号のプレゼントがありました。これで19巻は完収です。近藤正斎の記事と古泉家番付のお話はとても参考になります。
T様ありがとうございます。
21日に書いた表は〝とらぬ狸の皮算用〟の表でしたので、誤りを修正して再度掲載します。数日前、バラバラだった蔵書を再整理しました。58年のボナンザは完収だと思ったのですがどうしても7月号が見つかりません。なにせ数が多いので他にも行方不明本があるかもしれません。
※確認はしきれませんが昭和6年の古泉家番付に安田善次郎の名前を見つけました。安田財閥の祖であり、東大の安田講堂は彼の寄付によるもの。ちなみにオノ・ヨーコは安田のひ孫です。 |
ボナンザ |
未収号 |
昭和42年(1967)第3巻 |
2、5号 |
昭和43年(1968)第4巻 |
5、11月号 |
昭和54年(1979)第15巻 |
7月号 |
収集 |
未収号 |
昭和51年 |
12月(創刊号) |
昭和52年(1977) |
3、6、8、10、11月号 |
昭和55年(1980) |
2月号 |
昭和56年(1981) |
2、7、8月号 |
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9月28日 【穴銭カタログ日本 完成間近?】
石川氏からお手紙が届きました。右の写真のように氏のライフワークの〝穴銭カタログ日本〟がおおむね完成したようです。
どうやら私のところにも取材に来られるようですが、お恥ずかしい話ながら私はそんなにすごい泉家でも眼力鋭い人間でもございません。
それでも石川氏の少しでもお役に立てるのなら一肌脱いでしまいましょうかね。
援護射撃として、ひと足早い宣伝をしましょう。
お問い合わせは・・・
〒005-0022
札幌市南区真駒内柏丘11-1-117-105
銭幣学社 石川諄
電話/FAX 011-581-5050
直通携帯 090-9346-3522
※ホームページビルダーをバージョンアップしたときに、一部文字化けが起こったことき気づきました。その修正に半日かかってしまいましたがまだ完全ではないかもしれません。
以下に文字化けの多かったものを記します。
辵(ちゃく) しんにょうのこと。之繞(しんにょう)とも書く。
仿(ぼう) 真似るという意味。日本の文字には残っていない。
ほぼ95%がこの2文字。いずれも常用漢字外で、特殊です。他には☎(電話マーク)やローマ数字、丸囲み数字などに文字化けが多かったです。パソコンの環境によっては修正後もこれらの文字は読めないで?マークになっているかもしれません。
将来を考えたら辵は之に、仿鋳は密鋳に言い換えたほうが良いかもしれません。ただ、之は読み方が困るかもしれません。 |
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9月27日 【古泉家番付2】
25日の記事をもう一度考えてみました。
1.田中啓文 収集力、貨幣界を引っ張った功績は文句なし。
2.朽木昌綱 時代背景を考えるとこの人の行動力は群を抜いています。
3.成島柳北 明治時代をリードした収集家界の巨人。
4.小川浩 銭商と言う立場を超えて、貨幣研究とその趣味の普及に奮闘した姿は素晴らしい。
1位の田中は誰も文句の言いようがない存在です。財力、収集品、業界に果たした役割などどれも超一流。著述は少ないものの研究発表も多く、総合力NO1です。当時の人材はみんな個性的で人間模様も見えてなかなか楽しい。
2位にした朽木公は、大名と言う身分にありながら収集家というより研究家としての行動が素晴らしい。残念ながら収集品は残っていませんが、魅力たっぷりの人物だと思います。
3位の成島柳北は明治時代に貨幣収集を社交の場に発展させた第一人者。守田治兵衛、今井貞吉とともに時代を作りました。
4位の小川浩は貨幣収集を現代庶民にまで広めた最初の功績者。数々の出版で泉譜を身近なものにしています。
これ以降はもう分かりません。収集力・鑑定能力 人物的な魅力・求心力 時代に果たした役割・執筆など上記の方々は一頭地抜きん出ています。
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9月25日 【古泉家番付】
S県のS氏から、〝泉家・収集家覚書〟の中村不折の号が〝孔固亭〟であるとのご指摘がありました。非常に助かります。実はこのコーナーの調査・記述はとても時間がかかっています。その一方で、書いている本人の記憶は実にいい加減で、書きっぱなし、無責任な一面もあります。すべてどこかで見聞きした受け売りの記事ですから・・・。
これを調べるにあたっては、古文書を読み解いた・・・なんて言えればすごいのですが、ほとんど手元にあった古銭書(貨幣・ボナンザ・収集・古銭・方泉處など)とインターネットから掘り出したものです。昭和初期までの収集家にはけっこう政財界の大物がおりましたので、調べてみるといろいろなものが発見できます。そんな収集家を改めてランク付けするとどうなるか・・・実は密かに考えていたのですがこれがなかなか難しい。
功績を考えると以下の人たちははずせません。
江戸期
中谷顧山 ほとんど資料は残っていないものの、古銭収集の趣味を広めた元祖といっても良いと思います。
朽木昌綱 殿様の身分ながら、民間とも交流し、数々の研究書を残した偉大な人物です。
藤原貞幹 宇野宗明にしようか迷ったのですが寛永銭研究の祖といえばこの人しかない。
※近藤重蔵や山田小兵衛も候補ですが、近藤は金銀銭に限った功績であり、符合泉志の山田の前には対泉譜の大村成富や朽木公がいる・・・ということで、惜しくも落選。個人的には木村孔恭なぞ好きですね。
明治~大正期
成島柳北 古銭収集を社交場に発展させた彼の功績は絶大です。
今井貞吉 古泉大全を作ったこともありますが、各地を精力的に回ったその執念に敬意を表します。
下間寅之助 原田元寶堂とともに関西古銭界発展の原動力になりました。
昭和初期
田中啓文 文句なし、ダントツでしょう。
三上香哉 変わり者と批判されても、この人の力なしには収集界の発展はなかった。
佐野英山 害毒も流したと聞きますが、この人の活動も大きいと思います。
昭和後期
小川浩 近代収集界の最後のカリスマ?
陸原保 異論はあるかもしれませんが、この方が業界に果たした役割は大きかったのでは?
瓜生有伸 個人的な好みかもしれませんが・・・
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ボナンザ |
未収号 |
昭和43年(1968)第4巻 |
8月号 |
昭和58年(1983)第19巻 |
6月号 9月~12月号 |
収集 |
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昭和52年(1977) |
3~12月号 |
昭和54年(1979) |
6月、10月号 |
昭和55年(1980) |
2月号 |
昭和56年(1981) |
2~11月号 |
昭和57年(1982) |
8月号 |
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9月21日 【ボナンザ・収集の未収号】
中国地方のMさんが、私がボナンザを集めていることをこのサイトで知られたようで、ありがたいことに一部を送付してくださることに・・・。さらに古本屋さんの情報も教えてくださるそうです。こつこつ集めてましたので未収本はかなり減っていたのですが、さすがに最後に残っている本はなかなか見つからないし、あってもちょっと高かったりしてためらっていました。
とらぬ狸の皮算用・・・なのですが、もし、情報を頂いて購入がかなえば現段階の未収本は左の通りになります。(以前載せていた情報に一部間違いもありました。)
あと少しですね。
M様、ありがとうございました。
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9月12日 【慶長笹書大判】
慶長笹書大判らしきものがネットで出ていて高騰しています。私は専門外なので良く分かりませんが、人気の理由は贋作にしてもとても良くできた品だということです。しかも保存用の古布が付いていてますます想像をかきたてています。
ただ・・・あまりに美しすぎるのが問題です。金貨を長い間しまいっぱなしにすると、全体的にくすみ黒ずむということを聞いたことがあります。(銀分の硫化か?)
金貨は愛好家によって定期的に適度な刺激(振動)を与えられるほうが自然な金色を保つのです。もちろん、金貨の変色は軽い洗浄によって簡単に落ちるのですが、そんなことをすると貨幣コレクションとしての価値はがた減りですね。
一方、大判の墨書きは磨耗にとても弱く、袋などから出し入れをしているとかなり痛んでしまいます。
ネットの品物はあまりに美しすぎますね・・・それが引っかかります。まぁ、専門ではないので真贋は判りません。書体は長乗筆とは癖が違うように見えますが、それにしても良い出来です。本物なら今年一番のお化けですけどね。 |
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9月7日 【琉球通寶手形刻印銭】
謎の多い刻印銭です。〝極印〟ではなく〝刻印〟としたのは正規のものではなさそうだから・・・。古来から手形(てがた)と呼称されていますが、文字を見ると手でも形でもない。
乎は〝や〟〝こ〟〝よ〟〝かな〟〝を(お)〟〝ああ〟などと読みます。
読みからも分かるようにかなり特殊な漢字で、驚きや感動を表したり、強調をする時に使います。論語の『有朋自遠方来、不亦楽乎』 友(朋)あり、遠方より来る。また、楽しからずや・・・は一度は聞いたことの有る一節でしょう。熟語では確乎(かっこ)とか断乎(だんこ)などと使うのですがいずれも現代では〝固〟という文字に置き換わっています。(ワープロ変換で出てきますよ。)
一方、形の方ですが、右側の作りが〝彡〟ではなく〝久〟になっています。〝形〟の古字体なのかと考えたのですが、調べても分かりませんでした。 |
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HPに書いたこともあるのですが、当百とうたっていながら琉球通寶に124文の価値を持たせたというお話は案外知られていません。薩摩藩は当初銭9貫文で一両通用として発行しました。当時は96勘定ですので、960文×9=8640文=一両・・・つまり琉球通寶約70枚で一両になりました。しかし、薩摩藩は琉球通寶2枚=半朱1枚の相場を目論んでいて、発行の翌年には銭8貫文=一両にすべく、交換レート変更のお触れを出したようです。一両=8貫文(8000文)の銭相場なら半朱は250文相当であり、琉球通寶124文は96勘定でちょうどその半分になります。しかしながら、実体経済を無視したこの施策は経済を大混乱に陥れる結果となったようです。それにしても当時の金銀銭相場は実に複雑怪奇。4進法と96勘定などもあって理解するのに私も時間がかかりました。
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左の画像は関西のSさんからのもの。(感謝!)
見まごうことなしに琉球の小字狭足寶でして、長径48.95㎜ 短径32.45㎜ 重さ18.05㎜だそうです。ぱっと見て濶縁で郭幅も広めです。
当初、計測値から見て濶縁の割りに小さいな・・・と考えたのですが、小字狭足寶は49㎜以下のものが多いようです。(琉球の中字銭は50㎜に迫るものが多く、大ぶりの印象がありました。)ただ、当百銭カタログの値から見ても短径の32.45㎜は(計測値が正しいとすれば)むしろ標準銭より小さい。それなのに輪幅が広いのは不思議です。
おそらく、これは仕上げの関係で面背の研ぎ仕上げが強かった・・・強い圧力がかけられたため・・・と思われます。これを一種と見るか否かは収集者の判断でしょう。
琉球の小字の桐極印銭は安芸藩との交易用に作った黄褐色の精美銭だそうです。と、いうことは琉球は交易通貨として他藩との取引にも正式に使用されたということなのでしょう。なお、この品とは異なりますが琉球にはローラー圧延による変造濶縁銭が存在していますのでご注意を。 |
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9月6日 【収穫報告】
穴銭の落札品が届きました。9月に入り急に収穫が増えています。収穫の秋、出費の秋です。
左は密鋳寛永文銭。わびさびを感じる良い顔です。古寛永の写しでこんな顔のものを時おり見かけます。内径も明らかに小さくご機嫌の一品。これがうれしいと思えるなんて、私はやはり変な人です。
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踏潰の俯頭通。すでに持っていたのですが美顔だったので・・・。大ぶりですがなにか余りにも顔が美しすぎて・・・かえって心配になってしまいますね。考えすぎでしょうか。 |
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左は長郭手小様接点通。不知天保通寶分類譜の下巻原品(P188の8)三角塞頭通 異極印銭
長径48.0㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.3㎜ 重量18.6g
右は細郭手連玉寶(覆輪)。鋳ざらい痕跡がしっかり残る模範的な不知銭です。
長径48.35㎜ 短径32.45㎜ 銭文径40.3㎜ 重量19.4g
いずれも秋田のM氏の旧蔵品。したがって天保通寶研究分類譜の原品です。
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9月4日 【順調に不落】
ネットオークションの寛永の珍銭類は順調に入手できません。背川に続き、明和期長尾寛母銭も惨敗。仰寶大字や十字寛など参戦もしてません。どうせ負けるという負け犬根性がしみついています。これが素敵な女性だったらもっと夢中になるはず・・・とは思うものの、大金を払うつきあいはできないというのは同じです。
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9月3日 【幣泉誌から】
幣泉で久々に落札。しかしながら本当はもっと欲しかった。まずは逃した魚から・・・
上段左:不知細郭手刔輪
天上の刔輪がみごと。(天上の刔輪が強い)このタイプのものはなかなか少ないと思います。あとで見直して悔しさ倍増。もっと頑張るべきだったと反省しています。
上段右:会津短貝寶濶縁の名前で出ていた会津濶縁離足寶 輪左の傷がある標準銭。比較のため欲しかったもの。これは評価以上に少ないと思うのです。これもあと一歩及ばず。
続いて収穫品。
下段左:不知長郭手真鍮質 これは不知銭6500円としか表示のなかったもの。石ノ巻銭に似た銅質(と、いっても私が今まで見てきた印象の中での判断です。)で、1回写しのサイズ。
長径48.85㎜ 短径32.35㎜ 銭文径40.9㎜ 重量21.1g
この銅色は明治~大正期につくられたものに近いのですが、銅質以外の制作には矛盾がない。極印、やすりともしっかりしていて古鋳の雰囲気。色だけ気にいらない。四文銭を潰して鋳直したものか?
下段右:不知長郭手覆輪縮形
実は縮形の名前で出ていたものとは別に、4000円の価格でただの不知銭としてでていたもの。
長径47.9㎜、短径31.75㎜ 銭文径39.9㎜ 重量17.6g
普通の鋳写し長郭手は銭文径41㎜前後ですからこの縮小振りは際立っています。縮径として出ていたものに勝るとも劣りません。皆様、お気づきでしたか?ただし、応札価格は1万円以上でしたのでちっともお買い得ではありません。(ちなみに縮径銭も応札していましたが負けました。負け犬の遠吠えといわれても仕方ないですね。)しかし、これは望外・・・というか想定通りの収穫。ありがたや。
高かったけど、寛永の打印銭は欲しかったなぁ・・・。
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9月2日 【加賀千代の贋作名品】
メールボックスがいっぱいになって整理をしていたら、Yさんから頂いた画像を載せるのを忘れていたことに気づきました。(ちょうど1ヶ月前に頂いていたもの。)
不知天保通寶分類譜の別巻P157に同じものを見ます。加賀千代の錯笵天保は一度仙人に見せていただいたことがありますが、砂目も銅質も制作もこれとは全く雰囲気が異なっていました。加賀千代の作風はものによってずいぶん違うのですね。(贋作者列伝の背大ズレに画像が掲載されています。)
こんなすべすべ感のあるしかも近代的なつくりのものは私は見たことがありませんでした。(というより加賀千代の贋作自体、そんなに見たことがなかったものですから・・・)
※これは加賀千代をまねた近代作だそうです。(N氏と噂されています。)中川氏
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9月1日 【雑銭の会の獲物】
参加できなかったものの、メール応札した不知天保銭をGET。実物は一見普通品ですが、こうして接写してみると立派な覆輪銭ですね。郭内の仕上げも本座と異なりますし、極印も変わっています。
※ヤフーオークションで相手の操作ミス(だと思います。)で非常に悪い評価が一方的についてしまいました。このシステムの気にいらないところです。
少なくとも、操作ミスによるものや、IDが消去されるような悪質業者からの評価については、当方は被害者なのですから修正がなされるべきです。腹が立つのは、これによって累積したプラス評価までマイナスになってしまい、永久に残ることにくわえ、相手に対しこちらから投稿連絡ができなくなること。(報復連鎖を恐れてのことでしょう。)相手は気づいていないのではないでしょうか?
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8月31日 【母銭がずらずらと・・・】
背川は16万円ぐらいで落ちたようです。これならお買い得でしょう。その後も長尾寛母銭やら仰寶大字やらとにかく珍品がずらずらと出てきます。それらが初値500円や1000円・・・ありえません。(でも、実際にはあるのですよね。)応札するとすぐにひっくり返されます。1時間と持ちません。
うまい話には絶対何かがあると腰の引けてる臆病な私です。
改造母銭みたいな天保銭を見つけて思わず札を入れたら・・・類似品がずらずらと・・・。やっちまったか?安物買いの銭失いです。
下間の古銭を何とか一読(流し読み)し終わりました。ざっと見て気になったところに付箋を貼っています。もう一度見直さないと良くわかりませんね。おかげで昔の古銭界のことが少し判りました。 |
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8月27日 【背川狂想曲】
ネット上で希少な品々のオンパレードが見られています。秀逸なのは背川でしょう。この品は銭譜などでは憧れの品としてたびたび登場していて、穴銭入門では「凛然たる銭容、まさに新寛永の花形である」と、手放しのほめようです。しかしながら、その説明とは裏腹に私自身は、なにか釈然としないものを感じます。いわゆる誇大広告じゃないかとね。背川は何度か見る機会がありましたが、みな鉄銭座特有の真鍮色ですので、鉄母銭の印象がとても強くて、しかも背のつくりがなぜか甘い。母銭式なのでしょうがどうも不完全なのです。ただし、値段も安くても15万円以上・・・25万円などということもありまして、食指は伸びるもののなかなか手が届かない高嶺の花なのです。
ネットでもあっという間に高騰していまして、おそらく15万円超の戦いになるでしょうね・・・。真贋については全く分からない希少品ですので、私はもうすでに降参の構えです。それにしてもこの背川の大きさは立派そうです。 |
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不知長郭手狭玉連玉寶と絵銭寛永真向大黒背古寛永
狭玉連玉寶は不知天保通寶分類譜下巻原品です。ネットオークションに出ていて、ついていた札に見覚えがありました。(秋田のM氏の旧蔵品でしょう。)通点が小さく、寶玉の幅が狭く変化しています。
絵銭はお遊び・・・寛永側が背になる正しい?つくり。 |
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8月20日 【木米の贋作】
青木木米が古銭贋作者であったという伝承について、下間寅之助の古銭6巻5~6号にやや詳しく記述がありました。これによると木米23、4歳のとき、当時の稀品の得壹元寶を3枚ほど贋作したのがはじめようです。贋作期間は4~5年間であったのですが、その作は精巧で木屋製の古銭として流布されたそうです。木米が贋作に手を染めたのは、当時の異常な古銭収集熱の高まりの背景とともに、当時は木米自身が食い詰めていたという事実もあったようです。
※厚さ3㎜の不知細郭手はほったらかしにしていたら負けてしまいました。これはきっと貼り合わせの手でしょうね。欲しかったです。 |
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8月18日 【賞山堂の閉店】
久々に都内に出張。帰り際に日本橋の柳屋ビルへ立ち寄る。ここはちょっと前に改装が行われすっかり医療モールになってしまった感があります。そんな一画に賞山堂さんはありました。
ところが、なんだかお店がさびしい。さてはどこかへ出張販売中かなと思いたずねると、店員さんからは「10月で閉めるから仕入れをやめていますから・・・」という驚愕の答え。ここは日本貨幣協会の会長まで務めた歴史有るお店。またひとつ思い出のお店がなくなってしまいます。 |
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8月16日 【何もない日々】
7月は全くといって良いほど購入品なし。8月もほぼ同じ。いや、琉球通寶の小字の入手があったか?小字はもともとは持っていたのですが勢い余って昨年売却してしまいましたので、買戻しといった方が正解です。アクセスカウンターも29万人になりましたが、とにかく古銭に触れていない日が多くなってしまい欲求不満です。
仕事は忙しく、睡眠時間を削っていますので女房には心筋か脳の梗塞を起こすぞ・・・と脅されています。休みが取れていないので子供もどこにもつれて行けません。気晴らしが仕事になっている毎日です。本当なら明日は休日のはずなのですが・・・仕事場に行く必要が生じてしまいました。こういうのは充実しているというのでしょうか? |
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8月3日 【過去記事から】
7月20日の記事にあった琉球の中字肥字十進當の美銭。(画像借用しました。ごめんなさい。)この手のものは末鋳タイプが多く、みすぼらしいものばかりなのですがなかなかの面構えです。この琉球に市場価格の3~4倍の値をつけるとはもはや狂気としか言いようがありませんが、私も競ってしまいました。
そういえば本日秋田の写しという触れ込みで、12gしかないものが出ていました。これも負けてしまいましたが、おそらく写しではなく末炉ではないかと考えています。村上氏の発表で、1.5㎜ぐらいしかない薄肉の秋田があるという記事を読んだことが有るからです。ただし、実物を見ていないので真実は闇の中です。
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7月24日 【暑中見舞い】
中京地区にお住まいのSさんからの投稿画像です。ここのところだれ気味だったので一服の清涼剤になります。(感謝!)
見てすぐに判る不知細郭手・・・それも縮小銭(再写し?)の削字とは恐れ入ります。
長径47.9㎜ 短径31.85㎜ 銭文径39.95㎜ 重量21.2g
輪の内側には完全に刃が入っていまして、文字もかなり崩れています。
細郭手で48mmを切るのは少ないと思います。銭文径の39.95㎜も貴重ですね。
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7月20日 【古銭】
たいした収穫もなく、だらだらとした収集人生を歩んでいます。寝床で下間寅之助の古銭という本を読んでいるのですが、横になっているといつの間にか眠ってしまいます。それでなくても古い文章で句読点がないので読みづらいのに・・・。
古銭という表題の割りに、外国銭が良く載っているのは、甲賀宣政氏のような研究家がいたからでしょう。当時の大阪は個性的な収集家の宝庫なのかも。古い収集家のことが載っている記事があると思わず見てしまいます。
芳川維堅などかなり詳しく載っていました。朽木公のはじめて見る肖像画も・・・。贋作者の奥村については下間は情報をある程度つかんでいたようです。京都の人らしいこと、奥村は鏡屋銭の贋作もあることも知りました。なかなか読み進みませんが、資料としては貴重ですね。
琉球の宏足寶の軽量銭(16g)を格安入手。琉球は制作がいろいろあって面白くなってきました。
ネットに出ていた琉球の赤銅銭はGETならず。24000円までいってしまいましたね。今回の琉球の赤銅銭は中字肥字十進當と呼ばれるもの。銭譜によっては中字の名品とされるもの。しかもこの手のタイプには珍しく大ぶりの美銭でした。そのことを知っていて頑張った方は偉いです・・・がちょっと高すぎたかなぁ。負けて納得です。でもサンプルとしては是非欲しかった。
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7月11日 【薄肉の会津天保】
ネットオークションで薄肉の会津天保(短貝寶)が出ていました。(応札してほったらかしにしていたら負けましたけど。)ところで会津天保銭は戊辰戦争前に乱鋳されて東日本を中心に濫用されています。明治時代になり、中央の交換比率が地金相場に近くなってしまった結果、天保銭密鋳のうまみはほとんどなくなります。会津天保も大都市での流通は分が悪いので、地方(会津)中心にばら撒かれたのでしょうが、それも間に合わず退蔵されるケースも多かったようで、未使用銭が大量に残っています。あわてて造ったため、極印漏れや大小軽重変化があるようですが、軽重においては意外に軽量銭が少ないというお話を聞いたことがあります。藩鋳銭で軽量のものは高知額輪や称:久留米銭に散見され薩摩広郭、秋田藩銭にも稀にあるようです。会津短貝寶はどちらかといえば分厚いものが多いので、16g台の軽量銭はかなり珍しいと思います。厚いものは3㎜を超え、ずっしりとした重量感がありますが薄肉は概して貧弱・・・拾う気が余り起こらないかもしれません。この類の収集は余技的なものですので人為的に後世磨耗したものにひっかからないように探して見て下さい。 |
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7月10日 【横浜古泉会交歓会】
横浜古泉研究会から封書が届きました。ペラペラなので不落札の通知だと思っていましたが、中身は古泉会の案内でした。文面から見て広く参加を呼びかけているようですので、情報として掲載させて頂きます。なお、会の趣旨はあくまでも 盆回し を主眼においているようですので、盆回しって何?・・・と言うような方は事前に調べたり、参加の了解を取った方が良いかも。
(この情報は主催者の了解を得る前に掲載してしまいました。ご迷惑がかかる場合は削除しますのでご了解下さい。)
横浜古泉会交歓会のご案内
本年8月から古貨幣全般の盆回し交歓会を開催致します。収集家の皆さんや業者さんの参加をお待ちしています。
☆会場 ホテルメッツかまくら大船1階会議室 鎌倉市大船1-2-1 ☎0467-40-1192
☆交通 JR大船駅徒歩3分
☆例会日 午後3時会場 午後4時盆回し開始(午後6時閉会)
8月21日(日)(終了後懇親会)
9月25日(日)
10月16日(日)
11月20日(日)
12月18日(日)
※原則第3日曜日(9月のみ第4日曜日)
☆参加費 会場費300円
☆その他 平成24年からは横浜駅西口の会議場で実施予定。
横浜古泉会代表 菅谷信 連絡先 横浜古泉研究会 関康輔 ☎045-891-7220
※昨年の夏以降、職場での結婚ラッシュになっています。本日までで8人が結婚。祝儀で貧乏です。そういえば震災停電の影響で、東北地方でもベビー(妊娠)ラッシュになっている地域があるそうです。
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7月4日 【ⅰpad初体験】
土日と連続出勤。勤務表上は休日なので奉仕労働ですが請求がからむので大変です。
土曜日は午前中で終了。女房に頼まれて子供を床屋に連れて行きました。私などは1000円床屋で充分なのですが、せがまれて生まれて初めて美容院とやらに入りました。子供の散髪が終わるまで、入口横の待合室の片隅でのんびり読書・・・でもどうも居心地が悪い。最近出来たばかりの流行の美容室で、チャラい兄ちゃん姉ちゃん達がパンツを半分見せながら歩き回っている姿はどうも馴染めない。しかもこちらは麦藁帽子の似合いそうなラフないでたち、サンダル履きです。昭和の親父の香りを周囲に漂わせる私が、最新流行の異次元世界の片隅で、古ぼけた将棋の本を読みふけっている・・・異様ですね。
入ってくるお客さんがみんなじろりと私をにらむ・・・私も力なく愛想笑い。さすがにお店側も困ったのか、店の奥の片隅に案内してくれました。
しかし、最近は男も美容室に行くのですね。私並みの短髪の男が入ってきたときは『お、貴方も誰かをお迎えにきたの・・・』と、思ってしまいました。そんなやつが美容院だと・・・ありゃぜったいお店のお姉ちゃん狙いだと・・・妙な妄想をしてしまいます。
ふとみるとカウンター上にⅰpadがあるではないですか。しかも自由に使って良いらしい。さすが、最新流行の店です。手にとって動かしてみました。すると画面はきれいだし、動作はむちゃくちゃスムーズで早い。これは流行るはずです。私の知人もNTTのギャラクシー(サムスン製)にはまっているようですし、これは買ったらはまってしまいそうですね。自分のHPを見てみましたが、ほぼ正しく表現されます。
ほぼ・・・というのは画面が若干小さいため、文字の折り返し位置などにずれが生じるためです。やはりHPもこういった機種に対応すべきなんでしょう。それにしても素人作品のHPにしてはきれいに出たことに満足でした。
ところで、娘の散髪はいつまでたっても終わらない・・・。ちょっとのぞくと怪しげな薬をべたべたと髪に塗られて喜んでます。
ようやく終わりお支払い・・・床屋よりは高いだろうなぁ・・・と思っていましたが請求を見てぶったまげました。16000円!・・・牛丼50杯、私の1年分の散髪代です。
なんでも娘はさらさらのまっすぐな髪にして下さいと店員さんにのたまわったそうです。おいおい、値段ぐらい最初に言えよ!私がお金持ちの旦那に見える?と、血相を変えて店員に噛み付いた・・・つもりで、あぶら汗を流しながら財布から金を出して店員に思い切り札束をたたきつけた・・・つもりで支払いました。あとで妻に聞くと、『貴方、ストレートパーマにしてくれって言ったのじゃないの』と言われました。確かに言ったような言わないような・・・。
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6月30日 【馬鹿な買い物か?】
東京で研修の帰り、Nコインに立ち寄りました。目的は薩摩白銅の天保を確かめるため。穴が開くほど眺めても真贋の確証が得られない。メッキにしては自然な地の色で、穿内も自然な発色。ただし、色が白すぎるのと輪側面が滑らかで少し気にいらない。
小一時間眺めたのですが真贋判らず・・・だって、本物の純白銅を見たことがないから。おそらく薩摩にも純白銅色はきっとあるはずで、でなければ目の肥えた貨幣時代のコレクターが収集品として発表するはずはないのです。
本当は眺めるだけで帰ろうかと思ったのですが、ただでお茶をご馳走になったんじゃ悪いと思いまして・・・日本人らしさがでてしまいました・・・結局、つれて帰ることになりました。この手のものはすでにウン万円も失敗していますが懲りません。馬鹿な私をお笑い下さい。
ふと、ショーウィンドウの片隅を見るとバラの天保銭があり、それを手にとって見ると妙に重い。これもおまけに頂きました。馬鹿正直な私は『これ、重いよ』と店番の息子さんに教えてしまいました。それで1500円になってしまいました。帰宅して量ると25.3g、厚さ2.9㎜もありました。本座広郭の規格外のものですが、25g超えはちょっと少ないと思います。
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薩摩広郭純白銅銭
あまりの白さが怪しい品。この手の品物はずいぶん見ましたがほとんどがおもちゃのようなメッキです。地の色や穿内、光沢が不自然なのです。
特殊な薬液でメッキする方法がありまして、実はある方から教えていただいておりますが製法は公表できません。
贋作はHP上に公開していますがそれがその作品らしいとのこと。
これもそうかなぁ・・・。
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6月26日 【復刻版 古銭が届きました!】
帰宅するとダンボールの小箱が・・・復刻版古銭全9巻がもう届いていました。20年以上前の出版物ですが、状態は極美で日焼けすらありません。中は・・・う~ん、やはり旧仮名づかいで漢文みたいな表現もあってお世辞にも読みやすくない。そりゃあ、元は大正年間の本ですからねぇ。
当時、大阪には古銭商は1軒しかなかったそうで、下間の出店は関西収集家待望だったようです。
残念ながら生没年にふれている文はまだ見つかってないのですが、その代わり当時の古泉家の写真とプロフィールがたくさん掲載されて半ばシリーズ化しています。これは 泉家・収集家覚書 の穴埋めにはとても役に立つ!
ざっと見ただけで中嶋泉貨堂、甲賀政宜、林静男などの写真がずらっと並んでいます。三上香哉の装束写真はちょっと笑ってしまいましたが、本人は多分大真面目だったのだと思います。判読は大変ですけど当面楽しめそうです。 |
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6月24日 【下間寅之助の古銭を買ってしまいました!】
古銭といっても昔のお金ではなく、これは本の題名です。
下間寅之助(しもづまとらのすけ)の古銭・・・と聞いても知らない方の方が多いでしょう。私自身、昔の古泉家を調べていてようやく知ったぐらいです。ましてや彼は大正年間に活躍した大阪の古銭商です。通信や交通の便の悪かった当時の古泉界は東西に分裂していた感があります。実際、関西の大親分の原田寅之助の出品物が東京の古泉界で取り上げられなかったことに腹を立てた一派が、原田を頭に大阪で旗揚げをしています。下間は途中からその事務方を引き受けた中心人物です。小川青寶樓の師の二世鷲田寶泉舎との交流があった関係で、青寶樓も泉商としての彼の活動を尊敬しており、その号(虎僊樓)の一字をもらい青寶樓と号したそうです。
さて、下間は大阪古泉会の会報を作成しながら、古銭商としても会報を作成して頒布し、収集家の育成に力を注いだそうです。それが古銭であり、最終的には大阪古泉会誌を古銭が吸収する形になったのもまた下間の実力でしょう。
この古銭は平成2年に天保堂がかかわって復刻版が作成されたのですが、横浜古泉研究会の入札誌穴銭5月号に売り物(下値30000円)があったのです。そのときは手が出せなかったのですが、古本サイトで破格の値段で出ていたのを見つけてしまいました。
以前も35000円で出ていたのは知っていましたが、お買い得価格に思わず購入してしまったというのが本音。
女房はたかだか古本に〇〇〇〇円も支払うなんて馬鹿らしいと言っています。たしかにそうかもしれませんが・・・。
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6月23日 【貨幣の記事から】
大正8年10月 第10号 阿部弌泉氏、昭和11年11月 第212号 長郭覆輪天保 小川青寶樓氏、昭和14年4月 第241号 阿部好和堂氏 長郭覆輪天保 昭和14年10月 第247号 田野誠泉氏 鋳放し天保
これらは皆、今で言う南部の反玉寶天保に関する記事です。田野氏は新渡戸仙岳を追及した人でもあり、その論の是非はともかく真実を求めることについては不器用なほど実直な方なのではないでしょうか?
すなわち彼はこの天保が大正のはじめに古銭商の木村昌古堂が東北地方から挿しの形で持ち込んだものであることを明かしているのです。一部の古泉家の間にはその出自が語られたようですが、真偽の程はいまだ闇の中・・・。
昭和10年1月 第190号 長田芳泉氏 の記事には春宮上棟銭に関する記載があります。しかしながら記事には明治25年の春宮銅島居の上棟の際に用いたものとされてしまっています。
この件については諏訪コインクラブ様の発表などから、春宮は文政年間までに遡れるものと私は認識しています。(詳細は特別展示室2に記載しています。)
春宮刻印銭は古寛永への打印比率がかなり高く、新寛永への打印は少なく感じます。一方、秋宮は圧倒的に新寛永・・・それも八分銭と言われる軽量のタイプのものにも良く打たれています。春宮・秋宮の出現期には20年以内の開きしかないのですが、このわずかな年代の開き・・・インフレの昂進と銭の退蔵・・・が双方の土台になる銭の差を生み出していると私は考えています。なお、上島居と上石島居についてはいずれも明治期であり、現物を見ても刻印が新しいと感じます。(上島居上棟銭は諏訪大社であるのかどうかを正確に見分けることはできないと思います。すなわち、全国各地の神社でも上棟撒銭された可能性もあるのです。)
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6月20日 【金属から考える密鋳天保】
私は金属については専門家ではありません。いささか怪しい知識しかないのです。それでも、古銭について調べているとあやしくとも知識があったほうが役に立つのですね。
さて、私が良く引用する話にに『亜鉛の精錬技術は明治中期以降にしか日本では確立していない。』ことがあります。これは何を意味するかと言うと、真鍮銭の出現期には制約がある・・・ということなのです。
真鍮は亜鉛と銅の合金のこと。もちろん、當四銭のように真鍮の合金銭は確かに存在しますが、これは官鋳だからできたこと。民間で亜鉛を材料として投入することは容易にできないので、真鍮質の(正規の?)密鋳ものは當四銭を潰してつくるしかないのです。
亜鉛は融点の関係で鉱石(閃亜鉛鉱)からの精錬の工程で、鉱石から直接ガスとして放出されてしまいます。そのため明治30年以前に亜鉛を精錬する技術は日本にはありませんでした。一方、銅には融点降下現象という奇妙な特性があり、融点の低い錫などの溶解金属に溶け込む性質があります。それを応用して生まれた合金が青銅で、融点の低い錫に銅を溶かし込むことで、高温でなくても銅の再鋳造が可能になったのです。つまり銅は単独金属としては溶解、精錬することには手間がかかっても、粗銅を合金化することで容易に再加工できる便利な金属なのです。
ところで銭の交換レートは明治維新で大きく変動し、明治元年には當四銭1枚対天保銭1枚の価値差は実質1:4でした。(太政官布告によるもの)維新の結果、天保通寶の価値は暴落し、仮に當四銭をそのままの価値と見ても16文分の価値しかなくなったのです。當四銭1枚の重さは5gぐらいですから、これを潰しても全く利潤が生まれません。すでに天保銭は地金の価値しかなかったからです。
もちろん、中央の政令の届きづらい地方ならまだ、密鋳のうまみは残っていた可能性もありますが、お金はお足と呼ばれるほど早いものですから、新しいレートが広まるまでにはたいした日数はかからなかったと思います。
従って當四銭を潰して流通を目的にした天保銭を鋳造したとすれば、それは明治維新前に限られます。浄法寺天保銭に亜鉛が多く含まれることは以前にも書きましたが、成立期から見て浄法寺天保銭出現は維新前にはさかのぼりづらいものがあります。以前、私はそれを『廃棄するような低品位の銅から造ったのでは』と推理していたのですが、考えてみるといくら銅鉱石の豊富な東北地方でも、民間人が鉱石からの精錬まで行っていたとは手間や採算面からも考えづらく、この説は怪しくなってきました。
ところで天保銭の鑑定と分類を読んでいて、久留米(石持桐極印)銭の亜鉛含有率が非常に高いのに驚きました。
錫が9.81~9.63% 銅が68.05~67.72% 鉛が12.96~11.85% 亜鉛が6.96~6.20%
これは浄法寺天保の数値より錫、鉛、亜鉛ともはるかに多く、その分金属として銅が少ないのです。
この結果は當四銭を鋳造原材料に潰したと考えるのがごく自然です。鋳造コストを考えれば一文銭を潰した方がはるかに安上がりなのですが、當四銭でも維新前ならなんとか採算が取れるかもしれません。
あるいは、親藩の水戸藩ならば天保銭鋳造の許諾が降りていたので堂々と材料が調達できたのかもしれません。ただ、許諾が降りたのが維新直前なので果たして資材調達が間に合っていたのか・・・。
と、まだ不完全な考察しかできておりませんが金属分析によってひょっとすると天保銭の鋳造地が科学的に判明する日が来るかもしれませんね。
※上記の結果から真鍮質銭に対する購入は慎重にということ。君子危うききに近寄らず・・・しかし、妖しいものほど魅力があるから困ります。
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6月19日 【上半期の成果】
今年上半期のトピックスはなんだろう。思いつくまま書き出してみました。
まずは入手品など
1月に秋田細郭をネットで格安落札。
1月に不知天保銭類の入手。中でも當百銭カタログ現品の張足寶と縮小銭の長郭手は良い品。細郭手覆輪もなかなか。
※その後も続々と銭譜原品を入手。背景には某大家の大量放出があったそうな・・・。
2月に琉球通寶大字平尾球を入手。
4月に玉塚天保本座細郭を入手。
4月に青寶樓旧蔵というという背大錯笵の古寛永を入手。
5月に琉球通寶大字短尾球を入手。
5月に玉塚天保薩摩広郭吾が鏡を入手。
5月に不知長郭手狭足寶を入手。2枚目でした。
6月に仙台長足寶小様を購入。
6月のネットオークションで会津濶縁などを大量?に入手。缶チューハイ片手に実況中継をやっていました。
※会津濶縁再覆輪2枚と濶縁離足寶が大きな収穫。
逃した魚・・・今年はこれが大きい!
1月に大和文庫に踏潰小字手が2000円で出ていました!わずかに間に合わず・・・。
3月に不知長郭手覆輪背強刔輪を逃す!これは不知天保通寶分類譜P131の品と同じ。超絶稀品でした。
3月に星文手の手本銭を逃す・・・奇品館に行くべき品でしたね。
4月に濶天保がネットに出現。真正品という確証が持てず断念。
6月に不知長郭手張足寶の母銭がネットに出現。狂乱の末・・・入手できず。
6月に下町入札で退点文小文を逃す。ただし、価格的に負けても納得。
記事・特集・投稿・発見など
収集2月号の表紙に栗林広穿異書の写真が掲載。
2月にH氏から密鋳銭を送られ・・・H氏 密鋳銭コレクションBOXなるコーナーを立ち上げ。明治吹増銭に関する新考察を展開。
※明治吹増銭には銅替りが存在し、『明治吹増=文政期の未使用銭説』に対する反証を示しました。
2月に泉家・収集家覚書のコーナーを立ち上げました。実はこれはものすごい労作なのです。
5月の雑銭の会でⅠ氏の掘り出した長反足寶と長張足寶を見ました!すごい!
4月の八厘会でY氏から奇天手を見せられました。痺れますね。
5月、達人から踏潰の母銭掘り出しの報告が・・・。
その他
3月11日に東関東大震災が発生。これが今年の収集活動に大きな影響を与えました。
仙台のH氏は自宅が被災、N氏も仕事場が被災したそうです。
3月16日から被災者支援活動をしています。ただ、ここのところ小休止気味。忘れてはいけないですね。
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6月13日 【下町の結果・・・】
下町56号のNo.200です。退点文の組み物の中に、退点文小文が紛れ込んでいて小躍りしてしまいました。(拓図中央)
退点文の退点文と言われるだけあって、かなり点が右に偏りますね。背が小郭ですが、これも特徴なのかもしれません。
しかし競争激しく、あえなく負け。
1万円以上でしか落ちなきゃしかたがないですね。 |
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不知長郭手三角マ頭通
不知天保通寶分類譜下巻P36の21現品
村上英泉研究分類譜1096 現品
長径49.15㎜、短径32.4㎜、銭文径41.9㎜ |
不知長郭手鋳写小様(小口當)
不知天保通寶分類譜下巻P10の14現品
村上英泉研究分類譜1136 現品
長径48.4㎜、短径31.65㎜、銭文径40.8㎜ |
刔輪で細縁なのに大きいのはなぜか?(焼け伸び?)
村上氏は細字跛天と名づけたように、文字は細く、天の
前足先端が陰起しています。通字全体が歪み斜用通。 |
銅質、鋳肌、側面の雰囲気までほぼ本座と同じ。本座の
磨輪にしか見えません。郭内の仕上げが4方向であるの
と、極印が逆打ちなのが強いて言えば特徴です。 |
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仙台天保は2枚ありましたがいずれも状態はいまひとつ。
1枚は雑銭の会で格安売却し、Nさんから割譲して頂い
た1枚だけ手元にありましたが、横浜古泉研究会に美と
表示されたものが出ておりまして、冷やかしで応札して
いましたところ購入責任が発生してしまいました。
確信犯です。(未必の故意というやつです。)
仙台特有の銅色で、写真よりずっと美人でした。
張足寶母を逃した慰めですが、今月の出費は激痛です。
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仙台長足寶小様 |
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6月11日 【名品です!2】
画像がリクエストに応じて届きました。ありがとうございます!
しかしながら、ここまで美しい品だとは思わなんだ。これ、不知銭長郭手の張足寶の鋳ざらい母銭じゃないですか。
う~ん、これは悔しい。降りなきゃ良かった。
と、言ったところで負け犬の遠吠えですね。缶チューハイ片手にやってましたので、ボタンを押せば20万以上まで行くところでしたが、寸前のところで相手の顔(女房の顔?)が思い浮かんでしまいました。
これで今年は大物2連敗ですね。それにしても今年のネットにはとんでもない化け物が天保銭でもう3品も出ています。
これも奇品館行き決定です。実物もいつか拝見させてくださいね。
※これはもう3分の2は私のものだと思うことにします。負け犬の遠吠え?思いっきり吼えてやりますから。欲しいぞ~!
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6月8日 【会津濶縁と短貝寶の関係】
マニアック講座の中の改造銭物産展で結論が先送りになっていた会津濶縁離足寶について、2枚目が入手できたことからもう一度計測等を行いました。その結果、分かったことを記述します。
左が短貝寶、右が濶縁離足寶です。
まず、改造銭物産展においても記述しましたが、短貝寶と会津濶縁は、画像を半切りにして重ね合わせても合致しないものが多いのです。しかも意外なことに普通サイズの会津濶縁の銭文径の方が短貝寶のそれより大きいのです。
短貝寶と重なるのは、再覆輪と呼ばれる大濶縁タイプになります。
一方、会津濶縁離足寶と短貝寶では、文字位置、郭の外辺位置などがほとんど一致します。
ただ、背は輪の位置・・・輪幅が全く異なりますので、内径差は著しく異なります。とくに當上の刔輪が短貝寶で著しいようです。
こうやってならべてみると短貝寶の方が書体の修飾が派手で文字もかなり大きく感じますが、銭文径はほぼ同じで、文字位置もほぼ重なるとは誰も思わないのではないでしょうか?
これは短貝寶の方が文字の末端が延ばされている印象があるのと、刔輪修飾が見られるからほかなりません。
さて、この結果をどう見るのか・・・
短貝寶≒濶縁再覆輪≒濶縁離足寶
濶縁再覆輪と濶縁離足寶は本座広郭の覆輪改造母銭から生まれたらしいことはその風貌から見てうなづけます。一方、短貝寶が新規母銭からの産であることは誰もが認めます。
そこで・・・
短貝寶は本座広郭の覆輪改造母銭・・・つまり濶縁系の母銭をモデルに模刻した新規母銭から生まれたのではないでしょうか?
濶縁の見栄えの悪さを反省して、文字縮小をごまかすために、文字の末端を伸ばし、輪を刔輪したのではないか?
さらに刔輪を目立たなくするため寶足と、背當の冠点を大きくした・・・のでは?
つまり、会津濶縁再覆輪、会津濶縁離足寶と会津短貝寶は兄弟のような関係・・・ルーツは同じなのではないか・・・これが現在の私説です。
実は前に会津濶縁離足寶を会津短貝寶濶縁と呼べばスッキリする・・・と書きましたが、それは会津濶縁離足寶が短貝寶の改造母銭から生まれたのでは・・・と言う推定からでした。
しかしながら銭文径の計測結果から、この仮説はもろくも崩れ去ってしまいました。
あるいは私の見立てが間違っているのではないのか・・・とも考えましたが、2枚目のものもたしかに離足寶であるし、銭文径もほぼ同じなのです。
3枚目を確認するまで完全な結論は出せませんが事実は重いですね。
短貝寶にはあきらかに當上部分に加工痕が見られますね。當冠の点が大きいのはそのごまかしですね。 |
会津短貝寶 会津濶縁離足寶 |
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濶縁離足寶の方が濶縁広郭で、文字が縮小して見えますが・・・ |
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切断画像を重ねると短貝寶と離足寶はほぼ文字位置が重なります! |
会津濶縁再覆輪と濶縁離足寶の画像を重ね合わせたもの。驚くほど合致してしまいました。
両者の相違点は・・・寶足が一番判りやすい。
※かすかに離足寶が銭文径が小さいぐらい。
※会津濶縁の銭文径や輪幅にばらつきがあることを改めて確認。再覆輪なのかそれとも強い覆輪変形なのか?まだこの謎は解明できませんが、再覆輪にしては銭文径が中途半端のような気がします。
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濶縁再覆輪と濶縁離足寶では・・・ほぼぴったり(ほんの少し離足寶の文字が小さい) |
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6月7日 【会津天保銭の名称:戦利品分析から】
入手品を計測してみました。もともと会津濶縁は好きな方で、手放さず4枚ほど持っていましたからこれで11枚になりました。改めて計測するとけっこう値にばらつきがあります。磨輪の関係に加え、面の砥ぎの強さにより微妙に計測に影響があると思います。また、覆輪銭は覆輪の収縮力が一定でないため、得てして銭文径にばらつきが現れがちです。
→ 天保通寶覆輪刔輪マニアック講座参照
そんななかでも濶縁(A)はかなり立派です。一瞬、土佐額輪をイメージしてしまいます。会津の方が側面の極印は大きいですし、背の花押の角が丸くなるなど随所に違いがあります。。
類似カタログでは再覆輪としていますがこの名称は適当ではないかもしれません。と、いうのも濶縁(C)のように文字の規格が同じで輪幅が狭いものなどがあるからです。強いて言えば強覆輪というべきでしょうか。
濶縁(B)は輪幅も広いのですが全体に大きい。母銭が覆輪によって長径収縮があまり生じなかったものだと考えています。
会津濶縁の名前はありますが、さほど輪幅の広くないものも結構あるようです。もちろん、本座広郭に覆輪をしたものから生まれたに違いなさそうなので、名称的に間違いはありませんが、こちらは類似カタログにある会津正字(濶縁)という名称の方がしっくりします。
ところで天保銭の場合、濶縁、細縁というのは文字の大小に関係なく純粋に輪幅のあるなしで名づけられています。寛永銭で『文字が縮小しているのが濶縁』『銭文径が大きいのが細縁』などと変に小難しく定義づけてしまっている状態より自然で良いですね。
さて、会津濶縁離足寶(類似カタログでは濶縁短足寶)とされるものが1枚だけ出てきました。たしかに銭文径だけ見れば会津濶縁再覆輪とほぼ同大です。しかし、書体の癖を観察すればするほど濶縁より短貝寶の類似点が認められます。微妙な差なのですが、通字の辵の流れ、寶の形、背當の冠や百の中央横引きの短さ、花押のひげ形状などは短貝寶と実に良く似ています。したがってこれも会津濶縁離足寶ではなく、会津短貝寶濶縁としたほうがすっきりしてもよいかもしれません。なお、普通の短貝寶の銭文径は40.1~4㎜です。これは写したと言うには微妙な縮小ですので、この説が正しいとは言えないかもしれません。それでも私は短貝寶濶縁で良いと感じ始めています。
→ 改造銭物産展(会津)
ところでこの濶縁離足寶は、会津長貝寶の半分以下の評価ですが、市場に出る数から考えて長貝寶に勝るとも劣らない希少品だと思いますよ。 |
分類 |
長径 |
短径 |
重量 |
銭文径 |
面内径 |
色 |
濶縁(A) |
49.10 |
33.15 |
21.20 |
39.90 |
42.75 |
淡黄色 |
濶縁(B) |
49.55 |
33.25 |
21.40 |
40.00 |
43.00 |
淡黄色 |
濶縁 |
49.15 |
33.15 |
22.60 |
40.10 |
42.90 |
淡茶褐色 |
濶縁 |
49.20 |
32.75 |
20.90 |
40.35 |
43.30 |
茶褐色 |
濶縁(C) |
48.90 |
32.95 |
21.70 |
39.85 |
42.75 |
茶褐色 |
濶縁 |
49.15 |
33.05 |
21.50 |
40.35 |
42.95 |
淡茶褐色 |
濶縁 |
49.40 |
33.30 |
22.90 |
40.40 |
43.05 |
淡黄色 |
濶縁離足寶 |
49.30 |
33.00 |
22.80 |
39.85 |
43.05 |
淡黄色 |
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会津濶縁(A) 面の砥ぎが非常に強い感じがします。 |
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会津濶縁(B) 最大外径のもの やや額輪気味。 |
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会津濶縁離足寶 短貝寶濶縁とすべきか。 |
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6月6日 【結果報告・その1】
はやいものでもう先日の落札品が到着しています。その内訳は・・・
会津濶縁再覆輪と呼ばれる輪幅の大きなもの・・・2枚
会津濶縁(ただし輪幅十分のもの)・・・2枚
会津濶縁(普通品)・・・3枚
会津濶縁離足寶・・・1枚
会津短貝寶・・・4枚
その他・・・28枚(本座広郭23枚・細郭1枚・長郭4枚)
役物は40枚中12枚(なんと30%) 損はしていませんが儲かったとは言いがたい・・・でも満足。ロット数8、痛い出費でしたが存分に楽しめました。
会津濶縁再覆輪と短貝寶2枚が入ったロットと濶縁離足寶と短貝寶が入ったロットがおいしかった。
単独物で17000円までいってしまった会津濶縁再覆輪はやはり立派。会津離足寶濶縁は予想外のロットから出現してます。
これだけ会津濶縁がならぶ(7枚)と壮観です。しかも輪幅は充分なものが多く、状態も美銭とはいえないものの手ずれ感のない半未使用のウブものばかりです。
なお、仙人から聞いておりましたが会津濶縁離足寶はどうみても短貝寶縮字ですね。すなわち短貝寶に覆輪をして写したもの。短貝寶次鋳といっても良いかもしれません。寶字と背の百の癖など濶縁の系統ではありません。会津濶縁離足寶は2枚目の入手ですがこれで素性に自信が持てた気がします。
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6月5日 【再発見】
ネット検索をしていたら3月21日の天保銭の画像にぶち当たりました。
2010年の6月26日のブログにこの天保銭の拡大画像が載っているのです。これが以前にネットで出ているという話は聞いていましたが、ここまでしっかり、それも早くから載っていたとは知らなかった。
→ 骨董屋の親父だ! へのリンク |
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6月4日 【会津軍用金:戦いすんで日が暮れて・・・】
狂乱の一夜が明けました。出品者は私にこんな価格で・・・と取引欄に書いてきたくらいなので、オークション結果に驚いていると思います。この出品者の品物には以前から役物が多く、長貝寶が2枚一度に出たこともあります。これだけまとまったものが一度に出たのははじめて見ました。短貝寶なんて雑銭みたいでしたから・・・。
私は会津濶縁の輪幅の広いものに絞っていました。一般に再覆輪という名称にされていますが、覆輪の幅が広いものであって2回覆輪されたわけではないのでこの名称は???なのです。なかには会津濶縁離足寶とされるものがが混じっているかもしれません。
しかし、冷静に考えてみると会津濶縁と短貝寶しか落としていない・・・。最後の1枚が欲しかったなぁ・・・・
もともと同じ品を大量収集する気はないし、濶縁は3枚持っています。まぁ、濶縁は好きな銭種なのでしばらくは手元において楽しみましょう。今度は投売りはしませんよ。
※今回の件で会津濶縁がやはり会津地方製造の可能性が極めて高いということが判りましたね。 |
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福岡離郭・・・2枚くらい出てました! |
会津長貝寶・・・今回は1枚のみ |
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会津濶縁再覆輪、これは立派!ほかにも2枚役物入り |
会津濶縁離足寶、このロットも短貝寶がおまけ! |
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会津濶縁でした |
会津濶縁かなり大きめ |
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接郭跛寶(前足が長い!) |
会津濶縁再覆輪 |
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不知長郭手覆輪母銭?
白眉の品!もちろん今回の目玉でした。ぱっと見は長郭手母銭と思ったのですが、あきらかにおかしい。大きいし、輪幅、背郭幅も異常。詳細は手にとって見なければわからない。不退転の決意で12万円を入れましたがあっさり逆転。相手のも降りない覚悟で、切れかけましたが冷静さを取り戻し生活を優先しました。
今年はこの手のもので2度目の敗北ですね。
画像は不鮮明ですが、鋳浚いの感じもあり悪くありません。こんなものがどうして出てくるのか・・・不思議ですね。
※画像借用しました。お許し下さい。
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6月3日 【大博打実況中継中!】
競争が激しくなるから記載を控えていましたが、もうひどい状態になりましたね。会津藩の軍用銭とやら・・・。
まさか、10万円を超える値をつけてくる人がいるとは予測しなんだ。驚いた。落ちて届くまで確証が有るわけではありません。大馬鹿ものかもしれませんが、覚悟を決めました。好奇心全開です。他にもたくさん応札してしまっています。もうここまできたら負けられない、こうなったら意地ですね。
体調が悪いときは古銭には妙に強気になる悪い癖がもろに出てます。でも、まけないぞ~!
午後10時が過ぎました。おそらくこのHPなんて誰も見ていないと思うので書きます。
会津の軍用金・・・日本全国のマニアが注目しています。
会津短貝寶、福岡離郭、会津濶縁などががごろごろ・・・。短貝寶なんて珍しくもないぐらい入っているお宝の山。会津の軍用金がうなづけます。目玉は会津の長貝寶のロット、複数の役物が入ったロット、濶縁覆輪や濶縁離足寶の入ったロット、それに不知長郭手覆輪母らしきものが入ったロットです。負けないといったものの中間集計ですべて落札すると30万円近い出費になることが判明し、値下げ断行。予定通り長貝寶は負けました。長貝寶を落とした方・・・貴方はラッキーなのですよ。
こうなると消耗戦で戦線が拡大しすぎると守りきれません。遊びですから上限値は決めていますが、間際で逆転する小ざかしい敵にはいじいじとつりあげてやります。(性格悪!)
どうせくるならドンと来い!
と、いいたいのですが長郭手母の釣りあがりっぷりには参りました。ひょっとしたら長郭の母のつぶれたものかもしれない・・・なんてね。
会津濶縁でデッドヒート・・・そろそろしおどきでしょうか。誰もこんな中継やっているなんて気づかないでしょう。
景気良く会津濶縁覆輪と短貝寶のロット落札21500円・・・ちょっと痛い。
短貝寶2枚(しかも濶縁)のロットが間もなく終了・・・しめしめこちらは5000円。と、おもったら8000円になった。小ざかしい奴め!叩き切ってやるぞ~。攻撃は最大の防御なり、倍額つけてやる。(こうして馬鹿は損してゆくのです。)
会津濶縁がまた逆転された。最後のお願い!調子に乗りすぎたのでこれは終わり。体力温存しなくちゃ。
と・・・いうわけでしばらく吊り上げをやめておきます。(10:40)
と、思ったら吊り上げていた会津濶縁と短貝寶濶縁?の2ロットが落札。もしこれが久留米だったら目も当てられませんが多分大丈夫・・・たぶん。
21500+7500+13010・・・げっ!4万円超えました。浩泉丸ピーンチ!
そして5ロット目落札11000円。これは短貝寶と会津濶縁の2枚組み。
濶縁覆輪が2万円近く行ってしまったので降りの姿勢・・・もう手遅れかもしれません。頼む、逆転してください!
と・・・間もなく逆転。いいよ、これは貴方にあげる。濶縁の覆輪はもう持ってますので。これでも敵の懐にダメージを与えたので後の戦いが有利に進む・・・かもしれません。もっともこちらもぼろぼろ・・・感覚だけが麻痺しています。どこにいった?盲腸の痛みは・・・本当は胃が痛い。
なにせ長郭が14万円を超えてしまいました。通常の長郭の母銭の倍以上です。これを競っているのはかなりの病気持ちです。
なんの病気なら負けないぞ!(11:00)
11:45 また落札これも離足寶と濶縁の2枚組み12600円。
11:50 会津濶縁7000円で落札。それにしても会津濶縁と短貝寶がこんなに一度に出るのは珍しい。やはり濶縁は会津というのはうなづけます。
11:55 会津濶縁4820円。やはりみんな息切れしてますね。これはお買い得。
次は接郭長足寶(跛寶)に見えるもの。こいつはお遊び。でもこいつが落ちると8万円を超えます。
しかし相手も降りない・・・もう麻痺してます。勝ちに行きます。今年最大の作戦です。仙人も接郭長足寶(跛寶)を探していましたっけ。落ちたら見てもらいましょう。
負けた・・・接郭で8000円はつけられない。しかし、ダメージは小さいぞ!行け行け浩泉丸!
残りは2品。1品は会津濶縁・・・それも覆輪の大きなタイプ。私はこいつは大好きな類なのです。
もう1品が長郭の変な奴。こいつは行くとこまで行くぞ!PX某さんが強敵か?
12:20 予想通り15万円攻撃がきた。PX某さんです。迎撃開始!ここからは空中戦です。
12:25・・・そろそろ遊びはやめにしましょう。PX某さんも絶対降りない人だから・・・その代わり結果報告と画像をお送り下さいね。
今回の品は大化けする可能性を秘めた逸品だと思うのですが・・・。
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6月1日 【いろいろありまして・・・】
妻が検査のため入院しましたが、(残念ながら?)問題なくすぐに退院決定。
一方の私・・・お見舞いに行こうとしたもののどうも調子が悪い。日曜日は腹痛で半日苦しみました。今は小康状態ながら違和感があるので念のため受診・・・その結果、盲腸だと言われました。攻守が逆転、見舞いに行くほうが具合が悪いという変な関係、似たもの夫婦か。
6月は超ハードスケジュール。研修担当のほか結婚式など毎週のように休日イベントがあります。果たして体が持つか・・・手術はしないそうです。 |
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5月28日 【穴あきの穴銭】
ネットオークションで釘穴のような穴の開いた文政期様のものを発見。ほぼ無競争で入手、510円也。私の第一感は密鋳銭で、完全なお遊びです。でもって、入手後の手に取った第一印象はやはり密鋳。ただ、側面の仕上げは文政濶縁と同じで微妙ですね。ただ、結論から言うとやはり密鋳系で良いと思います。何せ厚みが2ミリを超え、重さは計測で8.6gありました。これは超異常値ですね。とはいえやはり穴が開いていますので参考品どまりですね。
オークションネットからのお知らせ
お客様各位
いつもお引き立て戴き、ありがとうございます。毎年恒例、第17回コインオークションを、今年も6月12日(日)、東京・有楽町駅前の交通会館3階グリーンルームにて開催致します。カタログは本日(5月27日)、ゆうメールにて、一斉に発送致しました。ご登録戴いている皆様、到着まで今暫くお待ち下さい。又、幣社ウェブサイトも更新致しましたので、ご興味のある方は是非、御覧下さい。ご入札はウェブサイトからも承っております。ご登録がお済みでない方、カタログをご請求戴いていない方で、印刷版カタログをご希望される方は、幣社ウェブサイトからご請求下さい。
今回はフルカラーですので、定価2000円(消費税、送料込)となります。今後ともお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。
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5月19日 【踏潰は母銭でした!】
5月15日の呼びかけに応えてS様からメールが届きました。
(前略)
私も小点永の母銭は持っていますが、私のものと少し背の状態に違いがありますので、収集誌2008年6月号の貨幣クローズアップ-№54をご覧下さい。小出さんのホームページにも掲載されています。実物を見ていないので断定はできませんが、ほぼ母銭に間違いないでしょう。
収集誌の小点永は永の柱の肩が削られているタイプですので、達人のものとは違いますが、内郭や背の谷の深さなどに同じ特徴があります。
(後略)
と・・・いう訳で、母銭ほぼ確定!おめでとうございます。
ところで、これ300枚の雑銭から出てきたそうです。羨ましい限りですね |
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5月15日 【取済銭と寛永堂の寶永通寶】
貨幣の22年4月号をもらって流し読みしていたら、取済文銭のことが書いてあるのに目が止まりました。耳口健士というペンネームの方ですが、実に面白い。取済を「とりすまし」と呼ぶこと、吹止め(鋳造停止)の俗説のあることなど初めて知りました。
この銭は一部の古い銭譜に載っていることは知っておりますが(新撰古銭大鑑など)、現品らしきものを見たのは2回しかなく、いずれも貧弱な鋳写し銭の雰囲気でした。これが漆盛母銭による贋作であること・・・長八作の疑いがある?・・・ことも初耳。
しかもこの母銭が現存することも・・・おどろきですね。さすが貨幣協会です、奥が深い。
そして明治泉譜第一集の寶永通寶の母銭が寛永堂作であると貫井銀次郎が語っていたそうで・・・。確認してみたいものです。
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撰銭の達人から・・・(久々の登場です。)
(前略)踏潰の小点永ですが、寛永間の径が28.60㎜通寶間が28.36㎜で内径は表裏とも20.2㎜です。また郭内はきれいにヤスリがけされており、表面には鋳ざらい痕があります。踏潰の母銭というのは見たことがないのですがどうなんでしょう。
・・・と、言うわけですが、私より東北のSさんのほうが専門なのでHP上で呼びかけちゃいます。Sさん、どうですかこれ?
郭内のヤスリというのが気になりますね。若干の鋳ざらい痕跡なら残っているのは見かけますがこれは結構激しいですね。 |
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久々に自分の踏潰を観察しましたが、鋳放しではないものの穿内やすりはほとんど目立たない。あの馬鹿でかい踏潰広永(特別展示室参照)をじっくり見ましたが、穿内は鋳肌が残ってました。ただ、(自画自賛ですが)非常に製作は良くて、内径ももう一度計りなおしたら寛永間で19.6㎜ぐらいありました。砂目は魚子肌ですばらしくきれいで抜けも良く、わずかに鋳ざらい痕跡(の伝鋳痕跡)も残ります。
あれ・・・ということは上の踏潰の20.2㎜の内径はかなり大きいですね。手持ち品はとても20㎜はなさそうです。砂目も浚われた跡がありそうですし・・・母銭決定ですか? |
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5月10日 【加護山正字様】
大和文庫で見つけた正字様です。気がついたら購入してしまっていました。加護山の多くは細字様ですが、たまに正字様とか繊字様が混じっています。中字様もあるようなのですが、差を見分けるのが非常に困難ですので正直言ってなかなか高いお金を払う気になりませんね。
細字様と正字様の見分けも難しいのですが、一番分かりやすいのが寛冠の前垂れの角度、あとは通辵の雰囲気。尓後点が開く癖もあるのですが、啓示品は少し分かりづらい。細字は尓の小の縦棒が横画から離れる癖があります。いずれも微細変化ですので、購入は自己責任ですね。加護山は案外繊字様が少ないのでは・・・意外に出会わないものです。
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5月9日 【S様 ありがとうございます!】
ボナンザの記事を書いたところ、東北のS氏から寄贈(赤字の部分)の連絡があり、宅急便で先ほど受け取っています。まだ開封しておりませんが、これでボナンザ完収の前途が見えて参りました。S様、ありがとうございます。
※状態極上でびっくりしました!また、他の資料もいただいております。ありがとうございました。 |
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昭和41年(1966)第2巻 |
10月11月12月 |
昭和42年(1967)第3巻 |
1月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月 |
昭和43年(1968)第4巻 |
1月2月5月7月8月11月 |
昭和44年(1969)第5巻 |
1月 |
昭和45年(1970)第6巻 |
3月 |
昭和46年(1971)第7巻 |
5月 |
昭和47年(1972)第8巻 |
4月11月 |
昭和49年(1974)第10巻 |
5月6月7月8月9月 |
昭和50年(1975)第11巻 |
6月9月 |
昭和51年(1976)第12巻 |
6月 |
昭和54年(1979)第15巻 |
2月3月4月5月6月7月 |
赤字は5月9日に東北Sさんから頂戴しました。(感謝!) |
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ボナンザ未収号一覧
やはり初期のものの未収品が多いですね。やっきになって集めるほどのものではないのですがこつこつ探しています。
残りをまとめてお譲りいただける方・・・いらっしゃいませんかね?
同じく、収集の76年すべてと77年の2~12月号、79年6月と10月号、80年2月号、81年2~11月号、82年8月号を探しています。お譲りいただける方ご連絡下さい。 |
5月7日 【ボナンザ創刊号~13号】
古本屋サイトでボナンザの創刊号~13号までのセットを発見して思わず購入してしまいました。箱入りの記念セットなのでプレミアムものなのですが欲しい人は極わずかでしょう。さすがに箱入りで状態は極上なのですが、当時の本は酸性紙を使っているので長い時間が経つとしみが現れてしまいます。そのせいか読むと鼻がむずむずしてきます。
内容は当時の古銭界を牛耳る人物が多数出てきて参考になります。しかしながらプレミアム本なので思いっきり開いて読めません。
ところでボナンザは84年9月号までは保有していますが、果たして終刊はいつなのでしょうか?どなたかお教え下さい。
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5月5日 【収集家の型】
収集家を収集家としての型と言いますか属性、力量をパラメーター的に表せないか(洒落で)考えてます。
ゲーム的な表現になるかもしれませんが例えば・・・
田中啓文 属性:財閥 財力10 知力9 魅力8 記述力7 功績10 性格ワンマン・・・なんてね。
もっとも異なった時代の方々を同じ物差しで量ることは難しいかもしれません。 |
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5月3日 【不知銭長郭手狭足寶が来た!】
ネットオークションで狭足寶らしき画像を見つけ、半狂乱で落札。ただし、いまひとつ画像の解析度が悪く、確証が持てずにいました。肝心の寶足部分がはっきり写ってなかったのです。それとシークレットポイント部分もはっきりしない。本日品物が届いたことによりこの品物が間違いないことが確認できました。(万歳!)
状態も極美とまではいきませんがまずまずです。
不思議なものでこの狭足寶・・・比較的入手しやすいと言われていながらなかなかめぐり合えず、昨年やはりネットで発見して大騒ぎで入手したばかりです。それから半年もしないうちに2枚目を・・・まぁ、人生こんなものなのでしょう。
文字を拡大して観察すると、寶字の下部がぐりぐり削られているのが良く判ります。一方、仙人に噂を聞いた郭のシークレットポイントですが、実はほとんどはっきりしません。贋作でないことは実物を見てすぐに判ります。実は郭に加刀が行われているのですね・・・これ。ですからルーペで思い切り拡大しないとその特徴痕跡が判らないのです。このようなものもあるのだ・・・と、改めて知りました。
ところでオークションに出していた方は、1000円で出したものが30倍以上の値段になったことに驚いていましたが、このクラスのものが雑銭から出現する確率は数千分の1以下であることは確実ですので、それなりの価値はあると思います。
ただ、この品の価値はマニアにしかわからないでしょうね。マニアじゃなければこんな汚らしいお金は見向きもしないでしょうから。
※気がつけば収集した不知天保銭もゆうに100枚を超えていました。(120枚くらい?)ここ数年で天保銭は総量で3倍ぐらい(4~500枚くらい)にはなっています。 |
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長径48.3㎜、短径31.85㎜、重量17.7g |
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5月2日 【不思議な画像マジック】
4月27日の記事の一番右端の品が到着。画像で見る限りかなりの縮小銭なので、期待していたのですが全く普通(より状態の悪い)品でした。あらためて画像を見るとやはり小さい。写真を計測しても、加工して左の天保銭と大きさを比較しても輪幅ひとつは小さい・・・しかし、原品は普通品。
これはどういうことか?改めて写真検証をしても不明です。携帯電話で接写したので歪んだのか、魚眼レンズか・・・はたまたパソコン加工?・・・まさかねぇ。1000円以下の買い物なのでたいした損ではないのですが、すごく損をした気持ちになってしまいました。 |
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5月1日 【TCC・雑銭の会にも行ってきました!】
4月30日は東京コインコンベンションと雑銭の会の例会にWで参加。コンベンションは2日目だし、1時間ぐらいしかいられないのでちょっとあわただしい。例によって照明が暗く、本当にこの会場では見えない。時間もないし雑銭アサリは苦しい。おもしろそうな品をいくつか見繕いましたが、結局2品だけ購入しました。(薩摩の吾が鏡と琉球の大字短尾球)
雑銭の会は参加者が少ないと聞いていましたが6~7人は集まりました。今回は少し奮発して放出。仙台長足寶、広島背ア、玉塚天保など・・・結構出してみました。競れば競るほど値が下がる叩き売りですが、充分楽しんだ品ですので後悔はしない・・・と、言っているものの恋人を手放す気持ちですね。値段じゃありませんので、愛してあげて下さい。(やっぱり後悔している?)
そういえば天保銭四天皇の2人、秋田のM氏、青森のⅠ氏が収集品をかなり放出したとのお話も聞きました。ただし、私のような下々のものにはたいした品は回ってきません。名品は直接売買によって動いているようです。そしてその価格は・・・決して下がらない。ただ、大物コレクターが量的な収集をやめて市場に商品が出回り始めると、年末までには天保銭の相場が一気に下がるかもしれませんね。それはそれでうれしいのですけど。
参加者のⅠ氏から27日の記事にある名品(長張足寶)と長反足寶を見せてもらいました。長反足寶は昨年見せて頂いた画像よりずっと美しい。しかも両方選り出しだとは・・・。さすがに足で稼いでいる方です。石川氏のご自宅も訪問したと聞きました。これまた積極的。
例会ではⅠ氏の米字極印の話で盛り上がりましたが、私は頭の中でポイントが絞り込めませんでした。もう一度、真贋現物を見せてもらいましょう。私はたいした展示はできませんでしたが、仙台古泉会のH氏から頂戴した通称ガリガリ手の寛永通寶を何気なく回覧・・・だれもすぐには判らなかったようです。それと密鋳銭の縮字写し(これもH氏からもらったもの)をサイズ別に展示。(2月26日記事参照)この会は密鋳銭に注目が集まりますね。
いずれもH氏の元所有物・・・私の実力じゃありませんね。そういえばH氏も元気で仕事に打ち込んでいると聞きましたので、少しだけ安心しました。
盆回しで奮発したのは前述したとおりですが、入手品は寛永の作銭、不知長郭手、不知細郭手など・・・。
実は細郭手を計測したら文字サイズは本座銭でした。でも郭内には古いヤスリ痕跡がある。で、じっくり見ると周囲の輪縁に盛り上がった痕跡があります。これは何らかの強い圧力が加わったもの・・・と、いうわけでひょっとすると元改造母銭で覆輪の取れた(取った)ものではないか・・・なんて考えています。しかしそれにしては文字抜けが悪い。まだまだ研究の余地がある品と考えました。
多少、懐が暖かくなった(気がしているだけで収支はほぼ均衡してました)のですが、妻のご機嫌取りに早めに帰宅。
すると旦那がいないことを口実に超高級ステーキハウスを予約しておりました。
私が帰ってきたのでやむなくイタリアンレストランに会場変更(超高級ステーキハウスは席がいっぱい・・・て、本当?)になりましたが、その分ワインとスパゲティをしこたま詰め込みました。お金が残らない生活です。
※江戸コインオークションも会場の都合で今年はお休みと聞いています。穴銭収集家にとって冬の時代になったかも。
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4月28日 【ネット中毒現象再発】
小川青寶樓旧蔵品・・・という名称に、つい食指が動いてしまいました。
もともと錯笵大好きですので変なものは常々拾っているのですが、金銭感覚が壊れてしまっています。
また、ネットで見つけた秋田細郭が妙に赤く見えたため「買い」を入れてしまいました。秋田細郭は大半が黄色、赤色は少ないのです。(稀に中間色のオレンジ色に発色しているものもあるかもしれません。)もっとも画像での色調判断は難しく、最近ネットで見かけて入手した額輪も思ったほど赤くありませんでした。まあ、はずれても細郭なら納得か・・・ただ、気をつけなければいけないのが贋作(変造)の存在で、広郭の郭内を削った変造品があるのです。(同じような変造品には本座広郭母銭を中郭などに仕立てたものもあるようです。)
実はオークションにその変造品(秋田細郭)が出たこともありまして、危うく私もひっかかりかけました。(わざと本物を削るので引っかかりやすいのです。)鑑定ポイントは穿内の肌。贋作は新しく削った痕跡を隠すため、焼きや薬品によるただれが入っていることが多く、また、面背にかけてベタッとヤスリが入っていたらまず怪しいと疑うことでしょう。本物は郭内にも必ず鋳肌が確認できます。秋田細郭は母銭段階から広穿になっていますので、郭内ベタやすりはまずありえませんので怪しいと考えましょう。
本来は識別ポイントは公にしないものですが、これについては問題ないと思いますのであえて記します。
(心配なのはちょっと背郭が細すぎかなぁ・・・焼きは入ってなさそうですけど。秋田広郭はそれなりに売れるので、美銭を細郭に変造することはそうそう無いと思うのです。ただし、状態の劣るものや長郭の変造はあります。)
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4月27日 【名品1枚と雑銭2題】
虎の威を借る狐、人のふんどしで相撲を取る私・・・上左の画像の品は、Ⅰ氏からの投稿画像です。彼は全国各地の骨董店、リサイクルショップをまわり雑銭を探しているとのこと。昨年は不知銭長郭手の長反足寶を掘り出したことでも有名です。
そして今回は不知銭長郭手の長張足寶を拾ったとのこと。これは状態も良く見事な品です。普通の張足寶と異なり、天の上側も強い刔輪がされています。銭文径も本座に比べて2段階小さい。その割りにすこぶるの美銭なんですね。
それに比べると私の最近の動きはネットでゴミひろいしかしてませんね。
中央は最近拾った本座広郭の背輪ズレ。(4月22日記事)本座でここまでのズレは珍しいと思います。1500円なら上出来。
右端は本座に比べると異様に縮小している薩摩深字広郭。銅色も赤くて変です。820円也。薩摩写しと見たのですがひょっとすると真鍮銭かもしれません。まぁ、夢買いですね。(まだ入手してないけど。)
錯笵は寛永銭でもう1品出てますがそろそろ潮時かしら?落ちたらうれしいような悲しいような値段。
錫母らしきものもありますがこの手のものは私には分かりません。これも夢買いかしら?
八厘会において、仙人の薩摩広郭の厚肉と薄肉を久々に見ました。仙人の厚肉は肉厚3.4㎜、重量が32gあり、この記録はなかなか破れないでしょうね。(私の記録は30.7g)一方、薄肉は重さ比較で15.2g、私13.8gで記録更新していますが、なんと学生のK君が1㎜台のものを発見したとY氏のお話。超薄肉の天保銭では秋田の村上氏が秋田長郭で極薄肉のものを発表した記憶があります。厚さはいかほどでしたか・・・
→ 1.95㎜でした。(88年天保銭2月号)
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4月25日 【八厘会に行けました!】
4月23日のお出かけ日はあいにくの雨模様。東京到着は11時頃で妻の用事を済ませて上野情報を収集。駐車場から車を取りに行く間でびしょぬれになる天気(ムフフ・・・)。パンダは大行列でしかも雨風は強烈。(ククク・・・)持ってきた傘は貧弱な折りたたみ傘のみ・・・ということで断念(デヘヘ・・・)。こういうこともあろうかと事前にトランクには天保銭を積んでいました(確信犯です。アハハ・・・)。
家族を銀座で降ろし一路新橋へ20分前に到着しました。
盆回しは惜敗。押上の大字小王寶が安く出ていて欲しかったのですが、先輩にお譲り。まだご機嫌ですから。気分が良いので小学生収集家に琉球通寶中字をプレゼントしてしまいました。(やりすぎ?次回は琉球通寶がテーマだそうですので。)
最近の収集品を展示しましたが1月12日の右上の品は貼り合わせ技法によるものとの啓示を受けました。なるほど、普通じゃない品だと思っていましたがそんな秘密があったのですね。やはり古銭会には出るものですね。
久しぶりにお会いしたYさんから拓本を頂戴しました。この方は収集者として尊敬できる方です。心底、古銭を愛している雰囲気はすばらしい。学生さんのKさんも指導しているようで、この学生さんが実に素性の良い品を保有しています。おそらく、こんな学生さんが将来の収集界を背負って立つのではないでしょうか。さて、Yさんからまた拓本を頂戴いたしました。時間が無いので解説文はまだ入れませんが、この状態で全品の名前が当てられたら、あなたは達人です。
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回答
この類はみな文字配置に同じ特徴があります。じっくり見ると文字が郭から離れて輪に接しています。とくに永寶字にその傾向が強い。すなわちこれは背星文の類。
①は星刮去の母銭
②は背星遒勁
コメントが邪魔だったかもしれませんが微細変化。斜王寶の背星と認定されれば初見品ですがあと一歩か。
③④は長門銭の星文手
これは長門銭のなかでもなかなかの難獲品なのです。 |
①大きいですね |
②斜王寶です |
③かなりマニアック |
④左に同じ |
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⑤⑥は御蔵銭の長永
いつぞやある収集家からざらざら見せられたことがあります。寶爪、永点、寶前足の輪に共通の傷があります。永フが大きいのが本来の特徴ですが⑥は特徴が見づらいので判断が難しかったかも。
⑦は文久の深字降久
この類は概して製作が良く、地肌も魚子地で芸術品の香りさえする逸品があります。 |
⑤特徴あるもの |
⑥左に同じ |
⑦有名品 |
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⑧奇天手
異足寶と呼ぶべきか?
⑨長郭手深淵
輪の際が深いもの。これは拓本じゃ分からないかも。
⑩萩進二天
なかなかの美銭だそうです。
⑪不知細郭手
詳細をを聞き忘れました。覆輪のもの。
この他にも額輪製作の長郭手も見せていただいています。
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⑧超有名品 |
⑨拓本だけでは分からないかも… |
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⑩学生K君の保有の品・・・これは分かりやすい。 |
⑪不知品としかこれは私も覚えていません。 |
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4月22日 【気になること】
4月19日に大きな接郭が出ていましたが残念ながら入手できず。長径49.6㎜、短径33.5㎜・・・この大きさはすごい。焼けのびかなぁ・・・気になります。
それと変な天保銭落札。1500円也。どうみても錯笵ですが、これがそうじゃないとすればもう、自分の目が信じられません。普段は錯笵コレクターが猛烈に追いかけてくるのですが今回は無競争でした。ただし、錯笵マニアがいないわけではなく、先日、背小の見事な背ズレが出ていたのですが7000円超で断念。まぁ、このあたりは酔狂で集めてますので入手できなくても納得は出来ます。
それより手から漏れた品のほうがみんなすごいものばかりです。何度も書いちゃうけど3月21日のはすごい!不知天保銭分類譜の下巻に確かに掲載されていました。(情報提供頂いていたのに確認を忘れてました。)ところで明日は八厘会・・・絶対行く・・・と思っていたら妻から浅草までアッシー君のお願いが・・・その後パンダを見るんだそうで、新橋はどんどん遠くなる。妻が振り切れたら行けるのですが、いろいろ諸事情がありまして難しそうです。 |
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4月18日 【お便り続々】
メールがたまってました。まずは・・・寛永検定に 「古寛永編2」 が登場したとのこと。これはちょっと難しいね。写真の印象で一問間違えました。恥ずかしいけど実力ですね。
それから和歌山のyy様へ・・・
明和の小字の母銭は少ないですよ。市場価値は10~15万円ぐらいはするんじゃないかしら。明和のきれいな母銭は芸術品です。大きさ、材質とも通用銭と全く違います。とくに白銅色のきれいな品はほれぼれします。私は母銭は専門に集めていませんので、買う気はないけど欲しい。
細字流文と細字流文手の違い・・・私は分かっているようで実は良く分からない。
流文は繊字小文への変化過程なので背文の雰囲気は小文そのもの。ただし決定的なのは通辵頭に爪がなく丸いこと。繊字小文には爪があり反り返っています。流文手は繊字狭文への変化過程ですから背文の雰囲気は狭文に似ています。ただし、繊字狭文も通辵頭に爪がなく丸いから決め手に欠けます。あとは面文が太く額輪していないこと・・・消去法的な総合的な判断に頼るしかないのです。流文、流文手も背文の第三画(前足)は繊字より長目・・・とくに、流文はすらっと丸み無く伸びてます。この点は新寛永通寶図会の巻末に背文の比較がありますので参考にして下さい。
ここら辺りが自信を持って見分けられたら貴方はもう達人(病気)です。私はまだまだ迷いがあり自信が持てませんが充分病気です。
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4月16日 【鑑定眼】
ご存知、四国のK氏からの投稿です。下記、関東のS氏とならびネットオークション上ではしばしば私と熾烈な?応札合戦を繰り広げます。下の黒い背景画像の天保銭を画像は覆輪気味の不知天保だと判ります。ところがネット上で公開された画像は背景の白い右側画像。発色は本座と同じ・・・大きさもほぼ同じ。しかし病人達はこの画像を見て瞬時にビビビッと来るのですね。
ただし、過剰反応するとハンマーで伸ばされたような変造銭や焼け銭や贋造銭、はたまた画像写りの悪い品を高額で落としたりします。下の品も大きさが出品者によると49mmを超えていて、ひょっとしたらの疑念も残りました。そこで私の場合、失敗しても後悔しない額での応札という保険をかけます・・・たいがい、中途半端な結果になります。失敗しても後悔しない額というのは人によって千差万別のようで私は1万円ぐらいですが、5万円ぐらいまでという人もいらっしゃいます。
出品画像がまっすぐではないので画像比較が難しいのですが、文字が陰起していて輪も若干太く見えますので、私は不知品と判断していました。結果はマニア達の争奪になり、K氏が2万円近い価格で落とされたようです。
競り合いになると我慢比べのようなもので、最後は商品価値より自分の鑑定眼が正しいかどうかの好奇心を賭けての価値比べですね自制心も影響しますが、失敗したときの後悔よりたまたま成功したときの射幸心の方が強い方が多いようでして・・・この場合、自制心の強さ=財力のなさOR家族への後ろめたさ(女房の怖さ)なのかもしれません。とはいうものの、小さな失敗は数知れず、それらを足すと名品の数枚は手に入っている計算になりますので、我ながら馬鹿なことを・・・と思っております。
ちなみに私はごく初期に応札していてひっくり返されてもほったらかしていました。しかし、こうして見るとオークション画像より良い雰囲気の品でしたね。右の画像だとせいぜい5000円から1万円ぐらいの品かと思ってましたが、左画像だともう少し良い感じ。
儲けたわけではないもののK氏の眼力の高さが証明された一件です。(これだからやめられないんですよねぇ。)
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4月14日 【夢の続き】
7日の記事の続きです。(関東のS氏からの情報です。)
ネットの濶天保ですが、写真より状態は良く、写真写りが悪いという感じで(特に背)火中はしておりません。富字は重文気味の錯笵で、それがさらに写真写りを悪く見せているようです。桐刻印も明瞭で、色は赤というより概ね黄白色で、総合的に判断して私は、良いものだと思っています。前の所蔵者のお話ですと、N県N市の商家から、20年以上前に古民具等買い取りしたものの中にあったもので、湯不足を面白く思い、売却せずに天保銭として持っていたものだということでした。湯不足以外は、状態も良く味は非常に良いものです。
S氏の情報力はすごい・・・と思います。百聞は一見にしかず・・・しかしそれを上回る情報力を持っていれば話は別ですね。(しかも実際に見ているようですのでこれは最強。)いやはや、太刀打ちは出来ません。それにしても写真写りの悪いこと・・・お見合い写真なら大問題です。入手された方はラッキー以外の何ものでもありませんね。濶天保は20枚はないと言われるほどの大珍品ですから・・・。
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4月7日 【春の夢】
現在、大和文庫に天狗寛永が出ています。昨年までの私なら飛びついていたでしょう。今回は我慢と決めました。(早く誰か買って下さい。)自粛と言うわけではないのですが、寛永銭に対しては気力が萎えてしまっています。(それに玉塚細郭を落としてしまった関係もあります。)
罹災者支援は現段階で民間支援の避難所としては市内最大で、もしかすると県内最大規模かもしれません。家財道具をそろえるのも一苦労なのですが、普通の生活を取り戻すためにはある程度の努力と覚悟が必要です。募金活動は当面必要ですが、現段階で3か月分の家賃・食費はなんとかなりそうです。(家賃無料ですし・・・)
さて、左の品・・・ネットでご覧になった方も多いと思います。(画像借用しました。お許し下さい。)濶天保のように見えますが火に入ったのか状態が思わしくありません。地の部分が波打っていますが、これは本銭と同じ・・・夢を買っても良いのですがやはり気にいらないところがあり
君子危うきに近寄らずとこちらも狸寝入りを決めました。(湯圧が弱々しく背が気にいりません。)まもなくアクセスカウンターも27万人になります。頑張りましょう。 |
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4月2日 【泉家・収集家覚書について】
新しいコーナーを調べて記述することに熱中しているため、他のことがかなりおろそかになっています。とにかく手持ちの資料をひっくり返し、関係ありそうな名前を発見するたびに付箋をべたべた貼ってゆく・・・しかしながら付箋の数が増えすぎるとどこにその記事があったのかがまた分からなくなるのでまた探しなおし・・・その連続です。目は疲れるし、古いボナンザはホコリっぽくて鼻がむずむずするし・・・良いことなんかあまりないのですが、お金はあまりかかりません。インターネットも泉家探査に役立ちます。
訃報はだいたい巻末にちょっとあるだけということが多いので、見落としも多いと思います。数ページに及ぶ訃報の特集記事が組まれたのは小川青寶樓師と桂寶田中桂治師くらいでしょうか。
こうして見ると古銭の隆興期はいくつかに分けられるようです。
やはり存在として大きいのは成島柳北師の時代と田中啓文師の時代でしょう。これらの時代の登場人物は多彩で、調べていても面白い。啓文以降は収集家というより古銭商やマニアの時代となり、収集家の質が変わってしまったように感じます。そんな私も変わり者の一人でしょう。
あとは近藤正斎あたりを調べれば資料として手元にある人物は終わりになるかもしれません。
調べていて発見もまたありました。愛泉番付において発見した中村不折の名前・・・浅学な私もこの名前はどこかで聞いたことがありました。また、ブランセン、牟田弥平と並びよく分かってなかった城南大井の贋作者O氏についても事実が判明しています。しかし、このO氏、啓文時代からの贋作者とは知らなかった。故人の名誉のこともあるので伏字にしますが、SE氏と並び本来は公表すべきでしょうね。公表しちゃおうかしら。
中川近礼の事件については事実であるし問題ないと思い公表しましたが、古銭界の場合は世話になった人との関係もあってとても甘い対応が取られています。やっぱり公表すべきでしょうか?
※3月21日の天保銭の所有者の方からメールを頂戴しました。
不知天保銭は私が落としました。同じように一目ぼれです。49.98㎜、33.77㎜のサイズで、厚みも3㎜リ以上あります。(重さは28.3gとのこと。)実はこの天保銭、ある東北の骨董屋さんのホームページで昨年暮れに見ていました。譲って頂けるようにお願いしたのですが、もうすでに他の同業の方に販売済みで少しの差で逃してしまったもの、その現品でした。
いやはや、想像を超える名品、原母級ですね、奇品館というより秘宝館ものです・・・心にブレーキがかからなければ私も15万円以上行ってしまったと思います。この数値を知れば20万円以上でも惜しくない。(お金ないけど・・・)情報ありがとうございました。機会がありましたらお見せ下さい。
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3月25日 【ブランセン作と牟田弥平作】
贋作者列伝を書くに当たってなかなか解明できなかった作者がいます。ブランセンは明治期のデンマーク人収集家で、成島柳北の主催する古泉会(→ 泉家・収集家覚書)にも所属し、古銭家番付にも丁抹人ブランセンと名前が載るほどの人物です。
さて、このブランセン氏・・・色々と調べてゆくと贋作者につながりそうな記事があちこちに出てきますが、なかなか決定打がありません。名古屋作と言われる贋作流通に一枚かんでいそうなのですが、つかみきれませんでした。ところが2003年3月号の天保仙人の記事(土佐通寶)を読んでいたら数行ですが贋作について触れられていました。
「拓図Pはブランセン作と伝えられており、実見された方の話では「少し赤みの有る、真鍮質」との事です。尚ブランセンは、旧貨幣誌に當四銭の土佐通寶を所蔵していた記録があります。」
これでブランセンも贋作者(贋作プロデューサー)であることが決定的になりました。文章表現からするとラムスデンの一部の品と銅質は似てそうです。一方、牟田弥平作についてもあるとはにらんでいましたがなかなか尻尾がつかめませんでした。
銭幣館第四集にYとして贋作についての記述があります。他の記事やイニシャル、活躍年代からみてY=弥平かもしれないというところまで推論できたのですが、なにせ証拠がありませんでした。ここでようやくその一端がつかめました。これはまた、九州出来と呼ばれる贋作につながる系譜なのかもしれません。以下に収集に記された一文を掲載します。
「拓図Qもやはり旧貨幣誌に「筑前通寶」について論文を載せている、牟田弥平氏の作といわれております。」
贋造者列伝に記載しながらイニシャル表示になっている人は、確証がつかめないままの人物と、まだ周囲に対して影響が大きいと思われる人です。ただし、SE氏などは瓜生氏がその著述において堂々と名前を書いてしまっていますので隠す必要はないのかもしれません。
※明日の八厘会には今度こそ行ける・・・と思っていたら、妻は仕事・・・ということは私は子守。うまく行きません。 |
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3月23日 【泉譜原品】
21日の名品には比べるべくもないものの、とりあえず泉譜原品+1枚が届きました。質より量だ!それに原品なんだぞ!・・・と主張しても、画像を比べると一目瞭然・歴然・判然・断然格下なのですが、それでもここに書けば浩泉丸HP原品なのです。
泉家・収集家覚書の作業が徐々に進んでいます。目指す泉家の記事を探し、収集をまず片っ端から調べます。例えば投稿記事の多い人の場合は連載記事を調べながら、連載が切れた直後に訃報記事が無いか調べます。表紙を見て、目次を見て、あとは裏側の方に訃報がないか調べます。郡司氏や瓜生氏は昔の古銭家について記述連載してくれているので大変参考になりました。さすがに小川青寶樓氏は何ヶ月にも渡り特集が組まれていました。また、インターネットで検索するという便利な手法もあります。
貫井青貨堂は古書業界で、真鍋儀十は俳句の分野でヒットしました。
調べていて面白かったのは昔の古銭収集というのは上流階級の社交的趣味の場であったということですね。
明治後半から戦前までの収集家は驚くほどの大金持ちばかりで、それに出入りする古銭商や学芸員的な存在の収集家でグループが形成されていたみたいです。したがって名門家や有名人も多く、鉱山王だの新聞王だの〇〇財閥だのいろいろな分野の財界人が名を連ねていました。郡司勇夫氏にしても20歳のときの給料が、当時の国会議員(真鍋儀十)の歳費の2倍はあったということ。これは私とは段違い・・・驚きですね。
タイプとしても財閥型・古銭商型・学芸員型など結構上下主従の関係がはっきりしていたと思います。財閥型とはっきりいえるのは大川天顕堂氏が最後でしょうか。彼の後は貨幣収集の趣味人の様相がガラッと変わっっていったような気がします。
それにしても資料を探すのは大変・・・結構読み落としもあるもので新鮮な気持ちで記事を読むことも出来ますが、とにかく退屈で面倒で目が疲れるし・・・。肖像写真を探すのも中には大変な方がいましてこれも大川天顕堂氏がなかなか見つからず苦労しました。太田氏については陸原氏との関係がどうしても分かりません。
今は収集だけをしらみつぶし(と、いっても全巻保有してませんが)に調べています。あと、30冊ぐらい調べたら今度はボナンザを調べます。
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不知長郭手覆輪短尾通 不知天保銭分類譜下巻(117P)原品
長径48.85㎜、短径32.15㎜、銭文径41.0㎜、重量20.6g
やや白銅質の粗造品。浅字で通尾が短く見えます。 |
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不知長郭手覆輪 村上英泉研究分類譜原品
長径49.15㎜、短径32.5㎜、銭文径40.9㎜、重量21.0g
こちらは秋田の神様、村上氏旧蔵品と見ました。やや赤みのある黄銅色が美しい不知銭です。やや横太りであるのも覆輪の証。
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不知長郭手鋳写
長径49.05㎜、短径32.3㎜、銭文径41.0㎜、重量21.5g
こちらは何の変哲も無い写しの品。寶下に鋳だまりがあるので銭文径は推定です。不知銭鑑定の決め手は穿内仕上げ。4方向にべったりヤスリがかかっていますので本座の仕上げとは根本的に異なります。仔細に観察すると天字かかすかに降り寶字の足が微妙に長い。拓で見たほうが分かりやすいのですが刔輪修正されていると思います。鋳だまりが無ければ長足寶気味なのがわかると思うのですが・・・ |
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3月21日 【名品です!】
ネットオークションでひと目でしびれました。普通の張足寶の類ではありませんね、これは・・・。125000円で落ちたようですが高いか安いかは別にして好きです・・・これは。何が良いかというと、まずは欠点がないこと。そして刔輪が見事で天上の刔輪、背の細縁ぶり、離輪ぶりも際立っています。
横広銭形は覆輪刔輪を物語っていて、最近の分類では再刔輪とされるようですが、それにしては美しすぎる銭容です。レベルが超高い!
絶賛すればするほどむなしくなりますがこれも定め。これに近いものを仙台のNさんから一度見せていただいたことがありましたが、Nさんは今不自由してないかしら?
別のことに今はお金をつぎ込んでますので・・・と、言い訳して素直に負けを認めましょう。
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3月20日 【和歌山yyさんへ】
メールがうまく送れず、何度も返ってきてしまいますのでここで・・・
細字の欠画通は私は聞いたことがありません。この手のものは文源郷氏などの得意とするところで私はそこまでの細分類はわかりません。
書体は間違いなく細字、背の形状は俯頭入っぽく見えます。母銭かどうかは送付画像だけでは判りませんが、地の部分に鋳黙りが多く見られるのが???です。 |
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3月16日 【被災者受入】
昨夜、福島県からの二重被災者(震災罹災の後、原発で緊急退避命令を受けた方)知人17名の受入をしました。空家を借りて12名と5名に分かれて生活しています。生活拠点はできても資金的な問題があります。着の身着のままの上、罹災地から離れると支援法の外になるため様々な困難が付きまとうようです。一刻も早い国家的支援が必要だと思います。
ただ、現地で救援を待つより、お店が開いている、外に出られる、凍えたり飢えたりすることは(お金があるうちは)ない・・・という安心があるようです。喜ばれたのは「おにぎり」をたべられたのと「お風呂に入って着替えられたこと」のようです。当然ながら個人的にも資金援助をしていますが、今後のことを考えると私も限界。17人家族は養えませんので、次の手を打つ必要があります。
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3月14日 【H氏からの電話】
地震で一番心配していた仙台古泉会のH氏の無事の電話がありました。ただし、ご自宅は津波で壊れてしまったようです 。それでも良かった・・・と思うのです。命あってこそです。卿からは毎日の時限停電生活になりそうです。医療・福祉の仕事なので正直しんどいというかどうしようもない。停電は命にかかわるのですが全く無い状態にはならないので我慢するしかない。ただ、停電すると水も供給が出来なくなるし救命機器も動かない。エレベーターが動かないのもしんどい。
それでもがんばらなければ・・・。 |
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3月11日 【大地震】
2時50分頃でしたか・・・私は研修会場(築30年ぐらいの古いビル)の4階控室で他の担当者と談笑中でした。細かい振動が次第に大きくなり、ついに左右に揺さぶられるような揺れが襲ってきました。防火扉が勝手に開閉をはじめ、『逃げろ!』の声で階段を駆け降りました。
外に出るとあちこちから煙が立ち上り、消防車のサイレンが鳴り響いています。幸い建物は倒壊せず無事でした。
徒歩で駆け付けた県庁職員の話によると高層ビルの県庁には壁にひびが入り大変な状態だそうです。
私のいた場所は海岸に近く、余震もひどいので研修は打ち切られ解散となりましたが海岸部の工場地帯が火災で通れないために大迂回して帰宅。道路は大渋滞。液状化で浮き上がった建物、盛り上がった路面などは確認できましたが倒壊している建物は見当たりませんでした。
途中5時ごろに大爆音が連続2回。それから20分後には巨大な炎の玉が空全体に広がりました。そのときは私は工場地帯から少なくとも5キロ以上離れていたのですが、石油工場からは真っ黒な煙(黒い雨)、製鉄所からは白煙と炎が確認できました。(爆発は石油工場のガスタンクの爆発炎上らしいです。あんな大きな火の玉見たことがありません。)
職場はガス関係の器具の異常、漏水、エレベーターの故障などがありましたが躯体は無事。自宅も大丈夫。爆発の風振がすごかったそうです。(半径2キロに避難命令)
東北の方々の安否が気になります。東北のS様、仙台のH様、秋田のW様も大丈夫でしょうか?
とくにH様の地域は津波被害が心配です。ご無事をお祈り申し上げます。 |
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3月10日 【白銅の猿江銭】
中国地方のT氏からのはじめてのお便り。
旧猿江銭広穿の母銭と思うのですが、通常の母銭に比べやや白っぽく、銭径24.77×24.75㎜重さ3.57gで大様です。磁性はありません。・・・とのこと。この大きさはまさしく母銭ですね、しかもかなり白い。
ところで猿江の母銭には白銅のものがある・・・と私は青寶樓師が記述していた・・・とHPに書いておりましたが改めて青譜を見てもどこにも見当たりません。見間違い?・・・とも思ったのですが、いまひとつ釈然としません。まるで幽霊を見たようです。しかしながらこの品の出現で猿江には白銅のもの(母銭)が存在することは決定付けられました。私の白銅の蔵品は母銭なら出来損ないのものですが、こちらは大きさから見て文句ないでしょうね。それにしても出来はあまりよろしくないようです。なぜなんでしょうか。
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※パソコン不調でメールの受送信がうまく行かないケースがあります。お便りには必ず返事を出すようにしていますが、返信が無い場合は、メーラーがスパム扱いにして削除されていることが考えられますのでご連絡下さい。(外国語の質問メールはときどき届きますが困ります。)
先月には1日で900通あまりの迷惑メールが届きさすがにパソコンがフリーズしかけました。その後は大量の迷惑メールは届いていませんが、逆に私のパソコンが皆様に迷惑をかけていないか心配です。 |
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3月9日 【悪戦苦闘】
また腰を痛めてしまいました。いわゆるぎっくり腰というやつか・・・朝、立ち上がれない。椎間板ヘルニアは小康状態だったのでそれかもしれませんが、今のところ痺れはさしてない状況。しかし、かなりの重症です。座っての作業はつらい。
現在、泉家・収集家覚書に取り組んでいますが、ほんとうに資料がありません。せめて生没年や出身地ぐらい正しく知りたいのですが、所有文献に見当たらない。(見つからない。)
瓜生有伸氏が往時古泉家芳名録という文献を著述しているらしいのですが、どなたかお持ちではありませんか?三上香哉氏に関する情報、増尾富房氏の情報、太田保氏、今井風山軒や守田宝丹楼、中川近礼氏に関しての情報についてお教え下さい。
→ 泉家・収集家覚書
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3月5日 【栗林広穿異書通用鉄銭の再発見】
泉家・収集家覚書の記事は遅々として進みませんね。何せ、記録がほとんどないので手持ちのボナンザや収集、貨幣などの古い記事を読み漁っています。それにしても明治~大正の古銭収集家・研究会は今とはずいぶん異なるようです。
まず、旦那とでも呼ぶべき富豪収集家の多かったこと・・・。住友、三井などの財閥はもちろん、当時の政財界の一流の方々がコレクターとして名を連ねています。それに対して御用聞きのような貨幣商が存在しています。
今のような一般大衆の趣味ではなく、限られた人々のステータスシンボル的な趣味でもあったわけです。もちろん富豪コレクターにして偉大なる研究者もおりますし、貨幣商にして卓越した研究者もいますが、中には可哀相なことに三井源右衛門氏のように、加賀千代などに食い物にされた目の利かない旦那コレクターもたくさんいたようです。
ところで・・・久々に舎人坊石川氏からお手紙が届きました。穴銭カタログ日本の編集作業の過程で、栗林広穿異書の鉄銭の存在に気づいたそうです。最近の泉譜にはこれには通用銭はない・・・としかかかれてないと思います。
ところがコピーを頂戴しましたが田中啓文の「新寛永銭譜:生拓本」に1枚、「大川鉄雄収集譜」に2枚の拓本が載っているのです。両譜ともに何やら妖しい栗林広穿異書の試作貨幣らしきものまであります。新発見・・・と、いうより再発見ですかね。 |
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左3枚は天顕堂の印で分かるように大川譜のもの、右2枚は田中譜。栗林狭字と名づけられていますが書体の癖は同一です。ただし、銅母銭の方が文字が小さい。と、言うより鉄銭の文字が巨大すぎます。
東北のS氏からの指摘
左端は「新寛永泉志」「南部貨幣史」、左2番目は「穴銭入門寛永通宝新寛永の部」、右2番目は「寛永通寶銭譜」「新寛永銭鑑識と手引」の拓と特徴が同じです。なお、川崎氏のものは右2番目と同じ特徴があります。
※と・・・いうことは拓では一見鉄に見えるこれらは 鉄銭のための銅母銭???なのかもしれません。あるいは・・・
狭字は文字こそ小さいものの背波の特徴(癖)は同じですね。
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3月1日 【星文手の手本銭散る】
毛利家手本銭といえば一時は良く見かけたものですが最近はずいぶん少なくなりました。ところで市場で見かけるのは異永、俯永、奇永、麗書、裕字、勁文の類でこの星文手や広永、太細、正字の類はほとんど見かけません。さすがに古寛永の大家、谷巧二師の寛永通寶銭譜上巻には各種が掲載されておりますが、私のような下々のようなものには目に触れる機会すらありません。右の品がネットに出たときには狂喜し、不退転の覚悟でいたのですが酔っ払って締め切り時間が過ぎてしまいました。あぁ~・・・。
※パソコンが不調だと思ったら、迷惑メールが900通もゴミ箱にありました。アドレス変更が必要かもしれません。 |
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2月26日 【変なものたち】
ここで記事を書いているということは八厘会には行けませんでした。仙人様ごめんなさい。妻の強い要望で明日お迎えする外国のお客様のために自宅を整理・掃除しております。この外国のお客様、日本語ペラペラでいわゆる日本オタク・超日本通です。歴史や経済について語らせたら、並みの日本人は全くかないません。そこで前回、天保銭をあげたら大喜びでした。(小判と勘違いしたのかもしれません。)しかもこの外国の方、近々私の身内になる予定なのです。
我が家の関係もいよいよ国際的と言いますか・・・少し変わっています。と・・・いうわけで変なものたちをご紹介。
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元文期藤沢・吉田島銭のアラカルト(上・左)
変なもの好きの私に・・・ということでH氏からの下賜品です。ありがとうございます。元文期の藤沢・吉田島銭は初出のものと次鋳のものがあって、さらに密鋳のものもあるのでバラエティに富んでいます。しかも次鋳と密鋳の見分けが困難なのです。その上、密鋳銭も抜群に多い・・・おそらく一文銭の中ではダントツでしょう。上左から・・・本銭・次鋳銭・本銭写しの密鋳銭(背錯笵)・本銭写しの磨輪密鋳銭・次鋳写しの磨輪密鋳銭です。本銭の外径は23.3㎜・・・右端は約20㎜と15%近い縮小ぶりです。
しかも中央のものの背は(見栄えは良くありませんが)完全にずれていて良くみると下部に2輪目があるのが確認できます。
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文政小字錯笵銭(湯竿落下痕)
H氏から拝領したもの。最大の厚みは2.5㎜に達します。重量は6.4gなのでこの付着した分が重いようです。付着物は仕上げのときに影響したようで、砥ぎのときには背の出っ張りに押されて面側は寶字上ばかりが粗く削られています。一方、背砥ぎにもこの付着物はしぶとく耐えてこの世に出現しました。それにしてもよくこんなもの流通させたと思います。 |
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丸屋銭欠尓寶(手替り)
これもH氏から頂いたもの。丸屋銭で尓の第一画先端が欠ける特徴の他に寶上に輪まで及ぶ小さな凹みがあります。
お手持ちの丸屋銭をお調べ下さい。しかし良くこのような小さい変化を見つけたものですね。
※左図の白線の先端が変化です。 |
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南部仰寶写(鋳不足欠損)
これは雑銭の会の入手品。未使用のウブ肌の色が残る仰寶です。泉界ではこのような製造時の欠損は欠陥、傷物として敬遠する傾向にありますが、正炉ならともかく、密鋳は技術の未熟さを語り貴重な資料です。
陶芸界ならさながら「景色」として珍重されるわびさびの世界・・・古伊賀の焼き物を見ていると思えばこれはこれでよろしい。
良く見かけるタイプながら、江刺なんだか浄法寺なんだか良く分かりませんが・・・。輪は斜めやすりです。 |
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南部仰寶写
こちらは雑銭の会の入手品でぺらぺらのござすれ型の薄肉軽量銭です。重量は一文線並みの3.7gしかないのです。たしかに一般的に見られる密鋳タイプとは一線を画した感があります。
それにしてもこいつはみずぼらしい。わびさびの世界をとび超えて貧弱の極みです。指先で簡単にひん曲がりそう・・・というよりすでに軽く曲がってます。 |
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2月24日 【仙台からの手紙】
仙台のH氏からまた書留が届きました。届いたのは昨日のうちですが不在だったため、受け取ったのは5時間ほど前です。同封されていたのは10枚ほどの古銭と、細かな数字がびっしり書き込まれた表・・・明治の吹増銭(と思われる銅替りを含む未使用銭)の詳細計測値です。
いやはや原本はもう執念さえ感じる細かな数値の乱舞。しかしながら、本業事務屋の私はこのような表の細工は得意中の得意・・・なのですが、集中力はさほどありません。それでもエクセルに入力して、ソートをかけ見やすく?変形したあとHPに移植しました。それが以下の表です。(内径→外径→背内径の順に小さいもの優先にソート)
エクセルデータ(加工前のデータを含む)もありますのでダウンロードして見て下さい。 |
明治吹増銭と思われる物の
銭径の違い |
最小 |
9 |
27.2 |
20.4 |
20.7 |
最大 |
100 |
28.6 |
21.2 |
21.0 |
平均 |
- |
28.2 |
20.7 |
20.8 |
番号 |
外 径 |
内 径 |
背内径 |
番号 |
外 径 |
内 径 |
背内径 |
番号 |
外 径 |
内 径 |
背内径 |
大 字 |
小 字 |
小 字 |
1 |
27.3 |
21.0 |
21.0 |
33 |
28.5 |
20.5 |
21.2 |
67 |
28.5 |
20.7 |
20.4 |
2 |
27.7 |
21.0 |
21.0 |
34 |
27.6 |
20.6 |
20.4 |
68 |
28.5 |
20.7 |
20.7 |
俯 永 |
35 |
27.7 |
20.6 |
20.8 |
69 |
28.7 |
20.7 |
20.4 |
3 |
28.1 |
20.6 |
21.3 |
36 |
27.7 |
20.6 |
21.0 |
70 |
27.6 |
20.8 |
21.0 |
4 |
28.0 |
20.7 |
21.4 |
37 |
27.8 |
20.6 |
20.6 |
71 |
27.8 |
20.8 |
20.6 |
5 |
28.2 |
20.7 |
21.2 |
38 |
27.9 |
20.6 |
20.4 |
72 |
27.9 |
20.8 |
20.6 |
6 |
28.3 |
20.7 |
21.3 |
39 |
27.9 |
20.6 |
20.8 |
73 |
27.9 |
20.8 |
21.0 |
7 |
27.9 |
20.8 |
21.5 |
40 |
28.0 |
20.6 |
20.7 |
74 |
28.1 |
20.8 |
20.6 |
8 |
27.9 |
21.0 |
21.1 |
41 |
28.0 |
20.6 |
20.9 |
75 |
28.3 |
20.8 |
20.9 |
小 字 |
42 |
28.0 |
20.6 |
21.0 |
76 |
28.3 |
20.8 |
21.1 |
9 |
27.2 |
20.4 |
20.7 |
43 |
28.1 |
20.6 |
20.5 |
77 |
28.4 |
20.8 |
21.0 |
10 |
27.3 |
20.4 |
20.7 |
44 |
28.1 |
20.6 |
20.6 |
78 |
28.4 |
20.8 |
21.3 |
11 |
27.9 |
20.4 |
20.4 |
45 |
28.1 |
20.6 |
20.9 |
79 |
28.5 |
20.8 |
20.9 |
12 |
28.0 |
20.4 |
20.4 |
46 |
28.1 |
20.6 |
20.9 |
80 |
28.5 |
20.8 |
21.1 |
13 |
28.0 |
20.4 |
20.4 |
47 |
28.2 |
20.6 |
20.6 |
81 |
28.6 |
20.8 |
20.9 |
14 |
28.0 |
20.4 |
20.8 |
48 |
28.2 |
20.6 |
20.6 |
82 |
28.8 |
20.8 |
20.8 |
15 |
28.1 |
20.4 |
20.3 |
49 |
28.2 |
20.6 |
20.6 |
83 |
27.7 |
20.9 |
21.2 |
16 |
28.1 |
20.4 |
20.8 |
50 |
28.2 |
20.6 |
21.1 |
84 |
28.1 |
20.9 |
20.8 |
17 |
28.1 |
20.4 |
20.8 |
51 |
28.3 |
20.6 |
20.2 |
85 |
28.2 |
20.9 |
20.6 |
18 |
28.2 |
20.4 |
20.7 |
52 |
28.3 |
20.6 |
20.6 |
86 |
28.2 |
20.9 |
21.0 |
19 |
28.2 |
20.4 |
20.8 |
53 |
28.3 |
20.6 |
20.6 |
87 |
28.4 |
20.9 |
20.6 |
20 |
28.3 |
20.4 |
20.9 |
54 |
28.3 |
20.6 |
20.9 |
88 |
28.5 |
20.9 |
20.7 |
21 |
28.3 |
20.4 |
20.9 |
55 |
28.3 |
20.6 |
21.1 |
89 |
28.6 |
20.9 |
21.1 |
22 |
28.4 |
20.4 |
20.5 |
56 |
27.6 |
20.7 |
20.6 |
90 |
28.6 |
20.9 |
21.2 |
23 |
28.5 |
20.4 |
20.5 |
57 |
27.8 |
20.7 |
20.7 |
91 |
28.6 |
20.9 |
21.3 |
24 |
27.7 |
20.5 |
20.8 |
58 |
27.8 |
20.7 |
21.0 |
92 |
28.1 |
21.0 |
20.6 |
25 |
28.0 |
20.5 |
20.4 |
59 |
28.0 |
20.7 |
20.7 |
93 |
28.1 |
21.0 |
20.9 |
26 |
28.0 |
20.5 |
20.7 |
60 |
28.0 |
20.7 |
20.7 |
94 |
28.1 |
21.0 |
21.4 |
27 |
28.0 |
20.5 |
20.9 |
61 |
28.1 |
20.7 |
20.7 |
95 |
28.2 |
21.0 |
20.9 |
28 |
28.2 |
20.5 |
20.7 |
62 |
28.2 |
20.7 |
20.7 |
96 |
28.4 |
21.0 |
21.2 |
29 |
28.2 |
20.5 |
20.9 |
63 |
28.2 |
20.7 |
21.1 |
97 |
28.5 |
21.0 |
21.0 |
30 |
28.3 |
20.5 |
20.6 |
64 |
28.3 |
20.7 |
20.7 |
98 |
28.8 |
21.0 |
21.1 |
31 |
28.3 |
20.5 |
20.9 |
65 |
28.4 |
20.7 |
21.2 |
99 |
28.5 |
21.1 |
20.5 |
32 |
28.5 |
20.5 |
20.4 |
66 |
28.5 |
20.7 |
20.3 |
100 |
28.6 |
21.2 |
21.0 |
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→ エクセル2003データファイル(ダウンロード)
この計測の結果と銅替りの存在などの傍証をもって、H氏は現在業界で存在自体が懐疑的な明治吹増銭の存在を間接的に証明しようと試みたのです。私もH氏から頂いた資料から同じ結論にたどり着きました。詳細はH氏 密鋳銭コレクションボックスと1月23日、2月8~9日の製作日記をお読み下さい。 |
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文政小字大様銭
外径29.0㎜ 内径20.85㎜ 重量5.5g
H氏からお送りいただいたものの1枚です。
画像を切断して重ねると通常銭と銭文径がぴったり重なります。すなわちこれも単純に輪幅の広いもの。
でも少ないのですよこのサイズは・・・。 |
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明和期俯永焼け伸び銭
外径29.45~55㎜ 内径21.8㎜ 重量6.3g
さすがにこれは焼け伸びですね。内径が異常に大きくなっていますし、全体的にだらしない風貌です。外径も一定していません。
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手持ち品との合成画像
輪幅に若干のブレがあるため外径はぴったりあいませんが文字位置、内径はどんぴしゃですね。
製作は全く普通の通用銭。厚みも普通なので単独では気づきづらいと思います。
S氏説の祝鋳銭説も考えられますが、このようなものを見ると単なる鋳造のブレなのかなぁ・・・とも思ってしまいます。
※左側の銭はともかく分厚いので初出銭とも考えられるのですけれど・・・。 |
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2月23日 【古泉家列伝】
贋作者列伝に続いて、古泉家列伝をつくろうかと考えてたのですが、なにせ情報がなくて踏み切れません。また、ジャンルや時代、功績も様々でどこまで書くべきか迷っているというのも実情です。はずせないところは以下のあたりでしょうか・・・
青寶樓:小川浩 穴銭堂:増尾富房 天保堂:瓜生有伸 麗悳荘:平尾賛平(聚泉) 銭幣館:田中啓文(邦泉) 花林塔:三上香哉
天顕堂:大川鉄雄 ・・・大収集家、研究者、著述者ということで挙げてみましたが、やはり絶対的な情報が少ないですね。断片的ですし・・・。天保銭、絵銭とか安南銭とか、ジャンルをしぼればもっと出てくるでしょうけど、存命中の方については書きづらいですしね。
古泉家の個人情報は意外に残っていないようですね。困るのがマイナスの情報の取り扱いです。この世界、変人スレスレの個性豊かな方が多いのです。私もそのひとりなのかもしれません。
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2月19日 【アンサー記事】
東北のS氏からお便りが届きました。(ありがとうございます!)
ホームページの記事についてですが、月刊ボナンザ誌第6巻第7号(昭和45年7月号)の銭弊館第46回の記事を見ると、大正12年の貨幣51号に鷲田呆仙氏が発表した「皇朝古代銭の製作上における特点」の中でロクロ仕上げについての記述があるし、「穴の細道」の安達呑泉氏の「皇朝銭の鋳銭技法と真贋の見分け方」にもロクロ仕上げについての記述があります。月刊ボナンザ誌の「日本のコイン何でも百科」の文章はこれらの記述を参考にしていると思われます。「皇朝銭の仕上げ方」の図の方は、昭和47年に頌文社が発行した貨幣手帳7ページに掲載されているものを流用したものと思います。
※銭幣館で確認しました。上記記事はすべて復刻版銭幣館第一集に掲載されています。図版は銭幣館第42回の記事にも見られますので、田中啓文氏の考案なのかもしれません。この記事は皇朝銭研究をする人にとっては貴重なものですね。
文政小字の大様銭ですが、私も29.00ミリのものを1枚だけ持っています。一昨年、選別済で小字だけしか入っていない約500枚の赤銭の中から大きいと思われるものと未使用肌のものを選んで、南部コインズの故奥井氏から100枚購入しました。29ミリの次に大きいものは28.60ミリです。大様銭や仕上げが丁寧なものは銭座が特別に作った祝鋳銭ではないでしょうか。
と、いうわけで画像も頂戴しています。 |
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文政小字の大型銭
(外径29.0㎜、内径20.9㎜、肉厚1.2㎜:S氏提供画像)
ついに出ました文政の特大銭!確かに大きい。これは内径が飛びぬけて大きいのではなく普通銭がそのまま大きくなったものですね。ところで私の所有品とは大分雰囲気は違いますね。
祝鋳銭説ですか・・・あるかもしれませんね。清朝銭にそんなものがありましたっけ。(内延銭?)そうなると明和にもあるかもしれません・・・焼け伸びの疑いなくきれいなものの出現を待ちます。
※明和期大型銭は内径が大きくなるのをどう考えるかも必要ですね。 |
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2月18日 【当四大型銭について】
四国のK氏からの投稿画像です。(感謝!)普通に見える短尾寛ですが外径28.6㎜、内径21.2㎜、重量4.9g・・・この大きさは母銭サイズなのです。明和期の大型銭についてはときおり見聞きしておりますが、正式に採譜されているものは新寛永通寶カタログぐらいでしょうか?拓影全集には参考品での俯永掲載がありますが、焼け伸び風。青寶樓譜には大型、小型で掲載されていましたが、これは普通品と磨輪銭のようです。一方、貨幣86号(大正15年5月)にも俯永の大型銭の記載があります。記憶に新しいところでは製作日記2010年10月20日記事中にもあります。しかし、これをどう評価するかはまだ定まっていません。と、いうのも火中品ではないかとの噂が絶えないからです。 |
画像などで見たものの多くが明和本来の色よりくすんだ感じで、これは投稿画像にも共通することです。
かくいう私もしっかり短尾寛のコーナーに大型銭を掲載していましたね。(2006.6掲載)外径28.2㎜、内径20.2㎜です。すっかり忘れていましたが私自身の判断はやはり焼け伸びではないかと疑っていました。所有品もかなりしっかりしたつくりですが発色はいまひとつです。つまり、いまのところ完璧な大型銭の存在は確認できていないのが実情です。現段階ではこれらの銭の評価はグレーゾーンのまま。
どなたか完璧な大型銭をお持ちの方・・・ご連絡下さい。
※エセ大型銭には私もかなりひっかかっています。あえてそのままHPに掲載しているグレーゾーンの品もあります。お金を払って入手するときはこの手のものは参考品だと思って下さいね。(後悔をしないように・・・。叩き伸ばし・圧延・焼け伸びのなんと多いことか。)
※私お気に入りの大型銭は文政期小字の大型銭と享保期佐渡銭の大型銭。
いずれも特別展示室に掲載されていて(その6とその11)掘り出しもの。文政小字は初出とおぼしきもので普通通用銭の極端に輪幅が広く分厚いもの。佐渡銭はある意味本当に特別な香りがします。しかし、こちらの素性は全く不明です。(民鋳母銭のできそこないか?)
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※2月3日の記事への補足(神奈川銭幣館さんからの投稿:原文抜粋)
(前略) 和同開珍のロクロについてですが、造幣局編纂「貨幣の生い立ち」(朝日新聞社刊昭和15年発行)P5に記載されています。この図書ですがその後「日本の貨幣」(朝日新聞社)、日本通貨変遷図鑑(大蔵財務協会)、通貨一千二百五十年図鑑(同編集委員会)、日本貨幣史(学術協会)が同じ内容で発行されています
。ただし、この本は塚本豊次郎著「日本貨幣史」(大正14年発行)をかなり参考にあしており、図版等も多くが転載されております。しかし、このロクロの図は上記塚本豊次郎著「日本貨幣史」には記載されていません。ボナンザは、この記事を引用したのだと思います。
なお、塚本豊次郎は造幣局の職員で「貨幣沿革録」「本邦通貨の事歴」など貨幣の研究者としては第一人者だと私は思います。
そして、「日本貨幣史・附金座考」は「大日本貨幣史」とならぶ明治から戦前に記された貨幣の基本文献だと思います。
※非常に詳しい説明ありがとうございます。ものすごい博識。私は上記資料などほとんど目にしたことがありません。今調べたら日本通貨変遷図鑑だけ保有していました。ただ、あまりに古くぼろぼろで怖くてほとんど開いていません。(鋳銭図解のみ眺めていました。)
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2月16日 【机の上の未整理品】
最近は何でもかんでも手を出してしまうので、机の上が乱雑です。気分が乗らないと片付けたりしないので、折角もらった資料や入手した古銭がそのままになっていたりします。不知天保銭だの、H氏から頂いたものなどが(フォルダーに入れましたが)名前も書かずに転がっている状況。ただ、ここしばらくはハズレはあってもあたりは少ないですね。変造、贋作も多いし・・・。最近の入手品でまぁまぁの未整理品。不知細郭手の鋳写しタイプ。郭内のやすりが変わっています。野崎コインで購入した琉球・・・これはまとも。1月28日の記事にある離郭。未使用美品でしたが普通の広郭。正字背異の反足寶・・・まぁ、これはよくある品。古寛永太細の幺永・・・購入名は幺永手でしたが、紛れも無く幺永・・・少し得をしました。これ2月1日の記事にある斜寶のおまけで買った品。ただし、斜寶は全く普通の品でした。母銭を見た後(1月30日記事参照)だったので違和感を感じたらしいです。ネットで落とした仰寶銅銭・・・これは気晴らし・・・でもまともな品。琉球の中字肥字十進當赤銅銭。この書体は中字の中の名品とも言われるもの。 |
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2月14日 【野崎コインにて】
仕事の関係で東京都内へ。少し早く仕事が終わり、ちょっと寄り道。久々に野崎コインに立ち寄ってみました。
数年前、サラリーマンから転職した?息子さんがお店番をしていてしばし店内を物色。店内はところ狭しといろいろなものが積まれていて、大きな地震が起きたらきっと大変です。中野ブロードウェイの2階は現在でこそ秋葉原と並ぶオタクの殿堂ですが、その昔は行き方すら分かりづらい隠し部屋のような存在。(エスカレーターは3階直通で2階は階段でしか行けない?)フィギアやおもちゃがきらびやかに並ぶ横で妖しいメイドマッサージがあり、その向かいには古き良き東京の下町の情緒あふれるあぶらぎった飲食店が残ります。
天井は低く、店は狭く、品物とギラギラした欲望がぎゅうぎゅう詰め込まれている・・・それが中野ブロードウェイのイメージです。
野崎コインはそんな妖しい桃源郷の一角を2区画占めている、昭和の古銭店の香りあふれるお店。雑然と詰まれた荷物もまたオブジェになってしまっています。小さなものでもよいから購入してゆこうと考えましたが、なかなかメガネにかなうものが見つかりません。価格は強気なので購入側としては弱気になってしまいます。小一時間物色していたら1枚の真っ赤な琉球通寶に目が止まりました。
私の白銅銭好きはあちこちで書いておりますのでご存知の方も多いと思うのですが、柔らかな感じのする赤いものも実は好きなのです。琉球は赤・黄・淡茶・黒茶など色々な色調があり稀に白銅もある・・・と本にはあります。(私は完全に白い琉球は未見です。)
赤い琉球ははじめて仙人にお会いしたときにお譲り頂き、その存在を意識しました。書体によって多い色があり、中字の黒褐色、小字の黄銅色、大頭通の赤褐色などよく目にする色調もあります。目に留まった琉球は平尾球。若干の輪の鋳不足などはありますが文字抜けは良く、何より発色が自然で美しい。ただし価格的には完全に予算オーバーです。そこは収集家の悲しい性で手ぶらで帰るのが惜しくなり、かくして福沢さん4人とのお別れです。
コインブームの時にはたくさんあった古銭店も今では希少価値の存在。今生き残っているのは地道に商売をしてきた人たちとその後継者たちでしょう。古銭収集を楽しむ人々も高齢化している昨今、コイン商も協会も目先のことばかりでなく、底辺のマニアを育てる工夫が必要だとひしひし感じます。とりくむべきことは・・・
1)低額品をメインにした楽しいコイン収集教室や収集用グッズの開発。若年層マニアの開拓。昔の現行コイン年号別アルバムのようなものや展示して楽しめる収集・鑑賞グッズなど。一方で、未だに売り物を見るコインクリーナーなどは専門家の視点から見て排除すべきだと思いますが・・・。
2)文献の著作管理権を協会に移し、再販を容易にする工夫・・・安くて分かりやすい泉譜の普及を!
3)贋作の追放。贋作は売買取引の責任までを明確に。(クーリングオフ期間とは別に・・・)最近はオークション商品でさえあぶない!
4)購入転売の商売から委託販売、手数料商売へ徐々に移行することも考えるべき・・・儲けは少なくとも売買移動を活発に!
5)接客技術力を磨く。およそこの世界の人は接客技術がどうのこうの以前のお店が多い。相手の出方、ふところ具合を見て媚を売ったり・・・。極端に言えば山師的、排他的、自己中心的、独善的、閉鎖的、オタク的な集団と思われてます。普通の接客、丁寧、親切な説明をするだけで充分ですが、服装はもう少し気遣うべきでしょう。
6)展字や店作りの改革・・・もっと洗練してきれいにおしゃれにしましょう。貴金属、古美術、アクセサリーなのですから。
7)ネット入札誌をつくるのはいかが?玉石混交のネットオークションより、信頼のおけるサイトを構築したら?
など、いかがですか?
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2月9日 【明治吹増銭に対しての考察】
H氏から投げられた命題をずっと考えていました。1枚の密鋳銭でこれだけ想像が膨らませられるというのはすばらしい。今日は休暇だったので終日H氏から分譲寄付いただいたガリガリ手俯永を眺めていました。また、古い収集や貨幣誌を引っ張り出して関連記事も読み漁りました。ガリガリ手=明治期吹増説(H氏仮説)はなかなか面白い。たしかに製作中心に見たら同じようにも思えます。
このH氏の仮説は
①明治期吹増銭の正体は何か?(吹増なのか、文政期末炉銭なのか?)
②なぜ時代が異なると思われる未使用銭が同じ挿しに入っていたのか?
③ガリガリ手=明治期吹増銭なのか?
という3方向からもアプローチ検証する必要があります。
自分なりの方向性は出ていますが、もう少し結論は先にしたいなぁ・・・まだ、酔っていたいと考えます。
ところで調べ物をしていたら貨幣誌原品の品らしきものを2枚見つけてしまいました。いずれも特別展示室に掲載している品でした。
→ 濶縁小字 → 打印銭銀寛永
濶縁小字は旧貨幣誌の原品であるらしいことは聞いていたのですが復刻版で記事が見つからなかった品。まさか新寛永の部に入っているとは思わなんだ。(分類ミスでしょうね。)名称も俯頭永正足寶・・・名前も現代と異なりますが、むしろ当を射ています。
打印銭銀寛永はそのすぐそばにあった記事。こちらは見覚えがあったので照合してわかりました。
※H様、たくさん古銭をお譲りいただきましてありがとうございます。本来ならばすぐにお手紙をお書きしなければならないところ、取り急ぎこのページで御礼申し上げます。 |
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2月8日 【H氏から再び】
帰宅するとポストに封筒がありました。落札品が届いたと思い封を切ると古銭とともに請求書ではない手紙が・・・。H氏からです。(以下H氏からの手紙を省略記載します。)
(前文略)さて、あの密鋳銭はすべて未使用に近い状態でした。あれは昨年の暮れに四文銭5000枚程の中に7挿しの未使用挿しがありました中より選りだしたものの一部です。(ほとんどが文政小字ですが)文政、安政、江刺、踏潰、不知とが混在して入っておりました。
(中略)文政から安政まで40年間ございます。文政のみの挿しであったならまだしも、他の時期のものと未使用状態のまま交ざることはちょっと考えられません。
(中略)それで残っている文政小字、俯永などをよく見ましたら、面背の仕上げが粗砥石のままで輪側にも砥石(やすり)の目が残るものが大多数でした。中にはガリガリ手のごとき輪側に粗砥石(やすり)目が残っている物もあり、また文政にしては金質も硬い感のものや、明和に近いものまで色々でした。
私思うに、斯界の一部で言われている明治期吹増銭であれば銭径、仕上げ、金質にばらつきがあっても不思議ではなく、また未使用状態が交ざっていても納得できます。(中略)
ホームページをご覧になっている古銭収集研究家の皆様の忌憚のないご意見をお伺いできれば幸いです。(後略)
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さて、わがHPをご覧になっている皆様方、H氏の説に対してご意見をお待ちしております。 |
→ 補足と浩泉丸の推論 |
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2月3日 【ロクロ仕上げ考】
ロクロ仕上げというとつい「安政期当四銭の技術かぁ・・・」と思ってしまい勝ちですが、古~い技術であることがこの資料で分かります。実はロクロ仕上げの道具について調べていて、どこかでこの資料を見たなぁ・・・と必死に探しておりました。
ボナンザの「日本のコインなんでも百科」で再発見したのですが、まさか皇朝銭の記事だとは思わなんだ。
この本は総じて当時の真贋判定を鋳造方法に基づいて説明している記事が多いのが特徴です。(ただし、誤りもあります。)
私の記憶にあったのは、仕上げのときに使用していた右側の奇妙な道具で、私は海賊フック船長の鉤爪をイメージしておりましたが、今、改めてよく見ると鉤のように見えるのは削りカスのようで、工具自体はノミ(タガネが正しい)のような形状みたいですね。(ただ、この工具も近代工具からの推定なのかもしれません。図で銭は時計回りに回転しているように思えますが、これさえ怪しい。当時の工具の耐久性からはこの方法では難しそうで、横方向の条痕の痕から私は荒砥石を当てたのでは・・・と推定しています。) |
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2月1日 【雑・雑・雑・・・】
早朝の段階でアクセスカウンターが259970回あまりでしたので、おそらく今日中に26万回に達すると思います。このような駄文HPを見て頂き本当にありがとうございます。
ところで・・・
大和文庫に出ている斜寶大様はちょっと変な印象。濶縁で文字が縮小しているようでもあります。画像では良く分からないので在庫確認をメールでしてしまいました。3000円で夢を買うつもり。90%勘違い・・・多分、普通の斜寶広郭かなんかなのですが・・・。
先月の下町の入札には不知広郭手の名前で離郭正百が2000円で出ていましたね。拓の誤りかサービス品か?お気づきの方もたくさんいらっしゃったと思います。応札してみましたが、1万円ぐらい出さなければだめかなぁ・・・でもそれじゃたいして得になりませんので思いきって安めの設定で応札。これもまた宝くじ感覚。落ちればラッキー、落ちなくてももともと・・・でも少し悔しいかなぁ。
1月28日の落札品が届きました。49.6×33.05㎜、25.2gの大ぶり銭。大ぶり銭であって濶縁手ではありません。内長径は44.2㎜ありましたから・・・。極印も普通でした。ただし、未使用色が残る美銭であります。
Ⅰ氏から頂戴した天顕堂遺愛品譜はすごい品のオンパレードですね。最近入手した銭幣館蔵泉録と重なるものもたくさんあるのではないでしょうか?
私は泉界に疎いので、天顕堂(大川氏)、銭幣館(田中氏)などの往時の泉家の方々についてあまり知りません。泉家の素顔に関する資料は(ないわけではないのですが)まとまったものがなく、名前は残っていても功績まできちんと記されたものはあまり見かけませんね。まぁ、いにしえの泉家はものすごい大金持ちであったようですので、私など足元にも及ばず、無論比べるべくも無いのですが・・・。どなたか歴代の泉家の功績について調べて教えて下さいませんか?
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1月30日 【珍古寛永を逃す】
ここのところネットでは新寛永や天保銭の競争が激しく、ほとんど収穫らしいものがありません。そこで方針転換で古寛永を狙ってみました。と、いうのも斜寶の美しい母銭(26.2㎜)や沓谷銭(称:鳥越銭)の濶縁が格安で出ていたからです。斜寶は競争の香りがぷんぷんしてきたので狙い目を沓谷銭の濶縁にしぼり、いざ出陣・・・とパソコンを開いたらあえなく終了の文字・・・時間を間違えました。いたたたっです。
しかも落札値は私の500円増し、残念!これも奇品館行きとなりました。
※斜寶は50000円、それなりの価格ながらお買い得か? |
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例によりまして画像借用しました。お許し下さい。それにしても美しい! |
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1月28日 【濶縁手?大ぶり銭?の未使用級離郭】
ネットで見つけた未使用クラスの離郭広郭。無視しようかな・・・とも思ったのですが妙に輪幅が広く見えるため気になってしまいました。
例によって価格を入れてほったらかし。結局落札しましたが2万円超はかなり痛い。ただ、この手の輪幅の広いものには玉持ち極印銭が時々見つかるようです。
軽い気持ち、宝くじ感覚ですね。
ただ、落ちてから解説文を読むとどうやら大ぶり銭だったようです。(長径49.5㎜、重量25g超過)
離郭もずいぶん手持ちが増えました。何か面白い変化があったらうれしいですね。 |
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1月26日 【アルバム整理、その後】
久々の休みを利用して密鋳銭について再整理しました。たかだか200枚ぐらいと高をくくったのですが、けっこう考えさせられました。
今までの分類は経験と我流・・・そう、このHPは私の独善で書かれていることを思い知りましたね。
穿内仕上げについてあまり深く考慮していなかったこともあり、もう一度分類が必要だなと痛感しています。
加護山銭については風合いの似ているものを充てていましたがそもそも加護山で四文銭がつくられていたかどうか、どんなものが作られていたかでさえ不明です。
江刺銭は先輩方の研究にしたがって分類しているものの、実はかなり風合いの異なるものが含まれています。典型的なのが俯永で永下が凹輪(俯永C)はたまたまかもしれませんが製作が非常に立派で大きく、銅色も褐黄銅色で肌も滑らかで穿内仕上げもされていますが、小字CとかGなどは地肌はざらざらぶつぶつ、赤い銅質で製作もかなり違う・・・実はこれは個人的に浄法寺としていたもの該当します。
したがってブックの中でこれらは分けておきました。(そのうちめちゃくちゃになってしまうでしょうが・・・)
一見同じようなものでも砂目や穿内やすりを見ると異なる感じのものもたくさんあり、もう何がなんだか分からなくなってきました。
H氏の送ってくれたものは未使用に近く、側面の仕上げ目もはっきり分かりますが、手ずれした所有品は判別が難しいということもあります。とりあえず似ているものどうしを集めてみましたが、境があやふやで・・・。
黄銅色で斜めやすり仕上げの一類、黒っぽい赤同色で美制のもの、正字で赤同色で砂目の粗いものなど同類と考えられるものなどもいくつか見つかりましたが完全分類はまだまだサンプル数が少なくて困難ですね。あるいは同炉であっても時代によって仕上げ方法や銅色が変わってしまったかもしれません。何せ当時は材料を集めるのも困難な時代でしたから・・・。
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H様・・・取り急ぎ返送しましたので、包装も不十分、お礼状の添付も忘れてしまいました。
私のような若輩のものに貴重品をご送付戴き、本当にありがとうございます。密鋳銭の魅力に目が覚まされた思いが致します。今後とも何卒ご指導のほど宜しくお願い申し上げます。
本来ならば密鋳部門は全面的に書き直しが必要な気がしますが、時間がかかりますので今しばらくご猶予のほどお願い申し上げます。 |
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1月25日 【完敗、おみそれしました!】
古寛永の水戸長永銭・・・ただし背がすごい!錯笵で二輪写っているのはまずないと思ってよろしいもの。欲しかったのですが相手が悪かったですね・・・想定価格の倍以上になってしまい、最後のあがきも無理・・・あきらめました。今日は絵銭寛永の大念仏も負けました。(正確に言うとこれから負けます。)
H氏の要望に応えて密鋳銭のアルバムを探索。改めて製作を精査するもののこれぞ踏潰・・・という写しはほとんどありませんねぇ。明らかな縦やすりのものも1枚ほど・・・しかし、手が違う。ロクロっぽい仕上げも少ないですね。3枚ほどありましたがロクロとは言い切れないかも。
収集家としてはまだまだです。
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1月24日 【久々のアルバム整理】
整理といってもバラバラになった銭をホルダーに入れてアルバムに入れるだけ。説明も書いてなければ、分類名も書かない。
とりあえず同じ類をまとめておく作業。何せ、HPをはじめてからこの作業をずっとサボっていましたし、入手した貴重なものもスキャナー撮影したあとほったらかしに近い状態で机の上にじゃらじゃらありました。
ときどき出かける古銭会に持ってゆく超貴重品もそのままあるなど考えたら信じられない状況。卓上に置かれた未整理品はおよそ100枚。そもそも片付けようと考えたのもH氏のおかげ・・・比較しようとアルバムを開いたら・・・抜け穴だらけ。
これはいかんと考えたわけです。しかも私の机の上は愛猫のお気に入りの場所。
パソコンの吹き出し口の温風が気持ち良いらしいのです。
かくして深夜の整理となりましたが結構大変でした。とりあえずアルバムに入れただけですが・・・。中には行方不明になっていたものもあり、やっきになって探しました。日荷堂、踏潰小字手・・・探してしまいました。折二様、打印銭類、島屋文なんかも放置状態・・・あぁあぶない。全く別のアルバムに入っていたなんてものもあります。昔はきれいに名前を書いて、定期的に古くなったホルダーは交換し、背に解説文まで印刷してつけていたのに・・・いまはかろうじて天保銭だけそれを継続しています。
時間こそかかるものの趣味としての分類整理はお金がかかりません。反省しなくちゃ・・・。 |
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1月23日 【H氏からの贈り物】
自宅にいると書留郵便が・・・。ちょっと重い。中を開けると寛永銭の小束。仙台古泉会のH氏からです。これはうれしいお年玉・・・と思い、ひょっと銭面を見ると・・・あらら文久様がある。これはプレゼントじゃないな・・・と直感しました。
女房に・・・これらはウン十万の価値がある銭束だ・・・といったものの冷ややかな反応でした。なんでも、送られててきたのはH氏保有の不可思議な密鋳の一群です。私の記事に応えて私を信用して送ってくれたものらしいのです。
この手のものの分類は・・・推理小説のようなもの。同じ製作のものを集めて楽しむのが得策ですね。踏潰様とか踏潰系とか私も書いていますが確証があるわけではない。似ているところがあるということ。断片的な傍証の積み重ねだけで、文献も無いので結構いい加減でした。
もう一度、銅質、鋳肌、ヤスリ(砥石仕上げ)の有無とその方向、穿内仕上げ・・・仕上げの順序やヤスリの入る方向まで考える必要があるかもしれません。
H氏も悩まないほうが良いとおっしゃるのですが、このH氏の所蔵品について正体は何者か、分類をどうするかを皆様お手元の類品を探してお考えの上でご意見下さい。(踏潰・江刺などの定義、類似品の細分類について)
私はあまり考えなく、風貌だけで分類を決めているところがありましたので、もっとルーペなどで拡大して、仔細観察する必要があると改めて考え直した次第です。H様、ありがとうございました。
なお、あまり長期間手元においておくと猫がおもちゃにしたり、なくなったり、欲しくなって返したくなくなりそうなので突貫でコーナーを作成しました。計測値は入れましたが、銭を傷つけないように0.1㎜刻みのプラスチック製デジタルノギスで計測しましたので、多少誤差がございます。 → H氏 密鋳銭コレクションボックス |
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1月22日 【密鋳一文銭の楽しみ】
最近、ネット上のライバルが増えて少しでも変わりものが出ると競り合いが激しくなっています。そのため私も本道からはずれて収集は絵銭、密鋳四文銭、上棟刻印銭、面背逆製、銅替り、安南銭、錯笵銭・・・とまぁ様々変遷(寄り道)をしてきました。しかしこれらの変わりものにまで大金を払うのはさすがに忍びないというのもまた本音です。手変わりや兄弟銭探しの旅も面白いでしょうが、いまひとつのめり込む興味が沸きません。
と、言う訳で最近の私は天保銭90%の方向性になってしまっていましたが、そんな状況の中で最後の聖域と思えるのがこの密鋳一文銭類です。これらの人気がいまひとつ無いのは、粗末だということに尽きます。それは採算性の問題があったからで、当時、小額貨幣の需要は高かったにもかかわらず、摘発のリスクに見合う収入が得られなかったからだと思われます。コストを考えれば高額貨幣の密鋳のほうが確実なのはお分かりでしょう。
また、研究的側面から見れば、細分類困難でものによっては状態の悪い次鋳銭との見分けがほとんどつかないことも原因になっています。
さて、画像上は元文期日光銭の次鋳写し・・・厚肉で背が濶縁広郭です。次鋳銭より内径が小さいのが判別の決め手。側面のやすりと穿内仕上げも違いますね。下は小梅手の仰永あたりの密鋳銭。しかも面背逆製です。
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年初は行く気満々だった八厘会ですが、新年会行事と家族の健康問題が重なって参加できなくなってしまいました。仙人様ごめんなさい。 |
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1月20日 【収集掲載!】
昨日帰宅すると・・・謹呈と書かれた収集誌の袋が。そうだ、栗林広穿異書大様未仕立母銭の記事が載ったんだ!・・・と思い早速袋を開けますと、おぉっ!表紙に掲載されています。
ここまで来るまで半年あまり、発見者のK氏の感激もひとしおでしょう。私が余計なおせっかいで動いたのですが、結構時間がかかってしまいました。と、いうことで記事を探すと・・・残念ながら半ページほどの小さな扱い。
う~ん、天下の大発見のわりに扱いが小さい。もっと大騒ぎしても良い内容のはずなのですが、写真ももっと大写しで載せて欲しかったなぁ・・・。まぁ、第一段階はクリアですから、今後この存在がもっと泉界で広まることを期待します。何せ、この発見は古銭界の常識(栗林広穿異書は未仕立の小様母銭しかなかった)を覆す発見なのですから。
※子供がインフルエンザで学級閉鎖。しかも、しっかりおみやげをもらってきてしまいました。予防接種をしていたのにもかかわらずです。近隣の子供もみんなやられているとの話。実は私の職場も事実上の対外閉鎖状態になっています。皆様、寒さ厳しき折お体にご自愛下さい。
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1月16日 【逃がした魚?】
大和文庫のHPにある即売品・・・良い顔をしています。気づいたときはもう遅く販売済み・・・悔しい!この顔、踏潰の顔に非常に近いものがある・・・もしかすると踏潰小字写でよいかもしれません。
この手の色は東北でもかなり北の位置辺りの出と聞いたことがあります。延展の雰囲気もあるし、とにかく手にとって見たかったです。
奇品館行き決定の品です。
それと・・・文源郷氏の正字縮文が出ています。氏が30年以上探しても2枚しか見つからなかったという逸品。私としては限界値までつけたつもりがまだ最低価格に届きません。もう限界???
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踏潰銭研究家の東北のSさんから・・・踏潰小字手で間違いないとのこと・・・情報ありがとうございます! |
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1月12日 【天保銭祭りだ!】
12月の穴銭の落札品が到着。寛永銭は全滅。天保銭が6枚+本1冊(即売品)の成果でした。残念ながら草点保小頭通と影の本命だった細郭手寶下刔輪、仙台長足寶小様などはいずれも敗退。いずれも銭譜原品の名品でしたので欲しいという気持ちとともに、全部落ちなくて良かったと安堵する複雑な気持ちが交錯します。実は駿河でも天保銭3枚を落札していますので当面は楽しめそうです。しかしながらほとんどが1~2万円の商品なので安物買い・・・しかし銭失いです。
画像左上は今回入手の中の最高級品にして唯一の銭譜原品、当百銭カタログ(No219)、不知天保通寶分類譜(下巻51P)などを飾った名品で、超極美品です。名品は存在するだけで風格がありますねぇ・・・。まぁ、この手は良くあるものなのですがね・・・。
右上は時おり見かける縮形銭ながら、しっかり覆輪もされているもの。分厚く重く、極印はまん丸です。(→ 天保通寶極印図鑑)
背郭は篏郭されたのか広郭気味に変化しています。秋田小様のようで可愛い・・・私は大好きになりました。
中段左は細郭手の覆輪銭。背錯笵でもあり、非常に重量銭。しかも左右の厚みが不均一で左側3㎜、右側2.6㎜になっています。面側の寶下が刔輪されていて背との輪幅のアンバランスなことこの上ない・・・楽しい品です。
中段右から下はおまけの落札品たち。いずれも鋳写の天保銭。お安いのですが私はけっこう良い値をつけてしまったかもしれません。中右と左下は若干覆輪されているようですね。
これら全部あわせても入手できなかった名品の出品価格にも届かないのですから、経済的には助かったといえるのですが、それでも痛い出費には違いはありません。それにしても銭譜原品の輝いていること・・・。
※ネットに水戸遒勁らしきものが出ています。しかしすでに高騰。画像不鮮明で確証が持てませんので参戦は取りやめ。お金ないし・・・。
ただし、個人的な印象としては好きになれません。色が黄色く、彫りが深すぎる・・・本物ならば名品ですがハズレの可能性もかなりある。少なくとも今の私には勇気はありません。
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不知長郭手覆輪刔輪張足寶
長径49.35㎜、短径32.55㎜、重量19.6g
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不知長郭手覆輪縮形背広郭異極印
長径47.95㎜、短径32.05㎜、重量23.2g |
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不知細郭手覆輪(刔輪)
長径49.2㎜、短径32.75㎜、24.2g |
不知細郭手鋳写
長径49.1㎜、短径32.5㎜、重量20.8g |
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不知長郭手鋳写
長径48.55㎜、短径32.0㎜、重量18.9g |
不知長郭手鋳写
長径48.8㎜、短径32.1㎜、重量21.4g |
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1月9日 【中村氏はいずこ?】
ボナンザにあった会津異天の持ち主の中村氏・・・好奇心が抑えられない私は、中村氏(とそのご家族)あてに手紙を書いてしまいました。幸い会津若松南町の住所がボナンザに書いてあったのです。
しかし、なにせ今から30年近く昔のこと・・・果たして、中村氏がご当地に住み、ご健在で、今でもこの天保銭を保有しているのかどうかも分かりません。それでも自分なりに手紙をしたため、資料を同封してやるだけのことはやってみました。(思い立つと行動が早いのも私らしい。)
しかし、残念ながら昨日あて先不明で戻ってきてしまいました。
NTTで調べたら同町に中村家は1軒しかないようですが、果たしてそのご家族なのかも分かっておりません。会津古泉会の方に問い合わせてみましょうか?謎の探査はもうしばらく楽しめそうです。
※個人情報保護の関係からフルネームは書きませんが、どなたか情報をご存知の方いらっしゃいませんか?
ところで・・・今年最初の収穫、秋田細郭が届きました。背が長郭気味で可愛いやつで、ネットオークションで2万円ほどで落ちました。2枚目なので盆回し用にも良いかな? |
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1月5日 【年賀状から】
年賀状が続々届きます。交際範囲が広いというか、習慣で出しているのですごい量になってます。その昔、身内に選挙に出た者がいますのでどうしてもこの手の連鎖が止められないんですね。女房には「あんた議員になる気なの?」とまで言われてしまいます。
今年も結局400通に迫っています。これだけ多いと漏れも多いんですね。出し忘れた方・・・ごめんなさい。もうすでに誰に出したか把握できなくなってしまっています。
それにしても古銭関係の方々の年賀葉書は楽しい・・・(ただし、女房に言わせるとすごく変な)・・・ものです。代表的な図柄をば・・・
左上は四国のO氏から・・・これは有名な加治木大中です。私は専門外ですが迫力を感じます。
そして左中央は・・・中部地方のY氏のもの・・・あの、私も熱狂した銀座コインオークションに出たものと同じ品?ではないですか。Y氏は延尾永昂寶彫母銭としています。いずれにしても私にとっては雲の上の存在。ご来光のようなもの・・・ありがたや・・・。
左下は九州のK氏から送られてきた大型の丸屋銭。なんと26㎜超過・・・大型母銭クラスです。やはり母銭かな?
右上は東北のS氏の草点保。朱書きも鮮やかな伝世の美品です。
ハイライトは東北のH氏からとどいた明和俯永面背刔輪・・・添え書きがすごい・・・2枚目だって!
最近の銭譜ではこの存在に否定的な意見がかなり見られますが、今年原品(1枚目)を拝見しましたが全く矛盾のない品でしたし、H氏の審議眼は私の節穴とは異なりかなり鋭いのです。
Y氏の寛永銭もそうですが、これも収集の表紙を飾るべき品ではないでしょうかね。とにかく明るい話題ですね。おめでとうございます。 |
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その他にも賀状をたくさん戴いておりますが、掲載しきれないのでお許し下さい。
また、東北のS氏からはボナンザの記事が、そして方冠寶のⅠ氏からは天顕堂古拓本集のコピー資料を頂戴しました。
なかなか面白い資料で、見たことのない古拓もたくさん・・・これはのちほど紹介させていただきます。 |
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1月1日 【今年最初の情報】
例によって大晦日までしっかり働きました。自宅に着くとN氏からのお手紙・・・おお、天保通寶研究分類譜のコピーです。しかも第5巻とある・・・この資料益々欲しくなりました。そして例の天保通寶はまさしく拓と瓜二つ・・・原品のようです。
村上氏の命名は不知細郭手覆輪刔輪退口呆でしたので、それを尊重してHP内の名称も改めました。N氏も類品をお持ちのようで拓本とともに解説もついてきています。(右側拓本はN氏所有の類品)
この不知銭の特徴について、Nさんは雑銭の会の掲示板で以下のように解説してくださいました。
(前略)
今回の品は、Mさんの天保通宝研究分類に掲載されている類似品3枚(No1421、1422、1592)のうちの1枚で原品です。
これらの天保の特徴は
覆輪刔輪銭であること
中郭様であること
短尾通にも見えること
貝画下横引きが斜めになっていること
保字の口下の横引き棒が加刀され爪が無くなっていること
さらに最大の特徴は當字にあります。
1~3画が左より右に行くに従え大きくなり
口の下の横引き棒が途中で鋳切れ
田の横引き中央の棒が、中央近くで鋳切れ最終縦棒に接することです
さらにこれらの特徴を持った天保が他にもあります。類似貨幣カタログのNo217,218の短尾通細字です。違いは細字で保点が水戸繊字のようになっていることです。(後略)
すばらしくわかりやすい解説。そして現品を間近で見ないとわからない微細な特徴です。極印も○に十文字のような変わったもの。銅色も淡褐色で一緒です。 |
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名称改め、細郭手 覆輪刔輪退口呆 天保通寶研究分類譜第5巻 1421 原品 |
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細郭手 覆輪刔輪連玉寶(降点尓寶) 5巻 1422 |
N氏所蔵の類品(N氏提供) |
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覆輪刔輪銭であること
中郭様であること
短尾通にも見えること
貝画下横引きが斜めになっていること
保字の口下の横引き棒が加刀され爪が無くなっていること
さらに最大の特徴は當字にあります。
1~3画が左より右に行くに従え大きくなり
口の下の横引き棒が途中で鋳切れ
田の横引き中央の棒が、中央近くで鋳切れ最終縦棒に接すること
(拓図は村上英太郎氏 天保通寶研究分類譜より借り拓)
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中郭手 覆輪刔輪 5巻 1592 |
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短貝寶異天(ボナンザ83年8月号) |
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東北のSさんから連絡のあったボナンザ83年8月号会津若松の中村氏が投稿されたという会津短貝寶異天の拓。(東北のSさん・・・ありがとうございます!)
なるほど天保が雄大です。記事を入手したら追加報告します。
会津・・・といえば年末に出ていた会津天保8枚でしたが、狙った通り1枚は長貝寶に間違いなく、しかも未使用級の美銭でした。
関西のS氏の報告。(残念ながら私は競り合いに負けています。)
関西S氏の勇気を称えます!でも、ちょっと悔しい、うらやましい???
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