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落札した琉球中字が到着しました。肉厚が3.1~3.4㎜の極厚で間違いなく重量は30.6g。予測はしていましたが自分が入手できるとは思いませんでした。仙人様の29.7gの記録更新です。これで今年の収集は終わりです。どなたかこの記録に挑戦してみてください。さすがにここまで重くなると手にした瞬間違和感を覚えます。通常流通においても問題が発生しそうですけど、琉球だから問題なしかしら。天保通寶では浄法寺系で31g超えはありますが、浄法寺は江戸期の通常の流通銭ではないものだと私は考えています。 追加の画像は中国の康健さんから頂戴した天保通寶。分類に悩んでいるということですけど私も悩みます。ものすごく大きな画像だったので縮小してみましたが、それによって特徴が把握しやすくなりました。上段の天保は頂いた画像を始めて拝見したとき、焼け銭のように見えました。しかし改めて確認すると本座ではありませんね。製作も極印の形式も異なります。土佐や南部でもないし、水戸繊字でもなさそう・・・となると不知広郭手とするしかなさそうです。 下段はもっと悩みます。極印は左右とも同じような形状。三角形なのです。異極印だけで不知とする条件は極印がよほど変わっているか、否か。大量生産なので極印が破損することは時々生じます。本座であっても幕末~明治期は破損極印になっているケースも少なからずあると思われますので、このように極印が小さくなったケースで不知とするにはあと一歩のような気がします。それでもどちらかと問い詰められたら・・・不知広郭手に一応分類するかもしれません。ただし、審議品なのは間違いありませんので断定しきれないと思います。製作や銅質に矛盾がないですからね・・・銭文径と重量が知りたいです。皆様のご意見もお聞かせください。 |
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12月28日【30.6gの琉球中字】 おそらく今年の最後の落札品。琉球通寶の中字を久々に追いかけました。理由は重量が30.6gもあること。琉球の厚肉は私は29,6gが記録。(仙人様は29.7g。)今回はその記録を1gほど塗り替えました。琉球は比較的大ぶり銭が多く、25gクラスはときどきあります。しかし、27g以上はさすがに少なく、29g台は限界値に近いと思います。30gを超えるものは広郭では確認していますが、中字では存在を予告していたもののはじめて・・・とりあえず暫定ながら日本一です。そのため、3枚組の琉球に28000円以上支払ってしまいました。(馬鹿です。)中字の市場価格は5000円ぐらい(古銭店だと8000円ぐらい?)だと思いますから私は厚肉の中字に18000円支払ったことになります。たかが1g、されど1gの世界。プレミアムを1万円以上付けました。マニアの世界ですね。これで30gなかったら目も当てられません。まあ、極印も2ケ打ちになっていてちょっと面白いのですけど・・・。 |
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最近ネットで話題になった品です。寛永通寶はいわゆる正徳御用銭。間違いなく母銭のつくりです。ものすごく美しくてスマホで見つけて小躍りしました。ただ、色調がすごく気になりました。正徳御用銭の色調は文銭張りの黄色が正統派で、世の中には正徳期佐渡銭のような赤い色・・・赫褐色と言われる色のものが非常に多く、かくいう私のコレクションもその色で正直なところ気に入らないのです。 ではこの品がどうかと言えば、それにも該当しません。雰囲気が非の打ちどころもないだけに少し小心者の私は途端に怖くなりました。他の出品物も同じような感じなので不安はますます大きくなり、降りてしまいました。ただ、色なんてものはライティングでどうにもなるものでして、青っぽい色は蛍光灯か白色LEDライトの強い光の影響と言えばそうなのかもしれません。一緒に出ていた千木永なんかは良い雰囲気でしたから入手された方のご意見をお聞きしたいです。それにしてもきれいだなあ。 下段は反玉寶の仕上げ銭、しかも大様です。これはなかなか立派です。今では室場銭ですけど、昔、反玉寶は石ノ巻銭と学びました。石巻ではなく石ノ巻とカタカナの「ノ」もしくはひらがなの「の」が入ります。貨幣手帳では「石の巻」の表記でした。貨幣手帳で覆輪刔輪の代表銭のように書かれていて憧れたものです。ところが、初めて実物を見たときにはちょっと違和感を覚えました。そしてしばらくが後世の作であることを疑わなかったこともあります。中央会に持ち込んだのが木村昌古堂だったと思いますが、反玉寶の出現も怪しいのです。といころが、この反玉寶の小様の仕上げ銭が東北で見つかるんだそうです。それを見るとごく自然。それで見直しました。ただ、この大様の仕上げ銭との雰囲気の違いは著しいですね。反玉寶の大きなものは未仕上げのものが多く、仕上げ銭の中には木村昌古堂が加工したもの(未仕上げでは売れなかったため)もあるそうです。極印が違う(星型?)と聞きますが、私は見たことがありません。なお、反玉寶は背の當の右側の点側から離れる癖があります。右側の刔輪が少し強いのですね。 |
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たいしたものではないのですけどこのクラスのものの入手はちょっとうれしい。ネットにしてもオークションにしても最近は過激でなかなか手が届きません。ついこの前まで私自身が過激でしたから、ずいぶん丸くなったものです。本年に関しては薩摩小字と水戸揚足寶の連続入手で店じまいしてしまった感があります。店じまいと言えばオークションネットも終わってしまいましたし、世代交代感がすごいですね。都内のコイン店もかなり減ってしまいました。賞山堂・古仙堂・隆平堂さんなんかももうありませんよね。 今年は個人的にもいろいろありまして、上半期は本業で認可のトラブルが発生しまして大変でした。人に恵まれたおかげで、ずいぶん助けて頂き何とかクリア。心臓が止まるような思いをしました。 秋口は台風15号(大停電)、19号(竜巻)、21号(洪水)の3連発。そこに身内の慶事と不幸が重なり、大わらわです。信じられない風、停電、竜巻、大雨とまあ・・・この世の終わりかと思いました。このような気分は東日本大震災以来ですね・・・自分を試されているようでした。それでも何とか細々生きています。古銭は良い息抜きです。下の写真は自宅から少し離れた地区。しかし、日本の復興力ってすごいですね、東京電力は本当に頑張ってくれたと思います。この時の夜は本当に真っ暗で、信号も街灯もないので運転は怖かった。携帯のつながらない地区は、市の半分以上を占めもちろんテレビも電話もネットもダメ。品物も手に入らず、情報の大切さを痛感しています。 |
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こちらも中国コレクターさんの持ち物。 踏潰銭の俯柱永は寛永銭コレクターなら絶対欲しい品の一つです。大きくて美銭が多いのがうれしい。 もう一枚は、盛岡のマ頭通なんですけど、どう見ても母銭に見えない銅写し。中国でも専門用語があるそうで「鉄笵銅」・・・なるほど。大きく見えますが大きさは27.5㎜だそうです。泉譜にはあまり掲載されていないようですけど、時々出現するようです。私は浄法寺系の赤い写し1枚だけの保有。(どこかにもう1枚青黒い色調のものあったような気がします。)穿内の雑な仕上げがいかにも密鋳という雰囲気で、画像の品は文政期のような色が楽しい一枚です。 |
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12月8日【康健コレクション】 中国のコレクターからメールを頂戴しました。当初は画像の添付に気が付かなかったのですけど、改めて拝見するとかなりハイレベルなコレクションです。(斜珎は所蔵品ではないそうですけど。) 楕円形のお金は中国にはないため、天保通寶はかなり珍しがられると聞いたことはありますが、天保通寶の収集家はほとんどいないようです。中国にも日本の古銭(天保通寶・寛永通宝)のマニアがいたことはちょっと驚きであるとともに、なんとなく親近感を感じますね。 ※オークションネット最終回は全滅でした・・・やっぱり現地参加しないと負けますね。 |
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上段は侍古銭会のタジさんが老紳士から頂戴したという拓本です。もらったのはあくまでも拓本だけということですけど、長郭手の躍通ですね。下段はオークションネットの公開画像を拝借しましたがよく似ています。 躍通は天保通寶と類似カタログにおいて知りました。個性的な製作と書体でして素朴なつくりと言いますかおもちゃのような作りと言いますか・・・私が知る限りは一般的な泉譜には出てきていなかったのじゃないかしら。 拓本をタジさんに提供した老紳士は、元縮字宏足寶の持ち主ということですから群馬のK氏じゃないかしら。袖触れ合うも他生の縁と言いますので、タジさんとKさんは何かに惹かれあったのではないかと思います。 ところで、仙人様から勉強会の誘いがありました。日程調整を試みているのですけど、どうもうまくいきそうにありません。年末の日曜日・・・勤務日なんです。しかも講師担当。そして2日後は法人監査の日。厳しいです。 |
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11月27日 【美しき文銭母銭】 文銭に母銭なし・・・という言葉はよく聞きますが、これは紛れもなく母銭ですね。大和文庫の駿河に出品中ですけど、価格も結構強気です。昔、銀座コインオークションに間違いなく母銭という品が出品され、落札価格も5万円ほどだったと思います。市場などで文銭の母銭は良く拝見しますが、内郭仕上げが違うという触れ込みだけで、どこが母銭なのかよく分からないものが多く見られます。私が今一つ母銭集めに興味が持てないのが、この点が一番で、まあ、裏にはよく分からないものに高額は出せない(実は高くて手が出ない)というのが本音です。 中字の母銭として私がかつて入手したものは大きさが25.65㎜でした。これとて特別な品で、掲示品と同様に全体が黒ずんでいるのは材質の配合が異なるからのようです。 文銭に母銭なし・・・というのは嘘で、本当はありますけど納得のゆくものは数少ない・・・ということ。 |
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11月24日 【秋田本座写の真実】 天保通寶のうち、鋳肌が粗く、表面が強い砂磨き仕上げでざらついたものを「秋田本座写」ということがあります。 秋田本座写は明治期に秋田の古銭研究家、布川新栄堂氏の発見経緯から確定されたようで、この件は旧貨幣誌にあると思いました。しかし、本件についてはいろいろな誤認があり、秋田本座写しは秋田ではないというのが真相だと思います。したがいまして、類似カタログにおいては秋田本座写はなくなり、本座異制と名前を変えています。 私は「秋田本座写」で覚えた経緯もあり、このHPを作りだしたころにはよく分からなかったこともあって、今でもそのままにしてあります。(ごめんなさい。) では、本件について私が知る限りのことを書きますと・・・ 布川氏が秋田本座写説を発表した時代・・・今の薩摩広郭はまだ本座銭の扱いでした。それは薩摩広郭があまりに大量に存在するからで、大阪難波座がそれに割り当てられていたのです。そして、その薩摩広郭には古くから純白の白銅銭の存在が知られていました。 秋田藩の密鋳天保は比較的が早期に確認されたのですが、その母銭はなかなかの珍品でした。そんなおり、秋田で天然の白銅を使用していた母銭が発見され、(美しいので)評判になりました。その結果、白銅の天保は秋田ではないかとの噂(仮説)がたち、薩摩広郭白銅をはじめとして、現在の佐渡本座写や萩藩銭の一部までもが秋田ではないかとされた時期があったようなのです。ついには、薩摩広郭白銅と佐渡本座写(白銅)の混同も生じたようで、今に至る秋田本座写が誕生したようなのです。つまり、秋田本座写のスタートはあくまでも「白銅の本座写」だったようなのですが、なぜか製作の異なるタイプすべてが割り当てられることになりました。 この誤認がある程度定着した理由もあります。いわゆる秋田本座写はたしかに秋田に多く存在するのです。おそらく、明治維新時における政府軍の奥羽攻めと関係があると思われますが・・・。本件に関し、秋田の故、村上師も、「秋田本座写は秋田でないと思う。ただ、秋田県内でたくさん見つかるのは本当なので、秋田でないにしても仙台藩鋳ということなら考えられないわけではない。」と語られていました。 なお、現在は佐渡本座写も類似カタログには存在しません。佐渡天保は長らく曳尾の類が割り当てられていましたが、この説は「三上香哉」が古老から聞いた捏造話がもとになっているようです。そして曳尾の類がやはり「白銅質の天保」であることから、同様に「白銅質の天保」が佐渡ではないかとされたのではないかという雰囲気もあり、どこまでが真実でどこまでが虚構なのか私もわからず、こちらも「秋田本座写」のきな臭い影が付きまといます。 本件の補足として2015年12月22日と2010年5月15日の制作日記記事をお読み頂ければ幸いです。 秋田藩が入手に苦労したものとして鋳砂と金やすりがありました。鋳砂は川砂を漉して何とか準備しましたが金やすりは入手困難で目の粗い砥石で代用したと言われています。(大量購入すると密鋳がばれるので原材料と道具類は現地調達が基本ですから。)そのため、秋田天保(本座写)は砂目が粗い、やすり目が強い(要するに製作が粗っぽい。)ということが定説になりました。ただし、これらの逸話は秋田本座写の存在を肯定するために利用されたとも考えられます。というのも秋田の藩鋳天保(細郭・広長郭・広横郭)にはそのような特徴があまり見られないよう工夫されているからです。余談ながら、純白の本座広郭(佐渡本座写)が大和文庫に出品されたことがありました。価格は10万円を超えていたと思います。たまたま秋田の故、村上師とお話をする機会に恵まれ「純白の佐渡本座写は本当に存在するのですか?」と質問したことがあります。師は「ありますよ。価格についてはものすごく高く、大和文庫の価格が高すぎるというわけでもなく、それなりの出費が必要です。」とおっしゃっていました。 |
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11月23日 【第50回日本コインオークション情報】 日時 2019年12月15日(日)Am.8:15~ 場所 品川プリンスホテルメインタワー12階「シルバー」 下見と問い合わせ (株)ダルマ ☎03-3447-5855 ※予告 第51回オークションは2020年6月14日、品川プリンスホテルにて開催予定 1月31日まで、出品を受け付けています。 |
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11月22日 【オークションネットがすごい!】 ここのところ穴銭熱は低下気味でしたが、第34回のオークションネットを見て驚きました。寛永銭も天保銭もものすごく充実しています。島屋文細縁、小頭通、奴銭、不知長郭手躍通、広郭手小点尓、ペン書手反郭などなど・・・こりゃあ大変だ! おとなしくしていたいんですけど血が騒ぎます。 ※驚いたことに今回が最後のオークションになるそうです。!正直寂しいですね。 |
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掲示板に掲載した広郭手です。銭径は磨輪で小さく、背の鋳型が右上方向にずれていること、穿内が4方向べったり型のやすり掛けであること、銅質がやや赤みを帯びていることなどの特徴がありますが、銭文径はなぜか縮みません。ただし、極印は間違いなく本座ではありません。したがって本品は不知銭であると断言できます。 本座広郭の母銭が後藤家によって横流しされたのではないかという噂を聞いたことがありますが、確証はありません。ただ、このような銭文径の縮まない広郭手は確かに存在します。 ※ここのところのメールソフトの不調は、プロバイダ側がウィンドウズLiveメールの使用制限をかけたことが原因のようです。また、受送信の設定が変更されていたことに気が付いていませんでした。実はウィンドウズLiveメールが使えなくなるという情報は昨年から聞いていまして、アドレス帳の移動準備も完了していました。ただ、Liveメールには保存メールが大量にあり、自分好みに使いやすくカスタマイズしていたのでまだ使えるとばかりに、引っ越しを(忘れかけて)怠っていました。先月から送信に時間がかかる現象が起きはじめ、5件を超える一斉送信が不能になり、ついには送信が完全不能になりました。機能が少しずつおかしくなるという現象が、なかなか理解できなかったのですけど、できれば実施直前にも予告してほしかったです。 |
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11月9日【金圓世寶が琉球銭である理由】 金圓世寶は琉球銭ではないという諸説があると書きましたが、このことは方泉處1号に詳しく記されています。 金圓世寶については江戸期の古銭家の瀬尾柳斎は中国「金の太祖阿骨打」のものとし、大名収集家の朽木龍橋も賛同していたため相当期間中国銭とされていました。しかし、明治~大正期の古銭家の中川近禮が「大世、世高に製作が似ており、琉球王朝の中山世譜(中山世鑑の後に出た琉球王国史)の記録等から尚圓王(金丸)の鋳造と判断し、それを貫井銀次郎が支持して現在に至っているようです。参考までに金圓世寶の鋳地説は以下の通り 1.中国「金」説 (理由)金の銭に風貌が似ている? 2.中国「元」説 (理由)王朱光卿のみが銭を鋳造していない。 3.朝鮮「李朝」説(理由)十銭通寶に書体が似ている? 4.中国「後金」説(理由)天命満文銭に風貌が似ている。 5.日本「琉球」説(理由)尚圓王の神号が金丸。 (尚圓と名乗る前も金丸だったらしい。) あらら、安南銭説はなかったかしら? いずれにしても具体的な裏付けは一切なし。証拠不足は否めません。何より、沖縄の遺跡から金圓世寶は1枚も出土していないのです。 ところが解決の糸口が沖縄正史を記した中山世鑑(原書)の中にありました。この歴史書は沖縄の王朝史を比較的平易な文体で記したものなのですが、その中の「金」の書体が第5画の縦画が第3画の横画の上に突き抜ける独特な書体です。このような書体は一般に「金が抜ける」ものとして日本人は好まず、異体字としても存在が確認できませんが、この書体がまさに金圓世寶の金の文字と酷似しているのです。これは方泉處の工藤裕司氏の発見によるものですけど、決定的であると私は確信しています。 |
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11月8日【侍古銭会リニューアル・・・求む若手収集家】 ロボット → プラモデル → 秘密基地ごっご → 外国切手 → 土器 → ミニカー → 古銭 → バレーボール → スキー → ゴルフ → 郷土史研究 → パソコン → 古銭・散歩・俳句・将棋 子供のころから興味を持つと熱中するタイプで、けっこうのめり込んできました。上に示したのは趣味の変遷の一部で、お菓子の景品集めとか、サツキの挿し木なんてものに熱中したこともあります。鉄人28号・アトム世代ですし、ウルトラマンなどにも熱中しました。そんな中で古銭だけは今でも続く趣味で、収集第一号がミニカーと交換した天保通寶でした。本来は趣味の王道のはずの古銭収集が、現代ではなぜか「おじいちゃんの趣味」。俳句と将棋はお金のかからない頭の体操のつもりで取り組んだのですが、これまたおじいちゃん趣味だと家族に評判で・・・。本当はスキーにバリバリ行きたいのですけどお金はかかるし、ウェアは入らないし。ゴルフもお金がかかるので、椎間板ヘルニアをやったから怖い・・・という言い訳をしてさぼっています。本当は古銭がお金がかかりすぎているからなんですけど。 侍古銭会は若い方が多いので楽しそうです。収集ジャンルは穴銭にこだわらずなんだって良いと思いますよ。私としては趣味人口が増えてくれればありがたい。もともと私が穴銭にのめりこんだのは、安くてたくさん集められて歴史の香りがしたから。土器収集や郷土史研究なんかもその一端ですね。 集めるだけではなく、分類して飾るのも楽しい、好きな仲間と語るのも楽しい・・・なんてなれば最高です。ただし、古銭収集家はどちらかというと、個性的な人(オタク!)が実に多いですね。 私の世代はコインブームを経験しているので、同級生にも当時収集に熱中したという輩が複数いるのですけど、みんなその事実を隠そうとする。古銭収集は変ですか?そうですか? たぶん、たくさん集める人は偉いけど、他人に与えるものが少ないのでなかなか尊敬されないし、妬みを買っても喜びを分かち合いづらい趣味なのかもしれません。 ですから、この趣味をしていると一生モテない気がします。趣味のせいにしちゃいけないですね。(美人コレクター歓迎します。)私はそのうち魅せるテーマ型・展示型収集というものが流行る気がするのですけど、侍古銭会さんどうですか?魅せる収集を工夫してください。 なお、私は仕事の関係から男女の脳の構造の違いを良く説くのですけど、穴銭収集の趣味は絶対的に男の趣味で、女性は社会的価値のないもの、美しくないものには興味がありません。古銭を収集しているあなたに近づく女性は、古銭の金銭的価値かあなたの財力に興味があるだけ。稀にあなたに近づきたいから、あなたの趣味に合わせてくる女性がいるかもしれません。それは稀有な存在ですけど、結婚したら本音が出ますので注意しましょう。 この草点保は最高です。この横太りの楕円銭形は、極上の美女のウエストラインにも勝るとも劣りません。何度見てもよだれが出てしまいます。(変態?) |
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11月6日 【琉球王朝の貨幣について】 首里城炎上のニュースはショックでした。まるで映画のシーンを見ているようで、とても現実には思えませんでした。今秋は災厄が非常に多いと感じます。 さて、ちょうど1年前、琉球の貨幣に興味がわき集中的に調べたことがあります。我ながらよく調べたと思います。 さて、琉球における貨幣流通について過去記事をひも解きまとめると・・・
と製作が異なるため、安南銭ではないかという説もありますが、私は琉球銭で良いと思っています。尚圓は琉球王朝の繁栄をもたらし、なにより重臣の心をつかんでいたと思われます。クーデターで旧王朝を倒したとあればなおさら自身の威光を示すためにも立派な貨幣を作ったのではないでしょうか? 琉球の貨幣は沖縄にほとんど存在してない状況で、貿易決済用が中心で、祭礼的な存在であった可能性すら否定できません。(世高通寶の発掘例は1例のみ東風平町富盛である。大世通寶は南風原町新川で1例発掘、金圓世寶はまだ発掘例がない。) 鳩目銭については決済用の通貨にしては小さすぎ、封印銭として流通したとされていますが、枚数が400枚から1000枚と一定していませんので、祭礼的通貨であったのかもしれません。と、いうのももともと鳩目銭は伊勢神宮の賽銭としてつくられたのが始まりのようなのです。なお、中山通寶はこの鳩目銭の中から発見されたようなのです。 中山通寶については、中山王、尚巴志鋳造説もありますが、東亜銭志にある記述などから尚真王の時代の作ではないかと翁長氏は推定しています。鳩目銭との関連性からもこれは十分に可能性があると私も感じています。尚王朝は中山王国系統でありますので、中山通寶が尚巴志時代以降に作られてもなんらおかしくありません。 ところで天保仙人様が「琉球銭に『世』の字が入っているのは、『中山王が治めた国』と言う意味」の記述が心に引っ掛かっています。沖縄において王は「世の主」とされたことから、中山王=世の主ということなのかしら? (注1)50枚1文説もありますが、いくらなんでも交換レートが悪すぎます。沖縄には埋葬銭の風習が残り、藁で漉いた紙に鳩目銭50枚を印刷したもの(うちかび)が1枚1文程度であったということから発生した風説ではないでしょうか。このことから沖縄の鳩目銭(封印銭)には埋葬銭としての役割があったことが容易に伺えます。 |
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10月26日【KUZUMAKI】 烈風停電 竜巻 河川氾濫 と、まあ最近は我が町内は実によくテレビに映ります。さて、画像は大和文庫さんの出品物です。普通は出品中の品はあまり書かないようにしているのですが、久しぶりにわくわくしたので禁を破ります。葛巻銭は別名藤の実銭と呼ばれる肉厚、小型の密鋳鉄銭です。見寛、目寛などが有名ですけど、その他の座の写しも存在し、有名なところでは水永があり、かつて私はその母銭を保有していたのですけど、雑銭の会のとき調子に乗って秋田のHさんに売却してしまいました。あれは島屋文より絶対少ないんです。葛巻銭の珍銭として、さらに少ない白目中字の写しもかつて購入してしまいました。天下一品物???です。 背久はもとが鉄銭なのでそもそも母銭を写して改造することは難しいはずなんですけど・・・。本来私は鉄銭は収集対象外にしていて、さらに母銭も基本的に収集対象外と心に決めていました。でもわくわくが止まらないから困っています。 鉄銭の密鋳 鉄は銅より鉱物原料の入手が容易で、銅精錬のような鉱毒による健康、農業被害の発生はほとんどありません。金属としては硬く丈夫な代わりに、もろく、錆びやすく、融点が高く、滑らかに流れず、加工がしにくい金属です。融点が高いので大量の炭を必要とします。その点は融点降下現象のある銅とは段違いで、鋳造には非常に手間のかかる厄介な金属なので、本来なら貨幣には向いていません。 硬いのでやすり、砥石などがすぐダメになってしまいます。そのため、鉄の貨幣は鋳張り除去の仕上げを省略するべく、湯道を細くして鋳張りを折り取りやすくする加工が母銭になされます。 それが側面の仕上げ方法の工夫。主な方法は3つあります。 ①垂直に滑らかに仕上げる:鋳張りの接点を限定しようとする工夫です。葛巻銭はこの方法で分厚い。 ②テーパーをつける:上手に片見切りに製作すれば、鋳張りの接点が鋭角状になり、折り取りやすくなります。 ③茣蓙擦れ加工:茣蓙擦れとは縁の垂直部分をなくすように、輪を斜めに傾斜加工する方法。包丁の刃のように側面が細ければ、鋳張りの接点が限定されます。茣蓙擦れの名称の由来は、「母銭を取り出す作業の際に茣蓙の上に母銭を投げ出すのでその際に輪が斜めに擦り減ったのではないか」と大胆予測した大間違いからきています。 この手法は薄肉に鋳造する技術のある銭座向き。 |
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10月11日 【激烈台風2:嵐の前の静けさ】 猛烈な台風が再び千葉県に向かっているようでして、台風15号に懲りた我が町はちょっとしたパニック状態で、ガソリンスタンドの渋滞ができ、スーパーから日用品が消えてしまう状況です。 なるようにしかならないと半分あきらめていますが、停電は非常に困りますし、屋根が飛んだらどうにもならないです。桑原桑原・・・。 なお、雑銭掲示板に不埒者が管理人を名乗り変な書き込みを時々してゆきます。詐欺サイト・ウィルスサイトへの誘導の可能性がありますのでリンクは開かないでください。(ただちに通報願います。)私もアカウントを乗っ取られかけたこと・・・何度かあります。 |
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10月10日 【淋手瑕永】 ネットで話題になっていた淋手の瑕永です。淋手を知っていても瑕永を知っている方はかなり濃い収集家で、持っている方は果たして何人いらっしゃるでしょうか? 淋手は源氏名の寛永銭としてはトップクラスの珍銭で超有名品。ただ、島屋文は有名で複数枚所有の方はおられると思うのですがこの淋手については薄小のみすぼらしいものが多く、大金を出してまで入手したいと思っておられる方は少ないのではないでしょうか。画像の品は淋手としてはかなり高クラスの美品ですけど、さすがに侘び寂びが語源であるが故、何とも言えない物悲しい雰囲気がありまして、お金をつぎ込んだ後のむなしさ(ふところの中の寂しさ)を覚えてしまうコレクターの多いことこの上なしなのでは・・・。私がこの品を銀座コインオークションで入手したのはもう15年以上前だと思いますが、当時の価格で17~8万円ぐらいしたと思います。今回、この画像を見て心躍りましたが、自粛自粛と心に言い聞かせておりました。ああ~侘びしい淋しい。 |
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10月5日 【たじさんINみちのく】 侍古銭会のたじさん、みちのく大会に参加するために秋田県入りしたそうです。しかも先乗りの前日入り。 さっそく古銭探査をしたようでこのような画像を送ってくださいました。 厚肉の長郭手で、立派な覆輪銭です。地に墨が入っているような雰囲気もあり、このようなタイプには深淵気味になっているものがときどき散見されますが現物はいかがでしょうか? |
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10月2日【よく見かける天保贋作】 先日の遒勁はだめだったようですね。贋作の多さでは遒勁は群を抜いています。 良くできていますが、どうしても仕上げのやすり目や表面の鋳肌が不自然になりがちです。やすり目を見分けるにはかなり経験が必要ですね。やすり目3年、肌8年・・・ 以下、時折みかける要注意品目です。 ❶琉球通寶半朱と琉球通寶 おもちゃまがいの真鍮ものから精巧な新作まであります。半朱は何度か取り上げましたが傑作です。 → 2018年5月12日、4月27日制作日記 ❷玉塚天保 刻印銭は模造しやすいみたいで、山石刻印などはなかなか見分けが難しいですね。 ❸本座広郭の鋳放し銭もしくは無極印銭 傑作。母銭から精巧に写した枝銭をばらしたもの。名前を水戸正字などに変えているので注意。 ❹本座中郭母 昭和50年代の初めに出現。M氏が騙され、譲られたU氏がそれを売ってしまったから騒動に。 本座広郭の本物の母銭の郭内を削ったものなので、鑑定はかなり難しい。 ❺秋田細郭 こちらは広長郭の郭を削った変造品。焼いて古色を付けようとしています。赤い細郭は要注意。 郭の内側全体にやすり目があるものは要注意品で、普通は鋳肌が多少残ります。 慣れないうちは手を出してはいけないもの ❶無極印、異極印の不知天保通寶 密鋳銭は目立つことは絶対してはいけないのです。その昔、極印はけっこう庶民に見られたようです。 ❷鋳放し銭 上と同じ理由ですね。 ❸錯笵銭 これも同じ理由。 ❹遒勁、仙台大濶縁、筑前通寶、盛岡銅山などの特徴的な有名銭 贋作者は一攫千金を狙いますし、売れなきゃ話になりません。 ❺薩摩広郭白銅銭 彩色されたものや銀鋳、メッキまでいろいろあります。 ※キーワードは「目立つ」こと。 |
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10月1日 【生活道具としての古銭】 習字は昔は必須の科目でしたが、今は習字よりワープロ、いえスマホの時代かしら。ですから、この道具を見て名前がなにか言える人は、おそらく50歳以上の人じゃないかしら。 この品は玉塚榮次郎がつくった意匠品の水滴です。水滴は硯に水を補給するための容器で、生活道具の一種なのですけど、今の家庭からはほぼ消滅しています。昔は硯箱の中によく入っていたのですけどね。そろばん、缶切り、すり鉢、栓抜き、ハエ叩き、かつお節削り器、蚊帳、蚊遣り豚なんてものも今はトンと見ることがなくなりました。 この水滴は背に「海運橋」の刻印があるもので、海運橋の玉塚天保として有名な品はこの水滴を解体した底の部分のもの。したがって海運橋の玉塚天保は必ず縁や郭の部分にはんだ付けの痕跡が残ります。また、上の天保銭には注ぎ穴があけられています。 はじめて玉塚天保を見たのは千葉市の大宝堂さんの店頭でした。吾が鏡と人の鏡がセットで1万円か1万5000円ぐらいだったと思います。メダルにしか見えなかったので興味を示すことなく見送った記憶があります。 それがこのように市場価格がつくようになった背景には、仙人様、村上師、板井師などが当時傷物扱いだったこれらをやっきになって収集した背景があるそうで・・・。 |
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9月26日 【今月はいろいろありすぎまして・・・】 人生イベントの多い瞬間はそれなりにありますが、今月は激烈でした。 月初の週末に、甥の結婚式がありまして家族全員で出席。おめでたい!(大出費) ところが、その翌日に台風が襲来。我が家を含む千葉県は大停電に見舞われました。暑いし、真っ暗だし、物は買えないし、洗濯できないし、冷蔵庫の食材はダメになるし(本当にダメになる前に食べまくったし)・・・復旧・救援にも奔走してました。 そのさなかに身内(母)を失いました。もともと終末期宣告されていましたし、終活は着々と進んでいましたので一気に突っ走った感じです。甥の結婚式は、母の病状を見ながらの決行でしたのである意味計画通り。はじめは、間に合うとは思っていなかったので、これはすごくうまくいったことになります。足の動脈に癌が絡み露出もしていて、胃の中にもこぶし大の腫瘍があり昨夏から出血を繰り返していましたから、ここまで永らえたのは奇跡です。認知症もありましたが最後まで歩行し、在宅生活をしていましたから我ながらすごいと思っています。関係者に連絡する時間もほとんどなかったのですが、葬儀も無事済んで、今は後始末に追われています。(葬儀の支払いが大変です。) と・・・いうわけで、古銭とは関係のない話で恐縮ですけど我が家は喪中になりますので、ここに予告しておきます。 |
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ヤフオクで格安で入手した品。長郭手の覆輪刔輪銭ですが、面側に比べて背側の上下の刔輪が強烈です。断足寶の札がついていましたが、これは打ち傷の可能性があります。したがってそれに代わる特徴の通頭の加刀・・・マの内部のえぐれが大きく全体的に高頭通、大頭通になっている点を加えました。鋳肌は実に滑らかで、桐極印は極小ですがしっかりした形のもの。寶王と貝の接点に加刀があり、貝の肩部分が削られて離貝寶気味になっており、寶字全体も細く加工された痕跡が残ります。背の刔輪は当上、花押下が強烈にえぐられているのはこの画像からも伺われます。これだけ特徴があるのに落札価格が安すぎてなんか申し訳ない気がします。 |
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9月4日 【真贋について】 遒勁という天保通寶はその独特の風貌から絶大な人気を誇ります。一方でこの天保通寶には精巧な贋作が多数存在することでも知られています。ここ10年ほどのオークションでも怪しい品が何品か出て落札されていて、次に世に出てくるときは〇〇オークションの品という箔がついて本物に化けてしまうかもしれません。 古銭の真贋について言及することは他人の所有物の批判をすることに他なりません。先日、なんでも鑑定団に出た富本銭・・・新発見にならなかったのは残念ですけど、今の段階では鑑定団の判断は仕方がない気がします。意見を聞きに行ったのだから、そんな見解もあると理解すべきでしょう。もう一つ二つ言っちゃうと湯道の幅が広く見えますし、この時代の作にしては肉薄すぎる(鋳造が上手すぎる)のです。 まあ、門外漢が憶測でこんなこと書くと手痛い反論・反撃に遭うわけでして、そのため多くの古泉家が口を塞いでいます。 ちなみに私もHPに購入した贋作をかなり飾ったままにしていて「あいつは目が利かない」と陰口をたたかれていると思われますが、それはある程度承知の上のことなのです。 中国の贋作技術の向上はすさまじく、本物や泉譜からコピーした偽物を簡単に作成してくれるそうです。その昔、ラムスデンが破格の金額で珍品の古銭を買いあさっていたのも、本物に大投資をしても、偽物が数枚売れればすぐに元が取れるからだそうです。ラムスデンではありませんが土佐通寶類が四国の旧家から出現したとき、発見された枚数より、後に大家に分譲された方が数が多かったという噂もあったそうですし・・・この手のお話はネタが尽きません。 遒勁の真贋判定はなかなか難しいと思います。この天保銭は通用母銭から何度も鋳写されていて、長径50㎜に迫る大型のものから48㎜台の小様のものまで存在します。贋作もおもちゃまがいの真鍮ものから、正型抜きの精巧な贋作も存在します。なかでもかつて銀座古銭堂(富田)が製作して販売した遒勁はかなりの力作らしいのですけど未見です。 遒勁は長径に比べ短径が極端に大きなずんぐりむっくりの銭で、郭も横長になりますが、本物から型を抜いた品はこの特徴も引き継ぎますので書体で見分けるのは困難でしょう。極印も花序が大きめで座りが良い形なんですけど、違う形状もあるかもしれません。あえて忠告するなら、文字がべたっとして太い感じのものには気を付けましょうね。 先日話題になっていたと思われる遒勁・・・分厚そうなのが気になりましたが古色が自然で雰囲気は悪くないです。ただ、贋作師も古色を付けるためにいろいろ策を練るそうで、ドブ土や腐葉土の中で1年ぐらい寝かせたり、汲み取り便所に吊るして置いたり・・・尿や便に含まれるアンモニアが程よい発色を促すそうで・・・まさに臭い品です。 |
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8月27日 【背が気になる】 文源郷氏と言えば、文銭のマニアック分類で知られる新寛永銭の権威です。その文源郷氏の分譲品をネットでまた買ってしまいました。氏の売り出し品は私に言わせれば芸術品で、一品ずつ丁寧に梱包され解説文がつけられています。包装からして価値があるのです。したがって購入した古銭に触れなくなるのが私最大の悩みなのです。 さて、画像の品はその文源郷氏の売り出した密鋳俯永写し。一見あまり見かけないタイプで、とくに背側が深いのが目につきます。雰囲気的には踏潰銭のようにも見えます。まあ、密鋳四文銭の分類は一部のものを除き、収集者が勝手に分類命名したもの・・・と言った方が正しく、江刺だ、踏潰だ、浄法寺だ・・・といっても誰もその現場を見たわけではありません。 俯永系の密鋳銭は概して背が浅いものが多く、これは明和期の俯永が浅背になることから当然なことなのですが、今回の品は微妙に深い。文政期写しなのかもしれないし、ひょっとしたら背だけが小字背一直波の写しなのかもしれないと妄想をしてしまいました。 |
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8月25日 【常識は非常識:南部藩銭アラカルト】 天保銭のことを調べていると、今まで培われてきた古銭の常識が覆されてしまうことがあります。 例えば・・・「銭は初鋳がもっとも大きく厚肉で製作も良く、末鋳になれば薄く広穿小様になる。」という寛永銭では当たり前のことが天保銭には当てはまらないのです。本座においても末期は必ずしも広穿薄肉にはなっていません。広穿(細郭)から狭穿(広郭)に作り変えられていますし、末期の方が厚肉のものが散見されるぐらいですから・・・。 雑銭の会元会長の工藤氏なども、「(南部等百選については)銭径だけをもとに言えることはほとんどありません。『銭径が~だから』という考え方は、視角的に誤っていますので、念のため。」と申しています。 とはいえ銭径・銭文径が何も語っていないわけではないと私は思っています。諸事情はあるにしても、傾向としては初期の方が大きくなるのは当然のことだと思うのです。問題はその諸事情なのです。 天保通寶の密鋳の場合、採算性よりも①発覚しないこと②短期間で大量につくれること・・・の方が重要でした。①のために、鋳写によるサイズダウンを避けるための覆輪技法を使用し、肉厚に作り ②のために、専用の母銭づくりを省略した通用母銭による写しがさかんに行われたと思われます。 ただし、①と②は相反すること(②は銭径等のばらつきが避けられない)でもありますので、情勢で方向性を微妙に変えたと思われます。初期は①で様子を見て、大丈夫そうなら一気に②に切り替える・・・といった具合でしょうか。 南部藩の大字・銅山手について検証すると・・・ 工藤会長から分譲された初期銭(第一期前期)の大字(長径49.1㎜)は大きさの割に薄く、焼けた感じ・・・これは新渡戸仙岳の記録に合致します。 大振りながら鋳造技術的に決して高くない品で、それには鋳造方法がよく分からなかった・・・という理由があるのです。 やがて外部の銭座から技術を学び、安定した鋳銭ができるようになります。これは新渡戸仙岳の言う第一期後期にあたり、この頃の南部(浄法寺)の天保銭、寛永銭は赤みの強い銅質で、寛永銭は背が浅くなる片見切り法が徹底し、側面の仕上げは天保、寛永とも台形状になると思われます。このときの初鋳はかなり立派なものが出たようで、私保有の最大様の大字はその典型で、これを通用母に改造してさらに伝鋳が繰り返されたのだと推定されます。これだけ大きくしたのは、鋳写しを繰り返すことを前提としたからだと思います。 今回入手した銅山手は銅質・製作はこの第一期後期に合致するのですが銭径・銭文径が異様に小さいのが気になります。 実はこの品を入手するにあたり、私はもうちょっと銭文径が大きいことを期待していたのですけど、さすがにこれだけ小さいと少なくとも第一期後期の最初の方ではありませんね。 ガサ入れ後に再出発した第二期は、母銭をはじめとする銭座の鋳銭道具が破却された後の鋳造で、木型の原母銭から通用母銭を作って鋳造を繰り返したと思われます。道具がなくても技術は残っているので、原材料さえ手に入れば第一期後期レベルの再現は可能のはず。したがってこれは、新渡戸の記録(銅山手は第二期銭)にあるように第二期銭なのかもしれません。 すると、今度は大字で、同製作で銭径、銭文径が小さいものがないか気になります。大字には次鋳があるそうなのですけど、私は出会った事がありません。私の幻想ですけど・・・その作りは今回の入手品と同じで、同じ時期に出現していると面白いのですけど・・・。 なお、銅山手には工藤氏が「反玉手」とする白銅質、薄肉、小様の一群があります。おそらく仏具を潰して鋳造したものだと思われ、末期的な雰囲気であるのですが、私の所有品の銭文径は意外に大きいのです。あるいはガサ入れ直後に間に合わせの材料で鋳造したとも考えられなくもない。これと同じタイプの大字があったらまた面白いのですけど、さすがにないかな? 少なくともこの反玉手の存在は、銅山手が大字の後に出たことを示す傍証だと思っています。 しかし、こうやってならべると、たしかに製作も銭径・銭文径はバラバラです。工藤氏の発言の意味がよく分かります。 |
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上記はおおよそ新渡戸仙岳の記録に従った分類です。❶❷❸❻の順番は間違いないと思います。問題は❹❺がどこに入るかなのです。❹は非常に製作が美しく、銅質も特殊で工藤氏は本炉(栗林座)の可能性すらあるとしていますが、銭径、銭文径ともかなり小さいのと、本炉は小字のみの鋳造と思われますので❸の後に続く品と見るべきではないでしょうか?❺が実に悩ましい。❷と銅質・製作は近似していますし、❹と製作は少し異なるもののほぼ同規格の品。見方によっては❻の後だって考えられます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月22日 【猫帰還ヽ(^o^)丿(/・ω・)/(∩´∀`)∩】 行方不明の猫をついに発見しました。見つけた場所は自宅前の側溝の中。しかし、コンクリートの蓋ががっちりはまっていてびくともしません。40mほど先に持ち上げられる蓋を発見し、懐中電灯と呼びかけでなんとか残り5mのところまで来てくれましたが、音がするとおびえてすぐに反対方向に行ってしまいます。格闘すること2時間近く。マタタビでおびき寄せてついに捕獲成功\(^o^)/。(全身どぶくさいです。) ※側溝の蓋がなかなか開かなくて消防の協力を求めてしまいましたが、その力を借りずに解決できました。でも、要請に快く応じてくださってとても感激しました。 |
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8月21日 【銅山手】 ウィンダムさんで気になっていた銅山手(左端)を購入してしまった。墨による変色はあるもののほぼ未使用状態のもので、側面の角が指に鋭く感じるものです。 実はこのタイプのものについては、「Oさんが一戸で掘り出した百枚」として元雑銭の会の工藤氏の言葉の記録が残されています。「この品の金色は赤色なのですが黄色のものもあります。Oさんは東京では主に〇〇コインに渡したようで、20枚くらい持っているのを見たことがあります。黄色の品はそのまま変わらないものと、次第に赤く変色するものがあるようです。ほとんど使われていませんが、美銭で売られているのはこの仲間です。」 その言葉とともにあった画像が最下段のもの。大字と銅山手で、工藤氏はこれを山内後期のものと推定しました。 今回の入手品と「一戸で掘り出した百枚」は同じ系統の品ではないか?・・・というのが私の抱いた興味。 銅山手にはいろいろな製作、銅質のものがあります。工藤氏の分類は製作・銅質からする推定で 1)初期:銅色赤く、細字。(栗林座?) 2)前期:銅色赤く、銭形が大きいもの。 3)前期:同じ製作で次鋳形。 4)後期:銅色黄色く、小型になる。 5)末期:銅色白っぽく、製作が劣るもの。(反玉手) といった具合です。 盛岡藩の鋳銭については新渡戸仙岳の記録が有名で、仙岳は大字が先で、銅山手はガサ入れが行われた後に作られた第二期銭と思われるような記録をしています。一方、工藤氏は大字と銅山手は同時期にも出ていたとみています。その証拠が「一戸で掘り出した百枚」に同製作の大字と銅山手が存在するからなのです。 良い子の皆さまは製作日記2018年9月16日、10月7日、10月9日、10月14日、10月21日、11月27日を読み返してください。この件はなかなか難しく、かつ深いです。 新渡戸の記録では・・・ 1)山内座は藩の重鎮がかかわっていて、第一期前期、第一期後期、第二期に大分される。 2)第一期前期は製作が悪く、表面を焼いて仕上げた。・・・大字が該当。 3)第一期後期は外川目座から技術を学んだ結果、製作が安定した。 4)第二期はガサ入れ後の混乱期で、木型母銭で間に合わせた。・・・銅山手が該当。 となっています。新渡戸の記録から推定すると3)も大字になるのが自然なのですけど、工藤氏説だと3)には大字も銅山手もあり、事実そのような実物が存在します。(新渡戸は古銭収集家ではないので、彼の記録は実物からの類推ではありません。) さて、今回の入手品を計測すると 長径47.9㎜(小さい!) 短径32.2㎜ 銭文径40.4㎜ 重量18.8g 実際に、今回の品を並べてみると、工藤氏から分譲を受けた1)の初期銅山手とほぼ同じ規格の品だということが分かります。(長径47.9㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.8g)半切り画像を合成したの比較画像を付けましたのでご確認ください。個人的には工藤氏説なら3)、新渡戸説なら3)もしくは4)の初期のものだと考えます。(以下次号へ) |
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8月18日 【井芹同穿】 ネットに「井芹同穿」が出ています。5月2日の記事にもありますが、おそらく1970年代に活躍されたであろう、熊本古銭会の方で投稿文から見てやや年配の方だろうなあ・・・としかわかりません。 この絵銭はいわゆる名刺銭で、背の記号は熊本名産の渋団扇かしら?(家紋の木瓜紋のようですけど変形しています。) 昔は上棟式等で銭撒きをするのが一般的で、私の地域でもPTAから教育上良くないという批判が噴出するまで、何かにつけて小銭や菓子をばら撒いていました。現代では上棟式そのものがかなり簡略化され、上棟銭の需要がなくなり、同時にこうした名刺銭のような洒落た記念銭を作る余裕のある方もいなくなりました。 なお、井芹の苗字は熊本県の井芹川周辺をルーツとし、天保年間に本家が誕生。銀行、醸造業を営んだ名家のようです。 ※さて、これから軽井沢に研修出張です。一泊2日の強行軍。昨日は飲みすぎで体調最悪。そしてきっと今夜も大宴会になりそう。(自業自得)大物の方とお会いするのですけど、こんな状態で良いのでしょうか。 |
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8月17日 【逃した魚】 下の天保通寶とほぼ同時期に出ていた品。長郭手で覆輪強刔輪、削字がはっきりしている品です。寶足が長いのと通頭が府すのが特徴的ですね。輪際のえぐられ感もなかなかです。撮影のライティングの関係からか堅い銅質のように感じられやや磨かれたような色合いになっていますが砂目の雰囲気は悪くなさそう。こちらも落としに行きましたが人気が高く、しかも締め切り時間が(ローカルな理由で恐縮ですけど)盆踊りの開催時間と重なったため残念ながら入手ならず・・・。 ※飼い猫の1匹が我が家から脱走・・・未だつかまりません。猫アレルギーには良いのですけど、精神的には芳しくないですね。昨夜遅く、近所の車の下にいたのは見かけたのですけど出てきません。妻が呼んだら逃げてそれっきりになりました。本日は捕獲命令が出ています。 |
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ネットに出ていた、秋田の故、村上師の愛蔵品です。今月はもう我慢しようと思っていたのですが、たじさんからメールを頂戴して手を出してしまいました。白銅質の浅字の覆輪銭で、極印は小さめの真ん丸で不思議な形。このタイプは見たことがありません。もちろん、英泉天保通寶研究分類譜の現品にして不知天保銭分類譜の下巻原品です。 |
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8月11日 【暴々鶏氏のオークション】 散歩から帰宅すると郵便受けに封書が・・・。宛名を見ると暴々鶏氏です。同氏が収集人生の引退を表明してしてから3年ほど経ちました。私の古銭収集に影響を与えた3恩人は舎人坊石川氏、天保仙人日馬氏、暴々鶏工藤氏の3名で、私にとりましては師匠のようなもの。(言うことは全く聞いていませんが・・・。) 暴々鶏氏とはWeb上に発表していた「練馬雑銭の会(当時)」のHPで知り合い、会員No.13として私は参加しておりました。そして、同氏の呼びかけにより開催された古泉会において天保仙人様とお会いすることになるのです。(石川氏が仙人様に私の勝手なHP活動について頭を下げていたことは後に知りました。) 暴々鶏氏の主催されていたサイトに「日高見文化研究会」がありまして、浄法寺銭の研究がたくさん掲載されていていましたっけ。これらサイトは外部からの妨害・破壊もあって閉鎖されてしまいましたが、私にとって貴重な情報収集源でした。その暴々鶏氏がまた収集品を放出されるようで、終活の最終段階のようです。とはいえ、このオークションはクローズドオークション。一般公開はされていません。それでも興味のある方は http://www.goemonto.rexw.jp/humei.html をご覧ください。出品物の一部が記事として公開されています。 ところでペンネームの「暴々鶏」って、何と読むのでしょう?当初、なんとなく「ばんばんじー」と読んでいましたが、よくよく考えてみれば「棒棒鶏」なんですね。それからは恥ずかしくて聞けなかったのです。「ぼうぼうどり」?「ばくばくにわとり」?・・・そして、その意味は? ※本日、真夏の養老渓谷に行ってきました。苔の崖からきらきら降り注ぐ湧き水の神秘的な光景が素晴らしかったのですけど、あまりの暑さに観光客はほぼ0。渓谷そのものは涼しいのですけど、最後ののぼりがきついきつい。くらくらしました。尾根道で足を滑らして滑落すると命にかかわるので休み休み歩きました。 最近の活動は、散歩5、俳句3、古銭2ぐらいかしら。もちろん、仕事8余暇2の人生です。俳句は趣味というより修行(仕事?)です。猫アレルギーは大分回復しましたが、猫を飼っている限り全快はありえないそうです。 |
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8月9日 【CCF収穫祭】 CCFの落札品が届きました。B級品が中心とはいえども不知天保銭はなかなか楽しいものです。 |
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8月7日 【CCF応札結果】 CCFの応札結果が届きました。高額品はほとんど応札しなかったものの、ちりも積もればなんとやらでここ3か月の自粛基調が見事に吹っ飛びました。薩摩小字で打ち止めにしたはずなのですけど・・・。 寛永銭類は残念ながら全滅。狙ったのは錯笵銭と打印銭ですけど皆様強気です。絵銭系なんですけどね。 一方、強気の価格でB級不知銭が多かった天保通寶はいつもになく競争が少なかったようで最低価格に近い線で落札が相次いでいます。 B級不知銭は私の好物なので、応札しているときは「全部落ちたら20万円だ・・・どうしようと」びくびくしていました。結果は7枚も落札・・・うれしいような悲しいような。5000円ぐらいでも落ちていましたからお買い得には間違いなく、ネットでの高騰価格が馬鹿らしくなるような内容です。天保銭価格が下落するのもうれしいような悲しいような・・・削頭天の美銭が2万円以下で落ちていたのには驚きました。 |
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7月28日 【南部銭、藩札、岩手県関係の貨幣のお話です】 東北のEさんから、ブログを移転したとのメールがありました。実はEさんのブログの存在は今まで非公開状態でしたが、このたび皆様に存在を周知してよろしいというご許可を頂戴しました。 つぶやきの中にはあまり世間には知られていない情報もありますし、南部藩銭のきれいな画像もたくさんありますので是非一度目を通してください。 |
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→ 南部銭、藩札、岩手県関係の貨幣のお話です | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
背大錯笵のうち、輪部分が現れる多重輪があります。非常に目を惹くのですけどいくつかのタイプがあるのを御存じでしょうか? 詳しい説明の前にお勉強。砂笵は母銭を写しとるもので陰影が反転するということ。つまり砂笵では凹部分は凸に、凸は凹になるということなのです。はじめにこのことを忘れないでください。 タイプA(立体多重輪凹型) 砂笵で鋳型を採り終えた後に母銭を落とし、かなり強く深く押し付けてしまったもの。上段のものはぎゅっと押し付けた結果、砂笵の一部が盛り上がり凸状になりました。この鋳型に溶銅を流し入れると凸凹が反転して銭と銭の間に溝が生まれます。現れた輪も立体的でこれほど強烈なものはめったにありません。 タイプB(立体多重輪凸型) 母銭が鋳型からはずれて重なった状態で型採りされてしまったもの。下側の砂笵が固すぎるとこの事故が生じやすいそうです。上に乗った母銭の一部は斜めに浮いた形になりますので砂笵との間に空間(凹)が生まれます。デザインの一部が消えてその部分がふくらんだ凸の状態になって鋳造されます。つまりAとBは全く異なるメカニズムで生まれるのです。このタイプのものは銭を横から見ると全体がクサビ形になっています。かなり珍しい錯笵です。 なお、母銭を砂笵から外す際に引きずるように押し付けながら砂笵を欠損させると、このタイプBに近いものが生まれる可能性があります。(楔形にはならないはずです。) タイプC(平面多重輪一般型) こちらは母銭を砂笵に落として拾う際にマイルドに押し付けられたもの。原理はタイプAと同じですけど多重輪としては比較的多いタイプだと思います。画像の品は銭幣の華S-572原品、文字は陰起文気味ですけどしっかり読めます。錯笵銭の傑作です。 タイプD(平面多重輪置きなおし型) 正規の背輪の中に別のデザインが複数写りこんでいます。複数の母銭を落とし押し付けてもこうなりますが、これは砂笵に母銭を一度置いた後、何らかの理由で母銭を置きなおした結果によるものと考えるべきでしょう。元の型をきちんと消さなかったため生じたエラーで、非常に珍しいタイプです。「銭幣の華」にも一例掲載されています。 タイプE(平面多重輪砂笵くずれ型) 背側の砂笵が大きくずれて、多重厘になったもの。デザイン同士の重なりはありません。砂笵の固め方が甘く砂笵が大崩れしたもの、水蒸気爆発などの事故、型〆(型合わせ)の不良などが考えられます。背ズレの究極形で輪は最大で四つまで現れますけど、文久永寶以外は珍しいと思います。 タイプAとタイプDの画像は寛永長崎銭座、タイプDとEは文久座のもの。長崎座は鋳造が雑で面背逆製、背ズレ等の錯笵も良く見つかります。文久座も同様ですけど、私は文久の面背逆製は見たことがありません。
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銭は母銭を砂笵において型どりし、鋳造します。手作業ですから近代銭よりはるかに錯笵(エラー)の発生率は高くなります。ひとつの砂笵から良銭ができる率は寛永長崎銭座でおおよそ80%という記録もありますから、エラー銭はそう珍しいものではありません。とはいえ、20%の不良品の場合のほとんどは鋳不足による鬆穴(すあな)等の変形です。世に出回っている文字写りなどのエラーは希少でしょうね。 錯笵のメカニズムはおおむね以下の通りです。 ①砂笵に物を落とした。 母銭や鋳銭道具を落として、それが痕跡として残るケース。落下痕跡ですから、あまりに整然と痕跡が残っているのは妖しいもの・・・になります。落としたケースは反作用として砂笵が盛り上がりますので、銭には凹痕跡が残ります。 ②砂笵から母銭を取り出す際に取り損ない、再度押し付けてしまう。 上記のエラーの亜種です。落とした母銭を拾う際に押し付けてしまう二次エラーもあります。 この場合はきれいに文字など浮かぶケースもあります。 ③母銭のずれ、飛び出し、重なりなど。 背型を採ったあとに面側の型を採ります。その踏みかため作業のときに型がずれたり母銭が飛び出してしまうエラー。 面背同時の錯笵や、銭が重なるケースも稀に起こります。①と異なり凸痕跡ができることもあります。 ④母銭の置きなおしによるもの。 砂笵に母銭を一度置いたものの、位置や方向が悪く、改めて置きなおしたもの。②に近いエラーで区別がつかないかもしれません。 ⑤母銭の面背逆置き。 いわゆる面背逆製です。 ⑥型締め不良による砂笵のずれ。あるいは砂笵が踏み固め不良で崩れた場合。 面背の大きなずれなどが発生します。 ⑦穿内鋳張りによる仕上げ不良。 鋳張りにより、銭を挿した角棒に挿した際、中心線からずれてしまい仕上げ不良になるもの。 面側のずれ、花穿など。 ⑧その他鋳不足、鋳だまり、型ずれなどによるもの。 いずれにしても偶然のエラーですから、あまりにきれいな錯笵は疑ってかかる事が必要です。②を除いて奇麗な錯笵はめったにできません。鋳型の中で母銭が回転することなどはありませんので、面背の角度が食い違ったりすることは理論上ありえません。君子危うきに近寄らずですが、妖しいものほど興味がわいてしまう自分が怖いです。 |
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7月20日 【錯笵銭と戯作】 CCFオークションの中に異色の品が1枚出ています。文政期小字の背文字写り。錯笵銭は非常に目立つ分野でなので江戸時代の頃から人気がありました。その証拠に江戸時代の大名収集家の朽木公のコレクションにも多数含まれていることから分かります。一方で、このジャンルには贋作なのか戯作なのかわからないものもずいぶん含まれているから困ります。つまり玉石混交なのですね。銭幣の華(石川諄氏著)に多数の錯笵銭類が掲載されていますが、その中にも今回の品と同じような品が含まれています。 拓図右の品は一度型どりをした後に母銭を置きなおしたもの。母銭落下などでもこうなります。ただ、きれいに文字が出ているので意図的に押し付けた可能性が高い。 中央のものはいったん型どりした後に、母銭をもう一度ひっくりかえして入れて再度型どりしたもの。これについては絶対通常の鋳銭作業ではできません。 拓図左も同じで、通常ではできないのであらかじめ面と背のずれた母銭を作って(貼り合わせて)鋳造したものと考えられます。ここまで手が込む作業は戯作の域すら超えているんじゃないかと思えます。つまり好事家のための贋作になります。ただし、職人はゲン担ぎであえて不完全なものを(ふいご祭りのときなどに)つくった・・・という話もあります。 お守り・・・あるいは記念銭とも言えます。錯笵のメカニズムを知らずに収集すると痛い目に遭います。派手な錯笵は90%が贋作、残りの半分以上が戯作・・・本物の錯笵なんてめったにないと考えてください。 |
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7月18日 【2019CCFオークション】 猫アレルギーはようやく峠を越えそうで、夜の散歩を再開。ただし呼吸はかなり苦しく、体力的にまだまだへたりがあります。最悪の時は喘息状態一歩前で、緑色の痰がたくさん出てましたが、現在は小康状態です。ただ、全快はなかなか見込めず・・・というのもアレルゲンの猫は私にべったりなのです。外で仕事している方が調子が良いのです。 CCFの豪華なカタログが到着しました。いつもなら目を皿のようにして眺めるのですが・・・だるいので流し見。私好みのB級不知天保銭がたくさんあります。どうしましょう。A級は少なく宏足寶にいいものがありますが、同じものは持ってますから・・・。それでも心の癒し・・・。 |
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7月15日 【近況報告】 あまりにも更新していないと本当に具合が悪いと思われるかも・・・というわけで顔出し。調子はいまいちですけど仕事はしてますよ。役職も増えてしまい忙しいったらありゃしません。呼吸がいまいちなのでなかなか疲れが取れませんね。だから無理しはしない主義ですけど、生活パターンは変えていません。 お金はたまります。まあ、上半期薩摩小字と水戸揚足寶という暴挙を犯しましたので自粛中と思ってください。 病名:猫アレルギー 症状:咳、痰、呼吸苦、倦怠感、めまい、肥満、妻の暴言 換毛期の猫を毎日ブラッシングしていたらおかしくなってしまいました。 前回は喘息症状まで出てしまいましたが、今は直前で踏みとどまっています。ただ、だるくてやる気が出ない。 特効薬としては目の覚めるような古銭を買うことなんですけど・・・選挙応援も忙しいんです。みなさん、期日前投票行きましたか?全国比例区は政党名ではなくて個人名を書いてくださいね。少なくとも棄権はしないでください。 |
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オークションネットの落札品です。右の品が気になって応札してしまいました。左が24.3㎜、右は24.9㎜と大ぶりなんですね。この手のものを集めた久泉研究資料をひも解いて見ましたが婉文濶縁はあまり掲載がありません。大ぶり銭でも24.6㎜どまりです。このサイズは大濶縁とすべき覆輪銭で、もう大様と言ってもいいと思うのですがどうでしょうか? 婉文という名前は、文字が「しなやか・たおやか・美しい・丸みを帯びている」といった意味合いです。本体の書体は細く弱々しい感じでこれといった特徴にやや欠ける感じ・・・まあ、控えめなんですね。実は下の婉文もかなり大きく、24.8㎜ぐらいあると思います。24.9㎜クラスのものももう一枚保有していますので、私は婉文マニアといえる収集者なんだな・・・久泉研究資料を部分的に超えていると感じます。どうです、可愛いでしょう?そう思いませんか? |
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7月3日 【濶縁好き】 オークションネットのオークションで久々に落札ができました。古寛永岡山銭婉文濶縁の2枚組5500円です。画像を残していないのでどれだけだったか忘れてしまいましたがかなりの大ぶり銭が入っていた気がします。(右の画像参考の品。今回の入手品ではありません。)古寛永の濶縁は大概珍しく、新寛永が細縁に貴重な品が多いのと対照的です。欲しい感じるというよりも、買う行為は本能みたいなもので、古寛永の安いと思った覆輪濶縁はついつい買ってしまいます。これは天保銭にも言えることで、数日前にまた久留米濶縁を買ってしまいました。(1500円) 濶縁好きは白銅好きと同様私の病気ともいえることなのですけど、とにかくたまるたまる。 有名なのは古寛永なら坂本大濶縁、天保銭なら仙台大濶縁・・・いずれも大濶縁ネーミングに古銭に対するリスペクトが感じられます。ただし、私はこれらは所有していません。この婉文濶縁も本来なら「婉文大濶縁」で良いと思いますし、せめて「婉文縮字覆輪濶縁」にすればなにやら価値が高くなる気がします。ネーミングは大事ですよね。 天保通寶も久留米濶縁は「広郭手覆輪石持桐極印銭」ですし、水戸接郭は「広郭手覆輪強刔輪離足寶」。土佐額輪は「細郭手覆輪嵌郭」なのです。どうです、価値が上がった気がしませんか? |
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6月30日 【盛岡大字濶縁広郭】 盛岡大字の大様が4月の大和文庫さんに続いて市場に出てきています。以前はほとんど姿を見なかったのですけど、あるところにはあるということでしょうか?大和文庫さんの時はかなり強気で10万円以上の価格での出品でしたが、果たして買い手はついたのでしょうか。同じ品を保有者の立場としては価値的にはそれぐらいあってもおかしくないと思いますけど、このような数の少ないものの市場価値は買い手の何が何でも欲しいという気持ちによって変わります。ところが競合者が少ない場合はカタログ価格に左右されることが多いのです。 類似貨幣カタログは比較的良心的な価格設定だと思うのですけど、作者の思い入れも充分に反映されていて、薩摩の甲殻類手変わりなどは目を見張る価格である一方、不知の再写しや宏足寶などはこの価格は安いな・・・と思うこともあります。今回の品の落札価格は7万円台のカタログ価格範囲。私はお買い得だと思いますけど、あくまでもマニア相場でしょうね。今回の出品はおそらく関西の大物収集家の故、小林為末氏あたりの蔵品だったんじゃないかしら。今まで見たこの手のものはいずれも未使用色が残る品で、山内鋳造であるとされてます。 雑銭の会の暴々鶏氏はこの手の肌入りの品を山内後期のものとしています。鋳造方法の改良がおこなわれた後のもので、まったく同じ製作の大型広郭の銅山手(左画像参照)も存在するようですけど、私は未入手です。探してみてください。 |
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制作日記更新をずっとさぼっていました。ここまでさぼるのは久々です。私がどうかしたんじゃないかと噂になったかもしれませんが、ちょっと充電(放電)していました。この作業やっていると更新しないと不安になり、睡眠時間を削っても作業するようになります。そのため時々距離を置くことが必要なのです。 画像左はRさんから頂戴した長郭手の画像です。まだ面側画像しかありませんが、かなり濶縁ながらスリムな雰囲気。離貝寶ですけど斜尓じゃないですね。背の画像待ってます。 右の画像は侍古銭会のタジさんから。会津濶縁の離足寶とその拓本です。目下、拓本の特訓中だそうでなかなか熱心です。濶縁離足寶もなかなか立派でうらやましい・・・あれれ、きれいになっているけど少し前に私が手放したものかもしれません。拓本にするとかなり迫力あります。若手の成長は著しいですね。私も頑張らなくちゃ。 |
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久々にネットで落札。これはA級とはいえないまでもB+クラスの不知銭です。淡黄褐色の色調は私の所有する長反足寶や細郭手狭長足寶などと非常に似ています。これだけ横太りが強い銭径はかなり強い覆輪があったことを示しています。刔輪についても寶足が長くまた、天上にもしっかりと下刔輪が観察できます。 英泉天保通寶分類譜1234原品 ※私はもっぱらプラスチックのデジタルノギスを使用していますが、英泉譜の計測値と0.1㎜ほどの誤差があるようです。そこで久々に金属ノギスを使用してみるとどうもノギスに狂いが出ているようです。(0.1ミリ前後小さく表示される。)最近の私の計測値は極めて怪しくなってきました。(今回の計測値は補正しました。) |
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6月9日 【泉寿】 泉寿は岩手古泉会の記念誌で昭和61年と平成9年の2回、15周年記念誌、25周年記念誌として発刊されているようです。今回、ヤフオクで入手したのは25周年記念誌で、泉寿に2種あることは入手後にようやく気が付きました。(マヌケです。)実は15周年記念誌の方はコピーで分譲いただいておりまして、はからずも2冊がそろった次第。しかしながらあまりの美本で60度以上に表紙が開けない。困りました。 ところで平成9年で25周年なら平成14年で30周年、平成24年で40周年です。泉寿3号は出ていないのかしら? |
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別名最退点文または退点文小文。文が小さく郭から離れ、文の点が小さく陰起気味で右寄りになります。この辺りは少ないので昔は高い評価だったのですが、最近は集める人が減り無競争入手。ちょっと複雑な気分です。 ※趣味の山歩きで・・・ 尾根道で座り込んでいる人の脇を通り抜けた瞬間びっくり。顔はどろどろ、額からは血が流れています。声をかけると落ち葉に足を取られ尾根から滑落して這い上がってきたとのこと。幸い歩ける状態だったので、山頂付近に停めた私の車でから駅まで送ってあげました。低い山なのでそんなに危なくないと思っていましたが、気を付けなければいけないんですね。 |
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5月22日 【終活準備開始】 もともとHPづくりは趣味の延命が目的だったのですけど、交流の幅が増えて情報が集まるようになり、ついにはHPづくりが趣味になってしまい、最近ではそのために収集をしている有様のようになってしまいました。 一方で私生活は多忙を極めていまして、文字通り公私ともに超多忙な日々を送っています。数年前に実家から両親を呼び寄せた経緯もあり、実家を処分し、両親の終活援助と介護の日々も始まっています。頑丈だった私の肉体と精神も月日を追うごとにもろくなり、長生きとは無縁じゃないかな・・・と最近弱気になっています。睡眠時無呼吸症候群→鼻中隔除去手術、扁桃腺膿瘍→入院、椎間板ヘルニア、頚椎症、インプラント手術、猫アレルギー・・・と、毎年何らかのイベントが起こってますし、もともと睡眠時間を削って趣味活動をしていましたのですけど、そろそろ無理が利かなくなってきたということでしょう。 実はHPづくりの最終の目標は収集品の整理と引継ぎなのです。ですからその処分にむけてのコーナーを作り始めることにしました。まだ処分はしませんよ。準備です。 ※弱気なコメントを書いてしまいましたので、各方面から私が弱っている、重大な病気じゃないかとの心配な声掛けを頂戴しましたが、残念ながら元気です。ただし、化け物じみていると言われたかつての体力はありません。 強いて言えば肥満という不治の病と20年来戦っていまして、最近は老眼と記憶力の低下、重度の金欠病(古銭ホシイホシイ病)に悩んでいます。痛みに鈍い体質なのに心配性なのでちょっとしたことで大騒ぎするくせにすぐに慣れて克服してしまいます。一時期は喘息状態だった猫アレルギーも空気清浄機とルンバで克服しました。 |
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5月15日 【オリンピック贋造貨幣】 ネット徘徊をしていて思わず応札してしまったフェイク商品。だって、年号が平成32年なんですもの。こんな間違いを犯すのは絶対中国しかありえません。銀貨という触れ込みですけど、額面がないのでメダルでしょう。調べてみるとアマゾンなんかにも出品されていますが、こちらはプルーフ仕立てです。(アマゾンのものは銀メッキですけど。)笑えるので思わず応札してしまいました。なお、こんな記事がネットにありました。 「2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが描かれた、偽物の記念コインを所持していたとして、2018年5月17日までに大阪市の男が商標法違反の疑いで逮捕された。(中略)注目を集めたのは、メダル上に”平成32年”(2020年)と記載があったことだ。改元が2019年とあり明らかに偽物だとわかってしまうお粗末なものに、ネットではツッコミの声などが上がった。」・・・これは将来価値が上がるかもしれません。 |
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5月7日 【開元手】 名貨百選に掲載されている記事で、目を引いたのが開元手。長らく国立博物館に現存一品と伝えられていたこの珍銭が2枚掲載されています。しかもそのうちの一人が女性収集家と聞き驚きました。いるんですね穴銭好きの女性が。もし、自分の彼女が古銭好きだったら楽しいかもしれないなあと思いながらも、夫婦そろって浪費家になったらと思うと・・・無理です。さて、これらの出自ですが、1枚は鈴木幸泉バリ島輸入古銭拓本集上巻に掲載されているもの。これは寛仙堂氏のところに納まっています。そしてもう1枚が平成16年の銀座コインオークションに出品されたもの。これがコレクターK女史の手の中に・・・。記事を読むと関東大震災で焼失したと伝えられる養眞亭馬島杏雨師の開元手(の古拓)と随所で特徴が一致し、原品じゃないかとのこと。本当だったら世紀の再発見です。よくぞ残っていた・・・。 |
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5月6日 【名貨百選】 銀座コイン創業40周年記念、銀座コインオークション20周年記念と題されたこの豪華本、2009年1月8日に舎人坊石川様を介して拝領した一品です。市場で見たことがないので非売品じゃないかしら。頂戴した直後の制作日記で紹介云々と書いていたもののすっかり忘れ、存在すらほぼ忘れかけていました。原因は、あまりに豪華ゆえ開くことができなかったことにあります。まったく開いたことがなかったわけではありません。拝領直後、恐る恐る開いたと思います。ただ、金銀貨幣中心で、穴銭は皇朝銭ぐらいだろうという先入観から読み進めていませんでした。 実は私は文献集めも趣味のようなもので、あまりにきれいで貴重な文献は読むことができなくなる悲しい性があります。今回の本はパラフィン紙のカバーが付いていて、これを傷つけるのが嫌でしまい込んでいたという理由もあります。ほぼ未読の文献は、天保泉譜(昭和10年小川青寶楼版)天保泉譜(勢陽譜初版本)新撰寛永泉譜、・・・などいずれも前コレクターから買い受けたもので、セロファンに包まれていて恐れ多くほとんど触れることができない。古寛永泉志、新寛永通寶図会なども普段使うものとは別に保存版を取ってあります。貴重な本はとにかく読むときも細心の注意が必要で・・・面倒くさい性格です。今回の再発見で再び中を見ると、後ろの方に秋田の故村上氏と菅原氏、寛仙堂、玄友、祥雲斎、玩多夢、それに鉄人などなだたる収集家、研究家諸氏がこぞって自慢の逸品を出品掲載されていました。 さて、名貨百選のなかの一部の写真を掲載します。すべての画像を掲載したいのですが一部のみで恐縮です。(敬称略) 左上から下へ 土佐通寶當百(鉄人)不知広郭手超薄肉(故、村上)萬年手仕上げ銭(左阿呑造) 右上から下へ 異書長通彫母と一ノ瀬狭穿彫母(竹帛殿)、加護山細字嵌郭原母銭(故、菅原)と津藩潜イ母銭(玄友) 鉄人は仙人様から土佐通寶を譲渡されていましたがその前からお持ちだったんですね。 秋田の村上氏の不知銭は厚みが1㎜を切る稀品。名貨百選に載せる心意気が楽しい。重量が知りたいです。 萬年手・・・狩谷棭斎が金座から譲渡されたものは鋳放しだったと伝えられます。仕上げ銭が民間にあるとは・・・それにしても美しい。拓本は以前頂戴したことがあったと思いますが、画像の方がもっと良いですね。 彫母銭は1品しかないもの。ほとんどが造幣局博物館などに収蔵されていて、普通は見ることもできない文化財です。頭を低くして見なければならない品です。ははあ~っ。 菅原氏の加護山原母銭はいかにも菅原氏が好きそうな一品。寛永コレクターには垂涎の的です。 潜イは玄友氏の収集の原点と言えるもの。 |
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薩摩(不知)小字とされるもの2種です。上段は私所有の短人偏、下段が鉄人から頂戴した長人偏の画像です。書体は非常に似ていますが部分部分で微妙に違います。一方、銅質や製作に関してはかなり違いますが、この長人偏タイプは銭として決して嫌なつくりではありません。(むしろ美しすぎるぐらい。)上段の黄銅質の短人偏が正統派すぎるのです。そして銅質的には薩摩っぽくありません。強いて言えば琉球小字の桐極印に近い雰囲気もありますけど、果たしてそこまで言い切って良いものかどうか・・・。(一方、鉄人の長人偏は薩摩と言われて納得してしまうと思いますけど。)青寶楼師はどの点を見て薩摩と同一と断じたのでしょうか? さて、この小字ですけど、小川青寶楼師が初めて著した天保泉譜においては短人偏のみの掲載でした。大橋譜や天保泉譜(勢陽譜)も短人偏のみ。天保通寶鑑識と手引きも同様で、しかも銅質は黄褐色のみと記され現存2品くらいとあります。 長人偏が正式に出てくるのは小川青寶楼師の新訂天保銭図譜が最初のようです。新訂天保銭図譜では短人偏を薩摩に残し、長人偏は不知小字としてます。また、黄褐色のものを最高評価にしています。青寶楼師は「普通にあるのは銅色が違うのもあるが」と表現していてさも黄褐色を現存2品の正統派としているように感じます。青寶楼としては、小字はあくまでも短人偏の立場で、それ以外や写しタイプは別物だと言いたいように感じますがいかがでしょうか。 瓜生有伸師著の天保銭辞典においては薩摩小字と不知小字の位置づけは同様ながら、黄褐色のものの存在には触れていません。銅質製作が(他の薩摩前期銭と)同じと書いてあるところから、もしかすると瓜生師は実物を見ずに記事を書いていたのじゃないかと勘ぐってしまいます。その後、瓜生師が発刊した当百銭カタログにおいては、なぜか短人偏が姿を消し長人偏のみが掲載されていますし、不知天保通寶分類譜においては長短人偏以外にも並行人偏なるものまでが登場。銅質・製作・大きさまで様々・・・戦前は2品ぐらいだったという証言はどこへやら。 この泉譜を見る限り小字には写しタイプのものが明らかに存在する一方で49㎜を超えるものが長人偏、短人偏ともに存在します。多くの不知銭が通用母銭方式で作られたことを鑑みる限り、写しの存在は否定できません。それでも長人偏は鉄人の品ぐらい文字・製作がすっきりしたものの方が好ましいですね。また、長人偏は仕上げの研ぎが強かったと言われれば確かにそう感じます。 |
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5月4日 【難波御用銭】 先日話題にした御用銭の画像です。(引用をお許しください。)低頭通の書体で巨大に作られているのがこの類。内径は決して大きくないそうですから通用銭の巨大なものと考えればよろしいのでしょうけど、画像を見る限り非常に繊細で好ましいですね。これを見る限り画像の品は母銭と言えます。特に背の形成がそれを物語っています。しかし真贋は全く分かりません。分からないなりにこの品について語るとすれば・・・ ①できは最高、完全に母銭仕立てであり砂目と文字の雰囲気も良いです。 ②古い収集家の所蔵品であることも好材料ですね。 難点を言えば ③出来すぎ。背の形成が整いすぎていて怖いぐらい。それにしてもこの変色は何だろう。 ④近代的な香りもしないわけではない。 ⑤穿内の鋳張りが気になる。側面がきれいなのになぜ。これが最大の謎。通常、側面仕上げをする前に穿内の鋳張りは落とされていなくてはならない。そうでないと側面が均等に仕上げられない。 ⑥大きさの割にちょっと軽い。母銭としては薄い。しかし出来は良いのでこれならありかな・・・。 気になる点はいくつかあるものの、まるで美術品のような風貌に多くのコレクターが魅了されたようです。特別な品という香りがプンプンします。 結局落札値は50万円を超えています。この金額がこの品の真贋評価なんだと思います。寛永銭でこの評価はまずなかなかありませんから、私はわかりませんでしたけど見る人は見ているんだと思います。実物を拝見したいですね。 |
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投稿画像です。左側の新寛永・・・寛文期亀戸銭の正字背文ですけど、寛の前足が変です。拡大して見ると本来あるべきところに痕跡しかなく、ないはずの場所に隆起がある。自然な感じがするのでおそらく偶然の事故によるものだと思いますけど、まるで寛の文字が何かを恐る恐るまたいでいるみたい。発生のメカニズム(可能性)としては、砂笵に何かごみが落ちて砂が動き、寛の前足の部分の凹部分が埋められ、その後にごみが取り除かれたか、熱い溶銅によって燃えてしまった・・・あくまでも推理です。砂笵を考えるとき凸と凹が逆転することを考えなければいけません。天保通寶に奇書という不知銭があり、砂笵に棒で直接文字を書いた・・・と、言われてますが、それは無理だと私は思います。物には作用反作用というものがあり、へこみを付ければ必ず盛り上がりが生まれます。粘土板に彫刻刀で彫るのなら分かるのですけど奇書はそんな雰囲気じゃないですし・・・余談ですけど。 右は古寛永の正統派、無星文の濶縁銭。外径25.18㎜。背は多少ブレがあるのでしょうけど見事な濶縁で、まるで蛇の目です。無星文は背星とは違いオリジナルだということなんですけど大きさ以外は区分があいまいです。背星にもたまに25㎜を超えるものがありますので一緒にしても良い気がします。特にこの書体は星文は背星遒勁に近い力感があります。ただし、この背を見る限りやはりオリジナルかしら。背星にこんな濶縁広郭は見たことがないですから。古寛永は難しいですね。 |
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5月2日 【肥後闖寶秘話】 雑銭掲示板に投稿された肥後闖寶に関する秘話が1970年のボナンザ7月号に掲載されていました。 「熊本において愛銭の展示会を主催者が企画し、上位3人に記念品が与えられることになった。会の当日、逸品とは関係ない収集家と思われていて、招待されていなかったノロ平なる者が酔った状態で会に闖入。するとみんながアッと驚くものを出品し、誰もが予期せぬ一位を勝ち取った。闖入者のノロ平氏に一位をとられたので、参加者には後日記念品を配る事で散会した。」 その記念銭が「肥後闖寶」なんだそうです。背の文字は「値一品」で、品の字を崩して花押風にしているそうです。(右の拓本画像がその現物。)拓本の方が細縁で書体も異なることから、左側のものは古銭ブームの時に作られたレプリカのようです。 ボナンザの記事を書いたのは井芹同穿氏で、熊本古銭会の方だろうとしか分かりません。(井芹同穿という名刺銭を見たことがあります。)また、この逸話が(脚色が強すぎて)いつの時代のものであったのも定かでありませんが、ひょっとすると会の主催者(文中では地頭になっています。)は井芹同穿氏だったのかもしれません。文中のノロ平氏の服装が兵児帯をしていた・・・とありますし、天保銭型の記念銭を配ったことから、エピソードとしてはせいぜい大正期以降だと思いますけど。 この件について、さらに詳しいお話をご存知の方はご連絡ください。 |
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5月1日 【藤氏銭存】 藤井栄三郎師が東大にコレクションを寄贈するにあたり目録を作った・・・という話は残されていますがその実物を拝見する機会はありませんでした。この度、日本貨幣協会顧問のA様からその画像「藤氏銭存」を頂戴しました。ありがとうございます。藤氏銭存」という表題からして「藤井が集めた古銭はこれなんだ!見てくれ!」という心の叫びが聞こえてきます。サブタイトルは「藤井氏珍蔵」、拓本を打ったのは小川青寶楼師とのこと。すごい古銭本です。 |
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4月28日 【東大経済学部所蔵の古貨幣コレクション】 ウィルスメールと格闘し、何とか制圧できそうだった4月25日、日本貨幣協会顧問のAさんからお電話がありました。「数日前にメールを送付していたのですけど届いていませんか?」・・・届いていません。多分、膨大な迷惑メールに埋もれたか、自動削除されてしまったか、それとも抜き取られてしまったか・・・定かではありません。ごめんなさい。 Aさんは東大経済学部とご関係があるそうでこの貴重なこのカタログをご入手され、その一冊を分譲いただけるというお話でした。このカタログは1996年3月に初版発行、1996年8月に改訂版、1993年3月に増補版、1999年10月に普及版が発行されているそうです。今回頂戴したのは1996年の8月版です。 さて、東大経済学部古貨幣コレクションには2つの重要な収集家がかかわっています。一人は大正年間まで田中啓文のライバルであった、深藪庵こと藤井栄三郎であり、もう一人が安田財閥の祖の安田善次郎です。藤井栄三郎が古貨幣コレクションを、安田善次郎が古札コレクションを東大に寄贈しているのです。藤井栄三郎については泉家・収集家覚書をご参照ください。 日本の貨幣コレクションとして有名なのは日銀にある田中銭幣館コレクション、佐倉国立民族博物館にある大川天顕堂コレクションですけど、東大経済学部にある藤井コレクション・安田コレクションはそれらに先駆けたものであり、日本有数の貴重なコレクションなのです。藤井は自分のコレクションが散逸するのを最も恐れ、自ら目録(「宝貨録」と「藤氏銭存」)を作って東大にコレクションを預けたのです。A氏はその目録のうち、貴重な品ばかりを集めた「藤氏銭存」(小川青寶楼師採拓)全5巻をお持ちだそうです。 ※東大経済学部古貨幣コレクションはすべての収蔵品がデジタル収蔵されている大コレクションなのですけど、タイトルだけでは何が出てくるか分からないという難点があります。検索も使えますけど、大雑把なんですね。 ※表紙の2枚は上代方金(34.7g)と上代判金(166g)という、古代の金貨幣。恥ずかしながら見たことも聞いたこともない貨幣です。 ※散逸してしまったコレクションとしては博泉野村志郎極楽殿コレクションがあります。また平尾賛平コレクション、方泉處コレクションも・・・・ただ、こう言った品は現在私たち収集家を潤してくれているのも事実です。 |
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画像上段は侍古銭会のヨネさんから。何の変哲もない本座広郭に見えますが寶王が正の字になっています。寶王が正の字になった有名な贋作の天保銭があり、不知天保通寶分類譜別巻に「正冠寶」として掲載されています。(ネーミングは正王寶もしくは正玉寶とすべきですけど。)この手のものは通の字が前のめりになっているのですけど、ヨネさんの天保は不自然さがなく、改ざん品ではなくて偶然の鋳だまりと鋳切れによるもののようです。長径49.6㎜、短径33.0㎜、銭文径41.5㎜、重量22.51gと、本座にしてはやや規格外の大ぶり銭です。 下段は中国のRさんからの投稿画像。これは文字が小さくてものすごく地味なんですけど膳所額輪というかなり希少な寛永通寶。文字は細くて小さいものの字抜けが良くて美銭も多いのも膳所の特色です。かつて受験戦争を戦ってきた私としましては、灘、膳所といった名前を聞くと非常に懐かしく思います。もちろん私はそんな高校に行っておりませんが名門ですよね。古銭も名門なんです。 ※パソコンを完全切断している時間帯に限りメールが発信されていました。つまり、外部からメールアドレスを乗っ取られています。設定変更・メーラー変更してみました。これでだめならアドレス変更、パソコン交換が必要かも。ルーター交換が必要なのかもしれません。ハッカーおそるべしです。 |
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日本貨幣協会から会員名簿が届きました。これを見ると私も会員だったと確認できます。しかしながら私は下町古泉会のAさんから誘われたので入会したというのが本音で、現在もまったくの幽霊会員です。関東に住んでいるので距離的には参加は不可能ではないのですが仕事の関係で例会日には参加が難しいので入会をためらっていたのです。 今の会員数を数えてみたところ数え違いはあるかもしれませんが全国で260人余りが参加されています。任意の会としてはまずまずと見るべきなのかもしれませんが、かつての隆興を知るものとしてはさすがに先細り感は否定できません。地域的には東京に近い関東近県が多いのですけど、鹿児島、長崎、滋賀など空白地や風前の灯火の地域もいくつもあります。地方会員は例会には参加できないものの古銭が大好きで、その資料が読みたいがために会員であるわけでして、そんな思いを抱きながら会費を払って会員を継続している方はおそらくたくさんいらっしゃると思います。 つまり、この会の生命線は提供される情報が一番であり、会員交流がその次に位置づけられると思います。情報には一方的に発せられるものと、会員双方でやり取りできるものがあり、それぞれにオープンなものとクローズなものがあります。それらに、古銭の個人的交換(売買)をうまく絡めてゆけば協会運営は今よりもっと豊かなものになると思われます。 すなわち、日本貨幣協会もSNSサイト運営にそろそろ着手すべきだと思うのです。ネット上であれば地方の会員でも好きな時に参加、相談ができる、旅費もかからない・・・これが最大のメリット。会員を広く集めるためには情報はある程度オープンなものにする必要はありますが、会員であるメリットを生かすためにもクローズドな部分も必要であると思います。例えば会員しか閲覧できない情報掲示板であったり、会員しか参加できないネット入札であったり・・・。当然贋作を公然と売買する悪質な会員は除名。運営方針に万人が価値を認めた場合、参加者は飛躍的に増えると思います。収集誌さんあたりが主催してそんな半オープンな情報交換サイトを作ってもらえたらありがたいのですけど・・・。私にもう少し余裕があれば作っちゃうんですけどね・・・残念ながら技術も時間もありません。 |
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4月23日 【朽木公コレクション・その8】 朽木公コレクションには一応金銀貨幣、大判小判も含まれていますが、数量的にはさほど多くなく、とくに小判は状態が芳しいものが少なく、市中の通用貨幣といった両替印の多いものばかりです。その中でこの小判はひときわ異彩を放っています。 朽木公は13歳の頃から古銭収集が趣味で「古銭の王者」とも称され、海外貨幣にも興味を持ち前野良沢に弟子入りしオランダ語を習得。その結果、オランダ商館長のイサーク・ティチングとは懇意の仲になりました。(このことから幕府に目を付けられ交流を禁じられています。)この小判にはオランダの国章(東インド会社のものか)が打たれており、朽木公とティチングの友情を示す記念の品であろうことは容易に想像がつきます。土台になっているのは当時も珍しかった慶長小判であり、細目打ちで両替印もほとんどないことから、特別な収集物であったと思われます。(大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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4月22日 【大分貨幣研究会】 大分貨幣研究会はひょっとしたら日本で一番活動的な研究会じゃないかと思います。最近は文久永寶の探求に力を入れていますが、もともとは寛永通宝の探求に熱心で最近の活動においても数々の入手品展示(掲拓)があるようです。 |
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上段左は斜寶の大様母銭。東京のO氏の蔵品で26.13㎜の外径を誇ります。古寛永7はだいたい25㎜を超えれば大きい方なのですけど斜斜寶は25.5㎜を超えないと大きいとは言えません。でもこれは別格です。上段中央は仙台濶字手の背濶縁。やや大ぶりで24.82㎜。仙台銭には背が濶縁になるものが散見され隠れた珍品になっています。これは蛇の目といっていいんじゃないかなあ。神奈川のA氏の蔵品。上段右は背の波が変ですね。文久様だそうです。文久様には白っぽい黄銅質のものと白銅質系があると舎人坊石川氏が申しておりました。これはどうなんだろう。 下段左は明和期背佐の大様23.85㎜。得難い大きさですけど、24㎜のもの出てこないかなあ。下段中央は退点文の小点文ということですけど退点文の小文に見えてしまいます。この手の分類は微妙で難しい。下段右は島屋無背の母銭。輪にテーパーがついているそうで細縁銭に見えてしまいますが普通の(?)島屋無是母銭だそうです。拓本マジックですね。 |
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寛永通宝は当時の現行通貨ですから、収集するための理由が必要になります。書体の違いはもちろん、目立つ、数が少ないなどの何らかの付加価値がそこにあるのです。画像左上段はカタログの表示では直径25㎜ということになっていますが、右隣の享保期背佐の外径が26㎜なので少なくとも27㎜以上はある代物です。画像も粗いのですけど、計測値も結構荒っぽく、品物によっては0.01㎜刻みの表示もあるのですけど、ここら辺は0.5㎜単位の計測のようです。鋳造貨幣だからアバウトで良いとの考えなのかもしれません。左上の品は稟議銭と言われる正徳期小字背佐の彫母銭です。さすがお殿様。関係者からのプレゼントかしら。右隣は民鋳背佐の大型銭で、この大きさは母銭だとしても巨大すぎじゃないかしら。隠れた大珍品かもしれません。 下段は紀州和歌山御用銭とも呼ばれる短貝寶の鋳放し銭と長貝寶の試作鉄銭とされるもの。鉄銭ながらこれは超希少な品なのです。画像写りが悪いので朽木公の寛永コレクションは大したことがないように思われる方も多いかもしれませんが、ものすごい品が随所に出てきます。願わくばもっと美しいグラビア印刷にしてほしかったと思います。 なお、前述したように称:朽木公コレクションには公没後に収集されたものも含まれていますが、例えば天保通寶などは本座広郭の母銭が1枚あるだけでほとんど見るべきものが存在しません。藩鋳銭もわずかに萩方字が1枚ある以外は薩摩広郭ぐらいで、収集家としての着眼のレベルが明らかに下がっています。それだけ朽木公のレベルが高かったということなのです。なお、朽木公のコレクションには、江戸期の大研究者の宇野宗明の遺愛品が多数含まれていると伝えられています。(大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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朽木公の収集した寛永通宝には貴重な資料が含まれます。上段左の2枚は正徳期日光御用銭と言われるもの。中央の1枚が馬鹿でかいので小さく見えますが左端のものも26.5㎜ありますから4文銭並みです。重量も5.03gと重い。上段中央は外輪が未仕上げのもの。外径は28㎜、重量は5.28gです。外輪を仕上げる前に銭は穿内のバリを取ります。穿に角棒を通すことで銭の外周を仕上げることが可能になるのです。したがって寛永の通用銭の鋳放しは、穿内鋳放し+輪鋳放しか、穿内仕上げ+輪鋳放し・・・になると思うのです。ただ、普通は鋳放しなんて銭座の外には出ない。完全なるものには魔が宿るからわざと不完全なものを作った・・・という話があるのでそういった類のものかもしれません。 朽木公は錯笵銭はとくに好んで集めていました。今でいうエラー銭収集家のようなものです。上段右端は不旧手の背大ずれ。ここまではっきりしたものはまず出会うことは稀です。これは現代でも珍品でしょう。 そして下段の3枚は打印寛永の類。朽木公の収集品にもこの類が見られるということはこの薄っぺらな打印銭が朽木公の時代にも存在していて、しかも珍しく、朽木公の収集品としてきちんと対象になっていた・・・ということ。・・・つまり打印寛永銭はたとえ絵銭だとしてもかなり古い存在であるということの証明でもあります。(大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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寛永通宝は朽木公の収集物の中で皇朝銭・島銭とならび中核をなすものです。寛永通宝といえば当時の現行貨幣そのもので感覚的には近代銭や10円玉を収集しているようなものでしょうか。したがって朽木公の興味は背の文字・書体違いや大きさ、材質の違いのほかに、銅・錫母銭や錯笵銭などに及びます。 二水永の寛永は当時から貴重だったと見えて6枚だけの収蔵。その中には絶対的な稀品の二水大寶や背十三があるのはさすがです。ただ、背星や無背、マ頭通や長字などの姿は見えません。拓本以外で背十三の存在を確認するのははじめてで、あまりの少なさからこれも贋作・作銭説まで流れているぐらいの品。また、二水永短寶は製作、雰囲気が異なるからこれもまた近代銭説が噂されていました。朽木公のコレクションはこれらの疑問や不安を払しょくしてくれました。 下段左はカタログでは「寛永通寶」としか表示されていなかったもの。材質は銅で直径26㎜、4.0gの堂々とした姿。通がふんぞり返る雰囲気からして御蔵銭か短尾寛の原母のようです。その隣はマ頭通背仙の錫母これまた貴重品というか見たこともないです。そして新寛永収集の難関のひとつ背川です。これは贋作が多いとされ、私もなかなか手が出ない品。押上銭に雰囲気が非常に似ていますね。(大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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朽木公のコレクションの中の寶永通寶は非常に興味深いものがあります。画像上段左の宝永通寶は過去のどの泉譜にもなかったのじゃないかしら。記憶にありません。寶永通寶の試鋳銭と思われ直径28㎜重量2.86g錫製のもの。かなり崩壊が進んでいますが、これぞ朽木コレクションといった大珍品です。コレクションの中には同じく寶永の試鋳貨とされる二字寶永もありますから、朽木公のマニアぶりが分かります。その中でさらに注目を集めるのが、寶永の母銭に下段左の品が2枚含まれていることです。カタログでは細字母銭となっていますが、この書体は知る人ぞ知る広穿昴寶の母銭で、俗にいう通用銭のない母銭です。市中に通常存在する寶永の母銭はほとんどがこの書体ですから、何をいまさら、珍しくもなんともないじゃないかと思う方も多いと思います。背景にはこの母銭にはきな臭い噂がつきまとっているという事情があります。と、いうのもこの母銭は寶永通寶の通用銭から観察できる工法と製作(側面仕上げ)が異なるのです。具体的に書けなくて恐縮ですが、工法が異なるということは実に不可解であり、しかも通用銭がないとくれば・・・もしかすると後出の贋作じゃないかしら???ということなのです。浮上したのが寛永堂の名前…いかにもといった風貌なのです。この話は古い収集家には不確定な噂として流布されているのですけど・・・朽木公のコレクションに入っているとすれば、やはり試作品に間違いないのではということになります。もちろん、朽木公没後にこの寶永が紛れ込んだということも完全否定はできませんが、コレクションの質ということを考えたらこれは朽木公が収集したものと考える方がごく自然だと思うのです。そうなると寛永堂作の噂はかなり薄くなる。と、いうわけでこれは世紀の大発見(復権)の可能性があるのです。 最後に永楽の大様銭が出ていますがこれは仙台寛永座の開炉の記念銭じゃないかという噂の永楽通寶。直径34㎜、重量8.74g。どこかの泉譜でもあったと思うのですが見つからない。この永楽の素性についての情報をお待ちしております。(大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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朽木昌綱公のコレクションで最も大きな割合を占めるのが島銭のコレクションです。ジャワ島などから大量の舶載があったことから島銭の希少性はかなり減じられてしまいましたが、海禁政策下にあった日本において交易のない海外の貨幣を入手することは至難の業。もちろんすべての島銭が海外製であったわけではないと思いますが、入手が難しかったことは容易に想像できます。おそらく朽木公もこの奇怪な銭文に魅了され夢中で収集したものと思われます。 画像は上段左から時計回りに 開元通寶(翻字)、淳化元寶(翻字)、元井元寶、元化元寶(印字手) その他にも見たことのないタイプの島銭もあり、総数で130枚以上。当時としては日本最大のコレクションであったと思われます。印刷の発色が悪いので断定はできませんが、真鍮質のものは少なく、いわゆる和鋳とされるものが大半を占めているように思われます。中には神功開寶や和開通寶、切銭手淳化元寶、天吉用寶など、ちょっと知られた存在のものもちらほらありますが太邑元寶、元平宋寶、立開聖寶、洪成聖寶など聞きなれない銭文の島銭も多々見られ、さすがお殿様のコレクションと感心してしまいます。 (大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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朽木昌綱公の収集は金銀よりむしろ穴銭に興味があるようで、またその交友関係から海外の貨幣も集めて(日本で恐らく初めての)外国コイン泉譜も作成したことはあまりに有名です。皇朝銭も収集されていたのは当然でなかから富壽神寶の母銭が出てきたとも聞いていますが、富本銭をも収集していたことはあまり知られていません。3枚のうち2枚は大欠ですけど、大切にコレクションされているところを見るとこれらが貴重な品であったことを知っていたとしか思えないのです。また、絵銭の収集物がほとんど見当たらないことから富本銭が貨幣であるとも判断していたのではないでしょうか。書体違いの富本まで集めていたとはやはりかなりの研究家であったと思われます。 中段左は文禄通寶の母銭と推定されるもの。同様のものはたしか国立佐倉民族博物館に1品あったような気がします。(大川コレクション)その隣は慶長通寶小字鋳鋳ざらい母銭なる謎の品。古来、大字という大珍品の存在は知られていますがこれは確かに文字は小さい。隣の鐚式千鳥小様と比べても雰囲気はわかると思います。果たしてこのような古銭があったのか。少なくとも100年以上前に集められた古銭コレクションであり、朽木公が集めた可能性が高い品だと思うのです。鐚式の千鳥の慶長通寶を集めているところからも、朽木公がかなりのマニアにして研究家であったことがうかがえます。それにしても鐚式千鳥の慶長通寶の小型銭・・・これにはちょっとほっとしますね。 下段は元和通寶のコレクション。大字、小字母銭、肥字きれいに3種そろい踏み。こういった集め方はマニアならではのものだと思います。大字も珍品ですけど肥字はもっと珍品じゃないかしら。銅質製作が異なるため、やれ時期が違う、鋳地が違う、口が悪い人は偽物だ・・・なんて憶測が出そうですけど、福知山公も集めているとなれば権威復権ですね。ただし、偽物は江戸期からあったという噂も・・・。いずれにしてもこれらは生涯拝めそうにない代物です。代表選のオンパレードと言っても過言ではありません。 (大英博物館所蔵日本貨幣カタログより) |
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4月15日 【朽木公コレクション・その1】 下の画像は1999年に大英博物館で再発見された丹波福知山藩主朽木昌綱公の御用銭コレクションです。このコレクションは江戸末期に海外に流出したと思われますので、当時の収集界に確実に存在したものであると断じることができます。コレクションには朽木公の没後に発行された万延小判や幕末貨幣が含まれていますから、朽木公自身の収集品の他にいろいろなものが混じっていると考えたほうがよさそうです。ただ、少なくともかなり古い時代に集められた穴銭コレクションが主体であることは間違いなく、マニアックな穴銭ものは朽木公が関係した品である可能性が高いのです。 なかでもこの御用銭のコレクションは圧巻で、これに関しては穴銭収集に熱心だった朽木公が収集した原品に間違いないものと思われます。なぜ今更この画像を出しているからというと、現在ネット上に御用銭の売り物が出現しているから。 薩摩小字もそうでしたが難波御用銭もいろいろなタイプが存在し、私は怖くて手が出せない品のひとつなのです。この難波御用銭は寛永通宝収集家にとってあこがれの品であり、東の横綱が島屋文細縁だとしたら間違いなく西の横綱に入れるべき品です。いつかはクラウンならぬ、いつかは難波御用銭なのです。ところが最近はあやしい品が多すぎてこの御用銭ブランドが今危機に瀕しているのです。 本来は進行中のオークションについては言及しないのですけど、真贋もわからないし今は参加する気もないので(無責任)勝手に話題にさせていただきました。ごめんなさい。 ネットの品はとてもきれい。面側の文字の感じは好きですね。とても自然。側面はかなりきっちり垂直に仕上げられています。少し鋳不足がありますが、むしろ自然です。やや近代的な香りがしますが、本物を知らないので分かりません。同様に背も整いすぎて少し気になりますが、変色のせいかもしれません。気になるのは鋳張り。穿内未仕上げなのに側面だけがきっちり仕上げられています。私的にはあまり考えられないことですけど、見たことがない品なのでこれ以上は論評できません。重量もちょっと軽いのが気になりますけど、ありえない数値ではないですね。結局・・・わからないので皆様のご判断です。収集物としてはそこそこ古そうです。朽木公の収集物を穴が開くほど眺めて悩んでください。 |
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1995年の方泉處第11号が私と天保仙人様の初めての出会いです。と、言っても記事の中の写真に天保仙人様が登場するだけで、私は感心しながらその記事を読む側にすぎませんでした。その時の特集は天保通寶マニアックワールドであり、その中で天保通寶収集家四天王訪問として秋田の村上師、青森の板井師、愛知の三納師、それと天保仙人様が登場するのです。いや~みんな若い若い。その頃の私は古銭の収集を再開した頃で、このHPを作り始める10年近く前のことでした。その後、いろいろな縁があって本物の仙人様や村上師にお会いすることがかないました。(感動しました。)板井師には一度だけご挨拶したことがあったと思いますが、三納師には未だにお会いしたことがありません。その三納師がこよなく愛するのが上段の不知銭。驚いたことにかつて誌上入札に出ていたということですが唯一無二の品。当時はまだ名前がなく長郭手異書(体)と仮称されていましたが、方泉處誌上では「三納天保」の活字名になっていました。(類似カタログでは退天巨頭通と命名されています。) その下の画像がいわゆる仙人天保の縮字宏足寶。この天保通寶はかつて北関東の収集家が発見保有していたはずで1988年の天保通寶研究会創立15周年記念泉譜にその姿を見ることができますが、今では仙人様の自慢の一孔に収まっています。こちらは実物をも拝見していますが見るからに珍品でした。(→ 夏の古銭会)不知天保通寶分類譜を見る限り変種もあるようなのですが、本当に存在するのかもわからない。いずれにしろ上記の2品は古銭を思い浮かべると所有者の顔が浮かぶという代物なのです。ところで三納天保と仙人天保よく見ると筆法の癖が随所で似ているところがあります。まったく、どこまでも興味深い不知銭ですね。 でもって、私の天保通寶の代表銭候補の三画像を載せます。 奇天手は有名ですし、書体の風格もありインパクトも十分。しかも超美銭ときたもんです。さらに青森の板井師の旧蔵品にして類似貨幣カタログの原品と由緒も正しい。ただ、難点を言えば奇天手は市場に枚数がある程度存在します。不知天保通寶カタログには8品とありますが、もう少し存在するかもしれません。したがって奇天手を思い浮かべても所有者が浮かばない。そのためこれこそこれがNo.1奇天手だ!と称したら異議を唱え怒る方が何人いるでしょうか。 上から4番目の異書延尾通(異貝寶異當百)ですけど確認できた現存はこれを入れて2枚のみ。これだけ激しい削字変化はなかなかなく、しかも書体のオリジナル性もあります。もっとも不知銭の場合、他に現存の確認ができないものは結構存在しますから、類品を見ないから珍しいとも言い切れないかもしれません。それでもこの品は昔からの有名品で、母銭づくりの1枚だけが長く存在を知られていました。(名前もなかなか定まりませんでした。)その1枚は秋田の故村上師のコレクションの中にあり、今は果たしてどなたの手に渡っているのでしょうか。その存在の大きさがあまりに強烈すぎて、私の代表銭にするにはちょっと気が引けますね。 最下段は先日入手したばかりの薩摩小字黄銅質大様銭。見栄えは抜群で奇天手以上に風格があります。黄銅質大様タイプのものは非常に存在が少ないはずで、天保仙人様の収集品以外では初めて見ました。逆説的に言えば、写しタイプの異銅・異製作銭がたくさん存在するということ。しかも同炉であるとは言えないにしても贋作であるとも言い切れない。とはいえすべてが正しい品かというと多分そうでもないと思います。 それにしても気品漂うオーラでほれぼれしてしまいます。(自画自賛)入手直後の感激でしばらくの間はこれが私の代表銭になるかもしれません。それでも現存1枚じゃないから名刺代わりにはならないかしら。そういう意味ではやはり島屋文小頭通細縁が私の代表銭ということになるのかもしれません。 |
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※携帯で記事確認していたら板井師のお名前がすべて板倉師になっていました。(大変失礼いたしました。汗!)帰宅して大急ぎで修正してほっとしていたところ、すでに玩多夢様に気が付かれてしまっておりました。(ご指摘ありがとうございます。汗!汗!) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
薩摩小字の真贋判定は難しいので私は薩摩小字には手を出さないと半分心に決めていたのですけど、大和文庫さんの画像を見た瞬間そのことを忘れました。薩摩小字はそれまで出会った品の多くが長径が49㎜未満で色彩もバラバラだったので自信が持てなかったのです。(ただし、長人偏タイプでは2012年に鉄人が入手されたものが別格でした。製作日記2012年12月22日参照) この品は短人偏タイプとしては初めて見る抜群の品。短人偏タイプは仙人様やH様の品を拝見したこともありますが、これは間違いなく初鋳品です。高ぶる理性を抑えることができませんでした。先日も書いたように黄銅質の大型の薩摩小字は格調も高く超々珍品なのです。実物の銅質は本座によく似た精工なもの。極印は仙人様宅で確認した通り琉球小字の極印に似た小さな形ですけど、脇の花序の部分がかなり細長く鋭くなっています。名称は薩摩としていますが黄銅質で練れも良くはたしてどうなのか?少なくとも過去に見た赤い写しタイプのものとは別格の名品だと思うのですが、過去の泉譜で同じ品が確認できていません。果たしてこいつはどなたの持ち物だったのでしょうか?ご存知の方は情報をお教えください。 |
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4月12日 【代表銭】 天保仙人様から代表選はありますか?・・・という投げかけがありました。長きにわたって収集をしていますからそれなりのある品はあります。ただ、代表銭というと ①万人が認める希少性 ②状態 ③古銭としての格式 ④思い入れ ⑤看板性 などが影響してきます。 たしかに野崎彦永右衛門(野崎静修軒)の名前は知らなくても野崎和同の名を知っている収集家はたくさんいらっしゃると思います。もっとも、本人が思いを持っていても万人がその古銭をその方の看板=代表銭だと思っていないこともありますし、その逆のこともあります。秋田の村上師など、仙台銭をも贔屓にしていたとは確かに誰も考えていなかったんじゃないかしら。また、収集が進むにつれて看板が掛け変わることも普通にあると思います。 じゃあ、私はないかと問われたらみな「寛文期亀戸銭島屋文小頭通細縁(母銭)」じゃないかというと思います。 島屋文小頭通細縁(母銭)
寛文様
打印銭銀寛永
ほかに、加護山細字狭文様母銭(新寛永通寶図会原品)とか白目中字写(葛巻母銭)などきりがありません。 こういった雑銭の方が私らしい気がしますが、看板にはならないでしょうね。続いて目下のお気に入りの天保銭。 奇天手(類似カタログ原品)
異書延尾通(異貝寶異當百)
薩摩小字(黄銅質大様)
長郭手俯頭通(平マ頭大様)
付き合いは最も古いのです。したがって思い入れは抜群です。 細郭手容弱(通用母)
南部大字(最大様)
私の場合コレクション全体が一つと見て頂きたいので・・・まだまだ決められませんね・・・。 |
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4月12日 【薩摩小字のアラカルト】 不知天保通寶分類譜(瓜生有伸編)によると、薩摩小字がはじめて泉譜に掲載されたのが昭和10年の天保銭図譜(小川青寶楼著)だそうで、同著は小川師初の本格泉譜ですから同氏の原点といっても過言ではないと思います。戦前に小字の存在は2品程度だったそうですけど、泉譜発表後続々と類品が出現したそうで、・・・。 小川師が発表した薩摩小字は長径49㎜を超える細字の精巧品。新訂天保銭図譜を見ると小字(四位)ながら、別書きで黄褐色(一位)とあります。つまり黄褐色大型の薩摩小字はかなりの珍品であり、小川師の思い入れがよく分かるのです。ちなみに新訂天保銭図譜で一位のものは会津萎字や奇天など。草点保は六位ですから今とはずいぶん違いますが、黄褐色の小字をずいぶん高く評価したものです。一方で小字には短人偏タイプのほか、長人偏タイプのものが存在します。(不知天保通寶分類譜には並行人偏タイプも掲載されていますが短人偏タイプとは微差で、同規格品と見ても良いかと私考します。)長人偏タイプは別名肥字で、銅色も異なり製作もやや劣るようです。したがって位付けも新訂天保銭図譜で五位となっています。瓜生氏もすべてを同一視することはできないと述べており、誠に歯切れの悪い文章になっているのです。たしかに大きさは49㎜超過のものから48㎜程度しかないものまであり、銅質も黄褐色から褐黄色、赤褐色、赤銅色、白銅質から純白まであるそうです。何やらよからぬものが混じっているきな臭い香りがする一方で、戊辰戦争時の薩摩が行軍したと思われる東北の地域で赤い薩摩小字が複数枚発見されるなど傍証的な逸話・・・作話?・・・も残されています。私にとって薩摩小字はあこがれの品なのですが、手を出すにはかなりの勇気が要る品でもあるのです。(出しちゃってますけど) |
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4月10日 【秋田小字降寶大様】 こいつは欲しかった元文期秋田小字降寶の大様銭。ノギスの値を読むと23.05㎜、重量は2.44gと軽め。新寛永拓影集だと大様は23.8㎜ということですがこれはもっと大きく濶縁に見えますので、拓影集の数字は22.8㎜の誤りかもしれません。というのも新寛永通寶カタログでは23.0㎜が銭径の上限ですし、1980年の収集9月号に大西良彦氏による秋田小字の大量見聞録(降寶は118枚の検証)が掲載されていますが、大様は23.2㎜、小様は22.2㎜となっています。かつて秋田大字の大様銭というふれこみのものを購入したことがありましたが「焼伸び銭」でした。これは風貌から間違いないと感じます。 |
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締め切りが過ぎたのでようやく話題にできますが、大和文庫に出ていたこの2枚は光り輝いていました。 南部大字は一昨年に私も入手してHP上に掲載させていただきましたが、計測値が正しいとすればこれは私の所蔵品に匹敵する最大様ということになります。(長径49.9㎜ 短径33.8㎜ 肉厚3.2㎜)あの最大様は南部の収集家が驚くサイズでしたし、過去のどの泉譜にあったものより立派でしたから。さらにその後、彫母と思しき品もネット上に現れ大騒ぎになりました。さて、この品、価格は強気でしたけど果たして何人が応募するのか? そしてもう一品が私あこがれの薩摩小字です。薩摩の小字には長人偏と短人偏タイプがあり、これはあきらかに後者の方です。長人偏タイプは数年前に鉄人が落手されていましたがあれは超美品でした。しか~し、この品はそれ以上の品。当然私も黙っちゃいられないもののない袖は振れない・・・しかし振り絞っても振りたい。どうするんだ固定資産税!物納してでも欲しいなこれ・・・女房に黙って最低価格に近い値でこっそり応札してしまいました。結果が出るまでドキドキですけど、どちらに転んでも怖い。完全に壊れてしまいました。薩摩小字は怪しい品が非常に多いけど、これは納得のゆく作りです。名品ですね。 |
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今年は少しおとなしくしていようと思っていたのですけど、揚足寶を購入してから金銭感覚がぶっとんでしまいました。今日も午前中にすべての用事をすませていそいそと新橋へ・・・未練たらしく先日失った天保の確認へ行ったのです。やはりない・・・。すべて私が悪いのですから仕方がないのですが、かわいそうに思ってくれたトキヤさんは、格安で右側の長郭手を売ってくださいました。いい人です。やや白銅質の写しの品ですけど、背の輪の周囲がかなりきつく削られています。B級+の不知銭です。これで機嫌が少し治りました。 さらに癒しを求めにウィンダムさんへ・・・ここでもただでは帰ることなく、覆輪の細郭手を購入。私には自制心というものがないのか?・・・一人自爆テロ状態になってきました。覆輪銭がやさしく私に語り掛けてきます。ねえ・・・連れてって。 この手の細郭手は銭文径の縮みがあまりないのが不思議ですね。ずんぐりむっくりの銭体で拡大画像を撮ったら面背のあちこちに覆輪痕跡が残っていました。サンプルとしてはとても面白いしなですね。この画像でも十分に確認できます。 すっかりご機嫌で家に帰ると、市役所からの固定資産税の請求書らしきものが郵便受けに・・・どうするんだ、固定資産税の資金を古銭に支払ってしまったんじゃないか・・・。ちょっと現実に引き戻されてしまいましたが、自爆完了でして後の祭りです。 |
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上段は下町で購入した錯笵銭です。このような小汚い錯笵銭を好んで集める収集家として呑泉こと安達岸生師がかつて有名でした。もちろん一度もお会いしたこともないのですけど、その名著穴の細道はボロボロになるまで読ませて頂きこの道にどっぷりはまるきっかけを作って下さいました。明和期佐渡銭は錯笵が比較的多くみられる銭座ですけど、本当に見てくれが汚いです。好きものじゃなきゃ集めませんね。 下段は久々に入手した組み物の中にあった覆輪の長郭手。かなり赤い銅質で銭文径も1㎜以上縮小します。文字加刀はほとんど見られませんが輪の周囲に加刀修正が見られ、一部が輪に喰いこんでいるように見えます。天上にも加刀が見られますが刔輪と名乗るほどでもないかな。 |
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水戸揚足寶は実数があまりにも少なく非常に地味な存在です。拾い出した過去の話はよく聞くのですが実数は極端に少なく、実物を見たのはこの3枚以外1~2枚ほど。オークションにも1回ぐらいしか出ていません。存在数は遒勁より格段に少なく、会津の萎字と同格かそれ以上の希少品であると断言できます。泉譜から得られる情報も限られていて購入の際に不安に思うことも多かろうと思います。一番の特徴は面側だけでなく背の濶縁ぶりと花押の一番上のツノの短さ、それと穿が小さいこと。泉譜にはいろいろと特徴が書いてありますが今回の入手品は必ずしも合致していません。背郭が横広になっているところから、おそらく背側が横ずれを起こしていると思われます。そのため當百、花押とも横広で巨大です。同じ特徴は昨年の入手品にも見られますから、あるいは母銭からこうなのかもしれません。また、保点も長く、寶足は鋳不足で陰起しているなど泉譜があてになりませんが、あくまでも私の主観ながら間違いない品です。 なお、當百銭カタログには揚足寶小様という亜種が掲示されています。長径が47㎜台になるようですけど、拓図以外見たことないからわかりません。 |
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毎日このコーナーを見ている方は昨日と記事構成が変わったことに気づかれると思います。実は昨日の夜は、1枚納得のいかない買物をしてしまったことと購入することが決断できなかった品を思い浮かべ悶々としていました。そこへ悪魔のささやきが・・・納得いかないものを返品する代わりに、欲しいもの買ってしまえばいいんじゃない。私は悪魔のささやきにとても弱いのです。幸い水曜日はお休みです。午前中に急な仕事は入ったものの、ササっと済ませて一路東京へ。目指すは新橋「トキヤ」さんです。 そして私の心に語りかけていた悪魔は右の品・・・水戸揚足寶なのです。昨年、大騒ぎして入手した品があったのですけど状態は芳しくなかった。しかしこの品は素晴らしい・・・ただ、肝心な寶の前足が鋳不足。これをどう見るか?私が知る限り、日本で最も美しい水戸揚足寶は天保仙人様のものだと思っていましたが、これはそれに次ぐんじゃないかしら。背側に限って言えばこちらの方が美しい。だから迷うのです。さんざん迷いましたが結局、これに合わせてさらに2品購入。(増えているじゃないか!)返品は手数料として1000円だけ払ってますが、もっとおまけしてくれたのでかなりラッキーでした。水戸揚足寶は地味な名前なので「大濶縁」とでもつければよいと思うのですけどね。 返品ついでに追加購入してしまったのが不知細郭手強刔輪。不知天保通寶分類譜上巻P53に降点尓寶の名前で掲載されていますが、これは短尾通細字の系統の品の可能性がかなりあります。極印がそっくりですし、斜冠寶で背の當字のツ点の癖も酷似していますからほぼ間違いないでしょう。 ついでにもう一枚・・・不知長郭手赤胴小様、異極印でかわいいやつです。 さて、大満足で帰宅して机の上を見たら・・・返品したはずの品が残っている!これはトキヤさんに悪いことをしたと思い、番号を調べて連絡を入れました。間違えたのは大方、机の上にバラで置いていた比較用の本座銭だと思っていましたが、調べたらとんでもない間違えをしていました。返品したのは写真最下段の不知長郭手覆輪背肥郭で、悲しいことに昨日買ったばかりの不知天保通寶分類譜原品でした。再確認するともう売っちゃったとのことなんですけど覆水盆に返らず。がっかりです。厳密にいうと商売上の損得はほぼないのですけど、返品しそこなったのと残しておきたかったものを失ったショック、財布が軽くなってしまったむなしさでウツになりそうです。私の手元には村上氏の書いたタグだけ残っています。購入した方・・・タグありますから連絡ください。 |
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久々に東京に出張して会議に参加。その帰り道に新橋に寄り道をしました。何か目新しいものが入っていないかな・・・と物色ですね。時間がないのでこの界隈が一番回りやすいのです。ただし、ここ界隈は東京の穴銭好きスポットで、ディープなコレクターもよく立ち寄るので良いものがあるか否かは運次第です。買うものがなくても何か記念に買おうと物色し、見つけたのが一番上の品。水戸揚足寶・・・と言いたいのですけど短足寶のやや大ぶり銭。長径49.5㎜、短径32.9㎜で大したことはありませんが、背の朱のマークが気になった。たぶん山の字で、昔の収集家の符丁でしょうけど誰でしょうか?山本文久堂?まさかね。 帰ろうと思ったところで今まで何度か見た品をもう一度観察。ルーペを借りました。そしたら福岡離郭の中に変なもの発見。と、いうわけでもう一枚購入することになりました。離郭の玉持ち極印でした。しかし、これはあまり濶縁になっていない。銭文径は41.4㎜でやや小さいものの研ぎが強くないからだと思います。重量は25.3g・・・離郭は重いですね。 7時過ぎにインターネットで落とした会津濶縁らしきものが到着。やはり接郭じゃなかった。長径49.2㎜ 短径32.8㎜ 銭文径40.1㎜ 類似カタログで会津濶縁の再覆輪とされるもの。2月18日の記事のものと比較してください。かなり雰囲気が違うでしょう?でも、これが本来の会津濶縁の再覆輪なのです。会津にしては金質がかなり白っぽい。クリーニングでガムテープは取れましたが、状態そのものはあまり良くないと思います。会津濶縁を集めてしまうのは私の病気ですね。これで何枚目だろうか。4000円なら納得ですけどね。 |
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関西のHさんからのおたずねもの。あまりにきれいな欠貝寶。ただし、文銭図譜にも文銭カタログにも類品はありません。果たして偶然の一品ものか、夢の新種か? 皆様のご意見をお待ちしております。 |
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不知天保通寶としては久々の収穫。しかも秋田の村上師の遺愛品でした。英泉天保通寶研究分類譜の原品で「俯頭短尾通連玉冠」の名称で掲載されていますが、手書きタグには「俯頭辵連玉冠」と「異頭通短尾通小点尓小様」とあり、名称付けに苦労した様子がうかがわれます。画像ではわかりにくいものの寶字がかなり陰起していて狭玉寶であり、接点通、背の花押もかなり太細があります。加刀があまりないように見えますが、観察すると文字周囲が深く彫り込まれています。寶足付近と當上に小さな刔輪がされているのはわかると思います。長径47.8㎜はかなりの縮形ですけど銭文径41.1㎜は1回写しのレベルですから、磨輪されて細縁になっているのも一つのみどころです。結局名前は俯頭短尾通縮形としました。先師の名称を半分生かし銭径が異様に小さいことを表しました。刔輪でやや長足になる点をどうしようかと思いましたが今回は見送り。地味な不知銭ですけどサイズは小さくありそうでなかなかないものだと思いますよ。 |
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3月20日 【長角花押の接郭】 東北のSさんが呼びかけた横長花押の接郭ですけど、続々と類品が出てきます。画像左は関西のSさんから、そして右は九州のHさんから送っていただいた画像です。角が長い接郭は案外存在するのかもしれませんね。 |
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3月18日 【これな~んだ?】 関東在住のOさんからのご投稿。見たことがない書体ということですけど古寛永をかじっている人ならピンとくるものがあるかもしれません。まるで寶は魚尾寶ですし、永字の右の打ち込みはどう見ても変です。これは一体全体何? → 浩泉丸の見解 |
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また、禁断の古寛永に手を出してしまいました。焼伸びではない肉厚大型古寛永で手が止まりませんでした…でも納得です。 平成古寛永銭譜の原品であり、久泉資料や古寛永泉志には俯永手小字は未載。古寛永岡山銭泉譜には「俯永手小字”俯永手中最も存在が多い・・・”」とありましたから本来なら(大きくなければ)雑銭なんでしょうね。俯永と俯永手の差異は本当に微差で、一番わかりやすいのは俯永は永フ画が左下がりで永柱に向かって突き上げるようにはいってくることぐらいです。岡山銭には濶縁小様という有名な俯永系小字銭があり、私もその25㎜の大ぶり銭を保有していますが、これはそれより大きな25.27㎜。これは一般的な俯永手の母銭よりはるかに大きいのです。しかも原品は肉厚のすこぶる美銭。別格の品だと思われます。平成古寛永銭譜には俯永手小字濶縁大様(四)とありますが、ネットに出てきたときには俯永手濶縁大ぶりになっていましたので競争なく入手できました。これは寛仙堂師のつくった札にそう書かれていることが要因じゃないかしら。他泉譜にまったく記載を見ないことから評価を超えた珍品かと思います。 |
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3月6日 【本物はどれだ】 長郭の枝銭が出ていました。ものすごく盛り上がっていましたけど、君子危うきに近寄らず・・・(ない袖は振れない?)でスルー。それにしてもかなり加熱していましたね。出来栄えは抜群でひょっとしたら本物・・・母銭の枝銭という気も沸いてしまいます。少なくとも母銭からの由来と見ました。 天保通寶については枝銭だけでなく、鋳放しや半仕上げ銭などもかなり貴重。なにせ、見つかれば一族を含め死罪は免れない重罪に問われたのですから。したがってこういった代物はごく一部を除き幕府瓦解後の天保通寶の価値暴落後・・・天保通寶通用の廃止の後のできたもの・・・もしくは贋作がほとんどだと思います。資料的にも天保通寶の枝銭は皆無に近いものなのです。 |
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①は釜屋権右衛門の願い書とともに発見されたと伝えられる水戸藩(小梅邸)の枝銭(背異替:明治30年東京古銭会雑誌31号出品・藤井深藪庵旧蔵)の画像です。しかしこの品は後に解体されてしまったということですから何か不都合があったのでしょうかね。今回の品と雰囲気がとてもよく似ています。 ②は福岡離郭の枝銭とされたもの。湯返しと呼ばれる根元の部分は小さいものの、枝が細い形状。この品は元になった母銭の存在も知られています。ただ、今は要審議品だと言われています。 間違いないと言われる本座の枝銭の画像が③。今はどこにあるか行方知れずです。 さて、今回の品をどう見るかは皆様次第です。あなたはどう考えますか? → 浩泉丸の見解 |
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2月24日 【たじさんの天保通寶収集】 恐ろしいほど勢いがあるというのはうらやましいものでして・・・侍古銭会のたじさんがまた大物を入手されました。不知長郭手の名品の尨字塞頭通です。入手先は古銭店ということですから清水の舞台から飛び降りる覚悟で入手されたのでしょうけど、なかなかの美銭ですね。この類は完全オリジナルの書体で何とも言えない愛嬌のある筆運び。尨はムクイヌを意味するので、ちょっと意味不明なんですけど、ムクイヌの巻き毛ようなコロコロした愛らしさをイメージしたようで・・・。尓の柱が後ろに傾き、後点が長く大きいのと短い寶足を目いっぱい開いている姿が印象的です。鋳肌の様子はこんな感じのものが多く、かなりきめ細やかと言いますか中にはぬめぬめした雰囲気のものもあります。 |
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よくぞ購入を思い切ったものだと思います。最近の私は清水の舞台どころか50㎝の段差も飛べないほど臆病者になっていまして、その割に無駄遣いの多い生活をしています。私も若さと勢いが欲しいです。それにしても良い品ですね。よくよく思い出せば私も一度見ている品だったかもしれません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
もう一枚は1月29日の東北のSさんの探していた横長花押の接郭。これはなんと八厘会の盆回しで入手されたとのこと何たるラッキー。情報を制する者は世界を制しますね。私?・・・情報に支配されてますから全く生かせてません。四国のKさんに続いての出現でこれで3枚目の発見ですから、手変わり認定されても良いと思います。そうなると源氏名が欲しいですね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝手に候補名を挙げます。 ①横長花押 ②長角花押 ③長刀花押 ④薙刀花押 ⑤長鉾花押 ⑥長剣花押 ⑦天狗花押 ⑧長鼻花押 ⑨牙長花押 ⑩象鼻花押 ⑪尖鼻花押 ⑫牙突花押 |
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2月23日 【島屋直寶の選り出し】 関西の青春コレクターHさんからいくつか画像が送られてきたのですが、その中の一枚です。それがなんと島屋直寶。知人に譲ってもらった1000枚挿しのなかから深字背文、島屋無背とともに出てきたそうです。 外径25.62㎜、内径20.61㎜、重量4.8g、肉厚1.4㎜前後のしっかりした品です。文銭挿しの中からの出現でしょうけど、知人は相当良い人ですね。こういったお話で私は良い思いをしたことはほとんどありませんよ。まずはおめでとうございます。これであなたも古銭の虜でしょう。 |
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2月22日 【丸屋の大様銭】 北陸のMさんからお便りがとどきました。添付画像を見ていてもピンとこない方は多いと思いますが、この丸屋銭の直径が26.24㎜(通寶間)~26.44㎜(寛永間)あると聞けば驚くと思います。 丸屋銭は新寛永通用銭中でもっとも大型で均質な品質を誇ります。書体の変化もなく、数も多いので立派な割に雑銭扱いなのです。時々大きなものがあり、私も25.8㎜のものまで拾っていたのですが雑銭に交じってしまい目下行方不明です。 しかし、26㎜を超える新寛永の大型通用銭はさすがに丸屋銭でも聞いたことがなく、特別な品としての御用銭ぐらいしかありません。新寛永通宝カタログにおいての丸屋の母銭のサイズは26㎜となっていますので、これは母銭としても大きなものということになりますが、郭内の鋳張りから母銭としては失格です。厚みは1.2㎜ということですから焼伸びや叩き延ばしでもなさそうです。 ではこいつは稟議銭のような特別な品? それとも丸屋御用銭? この謎、皆さん分かりますか? → 丸屋大型銭に対する見解 |
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2月21日 【中正手の永楽母銭】 ネットで画像を見ていて「大きくてきれいだな~いいなあ~」とため息が出てしまいます。鐚永楽も母銭も収集の対象外と決めているのですがこのような奇麗な鐚母銭はほれぼれしてしまいます。永点が鋳だまりなのか涙のような形状になっています。母銭なので通用銭にきっとあるでしょうね。少し前に収集した画像です。ほしい方は必死にネット検索してください。私?・・・手(予算)が出ません。 |
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2月19日 【会津濶縁と久留米正字濶縁】 古銭の分類をしていて、この会津濶縁と久留米正字濶縁(石持桐極印銭)ほど分類が悩ましいものはありません。HPでは久留米としてないのですがもはや確定的と言ってもよいようです。 両方とも覆輪の濶縁縮字銭で、私の最も好むところなのですけど、中間的な製作のものも存在しますので時に判断が割れることもあります。 簡単におさらいすると・・・・ ①両者の書体的な差異はほとんどありません。 ②極印は会津が大き目の五芒星型極印、久留米も大型の石持桐極印です。 極印で決着がつけば簡単なことですけど、極印は破損や打ち損じも多いのです。ですから過信はできません。 次は材質を見ます。 ①会津濶縁は淡い黄褐色が多く、数は少ないながら黒みの少ない赤褐色のものがあります。 ②久留米は柔らかな感じのする黒みのある赤褐色~褐色が多く見られます。黄色系はまずないですね。 明るい黄褐色もしくは鮮紅色なら会津なんですけどね・・・これもあてにはなりません。 そして砂目、鋳肌です。 ①会津は細かい粒子でやすりのようにざらつくもののが多いのですが、手ずれで滑らかのものもあります。 ②久留米はごく滑らかなものと、粒子が粗くごつごつざらざらした荒れ肌のものがあります。 これは感覚的なものなんですけど、雰囲気の違いは銅質や仕上げも影響しています。ただ保存状態による例外もあります。 最後の決め手は文字周囲の地の観察です。 ①会津の文字周囲の地には加工はほぼありません。文字は細めのものが多いですけど、研ぎ仕上げによって変わります。 ②久留米は文字周囲の地が彫り込まれたものが多く、それはまた文字そのものも太くなりやすい。 と、これだけポイントがあるのですが、それでも決定打がありません。したがって迷ってしまうことが多いのです。 |
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もし、好きな天保銭は何?・・・と聞かれたら、私は会津濶縁と答えるかもしれません。本能的に濶縁縮字の天保銭が私は大好きなのです。 上段はネットから収集した画像です。最後まで追いかけましたが終了間際でかわされ負けました。まあ、いつものことですから気にしていませんが、この天保銭に3万円の価格を付けられる人物が私以外いたとは驚きです。ご安心ください、あなたも私と同じビョーキです。この病気は入手できないと心理的悪化が進みますが、入手すると経済的な悪化とともに中毒性が高くなるのです。私は会津濶縁病といっても過言ではないぐらいはまってます。 濶縁離足寶には輪の左側に傷があるものが多く見られます。この天保にもその痕跡が認められますね。書体は模範的なものであり、状態も申し分なさそうです。 さて、会津濶縁とこの濶縁離足寶、会津短貝寶の関係が私には今ひとつわかっていません。会津濶縁は本座からの覆輪写しもしくはその摸鋳銭でしょう。そして濶縁には再覆輪と呼ばれる濶縁縮字銭があります。その濶縁縮字の中に離足寶があると考えられているのですけど、どうも再覆輪と離足寶は別物かもしれない・・・という漠然としたイメージが私にはあります。濶縁離足寶は筆法が短貝法に似ているのですね。(とくに背當)ただ、銭文径などから見てこいつは短貝寶から写されたものではない・・・実は短貝寶の銭文径は見た目以上に小さく、濶縁離足寶とほとんど同じなんですね。だから、短貝寶と濶縁離足寶は親子関係ではなく兄弟関係じゃないかな・・・そして中間体もあるのではないかなと思っていたのです。 ところで、本日届いた貨幣誌にMさんの会津濶縁大様の拓本が掲載されていました。長径49.67㎜、短径33.19㎜、覆輪痕跡の残る堂々たる姿。これは昨年11月22日にウィンダムさんで拝見したそのもの。それが中段の画像の品でもあります。本当なら貨幣誌に詳しい説明をがあってしかるべきなのですけど記載がなく、それではこのすごさが皆様に伝わらない・・・で、黙ってられなくて画像ともども記事を書いてしまいました。(Mさんごめんなさい。我慢できませんでした。) 実はウィンダムの店頭で店長のAさんとともに、これが短貝寶なのか濶縁なのか議論になりました。天の足は短いし、輪の傷もあるし、通頭は盛り上がって小さいし、寶足は開く・・・濶縁離足寶の条件はみんな揃っていますが、文字は力強いし、保は横広で後点が湾曲して開く(下段右)し、こいつは大きいだけじゃなく、普通の濶縁離足寶じゃない。だいたい離足寶になりきれてない。じゃあ、濶縁?なら、なぜ輪に傷があるのだろう。それに、こんなアンバランスな保点は絶対濶縁じゃない・・・本座の写しとは違うのです。じゃあ、離足寶か短貝寶の母銭のなりそこない? 思い出したのがかつて天保仙人様のご自宅で撮影した会津短貝寶です。(下段) どうです、見比べてください。天の前足の長さは違うものの筆法はそっくりでしょう?私はますますわからなくなりました。会津濶縁はだから面白いのです。(以下のコーナーに特集記事がありますので参考にしてください。) → 夏の古銭会 → 改造銭物産展 |
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2月17日 【和泉進次郎コレクション】 週末に銀座コインからカタログが届きました。 和泉進次郎さんて誰?元首相のお子さん?とつぶやきながらカタログを開くと、豪華な金銀大判小判のオンパレードです。個人のコレクションの売り立てのようですけど、まあよく集めたものです。大判小判や古丁銀の博物館級の美品が次々に出てきます。私は金銀貨幣は専門ではないのですが、ひとめ相当のコレクターであることが分かります。侍古銭会のたじさんが掲示板で言っていたいたカタログですけど、2日遅れで届きました。 入札の締め切りは3月10日16:00。ネットで会員登録をすればその場で応札も可能(通販サイトから登録)。また、カタログの内容についてはネットですべて閲覧できます。古金銀、大判小判が大好きな方は必見。穴銭好きは目の保養もしくは目の毒かもしれませんけど、これぐらいを小遣いで買えるぐらいになれば超一流なのですけれどねぇ~。 |
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2月13日 【コインコレクターのHP】 コインコレクターのホームページの主催者のYさんからサイト引っ越しのご挨拶が来ました。URLは「コイン、良いなあネット」と読めます。このサイトの名物は各種コイン検定です。臆病者の私はなかなか挑戦する気がわかないのですけど、別に名前が公表されるわけでもないのですけどね。 Yさん、結構マルチなコレクターのようで、穴銭から近代銭まで幅広いです。昨年12月5日には島屋文の小頭通の入手までご報告頂いています。左の画像は銭挿しをばらした時に出てきた品など。3枚のうち2枚が「なんちゃって背星」なのですけど分かります? |
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2月10日 【珍しい佐渡銭】 佐渡寛永と言えば、種類はあるもののあまり手変わりがないイメージがあります。御用銭は別格として、享保期以降は製作がガタっと落ちますのであまり熱心に集めている人はいないような気がします。そんな私に侍古銭会のたじさんが雑銭ながら目の覚めるような報告をしてくださいました。明和期の佐渡銭、直径23.8㎜、重量3.8gです。これは規格外です。 ちなみに竹田四郎譜によると明和期の大様は23.5㎜、磨輪は21.5㎜。享保期の大様は25㎜、元文期正佐大様で23.9㎜という数字があります。数字の後に~とか以上、以下という言葉を入れるのか、前後とするかは皆さんにお任せですね。ありそうでなかなかないサイズです。私も持っていないことに改めて気が付きました。 なお、竹田四郎譜の正徳期佐渡銭の項に「正徳期佐渡銭背佐白銅」という物があります。位付けは5位で、日光長字や異書大字の白銅と同じレベルなんです。でも、これは私は見たことがありません。どなたかお持ちの方、画像を送ってください。同じく、元文期十万坪含二水永の白銅も見たことがありません。(佐渡含二水永白銅はたくさんあります。)こちらもよろしく。(売ってくれ~。) |
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2月6日 【難しい日本語】 古銭の世界ではよく使われていても、日本語として見たことのない文字はたくさんあります。今日はあるコレクターとのやり取りで跼永(きょくえい)という言葉を久々に使いましたが、この「跼む」という漢字の訓読みはご存知ですか? 正しくは「せくぐ・む」と読みます。語源は「背を低くしてかがむ」ところからきています。ところがインターネットで調べると「せぐくむ」「せくぐむ」が拮抗しているんですね。私は「かがむ:屈む」ことを「くぐむ、くぐまる」と言う地方があることから「せくぐ・む」が正しいと断じましたが、はたしてどうなんでしょうか? 古銭言葉でよく出て来る難しい文字の代表はしんにょうを表す「辵:ちゃく」、上がることを意味する「昂:こう」、真似を意味する「仿:ぼう」が御三家だと思っていますが、よく使う「俯」だって「俯く:うつむく」と読むこと知っていました? このような難しい文字に遭うと意味を調べるのが私のいつもの習いで、跪く(ひざまづく)跛(びっこ・ちんば)尨(むくいぬ)などがワープロ変換できた時は感激しました。一方で未だに変換できない文字もあり、安南の鉛や亜鉛分の多い金属を意味する砂蝋質という語の蝋の部分は本来は金偏で作りも全く異なるのですけど、どうにもなりませんので似た言葉を使用しています。 それだけ日本語に知られていない美しい漢字がたくさんあります。古泉用語には使用されていませんがこんな漢字はいかがですか? ①躓く(つまづく:チ) ②蹲る(うずくまる:ソン) ③踉く(よろめく:リョウ) ④躇う(ためらう:チャク) ⑤踦(かたあし:キ) ⑥蹂る(ふみにじる:ジュウ) ⑦跑く(あがく:ホウ) ⑧躁ぐ(さわぐ:ソウ) 足偏だけでこれだけあります。漢字は面白くて深いです。 ※本当のところ跪寛は躓寛にしたかったのではと思います。ただ、それでは読みがねえ・・・。だから文字を変えたのかも。 「砂鑞質」 ← 2月11日 なぜかあっさり表示できました。ただし、スマホなどでは読めない可能性があります。 |
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将来的な終活を考える私としては古寛永は極力集めないように心に決めているのですが、まあなんと意志の弱いことでしょう。ネットで大きな古寛永を見つけてあっさり陥落。多分将来は投げ売りされちゃうんだろうなあと思いつつメロメロになっています。最上段は平成古寛永銭譜No.1418現品の古寛永の吉田狭永欠画通濶縁の大ぶり銭。古寛永の25㎜超は(沓谷、浅草、斜寶を除き)必ず拾うと心に決めています。どうです、見事な濶縁縮字ぶり、有名な縮寛濶縁(井ノ宮銭)と遜色がないでしょう? 中段は櫻井古銭会のたじさんが嬉々として送付してきた千木永です。この新寛永も藤沢・吉田島銭といって吉田つながりなのです。ただし、古寛永の吉田は三河の吉田、吉田島は神奈川県ですから全くの別地域です。ただ、個人的な感覚を言うと当時の藤沢や吉田島は相当な田舎で、こんな問い頃に銭座を設けるメリットは何にもないと思うのでですけどね。千木永は可愛い雑銭で、タジさんが夢中になるのもうなづけます。 3枚目は68式ヲヤジ様から頂戴した宏足寶の画像。驚くべきことに超巨大です。 長径 50.07mm 短径33.42mm
これは背の當上刔輪が最も強く、花押の一番下のひげが途切れるタイプ。宏足寶の代表銭と言っても過言ではありません。細縁なのに50㎜以上というのはかなり立派な不知銭です。焼伸びではなくこのタイプの宏足寶はたいてい大ぶりなのです。銭文径 41.1mm 重量24.0g 最後に紹介するのは、撰銭の達人Kさんからプレゼントして頂いた月刊天保銭(コピー本)です。月刊天保銭は天保堂瓜生有伸師が生涯をかけて刊行した古銭雑誌で11号と31~35号だけが未収でした。Kさんからコピー版を頂戴しましたが、上質の厚紙できれいに製本されていてびっくりしました。中島誠之助ならきっと「いい仕事してますねぇ~」というに違いありません。ここまできれいにコピーするにはページをばらばらにするしかないのではと思う次第。おかげさまで、資料としての月刊天保銭は完集できました。Kさんありがとうございます。 ところで、朝鮮天保の由来を調べるため、手元の資料を探したのですが、古い貨幣誌が行方不明になっています。寝床で読んでいたこともあり、女房に捨てられてしまった可能性も否定できません。朝鮮天保が何の目的でいつ作られたのかがわからなくなってしまいました。ただ、製作日記に記録が残っていました。2015年の1月31日、8月21日、7月8日、の記事を参考に。ただしこの記事は当時の私の感想です。朝鮮天保については明治の時代からいろいろあったと聞いています。大方が山下財宝やM資金のような怪しい投資話とセットなのですけど、昭和に起きた朝鮮天保のブームははたしてどうなのでしょうか? |
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HPでメールを公開しているといろいろな画像を頂戴します。画像上段の2枚は中国のTさんから。安南寛永の郭抜け寛永手と呼ばれるものの代表銭で、古寛永井之宮銭の縮寛摸です。通頭から鋳走りが出るのが特徴です。 その下の赤い寛永銭は密鋳の葛巻銭の鉄母銭。鉄母銭の側面の仕上げはこうじゃなくちゃっていう感じです。鉄銭は銅銭より原料は手に入れやすいのですけど、鋳造温度が高く、冷えた後は硬くなるので技術的に難しかったようです。肉厚にしてテーパーを付けたのにもちゃんと理由があるのです。 最近、ちょっとやすり目が入ったぐらいで何でもかんでも母銭だあ~という人が多いのですけど、チコちゃんなら知っています。「ぼお~っと生きてるんじゃねえよ!」母銭にはそれなりのルールがあるのです。鉄の母と銅の母も違うのです。あとは皆さんで考えてください。 3枚目の画像はたじさんの収穫品。本当は鉄銭の母銭を10枚ぐらい掘り出した写真をいただいていますがあえてマイナーな画像を紹介。どうです、この大きさの差。これで同じ一文銭なんですよね。ただ、右側の寛永は妙に背が深くちょっと鋳ばりが気になります。その理由がわかる方はまあまあの目利きです。わからない人は考えましょう。 その下の古寛永・・・有名な不知銭の降寶です。背のずれが可愛いということでたじさんは目を付けましたが、私は別の意味で気になりました。ヒントは下の画像です。同じ降寶なんですけど・・・わかりますか? こいつだけは答えを書いてしまいますが、降寶には時々大様銭があるのです。大様と言っても25㎜を超えるぐらい。文銭を見慣れている人にはわからないと思いますが古寛永は一部の銭種を除いて25㎜を超えるのは極めて珍しいのです。画像の一番下が私の蔵品なんですけど25.2㎜ほど。実はかなり少ないのですけど、古寛永は人気がないので5000円で買えました。 バブルのころは3万円以上していたはずで、昔銀座コインオークションに25.3㎜のものが出ていましたけど5万円ぐらいで落札されていたと思います。直径25㎜台と24㎜台で天と地の評価の開きがあります。果たしてどうでしょうか? |
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関西のSさんから重量級の天保銭を入手したとの報告がありました。私の不知天保通寶の重量の記録は長郭手では28.2gなのですけど、画像の長郭手は28.39gもあります。 極印は私が花桐極印と名付けたもののようにも見えます。このタイプには細縁のものが多いのですけどこれは立派な覆輪銭ですね。価値について尋ねられましたが、28gというだけで2万円以上の価値があり、3~5万円ぐらいなら欲しい人はたくさんいらっしゃるのではないかしら。書体には大きな変化がないように見えますが、大頭通で當百などは細字に見えますし、狭玉寶にもなっています。ご投稿ありがとうございました。 ※これより重い、長郭手をお持ちの方、ご投稿をお待ちしております。 |
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【花押横長の接郭】 四国のKさんからの投稿がありました。1月29日のアンサー画像です。刔輪の度合いが少し違うかしら? Sさんいかがですか? |
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2月1日 【異書大様銭の謎】 ある質問メールから・・・ 仙台異書について一つ質問します。 つい先日仙台異書斜寶の大様銭とみられる品を初めて見つけました。(まだ高校生なので細々と集めてます。)そして穴銭入門を見たのですが、仙台異書の大様銭は銭径大きく、また黄色いと記述があり、また初鋳の品だろうともありました。そこでわざわざ金質も変え、大きく造る事には何か特別な意味があるのでしょうか? 回答
貨幣の鋳造においては、その時の経済情勢や社会情勢が大きく影響します。
享保期において何が起こったか・・・徳川吉宗の治世になりました。
高校の教科書では吉宗の政策に引き続き影響を与えた新井白石の功績が持ち上げられています。吉宗はやれ新田開発だとか、質素倹約だとか、財政再建を果たし、江戸幕府中興の祖なんて呼ばれています。実は白石の前は、荻原重秀という幕臣が貨幣改鋳を行い、元禄文化が花開いていました。しかし、不幸にも大震災や富士の爆発などの天災が相次ぎ、新井白石の登場により荻原の政策は完全否定されました。荻原は貨幣を改鋳し市場における貨幣供給量を増やす政策をとっていました。しかし、相次ぐ天災により貨幣の信用が落ち、極端なインフレが生じていたのも事実です。 新井は慶長復古を是として、金銀をはじめとする貨幣の質を上質化し、緊縮財政を柱とするデフレ政策を行いました。インフレを抑制して、富を幕府に集中させようとしたのです。その結果、寛永通宝も昔にならって立派なものが作られました。つまり、「仙台異書斜寶の大様銭」は新井白石の理想に基づく、夢の貨幣だったと思われるのです。異書の類は元文期とされることが多いのですけど、黄色い大様銭はどうみても享保期以前・・・新井白石の施策によるものだと思われます。享保期の金銀貨幣は江戸期において慶長に並び良質ですから、吉宗もはじめは白石の政策を重用していたことがわかります。
ところが、経済学的に長期的なデフレ政策は必ず失敗します。(経済学の常識です。)質素倹約は聞こえがいいものの、物とお金の動きが止まれば経済弱者(つまり庶民)が衰退します。ところが日本人は質素倹約というきれいな言葉が大好きなのです。
その結果、新井白石は賢者、荻原重秀は悪者というレッテルが貼られ、教科書に載っていますが大間違いです。
吉宗は白石の間違いに気づき、罷免して、その後の時代は貨幣増産へと真逆へ舵を取ります。徳川吉宗は米将軍などと言われ、かちこちの重農主義者のように言われますが、貨幣経済を活性化させて農業だけでなく商工業を発達させたのです。その結果、江戸期最大の経済安定期が到来したことは言うまでもありません。元文期に鉄銭を大量導入したのも経済が発展したからにほかなりません。白石失脚後は貨幣は粗末になりましたが、物流が盛んになり、すべての民が潤いました。これが真実です。
異書の初期大様銭は新井白石の命によってつくられた(私に言わせれば政策的な)失敗作の遺物です。吉宗は元文期で盛り返して名前を残したのですが、なぜか白石時代の政策が歴史上持ち上げられています。本当は白石失脚後の方が成功したのですけど、そのことに触れた教科書はあまりありません。この原因はおそらく、放蕩を続けた大奥などへの啓蒙教育のため、幕府が内外に意図的に宣伝したと思うのですがいかがでしょうか?
(白石と同じような失敗は最近の日本もやってます。民主党が政権を取った20年間がそうです。きれいごとは経済を壊します。経済はモノとお金が回転して初めて機能するのです。これは経済学の常識です。)
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1月31日 【仙台長足寶小字の発見】 仙台古泉会のHさんからお手紙が来ました。Hさんは八厘会で「仙台藩貨幣の秘密」のお話が聞けると、はるばる東京まで足を運ばれたようです。さて、Hさんは仙台天保や反玉寶を持参して天保仙人様に見て頂いたそうなのですが、そのうちの1枚が初見品であると話題になったそうです。それはちょっと小ぶりな仙台長足寶・・・おそらく重量が軽いので目についたのだと思います。仙台長足寶には銭径や銭文径の一回り大きな大様の存在が知られていて、それは小様の母銭ではないかとという噂がありました。今回出てきたものは小様よりさらに一回り小ぶりなもので、これにより仙台小様が「通用母銭方式」で伝鋳を繰り返したものであることがある程度はっきりしたと思われます。実は比較用のものとこのさらに小様には背郭の下部に腰痛の乱れがあることから、叔父と甥の関係にあるようです。「通用母銭方式」の写しは不知銭の世界では常套手段の鋳造方法で、銭径の縮小を無視して写しを繰り返すことで鋳造スピードアップを図ったものと推定されます。これは限られた原母銭(あるいは彫母銭)から写したものを2次母銭、3次母銭としたということであり、張足寶をはじめ多くのものにみられるのです。その最たるものが「秋田小様」で、この銭はなんと4回写しまであることが現品から確認できています。 さて、大様、小様ときてさらに小さなものまで出てきてネーミングに困りました。秋田小様の時も「小様の大様」とか「小様の中様」、「最小様」・・・はては「秋田小様の大様の磨輪」なんて苦し紛れにつけた名前でお茶を濁しておりますが、この仙台銭につきましてはHさん自らがつけた「仙台長足寶小字」というネーミングで発表させていただきます。 HP読者にHさんから・・・今回の発表の品と同様の品の存在を探しています。銭文径、銭径等のデータをお知らせください。我こそはNo.1仙台最小様をお待ちしております。 |
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Hさんと言えば寛永通寶の研究者として有名です。明和期俯永面背刔輪や文政期小字白銅銭などの稀品や、マ頭通背仙の次鋳、島屋無背の次鋳の発見(2010年11月20日製作日記)もされています。東日本大震災で被災されたのですが、再び立ち上がり天保通寶収集界にも現れるとは・・・これは頼もしくも手ごわいライバルになりそうです。 |
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H氏密鋳銭コレクションBOX 石巻銭母銭聚泉譜 南部藩母銭聚泉譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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手持ち品の仙台長足寶小様2枚 + 英泉村上英太郎天保通寶研究分類譜より たしかもう1枚あったのですけど、売却してしまったのかもしれません。左端が入手第一号の仙台銭。東北のNさんから格安でお譲りいただきました。これはインターネットに出現し、競り合いの結果Nさんが落としたもの。私にとっては思い出の品で、大事にとってあります。寶底に鋳だまりがありますので銭文径は推定です。こいつは比較的薄肉が多い仙台銭にあってしっかり重量があります。 中央は入札誌「穴銭」で入手した極美のもの。これ以上の状態はあまり望んではいけませんね。仙台銭は黒褐色が基本で、仙台古寛永の寛字や正字によく似ています。ただこの色はスキャナーで真っ黒になりやすいので色調の調整がやや難しいのです。 泉譜を探していたら、英泉村上英太郎天保通寶研究分類譜の中に妙に小さいやつを発見。(右端)あくまでも拓本比較ながら、小ぶりのわりに濶縁でどうもHさんの探し求めているものじゃないかと思います。撮影した拓本と内径や銭文径がほぼ一致しています。ただし印刷物の比較なので断言はできません。 |
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1月30日 【濶字退寶にはなぜ手変わりがないのか?】 侍古銭会のたじさんから上記の質問がありました。たしかに濶字退寶の細分類はほとんどありません。比較的細分類していると思われた天保通寶銭分類譜でさえ「大様」「小様」「最濶縁」の3つ。マニアックに分類している英泉天保通寶研究分類譜では「肥郭」「背深字」「異極印」など各種バラエティを加えていますが、いずれも製作上の差異に過ぎず、研ぎ仕上げや鋳造工程上の問題による差にしか思えません。(参考までですが村上譜で大様は長径49.84㎜、小様で48.9㎜ですから探してみてください。) つまり、泉譜の上では書体上の変化は一切ありません。それはなぜか・・・答えはこれを作った藩には錫母の技術があったからだと私は考えています。 銭のような小型の鋳造物を大量生産するうえで、一番厄介なのは均質な母銭を大量に作る事なのです。1本の枝銭をつくるには少なくとも20枚以上の母銭が必要で、鋳銭場ではこの工程を日に何回も繰り返したのです。ちなみに記録の残る寛永長崎銭座で1つの鋳型に並べた母銭の数は驚きの500枚。明和期に銅銭を鋳造することは採算上ほとんどあわないと思われますので、かなり無理をした工程だったと思われますが、それでも長崎銭の書体変化がないのは、錫母の技術のおかげだと思います。 もっとわかりやすい例では文久銭が挙げられます。変化が多いのは銀座が作った真文の類。金座の玉宝と草文は書体変化がほとんどない。玉宝と草文には錫母の存在が知られていますが、真文の多くには錫母が存在しない・・・これでお判りでしょう。銀座は錫母の技術を知らなかったようなのです。ただし、最末期の広穿楷書だけは製作が安定していますので、ひょっとするとこの段階で銀座も錫母技術を会得したのかもしれません。(あくまでも推論です。)錫の最大の特徴は金属最小クラスの凝固収縮率。銅の15%収縮に比べ6分の1以下の2.25%程度しかありません。しかも低温で融解し、加工もしやすい。錫母を知らない天保銭座は書体変化が多く、何より銭文径のばらつきが大きくなるのです。なぜか・・・それは短期間で大量鋳造しなければならないので、母銭から母銭への写しを繰り返したから。張足寶がよい例です。新規母銭を作るより、既存の通用銭を改造したほうがよっぽど手っ取り早いと思うのですけどね。銭幣館田中啓文は錫母から錫母を鼠算式に鋳造した可能性を示唆していたと思いますし、私もこの説には大賛成です。 そういう意味では覆輪刔輪加工を施した「接郭」や銭文径のばらつきが大変多い「遒勁」などと「濶字退寶」が同じ座である可能性は極めて低いと考えています。 では濶字退寶はどこで鋳造されたかというと、盛岡の梁川という地の可能性とやはり水戸・・・という可能性になるのです。 濶短足寶の錫母は、茨城県方面で発見されて常陽銀行あたりの貨幣展示室がかつて所有していたように記憶しています。この点と水戸藩が徳川ゆかりの藩であったということ、短足寶の花押の上部のツノの短さという特徴の類似点だけが水戸説を支えます。もっとも花押の類似性は、水戸銭と呼ばれていた背花押異などが久留米に認定されつつありますから今はどうも怪しい。 そこで再登場したのが新渡戸先岳先生による記録です新渡戸仙岳先生は幕末の様子を自分の足で調べて残した郷土史家なのですけど、悪い古銭収集家にはめられて贋作者の汚名を着せられてしまった非常に気の毒な方でした。その新渡戸が梁川についての詳細記述を残していて、かなり信ぴょう性が高いと感じています。。詳細記述は大変なので2017年の12月13日の制作日記をお読みください。 さてさて・・・錫母が均一な通用戦を作るための技術だとしたら、世の中にある錫母の中で存在するはずのないものがいくつか見つかると思います。わかりやすく言うと、銭文径や書体に著しい変化の見られるものにはそもそも錫母はないのではということ。寛永通宝の初期段階においてはその技術が浸透していなかったとしても天保通寶では極めて怪しいことになります。一例をあげると俯頭通の錫母の拓本をかつて見たことがありますが、俯頭通は銭文径に違いが大きくあり、錫母方式以外で作られたとしか考えられません。同じように遒勁などには錫母はないと断言できます。張足寶もまたしかり。まあ、これは私の考えであり、本当にそうなのかは別の問題ですけど・・・。 |
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1月29日 【横広花押の接郭】 東北のSさんが探している接郭です。接郭はどちらかと言えば雑銭ながら覆輪、刔輪の技法が学べる雑銭界の王様です。接郭という名前がなかったら不知広郭手覆輪強刔輪離足寶とすべき品。私も好きでつい拾ってしまいます。 Sさんの接郭はとびつきたいほどのすこぶる美銭。しかも、背の花押が横広で角が長く伸びているように見えます。 これと同じ特徴を持つ天保銭を探しています。心当たりのある方、画像を送付してください。 |
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東京出張の際にウィンダムさんに寄るのが通例になってしまっています。画像のものは来場記念に購入した長郭手。まあ、来場記念というのは言い訳で、ホシイホシイ病にかかっている私としては何か爪痕を残しておきたいと思うもので、ずっとこの子が売れ残っているのを不憫に思い(また言い訳してる。)持ち帰ってあげたというわけです。今月は古銭に一銭も使っていなかったので、なんとしても何かが欲しかったのです。(ラムスデンの資料は別です。) 幕末の混乱期に乗じて諸藩および庶民の一部は天保通寶の密鋳に乗り出すわけですが、原材料の銅を調達するのにはかなり苦労していたと思われます。このような白い天保通寶は鏡や仏具を材料にしたからだと考えられています。仏具には錫がたくさん含まれていますから・・・。 |
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1月27日 【これな~んだ?】 さあ、皆さんこの天保通寶の名前を考えてください。皆様の知識と観察力を問う問題です。正しい価値まで判断できればあなたはもう初心者ではありませんよ。 1.まずは古銭の鑑定4択から ①不知長郭手の・・・ ②不知細郭手の・・・ ③藩鋳銭の・・・ ④よくわからない 2.上記回答を選んだ理由は? 3.もし、ネットオークションでこれを発見したらいくらまで頑張りますか? |
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→ 正解はこちら | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Kさんから久々にメールが届きました。Kさんは元祖、撰銭の達人で雑銭の中から島屋文や天狗寛永の極美品を次々に発掘する卓越した観察力と知識、に加え驚異の泉運の持ち主です。 右上段の寛永通寶の価値を一発で見抜ける方はそれこそ収集家として横綱クラスです。分類名は昂通背星刮去(無背)、別名良恕大字です。古寛永岡山銭に良恕という寶の王末画と尓書画が連続する有名品がありますがそれと同じ特徴を持ち、書体の大きなもので背星のあるものは(星があることから)水戸銭と分類され良恕大字と呼ばれています。昂通の名前はついていますが、これだけを見て昂通だとは思わないと思います。この通寶の形こそが昂通であり良恕でもあるのです。ただ、良恕も紛らわしくて、良恕本体より良恕小字の方が通寶の書体が大きかったり、良恕手という同じような特徴を持つ種類もあるのです。ですから、この分類がわかる方はかなりの古寛永通なのです。書体は岡山ですけどこの銅質はたしかに水戸と言われても納得できるもの。かなり白っぽいですね。KさんはHP開設初期のころにご投稿いただいたこともあり、専用のページもありますのでご覧ください。 昂通と聞いて忘れられないのが2010年に仙台古泉会のTさんを経由して頂戴したHさんの昂通背星の画像(右下段)です。このあと現品をも拝見することになるのですがそれはそれは芸術的な逸品でした。さらにこの後、この逸品は東日本大震災の津波により「明和期俯永面背刔輪」「文政小字白銅銭」をはじめとしたその他もろもろの収集品とともに津波による泥流の奥底に呑み込まれてしまったのです。仕事に出ていたHさんは無事でしたが、最愛の品々を失ったHさんの辛さはいかほどだったのでしょうか。自宅跡地を懸命に捜索した結果、自宅から離れた泥沼で、この昂通背星が奇跡的に発見されたというお話を聞かせて頂きました。私もその頃ゆえあって、福島県から避難してきた罹災者十数名の生活を支援しており、自宅の隣が被災者住宅になっていました。現在その家には田舎から両親を呼び寄せております。まあ、避難みたいなもので、元の自宅は広大な更地になってしまいました。時間が経つのは早いものです。 |
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1月25日 【ラムスデンの資料が届きました!】 茨城貨幣研究会の八木氏が収集1月号に「半世紀ぶりに世に出たラムスデン作銭群についての一考察」という寄稿をされていることは1月5日に記事にしましたが、その資料が手元に届いています。資料は「ラムスデン1」「ラムスデン2」そしておまけに頂いた「山鹿義教師の贋幣のの話」という小冊子です。ラムスデンの贋作群は、昭和33年2月9日に日本貨幣協会の例会に甥の小早川潤氏によって持ち込まれたそうです。小早川氏はこれらの贋作を例会で売却したそうなのです。その際に山鹿氏が購入したものの拓本及び例会当日に山鹿氏が購入できなかったものの手書き絵図が「ラムスデン1}であり、その山鹿氏のコレクションを故佐藤成男氏が引き継ぎ、新たに拓本を採ったり写真に記録したものが「ラムスデン2」なんだそうです。資料にあるものは鋳放しばかりでしたので、仕上げられた物が見たかったですね。この資料でラムスデンが様々なものに手を出しているのがよく分かりますが、どれがラムスデン作なのかという決定的な証拠まではありません。ラムスデンは収集家でもあったので、本物をもとに作成していたものも多く、すなわち、今の世では本物と偽物が混在している・・・本物があるから偽物があるといった状況なのです。画像でもわかるように琉球通寶の広郭なんて、大したことのないものも写しています。その一方で、土佐通寶の當百なんてものの贋作も手掛けています。書体などからしておそらく本物の土佐通寶から型を取ったのだと思います。ラムスデンの贋作が流した害毒は実に大きいと聞いています。真実は知りたいもののちょっと怖い側面もありますね。 |
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贋作は基本的にマニアを狙ったものなので、もっともらしい作りでどこか自己PRのポイントがあるものです。 左上は知る人ぞ知るとても有名な贋作。何の変哲もない広郭の通用銭なのですけどなぜかなぜか無極印なのです。砂目はやや粗いものの矛盾なく、やすり目は正常で、銭文径も本座とほぼ同じ。実はこれは本座の母銭から写したものなのです。この贋作ははじめは本座の枝銭・鋳放銭として世に出たそうなのですけどそれがばれると湯道部分をきれいに落として無極印の不知銭として再び世に現れたいわくつきの品。側面のやすり目は古い和やすりを使用していてほぼ完ぺきなつくり、砂目も良いし、金味もまずまずなのです。広郭手の無極印として私も見事に騙されました。本物度95% 画像右上は面側は普通の細郭。ただし、背は絶妙なズレ・・・あえて大錯笵にしてないので、雑銭の中にこんなもの混ぜられたら簡単にひっかかってしまうのではないかしら。ネット中毒者には激痛の毒薬です。側面極印はありませんし、手にしたらすぐにわかるような近代作銭です。本物度30% 中段2枚は多くのコレクターが騙されたもの。同じタイプで盛岡大字などもあるそうです。浄法寺天保が出てきた後で出現した昭和の浄法寺風天保です。長郭は本座の母銭から写していて金質がやや硬い感じながら通用銭とほぼ同規格。入札誌で発見しましたが届いてがっかりでした。本物度40% 濶字退寶は藩鋳銭写しとして売られたら騙されますよ。こちらはかなりの上作です。濶字退寶が南部藩の鋳造の可能性があることを知って作っているかもしれず、かなり博識の贋作者です。金味は練れが良く側面仕上げはものすごく良いので本物度80%です。 琉球通寶は写しの技術はとても上手ですよ。某コイン店で売られていて、はじめ少し変わった色の琉球だと思い手にしたらすぐに気が付きました。お店の方に贋作だと教えて、5000円で譲ってもらいました。こういう出来の良い贋作はつい欲しくなる性分でして・・・いけませんね。偽物は騙されると悔しいけど、知ってて買うのは全然大丈夫。加賀千代の天保銭を数万円で買ってしまった馬鹿ですから。 この琉球は側面のやすりが銭面に対して垂直方向でまるでだめで大きさも1㎜以上縮小しています。ただ、写しは抜群に上手。穿内の仕上げも良いですね。本物度35%・・・それだけ側面がダメということ。もったいない(?)。 |
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1月22日 【投稿画像】 関東のNさんからすごいメールが届きました。変色していますが不知長郭手長反足寶です。どういう経緯で入手されたかは分かりませんが、不知天保銭の中の芸術品的な存在です。そのあまりの変態ぶりに作り物じゃないのかという噂話もあるくらいの品なのですけど、通用雑銭の中からの掘り出し話を何度も聞いておりますし、古来から有名な品の一つなのです。希少性と風格からして、奇天が大王様だとすると、この長反足寶は気品ある美しい王女様です。不知天保通寶分類譜の表紙もこの拓影が飾っているぐらいですから。しかしながらふざけて作ったとしか思えないような書体ですね。 |
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入手した古銭の名称を考えるのは楽しいものです。有名銭においては、源氏名がぴたっとはまるとそれだけで古銭の格が上がる気がします。島屋文、蛇の目、御用銭、淋手、奇天、勇文、草点保など、源氏名と古銭の特徴が相互に高めあっている気がします。一方で泉譜によって名称が異なり、名前が定着しきれないものもたくさんあります。16日の異書延尾通や18日の短尾通細字手の異書体などが代表的で、ある程度有名銭なのに名称が定まらないばかりにかなり損をしている気がします。短尾通細字の類は仲間がたくさん発見されているのですが、抱冠寶、崩字、短尾通細字、短尾通細字濶縁と、相互にあまり脈絡のない名称です。そのうちもっとも有名なものが短尾通細字なんですけど、最も特徴的な保の変形ぶりが伝わって来ないのが残念ですし、「短尾通」「細字」の語順も違和感があります。もっとも私はこの銭種を所持していませんので語る資格はありませんね、はい。 右の画像、上段が天保仙人様所有の短尾通細字、このグループのの代表銭です。書体が全体に崩れ、とくに保の崩れがすごいですよね。刔輪で寶足も長い。通尾も可愛らしくぴょんと跳ねます。 中段左は當百銭カタログで異書体とされた極細文字のもの。文字全体が細く加工され、保左点が下がって離れて打たれています。刔輪はほとんどされてないように感じます。これだけ文字の細い書体は、これ以外は容弱ぐらいしかないと思います。 中段右は寶足が短いので崩字としましたが、画像拡大してみる限り異書体の陰起文のようにも見えます。ただ、寶足が短く離輪して保点は少し長い。寶冠の傾斜(右下がり)も少し強い。この類は郭の幅が広くなる傾向があり、中郭気味で重量は26gもあります。嵌郭なのかもしれません。この品はたしかCCFオークションの売れ残り品だったと思いました。 下段左は短尾通細字濶縁とされるもの。短尾通細字の覆輪次鋳銭で、大和文庫の入札に出ていたもので、必死になって落としに行きました。本体銭に比べて保点は長く変化していますし、人偏も長いし、通尾も短くなっていませんね。寶足は刔輪で長くなります。 下段右が現在私所有、かつては秋田の村上師所有の品です。短尾通細字の変種で、村上師は退口保と名付けていたもの。この品は、収集誌上に出たときの名称が草点保でした。それが理由なのか返品になり、やりなおし入札で私が落としたといういわくつきの品です。おかげでかなり安く入手できました。異書体に似ていますが肥字で寶足が長く、天上と寶下刔輪もかなり強い。短尾通細字との中間体と言えるものです。 これらは文字を細く加工した異書体が原点だと思われますが、保の前点が下がっていたり、短くあるいは長くなっているもの散見できるように、個体による個別変化が激しく、それぞれの雰囲気が全く異なります。 もし、名前を変えるのなら、やはり特徴は保の前点にあると思います。 離点保、涙点保、滲点保、流点保、歪点保、浮点保、遊点保、幽点保、降点保、異点保・・・う~ん、わかりません。 |
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古い収集家の古泉箱にあったものらしく、朱書きで不知品草点保とあります。先の異書体もそうですけど、私のスキャナーはこのような黒みを帯びた褐色を特に苦手にしていて、文字がはっきり出ないのですけど現品は草点保にしてはかなり肉厚でしっかりした品です。東北にゆかりのある工藤雑銭の会会長からの情報提供で、Sさんから割譲いただいた品です。かなりの高額品ですから私にとっては清水の舞台から飛び降りる覚悟で手に入れた眼の中に入れても痛くないかわいい品です。(懐は相当痛かったです。)卵型の銭形、刔輪の具合・・・独特でしょう?素朴でしょう。 ※パソコンでマウスをかざすか、スマホで画像をタップすると拡大画像になります。 |
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この天保は文字が極細なので、背景が黒っぽいとまったく目立ちません。名称も安定せず當百銭カタログでは異書体、類似カタログでは抱冠寶という名称です。この類は類似カタログでいう「短尾通細字」の仲間なのですけど、その「短尾通細字」は當百銭カタログでは「覆輪強刔輪」という間に合わせの名称になっています。本体銭の短尾通細字という名称も正直ピンと来ないので、保字の変形をもとに離点保、朧点保、滲点保、流点保、歪点保などあれこれ考えたのですけど、結局、旧名称と新名称を合体させて「短尾通細字手異書体」という中途半端な名称にとどめています。この類は個体変化が激しく、なかなかこれといった良い名称が浮かびません。これだけ書体が異なるこの類を一つにまとめた類似カタログの筆者の板井師の慧眼には恐れ入るばかりです。 ※ラムスデンの資料が届きました。Y様ありがとうございました。 また、九州のK様からもお手紙を頂戴しています。古銭に対する熱意には頭が下がります。寒い季節が続きますのでくれぐれもご自愛下さい。 |
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1月17日 【25.8㎜の文銭中字】 新年早々大きな魚を逃しました。大型の中字です。情報としては直径25.8㎜としかありませんが、文銭中字としては最大径です。久泉研究資料をひもといても最大様は25.75㎜。通常の中字母は大様でも25.5㎜どまりであることからかなり注目していましたが、締め切り時間を忘れていました。ただ、全体の雰囲気は母銭っぽくありません。大型銭ととらえていましたが、実物を拝見したかったです。 |
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現在、特別展示室の改修をしているのですけど、遅々として進みません。一方、老眼は進んだので天保銭画像を大きくしようと思ってますが、全部を直すとレイアウトも変わってしまうため大騒ぎです。そこで気に入った品から変えていこうと思い立ちました。技術的には千葉のKさんの使っていたロールオーバー効果を使用してみました。これならレイアウト崩れもあまり起こりません。また、天保銭は厚みがあるためスキャナーすると影が強く映ってしまう難点があり、それをごまかすために濃色のタオル地背景にしていたのですけど、黒っぽい天保銭の場合は色の濃淡差が少ないため文字が見えづらくなる欠点がありましたが、補正技術を使って白地の背景に変更できました。 第一弾は異貝寶異當百にしてみました。この命名はたしか秋田の村上師。寶貝がしたすぼみで二引きと百の中引きが縦柱に接する特徴を採ったようですけど、今一つ。この不知穿の特徴は背より面側にあります。天保銭辞典(1976年)では「奇書」、不知天保通寶分類譜(1978年)では「異書」、天保通寶の鑑定と分類(1983年)では「異當百」、當百銭カタログ(1995年)では「異書体」、天保通宝母銭図録(1988年)では再び「異書」と、一定しません。私もはじめは「覆輪延尾通」としてみたもののインパクトがない。奇通寶としてみたものの奇天のパクリみたい。あれやこれや考えて最も多かった異書の名前を拝借し「異書延尾通」に落ち着きました。オリジナル書体ではないものの削字変化の王様で、ここまで崩れたものは他に類例を見ません。今のところ現存確認2品の絶奇な不知天保です。 ※パソコンでマウスをかざすか、スマホで画像をタップすると拡大画像になります。 |
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1月15日 【トラブルな日々】 深夜、ネットサーフィンをしていたら階下でなにやら物が落ちるような怪しい音。飼い猫がいたずらしていると思い耳を澄ますとどうも様子がおかしい。きっとひどいいたずらに違いない・・・最近、テーブルの上に乗るのが習慣になってしまったし、椅子で爪とぎもするし・・・と音を立てないように近づいて電気をつけたら・・・あら大変。納戸の前の天井からボタボタと水が落ちていました。猫はその横の棚で滝見物をしていました。こりゃ大変だとありったけのバスタオルとバケツ代わりのごみ箱で事態収拾に努めました。 漏水箇所はどうも2階の洗面所付近で、そういえば蛇口の接合部からの水漏れが最近はじまっていたことを思い出しました。床にたまった水をふき取り、ハウスメーカーに緊急メールし、眠れない一夜を過ごしました。業者はすぐ来てくれ、原因が洗面所の蛇口(伸びるタイプで、内側のホースの接合部あたりの劣化)にあることが判明。よくあるトラブルと聞き、こりゃリコールものだなと感じましたが、残念ながらすべて自分の保険で対処するように言われました。がっかりです。蛇口の水漏れで天井裏浸水・・・はたして天井裏はどうなっているんだろう・・・まあ、最近インフルエンザが流行っているから、我が家の加湿対策は充分だということで・・・。 |
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中国のGさんからの投稿画像です。50㎜以上ある離郭を入手したのだけど・・・というお便りですが、にわかに信じられませんでした。離郭はかなり肉厚で大ぶりの重量銭が比較的散見されるのですけど、それとてせいぜい49.5㎜前後でしょう。Gさんは天保通寶母銭図録をお持ちのようで、母銭より大きい通用銭なんてあるのかしらといった質問でした。 長径50.3㎜、短径33.6㎜、肉厚2.7㎜、重量24.8g。 調べると、秋田の故村上氏の泉譜に1枚50㎜超の品が掲載されていますが、今回の品はそれ以上の品です。左側の拓本が「英泉村上英太郎天保通寶分類譜の掲載拓本です。泉譜記載の収集メモに「大川メモ。広郭手離郭瀬広郭、広郭手離郭の類母銭の存在を見るも蓋し稀にして頭註の如く変化する。各手において総じて母銭発見せられ居るとは思われず錫母(二)とあるも小生未だ錫母に接したることなし。」とあります。大川メモとは天保通寶の大収集家であった大川天顕堂氏がその泉譜に書き残した秘伝のメモのこと。この泉譜は門外不出的な存在で、国内の限られたコレクターにしか知られていない存在で、私もその写しを垣間見たことしかありません。そのメモ書きが添えられているところを見ると、拓本の品は大川氏の旧蔵品だったのかもしれません。たしかに離郭には錫母はなく、大型の通用戦を古寛永のように写していった通用母銭式だと思われます。この製法は不知天保銭にはよくある技法で、筑前通寶にも大型の通用銭が発見されていることから、理論的には離郭にもこのような母銭サイズの通用戦があってもおかしくありません。本来なら母銭になるべき存在なのでしょうけど、何らかの問題があって母銭として仕上げられなかったものかもしれません。 いずれにしても50㎜以上の離郭は非常に珍しい品であることは間違いなく、私が知る限りこの品は最大の通用銭じゃないかしら。 Gさんによると近年中国の貨幣商たちは天保通寶を大量購入したものの、分類方法がわからず、また天保通寶愛好家がほとんどいないため、本座や薩摩の美銭を高く売るだけで、その他の品は並品として500円ぐらいで売っているそうです。この品はそんな中からの掘り出し物だそうで・・・いやあ、うらやましい限りですね。今すぐに中国に飛んでいきたいです。 |
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※関西のS様から、以前50㎜を超える離郭を投稿したはずですとのご指摘がありました。調べてみると2015年10月31日の製作日記に画像と記事がありました。失礼しました。皆様も参考にしてください。 2015年5月11日の記事も参考にしてください。 |
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1月13日 【中郭は難しい】 天保通寶の収集をしていて最初に当たる壁が本座中郭じゃないでしょうか?なにせ泉譜の最初のほうにあり、基本銭にも関わらず売り物にめったに出会いません。泉譜で見ると市場価格6000~8000円(類似貨幣カタログ)とお手頃価格であるのにもかかわらず出会うことすら稀。それより高額評価の福岡離郭や曳尾なんてごろごろあります。正直な印象として、本座中郭の遭遇率は、離郭や曳尾の10分の1以下だと思っています。そんなことも知らずに、「不知銭はやっぱり足の長いものに限るね」とか、「本座銭は変化が少ないからつまらない」とか、少しぐらい集めただけで「僕はもう初心者卒業だよ」なんて言っているような、中郭の本当の価値に気が付いてない能天気なコレクターのまあなんと多いことか・・・チコちゃん、叱ってやってください。 中郭の分類については2014年の6月27、28日の記事をご覧いただくとある程度理解できると思います。中郭の分類は早くからされていましたが、その出現経緯についてはいまだに謎が多いのです。現代の説では天保通寶は ①長郭 ②細郭 ③広郭 ④中郭 の順に出てきたが定説になっています。ただし、その根拠はいささか脆弱で、最末期の作であるにもかかわらず、広郭に比べて中郭の製作はさほど悪くないというのも今一つ解せないところ。実は中郭の出現までの経緯・諸説もころころ変わっているのです。つまり、中郭の出現経緯については説はいろいろあるものの、今一つ決定打・・・説得力がありません。これらが、中郭の市場評価を上げない理由なのかな・・・と勘ぐってしまいます。貨幣界の常識であるあの①長郭 ②細郭 ③広郭 ④中郭 の順番も、中郭に嵌郭(=細郭母銭に嵌郭した)の痕跡があるものが発見されたというだけですから、出現順位そのものの裏付けにはなっていません。この部分はいまだに謎めいています。 なお、間違えないための中郭の鑑定ですけど ①中郭は面と背の郭幅が極端に異なること。したがって穿内の傾斜は激しいこと。 ②郭内やすりは必ず背側から軽く入り、穿内には鋳造時の鋳肌が残ること。 これらが重要です。贋作は面側の郭を細く仕上げるためやすりが面側からも強く入ります。そのためやすり目は穿内にべったり入るか、面側に強く残ります。一方で本物の中郭には穿内の面側に鋳肌が残ります。実はこれが重要なんです。 それでも問題は残ります。中郭と中郭手、広郭広穿の境目はどこ?・・・その答えはありません。 「天保通寶と類似貨幣カタログ」にはこうあります。「中郭は天保銭によく馴れてから入手するようお勧めします。」・・・つまり、馴れないうちは判断を誤る(=騙される)・・・収集はその覚悟ができてからということなのです。 実際に、馴れているはずの私も相当数間違えました。初めて入手したはずの中郭は中郭手、その次に入手したものは秋田の村上師によって「これは広郭の広穿だよ。」と一蹴。その後も広郭の穿内を削った変造品をつかむは、入札誌でも鑑定違い品をつかまされるはで、さんざんです。正直なところ3:1ぐらいでスカをつかんでいます。そうしてようやく手にした中郭です。それとてパーフェクトなものであるとは言えないかもしれません。だれかに見せるときっと「う~ん、どちらかというと中郭だね。」と言われてしまうかもしれません。それだけ中郭というのは難しいのです。それでもあなたは中郭を求めますか?チコちゃんに叱られますよ。 |
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1月5日 【ラムスデン】 収集2019年1月号に「半世紀ぶりに世に出たラムスデン作銭群についての一考察」という茨城貨幣研究会の八木氏の記事があり、非常に興味がわきました。ラムスデンの贋作は昭和33年に日本貨幣協会の例会場に持ち込まれ売却を依頼された・・・それらと資料は協会員の山鹿氏から茨城の佐藤氏に引き継がれた・・・と、こんな話なんですけど、実はラムスデンの贋作が茨城にまとまって存在し、故、佐藤氏が保有していることなどについてはお話(噂話)としては存じ上げていました。 ラムスデンの贋作はほかにも銭幣館が贋作としてはねていたコレクションが存在しており、それも国内に流出していると思われます。その中には紙製の母銭もあったそうです。 ラムスデンは国内で贋作は販売していないと思われていますが、加越能三百にラムスデンの空想銭があることは有名で、贋作仲間のルートを利用してかなり国内にも存在すると思われます。ラムスデンは外交官の地位を利用して、数々の有名古銭を入手し、写しています。当時として破格の値段でも購入も行ったようですけど、レプリカを作って売ればすぐに利益が出るということで、ラムスデンはかなりの精巧な写しをも作成していたようです。今回の資料は分譲してくれるそうで、私もすでに申し込んであります。 |
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1月4日 【年賀状ギャラリー】 毎年恒例になってきましたが、年賀状自体が縮小傾向の中、絶滅危惧種の古銭をわざわざ掲載するなんて・・・あんたも好きねえ。 |
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1月2日 【新春投稿画像】 明けましておめでとうございます。平成最後のお正月も粛々と明けました。とはいえ私の仕事場は年末年始のお休みはありませんので、いつが大晦日でお正月なんだかいつもよく分からない因果な商売です。ただ、1月2日はお休みをいただき、親族一堂が顔を合わせる習わしになっています。ですから、昨夜は大掃除になってしまいました。 さて、そんな最中、侍古銭会のよねさんから新年最初の画像メールが届きました。 第一印象は昔でいう秋田本座写しあたりになるのでしょう。しかしながら計測値を聞いて驚きました。 長径49.8㎜(でかい!)、短径32.8㎜、銭文径40.8㎜、重量23.18g・・・すべてが異常値になります。よねさんははじめ会津濶縁に分類していたそうですけど、花押が違うことに気が付いたそうです。 圧延や焼伸びは、重量の異常、銭文径の縮小から否定されます。地肌はざらざらで本座の異制に該当しますがそれにしても銭文径の縮小がちょっと違います。面背とも肥郭であり、背も異様に狭穿です。計測値が正しいとすれば不知広郭手覆輪肥郭大様とすべき品ですね。なんとなく土佐との関連性を感じてしまうつくりですけど、大きさが異常です。 ※もし、これが不知銭でないとしたら、本座の異制の大ぶりなものの輪の下部を圧延して伸ばしたものになりますが、それでは大きさと銭文径の縮小の矛盾が説明できません。不知広郭手に背が肥郭になる異極印銭があったと思います。それによく似ています。 |
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3月18日の記事の回答 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書体はどうみても古寛永の高田縮通背広郭がベースになっています。永字の右側が変化していますが、全体の作りからみて意図的に変化させられているように感じます。作銭だろうと思います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月6日の記事の回答 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回の品についての私的見解です。したがって絶対的なものではないことを最初にお断りしておきます。 本物とされる③と今回の品を比べると大きさや枚数が全く違うことはわかりますが、それだけで真贋は語れません。 こういった類のものを観察する場合、鋳銭工程を考えながら考証する必要があります。本座系の天保通寶を鋳造する場合、砂笵に母銭を並べて、中央の湯道(原料の溶けた銅が流れる道)とする金属棒を置き、型どりをします。この段階で中央の湯道と母銭はつながっていません。 それから型を割って母銭と湯道棒を取り出します。その後に「湯道切り」といって、中央の湯道と母銭の鋳型をつなげる作業を行います。銭をつなぐ細湯道は手作業で最後に切られるのです。鋳造の際には鋳型は立てられて漏斗状になった根本の湯返しの部分から溶けた銅が注がれます。 それらの点を考慮して画像の品々を観察するといくつかの矛盾点が見つかります。 ①湯返し(根元の太い部分)が小さすぎる。 この点はボナンザなどでも贋作の特徴として挙げられています。湯返しの部分が小さいと圧力(押し湯)が弱くなり、銭の模様がくっきり出ません。ところが、今回の品はくっきりした鋳造になっています。これには別の理由があります。 ②銭をつなぐ細湯道が太く、きちんと成形されているのはおかしい。 本座は銭を枝(細湯道)から切り落とすとき、金鋏で枝を挟み、玄能でガツンと叩いて切っていました。太い枝では鋏がもたないので、枝は可能な限り細くする必要があるのです。 一方で細い湯道だと湯圧が下がるため、鋳造ミスが増えるという難点があります。寛永長崎銭座の記録では一回あたり500枚鋳造するものの、銭になるのは400枚(失敗すると300枚)・・・つまり2割は失敗するというのです。天保通寶鋳造が果たしてどれだけの歩留まりであったかは記録上は不明ですけど、手作りですからある程度の失敗もあったと思います。 枝の湯道を太くするのは鋳造ミスを抑える効果がありますが、鋏で切り落とす工程の心配がなくなった現代の鋳造技術だと言えます。また、今回の品は細湯道部分が中央の湯道とはじめから一体的に成形されているようですから、江戸時代の記録と合致しません。 ③枝と銭の接合場所が違う。 枝銭をひっくり返して観察しましょう。本物とされる③の画像と今回の品を比較してみてください。湯道の太さ以外に何かに気が付きませんか? ③は銭の上の方に細湯道がつけられているのに対し、今回の品は下の方につけられているのです。 昔の鋳造法は縦入れ鋳込みといって型を立てて重力の力だけで鋳型を満たしました。この場合、湯道が下の方についていると型の上部には鋳不足や鬆(す)が出来やすいのです。(最近では鋳型を回転させ遠心力で満たす技術もあるようです。) 例えば左の下段の図ではラインの上部には溶銅が流れづらい・・・正しくは上段の図の湯道であるべきで、本座の枝銭はさすがにこのルールを順守しています。 ④全体が美しすぎる。鋳張りの一つもない。 もし、これが本当の鋳放し枝銭だとしたら・・・きれいすぎます。銭は基本的には大量生産の工芸品です。ごく初期の万年手の天保通寶はその提案者の狩谷棭斎にプレゼントされたことは有名なのですが、それは鋳張りの残った鋳放し銭でした。枝銭なのにきれいすぎるのはおかしいのです。 ちなみに①の枝銭は湯返しの大きさ、枝の太さ、湯道の付き方とも全くいいところがなく、これが解体されてしまった理由だと私は思います。 ※湯返しという名称は、鋳型の上部の漏斗状の部分が空洞であったことから・・・溶解した銅を、固まらないうちに坩堝→炉に返したからとボナンザなどには解説がありましたが、この部分は鋳造において湯圧を高めるための重要な役割がありますのでそもそも戻す意味など全くなく、余った溶銅を型を倒して戻す・・・という作業は鋳型が重く危険な上、鋳造上にも良い影響を与えないので、私はでたらめな空想だと思っています。湯返しの部分が漏斗状に空洞になっているのは、金属が冷えて固まる過程で生じる自然な体積収縮の現象だと容易に想像できます。 → 制作日記2015年4月28日 5月21日の記事を参照ください。 ※今回の品が昔雑誌などで売られた「金の成る木」じゃないかというご意見があります。かなり精巧なつくりなので民芸品レベルじゃない気もします。岩鋳・・・という言葉をどこかで聞いたことがあるのですけど・・・。 |
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1月27日の記事の回答 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.この天保銭の銭種は・・・ 正解は③の藩鋳銭の水戸接郭です!意外でしょう?郭が微妙に細すぎますよね?いわゆる画像マジックなんでしょうけど、画像じゃわからないものですね。(侍古銭会タジさん提供画像) ①を選んだ人 あなたは天保通寶の基礎的なことがまだ身についていないまま背伸びをしています。 もう少し観察力を付けるためには基本銭の収集からはじめるべきです。泉譜を買って15000円以下で買える基本銭を30種類(30枚ではありません!)以上揃えることをお勧めします。 ②を選んだ人 あなたはある程度基本が身についているか、単に勘で選んだのかのどちらかでしょう? とはいえ正答ではありませんので謙虚に自分の選択を反省すべきです。もう一度初心に戻り、観察力をみがいてください。基本銭30種類収集は必須です。 ③を選んだ人 とりあえず正解ですけど問題もあります。あなたはものすごく観察力のある人か、ものすごく勘の良い人なのです。泉譜確認や画像を拡大して銭名を確定できた人は将来が期待できます。一方、自分の目に対して自信過剰な一面もあると思いますので、気が付かない出会いを逃しているかもしれません。世の中教科書通りにいかないことが多いので、もっと謙虚になり、人の意見を聞くことに関心を持ちましょう。 銭名もわからずに勘だけで選んだ人・・・とりあえず猛反省しなさい。 ④を選んだ人 正直な人です。そしてこれこそ正解です。この画像を一瞥しただけでわかると豪語する人の方が心配になります。世の中にはよく分からないものがたくさんあるものです。一方でこの回答を選んだ人には古銭に夢を見すぎているお人よし(あるいは変人)も含まれています。すでにたくさん騙されているという人は反省してください。 本当にわからなかった人は勉強しなさい。 |
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2.上記回答を選んだ理由は?
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3.もし、ネットオークションでこれを発見したらいくらまで頑張りますか? 1000円未満という方 あなたは収集の魅力をまだわかっていません。たぶん、この世界に向いていないので俳句や散歩、ボランティアなどお金のかからない別の趣味を見つけましょう。長生きすればきっと良いことがあるに違いありません。 5000円未満という方 あなたは一歩前に踏み出したい、でもその勇気がなかなか持てない人です。あるいは今までさんざん煮え湯を飲まされてきたかわいそうな人でしょう。さあ、勇気をもって一歩を踏み出してみましょう。その先の結果は自己責任です。 10000円未満という方 あなたはごく普通の人です。ただ、失敗を怖がって周囲の目をすごく気にする方でもあり、財布の中身を考えて常に自分に言い訳をしながら行動をする慎重タイプです。大丈夫です、あなたはそれほど世間の注目を浴びるほど人気者にはなれませんし、自分で思うほど女性にもてません。家族の冷ややかな目だけには気を付けて、周囲の懐柔に努めながら細々と生きてください。多分人生の成功者にはなれませんが落伍者にもならないと思います。 20000円未満という方 あなたは古銭病(別名:ホシイホシイ病)に取りつかれています。この病は何度も痛い目に遭いながらも反省がひとつもできない、しかも再発を繰り返す恐ろしい病です。自覚症状のない方もたくさんいます。治療は難しく一生懸命働いてお金を稼ぎ、家族の顔色を気にしながらひっそり生きるしか道はありません。重症化した場合はなるべくネットオークションを見ないように耐えることが大事で、万一見てしまい私のIDを見つけた場合は決して手を出さないようにしてください。きっと私が困ることになるからです。 20000円以上という方 あなたの古銭病はもう末期症状で手のつけようがありません。馬鹿につける治療薬はないということです。一攫千金を夢見て浪費を繰り返すので、周囲の人たちはやがてあなたを見放すことになります。断言しましょう、古銭で大金持ちになった人なんかいません。現時点で大金持ちでない限り生きてゆくことすら難しいと思われます。 お金がない場合、所持品を業界にただちに放出してください。安く分譲すると一瞬だけは神とあがめられるでしょう。また、命が惜しければ、私のIDには決して近づかないことを約束してください。約束を破れば大変なことになり、私があなたを恨むことになるでしょう。 お金持ちの場合、おそらく大量のコレクションをお持ちでしょう。しかし、そのコレクションはあなたの死後に二束三文で家族によって売られてしまうに違いありません。その予防のため、持っている古銭を格安で業界に提供することをお勧めします。その結果、さらにお金がたまることになりますが、私を見かけたらおごってください。きっと感謝されることでしょう。 |
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画像に騙された方は多かったと思います。私も初見は長足寶系の不知銭だと思いましたから。長郭手か細郭手かを見ていると背の當百の文字がどうみても接郭に見えてしまうので気が付きました。ただ、画像だけではどうにも判断しきれい。寶足の下が陰起上に盛り上がっているのですけど、画像だけでは確認不能なのです。それに面郭も接郭にしては細いな・・・と感じました。 私の出した結論は接郭80%、ただし、不知銭の可能性も否定しきれない・・・でした。後でこの画像をいただいて納得できた次第。 |
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丸屋大型銭に対する見解 非常に面白い品ですけど、観点がいくつかあります。まず、面の文字がかなり繊細です。そして背郭が非常にきれいな形で彫りそのものも深い。郭は未仕上げながら面側の地に鋳ざらい痕跡が観察できます。 これらのことからこの丸屋銭は母銭として途中までつくられたものの何らかの理由で最後まできれいに仕上げられなかったもの、つまり未仕上げの大型母銭と判断します。 理由は分かりませんが背の輪上部がわずかにずれているからかもしれません。 ただし、普通はそのようなものは通用銭に近いサイズに磨輪されるものが多く、また、密鋳の母銭に転用されないように面側の研ぎを強くして文字を太くたり、タガネの打ち傷を入れられることが多いのです。 丸屋の母銭の標準サイズは26㎜と大きいので、通用に格下げするときに強く磨輪しない座の姿勢が見られますけど、これはそのなかでも大型ですし、いろいろな条件が重なって世の中に出てきた稀有なものだと思います。 結論:丸屋銭の未仕上げ大型母銭(通用銭に格下げされたものではないか?) 評価・・・不明(マニアの言い値・大型の母銭としての評価かそれ以上) |
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