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制作日記バックナンバー
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※瓜生有伸著 往時古泉家芳名録(5月6日)
大阪のSS様からお譲り頂きましたありがとうございます!
 
求む!情報提供!
平成24年の江戸コインオークションにおいて、No1073のファンタジー「明治13年20圓銅貨」を落札された方・・・できましたらご連絡をください。
※さらに原品の拡大画像などをご提供いただけましたら幸いです。
 
12月29日 【異書体・異製作】
その一 粗雑
不知細郭手刔輪削字(崩書)
長径48.0㎜ 短径31.95㎜ 
銭文径40.15㎜
 重量21.4g
今年入手した品の中でもトップクラスの異製作。画像が小さいと判りづらいので拡大しました。ご覧のとおり面背とも文字に激しく加刀されていまして、陰起文で文字が崩れたものでもなく、とくに天字は糸のように細い。刔輪も不規則ですが天上寶下當上をガリガリやった感じがあります。寶下の刔輪はとくに強く、上半分の内径と下半分の内径では下半分の方が文字の横画文1本以上に広くなっています。そのため離足寶になっています。よく見ると鋳肌は波打ち郭も歪んでいますので、よくこんな素朴な密鋳銭をつくったものだと思います。削字と正統派に名づけましたが、泉譜には見当たらないタイプの品で、銭文径も1㎜近く小さくて奇書とされてもおかしくない変態ぶりです。
その二 緻密
細郭手異書体
長径49.0㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.7㎜ 重量23.1g


ご覧のとおり文字は極細ながら大きく、鋳写にしては銭文径もやや大きめです。以前、薩摩広郭の改造母から生まれたのではないかと考えましたが、今思うと思い込みでして考えすぎでした。ただ、薩摩風の大きくて勢いのある書風・・・ということには間違いありません。この世界、先入観はタブーですね。
その三 素朴
長郭手覆輪狭玉肥足寶
長径48.9㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.75㎜ 
重量19.9g

若干の刔輪はあるようですが強烈な覆輪変形で横太りの独特な形になっています。この形状は草点保に似ていて鋳肌は異なるものの銅色も似ているところから草点保もどきとして妄想を膨らませています。
文字の修飾はわずかですが特に百の字の爪が大きくたくましくなっているのが目立ちます。前垂れの長いのは鋳だまりに見えていましたが、寶王画が途切れたものだということが分かりました。
こちらは四国のKさんからの投稿画像。今年もずいぶんお世話になりました。中郭手削字で通字が細くなるということでしたが、製作的には本座中郭としてもよろしいかもしれません。(銭文径41.1㎜)それより気になったのはわずかに背の外径が小さくなっているということ。画像を切って重ねあわせてみて確認メールを送りましたが、その通りとの事。0.25ミリ程度の差と言うことですが、例外的な製作だと思います。中郭だ・・・という自信の持てる天保銭は持ち合わせがないのですが、なぜかみんな細縁仕上げになっています。不思議ですね。
寛永銭中字もKさんから・・・ありがとうございます。こちらは文横引きに巨大な玉がついており、それがはじけて剥がれたように見えます。中字には玉一文という源氏名の手替わりがありますが、これはバブル寛永なんちゃって。
11月20日の島屋文の画像の配信者が判りました。山陰地方のYさんとしておきます。島屋無背の極美画像も頂いております。ありがとうございました。
 
12月28日 【改めて・・・今年の10大ニュース】
ネットで今年最後のチャレンジ、29㎜台の背盛母銭を競り負けました。従いまして、今年のチャレンジはすべて完了。無駄遣いは100万円を優に超えていると思いますが、そのわりに収穫はいまひとつかも。薩摩小字はすごかったです。鉄人、画像ありがとうございます。

入手品についてBEST10+1
 1.
新寛永元文期一ノ瀬高寛 銀座コインオークションの収穫品。コストパフォーマンス最高であこがれの品でした。
 2.長郭手覆輪狭玉肥足寶 横浜古銭研究会の入札。独特の個性あふれる雰囲気は得難いと思います。
 3.
細郭手異書体 ヤフーオークション。有名度、希少度からするとNo.1でもおかしくない存在でしょう。
 4.
長郭手覆輪小字背広横郭 横浜古銭研究会の入札。実質的な希少性はかなりのもの。銭文径の縮みが可愛い品。
 5.長郭手鋳写楔形 横浜古銭研究会の入札。製作の変わり種としてはピカイチです。
 6.細郭手削字 ヤフーオークション。コストパフォーマンスは悪い。しかし、それを補う見れば見るほど異製作銭でした。
 7.長郭手覆輪厚肉 四国のKさんから購入。希少度からするとかなり落ちると思いますが、なんとも味が良く、ひとめぼれの極地。  
 8.
江刺大頭通 Hさんから割譲。密鋳四文銭の未収品のひとつでした。
 9.
長門銭太細様跳尾永手本銭 ヤフーオークション。寛仙堂氏の旧蔵品。ありそうでなかなかない手本銭です。
10.
長郭手花桐極印銭 ヤフーオークション。コストパフォーマンスは最悪ながら、細郭手とペアになったのがうれしい。
次点.長郭手宏足寶 ヤフーオークション。今年唯一鉄人に勝てた品でかなり希少な品ながら価格高騰の罪をかぶっています。
    すなわち入手の喜び+鉄人に勝った喜び-(支払額+妻の怒り)からこうなりました。

できごとBEST5+1
 1.穴カタライブで北海道に行ったこと。
 2.関西のSさんから衝撃的な寛文期亀戸銭正字背文純白銅銭をお見せ戴いたこと。
 3.薩摩小字系の不知小字長人偏がネットに出たこと。根性なくて入手できなかったけどこいつは欲しかった。
 4.TICC会場で入手した
薩摩広郭白銅会津濶縁離足寶でいろいろ勉強できたこと。
 5. 往時古泉家芳名録をお譲り頂いたこと。S様ありがとうございました。
次点.
泉書探訪のコーナーをつくったこと。

古銭以外のできごと
 1.
暴々鶏氏が仕事場訪問して下さったこと。
 2.
復興国債を買ってしまったこと。記念貨幣狙いではなく(全くないわけでもないのですが)銀行の引き出し手数料削減のため。

入手品1位の
一ノ瀬高寛は入手した瞬間にNo.1クラスだと予感しました。案外あっさり入手できましたが、極美の品。ただし、入手価格が15万円だったら1位にはならなかったでしょうね。
希少品と言えば人気薄ながら
古寛永太細様の手本銭は絶希少だと思います。手本銭は市場に良くありますが、太細様、星文手様、広永様の手本銭はまず見ない・・・なぜなんでしょうか?
全体を見回すと異製作の不知銭ばかりですね。そんな中でも四国のKさんからお贈り頂いた
長郭手覆輪厚肉は、(異製作ではなく)比較的正統派の不知銭の顔ながらその端正な出来栄えと重厚感に酔ってしまいました。二度と会えないという思いがつのり、また日頃の投稿の感謝の意味も込めて奮発させて頂きました。暫定発表順位では1位でしたので順位を落としましたが、購入した時の気持ちの上では1位でもおかしくないと思っています。(浩泉丸愛蔵品)
対照的なのが次点の
宏足寶。品物の格からするともっと上位でも良いと思いますが、熱くなりすぎたという反省があり、品を見るたびに心が痛みます。しかしながら、入手できなかった薩摩小字もできごと部門で3位ランクインするなど、高額で入手を断念しても、くよくよ後悔している矛盾した自分がいます。入手しても反省、入手できなくても反省なのです。だめですね。
長郭手桐花極印銭はネットオークションに現れたとき小躍りしました。しかしながらものすごく高騰してしまい一時はあきらめた品。なぜか次点入札の私が繰り上がり入手できたという不思議な経緯な品です。価格的はとんでもない水準になってしまったと思いますが、細郭手とペアになったのが嬉しかった。その後、鋳肌と極印に共通点の見られる細郭手と長郭手のペアがもう一組できました。

できごと部門のNo.1はやはり
北海道まで石川さんに会いに行ったこと。金と暇がかかっています。本来ならばもっとゆっくり滞在したかったのですが、本当に弾丸ツアーでした。
そういえば最近、私の古い友人が北海道で陶芸家になっているということが判明しました。札幌ちひろ窯と言いますのでよろしかったら見てやってください。昔から酔っぱらうととポエムを書いたり(彼女ののろけ話ばかり)、プロレスラーのものまねをする訳のわからないやつで、名のある大学を出て陶芸家になるとはずいぶん思い切ったことをするものだと心配しておりましたが、陶芸家として食えているようなので安心しました。
できごと部門2位の
純白の正字背文は驚愕の品。間違うことのない白銅銭でした。そういえば楽龍堂のK氏は純白の退点文をお持ちとか・・・。ここらあたりの品は販売価格の問題ではなく出会えるか否かの問題であり、数量的には島屋文より少ないのではないかと思ってしまいます。
できごと部門4位にした
会津の濶縁離足寶については、今まで今一つ理解ができていなかったのですが、ようやくなんたるかがうっすらわかるようになりました。進歩ないなぁ・・・とあきれてください。同様に薩摩の白銅についても有識者のご意見を拝聴できましたが、こちらはまだ納得できる他人の所有品に出会っていませんのでまだまだ悩みは続くと思います。

なお、ランクインさせませんでしたが今年は
製作日記を過去最高頻度で更新しています。容量では昨年の1,5倍以上。与太話も多いのですが頑張りました。そういえば、一時悩まされた迷惑メールはアドレスの表記方法を変更した結果、小康状態になっています。セキュリティソフトも今月変更しました。その結果、HPのアクセス数が元のスピードに戻っていますがこれが本来の実力でしょう。なにせ、1日に1000アクセス以上上積みされて、アクセスカウンターが壊れたことが2回ほどありましたので、おそらく不正侵入も試みられたのかもしれません。注意しなくては。
また、交通会館には殆ど行っていません。ストレスたまりますね。

なんやかんや言いながらあっという間に1年が過ぎ去ってしまいました。明日からは妻と子供は家族旅行と称し出かけます。私は猫とお留守番です。鬼のいぬ間に洗濯・・・と行きたいところですが掃除も頼まれてしまいました。年賀状もまだ終わっていないしね・・・。
 
12月22日 【今年最大・最後の化け物登場!】
ヤフーオークションの登場したお化け!こいつの衝撃はすごかったです。薩摩小字には人偏の短いものと長いものがあって、短いものを薩摩小字、長いものを不知小字とするのが今の分類。(中間のものあり)と、いうのも小字には写しらしきもの・・・銅質替わりが散見され、どちらかと言えば短人偏のもののほうが薩摩らしい風貌を持っているとされ、長人偏は肥字気味でぼんやりした顔のものが多い・・・というイメージを私も持っていました。しかし、こいつは違う。これこそ薩摩小字といえるほどの良い顔です。名品の誉れ高い品になることは必定・・・そうなると切り合いは必至で30万以上になるだろうなあ・・・と考えていました。案の定、鉄人に逆襲され、最後のお願いとばかりに札を入れましたが超えられず、家庭の事情と自らに言い訳しながr涙の撤退・・・本音は50万円を超えても降りたくなかった品なのですが、分不相応と言われそうですし、切り合いになってただでは済まなくなりそうなのであきらめた次第。鉄人、画像くださいね。
 
12月21日 【暴々鶏氏来訪!】
仕事の関係で練馬雑銭の会会長の暴々鶏氏が私の職場を訪問してくださいました。(古銭は抜き!)
古銭でのおつきあいしかしていなかったので、会長のお仕事が何であるかはほとんど存じ上げておりませんでした。漠然と作家であり、HP作成とかのネット関連のお仕事もしているんじゃないかと考えておりましたが、なんと某大学で非常勤の講師も務めてらっしゃり、しかも専門が私の仕事と同じとは全く知らなかった。同行してきた方はファイナンシャルプランナーという私には縁もゆかりもなさそうなお仕事のプロ。また、お話の合間に〇〇省だのに補助申請するなどの話題が。そういえば会長は海外にプランテーションをお持ちの実業家と言うお話も聞いておりました。いやはや、マルチな才能でしてうらやましい限りです。
40分ぐらいというお約束で、本当は会長から取材を受ける・・・はずだったのですが、つい私が日頃のうっぷん話に夢中になって、会長の体調のことも考えず4時間ぐらいお引止めしてしまいました。(ごめんなさい)
本当は自宅で夕飯を食べながらゆっくりお話も聞きたかったし、古銭の話もしたかったのですが、今回はお預け。しかし、ときおり織り込まれる古銭収集の話に、私の妻も同行されてきた方も目を丸くして驚いていました。本当は会長に妻を引き合わせ、「収集家にもこんなすごい才人もいるのだぞ」と自慢したかったのですけど・・・古銭の話はかえって逆効果だったかしら?
しかし、私的には満足です。暴々鶏様、ありがとうございました。

PS.お土産の北斗英雄伝を読み始めました!間もなく、上巻を読み終わるところです。いやあ~、面白い。

早坂昇龍著 九戸戦始末記 北斗英雄伝

天正年間末期、豊臣秀吉に反旗を翻し、6万人の軍勢に5000人の兵で抗った北奥の勇「将鑑様」こと九戸左近将鑑政実の戦いの記。疾風(はやて)こと厨川五右衛門を中心にストーリーが目まぐるしく展開します。聞いたことのある奥州各地の鋳銭場の名前も出てきますよ。平成20年~23年まで盛岡タイムス紙に連載された歴史小説で、全5巻になる予定のようですが、現在は第1巻、第2巻が一般書籍、電子書籍で販売されています。

→ 電子書籍第1巻
→ 電子書籍第2巻
→ 公式HP
 
12月20日 【今年の重大ニュース】
本当は10大ニュースとしたいところなのですがどうにも絞り込めません。とりあえずジャンル別に書きます。
順位は暫定・・・絞り込めるかしら・・・

新寛永
1.銀座コインオークションで
元文期一ノ瀬高寛を落とせたこと。
2.Hさんからさんから
江刺大頭通天狗寛永をお譲り頂いたこと。
3.関西のSさんから
寛文期亀戸銭正字背文純白銅銭をお見せ戴いたこと。
4.
寛文期亀戸銭縮字広文長冠寛を入手したこと。

古寛永
1.
長門銭太細様跳尾永手本銭を入手したこと。

天保銭
1.長郭手覆輪厚肉を四国のKさんから衝動買いしてしまった。分厚くてお気に入りです。
2.
長郭手覆輪小字背広横郭を入札で落としたこと。
3.
細郭手異書体を入手。こいつは不思議な奴です。
4.
長郭手鋳写楔形を入手。これもまたとても面白い品です。
5.長郭手花桐極印銭を入手し、細郭手とペアになりました。今年は同じようなペアをもう1組見つけました。
6.
宏足寶もどきの覆輪刔輪天保を入手。こいつもなぜかお気に入り。
7.長郭手覆輪厚肉(異極印)を入手。このときは、格安で複数の不知銭を落手できたので!
8.
長郭手覆輪張足狭玉肥足寶を入手。これは泉譜を飾った有名な品。
9.TICC会場で薩摩広郭白銅と会津濶縁離足寶を入手してこれらについて勉強できたことがうれしい。
10.
広郭手細縁厚肉異極印を江戸コインオークションで入手したこと。
11.
宏足寶をはじめ細郭手削字長郭手覆輪陰起文(無極印)を入手するためネットで狂乱してしまったこと。こいつは反省。

その他
1.
穴カタライブで北海道に行ったこと。
2.
泉書探訪のコーナーをつくったこと。
3.薩摩小字系の
不知小字長人偏がネットに出たこと。40万まで追ってしまいましたが・・・
4.
往時古泉家芳名録をお譲り頂いたこと。S様ありがとうございました。
 
12月15日 【黄色い琉球中字】
某コイン店のオークションにあった琉球通寶。黄色い発色が珍しくてマークしていました。締切2時間前で誰も応札なし。即決で11000円(琉球中字2枚)と言う価格だったので即決でも良かったのですが、昼間の締め切りだしどうせ誰も行かないだろう・・・と高をくくり最低価格応札のまま放置。
先ほど確認してみたら見事に逆転終了していました。油断大敵、女神に後ろ髪はないという言葉を思い知ることになりました。琉球は灰色がかった褐色が普通なのですが、素材不足から色々な素材を使用したようです。真っ赤なものは時折見かけますが黄色い中字はそんなにないと思いますよ。撮影時の光の加減などもあると思いますが・・・。
なお、小字は黄色いものがむしろ多く、大字は赤から黄色まで見られ、広郭の赤いものはまだ見たことがありません。もっともこれは私の経験ですので、探せばいろいろ出てくると思います。厚肉で30gある琉球とか純白の琉球とか出てこないかしら・・・。
 
12月14日 【曳尾細字大字保】
T氏から初めてのお便りが・・・。曰く「購入予約をした天保通寶山口曳尾細字大字ですが、當字ウ冠角度と百字第一画がうねり、異なるように思います。曳尾細字大字にはこのようなものもあるのでしょうか?」
背景の着色から見て、ネットで売られていた物かしら?・・・と予測していますが気が付きませんでしたね。ご指摘のような相違点もありますが第一感として天の第三画が広がらず、そのかわり下方向に長く伸びている狭天系・・・大字系とは明らかに異なります。もともと曳尾は加刀変化が激しいものなのですが、これは泉譜掲載のある品でした。類似カタログ69番、曳尾細字大字保でした。大字ではなく大字保。保の人偏、口とも大きく、通尾は大字より力強く上に跳ね上がります。背文字・花押も全体的に大きく見えます。カタログ評価では大字よりランクは上。しかし、ぱっと見では気が付かつかず見落としてしまいます。良いものを拝見させていただきました。
 
12月13日 【見逃した品】
加治木鐚の中の最高峰・・・大中通寶の背治がさりげなく出ていました。ネットサーフィンで見つけて注目していたのですが、マーキングを忘れて結果が分からない品になってしまいました。本邦鐚銭図譜で照合しましたがどうやら本物みたいです。
初値も良い価格でしたが正当評価なら30万円以上はいくはずなのですが、なにせ地味ですから・・・。でもなかなか良い顔をしていますね、専門外なのでわかりませんけど。
(画像使用お許しください。ところで結果はいくらだったのでしょうか?)
 
12月12日 【未使用天保】
関西のSさんから左側の赤白い天保銭本座細郭が送られてきました。(右側は比較用の未使用細郭銭)
曰く・・・ネットで購入した天保銭のうち40枚が左のような色。広郭・長郭等の書体混じりということでこれは如何に・・・とのことでした。Sさんは郭内の仕上げに不自然さを感じ後作ではないかとのことでしたが・・・本日子細に観察しました。
結論から言うと、比較的状態の良い天保銭を薬剤洗浄したものだと思います。鋳造時期が異なると予測される違う書体が同じ色と言うのもそのためでしょう。超拡大画像にすると文字の角などに摩耗が認められ少し流通痕跡があります。
火災などで高温状態に銭が置かれると(直接火にあぶられなくても)酸化・還元作用などで変色が起こることがあると考えていましたが、重なって保存された40枚がむらなく還元脱色する事はないでしょうね。また、脱色は穿内にも及んでいますので、それが仕上げの不自然さに見えたのだと思います。
しかし、超拡大画像にすると文字の太さの違いが歴然とします。仕上げ研ぎの違いもあるのでしょうが左は文字加刀修正が行われているように見えます。
なお、本座未使用銭の細郭は実に少ないですよ。
 
12月5日 【フランスから】
フランスの方からメールが届きました。もちろん日本語で。以前、ベルギー在住の日本人の方や中国に留学している日本人、中国の方などからメールをいただいたことはあります。
義理の妹が外国人と結婚していて、実は今週我が家に来るのです。外人と言っても彼は日本語ペラペラで、日本の歴史のおたくなのです。(歴史の知識はほとんどの日本人がかなわないレベルです。)
前回の訪問時にお土産に天保通寶をあげたら震えるほど感激してくれました。彼の国には天保通寶のような大きくて変な形をした穴のあているお金は存在しないからでしょう。おそらくメールを下さった彼の国にもないでしょう?ね、RAYNAUD RORANDさん。
 
12月3日 【ストレス性貧乏症候群】
またやってしまいました。酔った勢いで落としてしまいました。それにしてもこの天保銭の書体の崩れは面白く、今まで見てきた泉譜にはあまり掲載はないと思います。不知銭の有名品に奇書というものがありますがそれに近い変態ぶりです。
本当は冷かして逃げるつもりだったのですが、何度も見ているうちに入手したくなってしまいました。これで11月から今日までで30万以上使ってしまった計算になります。はい、自粛します。今年はこれで御仕舞にします。しますよ、ほんと、したい。

※売って下さった方は、少しだけ知っている方だったようです。もしかするとこの画像もらっていたかもしれません。それとも研泉会会誌に掲載されていたかもしれませんね。調べてみます。
 
12月2日 【師走】
師走とはなんとも忙しそうな言葉です。その言葉通り、明日から激走しなければならない日々が続きます。請求でしょ、選挙でしょ、研修担当、出張、法人監査、忘年会、役員会、市の委託業務の宿題・・・これが上旬にすべて集中してます。研修担当は4日、出張は北関東に一泊と気がふれたような状況です。ストレスたまりますね。だからと言うわけではありませんがネットでまた無茶をしています。
アクセスカウンターがまた2週間で1万人上乗せになりました。
アドレス表示を変更したので迷惑メールは若干減ったのですけど、1日で1000回以上のアクセスがある日がまたありました。しかも今回は3000回ぐらいあり、アクセスカウンター表示が一時壊れてしまいました。あるいはハッキングに遭ったのかもしれません。ここのところ寛永銭がほったらかし気味だったので気になったことを調べてみました。
それは数年前に1600円で購入した25.8㎜ある佐渡銭が、母銭である可能性の検証。材質の色は違うし、面の彫りは深いし、郭内にやすり仕上げのような跡はあるし、肉も厚い。背郭もきちんとしています。面輪際に加刀のような痕跡もある。しかし、背の文字抜けが悪いし、地もざらざら。例によって思いっきり拡大して、大型の通用銭(25.25㎜)の画像と重ねあわせて見ました。
その結果・・・やっぱり通用銭でした。まぁ、大方の予想通りでした。(圧力がかけられて延ばされたわけでもありません。)
しかし、この大きさは私の新寛永銭のなかで御用銭を除きチャンピオンサイズなのです。文銭でもこのサイズは持っていませんので。
 
12月1日 【昭和泉譜物語】
昭和泉譜について記述していたら、天保仙人様から連絡が入りました。(ありがとうございました。)


昭和48年頃だと思いますが小川青寶樓先生を中心に、『昭和泉譜』を復刻しようと意見が盛り上がり広まりました。当時中心人物の一人が、実は新聞記者?上がりの瓜生氏でした。瓜生氏の実家は神職(神社の神主の事、資格も持っていた)でしたが、当初は新聞社(福井新聞社編集部)に勤めていたそうです。そこで交渉役に選ばれて版権交渉の大役を担ったのです。
『昭和泉譜』の正式な版権の相続人は、作曲家の平尾昌晃氏でした。平尾氏は祖父(平尾麗悳荘)については全く知らず、版権の事も知らなかった(平尾氏の父親は満州浪人で、古銭・祖父麗悳荘については平尾氏に話していなかった)のですが、版権の正式相続権が有ると解ると、版権料としてマネージャーを通し『100万円』を請求したのです、その為に販売価格が上がったのです。その頃まだ私は駆け出しの頃でしたが、良く話を聞かされました。(天保仙人)


※平尾氏の名誉のために申し上げますと、おそらく平尾氏は泉譜が1000部も売れれば大ベストセラー・・・ということをご存知なかったのではないかと思います。また、芸能人ということで金銭感覚も若干異なったのではないでしょうか?
 
11月29日 【復刻版昭和泉譜】
いつでも入手できるので・・・ということでなかなか購入の踏ん切りがつかなかった昭和泉譜(全4巻:歴史図書社版)をついに購入してしまいました。最近、大和文庫HPで3万円で売り出されたものがあり、古本市場より2割以上安い価格でもあったので気にはなってはいたものの、当然ながら売り切れているとばかり思っていました。3日前に見たら・・・まだ残っている・・・しかも大和文庫10%引きセールで送料も無料!・・・迷いに迷って購入してしまいました。私の読みたいものは1巻の日本銭の部だけで、それも本音を言うと天保堂復刻版が読みたかったのです。
しかし、天保堂復刻版は何年も探しているもののなかなか現れません。2巻~4巻までは1巻のおまけのようなものです。
本日届きましたが多少日焼けはあるもののほぼ未使用のデッドストック本でした。定価を見ると42000円ですから私は15000円引きで入手したことになります。ところで歴史図書社版は昭和49年にこの本を出版していました。元稿完成は昭和15年のはずですので、実に30年以上後に復刻された訳です。どうりできれいなわけで、はずかしながら私は入手するまでこの本が復刻本だとは知りませんでした。
(昭和60年代になってからも天保堂の瓜生氏が復刻再編集版を出しています。)なお、出版元の歴史図書社は昭和51年に天保銭事典をも出版しています。古銭ブームに乗って瓜生氏に声をかけたのか、それとも瓜生氏の方から歴史図書社に企画を持ちかけたのかは定かではありません。歴史図書社の住所は丸ビルの中なので今はもう存在しないのかもしれません。

※前書きを読むと小川青寶樓氏の編纂したものを歴史図書社が出版したものらしいです。小川氏と瓜生氏は師弟関係なので、その後の天保銭事典の復刻出版につながったことが伺えます。なお、昭和40年代の42000円という販売価格は現代と比べてもかなり高額で、物価比率から考えると15万円ぐらいの感覚ではないでしょうか?きれいな本が古書市場に残されている理由がこれからもわかります。
 
11月27日 【雑銭の会20周年記念譜】
雑銭の会が発足20周年になるそうです。私はこのサイトを立ち上げまだ8年ほどなのですが、雑銭の会にいつから参加したか記録もないし記憶も定かではありませんが、このサイトの歴史とあまり変わらない時期だと思います。初期のころは密鋳四文銭でずいぶんお世話になりました。
その昔は「練馬雑銭の会」でして、その名前がすっかり頭にインプットされてしまってつい、「練馬・・・」の名前を使ってしまいます。(ごめんなさい。)おかげ様ですっかり古銭趣味にはまってしまい、それまではまっていたゴルフやスキーは全くご無沙汰しています。また、独りよがりであった古銭知識も少しずつ蓄積することができましたが、まだまだ知ったかぶり・・・虎の威をかるなんとやら・・・の状態で、すっかり恥をかくのにも慣れてしまいました。それでもえ、そんなことも知らなかったんですか・・・とか、それをまだ持っていなかったのですか?・・・と言われると、一瞬どきっとしてしまいます。初期の頃の制作日記を読むとまことに微笑ましく・・・消してしまいたい・・・と思うこともありますが、これもまた私の歴史ですね。
さて、要項をすべて把握したわけではないのですが、どうやら雑銭の会が20周年記念の本(電子書籍)を出すとの事。その記事を募集するようです。記事は①研究発表 ②記念出品 の2通り。本当なら①研究発表と行きたいところなのですが、残念ながら現在はこのサイト記事を書くのに夢中で、一つの課題について掘り下げた研究なんぞしていません。だいたい私の知識は人からの伝聞、文献からの引用、噂話の羅列で一つも自分自身の元からの意見なんかじゃありません。もちろん調べるときは重箱の隅をつつくようなこともしますが、そもそも付け焼刃です。
収集家には古文書を読み解くエキスパートから、大量に集めまくり奥深く細分類する徹底派までいらっしゃいます。いまのところ私はそのいずれのタイプでもありません・・・井の中の蛙は変わらないのです。
では②だとしたら何を出そうかしら・・・話題になるものが最近あまりなくて・・・困りましたね。

※Yさんからメールが・・・天狗の断足寛は気づいていました・・・さすが!御見それいたしました。私はまだまだ足元にも及びません。
 
11月26日 【天狗寛永の断足寛】
九州の文銭研究家のK氏からお手紙が・・・(ありがとうございます!)

(前略)
11月20日の制作日記にY氏の天狗寛永拓本が掲載されております・・お気づきかと存じますが、「寛後足の中ほどの鋳切れ・通頭と用郭が鋳溜まりで繋がる・通頭横内輪の小突起」この天狗寛永は小生が2年前の平成22年7月に発見・命名した天狗寛永断足寛ではありませんか?平成22年8月11日付けの制作日記に小生の投稿記事を掲載して頂きましたが、その後わずかに1孔を確認したのみです。20日の記事を拝見して嬉しくなりお便りを差し上げる次第です。

いや~お恥ずかしい、忘れてました、全く気付いておりませんでした。天狗寛永を生で見るのもそんなにありませんし、購入するにしても高騰してしまっておりますのでもう私は一生入手できないとあきらめておりましたので、細分類のことなど脳裏にありませんでした。お宝は気づかないところに眠っているのですね。(最近、物忘れが激しくなりました。人の話を聞いていない?・・・性格かもしれません。)
Yさん、おめでとうございます。貴方の品が新種と認定されました。(それともご存知でしたか?)
→ 制作日記2010年8月11日

ところでYさんからあの拓本を頂戴した時に、①と②に同じ特徴・・・同じような背輪の鋳だまりと内郭の瑕があるから面白いと申されていた記憶がございます。勘違いでしたらごめんなさい。
 
11月25日 【グレーゾーン】
キュリオマガジン誌上において石川氏が「一般通用銭と書体が異なる寶永通寶母銭が数多く存在する謎」について言及されていますが、立場上あれ以上は書けなかったのではないかと思われます。古泉家は他の古銭関係者を傷つけないように気を使いますので、グレーゾーンにある品々について本人の前では本当のことを言わなかったり、言葉を濁すことが多いのです。 その昔、鑑定に自信のあった文久童師は、気に入らない品はぽ~んと放り投げ・・・機嫌の悪い時なぞは庭に投げ捨てた・・・と聞きます。仲間の面前で激しく否定されるのもどうかと思いますが、その場で言われなくても否定的見解を後で噂として聞くようになると人間関係がこじれるようになります。
 書体が異なる寶永母銭。子細に観察すると寶冠の前垂れの長さ、文字の
大きさ、背の文字の形などが微妙に違います。(借拓)
一番わかりやすいのが広穿であること。そのため全体に文字が縮小して
昴寶に見えます。  
→ 2010年11月12日 制作日記

実は古泉界には「先師達が腑に落ちないと考えた品」々がけっこうあり、私のHPにも堂々と掲載してあります。
最近よく言われるのが、
下田極印銭のお贋作者の話で、この噂は最近の貨幣誌上にも掲載されています。
天保銭に秋田銀判の極印を打ったものは、どうやら悪戯の主が判明したようです。
盛岡の
背下点盛なども贋作話が絶えませんが、確たる真正品もまたあるような気もします。
浄法寺銭も最近その出所がかなり明らかになってきているようで、間もなく古銭としての位置づけがはっきりするかもしれません。
小菅巨字もよからぬ噂がありますが、これは貨幣誌にも書かれていた鷲田寶泉舎の贋作説がその根拠かもしれません。
難波御用銭は市場に銅色がさまざまあることからどれかが本物、あるいは贋物なんでしょうけど、私には真贋がいまだに判りません。
よからぬ噂のあるものの多くは、奇抜な書体や製作で収集家の目を惹くものばかり・・・したがって上記のもの以外にも奇抜なものには常に疑念の目が向けられることになります。寛永銭の白目大字しかり、潜イ、真鍮背元、天保通寶の長反足寶、濶天保、薩摩小字、その他錯笵銭や稟議銭の類・・・など疑い出したらきりがありません。(もちろん真正品もあると思います。)
白銅色の精巧銭は常に
寛永堂稲垣尚友贋作の噂がついて回り、実は今回の石川氏の言及した寶永通寶の謎の母銭にもその噂を聞きます。進んだ研究者の判断によると真贋の結論まで出ていますが、贋作する場面を実際に目撃した訳ではなく、あくまでも製作手法などの状況証拠を積み上げた結果、腑に落ちない・・・と判断したまでなのです。ですから鑑定者は「あまり好きではない」と表現するのが精いっぱいなのです。
中には誕生からして100%贋作もあるかもしれませんが、真正品があるからこそ贋作が生まれるのが普通。そして火のないところには煙が立たない・・・収集家は心して下さい。

※あの天保仙人は天保銭収集をはじめて間もないころ、給料の1年分をはたいて購入した加越能が贋作と判定された・・・というエピソードを聞いたことがあります。それでも収集をやめずに邁進したことが今につながっているのでしょう。

※銅質替りは私の好きな収集テーマですが、江戸時代の金属の入手過程を考えれば極端な銅質替わりは生まれづらいことが分かると思います。錫は貴重な金属ですし、真鍮はまず民間での入手は困難です。したがって入手が比較的簡単だった鉛による赤い銅替わりはともかく、白や純黄色は怖い分野なのです。

※贋作銭でも時代が経てば立派な真正品になります。とくに絵銭ではよくあること。双玉貨泉手などは古くは贋作絵銭とされたこともあるようですが、今は立派なジャンルです。ファンタジーとされる多くの古金銀もしかり。そういえば今は大人気の浅間銭や穴一銭なども時代の古い泉譜には掲載がないような話を聞きました。江戸時代には新作絵銭(玩具)だったのでしょうね。
 
11月24日 【銀座コインオークションの成果】
朝、、ポストを開けたら不在配達通知が入っていました。郵便局は夜間配達はしないので、昨日のうちに投函されおそらくポストのどこかに引っかかっていたのでしょう。と、言うわけで待ちきれず早朝から郵便局まで往復40分ほどの行脚となりました。入手品は3品。元文期一ノ瀬銭の高寛背一と不知長郭手覆輪の白銅質、それに洒落で落としてしまった昭和26年の穴ずれ5円玉です。やはり最大の成果は元文期一ノ瀬銭の高寛背一で、これは寶貝の縦画に鋳不足消失はあるものの、平成15年の銀座コインオークションの時に出た品に勝るとも劣らない美貌の品。未収品ですし白銅質のその色合いに私は魔術をかけられてしまいました。どうしたことかオークションではほとんど競りが起きず、望外の価格で落札。拍子抜けというより、もしかしたら贋造、変造、ひび入りから果ては低寛背一の見間違い・・・などというよからぬ想像が頭の中を駆け巡っておりました。しかし、現品を確認して一安心。これは久々に特別展示室に入れられる品になりそうです。
白銅質の覆輪天保はその勢いで購入したもの。時代的に降るような気もしますが、この手の材質の不知銭は時折見かけますので、大きな座の出かもしれません。
逃した魚としては59番の平野新田の十万坪手の白銅母銭がやはり惜しかったですね。改めて写真を見ても大きいし、白い材質も珍しい。もし、これを入手していたら白銅ものが3つならべられたのになあ・・・と言っても後の祭り。
昭和26年の穴ずれ5円玉については価値はよく分かりませんが面白いので好きです。実はその昔1枚同じような穴ずれ5円玉を持っていたのですが、コイン収集が趣味という方に無償でプレゼントしてしまったことがありました。すぐにまた手に入る・・・と思っていたら案外ないものなんですね。再入手の裏話でした。
 
11月23日 【秋田細郭?】
某コイン店の即売品として、秋田細郭のタイトルで掲載されていた画像です。残念ながらすでに売り切れでした。もし手に入れていたら大騒ぎできたのですけど・・・。これはちょっと有名な天保銭・・・分類名は皆さんでお考えください。雰囲気は似ていますが薩摩ではありません。私も持っていますが、こちらの方が数段美しい。細縁ぶりもすごいので欲しかったな。

※アドレス表示を変えて約一週間、以前は1日1800回を記録する日もありましたが今は元に戻りました。前回は1万回上積みするのに2週間。今は1週間あたりで1600人あまりで約3分の1に落ちましたが、これが本来のペースでしょう。やはり、以前はロボット型の探査でアドレス情報を抜き取られていたのだと思います。投稿はし辛くなりましたが、これも防衛のため・・・お許しください。しかし、迷惑メールはあんまり減らないです。アドレスそのものも変えなきゃだめかしら・・・。

→ この天保銭の正体は・・・
 
11月21日 【ここだけのお話】
江戸コインオークションに出た噂のもうひとつのお化け・・・明治13年名の20圓金貨銅打ち・・・だそうです。金貨縮小に備えた稟議用の銅貨の可能性があるとのこと。ご
入手された方の情報が知りたい・・・と、仙人が申しておりました。
この時代の極印が外部流出して後打ちで銅に打たれたものがあるようにも聞いたことがあります。市場にある銅打ち見本の多くがそのようなものかもしれません。金より硬い銅で試し打ちをすると極印が痛むのじゃないかと思いますけど・・・素人には判らない世界です。それとも銅を削った工芸品だったりして。でも中には本物もあるのですね。
ラムスデンの販売目録が見つかったとのお話・・・とんでもないものの記載もあった・・・ということですが書けません。天保仙人主催の八厘会に参加するとそんな泉談が聞けるかもしれません。
11月20日 【拓本】
銀座コインオークションのときにY氏、H氏から頂戴した拓本です。きれいな拓本を採るにはちょっとした道具と技術が必要でして、詳しくは方泉處21号に記載してあります。と、言う私ですが20歳代の頃はずいぶん練習したものですけど、その後は道具すらなくしてしまい、今や正しい採り方すら覚えていません。画像の方が色や拡大ができるというメリットがありますが、字画の微細変化は拓本の方が拡大しなくても分かりやすいという利点があります。一方で拓本は手間がかかり、古銭を汚す可能性があるという欠点があります。誤ってついてしまった拓本墨は除去は難しく、細心の注意を払っていても、拓本紙を透して少しずつ銭本体を着色してしまいます。玉塚天保の朱色が消えたり、未使用級の古銭に無残なシミがついたりといった失敗・事故例を時折見かけます。
とはいえこういった美しい拓本は芸術品の香りもします。もう一度、拓本にチャレンジしようかなぁ…と拓本を頂戴するたびに悩む今日この頃です。

※昨夜、ソフトのトラブルが発生し3時間かけてつくった新しい目次リンク表がすっ飛んでしまいました。幸い復旧しましたが、気力がなえてやる気がなくなってしまいました。

サイトが巨大になりすぎてもはや自分でもリンクページを探すのが難しくなってきましたので・・・。
 
①寛文期亀戸銭正字背勁文異頭通手 【Y】
②寛文期亀戸銭正字背勁文異頭通(天狗寛永) 
【Y】
 ※同じポイントの鋳だまりを観察してください。
③福西作贋造古寛永背十一 【Y】
 ※贋作者列伝に同じ系統の作品が掲載されています。
④錯笵寛永元禄期荻原銭厚肉(称:背竜紋) 【Y】
 ※錯笵ですが、意図したような不思議な図柄。Y氏のお気に入りの1枚。
⑤不知長郭手長反足寶 【H】
 ※不知長郭手の名品、長反足寶。私の所蔵品も元H氏の所蔵品です。
⑥正徳期御用銭(称:日光御用銭) 【Y】
 ※原品を確認しましたが間違いない美銭です。
 
11月18日 【分類判定のポイント】
天狗寛永にしても江刺大頭通写にしても、必ず分類上の観察ポイントがあります。先師達はよくぞこのような細かいポイントを発見してくださいました。

天狗寛永
① 通頭の大きな鋳だまり。天狗の鼻。
② 寛後方の鋳だまり(星)。
③ 寶上輪際の鋳だまり(星)。
④ 寶下の輪に接する小さな鋳だまり(星)。
⑤ 背文の第4画がかぎづめ状で下から入ります。勁文。

江刺大頭通
①寛目最下段横引きに鋳だまりがあります。
※寛前足の鋳切れ、寛目前の地に小さな突起も共通。
②寶下輪に接するヒゲ状鋳だまりがあります。
③寶脇の輪に小さな凹み傷あり。この特徴が一番目立ちます。
④背下部の波の間の鋳だまり(星)があります。
⑤背郭右下部位の膨らみ変形。
→ 江刺銭の細分類研究譜
→ 新寛永通宝分類譜 江刺銭の類

※原品は真黒く発色しているため非常に見づらいのですがすべてのポイントとも確認できます。下に拡大写真を掲示しますのでご確認ください。
称:江刺大頭通写のポイント部分の確認写真 
4倍に拡大してみてはじめて黒色に見える江刺銭の地金の色が赤茶系であることが分かります。流通によって赤黄色く発色することもあるのでしょう。黒色は硫化によるものなのでしょうか?
なお、江刺銭は穿内鋳放しと書いている文献もあると思いますが、あくまでも多いというだけで、必要であればやすりがけをし、不必要なら省略といった塩梅です。
江刺銭には21波・仰寶・背盛などもあると聞き及びますが、いずれも希少。とくに背盛はそうだと言えるものは見たことすらありません。
離用通もひょっとしたらあるかもしれませんね。

※調べると赤色は酸化第一銅(亜酸化銅)、黒色は酸化第二銅で酸化の過程で酸化→亜酸化と変化するようです。酸化銅は強く過熱すると生じやすく、焼け銭が真っ黒なのはこの理由からのようですね。
江刺銭の黒さの秘密が酸化銅(酸化第二銅:CuO)であることが分かりましたが、この酸化第二銅の過熱が進むとCuO(酸化第一銅)が生成されて赤くなるそうです。元素記号の数字と名称が一致しないので間違い安いのですが、化合物の中の銅イオンの数を数字はあらわしているとのことで、これは専門外なのでよく分かりません。酸化銅の黒色皮膜は(作り方によっては)ザラザラに変化するそうなのでそれと江刺の表面のざらざらぶつぶつ感には何か関係がありそうです。以上のようなことを総合すると、江刺銭はどうも出来上がった後に加熱(腐食)処理がされているよう気がして止みません。この表面の色・肌の感じはある種の浄法寺銭にも通じます。 
※以上の考察は、インターネット上で情報収集した結果であり、金属の専門家に意見を聞いたわけではありませんので、話半分でお聞きください。
【おまけ:毒食わば皿まで・・・】
とても好感のもてる琉球通寶の大字平尾球がヤフーオークションに出品されていて、昨日お金を使いすぎたというのに「毒食わば皿まで」と呪文を唱えながら追いかけてしまいました。しかしながら最後の段階で息切れしてしまいました。
平尾球は2枚保持しているものの1枚は赤銅質、もう1枚は桐極印ながらなんとなく嫌な感じ・・・それに比べてこれはとても良い。横から見たら桐極印じゃないかと思えるぐらいです。
昨日、ご一緒した方々の(天保銭類の)所有品はさすがに様態の良いものばかり。近代銭のオークションを見ても超極美品のランクは倍以上ですから、4万円台の落札価格はむしろお買い得でしょう。
私の収集物と言えば玉石混交というより石だらけなので、少し反省しなければいけませんね。しかし、ない袖は振れません・・・。

 
11月17日 【銀座コインオークションに行ってきました!】
早朝4時45分・・・目覚ましのけたたましい音で寝床を飛び出し、6時前に家を出ています。私は朝の準備はとてもノロいのですが、目覚めはとても良いタイプ・・・というより、ドキドキして昨夜は眠れませんでした。(寝たのも1時過ぎてましたし・・・)
たっぷりの朝食を吉野家で摂り、帝国ホテルに到着したのはちょうど午前8時でした。いつものことなのですが途中、宝塚劇場の前を通りかかると大勢の女性たちがならんで宝塚のスターの入りを待ち構えています。その前を歩くのが妙に気恥ずかしく、しかしながら物珍しくちらちら見てしまいます。
私の本日の本命は宣言通り
61番一ノ瀬高寛背一、そして不知天保銭の174番か175番、176番、179番のどれか・・・あと、事前の下見で59番の平野新田十万坪手の母があまりに大きくて白いのに惚れてしまいひそかに狙っていました。あとは値段次第で165番の長郭母銭、170番の進二天が視野に入っています。
会場につくといつもの
Y氏とその愛弟子の大学院生のK君、江戸コインオークションで江刺銭を入手したH氏、旭龍童Y氏と合流。H氏からは重品になった江刺大頭通をお譲りいただける約束になっていました。会うなりH氏いわく「江刺大頭通とセットで僕の天狗寛永を買わない?」
一瞬、迷いました・・・オークション前に出費がかさむとどうしても弱気になってしまう、それにかつて鉄人S氏からの天狗割譲のお話を断った経緯もある・・・しかし、H氏の好意を無視できませんし、Y氏のささやきアドバイスもあり、オークション前に売買成立。これらは今年の目玉商品になりそうです。Hさん、ありがとうございます。
さて、早朝にもかかわらず全国から銭の亡者どもがうじゃうじゃ集まり、会場全体がむせかえる加齢臭に包まれてオークションがはじまりました。会場の入りは70~80%ぐらいか・・・朝早くからよく来たものです。郵便入札率はなんと91%だそうで、熱くなりそうです。
オープニングは皇朝銭。一時のバブル景気価格ではなくなったもののまずまずの食いつきです。ときどき「オープン」の掛け声とともに表示価格より安い価格での競売もあります。「オープン」は郵便入札がないものであり、うまくすると表示価格より安く購入もできます。これは会場参加者の特典です。また、銀座コインオークションの郵便入札の落札価格は2番札価格の10%増しと言うルールがあります。したがって郵便入札の1番札が10万円、2番札が5万円なら落札価格は2番札の1割増しの5万5000円で一番札の方が落札と言うことになるのです。滅多にないことですがこのルールもうれしい。
開始から7番目の神功開寶がオープン宣言されて、表示価格より1割引きで落札されました。
寛永銭類は40番目ぐらいからの登場です。しかし、全体に伸びません。驚いたことに
島屋文が21万円・・・よほど行ったろうかと思いましたが手持ち資金を考えて自重しました。江戸コインオークションでもそうでしたが寛永銭類の人気はやや下降線。もう少し私がサイトであおるべきなのか、それとも収集チャンス到来と見るべきか?
59番の
平野新田銭の番がきました。8000円に対し24000円まで行きましたが・・・手が硬直して上げられない。結局、不戦敗です。情けないなぁ。しかし、61番の高寛背一はスタートの郵便入札価格がとても低く大チャンス!結局、大した競りも生じず、参考価格7万円に対して7万6000円で落手。これはうれしかった。人気がなくてよかった。その後の寛永銭は人気が無くても不落はなし、ただし、大きな競りも起こらないまま終わった感があります。
寛永から地方貨、絵銭に移って様相が変わり始めました。
筑前通寶88万円、秋田八匁封印銀76万円などの競りが続出。15万円の浅間銭長良が50万円、玩賞判の譲葉大判金が5万円からスタートして60万円とは恐れ入りました。
さて164番からいよいよ天保銭です。164番の
長郭母銭がいきなり9万5000円・・・この価格は異常です。理由が知りたい。その反動で次の165番の長郭母銭が3万9000円なのに手があげられなかった。
170番の
進二天は状態がとてもよく気に入っていたのですがスタート価格が高くパス。
174番の
張足寶は輪のえぐれ方が気になっていたのですけど、4万円以上スタートなのでパス。やはり不知銭は強い。
175番の
不知長郭手は純粋な宏足寶ではないという理由から名称変更説明があり、スタート価格が低くチャンス到来!しかし、7万円を超えそうになったのであわてて降り・・・後で聞いたら郵便入札と私だけが競っていたようで、勝てた勝負だったみたい。残念だがしかたがありません。(6万8000円)
その悔しさで176番の
覆輪長郭手はGET、2万1000円。実は事前の下見でこいつはかなり白かったので欲しかった。179番の削頭天は6万2000円と異常高騰。181番張足寶小様8万2000円、182番玉塚水戸正字濶縁が驚異の8万2000円・・・これも異常価格。
というわけで本日のオークションは終了・・・のはずだったのですが、その後に泉談がはずみ、つきあいで専門外の近代銭の部まで参加してしまいました。
財務省の大量放出があったので近代銭は弱含みだと聞いていたのですが、どうしてどうして今日は強かった。これもPCGSなどによる状態評価の定着によるもの+手替わり研究の浸透なのでしょう。会場は立ち見が出るほど盛況でした。近代銭は状態差による価格差が激しく、グレードが1段階違うと価格は倍ぐらい違います。状態の価値がここまできているとは驚異ですね。旭龍童氏に「なぜそんなに高い」というグレードや手替わりについての情報を聞きながらの参加でしたが穴銭党にはまだなじめない感覚です。 あと、中国物も今回は強かった。大陸バブルは健在です。そういえば、12月9日13:00に開催されるオークションネットには大量の中国銭の大珍品が出てきます。控室で原稿を拝見しましたが、質、量とも超一級で、さして興味のない私も気になる内容でした。
オークション前にH氏は旧20円金貨にチャレンジするぞと、冗談とも本気ともつかないお話。しかし、実際に700万円台の競りに打って出たのにはぶったまげました。いやあ~男ですね~。結果的に入手はできませんでしたがその勇気に拍手してしまいます。
せっかく近代銭まで参加したから何か手を挙げてやろうと悪戯チャレンジしていたら、961番の
穴ずれ5円を1万4000円で落としてしまいました。だって誰も競ってくれないんですもの。
それから、会場に下町古泉界のA氏がおられ、誘われるままに
「日本貨幣協会」入会をさせて頂きました。幽霊会員ですけどよろしくお願いいたします。A氏は和のスイーツの店主なので色白で上品な若旦那様を勝手にイメージしていましたが、どうしてどうしてなかなかがっちりしたダンディな方でした。それとご挨拶だけでしたが関西の有名な収集家の玩多夢氏(U氏)、東北の研究者S氏、中国銭の専門家N氏などともお話の機会がありました。
それにしても長い一日、気が付けばお金もいっぱい使っていましたね。しかし、収穫はまずまず。うまくいったほうじゃないかしら。皆様お疲れ様でした。(天保仙人にお会いするのを楽しみにしていたのですが、腰を痛めて動けなかったとのこと。お大事に・・・)
改めまして本日の収穫発表

1.新寛永一ノ瀬高寛背一 (オークション) 寶字の鋳不足はあるものの状態は非常に良い。

2.不知長郭手覆輪白銅質 (オークション) 大きいし、白っぽいし素敵。

3.現行5円昭和26年穴ずれ (オークション) 半分洒落で落としてしまった。

4.江刺大頭通 (相対分譲) H氏のご厚意。

5.天狗寛永(相対分譲) H氏のご厚意。

6.日本貨幣協会に入会。(来年度から新会員)

7.Y氏、H氏から拓本プレゼント

※近代銭の部に参加。その雰囲気を知りました。また、たくさんの方にお会いできました。ありがとうございます。
 
11月15日 【宏足寶もどき】
もどき・・・と聞くと、マグマ大使に出ていた「人間もどき」を思い出してしまう古い人になりました。
この天保銭は駿河に出品されていたもので天上の刔輪が非常に強いのが目立ちましたので獲得に行きました。本家の宏足寶はもう少し面側の輪が細く、その分寶足が長く幅広い感じ。一方、背側の雰囲気は良く似ています。
私個人は長郭手を評価する場合、銭文径縮小とこの天上の刔輪度合いをとても重視します。市場を探すと寶下の刔輪が強いものに比べて、天上の刔輪が強いものの方がぐっと少ないと思います。
この銭は銭文径は並のサイズですけど、刔輪は一流・・・とくに背の細縁ぶりは昨年逃した背細縁銭には及ばないものの素晴らしい。(自画自賛)

長径49.45㎜ 短径32.65㎜ 銭文径41.15㎜ 重量20.3g
今年の主な収穫品と出来事(10大ニュース候補)
※今年はコンスタントに散財しています。天保銭ばかりを良く買った!これでも全部を掲載しているわけではありません。
7月以外は毎月10万円は使っている。これはゆゆしき問題です。

できごと 記録日 評価
1月 長郭手覆輪小字背広横郭は外せません。変態ぶりという点では一等地抜けています。 1月14日
玉塚天保人の鏡異書(水戸正字背異濶縁)を入手。銀座コインオークションでは大人気でした。 1月17日  
2月 長郭手覆輪陰起文(無極印)は出会いからずいぶん経ってからの入手。むしろ反省が必要か? 2月18日  
長郭手覆輪細字を入手。立派な覆輪銭。この日は入手ラッシュでした。  
八厘会に出席し、進二天狭天などを購入。 2月29日  
3月 長郭手覆輪(覆輪存痕)を入手。 3月7日  
長郭手宏足寶背強刔輪は今年一番の出費。宏足寶の中でもっとも刔輪されています。 3月27日
古寛永長門太細様跳尾永手本銭は今年の古寛永の中では最高のものだと思います。 3月31日
4月 長郭手覆輪を入手。 4月13日  
古寛永長門異永降二寛手本銭を入手。 4月22日  
北海道へ穴カタライブのためだけに行ったこと。明和小字写し(江刺:図会原品)も分譲。 4月27日
5月 TICC会場で薩摩広郭白銅会津濶縁離足寶を入手・・・これらについて勉強できたことがうれしい。 5月3日
往時古泉家芳名録をお譲り頂きました! 5月7日  
長郭手花桐極印銭を入手し、細郭手花桐極印銭とペアになりました。これは研究として面白い。 5月29日
6月 長郭手覆輪厚肉を四国のK氏からお送り頂き魅せられまいした。衝動購入は今年2番目の出費。 6月15日
細郭手異書体を購入。これは今年3番目の出費。 6月20日
8月 寛文期亀戸銭の正字純白銅銭を確認。これはすばらしい。 8月9日  
長郭手覆輪厚肉(異極印)を入手。この覆輪ぶりはすごく、またこのときは、格安で複数の不知銭を落手! 8月15日
長郭手覆輪狭玉肥足寶を入手。8月の入手ラッシュは今年最高でした。 8月27日  
長郭手覆輪(異極印)・長郭手覆輪面存痕・長郭手肥頭通(面鋳筋)・長郭手覆輪濶縁   
9月 長郭手鋳写赤銅捻形を入手。こいつはなかなか面白いやつです。 9月2日  
泉書探訪のコーナー新設。今年唯一の新コーナーでした。 9月4日
貨幣のバックナンバーを大量入手! 9月14日  
10月 なかなか入手できなかった寛文期亀戸銭縮字広文長冠寛をあっさり入手。 10月25日
広郭手粗造細縁薄肉を入手。こういうの案外好きです。  
広郭手細縁厚肉異極印・長郭手覆輪強刔輪張足寶を江戸コインオークションで入手。  10月31日
11月 長郭手鋳写楔形を入手。この変態ぶりもみごと。 11月13日
魚子肌の細郭手を入手し、長郭手とペアになりました。
長郭手覆輪強刔輪背細縁を入手。 11月15日
新寛永一ノ瀬高寛背一長郭手覆輪白銅質を銀座コインオークションで落札。 11月17日 
江刺大頭通・天狗寛永をH氏から分譲戴きました。
 
11月14日 【前略 名無しの権兵衛殿】
ウィルスの攻撃が怖いのでいろいろセキュリティ対策はしておりますが、おそらく携帯からのメールだと思いますが、すごいものが届きました。本来は送信者が明らかになっていないもの、タイトルがないもの、本文がないものはそのままゴミ箱行きが相場なのですが、この島屋文だけはちょっと気になりましたので掲載しました。
投稿者の方にお願いします!可能なら素性は明らかにしてください。アルファベットだけの名前、写真だけのメールではこちらも怖くて開けませんので・・・。

※ひさしぶりに日本貨幣カタログを購入しました。私が知る限り一番のお買い得は
→ パインスタンプ(送料込なので事実上最もお買い得)
 
11月13日 【書体違いの兄弟銭】
入札誌穴銭の落札品(左)を見ていたら、よく似た雰囲気鋳肌のものが所蔵品にあることに気が付きました。それが右側の魚子肌の長郭手です。全体に縮形気味で極印も葉脈が摩耗した窪み状と変わっていて、穿内やすりがべたっとかけられていてとても素朴。
お花型の極印銭のときほどは明確さはないものの、総合的に見て同炉からの出だと判断しました。並べてみると製作の共通性がよく分かります。
長径48.45㎜ 短径32.15㎜ 銭文径40.㎜ 重量21.8g(左側)


さて、次に掲載した天保銭を左の画像だけで判別できた方は神です。この画像だと向かって左側が少し変形した本座銭にしか思えません・・・が、立派、それも超立派な不知銭です。実はこれは不知天保通寶分類譜の下巻P194に掲載されている原品で、長郭手楔形と呼ばれる異製作銭です。
天側の肉厚は3.6㎜と極端に厚く、寶側は2.3㎜しかありません。色と鋳肌はどこから見ても99%本座。極印は小さいのですがきちんと打たれています。さすがに銭文径は小さいのですが一見しても判りません。銭径は横から見ると楔形であり、天側だけきついテーパー(傾斜)があり台形状です。
どのようにしたらこのようになるのか
①母銭がそのような楔形 → ありえません
②砂笵から取り出すとき、母銭を押し込んでしまった!
③砂笵の踏み固め不足(型〆不良)
上下不均一のほかに左右不均一のものもありますので②+③でしょう。
長径49.25㎜ 短径32.4㎜ 銭文径41.0㎜ 重量26.1g
 
※今回の出費は大きく、銀座オークションは無理できない。困ったものです。
 
11月12日 【貨幣第51巻第5号原品】
収集の楽しみの一つに、自分の持っている品物が過去に何かの泉譜などに発表されていることを発見することがあります。私のようなガラクタ収集家の場合はなかなか泉譜を飾る原品を購入することは難しいのですけど、最近は秋田のM氏が放出して下さっているのがありがたい。また、ときどき偶然手に入れたものが原品だったりして驚きます。
左の錯笵寛永は平成19年の貨幣10月号に掲載されていた原品でした。数年前店頭販売で入手したのですがとんでもなく安い価格の上、できすぎているので贋作をも疑いましたが、製作に絶対的な矛盾点が見出せません。ただし、同時に購入した品は見事な贋作でして、勉強代も払い済みです。
平成13年貨幣6月号に「銭幣館蔵泉覚」というコピー本が出回っている(けしからん)というお話が掲載されていました。「銭幣館蔵泉覚」は郡司勇夫氏が作成したもので、そのコピー本が流布しているとの事。郡司氏は平成9年に逝去されていますし、元は他人の所有物の拓本集なので果たして著作権と言うものがあてはまるかはわかりません。権利といえばご遺族(郡司氏?田中氏?それとも日本銀行?)にあるので、ご遺族等が訴えれば違法なのでしょうが、おおよそ泉譜というものは営利にならないものなので、金銭的な権利侵害がどこまであるのかわかりません。それから約10年を経て私もそのけしからん品を入手したわけですが、、売った方も絶対もうからない損切販売ではなかったのかと思います。
もともと平成13年の販売も、郡司氏が亡くなったあとに、この貴重な資料を古泉界に流布しようと考えたのかもしれません。古銭にも肖像権があるという考えを聞いたことがあります。しかし、古銭は所有者が点々としますので、肖像権を遡って厳しく追及されたら、何もできなくなってしまう可能性があります。奇観本なども絶版になると入手すら難しくなってしまいます。営利目的か否かの判断は難しいところですけど、古泉界は絶滅危惧種になっていますので、普及のための自由な仕組み作りは必要だと思います。

※最近、中国において昭和泉譜や天保銭図譜などのコピー本が作られ、日本でもネットを通じて安く購入できます。趣味の普及には良いとは思うのですけどこれらの本は古本市場で比較的容易に入手できますし、ましてや手類銭考など現在販売されている本までコピー販売されているのには違和感を覚えます。
同じ穴のムジナ・・・と私も言われてしまうかもしれませんが、私は営利主義ではありませんので、しばし大目に見てください。
 
11月8日 【道草泉談:紙幣の経済学】
現存する日本最古の紙幣は慶長15年(1610年)に発行された伊勢の山田葉書とされますが、これは私札というより為替手形のようなもの。いわゆる金銭引換券です。一方、藩札として現存する最古のものは寛文元年(1661年)に福井藩が発行した銀札だそうですが、記録上は備後福山藩が寛永7年(1630年)に発行した銀札のようですが、これは未発見です。
藩札にしろ私札にしろ発行して流通すればお金に化けるのですからこれほどうまい話はありません。流通のためには信用が必要で、そのためには兌換のための銀や銭の備蓄が当然ながら求められます。兌換する財産が無くなれば当然ながら信用は暴落・・・取り立て騒ぎが起こります。
したがって幕府は何度か藩札の禁止令を出しています。江戸時代の末期になると飢饉などで財政がひっ迫する藩が続出。また、市場からも決済用の少額の銭が払底していて経済が大混乱します。そこで幕府も制限を付けたうえで藩札の行使を認めます。
本来は藩の信用を背景に藩札を発行すべきなのですが、財政的な裏付けがなくなっていた諸藩は大商人に藩札の兌換を引き受けさせました。市場に流通している藩札額が多くなればなるほど藩は手元資金が増えます。兌換されるまでの期間(退蔵率)が長ければ長いほど発行元は得が生じますし、ある意味錬金術的なマジックが生じます・・・兌換が可能な範囲のうちはですけど。
ところが・・・本来、藩札は領地内のみの流通が原則ですが、決済通貨が不足した時代なので領地を超えた藩札流通も自然に生じるようになり、そのため流入される藩側にとってはいい迷惑で、決済通貨が流出してしまうため経済防衛のためにも対抗的に藩札を発行する行為も見られました。こうして日本全土に負の連鎖が生まれ始めたわけです。膨らんだ発行額はいずれどこかではじけます。
札の種類は 為替手形 商品切手 金銭との兌換札(証券) などいろいろあると思います。広義に言えば株券、債券や割引券のようなものもお札なのかもしれませんし、そのうち国債や地域振興券もお札に分類されるかもしれませんね。
 
11月7日 【銀座コインに行ってきました!】
休みが取れたので(もともと水曜日は定休)銀座コインまで出かけました。都内滞在時間1時間限定の突撃行程です。今回のオークションは朝早いので下見をしないとどうにもなりません。ただし、参加できるかどうかは目下のところ70%弱ぐらい。仕事の進捗状況によります。下見をしたものとその印象を記します。
ロットNo   出 品 名   コメント
45 仙台三大点虎の尾寛 銅色はいまひとつぱっとしないが有名源氏名銭。まずはこれで様子見参加?
50 島屋文 小さな鋳だまりはあるものの状態はけっこう良い方だと思います。隙あらば・・・。
59 平野新田十万坪手母銭 大好きな白い母銭。白いし大きいし見ているうちに欲しくなってきました。
61 一之瀬高寛背一  未収品。寶貝に鋳不足があるものの状態は良い。値段次第で突っ込んでゆくか・・・。
71 背盛大様母銭29.7㎜  確かに大きいことは大きいぞと。ただ、あと0.3㎜大きければ・・・
91 筑前通寶 鑑定書付  安く非常に美しい。ただし、いつまで経ってもこの良し悪し、真贋は判断が付きません。
145 鏡屋銭 寛永通寶厚肉 こいつは下見漏れ!鏡屋に寛永なんてあったっけ?鏡屋風メンコ銭だと思うんだけど・・・。
155 宮銭恵比寿永字  これは余興。しっかりしていて好感は持てるけど古銭じゃなく鋳銭道具だと考えるべきか。
170 山口進二天 準未使用銭で文字の陰起ぶりも面白い。3万円ぐらいなら欲しいんですけど。
172 旧水戸背異替・濶縁2点1組  1枚は会津濶縁とした方が分かりやすいと思います。価格次第。
173 不知長郭手張足寶  よくあるタイプだと思いますがこの手のものは何回見ても好感が持ててしまう。
174 不知長郭手張足寶  製作が粗く173より素朴なタイプ。これも素晴らしい。
175 不知長郭手宏足寶
覆輪強刔輪残痕
名前の長さから激戦が予想される不知長郭手。このすごいのは背面が深淵気味に刀で
ぐりぐりやられた痕跡がそのまんま残っているところ。
176 不知長郭手覆輪 良くある銅質かもしれませんが、やや白銅質というだけで頑張りたくなる一品。
177 不知長郭手覆輪 若干、手ずれ感がありますが、176よりむしろ覆輪の度合いが強い。
178 不知細郭手容弱 有名品ながら背の鋳だまりが残念。安ければGoか。
179 不知細郭手削頭天 一番良く見かける貼り合せ手の不知銭。しかし状態は最高だと思います。
180 不知細郭手狭玉寶連玉珎 細郭手としては最多の部類ながら桐極印が異なり小さく面白い。
181 不知長郭手張足寶小様 張足寶の2番銭。173よりもぐっと少ないはず。
隠していてもしょうがないのでべらべらと書いてしまいましたが、こいつらが私の注目の品。他にもあるのですけど、それらは多分応札は気まぐれでしか応札しませんね。相変わらず不知天保銭狂いですけど、今回は寛永銭もかなり気にしています。一之瀬高寛は1枚は欲しいので皆さんお譲り下さい。天保銭はどれか一品だけは欲しいですね。

※新しくなった日本の貨幣収集の手引きを購入しました。驚いたことに内容が全然違う。
1.和同開珎のかいちん説が大幅にトーンダウン。ルビさえ消されていました!かいほう説賛同派の方バンザイ!ただし、富本が日本初の貨幣ではなくまじない銭であるという頑強な論がまだ書かれています。いい加減に降参したらどうなのかしら。まじない銭なら全くタイプの違うものが作られた理由が立たない。タイプが違うものが出現しているのは、異なる鋳銭司系統が各地で担当したと思われるのです。
2.古寛永の銭籍が大幅に変更。縮寛が岡山に、背星が坂本に、笹手永が水戸に、旧鳥越と沓谷が完全に入れ替えられています。ここまで書いたのならなんで松本として斜寶を紹介しないのだろう・・・少し内容が中途半端で混乱をさせる原因にならなければと願う次第。
なお、沓谷に「くつがや」と相変わらず誤読のルビが降られているのが目につきました。正しくは「くつのや」です。人の間違いはよく気が付くいけない私・・・。自分の頭のハエを追わねば・・・。
3.オークションでの落札情報ということで、私がかつて持っていた不知細郭手張足寶の写真が当時の当時の入手価格とともにカラー写真で掲載されていました。手放した後でどんどん有名になってゆく。ちょっと複雑な気持ちです。
→ 日本の貨幣収集の手引きの140Pの福岡離郭細郭も私の所有品ですね。こいつはまだ手元に残っている。ランクUP!

ここまで違うと2冊を比べて読むのも楽しいです。

※貨幣界の常識の中の非常識(天保仙人の泉談ほかの情報より)
丁銀を鋳造するとき、熱湯の中に溶解した銀を流し込むという工程図が旧ボナンザで紹介されたことがありましたが、非常に危険な行為であり、爆発の危険性があるので絶対ありえない話だそうです。私も完全に信じていました。
 
11月6日 【道草泉談:銭の中の銭】
ホコリアレルギーの私は藩札類は収集の対象外にしているのですが・・・。貨幣の図柄を取り込んでいる例は極めて少なく、天保銭の場合藩札では出羽新庄藩のものぐらいだそうで、他には見当たらないそうです。そういえば寛永銭や唐銭通寶というものももあったなぁ・・・と藩札図録を引っ張り出したのですがなかなか見当たりません。(西国の方だったかしら?)
貨幣誌では天保仙人氏が茶屋札を出品されていました。私札は商品引換券であり、藩が御用商人の信用を背景に強制的に発行通用させた藩札とはいささか趣きが異なりますが、珍しいものには違いありません。幕末はインフレによる鋳造コスト上昇と銅の海外流出などで少額貨幣の銅一文銭が市場から払底し、市場経済が大混乱し、合わせて地方経済も破たんしていましたので藩札・私札が百花繚乱と言いますか乱舞していた時代でした。苦肉の策とはいえこれらが無ければ経済が成り立たなかった大変な時代でした。
私の生家がある上総鶴牧藩の藩札はほとんど未発見のままのようでわずかに銭三百文が田中啓文の収集品の中にあり、今は日本銀行の蔵品になっているようです。
商品券と言えばその昔、ビール券を集中的に扱う業務に従事していた時代があり、その品種の多彩さは目を見張るほど。ある意味でこれもコレクターズアイテムになりえるものですが、系統だった分類はされていません。メーカーに聞けば昔の品種の写真は引き換えの都合上残されているかもしれませんが、一ヶ月に百万枚以上かかわっていた私も見たことのないものがありました。ちなみにビール券などの商品券には当時地方税がかかっていたので、発売地によってデザインの一部が異なるのです。ご存知でしたか?
 
出羽新庄藩 物産会所銭百文札
藩札図録より
私札 上州沼田 茶屋百文札
貨幣第55巻第1号より

(天保仙人蔵)
 
11月4日 【アクセスカウンターがおかしい?】
昨年まではアクセスカウンターの進み具合は2~3か月で1万回程度でした。と、いうことは1日あたりの来訪者が100回から150回といったところでした。ところが今年に入りその伸びが加速して、ここ数か月は1か月で1万回を突破するようになっています。本来ならば人気が出た・・・と喜ぶべきなのでしょうが、ここ数日の動きは少々不自然といいますか不気味にすら感じます。
というのも40万回突破を確認したのが11月2日なのですが本日現在でもう3600回以上を加算しています。1日1800回ペース?!・・・これはいくらなんでもおかしいのじゃないかと疑心暗鬼になっています。
アクセスカウンターの伸びがスピードアップしたのは領土に関する国際問題が取りざたされた時期に微妙に重なりますし、ほぼ同時に迷惑メールも急増しています。迷惑メールはパソコンにアドレス公開をしている関係で避けられないと割り切っていますが、正直辟易もしています。最近は空白メールが大量に送られてきますが、この対策は今のメールソフトでは対策がないようなのです。
一応、ウィルス対策などはしておりますが、ハッカー技術は日進月歩ですので知らないうちに加害者になっているかもしれず心配です。あまり迷惑メールがひどくなるようなら、アドレス変更もやむを得ないのですが・・・少々面倒で困るのです。
 
11月3日 【贋作者の系譜】
いろいろな資料を漁っていて拾った知識を総合すると、、贋作の相関図が見えてきます。
まず、寛永堂(稲垣尚友)と古楽堂(毛満屋源八)ですが、親子関係を示す記事があちこちにみられます。寛永堂は京都の人で、研究者としても一流でその弟子は初代中島泉貨堂という立派な人。古楽堂は大阪の人で古色付の名人とか元高津銭座の職人に作らせたとか・・・。古色付で赤い独特の色の背元銭を生み出したのは古楽堂、鏡を鋳つぶして元高津銭座職人に作らせたのが寛永堂、高津真鍮銭は古楽堂とも・・・血縁についての由来は判らないのですが「元高津銭座職人」にどうやら接点がありそうです。
元高津銭座職人の贋作者に河内屋与市兵衛という者がいるのですが、活躍したのが寛保年間あたりとすれば寛永堂や古楽堂の100年ぐらい前ということになります。高津銭のつくられた寛保期時代から、寛永堂・古楽堂が元高津銭座職人に贋作を作らせたとされる幕末まではおおよそ100年以上の開きがあります。したがっていくらなんでもそんな長生きする元高津銭座職人がいるわけがない!
実は銭座などで鋳銭する技術屋集団は全国にいくつかの系譜に分けられるほど一族結束が固く、幕府も手出しができなかったほどの影の権力を持っていた・・・ということから、元高津銭座職人河内屋与市兵衛を祖にする贋作者子孫が幕末まで暗躍したのかもしれません。あるいは河内屋与市兵衛の活躍した実際の時代がもっと降るのかもしれませんね・・・もっともこれは憶測にすぎませんが・・・。
古楽堂が企画販売役で、河内屋与市兵衛(の子孫)が作り手で、寛永堂が広報担当・・・だったなんてこともあるかも。(これも憶測)

贋作者列伝にも書きましたが福西常次と加賀千代太郎は相互に協力者であったようです。
主に福西が職人を雇って製造し、加賀千代が売りさばいた・・・加賀は他にも贋作職人を複数抱えていてそのうちの一人が金属を小間物に加工するのが生業のOE氏。加賀千代・福西との裏の交流があったと疑われているのがSE氏。
悪は悪を呼んでいますね・・・。作ったその者を贋作者と言うのか、企画して作らせたのが贋作者なのか、仕入れて売りさばいた者を贋作者というのか・・・贋作者と言う定義は意外に難しい。贋作と知りながら黙って売った者まで贋作者というのなら・・・かなりの古銭家までも贋作者になりますね。昔の古泉家はかなり茶目っ気があるといいますか、ジョークが厳しい方もたくさんおられたようで・・・その伝統は今もあるようなないような・・・。
最近、古銭会などでよく聞く言葉で「たとえ贋作でもその道の大家が持つと本物になる。」・・・ちょっと怖いお話です。

※泉界で文楼彫と呼ばれる贋作・・・その昔、文楼こと村田元成のコレクションにたくさん含まれていたと伝えられる漆盛の贋作は作者は不明とされますが、年代的に蒔絵師の長八である可能性があります。当然それを売りさばいていた古銭商・長八に知恵をつけていた者もいるとは思うのですがそれは不明。

※名古屋作と言われる銀写しを中心とする贋作は、その居住地などから久八作と言われるものと同一の可能性があると思われます。久八は夫婦の職人とも言われ、さらにその作品はデンマーク人コレクターのブランセンによって輸出されていたとも・・・したがってブランセンは企画プロデューサーであり、ブランセン作=久八作であるのかもしれません。ブランセンは当時の古銭家番付にも名前が載るほどの有名人であり、贋作者として有名なラムスデンと同じように国外を主に相手に販売していたと思われます。里帰り品の珍品にはあぶないものがかなりある・・・ということ。ちなみに一時期には大量に環流してきた真鍮質の舶載島銭の中にはかなり妖しい品も多いような気もしますが・・・。

※贋作者追求が難しいのは、当然のことながらその真実の由来を隠そうとするからであり、贋作は発見地の名前や作者と思われる仮称のニックネームがついていたりします。さらに昔の古銭家はいろいろ号を変えていたりします。由来を隠すための伝承はみんなもっともらしく語られていて、たとえば辰五郎天保の逸話なども贋作者によるねつ造だとか・・・。勘違いや売名のために由来などを捻じ曲げたと思われるもの(例:三上氏による佐渡天保由来の話)もあり、伝承をうのみにはできない側面があります。私の情報も話半分に聞いてください。

※贋作判定で一番注意するのがやすり目・・・大きさと形、方向も気にします。やすり目がなかったり、地肌が残っていなかったり・・・矛盾点を探します。それでも迷うのはまだまだ私が井の中の蛙で未熟なせいですね。
 
11月2日 【覆輪ヘビー級】
ネットに出ていた天保ですが重量25.7gが魅力の覆輪銭です。手に持ったところですぐに重量感を感じるのは24g超あたりからで25gを超えたらかなりずっしり・・・30gを超えたらびっくりします。
ここらあたりの感覚は人それぞれでしょうけど、25gを超えたらステータス、1UPボーナス進呈。27g超えたら2ランクUP!そこからは1g刻みでステータスUPして30g超えたら祝杯を挙げ、31g超えたら踊ってしまいます。こんなに重くなるにはそれなりに母銭も分厚かったと思いますし、貼り合せの手かもしれません。重量銭は藩鋳銭にも存在し、私の目下の重量記録は本座広郭で25.6g、福岡離郭で27.1g、琉球27.6g、薩摩広郭で30.7gです。実は薄肉も少ないのですがこれは好き嫌いが分かれるところ・・・それでも重量15g未満、厚さ2.2ミリ以下はかなり異様ですよ。軽量銭は薩摩や高知、久留米藩鋳銭等に比較的散見されるようです。画像の天保はどなたの手に落ちたのかしら・・・
 
10月31日 【江戸コインオークションの収穫品】
江戸コインオークションでの収穫物が届きました。安物買いの銭失いなのですが、それも仕方がありませんね。梱包を解いてみると・・・落とした品が・・・しかし、日光の下でじかに見る姿と、フォルダー越に暗い蛍光灯の下で見る姿の印象はかなり異なりますね。
冒頭を飾る不知長郭手は本来ならば名品の誉れ高い品なのですが、コインクリーナーで無残に磨かれて相まっています。
このタイプは昨年大騒ぎをした背細縁の長郭手によく似たところがあり、ふっくらした銭形といい天上の刔輪の強さなど申し分ないのです。しかし、手に取ってみると金ぴかぶりもまた見事。まるで真鍮銭みたいです。仙人など状態査定に厳しい一流コレクターは絶対に手を出さない品でしょうね。大きな傷がないのは幸いなのですが、状態が良かったら10万円ぐらいはしたと思います。当分の間、卓上で空気にさらして手ずれの色を付けますが何年かかるかしら・・・。


不知長郭手陰起文と名付けたものは非常に本座に似た銅質で素朴な品。いわゆる写しの品ながら不知銭らしい風貌もあります。おそらく覆輪銭なのでしょうが、そのような雰囲気はほとんどなく、かすかに背の輪にその雰囲気が伺えます。鋳不足でもあるのですが文字も山形に細くなるように加工されているようで、このような特色は本座には絶対ありません。側面の極印は横打ちです。

不知銭広郭手細縁厚肉異極印は良く練れた焦げ茶色の銅色で一見すると久留米のような雰囲気もあるのですが側面の極印が全く違います。穿内のやすりもべったり平やすりがかかっているような雰囲気。
驚いたことに銭文径は標準銭より大きく41.5㎜ありました。最大のセールスポイントは26.6gある重量で寶字付近では3.2㎜の肉厚です。(天字付近2.8㎜)
後期銭に該当する不知広郭手には絶対的な特徴を持っているものが極めて少なく、なかには判断しきれないあいまいな不知銭もあります。私もこれぞ広郭手と言うものを求めて止まないのですが、粗造銭以外で決定的なものと言えるものにはほとんど出会っていません。今度の入手品は厚肉と異極印という二つの特色を持っており所有品の中では最も不知広郭手らしい広郭手です。
おそらく偶然でしょうけど雰囲気的には私の所有している福岡離郭厚肉の銅色・鋳肌に似ていると感じます。極印は画像では判りにくいものの洋ナシ形の凹地に小の字型の葉脈がある独特のものです。

最後の掲示は密鋳寛永銭21波です。赤くて面の抜けは最高ですけど背の抜けは悪く平板的。密鋳の21波にしては比較的大ぶりで27.5㎜ぐらいあります。特徴的なのは側面の仕上げ・・・まとめて仕上げたようでロクロをかけたように角が立っていますが横やすりの目が走っています。この古銭はオークションで何も落とせなかった時のための参加記念に落としたもの。記念品にならなくてよかった・・・。

ネットに私がかつて古銭会で放出した不知細郭手張足寶が出ています。類似カタログ原品であることは知っていましたが日本の貨幣の原品とは知らなかった。由緒正しかったのですね。
 
不知銭長郭手覆輪強刔輪張足寶
長径48.6㎜、短径32.9㎜、銭文径40.3㎜、19.8g
不知銭長郭陰起文
長径48.25㎜、短径31.8㎜、
銭文径40.85㎜、18.1g
不知銭広郭手細縁厚肉異極印(26.6g)
長径48.35㎜、短径31.85㎜、銭文径41.5㎜
密鋳四文銭
21波赤銅質
 
10月30日 【お化けが出た!】
先日の江戸コインオークションのお話・・・お化けがいるらしいとのうわさは聞いていましたが、どうやら本当に大化けしたようです。当日、お化けの正体までは聞いておらず大方、絵銭かファンタジーの類だろうと見当は付けておりましたが、確証もなしに大枚をはたくことはできませんし、何より正体が何かが分かりません。そのうちの一つがついにベールを脱いだようです。
それは・・・
加越能七百。こいつはひょっとしてラムスデン作かな・・・と思っていたのですがこれがお化けの正体・・・本物の通用銭だったようです。(通用銭と言っても試作貨ですけど。)ラムスデン作でも20万ぐらいすると聞いていましたのですが・・・なにせほとんど見たことがないので私には見当がつきません。しかも本物なら出品価格の数百倍の価値・・・機会があれば拝見したいものです。
なお、噂によればオバケはもう一枚いたかもしれないとのこと・・・これは後日・・・。
 
10月28日 【最近のウォッチリスト】
まとめ売りにはときおり珍品が含まれていることがあります。あるいは意図的なのかもしれませんが・・・下の天保銭(10月27日)のときにも10枚中1枚水戸大字が入っていました。まとめ売りにはよく接郭や濶字退寶、方字が半意図的に入れられています。
さて、一番左の画像は5枚組の天保銭。左下の天保銭の足がおかしい・・・宏足寶の類ですね。皆さん見逃すはずもなく4万円以上の値段がついていました。
中央の画像は10枚組のもの。雰囲気的には会津濶縁だと思うのですが・・・これも1万円以上の値段がついていました。
今現在も秋田系・・・と思うものが複数確認できます。しかし、ピンボケ画像だけで追うととんでもないものをつかむこともありますのでご注意を。ライティングや接写でわざとゆがませたり、画像の修正も簡単な時代になってきていますので・・・。
 
10月27日 【本座様細郭手中濶縁】
最近、天保銭ばかり見続けているために、微妙な銭文径の違いを感じ取れるようになってきました。この能力は一時期、毎日大量の四ツ宝銭を計測していた頃にも感じていた現象です。
さて、左の2枚の細郭を皆さんはどう感じるでしょうか?実はこの天保銭、ネットで組み物で売られていたものでほぼ同じ大きさですが、小さな画像の中に微妙な輪幅の違いを感じました。接写したこの画像なら右側の天保の輪幅が少し太いことは判ると思います。見た目は本座とほぼ変わらず、計測してみると長径49.2㎜、短径32.6㎜、重量19.9g、銭文径40.8㎜と、銭文径のみが0.4~5㎜小さい。ただ、縮み方もちょっと足りない。銅質や製作に矛盾がほとんど見当たらないので、これを不知銭と見るか否かは判断が分かれそうです。とりあえず覆輪の不知銭と見るしか今のところありませんが、もし、本座細郭に銭文径の小さい次鋳というものが存在するのならこれが該当することになるでしょう。HPで福岡の離郭中濶縁とか、秋田小様の中様・大様だのを、さも自分が最初に発見したように記述して喜んでおりましたが、手替わりがほとんどないとされる本座細郭にそのようなものが認定されれば私が発表第一号?・・・愉快ですね。
右側が内径・銭文径がごくわずかに小さく、その分濶縁になります。銭文径の差は天の横引きの太さにも満たないぐらい。微妙です。
なお、仕上げの関係で濶縁気味になったもの、細縁になったものもありますが、それには銭文径の縮みは見られません。ここに掲げたものは銭文径が標準サイズにわずかながら満たないものです。皆様のご意見をお聞きしたいものです。
  
10月25日 【皇朝銭譜】
出張から3日ぶりに戻ると、請求書やら郵便物やらで机の上が賑やかでした。右の皇朝銭譜(カラーコピー版)は京都のTさんからのプレゼントです。(ありがとうございます。)私が和同開珎について勝手な論述をしていたので、コピーしてお贈り頂いたのでしょう。残念ながら私は皇朝銭は1枚も持っていません。延喜通寶だけなんとか持っていたのですけど、とても安く売却してしまいました。
ところで、この銭譜の原本は皇泉こと藤本源一郎氏の手製泉譜です。何でもTさんの父君が淳豊堂こと吉田昭二氏のお兄様から頂戴したものだとか・・・。中には皇朝銭の種々の手替わりの生拓本が貼り付けてあり、解説や位付も書かれています。加納夏雄作の開基勝寶だとか、模作ながら太平元寶の銀銭などの拓本がその由来伝承など共に掲載されています。藤本源一郎氏については詳しくは私は存じ上げないのですが、淳豊堂吉田昭二氏の師匠格であり、三世泉貨堂中島辨一郎氏の弟子でもあったとか、風貌は布袋様のようにほがらかかつ豪快な方だったとも・・・そのことについては吉田昭二氏著作の「春興」に写真とともに記述があります。
左の拓本のコピーはTさんが別添で送って下さった藤本皇泉の朱印のある打製永楽の金銭(奇書)の拓本で、「春興」の冒頭記事に出てくる原品の拓本だと思われます。
おそらく日本で現存1品・・・現物は今どこにあるのでしょうか?太閤秀吉はすごいものを作ったものです。


さて、届いた郵便物は他にもいろいろありまして・・・まずは寛文期亀戸銭の縮字広文の長冠寛。手替わりとしては有名品で、最近は人気があるためなかなか入手できていませんでした。丹念に雑銭を探せば見つかるとは思うのですがてっとり早くネットで落札の安易な手段を選びました。画像を見て頂ければお判りでしょうが、、こいつは文源郷氏のネット出品であり、このパッケージはまさにひとつの作品です。現物に直接触れたいと思う衝動にかられるのですがあまりに美しすぎて触れません。ひとつの雑銭をここまできれいにパッケージングするなんて・・・その手間は計り知れません。私にはできない芸当です。まさに芸術、頭が下がります。

最後に変な1品を・・・不知天保銭 細縁粗造薄肉、厚さ1.78㎜重さ12.6gというもの。
往々にしてこのようなものは焼け銭や薬品変化のものが多いのですけど、銭文径も縮小していますし、本座広郭写しの不知銭と判断しました。極薄肉ながら横に極印もありました。ただし、本当にみすぼらしい。購入価格は1000円。安い?妥当でしょうかね。

出張先は広島県でした。昨年秋にも訪れたのですが観光は皆無・・・いや、今回は飲みまくりました。血圧はだいぶ落ち着きました・・・というより忘れていました。でもだいぶ調子は上向きです。

 
10月21日 【江戸コインオークションに行ってきました!】
休みを交代してもらって東京に出かけました。朝5時過ぎに起き、朝食もとらずに一路東京へ!いざ、戦いです。
気おくれしてはならぬと懐には大枚の現ナマを抱えており、おやじ狩りにあったら大変なことになるなと思いながら、そして最近の収穫物を携え・・・それも私にとってはなくしてしまったら大変だと思うものばかりで・・・田舎者はどきどきしながら東京を目指します。
品川に到着して改めてカタログを見直すと・・・あれれ・・・開始時間は12時10分と書いてある・・・。
私はてっきり9時開始だと勘違いしていました。しかも、当日の清算はないのでお金も必要ないとまで書いてある。私は午前8時前に大都会東京にひとりぼっちとなり、やむなくマクドナルドで時間をつぶすはめになりました。幸い、9時45分には下見が始まるので2時間ぐらいぶらぶらすれば・・・と思ったものの実に退屈な待ち時間でした。
(開始時間が遅いのは地方の方々にとってはとてもありがたい。品川という場所も便利。当日下見の時間が取れるのも良いですね。)

9時30分近くになって会場受付に行くと、仙台のH氏や名古屋のJ氏、秋田の神様M氏などがすでにいらっしゃいました。J氏の言葉は相変わらずさわやか・・・人間としての器の大きさを感じます。古銭収集はJさんの人間らしい一面を示す趣味(煩悩?)なのですけど、この方もオークションで熱くなることがあるのですから古銭の魔力とはすごいものです。時間つぶしの下見をしましたがやはりホテルの照明は見づらいのなんの・・・とりあえず先日下見しそこなった島屋文細縁と長門の俯永四ツ目寛、本命等を再確認しました。415番の島屋文細縁は本当に美しい。背の出来はまったく母銭でこれはすごかった。俯永四ツ目寛も源氏名通り可愛らしい品。
天保通寶研究会のM氏、剛腕収集家のH氏も合流し、それぞれの持参品などの品評もしています。それにしてもH氏の持参品は美しく愛らしいいです。特大の耳白銭の鋳放し、本座広郭の笵が表裏ですれて捻じれた感じのやつ(錯笵あるいは不知銭)、極薄の水戸大字、極厚肉の不知広郭手・・・こいつは横浜古泉研究会の入札誌に出品されたもので私のものになる予定であったはず?・・・など等、はじめて拝見する品、美術品のような品ばかりです。
天保通寶研究会のM氏、天保銭の神様の秋田のM氏に私の持参した品を見ていただきましたが、嬉しかったのは半分以上ダメだと思っていたあの薩摩広郭白銅に対しすごく好意的に評価してくれたこと。ただし、本物の薩摩広郭の白銅はもっと白いと言われてびっくり。世の中にはあるのですね、まだすごいものが・・・私はこれで十分満足です!
いつも拓本を頂戴するY氏からは25.98㎜もある巨大な島屋無背の拓本をご提供頂きました。この品は拓本にはあまり出ていませんが面の錯笵銭として購入したものだそうで、なんとラッキーな・・・。
さて、会場で情報交換をしたのですが、困ったことに皆の狙っている品と私の狙っている品が同じものばかりで困りました。剛腕収集家のH氏の大本命はNo443の江刺の組み物でこれ1本でゆくとのこと。これにはほとほと困りました。組み物で値段が高いのであまり行く人はいないと思っていたのですが、Y氏や仙台のH氏もこれを絶賛しています。予算に限りある私はまず勝ち目はないのですが最初だけ札を挙げさせてほしいな・・・と思いました。
仙人にもお会いでき、いろいろと情報を頂戴しました。贋作師O氏の作品についてやラムスデンの作品情報なども拝聴しましたが、仙人とも私の本命のねらい目がどんぴしゃ。参りました。
司法学生のK君・旭龍堂氏・岐阜のY氏・南武藩銭の大家のO氏・その他業者の方々も続々集結して、役者はそろいました。ここで私の本日の作戦とねらい目・本命をあかしましょう。

私は対象商品をいくつかに区分していました。ただし、その場の気分で対象が変わることもあります。
①全く買う気がなく、様子を見て相場を確認するだけの品。
②郵便入札の下値、その場の雰囲気や気分で参加はしてみる品。
③無競争のとき最低価格付近で購入に走る品。
④自分なりに勝負に行く品。〇
⑤絶対負けたくない品。◎
⑥参加記念に買う品。

本命クラスは以下の通り。(狙い目順:出品順ではありません。)想定価格はこんなもので落ちるだろうと考えていた価格。予算価格ではありません。No493と443はオークション開始前に完全に見込みが違っていたことに愕然としました。
ロットNo    出品名    コメント 狙い目 想定価格
493 不知銭 状態も良く天保銭の大本命。これは何としても欲しかったです。   75,000
443 江刺鋳・短尾寛ほか(8枚組)   寛永銭のNO1の品。誰も来ないだろうと思っていたのですが・・・。 75,000
491 不知広郭手厚肉重量銭26.6g 入札誌穴銭の厚肉広郭手を逃したリベンジに燃えていました。  40,000
495 不知銭 状態はいまいちながらワンランク上の張足寶。注目していました。 40,000
462 本座広郭 背錯笵  行けるところまで行く覚悟を決めていました! 50,000
500 玉塚天保 秋田長郭 4~5万までは頑張る覚悟。 50,000
※基本的に心が折れない限り降りないつもりの品々。◎印は大本命で最終的には10万円超えも辞さない覚悟ながら・・・。

その他の品も隙あらば・・・と狙っていました。狙いは四文銭類と不知天保。これだけに焦点を絞りました。
席ははじめは一番後ろでしたが、あとで一番前に移動しました。これには理由があります。まず、前の席はゆったりしていて机もある・・・記録するには便利なのです。そして誰が応札しているかを顔で確認できる・・・もちろん、純粋に駆け引きを楽しむ場合には顔が見えない方が有利だと思います。前の席は取材のためと言い訳しながら、どんな人が何人ぐらい、どんな顔で応札しているかを観察できるのです。後ろに座っているとこれが確認できません。さらに自分が応札しているときは怖くて後ろをあまり振り返れませんので、弱気な私にはちょうど良いのです。もし、後ろの席に座って強敵の応札者がたくさん手を挙げているのを見てしまったら・・・私はすぐに心が折れてしまい降りてしまうでしょう。
そして、もしかしたら弱々しく私が手を挙げているのを見た心優しき知り合いの同情を買って、かわいそうだからと譲って頂けるかもしれません。

さて・・・オークションの様子も記しましょう。
はじめはお札類からです。お札のコレクターは例年そうなのですがあまり会場に姿を現しませんし、目立ちません。しかし、郵便入札がコンスタントに入り非常に堅調なのも特徴です。会場の競り合いは起きなくても郵便入札で良い値がつくことも多い。大黒10円札のような化け物のような価格(320万円)の品もしっかり落札していました。この大黒札は野村志郎氏が掛け軸の中から発見したものではないかとの情報を仙人から頂戴しました。なお、お札コレクターには、藩札コレクター・近代札コレクター・珍ナンバーコレクター・エラー札コレクターなどがいらっしゃいます。う~ん、札コレクターは奥が深い。

続いては近代銭。人気があって収集家も多いジャンルなのですが、これが意外に価格が競り上がらない。古銭ブームの頃の価格を知っている私にとっては信じられないぐらい安い価格で品物が動いています。ただし、これぞという状態の良い品には強烈な競り合いが生じます。やはりこのジャンルは状態がものを言うようで、中でもグレードの高い未使用品は天井知らずです。

エラー貨・現行貨幣も堅調でした。門外漢ながら注目していたNo235の昭和61年の10円後期のMS65は9万円と言う価格が付きました。なんと原価の9000倍ですよ。これについてはなんとなくコレクター心理が理解できますが、さすがにNo235の円形が111万円には唖然としてしまいました。貨幣にもなっていない工業製品の黄銅の板切れ(材料)にここまでのめり込めるとは・・・。私もコレクターですけどこいつだけは信じられません。

特筆すべきものが少なかったせいかもしれませんが、古金銀は堅調ながらも全体に伸び悩み気味。不知品や書体変化が多い一分銀や一朱銀にはなんとなく親近感があるのですが、逆打ちを除いて激しい競りはあまりなかったと思います。
カタログの表紙を飾っていたNo307の大穴の開いた慶長丁銀はちょっとした競りが起こり61万円で落札。しかし、その他の丁銀は不落が目立ちました。丁銀は立派なんですけど豆板銀や分朱金に比べて保管して愛でるのにはちょっと大きいからか・・・これも時代の流れ?住宅事情?この傾向はここ数年とくに感じます。
豆板銀もバブルの頃に比べると盛り上がりはいまいちでしたが、そんななかでNo326の文政片面大黒の廻り文が42万円(初値25000円)と驚異の落札価格を記録したのが目立ちました。大判・小判もまずまずですがやはり競りはあまり起きず価格も伸びてゆかない・・・不況の影響?それとも普通の品が多かったから?・・・コレクターの懐具合も厳しいのか?

休憩をはさんで日本穴銭が始まりましたが、皇朝銭も一時の狂乱相場はやや影をひそめています。
ただし、さすがに役物は強くNo358の古和同銀銭が120万円、No381の鐃益神寶が135万円、No384の寛平大寶が75万円、No389の延喜通寶大様が65万円。No380の大きく割れた長年大寶大様がなんと55万円・・・もしも~し、全体に大欠けの品ですよ!。
さらに出品価格9万円にすぎなかった富寿神寶示神が125万円・・・これは本日一番の大競り合いでした。
昔は皇朝銭などは青錆の極美品と言われたものですが、最近は青錆ものはあまり人気がなく、無錆の伝世品ほど高評価になります。穴銭の世界も昔以上に状態が評価に反映する時代になってきました。
No390永楽打製金銭500万円が落ちなかったのは大きい。ただし、これは設定値が強気すぎたのではないでしょうか。

そんなこんなでいよいよ庶民価格の江戸期穴銭類の出番です。主催者側には申し訳ありませんが、今までの流れからして大きな競り合いは起こらないのではないかと密かにほくそ笑んでいました。しかし・・・今日の穴銭党は強かった・・・まったくもって病気でした。なんで今頃みんな本気になるのか・・・困ったものです。みんな寝ていてくれたら良いものを・・・。
長門銭の四ツ目寛は誰も応札が無かったらという品でしたが、郵便入札ですでに2万円台だったのでパス。島屋文細縁は150万円という破格で落札。すごい。まぁ、これは私には関係ない品でしたがため息&感心です。
No434の短尾寛背刔輪は発句が10000円以上でスルー・・・あとで知ったのですが出品者は私も存じ上げている寛永銭コレクターのⅠ氏・・・知っていたらもっと頑張ったのに。Ⅰ氏にとっても不明という品ながら、類品も1品確認されている(青森のⅠ氏らしい)ようです。これは大化けするかもしれません。夢を買うべきでした。
No436の離用通面刔輪背削波は安かったら行くぞと考えていたらなんとスタートが11万円(下値30000円)でぶっ飛んだ。
がっかりしているうちに密かに気になっていたNo437の文政離用通背刔輪細縁・・・落札値7500円・・・を見逃してしまいました。こいつは痛かった。(秋田のM氏に落ちていました。さすが・・・)
さて問題のNo443の江刺は、はじめだけ参加のそぶりを見せましたが、私のすぐ後ろにH氏が座られ目があってしまいすぐ脱落。予測通りのほぼ不戦敗でメール価格+1000円でH氏のものに・・・仕方ありませんね。(落札価格9万2000円)
そろそろ参加記念に何かを落とさなくてはと考え、赤くてきれいだったNo451の仿鋳短尾寛を落としました。(7500円)
天保銭も皆様しぶとくNo462の本座広郭錯笵はなんと8万円。私も5万円ぐらいまで頑張りましたが、本気で競ったら10万円まで行ったと思います。これは錯笵の名品です。絶対降りない雰囲気の人がいましたね。
No466の方字白銅も発句が12000円なので断念。No482の草天保は15万円までと決めていましたが発句が25万円でペケ。
さて、本気で私の狙う天保銭はNo488からの不知天保銭でして、いきなり郵便応札者ゼロからのスタートでした。しめしめと思い手を挙げましたが競りになったのですぐ降り。こいつは予算2万円以内と決めていました。
No490の狭足寶はきれいなので欲しかったけど2枚持っているので深追いせず、結局、天保銭研究会のM氏が落とされていました。(5万円)
No491の厚肉の不知広郭手は札を降ろさないで頑張ることができました。(2万1000円)本日2品目のGETです。
No492も競りになったので手を挙げることができず、そしていよいよ大本命のNo493の天保銭です。
この品は前評判が高かったので10万円を超えるまで(超えても)絶対降りないぞ・・・と心に何度も言い聞かしておりましたが、8万円を超えた当たりから息が苦しくなり、10万円目前で目がかすみ意識が遠のき・・・気が付いたら脱落・・・私が降りたらすぐに落札者が決まりました・・・残念。オークショナーはもだえ悩み苦しむ私の弱気な様子を見たのか、高額にもかかわらず最後は異例の500円刻みのUPとなんともお優しいこと。それだけでも先頭に座った価値があるというものです。(落札価格は9万9500円ぐらいか?)

ここでふがいない自分に腹が立ちNo494とNo495を連続落札。(20000円と28000円)やればできるじゃないかと自分をほめてあげたい。No495は状態は今一つでしたが、実は通常の張足寶よりワンランク上の強刔輪銭でした。ご存知でしたか?
そして最後の本命No500の玉塚天保の秋田広長郭(極美品)が登場。しかしこれは発句が13万円で絶句。戦わずして降参でした。

その後の試鋳貨幣・幕末地方貨・絵銭類のオークションには参加しませんでしたが、絵銭は狂乱相場だったようで、絶対降りない強者が何人かいたそうです。一例をあげるとNo542の花巻絵銭大黒赤銅(南部)が15000円からはじまって21万円まで行ったそうです。ただし、この品物は白銅質が標準の花巻銭にしては赤く大きく、O氏によると花巻絵銭の母銭ではないかとのこと。さすがに皆さんよくご存知です。会場で高騰するものには必ず何か理由がありますね。

結局、収穫は4品、76000円と結構な出費。手数料(落札価格の10%+消費税5%=落札価格の10.5%)が7980円なので〆て83980円と結構良い無駄遣いです。しかし、本日の収穫はそれだけでありません。嬉しいことに江刺銭を落としたHさんから、すでに保有しているので重品になる江刺大頭通をを後でお譲り頂けるとの約束を頂戴しました。H様ありがとうございます。お小遣い的には大ピンチです。

本日はお休みを取っていましたので、可能な限り会場に残るつもりでおりましたが、やはり家族の顔が思い浮かび、パーティー前にお暇させて頂いています。「残れる?」と聞かれて「今日はある程度大丈夫ですよ。」と答えていましたので、皆様に申し訳ないことをしてしまったと反省しています。残ったとしても明日も5時起きで研修会場の準備がありましたのでパーティー参加は無理でした。それに途中まで車で来ていましたのでお酒は絶対飲めない状況でした。重ねてお詫び申し上げます。(薬を飲み忘れて来てしまいましたので血圧も高くなるので無理は禁物という理由もあります。)

さて、おかげさまで江戸コインオークションを楽しむことができました。皆様お世話になりました。まずは速報としてお伝えいたします。

※あえて一つだけ改善した方が良いと思うのが今年から加わった応札条件。「郵便入札を含み真贋・下見の有無・表示上のミスにかかわらず返品は一切お断り」の条項。おそらく落札後のトラブルを回避するための防衛的な条項なので本気だとは思えないのですが、これは明らかな商法違反。
このような条項を設けるのなら、疑義が発生した場合の返品手数料を明記した方が良いと思います。また、表示上のミスについてはいくらカタログ写真があるとはいえ、応札者側に非はなく、これは無条件返金でしょうね。
なお、この件については法律の専門家に意見を聞いた方がよろしいと思います。
 
10月20日 【良い子はきをつけませう!】
例の天保銭が届きました。手にした瞬間ちょっと角がたっている感じ。やすり目はやや斜めに走る癖があるものの、深く走るものもあり、ダメ出しするようなレベルではありません。鋳肌などは会津藩銭みたいな雰囲気。穿内は予想通り鋳放しです。ここまで観察したところネットに出ていたSさんの天保と同じ系列だと思います。
そして極印を観察したとき、私の頭の中である天保銭が思い浮かびました。あの贋作天保・・・濶字退寶写・・・の極印だ!
銭文径は本座の長郭通用銭と同じ・・・と、いうことは本座長郭の母銭から直接写したものだと推定できます。おそらく、この天保は浄法寺銭の贋作として作られたものではないでしょうか。濶字退寶のほかに南部藩銭にもあると聞いています。母銭を使用していること、側面の極印ややすり目に工夫がみられること・・・特に側面はグラインダー仕上げの後に和やすり風に粗い目をつけなおしたものだと思います・・・製作者は間違いなく古銭の知識の豊富な人間。悪意が感じられますね。極印は段違い葉脈のもので、この天保の右側は正しくはっきり見ることができますが、わかりづらくするためか向きも打ち方も気まぐれの傾向があるかもしれません。
贋作をつかむのもこの趣味の宿命。出品者には悪意はなかったと思いますし、参考品として、貴重なサンプルとして保管します。それにしてもオークション前日になんと不吉な・・・明日は暴れちゃうぞ!

※S様・・・残念な結果になりましたがお許しください。
違和感を感じるところが随所にありましたが、あまり詳細に書くと修正したものが出てくる可能性がありますのでこの件はここまで。しかし、近代作とはいえ天晴な内容です。金質・地肌は特にすごい!かなり手ごわい贋作者ですね。
贋作 長郭手(陰起文異極印)
長径   49.0㎜
短径   32.2㎜
銭文径  41.7㎜
重量   22.1g


特徴 面背縦やすり・穿内仕上げなし

 
10月18日 【わどうかいほう説再び:珎は珍の異体字かそれとも寶の省文か?】
中谷顧山の本で和同開珎の読み方が頭から離れなくなってしまいました。調べてみると珍寶論争が盛んになったのは江戸後期、1800年代に入って湧き上がったらしい。ここでもう一度初心に帰って調べたことを考察すると・・・

「かいほう」説
和同開珎は和銅元年に鋳造開始された銭であり、銅=同・寶=珎を意味する。
開元通寶をモデルにしており、その後の皇朝銭などの銭の末尾も寶であるので「ほう」と読むのが自然。
和同開珎は和銅年間につくられた。

「かいちん」説
和同と和銅は無関係。和同は中国古事の吉語であり、珎は寶でなく珍の異体字。
珎が寶ならなぜその後に珎の文字を使わなかったのか?
和銅年間に作られたのは新和同。古和同は和銅年間以前の私鋳銭。(近代の貨幣界の説:近年学会では否定されている。)

1.日本語ははじめ文字を持っていなかった。(漢字は外来語です!)
2.漢字と日本語の関連付けが始まったのは7世紀以降。読み方は中国風の音読みが先に生まれている。
3.古代日本において、漢字の当て字や省記はむしろ当たり前。読み方もまちまちだった。
4.和泉市から珎縣主・・・と刻まれた瓦が出土しており、豪族の茅渟県主(ちぬあがたぬし:5世紀以降)のことであろうと推定される。
  珎=ちぬ(ちん)と読まれたことの証。
5.東大寺の伎楽面には「天平勝珎四年」の墨書きがある。これは間違いなく年号の「天平勝寶四年:753年」のことであろう。
  これを単なる書き間違いとする説もあるが、漢字の成立過程を見るといささか強引な気がします。
6.珍寶論争が始まる前の江戸庶民の読み方は「かいちん」であった。当時、珎は珍の異体字であると一般認識されていたからである。
7.
「かいほう」説を最初に唱えたのは狩谷棭斎で江戸後期の19世紀初頭のことであり、これがすぐに主流になった。
8.
「かいちん」説は穂井田忠友(中外銭史作者)によって19世紀後半に復活。「国家珎寶帳」も彼は実見しているはずである。
9.明治時代は成島柳北が「かいほう」説を支持しており、昭和40年代ぐらいまではこれが主流だった。
10.戦後の貨幣界では古和同と新和同に分け、新和同を和銅元年鋳(708年)に、古和同を和銅以前の私鋳銭と位置付けた!
   ※ここに現代の迷走の要因があります!なお、この説は貨幣界だけの常識(非常識?)かもしれません。
11.珎の文字は中国にもなく、省文の風習の存在を知る中国古代言語に詳しい学者はこれを寶の省文として解釈する。

「かいちん」説が昭和40年代に復活したのは、古銭収集ブームと無縁ではないようです。
近代貨幣界では和同開珎を古和同と新和同に分け、新和同を和銅元年鋳(708年)に位置付けており、古和同は和銅年間ではなく、それ以前の天武11年(684年)に作られたとされています。こうされたのには理由があり、天武11年の詔に「これからのちは必ず銅銭を用いよ、銀銭を用いることなかれ」と書かれているからで、この文の銅銭に古和同を割り当てたからです。しかも、古和同は官鋳銭ではなく民鋳ではないかとまで位置付けています。(日本貨幣収集事典)
「かいちん」説支持者にとって和同が和銅の略字でないことを広く伝えるにはこの天武11年説は非常に都合が良いのです。かくして古銭ブームの時にこの説が大々的に広まり、教科書も次々に書き換えられてゆきましたが・・・

富本銭は1969年・1985年に平城京跡から1991年・1993年にそれより古い藤原京跡から発見されていて、和同以前の銅銭ではないかと疑われはじめました。そして1999年に飛鳥京遺跡から富本銭が大量発掘されると、富本=最古の銅銭の考えはブームとなって古銭界に押し寄せました。最近のWikipedeaをひもとくと改めて古和同708年説に戻されてます。天武11年の詔の銀銭は無紋銀銭で銅銭は富本銭であるということなのです。
しかしながら頑なに拒絶する古銭家・考古学者は多く、富本銭は新和同の開炉の記念銭なる説までが飛び出しています。富本銭があまりにきれいなつくりなので古和同の前に持ってゆきがたいのが一因のようですが、富本銭の鋳造時期が708年より古そうなことは傍証から見ても明らかです。そこで、屈強な「かいちん」論者は富本銭はまじない銭(厭勝銭:えんしょうせん・ようしょうせんの読みは誤り)であると反論しました。
まだ、日本に銭と言うものがなかった時代に造られた宝ものを、銭だ、厭勝銭だと議論する方が個人的におかしいと思うのですけど・・・。銭だろうが、厭勝銭であろうが見たことにない珍しい宝であるはずなんですけどね・・・。学者さんたちはもう少し頭を柔らかくした方がよろしいかと思います。
そもそも珎の文字・・・いまでこそ珎の異体字であるとされていますが・・・もともとの中国漢字にはなかった和製漢字なのです。そんな異体文字を公式貨幣に採用するという考えがそもそも文字の文化を無視していることで、だから中国学の権威の学者さん達はこれを中国(の鋳造業界など)ではごく当たり前に行われていた省文を採用したと見ているようなのです。

さて、諸説書きましたが
私はやはり「かいほう」説を支持したい・・・ただし珎の文字は使用するケース・時代によって「ちん」とも「ほう」とも読まれたと思う柔軟な立場です。もっと極論すれば、この銭ができた当時の漢字の読みは明確に定まっておらず、中国語風の音読みも頻繁にされたとも考えます。ただし、読みはともかく、珎の意味は寶だと思います。和同開珎が708年の和銅元年に鋳造が開始されたと言う考えに全体が傾いた以上、「かいちん」派の論拠は失われ、もう詭弁でしかないように感じられます。まして古和同が和銅年間以前の私鋳銭だなんて、そんな説信じたくもないですね。これには私的な感情が入っていますが・・・。

※漢字は外来語なので、寶という漢字に意味として日本語の「たから」が意味として割り当てられたにすぎません。はじめの読みは中国風の音読み「ほう(中国語読み:bǎo)」が使われたと考えます。ちなみに珍の発音はzhēnらしい。ちん=ぜに?かもしれませんね。あれ・・・これはかいちん説に有利な考えですね。

※かいちん派の強力な論拠・・・和同開珎は和銅年間の始鋳ではない説・・・は今日ではほぼ否定されています。和同=和銅なら省文の風習が使われたことを意味しており、珎は寶を意味することはごく自然になります。かいちん派にとってはとても痛いのであまり触れられていない?。

※和同の名も中国にならって貨幣を鋳たとすれば、元号(和銅:708年)を意識したと考えたい・・・しかし、皇朝十二銭の中で元号を使用したのは承和昌寶、貞観永寶、寛平大寶、延喜通寶ぐらいで、異説として神功開寶が天平神護を現すから・・・という説があるぐらいでしょうか。

※ネットで調べると「かいほう」派には中国学の権威の学者さんが多く、「かいちん」派は日本の考古学者(考証学者)と最近の貨幣収集家関係に多い気がします。中国古典文学の専門家の萩庭勇氏(大東文化大学)は、その講演の中で和同開珎をかいちんと読むことを痛烈に批判してるそうです。彼はあくまでも文学者として文字の成り立ちを理解するための例題としてこれを取り上げているようです。(122号狩谷棭斎賛歌に記載)
さらに大阪府立大学教授の大形徹氏(中国哲学と文化が専門)も「かいちん」説はおかしいと批判しているようです。(HP天漢日乗に記載)

※なぜ、和同開珎に寶や銅の文字を使わかなかったのか・・・それには鋳銭技術の問題があります。銭鋳造の技術は大陸から連れてこられた技術者集団によるもので、それにも系統がいくつかあります。最近の説では鋳造の難しい古和同銀銭を最初に作るために省文が行われ、その流通後に同じ文面の古和同銅銭をつくったというものがあります。(10月6日記事)大陸の技術者が作ったのなら、省文は自然に導入されたと考えられます。当時の輸入品の銅鏡などには省文がかなり使用されていたようです。古和同と新和同の技術差異は時代差以外にも技術系統の違いも関与すると考えられます。
 
10月17日 【情報を頂きました!】
10月11日の記事に出てきた縦やすり鮮やかな天保銭の画像を頂戴しました。S様ありがとうございます。
以下はその喜びの報告です。(原文のまま)
サイズ 長径48.80 短径32.32 文字径41.75 厚2.32~2.45 重20.76
極印 映像では一体に見えますが拡大鏡で見ますと縦に完全に分断されていて親子の立像のようです。
底地 フラッシュ撮影ですので起伏が大きく見えますがほとんど平面で真っ黒な下地に満天の星のようで
    非常に美しいです。
体型 肩が張り輪幅もあり堂々としています。名のある雄藩で鋳造されたのではと空想しています。
穿内 4面とも全く鑢は入っておりません。
私の短い収集歴で最高の美銭で安い買い物をしたと喜んでいます。

と、私をうらやましがらせる文面が踊っていました。キュリオマガジンの品は明日発送だと聞いています。早く着かないかしら・・・。
※銭文径が大きいのでひょっとすると計測間違いかもしれません。
 
10月16日 【規格外はどこまで・・・】
天保銭の重量は厳格に定められていて、規格外はその都度はねられていた・・・のは金局秘記に記述されているようです。そこには5匁5分(20.62g)を標準として上下に3分(1.125g)の誤差までしか認めなかったとあります。すなわち理論上の天保銭は重量19.5g~21・75gに収まるはずなのです。
ところが、その昔に天保通寶研究会が大量の本座銭を検証したところ、本座長郭以外では18.9g~24.13gまで確認できたそうで、初期銭の本座長郭はほぼこの範囲に収まっている・・・と天保銭事典75Pにはあります。しかしながら私の確認では、広郭で25gを超えるものがごくたまに見つかるようですし、規格外の長郭も確認できています。昔の棹秤はそれほど厳密ではなかったためだと思います。
さて、下の左は23.2gある厚手の長郭です。さすがに銅の練れが良く、初鋳のものらしい雰囲気です。私の従来の重さ記録を1g近く更新しました。長郭で24gを超えたら大騒ぎ、25gを超えたら多分事件です。
一方右のもの・・・実は某入札誌で不知銭という触れ込みで入手したもの。9月2日の記事と同様にどうみても本座の品にしか見えない。重量は18.8gなのでぎりぎり規定外なのですが・・・私はこいつは本座じゃないかなぁ・・・と未だに悩んでいます。
異常ポイントは重量と郭のやすり仕上げが少し過剰に見える点。ただし、これも決め手にはならない範囲。よく分からないのが銭文径で41.3㎜なのです。本座長郭の銭文径は41.5㎜より大きいものが多く、41.1㎜以下ならほぼ間違いなく不知銭なのですが、長郭の場合銭文径41.2~41.5㎜ぐらいのものには、いわゆるグレーゾーン天保がしばしば見られるのです。
0.3~0.4㎜の差の寛永通寶の内径分析では大騒ぎしているくせに、天保銭だとものすごく悩む数値なのです。もっとほかの違いがあれば判りやすいのに何とも意地悪な天保。眼力に自信がないので文句を言って返品もできないぞ・・・と申している。銭文径が中途半端なら、その他の特徴も全く本座と変わらない。なかには本座とほとんど変わらない不知銭も当然あると思いますが、このグレーゾーン天保にはほとほと頭を悩まされます。天保銭は寛永銭に比べて厚みがあるので鋳写しても銭文径に大きく差が出ないケースはあり得ると思います。収縮は2次元の世界ではなく、3次元の世界ですから厚みの減少という方向に強く出ることがあるからで、あるいは穿の拡大という変形もあるかもしれません。また、鋳造の際の鋳型の向きで銅の流れの圧力とか重力が影響した誤差があるかもしれません。(机上の考えですが鋳型を縦方向に置くと銭文径の縮小が大きくなります。鋳型を水平に置くと銭文径の縮小は小さくなります。)
2枚の画像を拡大して重ねあわせても大きな差が出ない。不知銭とすべきなのか、単なる鋳造誤差の範囲なのか・・・ここら辺の判定は本当に選者の好みでしょう。それだけ不知銭らしい特徴が少ないのです。仙人は文字を見るより製作を見ろ・・・とおっしゃられますが、もっともなお話ですね。製作的には(9月9日の品以上に)本座だと言っても良いかもしれません。しかし、左のものに比べればたしかに気持ち銭文径が小さい・・・やはりグレーゾーン。不知銭として扱うにしても5000円はしない・・・評価してはいけないと思います。
23.2g 銭文径41.6㎜ 18.8g 銭文径41.3㎜
 
10月15日 【方泉處発見?!】
方泉處こと東洋鋳造貨幣研究所はもう完全に無くなった・・・と思い込んでいたのですがそうではなかったらしい。最近、その話を聞きました。(どこで見聞きしたか思い出せない!)
そこでネット検索してみました。

㈱江戸ネット
住所・・・東京都台東区雷門1-14-6 黒澤ビル2階
(おお!浅草古銭会の住所だ!) ※年中無休

ホームページの小さな文字の「秘密基地」をクリック、さらに表示される画面のマイクロ文字のような「秘密基地」の文字をクリックすると右の図面が表示・・・おお、古銭研究所があるではないか。さらにピンマークをクリックすると机の上に散乱する古銭や、図会の表紙らしきものも見えます。しかし、最近のHPに古銭の記事は見当たらず、現在古銭を展示しているかどうかはわかりません。


※あほまろ氏はハドソン創始者の工藤氏のようです。
 
10月13日 【銀座コインオークション】
今年も11月17日に銀座コインオークションが帝国ホテルで開催されます。朝、9時からの開催ということで事前下見をしておかないといけないのですが、なかなか時間が取れません。本日、拙宅にも立派なオークションカタログが到着しました。以前はCDがついていて画像おたくの私の目を楽しませてくれたのですがここ数年はそのような付録は中止されていました。そのかわり、今年はデジタルカタログが銀座コインのHPに発表されました。操作に慣れないうちは難儀するかもしれませんが、、慣れてしまえばスイスイ・・・私は持っていませんが電子書籍はこんな感じなのでしょうかね。なお、デジタルカタログの文字をクリックするといきなり真っ白な画面が出てびっくりするかもしれませんが、一番上のデジタルカタログ表示の文字をクリックすればダウンロードが始まります。CPUが低かったり、通信が込み合っているとフリーズするかもしれませんが、一度、ダウンロードしてしまえば素早く表示ができるようになると思います。

今やコイン収集は絶滅危惧種になってしまったようですが、どんな小さな子供でもメダルや古銭には関心を持つものです。この趣味を衰退させてしまったのは、一部の心無い大人たちの悪行です。一片の金属片には夢が詰まっている・・・はずなのですけどね。
 
10月12日 【本座中郭準未使用】
私はいまだに本座中郭の見分けには自信がありません。初めて購入した中郭が中郭手であったり、これぞ中郭だと思って購入したものは広郭の広穿でしたのでちょっとしたトラウマになっています。左の品は収集の誌上入札に出ていた品で、拓を見て絶対落ちる価格で臨みましたので市場相場価格の3~4割増ぐらい払いました。たしかに郭は細郭より太いもののなんと貧相でこころもとないものなんでしょう。幽霊の正体見たり枯れ尾花の心境です。
ところでこの品はほとんど未使用の色が残る極美品です。市場にある未使用本座銭の割合は広郭が飛びぬけて多く、次いで長郭、細郭、中郭の順ではないでしょうか。天保銭の場合、まだ未使用美品の評価はさしてありませんが、細郭、中郭の未使用美品は実に少ないと思います。探してみてください。
なお、現代では天保銭の出現順番は 1.長郭 2.細郭 3.広郭 4.中郭の順と言われています。中郭の母銭に細郭に嵌郭した痕跡が残っているからで、当百銭カタログにある「広郭の錫母の郭を削って中郭母を作った」説は間違いのようです。しかしながら長郭→細郭→広郭の順は良いとして、中郭が本当に最後かというといささか疑問の残るところです。
広郭の場合は何度かの鋳造中断を繰りかえしながら大量生産というべきか、明治期まで粗製乱造されたようです。細郭から広郭にされた理由は文献的には明らかになっておりませんが、推定では仕上げ時のがたつきをなくすためとか、紐を通して持ち歩くときの崩れ防止、鋳造時の失敗(郭の鋳崩れ)防止などではないかと推定されています。中郭が当初最後期ではないかと推定された経緯には、薩摩広郭がその昔に大阪難波銭座の鋳造ではないかとされていたことにはじまり、その薩摩広郭が官鋳から除籍されたあとに、この中郭が一時期ぽんとはめこまれた・・・ことに由来すると思います。しかし、薩摩広郭のような大量にあるものから中郭のように数の少ないものに振り替えること自体に論理の飛躍があり、無理があります。素人が考えるには「仕上げ時のがたつきをなくすためなど」の初期段階の試行錯誤の中で郭幅にいろいろな幅の加工をしてみた・・・と考える方が自然であり、広郭大量生産のさなかにわざわざ使用しなくなった細郭の錫母銭を改造して中郭の母銭をつくることの方が不自然な気がします。中郭が最後期とされたもう一つの理由に「錫母銭が発見されていない」というものがありますが、通用銭でさえ希少なのですから錫母は見つからなくても不思議ではなく、最後期でないからこそ(鋳つぶされて)見つからない理由にもなると思うのです。なお、天保銭事典には広郭の母銭の郭内を削って中郭に仕立てた母銭がある・・・というような記述も見られますが、これは眉唾物です。
その昔、方泉處が中郭はたんなる郭幅のバリエーションのひとつであり、特別なものではないのではと切り捨てたように考えるのもありかな・・・と思う次第です。なお、中郭を求める場合、郭の中の仕上げにご注意ください。
本座の天保銭は背側からやすり仕上げをするのが決まりであり、それも軽く入れてバリを除去するのが普通です。そのため面に近い郭の内側には鋳造時の鋳肌が残るのが普通です。変造品の場合広郭の広穿気味のものを利用して面側の郭をバリバリ削ります・・・したがって面側まで内郭が削られ鋳肌が残りません。(母銭の変造も同じようにされているようですが私はじっくり見たことがないので何とも言えません。)この手法は秋田広長郭を変造して秋田細郭に変造する場合にも用いられます。
郭内に鋳肌の残っていないものは要注意・・・これは覚えておいてください。

※最近の説では1.長郭 2.細郭・中郭手・中郭 3.広郭 になっているようです。これなら納得。

※長郭が最初なのはもちろんですが、細郭が鋳造開始されたあとも長郭の母銭はまだ使用されていたようです。これは、母銭は貴重品で厳重に管理をされていて、鋳造も分業体制をとられており、母銭づくりを一般鋳造現場では勝手に行えなかったこと・・・すなわち母銭はお上からの貸与品であった・・・体制からも生じているようで、鋳造期間と現存数から考察してもほぼ間違いないと思います。
また、本座の天保銭の枝銭を見た方の伝聞にも、「長郭・細郭が同じ枝銭の中に見られた」という事を聞いたことがあります。(おそらく仙人の談話・伝聞の伝聞)


※仙人の談話で細郭の錫母銭は1品確認されているらしいです。また、細郭から広郭にしたのは鋳造の歩留まりを上げる為で、重量のある天保銭の熔解した銅のぶつかる郭の部位を補強するためだそうです。
 
10月11日 【無残な恵比寿宮銭】
銭の下に柄のついた形の宮銭(みやせん)は古くは川村羽積の奇鈔百圓に記されているそうです。何でも鋳銭開始のおりに酒得利にこれを差し込んで灯明のようにフイゴ神に捧げたそうで、銭座以外でも鋳物師の工場の神棚には欠かせないアイテムだったようです。宮銭は神仏飾りに過ぎないのですが、銭座が関与したとなれば絵銭以上に貨幣に近い存在と言えることになります。
画像の宮銭はネットで780円で落としたもの。2番手以降の写しが多いようなのですが径も大きくで銅質も通用の寛永銭に近い青銅質。しかしながら後世に貨幣として使おうとしたらしく、柄の部分が強引に折られ、削りとられ、穿の部分にも穴をあけようと釘状のもので叩いた痕跡が複数残ってます。なんとも罰当たりな・・・。柄の部分が残っていれば価値は20倍ぐらいになったものを。
私は何の疑いもなく宮銭(みやせん)を「ぐうせん」と読み、そうだと思い込んでいました。古銭用語の基礎知識にも書いていました。あぁ・・・恥ずかしい。
色調こそ異なりますがキュリオマガジンの品物と特徴が非常に似ています。鋳肌、縦に強く走るやすり条痕、通寶の陰起、郭の歪みなど一致点は多数ありますので断定はできませんが同炉の出身のような気がします。
ちなみにキュリオの品は私が落札できましたので2品目まで欲張る必要もない気もしますが・・・どうしようかしら。ならべてみたい気もしますし・・・江戸コインオークションも近いしな~!

※3万円を超えたようです。私は太刀打ちできませんでした。恐るべし、ネットコレクター。
 
10月10日 【異制の不知天保:キュリオマガジン10月号から】
8月27日の制作日記記事に縦やすりの強い不知銭がありますが、少々雰囲気が違います。鋳肌がごつごつ粗く面のやすりも和やすりというより線条痕。通字が陰起気味で背の輪が歪んで太細があります。郭内の仕上げも(よく分からないもののなんとなく違う感じ。(思いっきり推定ですが・・・)雰囲気的には会津銭といった感じ。(これもまた思いっきり推定・・・というより妄想)
実は(写真の色調は若干異なりますが)この品物に雰囲気の良く似た品がネットに出ています。これよりはっきり覆輪されていて、花押の周囲にもえぐられたような溝がある品で、熱心なネットウォッチャーならかいっと見ているでしょう。個人的には同系統(同炉)だなと思っている次第。
キュリオマガジンには初めて応札してみましたが、結果がまだ分かりません。まぁ、仮に落札していてもこの手の品物は実際に手に取ってみなければ評価はわかりませんので・・・。


※久々のまともなお休み・・・江戸コインオークションの下見に出撃します。予約・・・とれてませんけどなんとかなるでしょう。
江戸コインオークション情報
朝一番の突撃をしたら下見OKでした。若い女性店員さんが私の顔を覚えてくださっていたのが妙にうれしい、いい気分。おかげでやる気が俄然わきました。(良い意味で印象的なのか・・・それとも変な人で目立っている?)
1時間ぐらい見て良いと言われましたが、途中でお客さんが現れたので少し焦ってスピードUP。したがって見落としもいっぱいあります。なお、オークションに極度に影響を与えるようなことは書けませんのであしからずご了解ください。また、ここに記述するのは私が主に下見した品の一部で、品の良し悪し、私のねらい目や購入する気、価値の高低は関係ありません。(ただし、手ごろで安いものは大好きです。)

寛永銭類 ※赤文字は訂正・補足です。  
ロットNo    出品名    コメント 出品価格
406 古寛永長門四ツ目寛  下見を忘れてしまいましたが有名な品。まずはジャブ。 15,000
415 島屋文(母銭式) これも下見してません。欲しくても買えない高嶺の花。 1,000,000
426 仿鋳 短尾寛・小字・十万坪手   参加記念に応札する候補かな? 10,000
434 短尾寛背刔輪 不思議な品です。正体不明の初見品。 5,000
436 明和 → 文政離用通刔輪背削波 明和は誤植。文政離用通面刔輪背削波。きれいな品です。 30,000
443 江刺鋳・短尾寛ほか・・・(8枚組) 高額も人気が暴走しそうな組み物。ばらして売って欲しい。 70,000
451 仿鋳 短尾寛 写真よりきれいな赤色でした。私は好きです。 7,000
453 文政 → 仿鋳正字写 少し高いかな。文政写しかどうかは別にして好感のもてる品。 8,000
天保銭類     
462 本座広郭 背錯笵  本座錯笵の限界。収集の本線から外れますが面白い品です。 30,000
466 称 山口方字 白銅質  確かに白いけどあと一息かしら。しかし、白いものは気になる。 5,000
473 称 福岡離郭濶縁  これも不思議な品。比較研究用に欲しいけど・・・。 20,000
480 不知細郭手覆輪強刔輪削花押 ものすごく有名な品です。すごく欲しいけど手が出ないかも。 260,000
482  不知細郭手草天保  激安。1枚持っているけどこれも良いなぁ・・・。 100,000
488 不知長郭手  何の変哲もありませんがとてもきれいでした。以下、お手頃価格? 15,000
490 不知長郭手狭足寶  個人的に気になったポイントがありました。それにしても安い。 15,000
491 不知広郭手厚肉重量銭26.6g 大きいことは実に良いことです。  15,000
493 不知銭  長郭手刔輪張足寶ですね。好きな品です。 15,000
494 不知銭 名づけるなら長郭手覆輪陰起通寶。サービス品ですね。 5,000
495 不知銭 長郭手覆輪刔輪張足寶。少し真鍮質?磨き?その分お値打ち。 15,000
500 玉塚天保 秋田長郭 状態はとても良い品ですね。これも欲しいな。 25,000
505 琉球中字山極印 → 大字狭貝寶 正しくは大字狭貝寶の赤銅質です。山極印はありませんでした。 20,000

個人的な好みでどうしても密鋳銭系に目が行ってしまいます。せっかく出かけたのだから王道を行く高級品を見てくれば良いのに、上の表を見てくだされば分かるように私は外道の品ばかり気にして見ています。基本的には安物買いの銭失いですけど、それでもかなりの出費が予測されます。おそらく穴銭党の注目もお値打ち感のある価格帯(3万円以内)に集中するでしょう。そんな価格で買えるわけないのにね・・・。
今回は会場参加します。皆様に宣戦布告です。気持ちの上では今年こそはかんたんには降りませんよ。今年こそ強気に攻めます、目標・・・全品落札!、かかってきなさい・・・でもできれば見逃してください、あきらめてください、今年だけ。

カタログの色調はかなり補正したそうですが、やはりものによってかなり印象が異なります。その意味では下見は必須です。なお、当日は混雑するので下見は一人20品までだそうです。お気を付け下さい。
 
10月8日 【取済印銭】
ネットで取済印銭が出ていたものの誰も応札していなかったので8000円と高かったものの悪戯落札。取済印銭については平成22年4月の貨幣54巻2号に記載があることを再発見しています。取済はとりすましと読むのが正式で、鋳造の終了と言う意味であるらしく、鋳造用語であり貨幣用語ではないそうです。ただ、耳口健士(小泉建男)氏の見解ではく、取済印銭は細字背文母銭に漆盛(漆を使用した贋作手法)をしたものらしく、どうも贋作の匂いプンプンの話です。
ネットの品は明らかな写しであり、銅質もやすりも全くダメ。それでも落としたのはかなり古そうだったからです。だいたい寛永の正式銭座がこんな下手物作るはずは無いと思いながらも、話のタネになると思いまして遊んだ次第。
良い子はこんな買いものしてはだめです。どぶにお金を捨てる行為ですね。
その昔、宇野宗明の収集品にあったとされるものは(行方知れずながらも)あるいは本物ではないか思われますが、真相は闇の中。本物の取済印銭があるとすれば文銭の規格でしかも記念銭ですからそれなりの風格があるはずですね。取済印銭は新撰寛永泉譜後編と新選古銭大鑑などの大正期以前の泉譜に掲載されているのは確認しています。現代泉譜にないのは贋作の域を超えないと判断されたからでしょうね。もしこれぞというものが存在するのなら拝見したいものです。(どなたか画像をお送りください。)

※カクセスカウンターが39万人を超えました。5月ごろから急速に閲覧スピードが加速し、今では月間アクセスが1万人以上になってきました。ただ、これについては若干の不安があり、情報収集のための機械的閲覧者がいるのではないかと思っています。と、いうのも5月ごろから白紙の迷惑メールがしつこく届くようになったからです。サイトに掲載したアドレスを収集してウィルスを流し込む手口・・・以前、トロイの木馬タイプのウィルスを仕掛けられたことがありましたので・・・気を付けなければいけません。
 
10月7日 【青錆除去方法】
文献を探していて、キュリオマガジンの8月号の記事(皇朝銭談義)の話に手が止まりました。このシリーズ、最近は金属組成や錆に関するお話が続いていて、実は私はこのような話に妙に惹かれるのです。(変?)何でも大英博物館に納められている富山公のコレクションにはほとんど青錆がない・・・もちろん、納められたものが極上の品が多かったのだと思いますが、それだけではなく手入れによって青錆を除去していたというのです。江戸時代はこれが当たり前だったとも・・・。その方法とはなんと
椿油に古銭を漬け込むだけ。実際にこの記事の筆者が青錆の寛永銭を1年間椿油をしみこませた脱脂綿にくるんで放置しておいたらきれいに青錆がとれていたそうです。この手法が正しいかどうかはよく分からないものの、少なくとも椿油には緑青を落とす効果はあるようです。私も椿油・・・刀剣油・・・を購入してちょっとした青錆の手入れに使用してそこそこ効果を上げています。しかし、この手法は一つ間違うと「古銭の磨き」になってしまいかえって価値を落としかねませんので、慎重に行ってくださいね。反面教師例として5月16日の記事をお読みください。こうなってしまうと取り返しがつきません。また、拓本墨にはほとんど効果がないこともわかっています。
青錆をとる話のついでに青錆を付ける手法・・・これは贋作の手法ですね。詳しく書くと悪用されるのでざっと書きますが、要は緑青にはいくつかのタイプがあって自然界に普通にみられるのは青錆=炭酸銅(水酸化炭酸銅)CuCO3・Cu(OH)2が中心なのですが、贋作師は薬品を使って科学的に錆を作ります。贋作錆は硫酸銅CuSO4・3Cu(OH)2なので厳密に言うと、自然界に多くみられる緑青とは組成が若干異なり色も若干後者の方が濃緑色に発色するらしいのですが、そこは贋作師の腕の見せ所なのです。(硫酸銅は結晶では青色。)
化学式を見ればわかるように後者には成分として硫黄(S)が入っています。炭酸銅は安定していて水に溶けません。
硫酸銅は水に溶ける性質があり、乾燥(無水化)すると白色になります。酢酸を利用した手法もあると思いますが、これは、空気中の水分を吸う潮解という性質がありべたべたしたり、酢のような嫌なにおいが残りやすいもの。水には溶けないもののアルコールには良く溶けます。金属の表面の水洗いやアルコール洗浄で錆色が落ちたらこれらの贋作錆の可能性が高いのです。
なお、青錆の種類のお話はキュリオマガジンの9月号の皇朝銭談義にマニアックなほど記述されています。
この他に・・・アンモニア・・・つまり尿(厠)を利用したり、どぶの汚泥を使っても時間をかければ銅を腐食させ古色付は可能なのですね。(時間をかけた方が自然に仕上がるという利点もあります。)

※キュリオマガジンも購読契約してしまった。石川さんに頼まれて公告をボランティアで掲載していただけなのですが、私の近所でこの本を売っているお店がなかったので困っていました。コイン店は絶滅危惧種ですから・・・少しは業界に貢献できたかしら・・・。契約の記念に1gのかわいいメダルをもらいました。ちなみに本日の銀相場は・・・g53円でした。
 
10月6日 【白昼夢?】
身の回りがうまく片づけられないのはボケの徴候です。ここのところ血圧が高かったのでずっと整頓をサボっていましたので、妻と子供不在の本日大掃除を始めました。本当の目的は「前日の記事の裏付け」を探すため。和同銭が省字化された理由の書かれている論説を見つける為です。しかし、みつかりません。ひょっとするとものすごくリアルな夢だったのかもしれません。それにしてはやけに筋をはっきり覚えています。
和同開珎が和銅開寶の省字である理由は、銅銭に先立ち銀銭を鋳造したからであり、それは地金価値のある銀銭のあとに銅銭を鋳造発行すれば労無く世間に流通する・・・すなわち、地金通貨でなく名目通貨を信用流通させることができれば、利益は計り知れないものになる・・・ということで、まず銀によって鋳造を試みたものの、銀の貨幣鋳造はとても難しく上手く鋳型になじまなかった。そこで省字化して試みたところ、なんとか鋳造ができた・・・だからこそ和同開珎は「和銅開寶:わどうかいほう」である・・・といった具合。和同開珎は銀銭をつくるための省字であるということ。
入札誌の記事とか、貨幣の論説あるいはボナンザや収集、ひょっとしてキュリオマガジンかもしれない。とにかくあちこちの記事を読んで片っ端から忘れるから困ります。
最近の記事の可能性が高いのですが、改めてこの論の出所を皆さんにお尋ねします。このままじゃ気になって眠れない。それとも、本当にボケたのかしら。また、下の中谷顧山の書を落とした方・・・タイトルをお教えください。情報お待ちしております。
※ようやく再発見しました。平成12年10月貨幣44巻第5号、今村啓爾氏の「和同かいほう説の復活」でした。(10月12日)
 
10月5日 【泉書探訪:美本の旅】
私は決して文献コレクターではないつもりなのですが、勉強のために気になる本は古書も含めてせっせと買いあさっています。古文書はとても読み解けないのでせいぜい大正~昭和初期のものまでしか購入しませんが、中にはとても美しい状態のものにも出会います。右のものは今年の購入品。
天保銭図譜は小川青寶樓のごく初期の出版物。天保堂が復刻したものだと思って購入したら、きれいな初版本でした。これは貴重で当然ながら怖くて読めない。重訂 鋳貨図録は佐野英山著作のもので、鋳銭工程の秘密が書かれていると思い購入。掲載されている図や説明は瓜生氏などの著作などにかなり引用されていました。新撰 寛永泉譜は5月に記事に書いたように大変な美本。復刻版とはいえ見事です。文献コレクターではないと言いながらも気が付いたら本棚がいっぱいです。古くは青貨堂貫井銀次郎氏や文久童山本右衛門氏などは熱心な文献コレクターだったとか。違う・・・といいながら私もはまり始めています。
 
天保銭図譜 完(初版)
昭和10年
小川浩(青寶樓)
重訂 鋳貨図録
(乾・坤)
大正8年
佐野英山
新撰 寛永泉譜
昭和10年(復刻版)
中川近禮 榎本文城
亀田一恕(前・後編)
インターネットで見つけて思わず購入しそうになった中谷顧山撰の「珍珎貨孔方」なる本。享保14年出版で、年代的に中谷がかかわったに間違いない本です。中谷は前年の享保13年に和漢孔方図会を上梓しており、私が調べたところでは翌年の14年には珍貨孔方図鑑を出版しています。もしかするとネットでタイトルを書き間違えたのかもしれませんが、「珍珎貨孔方」という本の存在はこれを見るまで知りませんでした。中谷は別名、播磨屋十兵衛とも言われ、謎の多い人物ですが、享保年間に関西方面で古銭収集ブームを作った古銭本作者であり、40代の若さで早逝しています。詳しくは泉家・収集家覚書のコーナーに記述していますのでご覧ください。
野次馬根性で購入を考えたのですが「私は文献コレクターではない」と自らに言い聞かせ断念しました。しかし、今思い返すと
珍珎貨孔方の名前は非常に気になります。和同開珎の珍寶論争に一石を投じそうなタイトルなんですね。
いくらなんでも「ちんちんかこうほう」はないでしょう。和同開珎が正倉院にあった国家珎寶帳から「かいちん」説に傾いたのは有名な話。「こっかほうほうちょう」ではおかしいという理由なのです。「珍珎貨孔方」はこの説に対する立派な反証になりますね。しかし、珎と寶を並べて記述したものは国家珎寶帳1点しか見つかってないとも・・・。なんで読んだのか忘れてしまいましたが、最近、鋳造時の溶解した銀の流れの関係から省文を使用したという説が出ていました。(何の文献でしたっけ?見つかりません。教えてください。)実は私も密かに「わどうかいほう」派でして、この文を読んで思わず拍手してしまいました。だいたいこの時代の漢字はまだ輸入外国語。聖徳太子が17条の憲法を読み上げたときは中国語風の発音だったと聞いたことがあります。文字のなかった日本語に無理やり中国の文字を割り当てたので漢字には中国読みの音と日本読みの訓ができました。
文字としてははじめは極めて不安定で、様々な当て字や省文と呼ばれる略字化も行われて当然だったと思います。意味としては中国に習い宝物ですが、もしかすると珎は文字としては「ちん・ほう」両方の読みが使われていた可能性も極めて高い。で「珍珎貨孔方」というタイトルが正しいとすれば、ときの古銭家中谷は珍と珎が別文字であると解釈して使用していたと考えられます。珍宝論争は約200年前江戸後期あたりに生じたと言われますので、中谷のこの書はそれより古く極めて重要なカギを握っていたのかもしれません。入手しておけばよかった!
 
10月1日 【水戸大字天保、土佐鋳造説】
天保銭の平通が土佐から萩に移って久しい。もともと平通が土佐とされたのは書体の近似性からで、、たしかに見れば見るほどよく似ています。その後、萩に移されたのですが、平通はその他の萩銭と異なり鋳ざらいによる書体変化がほとんど見られないのが不思議・・・そのことに着目して、平通はやはり土佐ではないのか・・・と再考したのが方泉處。
ところが79年に収集誌上で後藤良則氏が水戸大字こそ、書体的に近似していて土佐の可能性・・・と記述しています。同時に接郭も額輪と近似した手法なのであるいは・・・という示唆もあります。額輪の類は昔からなかなか銭籍が決まらなく、古くは南部民鋳とされ(私もこの名で覚えました)、あるいは接郭広郭の名前を冠された文献を見たこともあります。
書体ではなく製作を見ろ・・・というのが仙人の教えなのですが、古の先輩方が分からないことを私が解明できるわけもない。でも私も水戸大字の通寶の書体・・・とくに寶の形は・・・土佐通寶に似ていると感じてます。
そういえば接郭とよく似た極印の長郭手を今年入手しました。覆輪の厚肉の手ですが、これだけで決め手と言うわけ度もありません。この件については証拠がとにかくないので空想を膨らませながら、新しい証拠が出てくるのを待つしかないようです。
 
9月30日 【濶字大刔輪】
平成12年8月の貨幣にあった仙台濶字大刔輪のお話です。(小林茂之氏寛永銭覚書)
これだけを見ると、仙台濶字の削字変化・・・刔輪、再刔輪、再々刔輪のことか・・・と見逃してしまうところでした。
実は仙台の刔輪は一定ではなく、図の大刔輪は再々々刔輪ともいえるレベル。わずかに銭径も大きく内径も大きい・・・しかし、その差はわずか0.1~2㎜の差異だと思われます。古寛永泉志を見ると書体はわずかに違いますが437番の濶字再々刔輪小足寶がこのサイズになっているようです。平成古寛永銭譜の1328番はこれに一歩及ばないかも。だいたい、古寛永泉志に濶字再々刔輪という分類がないのですね。とにかく刔輪の幅が一定していません。上図の濶字刔輪も実は平成古寛永銭譜では再刔輪のレベルで微妙に一致しません。気になるのは狭通・・・と名付けられたところですが、これがはたして決め手なのか小変化なのかはわかりません。
小林氏も本文中で言っているように、雑銭なのかもしれませんが、この微細変化・・・調べると面白そう。
 
9月26日 【踏潰銭】
平成17年8月の貨幣誌に掲載された拓本(竹帛殿氏提供)と数年前インターネットで購入した私の広永の比較画像です。双方とも150%に拡大しています。文字の崩れは異なりますが背郭や内輪の歪みなどが近似しています。
双方の画像を重ねたらぴったり内径や文字位置重なりました。印刷物との比較ですから一概に言えませんが、竹帛殿氏の出品物が母銭ということなので、私のものも母銭としたいところなのですが、自信がないので最大様としています。大きすぎるぐらいの代物でローラー圧延疑惑も残ってますので結論は言えませんが、似ているだけでうれしいものです。
さらに調子に乗って方泉處の東北・北海道の貨幣に掲載している画像を150%に引き延ばしたものと比べました。面輪の下部の同じ場所に何やら同じような傷が存在するのは特筆すべきこと。方泉處の背の波は3枚の中で一番細く繊細。しかし、画像では大きく見えますが見た目と異なり内径や文字位置はぴったり重なる・・・と、いうことは真ん中のやつ(私の所蔵品)も母銭なのかもしれません。まぁ、この大きさは異常ですから考えられなくもない。(けど自信ない)画像上でも最大なのです。もちろん、印刷物との比較なので何とも言えないところもあります。
ところで、人間の目はいいかげんで目視だと中央の内径が小さく感じます。背内径も小さく見える。でもこれは色とサイズが原因の錯視のようです。私は拡大した画像を縦横で切断し、重ね合せる手法をよく使います。こうすると内径、文字位置の差がよく分かります。焼け伸びやたたき伸ばしは穿が大きくなり文字位置もずれています。
平成23年の1月(貨幣誌掲載は4月号)に発表のあった、仙台古泉会のH氏の明和期俯永面背刔輪の拓本です。俯永面背刔輪は大島延泉氏の後に続く発見がなかなかなく、存在そのものに疑惑がもたれていたものですが、H氏の執念か2、3品目の発見となり、ついに日本貨幣協会の辛口の品評者達にも、一種として正式に認めらています。
私は1品目を実際に拝見させて頂いておりましたが、非の打ち所のない品であったことを思い出します。しかし、貨幣誌が出る直前の3月11日にあの東日本大震災の津波がH氏の自宅を襲い、この品々も行方不明になってしまったと思われます。
私も2品目の発見の情報は得ておりましたが、現品を見る機会も失われてしまいました。ただ、幸いなことにH氏は無事で、収集活動も再開されています。仙台古泉会の方々の尽力で昴通背星などの珍品を含む収集品が泥土の中から発見されているとの報告もあります。何よりH氏が収集の情熱を未だに失っていないこと・・・そのバイタリティが素晴らしいと思います。

昨日、復興国債を購入してしまいました。銀行の手数料関係が変更されていて休日や時間外が割増しになってしまったのを回避するための購入でもあります。1000万円と行きたいけど、そんな余裕はありませんので1口だけ。金貨欲しかったけどしかたないですね。
社会貢献して銀貨がもらえて、手数料が安くなるのなら万々歳です。
①外径 27.94㎜ 面内径21.39㎜ 背内径22.39㎜
②外径 27.88㎜ 面内径21.50㎜ 背内径22.26㎜(貨幣第55巻 第2号 平成23年4月より借拓)
 
9月21日 【江戸コインオークションカタログ到着!】
10月21日開催の江戸コインオークションカタログが到着。これが来ると年末の気分になります。パラパラめくると困ったことに欲しいものがたくさんあります。
なかには、え~、こんな価格で良いの?・・・と思う品もあります。もちろん、こんな価格で落ちるはずもないのですが・・・。さらに困ったことに当日は休みではない。せめて他人のものになる前に下見をしたいのですがそれすらままになりそうもありません。なんとか交代休日を採れないか画策してみようと思います。
目が悪くなったせいか、暗い色調の写真が良く見えませんので、これもなんとかしなくちゃ。
欲しいもの・・・今は秘密です。寛永銭にも天保銭にもあります。ひとつぐらい格安で変えないかしらと夢想しています。

江戸コインオークションは10月21日(日)ガーデンシティ品川で開催。
カタログは送料込みで2000円になります。

お問い合わせ 03-3573-1000 ウインダム株式会社(オークション専用ダイヤル)
〒105-0004 港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号地下1階109号
下見は9月19日~10月17日まで(祝祭日・定休日を除く)
午前11時~午後5時 必ずご予約下さい
 
9月20日 【耳口健士】
秋田のW氏から耳口健士がやはり小泉健男だという情報を頂きました。ありがとうございます。読み進めるうちに、小泉健男氏の訃報記事に接し、その日から寄稿が始まっていることがわかりました。ランダムに読んでいるのですべては読み終わっておりませんが、この小泉語録は絶対に後世に残すべきものだと思いました。故人の名誉を汚す、個人的な考察に過ぎないという意見も当然出ると思われますが、これを表に出さないとこの業界そのものが隠ぺい体質・・・どこかの教育委員会と同じだ・・・といわれかねません。
著作権の問題もありますので、日本貨幣協会非会員の身の私は許される範囲の参考引用しかできません。さんざん、情報の垂れ流しを行ってきた身なのに何をいまさらと言われそうですが、やはり内容が重大で批判的な記事も見えますので気を付けたい。とりあえずインデックスづくりを行い、記事の要点だけ自分用にまとめておこうと思います。
 
9月17日 【日本貨幣協会の貨幣は面白い!】
ネットオークションで貨幣64冊を落としました。最近のものなので目新しい記事は少ないかと思いきや・・・いやあ、これが面白い。目を奪われた結果、ネットオークションの締め切り時間を逃してしまいました。まだ、10冊程度にざっと目を通しただけながら、中でも耳口健士氏の「古銭叢話」は暴露話のオンパレードで実に面白い。ところで耳口健士氏っていったい誰なんだろうと推定してしまいます。
田中啓文の時代をよく知っていて、文久童が先輩で、青寶樓が小川さん・・・という間柄からすると、もうこれは小泉健男氏しかいない・・・のですが、氏は2006年に亡くなっており、平成18年の50巻に寄稿はできないはずなのですが・・・でもやはり小泉氏しか考えられない。ということは遺稿の発表なのかしら?どなたか教えてください。
古楽堂と寛永堂の関係を語った下り、元六銭の言われ、小菅巨字の言われなど・・・中には私が決してHPには書かないと決めていたものまでズバリと書かれています。鷲田寶泉舎の芳しくない噂の要因らしきもの(銭幣館との決別の原因か?)も知ることができました。

平成18年12月号には川田晋一氏による「近世古泉家等略譜」なるものがありました。私が泉家・収集家覚書を書き始めたのが昨年のことなので、5年も前にこんなに詳しく調べた記事があったんだ、この記事を知っていたら苦労して調べまくらなくても骨子部分ができていたな・・・と思います。私の記事は完全な2番煎じみたいになってしまいました・・・が、HPを補強するには格好の資料ですので、改めて引用させていただきたいと思います。

当分はこの資料で遊べそうです。ところで私は例会に出られないという理由で日本貨幣協会には入会しておりませんでしたが、この会誌内容なら十分価値があると思います。紙面を作る方は大変だったと思います。
 
9月15日 【天の大きな曳尾】
ネットオークションの一番人気でした。天字の足の幅の広がりが気持ち良い曳尾です。曳尾は同じ書遺体のものが2つとないほど変化が激しく、果たしてこれを何の種類に分類して良いか悩むところですが、やはり素直に大天の類とすべきでしょうかね。大天は天の前足が保の人偏よりも左に出る特徴があり、また、天の第2画の筆始めに下部に三角状の膨らみが目立つ特色もあると仙人に教えていただきました。
とはいえ変化が多いのが曳尾ですので、大天の中間品も、それ以上に大きな超大天もあると思います。要は特徴が顕著か否かということですね。

オークションネットの古銭入札誌(17)が送られてきました。ネット公開もしています。今回は寛永通寶の母銭コレクションが出ています。
 
9月14日 【吉語銭】
「温帯性高気圧?」「いえ、本態性高血圧です。原因不明の高血圧ですが肥満と老化現象でしょう。」と、お医者様には簡単に切り捨てられてしまいました。体調がおかしいのでへんなものを買ってしまった。お医者様には古銭よりダイエットと言われていますが・・・。
天保通寶の郭に刻まれた吉祥語・・・これは大陸の風習のひとつでおまじない。俗に厭勝銭(ようしょうせん:えんしょうせんは誤読)とも呼ばれます。これで邪気を払い願いをかなえるのです。長命富貴は“長生きして財運に恵まれること”の願い。出入平安は“出てゆく時も帰ってくる時も無事”の願い。この天保銭はお守り用として携帯されたか、家の玄関などに飾られたかもしれないものでしょうね。
天保銭極印図鑑にも載せた久留米深字の桐極印銭です。深字は玉持極印ばかりだと、幕末諸藩天保通寶鑑識の手引き(瓜生有伸著)にあるのですが、深字の極印は小ぶりで潰れたものが多く、確認できるものが少ないのです。
当百銭カタログや幕末諸藩天保通寶鑑識の手引き(瓜生有伸著)などに掲載されている、玉持極印の手書きイラスト図も実物とはかなり違います。正字と深字が同座かどうかは別にして個人的には深字と正字の極印は全く別ではないかと思うようになってきています。と、いうのも形状、大きさがあまりにも違いすぎるのです。右の極印は桐の花序の部分が3本線状に立っています。おしゃれなデザインの石持桐極印とはあまりにもかけ離れて無骨。デザイン的には濶字退寶に近いのです。
個人的には正字と同じ極印を確認したことがありません。どなたか深字のきれいな玉持極印が撮れた方・・・画像をお送りください。
→ 天保通寶極印図鑑
 
9月13日 【文銭に母銭あり!】
私はときどき「文銭に母銭なし!」という言を使います。要は母銭管理の厳しい文銭は本当に母銭と言えるようなものは少なく、実は母銭になりそこねとか、初鋳の大型銭やら細縁とされるものがたくさん混じっているという戒めの言葉でした。しかし、ネットに出ているこの品、銅質風格が違う。輪幅もあって外径も25.85㎜と中字としては超大型。鋳砂も違うのか鋳だまりひとつもなく文字は極めて繊細。見ている人はいるもので価格は高騰の一途です。背郭が甘いので若干評価は下がるものの最近見たものの中では文句なし。母銭は興味ないと言い続けていましたが、これは良い顔していますね。私も数年前、25.6㎜の中字の母銭を入手していますがあれの磨輪されていないタイプですね。私の蔵品は真っ黒に変色していましたが、地金の赤っぽい色が随所に見て取れます。母銭は地金が違うので、これが本来の色なのかもしれません。手にしたいけど高いからなぁ。(画像の無断使用お許しください。)
こちらは何の変哲もない天保通寶。ただし、無極印で下部に湯道がついています。高騰させてしまうと悪いので、私の見解(というよりもこの件をご存知の先輩方から聞いた見解)を申し上げると、これは手の込んだ贋作です。(かつて2万円以上で買ってしまい痛い思いをしたこともあります。)本座広郭の母銭を使用して当時の技術さながらに枝銭をつくってレプリカ販売したことがかつてあったようです。しかしそれでは売れず、今度は1枚ずつばらして極印がないので母銭だとか鋳放し銭だとして売りたてられたもの。
規格は本座広郭通用銭と全く同じで砂目も自然なのに無極印なので信用してしまいます。有識者の先輩は、金質が違う・・・硬いと即座に見抜いたようですがおそらく過去に実物を実見されていたのだと思いますし、輪側面のやすり仕上げが異なっているのも見逃さなかったのだと思います。(側面の和やすりの目を再現できる職人はほとんどいないため。)
これに異極印を打って売ればさらに不知銭になる・・・・そういえば私も気になる品があるなぁ・・・と改めて不安になってきました。
贋作者は売るためにはあれこれ手を変えてきますし、コレクターは見たことない品にひょいひょいひっかかります。私もその口。昭和の時代の作らしいのですが、鋳造技術は江戸時代そのもので引っかかっても不思議ではない品です。加賀千代の贋造天保(錯笵類)は見事ですけど、これも一見の価値はあると思う品。おもちゃと言えばそれまでですけど知らなければ引っかかります。(画像の無断使用お許しください。)
スローダウン宣言したけど休んでないです。体調は疲れやすくだめですね。もう一度、受診しなくちゃ。
最高血圧165 最低血圧115 心拍数95 異常だぁ!
 
9月9日 【スローダウン?】
スローダウン宣言のおかげか、駿河の落札はさんざんでした。
一番欲しかったのは286番の広穿大字連玉尓でした。他にも草天保やら石巻反玉寶なんかもあって、もし落ちたらどうしようとドキドキしていましたが、見事なほどの空振り。血圧が一気に下がった・・・んなら万々歳なんですけど。テンションも下がった。もっともあの入札値で落ちたら悪いです。もっと頑張ればよかった。
家庭用血圧計で最高血圧が170~150 最低血圧が130~110 心拍数が110~90 とまぁ、見事に高い。頭痛は収まりましたが、少しぼうっとすることもあります。歯痛は歯医者に行って問題の部分を治療・除去しました。
広穿大字を薬にしたかったですね。う~ん、薬が欲しい!だれか分けてくれ!・・・え、馬鹿につける薬はない・・・そうですか・・はい。


泉書探訪を書いていて(文献を読み直していて)あちこちに気になることが書いてあるのが見つかります。
南部密銭史の一節に、宝暦14年6月14日のお触書に、南部領内にどこから来たのかわからない鉛銭の流通とその禁止が書かれているとあります。(南部密銭史83P)このことは、昭和泉譜などにある奥州鉛私鋳寛永に該当します。わたしはそれらしき伝世ものを一品だけ保有しておりますが、いわれ書きがなければ絶対捨てていたような風貌です。由緒あるんですね。( → 寛永鉛銭 )


また、九州貨幣史学会による豊後国岡笵貨幣の歴史(橋詰武彦氏)という冊子を読み直していて、「竹田古寛永銭は小川浩先生が研究されていて今日なお明らかではない。(中略)また、古寛永銭も全部が竹田銭と断定できないほど種々あったが、俯永手のものにあるいは期待するものが、と思ったのである。」と、何とも意味深な結び方をしています。
この資料がつくられたのが昭和56年。斜寶の枝付き銭の存在が広く世に知られたのが昭和63年(松本市民タイムス)であることを考えるとこの文書はある種の予言のような気がします。(少なくとも斜寶が竹田銭でないことの示唆?)驚いたことに竹田は鋳銭場の遺跡が残っていて、坩堝や鋳くずなどが出土しています。
竹田で鋳銭が行われた理由は、尾平や土呂久から銅鉱石、錫鉱石が入手可能だったからで、成分分析をすれば古寛永竹田銭の籍が確定できるかもしれません。土呂久の銅は別名白銅鉱と呼ばれていたほど特徴があり、それは叶手元祐の色なのです。(すなわち白っぽい。)もちろん、それなりに調整はしたでしょうけど、元の特性を完全に消し去ることは不可能だと思います。谷巧二氏はそれを考慮したのか、その著者のなかで
仙台銭とされている白っぽい同色の多い寛字や正字類に竹田の籍を与えています。真偽はわからないものの、可能性は十分にあると思います。

文献探訪はやはり面白いですね。それにしても片っ端から読んでみんな忘れている記憶力の悪さには閉口します。
 
9月8日 【泉書探訪中】
新しいコーナーを作り始めたのですが、これが遅々として進まない。本の表紙をスキャンして、かんたんな紹介記事を書くだけなのですが、最大の原因は「読み直し」をしてしまうから。今日もつい月刊天保銭を読みふけってしまい、しかも途中で居眠りしてしまう体たらくです。
ホコリアレルギーの私は、古書文献は苦手なのですが、大金を支払って現物を買うより文献の拓本を眺めて夢見て満足する体質は子供のころからありました。ところが最近ではあこがれの大収集家の泉譜などは買ったもののあまりの美しさに恐れをなしてほとんど読めていません。天保銭の英泉譜や寛永銭の竹田四郎譜などがそれに当たります。読みたい・・・でも汚したくない。
欲しいけれど入手できていない文献もいくつかあります。そうだ!ここに書いてしまいましょう。
月刊天保銭 1~6号、9号、11号、17~40号、60号以降 とかなり欠番があります。
復刻版の昭和泉譜 復刻版はかなり瓜生氏の加筆があると思いますのでそれを読むのが目的。
復刻版貨幣・・・発売時価格で20万円以上。高額だけどまとめて買っちゃう?でも考えちゃう。
天保通寶銭分類譜・・・平成4年ごろに天保通寶研究会で配布されていたもの。3号と4号以外が未入手です。

出版化されたら絶対買うのが 
①穴銭入門古寛永の部・・・収集に連載されていたもの。製本化してくれないかしら。
②手類銭考 続巻・・・富永氏に頑張ってもらいたいのですが・・・。

※戦後の貨幣をだれかまとめてくれないかしら。あるいは穴銭堂の銭貨もすばらしい。いずれも断片的にしか知りませんが。いっそのこと、日本貨幣協会の出版部門を書信館出版が請負い、そのかわり収集誌がバックナンバーを掲載するなんてどうですか?収集誌が会誌なら楽しい?
(部外者のたわごとをお許しください。)
 
9月5日 【新コーナーはじめました】
かねてから作成しようと考えていた【泉書探訪】のコーナーをはじめました。文銭の基礎分類のコーナーをやろうという気もあったのですが、8月28日のNUMISMATIC氏の刺激に負けてられないという変な競争心が生まれてしまったのです。それに蔵書の紹介ならお金がかからないので・・・。
ただ、読み込んでいる泉譜はとにかくきたない。画像にしたら耐えられないものもあります。食べこぼしのシミや落書きのような書き込みだらけのものもありUP画像は使えません。どうしようもないものは画像で編集しました。
中には購入して以来ほとんど読んでいないものもあります。その理由は希少本で汚すのが怖いから。泉譜コレクターではないつもりですが、分厚い和装の限定本などは恐れ多くて大きく開けません。本当は中の拓図をも掲載したかったのですが、そのためには本を思いっきり開かねばならず、表紙に折り目がついてしまうので却下しました。
ただの紹介では面白くないので自分なりに希少度・お勧め度・マニア度を評価しました。しかし、この評価は微妙なところで、必ずしも私の評価が正しいというわけではありません。たとえば平成古寛永銭譜などは拓図が多くてなかなかの力作。本当はお勧め度をもっとつけたかったのですが、古寛永初心者にはちょっと難しい内容でしょうし、久泉研究資料などもその内容から言って☆7つあげたいけど、いやいやこれはマニア専用だと考えなおしました。そんなわけでお勧め度はとっつきやすさと実用度も加味していますので、書物そのものの評価ではありません。
評価については当面悩みそうですし、おしかりを受けそうな気もしますが、しばし迷走させてください。
なお、このコーナーに掲載するものは原則として昭和以降に出た印刷本とします。
でも、まだ欲しくても手の出せない本があるんですよね。昭和泉譜とか東亜銭志とか・・・。昭和泉譜なんか売り物はたくさんあるのですけどね・・・。
 
9月3日 【変わった錯笵】
錯笵銭が昔から好まれたのは、大英博物館に収蔵されている朽木公のコレクションから見ても十分に感じられることで、戯作銭と思しきものから出来損ないにしか見えないものが立派な御用銭と並んでいるのが微笑ましい。右は寛保期長崎銭の錯笵銭ですが、この座は比較的よく錯笵が見受けられます。
錯笵銭とひとくくりにしていますが、これには以下のものが考えられます。
偶然のエラーによって発生したもの。
②技術が未熟のために
必然的に発生してしまったもの。
③乱造などで品質管理体制がいい加減なため発生、流出が
黙認されたもの。
何らかの理由で意図的に作成したもの。
⑤コレクターを狙った
贋作
意図的・・・というと意外かもしれませんが、風水で「完璧なものには魔が潜む・・・完璧なものからは何も生まれない」という思想があるそうです。将棋の駒に王と玉があることや、京都知恩院の御影堂の左甚五郎の忘れ傘など(諸説ありますが)あえて不完全なものをつくることの表れだとも考えられます。錯笵の真贋を考えるときは、技術的にありえるか否かといったことも重要で、ありえないとなれば④か⑤しかないことになります。
右の品は通常では考えられないような錯笵ですが、長崎銭では稀にみられるもの。これができるには一度出来上がった砂笵にもう一度母銭を押し付ける2度押ししか考えられません。メカニズムとしては ①砂笵への置き直し ②型締めの作業中に上下の型ずれによる2度押しが生じた ③型締め作業中の母銭の飛び出し ④出来上がった砂笵の上に母銭を落とした(拾う時に押し付けてしまった) などが考えられます。
あるいは最初に砂笵の上にバラバラと母銭を適当に撒いてから改めて置きなおした・・・なんてこともあるかもしれません。いずれにしてもこれは通常では市場に出るべきでないレベルの錯笵と考えられます。幕末の鋳銭事業は採算がほとんど採れなかったため、合理化と称した手抜きが漫然と行われていた・・・職人の士気も低かったと思うのです。(→ 明和期鋳銭事業の謎

この長崎銭は貿易決済用のための鋳造とも言われますが、むしろ国内の存在量が多量ですし、やはり国内経済混乱の収束(銭のハイパーインフレ抑制+決済通貨不足対策)のためではないでしょうか。原料は土呂久鉱山あたり・・・叶手元祐と同じ感じで、叶手元祐の原材料の再利用や回収した古銭(叶手元祐)を鋳つぶしたのかもしれませんね。(→ 錯笵銭物語
 
9月2日 【驚くべき擬態】
本座長郭2枚にしか見えませんね。ところが左側は写しです。机の上に本座銭とともに並べているとわからなくなってしまいます。左側の長径は48.5㎜で少し小さいとはいえ右とは0.5㎜しか異なりません。(短径32.1㎜、重量22.0g)銅色、制作矛盾なし。とにかくこれだけ本座に酷似した不知品ははじめてです。
極印もやや縦長葉ながらほとんど同じですし、砂目もOK。郭内やすりは背面から4方向入るもののこれも問題なし。唯一の手がかりが銭文径でわずかに小さく41.0㎜しかありません。何より私が驚いたのはこの天保銭を不知銭と断定できた人の眼力です。この品は幣泉の落札品なのですが、一見しても本当に判りませんでした。画像を重ねてもまだ???マークが出てしまうほど。しかし、銭文径の違いは明らかです。発見の経緯と鑑識ポイントが知りたいです。
わずかに天上の輪に修正が見られますが、刔輪と言えるほどではありません。天の横引きの突起はあるいは意図的な加工かもしれません。天狗天保・・・なんてね。

【邪道派 よじれ天保】
こちらも鋳写し天保ですけど、先ほどの正統派のものとは真逆なもの。非常に面白い制作をしています。
見ての通り面背とも向かって右側の輪が太い。また面側の輪は上が細く下が太めなのに、背はその反対・・・。すなわち、この天保銭は鋳型が著しくよじれているのです。したがって輪側面の形状も、上から面から見て左側は逆台形、下から面から見て右側は台形なのです。
貼り合せの手なのか単に鋳型の合わせ目がずれたのかはわかりませんが、銅色も赤いので非常に面白いものです。ただし、銭文は全く変化がありません。
長径48.0㎜ 短径31.45㎜ 銭文径41.15㎜ 重量20.1g
ネット上で天保通寶の銭譜が高騰しています。英泉天保通寶研究分類譜の価格が10万円を超えたのは驚きですが、これは元の売価が高い限定本なのでまだしも、瓜生氏著作の當百銭カタログが2万円を超えているのはにわかに信じがたい。たしかに良い参考書ですが、過熱しすぎじゃないかしら。私が火付け元かも?
 
8月28日 【NUMISMATIC ROOM】
NUMISUMATIC ROOMの管理人さんからメールが届きました。NUMISMATICとは「貨幣学」とか「貨幣の」という意味のようです、英語の苦手な私は西洋コインは専門外。そりゃ昔はヨーマンカタログを購入したことも、大型銀貨や古代ローマコインを集めかけたこともありました。大型銀貨の魅力はたまらないものがありますが、当時の私には継続収集する資力がありませんでした。なにより、語学がついてゆかず文献が読めない。ズームイン朝でウィッキーさんが駅にいると逃げた記憶があるぐらいですから。
ところで管理人さんは熱心な文献コレクターです。私のような出典も不確かな与太話を書いておられる方ではなく、きちんと引用先もしるされております。見習わなければなりませんね。実は文献の紹介ページは密かに考えていたのですが、一足先を越されましたね。

個人的考えですが外国コインは今が買い時だと思います。私的には金貨よりむしろ銀貨で、大型のものや古代ギリシャ、ローマのものは美術的価値やロマンがあります。何より並べていて美しい。家族の理解も得られやすいし、資産価値としての安定、観賞価値もあります。
今の円高、ユーロ安を考えると絶対買いだと思うのですが・・・。ギリシャ国債は信用できないけどギリシャコインなら買いじゃないかしら!
それでヨーロッパが救えるのなら・・・なんてね。
 
8月27日 【雑魚大漁?】
軽井沢出張から戻ってきました。仕事関係の集まりでありますが、交流の場でもあります。ゲストに就任したばかりの財務省の理財局長のF氏・・・実は3年連続でお会いしています。
理財というとぴんとこないのですが、財務省には国の予算関係を司る主計局、税金関係を司る主税局などがあり、理財局は国の資産の運用管理を決める、国家の金融資産運用の要でもあるようです。
そんなどえらい人とお会いできたのですが、気取らない気さくな方でもありました。理財局は為替介入や国債の発行、諸外国の国債取引も行うので非常にHOTな立場なのですが、造幣局も担当して通貨の供給管理や記念硬貨の発行も手掛けています。F氏は最近まで海外赴任していたので、各県が記念硬貨(カラーコイン)を発行していることは全く知らなかったようです。いわく『マニアしか知らないような事業で恐縮。』とのことですが、目の前にマニアが座っておりました。しかしながら、本事業はなかなか好調のようです。さらに、復興国債を1000万円買えば1万円金貨がもらえる・・・ということでしたが、金貨をもらうための1000万円がありません。本当はギリシャ情勢のことや、通貨の量的緩和、日本の海外資産購入なども聞きたかったところですが、何分HOTすぎる立場なのでこれは聞けませんでした。
さて、旅に出る前に穴銭誌の落札品が届きました。狙い通り初値1万円以下の天保銭ばかりです。しかし、本命は不落でした。
本命はこの2枚。左は長郭手の再写し銭ということで5000円で出ていました。実は再写しと思しきものは意外に少なく、私も数枚しか持っていません。しかもこれは覆輪刔輪がはっきりしています。ポイントは天字、當字が離輪していること。もっと気合い入れて応札すればよかったと、後悔先に立たず・・・。
もうひとつが不知広郭手の厚肉母銭・・・しかも白銅だって。重さは30.6gもあるそうです。広郭手の不知銭は判別が難しいのですがこれは判りやすい。10万円という設定値もなんのその果敢にアタックしましたが・・・敗れ去りました。でも、内心ほっとしているのも事実。分厚いのが見たかったのは本音なんですけど。
高額と言う意味では細郭手の覆輪強刔輪背存痕も欲しかったけど・・・これは価格的に手が出せなかった。
結局、天保銭ばかり9枚も落ちましたが、2枚ほど4万円以上の設定値のものがあったため結構な散財です。しかしそのほとんどが英泉旧蔵品であり、不知天保通寶分類譜の原品も含まれていますので、タイトルで雑魚と失礼なことを書いてしまいましたが、本心はこたえられませんし、たまりません、やめられません。

※旅の帰りに、東京でオークションカタログの予約をしてきました。
江戸コインオークションは10月21日(日)ガーデンシティ品川で開催。
銀座コインオークションは11月17日(土)帝国ホテルで開催されます。
カタログは双方とも2000円になります。

※銀座コインで淳豊堂 吉田氏の春興というエッセイを購入しました。淳豊堂氏の文章には人柄の良さといいますか、少年のような古銭に対する愛情があふれている気がします。もっとも私は淳豊堂氏とはまったく面識はありません。勝手な妄想なのかもしれませんが、文章を読んでいてそう感じるのです。昔の古銭家のことがたくさん書かれていて、一気に読んでしまいました。
①鋳写白銅質(短俯頭辵) ②肥郭異極印
③覆輪異制背小郭 ④鋳写磨輪(異極印) 
⑤短尾通無極印(覆輪刔輪)  ⑥覆輪濶縁
⑦覆輪 面存痕 ⑧覆輪肥頭通(面鋳筋)
入手品アラカルト
すべて長郭手。一度写しのものばかりですけど、最下段の覆輪張足寶狭玉肥足寶は改造母銭からの再写しかもしれません。
②の極印は大きな円に小の字形の葉脈の桐。ものすごく目立ちます。
③は面背縦やすりで輪側は不規則な斜めやすり。狭穿気味で郭が小さく見えます。なんとなく踏潰銭を思い出してしまいます。
④と⑥は極印が非常に似ていて、全体が丸く摩耗していて半球状の桐極印なのです。子細に見ると、銅色も砂目も非常に似ていますが・・・。
⑤は覆輪で寶足が少し長く見えるので弱刔輪だと思いますが、側面の極印がありません。側面は砥石仕上げなのか角が取れて滑らかなので、あるいは盗銅摩耗で消えてしまったのかもしれません。
⑥以降は見事な覆輪銭ばかりが並びます。やや高額品(⑧と⑨)はいずれも不知天保通寶分類譜の下巻原品。なるほどそういう意味のプレミアだったのか・・・と思う次第。
⑨の変化は特に面白い。横太りで泉譜でも目立っていました。
 
⑨覆輪張足寶狭玉肥足寶
 
8月23日 【古銭相場の陰り?】
一時の狂乱が一息ついたのか、ここのところの穴銭相場が一段落気味のような気がします。(気のせいかもしれません。)少なくとも寛永銭がやや冷え込み気味かもしれません。コレクターとしては安く手に入るのはうれしいけど少し複雑な気分です。
さて、ネットで村上氏の天保通寶研究分類譜が売りに出されています。もうすでに持っているのですが、初値がなんと1200円・・・それはないでしょう。高額で購入したこちらの身としては、3~4万円ぐらいになってくれないと腹の虫がおさまらない。いや、それぐらいの価値はありますよ、これは・・・。手を出してみようかしら。
そういえば水戸遒勁のすこぶるの美品がネットに出ています。これだけ高額になると手に取ってみないとわからないけれど美しすぎちゃうのも怖いものです。誰も手を出さないのは何か理由があるのか・・・判りませんね。ただ高いからなのかもしれませんけど。
駿河もすごい・・・魅力あふれる品がぽろぽろある。えぇ~っ!草点保130000円だぁ・・・買いだ!お金ないけど!それとも天保銭バブルも収束するかな?長門手本銭らしき勁文の大様銭も迫力ありますね。

そういえばあの不知嵌郭を譲ってほしいというラブコールがありましたっけ。お譲りします。ただし、嵌郭の言われを知りたいですし真なる嵌郭を拝見したいです。次にお会いするまでしばし、ご猶予を・・・。
 
8月20日 【不知広郭手異極印】
四国のK氏から頂戴していた画像です。(ありがとうございます。)
天保通寶の不知銭の存在比率は長郭が一番多く、次いで細郭・・・広郭は最も少ないといわれます。実際には本座銭に寸分たがわずに偽装した広郭の不知銭もあるでしょうから、存在数そのものの割合は判りませんが、長郭手や細郭手のような明らかな覆輪刔輪のような特徴があるような広郭手はほとんど見たことがありません。広郭手の不知銭・・・はっきりしたものなら貴重ですよ。
画像の品は長径が48.4㎜だそうで一見、称久留米正字のような雰囲気ですが極印が全然異なります。真鍮銭に着色をしたような雰囲気もありますが、私より目の利くK氏なら見分けるでしょう。気にしていたのですが締め切りを忘れていました。手に取ってみたかったですね。
 
8月16日 【流文手の実力】
ネットに出品されていた流文手が24000円あまりで落ちました。以前、文源郷氏出品の流文手が格安で落ちていましたので、少々心配しておりましたがほぼ正当な評価になったと思います。(画像は頂いていましたが過熱を恐れて掲載していませんでした。)
ただ、少数な競り合いしか起こらなかったので流文手の人気確立までには至っていませんね。地味ですから。
これについては本来単なる鋳だまりからの変種である天狗寛永が、その判りやすい風貌からか異常人気であることと相対しています。
天狗は私も欲しい・・・でも大金を払うことに心がまだ納得しきれないのです。先日、ある方から美品の天狗をお譲り頂く話を頂きました。本心は快諾したかったのですけど・・・いつか格安で掘り出してやる・・・という野心と今月はお金使いすぎて妻に怒られるという恐怖心にかられてお断りしてしまいました。女神に後ろ髪はありませんのでこの品とはさよならです。そしてこの件が私の今後の天狗寛永購入に対する行動のスタンダードと言いますか、心の足かせになると思います。いや、反動になるかもしれませんね。一定しないな・・・言動が・・・。
流文手の特徴
目の利かない私は消去法で確認しています。
①繊字より文字がやや太く、額輪しない。もちろん、細字書体ではありません。
②通のしんにょうの頭に爪がない。
③背が狭文書体ではなく、大きい。もちろん、細字書体の交差部に切れ目のあるものはない。

それ以外にもポイントがあるそうで、白川昌三氏の意見などによると・・・
④背文の第4画の筆の打ち込みが下から入る傾向。
⑤尓後点の末端が下向き。(長い?)
⑥やや内跳寛。後足下横部が湾曲する。
⑦通頭の下横引きがわずかに右に飛び出すものあり。
②~⑤は繊字狭文の特色でもあるようです。お調べください。
上の画像では・・・
①繊字のような細字のような書体で辵頭に爪がないなぁ・・・
②細字背文の切れ目のある文ではないな・・・
③狭文かしら・・・と考えたけど、幅が広く少し大きく小文的。文の第4画の打ち込みを確認しましょう。
④尓後点、寛後足を確認・・・流文手のできあがり。こんなところでしょうか?
鑑定は難しいのですがポイントさえつかめれば理解はできます。しかし・・・地味です。試作品、手本銭説もありますが、そのわりに製作は普通銭の範疇です。(美銭も多いそうですけど)
細字と繊字狭文の中間体で、文字を細く額輪に仕上げ背文を鋳ざらったら狭文になる?変化の一過程ですね。
この他にも永点がやや下向きになるという特色もあるようです。
 
8月15日 【拾う神あり!】
ここのところはずれ続きであったのですが、久々に入札誌駿河駿河でヒット。しかもまったく期待していなかった拓本すらない品々が望外にまともな品でした。これはうれしい。
覆輪の品はいずれも堂々たるもの。左上の覆輪は製作的に類品がありそう。右上の覆輪は横太りで、重量感もたっぷり。銅色はやや白味のある青銅質。いずれも本座とは異なる極印です。(左は主葉の大きなタイプ。右はハート形に近い異形)
中段左の細郭手は赤黄色い柔らかな感じのする銅質。小ぶりで一見すると単なる鋳写しに見えますが、銭文径でわかるようにかなりの縮小率を示します。桐極印も左右不均衡で異形です。
長郭手肥郭縮形薄肉は焼けていて状態がいまひとつ・・・ふたつ。いつもなら腹が立って掲載もしないのですが今日はご機嫌なので掲載しました。やすり目も違和感があり極印もよく確認できないのでひょっとすると時代が降る可能性もあります。
最後の品は長郭手の嵌郭様・・・嵌郭の本物なら名品ですが、雰囲気的には疑問が残る品なので審議品にしました。銭文径もやや大きいのですが、これは写したものを無理やり延ばしたものか、延展された改造母銭からの写しのように見えます。本品は嵌郭というより無理やり・・・という雰囲気すらある杜撰な作なので感心しません。
よく考えると3勝2敗の成績なので、あまり自慢もできない内容ですが、1枚あたりは1万円を切るのでホクホクです。
長郭手 覆輪(異極印)
長径49.45㎜ 短径32.45㎜
銭文径41.0㎜ 重量20.9g
長郭手 覆輪厚肉(異極印)
長径49.5㎜ 短径33.0㎜
銭文径40.8㎜ 重量23.3g
細郭手 覆輪(異極印)
長径48.7㎜ 短径32.6㎜
銭文径40.3㎜ 重量21.0g
長郭手 肥郭縮形薄肉
長径48.65㎜ 短径31.95㎜
銭文径41.1㎜ 重量18.8g
 
不知長郭手嵌郭の不思議
私はまだ嵌郭のこれぞという品を見たことがありません。
①嵌郭は昭和初期にまとめて出現した。
②加賀千代太郎も売買にかかわっていたらしい。
③貫井青貨堂、小川青寶楼、大橋義春、原山一郎など当時
一流の古銭家も疑念を抱いていたが決め手に欠けた。
④大川天顕堂などの一流泉家も所有が知られている。
⑤制作、銅質にばらつきが多い。

嵌郭はもともと材質の柔らかい密鋳寛永を仕上げする際に
穿に通した棒ががたついて崩れないように補強したもの。
材料節約に反した手間なのですが、天保銭の場合は
銭体が厚く、仕上げ方法も寛永銭とは異なるので嵌郭の
意味、目的そのものが寛永銭と若干異なると思います。
私は天保銭の場合、覆輪による穿変形の防止とやすり矯正
に備えた(郭幅を擦切らないように考えた)嵌郭だと考えて
います。したがってこのような硬そうな材質で覆輪もない銭
に果たして嵌郭を行う意味はあったのか・・・。
この品は贋作でしょうね。本物を見てみたいです。
長郭手 嵌郭様(贋作?)
長径48.2㎜ 短径31.4㎜
銭文径41.35㎜ 重量17.9g
 
 
8月9日 【白いもの到来!】
関西のSさんから楽しい品物が送られてきました。いずれも過去記事に登場したもので、ひとつは7月30日に紹介した寛文期亀戸銭の正字背文の純白銅銭、ひとつは8月6日の白い薩摩広郭です。私が見たい・・・と思っていた(既述した)ことを察知して気遣ってくださいました。(ありがとうございます。)
まずは寛文期亀戸銭の正字背文の純白銅銭・・・いやぁ、想像はしてましたが真っ白です。今まで見てきたいずれの文銭の白さに勝るとも劣らない品物です。磨かれたような表面のてかりは感じられますが不自然ではありません。文字も実に繊細で材質的にも繊字系の白銅系母銭の雰囲気です。もちろん、着色、メッキの類ではありませんし、磁性もない。材質そのものが純白(わずかに黄色みが残る程度)なのです。これで正字背文にも純白のものがあることが個人的に確認できました。素晴らしいです!
正字の白銅銭というものが市場に出てくるとおおむね2000円から1万円という幅のある価格帯で取引されていることが多いようです。白さの程度判断はあくまでも個人の好みで、それにより価格は異なりますが、原品を見るとこれは最高位にあると言えます。希少度合いから見たらでお金を払っても手に入るものではないと思います。妥当な市場相場としては3万円以上・・・5万円でも欲しい人は出てくるでしょう。いやいや、良いものを拝見できました。
寛文期亀戸銭正字背文純白銅銭
外径24.7㎜ 内径20.4㎜ 重量3.6g
もうひとつの天保銭・・・光沢のある先の文銭と異なりこいつはやや濁った灰白色をしています。そして若干軽い。ス穴があるところからみて地の部分は薄くできています。側面は角が立つ嫌な感じがしてこの点は5月の入手品と同じであり、多いに問題です。
肉眼確認ができなかったのでルーペで確認すると、染め残しもあってメッキと判断できました。
わざと欠けがあるものを選び中まで白銅であることを見せる演出をしたようで手が込んでいます。メッキ前に銭体を磨いたことで不規則な傷が縁などに観察できます。
色はやや不自然ながら手が込んでいてよくできていると思います。古色めいた色もありオークションに出てくるものもこの類の贋作でしょう。おかげで過去の所有品が贋作であろうことがかなり濃厚になってきました。ただし、5月の品は贋作とする決定打がかろうじてありません。(製作や色調が異なるので・・・)
もう少し夢を見ていることにしましょう。
 
8月7日 【お詫び】
ご投稿いただいたものを、自分勝手に理解して掲載しているとときに大変な間違いをしてしまうことがあります。
九州のKさんからご投稿いただいた深字破寛背玉持ち入文の記事ですが・・・
①一般的な深字破寛は玉持ち入文になるのが通常で、存在としてはこの方が多い。
②K氏の投稿は玉持ち入文ではなく、本体に当たる
正文体
についてでした。これが少ないそうです。
投稿内容をよく確認しないで掲載したため九州のK氏、四国のK氏ともに不快な思いをさせてしまいました。深くお詫び申し上げます。(7月30日記事は一部修正しました。)
このようなブログ形式で記事を書いていると、深く考えず記述して舌禍といいますか筆禍になってしまうことがあります。知らずに人を傷つけることになってしまうことは絶対に避けなければならないのですけど人間ができていないのでたびたび失敗もあります。私も心傷ついたことがあるので注意はしていましたが真に申し訳ないことです。とはいえ懲りないといいますか立ち直りが早いのも私の特徴です。これからも失敗はあると思いますし、すべて許されるとは思っていませんが温かい目でご容赦ください。
九州のK氏からは正字背勁文円頭辵A・Bについての大きな画像も頂戴しました。この記事は横浜古泉研究会の古銭にも掲載されていますが、私もどこかに掲載していたな・・・と思いだし調べて見ましたら、2010年の10月31日の制作日記に記事掲載していました。お詫びに大画面画像サービスをしたいところなのですがHP容量の関係でできません。記事が埋もれないように本文などにもリンクを張りますのでご容赦ください。
また、平安通寶通辵接星(仮称)の記事もいただいています。ありがとうございました。


※これに懲りず、ご投稿は歓迎します。気づいたこと、気になることなんでもOKです。私は井の中の蛙ですから。ただし、掲載はきまぐれかもしれません。お許しください。
 
8月6日 【逃した獲物?】
オリンピック観戦と仕事にかまけて、ネットへの注視をおざなりにしていたため逃した獲物ふたつ。上右は妙に気になる日光正字。6枚組で出ていてこれだけ飛びぬけて大きく見えて美しい。また、いわくありげに紙紙縒りや糸札なんかついていて・・・。だいたい日光正字なんて鋳だまりの有無が話題になるほど浅字で製作が悪いものです。ひょっとして母銭?・・・たしか母銭なら50万円ぐらいしたんじゃないかしらとその気になりかけていながら締め切り時間を忘れてました。1万5000円ぐらいまで上がっていましたので同じ夢をみた方がいらっしゃるようで・・・。ただ、画像上加工すると内径はほぼ同じでして、母銭と言うより非常に出来の良い初出クラスの品ということで落ちつくかもしれません。まぁ、これだけきれいだと3000円ぐらい払っても良いかな・・・と思う次第。
そういえば非常に気になる日光正字を私も保有していますのでそのうち画像でもう一度出しましょうか。
銅質がやや青白いもので郭内にやすり加工があります。ただ、その加工がとてもへたくそに見えますので気に入らず、単なる母銭様としてアルバムに放り込んであります。とりあえず改造母銭かなぁ・・・と思い、HPにも掲載していますがどうにもよく分かりません。

さて、右上は天保通寶薩摩広郭白銅の名前で出ていたもの。こちらも15000円ぐらいで落ちていました。入札していてこちらも締め切りを忘れていました。この手のものはメッキが多いのですが、こいつはとても気になる特徴があります。それが背の鋳不足。
5月3日の記事にあるものと似た特色なのです。いまだに真贋は判らないもののこの特色は気になる。それは技術的なものと言うより、金属的な性質からくる欠けに思えるからです・・・錫はもろいのです。
あまりに白い白銅銭はニセ・・・という言葉も聞くものの、古来から薩摩の白銅は有名です。したがって純白があったっておかしくないと夢見ています。そうやって騙されるんですよね・・・。

四国のKさんから頂戴した画像・・・細字背文の大様と細字流文手などがまだそのままです。
流文手は私も2枚ほど手持ちあるので、拡大画像での比較をやろう・・・と考えているもののなかなか手につきません。本当は中級者のための文銭講座やろうと思っているのですけどね・・・最近どうも億劫です。8月に入って古銭に対してちょっとうつ気味ですね。疲れてます。
 
7月30日 【寛永投稿2題+】
寛永銭マニアも健在でして、四国のK氏と関西のS氏から相次いでご投稿いただきました。ありがとうございます。
関西のS氏からはないだろうと思われていた純白の正字背文との遭遇のご報告。画像以上に純白と言うことでして、なるほど・・・これは美人顔です。一度拝見したいものです。
(外径24.68㎜、内径20.4㎜)

なお、仙人からメールを頂戴し、26日の秋田細郭の母銭がかなり良い線だとの情報も・・・。黄色い母銭は民間には皆無に近いそうで(仙人はお持ちだそうです。)これが本物なら真夏の世の夢物語です。出てくるんですね・・・まだ、こんなものが。
 
7月29日 
【兵庫津遺跡から出土した鋳放し天保の記録】
問題の天保銭の拓図です。特徴的なものの拓で、小町銭(穴が塞がったもの)で湯道が残っているもの、わずかに穴が貫通しているもの、鋳ばりがたくさんついているもの・・・です。鋳ばりは背側に集中していますので、やはり片見切り製法でしょうか?それにしてもこんな鋳ばりができるものなのでしょうか・・・とくに穿内の塞がりは異常かもしれません。書体的には称:久留米系あるいは土佐系に近いのですがこれだけではわかりません。銅質は鉛が多い青銅ならばやや赤黒くなるはずですので、久留米かしら。
ただ、鋳造道具などは出土しておらず、銭だけが発見されていることが不思議です。
さて、この断片的な資料だけで無謀な推測をすると・・・。
まずはこの天保はどう見ても本座じゃない。このずんぐりむっくり銭形は変です。この不完全な品がなぜ、鋳銭道具などがない状態で出てきたのか・・・。見つかればお取り潰し必至の罪業なので隠すために捨てたとすれば相当あわてています。少なくとも通常廃棄ではない。鋳銭場は別の場所にあると思いますし、鋳銭道具も出ていないし廃棄とは異なる・・・とやはり思います。
可能性としては何かの祈願のため捨てた・・・ということも考えられます。銭はあえて不完全なものが選ばれたのかもしれません。完全なものには魔が宿るといいますか、縁起が悪いと考えられたとも・・・考えすぎなのかもしれませんが、邪を払う方位学的なまじないとしては十分考えられると思うのです。発見された場所は真光寺というお寺の堀で、遺棄された当時も水があったと考えられます。意図的な廃棄であればできそこないであるし、見つかりづらい場所でもあります。邪の侵入する鬼門の方角は北東、裏鬼門は南西です。
地図を見るとどうも遺棄現場は真光寺の北東に見えますが、定かではありません。兵庫津付近はいわゆる天領でしたが、寺社の集中していた地域でもあり、町屋もたくさんあったと思われます。大名屋敷で鋳銭をしていた例もいくらでもありますし、ひょっとして寺院がその片棒を担いだなんてこともあり得ます。しかし、推測はここまで・・・あくまでも憶測ですね。

兵庫津遺跡第26次調査出土の天保通寶について  2006.2.4 神戸市教育委員会 阿部功(発表資料要約)
兵庫津遺跡は、神戸市兵庫区南部のJR兵庫駅東側からJR和田岬駅付近にかけての広範囲に存在する、
兵庫の港と港町を中心とする遺跡である。兵庫の港は、古くは「大輪田泊・輪田泊」と呼ばれ、瀬戸内海航海路の基幹港として栄えた。(中略)その後、平清盛の大修築により日宋貿易の拠点として繁栄した。中世には兵庫津と呼ばれるようになり大地震や大火などの災害に遭いながらも、流通経済の重要地として発展した。(中略)近世には幕府の宿駅指定を受け、西国街道も兵庫へ迂回するようになる。その後、兵庫は尼崎藩領を経て、再び幕府直轄領となり、幕末には兵庫(神戸)開港を迎えている。(中略)

平成13年度に実施した共同住宅建設に伴う発掘調査で、、調査地は
真光寺の北側に位置する。真光寺は西月真光寺と号し、時宗総本山清浄光寺(神奈川県藤沢市)の末寺である。(中略)『元禄兵庫津絵図』(元禄9年)などには寺域の範囲が広く描かれており、今回の調査地が真光寺境内に含まれるものと推定された。発掘調査の結果、護岸に石積みをした濠が検出された。この濠は形状が『元禄兵庫津絵図』と合致し、真光寺旧境内地を巡る濠であることが確認された。幅は南側で3.2m、中央部で3.1m、深さは検出面から0.85mから1.28mで北側に行くほど深くなっている。底部からは常に湧水があり、水を湛えた状態であったと考えられる。(中略)埋土中からは近世後期~近代にかけての陶磁器、土師器、瓦。下駄、曲物などの木製品、五輪塔、石仏などの石造物、銅銭などが多量に出土した。多くは18世紀~19世紀前半にかけてのもので、陶磁器、瓦が大半を占める。(中略)

天保通寶出土地点は、
真光寺境内地の北東角にあたるコーナー部分内側の角付近から、南へ約2.5mの濠の中央から、やや西側の地点である。上層にはガラス片等を含む近代以降の堆積層が存在し、この下層から8枚が2つに分かれ、重なった形で出土した。出土位置は、検出面からの深さ20cmである。周辺からこれら天保通寶に関連するものと確認されるものは検出されなかった。
8点の天保通寶は、周囲や中央の方孔部に鋳造時の
鋳バリが残されていた状態であった。いずれの天保通寶にも枝銭から切り離された堰の部分のバリが遺存するが、全て文字の下方に位置し、バリが右下方に位置するものと、左下方に位置するものが各4枚ずつ存在する。鋳造時に種銭は上部を外側に向けて配置されていたことが推定される。銭文径はほぼ4.1cmである。
各製造地との比較データ取得を目的として、日墓の成分分析を実施した。この結果、銅の含有量が多、重量%も通常の青銅(70~80%)に対して高いことから、良質な銅合金で、
鉛の重量比が5.5~18%と高く、錫の値の低いもので、「鉛青銅」と呼称される合金に近いものであることが判明した。(中略)
天保通寶の出土時の状況では、鋳造に関する遺物の出土は確認されなかった。しかし、SD01(注:発掘ポイント名)からの出土遺物は膨大な量であり、その出土遺物は依然として未整理の状況である。今後、整理作業の進捗と各地の天保通寶の比較データの対比を含めて、今回出土した天保通寶の性格を明らかにしてゆきたいと思う。

以上が概要です。付随して8枚の拓本や出土位置などが記されています。
これを読むとやはり出土地点は真光寺の鬼門の位置にあり、何らかの意図をもって投棄されたものという印象を強くしました。拓本だけでは何の銭種かはわからないものの、印象的には土佐藩額輪になんとなく近いような気がします。時代は間違いなく幕末から明治にかけてのものでしょうが、真贋については判りません。どなたか、お気づきの点がありましたらご教授ください。
 
7月28日 【兵庫津遺跡から出土した鋳放し天保の記録】
兵庫県のN氏から2006年の出土銭貨報告会の資料を頂戴しました。この資料はあくまでも学術的な側面からの発表でいわゆる古銭学的なものは入っていないのですが、非常に興味深い。
概略としては兵庫県の神戸港近くの「兵庫津遺跡」から、鋳ばりのついた8枚の天保通寶が出たというものです。(阿部功氏の発表)この兵庫津遺跡はWEBで調べると民間にも発掘解放されているらしいのですが、この調査発表はきちんとした学術調査に基づくものらしいのです。
古銭研究家による発表ではなさそうなので、重量や大きさなどの情報が不足していますが、ほぼ原寸大と思われる拓図が載っています。それらと断片的な資料を合わせて検証をすると・・・
①見た目は本座広郭に近い書体。
②鉛分が5.5~18%、錫の少ないの鉛青銅であること。
③銭文径は約4.1㎜であること。
④湯道が左下または右下側に見て取られること。
⑤鋳放しであり、数枚は穿が塞がった小町銭であること。
⑥拓で見る限りやや細縁で寶足が離輪しているように見えること。
⑦拓で見る限り長径に比べ短径の幅が広く、いわゆるずんぐりむっくりの銭形であること。
などが見て取れます。(続く・・・)
 
7月26日 【狂乱の天保銭戦争】
ネット上に現れた2枚の天保銭に対し、青天井の戦いが勃発しています。左は天保の本座母銭で購入したものだということですが、どうみても秋田細郭の書体でサイズも50㎜近く母銭サイズ。地金も全く異なります。あとは真贋の問題なのですが、これは私には手におえないものということであきらめています。競りで20万円を超えたのでかなり突っ走るでしょう。(207000円)秋田の母銭は天然の白銅銭と言うことは聞いていますし、「銭の道」に白銀の母銭が載っていてこれとは雰囲気がまるで異なるのが気になります。他方、秋田母銭には白いものと黄色いタイプがあると聞いたこともありますので、本物ならこれは黄色い方のタイプでしょうか?どなたか真贋をお教えください。

右側は仙台大濶縁と見まごうばかりの会津濶縁(未使用級)です。しかし、この濶縁の幅はみごと・・・多分チャンピオンじゃないかしら。途中まで追いかけましたがもう力尽きました。10万円を突破した模様で、こうなると資力と意地の勝負ですね。(148000円!)
名品であることは間違いありませんが、ここまで競られるとは思いもよりませんでした。
一般に会津濶縁の輪幅の広いものは再覆輪という名称がつけられていますが、雰囲気的には2度の覆輪と言うより、たっぷり覆輪したうえで延展されたような雰囲気・・・工程の途中で強く圧力がかかったような感じがあります。大きさの割に肉薄軽量でこの覆輪の技術は会津濶縁、仙台大濶縁、水戸遒勁になんとなく似ている気がします。
まだ詳しく読んでいないのですが金局公用記に石ノ巻藩の天保銭に関する記述があるようなので、何かヒントになるようなものはないか、ちょっと期待しているのです・・・が、古文書のわからない私には非常に難読で困っています。

※会津の軍用金のときもそうでしたが、今回も出品物のほとんどが会津短貝寶というのがすさまじい。しかし過熱ぶりもすごく、短貝寶が8000円台で落札している。この価格は異常です。出品者はうはうはでしょう。
 
7月25日 【取済印銭について】
取済印銭(とりすましいんせん:とりずみいんせん)については以前も調べていたことがありましたが、穴銭堂増尾氏の銭幣にも記事が掲載されていました。この取済銭は天和3年の寛永文銭の鋳造停止の際につくられたもので、藤原貞幹の天明7年本、寛政4年本、寛政7年本、(珍貨堂芳川)維堅本にも掲載されているそうで、さらに宇野宗明直筆と伝わる
化蝶類苑にもその拓があるそうです。化蝶類苑はやはり宗明が丹波福知山公のために書いた化蝶類苑(献上本)をもとに宗明が分類したもので、化蝶類苑にはない豊富に拓図が載っているもの。古銭研究家の宗明からこの銭が伝わるとすれば、貨幣22年4月号に書かれた贋作説は否定されるかもしれません。(長八による漆盛贋作説:2011年5月15日の制作日記に記載)ただし、いずれにしてもこれは記念銭的なものであり、古くから知られているので贋作も多いと思います。取済の意味は鋳造停止のことであり、背の文字は行書で取済の文字を逆置、裏文字にしており、穿下に星があります。裏文字になったのは印を押したから・・・というのが俗説のようです。
※さて、その貨幣22年4月号を探し始めたのですがどこにあるのか行方不明です。困りました。と、おもったら収集7月号に文源郷氏が記事も書いていました。
 
7月24日 【文献のおまけ】
文献を購入した相手の方が、たまたま出土銭貨研究会に関係する方らしく、兵庫県兵庫津遺跡から出土したバリ付の天保通寶8枚の資料を頂戴できることになりました。ありがたいですね。兵庫津を調べたら幕府の天領のようで、この出土銭がもし幕府方のものならば難波銭座のものか(それにしては離れすぎています。)あるいは、不知銭で大名屋敷でつくられた密鋳銭なのか・・・わくわくします。
そういえばネットにまた変なものがぞろぞろ出てきました。画像を出したいのですがしばらく我慢。なかなかやめられません・・・金欠なのに・・・。

雑銭の会にはなかなか出られませんが、ときどきある書き込み・・・暴々鶏氏や天保仙人のお話が面白い。キリシタンのアイテム、O氏、ラムスデンの作品・・・知りたいです。やはり古泉会に出ないとだめだとつくづく感じます。目下、井の中の蛙になっています。干上がりそうです。

※穴銭堂 増尾富房氏の銭幣をいくつか入手しました。増尾氏は昭和44年から銭貨という研究入札誌を主宰していて、途中中断した後銭幣と体裁を変えて、方泉處に移籍する平成4年まで続きました。この銭幣のすごいところは毎号のように数々の挿話があること。ときには昔の銭譜の転載記事もあるのですが、古銭書はなかなか入手が難しいこともあり、これが当時は相当に役立ったと思われます。
古銭愛好家を育てる・・・ことは、古くは下間寅之助が「古銭」行ったことであり、その後は小川青寶楼が模倣追随し、天保堂瓜生有伸氏がその後を独自路線で継承しています。この作業はなかなか大変なことで、とくに出版はなかなか収益が上がらず、多くの古銭家を経済的に苦しめる結果になっています。増尾氏も例にもれず、晩年はかなり金銭的に行き詰まったようです。
しかしながら、こうしてつくられた彼の労作を見る限り、古泉家としての志の高さ、目の確かさを私は感じます。金銭的に迷惑を被った方々の話を間接的に聞くと、手放しでの賞賛はできないのかもしれませんが、このまま歴史の流れに埋もれてしまうのは少々惜しい気がします。
今回入手した銭幣はほんの数冊ですが、いちど全巻を通じて目を通してみたいものです。日本貨幣協会の貨幣、天保堂の月刊天保銭を含み、どなたか復刻版を出してくださらないかしら・・・。
 
7月23日 【文献購入】
お金がない・・・と言う時に私はよく本を買ってしまいます。文献には夢があり、知識の泉があるのです・・・と、自分に言い訳しています。購入したのは金局公用誌と鋳貨図録で、前者は石ノ巻の鋳銭関係の資料、後者は佐野英山による鋳造過程の説明図・・・実は中身が分かって買っているのではないので購入してがっかり・・・ということもありえます。お金がないという割には高額な資料でして、一度読んでみたいという欲求が理性を上回ってしまった結果です。佐野英山と言えば大正~昭和にかけた大コレクターであり、ブローカーであり、古銭界の功労者でもあり、ちょっときな臭い香りも有する人物。文献出版が非常に多いと聞いてはいるものの、英山の出版物をそのもの見るのは初めてです。CCFには行けなかったし、少し古銭熱を冷やす意味では良い時期・・・な、わけありませんかね。

※いろいろな意味で私の周りが騒がしいです。まず、例によってイベント屋的な生活がはじまりましたし、わが町で大きな傷害事件が発生したので警察や報道機関が騒がしい。さらにまったく別件で今日は報道からの予備取材を受けました。事件に関与した建物がすぐ近くにあるため、警察が24時間体制で我が家の周りをうろうろ監視しています。治安的には安全なんですけど、落ち着きません。

※大和文庫のあとがきに、天保銭が人気なんて書かれてしまいましたが、おそらく私も噛んでいるに間違いない。嬉しいような悲しいような・・・天保仙人がくすくす笑っているかな。私は何にでも食らいつくダボハゼ状態ですから。
まもなくアクセスカウンターが36万人を突破しそうです。35万人が6月末ですから閲覧の上乗せスピードが過去最高に上がってきました。その割に大した情報提供ができてなくて申し訳ないです。
 
7月18日 【薩摩広郭写】
インターネットで薩摩広郭の写しだろうということで落としました。この手の類は往々にして焼けた品や真鍮銭の類のことが多いのですが、実見した結果薩摩広郭(たぶん深字)の写しで間違いないことが判りました。側面はやや滑らかですが、近代やすりではないようです。穿内は鋳放しで。砂目が残り、鋳バリをタガネで落とした痕跡がはっきり残っていますし、右上には湯道の痕跡らしきものも感じられます。
長径48.2㎜、短径32.2㎜と磨輪形状ながら、重量は21.4g、としっかりあります。不知銭で良いと思いますが無極印ですので時代的にはかなり降る感じがします。
銭文径は41.2㎜・・・本座銭と同じですけど、薩摩の写しですから十分に縮小していると考えられます。画像にするとおもちゃ的・・・実物もややそんな感じ。しかし現物は古い鋳造品です。まぁ、こんなものがあってもおかしくない・・・と言う例ですね。
※ひとめ真鍮質銭風・・・側面のやすり目は古い和やすりの目です。色的には明和期四文の色。微妙かなぁ?やはりおもちゃみたい。
 
7月17日 【明和期俯永背刔輪?】
南の旅から帰った日の深夜、四国のK氏からまことに不思議な画像を頂戴しました。(ありがとうございます!)明和期の俯永で背のみ刔輪」されているもの・・・ということなのです。明和期には超珍品として俯永の面背刔輪があります。ただし、この俯永面背刔輪は発表者にあまりよくない噂があり、珍品でありながら疑問視されてきた経緯もあります。ところがほぼ同じ品を仙台古泉会のH氏から拝見させていただいた結果、少なくとも私の頭の中からは贋作説は消し飛んでしまいました。
さて、問題の品です。全体に火をかぶったような風貌で状態はいまひとつなのですが、背の内径が22.1㎜(面内径21.2㎜)
とりあえず手持ちの背削波と画像を比較してみました。画像は大きさを調整してありますが、100%合致しているわけではありませんが参考になると思います。
全体の印象はたしかに背・・・とくにずれている関係で輪上部が細く感じます。
ついで半切り画像であわせました。
面はほぼ文字位置は同じ。それに比べて背の輪の内径が大きくずれています。実測値ではいわゆる背削波(背景白のもの)の背内径が21.3㎜なので0.8㎜もずれています。
やはり新発見か・・・そんな高まりが心を占めてきました・・・しかし、画像を重ねていてどうも腑に落ちないところがあるのです。波の位置を重ねようしてもどうも微妙に位置関係が重ならないのです。具体的に言うと、穿上の波と穿直下の波の間の幅が刔輪変化であるのならほぼ同じ位置関係でなければいけないのですが、提供いただいたものの方が若干広いのです。(上部波が上がり、下部波が降る。)なんとか合致点を探そうと試行錯誤したのですが、その結果が下の内輪位置ばかりが極端にずれた合成画像になってしまいました。これは私にとってもとても違和感のあるもので、これでは背の原型が刔輪変化でなく全く違うものであると判断せざるを得ないのです。あるいは倍率調整に誤りがあるのかもしれません。念のため横切り画像もあわせてみたのですが、不思議なことにこちらは若干の差があるもののほぼ合致する画像ができました。以上の結果+面内径も若干大きいことを加味すると、現時点の判断は
焼け伸びなどによる変形に多少の鋳造時の笵ずれが合わさった可能性が高いと考えました。
もちろん、画像はあくまでも参考でしかないものなので、新発見の可能性は残ります。

そこで、数少ない私のHPの閲覧者の方々へお願いです。
明和期の俯永で背の内径が22㎜を超えるものをお持ちの方・・・ぜひご一報ください。通常品の背内径は21.5㎜以下だと思います。古くは明和期亀戸銭の大様降通が、近年まで誰にも気づかれずに存在していたという例もありましたので、このような雑銭から気づかない新しい発見が生まれるかもしれません。
 
7月11日 【骨のある戦い】
骨唐国は誰も行かなきゃいったろうか・・・なんて考えていましたが、心配は無用でした。12万円を超える戦い・・・すごいです。数量的に考えればこの存在はおそらく皇朝十二銭なんて目じゃないほど少ないと思います。銭譜の評価で30万以上(本邦鐚銭図譜)でしたし、はじめてカラー画像で拝見した存在でした。鐚マニア垂涎の逸品でしょうね。とにかくないと思います。
しかし、ほんとうに枯れた、みすぼらしいお金です。このことを知らなければ10円でも(道に落ちていても)誰も拾わないでしょうね。
狙っていた方にとってはHPに書いて、悪いことしちゃったかしら。すみません。
 
7月10日 【本座規格外銭】
安価落札品が到着。天保銭の不知長郭手覆輪というやつ。コインのケースを見た瞬間、某コイン商のものらしいと判断。ホチキスを外した痕跡があるのであてにならないのですが、フィルムに残った痕跡から中に入っていたものと同じと判断しました。しかし、第一印象はあまり良くなくて、制作、砂目、色とも本座にしか見えません。長径は49.2㎜、短径は32.5㎜と見事に本座。郭は背面から4方向ともやすりが入っていますが、不知銭の決め手にならない。そして、銭文径は・・・悲しいことに41.5㎜でこれも本座。はずれでした。
しかし・・・重量を量ると22.7gあるではないですか。これは本座の規定外重量です。また側面の極印は左側が2ヶ打ちです。これで何とか機嫌が直りました。投資額は3000円未満なのでこれは文句は言えませんね。

※天保銭事典などに本座の天保銭の規定重量が掲載されていますが、しばしば規格外の天保銭が見つかります。なかには当然不知銭もあると思いますが決め手がありません。私の所有品では広郭では25.6g、短径33.1㎜のものが極め付けです。今回の長郭もわずかながら記録更新。はたしてどこまで重いものがあるのでしょうか?

※長郭の制作年代が最も古い・・・というのは間違いかも・・・。もちろん、長郭の出現は最も古い方であることには間違いありませんが、長郭の母銭が結構後まで使われていた可能性があるのです。誰かに聞いた話・・・多分仙人・・・ですけど、本物の本座の枝銭に色々な書体が混じってついていたのを見た・・・という話しの記憶があります。だから幕末の長郭だってあるかもしれません。ならば規格外もあり得る。あるいは初期銭なら過重量銭はあるかもしれません。それでももし、長郭で24gを超えたら事件です。


※オークションで骨唐国が出ています。真贋は判りませんが、これは鐚界の王者でないかしら。近年の舶載でも全く入ってこなかった大珍品のはずです。とりあえず画像はもらっておきましょう。
 
7月9日 【白い恋人・天狗の誘惑】
ネットに白銅質の細郭手不知天保が出ています削頭天という名称ではピンときませんが、背を見ればマニアは一目瞭然。面細郭、背長郭なのです。いわゆる貼り合せの手なのですが、なぜこんな手の込んだものを作ったのかが不思議です。
こんな変わり者なのに市場の評価は意外に低く、(存在数も比較的みられるのですが)意識しないで入手していることもあるかもしれません。実際に不知天保銭分類譜にも、類品がごろごろ隠れています・・・探してみてください。
さてこの品、制作に貼り合せ技法以外にもある特徴があります。鋳肌です。以前にも書いたかもしれませんがぬめぬめした砂目を感じさせない肌なのですね。これには粘土質の焼型、あるいは石膏型のようなイメージが浮かんでしまいます。金質もいろいろあるようで赤っぽいもの、真鍮色に近いもの、本座に近い黄土色、そして今回の白銅です。(白銅ははじめて見ました。)
極印もいい加減なのでイメージとしては時代が降る可能性もあるのですが(そのため人気が今一つ)、今回の品は私の好きな白銅質でもあり、背の濶縁ぶりもしっかりしていて食指が動いてしまいます。しか~し、ここに私が書いているように半分あきらめ気分・・・なぜなら強力なライバルがすでに宣戦布告しているからです。無条件降伏するのもつらいのですが、勝ち目は皆無に等しいかも・・・。きれいな天狗寛永も出ておりますし、銭戦離脱も致し方なしでしょうか?どうしよう?

※面細郭・背長郭はあるのに、なぜかその逆パターンの存在を私は知りません。気づかれていないだけかもしれませんね。

※四国のK氏から私も気づかなかった永楽の鐚銭争のニュースが送られていました。どうも流永らしきものがあるらしい・・・とのことですが、私が目を皿の様にして画像を眺めても何が何だかよく分かりません。達人たちはその微細変化を嗅覚で嗅ぎ取るのでしょうが、80枚ほどの永楽にこれほど投資ができるとは天晴な勇気ですね。すごいです。(わかる方、見方を教えてください。)
 
7月7日 【兄弟銭の秋田小様の中様】
鉄人から画像を頂戴しました。(ありがとうございます。)撮影時の光量不足で・・・ということで、若干色合い調整に挑戦したのですが、不自然さが否めずやむなく元の収集画像を使用させていただきました。(鉄人、力量不足ですみません。)
さて、これはいわゆる秋田小様です。ネットに出ていた時の名称が中様タイプでしたので、出品者は私のサイトを見てくださっていた方でしょうか。ありがたいことです。
実はこの天保には私のサイトに載っているものと同じ特徴が一つあります。背面の右輪にポチンと穴が開いているのです。そういわれれば背輪のずれ具合も似ていますし、兄弟銭かもしれませんね。ご指摘いただいたのはもちろん投稿者の鉄人。よく見ていらっしゃいます。
サイズは47.66㎜と、秋田小様としてはビッグサイズですが、これもまた1種だと私は思っていますし、落札価格の3万円台はラッキーな価格です。鉄人は最小クラス(45㎜台)の秋田小様を持っているそうで、うらやましい限りです。私も願わくば45㎜クラス最小様もしくは48㎜クラスの秋田小様の大様が欲しいものです。
→ 改造銭物産展
 
7月3日 【見逃した者たち】
ネットを徘徊しているとついふらふら欲しくなるものがあるようで・・・(画像借用お許しください。)
下左は近藤守重(正斎)が著した金銀図録の現代復刻版(昭和45年)です。最近は中国版の海賊版銭譜が横行し始めていますが、著作権の問題はあるものの趣味普及と言う意味では復刻ならありかな・・・とも感じます。先ほど島銭分類譜の中国版を見つけてびっくりしました。
近藤守重の偉業に敬意を表して表敬応札しましたがやはり負けました。もちろん勝つ気はあまりなかったのですけど・・・。
下右は本座細郭の名前で出ていた不知細郭手容弱です。すでに美品を保有していますのでとりあえず応札しますが追いかけませんでした。2万円台の価格はお買い得でしょうね。行けばよかった?
金局公用記という鋳銭に関する資料が大和文庫にしばらく出ていまして、どうしようか迷っていたら最近売れてしまいました。この世界、躊躇したらだめですね。でも図のない古文書だったら読めないし・・・文献としては良い値ですので迷いますよね。古事類苑もどうしようかな・・・多分読めないだろうな。と、いうわけでしばらく節約生活します。

※以前も書きましたが、古銭の文献は日本貨幣教会が一元管理すればよいと思います。簡易版でも良いので普及すればすそ野が広がります。版権無視でやりたい放題の中国版は考え物ですけど、収集界に広がりが生まれる効果はあると思います。と、まぁ、勝手な画像借用をしている私が言っても説得力ないかしら。
 
7月2日 【古寛永大型銭】
大和文庫に沓谷大型銭正足寶という名称で19万円で出ています。値段も良いのですがこれがまたなかなかの面構えで(買えないものの)お気に入りの画像になりました。大きさは26.49㎜あるそうで、古寛永銭としての標準サイズを2㎜ぐらい上回ります。古寛永には大様銭が存在しますが、多くのものは覆輪で大様になっているようで、濶縁ぶりばかりに目が行ってしまいます。画像の品は銭としてのバランスがとても良いのでまさに大型銭です。理論的にはこれを3回以上写さないと通用銭サイズにはなりません。(下記の参考計算式をご参照ください。)すなわちこれは新寛永で言う錫母以上・・・つまり原母銭級のサイズなのです。魅力的なわけです。
銭径を26.5㎜、銅の凝固収縮率を1.698%とすると・・・(詳しくは天保通寶覆輪刔輪マニアック講座の中に記してあります。)
26.5×(1-1.698)/100≒26.1 ・・・ まだまだ大きい。
26.1×(1-1.698)/100≒25.6 ・・・ まだだめ!
25.6×(1-1.698)/100≒25.2 ・・・ 母銭級サイズながら磨輪すればやっと大ぶりの通用銭。
 
6月30日 【ぎりぎり?・・・でも立派な不知銭】
ほとんど競争の起きなかった天保通寶が郵便事故に遭いかけながら、我が家に到着しました。日光のもとで見た第一感・・・すごく変な色、真鍮色っぽい。輪幅はやはり広い。製作・・・若干肌が粗いもののほぼ本座。極印・・・これは本座以上に本座、本格的。穿内・・・粗い鋳肌がほぼ残り、やすり痕跡ほとんどいなし。書体変化・・・ほぼなし、背當上などに加刀痕跡。結論から言うと不知銭に間違いないのですが、決定的な特徴にかけます。銭径・銭文径も大き目(49.45㎜、40.95㎜)で、天保銭事典の濶縁銭(本座の輪幅が広いもの)とほとんど遜色ない堂々としたものです。疑心暗鬼の私は、結局拡大半切り画像を重ねあわせてようやく納得できた次第。これで磨輪されたらまず気が付かないでしょう。なかでも極印は見事な小桐タイプです。(覆輪銭としては立派ですよ。)
実はもう1枚、真っ黒な細郭手を落としておりまして、これも特徴のない鋳写しタイプ。ただ、こちらは銭文径が40.7㎜なのですぐに納得できます。ここのところの狂乱不知銭価格に比べるといずれも格安。5000円以下の品。でも、こんな不知銭相場があっても良いと思うのです。
キュリオマガジン7月号の石川氏との対談で、画像の補正のお話が出ていました。位置補正はともかく実のところ私はそんなに色調補正はしていません。理由・・・めんどうだから・・・失礼。しかし、最近買ったスキャナー(プリンター付)の色は本当に悪い。自動補正するとどぎつくなるし、微調整があまりきかない。今までそのまま載せていましたが細部が良く見えないし、くすんで見えるのがずっと気になっていました。(左側)
画像があまりに気に入らない時は、色調補正を手作業で行うこともあったのですが、どうもうまくいっておりませんでした。本日、いろいろいじっていたら光源調整を行うと簡単に見やすくなることを発見しました。(右側)
コントラストが強調されるので若干古銭はてかって見えますが今までよりはずいぶんましです。上の画像のように手作業の色調補正方が色の再現性はよくなりますが、付属の安物ツールでやってますので大変なのです。それにくすみの問題は解決しません。(色調やくすみは背景の色によって異なります。)この発見は使える!
※別の天保銭(細郭手異書体)で試したら、まったくだめでした。銅色が赤くなりすぎます。この苦悩はもうしばらく続きそうです。
6月28日 【おまけの話題:島銭について】
その昔は島銭の位置づけは今の比ではなく珍銭の部類でした。それがいつからか古銭店でもあまり見向きもされない日陰の存在になってきています。真鍮質の舶載島銭が大量に日本に入ってきたせいでしょうね。
矢部倉吉著作の「古銭と紙幣」に島銭の写真がずらりと並んでいますが、当時私もあこがれて、世に出たばかりの「ラインマーカー」で、巻末の価格表のところにべたべたとラインを引いていましたっけ。
さて、ここにあるものは古銭ブームが凋落の坂を転がりはじめた頃に入手したもの。最近の真鍮質の舶載ものとはやや異質なものです。
一番上のものは打印銭のような極薄肉ながら打製ではなく青銅質の鋳造製です。銭文は紹聖元寶の篆書で、ペラペラの銭容の似たような雰囲気のものに切銭手の淳化という有名なものがありますが、こちらはちゃんと郭もあり、しかも狭穿です。30年以上前に入手していますが類品を見たことがありません。当時、お年玉をはたいて買った記憶があり、ショーケースでプラスチックケースに入り糸札付きで売られていました。今でもそれなりの風格があります。(切銭手淳化も選り出していましたが投げ売ってしまいました。)
翻字逆字の政和と白銅質の太平はその時に一緒に購入したものです。ペーパーフォルダーに入っていて紹聖元寶に比べればかなり安かったのですが、それでも子供にはきつ~い金額だったと思います。
翻字逆字の政和はあまりの書体の奇異さに、贋物ではないかと不安でもありました。(安かったのは輪にヒビが入っていたからです。)スズコー(現コレクターブース清水)の入札誌に一度、類品が出たことがあるのと、バリ島輸入古銭拓本集に同じものが出ていますので類品をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、島銭の中でも出色の品ですよね。
太平通寶は大きな銭径と背の旋辺風の仕上げ、細郭ぶりからして、安南本炉銭なのかもしれませんが、書体が金釘流で面白いもの。白銅質の堂々たる姿は好感が持てます。(白銅質大好きですから。)この正体が分かる方、ぜひ教えてください。
あこがれの島銭でしたが肉質の赤いものはとうとう入手できず、舶載真鍮質ものが大量に流入してからはほとんど忘れかけておりました。久々に見る愛娘たちはやはり可愛い顔をしていますね。
 
6月27日 【CCFの気になる品】
CCFのオークションには参加できないことが確定してしまいました。毎年7月はイベント屋になってしまうので致し方のないことですが、今年は下見したいものがいくつかあったので残念です。注目はなんといっても「穴銭入門」の原品でしょう。
6049日光御用銭小様、6054踏潰正永母銭、6060安政大字。この3つは見たこともない品です。6050淋手も美品とあるので実見したい品です。
その他の私の見たい品は・・・
6029長門俯永様未仕立手本銭鋳放し 26㎜ぐらいありそう。
6042長嘯子低頭通鋳放し 鋳放しが不思議。文字も繊細そうです。
6064江刺俯永落点辵 失点通かしら?手に取ってみたい品です。
6117・6120浄法寺盛無背異永 これはよく分からないけど、正体を見たい。
6142仿鋳正字系面重文エラー これも妖しい品。人気は抜群だと思います。
6143・6144打印銭寛永 こやつらはおもちゃみたいな品だけどかわいいですね。
6162離郭濶縁 あまり見る機会のない品なので・・・
6172水戸正字背錯笵當百写 邪道ながら錯笵は個人的に好きです。
6183不知長郭手長点保 これ張点保でしょ?妖しさ全開。なんじゃこれの逸品です。
ネットに島銭の白文大成通寶が出ていますね。本邦鐚銭図譜にあるものと同じで、実は同じタイプの開寶則寶(もしくは開開寶寶)を私も所有しています。真贋全く不明ですが、材質や側面仕上げなどから明治初期より古い時代のものだと思っています。
以前、ネットに出しかけたことがあり制作日記にも書いたこともあったと思います。最近は存在そのものを忘れかけていましたが、お世話になった方に声をかけられましたのでネットに出さずに奉公に行ってもらうことにしました。半分押しかけ女房です。明日にでも送っちゃいましょう。
 
6月26日 【狂乱終わって・・・】
問題の天保銭の画像です。ひとめ覆輪の不知長郭手と判る風貌。しかもかなりの厚肉ときて高騰は必至でした。
覆輪のほかに背當に特徴がありまして當上が刔輪され、冠点が斜めにゆがんでいます。不知天保通寶分類譜下巻80Pに異点冠厚肉というものがありますが、それは覆輪にはなっていません。ただ、ひとつ気になる銭種があります。それが石巻反玉寶の類。私はこれを持っていませんし、一度しかじっくり見ていないので何とも言えませんが、いくつかの特色は合致します。拓本などで見るあの石巻銭とは雰囲気はかなり異なるのですが見た瞬間から引っかかっています。興味本位で無理を承知で追いかけましたが、皆さん降りそうにないのであきらめたらすぐに落札者が決まりました。悔しいというより、この正体が何であるのか知りたいですね。
こうして書いてしまうと私のレベルが分かってしまうと思いますが、天保銭に関してはまだわからないことがたくさんあります。私と競り合った方、ごめんなさい。私は分厚くてものすごい覆輪・・・刔輪もあって面白いぐらいの人でした。どなたか正体を教えてください。
気が付いたらアクセスカウンターが35万人をはるかに突破していました。前のカウントから1万人積みあがるまで最短記録です。
そういえば不知細郭手容弱も出てますね。どこまでゆこうかなぁ・・・。
 
6月25日 【標高1700mの寛永通寶】
古銭とはあまり縁のない方からメールを頂戴しました。栃木県の庚申山(標高1901m)を登山中に一枚の古銭を拾った・・・そのことについて問い合わせがありました。拾った場所はかなり険しい場所らしく、また、庚申山の名称通り、その昔は庚申信仰のあった地で、猿田彦神社もかつてはあったそうです。庚申信仰は道教の流れをくむ信仰ですが、次第にその性格を変え、夜明かしをしながら夜会を行う庚申講を中心に江戸時代に庶民に広まったと思われます。(陰陽五行説によると庚申の日は人々の心が冷酷になりやすいので、慎ましく過ごす・・・と言うのが本来の進行の姿だったようです。)拾われた寛永通宝は四ツ宝銭ですので、元禄期から宝永期にかけてのもの。とはいえ、寛永銭は近世まで流通していたのでこれで時代の比定はできません。それに私の知る某氏は来訪記念に古銭を撒くことがあると聞いております。ただ、その古銭の拾われた場所は、猿田彦神社よりかなり標高の高く険しい岩場で、ハイキング気分で歩ける場所ではなさそうです。
庚申信仰は明治政府によって迷信として棄却されたそうなので、現代にはほとんどその痕跡は残っていません。古銭の世界では庚申と言えば「みざる・いわざる・きかざる」の三猿銭の絵銭が有名ですが、これもまた庚申信仰の一つの表れだと思います。(庚申の文字から申=猿があがめられた。)日光東照宮は三猿の彫り物で有名ですし、栃木県は庚申信仰がさかんだったのかもしれません。その信仰がいつしか山岳信仰と結びついて、先の古銭が山に奉じられたのかもしれない・・・と、想像を逞しくしております。

※自粛の言葉もむなしく、天保銭の競争に参加しています。上半期はこれが最後かな。それにしてもハイレベルな(馬鹿な?)争いになりそうです。
 
6月24日 【異永の純白銅銭】
関西のSさんから異永の純白のものがあったとの報告と画像を頂戴しました。(ありがとうございます。)長門銭は白銅質銭という世間評価はあるもののなぜか純白のものに私は出会えていません。黒味や黄色味が混じっているケースが多く、明らかに白銅質ながら純白・・・にはあと一歩というものばかり見ています。田宮商会の田宮社長は発見されたばかりの長門の手本銭を実見する機会があったとか・・・その際に異永の純白の白銅通用銭だけは見たことがある・・・というエピソードも頂戴しました。(そういえば数年前かなり白い異永の手本銭を見た記憶もあるようなないような。)画像の左が純白のもの。映像以上に白いということです。
純白の長門異永・・・さぞきれいでしょうね。
ネットで落とした不知細郭手だと思うのですけど・・・誰も追随してこなかったので少し不安になりました。3500円ほどですから、間違いなければラッキーです。輪がちょっと広くて横太りに見えますし、當上の輪も文字から離れています。今まで何度も失敗していますから当てにはなりませんけど、これが外れとなるとしたら、私の審美眼はかなりポンコツになったということでしょう。(価値観はぼろぼろですけど。)まぁ、この程度の金額は多分にお遊びですから、失敗しても懲りてませんから。
先般、秋田の小様が30000円台で落ちていました。狂乱相場は一段落したかしら?ここところの天保銭ブームは確実に私が絡んでいると反省しております。
大きなコレクションが流れ出たこともきっかけですけど、騒ぐだけ騒いだ感があります。金銭感覚の麻痺も甚だしいので、少しクールダウンしなくてはと考えています。と、いいながら気に入った品には気前よく購入してしまう困った私がいます。言うは易し、行うは難し・・・。
 
6月23日 【長郭手覆輪が来ました!】
HPに書いてみるものですね。四国のKさんから15日の記事の長郭手覆輪が届きました。
加刀による書体変化は少なく、覆輪銭ながら大濶縁と言うわけでもない・・・でも肉厚で不知銭としてのバランスが良いのですね。(もちろん、これは私の感性ですけど。)手にした瞬間のずっしりとした至福感が応えられません。(これもまた私の感性。)
一般評価は鉄人S氏の落とした不知品(5月11日記事)には及ばないのかもしれませんが、惚れた弱みと応えてくれたことに対して感謝をこめてのお支払いを約束させていただきました。すなわち感謝価格でもあり、恋愛対価でもあります。ありがとうございました。
 
6月20日 【細郭手異書体】
今回も不知の名品という誘い文句に心揺らぎ追いかけてしまいました。「著しく書体変化している割には、字画が整然としているので新規母銭からの産出かもしれません」と言うコメントもうなづけます。長径49㎜、短径32.5㎜、銭文径40.7㎜、重量23.1g。
書体は削字といって良いほど細く変形し、離点保、斜尓、當字は離点冠、背反郭です。穿内やすりは面背からなめらかに入り。極印は十文字のような変形タイプ。当百銭カタログの336番(異書体)、不知天保通寶分類譜上巻の細郭手異制作・異書体銭の類の奇書(115P)に該当します。
観察の結果、この書体は薩摩広郭を改造母としたものではないかと私は判断(推定)しました。加刀修飾されていて判りづらくなっていますが、保の点が縦向きで離れる癖、花押の形状がそれを物語っています。書体の縮小具合も薩摩からの写しとした方があっていると思います。あくまでも個人的仮説ですけど、けっこう自信ありますね。
キュリオマガジン7月号に石川氏と私の対談記事が掲載されました。私は恥ずかしくて記事内容がまだじっくり読めません。(見本誌を頂戴したのですけど・・・)おそらく、舞い上がってとんでもない発言をしているんだと思います。でも、石川さんがきっとさりげなくフォローして修正してくださっている・・・ととりあえず信じます・・・信じたい。心が落ち着いたらゆっくり読みましょう。
※北海道に行くとき、着るものがみあたらなくて20年ぐらい前にハワイで買ったセーターを着て出かけたら、あとで女房に嘲笑されました。「あんた、いくら古いもの集めているにしたって、わざわざそんな骨董品を着てゆくのはおかしい!」
私にとっては生まれての西洋渡航のお土産だということで思い出の品なんですけど・・・でも、当時も常夏のハワイでセーターを買った馬鹿者とみんなに言われたような・・・。
 
6月15日 【投稿画像から・・・】 
四国のK氏からの投稿画像です。ありがとうございます。ネットオークションに出ていたらしいのですが、見落としてました。それがまた見事な顔です。実測値は長径48.2㎜、短径31.8㎜、
銭文径39.95㎜、肉厚3.1㎜、重量25.7g・・・縮形、厚肉の覆輪銭と・・・ポイントもみごとに押えていますね。
参りましたねこのプロポーションには・・・。
最近、私はもう一つの趣味のエクセルマクロプログラムにはまっていまして・・・こちらはお金はかかりませんが、睡眠時間を削るので非常に健康に良くない趣味です。作っているのは職場用の帳票なので、趣味と言うより仕事に近く・・・なかには完全に仕事のものもあります。慣れているため制作スピードはかなり速く、1つの試作品の稼働まで3日ほどで仕上げています。
一方、ネットは放りっぱなしなのですが、最近は吊り上げの外部攻撃もあってちょっと嫌気がさしています。こんな品がぽろっと手に入ったら痛快だろうなぁ・・・とうらやむ今日この頃です。でも、これはいいなぁ!譲ってくれないかしら?
 
6月11日 【不思議な不知銭】
ひとめ変な天保銭である。全体に砂目がなくつるつるして浅地であり、のっぺりしている。いや、砂目がないわけではなく文字付近には細かい砂目がちゃんと残っている。しかし、地のほとんどで砂目がつぶされている感じがする・・・。ただし、鋳ざらい痕はまったくない。穿内はべったりやすりなのでもうこれは本座とは言えません。側面まで滑らか・・・しかも摩耗ではありません。ついていたタグには覆輪面背浅字とありますが、実は英泉天保通寶研究分類譜には肥天保として掲載されている原品です。ただ、銭文径はどう計測しても本座のサイズ・・・むしろ肥大していて41.5㎜ぐらいあります。不知銭判定において私は銭文径、内径を特に重視する人なのでこのような品にはほとほと困ってしまいます。銭文径は当てにならないと、仙人はおしゃいますし、たしかに現物がそれを物語っています。
文字径はなぜ大きいのか・・・不思議です。母銭を意図的に焼いて伸ばしたとか、出来上がったあと焼け伸びさせたとか・・・でもその理屈が良く分かりません。縦方向に混じって横方向の細かいすり傷が表面にあり、全体に横方向に圧力がかかったように潰れている・・・踏潰銭の延展みたいです。だれか、この謎を解いてください。
①新規母銭による不知銭
②何らかの方法で銭文径を大きくした改造母銭による不知銭
③出来上がったあとに銭文径を大きくする加工がされた不知銭
④非意図的に火をかぶって大きくなった不知銭
⑤本座銭を改造した作品・・・こいつは考えたくないけど頭からなかなか掃えない
⑥改造母銭の出来損ない
 
6月6日 【会津濶縁離足寶の再考】
迷走する私の戯言で皆様を振り回してしまっているかもしれません。5月6日にお詫びと訂正記事まで書いてしまっている左下の天保銭。やはり会津濶縁離足寶でよろしいと再判断しました。会津濶縁の銭文径にはばらつきがあると・・・先日も記述しましたが、それは覆輪の度合いにも比例していると思われます。中でも銭文径が40㎜程度のものは数も少なく、類似カタログでは再覆輪銭と名付けられて珍重されています。(瓜生氏の著書、当百銭カタログには会津濶縁の銭文径が39.8㎜と書かれていますが、計測値、拓図とも再覆輪銭と思われますので注意が必要です。)
この再覆輪と小頭通、離足寶・・・個人的な見解としては同じ銭種の微細変化とも考えられると思います。
その差はとても微妙・・・あえて違いを挙げるなら、離足寶は寶足が陰起して小さいだけでなく、寶足の開き幅が狭く、また寶貝がやや下すぼまりで、通頭も小さいということですが、寶足の差異は非常に微妙で、座の部分が残っているケースもあるので判断に迷いやすい。さらに、離足寶は保の後点がかすかに下がり気味で短く開き、通末尾が短くぴょんと跳ねる癖があると思います。輪左にある小さな瑕のあるものが散見されることもポイントで、下段中央、下段左には明確にその瑕が観察できます。この輪の瑕の存在が、下段左のものが離足法の類であることの再判断の根拠でもあります。なるほど、拡大してみれば同じ書体ですね。なんで自信が持てなかったんだろうと思います。
小頭通としたものは離足寶と違い、寶前足は肥大して陰起しませんが、よく見ると上段左の小頭通にもかすかに痕跡らしきもの(偶然の汚れ?)が伺えます。寶足の形状(開き具合)も中間的なので、会津濶縁離足寶は、会津濶縁再覆輪銭のうち陰起文になって寶足が小さく狭く見えるものと考えるべきだと・・・一方的に悟りました。

※本日数えたら、会津濶縁は16枚ありました。再覆輪系の銭文径の小さいものばかりで、むしろ普通の濶縁の方が少ない・・・よくぞ集めたものです。お金かかってます。
濶縁小頭通 濶縁離足寶 濶縁離足寶
濶縁離足寶 濶縁離足寶 濶縁再覆輪
 
6月4日 【色替りの明和俯永】
雑銭の会で購入したもの。(例会には参加してませんので、メール応札の記念品です。)一見して違和感を覚えるもの。左は金色に輝く品・・・違和感の原因は地の色が全くないこと。実は寛永銭は地の部分を人工的に染色しているのです。(ご存知でしたか?)このことは明治政府が編纂した全100巻におよぶ古事類苑(百科事典)の中にも記されています。と、いうことはこれはその一工程が不完全といいますか手抜かれたもの。そして右側は銅色が焦げ茶色く発色したもの。
これらのものは一種というより製造工程のちょっとした変化の表れのサンプルです。とくに赤系銅色は後変化もありますので、やっきになることはありませんが、こんなものもある程度に思いとどめてください。
全くの余談ながら、生まれて初めて当たり屋に遭遇しました。車に当たってきたのではなく、草刈作業の私の背後から自転車でぶつかってきました。ぶつかる直前に大声をあげたので・・・というよりほとんどぶつかりそこなっているのですが、その後の言いがかりの付け方がいかにもチンピラでした。「おまえが草刈り機をぶつけた、痛い、どうしてくれるんだ。」
草刈り機の刃が当たったわけではないのにこれは相手が悪いなぁ・・・と感じ、言葉で謝るのはともかく非を認め引くのはよくないなと・・・応対。いったい何がお望みか聞いてみると「警察を呼ぶ、病院代は誰がはらうんだ」といきまき、くわえタバコを路面に投げ捨て顔を近づけ威嚇します。はっきり要求を言ってみろと強く出ても言いません・・・いえば恐喝になるからです。手を出して来たら暴行なので手も出してこないだろうと思い、半分呆れながら茶番につきあいました。大体、歩道を自転車で逆走してきているのは相手側・・・草刈り機を持っていたものの、私は歩行者。そして私は土手の際で踏ん張っていたので歩道側にはほとんど体がはみ出ていません。向こうも言いがかりをつけるのにちょうどいい相手がいたぐらいの考えだったのかもしれません。
しつこいので警察を呼んでくれ、そして受診してみろ・・・だいたいぶつかった感触が全くない。怪我をした部分を見せろと強く要求・・・。すると、自転車で歩道をふさぎさらにいきまく。これ以上騒ぐと恐喝だとにらみつけると突然、体をぶつけてきて「殴った殴ったな」と大騒ぎします。そのぶつかり方・・・後ろ手のまま体をぶつけてきています。しかし、わたしは両手で草刈り機を持っていて、しかもエンジンを完全に切っていなかったので手放しはできない・・・ぶつかってきたのはあんただ、草刈り機があるから殴れるわけないだろすべてあんた不が悪いというと、埒が明かないとみて自転車で走り去っていきました。年をとっていますが強面なので気の弱い老人や女性は思わずお金を払ってしまうとおもいます。雰囲気的には常習犯でしょう。いやな思いをしました。
 
6月2日 【天狗寛永】
大和文庫で天狗寛永が即売されています。55000円也。ここの所の狂乱相場を考えると妥当なラインなのですが、普段は大騒ぎするくせになぜか手が出ません。通頭の流れるような曲線を見ると食指が動きそうなものなのですが、心にブレーキがかかってしまいました。
ここのところお金を使いすぎてしまっていることもありますが、この微細変化に大枚を支払う罪悪感があるのです。オークションなら熱くなって支払ってしまうのに、不思議ですね。天邪鬼なのかな・・・それともネットのスリル中毒?
お金を使いすぎたと言えば、共働きの妻と折半で払っている税金・諸経費関係を(妻がなかなか払わないので)つい、全部自分で支払ってしまったこともあり、妻がインターネットで申し込んだ旅行代金(36万円)も私が支払うことになったこと。旅行は私も行くのでしょうがないすが、何とも贅沢。夏休み料金ですし、今は国内旅行の方が高額です。ほぼ三桁の金額が通帳から消えました。
 
6月1日 【澤瀉永楽】
5月27日の永楽通寶・・・間違いない品、名品中の名品だったそうです。落とされたのは鉄人S氏。実はその昔この永楽の無背(おそらく1月5日記事の原品)購入の相談を受けたことがあったそうでしばらく手元に置いていたこともあったとか。だから勝負できたんですね。背の澤瀉紋(水野忠邦公の家紋で水野澤瀉の呼び名もあるそうです。)が非常に端正で美しい品です。これは古銭と言うより、工芸品、美術品、あるいは文化遺産的なもの。なにせ金座の試鋳であり、水野家ゆかりの品でもあります。こんな名品が古銭額の中からひょっこり出てくるなんて宝くじ並みの確率でしょう。夢があります。鉄人、おめでとうございます。
私は目下、会津濶縁離足寶の競り合いに夢中です。鉄人が大物を落としたので私は小役狙い。会津濶縁離足寶は持っておりますがネットの品は美しいし、何より計測したいという本能が止まりません。しかし、終了10分前の競り合いの厳しいこと。見事に価格が吊り上ってゆきます。
でも、まだおりる気ありません。いやぁ、3万円超えてしまいました。痛いなぁ・・・。
そろそろ相手の攻撃が止まってきました。残り2分です。
と、思ったらまたも攻撃・・・すごいですね・・・ここはもうあがきに近い。嫌がらせ?受けて立ちます。
相場は超えました。でも、この種は好きですから・・・。と、自分に言い訳。なかなかふりきれませんね。
残り1分。がんばれ!よし逃げ切った!と・・・いうわけで34800円でお買い上げ・・・高いけど納得の品です。

久々に実況中継してしまいました。会津濶縁系はこれで手持ち12~3品になりました。私は物量型コレクターではないのですが、なんとなくこの濶縁は好きで集めてしまいます。ちょっと前までは会津濶縁と久留米正字濶縁の区別の自信がなかったのに大変な進歩です。
濶縁と離足寶、短貝寶との関係を調べてみたい・・・今はそれだけ。個人で集めてもたかが知れてるし、それで結論を出そうなんて大アマだと思いますが、趣味だからそれでよろしいと思っています。
会津のように覆輪系の天保銭はやはり覆輪変形のためなのか銭径や銭文径にかなりばらつきがあり、だから面白い。会津濶縁の細縁とか会津大濶縁なんてものもありそうです。秋田の小様には中様や大様が発見されていますし、離郭にも中濶縁と言うべき中間品が存在します。マニアックな細分類と言われそうですが制作・分類を語る上では避けて通れない変化だと思います。
 
5月29日 【大ぶり銭3枚】
関西S氏からのご連絡。文銭系の大ぶり銭3枚。
左上は縮字径文無背の大様銭 外径25.78㎜、内径20.1㎜・・・はじめは耳白と混同していましたが、耳白の25.7㎜超えは珍しくないものの、勁文のこのサイズは事件です。鋳だまりがありますが母銭以上のクラスです。背郭も立派!左下は深字背文本体の大ぶり銭。外径25.35㎜、内径20.1㎜でこれも大きい。なぜか深字は磨輪気味のもの、25㎜以下のものが多い。S氏いわく最大級・・・たしかにその通りです。
そして右下が正字背文の最大様銭。背文が重文になっているのでなり損ねの母銭のように見えますが、そのサイズが驚異の26㎜、重量4.6g。(内径20.7㎜)チャンピオンです。天晴!
眠気が吹っ飛びましたね。
例の異極印銭が届きました。右が長郭手、左が細郭手(覆輪刔輪断足寶)。銅色は本座によく似ていて、輪側面の仕上げは長郭、細郭とも全く同じ。和やすりで一直線上に条痕がついていて測ったように一定。郭内も非常に丹念に仕上げています。いわゆるいい仕事をしているのです。
長郭手は一見しても本座と変わらないというか、本座以上です。ただ、銭文径は縮小していていわゆる鋳写し物。長郭手は磨輪されていて48㎜しかないのですが、重量は22.5gありますので手にすると肉厚に感じます。今回は次点繰り上げと言うことですが、価格は吊り上げられるだけ吊り上った感じです。
それでも2枚並んだ姿は美しいですね。それぞれ単独で売られると2枚あわせても4万円ぐらいでいっぱいいっぱいですがセットならプレミアものでしょう。〇〇手の名前がつくと格好いいのですが、名つけるとすると
花桐極印銭ですかね?・・・これで決まり!目が覚めました。
仮称)花桐極印銭の特徴
細郭手は覆輪銭、長郭手はやや肉厚で細縁仕立てのもの。大きな文字変化はなく、文字の周囲に丹念に刃を入れた痕跡(特に長郭手)は伺えますが、特色とまでは言えないと思います。
鋳肌は比較的滑らかながら、本座に比べればわずかに粗く、粒状の小突起(砂目)が観察できますが、これも特徴としては弱い。銅色は本座に非常に近い。(スキャナーの性能の違いで右が白く、左が赤黄色くなっていますが、両者の中間です。)
やすり目というよりやすりのかけ方が特徴的。郭内はいわゆるべったりやすり。肉厚でなんとなく貼り合せの雰囲気もありますがこれはわかりません。側面のやすりはまるで機械でかけたように整然と直線的に並んでいるように見えます。ただし、目はけっして細かくなくむしろ粗いほうで、その後に施された面背の砥ぎが非常に強く、相当な圧力がかかったようで、銭体側面の中央部に比べ輪の角がわずかに飛び出して、極印を挟んでガードしている雰囲気があります。そのためやすり条痕は中央部は深く、際に行くと、途切れる雰囲気があり、それが直線的な印象を強くしているのだと気づきました。
極印が特徴的なのは言うまでもありません。左右の副花がなく中央の桐の花茎が大きく育って花開いています。不知銭にはユニークな極印をときどき見かけますが、これよりユニークなものはなかなかないと思います。(→天保通寶極印図鑑
この2枚が同じ座の出だと考えると、両銭には同じ技術を持った職人がかかわっていたはずです。右から左に進化したと考えるべきか、たまたま右側が磨輪銭になったのか・・・考えても結論出ませんが面白いです。
 
 
5月27日 【ネットの熱い戦いを観ました!】
数日前に、四国のKさんから教えられた情報です。なんのことはない額縁入りの古銭。かつては警察署長への贈呈品として使われた銘が入っているのですが、いかにも素人が詰め合わせた雰囲気。玉石混交で寛永の母銭もありながら、ぼろぼろの古銭の破片も入っています。そんな中で異彩を放つのが馬鹿でかく銀ピカの永楽通寶。文字が大きく妙に狭穿広郭なので、おもちゃのように見えますが、金座試鋳の永楽とか・・・。澤瀉永楽はかつてオークションに出たことがあったな・・・でも、そんなもの直接見たことがないので何かいい資料はないですか・・・とのんきに聞いたら、なんと私のHPが情報源でした。正確に言うと、私がHPに載せた年賀状の画像にどんぴしゃなものがあるとのこと。(1月4日記事)マニアな方々はこんな記事まで覚えてらっしゃるのですね。自分で掲載していながら、すっかり忘れていました。専門外の私は傍観者に徹しましたがすごい戦いが起きていました。応酬が153回、36万円超の落札です。応札者には良く見かけるIDが並んでいます。当然のことながら私には全く真贋が付きませんが、やはりすごいものだったのでしょうね。(それとも好奇心?)
結果を知りたいものです。
 
5月26日 【ごめんなさい。八厘会に行けませんでした・・・】
行く気満々だった私に、妻から「子供の送迎役+お掃除」のご指令。本日は隣市での合唱の練習と午後からは習字塾もあって忙しいようで・・・。私がこの趣味を続けられるのも、妻の怒りを買わないことなので致し方なし。仙人様、お許しください。
一段落したのでもうひとつの趣味(と言いますか半分以上仕事)のエクセルのマクロを使った仕事の帳票作りにはげみました。預り金管理システムにと購入していたメーカーソフトがウィンドウズ7に対応しておらず、バージョンアップも震災で延期になってめどが立たなくなりました。ソフトを新規購入すると数十万すると聞き、頭にきて2晩かけて自作しました。ちょっとしたお小遣い帳ソフトですが、個人別出納帳、全体月報、個人月報・入力作業の自動化などクリック操作一発でかなり複雑なこともできます。実はエクセルの自作ソフトは相当つくっています。社内の経済効果は少なくとも数百万円分はあると自画自賛していますが、残念ながら外部に売ったことはありません。(無償配布してます。)
自作の良いところは、自分の好みに作れること、お金がかからないこと。悪いことは休みもなくなり睡眠不足で死にそうになること、自分にはお金が入らないことです。
まじめに家庭奉仕と仕事をしていたらメール連絡が・・・。なんでもあきらめた不知銭が繰り上げ落札になったようで・・・。これも神様からのご褒美なのか、それとも八厘会に行かなかった天罰なのか・・・嬉しさの裏側で出費が痛いのだけは確かです。
 
5月24日 【思文閣出版 鴨東通信】
思文閣と言えばなんでも鑑定団に田中大社長が鑑定士として出ているのでご存知の方もいらっしゃると思います。本社は京都で、学術図書出版、古書販売、ギャラリー運営、美術品販売を手掛けているそうです。数年前、中国銅幣の世界という書籍を購入したことから、季節ごとに鴨東通信と言う小冊子が家に送られてくるようになりましたが、単純な宣伝と思い全く見過ごしておりました。今朝、何気なく封を破って読んでみるとなかなか力が入っている内容です。なるほど私の中に流れているマニアックな血と同じ・・・いや、それ以上に高尚で雅な文化思想がこの会社には流れているような気がします。専門学術書出版と言うとなかなか商売にならない世界なのですが、それを地道に続けているとは立派。というわけで反省の念をこめて少しだけ紹介。

『和の美』 古書画から近代美術まで毎月100点の名品を通信販売
『思文閣古書資料目録』 古典書籍を中心に古文書・古写経・絵巻物・古地図・錦絵などあらゆるジャンルを網羅
『思文閣大交換会』 年4回の美術品入札会

詳細は 075-531-0001 思文閣京都本社 または メール 
info@shibunkaku.co.jp でお問い合わせください。
HP http://www.shibunkaku.co.jp/aboutus/
 
5月23日 【八厘会のお誘い】
天保仙人様から直々のハガキ連絡が・・・。援護射撃で広告掲載してみました。ここのところ仕事が忙しく、なかなか外歩きができていません。何とか都合をつけようと女房のご機嫌取りをしてみましょうか。(今のところ可能性50%かな?)
張足寶の類はいくつかあるので展示は可能ですけど、盆回しに回す品がないですね・・・困りました。最近はつまらないものでも手放すのが惜しくて惜しくて・・・。意見を聞いてみたい真贋不明銭もいくつかあるのですが、聞かない方が心臓に良い気がします。サンドバック状態になること必至のような気もします。
四国のKさんから掘り出し画像のご連絡。(ありがとうございます。)
私も途中で気づいていましたが、あまり動きがなかったので終了間際に勝負してかっさらうつもりでしたが・・・あっさり転されてそのままノックアウトでした。札を入れて間髪入れず逆転されると最近はだめです。離郭らしきものが2~3枚あるし、接郭濶縁も立派。額輪短尾辵は最上級の美しさです。真鍮銭があるのがご愛嬌ですし、画像マジックもあると疑心暗鬼になっていましたが、改めてみると実物はなるほど・・・とても美しいです。あきらめが早すぎましたか?
上の左は離郭の中でも内径が少し小さいタイプ。仮称で濶縁手と私はしていますが、正式名称ではないかもしれません。濶縁との中間タイプで、内径、銭文径とも小さいのが特徴です。玉持極印はこのタイプに多いと思います。秋田小様の銭文径に中様、大様があるように、こいつも一種として認知されてもよろしいかなと思います。
なお、離郭は分厚かったり銭径の大きいものが多く、右側のものは49.85㎜、左のものでも49.35㎜あるそうです。
立派ですねぇ・・・。


※白川氏の本も届きました。しっかりしたつくりでサインもしっかり書いて頂きました。プレミアム本で、私の宝物です。
 
5月22日 【白川昌三氏の本】
ネット界でしらかわ氏といえば「コインの散歩道」のしらかわただひこ氏が高名ですが、寛永銭収集の分野で白川氏といえば白川昌三氏ははずせない存在です。白川昌三氏は昭和62年(1987年)に「新寛永通宝カタログ」を出版されたことで知られています。新寛永通宝カタログは直径、内径、量目などの数値が記載されているなど、計測の重要性、科学的根拠を広めた草分け的な存在の本でした。私が新寛永通宝カタログの存在を知ったのは日暮里の隆平堂さんに(はじめて)立ち寄ったときに見かけたのが最初。非売品だったのでそのあとネットで探しまくっていたら、初版本と平成2年版が入手できました。
実は昨夜ネットオークションを徘徊していたら白川氏の研究小冊子
「寛永通宝 正字勁文の巻」(2000円)を発見。嬉しくなってすぐに応札購入したところ、今朝ご本人から返信が届きました。私は古泉界に疎いうえ、出版から25年も経つので白川氏が今も現役バリバリの研究者とは知りませんでした。
正字勁文の巻・・・ということは、続編もあるということですね。文銭を大量見聞していないうえ根気のない私はほとんどついていけてないのが実情ですが、さすがに文銭マニアの奥底は深いですね。続編・続々編の発刊が楽しみです。
 
5月21日 【御用銭がいっぱい!朽木公コレクション:大英博物館所蔵日本貨幣カタログより】
まさに圧巻の御用銭のオンパレードである。丹波福知山藩主の朽木昌綱公は江戸時代を代表するコレクターであり、研究者でもありました。当時は寛永銭は現行銭でしたので、寛永銭は収集対象外だろう・・・と勝手に想像していたのですが、朽木公の活躍したのが18世紀末頃(天明~寛政期)で、銅一文銭の鋳造はすでに止んで久しくなっていましたので、集めてもおかしくないということに気づきました。まして難波御用銭は当時でも記念銭的なものだったと思います。しかし、ここまで一堂に難波御用銭がそろったのは見たことがありません。いやはや、もう目の保養と言うか目の毒というべきか・・・。

参考文献: 大英博物館所蔵日本貨幣カタログ(Catalogue of the JapaneseCoin Collection (pre-Meiji) at the British Museum)
低頭通 低頭通 低頭通 低頭通 低頭通
錫母銭29㎜
6.25g
銅母銭30㎜
7.07g
銅母銭28.5㎜
6.53g
銅母銭28.5㎜
5.69g
銅母銭28㎜
5.41g
 
低頭通 高頭通 高頭通 低頭通 低頭通
銅母銭28㎜
5.56g
彫母銭28㎜
7.25g
原母銭26.5㎜
5.94g
原母銭27㎜
5.74g
錫母銭27㎜
4.41g
 
5月20日 【新撰寛永泉志:岡田優撰堂蔵版】
水色の表紙が鮮やかな泉譜ですが、これは明治27年に中川近禮、榎本文城、亀田一恕の3人の連名で出版された新選寛永泉譜の昭和10年の復刻版です。出版者の岡田優撰堂は大阪の古銭商の2世郵泉堂 岡田弥太郎のようです。(初代郵泉堂 岡田房次郎の子)
前編は和装袋とじで13項(26P)、後編に至っては7項(14P)しかなく、その中に古寛永から新寛永までの一文、四文までが入ってますから本当に大雑把な泉譜ですけど、これが明治期最高峰の寛永銭カタログだったのです。
おもしろいのは後編に現代では存在そのものを疑問視する方のいる「明和期俯永面背刔輪」が「隔輪」として堂々と載っていること。(無論、私は疑問視してませんよ。)寛永堂作と言われる寛文期亀戸銭跳文(2007年4月4日記事)も、同年6月7日の記事に書いた背佐濶縁(背異書)も堂々と掲載されています。
私は文献コレクターではなく、中が読みたいから購入したのですが、時代が古く紙質もインクの質も悪いのにもかかわらず、あまりにも保存状態の良い美本なので、汚すのが怖くてほとんどページが開けなってしまい困りました。
(豪華本の天保通寶研究分類譜は目を離したすきに、悪食の馬鹿猫が紐の一部を喰いちぎりました。思わず頭をはたいてしまいました。)
 
5月19日 【さよなら!異極印銭】
黙っていましたが、左の異極印銭の不知長郭手がネットに出現したときに私は大興奮状態でした。というのも右側の不知細郭手の異極印銭を所持していたからです。この極印銭を初めて見たときは、まるでスミレが花開いたようだ・・・と感心したものです。それと同時にいつか書体違いでも同じ異極印が出現して、一部銀の定極印ように分類できるといいなと思っていました。そのため私としては不退転のつもりでいたのですが、最近のネットの高騰は異常でして戦意喪失状態です。くだらないものばかり買っていないでこういうやつほど意地で落とすべき・・・とおっしゃる方も多いと思いますが、適正価格はあると思いますので・・・。私の心の中の花も散ってしまいました。

→ 天保通寶極印図鑑
長郭手 細郭手
 
 
5月18日 【仙台天保】
上図拓本はTICCのときにYさんから頂いた拓本の一部です。左側の拓本をみて瞬時にこれらが何者かが分かれば、天保銭コレクターとしてはまずまずなレベル。右側が分かれば相当なレベル・・・と、いうより拓だけでは右は判らなくて当然かもしれません。
左は仙台の長足寶とすぐに判るでしょう。ポイントは寶前足以外にも地の条痕、天の横引きの太さ、通頭の第一画の癖、背の反郭、やや横に膨らんだ銭形など結構あります。一方、右側は拓本だけでは判りにくい仙台広郭です。存在はかなり希少で、実は仙台大濶縁より少ないという噂(真実?)もあるくらいです。拓本で見ていると長足寶の方が細縁気味で天字が大きく見えるので大字に見えますが、画像を重ねあわせると銭文径は広郭の方が半回りほど大きくなっています。内径はほぼ同じですからやはり長足寶は足の長い分だけ通寶の文字が小さいようです。背も同様で文字が縮小した分、長足寶は當上の刔輪が強くなり、内径を広郭に揃えているようです。仙台銭は覆輪刔輪の技法、嵌郭の技法なども多分ありそうで、見ているだけで楽しいです。
百聞は一見にしかずといいますか、これら仙台銭は地肌の様子を見れば一目瞭然、実にわかりやすいサメ肌のような粒子状のもの・・・松葉でつついたような肌・・・とも言われます。少ないと言われる仙台銭ですが、最近ネットでしばしば見かけます。鉄人S氏が教えてくださいましたが、新潟古銭会のMさんが900枚の天保銭の中から2枚の仙台銭を見つけたとか。(収集記事だそうです。)案外あるとみるか、運が良いとみるかは皆様のご判断にお任せしますが、広郭の書体でこれだけ変わった・・・しかも不知銭の風貌さえある仙台銭はやはり魅力的ですね。
 
 
5月16日 【瓢鯰堂と静雅堂】
往時古泉家芳名録には古写真もいくつか掲載されています。当時の写真はまだぜいたく品の部類になるので、たいていはおめかししてポーズを決めたものが多いのですが・・・。
左の瓢鯰堂 新井瓢九の素性は明治時代初期、芝の古銭商と言うことしか私は判っていないのですが、銭幣館 田中啓文と文久童 山本右衛門がこの店で出会った・・・いわば師匠格でもあります。写真は精一杯おめかししたのでしょうか?首に巻いた手ぬぐい(マフラー?)がいかにも道具屋の親父的な雰囲気を醸し出しています。
右の写真は創作貨幣で世間を騒がせた静雅堂 小田部市郎です。明治末期から大正期に活動し、今の東大付近で鋳物業を営む傍ら創作貨幣を次々につくり、露店で売りさばいたそうです。「本物を偽造するのではない。自分が新しく考案した作品を鋳造して売るだけである」とうそぶいていたとか。本職が鋳物師ですから、本当の小田部作はしっかりとしたつくりで、市中に出回っている小田部作のほとんどは後世の写しで本物の贋物(小田部作)はなかなか少ないとか。
→ 泉家・古泉家覚書       → 贋作者列伝 瓢鯰堂 新井瓢九 静雅堂 小田部市郎
TICCのときに手に入れた黄銅質の秋田広郭。青錆をふいているけど準未使用で非常に良い状態だと思っていました。家に帰り、刀剣油で青錆のケアをしてみると・・・あれ、青錆が簡単に落ちるぞ!そしてあらわれたのが真っ黒なシミ。お手入れ失敗かと思ったのですが、さびの形状から見てどうもこの青錆は絵筆による着色だったみたいです。黒いシミの正体は不明ですが腐食痕跡が輪や郭にまで及んでいますので、私のように青錆を落とした痕跡のように思えます。あるいは一部は拓本墨なのかもしれません。銭体自体は痛んでいないので一級品なのですが、このシミでは一等級格下げやむなしでしょう。もう一度色塗ってみようかな?

※拓本と画像のどちらがいいかというと、どちらも一長一短があります。拓本は書体判別では画像より判りやすいものの、採るのに手間がかかり、銭が汚れて痛むケースがあります。墨で汚れた古銭は元に戻りません。一方、画像は銭を傷めず色彩や鋳肌などの形状も判りますが、なまじ情報量が多い分かえって惑わされることが多いと思います。ただし、拡大比較ができることは大きな武器ですね。
私はもう20年以上拓本を採っていません。上手に拓本を採れる方がちょっとうらやましく思う反面、このままで良いかなとも思う次第。
 
BEFOR AFTER
 
5月15日 【図会原品】
一見何の変哲もない真っ黒な四文銭。よく見れば「ああ~密鋳銭だなあ~」と判ります。さらに慣れると「どうも江刺銭みたい・・・」と判別できるようになります。そこまでの知識でこの銭を判断すると価値的には3000~4000円かな・・・ということになりますが、実はこの銭は図会132Pの原品なのです。頂いた石川さん直筆の小袋(タトウ)付きなのです。(北海道での獲得品。)
と、いうわけでこの原品はぐっと価値があるはずなのです。少なくとも由緒正しき雑銭ということは間違いないところ。詳細分類すると江刺小字Kタイプ(小字寶連輪)になります。

※泉譜原品と言う言葉にはやはり弱いですね。似たような言葉に昔の大家旧蔵品という言葉があります。まことに心地よい言葉の響きなのですが考えてみると小川青寶楼氏や瓜生有伸氏は古銭商なので旧蔵=愛蔵とは言えませんし、昔の泉家伝来の贋造品もかなり存在します。伝来を証明する拓・・・とくに泉譜に掲載された拓はそれを証明するには必要不可欠で、それらのない口伝のみの旧蔵品はほとんど意味のないものと心得なければなりません・・・が、今でも心が揺らぎますね・・・。困ったものです。
 
5月13日 【投稿画像より】
四国のKさんからの投稿です。(感謝!)30枚の天保銭の中から出たといいますから非常に効率の良い掘り出し。おそらく収集家の家族が知らずに放出したものでしょうね。こんなことは久しく経験していない私にとってはうらやましい限り。もっとも雑銭買いはそれなりにリスクがありますので効率的に良いとも言えないとも聞きますが・・・。

画像左上
本座広郭母銭 
 面側49.5㎜ 背側49.8㎜ とテーパーがあるそうです。

画像左下 
曳尾(肥字)
 未使用色が美しいもの。跛点になりかけ・・・かしら。

画像右下 
秋田小様
 長径46.5㎜ これはこれでなかなかの希少品です。
 
追加画像がつきました。30枚の中にこんなものまであったとは驚きです。

左上 
秋田広郭厚肉銭 長径48.6㎜ 肉厚3.25㎜
 この分厚さは異常です。厚肉の銅色は黄色になる傾向が強いと聞きました。

右上 
会津濶縁赤銅質 長径49.0㎜ 銭文径40.4㎜
 はじめ小頭通かと思いましたが、普通の書体みたいです。色が赤いのは少ないと思います。

右下 
会津濶縁離足寶 長径49.4㎜ 銭文径39.8㎜ 肉厚3.1㎜
 私が探しているもの。濶縁ぶりが素晴らしい。会津濶縁は面白い。
※この厚さも立派。重量は25gは絶対超えていそうです。

この他にも福岡離郭、薩摩ガマ口などもあったそうです。ほんまかいな?
 
5月12日 【密鋳銭が到着】
収集の市場入札の落札品です。密鋳四文は最近はエアポケット状態のことが多く、一時の高騰が嘘のようです・・・と、いいますか一人で盛り上がっていた感があります。

密鋳小字写 明治吹増様小様厚肉
さて、最上段のものは一見明治期の吹増銭のとても状態の悪いもののように見えますが、側面の仕上げが密鋳銭特有のものです。厚肉銭で小型銭ながら重さは6.1gあります。ただし、これだけ見てくれの悪いシコメを愛せる者は相当のマニアにして病気でしょう。

密鋳小字写 斜穿赤銅
2枚目のものは最近は江刺とひとくくりにされてしまいそうな風貌ですが・・・まぁ、東北地区の特有の風貌です。ただし、輪の摩耗激しくやすり仕上げは判らないものの、真円形ではなくごつごつした仕上げで太そうな湯道痕跡を感じます。一時期はあれこれ考えましたが、実のところ浄法寺なんだか江刺なんだかいまだによく分からないです。決められないというのが本音ですね。
中央の穿が完全に斜めになっていて、見ていて楽しい密鋳銭です。

密鋳俯永写
3枚目のものは全体にやすり目はありますが2枚目とほぼ同じ風貌で銅質も非常に似ています。まわりのゴツゴツ感も一緒。ただし、穿内にはとても念入りにやすりがかかっています。密鋳銭はまだいろいろなものがあります。製作の似たものを集めて比較してゆけば又何かが発見できるかもしれませんね。

ところで・・・駿河の入札ですが、目的のものはほぼ全滅でした。残念!欲しかったな、秋田最小様は・・・。まもなく奇品館に入るでしょう。

→ 江刺銭の細分類研究譜

→ 密鋳四文銭タイプ別研究分類
 
5月11日 【アンサー投稿】
あの話題の品を落としたのは関西のSさんとは知らなんだ。早速入手品の画像をお送りいただきました。ありがとうございます。まぎれもなく仙台の長足寶でしたがこうしてみるとなかなか堂々とした優良品ではないですか。嵌郭のため極端に狭穿になり、面背の輪幅も十分と言いますか、濶縁と言いたくなる良いレベルです。それもそのはず長径49.18㎜、短径33.05㎜、銭文径40.2㎜、重量22.98gの堂々たる体躯。仙台銭長足寶で長径49㎜超えは立派です。分類名こそ仙台長足寶小様ですが思わず大様と呼びたくなります。そう、小様の大様です。頂いたのが大きな画像だったので粗が見えてしまいましたが、このサイズで見た方が良さが分かりますね。合格です。

もう1枚の変な天保もやはり不知銭でした。出品者のタイトルが収集家の放出品になっていましたのでそれなりの収集家だったのかもしれません。このタイプは不知細郭手の覆輪刔輪連玉寶です。独特の鋳肌があるものが多く、なぜか桐極印に異形のものがよくみられる気がします。これらの品を入手するために大枚を支払ったということですが、得したとは言えないかもしれませんが大損はしていません。上の仙台銭は欲しい人はそれなりにお金を出すレベルかもしれません。
本当は私が7~8万円でもらってしまう・・・という図式を書いていましたが大アマでした。絵に描いた餅で棚からぼた餅はありませんでした。

さて、続く不知長郭手はあの天顕堂・青寶楼伝来の逸品とか。77000円ぐらいで落ちたと思いますが、所有者の方・・・鉄人S氏も手放しの絶賛です。鉄人S氏はもうひとつ縮通の白銅銭も落としていました。この組はほかに方字も混じっていたので面白かったのですが鉄人相手ではただでは済まないと観念して早々降りてしまいましたが51000円の落札価格はお得だと思います。でも私が参戦しても降りてくれないでしょうね。鉄人強しです。本当ならこれらはまとめて奇品館行きなんですが、もうくたびれました負けましたあきらめました・・・降参です。はい。
 
あと、唯一残っているのが大和文庫の秋田小様45.5㎜。これも熱くなるでしょうね。Hさんあたりが入札を奮発する気がします。
 
5月10日 【正しい泉号の付け方】
往時古泉家芳名録をひもといていると、古泉家の泉号の付け方の一定のルールがあることがわかります。すなわち泉号とは屋号のようなものなので、お店のように建物や場所を示す文字を入れるのが正規のものなのです。たとえば・・・
銭幣・田中啓文 青貨・貫井銀次郎 花林・三上香哉 淘泉・郡司勇夫 不朽・辻彦作 観中・松浦肥前守 月・横山由清 青寶・小川浩 養真・馬島杏雨 白雲・小笠原吉助 風山・今井貞吉 不肅・岡田循誘 松菊・成島柳北 榧・根岸武香 他には屋・洞・窟・院・山・門・社などが散見されます。半文銭・浜村栄三郎、文久・山本右衛門、藩札狂・前田惇などはいわばあだ名でごく少数派です。
斎の文字などは一見、建物や場所を示す言葉ではないような気がしますが、「書斎」で使われるように、神道でいう「ものいみ:みそぎ」をするためこもる場所の意味があり、また神に仕える人の意味もあります。
私の生まれた地域も田舎なので、ほとんどの家は屋号を付けて呼ばれていました。住所地番制度がまだ未発達だったこと、人の移動が少なく同じ地域に同姓の親族がたくさん住んでいた名残から屋号は当たり前だったと思います。
しかし、戦後になりその風習は徐々にすたれ、商家はともかく一般の人に屋号はなじまなくなってきたようです。その後は屋号としての泉号ではなく名前としての泉号が中心となり現在に至っています。昔の収集家は時代によって号を使い分けていて、たとえば田中啓文もはじめは清岳堂 田中謙と称していますが、後に銭幣館 田中邦泉と名乗るようになりました。(謙から啓文には改名?)このように号は時代によって家や場所を現すものと、個人を現すものがありますが、なかには小笠原吉助や郡司勇夫のように、屋号をあらわす部分を取って白雲、淘泉のように名前の号としても使用した例もあり、これはこれでまた便利な使い方ですね。

私の号「浩泉丸」は泉界に名を出すときに舎人坊石川氏が付けてくれたもので、仮号なので改号を勧めて下さったこともあるのですが、すっかり定着してしまったので今さら変更は難しいと思います。
改号するなら同じ音の「幸泉丸」、「巧泉丸」か、穴銭好きで「好泉丸」「孔泉丸」「恍泉丸」・・・強そうだから「攻泉丸」」、格調高く「皇泉丸」・・・業界発展のため「興泉丸」、男らしく「睾泉丸」。
本当はガンガン攻めるイメージの「攻」がカッコいいのですけど、どちらかと言えば責められるタイプですし、守りも弱いので・・・「孔泉」も良いと思ったのですが、中国の報道官が同じ名前で却下。皇朝銭は集めていないので皇泉丸もだめ。幸泉丸、巧泉丸、香泉丸、興泉丸は釣り船みたいです。かといって恍泉丸はなんかボケてそうですし、万一ボケたときにも格好悪い。睾泉丸・・・却下。

実験的に好泉丸にしようと思いたち、実際に直し始めたのですがGoogleで検索できなくなるのでやはりやめました。改名は難しいです。
 
5月9日 【朽木昌綱公の秘宝公開】
大英博物館所蔵日本貨幣カタログ(Catalogue of the JapaneseCoin Collection (pre-Meiji) at the British Museum
)についての情報を最近相次いで聞き、早速入手してみました。このカタログは朽木公のコレクションを再発見した下関市立大学の櫻木晋一教授が編集に携わったもので2010年に刊行されたようです。TICCの会場でYさんとHさんにこの本の存在を聞き、家に戻ったところ大阪のSSさんからも情報メールを頂戴していました。富本銭から江戸期貨幣までの1325点が展示されていて、その中核となっているのが朽木公のコレクションです。(再発見された朽木公のコレクションは2500点あまりでした。)櫻木教授をネット検索すると「六道銭の考古学」や「貨幣考古学序説」などの著作にヒットします。出土銭に関する研究の大家のようです。(拍手!)
さて、カタログの内容ですが英文はちんぷんかんぷんながら画像は美しく、中でも錫母からはじまる御用銭母銭~高頭通彫母など一連の難波銭コレクションが目を惹きます。また、錯笵銭については(中には意図的な作銭や焼け銭が含まれているものの)当時から好まれていたことが伺われる珍品が多数含まれています。
時間を見て英文の和訳にチャレンジしようかしら・・・それとも、英語ぺらぺらの妻に頭を下げようか・・・。

※アクセスカウンターがついに34万人突破。ありがたいことです。
 
5月8日 【新種発見?!】
四国のKさんからの投稿画像です。(ありがとうございます!)
中字背文欠画通です。通字の跳ね部分に明らかな加刀痕跡が残っています。この品は収集に連載している文源郷氏がいかにも好みそうな風貌ですね。類品がありましたらご連絡をお待ちしています。(銭径25.3㎜)
北海道に行ったとき、石川さんから頂いた品物についてまだ全て紹介しきれていませんでしたのでそのうちの一つをご紹介。寛永銭に赤いリボンを付けたもの・・・ですけど、これが正規の上棟銭。昔はこうやって建てまえの時に金品を撒いたそうです。古銭としての価値というより、民俗歴史学的な価値ですね。
私の住んでいる町では建てまえのときにお餅やお金を撒く行為はほぼすたれてしまっています。私の記憶では35年位前に近所のスーパーの上棟式の記憶が最後ぐらい。そのスーパーはなくなってしまいましたが、あまりに派手に撒いたので教育上と事故防止上好ましくないという声がPTAで上がり、町内で自粛されていったと記憶しています。同様に神社の豆まきのときにお金も撒いていたのも中止されました。境内の砂利の間に落ちたお金を拾いに小中学生が深夜まで境内を懐中電灯で探しているのが問題視されたと記憶しています。上棟のときに餅などを撒くのは、まだ田舎の方に行けば残っているようです。町内ふれあい行事(真剣勝負?)としては楽しかったので復活すればいいのにな。
 
5月7日 【Ⅰ氏、SS氏からの贈り物】
左は短尾寛方冠寶のⅠ氏から、買い物をしたついでに頂戴した獲物です。氏も薩摩広郭の白銅銭か・・・と氏も色めきたったそうですが、残念ながら大きなワレが入っていて、接着剤で接合してあります。断面もちゃんと白いので氏も純白の薩摩の存在を知った・・・と、ここまででお話が終われば良かったのですが残念ながらこれは精巧な贋作。
手にした瞬間、重く、ちょっと冷たい・・・これはネットで調べた銀特有の感触で重量を量ると案の定25.1gありました。通常の天保よりやや薄手ですので、これはばれます。とはいえ欲目に駆られていると見えないかもしれません。ちなみに銀の比重は銅の1.15倍ですから、21.5gの天保銭はおおよそ24.7gになりますのでほぼ計算通り。銀の地金買い取り価格がg55円ぐらいだそうですので・・・1375円!え~っ、そんなに高いの?これは?
文字の縮小があまり目立たず、銭文径は41.3㎜あります。
重さのほかには、側面の仕上げがいまひとつで色も銀色すぎます。(5月3日の天保は画像では青白く映りましたが、白いながらもやや色が黄色っぽく、重さは22.4gでした。真贋が断定できなくても少なくとも土台は本物だと思います。)しかし、写しの技術は丁寧ですばらしく見事に細部まで再現しています。銀写し、恐るべしです。

そのとき、Ⅰ氏から購入したのが下の明和期俯永の面背逆製です。
明和期俯永の面背逆製は持っていなかった・・・と思いきや持ってました。でもいいです、こんなの好きだから。できれば小字が欲しかったですね。舎人坊石川氏も錯笵系が好きだそうで、次は錯笵銭の研究だなんておっしゃってましたっけ。

画像掲示が前後してしまいましたが、探していた往時古泉家芳名録(瓜生有伸著)を入手できました。お贈り頂いた大阪のSS様ありがとうございます。文字通りの芳名録ですが、往時の古銭家の名前と住所、写真などが確認できる貴重な資料です。
創作貨幣贋造師の小田部市郎の写真が残っているなんて・・・。
気になったのは私が二代泉貨堂とした写真が初代のものとして掲載されていたこと。もういちど調べなおす必要があるかもしれません。
※すぐ調べがつきました。大正10年10月下間寅之助の古銭5巻10号に二代泉貨堂の訃報として写真が掲載されています。私が正解。下間は泉貨堂と親しく間違うはずもなく、古銭は下間本人が直々に編集していますし、まして訃報なので間違うはずもない。ということは二代泉貨堂として掲載された左の韓流スター風イケメン写真はいったい誰・・・ということになるのですが、三代目辨一郎氏とは全く似ていない。でもよく見ると二代目の面影がかなりあるような気がします。多分この古写真も若いころの二代目なんじゃないかしら・・・。この時代(推定明治後半)のブロマイドのような写真のつくり・・・かなりおしゃれです。泉界イケメンNo1です。

→ 泉家・収集家覚書

※TICCのときHさんから背元に打たれた「春宮」刻印銭の話を聞きましたが、「春宮」は1820年代のもの。一方、寛保期は1740年代ですからこの組み合わせは大ありです。背元の春宮は珍しいかもしれません。(春宮自体があまりないものですけど・・・)  
 
5月6日 【マニアック講座:特別編】
会津濶縁離足寶の美銭が入手できたので、改めてこの件について考察してみます。対象は会津短貝寶、会津濶縁、同再覆輪、同濶縁離足寶の4種です。

まず、会津短貝寶は他の銭種に比べて明らかに
文字の修飾が見られます。天の払い、保点、當冠などの違いが分かりますか?そのためか文字が大きく感じるものの、実際の銭文径は40.1㎜ととても小さい。このサイズは本座の1回写し以下なのです。銅色は赤い物が多いものの、黄褐色もあります。
会津濶縁の類は本座の覆輪写しと思われるのですが、銭文径にばらつきがあります。通常品は40,5~7㎜ぐらいだと思うのですが、再覆輪と言われるものは40㎜ほどになります。人間の目はいい加減なもので、会津濶縁より短貝寶の方が文字が大きく見えてしまいますが、それは前に述べたように短貝寶の文字末端が修飾で長くのばされているからではないでしょうか?
再覆輪の文字収縮はさらに縦方向の圧縮が顕著になります。個人的には再覆輪という加工があまり現実的ではないので、強覆輪ではないかなぁ・・・とイメージしていたのですが、再考してみると収縮度合いから2回写しが妥当かもしれません。
画像を重ねてみると短貝寶と濶縁再覆輪、濶縁離足寶は銭文径はほぼ重なりますが、内輪の位置が全く一致せず、短貝寶だけが輪の内側・・・とくに背側がの上部の加工が顕著です。濶縁は黄褐色~淡黄色が普通で赤いものはかなり少ないようです。
濶縁離足寶は入手した3品とも銭文径が40㎜を切っています。ただ、これは短貝寶や再覆輪との差は誤差の範囲ですし、実際に離足寶と濶縁再覆輪の書体などの見た目の差は非常に微妙なところ。古銭書の拓で見るのと現物の印象はずいぶん違う気がします。
離足寶の銅色は入手品3枚のうち2枚が赤く、輪左に瑕があり、黄色いものだけは無j瑕です。イメージとしては赤いものが多いのではないでしょうか?と、いうのもこの濶縁離足寶は短貝寶の改造母銭から生まれたのではないかと言われていて、同じところに瑕を持つ短貝寶の大様銭も見つかっているからです。しかし、銭文径を見る限り、短貝寶と濶縁離足寶に親子の関係はありえません。

可能性があるとすれば、会津短貝寶と濶縁離足寶、会津濶縁再覆輪が兄弟関係であり、それぞれが
会津濶縁を起源として派生して生まれたということ。銭文径や背の刔輪から考えてそれが一番可能性が高いと考えます。また、会津は江戸屋敷と本国で天保銭が作られたと思われ、江戸で作られた会津濶縁の母銭が本国に持ち帰えられ、再覆輪、濶縁離足寶、短貝寶が生まれたとは考えられないでしょうか?色分布の違いはそのまま、銅の調達地の差になっていないか・・・これが新たに考えた仮説です。
会津濶縁離足寶と短貝寶は筆勢が似ていてもっとも近親の関係にありそうで銅色分布から考えても可能性があります。

発生順位として
①本座銭を覆輪加工して会津濶縁が誕生。
②会津濶縁再覆輪が誕生。
 → 会津本国で鋳造が始まる。
③会津濶縁離足寶が誕生。
④会津短貝寶が誕生。

銅色分布もこれに従っていると思います。
すなわち下位になるほど赤いものが増えてゆく。ただし、②の赤いのは見たことがない。

以上、数少ない手持ち品と、経験から考えました。会津銭は昨年6月のネットオークションで大量出品されたこともあり、昨年だけで濶縁再覆輪2枚、濶縁5枚、濶縁離足寶1枚、短貝寶4枚が新たに収集品に加わりました。(詳しくは昨年6月の制作日記をご覧ください。もともと私は大量収集家ではないのでこれは異例なこと。おかげで楽しい妄想を膨らますことができました。

真っ赤な濶縁再覆輪が見てみたいしあるのなら欲しいのですが、実在するのでしょうか?
既述したように赤い会津濶縁は1枚しか保有しておらず、ほかに見たことがないのです。

真っ赤な会津濶縁再覆輪の画像投稿お待ちしています。興味のある方は覆輪刔輪マニアック講座の改造銭物産展もご覧ください。
   
会津短貝寶濶縁手 銭文径40.1㎜ 
会津濶縁(輪幅の広めのもの) 銭文径40.7㎜ 
会津濶縁再覆輪 銭文径40.1㎜ 
会津濶縁小頭通 銭文径39.9㎜ 
お詫びと訂正
あーでもないこーでもないと仮説の段階から御託を並べておりましたが、ある重要な点を見落としておりましたので反省を含めて記事訂正させて頂きます。まず、一番肝心なことは、上記の最下段の品が濶縁離足寶ではなかったということ。
収集品を整理していてHP未掲載品の存在に気づきました。会津濶縁小頭通です。(つまりこれは2枚目の入手品でした。)
當百銭カタログにもしっかり掲載されています。(類似カタログには掲載されていません。拓本上の判断が難しいからだと思います。)泉譜をよく確認せず、独りよがりで記事を書いているからこんな間違いを犯すのですね。また、手持ちの濶縁の銭文径をもう一度確認しましたが、ばらつきが多く40.7㎜~40.3㎜前後までありました。この件も昨年の6月の制作日記にしっかり記述していて、濶縁の標準銭を銭文径40.7㎜とするのは「こうだったら理論上整合する」という私の主観が入ってしまったものであると反省しています。(上の会津濶縁銭の銭文径はしっかり40.7㎜です。)
銭文径のばらつきは覆輪変形と砥ぎの強さによるものだとも考えられ、標準銭と再覆輪銭の区分の定義と合わせて問題になるものだと思います。さらに、手持ちの会津濶縁の赤銅銭は1枚しかない・・・と書いておりましたが2枚ありました。したがって今回の記事は入手品に喜んで功を焦ったコレクターが妄想に駆られて書いた記事・・・ということで、ご容赦ください。
とはいえ濶縁小頭通にしろ、この輪の瑕はなんなのか・・・離足寶の輪に瑕のあるのものも再び探さなければならなくなりました。
   
 
5月5日 【収集・投稿画像より】
TICCの会場でHさんから、ネットオークションで落としまくっていますけどよく続くね・・・とご指摘を受けました。たしかに応札はたくさんしていますが基本は応札しっぱなしが多く、間際で逆転されることがほとんど・・・というより、最近は競ること自体をあきらめています。とはいえ、お金を使っていないと言えばうそになります。おかげで話題には事欠かなくなってますが・・・。
さて、一番上の画像は大川天顕堂・青寶楼伝来の宏足寶とか・・・12万円超過の評価となり鉄人のSさんが落とされたと記憶しております。一時期は躍起になって競っていましたがここら辺はもう私は手が出せなくなってきました。Sさんのご自宅は私と同じ県内なので、いつの日かお会いしたいと思います。
続く画像は力永の大型母銭ということで四国のKさんから(ありがとうございます。)・・・25㎜を優に超えるその存在感が美しいですね。Sさんは争いを避けて雑銭ねらいということですがどうしてどうして、良いものを見つける嗅覚はさすがです。同じく下の天保銭はKさんの投稿画像。ネットでも出て目立っていたのでお気づきの方はいらっしゃるでしょう。曳尾狭天の初鋳と末鋳の2品です。右が次鋳だとおもしろいのですが、左右の内径はほぼ同じです。左側の男前ぶりはなかなかのもので、比較サンプルとしては最高のものではないでしょうか。
最後は1000円で出ていた天保銭の組み物です。落札価格は15万円超過で驚異の価格。理由は左上のものが仙台長足寶だったから。あれ肌で状態はいまひとつながら背の濶縁ぶりが素晴らしい。右上の細郭も郭内やすりが変ですし、寶足が眺めで背の當字が隔輪してますので不知銭の可能性があります。それにしても落とされた方は意地だったんでしょうね。鉄人Sさんを負かすぐらいですから・・・。
 
5月3日 【TICCに行ってきました!】
勤務日を交代してもらい、TICCに参加しました。会場はロイヤルパークホテル。開場1時間前に到着しました。会場は脂ぎった熟年男子の加齢臭にむせかえる盛況ぶり。若い女性はアルバイトのお姉ちゃんたちだけで、この趣味の行く末が危ぶまれます。かくいう私も確実に染まってきているようです。
10時30分開場です。例によって、ノギス、ルーペに小型の秤まで持参。最初に行ったお店で不知天保銭を発見。これは頂き・・・と思ったのですが、計測したらどうも自信が持てない。よく見ると書体も普通だし、写しの天保にウン万円は払えないとパス。とあるお店に会津の萎字大広郭の極美銭があるのを発見。これにはいたく感動しました。会場内で鳳凰山氏からも声をかけていただきましたが、氏のくったくのないさわやかな笑顔に、一瞬、あれ、この人本当に鳳凰山さんだったっけな・・・とためらってしまいました。古銭収集をしている方々は、精力的で油ギッシュな方が多いと思い込んでおりましたが、物事を極めておられる方はさすがに落ち着きが違うと・・・妙なところで感心してしまいました。(ご挨拶もろくぽできずすみませんでした。)昨年被災された仙台のHさんはもう立派なコレクションを再形成されていて、なかでも仙台異書類の母銭は美しく思わず見入ってしまいました。流された古銭がもっと見つかると良いのですけどね。YさんHさんとも合流して古銭談義。Hさん(仙台のHさんとは別人)は私の見たかった薩摩小字をいち早く購入されていて拝見することができました。Hさんは超珍品の仙台広郭をも持参されていてこれもまたすごいの一言。Yさん、Hさんとも穴銭はよく分からない、専門外だと言いながら、私より数段上の収集をこなしています。Hさんはネットオークションも携帯で常時チェックしている強者です。
さて、そんなHさん・・・よく分かんないけどこれはどう・・・と、取りだしたのが真っ赤な秋田の細郭・・・ただし完全な変造品でした。(私もかつて引っかかったことがありますのですぐにわかりました。)薩摩小字を即金で購入し、仙台広郭を持っているような人が秋田細郭を持っていなかったって・・・別の意味ですごいことです。
紅白揃い踏みとは非常に美しい。
それでは私もと言うわけではずかしいのでしぶしぶとり出したのが本日の収穫品。最初は秋田の広郭の美銭。少し青錆も出ていますがこいつは問題なしの品です。未使用色が残ってますし「黄色い地金もの」ということで購入したのですが手ずれすれば赤くなると思います。たいしたものではないものの伝世美品は買うべし・・・が私のモットー。もう一つが会津濶縁とホルダー書かれた天保銭。多少値引いてもらっていたものの30000円の値札がついていたので案の定Yさんからは「高すぎるよ!」とストレートなコメントを頂戴しました。でもそれは予測の範囲で私的にはOKなのです。これは探し求めていたタイプの会津濶縁離足寶そのものだからなのです。それは輪の左に瑕のしっかりあるタイプ。色が赤く書体の雰囲気が会津短貝寶にそっくりです。かつて私はこれが会津短貝寶を母として生まれたのではと、仙人に教えて頂いた情報をもとに実証しようとしたのですが、親子関係ではなくどちらかと言えば兄弟関係にあたると今は考えるようになりました。(→ 覆輪刔輪マニアック講座を参照ください。)
次にとり出したのが問題の一品。薩摩広郭の純白銅銭です。正直に言うと薩摩広郭の白銅銭には10万円をはるかに超えて投資しています。しかし結果は白銅質であったり、メッキであったり、いまひとつ真贋がつかないものもあっていまだに迷っています。ここのところ白銅銭についてずいぶん語りましたから、今日も会場で白いものはないか物色してしまいました。そうしたら、天保銭などはほとんど置いていなそうなお店で、手作りのケースに入れられた収集家の放出品らしきものの中に混じってこれがありました。会場は暗いので色はよく分からないけど、製作に不自然さはない・・・との判断。白銅銭談義の効果(被害?)抜群です。
しかし、Y氏、H氏とも一目見るなりこいつはだめ・・・側面が現代風だよ、と、言下に一蹴。これにはへこみました。言われてみればその通りかもしれない、角がぎすぎすしているように感じますし、改めて見ても白すぎる・・・やっぱりだめか・・・と超弱気になりあきらめていました。
ところが、帰りの車中・・・高速が渋滞していたので入手品をもう一度日光の下で観察して見る機会ができました。
「あれ?・・・悪くないぞ。側面のやすりもしっかりある。」会場では確認しきれなかった極印も右は割れている部分にかかって深く、左は浅いもののしっかりあります。角が立っているように感じるのは金質が固いからのようで、右の輪の割れは極印の打ち込みによって生じたもののように思えてきました。
家に戻り1200dpsとスキャナーの限界まで拡大してみましたが、天上輪部の少し色づいて見えるところは、墨・・・つまり拓本を採らた汚れらしく青錆も自然です。拡大すると地肌や文字表面は微細気泡が噴出したように見え、銀メッキのような皮膜感、のっぺり感はありません。

断言できます。ひいき目ではなく、今まで見てきた薩摩の白銅のどれよりも自然で白いのです。
鋳不足状の欠けはありますが、これもまた景色です。Yさん、Hさん・・・こいつは本物です!これがだめだったら、もう白銅好きは返上しなくてはなりません。だからお願い・・・こんどこそ!

※本日聞いた情報。
琉球通寶の山字添え印と三字刻印は京都の薩摩屋敷のあった地域で良く見つかるとのこと。三字刻印は川で、これは薩摩藩士の割符ではないのか・・・と言う説。(京都に拠点のある方から・・・なるほど。下田刻印の秘密も聞いた。岡藩銭の話も・・・ちょっとショック。
(矢内・邊見・原田)
 
5月1日 【知ったかぶり講座:金属のお話】
銅の寛永銭を構成する主な金属は、銅、錫、鉛です。その他に亜鉛が真鍮銭(4文銭)に、鉄などが雑成分として混入するぐらいで、これ以外の金属は白目と呼ばれる謎の多い原料金属のみ。極論すれば銅銭は青銅銭なので、銅と錫さえあれば事足りるのですが、その他の金属は合金として金属の性質を変えるため、あるいは原材料の水増しとして混入されたか、それとも精錬段階で除却しきれなかった金属です。

金属の融ける温度は様々で、低い順に並べると錫は約232度、鉛は約328度、亜鉛は約420度、銅は約1083度、鉄は約1535度というようにかなり異なります。これらは「融ける温度」であるとともに「固まる温度」でもあることを忘れないでおいてください。

古代の歴史において文明をもたらした金属をあえて2つ挙げるとすれば一つは銅であり、もう一つが鉄になるでしょう。銅は文明繁栄をもたらし、鉄はヒッタイト(最近はトルコ説もあるらしいのですが)による鉄武器使用などで知られるように、世界地図を書き換えました。両金属とも精錬するのには高温が必要になりますが、銅は再加工が簡単で様々な道具にすることができ、鉄は鉱石そのものが豊富で、切れ味鋭い武器に加工すれば圧倒的な力をもたらします。金属は金属塊として産出する例もありますがそれは稀で、多くは硫化物や酸化物などの状態で産出します。たとえば自然界の鉄の多くは酸化鉄・・・つまり赤錆であり、銅の多くは青錆をふいた硫化化合物です。砂鉄はまだ金属らしい形状であるものの銅鉱石はまさしく岩そのものです。

錫や鉛は熔解温度も低く、比較的精錬による抽出が簡単でした。たとえば錫は鉱石を木炭で熱してゆけば金属分が簡単に融けだし、炎の中で酸化錫となり、やがて燃え盛る木炭が錫から酸素を奪いとって還元作用が起こるので金属化できます。鉛も同様の工程で精錬が可能です。
鉄もほぼ同じ工程なのですが、高温状態を長時間保たなければならないので大変でした。古代日本の製鉄は砂鉄を主原料としたたたら製鉄が有名ですが、できあがった鉄は炭素鋼なので硬いもののもろく、刃物にするには叩いて鍛える(炭素含有量を減らす)必要もあり大量生産には実は向いていませんでした。鉄が大量生産されるのは鉄鉱石から直接銑鉄を採りだす技法が開発されるまで待たねばならず、少なくとも江戸時代の日本にはその技術はありませんでした。

一方、銅は主に硫黄や鉄、亜鉛などと結びついた鉱石として産出します。和同開珎が秩父の山金(自然銅:にぎのあかがね)の献上がきっかけになって作られたのは有名な話ながら、自然銅が大量に採取できたとは考えがたく、やはり銅鉱石から銅が精錬されたというのが定説です。
金属として銅を取り出すには「焙焼」といって鉱石を野焼きします。すると鉱石中の硫黄が自ら燃焼を始めます。融点の低い亜鉛は気化して煙として空気中に放出されます。(猛毒の亜硫酸ガスやヒ素などが排出。)
焙焼により鉄は硫黄や酸素と結びつき硫化鉄・酸化鉄となり鉱石の表面に集まり、その内側には比較的純度の高い銅の塊ができます。この銅塊を集めて焙焼を繰り返してさらに精錬します。化学反応しやすい鉄は銅から酸素や硫黄分を奪いそれらを還元します。また鉄は融点も高いので銅より先に冷えて鉱滓(スラグ)として固まります。時間と手間はかかりますが銅は鉄より精錬しやすく、量産にも向いていました。

その銅の利便性をさらに高めたのが銅の持つ不思議な特性・・・融点降下現象です。銅単体を融かすのには1000度以上の温度が必要なのですが、銅は錫などの金属に低い温度で融けるのです。錫は232度で融けますがその融けた錫に銅をいれると約800度程度で銅が錫の中に融けてゆきます。800度はタバコの火の温度ですから、木炭燃焼で容易に溶かす温度を得られます。身近な現象では、海水はなかなか凍らず凍った海水は0度以下で融けますよね。純粋な氷は塩分に接することにより本来の融点(0度)より低い温度で融け始めます。温度が違いすぎてちょっと混乱するかもしれませんが原理は同じです。この融点降下現象のおかげで、銅は金属界のスターになりえたのです。

相手金属に融けるということは合金化もしやすいということ。銅は錫はもちろん、鉛、亜鉛などとも抜群の相性を見せます。一方、鉄は銅に比べると気難しい金属。融点が飛びぬけて高いので凝固するときにいち早く分離しやすく、沸点の低い亜鉛などは、鉄が融ける前に気化してしまいます。安定した銅鉄合金の鋳造は現代技術をもってしてもきわめて困難なのです。したがって銅銭への鉄混入は合金化を真正面から狙ったとは考えがたく、精錬で除去しきれなかった鉄分が残ったものか、原料の水増しのために意図的にぶち込んだものであり、極めて不均一かつ不安定なものであり、金属をもろくしにス穴があくなどの弊害覚悟のもののような気がします。余談ながら亜鉛は融点も沸点も低いので(沸点が900度ぐらい)加工はしやすいのですが扱いがとても難しい。温度を上げすぎると突然沸騰してときには爆発します。亜鉛と銅の合金を真鍮といい、鋳物ではとても流動性が高く加工はしやすいのですが、なにせ当時は亜鉛は輸入品でしたし、下手に扱うと大怪我をする。(作業そのものが危険と言う意味と密鋳がばれやすいという意味で・・・。)したがって江戸時代の真鍮銭は幕府関係者以外では量的な調達は不可能だと考えます。亜鉛は江戸時代に日本国内で精錬されることはありませんでした。

さて、お話ついでに謎の金属の白目についても語っちまいましょう。
白目というと寛永銭では元文期平野新田のことにもなりますが、金属原料で白目というと・・・実は白っぽい金属類はみんな白目と言われていたんじゃないかとというのが私の考えです。錫と鉛の自然合金(スズ石)も白目ですし、秋田の白目は自然の錫合金(錫とアンチモンなど)なのは有名な話。当時、豊後で採れた白銅鉱と言われるような白っぽい銅錫鉱石も白目。調べていたら銀の精錬の過程で出てくるスラグ(余分な雑金属)も白目と言うそうで、もともとはこれを銭鋳造にリサイクル利用したのが白目のはじまりだとか・・・。どうせ捨ててしまうような産業廃棄物的金属なので、幕末にはかなり質の悪い白目も使ったんでしょうね。幕末の白銅銭の鉄分大量混入はこのあたりにも原因があるかもしれません。
 
4月29日 【鍍銀銭・上棟銭について】
北海道のお土産にと、石川さんから頂いた雑銭類です。最上段は繊細字小文の鍍銀銭です。背輪に梵字が刻印されています。この梵字刻印類はよく見かけるのですが、読み方が分かりません。上棟銭と言うよりお守り銭に当たり、石川氏いわく、非常に古いタイプの鍍銀銭であるとのこと。それを示す証拠として
銀に磁性がわずかにあります。これは現代のメッキ技術では生じません。昔は精錬技術が低いため鉄分が残っていて、分厚く銀をかけているので磁石に反応するのです。鍍銀であることは拡大すると刻印の裏面に当たるところにわずかに地金の色が出ているのでわかります。
※梵字を調べましたが中央の文字が阿弥陀如来を意味するキリークという文字に形が似ています。(浄土宗系の守り銭か?)

中左は白銀色の白銭五銖・・・地金の錫、鉄分が多いと思われ、かなり強い磁性があります。黄色みが少なく、銅気が感じられない色は天然の山錫、自然白銅などによる鋳造なのかもしれません。鉄の大量混入があるものにとても滑らかで自然な肌。専門外なのですが興味がそそられますね。書体では金の形が左右対称なのがポイントです。

中右は白銀色の長門勁文。鍍銀の色ながら長門銭はもともと白銅質なのでぼろが出にくいのです。こういうときはスキャナー拡大です。すると下左のように地の部分に染めが入り砂目がなくのっぺりしています。これが後メッキの証拠です。艶のない黒っぽく銀色は鉛の多い錫(ハンダ)か、アルミ蒸着によるものでしょうか。こちらはくまなく調べても地金の色は確認できませんでした。
下右は同じ色をした鍍銀銭の拡大図。(6倍)
縁の部分に擦れがあり、銅色が出ています。白銅銭にも銅色が見られることがありますが、このように一部分ではなく全体のトーンが同じになります。全く黄色みのない白銅には気を付けましょうね。

※ルーペ10倍以上で確認できるものもありますが、私は怪しいものはスキャナーで6~12倍にして調べています。
ただし、それでもわからないものが存在します。人の作ったものは再現(贋作)が可能だからです。
  
4月28日 【純白銅銭の魅力2】
白銅銭と一口に言ってもその色調レベルは様々です。たとえば明和期長崎銭や亀戸銭などは、他の寛永銭に比べれば色は淡い褐黄色なので白銅質であることは間違いないけれど、純白のものは見たことがありません。また、人によっては白銅銭だといって黒っぽく変色した個体を見せる方がいらっしゃいますが、白いもの求道者としてはそのようなゲテモノは許しがたい。あくまでも色白美人が基本で、ヤマンバGALは嫌いです。白銅は見た目が命であり、白銀に近い方が美しいと思います。
不知長郭手宏足寶白銅銭
純白まであと一息かしら?
私お気に入りの白銅銭
さて、では白銅質ではなく純白の白銅銭(浩泉丸認定)にはどんなものが存在するか?可能性を含めて推察します。
1.元文期平野新田銭 ご存知白目の系統。保存状態によりますが純白と言えるものが多見されます。白いもの求道者としてはまずここは確実に押さえたいところ。

2.元文期十万坪銭 比較的散見される無印のものから求めましょう。虎の尾寛小字の純白も確認。虎の尾寛にも多分あると思います。含二水永も泉書などにはあると書かれていますが未見。輪十にも絶対あると思いますが、まだ白銅質までしか確認できていません。挑戦してください。

3.佐渡銭の類 元文期系には確かに存在します。ちょっと高級品が多いので、手を出しづらいかもしれませんが、純白のものまであると思います。状態の良いものをお探しください。

4.元文期不旧手の類 純白銭と言うと少し黒みがかったものが多いので異論があるかもしれません。ただ、かつて純白に近い折二様を所有していたのですが、調子に乗って売却してしまいました。あれから見つかりません。

5.享保期異書の類 古くから存在が知られていてとても魅力的です。お金を出して買うのならこの類がお勧めです。はまること必至。

6.古寛永長門銭の類 白銅質というと長門銭というイメージがありますが、長門のこれぞ純白と言えるものは私はまだ出会っていません。(黒みがかっているか、黄色みが入っているものが多い。)でも絶対あるはずです。

7.その他の古寛永 水戸銭長永、流永、浮永の類にはかなり白いものが存在します。岡山系もかなり良い線いってますので多分出てくると思いますよ。そういえばかつて関西のSさんが称鳥越銭の純白をご投稿下さったこともありましたね。

8.寛文期亀戸銭を探すようになれば白銅中毒は頂点です。縮字系、繊字系は確認。退点文にもあるらしい。その他の書体は純白といえるものは確認できていませんが細字にはありそうです。

9.天保銭の類 萩天保曳尾、方字など 曳尾の純白はまだ見ていませんがあるらしい。方字は確認済み。縮通あたりもありそうです。薩摩広郭はあるとは聞くものの納得できるものに出会っていないというか、自信が持てないでいます。琉球の広郭には白銅質らしき色調のものがあるのでいつか白い琉球が出てくれば楽しいと思っています。佐渡本座写には純白のものがあるとは聞きました。大和文庫にかつて画像があったと思います。秋田のM氏からも聞いたこともありますので確実に存在するでしょう。その他では称:久留米天保はかなり良い線いっているし遒勁も先日白いやつが市場に出た。(2月29日記事参照)不知品をふくめて純白に近い天保はかなりあるんじゃないかしら。図体が大きいので目立つこと必至です。

10.文政期当四銭の純白はすごい。小字のみ確認。仙台のH氏にかつて見せてもらいましたが見事な純白。他の書体もあるかもしれませんが、小字でさえまだほとんど確認が取れていませんので・・・。

母銭類に白いものはかなり存在します。錫は収縮率が低く、錫単体だと加工しやすく、合金化すると硬質化して丈夫になるので母銭にはうってつけ。山錫として粒状で産出することもあり、精錬も簡単で秋田天保の母銭はこの天然の白目(錫と鉛などの自然合金)で鋳造されたのはかなり有名な話です。母銭くずれの純白銅銭はあると思います。手軽なところでは高津母銭(持ってたけど売ってしまった)や明和期の当四銭の白い母銭はきれいですよ。
※見つけたら自慢のできる純白銅銭(出現の期待もこめまして・・・)
1.文銭の純白銅銭(繊字以外) 2.輪十の純白銅銭 3.天保銭の純白もの 4.文政期の純白銅銭 チャレンジしましょう!
 
4月27日 【純白銅銭の魅力】
私が持っている文銭の白銅銭のなかの最高峰、縮字背文の純白に近いもの。こいつは白いよ!繊字の白いものはよくありますけど、それ以外は少ないのです。(楽龍堂さんによると)退点文には純白もありえるそうで、正字には白銅質はありますが純白は未見です。中字なんか白銅質でさえ肯首できるものは見てない。
寛文期亀戸銭縮字背文純白銅銭
厳密にいえば細字だって納得、満足ゆくものは見ていない。すなわち、私はコレクターとしてはまだまだのレベルなのです。文銭の白銅銭には磁性が見られないので、錫分過多によるものと思われます。
白銅銭出現の可能性はいくつかのパターンがありそうで①天然の白い金属を原料に使ったもの②非意図的に錫分などが多くなった配合不均一の結果③意図的に鉄分などの雑金属が増えたもの④精錬技術の問題の結果 などが考えられますね。いずれにしても白くなったのは試行錯誤の結果であり、鋳銭者の意図ではなさそうなのですが・・・白目の類はどうなんでしょう?
明和期のものは白銅と言っても黄色っぽいし、叶手元祐に似ている。長崎銭は土呂久鉱山産の銅らしいと聞いておりますが、明和期銭はひょっとして、叶手元祐をつぶして再鋳造したものだったりして・・・。明和期の銅銭鋳造は謎なんです。(鉄銭全盛時に採算がとれない銅銭をなぜつくったのか?)歴史探究は面白いのです。このお話はここまで・・・この続きはキュリオマガジンに石川さんが書いてくれるでしょう。

ひとくちメモ
土呂久(とろく)鉱山:関ヶ原以前に守田山弥之助によって開発された日向(宮崎)の鉱山。守田は豊後の尾平鉱山と土呂久鉱山などを開発運営し、銅や錫を精錬していました。姓は多々良であり、たたら製鉄を伝えた渡来人の末裔でしょう。当時、金属を扱える技術者集団は国内にわずかであり、一族は国境を越えて各藩に招かれ各地を行き来していたと聞きます。当然ながら幕末には各藩の密鋳にもかかわっていたと思われますが、一族の掟なのでしょうか一切の情報漏えいは見られません。幕府や藩も一族の庇護と流出防衛に必死だったと思いますが、権勢の拡大を恐れた幕府は身分上は最下位に位置付けたと聞いています。
九州鐚、とくに叶元祐は土呂久の銅を用いて鋳造されたものらしいのです。また、尾平鉱山は錫鉱が豊富で、当時の寛永通宝の錫にはこの尾平産が使われたらしいのです。(あるいは豊後白目と言われたものか?尾平鉱山は岡藩の直轄鉱山になっているそうです。)土呂久鉱山は当初銀山として開発されたようですが、後に銅鉱山として名をとどろかせたようです。ヒ素を多く含む硫化銅鉱(黄銅鉱)が産出したようで、昭和に入りヒ素鉱毒事件として新聞紙上をにぎわせたので土呂久をインターネットで調べるとこの記事ばかりが出てきて困ります。なお、守田山弥之助は森田三弥等とも表記され、日向地方の民話に夢買いの長者として(多分実話が脚色されて)出てきます。
 
4月26日 【北海道に行ってきました!】
石川氏の出版記念ということで北海道まで出かけました。北海道は5年ぶりぐらいかしら・・・。
リハーサル中の石川氏
実は私、北海道にゆかりのある某ビールメーカーに勤めていたこともあり、またスキーが趣味と言うこともありましてまして(何回かすべりにも来ています。)、北海道には親近感といいますかあこがれに近いものを感じます。
ホテルに到着したのは5時・・・6時半のパーティー開演時間まで散策を兼ねて会場の「チロリン村」までぶらぶら・・・天気は快晴です。テレビ塔の背景の空が美しいかったなぁ。「チロリン村」には札幌開道古泉会の方々が集まりパーティー開始です。九州からは美・珍・奇の吉川氏、楽龍堂の近藤氏が参加されて店内は満席状態でした。古銭談義、盆回しのあとは、私はお目当ての生ビールをいただきに居酒屋にGO。そこで石川さんと中身の濃いお話をさせていただきました。(ただし、アルコールが入っていたのでいささか記憶があやふや・・・。)ビールを2杯お代わりしたところでお店の生ビールがなんと売り切れになった!(なんてこったい!)若いころの私なら暴れていたかもしれませんが、そこは大人・・・店員さんの美しい笑顔に免じておきましょう。(石川様ご馳走様でした。)北海道には・・・とくにすすき野には・・・ずいぶんお金を落とした時期もありましたが、今回は古銭の旅なので自重自重ということで。正直、札幌でこんなに早く寝たのは初めてでした。
ご存知 テレビ塔 笑顔が素敵な店員さん
 
朝の古銭会にて(筆者撮影)
26日朝、私の宿泊するホテルの屋内テラスで朝の古銭会・・・本当は取材(白銅銭談義)の予定だったのですが、前夜さんざんしゃべったし、私個人の意見も書面で渡しましたので寄り道談義です。ホテルの屋内テラスは自然光がちょうどよく非常に見やすい環境でした。(ここは古銭会場として最適ですね。)白銅銭が本来の色でとても美しく見えました。
私はテーマが白銅、上棟銭だということで、手持ちの白銅質銭類をピックアップして持参していました。持参ついでに最近はまっている不知天保銭のアルバムをも抱えてゆきました。本音は寛永銭などが最近未整理でアルバムごと持ってゆくのが恥ずかしかったというのが真相。(機内に古銭を大量に持ち込もうとしたら不審物扱いされて困りました。重いし金属探知機は反応するでしょうね・・・普通。)白銅銭で持って行ったものは、虎の尾寛小字、十万坪無印、平野新田十万坪手・・・これらは雑銭白銅界の王者です・・・亀戸縮字背文、繊字小文・・・限界までの白いやつ・・・異書白銅全揃い・・・基本ですね・・・日荷堂21波(鍍銀:来賓用に50枚しか作られなかったという上棟銭)・・・猿江白銅、長門手本銭、密鋳白銅銭など。天保銭では長郭手、広郭手の白銅のほかに、宏足寶の白銅(こいつは自慢の品。)、真贋不明の薩摩広郭の白銅などを展示しています。薩摩広郭は個人的にはだめかな・・・と思っているのですが、皆さん大丈夫だよと言うことでまた悩むことに・・・誰か本物を私に見せてください。
楽龍堂の近藤氏(上写真手前右)は趣味からこの職業に入ったということですが、専門の近代銭や中世外国銀銭の知識はさすが・・・退点文の純白のものをお持ちとか・・・売ってください!明和離用通面刔輪背削波の母銭は松岡氏の秘蔵の品。これが掘り出しと言うからすごい。欠点0の真っ白な母銭でした。松岡氏からは未見の俯永母銭の探索を頼まれましたので下に例示します。石川氏から持参品の中からひょいと「こんなものもあるよ」と見せてくれたのがなんと、明和離用通面刔輪背削波の通用銭、それも極美品です。あるところにはあるのですね。(選りだしとのこと。)続いて見せてくれたのが、とても巨大な文政離用通。背波が繊細でなんと母銭と同じ内径があるそうです。非常に希少ながら探せば出てくるとのこと・・・本当ですか?贋作師はこれを仕上げて母銭に偽装するとのことでした。しかもとても巧妙なんだそうです。これまた驚きました。米字極印の鉄銭も間近で見せていただきました。そのほかお土産もたくさんもらってきました。(これらは後にゆっくり紹介させていただきます。)
北海道での短い時間でしたが、楽しく過ごさせていただきました。石川様、札幌開道古泉会の皆様、それに楽龍堂近藤様、美珍奇吉井様ありがとうございました。

余談ながら・・・帰りの飛行機がトラブル続きで、2便連続で欠航。空港でずいぶん待ちました。そういえばジンギスカンも食べてないし、ウニもいくらもラーメンも食べてない。女房にはあんた何しに行ってたのと言われてます。古銭見てきたんですけど・・・変ですか?そうですか。
心揺さぶられる品ですね。最近は寛永銭をあまり見てなかったのでドキドキしました。
もう一度勉強しなおさないと恥をかきますね。(かいたかな?)
次は錯笵銭だそうです。マニアックな世界ですね。
明和離用通面刔輪背削波母銭 文政離用通大型銭
銭座和同濶縁
寛永銭座が作ったと思われるタイプの和同。背のつくりがまったく古寛永。薄手で精巧です。濶縁タイプのものは非常に珍しいそうで、石川氏もようやく発見できたとのことでした。
明和期俯永の寶下星(痕跡)
寶下星については新寛永通寶図会に掲載されていますが、これはそれから派生した類品と思われます。寶下星は痕跡程度しかありませんが、寛と寶に鋳だまりがあり郭に2ヶ所の陰起があり、背の波と輪に欠損があります。類品をお持ちの方、ご連絡をお待ちしております。
 
4月25日 【君の名は・・・?】
出発前の更新です。2週間ほど前に画像を四国のKさんから戴いて久々に分類に悩んだものです。(Kさん、ありがとうございます。)最近、古寛永から遠ざかっていてすっかり脳みそが錆びついてしまっていたことに気づきました。一応、自分なりに回答しましたがまったく自信がありません。永尾の波行がとても印象的ですね。そして何より美しい。この永の形は岡山の俯頭永に典型の形なのですが、俯頭永は寶足がビッコになります。岡山系以外では水戸の勁永系でこのような波行があるのですが、やはり寶字印象が異なります。文字も隔輪していますし・・・。岡山に戻って俯永手の蜒頭永も疑ったのですが、寛目の切れもなく、通字もすっきり・・・。結局、第1感の長嘯子手系のもの・・・長嘯子肥字ということに落ち着きました。印象としては肥字進点寛なのですが、寛点が進みません。私の所蔵品よりはるかに美しく印象が全く異なります。ご意見あるかた歓迎します。
 
4月24日 【大和文庫HPより】
白銅の美しい難波銭です。原母銭ということですが初めて見る希少品なのでよく分かりませんが、気品溢れる風格があります。永横の朱のポツが古い収集家の持ち物を示しています。今月の大和文庫のHPは面白い画像がいっぱいありますので、マニアを自称する方は必見です。
ヤフオクで宏足寶が12万円余りでSさんに落ちました。駿河にも宏足寶が出ていますが下値5万円です。これぐらいで手に入ればね・・・。今回は静観の構えでしたが、Sさん強しです。(その昔は4万円で買いました。)
明日は北海道で石川氏の「穴カタライブ」に参加します。生ビール飲むぞ!白銅銭の談義を翌日行う予定ながら、そんなに知識はありませんよ。左のような名品が欲しいですね。
 
4月22日 【泉譜原品?】
四国の寛仙堂氏の旧蔵品の異永降二寛の手本銭です。降二寛はひょっとしたら異永濶字の手かも・・・なんてうろ覚えで応札してしまいましたから、ずいぶん高い買い物になってしまいました。とはいえ25㎜を超える異永ですし、私の初めて手に入れた異永も降二寛ですし、なにより泉譜原品かもしれないという楽しみがあります。しかし、古寛永銭拓本集と平成古寛永泉譜を引っ張り出して見比べても決め手が見つかりません。古寛永銭拓本集には2枚の手本銭が載っていて、それが兄弟銭のようにそっくり。希望的観測としてたぶん原品だとは思うのですが・・・穿の癖から古寛永銭拓本集のNo.5と考えたい。でもわからない。誰か教えてください。

 
金質から母銭としてつくられたものと推定されていますが、小ぶりな桐極印が打たれています。
 
4月21日 【美制大様】
中京地区のYさんから頂いていた美制大様の画像です。(ありがとうございます。)これは勢陽譜天保泉譜の185原品(覆輪美制)であり、青寶楼の愛蔵品だったそうです。当百銭カタログに掲載されている拓も多分これでしょう。名品ですね。肉厚3.5㎜で重量は34gとのこと。たしかに美制大様です。
Yさんはこんな逸品をごろごろ、うじゃうじゃ所蔵のようでいやはやうらやましい。
私はしばらく節制します。(したい!)最近はネットの競争が厳しくて・・・。宝くじも当たらなかったし。もう一息で仕事もひと段落。ゴールデンウィークさえ過ぎれば・・・。
 
不知長郭手覆輪(美制大様)勢陽譜原品
 
4月16日 【タッチの差?】
大和文庫の即売品に見事な坂本高頭通大濶縁が出ました。私は三上花隣塔氏の旧蔵品とおぼしきものを1枚所有していますが、こちらの方が2クラスぐらい上の風格があります。
また、価格が6000円ということで、こいつぁもらった!とばかりすぐにメール発注させて頂きました。古寛永は最近はやや不人気ですが、狙うのには好都合。しかし、先客がいた!
このクラスはさすがにみんな見逃してくれません。残念。こいつもまた奇品館行きです。

 
4月14日 【収穫品2】
上段は細郭手。覆輪刔輪との名称がつけられていましたが、私の見立てでは普通の鋳写し銭。銭文径は40.5㎜しかありませんが、銅質、製作とも違和感がほとんどありません。極印も本座によく似せています。
下段は不知広郭手異極印銭。極印が片方だけにはっきり打たれていますが、明らかに本座とは異なります。四ツ目型としましたが丸十字型の摩耗したものかもしれません。これが薩摩だったら面白いのですけど。しかし、銭文径をはじめとする銭としての規格は全く本座。覆輪と名付けられておりましたが画像計測による比較上は覆輪とは言えず、ただ、輪幅がわずかに広めなだけです。穿内にやすり痕跡がほとんどなく、背が極端な狭穿広郭になります。とにかく不思議。広郭の不知品とはっきり言えるものが欲しく、手を出しましたが、何とも言えない品でもあります。

不知天保通寶分類譜上巻の最終項に肥郭狭穿の名でほぼほぼ同じ品が掲載されています。位付は2位と高ランクなのですが、書体変化がほとんどないので人気はないと思います。本当は広郭手の不知品はとても少ない・・・といいますか、擬態が上手すぎて分かりにくいので、納得できる品がほとんど出てこないのだと思います。(出来の悪いのは土佐額輪に分類されてしまう事が多いのです。)
これが不知広郭手だ!・・・というような品が市場に出てくれば案外高値がつくと思います。
 
4月13日 【最近の収穫品】
自粛ムードはどこへやら・・・またしても無駄遣い全開です。左上は南部大字。なぜか本炉銭は入手の機会に恵まれなかったので、収集誌で赤褐色系の美品とあったので応札。未使用色が残っていますが、磨きっぽい雰囲気もありあと一歩ってところでしょうか?(贅沢?本当は純赤のものを期待していました。)本炉系の大きい色違い(黄色)が欲しいですね。この品は、いわゆる初期銭の紫褐色系なのかしら。ちょっと小ぶりに感じますが長径は49㎜あります。
不知長郭手覆輪はけっこうまともな品でした。収集掲載品でしたが写真不掲載でしたので、福袋のつもりで応札したもの。これはめっけもの。なんで写真掲載しなかったのかしら。答えは右輪際にあるス穴風の傷にありそうです。
山石刻印はネットで落としましたが真贋は私にはいまだにわからない。山形は大きいのですが、石字が少し小さく感じます。ただ、以前に手に入れたものもこの刻印の形。OKかしら、それとも全滅?
最下段はいわゆる江刺系のもの。赤い江刺もあるのです。分類上は正字Bの寶背輪星と名付けたもの。星の存在は目立たないのですけど、穿の形からBタイプ銭であることが分かりました。
 
盛岡大字 不知長郭手覆輪   
山石刻印
興味本位で落手しました。画像拡大してみましたが私には真贋不明。傘部分の印象は良いのですが、私には石の字が小さく感じます。これは先に入手したものも同じ印象。ひょっとすると2枚ともだめ・・・の可能性すらあります。どなたか教えてください。
 
江刺銭正字B 寶背輪星
思いっきり赤い江刺です。穿の形が右が大きく左がすぼまる形状も特徴です。郭の左角が尖る・・・決文気味。
これだけ真っ赤だと江刺のイメージがわきませんね。背の星文状の瑕は目立たないものの判定のポイント。その他の特徴としては、寛冠上が鋳詰まることがあげられます。

→ 江刺銭の細分類研究譜
 
4月12日 【贋作】
情報を頂きました。4月7日の丸型天保は、業界に害毒を流している贋作名人の作品だと・・・。作品は水戸鉄銭の母の贋作が主体のようです。私は母銭の真贋鑑定はできないので、君子危うきに近寄らずと言いますか、無い袖は振れない状況です。とはいえ面白そうなものに飛びついてしまうのも悪しき性。先日の天保絵銭はやっぱりキーホルダーでした。(恥ずかしい。
 
4月10日 【文銭講座】
今度は寛字の比較をしてみます。冠の前垂れ・・・中字は短く開く。細字は長く開く。正字は短く縦方向に打ち込まれて筆どまりがある。
寛尾・・・中字と細字は内跳ね。正字は最も垂直に跳ね、角々しい。
正字は見底が上反りになる癖もあります。寛字に躍動感ある印象はここから来ているみたいです。
その他・・・正字は文字に太細があります。細字は全体的に細く、中字はべたっとしています。
文銭は泉譜の冒頭にありますが一番難しいのもまた文銭です。面文の違いより背文の形状に注目する方が簡単なのですが、例外もあります。他の銭種分類で目を鍛え、文銭の細分類は最後にした方が初心者にはよろしいかと・・・。
 
4月9日 【加護山銭の分類】
某HPの即売品・・・本来、継続販売中のものについてはコメントしないものなのですが、マイナス情報ではないので敢えて掲載。加護山の写しには、正字、細字、繊字、中字などがあると言われていますが、文字判別が難しく、とくに中字の判断は難しい。判断ポイントはいくつかありますが一番頼りになるのが寶珎の形状です。
細字は珎の横画と小の縦画がはっきり離れ尓前点が長く反る特徴があります。
正字は尓後点が浮き外側にはっきり開きます。
中字は尓前点が縦気味で、王画が離れ小さく見えます。
文銭を並べて、ルーペで観察してください。
さて、その判断基準をもとに考えると・・・これは中字ということになります。もっとも、鋳物ですので多少の乱れはありますし、ましてこれが母銭かどうかということについては私はわかりません。
左から中字(通用)、細字(通用)、正字(細縁)
ここでは文字の大きさの違いは無視してください。尓の癖に注目!この微細な違いに気づいてこその文銭マニアです。初級者の頃、正字の尓の癖に気付き、正字にも離点文があることを発見した時はそれこそ鬼の首を取ったように喜びました。参考書は手引きしかなかった時代・・・懐かしいです。寶冠点の角度も微妙に違います。他に寛冠の前垂れ、寛尾、永点、通辵などにも微細な差異があり、コアなマニアは瞬時にそれを見抜きます。私?・・・最近はだいぶ自信が無くなりました。
(細縁の文字はやはりでかいですね・・・。)
 
4月8日 【負けた!文久】
ネットで出ていた文久でしたが、こいつは光っていました。泉譜をみても完全な該当品が見当たらない。直永というのはこれだ!っていうくらいの直永。文の末尾がきりっと削字されていて、久末尾も太く短く雄々しい。何より地肌のうねりと言いますか、彫の荒々しさがすばらしい。終了直前まで3000円代で競りが起こらなかったのでもらったと思いぬかっておりました。しいて分類するなら直永削字跳尾文跳尾久・・・ってところ。直永削字は細字になると譜にはありますがむしろ肥字。いや素晴らしい、奇品館行きですね。

 
4月7日 【見落とし?連絡欲しいです!】
ネットを放浪しているとつい、気になる画像を保存しておくことがあります。左の画像は3月9日に何気なくデスクトップに保存しておいたもの。画像整理していて気づきました・・・あ!仙台天保だ!保存していて気が付かなかったとはお恥ずかしい限りです。左下の長郭の色がおもしろいのでとりあえず保存した画像で肝心な右上は完全な見落としです。画像整理していて地に条痕のようなものが見えたので気づきました。画像が小さいので思い切り拡大しないとわかりません。(ただし勘違いかもしれません。)画像タイトルを付記しますので入手されたラッキーな方は連絡をくださいね。掘り出しはあるんですね。
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広郭に見えるものはほとんど本座か薩摩しかないのでほぼスルー状態でした。これからは気をつけておかないと・・・。  
【玉石混交画像集】
何でもよく食いつくダボハゼ状態の私。気に入った画像も収集対象にしています。(借用お許しください。)
左上は背盛の大型母銭。郭内の仕上げが美しい逸品。これは玉ですね。欲しかったものの競りが激しくて戦意喪失。
右上は私好みの錯笵、面背逆製の大面ズレという2役つき。おそらく1品ものでしょうね。見てくれはゲテモノ・・・石ころみたいなものですが光るものがあります。
中段左は正体不明の絵銭?競りが起こっていたので気になった。文字が繊細で絵銭の母かと思いました。
同じく中段右はただの濶字退寶・・・ただし未使用色の残るすこぶるの濶縁美銭。背の濶縁は見事でそれを見抜いた応札者が殺到した模様で7000円を超えています。穴銭も美銭が評価される時代が来ると思います。
最後は私がふらふらっと落札してしまった変な絵銭天保。どうみたって大きい。画像の歪みにも見えません。モデルは会津の萎字でしょう。贋作だとしたらお粗末そのもの。お遊びですがやっぱり馬鹿ですね。
萎字の原母だったら大騒ぎですけど・・・ないよねえ。

 
4月6日 【下田刻印】
下田刻印銭をネット購入。6000円しなかったので意外でした。下田極印という方もいらっしゃると思いますが、正規のものではないので刻印・・・地域通貨のようなものです。
左端の入手品はいわゆる贋造タイプではない正品タイプの刻印でした。
と、いうわけで今回はHPに掲載していなかった2品にも登場いただきました。刻印銭は贋作の宝庫で、この2品は気に入らなかったので掲載してなかったのだと思います。中央はちょっと少ない21波の下田刻印銭。某入札で購入したもの。タ字の刻印がなんとなく気に入らないものの、鑑定ポイントの特徴はなんとなくあり、贋とも断定できずそのままになっていたもの。わるくないかなぁ・・・。
右は超珍品のタ落ちの下田刻印銭。入札で手に入れたものの、タ字が痕跡すらないので届いてみて(確か拓図がなかったはず)驚いたものです。できすぎかな・・・と思って多分掲載をやめたのでしょう。現在のように玉も石も混ぜこぜOKの記事でなく、高尚な志が残っていた時代につくったHP項だからでしょうね。識別のための大事な刻印ですから、打ち落とす方がおかしいと考えたんだと思いますが、絶対あり得ないとも言えません。下田刻印銭は銭譜にも紹介されてますし、刻印銭としては最も有名なものですが、あくまでも明治期の地域通貨という性格を考えれば熱狂すべき存在ではないのかもしれません。そういう私も正字、小字、俯永と一通り買い揃えてしまっています。離用通とか大頭通などが出ればまた踊ってしまうかもしれません。
おまけの投稿画像紹介(ありがとうございます。)
上段は関西のS氏からのもの。踏潰の小点永ということですが妙に黄色いということで気にされていました。私見ながら踏潰銭の黄色はあると思います。ただし若干洗われてしまっているかも・・・。上右は立派な千鳥。たかが鋳だまりですが侮れない。

左はがらりと趣を変えて鐚永楽らしきもの。とくに背の抜けが素晴らしい。四国のKさんからの投稿です。大きさは25.3㎜あるそうです。永楽は全く分かりませんが肌のこの雰囲気は好きですね。

ありえないよなぁ・・・と思いながら近代絵銭らしき天保を落としてしまった。だって萎字によく似てるんだもの。見てみたい。でも馬鹿だなぁ。
 
4月4日 【ネット購入の琉球通寶】
昔は中字以外の琉球通寶といえば高嶺の花で、おおよそ手の出るものではなかったのですが、ネット全盛の今日、中字以外の琉球通寶が出品されることがときどきあります。つい最近も琉球小字を15000円で落手しました。状態はいまひとつに見えたのですが赤い肉質がかわいらしく見えたのでとりあえず札を入れてほったらかしていました。
これでネットで手に入れた琉球小字は3枚目でほかの入手品と合わせて6枚にもなりました。普通なら小字と小字狭足寶の2枚あれば満足してしまうのですが、なんとなく手を出していたら増殖してしまいました。もっともそのうちの2枚はすでに売却済みで今は小字桐極印が1枚、小字が2枚、狭足寶が1枚だけです。できれば小字本体の極美品が欲しいと思っていますがこれはなかなか巡り会えません。
琉球は人気がいまいちなので、あっさり手に入ることもあるし、もともと小字は美品が多いと聞いているのですが、なぜか私のもとには寄ってきてくれませんね。あわてることはないのですが、早く美人が手に入らないと無駄打ちが続いてしまいそうです。

ネットに山石刻印が出ています。刻印銭は真贋が難しい。模造も簡単ですし元の刻印が残っていれば再利用が可能だからです。昨年閉店した賞山堂さんで、数年前に秋田銀判の融字極印の打たれた天保銭を見ました。全く同じものが不知天保通寶分類譜の別巻に掲載されています。極印の再利用による戯作なんでしょうけど妙に魅力がありました。玉塚天保は文字に朱が入るのが基本で、私所有の唯一の山石にも朱が入っています。入手するなら朱入りのもの・・・が一番安心なのですが、経年劣化で落ちてしまったものや、拓本のとりすぎで黒くなってしまったものもあります。出品物は朱が入ってなく真新しい・・・だから悩んでます。まぁ、近代絵銭t考えればそんなに力を入れなくても良いのですけどね。
 
3月31日 【自慢できる古寛永】
すでに記事に書きましたが、太細様手本銭が届きました。毛利家から流出した手本銭のうち、俯永様を除く他座を写したもの・・・すなわち正字様、星文手様、太細様、広永様は本当に見かけません。おそらく大家のコレクションにきっちり収まってしまっているのだと思いますが、とにかく見ない。この品は寛仙堂山添氏著の古寛永拓本集の太細様の冒頭を飾る名品です。落ちなかったら確実に奇品館行きだと思っておりましたので入手できてちょっと嬉しい・・・自慢の品ですね。
本日、URLを半日かけて引っ越しました。従来のサーバーはホームページビルダー提供の無償サーバーでしたが、6月から有償化するのに備えての移行です。有償化は残念ですけど、OCN時代に比べれば10分の1程度(それだけ大きなサイトなのです。)の負担なので文句は言えません。それにやろうと思えば容量をさらに10倍(10ギガ)にできます。そうすれば寛永通宝の画像を1.5倍サイズ(右の大きさ)にできます。作業は大変ですけどサイト再構築ができるのです。
 
3月28日 【宏足寶2種系統】
今回の勉強で宏足寶にはいくつかの系統があることを学びました。英泉譜にそのことがはっきり記されていて、画像左の、英泉譜で「花押中央下ポツ」とされるタイプと右側の「花押中央先端切れる」というタイプです。前者は花押しの袋の下部分に穴状の切れ目があり、先端部が上に跳ね上がる癖があります。一方、後者は花押のツノの一番下部分が鋳切れ、袋の中に小さな突起が見られます。また、當上の刔輪はかなり強烈です。當百銭カタログでは長宏足寶と宏足寶に分けていますが、画像計測しても面側は銭文径と内径に差異がほとんどなく、分類は意味がありません。やはり背當上の刔輪や花押で区別すると良いようです。

※不知天保通寶分類譜(下巻141P~)では左側タイプのものが長宏足寶とされています。(No19とNo22)おそらくNo20(當百銭カタログの264番原品)も同じタイプだと思います。
 
花押ヒゲ先端跳ね上がる
花押下ポツ
花押下ヒゲ先端切れる
背當上刔輪・花押内に星
 
3月27日 【狂喜と不安と反省と・・・】
勝負をかけて落とした宏足寶が届きました。さて、宏足寶ですがなかなかしっかりした銭容です。これが宏足寶かぁ・・・としげしげ見ているとどうも蔵品と風貌が似ている・・・そうか、白銅質の奴と似ているなというわけで比較してみると非常に似ている。恥ずかしながら自分は真の宏足寶というものに出会っていないと思っていたのですがどうしてどうして、蔵品に類品が2~3枚ありました。どうやら自分の頭の中で宏足寶の(天側の刔輪がもっと強くて寶足がみだらに広がる)理想像を作り上げてしまっていたようです。確かにそういうものもあるのかもしれませんが、蔵品はかなり安価で手に入れたものばかりなので、今回はずいぶん高い勉強代を払ってしまったようです。ただし、この品は非常に大ぶりで状態も良好です。
長径49.75㎜ 短径33.05㎜ 銭文径41.3㎜ 重量22.9g

 
3月26日 【古寛永長門手本銭太細様】
長門手本銭は長門銭座の鋳造手本銭として毛利家に伝わったものとして歴史的探求価値のあるものだったのですが、どのような経緯があったのか古銭家が引っ張り出して挿をバラバラにしたあと、古泉界に放出されてしまいました。資料として散逸し、長門銭解明の糸口が潰えてしまったことは残念でなりませんが、その一方で市場にときおり顔を表す手本銭は私たちの目を楽しませてくれます。
ところでばらされた挿に銭種の偏りがあったためか、市場には俯永様、奇永、勁文、麗書、裕字はよく出てきます。人気がある異永も価格はやや高いもののたまに目にします。一方、長門銭とされながらめったに手本銭が出てこないものに太細様、星文手様、広永様があります。単純に収集家が手放さなかったとも考えられるのですが、絶対数そのものが少ないのかもしれません。拓図ぐらいでしか見たことがありませんでした。右の太細様はもともとは古寛永の大家の所蔵品。大きさも十分あって安心できる品です。節制のことをすっかり忘れ、久々に古寛永入手に走ってしまいました。

そういえば遒勁は15万円ほどで落ちたようです。お買い得ですね。
 
3月24日 【幽霊の正体見たり!】
ネット上で見つけた不思議な品・・・。背の書体表面の書体とも不思議です。だれも行かないので最低価格で入れておいたら落ちました。なんだろうなぁ・・・と考えていたら、ある書体の銭が思い浮かびました。そうです、会津の長貝寶です。
いやぁ・・・これは気づかなんだ。非常に状態の悪い会津長貝寶頂いてしまいました。これは痛い!皆さんはわかっていたんでしょうね。大失敗です。

失敗だけでは後味が悪いので、成功のお話・・・ただし、私ではありません。
拓図下は某入札誌で芝不草点母銭15000円で出ていたもの。最近の私は古寛永はスルー状態でしたので見逃しましたが、よく見ればこれ浮永の書体。
そうです、これは浮永の広郭大様銭です。拓図で測る限り25㎜はなく、見方によっては浮永背濶縁のおおぶりだとか浮永の母銭もどきだとかも言われれそうですが、たしかに浮永大様には間違いなさそうです。
何よりこのことに気付いた方の眼力を称賛したいと思います。
天晴です!!!

※落札者から・・・現物は25.2㎜あるそうです。失礼しました!これならもどきではなく立派な大様銭です。
天晴!天晴!
 
 
3月22日 【宏足寶狂騒曲】
昨年、S氏との戦いに敗れ逃した不知長郭手宏足寶・・・先日逃した長張足寶(反足寶)の悔しさもあって目いっぱいの価格を入れたらその価格で落ちました。消費税もつくことに後で気づきましたのでなんだか踊らされてたみたい。それでももやもやした気分になるよりは良いですね。とはいえ、今年上半期は今、応札しているものを除きほぼゲームオーバーです。これ以上は生活に響きますのでしばらく自粛・・・できるかな?

ひさびさに水戸遒勁が出ていますね。これで今年は天保の化け物は3枚目です。
 
3月21日 【嵌郭の痕跡?】
不知長郭手の有名品に嵌郭というものがあります。ネット上で2枚、白銅質の実物を1枚見た記憶がありますが、贋作師加賀千代太郎のお店で良く売られていた・・・という噂もあり、名品と言われながらもきな臭い香りもします。天保銭に嵌郭はないかというとそれは否で、かつて銀座コインオークションで売られていた不知天保銭を天保銭人が嵌郭のある不知天保と収集誌上(仙人が行く)で紹介していたこともあったと思います。さて、先日ネットで出ていた不知銭ですが、拡大画像を見る限り背郭の周囲に不自然な筋が見て取れます。私はこれこそ嵌郭の痕跡じゃないかなあ・・・と密かに思っています。白銅質の縮小銭で、貼り合せ母銭から作られたのではないのかな・・・と妄想しています。
背の左上には、鋳割れ(砂笵が圧力に負けてひび割れた傷跡)も走っていて書体変化はあまりないもののいい味があると思います。(自画自賛)
そういえばネット上にまた化け物級が現れています。どうなるやら・・・。
  
3月17日 【規格外天保はどこまであるか?】
天保銭は密鋳銭が多いのですが、密鋳銭との区別のためとくに規格審査は厳重だったとか。民間人が判断する材料は、①大きさが十分あること。②重さ(厚み)が十分あること③側面の極印が打たれていること。・・・が3大要素。本座の記録にもあるようですが重量については21.75g~19.5gまでの範囲に収めることが求められたそうで、それ以外は不良品とされて溶解されたそうです。
とはいえ、手作業の時代ですので本座銭であっても規格外のものは散見されますし、密鋳銭も同じこと。ただし、密鋳銭の場合、発覚したらただではすみませんので軽薄短小銭より重厚長大のものの方が安全でした。軽薄短小銭はおもに幕府が統治能力を失ってから地方で作られたものがほとんどのようです。
銭径が小さい天保銭の代表は秋田小様でしょう。秋田藩のものというより東北仿鋳と言った方がよろしいようですが、46㎜を切るものまであるそうです。見た目は本当に悪いのですが存在はかなり少ないようで最近はあまり市場で見かけません。不知天保銭では長径47㎜以下かつ銭文径が40㎜以下のものがかなり希少だと思います。50㎜を超える大きいものは藩鋳銭では散見されます。萩銭の初出のものは総じて大き目。覆輪銭にもとんでもないものが存在します。代表は仙台大濶縁あたりでしょうか?大きいのは目立ちますし、安心できます。
重い天保銭もとても目立ちます。かつて天保仙人から見せていただいた重さ32gの薩摩広郭、不知天保通寶分類譜にある厚さ4㎜の長郭手あたりが大きさの限界でしょうか?軽薄銭では薩摩や秋田、土佐額輪にとんでもなく小さいものが薄いものがあるようです。重さでは11g程度、厚みでは1.5㎜あたりが限界でしょうか?軽薄銭は後天的な摩耗との区別が困難であり、みすぼらしさもあって人気はいまひとつでしょうか?
本座銭はいまのところ25.6g~18.5gの範囲まで確認できました。18gを切る本座はさすがに出ないのではないでしょうか。一方、重いほうはまだ出てくるかもしれません。ただし初期銭の長郭で24gを超える本座が出たらすごいことだと思うのです・・・あくまでも勝手な予想ですけど。
 
3月14日 【降りる気なし!】
今年最初に出た化け物。不知長郭手長張足寶です。反足寶と同じ系統なのですが、天上の刔輪が強くないタイプです。本来は大ぶりの銭なのですがネット上では48㎜×31.8㎜と小ぶり・・・これをどう見るかですね。長反足寶の一段階前で寶貝底に同じ加刀痕の癖が見られます。昨年は弱気でしたが、今年は強気で行きました。知り合いが応札すると弱気になるので、先手必勝で超強気で行きました。実はもうひとつ化け物があり勝負をかけるつもり・・・これが分かる方は末期的な病気の方です。

左は昨年、Ⅰ氏から頂戴した画像です。上画像のものと同じ系列のものだと思われます。寶貝の底前方がかすかに欠ける癖、背當点の微妙な歪みにご注目ください。砂目はやや粗めながら非常に出来の良い品です。Ⅰ氏は掘り出しだとか・・・あるんですねこんなものが・・・。

不退転の決意で20万まで追いかけてしまいました。納得の敗戦です。
扁桃腺膿瘍が再発し、高熱は出るは喉が痛いはでふらふらです。どうもインフルエンザの時からおかしかったようです。唾が呑み込めなくなりつつあり、自分の唾液で溺れそうです。前回は窒息寸前まで追い込まれ、結局1週間入院しました。明日、専門医を受診します。上の天保銭が落ちなかったのも神のおぼしめしでしょうか?(前回は入院費で大出費でしたから・・・)
 
3月12日 【ピンボケ画像への挑戦!】
ネットでピンボケ画像の天保銭を久々に落札。妙に赤い天保銭なのでひょっとしたら海津短貝寶、いや秋田小様・・・それとも会津萎字か!しかし、右側よりずいぶん大きいし、右側は薩摩っぽいのですが文字が歪んでいるし、郭が細い。大方、左が久留米の深字あたりで右側はせいぜい額輪か大正期のおもちゃかな・・・などとたいして期待しなかったもの。逆転覚悟なのに誰も無理な追随なく、あちゃーっやっちまったかな・・・と思っていました。タイトルの「会津」も怪しかったし・・・。ところが到着した品を見てびっくり。まともな秋田広長郭と萩方字でした。こういった組み物はだいたい焼けかヒビ入りものが多いのですがすこぶるまとも。極美品まではいかないものの、秋田はほとんど欠点なしですし、方字も天字に鋳だまりがありますが薄肉16.2gのスリムサイズのかわいいやつです。どうしてみなさん追いかけてこなかったのか・・・さては私の降りない攻撃にみなさん辟易しているのか、それともインフルエンザでフラフラだったことで手抜いてくれたのか?(インフルは完治しています。)私にとっては春のプチ慶事です。しかし・・・本当の闘いはこれから。良い夢になるか霧散となるか・・・勝負が残っています。


※KS氏から・・・50丁のゲッペルス銃と引き換えに海外流出した朽木昌綱公のコレクションが大英博物館で再発見されているという情報を頂戴しました。ネット検索したところ1999年3月の時事通信・朝日新聞ほかに報道が見つかりました。
【1999年3月8日(月)】
江戸大名の収集古銭 大英博物館にあった 【ロンドン7日=時事】

江戸時代随一の古銭収集家として知られる京都・福知山藩主、朽木昌綱(1750-1802)が集めたコレクションの一部が7日までに、ロンドンの大英博物館で見つかった。昌綱の古銭は散逸して日本に一枚も残っておらず、存在が確認されたのは初めて。発見されたコインは計2518枚で、大半は「和同開珎」や「万年通宝」をはじめとする8世紀以降の日本古銭。この他、中国の「開元通宝」(7世紀)や「周元通宝」(10世紀)、朝鮮の「三韓通宝」(同)、ベトナムの「太平通宝」(同)など3カ国の外国古銭も多数含まれる。

さらに2001年には下関市立大学の櫻木晋一教授が、このコレクションの中から富寿神寶の母銭を発見したという報告もありました。朽木公のコレクションには富本銭をはじめとする当時の最高水準の古銭が収蔵されていたはずです。里帰りはないのかしら?
 
  
3月10日 【銭聖一豊舎と符合泉志】
インターネットで銭聖一豊舎と符合泉志のタイトルを見つけて思わず購入してしまいました。おおむねこういった本は、図が三分の二ぐらい占める泉譜もどきか付録本といったところが多いのですが、今回は良い方に期待を裏切って下さいました。
泉家・収集家覚書のコーナーで、一豊舎こと山田小兵衛についてわかる範囲で記述していたのですが、とにかく来歴などが分からず、わずかな手持ち文献にも断片的なことしか記述がありませんでした。A5版で100P弱の本なのですが私の求める内容が随所にあり、一気に読み切ってしまいました。(頭に入ったか否かは別にしてですが・・・。)
このような地道な研究は、なかなかできるものではなく、「人のふんどしで相撲をとる」のが信条の私には渡りに船の存在です。一般市販はされていない本のようですし、内容も歴史的古銭家の名前がばんばん出てきますので初めて読む人にはわかりづらい・・・わからないかもしれません。そんな方は是非
泉家・収集家覚書を読んでください。背景が少しわかります。(PR)
著者の吉田昭二氏は・・・ひょっとしてあの方かなぁ・・・なんて思いながら検索しましたらすぐにわかりました。京都古銭会会長という立派な方でした。(勝手にリンクしてすみません。)現代は便利ですね。

古銭書の多くが商売にならず、作られては消えてゆく運命です。符合泉志はその後何度も版を重ねられましたが、今はまた絶版状態。(再販本の符合泉志は持っていますが、小川青寶楼氏の符合泉志の改定本は入手してません。符合銭まで収集範囲を広げると一生を費やしそうで怖いのです。)私論ですが、泉書の類は日本貨幣教会か貨幣商協同組合が版権データを一元管理して、オーダーメイド式にコピー再版を可能にすればよいと思うのです。電子データとして保有していればかさばらず、装丁にこだわらなければ印刷もかんたん。なにせ内容は白黒で十分なのですから。本を売る利益より収集家のすそ野を広げることが今は大事だと思います。それに電子データだと訂正をするのも比較的簡単ですから。
今はインターネットの時代ですので、古銭書も電子書籍になっても良いんじゃないのかなぁ・・・なんて思います。
 
3月7日 【覆輪存痕】
ネットで落とした覆輪の長郭手。この不知銭の特筆すべきポイントは画像右下に見えるうっすらとした影部分にあります。単なる変色と見る方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこれは覆輪の痕跡・・・母銭の特徴を写し取った名残と見ています。より拡大すれば判りますが、かすかに段差があり(黒い部分が低い)表面の肌が粗い・・・砥石仕上げが届いていない・・・のです。覆輪の痕跡としては、接合部の溝が残っているものもありますが、このように変色にしか見えないものであっても立派な製作の痕跡として評価すべきかと思います。とはいえ、それを価値としてみるか否かは人それぞれですが・・・。

 
3月6日 【インフルエンザ感染】
インフルエンザAになりました。3月上旬に娘が罹患したのでおそらくその延長かしら。久々に39度以上の発熱で、うなされました。仕事で使っているパソコンも一昨日ハードディスククラッシュしました。最近動きが悪くなってきたので、ハードディスクを外付けに変えていましたのでほとんどのデータは無事なのですが、ディスクトップ上に残していた先月末からの仕事分が飛びました。幸い、業者に頼んでデータレスキューができましたが35000円の出費です。パソコンはウィンドウズXP&オフィス2003だったのですが、もう10年ぐらい使ってましたからよみがえりませんね。そんなこんなで朝から気分がすぐれず、調子が悪かったのですが終日頑張って仕事をこなしましたが、寒気と頭痛に耐え切れず受診・・・そしてこの結果です。今は年度末で休んでなんかいられないのですが、強制休日です。こうして気晴らししていますが、今現在体温は38度ほどあります。ふらふらです。
 
3月1日 【不知銭がいっぱい!】
早朝に出かけるのでその前に一仕事・・・ほんと、忙しい時ほど趣味に走る悪い癖です。下の拓本は八厘会でY氏とK君から頂戴したもの。私は今では拓本が採れない人なので、もらう一方です。20年以上前にはしばらく採ってたこともありましたが・・・。
細郭手強刔輪長足寶は心揺さぶられる品。天上の刔輪も寶足の変形も楽しいです。続いての長郭手刔輪(天側強刔輪)としたものは、面背とも刔輪されていますが天側・・・すなわち上部の刔輪が強い変わったタイプ。拓本では小足寶に見えます。本当は覆輪刔輪とすべきでしょうね。
続いての長郭手覆輪削字は文字の変形ぶりが面白い一品。背の錯笵もおもしろく、拓の雰囲気から深淵と見ましたがいかがでしょうか?
長郭手覆輪縮形(狭王寶)は一目小さい。拓で48㎜を切っています。貧弱な天保銭ですが意外にないと思います。
学生K君からは斜珎の拓と不知細郭手張足寶の拓を頂きました。斜珎は原品を見せて頂いていますがすこぶるの美銭。師匠はY氏なので筋の良い美銭を集めています。行く末が恐ろしい若者です。国家試験に合格して大物に育ってもらい、私がこの趣味をやめるときにコレクションを買ってもらおうかしら。
最後に細郭手2枚。そのうちの1枚はK君から購入したものと同じタイプですね。容弱肥字の名前は平尾賛平の時代に名付けられたもの。このタイプは細郭手の中では比較的よくみられますが、2月25日に書いたように異極印が多いと思います。製作が似ていて極印が違うのは、異なる座人の識別用なのか、それとも何らかの符丁なのか?みなさん、お手持ちの細郭手肥字連玉寶タイプをご確認ください。
細郭手強刔輪長足寶【Y】 長郭手刔輪(天側強刔輪)【Y】
長郭手覆輪削字(深淵?)【Y】 長郭手覆輪縮形(狭王寶)【Y】
長郭手斜珎【K】  細郭手張足寶【K】 
細郭手覆輪【Y】 細郭手覆輪連玉寶(容弱肥字)【Y】 
 
2月29日 【日本貨幣収集事典と日本の貨幣-収集の手引き-】
生まれて初めて買った貨幣の本は何か?・・・という問いに対し、ほとんどの人が「日本貨幣カタログ」だと答えるでしょう。では読み物として面白いものは何か・・・と聞かれれば、私は上の二書を挙げます。
日本貨幣収集事典はその昔、ボナンザが「貨幣手帳」として出版していたもので、同社が倒産した後は平成15年に原点社が復刊しました。茶色のソフトビニールカバー本で見た目は地味なのですが、中はかなり充実していてマニアックな内容もあります。最近この本を再び引っ張り出して寝床で読みふけっています。(すぐに寝てしまうので頭には入っていませんが・・・)
地味であること、小本で2000円という価格であることなどからあまり出回っていないようですが、今一番のお勧め本です。ネットで販売していないのが残念なのですが、古銭店で発見したら絶対買いの1冊です。いちおしです。
日本の貨幣-収集の手引き-は日本貨幣商協同組合が平成10年に発刊し、版を重ねているもの。こちらの方が入手はしやすいと思います。日本貨幣収集事典に比べ貨幣の裏話・背景より貨幣発行の歴史経緯と分類にやや視点の重きを置いているのが特徴ですが、これはまたこれで面白い。仕事が忙しくなると趣味にのめりこむ悪い癖が出ています。睡眠時間がたりません。明日はまた出張。雪は大丈夫かしら?
 

2月25日 【八厘会に行ってきました!】
ほぼ1年ぶりに八厘会に出席。テーマは天保銭の不知銭と稟議、試鋳銭。試鋳銭の展示は100万円の本物から贋作の玉石混交・・・しかし、ラムスデンの贋作が20万円、本物の稟議銭が5万円とは驚いた。不知銭では仙台大濶縁のような覆輪の最大様銭を拝見。欲しい!
(おかげで盆回しで久留米正字濶縁を衝動買い。3200円なのでご愛嬌ですけど。)
ラムスデンの加越能三百は知らないで見ると金ぴかのおもちゃに見えます。本物の稟議銭はまるでメダルみたい。私はまだまだだと思いました。花開清香を拝見するのは2回目ですので、これが100万かぁ・・・と言われればわかるのですが、種類も何タイプかあるようですし、文献もあまりないので(仙人が行くにあったと思いました。)であってもぴんと来ないと思います。佐野英山作の宝永通用はきれいでしたね。
仙人のお話は相変わらずうんちくの宝庫で面白い。「野崎和同」は稟議銭だ・・・というのはうなづけますし、不知銭で縮形は幕末しかありえない、多くの覆輪銭は継ぎ目のない「落とし鏨」によるものだが、南部藩では純銅を巻いて継いだ覆輪があった・・・などの貨幣のお話から、坂田三吉は文盲だった・・・名前のサインは横棒7本を引いて、それから縦画3本を加えて三吉とした・・・なんて話、はては方位学の話から女性にもてる?名前のうんちく話など実践的な?ことまで。鬼門の鬼は角と牙のある丑虎の方向でその反対にあるのが申酉犬で桃太郎の話の原点だとか、坂本竜馬は方位(辰午)から採ったとか、子は干支のはじめと終わり・・・「一」と「了」の合成文字だとか・・・、クリームシチューの上田伸也みたいな話が出るは出るは。てなわけで盆回しで法学生のK君から頼まれ、良い気になって気前よく購入してしまった進二天と細郭手容弱肥字タイプを上に掲示します。盆回しでは進二天29000円、細郭手容弱肥字は20000円の放出価格でしたが、学生のK君のため正当評価をして適正価格(それでも安い)で応札しました。細郭手容弱肥字の極印はなぜかユニークなものが多く、ミッキー型とかお花型なんて名付けておりまして、今回の品はいわゆる動物型・・・クマのような耳がついているタイプでした。→ 天保通寶極印図鑑
進二天は未使用色の残る感好品ながら、惜しいことに真っ黒なシミがついている。墨か強力なインクなのかよく分かりませんが、完全に染まっていてびくともしません。熱湯に浸してもだめ、石鹸もだめ、刀剣油をめん棒につけてこすってもダメ。かくなる上は超音波振動の電動歯ブラシをちょっとあててみましたが全く落ちる気配全くなし。ひょっとしてこれ黒漆かのかなぁ?これだけ頑固なものは見たことありません。やむなくあきらめました。
書体はどうやら進二天の狭天とされるタイプみたいで、ちょっと少ないと仙人に教えていただきました。(ラッキー)頼まれるとお金なくてもつい購入してしまう気弱な私ですが、神様が味方してくれたのかもしれません。K君ありがとう。
(H氏から縮通は吉川家の鋳造だという説も聞きました。)
さて、右上は大和文庫さんのHPから引っ張ってきた白銅色の遒勁です。色については全く分からないのですけど、書風やつくりはよさそうです。18万円と言う価格も適正でしょうね。面は端正でよろしいのですが、背はちょっともったいないかしら。
画像で見る限り白銅色はあとで付けたようにも見えますが、こればかりは何とも言えません。白銅好きと言われていますので行ってやれ・・・という悪魔の声も聞こえておりますが、一方で失敗も多く、薩摩の広郭の白銅はいまもって真贋に悩んでいます。画像倍率を上げて観察しても全く分からない。だからこの品は白銅ということを忘れ去って普通の水戸遒勁として考えるべきだと思うのです。それで本物の白銅ならラッキー。これでゆこうかしら・・・でもお金もったいないし。
右下はY氏に頂戴した奇天手の拡大画像。いつか現品を見せていただいたのですが、フォルダーフィルム越しだったのでこんなにきれいだとは思いませんでした。いやぁ~、これは藤原紀香(古い?AKB級?)級の美女です。
私のスキャナーは相変わらず解像度も発色が良くありません。なんとかしなくちゃ。Y氏からはほかにも拓本をたくさんもらいました。これは後日の公開と言うことで・・・。
 
2月22日 【穴カタライブ】
石川諄氏からお手紙が来ました。見本誌同封です。でも、すでに購入済みだけどまぁいいか・・・なんて思いながら読むと、4月25日に札幌市内(すすきのチロリン村)で出版記念ライブを行うそうです。参加費は穴銭カタログの値段。というわけで今回ばかりはなんとか時間をつくって北海道まで行く算段を企ててます。殺人的に多忙なのはいつものこと。少なくとも4月中旬までは殺人的スケジュールです。しかし、あまのじゃくな私は忙しい時こそ遊びに燃える。本業は新年度できっと目が回るほど忙しい・・・命を懸けた旅になるかも?ひとつだけ気がかりなのが市に頼まれていた研修です。日程が当たらないことを祈ります。
さて、石川氏からの頼みで表紙にキュリオマガジンの無償広告記事を載せました。なんでも記事を書いているそうです。アフリエイト(HP広告)で収入を図るなんて方もいらっしゃいますが、私のきまま主義にはあいませんので勝手に載せさせていただきました。
興味のある方、ご購入くださいね。
さて、明日からは広島に出張・・・久々に研修のお手伝いです。地獄の始まりです。
 
2月18日 【S氏からの贈り物】
S氏から11日の記事の天保銭を譲り受けました。画像通り、全体が肌荒れしています。桐極印も変形の穴ぼこみたいで、一瞬、真鍮銭が焼けたらこうなるのかな・・・と考えてしまいましたが、鉛分がやや多い青銅銭のようです。(火は被っているようです。)
浅字で銭文径はうまく測れないのですがおおむね41㎜ぐらい・・・やはり青銅の1回写しのようです。長径はかなり縮んでいて48㎜を切ります(47.75㎜)ので磨輪もされています。いわゆる縮形の粗造銭でしょう。S氏も申しておりましたが、こんなものを欲しがる奴はそうはいない・・・のですが、乾いた砂が水をよく吸うがごとくすんなり受け入れてしまう私が怖い。S氏の豪運を引き継いで・・・ラッキーコインにしようと考えました。
また、おまけの品もたくさん頂戴しました。良恕小字、吉田狭永本体、水戸勇文、星文手遒勁、吉田広永背広郭濶縁、大型文銭、白銅質文銭などなど・・・S氏は机の上にあったバラ銭を同封したとのことですが、きっと氏の机の上も私と同じワンダーランド状態でしょう。
一時期、机の上にはウン十万の品物が裸で載っておりましたから・・・。

※良恕小字は母銭として売られていたもののようです。面側の抜けが良く、母銭としたくなる気持ちはわかりますが、背や穿が甘いかな。惜しいことに背にあたり(強い力でできた傷、歪みを伴うもの)があって、肝心の寶珎がつぶれたように見えます。内径は良恕小字濶縁とほぼ同じ。古寛永泉志の566番の良恕小字本体は内径が広く、これをもとに作られたのが567番以降の良恕小字濶縁類でしょうね。あたりはあるものの良恕小字としてはなかなかの美銭です。余談ながら久しぶりに宝くじを購入しました。5億円当たったら、とりあえず1億円を寄付して古銭を500万円ぐらい買いまくってやります。1000万円でいいからあたらないかしら。100万でもいい。
S氏の強い運が乗り移ったのか、今日は宅急便や郵便局やらがやたら来ます。大和文庫を皮切りに下町、ネットオークション落札品と続きました。早くもラッキーコインの力の全開でしょうか?宝くじもいけそうな気がしてきました。

上段は長郭手覆輪で長径が49㎜を超えるかなり大型のもの。背當字が細く貧弱です。長径49.3㎜、短径32.6㎜、銭文径40.95㎜、重量23.2g。手入れをしていたら消えてしまいましたが、背にうっすらと朱書きの痕跡が残っていた伝世の品です。

中段は長郭手蝕字様・・・いわゆる陰起文ですね。寶足が長く、刔輪や加刀変化も若干ありそうですが一回写しの鋳造時湯圧不足の品です。極印のほかによく分からない極印(傷?)が左右とも深く打たれています。長径48.15㎜、短径32.0㎜、銭文径41.1㎜、重量20.2g。

最後の品はネットオークションで狂乱の末に入手した品です。
これこそ蝕字と言うべきでしょう。単に湯圧不足で陰起文になったのではなく、文字そのものに加刀がされていて細字になっています。陰起文をなおそうとしたのか全体の砥ぎが強く角が立つ感じ。非常に作は良いものの無極印です。
天保銭の極印は重要なので、無極印銭には手を出さない方が良い・・・というのが本当のところなのですが、これは絶対間違いのない品です。
ネットで見つけたときに、最初はやる気満々・・・しかし3万円を超えたところでS氏に逆転され完全にあきらめておりました。たまたま終了5分前にのぞいたらS氏が逆転されている。ならば男の意地で?頂きます、と酔いに任せて入手した次第。長径49.0㎜、短径32.5㎜、銭文径40.9㎜、重量22.7g。

ところでこの品を手にした瞬間、どこかで見た記憶がよみがえりました。文字の陰起だけでなく地の凹みに見覚えがあったのです。昨年の4月16日の制作日記にその答えがありました。
この天保、ネット上で見つけて私も1000円か2000円ではじめ応札していた品です。ネットの画像ではかすかに覆輪らしくみえるものの大したものには見えませんでした。だれも追随してこなくてしめしめと思っていたら、間際で競争が起こり、結果的に逆転されて四国のK氏が2万円超で落としていたものです。私も気になって画像だけは収集保管していた品でした。
その後、K氏から投稿があり、かなり良い品であることが判明しました。
(そのあとさらにある方がこれを入手されて、しっかり画像まで頂戴していました。)
と、いうわけでこの品は1年近くかけて、しかも相当のプレミアムまでついて私のところまで流れ着いたわけです。運命の美女なのか、それとも巷を渡り歩くあばずれなのか・・・それでS氏とともに出品者の俎上で踊っていただけなのか・・・。
ラッキーコインの霊験あらたかですが、高額の支払い運までついてきてしまったのは神のおぼしめしかお怒りか。こうして再び出会えたのも何かの縁です。どうかラッキーコインでありますように・・・。
 
2月13日 【欲目注意報】
例によって無断借用画像です。ごめんなさい。ネット上を徘徊していてこの画像を発見。IDを見ると珍品をまとめて放出したことのある方。思わず食指が動きそうになってふと冷静になりました。あれれ、極印の周囲が変形している・・・それに書体が含二水永です。もし、この書体で輪十なら大騒ぎですが、存在そのものが疑わしいかもしれないものなのです。よくよく見れば十万坪含二水永に後で刻印を打ったもので間違いなし。ファンタジー的贋作です。しかしながら欲目に犯されていると醜女も美女に見まごうことがあります。夢なら冷めない方が幸せでして、気が付いた時には後戻りできないことも良くあります。
古銭で儲けようなんて考えること自体大間違いですよね。掘り出しを良くする方はそれ以上の犠牲を払っている・・・ということです。

 
2月11日 【収集画像・投稿画像】
例によってネット上で集めた画像、ご投稿いただいた画像です。無断使用の件はごめんなさい。
画像上段左は古寛永芝二草点の大様母銭。このサイトをご覧になっている方は見たことがあると思います。美しすぎてまだお嫁入り先が見つからないようですが、さすが名品、見事ですね。
上段右は土佐額輪の母銭。由緒正しい品でこちらは輿入れ先が決まったようです。 
中段は目下、ネット上で最大のライバルのS氏から頂戴したもの。(ありがとうございます。)崩字の奇書体の長郭手ということで、粗雑なつくりながら味があります。骨董市での掘り出し物だとか。氏の勢いには押されっぱなしです。
さらにその下は関西のS氏から頂戴したもの。こちらは古銭店の店頭での選り出しで入手価格300円だとか?・・・本当ですか?
大写しの画像だと鉄銭に見えたのですが、磁性はなく銅銭とのこと。明治期の水戸藩銭の浅字・・・俗に明治短寶と呼ばれるもので、仰永じゃないですかね。鉄銭に混じってたのでしょうか?真贋はわかりませんが本物ならかなりの珍品です。
Sさんの泉運は底なしです。人の幸せ話を聞くのも少々つらくなってきました。
さて、下段右の部分画像は本座中郭ということでネット上に現れたもの。郭内の仕上げが面白い。3000円の発句で競り合いが起こらず、しめしめと思っておりましたが突如の出品取り消し!(が~ん)
なんでも応札者がなく希望価格にまで競り合いが起きなかったらしい。そんなこと言わず売ってくれ!今回は言い値で買うから・・・。

本日は都内でコイン即売会がありました。交通会館には久しく出かけていないので行こうかとも考えたのですが、家族サービスに徹しました。良きパパはつらいですね。ストレスがたまります。誰か私に古銭を売ってくれ!(心の叫び)
 
 
2月9日 【珍奇録】
最近、文源郷氏のネット販売品をちょこちょこ購入しています。写真は入手したばかりの明和期佐渡銭の面背逆製です。佐渡銭の面背逆製はいづみ会の新寛永入門譜にも掲載されているため、人気が高いとみておりましたが競り合いもたいしてなく安価入手。一時期、面背逆製をやっきになって落とすライバルが出現して困っておりましたが、ほっと一息・・・というところ。面背逆製は製作のあまり良くない佐渡銭や不旧手、四ツ寶銭、長崎銭、文政期当四文銭などに比較的多く見られ、製作の良い銭種にはめったに見られません。とはいうものの製作の良い文銭や明和期当四文銭でも例が見られるようにあらゆる銭種での存在の可能性は否定できません。もし、島屋無背あたりで面背逆製が見つかったらいったいいくらの価値になるんだろうと・・・想像をたくましくしてしまいます。
ちなみに私が所有する面背逆製の最高希少品は、寛保期佐渡銭(通称鉄銭座銅銭)の面背逆製あたりです。購入時の価格は(面背逆製に販売者が気づいていなかったのか、面文が良く読めないためか)通常品よりかなり格安・・・並品扱いでした。掲示の面背逆製も拓本でわかるように面側はほぼ判読できません。好きじゃなくちゃ買いませんねこんなもの、ライバルが撤退(?)したのもこんなところが理由でしょうか。
ところで、文源郷氏のこの作品・・・じつにきれいに出来てます。美術小品、工芸芸術と言いますか、古銭に対する愛が感じられます。かける手間暇は大変なものでしょう。
撮影のため袋から出そうとしたら・・・銭を張り付けている留め部分がはがれてしまいました。あちゃー!せっかくの美術品が壊れてしまった。実に繊細です。小梅銭背小の面背逆製も入手していますがこれで装丁から出しての撮影はお預けです。
 
2月5日 【大家放出品!】
某大家がネット上に額輪の母銭と古寛永二草点の大様母銭を出しました。二草点の大様母銭はそれはみごとな大様ですが素人には真贋不明。ただ、出品者が大物なので間違いない品でしょう・・・手が出ませんけど。一方、額輪の母銭も天保通寶母銭図録に掲載された名品。(No.84)小川青寶僂旧蔵品と言う由緒正しいもの。終了間際まで誰も手を挙げないと思いきや、残り30分を切って激しいバトルが繰り広げられました。野次馬はこれだから面白い。37万円超過の評価は正しいのでしょうが、私には手の出ない価格。母銭は収集外と決めて忍の一字でした。
 
2月4日 【鋳放しの白目】
四国のK氏からまたまた発見のご報告。(ありがとうございます。)白目中字の鋳放銭です。輪側面は湯道あとも残り、何とも荒々しいこと。一方、穿内はきちんと整形されているようで、これまた不思議です。鉄銭が出現する元文期になると銅銭の鋳造コストが採算割れ近くなり、さまざまな工夫(手抜き?)が行われたようです。白目には鉄含有量が多いことは容易にうかがわれますが、銅と鉄は相性が悪く、鉄は熔解温度も高く、比重も銅より重かったので当時の技術では完全合金化はできなかったようです。また、鉄を銑鉄にするのには銅より多くの木炭を必要としました。
(ここからは私の予測になります。)
ではどうしたか・・・。溶けた銅に直接砂鉄をぶち込んだのではないでしょうか。明和期の鋳銭事業の時、鋳造コストを下げるため原料に鉄や土までも(試験的に)投入してみた・・・という記録があったと思います。元文期の白目銭のときもそれが行われていたのではないかと考えます。何より現物がそれを物語っています。先に書いたように鉄と銅は相性が悪く、均一な合金とはならず、溶銅が砂鉄粒子を巻き込んだまぜもの状態になり、鉄分の多いもの、銅気の多いものなど不均一な仕上がりになったと思われます。鉄分の多いものは硬くもろくなります。したがって砥石ややすりの刃がたたなくなりこういった手抜き品も出現せざるを得なくなったのではないかとも考えられます。
以上は私の机上の推論ですが、実は今まであまり気が付かなかっただけでこのような品が案外存在するのかもしれません。(ということで、手持ちの白目銭を確認しましたが、やっぱりありませんでした。)

ところで・・・
入札誌下町に天保銭雑話(その1)として昨年12月16日の天保銭の話が掲載されていました。この品(出品価格8000円)に10万円を超える値を付けた大ばか者がこの世に3人もいたとは信じられない。(私もその一人です。)10万円超過は正当評価・・・というより、絶対負けない価格のつもりでした。したがってこれを逃してからしばらくは放心状態でした。その反動の結果が年末の「草点保」購入に走ったことにつながっているのです。しかし、3人もいたのか・・・みなさんばくち打ちですねぇ。

天保銭雑話(その2)に出てきた本座の母銭に覆輪した原母銭・・・本物の母銭に覆輪がしてあるというのに私もちょっと引っかかります。筆者自身にもはじめ迷いがあったようですが、由緒もありさらに鋳ざらい痕跡もあるようですし、何より愛着が湧いたとのことで・・・。惚れたが最後のこの世界、恋は盲目で私も良い目も痛い目にも遭っております。(しかも懲りない。)百聞は一見にしかず・・・いつか拝見したいものです。
 
2月1日 【逆台形の天保】
ネットオークションに出ていた逆台形の天保の入手ならず。間際の逆転でしたがもう気力ありません。
この手のものはかつて月刊天保銭で発表されたことがあって、そのときの原品は現在仙人が所有している薩摩広郭銭です。誌上発表では面背逆性・・・というタイトルでしたが、この天保銭は寛永銭の面背逆性とは成因が異なります。寛永銭の場合は砂型への母銭の置き方ミスが成因ですが、天保銭の場合は仕上げのやすりのかけ方の問題でやや意図的だと思われます。
仙人曰く・・・鋳造の過程で、背側の輪に鋳不足などの小欠損ができてしまったものを整形の段階で修正したのではないか・・・と、いうことなのです。天保銭の側面やすり仕上げはなんと1枚ずつの手作業であったことが当時の絵図などからもうかがい知ることができます。この点も棒に挿していっぺんに処理した寛永銭とは異なるのです。初期の本座の検査は厳しいので、輪に欠損のある天保銭などはその前に検査ではねられて、まず市場に出てきません。だから、このような逆台形の天保銭は珍しいはずなのです。しかし、こんな出来損ないに興味を持つ人が私以外にもいるとは・・・。
 
1月31日 【文銭の鋳放銭】
所有者のご好意で画像利用をさせて頂きました。寛文期亀戸銭の正字背文の鋳放銭です。外径は25.77㎜ほど。これだけ大きいのは母銭格の特別な品・・・ということです。輪側は未仕上げでテーパーがあるように感じられるそうです。湯道の痕跡もばっちりで少なくとも砥ぎの前の枝から切り落として粗やすりをかけられた状態のようです。よく見ると寛点上の輪に瑕があり、文源郷氏の細分類に出てきそうです。(波冠寛?)
ところで・・・
本日のなんでも鑑定団に富本銭が出て1000万円ですって!それを2万円で買ったというから驚き!売った人は悔しいでしょうねぇ。私も最初は絵銭だと思いました。富本に別種があるとは知らなかった。勉強不足です。

大化けとまではいかないものの、この文銭もけっこう化けると思いますよ。
 
1月30日 【麗しの進二天】
例によって関西のS氏からの投稿メールです。ありがとうございます。
進二天・・・それもなかなかの大ぶり美銭。文字もしっかり鋳出されていて好感が持てますね。寶の足の形などを見ると一瞬、縮通を思わせるのですがこれは鋳走りです。よく見ると天尾に加刀されていてどうやら進二天削字のようです。進二天と縮通の違いは裏の花押を見れば形が全然異なります。このこつは仙人に教えて頂きました。
なお、この天保、画像印象はかなり異なりますがどうやらネットで私が注目していたもののようです。こんなに大きくてきれいだったのか・・・と改めて思ってしまいました。進二天は状態の芳しくないものしか手元になく、ほかに1枚入手していたもののぎすぎす粗いやすり目が気に入らずすぐに手放してしまいました。美銭に出会ったら入手してやろうと思うものの美銭どころか普通のものにもとんと出会いません。私にとってはこの進二天と盛岡小字あたりがなかなかの難関で困ってます。(機会があっても金がない?)進二天に比べれば曳尾なんてごろごろある品ですね。

 
1月26日 【文銭に鋳放し銭はあるか?】
雑銭の会の会員HPで、文銭の鋳放し銭についての話題がありました。果たしてそんなものがあるのか・・・というのですが何が出てもおかしくないのがこの世界。ただ、確かに見たことがない。そういえば、手持ちに丸屋の鋳放しがあったなぁ・・・と思いだし改めて観察したのですが、どうも気に入らない。色も悪いし、湯道部分が若干残っているように見える品なのですが、後付けのような気もしてきました。灯明銭のような加工品からもぎ取られた雰囲気があります。銭としての仕上げはある程度なされているのは、本当の鋳放しではない・・・少なくとも面や輪の砥ぎが入ってはおかしいと考えられます。結局、鋳放し?丸屋はあくまでも参考品か審議品。一方、文銭の鋳放しは画像からは矛盾点が見出せません。好事家を狙った贋作は考えられますが、そういった結論を出すのはまだ早いと見ました。
それにめったにないものの文銭にも面背逆性があるように規格外のものも稀にあるからです。

早くから目を付けていた進二天は手に入りませんでした。5枚組の出品で出品価格1円でしたが結果は57000円超過。相場以上かもしれません。最初は静観していましたが我慢できず参戦・・・結果はあおっただけの迷惑行為でした。
ネットオークションでの安価入手はもう無理かもしれません。
 
1月25日 【連敗!!】
白銅というふれこみでネット購入した寛永銭は見事な鍍銀銭でした。残念ですが、売った相手には悪気は一切ないのでしかたありません。(12倍に画像を伸ばしてみて作為が分かりました。)これでこの手の失敗は何回目でしょうか。違和感のない白銅銭は「刀剣」のような輝きが感じられる・・・これが私の所感。銀やアルミによる後づけ着色とはどこか違う気品が漂うのですけど・・・どうも私はあばずればかりに引っかかるようです。
また、先日落とした仰寶母銭2枚はやはり焼けが入っていました・・・とりあえず反省反省・・・と。
 
1月21日 【鐚永楽の戦い】
私には知識のない分野ながら、鐚永楽の熱い戦い・・・開始価格なんと1円が終了価格が11万6000円です。数年前に中正手の大頭通が出たときには、価値を知らないものの2万円ぐらいまで追いかけた記憶があります。さて、このロットにはどこかに超高額品が隠れています。画像だけでそれを見抜くなんてコレクターはすごいなぁ・・・と思います。正解は(たぶん)左下で中正手の本体だそうですこの手の珍品類は総じて刔輪がされていて永字や寶字が離輪します。中正手の本体は1月16日の記事の中正手刔輪に比べて書体の崩れが少なく、永点も草点には見えません。通頭が三角で大きく前のめりになるのも特徴かしら。他にも永字が横広に崩れたり、含二水永のようなもの(鐚)もあるようです。私は収集対象にしていないもののこの過熱ぶりはすごいですね。戦わずして圧倒されています。
ところで・・・
本日、クリップシーラーを購入してしまいました。シーラーとはビニールの袋などを熱で圧着するもの。私は天保通寶の保存をコインフォルダーではなく、クリアタイプのポリプロピレン袋(カード用)に入れてアルバムに収納しています。天保銭のコインフォルダーは天保銭ぎりぎりの大きさで、覆輪の大様銭などは収まりきれません。また、フィルムが破れやすく、説明文を記入する余白も少ない。そこで多くの天保銭収集家は独自の専用収蔵用箱をあつらえたりします。たいがいは木製で、天保銭には小札を糸で結び付け、感心するぐらいのマイクロ文字でサイズや分類名を記入しています。
木には調湿作用があり、さび防止になりますので古銭の保存にはこれが最高です。また、意外に火災にも強いというお話も聞いています。コインアルバムは可塑剤(素材の柔軟性を保つ薬)として硫黄が使用されているため、長時間ほったらかしにすると青錆が出てきます。以前、コイン袋を使用していた時期がありましたが、これは2~3年ぐらいで表面に粉状のさびをふくことが分かり、使用をやめています。やはり直接貨幣面に接するのでよろしくないようです。クリアタイプのポリプロピレンは可塑剤を使用していないようなので、それ以来現在の収蔵方法に切り替えました。もちろん、アルバムそのものには可塑剤が使用されているので、これで完璧とは言えませんが、袋は100円ショップで100枚105円で買えますし、木箱を用意すれば良いのでしょうが、住宅事情が許してくれません。
カード用のポリプロピレン袋は天保銭用には中途半端なサイズ。透明感は気に入っているのであと一工夫・・・ということでクリップシーラーを買ってしまったのです。(アイロンで試したこともあるのですが、上手くいきませんでした。)収集品を見せる工夫もまた趣味として楽しいもので、しばらくはこれで遊べそうです。
この手の見せる展示ではかの文源郷氏のネットに出しているもの(銭泉録シリーズなど)が最高峰でしょうね。あまりの美しさに袋を開けられず、計測すらできません。美しすぎるのも罪です。そういえば、大枚をはたいて購入した英泉譜も、豪華本であるがため怖くてほとんど読めません。コレクターの悲しきサガです。
 
 
1月19日 【ネットも続々・・・】
ほったらかしにしておいたオークションが2つも落ちてしまった。落ちないと悔しがるくせに落ちるとあせるから困る。落ちたのは仰寶の母銭が2枚入ったロットと寛文期亀戸銭中字の白銅銭。ともに1万円ちょっとですけど、2つとも来るとは思わなんだ。
仰寶の母銭を出した業者のもう一方のロットは踏潰銭が複数枚入っています。たしか、以前もこの業者さんはこんなロットを出したことがあったと記憶しています。不安なのが状態・・・焼けていそうです。でもこの価格なら文句は言えませんね。別に欲しくなかったけど、他にも何か入ってそうでしたし、好奇心を満たすのには十分です。一方の中字の白銅銭・・・しかも純白に近いという触れ込み・・・このフレーズには何度惑わされたことか。失敗するたびに、次は自重するぞと思いながら行ってしまいます。願わくば今度こそ当たってください。
。実はもうひとつ無競争で落としています。上棟銭で輪に宝珠の刻印のあるもの。(右側)実は左に掲示した刻印銭の輪下部にある意味不明の手彫記号に悩んでいたのですが、この刻印銭を見たことによってどうやらこれも宝珠(気吹宝珠)らしいと思えるようになり、うれしくなって落としました。
刻印銭 南無阿弥陀仏 気吹宝珠
それまでは女陰かな?なんて不謹慎なことを考えていましたから一歩前進です。なお、上棟刻印銭に◎に見える刻印をよく見かけます。よく観察すると内側の丸の先端が尖っていたり、中心位置がずれていたりします。これがまさしく宝珠の証拠。 宝珠は、「意のままに願いをかなえる(空想上の)宝」であり、仏や龍の持ち物として東洋美術では良く描かれています。壱円銀貨の龍が握っているあの渦巻もたしか宝珠だったと思いました。宝珠はまた仏の教えの象徴でもあり、橋の欄干についている擬宝珠はこの宝珠を模したものです。
古泉会に参加できない日々が続いています。日曜日が仕事の体制なので雑銭の会には特に行けません。土日に休みが取れれば良いのですが・・・。
 
1月17日 【玉塚天保異書】
ネットに出ていました。タイトル通りの品ですが、土台が水戸正字背異の反足寶・・・しかもなかなかの濶縁ぶり。濶縁縮字は私の大好物で、その玉塚天保でしかも異書で刻印に朱色の残る(この手の品としては)美銭とくれば・・・食指が動いてしまいますよね。まぁ、玉塚天保なんぞはお遊び色の強い近代絵銭ですので、収集対象としては邪道ですから、そのうち見向きもされなくなるかもしれませんが、土台の顔が良いので落としにゆきました。これで今月の予算は終了と言いますか、早くも買いすぎです。全然反省していない、成長もない私です。
でも落とせなかったら悔しかったと思います。
 
1月16日 【続・景気の良いお話+α】
撰銭の達人からのご報告です。昨年末から今年にかけて購入した雑銭の中から文政離用通の面刔輪背削波2枚と鐚永楽の中正手刔輪が出てきたとのご報告。私なら普通の文政離用通が出てきただけで卒倒しそうなお話です。

しかもこれらがすこぶるの美顔だというところがすごいです。雑銭党の方々は結構ネット上にいらっしゃっるようで、あつき戦いを展開しています。私もきまぐれで数回落としたこともありますが、あたったためしがないのですっかり弱気になってしまっています。
現物を見ないで買う宝くじ感覚と撰銭の楽しみがあるからでしょうね。撰銭は楽しいんですけど、当たりが出ないと根気が折れてしまいます。
もっとも、彼らはどの出品業者さんが良心的かちゃんとチェックしていらっしゃるのでしょう。私も一時期は出品者のⅠDを収集記録していたのですが(マニアですね)最近は全くしていません。調査のため撰銭界にデビューしちゃおうかしら・・・。

ところで・・・
1月13日の天保銭ですが、仙人様によると贋作の可能性もあるようです。最近はこんな精巧なものもあるのですね・・・。近年の贋作は現物から型を採り、寸分違わないサイズで再現できるようです。
世界に誇る日本の金属加工技術を悪用しているようなのですが、これがはびこりはじめるとかつての中国古文銭のように大暴落する可能性があります。円銀の贋作も精巧です。
もっとも、現物を見たわけではないので贋作確定ではないようです。たしかになんとなくなんとなく違う風貌ながら、悪くないと私は信じたいのです。贋作でないことを祈ります。
そういえば数年前見事に引っかかった、不知広郭手の粗肌無刻印銭の贋作・・・あれは見事でした。この系統なのかしら?


 
1月14日 【続々到着】
節約宣言もどこ吹く風・・・落札品が続々届きます。左上は長郭手のみごとな覆輪銭。銭文径も縮み分厚くてキュートです。輪の傷がちょっと痛々しいけど、まぁ、これはご愛嬌。
右上は何の変哲もない・・・というか一見本座にしか見えない鋳写し天保。たしかに少し小さいけれど、一見してもどこも変わったところが見当たりません。不知天保通寶分類譜下巻8Pの8原品だったのが望外の喜び。
左下は玉塚天保の山石刻印・・・初めて手にすることができました。そして右下は享保期難波銭の面背逆性です。
これに穴銭カタログ日本まで届いて・・・こりゃ大変です。
 
1月13日 【景気の良いお話】
全国の掘り出しマニアから続々と朗報が届き、私をうらやましがらせてくれます。
まずは四国のK氏から右は8日の記事の結果。志津麿大字の本体!実にしっかりしたつくりです。下の画像はわかりやすく処理したものなんですよ。競り合ったⅠ氏も立派。いやぁ、私にはまねできないです。
下は9日のS氏から・・・。本座細郭の母銭ですが鋳肌がちょっと変わっています。加刀痕跡も生々しく外輪も少しめくれている感じ。大きさも50.37㎜もあるそうです。私は初期のあまり使用されていない細郭の母だと思うのですが皆様、どう判断されますか?
仙人様、これをご覧になっていましたらご意見をお寄せください。
 
1月12日 【踏みとどまりましたが・・・】
古銭は美術品だ・・・だから美しいものを集めるべき・・・これは私も肝に銘じているはずなのですが、ちょっと気になるものとか、持っていないものに対しては心が揺らぎますね。画像の品は「会津濶縁」ということでネットに出ていましたが、わかる方はすぐに「濶縁離足寶」だ!と判断されると思います。会津濶縁はそれはそれでなかなか楽しい品なのですが、濶縁離足寶はさらにその変種といって良い存在です。
泉譜などで見ると濶縁と濶縁離足寶は全然違う顔をしているのに、現物はなぜかあまり差異を感じない不思議な銭種です。計測してみるとたしかに濶縁離足寶の銭文径は短いのです。(制作日記の昨年6月7日の記事ならびに覆輪刔輪マニアック講座をご覧ください。)この計測は昨年たまたま会津濶縁と短貝寶を複数枚ネットで入手できたから分かったのですが、覆輪のきついものばかり選んで落としたものですから思ったより銭文径の差が出なかったのかもしれません。また、濶縁離足寶は存在そのものが少ないので計測するサンプルに出会えません。左の品は状態は悪いのですが濶縁離足寶の基本と言うべき特徴をきちんと押さえています。それは輪左側中央やや下のわずかな凹み傷。この傷は必ずしもすべての濶縁離足寶にあるわけではないようですが、この傷がある濶縁離足寶の方が安心できるのです。この画像を見たとき思わず心が叫びました・・・手にして測りたい!・・・と。しかし状態がいまひとつ、ふたつ?焼けているのでしょうか?
会津濶縁は銭文径にばらつきがありとても面白い。類似カタログには濶縁と濶縁再覆輪、濶縁離足寶に分類されていますが果たして再覆輪はありえるのか?この3種と短貝寶との関係が知りたいです。
 
1月9日 【注目のオークション】
発見していた注目のオークションが終了。私はまったく関与しませんでした。4枚組の天保銭で右下だけがちょっと大きく整っているのですぐわかりました。細郭の母銭ですね。ちょっと肌荒れ気味なので火中の可能性もあってそんなにいかないだろうと思いましたが、天保銭の鬼のS氏が意地で落札されたようです。最近の私はS氏の名前を見るとこそこそ逃げ出しております。いかにS氏に気付かれないように応札するか・・・もうこれは改名するしかないようです。
不知天保銭というふれこみのもの(刔輪細縁)も終了しましたが27000円になってました。こちらも1万円半ばで降参です。今年は節約できそうです・・・とおもったら難波銭の面背逆製が6250円で落ちてました。
こちらは下々の争いですが、ちょっと奮発しすぎたかも。まぁ、これはお年玉ということで・・・。

※本日ぎっくり腰になってしまいました。痛みには強い方だと思うのですが、同じ姿勢を続けるとさすがに動けなくなります。パソコン用の椅子が固くて痛い。トイレや寝起きがつらい。しばし休養しなくては。でも、椎間板ヘルニアよりはましです。いててて・・・。
   
1月8日 【サイトクラッシュ】
また、エラーが発生。表紙が全壊しました。症状を見る限り前回と同じで、ヒューマンエラーというより、ソフトエラーのようです。(今回は編集の時にエラー表示があり、自動修復表示も出ましたので・・・。)要はサイトの画像が増え、ページ設定以上に巨大になったことが原因らしいです。とりあえず今回は1時間足らずで復旧できましたが、今後のことを考えると少し憂鬱です。
左は四国のK氏から頂戴した画像。目が節穴の私は気づきませんでした。こんな雑銭のなかに1枚の宝物を見つけるなんて・・・執念ですね。赤い印の中にあるのが古寛永の初期不知銭の志津磨大字らしきもの画像を下さった本人が「こんなピンボケ画像で〇〇〇〇円まで・・・」とおっしゃっておりました。競ったのはまた、拾い出しご常連のⅠ氏だそうで、新年から熱くなっていたようです。問題は状態でしょうね。しかし、よく見つけるなぁ・・・この方々。
 
1月6日 【研泉会の例会誌】
今年、最初の古銭関連入手品です。研泉会の例会誌の第4号、5号をtネットで落としました。目的は数年前に旭龍童Y氏から購入した慶長通寶の拓を探すこと。実はこの品Y氏が雑銭の会に出したものの誰も購入希望者がなく、専門外ながら価値あるものと信じて私が落としたもの。なんと5000円でした。落とした後、持っているのになんとなく罪悪感を感じて、ネットに出してどんな評価がされるか試したしだい。正直、2~3万ぐらいの値がついてもおかしくないだろうな・・・と踏んでいたのですが、まったく競争が起きずに拍子抜けした覚えがあります。
問題の品は第4号の酔仙庵氏の項にありました。再びまみえたこの品は、やはり素晴らしい!鐚式の極小様、慶長の人気は限定的で、存在数に比べて価格的にはさほど高くないのですが、この鐚式タイプの慶長は評価を超えた可憐さがあります。収まるべき愛好者の手に渡ってよかったと改めて思う次第・・・でももう少し自分でもってても良かったのかな・・・とも少々・・・。
研泉会は、会長の金幣塔氏のほか、学究肌の鳳凰山氏など少数ながら精鋭の強者ぞろいです。
古銭に対する知識、愛情とも抜群で、なんでこんなに詳しく知っているんだろう、なんでこんなものまで持っているんだ・・・と嫉妬心さえ湧き上がります。金幣塔氏とはときおりネット上で激突しておりますが、勝てたためしがなく、最近では氏のIDが出現するとすぐ撤退してしまうほどの負け犬でございます。氏はときおりネット上に所蔵品を放出しておりますので、私はそのおこぼれに預かっております。そういう意味では氏にはずいぶんお世話にもなっているのです。古銭会を維持するのは結構パワーがいると思いますが、充実した会の様子がうかがい知れる会誌でした。
 
1月4日 【年賀状作品集】
今年も銭に憑りつかれた猛者どもの年賀状が届きました。年賀状に古銭類を描くなんてセンス判らない・・・と妻がのたまわっています。はい、御説ごもっとも。たしかに仰せの通りでございます。年初ということでお許しを・・・。
 
 
 
①島屋文(選り出し品) Ⅰ氏
②志津磨大字本体(選り出し品) 関西S氏
※上記2品は雑銭から出てきたとのこと。うらやましい・・・
③不知狭穿刔輪(初見品) 九州K氏 
※新種発見!?これは探す価値はありそうです。
④仰寶大字母銭2枚 東北S氏
⑤藤田役元銀一朱預札(初見品) 私の藩札収集研究のW氏
⑥金座試鋳永楽銀銭 背澤瀉刮去 金幣塔氏 
※これは特別な品ですね。
⑦奉天省 當圓銅幣 四国O氏 
※背面の地の滑らかで美しいこと・・・。
⑧竜絵銭 作家の早坂昇龍(ノボル)氏 今年は辰年ということで・・・
※早坂氏は岩手出身の作家さんです。古銭界では有名な方。ウィキペディアにも掲載されています。
 
1月2日 【画像は語る】
左端は覆輪系の天保で面背の輪幅が著しく違うもの。(中央は比較のための本座銭)
よく見ると天上や寶下にわずかに加工跡(刔輪)らしきものが見て取れます。一方、背は見事な濶縁。花押下側だけ目立って輪幅が広いのです。これをどう考えるか・・・夜も眠れなくなっちゃうくらい面白い。仮説は3つ。
①錯笵により偶然、背下側だけが濶縁になった。
②面側は刔輪加工したが背は省略した。
③背は上下の型ずれにより、下部だけ濶縁になった。

古銭の大家なら、考えなくてもわかるようなことをこうやってグダグダグダグダ想像するだけで私は楽しいのですね。スキーでもゴルフでも上達途中が一番楽しいのですが、これだけ歴があっていまだに発展途上というのが恥ずかしいというべきか?
②だったら特に面白いと思っていたのですが、考えていても埒が明かないので、画像で実証見聞してやろう・・・ということで、草天保に続きスキャナーで撮りなおしてみました。
面側は天字で合わせると寶字がほぼ1㎜狂います。天上の刔輪はたしかに見られるのですが微修正程度。刔輪と言える代物じゃぁないかもしれません。一方、寶下の修正もほとんど感じられないレベル。刔輪とは言えない。
背は當字で合わせてみます。こちらの内径差はさらに激しく、計測上は1.75㎜(44.45㎜と42.7㎜)にも達しました。
ところがギッチョン、外輪下端がピタッと合致してしまいました。これは予想外のことでした。
結論から言ってしまうと、実は覆輪天保が台形状仕上げになっていて、(面背の外径幅があり)もともと背の方が濶縁になるような作りでした。これに上下のずれと錯笵によるブレがあい重なって下部だけ濶縁に見えるようになったと考えました。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」・・・大発見ならず。

 
1月1日 【あけましておめでとうございます。】
平成24年も何事もなかったようにはじまりました。そして、例によって大晦日からの夜更かしです。しか~し、世間一般と異なり、私は元旦から休みなしの出勤日。因果な商売ですね。流通業にいた時は元旦だけ確実に休み。大晦日は深夜まで働き、正月休みは長くても3日までという感じでしたから、もともとあまりお正月でのんびりというのは味わったことがないのです。それでもお正月はなぜかほっとします。
昨年の反省を込めて、今年は少し自重(自嘲?)気味の年としたいものです。
昨年の入手品
長径48.95㎜
不知天保通寶分類譜上巻35Pの6
長径48.65㎜
不知天保通寶分類譜上巻33P
長径48.9㎜
 
草点保の拓図との比較
昨年入手した草点保ですが、やや刔輪の度合いが少なく見えるので画像で測ってみました。拓はいずれも不知天保通寶分類譜から採ったもの。中央のもの(短用画通)が刔輪がきつく見えます。画像を半切りにして拓に合わせてみると・・・たしかに入手品の方が輪が広く見えますが内径の差はごくわずか。これは仕上げ砥ぎの差程度でしょうか。とくに右側(長用画通)とはほぼ寸分たがわず重なりました。入手品の方が天字が太く鋳出されており、それが視覚的な効果をもたらしたのだと判断できます。この点は比較対象が印刷物ということでいくらかの誤差はあると思います。
 
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2012年1月~2012年12月31日分まで

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