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ひみつ
 八厘会会場が新しくなります!
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
地下鉄日比谷線・JR京葉線 八丁堀駅より徒歩3分
地下鉄日比谷線・東西線  茅場町駅より徒歩7分
都営浅草線        宝町駅より徒歩5分
JR 東京駅からあおぎり通りを経由して徒歩13分
※八重洲中央口改札から大通りを渡り、右手へ・・・セブンイレブンで左折しあおぎり通りへ
 あとはまっすぐ。八丁堀石川クリニックの隣の庄司ビル3階。その先隣は佐藤調剤薬局。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目19-7 庄司ビル3貝「セキレイ会議室」 
 
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2021年11月24日の梅ヶ瀬 
2024年11月9日(午後)の梅ヶ瀬 
 
 
2024年11月26日の梅ヶ瀬 
↙   
2024年11月30日の梅ヶ瀬 
養老渓谷(梅ヶ瀬渓谷)の紅葉のピークは本当に一瞬です。
しかも午前中に行かないとこの空の青や森の幽玄さは撮れない。
2週間で一変、そしてきれいなのも10日間ぐらいしか続ないのがここ梅ヶ瀬。
5年前は週2で通っていました。ライフワークですね。この空の色無修正です。
数日の差でモミジの絨毯ができました! モミジの色も濃くなりました。
 
2024年12月21日【下田極印銭】
下田極印銭については2014年3月26~28日の制作日記に色々書かせていただいています。
その中で『明治31年の「寛永通寶研究報告」における下田在住の寛永銭の大家、蛭海興一氏の報告に「・・・四文銭の2厘に改められしとき下田の士人は大に不平を唱えてかますびしければ、一時下田に限りひそかに四文に通用せしめんと重なる人々談合の上、下田に存在するすべての四文銭に下タの2字印を印して・・・」』 とまで書きました。詳しくは過去記事をお読みください。この時代の記事を読むと未熟ながらよく調べたものだと我ながら感心します。この風聞情報の主は長崎の研究家のT氏であろうことまでは大体わかっています。
さて、四文銭の2厘に改められしとき・・・となれば、それは明治4年のこと。そこで明治元年から明治4年までの真鍮4文銭の公定交換レートの変遷を見るとあれ・・・年を追うごとにむしろレートが上がっています。この時代、寛永一文銅銭が最後に作られた明和期からもすでに100年ほど経っています。明治期は文銭では200年、元文期銭でも130年が経っています・・・つまり銅一文銭は今なら古銭なのです。銅一文銭に対する交換価値は確かに下がりましたが、4文銭も鉄銭中心に切り替わっていて慶応元年から6年も経ってから下田の士族がいまさら不平を訴える理由が良く分からない。(表には鉄4文がありませんが鉄一文を基準に考えると良いと思います。)それに極印が打たれているものが明和期銭に限られていて文政期など後の時代の下田極印銭がないとされているのも妙なこと。
と、言うわけで下田極印の話は眉唾で、正品があったとしてもせいぜい地域の商品券的なもの。あるいは記念銭。あとは皆さんでお考え下さい。
鉄一文銭を基準にした交換比率
銭 種 1865年(慶応元年) 1868年(明治元年) 1871年(明治四年)
天保通寶 96文 96文 128文(8厘)
寛永四文 12文 24文 32文(2厘)
文久四文 8文 16文 24文(1.5厘)
文銭・耳白 6文 12文  16文(1厘) 
銅一文銭 4文
鉄一文銭 1文  1文 1文(1/16厘)
※公式発布のレートであり、実勢レートではないかもしれません。江戸末期の天保銭の実勢レートは80文前後でした。


寛永銭を鋳潰して天保銭を作る場合、採算コストは10文程度と言われています。したがって明治元年以降は採算は厳しくなり、寛永銭からの改鋳による天保銭鋳造はほぼ途絶していったと考えられます。
※慶応元年の法において天保銭=鉄100文となっていますが、実際は96勘定にあわせ修正しました。

銅一文銭を基準にした交換比率
銭 種 1865年(慶応元年) 1868年(明治元年) 1871年(明治四年)
天保通寶 24文 8文 8文(8厘)
寛永四文 3文 2文 2文(2厘)
文久四文 2文 1.33文 1.5文(1.5厘)
文銭・耳白 1.5文 1文  1文(1厘) 
銅一文銭 1文
鉄一文銭 0.25文  0.08文 0.06文(1/16厘)
舎人坊石川師から拝領した贋作刻印銭(専用タトウ入り)
 
2024年12月15日【今年の収集を振り返る2】
今年の収集は天保通寶と密鋳四文銭ばかりだった。プライベートでは6月のコロナと昨年11月から続く親父との同居生活の影響が結構大きい。生活支援・通院付き添いも増え、以前に比べて自分の時間が持てなくなってしまったのが大きく、睡眠不足を居眠りで打開したため夜の散歩やHPいじりの時間が取れなくなってます。女房がいない不自由さを感じます。
じゃあ収集の購入量が減った・・・っていうことはなく、ストレス買いも結構してますね。整理できてないのが一番の影響。6月に家族が全滅したコロナには寝不足との相乗効果もあって体力をかなり削がれました。本日は山歩きしましたが息も絶え絶えで6㎞ぐらいで終わり。山道を安定的に歩く調子がつかめない。呼吸苦で立ち止まってしまうことが多いです。今の体力だと15㎞以上歩くのは厳しいかも。だからなのか痩せないなあ。
さてさて、今年の収集物で光っているものは・・・
銭種 希少性 状態 映え 話題性 備考 
❶萩藩銭 縮通平二平尾天 3.5 15.5 発表のほとんどない銭 
❷長郭手 狭足寶(白銅質大様) 3.5 15.5 母銭様の美銭
❸秋田藩銭 小様細郭(最小様) 3.5 3 15.5 45㎜台で細郭のもの
❹不知銭 水戸短足寶写 3 4.5 3 15.5 各種泉譜を飾った銘品
❺萩藩銭 縮通仰二天(白銅質大様) 3.5 14.5 49㎜を超える白銅美銭
❻元禄期江戸荻原銭 厚肉純白銅母銭 2.5 4.5 14.0 純白の母銭
❼長郭手 鋳写広穿偏輪(錯笵) 2.5 13.5 類例の少ない錯笵
❽萩藩銭 縮通仰二天 2.5 4.5 11.0 美銭

❶~❹まではどれも甲乙つけがたい。❺もとても貴重な気がします。話題性と希少度からいえば❶は妥当なんですけど見栄えも含めると下剋上ありですね。2025年度の制作日記の顔はどれになるか・・・案外、山の紅葉の写真になるかもね。
 
2014年12月14日 【今年の収集を振り返る】
早いものであっという間に今年も終わり。机の上はここ2年間の間に入手した品でぐちゃぐちゃです。ひどいものでむき出し裸のものもたくさんある。天保通寶はコインフォルダーではなく特注で作成したCPP無地袋を使用して保存いますが、ラベルを作成していないものがかなり増えてしまいました。
天保通寶専用のコインフォルダーは名称が直接書き込めるのですけど、フィルムが破れやすく規格も大きいのでBOOKに入れるとかさばります。そこで以前は塩化ビニール製のコイン袋なるものに天保通寶を入れて保存していたのですが、1年もすると古銭と接する面が白く粉を吹くように汚れてきます。その正体が錆である事を知って愕然としました。
塩化ビニールは古銭には良くない上、BOOKの素材も塩化ビニールですので困りました。そこでたどり着いたのがCPP無地袋で、BOOKのポケットにぴったり1枚の天保通寶が納まります。丈夫で防湿性もあり、古銭を塩化、酸化から守ってくれます。何より単価が抜群に安い。ほとんど使用していませんが熱によるラミネート性もあります。
欠点としてはペーパー部分がないのでBOOKのポケットに入れるのにコツがいること。また耐久性を持たせるため少々厚めにしているので透明度がコインフォルダーより劣ること。ラベルは別添して作成する必要があることなどです。私の場合、制作日記に載せると満足してしまう悪い癖があるのでここに掲示した古銭のほとんどが机の上もしくはBOOK用のむき出しページにバラバラ入れられてラベルもなく放置されています。行方不明も多いのですが捜索範囲は2m四方に限られます。そろそろ整理しないと大変だあ。
長郭手刔輪縮形削貝寶
長径47.25㎜ 短径31.05㎜ 銭文径40.0㎜ 重量20.8g
【1月17日】
B級不知銭として紹介してしまいましたが良く見ると寶貝に加刀があり左側縦画に切れ目がある。寶貝画が真っ二つに分割された物もありますので割貝寶とすべきかもしれません。それとも切腹寶???
この分類は関西のTさんなら一目でしたね。
長径も47㎜台だし、銭文径も40㎜しかなく明らかな再写しの縮形でB+クラス以上に昇格の品です。
長郭手覆輪
長径49.35㎜ 短径32.2㎜ 銭文径41.1㎜ 重量21.9g
【5月11日】
しっかりした覆輪の一回鋳写銭。う~ん、とらさんなら絶対Bクラスだろうなあ。刔輪はほぼなく文字変化もほぼなし。唯一、背の百の第一画の末端が団子状に結ばれています。これってひょっとすると肥足寶のなりかけ・・・まさかね。
文字変化なしとしましたが細かい癖が随所にあるような・・・。なよなよ歪んでいる感じです。
長郭手赤銅質覆輪(再写小足寶)
長径48.15㎜ 短径31.65㎜ 銭文径40.25㎜ 重量17.0g
【5月16日】
駿河の落札品で覆輪銭には間違いないものの特徴が少ない品。寶足が短くなっているのがやや目立ちます。
覆輪の再写しで赤銅質というまずまずの品ながら小足寶気味というだけでは何かが足らないかな?
それでも可愛い一枚です。
秋田小様
長径47.05㎜ 短径31.4㎜ 銭文径39.6㎜ 重量19.3g
【5月25日】
猛烈に赤い秋田小様。47㎜を超えるので中様サイズと言えます。これは八厘会に出席したときMさんから盆廻しを通じて購入したもの。普通はもう少し黄色みが強いものが多いのです。実は私、村上師の影響なのか秋田小様複数持ってます。病気。しかし、この鮮やかな発色はたぶん2枚ほどしか持っていないです。
長郭手狭足寶(大様)
長径48.93㎜ 短径32.4㎜ 銭文径40.85㎜ 重量20.5g
※製作、銅質が別格品。文字もごく細くキレもあって母銭かも知れないと思っていますが仙人様からは母ではないだろうと言われました。Aランクの品です。
【6月6日】
白銅質、細字で、初めて原品を見たときは母銭かと思いました。大きさからみても次鋳の母銭サイズなのです。
古い収集家の放出品であり、桐箱の中に鎮座していました。狭足寶は比較的多く見られる不知銭ですけどこいつは何か持っています。
水戸短足寶写(純赤銅銭)
長径48.25㎜ 短径32.1㎜ 銭文径39.65㎜ 重量21.5g
※ひび割れにしか見えない鋳不足もあり、高額と相まって大和文庫の即売品コーナーでもずっと売れ残っていました。ついに買っちゃった。A~Sランクの希少な品です。
【6月26日】
コロナ罹患で高熱にうなされている最中に思わず購入してしまった不知銭。
當百銭カタログ No.378(奇書体)
不知天保通寶分類譜下巻P209(奇書)
天保通寶研究分類譜 第5巻No.1614
天保通寶と類似貨幣カタログ No.156
とまあ、これでもかというほどの有名品。銭文径もかなり縮んでいます。
秋田小様と同じ銅質で、東北仿鋳であることは間違いないでしょう。藩鋳銭の写しは非常に少なく、薩摩以外は滅多にありません。
萩藩銭 縮通仰二天
長径48.65㎜ 短径32.4㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.8g
【7月3日】
水戸短足寶写がコロナ罹患の代償だとしたら、こいつは快気祝いです。え、病気に変わりはないかしら・・・悪化。未使用色の残るなかなかの美銭。縮通は文字抜けが悪く鋳だまりが多いので美銭は買うべしなんですけど、降級品なのでつらい。でも美しいので満足。稲陽さんありがとうございます。
長郭手覆輪異極印(赤銅:再写し)
長径48.80㎜ 短径32.45㎜ 銭文径40.35㎜ 重量20.7g
【7月15日】
赤茶系の模範的な覆輪の二度写し天保ですが刔輪や削字変化は見られません。覆輪加護山銭や秋田小様と同じように、郭の鋳バリを背側に押し出し、叩き潰したよう雰囲気です。極印は葉脈が真直ぐな十字架型。本品は大和文庫の落札品です。
長郭手鋳写広穿偏輪
長径48.1㎜ 短径31.7㎜ 銭文径41.2㎜ 重量20.4g
【7月28日】
東京駅で出口を間違え、炎天下の東京駅の外周を30分ほどさ迷い、汗だくでCCF会場に着いた結果、こんな変な鋳写不知銭に出会えました。
本座の一度写しなのですが鋳型が左右にずれてしまったため輪の左右で段差が生じてしまい、その修正でこんな変な錯笵天保ができたと推定します。左右のエッジを天側もしくは寶側から見ると平行四辺形状に見えます。中見切り製法の不知銭にこういった錯笵は散見されますが、こんなにきれいに仕上げられているのは極めて珍しいと思います。
長郭手覆輪再写し異極印(UFO型)
長径48.9㎜ 短径32.5㎜ 銭文径40.65㎜ 重量18.4g
【8月2日】
CCFの落札品。出品名は不知長郭手強覆輪2次写し。たしかに覆輪は強いけど強覆輪というのはちょっとためらっちゃう。銭文径は小さいので再写しには間違いないところ。それより特筆すべきことは見事な異極印で、私はこの極印を見るのは2度目です。長郭手の鋳写白銅質として類品が掲載されています。
長郭手覆輪
長径49.07㎜ 短径32.40㎜ 銭文径41.12㎜ 重量21.7g
【8月2日】
CCFで落札したオーソドックスな覆輪銭。ですが書体変化はありません。ただし、覆輪幅はかなりゆったりしています。極印はかなり大きく立派で会津に似ています。桐の形をしていますので異極印とは言えませんが、本座とは一線を画します。なお、CCFではもう一品落札していますが割愛します。
細郭手覆輪刔輪肥点尓寶
長径48.55㎜ 短径32.55㎜ 銭文径40.45㎜ 重量20.3g
【8月19日】
秋田の村上師から細郭手覆輪刔輪連玉寶 通寶肥字の名称を付けられていました。
たしかに連玉寶の書風なのですがつながってない。したがって瓜生師は肥点尓寶なる名称を与えたのかも。跛天気味で保点長く、地肌に鋳ざらい痕跡が鮮やかに残ります。
天保通寶研究分類譜 第5巻1405
不知天保通寶分類譜 上巻P86-9
萩藩銭縮通平二平尾天(縮通平二天大字)
長径48.95㎜ 短径32.60㎜ 銭文径40.55㎜ 重量18.0g
【9月10日】
縮通の類は仰二天になるのが普通ですが収集誌上で「縮通手肥字」として発表されたことがあったようです。(1998年8月号)ただ、肥字には見えず、強いて言えば大字であり遒勁です。
天の二引きが長く、天末尾には鋳だまり加刀もあって平行に跳ねる平尾天になっています。また、寶前足も跳ねます。花押のつのは3本の先端が揃います。見栄えはしませんがSランクの珍銭でした。
会津濶縁覆輪最大様(変造延展)
長径49.9㎜ 短径33.70㎜ 銭文径40.85㎜ 重量22.3g
【9月24日】
今年もっとも興奮したもののひとつであり、かつがっかりさせられたものの一つでもあります。平二天の入手の直後だったので調子に乗りすぎました。好事魔多しです。
見た目の損傷、延展加工の傷もないのに大きい。私の節穴ばかりかとらさん、関東のAさんの慧眼も欺く見事な変造品。しかし、天保仙人様の歴戦の目はごまかせなかった。本年最大級の出費が最大級の失敗になりました。反省の意を込めて掲載。
萩藩銭 縮通仰二天(初鋳白銅質)
長径49.15㎜ 短径32.75㎜ 銭文径40.85㎜ 重量17.3g
【10月21日】
計測してみたら重量以外のすべての数値が大きいのでびっくりしました。縮通は存在数そのものが少ないのでなかなか重複して集めるのが難しいのですけど、この品は白銅質で文字抜けもとても良い品です。ヤフオクを介して稲陽さんから購入したもの。
秋田小様細郭(最小様)
長径45.45㎜ 短径30.85㎜ 銭文径38.75㎜ 重量18.0g
【12月3日】
私は秋田小様は一度写しから四度写しまで存在すると推定しています。1mの銅銭の鋳造縮小率は1.8~1.5%ほど。銭には厚みがあるので環境条件により幅が出ます。本座広郭の長径49.2㎜、銭文径を41.2㎜、縮小率を1.7%と仮定して縮小していくと4回目の写しで銭文径は39㎜未満になりますし、外径も45㎜台になります。エクセルで簡単に算出可能なので確認してみてください。
縮小率
1.7%
鋳造前 結果
外 径 銭文径 外 径 銭文径
1回目 49.20 41.20 48.36 40.50
2回目 48.36 40.50 47.54 39.81
3回目 47.54 39.81 46.73 39.13
4回目 46.73 39.13 45.94 38.47
村上師の影響で秋田小様も大好きです。一度は手放した45㎜台の小様。細郭のものに出会い不退転の決意で落としてしまいました。病気です。
長郭手覆輪當上刔輪
長径49.05㎜ 短径32.6㎜ 銭文径40.3㎜ 重量21.4g
【12月3日】
覆輪刔輪の天保通寶です。これも稲陽さんから購入したもの。ずいぶんお世話になっています。いや、お世話しているのかしら。特徴がないようでいて微細な変化が目立たない程度にあります。さすが不知銭ですね。文字の周囲が彫りこまれ、部分によってはロクロ錐のようなもので削られ、寶は痩字になっていますし、寶下當上刔輪もやや強い。微細というより微妙。B級じゃないけどAクラスにはなれない品
長郭手覆輪(額輪)長径48.6㎜ 短径32.4㎜ 銭文径40.85㎜ 重量18.4g
【12月9日】
未使用色が素晴らしいので再掲。面側は文字より輪が高い額輪状です。背輪が広く見えますが文字変化がなく非常に地味な印象。
不知天保通寶分類譜下巻P117の24
天保通寶研究分類譜1216
元禄期江戸荻原銭厚肉純白銅母銭
23.75㎜×23.72㎜ 3.2g
【7月14日】
私は基本的に母銭コレクターではありません。しかし、これだけ白い母銭を見ると食指が動いてしまう無類の白銅好きなんです。(赤いのも好きですけど。)大和文庫の入札でこいつの画像を見てしまったが最後、魅了されてしまいました。文銭の中字白銅でもやりましたが、気が狂ったような応札値を付けてしまった反省の一枚。でも満足です。
離用通写歪形
27.37㎜×27.19㎜ 5.06g
【7月30日】
離用通の写しは極めて貴重です。過去に見たものは5枚とないと思います。また、多くが次鋳のできの悪いものとの区別が難しい。この一枚は輪の側面仕上げ&切断方法、穿の仕上げなどから間違いのない密鋳です。だからどうしたと言われればそれまでなんですけど・・・。
小字写不整輪 
28.78㎜×27.11㎜ 5.6g
【8月4日】
色は明和なんですけど内径は通用の一度写し。側面は意外に滑らかなんですけど大きな鋳不足と鋳ばりがある。穿内に鋳バリがあるので仕上時の角棒が中心天からずれた可能性はありますが、こんな鋳不足があったら通常ならはねられます。密鋳なんだか贋作なんだか良く分からない品。ふいご祭り用の記念ものかなあ。
 
❶長郭手覆輪(額輪)
 不知天保通寶分類譜下巻P117の24
 村上英太郎天保通寶研究分類譜1216
長径48.6㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.85㎜ 重量18.4g
❷長郭手覆輪削貝寶(陰目寶)
 不知天保通寶分類譜下巻P120の32
 村上英太郎天保通寶研究分類譜1222
長径48.4㎜ 短径31.75㎜ 
銭文径41.05㎜ 重量19.2g
2024年12月9日【収集落札品】
収集12月号の落札品が届きました。多分今年最後の入手品になるんだろうなあ・・・と、思いながら撮影。ひと時の至福。電子ノギスの電池交換がようやく終了。コンビニで販売されていない規格のボタン電池だったのでネットで購入したら思ったより時間がかかりました。ただし、まだ作動が不安定でして力を入れてあてると誤差が出ます。したがって0.05㎜単位に修正して表示してあります。
❶は未使用色が残る美銭なのですが背側に比べ面側が額輪になっているためか文字に切れがなく鋳だまりが多いので垢ぬけない感じです。覆輪でとくに背側の輪が広く見えます。刔輪は寶下に少しある程度で寶足は張足寶になりかけと言った雰囲気。不知天保通寶分類譜下巻のP117の24原品で名称は連玉珎なのですが、これは採用できないなあ。村上譜の原品でもあり名称は・・・え~覆輪連玉珎狭足寶???。却下、却下。と、言うわけで覆輪だけにしましたが、(額輪)としておきます。雰囲気的には面背逆製の天保に似ていますが・・・同一じゃないですね。

❷は地肌が滑らかな長郭手。不知天保通寶分類譜下巻120Pの32削貝寶、村上譜の1222覆輪削貝寶です。全体的に縮形で特に短径が小さくスリムな数値が目につきます。

お分かりのように2枚とも秋田の村上師の元コレクション。書体変化の少ないB級品なのかもしれませんが、村上師+泉譜原品ということで私には十分な宝物です。

 
2024年12月4日【島屋細縁がいっぱい】
お恥ずかしい話ですけど私は島屋系の書体は一度も選りだした事がありません。私の主戦場は古銭店の店頭の見落とし拾いとネット選り。大量のうぶ銭を選る機会など滅多になく、良い思いをしたためしなんかひとつもありません。カモが葱背負って飛んで火にいる夏の虫の狙い撃ちされ放題なのです。
こうしてみると島屋細縁系にもいろいろあるもので、いくつもの種類の発表がたびたびあります。
南さんの島屋無背の細縁は末炉銭の磨輪か改造母なんじゃないかと私は今でも思っています。じゃないと穿内のやすり仕上げや無骨な外輪の説明がつかない。関東のAさんも「こんなにできの悪い島屋無背は見たことない」と驚かれていました。さすが島屋・・・状態が悪くてもかえって褒められるなんてすごいですね。

さて、島屋細縁とここには掲示してありますが、この名称については私の中で少々揺れと言いますか迷いがあります。まず、島屋細縁とすべきか島屋文細縁または島屋背文細縁とすべきか。島屋、島屋文の名称は源氏名であり、正しくは寛文期亀戸銭背文のなかの俗称:島屋細縁なので、源氏名が分類名化しています。まあ、あまりにも有名なのでこれはどうでも良いのですが、問題は新しい発見が相次いで島屋文のなかに「狭文」と「広文」があり、さらに細縁の系統に銭径・内径の小さいもの・・・磨輪(もしくは通用)が出ているのでややこしい。発見・発表の経緯からみて細縁の名称は内径の大きなものに限定使用すべきなのかもしれないでしょうけど、さりとて島屋細縁の名称は捨てがたい。
細縁銭は初鋳のものを磨輪したものではないか当初言われていましたが、2013/2/20の制作日記に島屋無背大様母銭なんてお化けが出てきています。さらに2010/11/20の製作日記には仙台古銭会のHさんから島屋無背の次鋳を発見したという報告が記載されています。(その報告記事を拝見する前にHさん宅は津波被災されてしまいました。)どうでも良いと言われればそれまでですが、私の頭の中は所持さえしていないもの共の妄想で大騒ぎになってしまっています。不治(不知?)の病で手遅れかもしれないのですけど、誰か助けてください。
島屋無背磨輪 あるいは改造母?/鋳写母   南氏
島屋細縁  関東A氏
島屋細縁通用(広文磨輪)  関東A氏
島屋無背細縁  関東A氏
収集90年新年号 2010/9/4 島屋異文(四国O氏)
2010/7/28 収集の表紙にある島屋無背銅母銭(左)と島屋無背細縁母銭式(右)
右は面広穿で背側の細郭が目立ちます。
2013/2/20
島屋無背大様母銭
外径26.4㎜ 山陰ふみやまちゃん
 2013/9/24
外径24.85㎜ 内径21.15㎜

こいつも背細郭
 

関西S氏
i
 2014/7/2
島屋文半刮去? 
濶縁大様の島屋無背
バリ島古銭輸入拓本集
 
 
長郭手覆輪當上刔輪
長径49.05㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径40.3㎜ 重量21.4g
秋田小様細郭(最小様)
長径45.45㎜ 短径30.85㎜ 
銭文径38.75㎜ 重量18.0g
密鋳正字写
27.35×27.35㎜ 重量5.6g
2024年12月3日【稲陽様から】
年末だというのに古銭三昧。山歩きも再開していて命と預金を削る毎日です。今回の入手品は稲陽様から。降りる気なかった(つもり)なのは久々です。競った方ごめんなさい。

長郭手覆輪當上刔輪は文字の周囲が彫りこまれ寶細字になっていますが、大きな文字変化は少ない。画像だと天の前足が彫り込まれて伸びようとしているようにも見えますが・・・実物はそうでもありません。保の口がロクロ錐で彫られていること、當上が刔輪され離輪することが特徴です。郭内はべったりヤスリ、異極印です。

秋田小様は目立ってましたね。45㎜台の秋田小様は一度手放してしまっていましたのでこれは2品目。ただしこちらは細郭です。秋田小様のつくりは嵌郭されていること、赤い銅質など加護山寛永に似ています。
秋田ではなく岩手方面の私鋳という説が根強いのですが、技術的には何か通じるところがあるような気がします。それにしても45㎜は平均的な天保通寶より4㎜近く小さい。密鋳銭の使命はばれないことなんでこの小ささは異常です。銑銭(ずくせん)が横行して銅銭の価値があがった一瞬に生まれたあだ花かもしれません。
デジタルノギスが狂ってしまった(電池切れ?)ので、手動計測しているのですが銭文径は文字がつぶれ気味なので上手く計測できません。そのため画像拡大して(ノギスの目盛りの超拡大画像を重ねて)推定計測しました。外径は手動ノギスで0.05㎜、内径は画像計測で0.25㎜刻みにしています。

密鋳正字写は側面の仕上がやや独特。部分的ですが面背から輪の厚みの中央部に向けて山形に仕上げた痕跡が残っています。
 
❶踏潰銭正永進冠系小異
27.85㎜×27.85㎜ 重量5.0g
❷小字写背ズレ 輪横ヤスリ(垂直仕上)延展風
27.75㎜×27.75㎜ 重量5.8g
❸小字写穿内未仕上(黄銅) 輪横ヤスリ
28.2㎜×28.15㎜ 重量4.8g
明和期小字との合成画像
  ❹元禄期江戸荻原銭厚肉抱寛写
  22.4㎜×22.4㎜ 重量2.9g
11月30日【密鋳銭だらけ】
机の上が全然片付いていないのに次々に密鋳四文銭を増やしてしまっている私。嗚呼~無駄遣いがとまらない。
❶踏潰銭正永進冠小異
正永はわずかに仰フ永気味で永の両端が輪に密着します。また、進冠は寛のウ冠の前垂れが開きます。非垂冠とでもいうべきか?通頭も俯します。
この分類は東北のS様の踏潰銭分類考を参考にしてください。泉譜とはわずかに異なる譜外品です。たまたまかもしれませんが側面のやすり目はおとなしく踏潰風じゃありません。

❷小字写背ズレ
安政期風の銅色で側面も垂直に近いので一見安政期なのですがロクロ仕上とは異なるヤスリ目が横方向に走ります。また、面側から角棒を強く打ち込んだのか鋳ばりが背側に押し出されており、全体に銭体も歪んでいます。背ズレ錯笵も印象的で、一見すると踏潰銭の延展を彷彿とさせます。

❸小字写穿内未仕上(黄銅)
こちらは銭径も大きく明和期小字によく似ています。ただし、側面と穿内の仕上げが異なります。輪はやや不規則な横ヤスリ。非常に丁寧なヤスリ目。明和期に銅色が似ているので念のため合成した比較画像を用意しましたが、面背とも0.3~0.4㎜ぐらい内径が小さいようです。

❹元禄期江戸荻原銭厚肉抱寛写(背夷縵)
これはおまけでいただいた品。やや赤い銅質で背が夷縵します。
 
11月27日【離郭細郭】
ネットで離郭中郭の表示の品を落としました。送料込みで8010円とお手頃・・・と思うのは多分私らだけでしょう。この細郭と中郭の境目が実にあいまいでして、天保通寶と類似貨幣カタログではついに中郭なる名称は消滅してしまいました。離郭細郭を入手したのは仙人様から天保通寶段位制度の発表があったから。また、秋田の村上師より「離郭の細郭は少ないよ」とささやかれたのも一因かと。
細郭と中郭は、(天保通寶銭分類譜によると)郭が縦長になる癖があるそうなんですけど、個体差がありまして正方形っぽいものもあります。細郭の方が縦長傾向がつよいのかなあとも考えていますが今のところ微妙です。村上英太郎天保通寶研究分類譜の離郭細郭は間違いない細郭ばかりで感心します。
ところで、離郭は広郭と細郭、どちらが先に出たのでしょうか?本座は細郭の後に広郭が出たのが確定的なのですが、私は離郭は広郭が先で細郭は末鋳に向かう変化だと思っていましたがどうなんでしょう?
離郭細郭
天保通寶と類似貨幣カタログ拓本。
面側に比べてかなり背が広郭ですけど背は分類名に関係ない・・・のかな。
類似貨幣カタログに離郭細郭の掲載はありますが中郭と広郭の名称の分類掲載はありません。非離郭と呼ばれる肥郭や小点保などもなくシンプルな分類になっています。
肉厚、銅質、郭幅の変化の他、爪百、細縁、濶縁手、濶縁、玉持極印、50㎜を超える初鋳大様の組み合わせが主な変化です。
離郭細郭
家庭内行方不明でしたが、ようやく発見。記録を見るとこれは2009年のCCFで落としたようです。平成22年版 日本の貨幣(収集の手引き)原品です。背郭は細郭広穿。桐極印は小さく、私は六角小桐と称しています。(以下同様の極印です。)
長径49.25㎜ 短径32.7㎜ 
重量23.5g
離郭細郭赤銅質
類似貨幣カタログの拓図に比べ、面背ともにわずかに細郭なのでこれは細郭で良いと思います。面背の郭の大きさの差がとても大きい。郭は縦長です。

長径49.15㎜ 短径32.45㎜ 
重量23.6g
離郭細郭厚肉
今回の入手品。どっちでも良いけど、やはり中郭かしら。郭はやや正方形気味です。

長径49.3㎜ 短径32.85㎜ 
重量25.8g
離郭中郭
これはさらに郭が太く中郭で良いでしょうかね。
離郭は広郭が標準だと私は思っています。
長径49.25㎜ 短径32.5㎜ 
重量22.8g
離郭中郭厚肉
広郭に近い中郭、それとも中郭に近い広郭かな。かなり重い。

長径49.2㎜ 短径33.1㎜ 
重量27.1g
 
11月23日【最近更新できなくてすみません】
現在やろうとしてできていないこと
1)四文密鋳銭の整理
2)机の上の整理
3)電子ノギスの電池交換
4)アルバムの中の古銭のネーム付け
5)HPの更新
親父様と同居開始して以来、プライベートタイムがかなり減ってきました。最近、皮膚の管理と下の管理が大変なんで・・・こうやって愚痴ってガス抜きしています。趣味の山歩きが思ったようにできない。受診の後、無理やりドライブに出かけてます。そのため夜の街歩きも最近少し再開したのですがまだ数回・・・力尽きてしまいます。だから痩せない?
それでも頑張って四文密鋳銭の整理を始めようと思うのですが・・・。え、順番が違うって・・・まあ、やりたいときにやるのが一番でして。山歩きに行きたいぞッと。
※今年は年賀状書かないかもしれません。私のような考えの人多いと思いますので多分、郵政省大変だと思う。5年前までは300通ぐらい出していましたし、最近でも(喪中を除き)200通ぐらい出していました。50円が85円はやっぱり痛いし、何より時間がもったいなくなってきました。睡眠時間確保しなくちゃヤバイ。
 
長郭手 刔輪長天
11月15日【刔輪長天】
ちょっとみすぼらしい10年前に入手した品。覆輪も刔輪もはっきりしないどうって事のない品のような気がしますが天の前足、保の人偏の先端がちょっと長く、郭の左側にすっと伸びています。良く見ると文字周囲が凹んでいて意図的に彫り込まれていることが分かります。保点も長く張天保で寶貝はやや下すぼみに見えます。極印ははっきりしません。
不知天保通寶分類譜によると下巻16Pの仰二長天の類に書風は近似しますが、その解説にある魚子地肌ではありません。Hさんの仰二長天2枚は画像で見る限り、保のホの横引き先端が尖る癖や保点の形状など相互の共通点がかなりありますね。ただ鋳肌が2枚で全く異なるのが不思議。
私の品は覆輪もさほどないし、仰二天でもありません。そのため、名称も前持ち主の命名を引き継いで異なっています。でも、Hさんの蔵品とは合致点こそ少ないのですが、文字の癖などに一脈通じるものがあるように感じます。
天の前足が長いのは奇天が有名ですけど、密かに奇天様と名付けてほくそ笑んでます。変かな・・・。
もうちょっと美銭で特徴がはっきりすれば絶対に銘品なんですけどね…数は少ないと思いますよ

長径48.5㎜ 短径32.0ミリ 銭文径40.8㎜ 重量22.0g
 
不知長郭手 鋳写 
長径48.4㎜ 短径32.05㎜ 銭文径41.05㎜ 重量21.0g
11月2日【入札誌銀座のB級天保】
入札誌銀座で久々に落手したらしい。だいたい入札した記憶もなくなっていた。Hさんとことなり、私の言うB級天保は誰が見てもBクラスであることは間違いない。銅質も製作も何の変哲もなく、極印は摩耗して良く分からず、当然覆輪も刔輪もありません。
しかも落札が多分メールできていたんでしょう。迷惑メールの中に入っていたのか全く気がつかなかったため、支払期限が過ぎてしまい、連絡で慌てて振り込み・・・お騒がせいたしました。まあ、こんなもの買うのは私しかいないでしょう。本座と違うのは銭文径と郭内のやすり仕上げぐらいです。
今日は久々の完全OFF。深夜映画見たり、午後から館山まで2週連続ドライブ(親父様付き)なんて無茶なこともやってましたが、自分のために今日は時間を使おうと思ったら雨です。がっかり・・・。連日の寝不足でソファに座っていたすっかりら眠ってしまっていました。ああ~。
※しばらく行っていなかったら館山の街がすごく発展していた。新しい家も増え若い人も移住してきているみたい。楽しくて先日は白浜まで夕日のドライブをしてしまいました。親父様は海好きなので・・・

今夜も映画のレイトショーを見に行ってしまった。本日は11人の賊軍。見ていてロケ地がすぐわかった。鋸山の裏側、小鋸山の採石場跡地だ。ここは爆破やりたい放題。時代劇ですけどどちらかというと爆裂スプラッター系のアクションもの。ストーリーに難はありますが演技は皆さん上手。殺陣が素晴らしい。仲野太賀・本山力・小柳亮太は迫真。小柳は元力士だって。ナダルは良い表情出てた。お笑いより悪役向きですね。帰ったら親父様が風呂場で紙パンツを洗ってた。こちらもスプラッターでした。
 
 
 
10月30日【面偏輪のメカニズム】
雑銭掲示板に面白い題材が出ていたので拝借して考察してみました。
面側の偏輪は錯笵の一種ですが数はそう多くはありません。やはり面側は銭の顔ですので検品が厳しい座銭ではすぐにはねられてしまいます。したがってここにある品々は
検品がいい加減の座もしくはごく稀の見落としによるエラー銭、もしくは「わざとやった品」ということになります。

❶の寛永通寶は郭内にできた鋳バリの除去不良(目戸切りの不良)により、砥ぎ仕上の際に穿に通す角棒が中心点からずれてしまった状態で輪砥ぎの工程が行われてしまったもの。この場合輪は面背とも同じ方向にずれます

❷は特殊な密鋳銭。この類は輪側がタガネのようなもので切断されたあと、粗やすりなどで仕上げられています。通常、銭は鋳造の際に背側の鋳バリが薄くなるように見切り線を背側に偏らせて作るのですが、この銭は逆に背側が厚くできてしまったようです。ですから、切り出すときには薄い面側を削らないと銭の厚み不足で強度が足りなく破損しやすくなりますし、(厚い側は)削る作業も大変。と、言うわけでこんなものができたんじゃないかと推定しています。密鋳銭はいびつなものが散見されるのですが、これは極端な事例です。
一方、背側のずれはよくあります。このエラーは
面背のどちらかは偏っていない形状になります。

❸は鋳型が横方向にずれてしまった事例。切断して修正をすると、大きな段差ができてしまうので側面を斜め方向に削ってごまかして仕上げるしかない。で、その結果として面背の輪の一部が削られます。この類は
面背の輪が逆方向に食い違ってずれた形になっているほか、側面や穿内は斜め(もしくは階段状にずれる形)になります。鋳型が中央で合わせられる貼り合わせ型・・・中見切り製法の天保銭で時々見られます。

❹笑門泉さんの逃した魚。❶に似ていますが隆部分と永部分の銭文の幅が❶のように等間隔になりません。
おそらくですが・・・縦長に変形した穿が影響しています。郭上部に大きな鋳ばりが外輪仕上げ前に存在したため銭の中心部から角棒がずれた形になり銭上部外輪が激しく削られた形になった、あるいは穿に挿した角棒を穿の下部で人為的に安定させた手法(角棒を通した後、永字を下方に押し付け固定して上部から強く砥ぎ磨かれた)で仕上げられたとしか考え難い形状です。いずれにしても縦長の穿が何らかの影響をしている可能性大なのですが、どうしてこんなこと(縦長)になったのかもわかりません。古代の密鋳銭なのでロクロ等の機器は使わず少数単位の手仕上げなのでしょう。想像するしかないですね。妄想かな。
 
 ❶縮通仰二天白銅質
 ❷縮通仰二天
 ❸縮通仰二天狭木保
 ❹縮通平二天平尾天
10月21日【縮通ども】
このクラスの天保銭はなかなか手が出せないものなんですが・・・私のような者にもいつの間にか複数枚が集まってきました。萩藩銭には曳尾、方字と後で加えられた平通があります。進二天と縮通はその陰に埋もれた形でひっそりとあるのですが基礎数が少ないのでなかなか収集機会に恵まれません。とくに美銭は滅多に出会えないので気になったら即GETしたいもの。

❶縮通仰二天白銅質
最近ヤフオクで入手した品。萩藩銭と呼ばれていますが鋳造地的には「長門」にほかならず古寛永の長門銭に通じるものがあります。若干磨きが入っていて、背の瑕が残念ですが、深彫りの細字で文字抜けの良い美品です。わずかに黄色味を帯びた白銅がいかにも長門ですね。

❷縮通仰二天
上記の品に比べて若干肥字になっています。これが縮通の標準銭でしょう。未使用の肌が残る美銭。特徴がはっきりしない風貌なので見落としやすいのですが得難い品です。

❸縮通仰二天狭木保
分類があっているかは自信がありませんが、上掲品とは細部に違いがある品。天前足、保人偏がわずかに長く、保口も大きく仰ぎます。保点が長く昴点気味に見えます。花押後端が尖る癖があります。(この品だけの特徴かもしれませんが)寶前足が長く百の横引きに力感があり、日の幅が広い。狭木保という名称はちょっと?という感じかな。入手した後は縮通小異と名付けていました。
鋳ざらいなのか砂目の少ない滑らかな鋳肌です。
昴点保、仰口保、尖花押です。

❹縮通平二天平尾天
平二天類は仰二天類とは異なり天の二引きが平行になります。この品はその中の変種で、天の二引きが長く、天末尾には鋳だまり加刀もあって平行に跳ねる平尾天になっています。また、寶前足も跳ねます。花押のつのは3本の先端が揃います。旧譜では平二天肥字の名前でしたが、肥字ではないので改名しています。
 
寛文期亀戸銭正字背文赤銅質?
外径25.2㎜×25.2㎜ 内径20.2㎜×20.15㎜
 
密鋳正字写 外径27.6㎜×27.6㎜
10月19日【赤銅銭】
奇麗に赤く発色した文銭です。その昔仙人様にはスルーされた逸品。少し拡大画像にしてみましたが文銭だけあって文字の立ち上がりは見事です。内径は20.2㎜しかなく、正字としては小さい方。焼けじゃなさそうで着色かなあ。文銭にも茶系はありますがここまで赤いのは滅多にないです。良く見ると面郭の通辵の折頭近くに瑕がある。誰かが傷つけたのかもしれませんが、地金はやはり赤っぽいです。昔から真鍮銭を赤く染める技術はあるのであるいはその実験台になったのかもしれませんが、こんなものあってもおかしくないですね。

正字写しはおまけです。色調補正で少し黄色くし過ぎました。輪側面のやすりは強くないです。
 
不知広郭手?粗造厚肉異極印(穿内異仕上)
長径48.9㎜ 短径32.35㎜
銭文径41.2㎜ 重量23.8g
10月12日【不知広郭手?】
会津濶縁大様ショックからようやく抜け出して活動再開。30度を超える熱波が一転、ひんやりして秋後半になった感じです。
さて、不知広郭手です。広郭手の不知銭は覆輪刔輪のような派手さが少なく、っ近代贋作も紛れ込んでいますので地味と言いますか、正直不人気です。掲示の広郭手も一見は称:久留米風で極印も石持桐風。さらに文字の周囲の彫りこみもあるのですけど、穿内が四方向から平らに仕上げられています。あれれ・・・極印はでもやっぱ石持かな・・・。
石持の厚肉は少し珍しいのでまあいいか。広郭手はやっぱり難しいです。
※デジタルノギスの計測値に問題があることが判明。計測値に0.5㎜前後の差異が発生しています。最近は手動ノギスで計測していますが1~4か月前の計測は信頼できないかもしれないです。数値は参考程度にお考え下さい。
 
9月26日【会津濶縁がいっぱい】
会津濶縁がすきだと自認していますが果たして何枚持っているのか数えたことがありませんでした。何枚か再覆輪を中心に分譲していたので15~6枚位はあるだろうと思っていましたが、24枚(23枚?)ありました。中には会津に見えないものもありますが、一応私の分類です。さらに、計測もせずアルバムに入れっぱなしのものがほとんどなのでもう一度やり直しです。大ごとになりました。
しかもデジタルノギスが壊れてしまい手動再計測です。
メモ
❶は浅字の特大サイズ。陰起文気味ながら鋳だまりが少なく美しいつくり。真贋いまだに不明ながら実物にいやらしさは感じられない。しかし仙台大濶縁の会津版だとするとちょっと不安かなあ。
※加工品の可能性あり。
❷~❻は面輪左に瑕のある濶縁離足寶タイプ。保点が小さい。
❼と❽は離足寶としましたが通頭、保点大きい。移行期のもの?
❾❿も中間的。
❻❾は銭文径縮小が著しい。
❿~⓯は強覆輪のつくり、
⓰以下は保点右が縦向きで長いものが多い。
㉒は細縁気味ながら間違いなく会津濶縁のつくりです。
㉓は銭文径が大きい。
㉔は砂目から会津と判断していましたが長径が短く、文字の陰起が少なく、軽量なので久留米の可能性が高いと思う。
❶濶縁覆輪最大様
長径49.9㎜ 短径33.70㎜
銭文径40.85㎜ 重量22.3g
❷濶縁離足寶瑕輪
長径49.55㎜ 短径32.85㎜
銭文径39.9㎜ 重量19.0g
❸濶縁離足寶瑕輪(赤銅)
長径49.2㎜ 短径32.75㎜
銭文径39.9㎜ 重量20.3g
❹濶縁離足寶瑕輪
長径49.35㎜ 短径32.95㎜
銭文径39.85㎜ 重量19.6g
❺濶縁離足寶瑕輪(赤銅)
長径49.1㎜ 短径32.55㎜
銭文径39.95㎜ 重量20.8g
❻濶縁離足寶瑕輪
長径49.45㎜ 短径32.9㎜
銭文径39.65㎜ 重量20.7g
❼濶縁離足寶
長径49.25㎜ 短径33.0㎜
銭文径39.8㎜ 重量22.8g
❽濶縁離足寶(赤銅)
長径49.05㎜ 短径32.9㎜
銭文径39.8㎜ 重量21.2g
❾濶縁
長径49.20㎜ 短径33.0㎜
銭文径39.65㎜ 重量21.1g
❿濶縁(赤銅)
長径49.30㎜ 短径32.85㎜
銭文径39.8㎜ 重量23.3g
⓫濶縁強覆輪
長径49.10㎜ 短径32.45㎜
銭文径39.9㎜ 重量20.7g
⓬濶縁強覆輪
長径49.05㎜ 短径33.10㎜
銭文径40.0㎜ 重量21.2g
⓭濶縁強覆輪
長径49.40㎜ 短径32.90㎜
銭文径40.1㎜ 重量20.5g
⓮濶縁強覆輪
長径49.4㎜ 短径33.3㎜
銭文径40.05㎜ 重量21.3g
⓯濶縁強覆輪
長径49.12㎜ 短径32.82㎜
銭文径40.1㎜ 重量20.6g 
⓰濶縁(赤銅)
長径48.85㎜ 短径33.0㎜
銭文径40.15㎜ 重量21.7g
⓱濶縁(赤銅)
長径49.25㎜ 短径32.95㎜
銭文径40.35㎜ 重量21.4g
⓲濶縁(赤銅)
長径49.15㎜ 短径32.75㎜
銭文径40.35㎜ 重量21.3g
⓳濶縁(赤銅)
長径49.15㎜ 短径33.1㎜
銭文径40.4㎜ 重量22.5g
⓴濶縁(赤銅)
長径49.15㎜ 短径32.75㎜
銭文径40.2㎜ 重量21.9g
㉑濶縁(赤銅)
長径49.0㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.1㎜ 重量21.4g
㉒濶縁(台形仕立細縁)
長径49.40㎜ 短径33.30㎜
銭文径40.2㎜ 重量22.9g
㉓濶縁
長径49.45㎜ 短径32.8㎜
銭文径40.65㎜ 重量21.3g 
㉔濶縁(久留米か?)
長径48.7㎜ 短径32.7㎜
銭文径40.35㎜ 重量18.3g
 
 会津濶縁覆輪最大様
 長径49.9㎜ 短径33.70㎜ 銭文径40.85㎜ 重量22.3g
 会津濶縁再写し
 長径49.12㎜ 短径32.82㎜ 銭文径40.1㎜ 重量20.6g 
 会津濶縁
 長径49.45㎜ 短径32.8㎜ 銭文径40.65㎜ 重量21.3g
 
9月24日【会津大濶縁】
50㎜の会津濶縁という触れこみに踊らされてしまった私。三連休終わりの本日到着。包装を解いてみるとお~意外に赤い。画像は白かったので後鋳の不安がありましたがそれはクリア。赤いの少ないですよ。ラッキー。
しかし、手にすると薄さを感じる。2.13~2.25㎜程度。え~延展???とはいえ会津濶縁にはやや薄肉のものも多いし、文字もつぶれてないし不自然な感じはないのでここは目をつぶりましょう。
焼けた雰囲気もなし。ヤスリ目も正常で極印も問題ありません。比較用の再写し(下図)もかなり立派なんですけど並べちゃうとい貧相に見えます。銭文径を計測すると・・・あれ、41㎜ぐらいある。再覆輪だとばかり思っていましたが会津濶縁の銭文径の大き目のやつだ・・・つまり普通の濶縁。ということで一番下に類品掲示してみました。

肉眼で3つを比べるとやはり一回り大きい。しかし、実物はほんと僅かな差なんですね。注意しないと見過ごしちゃう。このわずかな差に5万円以上も余計につぎ込むなんて正気の沙汰じゃないですね。

と、言うわけでおさらい。
会津濶縁は一度写しと再写し(類似カタログでは再覆輪の名称)があり、再写しが濶縁小字になるものが多いのですが、これは一度写しの覆輪大様銭と言うことになります。
ちなみに計測は国産金属ノギスなのでかなり正確だと思いますが・・・何度測り直しても微妙にぶれます。
(壊れました!)
と、いうわけで計測したら50㎜にはちょっと足りなかった。でも十分に大きいですね。ですから会津大濶縁の名は伊達ではありませんね。こういうものがあると分かるとローラー圧延での変造品が出てくる気がします。この品もひょっとしたらという感じもしないわけではないのですけど、出現の経緯、雰囲気からしてたぶん間違いない品だと思います。(だんだん自信が無くなってきました。)大きさも普通の品と0.5㎜しか異ならないしね。この0.5㎜が大きな差なんですけど。
 
9月17日【やっと届いた平二天】
連休のせいで本日お昼近くに到着。しかし・・・見事に黒い。焼けているわけでないのですがすすけたように濃黒褐色なのです。困った、私のピンボケスキャナーはこの手の色調の撮影が超苦手なのです。なんとか撮影したもののいまいちです。まあ、雰囲気は分かるでしょう。
あんまりにも黒いので手にもって弄び、頬ずりして顔の脂も載せて・・・黒光りする美銭に育ててみようかと思います。なんせこちとら油分はギトギトするほど豊かなものですから。
天保の文字が少し平滑。天末画が平尾天で保人偏が長い。それだけの違いなので小異と言えばその通りで大騒ぎしましたがまあ、そんなもの。老眼の私には大した違いには見えませ~ん。日光の元で見るとかなり雰囲気が違いますが・・・お騒がせいたしました。
肥字という名称は正しくないですね。原品はむしろ枯れた削字風。文字の周囲が石持桐極印のように抉られています。平尾天とした方が分かりやすいかな。
しかしこの品実に見栄えがしない。マニア専用アイテムですね。この顔を見て5万円払えと言われたら絶対に躊躇しますよ。

※さらに精査するとこの書体は當百銭カタログの平二天拓図に正合することが、笑門泉様の画像比較のおかげではっきりとしました。花押の一番上のひげが長いことが一番わかりやすいです。
縮通平二天平尾天(平二天肥字改め)
長径48.97㎜ 短径32.60㎜ 銭文径40.56㎜ 重量18.0g
 
9月10日【縮通平二天肥字】
天保通寶を収集していて、縮通はなかなかの難獲品です。しかも曳尾ほどの書体の派手さはなく、製作的にもやや劣るためマニア専用アイテムと言っても過言ではありません。なかでも平二天はめったに姿を現さないので私も今まで入手ができないままでした。
今年のCCFでは縮通平二天が出品されていました。状態は美銭とは必ずしも言い切れなかったものの未収品なので応札したのですが・・・残念、私の手の中からすり抜けました。
これで当分縁がなくなったと思っておりましたがヤフオクにひょっこり顔を出したのでびっくり!猪突猛進してしまいました。
無事落札してから改めて画像を見ると・・・(おいおい、順番が違うだろ・・・という突込みはさておいて)・・・類似カタログとは一致しませんね。當百銭カタログを見るとこちらの「平二天・縮通」にほぼ合致する。當百銭カタログには「平二天」「平二天・縮通」「仰二天」「仰二天・狭木保」の4種がある。実は類似カタログの縮通の拓本は當百銭カタログの「仰二天」。當百銭カタログでいう「平二天・縮通」は類似カタログには未掲載で代わりに類似カタログには「平二天濶縁」が載っています。このほかに縮通には東北のN様発表の「縮通隔綸」や収集誌上で発表された「小足寶」があるなど、少し整理が必要です。え~、平二天の本体は別にあるのかあ、道のりは遠いなあ。
※収集記事再発見、青森の板井師の記事なので類似カタログの元になったもの。未掲載の品も多いので再整理して出版してくれないかしら。
當百銭カタログ 類似カタログ  収集98年8月号  評価 新規名称案 備考
平二天(銅母銭) 未載 未載  - - 通用未確認
未載 平二天 濶縁 縮通手 肥字濶縁  縮通 平二天 濶縁
未載 平二天 縮通手  縮通 平二天  
平二天 縮通 未載 縮通手 肥字  縮通 平二天 肥字
未載 未載 未載 - 縮通 隔綸 東北N様発表
仰二天 縮通 縮通  縮通 仰二天  
仰二天 狭木保 縮通 狭木保  縮通 狭木保 縮通 狭木保   
- 未載 未載 縮通 小足寶 縮通 小足寶
縮通の類 (名称は泉譜と少し変えてあります。)
當百銭カタログの図 類似カタログの図
❶平二天濶縁?(母銭) ❷平二天濶縁
天字の形状からひとつの類であるとしました。❶と❷は通と寶字の形状が非常によく似ていて、とりあえず一つにまとめましたがますが、❶は背の花押の嘴が短く進二天に近似します。拓本の歪みかもしれませんが、このタイプの通用銭が本当に存在するのかは不明です。
❸が一般的な平二天になります。
 
❸平二天
❹平二天肥字 ❹は収集誌上で「縮通手肥字」として発表されたことがあったようです。(1998年8月号:笑門泉様情報提供)
このことは、関東のAさんから示唆されるまですっかり失念しておりました。通常の平二天より天の二引きが長く、力強く天保の文字も大きい。さらに曲点保です。平二天とは幾分書風が異なり、面背とも大字といった雰囲気です。
萩藩天保鋳ざらい母銭=贋作の件は大阪工大の細川氏が仙人様に語っているほか、大川氏も泉譜にメモしているそうです。と、いうのも多くの品は元大川氏のコレクションだから。❶は面と背の書体があわないので妖しい。作風は彫母のつくりで、鋳ざらい母ではありません。作者は上野の芸大生。ブローカーは不明。加納夏雄の技術の習作とそそのかしてつくらせたとか・・・
❺縮通隔綸(稲陽舎様蔵)
平二天濶縁に近く見えますが、保点屈曲し通尾がピンと跳ねます。
當百銭カタログの図 類似カタログの図 
❻仰二天
仰二天は類似カタログでは縮通の代表銭として(縮通の名で)掲載されています。天の前足長く二引きははっきり仰ぎます。

當百銭カタログの図 類似カタログの図 
❼狭木保 
仰二天狭木保は❻の変化で拓本・泉譜の説明ともわかりづらいのですが、勢陽譜にも掲載されているように古くから認知されています。
天の足が思い切り良く開き長く、保の口が歪み仰ぎ気味になること、人偏が反り長いこと、保のホ部分の点が狭く右点が上がることなどの特徴の他、花押の後端が絞られて鋭く尖る癖があります。実は私が初めて入手した縮通が狭木保でして、気が付かずに縮通小異とフォルダーに書いてアルバムの中に5年間ぐらいしまい込んでいました。
天の足がわずかに長く、保点のアンバランスと屈曲し長い人偏、花押後端の強く尖る癖と長めの寶足・・・小異ですね。
 
9月9日【誤読の貨幣史】
珍寶論争はひとまず置いといて、厭勝銭の「ようしょう」と「えんしょう」の発音問題についてもう一度お話をします。
絵銭という分類名が確立する以前のこと、日本で最も古い古泉収集書を出版した雁金屋庄兵衛(寶泉鑑一)は現代でいう絵銭類を厭勝銭と記して「ようしょうせん」とルビを振り発表しました。
昭和になり、大収集家たちは厭の字は「よう」とは読めない、「えんしょうせん」が正しいと主張。かくして厭勝銭には「ようしょう」と「えんしょう」の二つの読みが出てくるようになりました。
1999年(平成11年)、飛鳥京跡の飛鳥池工房遺跡から33点もの富本銭が発見された際、新聞紙上に「厭勝銭:ようしょうせん」の活字が躍ります。権威ある独立行政法人、奈良文化財研究所の発表ですのでたちどころに「ようしょうせん」が日本全国を席巻しました。
厭勝銭を「ようしょうせん」と読めなかった私はその読み方や由来をあちこち調べています。「えんしょうせん」の読みは古銭語事典で知ったのじゃないかしら。で、厭勝銭を「ようしょうせん」と読むのは間違いだとHP上で書きまくったと思います。昭和の大収集家たちの「ようしょう」が間違いであるという主張も、その過程で発見した記事だと思います。
以前はインターネットで厭勝銭を引くと「ようしょうせん」しか出てきませんでしたが、私のHPのちくちく攻撃効果なのか一時期は「えんしょうせん」が逆転しています。今でも「コトバンク」や「goo辞書」では厭勝銭は「えんしょうせん」ですが、Wikipediaに「ようしょうせん」と書き込まれてしまったのが大きく、AIが「ようしょうせん」として記事を合成して来るのがやっかいでして、「えんしょうせん」は徐々に苦戦してきています。ちなみに厭勝銭を「あっしょうせん」とする読みも出てきますが、これは圧の古字が壓で厭に似ているための完全誤読です。圧勝という言葉の響きは心地よいのですけどね・・・。
(圧は厭から生まれていますので・・・完全な間違いでもない。読みが生まれた順は えん → よう(おう?)→ あつ の順かな。これは私説です。)

さて、話は変わりますが日本の貨幣単位の「円」・・・発音は「EN」なのになぜ音の表記は「YEN」で貨幣記号は「¥」になっているのでしょうか。
諸説ありますが 
外国人にENを発音させると「いん」に近い発音になるため と言われており、実際に江戸の音表記も「EDO」ではなく「YEDO」だったそうです。(そもそも、日本語には「え」と「ゑ」があり、発音も今と異なりきちんと使い分けていたそうです。→ ゐ・ゑ・を)また、貨幣記号については$記号にならってYに=を足したものにしたそうです。
したがって「えんしょうせん」の発音も「YENSHENGSEN」に近いものであったと考えられます。雁金屋庄兵衛(寶泉鑑一)の耳に「ようしょうせん」と聞こえたとしても無理はありませんが、誤読というより聞き間違いと言った方が良いかもしれません。
と、いうわけで私も厭勝銭は「えんしょうせん」にした方が良い気がしますが、300年くらい誤読が続いた歴史がありますし、なによりWikipediaと奈良文化財研究所の壁が厚い・・・困ったものです。

ちなみに銭(ぜに)はまだ濁音や「ん」の(発音)表記が一般的でなかった古代において銭・泉「せん」の(発音)表記を「せに」としたところからの変化だと聞いたような聞かないような・・・・。

2013年9月27日に同じ記事がありました。当時の記事の方がよく文献を調べています。えんがちょの説も面白い。すっかり忘れていたけど良い記事を書いていたものです。
厭の文字は「神様にいけにえの犬の肉をささげる場所」。神は太陽と月 雁垂れは祭壇 という象形文字(表意文字)です。一般人がうかつに近づけない聖域、畏れ多い場所でもあります。今でこそ神は正義の味方ですけど昔はいけにえを捧げてその怒り(災い)を抑える畏怖の対象でした。日本武尊が東京湾を渡るとき海の神が怒り、それを鎮めるために弟橘姫が(入水して)身をささげた東京湾神話は各地に残されています。それを考えると厭の意味が何となく分かると思います。つまり厭勝は「災いに勝つ」の意味。ですから厭の部分はおさえる「おう」とか「あつ」の意味は本来はありません。
 
9月6日【南さんの古寛永】
南さんの25㎜の古寛永が母銭ではないということに少々驚いています。
関東のAさんはその昔・・・昭和泉譜原品の古寛永の初鋳の通用銭を初めて見る機会を得たとき、すべてが母銭に見えてしまったとのこと。あのAさんが・・・です。泉譜原品の初鋳古寛永は通用銭でもそれはそれはすばらしく、それぐらい鑑定は難しいということ。とくに何らかの加工が内郭に加えられてしまったら上級者でも見分け困難なんだそうです。
今回の古寛永は文字の切れが違うそうで、見分け困難なひとつなんだそうですけど、微妙だあ。と、いうわけで今回の品を母銭だと間違えた方・・・ご安心ください、私も母銭かと思いました。(あ~恥ずかしい。)でも、修行はまだまだ必要ですね~。
新寛永の場合、通用銭と母銭の違いはもう少し分かりやすいそうで・・・まあ、それもAさんのレベルだからなんでしょうね。私は迷ってばかりです。

文銭に母銭なし・・・という戒めの言葉をよく聞きます。文銭は古寛永と新寛永をつなぐ銭であるとともに、品質規格が江戸期を通じて最上級の流通銭でもあります。この文銭の母銭というのが非常に曲者で、市場にある文銭の母銭のほとんどは私はなんちゃって母銭だと思っています。
私が完全に母銭だと思える文銭は平成17年の銀座コインオークションに出た正字鋳浚母銭。同じ時に出た島屋広文母銭もすばらしいけど画像を見ると内郭が甘い。
HPでは中字の項にある白銅母銭と細字の項にある鋳浚母銭が正字鋳浚母銭に次ぐかなあ。細字は肌がやや荒れているように見えますけど実物は砥ぎもしっかりしています。これらはやっぱりとても目立ち、私は別格母銭だと密かに思っています。そもそも文銭の母銭で1万円台で買える品に期待なんかしてはいけないと思っている次第。とはいえ、きれいで大きな寛永銭を見るたび・・・これはひょっとして母銭じゃないかなあと思いながらにやにやしているのは、おそらく皆さまと変わらない。だから私はめったに母銭に手を出しません。でも手を出すときは覚悟を決めています。懲りないですね。

贋作についてズバリ指摘のできる天保仙人様のような知識が備わっていないから凡人の私は贋作だらけの怪しい海の中を「ひょっとしたらの期待」でいつもさ迷っています。射幸心というのかな・・・10回失敗しても1回成功すればそれで満足しちゃう。ある意味悟っている?開き直り?う~ん、自虐かなあ。私のサイトは小さな発見の積み重ねで失敗を覆い隠そうとするそんな行動の現れなんですね。

御蔵銭の小字大様母銭なんか私にとってえいやって感じの応札でした。(ほぼ最低値でしたけど。)
文銭中字の白銅母銭と葛巻銭の白目中字写しには5万円以上払いました。すごいでしょ。だって欲しかったんだもん。一方、加護山の細字次鋳母銭はたしか2万円ぐらいで買えてます。買い物上手でしょ。
Aさんの短尾寛大様母銭 
 
8月31日【富本と珍寶論争】
※以下の論について私はたびたび触れていますが、興味のない方は読み飛ばしてください。

 TVを見ていたら・・・最近の教科書では富本が日本最初の貨幣という事に落ち着きつつあるようで、少し安心しました。( ´艸`)
富本は日本最初の貨幣でない・・・という否定的な意見は考古学会や貨幣界からも出ていますが、それらはおおむね「日本最初の流通貨幣は和同開珎で、富本銭は”厭勝銭:えんしょうせん”だ。」という主張。つまり富本銭は絵銭で貨幣としての交換価値を与えられていなかったという論に終始しています。
 物々交換としての貨幣には「無紋銀銭」や、5世紀頃には「鉄廷」という鉄塊の存在が知られていますが、あくまでも金属地金の範囲を出てなく、時の権力が品質の保証をしたものでも、地金以上の付加価値をもたせたものでもありません。ちなみに金属ではありませんが例えば子安貝であったり、ヤップ島の石貨などは、価値の付与ができていますので「貨幣」と言えます。日本において金属貨幣に付加価値を持たせることにはじめて成功したのが和同開珎であろうことは私も賛同できます。その手法が畜銭叙位令という邪道なものであってもです。
 ここら辺の考え方は和同信望者としては日本初の貨幣の座は譲れないといったところでしょうけど、でも富本が貨幣でないと言い切るのには少し強引な気がします。富本は銭を模している事は間違いなく、しかもそれが官営の工房で作られたということであれば銭を意識しているものであること・・・少なくとも日本のごく初期の試鋳的な類であると考える方がごく自然だと思うのです。たしかに富本にはまじない的なデザインが入ってはいますが、それだけで貨幣ではないと切り捨てるのは実にもったいないと思います。

 (私はえんしょうせんと読みますが、)”厭勝銭”という言葉の読み方は「ようしょうせん」と読む方がかつては主流でした。「ようしょうせん」の読み方が、誤読(発音解釈の違い)からはじまったことは2013年9月27日の制作日記に記述してあります。現代では「厭」はけがれを意味し、「よう」とは読めません。「えんがちょ」のえんも厭から来ています。ところで、聖徳太子が十七条の憲法を発布したとき、太子は中国風発音で読み上げたと言われているように、初期の漢字の読み方は固定的な読み方はありませんでした。つまり、「ようしょうせん」という読み方は現代基準でいうと誤りですけど、実際の当時の発音から考えると必ずしも絶対的な間違いではないということも言えるようなのです。

 ”厭勝銭”に「ようしょうせん」のルビをふった雁金屋庄兵衛(寶泉鑑一)は、日本で最も古い一般的な古泉書を出版した人物です。(私の記憶に間違いがなければ)その書、古今和漢古銭之図文手鑑(寶銭図鑑)の中に和同開珎に「わどうかいちん」とルビが振られてあったと思います。和同開珎が日本国中に「わどうかいちん」であると広めたのもおそらく彼の所業であると思います。ただし、「珎」の表記は「珍」になっていたように思います。(あやふやですみません。)「和銅開珍」という名称は平安時代末期の歴史書の「日本紀略」にもと記述されてもいるようですから、「わどうかいちん」の読みは(正誤はともかく)古くからあるのは間違いないようです。

 一方、「和同開珎は「わどうかいほう」だと訴えたのは江戸期の大古泉家「狩谷棭斎」であり、それに対して「穂井田忠友(中外銭史作者)」が「わどうかいちん」が正しいと反論したのがおそらく「珍寶論争」のルーツのようです。つまり、珍寶論争は和同開珎が誕生してから1000年以上たってから始まったもので、少なくとも江戸中期までは和同開珎は「わどうかいちん」であるとされて安定していたのです。
その後、明治の古泉家の成島柳北が「わどうかいほう」説を支持し、昭和40年代中頃までは「わどうかいほう」説が久しく有力でしたがその後は「わどうかいちん」がコインブームに乗って強烈に巻き返し現在に至っています。ちなみに私が学んだ教科書には「わどうかいほう」と書いてありました。

 熱心な読者の方々はご存知かと思いますが、私は「わどうかいほう」派です。それにはいくつか理由があります。私は仕事で外国人に日本語を教えていますが、その過程で日本の漢字文化の成り立ちを学ぶことになりました。私は漢字は発音ではなくて形と意味を覚えてくださいと彼らに日々伝えていますが、日本語における漢字の読みが実にいい加減だからなんです。日本語文章は元々あった日本古来の言葉の意味にあう、中国の漢字を充てたので、読み方そのものが一定しないのです。しかも、日本語的発音と中国語的発音が混在します。音と意味が必ずしも合致せず、音だけで言葉を覚えると理解ができない高度な語学なのです。自国名が「にほん」「にっぽん」で定まらない国なんて珍しいのですけど、このことを気にする日本人はまずいません。元々の意味は「ひのもと」なので「にほん」「にっぽん」が正しいとも言えませんけど。

 言葉の中に多様性があるのは、文字を持たなかった日本人が中国に対して畏怖と敬意を持って受け入れているからであると考えられます。宗教観を見ても日本の文化は寛容であり多様性の文化でもあります。
ですから大陸から輸入された文化の象徴の「和同開珎」に対しても、リスペクトが少なからずあって当然なのです。「珎」という漢字は当時の中国にありませんが、省文の風習は古代中国からあり、中国の古代史学者は「珎」を「寶」の省文だと断定しています。「珎」を「珍」の異体字であると仮定した場合、なぜ日本初?の公式貨幣に正字体を使わなかったのか、中国をリスペクトするなら異体字でない「珍」を使うはずなのに
なぜ当時の日本にない文字をいきなり(開発して)使うのか(そこに何の意味があるの?)・・・という疑問が湧き出てくるのです。漢字は音ではなく意味で示す・・・という視点から考えても「珍の異体字」より「寶の省文」という方がすっきりします。これ、狩谷棭斎も言っていたんじゃないかしら。

 ただし、意味はともかく発音がどう変化していったかは別問題でして、「珎」なんて省文の文字は高位の学僧ぐらいしか理解できなかったでしょうから、東大寺の伎楽面に「天平勝珎(寶)四年」の使用例があるぐらいで徐々によく似た珍におきかわり、やがて「珎」=「珍の異体字」になっていったんじゃないかな・・・と妄想する次第。卵が先か鶏が先かという論議に似ていますね。それに間違いが正解になっちゃってる日本語なんてはいて捨てるほどありますから。これらの件については2012年10月18日の制作日記に詳しく書いてあります。我ながらよく調べたもんだと感心します。
※表意文字としてスタートした日本の漢字は(難しくて不便なので)やがて表音文字としての役割をも持たされるようになり、ついにはひらがなが誕生します。同音置換は中国にもあり銭=泉なんて私たちも気が付かないうちに使っているでしょう?

 もうひとつ、私が「かいほう」派である理由に、「かいちん」派の主張に不自然な主張が見られることに困惑したこともあります。
「かいちん」派はどうしても省文の風習を認めたくない。したがって秩父から和銅が献上され、それを契機に和銅と改元された元号の和銅とそれを慶事としてつくられた和同開珎の和同にはなんら因果関係はないと強く主張しています。和同が吉語であることは間違いないとしても和同と和銅が全く無関係というのは、ちょっと苦しい。史実記載にもあるので少なくともに意識はしているはずですよね。
 さらに富本銭発見の際には、和同元年(708年)以前の貨幣に「古和同」を充てたり、古和同は民間私鋳銭という説が引っ張り出されてきました。これらの説は富本銭発見の前に田中啓文が唱えていたものだったそうで、無理があるので今では否定されていると思いますが、「そこまでして新発見の可能性をつぶそうと考えるんだ。」と寒々しく思いました。これで、いったい何を守りたかったのか・・・もっと素直に考えられないものかと考えてしまいます。背景には当時の貨幣界のちょっとブラックな事情もあるのではないかと感じざるを得ません。
 ですから昭和40年代以降にこれらの「かいちん」論の学説が猛烈に盛り返した理由を知りたいのですけど今一つはっきりしない。誰が中心だったのか、称:沖ノ島出の和同とか川口和同とかの作者は関係ないのかしら。貨幣界にはちょっとしたドロドロが付いて回ります。

※地元にはチバニアンという地磁気逆転の地層が存在するのですけど、この学説に猛烈に反対する学者さんがいるそうで付近の土地を購入して見学者が近づけないようにまでしていたそうでボランティアガイドが嘆いていました。実はチバニアンの周辺はこの地最古級の農業史跡(田淵の水路トンネル)と田淵不動滝があるのですが、その付近は立ち入り禁止区域になってしまっています。
反対意見があるのはともかく、そんなこと研究者がやるものなの??反対するのはいいけどやり方がおかしくない?・・・。チバニアン基準地のすぐそばに大きな倒木があって危険だし邪魔なんですけど、片付けられない複雑な事情があるみたいです。

※ 「日」の読み方は外人泣かせで「日本では一昨日は木曜日、昨日は金曜日、今日は土曜日で。明日は日曜日で九月一日、明後日は九月二日です。」の文章・・・日本人ならすらすら読めますが、外国人はまず読めません。「明日」は「あした」でも「みょうにち」でも「あす」でも良い。いい加減でしょ。(このいい加減という表現の意味もいい加減です。→ 適度 大雑把 度が過ぎる と全部の意味が含まれるから。)
 
離用通写歪形 
外径27.37㎜×27.19㎜ 重量5.06g
俯永写磨輪 
外径26.82㎜×26.67㎜ 重量3.84g
藤沢・吉田島銭縮字写背夷縵 
外径21.40㎜×21.45㎜ 重量2.8g
高津銭細字背元写歪形 
外径21.32㎜×21.44㎜ 重量2.4g 
秋田大字昴水写背夷縵 
外径22.60㎜×22..55㎜ 重量3.5g  
8月30日【密鋳銭祭り】
離用通をはじめとして5枚の密鋳銭が到着。このうち3枚はおまけで頂戴したもの。ありがとうございます。
離用通は非常に砥ぎが強く、肌がつるんとしています。延展が全体に見られるようで輪は縦方向にやすり目が残ります。銭形は武骨ですけど、全体的に滑らかなつくりで思ったより指に引っ掛かりません。穿内は完全に平滑です。

俯永写ちょっと不思議な雰囲気がある。背の抜けがものすごく良いのです。一瞬、鋳写母なんじゃないかと思ったぐらいで、穿の背側から強めのヤスリが入りますが、母銭的なべったりとした仕上げではありません。面側の文字は額輪風で永点などははっきりしませんが、抜けは決して悪くないです。側面は横ヤスリですが全体に丸い仕上で滑らかです。

一文銭類はおまけで頂戴したもの。
藤沢・吉田島銭縮字写背夷縵は密鋳一文銭としては最多で、加護山系のものなんじゃないかなと、考えてます。実物は画像よりもうちょっと赤いです。

細字背元写も良くある密鋳で背のずれ方などは秋田小様を彷彿とさせます。銭形がいびつで、湯口から粗く折り取られたようなのですが、湯口が複数あったのか、それとも・・・。

最後の一枚は秋田大字昴水写としましたが、ちょっと自信がありません。寶後足が大きく跳ねることと永のフ画の形状からの推定。
 
外径:27.37mm × 27.19mm
量目: 5.06g
8月28日【密鋳離用通写】
密鋳四文銭をまた落札してしまった。整理を全然してないのに数だけ増えています。まだ、到着していませんが楽しみです。
この品は正しい円形ではなく、鉈のようなもので粗く切断された後に叩きのばされた風貌を持ってます。色は赤黄色で良くあるもの。背が浅いつくりも良くある。あとは到着してからのお楽しみ。台風で配達が遅れるかもしれませんね。
密鋳銭の存在割合
俯永10とすると小字が9、正字が6ぐらい
大頭通は1にも満たない0.5ぐらいか
離用通に至っては0.1もないと思う。
それだけ貴重なんですよ。

軽井沢へ一泊で研修出張してきました。台風が動きを遅くしたので電車で行きました。今朝は9時過ぎの新幹線で帰路へ。本来なら13時過ぎに到着するはずが寝ぼけて降りる駅を一つ間違え、その後も乗り間違え1時間半ぐらいさ迷いました。呑み過ぎで気持ち悪いです。お会いした人はすごい経歴の方で、A総理時代まで政府要人で、その後国際機関の日本代表に。今は財界の著名人。勉強会には総裁選挙立候補中のK氏も出席するはずでしたが、さすがに忙しく今回はキャンセル。え、政治パーティ?...いえ、そんなもんじゃなく勉強会…の名を借りた懇親会かなあ。K氏も政治家になる前から会ってましたので。
 
8月24日【本当に不知銭なの?】
まず、計測値からお答えしましょう。
長径49.01㎜ 短径32.51㎜ 
銭文径41.17㎜ 重量21.5g
見た目は本座。極印は小さくて本座っぽくないけど一応桐。計測値は完全に本座の範疇。覆輪もなければ刔輪もない。文字の変化もありません。完全に異なるのは穿内の仕上げ。私が良く言うべったりヤスリの典型で船内がきれいに処理されています。通常本座は背側から軽く入るだけで強いやすり目は残らない。それも4方向すべて入ることはめったにないのです。画像のように条痕が入るのはたいてい後やすり・・・それも広郭を中郭に変造したものと相場が決まっている・・・と、いうのが私の認識でした。でもこれは違う。細郭でべったりヤスリです。さあ、困った。判断材料がついに一つしかなくなりました。皆さんも考えてください。これは超難問です。

私の見解:後加工にも見えますが、改造母銭にも見えません。銭文径は縮んでなくポイントもひとつしかないのですが、加工は真面目なものでこれは不知銭として扱い後考を待ちます。改造母銭のなりそこないなのかもしれません。
気を付けなくてはならないのが中郭に改造しようとした変造品が存在すること。ただし、このヤスリ加工は古いもので嫌味がありません。銭文径信者の私としては珍しい判断でしょう。
 
8月23日【仰二貝寶と斜貝寶】
斜貝寶を入手して、そういえば似た品があったはずだと探し回ってようやく発見しました。天保通寶は比較的ラベリングしてあるので整理してあるのですがそれでも発見に苦労します。入手して撮影すると分類が済んだ気になってしまうのが原因でラベリングどころか机の上にほったらかしも相当枚数あります。
❶覆輪刔輪仰二貝寶(背狭田)
當の田が狭く、百の横引きの筆初めの爪が小さい。これって細郭の特徴なんですけど・・・どう思われますか。これ、さっき気が付きました。
寶字は二引きが屈折し仰ぎと寶底も仰ぎます。天上と當上の刔輪が強く張足寶なのも特徴です。
銅色:黄銅色
製作:良/やや劣る
極印:小さな幅広桐
長径:48.8㎜
短径:32.5㎜
銭文径:40.5㎜
重量:22.9g
砂目:凹が多い
穿内:平滑
刔輪:天上/當上
削字:通寶に強い
❷覆輪斜貝寶
こちらは寶全体の横引きが斜めって感じ。寶底の横引きは特に傾斜が強い。背の當の田は横広。
銅色:黄銅色
製作:良/やや劣る
極印:小さな桐
長径48.84㎜ 
短径32.3㎜ 
銭文径41.18㎜ 
重量20.4g
砂目:普通
穿内:平滑
刔輪:微
削字:通寶に強い
雰囲気的な近似は確かにありますが。文字の雰囲気もよく似ていますが決定打に欠けますね。同炉の不知銭だと楽しいのですが・・・。

【超B級天保(?)探訪。本当に不知銭なの?】の私的見解
❶細郭手 刔輪凹頭通
後加工だけではどうしても説明できないことがあります。それが鋳肌に多数にあいた穴。銭文径が大きく極印がはっきり確認できないため薬品によるスタリキ加工の可能性は依然否定できないものの、不知銭と判断するのが妥当と考えています。細郭手以降は母銭の流出の可能性があり銭文径の大きさがほとんど同じ不知銭は存在しても不思議はありません。実際、短尾通細字の類(崩字・抱冠寶)は銭文径にほとんど差のないものがあるのです。ただし、評価的には超B級です。Cクラスかな。

❷細郭手 鋳写極細郭
穿内仕上げは異常であり、しかもあまり上手ではありません。これは後加工と見ることはできますが、極印ははっきりしないものの本座以外を感じさせるものです。不知である情報はこれしかないのですが、悪意ある加工には見えず、不知銭をつくるための母銭に加工されたもの(改造母銭)でもなく、不知銭そのものと判断しました。

銭文径信者の私としてはこの2枚は例外的な存在です。欠マ頭通の類も0.2~0.3㎜ぐらいしか銭文径が異ならないのにきちんとした覆輪銭。細郭手出現以降のコピー技術はすごいと思います。広郭手などは本座とそん色のないものがきっと混じっていると思っています。
 
8月21日【超B級天保(?)探訪。本当に不知銭なの?】
8月11日に続いての考察。今回は細郭手の微妙な品を考えましょう。さて、これらは不知銭で良いのでしょうか?難しいですよ。
❶細郭手? 刔輪凹頭通
長径49.0㎜ 短32.54㎜ 銭文径41.35㎜ 重量20.6g
コメント:収集誌で入手した品ですけどずっともやもやしていました。通寶のみ加刀がありますがルーペで見ないと分かりません。到着した品を見てがっかりした記憶があります。出品名は刔輪凹頭通でしたが刔輪は感じません。  
 
銅色:茶褐色
製作:やや異
極印:不明・無?
長径:普通
短径:普通
銭文径:本座と同じ
重量:普通
砂目:滑らか・異質
穿内:平滑
計測値はどこをとっても本座。(再計測しました。)刔輪という名称がついていましたが微妙。確かに並べると面側全体時に輪が細い。寶下に痕跡がありますがわずか。郭はわずかに反郭気味になってます。
凹頭通という名称も微妙ですけど、通寶の2文字にはたしかに加刀が入っています。それは寶貝を見ると良く分かります。通寶痩字ですね。全体に浅字に感じ、砂目はありますが凹凸は感じず滑らか。あまりよくない表現ですがスタリキ(薬品腐食)の雰囲気が漂います。一番の製作の違和感は画像でも確認できるスアナの多さ。大小あちこちにクレーターのように開いている。そして穿内は滑らかな砥石仕上げ、極印ははっきりしないもしくはない。銭文径は本座と同じ・・・さあ、悩んでください。
❷細郭手? 鋳写極細郭
長径49.12㎜ 短32.54㎜ 銭文径41.4㎜ 重量20.8g
コメント:間違いなく地染めがされていて意図的ですね。ほぼ本座の規格で他には穿の仕上げだけが異常です。背の穿右下に朱の隠し点が確認できます。これは昔の収集家の所蔵の印かも・・・むむむ。
銅色:茶褐色
製作:普通
極印:不鮮明
長径:普通
短径:普通
銭文径:本座と同じ
重量:普通
砂目:滑らか・異質
穿内:平滑
地染めがしっかりあって見栄えがしないのでHPには掲載してないと思います。ポイントは穿内仕上。四方向ともべったりヤスリなんで郭が極細です。補助ポイントは極印の輪郭が丸いこと。ただし浅くて葉脈が見えないので鑑識ポイントにするのは難しいかも。背郭右下の朱点は拡大撮影していて初めて見つけました。有名なところで三上香哉だったっけな、寶足の間に朱点を入れていたと思います。古泉家によって位置は異なります。自分の持ち物であった証で、まぎれてしまっても判別できるシークレットマークですね。文字変化と思える加刀は全く感じられない。覆輪刔輪もなし。そう、ポイント少ないんです。 
さあ、これはさらに難しい。私の判定は後日。悩みまくってくだしゃんせ。
以下はおまけ掲載の品。本日届いたヤフオクの品。 
不知長郭手 磨輪縮形薄肉赤銅質
長径47.6㎜ 短径31.4㎜ 銭文径41.2㎜ 重量16.0g
コメント:18g未満はさすがに薄っぺら。穿内仕上げはべったりヤスリ。覆輪刔輪とか文字への加刀は見られません。
最近市場にぽつぽつ現れるようになりましたが、不知銭に夢中になり始めたころははっきりとした赤銅の天保銭はなかなか入手できなかったものです。まして48㎜を切るサイズはめったに見かけるものではありませんでした。
鋳写しの粗造浅字と言った方が良い感じの素朴な不知銭です。でもぺらぺらの薄っぺらです。
長郭手 覆輪斜貝寶
長径48.84㎜ 短径32.3㎜ 銭文径41.18㎜ 重量20.4g
コメント:一度写しの覆輪銭で本座に似たまあまあの上作です。
覆輪痕跡が面側の左情報にかすかに確認できます。寶貝の横引きと貝底が左あがりで貝全体が歪んで斜めに見えます。偶然でしょうけど天の第一画に爪があります。穿内は砥石で平らにきれいに仕上げられています。
よく似た雰囲気の品を制作日記中に発見。刔輪の様子が違うけど似ているので同じ炉かも。 
2016年11/17制作日記 覆覆輪刔輪仰二貝寶
 
村上秀太郎天保通寶研究分類譜 第5巻1405
 細郭手覆輪刔輪連玉寶 通寶肥字
不知天保通寶分類譜 上巻P86-9
 細郭手肥点尓寶
長径48.55㎜ 短径32.55㎜
銭文径40.45㎜ 重量20.3g 
文政期小字背第2直波写し
27.97㎜×27.97㎜
御蔵銭小永離用通大様母銭
25.27㎜×25.25㎜ 4.6g 
8月19日【ついてない?】
最近お金がかかってます。2本の足で3本分の歯を支えるブリッジタイプの金属インプラントががたつき、歯の部分がポロっと取れてしまったのが今年の春。保証期間が過ぎていて泣く泣くつくり直し・・・ああ、薩摩小字が買えたなぁ。その新品のセラミック製インプラントが昨夜パキっと割れた。歯医者びっくり、私真っ青。今度は保証期間だったから大丈夫かと思ったら、2本の足を3本に増やすことになり1本分は自己負担。ディスカウント要請したもののこれで奇天手が買えるなぁ。
こういう時は気分転換に古銭だ!という訳でネットで落とした細郭手。良くある連玉寶ですけど私にとってはB級+の品。しかも歯一本でこれなら5枚以上買えちゃうから安いもんだ。
この天保は向かって右側の鋳浚い痕跡が激しくとても楽しい。秋田の村上師の札付きです。計測値は私のノギスで0.01㎜の単位は自信なし。
文政期小字写しはちょっと不思議な品。かなり濶縁小字で背の波形から明和ではないことはすぐわかります。側面は垂直仕上風ながら斜めヤスリが所々見える。厚みの中央に溝があり、強い圧力が面背に加えられています。あれ、延展かしら。この色調を見て思い出したものがある。浄法寺盛無背異永です。盛無背異永は浄法寺とされていますがつくり的には延展で踏潰的。當四文銭のアルバムは関東のAさんにずっと貸してあり今年返して頂きましたが実はまたほったらかしてあります。なんか片付ける気力がわかなくて、でも新しく買っちゃうから困りもの。盛無背異永はもともと暴々鶏師の自慢の品でした。どこにあるんだろう。無かったらどうしよう、怖くて探せない。病気です。
一番下は関東のAさんからサイズを教えて欲しいと言われた御蔵銭小永離用通の大様母銭。これは2013年のオークションネットで入手したもの。大きくて立派だったから応札しましたがなんと無競争でした。しかし、画像を見てすぐに反応された関東のAさんの目はすごいと思います。御蔵銭の母銭でも25㎜はなかなかないと思う。寛永銭を心から好きじゃないとこの価値は分からない。いやあ~実にお目が高い。
※子供がお金のかかる大学に行ってしまったので大変。授業料も高いし、アパート代もかかる。ところが最近大学のさらに先に行きたいと言い出した。え~まだ学生続けるの、え、留学も?死んじゃう~。早く働いてくれ~。古銭の夢が消えてゆく。
※2019年の台風大停電のときに大した被害がなかったと思ったら・・・屋根のスレートが大変なことになってました。保険適用期間も過ぎていてウン百万かかった。去年のお話。インプラントなんて安いもんだ。やけくそ。
 
8月11日【不知銭はどれだ!長郭手編】
私は銭文径信者である。銭文径は嘘をつかないとまで思っています。ところが天保通寶にはどうしても説明のつかない品が存在します。ここにあるものはそんな私を惑わす品々。HPに不知銭として掲載しているものもあれば不掲載のものもあります。不知銭として掲載していてもいまだに自信がありません。
皆さんの目で鑑定してみてください。結論を出している品もありますが、実は私もいまだに良く分からないのです。計測値は参考。正確ではないと思います。私ももう一度結論を出し直します。
不知銭だとしても超Bクラス。(私の見解は数日後書き込みます。)
❶美制小様
長径48.3㎜ 短径31.65㎜ 
銭文径41.15㎜ 重量19.1g
コメント:銅質・極印・製作すべて本座と差がない。ただ小さいだけ。
銅質:本座
製作:本座
極印:本座
長径:小さい
短径:小さい
銭文径:小さい
重量:やや軽い
❷異銅異制(背不正輪)
長径49.25㎜ 短径32.45㎜ 
銭文径41.70㎜ 重量18.6g
コメント: 初めて不知銭として購入した思い出の品。穿内に段差があったのか仕上げも粗く、軽量で桐極印も乱暴に打たれていて良く分からない。銅質も白っぽい。
銅質:やや白
製作:雑
極印:破損
長径:本座
短径:本座
銭文径:本座
重量:かなり軽い
背輪ズレ大きく
穿内もぼこぼこで雑
❸広穿細縁(滑肌超美制) 
長径48.2㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径41.55㎜ 重量20.2g
コメント:滑らかな肌、穿内も奇麗に研がれているがべったり研ぎではない。砥ぎで面が広穿になっているように思えます。製作異常の品。
銅質:異質
製作:丁寧・異質
極印:本座?
長径:小さい
短径:やや小さい
銭文径:本座
重量:正常
穿内傾斜が強く、奇麗な仕上げがかえって異質に感じます。
❹摩耗滑肌短尾通細縁薄肉
長径48.80㎜ 短径31.86㎜ 
銭文径41.70㎜ 重量17.1g 
コメント:よく見かける強く摩耗されたような薄っぺらな天保銭。つるつるの肌。短尾通。
銅質:本座
製作:磨輪?
極印:不明瞭
長径:やや小さい
短径:小さい
銭文径:本座
重量:かなり軽い
地の部分が縦方向・凹状に砥がれたようにテカテカしてます。
 
 ㊤覆輪肥足寶(狭玉肥足寶)
 不知天保通寶分類譜下巻120P32
 英泉天保通寶研究分類譜1287(濶縁張肥足寶)
長径48.9㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.75㎜ 重量19.9g
 
 ㊥覆輪肥足寶(覆輪存痕・面重輪背鋳割)
 不知天保通寶分類譜下巻P170の3(面覆輪)
長径48.8㎜ 短径32.7㎜
銭文径40.6㎜ 重量18.7g
 
 ㊦覆輪肥足寶(右極印なし)
長径48.5㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.5㎜ 重量21.6g
8月10日【肥足寶の類】
肥足寶は横幅がある立派な覆輪銭で、一見するとずっしりと重量がありそうな感じなのですが、手にすると意外に薄肉で軽いのが特徴でもあります。
その他の特徴をいくつかあげます。
❶覆輪銭ですが長径は縮み、短径が大きい横広の独特な銭径。面背の砥ぎはとても強く滑らか。穿内も全体にヤスリ(砥ぎ)が入る仕上げがされています。
❷刔輪により寶足がわずかに伸びかつ太く輪にべったり接します。刔輪は輪際に沿って溝状にわずかに観察できますが、刔輪と表記するほどではありません。
❸面文は総じて肥字。寶王の最終画筆初めも肥で、寶冠と近接または接するものがありますが偶然の変化のように思えます。
❹背も総じて肥字。文字・花押の横幅が広くなっています。花押のヒゲも長く伸びています。
❺百の第一画の先端が尖り、末端が丸く団子状になります。これは寶足と並ぶ書体上の特徴です。
❻銅色は黄銅色~少し黒みがかった黄褐色。極印は縦方向が強調された矢印状(トンボ型)。ただし、打ち漏れや破損極印も3枚のの中にありました。(㊦)

個人的な見解ながら肥足寶は寛永の踏潰銭同様に延展されたもののように感じます。それも横方向に伸ばされた雰囲気を強く感じます。肉厚はおおむね2.3㎜程度。一番重い㊦でさえ2.24㎜~2.56㎜程しかないので薄く感じるのは当然のこと。この薄さは仙人様の良く仰る薩摩広郭の薄肉に近いものがあります。なお、ここにある3枚の通用銭には共通の特徴があることから延展は母銭段階で行われたのでしょう。

㊤覆輪狭玉肥足寶は不知天保通寶分類譜下巻の「覆輪手法を施した類」に掲載されています。寶王末画が鋳切れているため狭玉寶に見えますが、偶然の変化だと思います。ただし、寶王末画の先端の筆初めが肥大して寶冠に接するばかりになるのは前述したとおりです。

㊥覆輪肥足寶覆輪存痕は不知天保通寶分類譜下巻の「存痕銭の類」に掲載されています。同書の説明文だと覆輪痕跡が左上辺部にあるとのことですが、実際には左辺全体に見られます。(上部は輪写りの錯笵)これによって輪が太いのは延展によるものだけではなく覆輪による影響もあるということが分かります。

㊦覆輪肥足寶はネットオークションでⅠさんから購入したもの。面左側に鋳造時にできた窪みがありますが状態はすこぶる良い。しかしスキャナー撮影するとなぜか真っ黒になってしまうので、調整に苦労しました。寶王末画の筆初めが少し盛り上がり気味に肥大していて、寶冠前垂れに近接しているのが画像上でもわかります。

肥足寶の類は薄いので銘品としての品格に欠けるのかもしれませんが、とにかく目立ちます。覆輪延展肥足寶として一群にしても良いと思うぐらいですが、あまり類品を見たことがありません。私はたまたま3枚入手していますが、ひょっとすると草点保より少ないのかもしれません。どなたか類品をお持ちの方はいらっしゃいますでしょうか。
 
明和期仙台石ノ巻銭
小字背千進貝寶 爪千俯千
直径23.5mm、厚さ1.2mm、重さ3.5g
8月9日【背千とも】
海外からの投稿です。私は鉄銭の母銭はからきしなので皆様のご意見をお聞きしたいです。仙台石ノ巻銭 小字背千進貝寶は母銭としても数は多くあまり見向きもされない所なのですが・・・この背千は通常と少し形が違います。

❶爪千になっている。
❷千の第三画縦棒が俯す。いわゆる俯千。
❸離頭千に見える。
❹尖り千に見える。

所有者は和泉斎さんで、中国のオークションサイトで落札したもののかの地においては寛永銭のコレクターが少なく、また参考文献も少なく、ほとんど話題にもならないそうなのですが、和泉斎さんはこの母銭がどんな素性でどういう評価を受けるかということを皆様にお聞きしたいとのことです。
この手の品物について一番詳しいのは仙台古銭会の皆様でしょう。雑銭掲示板の方にも記事を載せますので、ご意見を書き込んでくださいね。

→ 石ノ巻銭 母銭聚泉譜


地の削れがちょっと気になるなあ・・・でも、分からない。こういった鋳ざらい痕跡はあるのかしら。
仙台石巻の母銭にもいくばくか地染めはあったみたいですけど漆が入ったような加工・・・気になるなあ。そもそも鉄銭には地染めの工程はありませんのでねぇ~。この波うち方・・・まるでアブドラ・ザ・ブッチャーの額のようです。(古!若い人は分からないでしょう。地獄突き!)

つくりは自然です。古銭そのものは本物。あとは変造があるかどうかの判断で、こんなもの変造してどうなるんだの世界。気になる点はあるけど、そこまでやる価値ないんじゃないかなあ。もし私がこれをいたずらするとしたら・・・千の部分を切り取って再び嵌め込む。そこまでする?
 
8月8日【陰起文・他人の空似】
❶長郭手 覆輪陰起文(異極印)
英泉天保通寶研究分類譜1188
長径49.0㎜ 短径32.45㎜
銭文径40.9㎜ 重量21.6g
 
❷長郭手 覆輪陰起文(無極印)
長径49.0㎜ 短径32.5㎜
銭文径40.9㎜ 重量22.7g
 
❸長郭手覆輪陰起文(極印横打ち)
長径48.25㎜ 短径31.8㎜
銭文径40.85㎜ 18.1g
 
❹長郭手覆輪大頭通厚肉
長径48.2㎜ 短径32.0㎜
銭文径40.25㎜ 重量25.7g
本当なら今回の記事は琉球通寶の大字小足寶狭冠當落札(収集誌)の祝い記事の予定だったのですが、そんなに上手く行くはずないですよね。無事、他の方の入手品になられたようです。( ;∀;)
と、いうわけで手持ち品を眺めていると陰起文の黄色い長郭手類が目に止まりましたので再掲してみました。

❶は雑銭掲示板にも掲載したトンボ型極印の長郭手。オレンジがかった鮮やかな黄銅色ですけど、地色が染まっていないからそう見えるのかもしれません。陰起文になるのは湯圧(鋳造時の圧力)の不足と文字抜けをよくするための加工の二つ、あるいはその両方が考えられます。これは両方かな?陰起のせいでやや額輪気味で面背逆製の天保(昨年の制作日記の巻頭にあるもの)に色彩が似ていますが、あちらはきれいな桐形極印です。

❷はいかにも湯圧不足の陰起文といった顔で、地肌の部分までが波打っています。背の當も極細文字で冠の横画が波打っていますね。波冠當とすべきかしら。文字はひ弱であちこちに加刀がされているのか、全体に奇妙な印象を受けます。すね。これだけ弱々しい顔なのに輪のやすり仕上はしっかりしているから不思議。ただし、不知銭しては珍しいことに完全な極印落ち。鋳造の出来が気に入らないから棟梁が極印を押さなかった?
※この品ははじめネットオークションに1000円で出ていて巡り巡って1年がかりで私のところまで流れ着いた思い出深いもの。最後は出品価格の40倍になっていました。

❸は覆輪の名をつけたものの小様でちょっとわからないかなあ。背を見ると何となく覆輪が分かる程度。陰起文で間違いないのですがスキャナーで撮影するとほとんど目立たず、通の文字だけ陰起文と言った雰囲気ですね。極印は桐型で葉脈が上に万歳する形に見える。しかも左右ともに横打ちです。こいつはB級鋳写かな。

❹はしっかりとした覆輪銭で銭文径の縮小が著しいもの。肉厚は天字付近では3.1㎜、薄いところでも2.7㎜あり、重量感はたっぷりです。通頭は中央部が盛り上がる形で大頭通としましたが高頭通とすべきものかしら。また、當上がはっきり刔輪されていて一瞬、反玉寶かと思ってしまうのは私だけかも。
命名しなおすとしたら覆輪當上刔輪高頭通かな。これは陰起文というより文字が細く加工された母銭からの生まれなんでしょうね。
この品は四国のKさんから分譲頂いた品で、私の好き好きリクエストにすぐ答えて送ってくれた。その心意気に応えて男を見せてお買い上げした品。勢いですね。当時としては清水の舞台から飛び降りる気持ちで頑張りました。Kさんありがとうございます。
ところでこの通頭の変形のシリーズ、どなたか掲示板で特集してませんでしたか?
陰起文になる長郭手は結構多く、通頭が大きく高く見えるものや、通辵頭が急角度で俯すように見えるものが散見されますが、今使っている新しいスキャナーで撮影すると・・・あら不思議ほとんどその特徴が消えてしまう。昔撮影した❷の小さな画像と比べると大分雰囲気が違います。地肌の波うちや文字の細かい特徴が昔の方が鮮明で、とても同じ品とは思えない。CANONの同機種スキャナーの新バージョンなんですけど、なぜなんでしょうかね。昔のスキャナーの方がよかった。
 
俯永写 輪縦やすり
27.47㎜×27.45㎜ 5.4g
小字写 不正輪(鋳不足)側面は砥石仕上げ?
28.78㎜×27.11㎜ 5.6g
参考)明和期小字 合成画像
8月4日【密鋳2枚】
ヤフオクで落した4文銭です。俯永はあまり強い台形の仕上げではありませんし、画像では銅質もさほど赤くは見えないものの私が浄法寺系と(勝手に)しているものと同じようなつくり。でもちょっと感じも違うかな・・・まあ、東北特有ですね。輪は垂直に近い仕上げで奇麗に成型されています。

小字はちょっと不思議な品。色は明和、でも大きな鋳不足によるの輪欠損とすさまじい鋳張り。もしかすると焼け変化なのかなあと思ったのですが、わからない。外径は私は 寛×永方向 通×寶方向で測るのですがⅩ字方向-斜めに測りました。期せずして最大径と最小径になっています。
画像を張り合わせてみる限り、明和期銭の方が広穿なので焼け延びではなく、また内径も小さい。と、いうことは密鋳で良いと思うのですが貼り合わせ画像の銅色も本当に似ているから心が揺らぎます。側面の仕上げも明和期の丸さなんですね。明和期と同じ色の密鋳銭は存在しますがそもそもかなり少ない。それもなぜか歪んだ形のものが多い気がします。歪んだ形のものはタガネで叩き切られたような仕上で、面背のずれがあるのですが、ずれはほとんどなく丸みを帯びた側面(おそらく縦方向の砥石仕上)が不思議で気になるのです。肉厚も比較的しっかりしていて、なんでこんな形なんだろうと思います。天保通寶の贋作でこのように輪鋳不足のある品(天保仙人様蔵)を見たことがありますが、それ比べるとつくりは(これでも)まともに見える。とても不思議ですけど、今は密鋳と判断するしかなさそうです。
※変造だとすると鋳張り部分は削り出したことになる、もしくは後付け。でも内径の縮みが説明できない。
みなさん、この品どう思います?
 
 ❶長郭手覆輪再写し異極印(UFO型)
長径48.91㎜ 短径32.50㎜
銭文径40.64㎜ 重量18.4g
 ❷長郭手覆輪
長径49.07㎜ 短径32.40㎜
銭文径41.12㎜ 重量21.7g
 ❸長郭手覆輪刔輪(テーパー仕上)
長径49.00㎜ 短径32.73㎜
銭文径40.50㎜ 重量20.1g
8月2日【CCFの獲物】
落札品が到着。相変わらず黄色味の足りない画像になってしまうがお許しを。
❶覆輪再写しは輪が良く砥がれた覆輪銭。銭文径が大きくなっているのはおそらく面砥ぎの強さのせい。そもそも類似貨幣カタログの再写しの銭文径40㎜以下はちょっと厳しすぎると思う。郭内はべったりヤスリで極印は・・・おー、UFO型だ。これは久々に見た形です。こんなふざけた桐極印は類を見ません。良く見ると縦に一本葉脈のような痕跡があるので、状況によっては傘やキノコのように見えるかもしれません。

❷はオーソドックスな覆輪銭。書体変化はなくB級+といった内容でしょうか。でも輪幅はゆったりしてなかなか見どころがあります。極印はかなり大きく立派で会津に似ています。桐の形をしていますので異極印とは言えませんが、本座とは一線を画します。

❸は手にした瞬間に台形を感じるテーパーの強い作り。背輪はかなりゆがんでいる感じがします。寶足の前後は伸びかけていて宏足寶の前駆銭と言っても良いかもしれません。(ぎりぎり宏足寶といったところ。)書体は細く、天尾先端はわずかに跳ね上がっています。穿内はお約束のべったりヤスリで極印は浅くはっきりしません。

※Jtrimという無料ソフトで背景の色を変えずに黄色味を追加することに成功しました。ひと手間かかるけど色彩の再現性UPしました。
 
7月31日【私には準Aクラス天保】
CCFの落札通知が届きました。代理入札を頼んだので期待はしてなかったのですが、とら様などの強者がご興味を示さなかったおかげで、私にも幸運?が舞い込みました
。私のHPを見て頂いている皆様の目が最近肥えてきて右の不知天保銭などB級と仰る方が多くなったのですが、私にとってはいまにだにAクラスでして、手にしたらとてもうれしい。(ただし、落札したら急速に冷めて支払いに青くなることも。)
と、いうわけで私の落札品。競合された方はごめんなさい。CCFにはほとんど当日参加したことがなく郵便入札と不落品購入専門でしたが、時折面白いものをぽろっと入手できる事があります。
過去記事を見るとS-Aクラスの品も結構あるようでして私の人生最大のお買い物の奇天手もCCFだったと思います。一応、薩摩小字にも応札はしましたが52万円ではとても太刀打ちできませんでした。
No.6182は強覆輪とありますが7月15日の天保銭と同じ再写しの品。私にとってはB級よりワンランク上の品ですね。
No.6138は見るからに立派な覆輪銭。銭文径はおそらく41㎜前後でしょう。類似カタログ[162]になっていましたが一度写しの[161]で良いと思います。覆輪銭としてはかなり立派な方で製作もすこぶる良くこれが2万円以下で落ちたのはラッキーでした。
No.6184は細字の覆輪刔輪銭。弱刔輪という名称付けに皆様あまり反応しなかったようですけど2万円余りでの落札はこれまたラッキー。張足寶としてもあながち間違いじゃありません。

私にとってのB級は際立った特徴のない品のこと。おおむね15000円未満の品かな。S級は10万円以上とするとA級はA1とA2に分けるべきかしら。うーん。
超S級 20万円以上
S級  10万円以上
A級   2万円以上(10-5:A1 5-2:A2)
B級   2万円未満(繰り上げあり) 
これ、私の感覚的なもの。要するに2万円未満はえいやっで買える。失敗してもダメージが少ない。3万円を超えるとダメージが増え、5万円を超えると後悔が生じる。8万円を超えると後悔の嵐で10万円はもう感覚麻痺。15万円で自己喪失であとは狂乱の世界。
今の私にはもう多分50万円支払う精神的な自信がない。とらさんにはかなわないです。昨年は薩摩小字長人偏と俯頭通を銀座コインオークションで落札してしまいましたが、あれは古銭復帰をするための思い切りのための大ジャンプでした。すでに今年はずいぶん使っている・・・やばい。
 
常陸太田銭小字狭永背久
銅写し薄肉
23.01㎜×22.99㎜ 2.1g
常陸太田銭小字背久
改造母銭
7月30日【鉄銭写し】
ヤフオクで入手した不思議な一文銭です。この銭は通常鉄銭なのですが、銅銭なのです。それもペラペラの薄さ。まるで安南寛永銭のようです。この薄さだとさすがに鉄銭の母にはなりえない。
下段に銅写しの改造母銭の画像を追加しましたが、つくり、厚さとも全く異なります。
狭永の書体の母銭より極端に広穿になり、郭抜けのように細郭になっています。
可能性は3つかな。
❶鉄銭からの銅写し
こんなに薄く作れるものかと思いますが、密鋳銅銭には薄っぺらは結構ある。気になるとしたら銅色がちょっと密鋳っぽくないところ。
❷末鋳母銭が焼けて伸びた
これあり得るけど、側面や穿内は母銭らしくない。太田銭の母銭は薄っぺらなものが多いので重量的には問題ないと思う。
❸スタリキ贋作
贋作する意味がほぼないですね。

総合的には❶か❷・・・皆さんのご意見をください。鉄銭は分かりません。
 
7月28日【CCF&八厘会の日】
睡眠時間2時間半程度で朝を迎えました。朝は猫が容赦なく起こしに来る。肉球でほほを叩くのです。最初は優しくだんだんきつくなる。で、5時過ぎに起床の朝食。親父様も待ち受けてます。食後、ソファでしばしのまどろみ・・・すると猫が下腹に乗ってきて太ももをもみもみ攻撃。爪立てんなっつーの。やっているしぐさは可愛いものの、痛さで眠れない。抱き上げて強制終了させてもまたやってくる。
ふと見ると親父様は隣の部屋で再びすやすや・・・なんか腹立ちます。
東京まで運転して行くと事故りそうなので、電車でGO。いざ東京へ。東京駅で出口を間違え反対側へ出てしまったので東京駅周りをぐるっと回る羽目になりました。CCF会場には予定より30分遅れで着きましたが暑くて死にそうで汗だらだらです。
 ❶長郭手鋳写広穿偏輪
長径48.1㎜ 短径31.7㎜
銭文径41.2㎜ 重量20.4g
 ❷水戸接郭濶縁(刔輪痕)
長径49.43㎜ 短径33.33㎜
銭文径39.98㎜ 重量18.4g
 ❸薩摩広郭小頭通様末鋳磨輪薄肉
長径48.98㎜ 短径32.52㎜
銭文径42.04㎜ 重量15.6g
肉厚1.83~2.00㎜

入手品の方が肥字。
特に両端の文字が太い。
そのため銭文径は大きいが文字の軸位置は変わらない。
つまりこれは薩摩本炉銭である可能性が極めて高い。
と、いうわけで店内物色。でも全体に価格UPしてます。中堅商品が5割増しって感じ。そのあと八厘会にも参加。というわけで本日の獲物。南部銭志第一輯は現在における南部銭類の集大成ともいえる研究書。カラー印刷がやや薄いのが残念ですけど読みごたえがありそう。浄法寺や米字極印など真贋の異論のでそうなものまで網羅していますが、それはそれで了解して読むと面白そうです。

❶の長郭手は何の変哲もないように見えますが中身切製法のため面と背が左右によじれた形で張り合わされています。それをヤスリで無理やり整形していますので、通常より輪半分スリムな形になっていますが案外違和感なく整形したものです。穿は横広で穿内の傾斜が斜めに歪んでいます。粗造で穿内外の仕上げが歪むものはいくつか所有していますがこれはとても上手です。ものすごく地味なのか派手なのか良く分からない不知銭です。

❷の接郭は色がきれいで輪の幅があり、刔輪の際のぐりぐり加刀がはっきりしているので4000円という店頭価格にもめげずに思わず買っちゃいました。接郭は好きな雑銭です。どうです、秋田小様にも負けない風貌でしょう。ね、これいいでしょ。雑銭LOVEです。

❸は八厘会の盆廻しで「薩摩広郭の写し」として購入したもの。計測すると何度測っても銭文径は42㎜を超えており、通常(41.55㎜前後)より大きい。この変化さすがに火中変化や延展の可能性もも否定できません。そこで画像比較すると砥ぎなのか寶底だけが太く変化しており、実質的な銭文径は通常の品と変わらないと判明しました。これは薩摩の本炉である可能性が高いということ。つまり末鋳の磨輪銭です。こうなると銭文径計測も当てになりませんね。
一見すると薩摩広郭小頭通の薄肉だとい思って嬉々としていたんですが・・・画像にすると土台部分が黒く出てきて小頭通に見えません。肉眼だとたしかに小頭通なんだけどなあ。拓本に出ないとは思うんですけど~。

CCFでは下見をしました。当日は参加できないものの郵便応札だけはできましたが・・・多分落ちないでしょうね。
落ちたらラッキー価格で、とびぬけた高価格応札は一切なし。一つぐらい僕に分けてください。(でも全部落ちたら青くなります。)

書信館出版の職員さん、私の名前覚えていてくださってびっくり。まあ、極めて特徴的な名前ですし、穴銭ばかり応札しているし・・・
 
❶台形仕上げ 浅背 やや肉厚 やや赤銅質
27.93×28.12㎜ 重量6.7g
❷タガネ切断 江刺肌(弱砂磨き)やや赤銅質
27.93×27.92㎜ 重量5.3g 
❸歪穿 面背強砂磨き 輪斜めやすり 黄銅質
27.62×27.98㎜ 重量5.2g 
❹歪穿(未仕上) ロクロ風砥石仕上 黄銅質
27.86×27.80㎜ 重量5.7g 
7月26日【密鋳小字写】
相変わらず使えるお金を使えないお金に両替している馬鹿野郎です。多分、私も皆さんに悪~い影響を与えていると思います。人のふり見て我がふり直せという諺があります。学んでください。
さて、密鋳四文銭は私に残された最終課題。なんとか体系的な分類ができないものかとは考えているものの、忙しさを理由に放置しています。ただ、見つけるとつい買っちゃう悪い癖。人のふり見て我がふり直せですよ、皆さん。
今回の入手品は不正輪の密鋳銭が多い。
❶は浅背台形仕上げのやや赤銅質。この手は浄法寺系の初期だなんて勝手に思い込んでいる私、全く裏付けはありません。肉厚でもっと上作のものが多いんですけどね。永寶間に星があったり、永柱が極太だったりとおもしろい。輪のやすり目は横方向。

❷は鋳バリを鏨で叩き切ったような仕上。砥石の磨きややすり仕上げはほとんど感じられない。肌は赤い江刺といった感じだが、江刺とすべきものではないような雰囲気。やや浅背でかすかに台形仕上げで砂磨きの条痕が輪に走ります。江刺、浄法寺的な雰囲気がごちゃませのハイブリット密鋳銭です。

❸は私は踏潰系にすぐにしちゃう顔。根拠あまりなし。銅質と砂磨きの強さ、波はさしてつぶれてないけど延展の圧はかかっている雰囲気がある・・・気がします。輪の強烈な条痕は砂磨きの跡。これをやすり目と呼ぶ方が多いのですが正しくは砂磨き。本家の踏潰はここまで条痕がないものが多いんですけどね。でも踏潰。穿がいびつなのが目立つ。
→ 踏潰分類考

❹も穿がひし形にやや歪む。黄銅質で側面は手仕上げなのかロクロなのか良く分からないけど非常にきっちりとした垂直仕上げに見える。安政期によく似ているけど違う。穿内はバリこそないけどほぼ手付かずな感じ。だから密鋳にした。

93歳の親父様がガタガタ起きてくるため今夜も不眠。今夜は珍しく暑いとのたまう。東京に行くか迷ってます。昼は目を離すと寒いと冷房を切ってダウンを着たりする。夜はなぜか裸で寝る。今日は珍しくパジャマを着て寝ているが暑いそうだ。それなのに(寝室の横の)居間の冷房を切りやがる。スイッチ類を盛んにいじるのが耳障り。寝室の冷房をタイマー付きでつけた。消せないとエアコンのコンセントを引抜に行く。冷房ではなくドライにしています。布団は冬掛けのまま。さあどうなるか。東京はいけないかもしれない。
 
長郭手覆輪異極印(赤銅:再写し) 
長径48.80㎜ 短径32.43㎜
銭文径40.33㎜ 重量20.7g
7月15日【覆輪再写天保】
見ての通り赤茶系の覆輪天保で削字変化は見られません。覆輪の二度写しで、加護山(阿仁)銭や秋田小様と同じように、背郭が不規則に盛り上がり歪みます。これは鋳バリを背側に折って押し出し、外側で削り、叩き潰したようなのです。加護山銭や秋田小様の場合は面側郭が凹状に凹むものが散見されることから、銭を挿しにまとめてから角棒を面側から打ち込んで背側に曲げて鋳バリを折り取っただんじゃないかと推定したことがありましたが、これももしかすると同様かもしれません。極印は葉脈が真直ぐな十字架型。本品は大和文庫の落札品です。
※色調の調整がいまいちで、原品はもう少し黄色い感じ。なお、スキャナーソフトの自動更新がされたのか機能の表示が少し変わってリセットされました。またやり直しです。
 
元禄期江戸荻原銭(純白銅母銭)
23.75×23.72㎜ 3.2g
元禄期江戸荻原銭(白銅質通用銭) 
7月14日【白の魔力】
私の中学生時代、新人アイドルは夏は白い水着を着るのが定番でした。白のブラウス、白の下着、白の水着など白の衣類は清純の象徴だったと思います。真似をして白い水着を買って泳いだら透け透けになってしまってプールから出られなくなった同級生がなんと多かったことか。そんな白には憧れとおじさんを惹きつける魔力が宿っているのです。
そのせいか私は母銭コレクターではなかったのですが、大和文庫に出品されたこの母銭に対し、ついふらふら・くらくらと引き寄せられてしまいました。飛んで火にいる夏の虫になった私は、昔の夏の甘酸っぱい思い出がそうさせるのか、絶対負けない入札価格を入れてしまいました。その結果、白銀に妖しく輝くこの品は今、私の手元にあります。

元禄年間、ときの勘定奉行の荻原重秀の建議によって誕生した従来より一回り小さな寛永通寶によって、銭の供給量が増大して経済の好循環が生まれます。それによって町人文化が花開き、民間奢侈の風習が日本に根付きました。日本史ではその後の新井白石や登場初期の徳川吉宗の質素倹約のデフレ政策ばかりがもてはやされていますが、荻原重秀のこのインフレ経済政策は当時としてはなかなか的を射ていると感じます。

それにしても白い。黒く見えるのは拓本墨の汚れ。これがなかなか落ちない。
下段に掲示しているのは初期の鋳造と思われる通用銭で、文字抜けも良く緑がかった白銅色が珍しい。画像を重ねてみるとわずかに内径が小さくなっていますので通用銭と判断できます。
この品、それでも郭内に小さなバリがなければ母銭じゃないかと悩みまくると思います。でもきれいでしょう?
※荻原銭は長崎屋不旧の書がもとになっているようですけどコ頭通であり、不旧手と呼ばれるグループからはなぜか除外されています。
 
7月11日【同じに見えない!】
泉譜を信じすぎちゃいけない事例。
この拓本(天保通寶銭の研究)と画像の品、本来は同じ品・・・私は泉譜原品だと思っているのですが、どう見ても同じ品には見えません。長郭手強刔輪深淵のは珍品には違いないのですが、これと同じ品を探し続けると永遠にたどり着けません。
実は
拓本は面側が輪一つ分横に引き伸ばされているのです。同様に天上の空白も若干引き伸ばされて刔輪が強調されているように見えます。これには画像の陰の影響もあるようで、陰の部分は実際には空白なのですが、人間の目はそれを空間と認識しづらいようなのです。
実はこの画像は拓本に合わせるため面の銭文径を拓本ほぼ合うように私は縮尺を調整しているのですが、面背を同じ縮尺度にすると面と背の文字位置、銭径がずれてしまいました。調べるとそもそも拓本の面背の縮尺度が異なっていることに気が付きました。
背側拓本は面側拓本より長径の輪半分ほど全体的に大きくなっているのです。(印象を合わせるため画像の背側の縮尺は拓本に合わせてあります。そのため画像も面背の長径が輪半分ほど異なっています。ご留意ください。)
意外に気が付かないものですけど、かなり拓本の縮尺がいい加減と言いますか、全体がいじられている印象を受けます。採拓のときの拓本紙のたわみや伸び縮みもあるとしても、ここまで違うとは多少意図的な強調(誇張)がある気がします。(虚偽、反則だあ!)
瓜生氏の泉譜には計測値がおかしなものがいくつかあります。拓本そのものが妖しいものもいくつかありますのでご注意ください。(一方、スキャン画像の方も光源の位置、陰の付き方などで印象がかなり変わります。ご注意ください。)
泉譜には同じ拓本の使いまわしが結構あって、違う名前であっても同じものなんてことが時々あります。さらに贋作があえて載せられていたり、泉譜によって分類そのものが異なったり存在が消されていたり・・・結構大変なんですよ。
 
7月10日【広郭手】
間違いなく覆輪銭。製作は粗く砂目も粗い。極印は額輪本体より大きい。通尾が陰起してやや短く見え、寶足は短いし前足が浮き上がってます。昔だったら1秒で南部民鋳と判断したでしょう。今なら額輪肥字。ただ、額輪特有の輪の内側の傾斜や陰起は見られません。背の雰囲気などは会津濶縁とそっくりです。それどころかもっと珍品の萩縮通にも見えてきます。興味本位でネットオークションで落としてしまいましたがやはり額輪肥字の域を超えませんね。
画像下は先週ヤフオクで落したその萩の縮通。ぱっと見はほとんど変わりません。かたや1000円未満の価値、かたや5万円以上・・・自分で見ていても微差だなあと思う次第。普通の人には私の熱狂は訳が分からないと思います。いや、私自身も良く分かってないのかもしれない。本当に微妙な差です。

江戸時代の鋳物師は貴重な技術職人であったがため、幕府監視の対象で居住区域にも制限があったと聞いています。一方、江戸に住む鋳物師は幕府管轄の鋳銭所以外、会津、水戸、津、安芸など各藩邸にも出入りしており、同じ職人が複数の藩邸に通って密鋳にも関わったと思われます。鋳物師は団結力が強く、親方の命令は絶対。(全国の鋳物師は真継家が統率していましたが、江戸は浅草の親方が支配しており治外法権の場所だったようです。)守秘義務も絶対だったのでしょう。そのため寛永通寶には藩が違ってもよく似た書風がいくつか見られます。筆頭格が津藩と会津藩の鉄四文銭。ですからおそらく密鋳の天保通寶にも似たものがきっとあるはずと思います。(上記の2品は鋳造地が江戸ではなく、全く異なるので相互の書風が似ているのは偶然かな?)

ところで・・・久々に「天保通寶銭の研究」と「幕府諸藩天保通寶の鑑定と分類」を読み返してみましたが・・・これを正しい資料として読む限り
石持桐極印銭は水戸藩鋳と確定するべきだと思われます。
江戸小梅にあった水戸藩邸において鋳造された母銭試鋳枝銭が伝来しているとの報告が北村富三郎氏から(貨幣誌に?)なされており、それは拓本から正字背異替と深字である可能性が高く、また、成島栁北から守田寶丹に伝えられたその枝銭の1枚がかつて存在していたようで、それは明らかに正字背異替濶縁の母銭なのです。(なお「幕府諸藩天保通寶の鑑定と分類」は記事の書き方が紛らわしいので注意。後半部分は高知額輪の枝銭の説明が混じってしまっています。)
また、同じくその伝承において水戸藩邸における鋳銭原料は
「銅器の廃物を用い、錫、鉛を多量に混和し、品質大に劣れり」とあるのでこの点は石持桐極印銭に合致します。石持桐銭に亜鉛が大量に含まれている理由も水戸藩鋳であれば問題なく、江戸には(四文銭鋳造を行った)銀座に係わった鋳物師がたくさんいますので鋳造技術の伝来説明も簡単につきます。(亜鉛を用いた真鍮銭の鋳造技術は銀座の一部の職人以外は知らなかったと思われます。したがって四文銭の鋳造にかかわった銀座職人の多い江戸以外の地では、大量生産は不可能ではないかと考えられるため。)
石持桐極印久留米藩鋳造説は、福岡の郷土史研究家鶴久二郎氏の発表がもとになっているようで、鶴久氏は文久貨泉試鋳貨鋳造の画策があったことを論説で述べていたのを周囲があとから天保通寶密鋳説をあてはめたものだと思われます。これは石持桐極印銭が九州地方に多く存在することを古銭家がなんとか説明しようとした結果でもあると思われます。小川青寶樓師が新訂天保銭図譜で石持桐極印銭を仮籍として久留米にしたことも大きく、私を含め石持桐=久留米のイメージが定着してしまっていますが、訂正されて良い気がします。

雑銭掲示板でとら氏が真木和泉について言及されていたので、興味を持って少しだけ調べましたが、倒幕のため天保通寶を久留米藩で密鋳することは面白いけど机上の空論、仮説だと思います。計画はあっても実行されなかったでしょう。幕末の久留米藩は(藩内の意見が割れていたとは言え)あくまでも佐幕派であったと思われます。これは私の郷里の鶴牧藩(水野家)も同じような立場で、血縁上はばりばりの佐幕派でありながら官軍(錦の御旗)には逆らえないとと判断して不戦を決めていたようです。水戸藩が抵抗しなかったのも同じ。ある意味生き残り政策なのです。私に言わせれば明治維新は歪んだ政治工作だらけなんですけどね。会津はかわいそう・・・。
なお、私の記述もあくまでも本の記述を正しい信じた上でのお話であり、絶対ではありません。
 
7月5日【美しき文久永寶】
侍古銭会のタジさんから頂戴した画像の1枚です。見るからに深字、そして狭永。背の彫りが見事(素朴!)で地肌(砂目)も美しい。こういう文久を見ると思わず食指が動いてしまうのですが、私は関東のA さんに文久は託したのでぐっとこらえます。最近も美しい文久をヤフオクで見つけて我慢するのが大変でした。銭の地染めについて最近も語ったことがありますが、深字の地染めは彫りや砂目の美しさもあって映えますね。降久の地なんて惚れ惚れします。私は変でしょうか?
タジさんは人に好かれる行動が上手でいわゆる甘え上手。先日の八厘会でもねだられて「まあ、いいか」と曳尾の大字系を原価割れで割譲してしまいました。人生のモテ期に入っているようで私生活とも絶好調でうらやましい限りです。
 
久留米正字濶縁
萩縮通
7月3日【病気が治ってまた病気】
2週間余りの缶詰生活はきつかった。仕事も山積みでしばらくは休日返上になりそうです。もう少し体力が戻れば外歩きもできるようになるかなあ・・・と、いうところです。さて、掲示の赤い天保銭は別に珍品でも何でもないのですが、個人的に大好きな雑銭なのです。久留米(水戸)正字濶縁と言えばああなんだという事になりますが、広郭手覆輪大濶縁赤銅質異極印・・・と言えば皆注目するでしょう。ちょっと違えば仙台大濶縁、それとも秋田小様???、せめて会津濶縁再覆輪です。赤銅質で覆輪大濶縁という技術的に非常に興味あるつくり・・・しかもどこで(どの藩で)作られたかがまだ解明されていないというロマンもある。1500円もしなかったのは嬉しいけどもうちょっと評価されていいんじゃないかなあ。
下段は高級品。出品者の顔も見えたし、あまりの美しさについクリックしてしまった萩の縮通。病気だなあ。この手のもの見るたびに少し異なる気がします。本当は美しい平二天とか縮通隔輪とかが欲しいんですけど、なかなか出会えないですねー。自分に対する快気祝いの1枚とします。きれいだなー。
 
6月13日 夜遅く子供が帰宅してきた。朝から具合が悪かったという。発熱は38度以上。喉も痛いらしい。やばい。15日は妻の3回忌の予定。今さら止められない。親族関連に緊急連絡。

6月15日 陽性確定。結局、お寺への参列は代表家族3人だけ。それ以外は全部キャンセル。被害甚大。濃厚接触者としての出勤停止の隔離生活がはじまる。

6月19日 咳・悪寒・倦怠感・頭痛・目の充血・鼻水・鼻づまり・のどの痛み(腫れ)・声がれ・・・隔離生活4日目にして症状が全部出てきた。しかし熱は全くない。猫アレルギーの症状だ。過去最悪かもしれない。喉は違和感が続くけどそんなに痛くならない。悪寒と頭痛が気持ち悪い。呼吸が苦しく酸素不足。具合悪いだ。良い古銭が手に入れば治るかもしれない。誰か私を治療してください。

6月20日 今朝は37.8度。まだ猫アレルギーの症状の可能性が高い気がするものの、家にいる限り改善できない。複合的な罹患もあり得る。頭痛いし、だるくてしょうがない。18:00 38.5度 ただ事じゃなくなってきたかも。

6月21日 発熱が始まってまる1日。5:00の抗原検査実施の結果、
立派なコロナ。大人になった気分。猫を遠ざけていたので猫アレルギーの症状は緩和したものの、のどの痛みが目立ってきた。しかもここにきて腰痛がひどい。動くときに痛くて爺さんのように腰が曲がって何かにすがらないと立てない。93歳の親父は状況が理解できず目が離せない。そばに寄れないのでテレビをつけっぱなしにさせて音が消えたら様子を見に行く。(すきあらばデイやケアハウスに食事に行こうとしている。腰が痛くて追いかけられない。)

6月23日 親父のコロナ確定。私の職場復帰は6月29日、親父のデイサービス復帰は7月1日まで延びた。慎重すぎない?39度ぐらい熱ある癖に親父はまったく平気なそぶり。がたッと落ちなきゃいいんだけど。

6月24日 隔離されて10日経った。一家全滅です。一番最後に罹った親父の様子がおかしい。散歩に出かけてしまい熱中症。とにかく水分を取ってくれない。私30日まで出勤停止だと。長すぎないか?
ただ、咳が止まらずだるい。動けないのも事実。リハビリが必要だ。足のすらっと長い娘なんかがとくに効くらしい。個性的な娘もいいですね。だまされたと思って送ってみてください。笑いが止まらなくなるくらいの奴いないかなあ。

6月28日 出勤停止解除2日前。すっかり休み癖が付いてしまった。だるくて動く気がしない。起きて猫と親父の食事の世話をして、寝て親父の昼食の世話をして、寝て親父の夕食の世話をして、パソコンをいじってまた寝る。3年分眠った気がします。後遺症残ってるのでだるい。

6月29日 親父の行動がおかしい、とじこめ生活が長いのでしょうがないが。気分転換に外出。近所の大きなお寺にゆく。誰もいない。人の居なそうな歴史博物館を見学し、帰宅。それだけで疲れ切ってしまった。夕方、抗原検査を実施。大丈夫かと思ったが2本ラインが立ってしまった。感染状態が継続ということで復帰が延期になってしまいました。症状(咳と痰排出)あるからしかたがないか。疲れやすく健康状態にはまだ不安が大きい。
 
長郭手鋳写縮形 とら様提供
長径47.71㎜ 短径31.51㎜ 
銭文径41.0㎜ 重量19.33g
【病人のひとり言】
雑銭掲示板より。ひと目病んでますね。魚子地肌の不知銭に類品があったかに記憶していますが超えていますね。赤くて小さい「ぶつぶつざらざら」のアバタ面がすばらしい。私の好みを押さえまくっています。目を閉じれば億千の☆が眼裏にキラキラと浮かぶようです。今、まさに昇天しようとする瞬間に神の星雲が現れたみたいです。うなされてますか。

15:00 親父がくしゃみをしている。ダウンジャケットも着ている。体温を測ると38.9度。OUT。
こいつの治療費は絶対高くつきます。萎字大広郭か仙台広郭クラスだ。
 
【病人のひとり言】
今月号の収集誌の出品物。病んでます。見るからに具合が悪そうです。自分が病んでいるからかこんな酷いものが気になる。しかも、10000円超はさすがに高いと思う。
文政正字のぶつぶつは母銭由来だと聞く。母銭は見たことはないけど兄弟銭は見つかって発表もされている。じゃあ、なぜこんな醜いまま母銭として使用したのか。ちょっと浚えば済むことなのに鋳銭工としてのプライドというものがないのか?それとも何らかの符丁(暗号)か?
「おい、今の仕事が終わったら●●樓に行って星の数だけ遊ぶぞ。」なんて・・・。熱にうなされているとしか思えない。
※関東のAさんによると
低温障害で腫脹した錫母銭をそのまま使用したのではないかとのこと。錫は長時間低温状態にさらされると金属組織が変成して内部から膨れ上がる・・・いわゆる錫ペストの状態になるのですが、低温障害で傷ついた錫母銭の中から使えそうなものを撰んで銅母銭を作ったのではないかとのこと。私のエロ推理よりかなり格調高く、信頼性が高いです。

収集誌の誌上入札に出ている水戸揚足寶・・・真っ黒だけどどうにかクリーニングする方法はないものか。誰か教えてくれ。
CCFに短人偏の薩摩小字が出ています。観察してみたい。
 
6月29日 【錯笵寛永】
なんてことない文銭の錯笵背ズレ。奇品館No.53に同じような品を逃した記録がしてあります。平成18年に逃していますので18年ぶりの再会と言ったら書きすぎかなあ。こんなもの気にしているコレクターなんてこの世にほとんどいないと自覚はしておりますが、文銭の錯笵は本当に少ないのです。このように郭抜け、輪の余白入りは普通じゃ考えられないレベルのエラーです。雑銭には違いない部類ですけど皆様も探してみて頂ければ数の少ないエラー銭であることが良く分かると思いますよ。
※良く見ると郭のずれた形が極端に縦長なのに他に二重に象られた部分が全くありませんのでこの錯笵は意図的(デザイン的)なものに見えます。
水戸短足寶写し(純赤銅銭)
長径48.25㎜ 短径32.1㎜ 
銭文径39.65㎜ 重量21.5g
広郭手 細縁異極印 
長径48.0㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量18.9g
色の再現性はこちらの方が近いです。真赤でした。地金そのものが赤くとても滑らか。これは秋田小様の色・・・加護山・阿仁銅山の色ですね。極印は良く分からない。地は凹面状でよく鋳ざらいされた雰囲気があります。

6月22日の広郭手は文字の大きさなどからおそらく薩摩広郭写しで良いと判断しましたが・・・揺れています。やっぱ違う。
 
❶離用通写 27.41×27.46㎜ 5.7g 側面は斜めやすり

❷大頭通写 27.72×27.56㎜ 5.3g 側面は斜めやすり

❸文政正字写 27.76×27.84㎜ 6.1g 穿内仕上げあり
本来、左2枚は斜めやすりが激しく見えるのですが平滑に見えてしまいます。良く見ると中央だけは傷らしきものがかすかに見えますが、こんなもんじゃないです。一方、右端は平滑な仕上げなのですが東北らしい多面体の仕上げに見えない。それどころか角の横方向の傷が強調されてしまった形。これは全く違います
6月28日【密鋳銭再撮影】
昨年の11月に一度撮影したのですがあまりの画像うつりのひどさにげんなりしていた密鋳銭類です。試行錯誤の結果、同じ器材のままでここまで画像進化を遂げました。ピントの甘さはまだ残りますがそれも改善し、表面の細かな傷や微妙な色彩の再現にまでこぎつけました。ただし、どうしても側面写真の再現だけがうまくゆきません。やすり目がきれいに出ないのです。これは宿題です。

❶は大珍品です。離用通そのものが少なく、その密鋳は皆無に近い。私自身、このほかに1枚だけしか所有していません。しかもこの品は踏潰系のつくり。側面は斜めやすりという具合に密鋳銭100点の品です。

❷の大頭通写は上の掲示品と同炉だと思われます。背の波は延展になっていませんがその他は砂目と言い、銅質、仕上げと言いそっくりです。離用通ほどではありませんが大頭通の密鋳も少ないですよ。
❸は表面のぶつぶつから文政期正字を写したものと推定しています。この密鋳銭のすごいところは郭内がきっちり仕上げられており、銅質は安政期の色であること。側面もほぼ平らでほとんど「安政期正字」と言っても良いつくりなのです。しかし・・・側面がロクロではなく砥石での手仕上と思われるのです。面文の違いと合わせとても残念ですけど、しかたありません。
安政期正字は確かに少ないけど文政期正字写しと分かる密鋳銭も相当少ないはずですよ。
私の画僧補正の手法(覚書)
使用アプリ ❶Microsoft Picture Manager(表示名Microsoft Office2010)がメイン。
❷Peint ❸JTrim ❹ピタリ四角 は補助的に使っています。
はじめにスキャナー起動。(Canoscan Lide400)
スキャナーの起動アプリは正規のものを使用。パソコンに付属しているScanソフトでは細かい設定ができないことに長らく気が付いていませんでした。(複合機Canon TS8630 は今は使用せず。)
解像度は150dps以上で撮影。設定 輪郭強調以外はOFF。取り込み画質は写真。彩度カラーバランスを赤マイナス-20に設定しておくと良いことが最近分かりました。撮影すると背景が青くなるがこれでOK。
撮影した画像をMicrosoft Picture Managerで開く。
「画像の編集」で「色」を選び、背景の青黒い所を選び「色の調整」を実行。すると背景の青と余計な黒ずみが除去されます。青の補色である余計な赤味が除去され自然な色に仕上がります。ただし、これは私のパソコンの癖でしょう。(読み込むたびに赤が強くなる変な癖が不定期に出現します。赤目補正みたい。)
次に「明るさとコントラスト」を選び「明るさ」を+5~+15 「コントラスト」を+10~+20。
必要に応じて微調整していきます。さらに画像の傾きと画像の大きさの調整をします。
画像の大きさの微調整は❷Peintの方がしやすいです。カメラで撮影した画像は表と裏の大きさが微妙に異なることが多く、表裏の大きさを揃えることから始めることも多いのです。撮影時の傾きによる歪みは❹ピタリ四角で補正しますがこれはなかなか難しい。背景の加工も❷Peintでよくやってます。
下の大和文庫の画像はPeintで一部補正をしていますがどこを直したか分かりますか?
 
 水戸短足寶写(大和文庫HPより)
 當百銭カタログ No.378(奇書体)
 不知天保通寶分類譜 下巻P209(奇書)
 天保通寶研究分類譜 第5巻No.1614
 天保通寶と類似貨幣カタログ No.156
6月26日【鋳写しの有名不知品】
天保通寶の鋳写はほとんどが本座がベースで藩鋳銭を写したものはあまりみたことがなく、美しいと言えるものは皆無と言っても過言ではありません。そんな中で画像の天保通寶はもっとも美しく?有名な?1枚ではないでしょうか。
秋田の故、村上師がかつて保有していたもので、師は秋田もしくは南部の写しであろうと泉譜上に記しています。水戸短足寶の銅質とは明らかに異なる柔らかそうな赤い銅質。銭径、銭文径も小さく写しであることはほぼ間違いのない品だと思います。藩鋳銭写しは粗造がほとんどで、ありそうでめったに見られないのがこの藩鋳銭写し。銅質や製作が明らかに異なるものが、なかなかないため、気が付かれていないのかもしれません。
※なかなか体調が元に戻らない。疲れやすく、散歩するとその後動けなくなってしまいます。怠け病と言われてしまうかもしれません。気力がわかないぞ。昨日の炎天下2時間散歩はさすがにきつかったか。え、古銭の記事・・・リハビリです。
 
❶安政期小字背一直波  
28.14×28.03㎜ 4.2g  浩泉丸蔵
❷安政期俯永  
28.2×28.2㎜ 4.7g  浩泉丸蔵 
❸安政期俯永(背肥波磨輪)  
27.14×27.00㎜ 4.6g  浩泉丸蔵
6月25日【安政期當四文】
世の中に存在する数少ない寛永通寶コレクターのうち果たして何人が安政期銭まで手を出しているでしょうか?
かくいう私、なんとか俯永と一直波等の小字類までは入手できましたが、それ以外は夢のまた夢で収集そのものを半分諦めております。記事の最後にこれでもかというぐらいの安政期珍銭を載せてありますが、関東のAさんの所有品。ここまでそろえられている方はほかに存じ上げません。
安政期銭収集の問題は雑銭に見えて圧倒的に枚数が少なく、お金を出しても入手できないことに加え、とても地味で存在すら忘れてしまうこともあげられます。特徴は輪のロクロ仕上げであり、後加工が可能なだけに判定が難しいのです。
❶の背一直波は私の収集人生で唯一出会った一枚。島屋文などは何度も見たことがあるのに評価の高くないこいつに出会うまでは30年以上かかりました。
❷はスキャナーの癖で赤茶色っぽく見えますが実物はもっと黄色い発色。(修正しました。)安政期と称する文政期色ののものをときどき見かけますが手は出さない方が無難です。写真写りが悪いだけで原品は非常にまじめな一枚です。
❸は径が小さいのですが銅色と製作は立派な安政期です。ただ、背の波が異常にくっきりしていてまったく俯永らしくない。ひょっとして密鋳かなあ・・・と思い、内径比較してみたら❷と❸はほぼ重なります。輪の仕上げはまっ平で穿内もやすり掛けがあり、あとやすりには見えません。疑問点は残りますが今のところ安政期俯永の仲間に入れておこうと思います。
実は私の所有品の中にあと一歩で安政期と言える密鋳銭が何枚か存在しています。もし私が寛永通寶の大家でその昔の銭幣館、田中啓文ほどの力があればそいつは安政期だと断言してしまう・・・かもしれませんが、やっぱり何かが違います。Aさんのコレクション・・・貴重ですよ。でもこうして写真に写すと真っ黒になっちゃうのが困りものです。お金を出しても手に入らない世界がここにあります。
なお、安政期と並び判断が難しい當四文銭に文久様があります。名称からして文久永寶に製作が似ているはずなのですが、初めて見たとき「どこが?」と思いました。これについては舎人坊石川氏がその昔銀座コインオークションに寄稿されていたと思います。曰く、文久様には2タイプあり白銅質の古くからあるタイプのものと、黄銅質のもの。後者は茨城方面で挿しの状態で発見されたとかされないとか。文久様も側面はロクロ仕上なので安政期とは紛れやすい気もしますが・・・まあ、迷うことはないでしょうね。
安政期は小字以外めったに出会うことはありません。そもそも安政期の小字だって意外に少ないのです。変化が地味なので探せば見つかる可能性は0ではありません。その昔、Ⅰさんは雑銭から安政大字を掘り出していました。明和大字も近年雑銭から出たと聞いております。なので一攫千金も夢じゃないですよ。
ちなみに私が初めて安政俯永を入手したのは収集の誌上入札で。10万円以上払った大馬鹿野郎です。

安政期正字(いづみ会譜原品) 安政期離用通 安政期大字 安政期俯永  
画像協力 関東のA様
 
6月24日【細郭手欠マ頭通の類】
手持ち品に欠マ頭の類がもう一枚、計3枚ありました。覚えてないものですね。この類は銅質、肉厚が様々ですけど文字加刀に共通の特徴が見られます。例えば、天の足の周囲には加刀があり尖尾天になります。また、背郭の上辺が反郭気味になります。そして命名の通り、通頭の内部がえぐられマ頭が口を開けた形になります。ただし、マの最終画の長さはまちまちです。画像では左端のマの最終画は根っこをわずかに残してほぼ消失し、口はほぼ全開ですけど、中央は半開き、右側は3分の2以上が残っています。よく観察すると
通頭の内部にヒゲのような突起が3枚ともに確認できますので、ルーツは同じである可能性が高いです。とくに、右端と中央は桐極印の形状もほぼ同じ。左端は極印が異なるのであるいは他人の空似の可能性もあります。良く見ると左上の通用の四角の形状も似ていませんかね。偶然かなあ。
覆輪欠マ頭通厚肉 覆輪欠マ頭通薄肉赤銅 覆輪欠マ頭通
長径49.2㎜ 短径33.0㎜
銭文径40.8㎜ 重量27.0g
長径49.05㎜ 短径32.5㎜
銭文径40.75㎜ 重量18.1g
長径49.4㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.95㎜ 重量20.9g
 
6月23日【広郭手以外も難しいんです!】
 ❶細郭手覆輪存痕厚肉重量銭
長径49.5㎜ 短径33.3㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量29.6g
 ❷細郭手 覆輪欠マ頭通厚肉
長径49.2㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量27.0g
 ❸細郭手 覆輪欠マ頭通
長径49.4㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.95㎜ 重量20.9g
 ❹長郭手 鋳写
長径48.7㎜ 短径32.05㎜ 
銭文径40.9㎜ 重量23.1g
 ❺本座広郭厚肉背反郭(規格外)
長径49.4㎜ 短径33.04㎜ 
銭文径41.3㎜ 重量25.6g
銭文径が本座とほとんど差がない不知銭は広郭手以外にも存在します。
❶細字で連玉寶、横太りの銭形。覆輪までされていて大様になっています。天保銭を見慣れた人なら一目で不知銭だと判るでしょう。しかも寶の周囲に刔輪も少々あり、重量に至っては29gを超えちゃう出血大サービスのなんじゃこりゃ状態です。
その一方で銅質はほぼ本座と同じで製作技術も素晴らしく銭文径だけは細郭の標準サイズにほぼ等しい・・・なんで?
こんなものもあるんですよ。

❷は前掲示品以上に書体の見た目は本座そのもの。横太りの覆輪特有の銭形で背郭も覆輪圧力のため反郭になっています。銭文径は標準より0.4㎜程度縮小しているだけなので見た瞬間にこれを不知だと判断できる人は達人の域を超えて生き神様です。
ただし、こちらも重量が27gもありますので異常に気づくのは容易。この不知銭は通頭に特徴的な加刀が通頭内外にありマの第三画が陰起消失し口が開いた形になります。普段私は細かい文字の部分変化に囚われるなと口を酸っぱくして伝えている(ちなみにこれは天保仙人様の教えの受け売り)のですが、次の細郭手をご覧いただければこれが母銭由来のものらしいことが分かります。

❸は今回の記事を書くためにちょうどよい題材はないかとB級品を見直していたところ・・・あらら❷と同じような癖のある覆輪銭に気づきました。こちらは拡大すると同じ加刀痕跡が通頭の内外や天尾にあるのです。覆輪であること以外は銅質、製作、砂目ともにほぼ本座と同じ。(色は若干明るく黄色が強い。)本座細郭に覆輪次鋳があるとしたらこれしかないというような代物です。なお、保の後点が草点になっていますがこれは偶然だと思います。かなり昔にネットで拾ったもので3500円だったようです。覆輪を探すときは横幅と反郭に注意せよ・・・なんですよ、ほんと。
ただし、コレクターを狙った延展という変造もけっこうあるのでご注意を。

❹の長郭手はサイズこそ小さめだけど銅質、製作はほぼ本座そのもの。郭内仕上げは若干粗くて違和感がありますがそれが不知であることを示す決定的なものではありません。少し重めの重量と短めの長径であり、極印も厳密にいえば雰囲気が異なりますがいずれも決定打にはなりえません。すなわちこれは銭文径の縮小を根拠に鋳写と判定した典型的なB級不知銭なのです。
果たしてこれを見た目だけで不知品と判定できるようなマシンのような眼をお持ちの方は日本にどれだけいらっしゃるか。少なくとも私はその力はございませんので・・・。関西のTさんぐらいかなあ。鋳写等による銭文径の縮小は長郭手だと平均で0.7㎜ですが細郭手だと0.4㎜未満ほどしかないものも多いと思います。そうなるともう銭文径の数値ははあてにあまりできない場合もあります。

❺は巨大な本座広郭と判定したもの。面背の反郭や含円郭を不知とする銭譜や、特定の藩鋳を推定する向きもありますが、現段階ではいずれも仮説の域を超えていないので、私は研ぎなどの製作過程による小変化の範囲であると見ています。何度見てもこの重量と短径の数値は異常で不知品にしても良いかな~と思い続けていたのですが、端正過ぎてどう見ても本座にしか見えないのです。良く観察すると寶右側の輪際に全体に明らかに刔輪の痕跡があります。その上つい最近まで銭文径の計測値を41.6㎜と長郭並みの数値にしていましたから、これはもう不知かなと心が傾く私。金属製のデジタルノギスで改めて計測してみてもやはり41.6㎜前後を示します。こりゃやっぱり不知銭かなと思いながらも念のため画像を重ねて比較をしてみたら・・・なんと通常の本座広郭とほぼ変わらない。計測するときノギスの歯を深く差し込むと41.6㎜、表面近くで測ると41.3㎜。私の銭文径計測のいい加減さが出ています。と、いうわけでこれは本座の大ぶり銭ということに再び落ち着きました。本座といえどもなかなかこのサイズないですよ。
なお、意外に知られていませんが本座銭にも刔輪修正はあります。この天保銭の場合下部にできた鋳だまりを修正しようと(あるいは鋳乱れの発生を防止しようと)試みたようで面左側の輪際に沿って加刀と残骸がはっきり見られますが、意外なことに面側の左右の内径バランスは変わりません。と、いうことで短径が大きい理由は残念ながら謎のまま。(覆輪刔輪については天保通寶覆輪刔輪マニアック講座をお読みください。)
最後にもう一度皆様へ・・・
「細かい文字の変化ばかりに囚われるな、製作を見ろ。」(天保仙人様)
「数字(銭文径)は嘘をつかない、ただし計測値はときどき嘘をつく。」(浩泉丸)

泉譜の計測値には嘘がたくさんあります。ご注意を。
 
広郭手 細縁異極印 
長径48.0㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量18.9g
広郭手 肥字細縁楔形極厚肉異極印→ 薩摩広郭写し
長径48.35㎜ 短径31.85㎜ 
銭文径41.5㎜ 重量26.6g
6月22日【広郭手は難しい】
私は不知銭判定するときに銭文径を非常に重視します。鋳写をすれば銭文径は必ず縮む・・・ただし、細郭手の一部のものからこの法則は怪しくなり、広郭手に至ってはあてにならないこともあります。金座から母銭が流出したという噂があり、後藤家の不可解な粛清が見られるからです。細郭手のある種のものは銭文径の縮小が0.2~0.4㎜程しかないものがあり、広郭手に至っては銭文径の差がほぼ見られないものまで散見されます。書体のコピー技術の精度(母銭の作成技術)がどんどんあがっているのです。
一方、細郭手の場合は材質を含め細心の注意を払った作になっているものが多いのですが、広郭手の場合は書体以外の部分は個性あふれるものが多い気もします。これは技術の進歩もさることながら、幕末に近づくにつれて幕府の力が全国に及ばなくなったため、材料まで気にする必要が無くなったためなのかもしれません。逆説的に言うと、書体については見分けがつかない不知銭だらけ・・・いや、不知銭としてもはや見分けがつかない密鋳銭がたくさんあるのかもしれません。
さて、上段の広郭手は練れの良い赤黄色の銅質。もう少し赤ければ秋田と言いたくなる雰囲気も若干。ただし、銭文径はほぼ本座と変わらない。磨輪された石持桐極印銭かなと片付けたくなるのですが、極印はホのような変形極印が左右ともに打たれています。銅質も穿内の仕上げ(全体にやすり掛け)も異なりますのでもう不知にするしかないのです。
下段の品はもっと分かりやすい異常な品です。銅質は褐色なので一見は本座銭の変色のようにも見えますが、やや太字のせいか銭文径はむしろ大きく、重量は26gを超えます。肉厚は寶側で3.2㎜、天側で2.8㎜と楔型です。さらに異極印でもありここまで異なればもう不知広郭手にするしかないのですが、書体にほとんど変化がないのでいざ名称を考える場合に困ります。ここまで徹底的に異製作でありながら書体はがっかりするほど平々凡々なのです。(だから評価が上がりづらい。)
天保通寶の不知銭に人気があるのは製作に加え見た目の変化が面白いからなのですが、多くの広郭手は覆輪刔輪がほぼなく書体の変化もほぼみられません。つまりまったくつまらない。流通を意識した密鋳なら奇抜な書体変化は不要なのですが、収集を楽しむ側としてはもう少しあったら良かったのにと思うのです。銭径の縮小という問題がクリアできるのならそもそも覆輪刔輪は不要な作業なのは当然なんですけど残念ですよね。それに、以前にも書きましたが本来は広郭手に分類されるべき書体の多くがすでに藩鋳銭に分類されているのです。つまりそれ以外の密鋳広郭手には密鋳銭であることさえ識別困難なものしか残されていない・・・ということになります。贋金も完全にコピーされると本物になってしまう訳でして、水戸接郭や仙台長足寶のような覆輪刔輪のある魅力ある広郭手、他に出てきませんかね。

※判定で一番迷うのが製作手法の違い、極印・銅質の違いだけしか判定材料がない場合です。穿内仕上げの手法が全体にやすり掛けされている・・・いわゆるべったりヤスリがけ・・・は他に何かの痕跡がない場合は後加工・・・盗銅や母銭への転用意図・・・を疑うべきでしょう。極印も摩耗や破損、打ち損じがあり得ますのでよほどはっきり異なる以外は不知銭として判断しづらいものがあります。銅質も変色、火中品があり得ますので状態を含み判断すべきでしょう。上記にあげた2枚の広郭手は誰が判断しても本座ではない複数の特徴のある稀有な事例です。これだけ異なっていても広郭手の市場価値はめったに5万円まで達しません。ここまではっきりわかるのは数は絶対に少ないはずなんですけどねー。残念。
 
面背逆仕上げの張天保(細字)       四国のKさん提供
長径49.5㎜ 短径33.05㎜ 重量27.0g
長郭手 覆輪強刔輪深淵(面背逆製:背の広穿っぷりが良い!)
長径48.7㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量20.0g 
長郭手 覆輪強刔輪深淵(純赤銅銭) 
   
長径48.9㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.7㎜ 重量20.7g 
6月21日【面背逆製かも】
四国のKさんから張天保の計測値の連絡が・・・。
長径 短径 穿縦 穿横 
面側 49.5 33.05 8.8 8.8
背側 49.0 32.8 8.8 9.2
この張天保の穿内ヤスリは背から面へ向かってかけられている様です。また、背側の数値が面側の数値より小さくなっています。これって面背逆製って事でしょうか?
(一般的な面背逆製のように)面浅字、背深字には見えませんが、両面共に浅字です。厚さは2.5~2.6㎜で重量が27.0gもあります。そのせいか、背側は全体に丸みを感じ、面側は真っ平らな感じを受けます。私の感じていた違和感はこれによるものかもしれません。
(メール文は編集してあります。)

面背逆製と名乗っても間違いではなさそうですけど、間違いのないところで面背逆仕上げとしておきます。
なお、サイズについて正式に記載しておりませんでしたが、これってどう表現すればよいのでしょうかね。(やっぱり最大値ですかね)

ちなみに画像中央は私も面背逆製で良いと認定した不知銭。面側より背側が広穿になっていますし、やすりも面から入っていて、面側が浅字・背深字ですべての条件がクリアされます。
下段はあとで類品と気づいたもの。やはり面側の文字がぼやけて背が広穿に見えますけど穿内はべったりやすりで良く分からない。もしこれも面背逆製だとしたら・・・母銭からして面背逆製の形状ってことになりませんかね。えっ、企画もの???
分からない事は謎のままな方が幸せなことがあるってことかな。
※銭笵に背側を強く押し込んだらこうならないかしら。踏み固め不良ということもある。鋳張りは面側に偏ります。鋳造技術そのものが未熟だってことですかね。憶測もいいところですけど。
※跳尾大世は鉄人が入手されたようです。
 
6月20日【銅替わりの深字】
暇なので日付がどんどん進んでしまいます。こうなると日付は単なる順番の記号にすぎないですね。まあ、お許しを。

今回の記事はスキャナーの画像撮影の練習も兼ねています。設定や撮影する古銭の置き場所を工夫して色々試しているのです。色彩はどうしても赤味が強く出がちで、画像の天保通寶も赤みを抑えもう少し黄色を強くしたいのですが今の私の技術ではこれが限界です。色合いとしては接郭や大字に近いです。スキャナー光源のLEDが強く低く、影が長くなりやすく、てかって見えやすいことも問題。凸部ははっきり見えるけど凹部は見えづらくなるなどの癖があり、苦戦しています。もっと色と形の再現性の良いスキャナーないかしら。

さて、深字は水戸とすべきか久留米とすべきか私も一貫していませんが、石持桐であり、九州に大量にあるという傍証から久留米に籍をおいておくのが今は無難なのかもしれません。
九州の銅山と言えば宮崎県高千穂町の土呂久鉱山があまりにも有名で、加治木洪武通寶、叶元祐、背長寛永など白銅質~黄白色の色あいが特徴的です。不知天保の勇文が九州方面の出自じゃないかと言われるのも、関西方面で発見が多いことに加えてあの銅色が東北の赤い色ではなく、土呂久の色と考えられたのじゃないかしら。
それからすると赤い独特の銅質の深字や久留米正字が九州の天保というのはいささか不思議な気がします。そういえば深字や正字の成分分析をした資料(幕府藩諸 天保通寶銭の研究)に、大量の亜鉛が含まれるとした記事がありました。幕末、亜鉛は幕府の専売輸入品で、それらを含む貨幣の鋳造原料を堂々入手できるのは天保通寶の鋳造許可を幕府に正式に認められていた水戸藩ぐらいだったと思います。(亜鉛の密輸は鋳造の難しさと採算性から非現実的ですね。)もうひとつは採算性は悪くなりますが亜鉛が含まれる四文銭を材料としたこと。亜鉛は鋳造中の温度管理が難しく突然溶銅が沸騰して爆発するほど危険だったのですが可能性としてはありえます。水戸学が盛んだった久留米藩と水戸藩は何らかのつながりがありそうな気がします。(2010年3月27日制作日記参照)天保通寶は藩同士の貿易決済でもあったので水戸で作られ久留米に運ばれた可能性も否定できませんが、今のところ謎です。

画像の深字ですけど、未使用クラスで黄色く見えたから昨年コイン店で拾いました。深字は赤い銅質のものがほとんどで、赤茶はあっても黄色く見えるように発色しているものは珍しいと思います。
これから先、穴銭も状態が評価を大きく左右すると考えて奇麗なものは拾う・・・ことにしています。今ならまだたくさん拾えますし、やはり状態の良いものは気持ちが良いです。

話は変わりますが九州の古銭と言えば長崎元豊を代表とする一連のものがありますね。長崎元豊は貨幣カタログなどの掲載順序からなんとなく寛永通寶以前(関ケ原前)の古い時代の銭と思われがちなのですけど、実は新寛永の時代の1685年まで約25年間作り続けられ、江戸期の貿易用通貨としてのその後も役割を果たしていたのです。また九州鐚と言われる一連の鐚銭も長崎貿易用の決済通貨として使われていたとも。幕府は金銀や銭の海外流出を恐れ、長崎貿易を厳しく制限し、取引の規模縮小が続けられたため、長崎元豊の鋳造は短期間で終わってしまいましたが、江戸期の公式通貨であることには間違いがないのでもうちょっと研究が進んでも良いかなと思います。

→ コインの散歩道(長崎元豊)
→ コインの散歩道(更新履歴)
 
6月19日【妖怪ども】
外出禁止令発令中で相変わらず暇な毎日。昨日は早朝、外歩きができたが今朝は雨。本当はこっそり出かけたいところだが立場上できない。何もかもやる気がなくなる。それでも暇だからHPを更新してます。日付も1日進んでしまいましたがご愛敬。関東のAさんから頂戴した画像を整するべきなのでしょうが、そんな気分になれない。鬱だあ~。
この状況じゃ仕事する気力もなくなりそう。本当は今日は大事な会議があった(主催者)だったのですけど、それも不参加に。皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだが、やる気もなくなっているのでしょうがない」。子供は私以上にやる気がなくなっているというかだるそう。そのかわり咳が治まっているのでパソコンに近づきやすくなったのは幸いです。
さて、ここにある品々はネットに出現したもので、入手経路はたぶんⅠさんとかKさん、あるいはTからのもらい物・・・もしかすると私自身で購入したものかもしれません。私の記憶からほぼ欠落している。そんなアルバムの中の妖怪どものお話。

❶の重量は10gを切り、断トツの軽量銭です。広穿で極細の文字。天上、當上の刔輪が極めて強い細縁銭。かつて、銀座コイン20周年記念誌・名貨百選に秋田の故、村上師が肉厚0.98㎜(重量不明)の広郭手を出品されたことがあります。その薄さには遠く及びません(1.62㎜)が、手にした感触では10円玉より薄く感じます。
ときどき密鋳銭に磨輪、摩耗された薄肉天保銭が見つかります。薄肉粗造とか浅字とか呼ばれていることが多く、鋳肌は浚われてつるんとしていることが多くとてもみすぼらしいもの。それらと同様の粗造ながら、これは地肌に荒々しさがあります。一応、極印も穴ぼこ状ですがかすかに見受けられます。
ただし・・・今のところこの銭は参考品の扱いのままです。理由は銭文径が大きすぎるから。
薬品に漬けられて輪や文字などの凸部が溶解されたあと、古色を付けるために火入れされた可能性が否定できないのです。ただし、銅質が本座と異なる可能性も否定できず、砂目や側面の雰囲気も一応あることから、
薄肉の写しの火中品(焼け延び)の可能性も否定できません。なお、写しの場合は薄肉であっても銭文径はきちんと縮みます。と、いうわけでこれは良く分からない。写しなら火を被っている。粗造薄肉の贋作だとしたら手間暇かけて実によくできています。ただ、そんなもの作る価値あるのかなあ。また、当時の写しだとしてもここまで薄いと流通に支障が絶対あったと思う。ピンボケ画像ですみませんが側面の出来はなかなか良い。不知天保通寶分類譜には下巻P194の1図が刔輪はないもののほぼ同じような品。なんだか良さげな気がしてきた。(怪しさがUPしてしまいました。)
贋作度75%

❷も同様に細縁薄肉。面文は肥足寶のようでもあり寶足の開きもしっかりあります。文字周囲の彫り込みも強く、保点は張天保のように弓張り状ですし、通はフ頭通に見えます。不知天保好きなら絶対に注目するでしょう。しかし、ひっくりかえすと細字になってますがどう見ても本座そのものの書体。どゆこと?
私の感覚では
彫り直しと薬品で加工したスタリキ(銅版画の技術で文字などを腐食加工したもの)だと見ます。側面は無極印状ですがわずかに残されたやすり目は本物の本座の痕跡で自然です。背が本座じゃなければだまされちゃうかもしれませんが総合的に見てダメだと判断できます。
贋作度95%

❸は2年前に関東のⅠさんから頂いた品。とにかく見たことがないつくりです。銅と鉛分が多そうな赤黒い地金で地肌は鋳浚いの条痕もなくつるつるすべすべしてます。その上、浅い地に描かれた文字や輪の周囲がこれでもかと深く彫り込まれています。まるで厚い銅の一枚板から彫り起こしたようで慶長通寶の四ツ千鳥や、ある種の清朝銭の母銭のようでもあります。寶字の左右は特徴が顕著でお多福のように地が膨れて一段と高く見えます。さらに全ての文字が加刀で歪んでいて奇々怪々な書体・つくりなのです。美大生が彫金した贋造天保母銭の話を聞いたことがありますが、彫金作家が遊んで作成してみた・・・そんな雰囲気もある。もし、これで書体が広郭手だったら久留米正字を削ってつくった・・・そう考えてしまうかもしれません。いや、そう考えながら極印を見ていたら久留米の彫り直しの否定ができなくなってきた。極印もそれっぽい。頂きに玉が見えてきたぞ。幻覚??しかし、穿内のつくりは当時のもの。久留米広郭だとしたらもっと加工痕跡が残るはずなのにそれもない。
そもそもこ
んなに奇々怪々なのに類品の出現報告を見たことも聞いたこともありません。もし、昔からこの不知銭が認知されているとしたら絶対に泉譜に掲載されるはず。だから怪しい。だからと言って否定しきれる材料もない。異常でありながらも製作にも矛盾がないのです。総合的に見る限り贋作度は低い・・・でも、大化けする可能性を秘めていますが、このつくり真正品とするにはどうしても引っ掛かります。久留米を彫金して作られているとしたら相当上手、芸術です。でも、彫り直しだとしたら元になった天保通寶はかなりの大物・・・無理かなあ。謎だあ。
贋作度55% 

以前のスキャナとの画像にかなりの差がありますね。古いスキャナは本当によかったのですが、ウィンドウズのバージョンアップに対応できず動かなくなってしまった。その後に購入した今のスキャナは色、解像度とも全くかないません。( ;∀;)λ私がしばらく更新しなくなった理由の一つで、画像を撮る楽しみが半減しました。
なお、比較用に卓上に放置してあった本座長郭・・・23.7gある厚肉銭でした。意外に少ないですよ。
❶細字刔輪細縁超薄肉(推定:スタリキ加工+古色付け)  
長径48.4㎜ 短径31.35㎜ 銭文径41.8㎜ 重量9.8g 
本座長郭との合成画像。さらに拡大して頂ければ文字位置、郭の外周ラインがほぼ合致していることが分かります。つまり全体が時間をかけて焼かれた焼け延びではなく、表面だけの古色加工の可能性が高そうです。残念ながら贋作度UPです。焼け延びの場合、高温に長時間晒されるので郭の外周ラインそのものの一致は考え難いのです。
なお、本物の焼け延びの場合外径が50㎜以上に達することがしばしばあります。やはり、焼け焦げ、錆び、変色の天保通寶はダメですよねー。
     
❷異書刔輪長足寶細縁薄肉(推定:スタリキ+彫り直し)  
長径47.95㎜ 短径31.0㎜ 銭文径41.75㎜ 重量15.6g 
   
❸奇書削字(お多福天保:彫り直しの可能性あり)  
古いスキャナの画像。
画像が小さくてもとても鮮明で再現性が高い。 今、この問題は大きい。キャノンは機種の更新をしてスキャン性能を下げてしまった。こちらのほうが文字周辺や輪際の彫り込みがはっきりわかります。ピントと光の当て方の問題だと思います。天保仙人様は悪く無いつくりとのご意見ですが・・・さて。
長径48.64㎜ 短径32.44㎜ 銭文径41.2㎜ 重量22.9g  
 
6月18日【康健VS浩泉丸】
濃厚接触者として自宅待機を命ぜられて全く暇なのだが、今は古銭を整理整頓する気力が全くでない。見事な天邪鬼ぶりである。一応朝、(2時に寝て)5時に起きてから郊外を2時間歩き回り(暑い!)、その後に必要物資を買いだしたら疲れ果ててしまいました。子供の症状はいまだにおさまらず壁一枚の先で激しく咽こんでいます。私の古銭基地が子供の寝室のある2階にあるため日中は可能な限り自粛していました。
さて、康健さんの画像と私の所有品の画像の倍率(銭文径)をそろえてみました。カメラとスキャナーの違いはありますが、極印や砂目、製作状況から同じ系統(炉)であろうと推定はしたものの細部においては全く違いますね。とくに背の刔輪の違いは歴然としています。このあたりは関西のTさんならズバリ「ここは同じ」「ここは違う」なんて指摘ができるんでしょうけど、節穴と化している我が眼には目下その力量が不足しております。さらに我がスキャナーのポンコツぶりが目立つ結果になっている。もともとスキャナーはスキャン方向によって画像が歪む癖があるのですが、これは動きはじめのヘッドの速度が鈍いことに起因すると考えて試行錯誤してみたのですが、どうもそれ以外の作用もあるみたいです。そもそも影のできる位置が光源の進む方向とは逆だし、斜めだし。結局、撮影方向を(影が頭方向に映るように)するのが一番自然だと分かりました。
さて、画像の問題はありますが観察をする限り、一致点は背各城辺の加刀の他、寶前足付近のえぐりと通辵頭上の凹み、通島付近の凹み、天尾付近の地の様子などがありますが・・・他人の空似の範疇かな。銅質も異なりますし・・・康健VS浩泉丸の天保通寶バトルは画像の精度を含み康健さんの圧勝です。
康健氏所有品  浩泉丸所有品 
↑ 背の細縁ぶりが圧巻です! 
 
日本の絵銭
赤坂一郎編 文字絵銭の部
 


画像提供:関東のAさん
6月17日【日本の絵銭】
濃厚接触者になり2日目。今日は完全に引きこもり。しめしめ平日の山歩きがゆっくりできる当初はと目論んでいたが、私が家を出てしまうと感染している子供に食事・水分の提供ができなくなし、。自力生活させると家中が汚染されてしまう。さらに問題なのは親父。運動能力が高く自由に出歩く。放っておくとデイサービスに職員より早く自由出勤してしまう。記憶力と昼夜の区別、清潔の概念の一部と排泄に問題がありますが、几帳面で行動的なので、私は可能な限り家にいて、とくに親父の監視が必要なのです。洗濯も食事作りも後片付けも私の任務。
将来を見越し両親には福祉施設の食堂で食事する習慣を5年以上前からつけてきたので放っておくと忘れて食べに行ってしまう。
ちなみに親父の食事は、私が発案して始めた認知症高齢者の食事難民救済の実証実験で、コロナ禍で範囲は広げていないもののものすごく有効。収益にはならないものの、高齢者と介護者の在宅生活を守る切り札になりえます。これがあるおかげで私は自分の生活パターンが守れているのです。
しかし、隔離生活の今、一日中認知症の父に付き合うのはつらいですね。Wケアラー状態で自由がないし・・・でもとても暇だ。と、いうわけで今夜も先の日付でHP更新。

さて、ここにある和同開珎はすべて日本の絵銭の原品だと思います。(日絵原って書いてありますものね。良く見たら掲載位置まで書いてある。)解説文を読むとこれらの和同開珎は実際にあ和同開珎を写したものであるとのこと。鐚和同としても良いものもあるのかもしれませんが、背の形成を見る限り銭座職人のかかわりを感じるものばかりな気がします。④なんてまさに古寛永の長門銭ですよね。
また、③は覆輪痕跡がそのまま残されていますから、当時の鋳銭技術の様子がうかがえるのではないでしょうか。和同開珎は銭座が新規オープンするときとか、新しい炉を開くとき、特定のお祝いの日などに鋳造したと聞きますのでここにあるものはそんな記念硬貨なのかもしれません。

※日本の絵銭を探していたら畫銭譜がひょっこり出てきました。
遊んでたら頭痛がしてきた。喉も違和感がありアブナイ。感染ったか???
 
   
6月16日【Kさんの張天保】
四国のKさんの持ち物。張天保を初めて見つけたのは私が大学に入学したときのこと。ご馳走してくれるという祖母の言葉に誘われて日本橋まで出かけました。祖母の「ごちそう」というと日本橋三越デパートの特別食堂と決まっていました。通常の食堂とは別階にあり、メニューも食材もちょっと高級なので空いていました。会員専用というわけではなく誰でも入れるのですが、混雑した大衆食堂ではなくちょっとしたセレブ気分が味わえる隠れ家でした。日本橋は私の家族にとっても特別な場所で、千葉のデパートはお買い物の場所で、日本橋のデパートは異世界への小旅行気分だったと思います。日本橋には賞山堂の他に当時は三越、高島屋にもコイン売り場がありました。そして高島屋のお買い得雑銭コーナーで発見したのが下の張天保。このコーナーでは寛永通寶の額輪(とても目立つ)を拾ったことがあってうぶだと感じていました。見ての通り真っ黒で炎にあぶられた可能性があるのですが地肌はきれいに残っています。とはいえ、これはクリーニングした結果の状態で、発見した状態は漆喰まみれで文字も半分ぐらいしか見えずお世辞にもきれいではなかったのです。手にした瞬間違和感を感じ即決購入。値段は1000円以上したと思います。祖母はこっちのきれいな方になぜしないのといぶかしんでいました。店員さんにこれすごいでしょと見せたら、水戸大字だよ~と返してきました。(今思うと間違っているにしても見るべきポイントは押さえています。)
さて、Kさんの張天保、文字が繊細で雰囲気がかなり異なるとお感じになられたようです。それは私の張天保を見たからで、張天保は文字が繊細なのです。奇天手と比べても良いと思います。私の張天保が文字がつぶれ気味だとお考え下さい。それとも肥字繊字の分類があるのか・・・私には分かりませんが過度な期待はしていません。天保の美しさに目を奪われてほしくなっちゃうし。それぐらい、このクラスの天保通寶は入手したら三日三晩祝宴を行いたくなるもの。(異常ですか?)張天保の発見数は意外に多く、4~5例はあると思います。張天保は浅字で地肌がごつごつしているものが多く感じます。その点は奇天手や張天保嵌郭とは異なる気がします。
上の奇天手を入手してしまったとき、あまりの美しさに作りものじゃないかと思ってしまったぐらい。支払いのためにとっておきだった10万円金貨5枚を銀行に入金してしまった馬鹿野郎です。妻には秘密だったからね。ばれてたとは思いますが干渉してこなかったら助かりました。古銭の自慢をすると早く売れとはよく言われましたが。四国のKさんはジャンク品大量購入専門で選りだしを楽しんでおられるようで感心します。当然ご家族にはバレバレでしょうから、優しいご家族に囲まれて君臨しているのでしょう。それとも家族に平身低頭尽くしてお許しを乞うているのかな。
※サイズを教えてください。
 
6月15日【これぞ仙台絵銭I】
関東のAさんから絵銭の画像を頂戴しました。仙台絵銭というからには古寛永の仙台銭の色じゃなくちゃいけませんね。ここに掲示した叺駒(かますごま)和同は小型の絵銭。カマスはムシロを二つ折りにして縄で縛る簡易な袋で炭や野菜、肥料などを入れたと言います。この絵銭は白銅質のツヤが美しく、彫りも見事なつくりでおそらく鋳浚い母銭でしょう。和同開珎の文字が後半に行くほど大きくなっているのはなんらかの意図があってのことかしら。末広がりとかね。駒を引いている猿?が寝っ転がっていてとてもシュール。左手に持っているのは桃なのか?本当に不思議なデザインです。
珍開和同左駒も文字が切れ切れですから母銭ですかね。地もとてもきれい。Aさんは絵銭は余技のように仰っていますがなかなかどうして素晴らしい品々をお持ちですね。和同開珎は順読ですけど珍開和同は対読で文字の配置が異なります。尓の小が久になっていますが、旧字にこの形はありません。同様の変化として、琉球の乎形刻印の彡が久になっていることがあげられます。彡=久なんですね、崩し字の関係かな。
 
月星寛永(昭和泉譜 絵泉譜原品)
仙台絵銭 御蔵銭駒曳
仙台絵銭 珍開左駒背寛永
6月14日【絵銭寛永】
平成14年の銀座コインオークションに出品されたもので昭和泉譜や絵泉譜などを飾った有名品。かつての持ち主は堀光文堂師。お金を払ってでも欲しかった寛永銭の第2号です。(第1号は同オークションで出品された火炎宝珠寛永。)通寶の文字部分に月星をはめ込んだ母銭から生まれたもので、文字が接郭することから岡山小字が原型かもしれません。同時出品の寛永鬼鍾馗も欲しかった。
仙台絵銭もおそらく同じときに入手したものだと思われます。面文は覆輪の御蔵銭でなのですがなぜか仙台絵銭とされます。理由は伊達家から出たとされるものの中に中央の御蔵銭駒引の系統の鋳浚母銭があったと言われるから。赤い銅質は東北特有のもので独特でかなりの古鋳の雰囲気がありますが、仙台絵銭としてはやや異質で後期のものかもしれません。
珍開左駒背寛永は珍開(和同)左駒と呼ばれる仙台絵銭の一種。面文は和同珍開という少々ふざけたデザインで背に猿駒曳図のあるもの。駒の位置は向かって右側に見えますが、古銭は人間の体と同じ見立てが本来でで左て側に駒があるので左駒なのです。製作から見て御蔵銭駒曳と同じような雰囲気です。
 
6月13日【刻印銭】
刻印銭の収集は余興だとまず御心得ください。躍起になって集めるものではありません。(私は躍起になってました。)強いて集めるなら由来がはっきりしているもので、ここに拡大掲示した2種以外は諏訪神社ぐらいか。旭堂とか五とか是とかあと一歩で由来が分かりうそうなものもありますが・・・しょせん遊びなんです・・・でも面白くなっちゃうから困る。。
谷中の日荷堂(にちかどう)の刻印銭はなぜか日本貨幣カタログに掲載されていますので、知名度はとても高いのですが、かなり少ないものです。日荷上人は健脚の神様。足の病の守護者とも。日荷上人は夢枕に現れた仁王様のお告げを信じ、仁王像を担いで当時住んでいた横浜から身延山まで三日三晩かけて運んだとか。この刻印銭の製作の目的は戊辰戦争で焼失した延寿寺日荷堂の再建上棟式のためで明治43年10月10日のこと。
四文銭は明和期の二十一波に鍍銀したもの。今のところこの書体以外のものは見たことがありません・・・というよりこれ以外は見たことがない。それもそのはず来賓用に50枚しか作られていないそうで、タトウ入りで配布されたそうですがそのタトゥはそれこそ見たことがありません。一方、一文銭は一般来客用の撒銭として1000枚以上作られたとのこと。こちらは何度か見たことがありますが鍍銀はされていません。
日荷堂刻印上棟銭は記念コインのようなものですが由来等がはっきりしているので称揚されているようです。この点は玉塚天保と同じですが玉塚天保は企業が考案・配布したノベルティグッズですからかなりの種類と存在数があるはず。これを世間に広めたのには天保仙人様がかかわっているとか。
阿弥陀三尊梵字刻印銭は浄土宗の信仰のお守り銭もしくは上棟銭。銀の成分から見て、明治期以前にまでさかのぼれる古い刻印銭です。ただし世の中に阿弥陀様(三尊)を本尊にしているお寺はごまんとあるのでどこにルーツがあるのかは全く不明。
ところでここにある鍍銀銭には銀成分に共通の特徴があり、それが時代を鑑定する上での根拠になっています。つまり、この鍍銀銭には本物の当時の銀が使われていること。この手法は現代の銀メッキ(電気鍍金・シアン等を用いる化学鍍金)とは異なります。(水銀を用いるアマルガム鍍金)この成分鑑定は古い銀鋳造貨幣の真贋の判定にも役立つと思われます。日荷堂の銀被膜は溶解した銀にどぶ漬けしたようにかなりぶ厚く感じます。(昔の技法が色濃く特徴が強い。)一方、梵字金銭の成分は謎。鍍金の時代も良く分かりません。
刻印銭収集は余興とはいえこれらと諏訪神社の春宮、秋宮、石鳥居は押さえたいところですね。日荷堂のカタログ値は5000円。でも、5000円買えるなら苦労しません。存在する数の上からならきっと富本銭なみに少ないと思いますよ。なお、鍍銀の鑑定の方法はとりあえず秘密。皆さんでお考え下さい。

明日は妻の三回忌法要です。が・・・子供が39度の発熱とのどの痛み。大ピンチです。血中酸素濃度94%しかない私と93歳の祖父。罹ったらいちころ。今月の八厘会も成田空港への出迎えの要請が入ってしまいOUT。(それも行けるか分からない。)ついていません。
刻印銭は簡単に作れることから贋造が極めて多く見られます。
とくに米字刻印、下田刻印、輪十(場替・二つ打ち)寛永は複数の収集家が贋造に手を染めているため、もはや正品は市場に無いものと割り切って手を出さない方が賢明です。こうしたものは銭体に直接刻印をするため新しい打刻痕跡がはっきり残っていますが、贋造から時間が経つとそれなりに古色を帯びています。
なお、米字刻印、下田刻印に比べ、輪十寛永は真贋鑑定する方法がわずかに残されています。鋳造の過程を調べればわかることなのですが、明かしてしまうと悪用されるためここには書きません。手を出さないことです
 
6月12日【バブルだね~】
休日出勤から戻ってきて椅子の上で寝落ち・・・。3日連続のこと。目を覚まして何気にネットを開くとものすごい数字が飛び込んできた。咸豊通寶の大銭かぁ、えっ・・・い、いちじゅうひゃくせんまん・・・と思わず指折り数えてしまった。出品価格は1000円だから9000倍以上の高騰である、いや暴騰と言った方がふさわしい。残り時間5分未満の中、かろうじて画像だけ採集。
日銭稼ぎのためせっかくの休日に汗水流しているのが馬鹿らしくなる、しかも今日の仕事は制度変更への対応と職員にボーナスを払うためのお仕事で、私には1円の儲けにもならない。よく考えたら私は管理者なので残業や休日出勤は無償、嗚呼~。)いや、この作業を残業で一般職員にやらせたらお金がもったいない・・・という訳で心身と自分の収入の一部を削って職員への再分配・・・美談だなあ。この古銭一枚あればすぐに叩き売ってやる・・・と言っても自分の好きな寛永銭や天保銭は売れないですね。
清朝銭譜を紐解くと背の満文は福建局みたいです。清朝銭譜には大銭の分類は載ってないので価値は不明。中国の人は大銭の「福」はいかにも好きそうです。子供の頃古銭バブルが起きて東京オリンピックの1000円銀貨が1万5000円ぐらいになったことがあります。当時の私のお小遣いは月600円。同級生と比べてもとても少なかった。しかも駄菓子、漫画禁止、テレビは大人優先ときたものだ。(駄菓子屋はよく行ってましたが150円の激安ミニカーばかり買っていました。)ところが泉譜は本だからという理由でなぜか親からの支援がもらえたので清朝銭譜も購入しています。何せ当時は清朝銭や安南銭はゴミくずのような扱いでしたから私にも買えたのです。咸豊通寶の大銭も投げ売り状態だった気がします。清朝銭といえば台湾局の康熙通寶のとても大きなもの(清朝泉譜190番と同格の極美大銭)を持っていたのですが隷書の開元通寶とともに格安で手放してしまった。あれから一度も見たことがありません。( ;∀;)
さて、今回のバブル古銭果たしてそこまでの価値があるものなのか。そして私が所有する日本の古銭類・・・はたしてどれだけの価値があるものか。この1枚に負けたら悔しいなあ。でも今売るのは大変そうです。バブル来てくれないかしら。
 
欠頭通跳尾大の大世
6月10日【大世通寶の手替わり】
琉球の貨幣は封印銭・中山通寶・大世通寶・世高通寶・金圓世寶、あとは薩摩藩が鋳造した琉球通寶と半朱が存在します。封印銭は小型の鳩目銭を集めたもの。これらについて詳しく記述しているのは2018年11月3日と2019年11月3日の制作日記をお読みください。この2年間は琉球の貨幣に興味を持って熱病のように調べたようですが、完全に忘れちゃってます。お恥ずかしい。ただ、記述している内容には風聞もあって間違いがあるとは思うものの実に良く調べていたと感心します。是非ご一読ください。
琉球の貨幣の歴史は古く、ただし確実な記録がほとんど残っていないのですが1400年代(室町時代)にまで遡れそうです。以下が主な歴史。
大世王 尚泰久(在位1454-61)
大世通寶(たいせいつうほう)を鋳造。
世高王 尚徳 (在位1461-69)
世高通寶(せこうつうほう)を鋳造。
尚圓王 尚圓  (在位1472-76)
金圓世寶(かなまるせいほう?)を鋳造。(推定)
尚真王 尚真 (在位1477-1527)
中山通寶(ちゅうざんつうほう)を鋳造した?
さて、ネットで変な大世を発見し画像収集しました。琉球の貨幣の泉譜は少なく、今のところ最も良い文献は方泉處第2号だと思います。掲示の大世通寶は昭和泉譜に缼頭甬(けっとうよう)類と言う名であるものに正合します。また貨幣誌に奇字跳大として紹介されたことがあるようです。方泉處2号には大世が25種類も掲載されています。多分これ大珍品ですね。ちなみにこれらの琉球銭は沖縄ではほぼ発掘例がなく、わずかに大世と世高通寶の1例ずつがあっただけじゃなかったかしら。


※缼(けつ)・・・缶(かん・ほとぎ)+欠。もともとは欠ではなく缼(けつが正しかった。缼と欠は別の文字で欠はアクビを意味し「けん」と昔は読んでいたらしい。欠は缼の代用文字として使われていたが、いつしかとって代わったらしい。ついでに読み方も変わってしまった。
ちなみに「缶」をほとぎと読めるのは古銭好きぐらいじゃないかしら。洪武通寶の缶寶はあまりに有名なのです。「ほとぎ」は水を蓄える甕や瓶子、産湯用の容器の意味で、昔は「かん」とは読まなかったそうです。CANはおそらく外来語(オランダ語)で水筒か何かの水の容器の事でしょう。女陰も古語で「ほと」なので形状から関係あるかと思ったが関係なさそう。最後が下品になってすみません。


※画像検索に引っ掛からなくなってしまった。取り下げられたか?誰か教えてください。
 
長郭手 刔輪細縁(赤銅)
長径47.87㎜ 短径31.6㎜
銭文径41.1㎜ 重量18.2g
 
長郭手 面強刔輪細縁
長径48.2㎜ 短径31.8㎜
銭文径41.1㎜ 重量17.7g
 
長郭手 面背強刔輪直足寶深淵
長径48.5㎜ 短径32.4㎜
銭文径40.4㎜ 重量19.0g
6月9日【長郭手細縁刔輪】
一番上が最近収集誌で入手した天保通寶です。フォルダーやタグには細縁小様とか長足寶とか書かれていますが出品者の鑑定で赤いペンで消されたようなのですけれど、間違いではないので消さなくても良かったと思います。タグがあったので泉譜に掲載があるのではないかとざっと探りましたが見つかりませんでした。かなり赤銅質で強く磨輪されて鋳写しされた細縁銭。刔輪は面の下部のみがが強烈であとはさほど強くありません。長径48㎜を切るので縮形の範中にも入ります。文字変化は寶足が長くなる以外は細点保になる程度でほとんど目立ちません。
強い磨輪により細縁になった天保通寶は良く見つかりますが、はっきりした刔輪を伴うものはそれほど多くありません。ただし、本当に少ないのは銭全体が強刔輪になっているタイプ。お手持ちの天保銭を調べてみてください。少ないですよ。
と、言うわけでその少ないタイプを掲示。
中段の品は面強刔輪タイプ。天上の刔輪が強烈です。一度写しであり、書体変化は寶足以外ほぼありません。このタイプの不知銭はあまり評価が高くないのですが存在数はどうしてどうして、めったに見ることができません。このように細縁銭の天保通寶は摩耗が非常に強く使い込まれた感があるものがとても多いように感じます。鋳肌も非常に滑らかです。薄肉で重量も軽い品が多いのではないかしら。このことから2012年8月18日に覆輪技法の仮説を掲載していますが、私はこの説はあながち間違ってはいないと思っています。母銭として私用したと考えた場合、証拠隠滅を考えるとそんな覆輪技法もあっても良いと思うのです。
下段の品は面背とも強刔輪の細縁銭です。これはさらに少ないはず。この品は不知天保通寶分類譜で刔輪で寶足が長くなることを説明する図として出て来るなど強刔輪のお手本の品です。最近、類品がネットに出てきて20万円ぐらいの価格が付いていましたね。
私の今のスキャナーは性能が今一つでピントが合わず寶足の先端が上手に映っていないのが残念。なお、これは覆輪2度写しの品ですけど、刔輪が強すぎて覆輪には見えません。だから覆輪の名は冠せなかったのですが、間違いなく覆輪銭です。
※寝不足生活がずっと続いています。夜明けが早くなり、猫どもが4時30分をすぎると餌をねだりに起こしに来ます。前の日の餌が残っていたってお構いなし。父も相変わらず早朝・深夜から活動していますが、以前よりは激しくなくなってきました。とはいえ朝食は5時前後、夜歩く生活は続けていて寝るのが午前1時から2時にかけて。今の私の生活です。死ぬかもしれない。
 
6月8日【狭足寛背濶縁大郭大型母銭】
関東のAさんに見せて頂いた古寛永です。外径は25.59㎜で、新寛永だと文銭の大きなものぐらいなのですけど古寛永で25㎜超は相当大きい。大様とすべきなのか大型とすべきなのか私には良く分からないので大型母銭としてしまいましたが、手本銭(ひょっとしたら御用銭?)とすべきものかもしれません。それだけ特別な品なのでしょう。
鋳だまりもなくおそらく母銭。久泉研究資料によると狭足寛の背濶縁大郭は大ぶりのものが多いとありますが、24㎜クラスまででやはり25㎜超過は別格。ひょっとしたら新寛永の錫母にあたる原母?なのかもしれませんね。どなたか教えてください。(そうだと推定されるようです。)
普通の狭足寛は背がはそれほど濶縁になりません。広郭のものは濶縁気味になり、なかでも久泉研究資料が大郭と名付けた背の濶縁が非常に強いものはまるで「蛇の目」のように幅広で、久泉研究資料は別の系統であるのではと示唆しています。
本品は彫りも深くかわいいじゃありませんか。
6月5日の錯笵も素晴らしかったけど大きさは24㎜台なので、この品がいかにすごいものであるかはそれだけで分かります。とにかくすごいし美しいです。(拍手!)
※はじめに作られた段階から大きいものだ・・・と思っていましたが覆輪されて大きくなっているとのこと。よく観察すると複数の覆輪痕跡が残っているそうです。(本当だ、面側左下にはっきり筋が出ています。他にもありそう。思い込みでした。失礼いたしました。)
雑銭掲示板でみなみ様が投稿した古寛永がまさにこの系統。破損があっても拾うなんて素晴らしい気づき。お目が高いです。
 
不知長郭手狭足寶(次鋳)
長径48.3㎜ 短径31.85㎜
銭文径40.4㎜ 重量17.7g
不知長郭手狭足寶(次鋳) 
長径48.1㎜ 短径31.9㎜
銭文径40.4㎜ 重量17.2g
不知長郭手狭足寶(初鋳大様)  
長径48.93㎜ 短径32.4㎜
銭文径40.85㎜ 重量20.5g
拡大図 
6月6日【狭足寶大様】
狭足寶をまた入手してしまった。
狭足寶は3枚目、いや(状態の芳しくないものを含むと)4枚目かもしれません。基本形は鋳写の覆輪銭ですけど、覆輪の強いものは少ないと思います。私の所有するここに掲示した3枚はいずれもインターネットで見つけて落札したもので、同じ特徴を持った兄弟銭だと思います。もしかすると1、2枚目と3枚目は銭文径が異なるので親子関係と言っても良いのかも。ただし、天保仙人様は「狭足寶には次鋳銭がある」と仰ってましたので上2枚が次鋳で一番下が初鋳というのが正解かもしれません。
狭足寶の特徴は寶足が開かず狭い・・・と言いたいのですが、拡大図を見れば分かるように前足は垂直になっているのではなく、削字によって寶足先端の開き部分が陰起してあたかも寶前足が垂直に降りているように見えるのが真相。ルーペで拡大してみると狭足寶には見えないのですけど、肉眼ではしっかりと狭足寶に見えるから不思議・・・だまし絵みたいです。この不知銭は寶下の輪際と郭の周囲の削り方が特徴的で識別・鑑定ポイントになっています。3枚の共通の特徴をご確認ください。
さて、今回入手した3枚目画像のものはヤフオクで桐箱入りの3枚組み物で出品されていました。すべて不知銭となっていましたが、画像でもかなり怪しく見えましたのでほとんど追随応札する人はいませんでした。
実際に組み物の残りの2枚は本座銭で、届いた品を一目見たときは「あー、またやっちまったかな」とい思いましたが、この1枚だけが正真正銘の不知銭でした。(ラッキー!)

ところで狭足寶の極印は(4枚とも)今一つはっきりしないのです。今回の入手品も浅い不鮮明極印が打たれているだけ。他もとても桐とは見えない極印だったり、そもそも極印なのかさえ良く分からない瑕のような痕跡だったり。砂目は感じないし、輪際の削り方が5月28日の変造天保と同じ歯科技工ドリルのような技術に見えてしまうので何となく時代が降る印象を受けてしまうのは私だけでしょうか。銭文径の縮小度も一般的な不知銭の0.7㎜刻みの縮小とは異なりますが、これは計測技術の問題かな?
とはいえ今回の入手品もきちんと一度は写しが行われている品ですし、鋳写しの鋳造技術はしっかりしています。私の抱く違和感は謎(杞憂)ですかね。

※郭の周囲の削りとそれに伴う郭の外周の変形と下部の輪際の削り方(形状と深さ)に共通の特徴があります。寶右側の輪のかすかな出っ張りが一番わかりやすいですね。
※組み物の入っていた箱には❶長郭手張足寶(一目本座)❷長郭手小様薄肉(本座を加工したもの)❸長郭手狭足寶覆輪とありました。実は❷は期待していたのですが・・・残念。
 
6月5日【美しすぎる錯笵】
関東のAさんのコレクション。非常に美しく母銭を思わせるつくり。だよな~と思ってみるとびっくり、背が大ずれです。なんとかわいい子だろう。目が錆びついていて奇永の書体が分からなくなっていた私ですが寛足が後ろにずれて狭いことなどから本能的に狭足寛の背濶縁だろうと判断しましたが、こんなにきれいな狭足寛は見たことない。古寛永泉志を開いたけど美銭が少ないと書いてあります。ちなみにこの手の銅質と書体は岡山と水戸に多く見られますが岡山は基本は刔輪なので文字が郭に寄ります。ただし進永類と短尾寛の類は離郭書体なんで、じっと見ていると違いが分かります。進永や短尾寛は文字に太細がなく棒状。さて、このように美しいつくりは広永とか勁永の類に多いのですけど・・・だからこれは特別製なんででしょうね。背のずれっぷりと言い、銅質の練れと言い、切れ切れの文字と言いほれぼれしてしまいます。私、おかしいですか?
※夜散歩してます。約6㎞を1時間15分ぐらいで歩いてます。私が今住んでいる地域は人口密度が高いのですが、山を切り拓いて複数の団地を造成した経緯があるため周囲に雉、鶯、タヌキ、リス、イノシシなどが無数に生息しています。キョンの不気味な鳴き声が聞こえることも。
イノシシには何度か出会ったことがありますが、夜に遭遇するとちょっと怖い。遭遇する場所は団地と団地をつなぐ谷あいの場所が多く、ときには親子連れの団体で出てきます。けもの道があるのです。
今日はくだんの場所を通りかかったとき、すぐわきの藪の中をガサガサ移動する何かがいる・・・。やばい、近すぎる・・・と焦ったのですが、相手も同じ気持ちだったらしく動きを止めてくれました。以前、路上で4~5頭の集団に出くわしたことがありました。暗がりに何かがいるなと目を凝らして近づいたら数m先の藪から次々にイノシシが出てきたのでさすがに焦った。一瞬にらみ合ったあと、イノシシ集団は私と反対方向の住宅街に一斉に(一気に)走っていった。住宅街の路上に人や車がいたら大騒ぎだったでしょう。あれは一番やばかったです。私の街ではイノシシに衝突されて車をお釈迦にした人が何人もいます。車体が曲がっちゃったという人も。職場の駐車場脇の藪が一時期イノシシの寝床になっていて、危険防止のため藪を刈りこむようにしました。砕石で固められた地面は掘られてぼこぼこだし、草が横倒しになった寝床は獣臭いし。君子蘭の花が自然繁殖した場所があったのですが、イノシシに根こそぎ食べられた事件もありました。そのときはまるでユンボで地面を掘られたみたいで、何も知らなかった当時の私は警察に通報してしまいました。花泥棒じやないかって。さらに、市内で一度山の主のようなイノシシにであったこともあります。白昼の市街地を堂々と2頭で歩いていて、交差点の手前では一斉に車が止まってしまい、皆見とれてました。2頭とも大きかったのですがそのうちの一匹がもののけ姫に出てくるようなキングサイズでした。あの巨大なイノシシ(2m級)・・・もう一度見て見たい。
 
6月3日【箕枡絵銭】
Aさんと泉談をしていて撮影させていただいた画像です。「畫銭燦」は穴銭友好クラブで絵銭を特集されたときに作成された銭譜と聞きました。(記憶違いだったらすみません。)その巻頭を飾ったのが掲示の「箕枡」。単独絵銭で最近の泉譜での掲載は見かけない。穴カタ日本に単独絵銭(母銭)として異品が掲載されているぐらいかもしれません。畫銭燦には浅間南蛮渡来船をはじめ名だたる絵銭の名品が数々あるのですが、それらを押しのけ巻頭にあるのが痛快ですね。当時の会長さんの計らいのかもしれませんが、それだけ珍しいものなのでしょう。実に味があります。
Aさんはこの絵銭の背がとくに気に入っているとか。なるほど明和期亀戸四年銭によく似ています。Aさんは絵銭は素人と仰りますが、なかなか素敵な審美眼をお持ちのようでそれがまた目にとまったんじゃないかしら。
ところでこの手のデザインの絵銭に「鍵枡和同」なるものがあります。あくまでも俗説(妄想)ですが珍は男根=鍵、開は女陰=枡を表し、子宝に恵まれる・・・銭が銭を生み財が増える事をも祈願したと言われています。個人的には枡は錠前のようにも見えるのです。Aさんの絵銭の右側部分は陰起している部分が多いのでひょっとしたら右側は和鍵(雄鍵)なのかもしれません。そして左の枡はあるいは錠前(雌鍵)なのかも。和同開珎は時計回りに和同開珎と置いてある順読と呼ばれる文字配置。それに対し鍵枡和同は和同を上下に置く対読配置です。この絵銭は対読で、右を鍵と仮定しますと、左に枡があるのでもし和同の文字があるとしたら和銅珍開になるはず。
そうした文字配置の絵銭に「珍開和同」なるものがありますが、2文字でこの配置は珍しい。

いつの時代も男根女陰はみんな大好きでして、観音開きでさあ御開帳と言ったことも大好きなんです。ついでにお金も大好きときたら・・・俗物極まりないですね。寶珍よりやっぱり男は珍寶なんでしょうかね。
とはいえ、この絵銭は銭座の真剣な願いが込められた神聖なものかもしれません。こんなエロ与太話・・・皆さん忘れてください。覚えたってちっとも役に立ちませんから。

※拓は泉譜には和漢銭彙、昭和泉譜、古銭大鑑、畫銭譜に出ているそうです。古くからある絵銭のようです。この絵銭は撰銭で見つけられたそうです。この彫の深さなら指に引っ掛かりさぞ吸い付きが良いでしょう。触って楽しめる絵銭ですね。

※箕は選りすぐった実を選び出すもの。枡は入れるもの +と- の関係ですね。やっぱり男女の象徴なのかも。

※畫銭譜は持っていたので確認しようと思ったら行方不明。ブランクの間未整理だったのですが遅々として作業が進みません。
 
6月2日【厳原藩札の行方】
この藩札は納まるべきところに収まりました。譲渡価格は100万円・・・といいたいところですけど、その100分の1+アルファ。損して得取れと言いますけどそんなに上手く行くものじゃないです。儲かったらおごってくださいHさん。
ちなみに私の地元市原市には藩が4つ存在していました。
一番古いのが姉ヶ崎藩で1607年から1627年の間に存在しました。初代は松平忠昌(福井松平家の祖)、2代目は松平直政(出雲松平家の祖)。お~、あの古銭大名の松平治郷公は松江藩10代当主。私の祖先はこのときに市原に来た旗本の系譜・・・多分そうたったんじゃないか劇場です。松平家の菩提寺だった森巌寺には葵の紋の位牌が伝わるとか。(昔、聞いたんですけど・・・)
鶴牧藩は1827年に今の姉ヶ崎小学校の地に陣屋を構えたのがはじまり。初代は幕府で若年寄を勤めていた水野忠韶。2代が忠実、3代が忠順と続く。水野家は家康の母方の於大の方の系譜。戊辰戦争のときは佐幕派と見られていたため中立を保つのに必死だったとか。学問好きで藩校を起こし、鶴牧藩版の史記評林の編纂に心血を注いだとか。
菊間藩(水野忠敬:沼津藩5万石)と鶴舞藩(井上正直:浜松藩6.2万石、なんと老中だった人。)は徳川宗家の駿河・遠江入りに伴い1868年に転封されて1871年までごく短期間存在した藩です。いずれも当時は未開に近い原野山林を切り開いて急いで城下を作ったのではないかと思われます。ですから石高は名目であり「高が知れている」と思われます。特に鶴舞藩のおかれた場所は今でも森深い山の中。酷いぞ明治新政府。その地区のキャッチフレーズは「日本最後の城下町」とか・・・知らなかった。ただし城下の人口は1732人(明治19年)と微妙・・・でも今よりずっとにぎやか・・・城下町がむなしい響きに聞こえます。アクセス最悪の場所ですけど、大きな病院と老人ホームだけが異彩を放ちます。
菊間藩の陣屋があった場所は「雲の境」と呼ばれていたそうで、今は個人宅の空地にして元ゴルフ練習場。武家屋敷が集まっていた場所は「徳永町(徳川家よ絵永遠なれ!?)」と名付けられていますが、今でも道は狭く益は比較的近いのに交通はひどく不便で、そのため御成街道と呼ばれた武士のための通勤路が作られ今に残ります。鶴舞藩よりはましですが辺鄙な未開地への転封で明治政府は実に底意地が悪い。
藩札は菊間藩と鶴牧藩に確認されてはいるものの、いずれも日銀コレクション以外は皆無と言ってよいくらいです。私は見たことありません。どこかにないかしら。対馬厳原藩札も短命だし、最高に辺鄙な地だから貴重だと思いますよ。

ちなみに・・・市原市には、古代の山城もたくさんありました。三浦半島からは房総半島は目の前。海路では鎌倉とすごく近かったからなんですよね。
市内の城(古代の山城・砦~江戸期の城と陣屋)をざっと記した資料がありましたので記しますと 安須城、姉崎台城、新生城、有木城、飯沼城、池和田城、石川城、磯ヶ谷城、伊丹陣屋、市原城、岩井戸城、岩野見城、犬成城、犬成向山城、牛久城、馬立館、潤井戸陣屋、潤井戸館、大桶城、大坪城、大羽根城、大厩館、大宮部田城、荻作館、奥野城、押沼城、小田部館、小野山城、海保城、海保堀ノ内館、風戸城、神代城、上高根城、木々城、吉沢城、勝間館、菊間陣屋、菊間館、君塚城、草刈城、久保館、五井陣屋、高坂城、光明寺館、小草畑城、古敷谷城、金剛地城、西広城、佐是城、椎津城、椎津正方山城、市東城、嶋野土腐館、下矢田城、白塚館、白船城、真ケ谷城、陣馬台砦、雀ケ崎城、瀬又城、高倉城、高田城、高滝陣屋、武士城、月崎城の腰城、月崎みさご城、土宇城(大城・烏城)、土宇南頓木城、土宇堀ノ内館、鶴舞城、鶴牧城、中高根下ノ根館、永藤城、新堀城、西国吉城、根古屋城、根田城、能満城、葉木城、畑木城、原田城、百枚田城、平蔵城、平蔵城部田城、奉免白山城、堀ノ内館、本郷堀之内館、本郷明金城、万代城、引田城、琵琶首館、松崎館、丸山城、御園生館、南岩崎城、皆吉城、皆吉橘禅寺城、皆吉堀之内館、宮作城、宮原御所、妙経寺館、村上城、諸久蔵館、山小川城、山木城、山口城、山田城、八幡御所、八幡陣屋、山倉城、夕木城、米沢中野城、分目要害城 とありました。すべてが存在したと証明できたわけではないようですが、こんなにあったんですね、これを調べた人すごいです。
古銭と関係ない話になってしまいましたね。
 
5月31日【踏潰銭母子:関東Aさんコレクションより】
踏潰銭はその昔、秋田踏潰の名前だったと思います。泉譜にはたしか悪名であると書かれていたように覚えていますがその独特の風貌に圧倒されました。実物に出会ったのは横浜のドラゴン商会のお店に行った時の事。当時は高校生だったと思います。京浜急行の井土ヶ谷にあるそのお店・・・たぶん、収集誌か何かに広告が載っていてそれに惹かれて千葉から足を伸ばしたんじゃなかったかな。私にとってはじめてのお使いのようなもので、京浜急行に乗るのもはじめて。快速や急行に乗ると別料金を取られると思いひたすら各駅停車で井土ヶ谷を目指しました。そこではじめて踏潰銭を見たと思います。
それからしばらくして、私は志望大学に合格。ご褒美に踏潰銭をねだって買ってもらった事を覚えています。
さて、Aさんの踏潰広永・・・右側が母銭。大きさもさることながら背の形成が素晴らしい。鋳だまりの位置も母子で一致。なんということでしょう!いい仕事しています。
どうしてこんなに大きくて目立つ密鋳銭が東北で作られたのか・・・本当に不思議です。かつて悪名と評された名前も私にとっては心地よい響きです。多分鋳造場所は秋田じゃないと思いますが、それにしても立派ですね。この銭を見て降雪の残る横浜の街を京浜急行でガタゴト移動したことを改めて思い出しました。今から40年以上前のお話です。


※アクセスカウンターが壊れてしまいました。修復ができない。
 
 
 
 
5月29日【これなんだ】
古銭からしばらく離れていたら目がすっかり節穴になりました。関東Aさんからお見せいただいた奇永が分からなかったのは超恥ずかしかった。と、言うわけで皆様にも問題。
❶は幸せ絶好調のタジさんの入手品。これは超有名。銭形独特ですね、文字も独特。稚味、雅味といえばこの天保通寶のことてす。見る品見る品ごとに書体が違って見えるから不思議ですね。こんなすごいもの複数入手しちゃうなんて、なんて人だ。お~い、こんなものに手を出しているとふられちゃうよ。私も欲しい。

画像にするとずいぶん金ぴかになったけど実物はもう少し落ち着いた色・・・ただし、未使用なのは間違いないところ。一瞬、鍍金銭に見えてしまうけどむしろ背の地には銀色っぽい金属色がうっすら見えるような気がする。(どうやら幻視らしい)九州からお越しのTさんの白銅母銭の足元にも及びませんが、この種でこんな発色のものは私は見たことがありません。肉眼では白黄色といったところですけど、ルーペで見ると本当にきれいな金色です。これも昨年東京コインショーで入手したものだったと思う。このときは他にも未使用天保ばかり探し出しました。よい子はこういう買い物しましょうね。

❸は前所有者が不知広郭手覆輪小様と名付けていたもの。コインフォルダーには土佐額輪小様?とまで書かれていました。背の斜線は何かを落とした瑕です。
八厘会で何気なく出していましたが皆さん気が付かなかった。画像の色を調整してみました。実物はもう少し地味で黒っぽい感じです。この方が分かりやすいかも。長径47.7㎜です。簡単でしょ。

→ 解答はこちら
 
変造長郭手刔輪
5月28日【変造天保】
この変造天保通寶は私の黒歴史の一つ。でも傑作ですね。歯科技工の工具を使って本物の天保通寶を削って加工しているだけなのでやすり目などは本物。だからだまされます。拡大すると輪の太細の不自然さが良く分かります。もっと拡大すると旋回ドリルの痕跡が見えます。
八厘会において天保仙人様からこの天保通寶の作者と思しき人の名前を聞きました。ただ、うのみにできないところも多分にあります。
贋作者とされる人の多くは「販売に関わった人」であり、製作者ではないケースも多く、それどころかはじまりは贋作を掴まされた被害者だったのかもしれません。作者であっても贋作として売る意図が端からあった訳ではないことも多いようです。
一方で損失を避けて転売をした人もいれば、小遣い稼ぎ目的で転売をする人もいるし、企画して製作依頼する者もいるなど様々です。
この天保銭の作者ではないかと噂された人物(仮にAとします。)ですが、その昔、変造の天保通寶母銭を大量に掴まされたように聞いています。困ったAは同業者のBに相談したところ安い値段ですがそっくり買い取ってくれたそうなのです。ところがそのBが変造天保を巷の収集家に高額で販売してしまったから大変です。変造天保はB天保と俗に呼ばれています。Aはそのため加害者側に名を連ねてしまいました。いえ、もしかするとA本人がその変造品を作ったのかもしれません。真相は誰も分からない。
Bは問い詰められたらきっとこういうでしょう。「私ははじめから本物とも贋物とも言っていないし、これをつくってもいない。転売はしたが入札して値段を決めたのは購入した人らだ。」
さて、掲示した変造天保、つくった人が悪いのか、作らせた人が悪いのか、売った人が悪いのか、転売した人が悪いのか・・・もし私がこれを不知天保として販売したら私も悪い人になるのでしょう。でも、贋作としてこの天保通寶を手放したあと、誰かが本物として求めたり転売したりしたら誰が悪いことになるのか・・・。本来ならば悪意ある変造品として廃棄処分すべきなんですけど、やっぱり処分できないよなあ。
A御子柴 B瓜生

盛岡銅山陶笵事件について
盛岡銅山と言えば天保通寶型の地方通貨としても有名なのですが、その中に二期銭とかつて呼ばれていた贋作品(レプリカ)が存在します。その製作依頼をしたのは教育者にして郷土史家の新渡戸仙岳でした。
さて、この盛岡銅山のレプリカを製作依頼した新渡戸仙岳、新渡戸に依頼されてレプリカを作成したⅠ氏とM氏、レプリカを東京へ持っていって小遣い稼ぎをした若き日のM氏・・・誰が一番悪いのか。新渡戸は悪意がほとんどなかったと思われますが、レプリカを作成して小遣い稼ぎをもくろんだと言われれば当たらずとも遠からず。レプリカを作成したM氏は地元の新聞に新渡戸は経済的に困窮していたから・・・などと悪意ある存在として証言しています。記事を読む限りそこまで話したM氏本人も実に怪しい、それとも馬鹿正直な人なのか。東京でレプリカを販売したM氏はこの中では一番悪いのですが、はじまりはほんの出来心なのかもしれません。そのM氏は著作などもありますがこの件に関しては実に歯切れが悪い表現に終始していますので責任は感じていながら、自分に火の粉がかかるのを避けている感じがします。真相は闇の中ですけど一番損をしたのは間違いなく新渡戸。結果的に自分で蒔いた種と言えば相違ないとはいえ、彼の功績である収集情報は非常に貴重。彼は古銭収集家でもブローカーでもないので気の毒な気がします。 
宮寿 砂子澤 水原庄太郎
 
5月25日【古銭会解禁】
関東のAさんにお預けしていた不知4文銭を1年ぶりにお返し頂きました。八厘会の前に待ち合わせということで自宅を6時30分前に出発。我が家の親父様は現在体内時計が破損状態。昨夜は午前2時30分に起床して活動を開始してしまったため、私は気になって眠れず、午前4時には早い朝食。いやあ眠いのなんの。このこところ排泄機能がだめになってきてしまい、大騒ぎなんです。徘徊はしないのですが、行動を時間を決めて指示してあげないとうまくできなくなってきてます。食事を準備しておけばお留守番位は何とかなる。蘇我駅まで30分、そこから75分ぐらいかと思いましたが東京駅には8時過ぎには到着してしまいました。
Aさん、私に合わせて出発してくださったみたいで申し訳なかったです。私のバラバラな分類だった4文銭をすべて採寸採拓して分類冊子にまとめてくださっていました。いやあ、頭が下がります。完成品のコピーを頂戴できるそうで楽しみです。と、言うわけで早朝から喫茶店で古銭談義。Aさんは少年のように目がキラキラ。私はスマホで撮影で、変な二人がお茶2杯で長時間占拠して営業妨害しているような。踏潰銭の母銭は大きくてきれいでした。贋作者で有名なO氏作の鋳肌・色についてのお話は勉強になりました。
お話の内容については後日詳しく・・・。(つづく)

八厘会の泉談
筑前通寶はチ極印と十字極印があります。チは初期で十字極印は後期で若干策が劣ります。
筑前通寶には本物ながらなぜか極印を潰してあるものがあるそうです。
最近の贋作は泉譜などから写し取っています。ですから書体は大変似ていますが、文字の陰起している部分まではっきり出てしまっているところがあるなど実物を知っていれば違いを見分けることは可能ですので、どうぞ本日は勉強していってください。
本日ははるばる九州からTさんがご参加くださいました。その他、久々に参加下さった方々もいらっしゃいます。Tさんが展示してくださっている福岡離郭白銅母銭は私が知っている限り4品しかない貴重な品です。福岡の離郭母銭は小川青寶樓師も初めて見たとき錫母かと思ったほど。その貴重な品が本日は2品そろっています。
T氏:田崎さん・離郭母銭は骨董市の撰銭で入手。出所は島根県方面の収集家の遺品だったらしい。
❶秋田小様 極印3ヶ打ち
❷久留米正字背異替濶縁(含白銅質)
❸対馬巌原藩田代御用達会所六銭十匁
❹鉄拳チンミぬりえ

❺長谷川博氏作 本革製名刺入れ
本日の収穫品ども
❶秋田小字の真っ赤っかな奴

盆回しにてMさんから購入。誰も応札がなかった。このクラスは八厘会メンバーはみんな持っているんだろうなあ。私は秋田小様というだけで食指が動いてしまう。長径47.00㎜ 短径31.4㎜ 銭文径39.6㎜ 銭文径計測は自信なし。極印が左側は2ヶ打たれてます。

❷久留米正字背異替(含白銅質)
これはヤフオクの収穫。こういう雑銭は飽きないですね。色が白いのが土佐額輪っぽく見えますが久留米です。

❸対馬厳原藩札田代御用達会所 六銭十匁札(藩札図録不載)
藩札図録は上巻しか持っていない・・・というより中巻下巻は発行されてなかったんじゃないかしら。これについての文献が分からない。片っ端からボナンザ探す方が早いかしら。どなたか良い資料(のありか)を教えてください。対馬厳原藩(いづはら)は明治2年に対馬府中藩が改称されたものらしい。つまり幕末の一瞬に咲いたあだ花。この札以外は収集階に発表されていますが、六銭十匁札は不載とのこと・・・つまりかなりの珍札です。興味本位で生まれて初めて買ってしまいました。欲しい方いますか?

❹鉄拳チンミぬりえ
1983年から月刊少年マガジンに掲載された少年漫画。作者は前川たかしで彼の代表作。と・・・言っても私はこの漫画の内容はほとんど知らないです。仙人様が高く売れるぞと言っていたので1000円で買ってしまった。これも欲しい人いますか?

❺長谷川博氏作 本革製名刺入れ
仙人様の幼馴染にしてお友達の革細工職人。実用品として購入。仙人様のお名前はたしか「由博」だったので「博」の印が何となく仙人様ブランドに思えてしまう。これを持っていると天保通寶が自然に集まるという。ただし、使えるお金が使えないお金にどんどん変換してゆくという説もあります。

 
高田縮通多重輪写り
虎の尾寛背ズレ
5月22日【錯笵ワールド】
ネットでちょっとした錯笵を見つけては無駄遣いをしています。多重輪は少ないエラーです。タイプとしては4つあります。
①一度型を採った砂笵の上に母銭を静かに置きなおしたもの。これは広範囲に複合的な多重輪になることがあります。肉厚の変化も少なく意図的な錯笵はこのケースが多いと感じます。
②落した母銭を砂笵に押し付けてしまう、母銭を取り損ねて砂笵に再び押し付けてしまう。急激な押しつけによる反作用で押し付けた周囲の砂笵が盛り上がるため、外周に凹になった部分が必ずできます。重なった部位の肉厚の変化はありますが少な目です。
③砂笵から母銭が飛び出し重なった状態で型採ってしまう。このケースでは②のような凹部分はできません。逆に凸になることはあり得ます。多重輪の部分の肉厚が倍になります。あらかじめ用意した砂笵が硬すぎた場合に母銭がずれ易いと聞きました。
④砂笵が崩れる、意図的にずらすなど面と背の砂笵が一致しない状態で鋳造される。広範囲な背ズレによる多重輪で重文にはなりません。これは背ズレというべきかな。
掲示品は③に該当します。以上は私の考察なので間違いがありましたらごめんなさい。
背ズレはよくある錯笵ですけど、大きくずれたものには貴重なもの、意図的なものがあります。掲示品は輪の周囲に余白があって楽しい。この程度のずれは型〆作業の不良もしくは砂笵の固め不足あたりが原因ですかね。
 
5月21日【水戸正字濶縁手って何?】今月の収集に掲載されている画像です。7万円という下値も目立ちますし、水戸正字濶縁手という分類名も初め耳にしたと思います。雰囲気的には接郭弱刔輪の変化なんじゃないかと思えてしまうのですが、中間的な雰囲気もあり、天上の刔輪も弱く微妙に違う感じ。背の文字は鋳型の横ずれがあったように見えるのでかなり濶字。左右の輪の幅が上下より強調されてますから。どなたかこの分類の定義を教えてください。下値が下値だけに勇気が出ない。でも手にしてみたい・・・。
25日、関東のAさんとお会いすることになりました。対外的な古銭活動もぼちぼち再開です。
ただし、私の職場ではコロナはまだ終わったわけではなく、2~4月の期間に私の地区では50人以上のクラスター事例が少なくとも3件発生しています。いずれも非常に身近な関係でしたので他人事ではすませられません。
コロナは感染力が弱くなって終わったのではなく、あおるような報道がされなくなったというのが正しい。(実際に報道統制・・・強い要請がマスコミにかけられています。)変な報道がされると誤った正義感をもつ人が電話やSNSで攻撃してきます。逆になんで解放しないんだ、コロナはただの風邪なんだからと揶揄してくる人たちもいますし、もっと厳しくしなくちゃだめだとプライベートにまで制限をかけに行こうとする倫理に厳しい職員もいます。こういった両極端に立つ人たちへの対応、バランスとりが非常にめんどくさかった。妻が亡くなった際はそのさなかでしたから特に大変でした。(でも葬儀は普通以上にやりました。)
感染症が入り込むと指導や規制は入るものの、人員的には誰も助けてくれませんし、金銭的にも数百万円のマイナスがすぐに出ます。面会制限が厳しかった頃は職員にも外食禁止令・同居家族以外との接触禁止令なんて事も出していたこともありました。それだけ感染が入り込むと大変なことになりま
すし、個人の問題ではすまされなくなるのです。私は呼吸器アレルギーもちだから、個人の問題でも大変なことになると言われてます。それでも今日は、4年ぶりにマッサージ店に行ってしまった。変な店じゃないぞ。
 
俯永写
文政小字背一直波写(踏潰系)
5月19日【密鋳寛永】
なんとなくネットで落としてしまった寛永通寶の密鋳銭です。密鋳四文銭の収集物は関東のAさんに1年ほど預けていて、今月返却を受けることになっています。HP作成を初めて一番ほったらかしなのが密鋳四文の類でフォルダーにかなりの数が未分類のままです。そのうち何枚かが2年以上行方不明で、探すのも面倒くさくなってしまい、収集から気持ちがそれてしまった原因になっています。その多くが初期の踏潰系と思しきもので皆一品もの。撮影用に分けていたものがいまだに見つからない・・・というか探しすのもあきらめてます。関東のAさんは私のいいかげんな分類を改めてくださっていると思います。なにせ、私はこれは浄法寺、踏潰、江刺と第一印象だけでフォルダーに書いてました。根拠・・・あんまりなし、当然自信なし。
例えば右の画像で文政写しは延展系なので100%踏潰に分類します。まあ、当たらずとも遠からずかな。みなさん、私の感覚お判りでしょうか?
仕事場からの緊急通報で午前4時にたたき起こされました。それでなくても猫も親父様も起きてます。親父様は体内時計が壊れているので昨日は11時には起きてカレンダー見てました。(時計を見ろ!)夢遊病みたいで声をかけても無言。所持する鍵に鈴が付いているので歩き回るとチリンチリンうるさいし、電気のスイッチをバシバシ叩く。叩かなくたってつくっつーの。叩く音がうるさいので居間などをつけっぱなしにしておくと今度は消しに起きてくる。ペットシーツが乱れていると並べなおしてくれるのですが、なぜかみんな裏返しにしてくれて昨日は大変なことになってました。ああー、今朝は洗い物もしてくれているみたい。(洗剤を使わないので洗いなおし。)一生懸命だけど仕事が増えるのが玉に瑕です。下が一時期危なかったのですが、ここ1週間は無事です。
 
不知長郭手赤銅質覆輪(再写小足寶)
長径48.15㎜ 短径31.65㎜ 銭文径40,25㎜ 重量17.0g
5月16日【駿河落札品】
出品名は長郭手再覆輪半刔輪縮形でした。長郭手の覆輪の2回写しには間違いないです。半刔輪縮形の名づけはやや苦しいものの・・・気持ちは分かります。輪際のぐりぐりはかなりはっきりしています。文字周囲の削りも・・・。ただ、刔輪というより輪際加刀修正のレベルかな。目立つのは銭文径の縮小と寶足が離綸気味に短くなって、後足がわずかに離輪していること。小足寶としてもいいかなあと思いましたがこれもいまひとつかな。特徴がいっぱいあるけど決め手がありません。文字変化が少ないですからね。
今日は終日草刈り。土手と駐車場をぶっ続けで刈ったら日焼けでヘロヘロになった。疲れました。残念ながら重文の明和四文銭は落とせませんでした。気合が今一つ入んなかったけど・・・頑張ればよかった。
 
長郭手磨輪細縁縮形
長径47.9㎜ 短径31.9㎜ 銭文径41,0㎜ 重量22.9g
5月14日【クリーニングの結果】
収集の落札品です。出品価格が2000円だから正真正銘のBクラス。ただ、画像掲載もされていて長郭手背錯笵と名づけがあった品。どこが錯笵???と目を凝らすとかすかに背の左側が重文気味に二重になっている。このぐらいで錯笵とはずいぶん甘い名づけですね。
見ての通り真っ黒だったのでオリーブオイルに2日間漬け、ティッシュにくるみ雑誌の中で油分抜き・・・色はおちなかったけど黒光りする品になったかな。地の浚いが分かります。
錯笵ろするのは無理な名づけなので大きさから磨輪細縁縮形としました。文字の周囲がや輪際が彫り込まれていますが特徴変化はほとんどありません。大きさが小さい癖に重さはしっかりあるので、きっと鉛分が多い材質なんでしょうね。極印も小さくて桐に見えない異極印です。
 
福岡藩銭 離郭広郭
萩藩銭 方字細字背ズレ
5月13日【再開記念】
ネットで何となく落とした品。欲しかったわけじゃありませんが・・・。離郭はお世話になった稲陽さんの出品だったから。普通にきれいな離郭。極印も普通。特筆すべき点もないけど欠点もなし。ところどころ未使用色が残ってます、以上。

下段は方字の細字。文字抜けよくまずまずの上作。こちらは背がかなりずれているので落としてしまった。だからどうしたという品。でも好きだなこの錯笵。輪ずれ部分が大きく、輪の外側に空白が少しあるのが楽しい。こちらも文字の周囲にわずかに未使用色が残っています。

※父がお留守番ができる・・・という一昨日の言葉は撤回? 散歩に出かけてデイサービスに自主参加してしまいました。全く自由な人です。まだ家に帰る力があるだけ幸いです。

※ゲーム世界を引退して自分のペース?で生活ができるのはありがたい。寝る間がないのは変わらないのですけど、短い時間でものんびりできます。
 
不知長郭手覆輪
長径49.35㎜ 短径32.2㎜ 銭文径41,1㎜ 重量21.9g
本座広郭背肥郭狭穿(母銭)
長径50.1㎜ 短径33.3㎜ 銭文径41,9㎜ 重量22.2g 
5月11日【新規獲得品】
収集から落札品が届きました。散財ですね。う~ん、こんな生活で良かったのかなと思いながら画像撮影しました。
不知長郭手覆輪は良くある一度写し。ちょっと俯頭辵気味にも見えるし、狭足寶のようにも見えますけどいたって普通の覆輪銭です。でも、文字抜けも良く長径49.35㎜は立派ですね。だからどうしたと言われればそれまでなんですけど。
本座広郭背肥郭狭穿母銭はちょっと前に大和文庫あたりで落としてしまった品。眺めていて背の狭穿ぷりがいいなあ・・・てな訳で衝動買いしてしまった。届いてからそのまま食卓の上に置いてある薬箱に放り込んだままになっていました。だって、黒ずんでいてとても画像映りが悪いんだもの。(見た目はもう少し良いです。)オリーブオイル漬けたろか。
実は月刊収集でもう一品落したんですけどそいつも真っ黒なもんで、オリーブオイルに本当に漬けています。しかも100%バージンオイルの高級な奴。ワイルドだろう。今は男所帯なんで、料理は限定的で他に使い道がないので・・・さぞかし美人になるでしょう。

ここ2年間、気晴らしの時間だと言いながら自分の時間が持てていませんでした。必死にゲームで時間を消化していただけ。それで何かを忘れようとしていたのかもしれません。怠惰なゲームの時間の中でもチーム育成の目標つくってサーバーで2週連続No1チームになってやっと引退宣言できました。(健康上の問題も出ちゃいましたし・・・)
古銭のHPは時間がかかるし、お金もかかるんですけど・・・自分のペースで活動できるからまだ良いのかも。とはいえ使える資源には限りがありますのでぼちぼちとね。なにせ家庭収入が半分になってますもんで・・・。
今は仕事の後の家事が終わったら毎夜歩いてます。そしてパソコンいじり。明日は天気が良いので山登ってやるぞ目標15㎞走破だ!相変わらず忙しく、自分をいじめている。そして寝てないんですよね、同居を始めた父も不眠行動があるので寝させてくれないし・・・それでも朝早くから遊び行っちゃうのは昔からの癖で・・・常に全力で遊んでいる・・・体に悪いかなあ。
今期の目標はまずは体づくり&呼吸器機能の鍛えなおし。そして仕事。コロナで失われた人間関係を作り直したい。そしてできれば何かで一花咲かせたい。恋なんかもいいかな。誰か慰めてください。だから古銭は生活目標の3番手以下だけどこんなもんでしょ。とにかくやるべきことをたくさん作ってます。スケジュール真っ黒、オリーブオイル漬けたろか!

※昨夜は2:00就寝、そして5:00起床。このあと父に食事を出してから留守番を頼み山歩きにGO。(死ぬかもしれない!)色々問題(物忘れなど)はあるけど父は留守番はまだかろうじてできます。終活をずっとやってきたことが今はうまく機能しているんです。これも計画的にやってきたんで・・・我ながらすごいと思ってます。
 
5月7日【つれづれなるままに・・・】
4月26日の開元手、饒益神寶は巡り巡って鉄人の持ち物のようです。もちろん本物に間違いなしとは鉄人の眼力・・・御見それいたしました。
さて、ゲーム世界から脱出しましたが・・・不規則生活が続いていてまあ、寝不足でして椅子での寝落ちが当たり前になってます。今日は雨で外歩きは休止。
机の上の古銭をもう一度整理しなくちゃ・・・と思っていますが気が重いなあ。行方不明の古銭がいくつかあってそれを探すのが面倒で(見つからないのが怖くて)古銭から気持ちが離れたというのもありまして。もう一つ言うとスキャナーの性能がいまいちでピンボケで気に入らなかった。奇麗な画像の再現ができていないのも気に入らない。生活は実に忙しいし、本当寝る暇ないです。こういうの充実しているっていうのかなあ。あちこち引っ張りだこですし。
職員も育ってきて自主的に色々やってくれています。私自身も市民講座をはじめとして研修講演を3月には対面で久々にこなしました。今月も対面研修がありますので・・・脱コロナが少しずつ進んでます。とはいえ私の業界(医療・福祉)は感染症にはいまだ厳しく、対外交流も限定的なままです。皆さんはあまりご存じないだけで下火になったとはいえコロナ集団感染はまだ起きています。公表されていないだけなんですね。でも解放機運の高まりは嬉しいです。

その昔、仙人様から遒勁は甲州街道沿いから良く見つかると聞いた記憶があります。これ倒幕の動きに関係あるんじゃないのかと・・・新選組関与(軍資金)だったりしてなんて妄想が膨らみますね。
新選組の近藤勇は流山の旧家に潜んでいた所を発見されたとか・・・私の知り合いが関係者(実家)でした。
 
5月6日【水戸遒勁】
関西のS様から水戸遒勁の画像を頂戴しました。4.9Kgもの雑銭の中からでてきたとのことです。遒勁というものは真贋が本当に分からない。あまりに美しいものは銀座古銭堂のものもあるようなので難しく、むしろ鋳だまりが少々残るような品の方が安心できるのです。
ただし、記憶に新しいところでは昨年の銀座コインオークションに出た水戸遒勁の母銭・・・あれは美しすぎるので妖しいと思ってたら非の打ち所のない銘品だったそうで・・・80万円で落ちましたからねぇ。見る目ありませんね。
そういう意味ではSさんの品・・・美しすぎるんだけど否定することもできない。
みなさんにご意見をお聞きしたいです。側面のやすりはとても良いです。極印も問題ないと思います。文字抜けがすこぶるよし。気になるとすれば肥字で保点、尓点の角度、寶前足が太いこと、やや広穿なこと・・・誰か教えて。
製作・極印は一切問題なし・・・奇麗すぎることが悩みという何ともうらやましい事になってます。

関東のAさんからの評判は・・・GOOD 母銭クラスじゃないかとの意見!
画像提供 関西S様
長径49.5㎜ 短径33.75㎜ 
銭文径40.47㎜ 肉厚2.6㎜ 重量21.24g
 
   
浩泉丸蔵 水戸遒勁小足寶 小様銭  
長径48.4㎜ 短径33.45㎜ 
銭文径39.7㎜ 重量18.3g
 
4月26日【和泉斎様から】
和泉斎様から頂戴した画像です。噂の島銭寛永を含む7枚+3枚です。少なくとも寛永銭は安南系の摸鋳寛永だと思われます。無背あり、細縁広穿あり、小様あり、大型のものあり。なんだろうこれ。
正直言うと島銭の中には近代のお土産のようなものが混じっている気もするのですけど区別がつかない。打印銭のような雰囲気もあれば安南寛永の水永のようなものもある。文の横書は安南寛永で有名な品種ですよねー。安南寛永は楽しい・・・。真贋全く分からないです。バリ島あたりでは古銭人形なるものがあるようでこれはある意味供養銭のようなもの???。聞きかじった話の知ったかぶりなのですけどその中に島銭的なものも大分混じっているような・・・話半分で・・・。文字を横置きしたり、満文いれたり・・・絵銭みたいですね。
私の所有物の内、不知厚肉水永としているものあります。書体的にはこの類に似てますが製作が全く違う。うーんわからない。もうひとつの亀寶至道手の背工は一品もの。これは手類銭考に採譜されています。
→ 外国摸鋳銭の類
おまけでついてきた画像もすごい。
開元手はその昔は現存1品と言われていましたが、今は4品ぐらいはあると思います。それでも貴重です。真贋は分からないけど。
白目中字は一目母銭ですね。玉印が何を意味するか不明です。何らかの符丁ですかね。
饒益神寶は本当に良く分からない。輪の歪みが気に入らないので後鋳じゃないかと感じます。
古寛永開元手 白目中字母銭輪玉刻印 饒益神寶
 
3月6日【ご無沙汰してしまいました】
不知銭と本座を見間違えて落札してしまったショックでしばらく古銭から心が離れてました。間違えた私が悪いのですので返品はしなかった・・・というより気力が萎えた。どうも気分がのらない。
うつ・・・だというと多分私の周りの人々は皆嘘だというでしょう。それだけ忙しいんですけどなんか気が乗らない。だから古銭の整理が全然できない。認知症???

さて、先月の続きについて書きます。
狭玉連玉寶異極印は寶下と當上に部分刔輪があって面白いのですが、あと一歩押しが足りません。それだけなら鋳写のB級天保なんですけど極印の桐葉脈が十字架型なんですね。完全に不知の極印です。合わせ技でA級とまではいかないB級+の品です。たしかに狭玉連玉寶ですけど、長郭は寶王と尓の前点がもともと接するので連玉寶はいらないかな。寶足が微妙に長いです。
真ん中も見事な異極印。久々に見たアスタリスク型。縦の直線に2本の線が斜めに交差する形。これらはもう桐じゃないですね・・・記号です。細縁で魚子地肌ですし、背の郭もずれてます。當のウ冠の右半分が下にずれているんですけどこれは鋳造上のエラーかな。小磨きがあるのが玉に瑕。残念。
最後の一枚は田路さん提供の覆輪。これはAクラスでいいかも。卵型の覆輪銭形が美しいです。
微妙に寶足も長いし、當上の輪との間隔も離れているので覆輪刔輪ですね。素朴な感じがします。
実はタジさん、もう一枚写真を送ってくださいました。本当は掲載したいんですけどー・・・古銭じゃないよ。お幸せに。
2089狭玉連玉寶異極印 20890異極印 侍古銭会 タジさん提供
長郭手覆輪
長径48.6㎜ 短径31.8㎜
銭文径41.2㎜ 重量20.7g
長径48.3㎜ 短径31.5㎜
銭文径41.2㎜ 重量20.8g
長径49.4㎜ 短径32.8㎜ 銭文径40.8㎜
3月なんで決算だ、総会だで大忙しなんです。ついでに親父の面倒見も大変でようやく慣れてきました。デイサービスは年よりばかりだからつまらないとのたまわっておりましたが、何言ってんだ爺さん、お前の方がずっと年上だぞ・・・と思ってたら最近はデイサービスの日は朝3時から着がえて首からカメラぶら下げてます。 
来月からベトナムの高校を卒業したばかりの女の子を2人受け入れます。昨年から6人受けてます。そのうち2人に日本語レッスン中。今度の子たちは日本語学校に通わせます。
国によって個性は全然違いますね。中国(少数民族)、モンゴル、フィリピン、ミャンマー、ベトナム・・・まあ、勢いですね。中国の子は自己主張が強いイメージがあるけど少数民族出身なんでそれほどアクが強くない。モンゴル人は真面目で頑健です。誇り高く正義感も強いですね。フィリピン人はマイペース。仲良くなると何でも話してくれる。楽天主義で明るいから彼女にすると楽しいかも・・・でも振り回されるかな。ミャンマーの子は一人しか会っていないから良く分からないけど、今いる子はすごく頭がいい。天才と言っても過言じゃないし勉強好き。実は数学の博士課程に進んでいる才女。彼女の村は今は戦争状態一歩手前なんだそうで・・・本来ならば私のところにいるような人材じゃなかったはず。
ベトナムの子は・・競争心が強くよく言えば勤勉。悪く言えばずる賢くて利用できるものはすべて利用しようとしてきます。国際交流は大変です。人材いないからねえ・・・。今私の職場は外国人効果もあってものすごい勢いで若返っています。
 
2月13日【B級+の品々】
収集の落札品が届きました。収集家が一括放出しているものと思われ、下値は2000円からなので嬉しくなって全部買うつもりで応札。もちろんそんなことは夢なんですけど(落ちたら大変)5品GET。B級よりほんの少し上位の品ばかり・・・でもB級かなあ。
収集2028番は不知長郭手2000円で出ていた品。やや白銅質で、この手のものは大正期の後鋳品も見られるのですがこの品はいたってまじめな不知銭です。端的に申すと覆輪刔輪で張足寶の前駆銭だと思われます。拡大すると天上がわずかに刔輪され、文字周囲や輪際が斜めに彫られ、深淵風です。寶足も少し長く張足寶風。B級としてはかなり上位の品ですね。
2030番ははっきりした覆輪。面側は刔輪でやはり深淵風に地が傾斜します。面側の両サイドの刔輪が強く、背濶縁に見えますね。寶下に朱点が見えますので古い収集家のコレクションだった品だと思われます。
2031番は・・・計測するとどうも長郭そのもの。今年の初エラーですね。どう見ても覆輪に見える。
2028番 覆輪刔輪 2030 覆輪背濶縁 2031覆輪 → 本座長郭
長径48.21㎜ 短径31.65㎜
銭文径40.53㎜ 重量19.8g
長径49.05㎜ 短径32.11㎜
銭文径40.86㎜ 重量19.4g
長径49.4㎜ 短径32.5㎜
銭文径41.6㎜ 重量22.4g
 
1月17日【目の覚める画像】
鋳不足気味で磨輪された短尾寛にしか見えませんが、これがなんと短尾寛方冠寶だというから驚き。寶冠後部が垂直になっているだけでなく、永点が退かないという特徴があります。しかし微差ですね。よく見つけました。皆さんもお探しください。案外あるのかもしれません。

しばらく更新をさぼっていました。父と同居を始めて超寝不足に拍車がかかってます。父は時間の歯車が狂っているので9時には寝て、朝と間違えて午前2~5時頃には着替えて起きだします。TVを大音量で見始めたり、電気のスイッチをバンバン叩くので私も付き合うことがしばしば。スイッチにはこだわりがありオートスイッチも気になるのか消しにきます。しかしスイッチの場所が覚えられず、そもそも消さなくてもいいのに消そうとしてあちこち押すまくります。それで起きちゃうのですが、最近は気にしないようにしてますが、眠れない。
大腸検診に引っ掛かり明後日は日帰り手術です。ポリープ除去なんで簡単なんですけど、下剤2リットルがきつい。ついでに食事制限が昨日から始まってます。ソーメンばかり食べてます。
長郭手縮形銭(磨輪)美制
長径47.9㎜ 短径31.75㎜ 銭文径41.0㎜ 重量19.1g
長郭手縮形(再写し)
長径47.25㎜ 短径31.05㎜ 銭文径40.0㎜ 重量20.8g
【こちらはB級不知銭】
収集で落札してしまった品。縮形は何となく気になるので良い値を付けてしまいましたが・・・上は少々残念。表示されたサイズよりかなり大きかった。私の計測では長径は47.88㎜、出品では47.5㎜なのでう~んといったところ。銭文径は一度写しなので磨輪ですかね。たしかに美制で深背気味だけど名称とするほどじゃないかな。

下段は削字小様とされた品。こちらは間違いなく縮形です。形もいびつで細縁。削字とまでは言えませんがたしかに寶に刀が入ってますね。素朴なつくりでかわいいです。
 
1月16日【頂いた画像です!】
和泉斎様が30kgの4文銭の中から選り出したという明和期大頭通の母銭。鋳さらい原母ではないかというお話もありますが、現物を見ないと何とも言えません。ただし、私の場合は現物を見ても何も言えません。実力ないです。外径29.6㎜とのこと。

下の画像は関東のA様から頂戴した画像です。未発表の品なのでコメントは最低限に控えたいと思います。黄白銅質の色調が美しい・・・母銭ですね。

こちらはモトさんから頂戴した画像。仙台銭の次鋳銭ですが背に太陽と富士と思われる絵があります。銭座職人による戯作で縁起物(記念銭)でしょうとのこと。絵銭の類ながらこれは江戸時代の記念硬貨のようなものです。 
 
1月2日【今年もよろしくお願いします!】
また年が明けて一つ年を取ってしまいました。コロナが5類に分類されて経済が活性化して急に忙しくなりましたが、私の業界はまだ警戒が解けません。でも外に出ることはかなり増え、昨年はCCFやら銀座コインオークションにも久々に顔を出すことができました。
コロナで山歩きが本格化し、女房の件で引きこもってましたがちょっと稼働開始。引きこもりの中でゲームにのめりこむ羽目になりましたが、そろそろそれを引退する方法を考えなくてはと思っています。健康のため山歩きを活性化したいのです。古銭はその次なのですけどね。私生活で大きかったのは昨年末から認知症の父と同居を始めたこと。実はものすごいストレスでしてオークションに出かけたのもその反動。私は天邪鬼です。
年賀状には不知小字の長人偏と短人偏を並べてみました。長人偏は印刷したらかなり赤みが強くなってしまいました。短人偏はたぶん年賀状2度目の登板です。
年賀状に古銭の画像貼り付けるなんて相当変態だと思います。ただ、はがきが84円になったら年賀状やめちゃうかもしれませんね。大分減らしてもまだ150通以上書いてます。年賀状はある意味自分のアイデンテティを示すアイテムでもあるからなかなか思いきれない。
本日は私の一族が20人以上我が家に集まりました。一族としては大きいのですが、父という接点がなくなったらどうなるか・・・ちょっと不安です。
さて、和泉斎さん、関東のAさん、モトさんからいくつか面白い画像を頂戴しています。年賀状もまだ整理していません。それらの記事は次回掲載します。それでは今年もよろしく。

追伸 
父の検査に付き合っていたら、昨年自分も大腸の内視鏡検査する羽目になりました。1月下旬に2度目の検査とポリープ切除を行う予定です。12月の検査前3日は食事制限で素麺ばかり食べてました。1月もまたやるのか・・・下剤2リットルはきつい。健康第一ですね。
 
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