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制作作日記
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深字背文破寛本体と手替り 新発見 勁文短尾寛鋳浚い母銭 元文期背正佐異爪寛について
ひみつ
 
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
東京駅地下1F「八重洲中央口改札」→八重洲地下街突き当り右「24番出口」へ →
→ 左側「銀座・京橋・中央通り」階段上がる(地上へ)→ しばらく歩き「久安橋」を渡る
→ 「久安橋」を渡ったすぐ右手にある「麺屋一(はじめ)」のビルの3階が会場です。
※八重洲中央口改札からほぼまっすぐ徒歩12~14分のイメージです。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目1-2 
    「八丁堀水澤ビル」3階 コンビニエンス・スタジオ「サムシン」 

 
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貨幣そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局(副会長) 吉田守 ☎090-7839-4437
郵便振替00110-0-8563 日本貨幣協会 

※年会費は5000円だったと思います。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
       
古銭関係リンク
 
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❶台形仕上げ 浅背 やや肉厚 やや赤銅質
27.93×28.12㎜ 重量6.7g
❷タガネ切断 江刺肌(弱砂磨き)やや赤銅質
27.93×27.92㎜ 重量5.3g 
❸歪穿 面背強砂磨き 輪斜めやすり 黄銅質
27.62×27.98㎜ 重量5.2g 
❹歪穿(未仕上) ロクロ風砥石仕上 黄銅質
27.86×27.80㎜ 重量5.7g 
7月26日【密鋳小字写】
相変わらず使えるお金を使えないお金に両替している馬鹿野郎です。多分、私も皆さんに悪~い影響を与えていると思います。人のふり見て我がふり直せという諺があります。学んでください。
さて、密鋳四文銭は私に残された最終課題。なんとか体系的な分類ができないものかとは考えているものの、忙しさを理由に放置しています。ただ、見つけるとつい買っちゃう悪い癖。人のふり見て我がふり直せですよ、皆さん。
今回の入手品は不正輪の密鋳銭が多い。
❶は浅背台形仕上げのやや赤銅質。この手は浄法寺系の初期だなんて勝手に思い込んでいる私、全く裏付けはありません。肉厚でもっと上作のものが多いんですけどね。永寶間に星があったり、永柱が極太だったりとおもしろい。輪のやすり目は横方向。

❷は鋳バリを鏨で叩き切ったような仕上。砥石の磨きややすり仕上げはほとんど感じられない。肌は赤い江刺といった感じだが、江刺とすべきものではないような雰囲気。やや浅背でかすかに台形仕上げで砂磨きの条痕が輪に走ります。江刺、浄法寺的な雰囲気がごちゃませのハイブリット密鋳銭です。

❸は私は踏潰系にすぐにしちゃう顔。根拠あまりなし。銅質と砂磨きの強さ、波はさしてつぶれてないけど延展の圧はかかっている雰囲気がある・・・気がします。輪の強烈な条痕は砂磨きの跡。これをやすり目と呼ぶ方が多いのですが正しくは砂磨き。本家の踏潰はここまで条痕がないものが多いんですけどね。でも踏潰。穿がいびつなのが目立つ。
→ 踏潰分類考

❹も穿がひし形にやや歪む。黄銅質で側面は手仕上げなのかロクロなのか良く分からないけど非常にきっちりとした垂直仕上げに見える。安政期によく似ているけど違う。穿内はバリこそないけどほぼ手付かずな感じ。だから密鋳にした。

93歳の親父様がガタガタ起きてくるため今夜も不眠。今夜は珍しく暑いとのたまう。東京に行くか迷ってます。昼は目を離すと寒いと冷房を切ってダウンを着たりする。夜はなぜか裸で寝る。今日は珍しくパジャマを着て寝ているが暑いそうだ。それなのに(寝室の横の)居間の冷房を切りやがる。スイッチ類を盛んにいじるのが耳障り。寝室の冷房をタイマー付きでつけた。消せないとエアコンのコンセントを引抜に行く。冷房ではなくドライにしています。布団は冬掛けのまま。さあどうなるか。東京はいけないかもしれない。
 
長郭手覆輪異極印(赤銅:再写し) 
長径48.80㎜ 短径32.43㎜
銭文径4033㎜ 重量20.7g
7月15日【覆輪再写天保】
見ての通り赤茶系の覆輪天保で削字変化は見られません。覆輪の二度写しで、加護山(阿仁)銭や秋田小様と同じように、背郭が不規則に盛り上がり歪みます。これは鋳バリを背側に折って押し出し、外側で削り、叩き潰したようなのです。加護山銭や秋田小様の場合は面側郭が凹状に凹むものが散見されることから、銭を挿しにまとめてから角棒を面側から打ち込んで背側に曲げて鋳バリを折り取っただんじゃないかと推定したことがありましたが、これももしかすると同様かもしれません。極印は葉脈が真直ぐな十字架型。本品は大和文庫の落札品です。
※色調の調整がいまいちで、原品はもう少し黄色い感じ。なお、スキャナーソフトの自動更新がされたのか機能の表示が少し変わってリセットされました。またやり直しです。
 
元禄期江戸荻原銭(純白銅母銭)
23.75×23.72㎜ 3.2g
元禄期江戸荻原銭(白銅質通用銭) 
7月14日【白の魔力】
私の中学生時代、新人アイドルは夏は白い水着を着るのが定番でした。白のブラウス、白の下着、白の水着など白の衣類は清純の象徴だったと思います。真似をして白い水着を買って泳いだら透け透けになってしまってプールから出られなくなった同級生がなんと多かったことか。そんな白には憧れとおじさんを惹きつける魔力が宿っているのです。
そのせいか私は母銭コレクターではなかったのですが、大和文庫に出品されたこの母銭に対し、ついふらふら・くらくらと引き寄せられてしまいました。飛んで火にいる夏の虫になった私は、昔の夏の甘酸っぱい思い出がそうさせるのか、絶対負けない入札価格を入れてしまいました。その結果、白銀に妖しく輝くこの品は今、私の手元にあります。

元禄年間、ときの勘定奉行の荻原重秀の建議によって誕生した従来より一回り小さな寛永通寶によって、銭の供給量が増大して経済の好循環が生まれます。それによって町人文化が花開き、民間奢侈の風習が日本に根付きました。日本史ではその後の新井白石や登場初期の徳川吉宗の質素倹約のデフレ政策ばかりがもてはやされていますが、荻原重秀のこのインフレ経済政策は当時としてはなかなか的を射ていると感じます。

それにしても白い。黒く見えるのは拓本墨の汚れ。これがなかなか落ちない。
下段に掲示しているのは初期の鋳造と思われる通用銭で、文字抜けも良く緑がかった白銅色が珍しい。画像を重ねてみるとわずかに内径が小さくなっていますので通用銭と判断できます。
この品、それでも郭内に小さなバリがなければ母銭じゃないかと悩みまくると思います。でもきれいでしょう?
※荻原銭は長崎屋不旧の書がもとになっているようですけどコ頭通であり、不旧手と呼ばれるグループからはなぜか除外されています。
 
7月11日【同じに見えない!】
泉譜を信じすぎちゃいけない事例。
この拓本(天保通寶銭の研究)と画像の品、本来は同じ品・・・私は泉譜原品だと思っているのですが、どう見ても同じ品には見えません。長郭手強刔輪深淵のは珍品には違いないのですが、これと同じ品を探し続けると永遠にたどり着けません。
実は
拓本は面側が輪一つ分横に引き伸ばされているのです。同様に天上の空白も若干引き伸ばされて刔輪が強調されているように見えます。これには画像の陰の影響もあるようで、陰の部分は実際には空白なのですが、人間の目はそれを空間と認識しづらいようなのです。
実はこの画像は拓本に合わせるため面の銭文径を拓本ほぼ合うように私は縮尺を調整しているのですが、面背を同じ縮尺度にすると面と背の文字位置、銭径がずれてしまいました。調べるとそもそも拓本の面背の縮尺度が異なっていることに気が付きました。
背側拓本は面側拓本より長径の輪半分ほど全体的に大きくなっているのす。(印象を合わせるため画像の背側の縮尺は拓本に合わせてあります。そのため画像も面背の長径が輪半分ほど異なっています。ご留意ください。)
意外に気が付かないものですけど、かなり拓本の縮尺がいい加減と言いますか、全体がいじられている印象を受けます。採拓のときの拓本紙のたわみや伸び縮みもあるとしても、ここまで違うとは多少意図的な強調(誇張)がある気がします。(虚偽、反則だあ!)
瓜生氏の泉譜には計測値がおかしなものがいくつかあります。拓本そのものが妖しいものもいくつかありますのでご注意ください。(一方、スキャン画像の方も光源の位置、陰の付き方などで印象がかなり変わります。ご注意ください。)
泉譜には同じ拓本の使いまわしが結構あって、違う名前であっても同じものなんてことが時々あります。さらに贋作があえて載せられていたり、泉譜によって分類そのものが異なったり存在が消されていたり・・・結構大変なんですよ。
 
7月10日【広郭手】
間違いなく覆輪銭。製作は粗く砂目も粗い。極印は額輪本体より大きい。通尾が陰起してやや短く見え、寶足は短いし前足が浮き上がってます。昔だったら1秒で南部民鋳と判断したでしょう。今なら額輪肥字。ただ、額輪特有の輪の内側の傾斜や陰起は見られません。背の雰囲気などは会津濶縁とそっくりです。それどころかもっと珍品の萩縮通にも見えてきます。興味本位でネットオークションで落としてしまいましたがやはり額輪肥字の域を超えませんね。
画像下は先週ヤフオクで落したその萩の縮通。ぱっと見はほとんど変わりません。かたや1000円未満の価値、かたや5万円以上・・・自分で見ていても微差だなあと思う次第。普通の人には私の熱狂は訳が分からないと思います。いや、私自身も良く分かってないのかもしれない。本当に微妙な差です。

江戸時代の鋳物師は貴重な技術職人であったがため、幕府監視の対象で居住区域にも制限があったと聞いています。一方、江戸に住む鋳物師は幕府管轄の鋳銭所以外、会津、水戸、津、安芸など各藩邸にも出入りしており、同じ職人が複数の藩邸に通って密鋳にも関わったと思われます。鋳物師は団結力が強く、親方の命令は絶対。(全国の鋳物師は真継家が統率していましたが、江戸は浅草の親方が支配しており治外法権の場所だったようです。)守秘義務も絶対だったのでしょう。そのため寛永通寶には藩が違ってもよく似た書風がいくつか見られます。筆頭格が津藩と会津藩の鉄四文銭。ですからおそらく密鋳の天保通寶にも似たものがきっとあるはずと思います。(上記の2品は鋳造地が江戸ではなく、全く異なるので相互の書風が似ているのは偶然かな?)

ところで・・・久々に「天保通寶銭の研究」と「幕府諸藩天保通寶の鑑定と分類」を読み返してみましたが・・・これを正しい資料として読む限り
石持桐極印銭は水戸藩鋳と確定するべきだと思われます。
江戸小梅にあった水戸藩邸において鋳造された母銭試鋳枝銭が伝来しているとの報告が北村富三郎氏から(貨幣誌に?)なされており、それは拓本から正字背異替と深字である可能性が高く、また、成島栁北から守田寶丹に伝えられたその枝銭の1枚がかつて存在していたようで、それは明らかに正字背異替濶縁の母銭なのです。(なお「幕府諸藩天保通寶の鑑定と分類」は記事の書き方が紛らわしいので注意。後半部分は高知額輪の枝銭の説明が混じってしまっています。)
また、同じくその伝承において水戸藩邸における鋳銭原料は
「銅器の廃物を用い、錫、鉛を多量に混和し、品質大に劣れり」とあるのでこの点は石持桐極印銭に合致します。石持桐銭に亜鉛が大量に含まれている理由も水戸藩鋳であれば問題なく、江戸には(四文銭鋳造を行った)銀座に係わった鋳物師がたくさんいますので鋳造技術の伝来説明も簡単につきます。(亜鉛を用いた真鍮銭の鋳造技術は銀座の一部の職人以外は知らなかったと思われます。したがって四文銭の鋳造にかかわった銀座職人の多い江戸以外の地では、大量生産は不可能ではないかと考えられるため。)
石持桐極印久留米藩鋳造説は、福岡の郷土史研究家鶴久二郎氏の発表がもとになっているようで、鶴久氏は文久貨泉試鋳貨鋳造の画策があったことを論説で述べていたのを周囲があとから天保通寶密鋳説をあてはめたものだと思われます。これは石持桐極印銭が九州地方に多く存在することを古銭家がなんとか説明しようとした結果でもあると思われます。小川青寶樓師が新訂天保銭図譜で石持桐極印銭を仮籍として久留米にしたことも大きく、私を含め石持桐=久留米のイメージが定着してしまっていますが、訂正されて良い気がします。

雑銭掲示板でとら氏が真木和泉について言及されていたので、興味を持って少しだけ調べましたが、倒幕のため天保通寶を久留米藩で密鋳することは面白いけど机上の空論、仮説だと思います。計画はあっても実行されなかったでしょう。幕末の久留米藩は(藩内の意見が割れていたとは言え)あくまでも佐幕派であったと思われます。これは私の郷里の鶴牧藩(水野家)も同じような立場で、血縁上はばりばりの佐幕派でありながら官軍(錦の御旗)には逆らえないとと判断して不戦を決めていたようです。水戸藩が抵抗しなかったのも同じ。ある意味生き残り政策なのです。私に言わせれば明治維新は歪んだ政治工作だらけなんですけどね。会津はかわいそう・・・。
なお、私の記述もあくまでも本の記述を正しい信じた上でのお話であり、絶対ではありません。
 
7月5日【美しき文久永寶】
侍古銭会のタジさんから頂戴した画像の1枚です。見るからに深字、そして狭永。背の彫りが見事(素朴!)で地肌(砂目)も美しい。こういう文久を見ると思わず食指が動いてしまうのですが、私は関東のA さんに文久は託したのでぐっとこらえます。最近も美しい文久をヤフオクで見つけて我慢するのが大変でした。銭の地染めについて最近も語ったことがありますが、深字の地染めは彫りや砂目の美しさもあって映えますね。降久の地なんて惚れ惚れします。私は変でしょうか?
タジさんは人に好かれる行動が上手でいわゆる甘え上手。先日の八厘会でもねだられて「まあ、いいか」と曳尾の大字系を原価割れで割譲してしまいました。人生のモテ期に入っているようで私生活とも絶好調でうらやましい限りです。
 
久留米正字濶縁
萩縮通
7月3日【病気が治ってまた病気】
2週間余りの缶詰生活はきつかった。仕事も山積みでしばらくは休日返上になりそうです。もう少し体力が戻れば外歩きもできるようになるかなあ・・・と、いうところです。さて、掲示の赤い天保銭は別に珍品でも何でもないのですが、個人的に大好きな雑銭なのです。久留米(水戸)正字濶縁と言えばああなんだという事になりますが、広郭手覆輪大濶縁赤銅質異極印・・・と言えば皆注目するでしょう。ちょっと違えば仙台大濶縁、それとも秋田小様???、せめて会津濶縁再覆輪です。赤銅質で覆輪大濶縁という技術的に非常に興味あるつくり・・・しかもどこで(どの藩で)作られたかがまだ解明されていないというロマンもある。1500円もしなかったのは嬉しいけどもうちょっと評価されていいんじゃないかなあ。
下段は高級品。出品者の顔も見えたし、あまりの美しさについクリックしてしまった萩の縮通。病気だなあ。この手のもの見るたびに少し異なる気がします。本当は美しい平二天とか縮通隔輪とかが欲しいんですけど、なかなか出会えないですねー。自分に対する快気祝いの1枚とします。きれいだなー。
 
6月13日 夜遅く子供が帰宅してきた。朝から具合が悪かったという。発熱は38度以上。喉も痛いらしい。やばい。15日は妻の3回忌の予定。今さら止められない。親族関連に緊急連絡。

6月15日 陽性確定。結局、お寺への参列は代表家族3人だけ。それ以外は全部キャンセル。被害甚大。濃厚接触者としての出勤停止の隔離生活がはじまる。

6月19日 咳・悪寒・倦怠感・頭痛・目の充血・鼻水・鼻づまり・のどの痛み(腫れ)・声がれ・・・隔離生活4日目にして症状が全部出てきた。しかし熱は全くない。猫アレルギーの症状だ。過去最悪かもしれない。喉は違和感が続くけどそんなに痛くならない。悪寒と頭痛が気持ち悪い。呼吸が苦しく酸素不足。具合悪いだ。良い古銭が手に入れば治るかもしれない。誰か私を治療してください。

6月20日 今朝は37.8度。まだ猫アレルギーの症状の可能性が高い気がするものの、家にいる限り改善できない。複合的な罹患もあり得る。頭痛いし、だるくてしょうがない。18:00 38.5度 ただ事じゃなくなってきたかも。

6月21日 発熱が始まってまる1日。5:00の抗原検査実施の結果、
立派なコロナ。大人になった気分。猫を遠ざけていたので猫アレルギーの症状は緩和したものの、のどの痛みが目立ってきた。しかもここにきて腰痛がひどい。動くときに痛くて爺さんのように腰が曲がって何かにすがらないと立てない。93歳の親父は状況が理解できず目が離せない。そばに寄れないのでテレビをつけっぱなしにさせて音が消えたら様子を見に行く。(すきあらばデイやケアハウスに食事に行こうとしている。腰が痛くて追いかけられない。)

6月23日 親父のコロナ確定。私の職場復帰は6月29日、親父のデイサービス復帰は7月1日まで延びた。慎重すぎない?39度ぐらい熱ある癖に親父はまったく平気なそぶり。がたッと落ちなきゃいいんだけど。

6月24日 隔離されて10日経った。一家全滅です。一番最後に罹った親父の様子がおかしい。散歩に出かけてしまい熱中症。とにかく水分を取ってくれない。私30日まで出勤停止だと。長すぎないか?
ただ、咳が止まらずだるい。動けないのも事実。リハビリが必要だ。足のすらっと長い娘なんかがとくに効くらしい。個性的な娘もいいですね。だまされたと思って送ってみてください。笑いが止まらなくなるくらいの奴いないかなあ。

6月28日 出勤停止解除2日前。すっかり休み癖が付いてしまった。だるくて動く気がしない。起きて猫と親父の食事の世話をして、寝て親父の昼食の世話をして、寝て親父の夕食の世話をして、パソコンをいじってまた寝る。3年分眠った気がします。後遺症残ってるのでだるい。

6月29日 親父の行動がおかしい、とじこめ生活が長いのでしょうがないが。気分転換に外出。近所の大きなお寺にゆく。誰もいない。人の居なそうな歴史博物館を見学し、帰宅。それだけで疲れ切ってしまった。夕方、抗原検査を実施。大丈夫かと思ったが2本ラインが立ってしまった。感染状態が継続ということで復帰が延期になってしまいました。症状(咳と痰排出)あるからしかたがないか。疲れやすく健康状態にはまだ不安が大きい。
 
長郭手鋳写縮形 とら様提供
長径47.71㎜ 短径31.51㎜ 
銭文径41.0㎜ 重量19.33g
【病人のひとり言】
雑銭掲示板より。ひと目病んでますね。魚子地肌の不知銭に類品があったかに記憶していますが超えていますね。赤くて小さい「ぶつぶつざらざら」のアバタ面がすばらしい。私の好みを押さえまくっています。目を閉じれば億千の☆が眼裏にキラキラと浮かぶようです。今、まさに昇天しようとする瞬間に神の星雲が現れたみたいです。うなされてますか。

15:00 親父がくしゃみをしている。ダウンジャケットも着ている。体温を測ると38.9度。OUT。
こいつの治療費は絶対高くつきます。萎字大広郭か仙台広郭クラスだ。
 
【病人のひとり言】
今月号の収集誌の出品物。病んでます。見るからに具合が悪そうです。自分が病んでいるからかこんな酷いものが気になる。しかも、10000円超はさすがに高いと思う。
文政正字のぶつぶつは母銭由来だと聞く。母銭は見たことはないけど兄弟銭は見つかって発表もされている。じゃあ、なぜこんな醜いまま母銭として使用したのか。ちょっと浚えば済むことなのに鋳銭工としてのプライドというものがないのか?それとも何らかの符丁(暗号)か?
「おい、今の仕事が終わったら●●樓に行って星の数だけ遊ぶぞ。」なんて・・・。熱にうなされているとしか思えない。
※関東のAさんによると
低温障害で腫脹した錫母銭をそのまま使用したのではないかとのこと。錫は長時間低温状態にさらされると金属組織が変成して内部から膨れ上がる・・・いわゆる錫ペストの状態になるのですが、低温障害で傷ついた錫母銭の中から使えそうなものを撰んで銅母銭を作ったのではないかとのこと。私のエロ推理よりかなり格調高く、信頼性が高いです。

収集誌の誌上入札に出ている水戸揚足寶・・・真っ黒だけどどうにかクリーニングする方法はないものか。誰か教えてくれ。
CCFに短人偏の薩摩小字が出ています。観察してみたい。
 
6月29日 【錯笵寛永】
なんてことない文銭の錯笵背ズレ。奇品館No.53に同じような品を逃した記録がしてあります。平成18年に逃していますので18年ぶりの再会と言ったら書きすぎかなあ。こんなもの気にしているコレクターなんてこの世にほとんどいないと自覚はしておりますが、文銭の錯笵は本当に少ないのです。このように郭抜け、輪の余白入りは普通じゃ考えられないレベルのエラーです。雑銭には違いない部類ですけど皆様も探してみて頂ければ数の少ないエラー銭であることが良く分かると思いますよ。
※良く見ると郭のずれた形が極端に縦長なのに他に二重に象られた部分が全くありませんのでこの錯笵は意図的(デザイン的)なものに見えます。
水戸短足寶写し(純赤銅銭)
長径48.26㎜ 短径32.00㎜ 
銭文径40.2㎜ 重量21.5g
広郭手 細縁異極印 → 薩摩広郭写し細縁異極印
長径48.0㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量18.9g
色の再現性はこちらの方が近いです。真赤でした。地金そのものが赤くとても滑らか。これは秋田小様の色・・・加護山・阿仁銅山の色ですね。極印は良く分からない。地は凹面状でよく鋳ざらいされた雰囲気があります。

6月22日の広郭手は文字の大きさなどからおそらく薩摩広郭写しで良いと判断しましたが・・・揺れています。
 
❶離用通写 27.41×27.46㎜ 5.7g 側面は斜めやすり

❷大頭通写 27.72×27.56㎜ 5.3g 側面は斜めやすり

❸文政正字写 27.76×27.84㎜ 6.1g 穿内仕上げあり
本来、左2枚は斜めやすりが激しく見えるのですが平滑に見えてしまいます。良く見ると中央だけは傷らしきものがかすかに見えますが、こんなもんじゃないです。一方、右端は平滑な仕上げなのですが東北らしい多面体の仕上げに見えない。それどころか角の横方向の傷が強調されてしまった形。これは全く違います
6月28日【密鋳銭再撮影】
昨年の11月に一度撮影したのですがあまりの画像うつりのひどさにげんなりしていた密鋳銭類です。試行錯誤の結果、同じ器材のままでここまで画像進化を遂げました。ピントの甘さはまだ残りますがそれも改善し、表面の細かな傷や微妙な色彩の再現にまでこぎつけました。ただし、どうしても側面写真の再現だけがうまくゆきません。やすり目がきれいに出ないのです。これは宿題です。

❶は大珍品です。離用通そのものが少なく、その密鋳は皆無に近い。私自身、このほかに1枚だけしか所有していません。しかもこの品は踏潰系のつくり。側面は斜めやすりという具合に密鋳銭100点の品です。

❷の大頭通写は上の掲示品と同炉だと思われます。背の波は延展になっていませんがその他は砂目と言い、銅質、仕上げと言いそっくりです。離用通ほどではありませんが大頭通の密鋳も少ないですよ。
❸は表面のぶつぶつから文政期正字を写したものと推定しています。この密鋳銭のすごいところは郭内がきっちり仕上げられており、銅質は安政期の色であること。側面もほぼ平らでほとんど「安政期正字」と言っても良いつくりなのです。しかし・・・側面がロクロではなく砥石での手仕上と思われるのです。面文の違いと合わせとても残念ですけど、しかたありません。
安政期正字は確かに少ないけど文政期正字写しと分かる密鋳銭も相当少ないはずですよ。
私の画僧補正の手法(覚書)
使用アプリ ❶Microsoft Picture Manager(表示名Microsoft Office2010)がメイン。
❷Peint ❸JTrim ❹ピタリ四角 は補助的に使っています。
はじめにスキャナー起動。(Canoscan Lide400)
スキャナーの起動アプリは正規のものを使用。パソコンに付属しているScanソフトでは細かい設定ができないことに長らく気が付いていませんでした。(複合機Canon TS8630 は今は使用せず。)
解像度は150dps以上で撮影。設定 輪郭強調以外はOFF。取り込み画質は写真。彩度カラーバランスを赤マイナス-20に設定しておくと良いことが最近分かりました。撮影すると背景が青くなるがこれでOK。
撮影した画像をMicrosoft Picture Managerで開く。
「画像の編集」で「色」を選び、背景の青黒い所を選び「色の調整」を実行。すると背景の青と余計な黒ずみが除去されます。青の補色である余計な赤味が除去され自然な色に仕上がります。ただし、これは私のパソコンの癖でしょう。(読み込むたびに赤が強くなる変な癖が不定期に出現します。赤目補正みたい。)
次に「明るさとコントラスト」を選び「明るさ」を+5~+15 「コントラスト」を+10~+20。
必要に応じて微調整していきます。さらに画像の傾きと画像の大きさの調整をします。
画像の大きさの微調整は❷Peintの方がしやすいです。カメラで撮影した画像は表と裏の大きさが微妙に異なることが多く、表裏の大きさを揃えることから始めることも多いのです。撮影時の傾きによる歪みは❹ピタリ四角で補正しますがこれはなかなか難しい。背景の加工も❷Peintでよくやってます。
下の大和文庫の画像はPeintで一部補正をしていますがどこを直したか分かりますか?
 
 水戸短足寶写(大和文庫HPより)
 當百銭カタログ No.378(奇書体)
 不知天保通寶分類譜 下巻P209(奇書)
 天保通寶研究分類譜 第5巻No.1614
 天保通寶と類似貨幣カタログ No.156
6月26日【鋳写しの有名不知品】
天保通寶の鋳写はほとんどが本座がベースで藩鋳銭を写したものはあまりみたことがなく、美しいと言えるものは皆無と言っても過言ではありません。そんな中で画像の天保通寶はもっとも美しく?有名な?1枚ではないでしょうか。
秋田の故、村上師がかつて保有していたもので、師は秋田もしくは南部の写しであろうと泉譜上に記しています。水戸短足寶の銅質とは明らかに異なる柔らかそうな赤い銅質。銭径、銭文径も小さく写しであることはほぼ間違いのない品だと思います。藩鋳銭写しは粗造がほとんどで、ありそうでめったに見られないのがこの藩鋳銭写し。銅質や製作が明らかに異なるものが、なかなかないため、気が付かれていないのかもしれません。
※なかなか体調が元に戻らない。疲れやすく、散歩するとその後動けなくなってしまいます。怠け病と言われてしまうかもしれません。気力がわかないぞ。昨日の炎天下2時間散歩はさすがにきつかったか。え、古銭の記事・・・リハビリです。
 
❶安政期小字背一直波  
28.14×28.03㎜ 4.2g  浩泉丸蔵
❷安政期俯永  
28.2×28.2㎜ 4.7g  浩泉丸蔵 
❸安政期俯永(背肥波磨輪)  
27.14×27.00㎜ 4.6g  浩泉丸蔵
6月25日【安政期當四文】
世の中に存在する数少ない寛永通寶コレクターのうち果たして何人が安政期銭まで手を出しているでしょうか?
かくいう私、なんとか俯永と一直波等の小字類までは入手できましたが、それ以外は夢のまた夢で収集そのものを半分諦めております。記事の最後にこれでもかというぐらいの安政期珍銭を載せてありますが、関東のAさんの所有品。ここまでそろえられている方はほかに存じ上げません。
安政期銭収集の問題は雑銭に見えて圧倒的に枚数が少なく、お金を出しても入手できないことに加え、とても地味で存在すら忘れてしまうこともあげられます。特徴は輪のロクロ仕上げであり、後加工が可能なだけに判定が難しいのです。
❶の背一直波は私の収集人生で唯一出会った一枚。島屋文などは何度も見たことがあるのに評価の高くないこいつに出会うまでは30年以上かかりました。
❷はスキャナーの癖で赤茶色っぽく見えますが実物はもっと黄色い発色。(修正しました。)安政期と称する文政期色ののものをときどき見かけますが手は出さない方が無難です。写真写りが悪いだけで原品は非常にまじめな一枚です。
❸は径が小さいのですが銅色と製作は立派な安政期です。ただ、背の波が異常にくっきりしていてまったく俯永らしくない。ひょっとして密鋳かなあ・・・と思い、内径比較してみたら❷と❸はほぼ重なります。輪の仕上げはまっ平で穿内もやすり掛けがあり、あとやすりには見えません。疑問点は残りますが今のところ安政期俯永の仲間に入れておこうと思います。
実は私の所有品の中にあと一歩で安政期と言える密鋳銭が何枚か存在しています。もし私が寛永通寶の大家でその昔の銭幣館、田中啓文ほどの力があればそいつは安政期だと断言してしまう・・・かもしれませんが、やっぱり何かが違います。Aさんのコレクション・・・貴重ですよ。でもこうして写真に写すと真っ黒になっちゃうのが困りものです。お金を出しても手に入らない世界がここにあります。
なお、安政期と並び判断が難しい當四文銭に文久様があります。名称からして文久永寶に製作が似ているはずなのですが、初めて見たとき「どこが?」と思いました。これについては舎人坊石川氏がその昔銀座コインオークションに寄稿されていたと思います。曰く、文久様には2タイプあり白銅質の古くからあるタイプのものと、黄銅質のもの。後者は茨城方面で挿しの状態で発見されたとかされないとか。文久様も側面はロクロ仕上なので安政期とは紛れやすい気もしますが・・・まあ、迷うことはないでしょうね。
安政期は小字以外めったに出会うことはありません。そもそも安政期の小字だって意外に少ないのです。変化が地味なので探せば見つかる可能性は0ではありません。その昔、Ⅰさんは雑銭から安政大字を掘り出していました。明和大字も近年雑銭から出たと聞いております。なので一攫千金も夢じゃないですよ。
ちなみに私が初めて安政俯永を入手したのは収集の誌上入札で。10万円以上払った大馬鹿野郎です。

安政期正字(いづみ会譜原品) 安政期離用通 安政期大字 安政期俯永  
画像協力 関東のA様
 
6月24日【細郭手欠マ頭通の類】
手持ち品に欠マ頭の類がもう一枚、計3枚ありました。覚えてないものですね。この類は銅質、肉厚が様々ですけど文字加刀に共通の特徴が見られます。例えば、天の足の周囲には加刀があり尖尾天になります。また、背郭の上辺が反郭気味になります。そして命名の通り、通頭の内部がえぐられマ頭が口を開けた形になります。ただし、マの最終画の長さはまちまちです。画像では左端のマの最終画は根っこをわずかに残してほぼ消失し、口はほぼ全開ですけど、中央は半開き、右側は3分の2以上が残っています。よく観察すると
通頭の内部にヒゲのような突起が3枚ともに確認できますので、ルーツは同じである可能性が高いです。とくに、右端と中央は桐極印の形状もほぼ同じ。左端は極印が異なるのであるいは他人の空似の可能性もあります。良く見ると左上の通用の四角の形状も似ていませんかね。偶然かなあ。
覆輪欠マ頭通厚肉 覆輪欠マ頭通薄肉赤銅 覆輪欠マ頭通
長径49.2㎜ 短径33.0㎜
銭文径40.8㎜ 重量27.0g
長径49.05㎜ 短径32.5㎜
銭文径40.75㎜ 重量18.1g
長径49.4㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.95㎜ 重量20.9g
 
6月23日【広郭手以外も難しいんです!】
 ❶細郭手覆輪存痕厚肉重量銭
長径49.5㎜ 短径33.3㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量29.6g
 ❷細郭手 覆輪欠マ頭通厚肉
長径49.2㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量27.0g
 ❸細郭手 覆輪欠マ頭通
長径49.4㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.95㎜ 重量20.9g
 ❹長郭手 鋳写
長径48.7㎜ 短径32.05㎜ 
銭文径40.9㎜ 重量23.1g
 ❺本座広郭厚肉背反郭(規格外)
長径49.4㎜ 短径33.04㎜ 
銭文径41.3㎜ 重量25.6g
銭文径が本座とほとんど差がない不知銭は広郭手以外にも存在します。
❶細字で連玉寶、横太りの銭形。覆輪までされていて大様になっています。天保銭を見慣れた人なら一目で不知銭だと判るでしょう。しかも寶の周囲に刔輪も少々あり、重量に至っては29gを超えちゃう出血大サービスのなんじゃこりゃ状態です。
その一方で銅質はほぼ本座と同じで製作技術も素晴らしく銭文径だけは細郭の標準サイズにほぼ等しい・・・なんで?
こんなものもあるんですよ。

❷は前掲示品以上に書体の見た目は本座そのもの。横太りの覆輪特有の銭形で背郭も覆輪圧力のため反郭になっています。銭文径は標準より0.4㎜程度縮小しているだけなので見た瞬間にこれを不知だと判断できる人は達人の域を超えて生き神様です。
ただし、こちらも重量が27gもありますので異常に気づくのは容易。この不知銭は通頭に特徴的な加刀が通頭内外にありマの第三画が陰起消失し口が開いた形になります。普段私は細かい文字の部分変化に囚われるなと口を酸っぱくして伝えている(ちなみにこれは天保仙人様の教えの受け売り)のですが、次の細郭手をご覧いただければこれが母銭由来のものらしいことが分かります。

❸は今回の記事を書くためにちょうどよい題材はないかとB級品を見直していたところ・・・あらら❷と同じような癖のある覆輪銭に気づきました。こちらは拡大すると同じ加刀痕跡が通頭の内外や天尾にあるのです。覆輪であること以外は銅質、製作、砂目ともにほぼ本座と同じ。(色は若干明るく黄色が強い。)本座細郭に覆輪次鋳があるとしたらこれしかないというような代物です。なお、保の後点が草点になっていますがこれは偶然だと思います。かなり昔にネットで拾ったもので3500円だったようです。覆輪を探すときは横幅と反郭に注意せよ・・・なんですよ、ほんと。
ただし、コレクターを狙った延展という変造もけっこうあるのでご注意を。

❹の長郭手はサイズこそ小さめだけど銅質、製作はほぼ本座そのもの。郭内仕上げは若干粗くて違和感がありますがそれが不知であることを示す決定的なものではありません。少し重めの重量と短めの長径であり、極印も厳密にいえば雰囲気が異なりますがいずれも決定打にはなりえません。すなわちこれは銭文径の縮小を根拠に鋳写と判定した典型的なB級不知銭なのです。
果たしてこれを見た目だけで不知品と判定できるようなマシンのような眼をお持ちの方は日本にどれだけいらっしゃるか。少なくとも私はその力はございませんので・・・。関西のTさんぐらいかなあ。鋳写等による銭文径の縮小は長郭手だと平均で0.7㎜ですが細郭手だと0.4㎜未満ほどしかないものも多いと思います。そうなるともう銭文径の数値ははあてにあまりできない場合もあります。

❺は巨大な本座広郭と判定したもの。面背の反郭や含円郭を不知とする銭譜や、特定の藩鋳を推定する向きもありますが、現段階ではいずれも仮説の域を超えていないので、私は研ぎなどの製作過程による小変化の範囲であると見ています。何度見てもこの重量と短径の数値は異常で不知品にしても良いかな~と思い続けていたのですが、端正過ぎてどう見ても本座にしか見えないのです。良く観察すると寶右側の輪際に全体に明らかに刔輪の痕跡があります。その上つい最近まで銭文径の計測値を41.6㎜と長郭並みの数値にしていましたから、これはもう不知かなと心が傾く私。金属製のデジタルノギスで改めて計測してみてもやはり41.6㎜前後を示します。こりゃやっぱり不知銭かなと思いながらも念のため画像を重ねて比較をしてみたら・・・なんと通常の本座広郭とほぼ変わらない。計測するときノギスの歯を深く差し込むと41.6㎜、表面近くで測ると41.3㎜。私の銭文径計測のいい加減さが出ています。と、いうわけでこれは本座の大ぶり銭ということに再び落ち着きました。本座といえどもなかなかこのサイズないですよ。
なお、意外に知られていませんが本座銭にも刔輪修正はあります。この天保銭の場合下部にできた鋳だまりを修正しようと(あるいは鋳乱れの発生を防止しようと)試みたようで面左側の輪際に沿って加刀と残骸がはっきり見られますが、意外なことに面側の左右の内径バランスは変わりません。と、いうことで短径が大きい理由は残念ながら謎のまま。(覆輪刔輪については天保通寶覆輪刔輪マニアック講座をお読みください。)
最後にもう一度皆様へ・・・
「細かい文字の変化ばかりに囚われるな、製作を見ろ。」(天保仙人様)
「数字(銭文径)は嘘をつかない、ただし計測値はときどき嘘をつく。」(浩泉丸)

泉譜の計測値には嘘がたくさんあります。ご注意を。
 
広郭手 細縁異極印 → 薩摩広郭写し
長径48.0㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量18.9g
広郭手 肥字細縁楔形極厚肉異極印
長径48.35㎜ 短径31.85㎜ 
銭文径41.5㎜ 重量26.6g
6月22日【広郭手は難しい】
私は不知銭判定するときに銭文径を非常に重視します。鋳写をすれば銭文径は必ず縮む・・・ただし、細郭手の一部のものからこの法則は怪しくなり、広郭手に至ってはあてにならないこともあります。金座から母銭が流出したという噂があり、後藤家の不可解な粛清が見られるからです。細郭手のある種のものは銭文径の縮小が0.2~0.4㎜程しかないものがあり、広郭手に至っては銭文径の差がほぼ見られないものまで散見されます。書体のコピー技術の精度(母銭の作成技術)がどんどんあがっているのです。
一方、細郭手の場合は材質を含め細心の注意を払った作になっているものが多いのですが、広郭手の場合は書体以外の部分は個性あふれるものが多い気もします。これは技術の進歩もさることながら、幕末に近づくにつれて幕府の力が全国に及ばなくなったため、材料まで気にする必要が無くなったためなのかもしれません。逆説的に言うと、書体については見分けがつかない不知銭だらけ・・・いや、不知銭としてもはや見分けがつかない密鋳銭がたくさんあるのかもしれません。
さて、上段の広郭手は練れの良い赤黄色の銅質。もう少し赤ければ秋田と言いたくなる雰囲気も若干。ただし、銭文径はほぼ本座と変わらない。磨輪された石持桐極印銭かなと片付けたくなるのですが、極印はホのような変形極印が左右ともに打たれています。銅質も穿内の仕上げ(全体にやすり掛け)も異なりますのでもう不知にするしかないのです。
下段の品はもっと分かりやすい異常な品です。銅質は褐色なので一見は本座銭の変色のようにも見えますが、やや太字のせいか銭文径はむしろ大きく、重量は26gを超えます。肉厚は寶側で3.2㎜、天側で2.8㎜と楔型です。さらに異極印でもありここまで異なればもう不知広郭手にするしかないのですが、書体にほとんど変化がないのでいざ名称を考える場合に困ります。ここまで徹底的に異製作でありながら書体はがっかりするほど平々凡々なのです。(だから評価が上がりづらい。)
天保通寶の不知銭に人気があるのは製作に加え見た目の変化が面白いからなのですが、多くの広郭手は覆輪刔輪がほぼなく書体の変化もほぼみられません。つまりまったくつまらない。流通を意識した密鋳なら奇抜な書体変化は不要なのですが、収集を楽しむ側としてはもう少しあったら良かったのにと思うのです。銭径の縮小という問題がクリアできるのならそもそも覆輪刔輪は不要な作業なのは当然なんですけど残念ですよね。それに、以前にも書きましたが本来は広郭手に分類されるべき書体の多くがすでに藩鋳銭に分類されているのです。つまりそれ以外の密鋳広郭手には密鋳銭であることさえ識別困難なものしか残されていない・・・ということになります。贋金も完全にコピーされると本物になってしまう訳でして、水戸接郭や仙台長足寶のような覆輪刔輪のある魅力ある広郭手、他に出てきませんかね。

※判定で一番迷うのが製作手法の違い、極印・銅質の違いだけしか判定材料がない場合です。穿内仕上げの手法が全体にやすり掛けされている・・・いわゆるべったりヤスリがけ・・・は他に何かの痕跡がない場合は後加工・・・盗銅や母銭への転用意図・・・を疑うべきでしょう。極印も摩耗や破損、打ち損じがあり得ますのでよほどはっきり異なる以外は不知銭として判断しづらいものがあります。銅質も変色、火中品があり得ますので状態を含み判断すべきでしょう。上記にあげた2枚の広郭手は誰が判断しても本座ではない複数の特徴のある稀有な事例です。これだけ異なっていても広郭手の市場価値はめったに5万円まで達しません。ここまではっきりわかるのは数は絶対に少ないはずなんですけどねー。残念。
 
面背逆仕上げの張天保(細字)       四国のKさん提供
長径49.5㎜ 短径33.05㎜ 重量27.0g
長郭手 覆輪強刔輪深淵(面背逆製:背の広穿っぷりが良い!)
長径48.7㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量20.0g 
長郭手 覆輪強刔輪深淵(純赤銅銭) 
   
長径48.9㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.7㎜ 重量20.7g 
6月21日【面背逆製かも】
四国のKさんから張天保の計測値の連絡が・・・。
長径 短径 穿縦 穿横 
面側 49.5 33.05 8.8 8.8
背側 49.0 32.8 8.8 9.2
この張天保の穿内ヤスリは背から面へ向かってかけられている様です。また、背側の数値が面側の数値より小さくなっています。これって面背逆製って事でしょうか?
(一般的な面背逆製のように)面浅字、背深字には見えませんが、両面共に浅字です。厚さは2.5~2.6㎜で重量が27.0gもあります。そのせいか、背側は全体に丸みを感じ、面側は真っ平らな感じを受けます。私の感じていた違和感はこれによるものかもしれません。
(メール文は編集してあります。)

面背逆製と名乗っても間違いではなさそうですけど、間違いのないところで面背逆仕上げとしておきます。
なお、サイズについて正式に記載しておりませんでしたが、これってどう表現すればよいのでしょうかね。(やっぱり最大値ですかね)

ちなみに画像中央は私も面背逆製で良いと認定した不知銭。面側より背側が広穿になっていますし、やすりも面から入っていて、面側が浅字・背深字ですべての条件がクリアされます。
下段はあとで類品と気づいたもの。やはり面側の文字がぼやけて背が広穿に見えますけど穿内はべったりやすりで良く分からない。もしこれも面背逆製だとしたら・・・母銭からして面背逆製の形状ってことになりませんかね。えっ、企画もの???
分からない事は謎のままな方が幸せなことがあるってことかな。
※銭笵に背側を強く押し込んだらこうならないかしら。踏み固め不良ということもある。鋳張りは面側に偏ります。鋳造技術そのものが未熟だってことですかね。憶測もいいところですけど。
※跳尾大世は鉄人が入手されたようです。
 
6月20日【銅替わりの深字】
暇なので日付がどんどん進んでしまいます。こうなると日付は単なる順番の記号にすぎないですね。まあ、お許しを。

今回の記事はスキャナーの画像撮影の練習も兼ねています。設定や撮影する古銭の置き場所を工夫して色々試しているのです。色彩はどうしても赤味が強く出がちで、画像の天保通寶も赤みを抑えもう少し黄色を強くしたいのですが今の私の技術ではこれが限界です。色合いとしては接郭や大字に近いです。スキャナー光源のLEDが強く低く、影が長くなりやすく、てかって見えやすいことも問題。凸部ははっきり見えるけど凹部は見えづらくなるなどの癖があり、苦戦しています。もっと色と形の再現性の良いスキャナーないかしら。

さて、深字は水戸とすべきか久留米とすべきか私も一貫していませんが、石持桐であり、九州に大量にあるという傍証から久留米に籍をおいておくのが今は無難なのかもしれません。
九州の銅山と言えば宮崎県高千穂町の土呂久鉱山があまりにも有名で、加治木洪武通寶、叶元祐、背長寛永など白銅質~黄白色の色あいが特徴的です。不知天保の勇文が九州方面の出自じゃないかと言われるのも、関西方面で発見が多いことに加えてあの銅色が東北の赤い色ではなく、土呂久の色と考えられたのじゃないかしら。
それからすると赤い独特の銅質の深字や久留米正字が九州の天保というのはいささか不思議な気がします。そういえば深字や正字の成分分析をした資料(幕府藩諸 天保通寶銭の研究)に、大量の亜鉛が含まれるとした記事がありました。幕末、亜鉛は幕府の専売輸入品で、それらを含む貨幣の鋳造原料を堂々入手できるのは天保通寶の鋳造許可を幕府に正式に認められていた水戸藩ぐらいだったと思います。(亜鉛の密輸は鋳造の難しさと採算性から非現実的ですね。)もうひとつは採算性は悪くなりますが亜鉛が含まれる四文銭を材料としたこと。亜鉛は鋳造中の温度管理が難しく突然溶銅が沸騰して爆発するほど危険だったのですが可能性としてはありえます。水戸学が盛んだった久留米藩と水戸藩は何らかのつながりがありそうな気がします。(2010年3月27日制作日記参照)天保通寶は藩同士の貿易決済でもあったので水戸で作られ久留米に運ばれた可能性も否定できませんが、今のところ謎です。

画像の深字ですけど、未使用クラスで黄色く見えたから昨年コイン店で拾いました。深字は赤い銅質のものがほとんどで、赤茶はあっても黄色く見えるように発色しているものは珍しいと思います。
これから先、穴銭も状態が評価を大きく左右すると考えて奇麗なものは拾う・・・ことにしています。今ならまだたくさん拾えますし、やはり状態の良いものは気持ちが良いです。

話は変わりますが九州の古銭と言えば長崎元豊を代表とする一連のものがありますね。長崎元豊は貨幣カタログなどの掲載順序からなんとなく寛永通寶以前(関ケ原前)の古い時代の銭と思われがちなのですけど、実は新寛永の時代の1685年まで約25年間作り続けられ、江戸期の貿易用通貨としてのその後も役割を果たしていたのです。また九州鐚と言われる一連の鐚銭も長崎貿易用の決済通貨として使われていたとも。幕府は金銀や銭の海外流出を恐れ、長崎貿易を厳しく制限し、取引の規模縮小が続けられたため、長崎元豊の鋳造は短期間で終わってしまいましたが、江戸期の公式通貨であることには間違いがないのでもうちょっと研究が進んでも良いかなと思います。

→ コインの散歩道(長崎元豊)
→ コインの散歩道(更新履歴)
 
6月19日【妖怪ども】
外出禁止令発令中で相変わらず暇な毎日。昨日は早朝、外歩きができたが今朝は雨。本当はこっそり出かけたいところだが立場上できない。何もかもやる気がなくなる。それでも暇だからHPを更新してます。日付も1日進んでしまいましたがご愛敬。関東のAさんから頂戴した画像を整するべきなのでしょうが、そんな気分になれない。鬱だあ~。
この状況じゃ仕事する気力もなくなりそう。本当は今日は大事な会議があった(主催者)だったのですけど、それも不参加に。皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだが、やる気もなくなっているのでしょうがない」。子供は私以上にやる気がなくなっているというかだるそう。そのかわり咳が治まっているのでパソコンに近づきやすくなったのは幸いです。
さて、ここにある品々はネットに出現したもので、入手経路はたぶんⅠさんとかKさん、あるいはTからのもらい物・・・もしかすると私自身で購入したものかもしれません。私の記憶からほぼ欠落している。そんなアルバムの中の妖怪どものお話。

❶の重量は10gを切り、断トツの軽量銭です。広穿で極細の文字。天上、當上の刔輪が極めて強い細縁銭。かつて、銀座コイン20周年記念誌・名貨百選に秋田の故、村上師が肉厚0.98㎜(重量不明)の広郭手を出品されたことがあります。その薄さには遠く及びません(1.62㎜)が、手にした感触では10円玉より薄く感じます。
ときどき密鋳銭に磨輪、摩耗された薄肉天保銭が見つかります。薄肉粗造とか浅字とか呼ばれていることが多く、鋳肌は浚われてつるんとしていることが多くとてもみすぼらしいもの。それらと同様の粗造ながら、これは地肌に荒々しさがあります。一応、極印も穴ぼこ状ですがかすかに見受けられます。
ただし・・・今のところこの銭は参考品の扱いのままです。理由は銭文径が大きすぎるから。
薬品に漬けられて輪や文字などの凸部が溶解されたあと、古色を付けるために火入れされた可能性が否定できないのです。ただし、銅質が本座と異なる可能性も否定できず、砂目や側面の雰囲気も一応あることから、
薄肉の写しの火中品(焼け延び)の可能性も否定できません。なお、写しの場合は薄肉であっても銭文径はきちんと縮みます。と、いうわけでこれは良く分からない。写しなら火を被っている。粗造薄肉の贋作だとしたら手間暇かけて実によくできています。ただ、そんなもの作る価値あるのかなあ。また、当時の写しだとしてもここまで薄いと流通に支障が絶対あったと思う。ピンボケ画像ですみませんが側面の出来はなかなか良い。不知天保通寶分類譜には下巻P194の1図が刔輪はないもののほぼ同じような品。なんだか良さげな気がしてきた。(怪しさがUPしてしまいました。)
贋作度75%

❷も同様に細縁薄肉。面文は肥足寶のようでもあり寶足の開きもしっかりあります。文字周囲の彫り込みも強く、保点は張天保のように弓張り状ですし、通はフ頭通に見えます。不知天保好きなら絶対に注目するでしょう。しかし、ひっくりかえすと細字になってますがどう見ても本座そのものの書体。どゆこと?
私の感覚では
彫り直しと薬品で加工したスタリキ(銅版画の技術で文字などを腐食加工したもの)だと見ます。側面は無極印状ですがわずかに残されたやすり目は本物の本座の痕跡で自然です。背が本座じゃなければだまされちゃうかもしれませんが総合的に見てダメだと判断できます。
贋作度95%

❸は2年前に関東のⅠさんから頂いた品。とにかく見たことがないつくりです。銅と鉛分が多そうな赤黒い地金で地肌は鋳浚いの条痕もなくつるつるすべすべしてます。その上、浅い地に描かれた文字や輪の周囲がこれでもかと深く彫り込まれています。まるで厚い銅の一枚板から彫り起こしたようで慶長通寶の四ツ千鳥や、ある種の清朝銭の母銭のようでもあります。寶字の左右は特徴が顕著でお多福のように地が膨れて一段と高く見えます。さらに全ての文字が加刀で歪んでいて奇々怪々な書体・つくりなのです。美大生が彫金した贋造天保母銭の話を聞いたことがありますが、彫金作家が遊んで作成してみた・・・そんな雰囲気もある。もし、これで書体が広郭手だったら久留米正字を削ってつくった・・・そう考えてしまうかもしれません。いや、そう考えながら極印を見ていたら久留米の彫り直しの否定ができなくなってきた。極印もそれっぽい。頂きに玉が見えてきたぞ。幻覚??しかし、穿内のつくりは当時のもの。久留米広郭だとしたらもっと加工痕跡が残るはずなのにそれもない。
そもそもこ
んなに奇々怪々なのに類品の出現報告を見たことも聞いたこともありません。もし、昔からこの不知銭が認知されているとしたら絶対に泉譜に掲載されるはず。だから怪しい。だからと言って否定しきれる材料もない。異常でありながらも製作にも矛盾がないのです。総合的に見る限り贋作度は低い・・・でも、大化けする可能性を秘めていますが、このつくり真正品とするにはどうしても引っ掛かります。久留米を彫金して作られているとしたら相当上手、芸術です。でも、彫り直しだとしたら元になった天保通寶はかなりの大物・・・無理かなあ。謎だあ。
贋作度55% 

以前のスキャナとの画像にかなりの差がありますね。古いスキャナは本当によかったのですが、ウィンドウズのバージョンアップに対応できず動かなくなってしまった。その後に購入した今のスキャナは色、解像度とも全くかないません。( ;∀;)λ私がしばらく更新しなくなった理由の一つで、画像を撮る楽しみが半減しました。
なお、比較用に卓上に放置してあった本座長郭・・・23.7gある厚肉銭でした。意外に少ないですよ。
❶細字刔輪細縁超薄肉(推定:スタリキ加工+古色付け)  
長径48.4㎜ 短径31.35㎜ 銭文径41.8㎜ 重量9.8g 
本座長郭との合成画像。さらに拡大して頂ければ文字位置、郭の外周ラインがほぼ合致していることが分かります。つまり全体が時間をかけて焼かれた焼け延びではなく、表面だけの古色加工の可能性が高そうです。残念ながら贋作度UPです。焼け延びの場合、高温に長時間晒されるので郭の外周ラインそのものの一致は考え難いのです。
なお、本物の焼け延びの場合外径が50㎜以上に達することがしばしばあります。やはり、焼け焦げ、錆び、変色の天保通寶はダメですよねー。
     
❷異書刔輪長足寶細縁薄肉(推定:スタリキ+彫り直し)  
長径47.95㎜ 短径31.0㎜ 銭文径41.75㎜ 重量15.6g 
   
❸奇書削字(お多福天保:彫り直しの可能性あり)  
古いスキャナの画像。
画像が小さくてもとても鮮明で再現性が高い。 今、この問題は大きい。キャノンは機種の更新をしてスキャン性能を下げてしまった。こちらのほうが文字周辺や輪際の彫り込みがはっきりわかります。ピントと光の当て方の問題だと思います。天保仙人様は悪く無いつくりとのご意見ですが・・・さて。
長径48.64㎜ 短径32.44㎜ 銭文径41.2㎜ 重量22.9g  
 
6月18日【康健VS浩泉丸】
濃厚接触者として自宅待機を命ぜられて全く暇なのだが、今は古銭を整理整頓する気力が全くでない。見事な天邪鬼ぶりである。一応朝、(2時に寝て)5時に起きてから郊外を2時間歩き回り(暑い!)、その後に必要物資を買いだしたら疲れ果ててしまいました。子供の症状はいまだにおさまらず壁一枚の先で激しく咽こんでいます。私の古銭基地が子供の寝室のある2階にあるため日中は可能な限り自粛していました。
さて、康健さんの画像と私の所有品の画像の倍率(銭文径)をそろえてみました。カメラとスキャナーの違いはありますが、極印や砂目、製作状況から同じ系統(炉)であろうと推定はしたものの細部においては全く違いますね。とくに背の刔輪の違いは歴然としています。このあたりは関西のTさんならズバリ「ここは同じ」「ここは違う」なんて指摘ができるんでしょうけど、節穴と化している我が眼には目下その力量が不足しております。さらに我がスキャナーのポンコツぶりが目立つ結果になっている。もともとスキャナーはスキャン方向によって画像が歪む癖があるのですが、これは動きはじめのヘッドの速度が鈍いことに起因すると考えて試行錯誤してみたのですが、どうもそれ以外の作用もあるみたいです。そもそも影のできる位置が光源の進む方向とは逆だし、斜めだし。結局、撮影方向を(影が頭方向に映るように)するのが一番自然だと分かりました。
さて、画像の問題はありますが観察をする限り、一致点は背各城辺の加刀の他、寶前足付近のえぐりと通辵頭上の凹み、通島付近の凹み、天尾付近の地の様子などがありますが・・・他人の空似の範疇かな。銅質も異なりますし・・・康健VS浩泉丸の天保通寶バトルは画像の精度を含み康健さんの圧勝です。
康健氏所有品  浩泉丸所有品 
↑ 背の細縁ぶりが圧巻です! 
 
日本の絵銭
赤坂一郎編 文字絵銭の部
 


画像提供:関東のAさん
6月17日【日本の絵銭】
濃厚接触者になり2日目。今日は完全に引きこもり。しめしめ平日の山歩きがゆっくりできる当初はと目論んでいたが、私が家を出てしまうと感染している子供に食事・水分の提供ができなくなし、。自力生活させると家中が汚染されてしまう。さらに問題なのは親父。運動能力が高く自由に出歩く。放っておくとデイサービスに職員より早く自由出勤してしまう。記憶力と昼夜の区別、清潔の概念の一部と排泄に問題がありますが、几帳面で行動的なので、私は可能な限り家にいて、とくに親父の監視が必要なのです。洗濯も食事作りも後片付けも私の任務。
将来を見越し両親には福祉施設の食堂で食事する習慣を5年以上前からつけてきたので放っておくと忘れて食べに行ってしまう。
ちなみに親父の食事は、私が発案して始めた認知症高齢者の食事難民救済の実証実験で、コロナ禍で範囲は広げていないもののものすごく有効。収益にはならないものの、高齢者と介護者の在宅生活を守る切り札になりえます。これがあるおかげで私は自分の生活パターンが守れているのです。
しかし、隔離生活の今、一日中認知症の父に付き合うのはつらいですね。Wケアラー状態で自由がないし・・・でもとても暇だ。と、いうわけで今夜も先の日付でHP更新。

さて、ここにある和同開珎はすべて日本の絵銭の原品だと思います。(日絵原って書いてありますものね。良く見たら掲載位置まで書いてある。)解説文を読むとこれらの和同開珎は実際にあ和同開珎を写したものであるとのこと。鐚和同としても良いものもあるのかもしれませんが、背の形成を見る限り銭座職人のかかわりを感じるものばかりな気がします。④なんてまさに古寛永の長門銭ですよね。
また、③は覆輪痕跡がそのまま残されていますから、当時の鋳銭技術の様子がうかがえるのではないでしょうか。和同開珎は銭座が新規オープンするときとか、新しい炉を開くとき、特定のお祝いの日などに鋳造したと聞きますのでここにあるものはそんな記念硬貨なのかもしれません。

※日本の絵銭を探していたら畫銭譜がひょっこり出てきました。
遊んでたら頭痛がしてきた。喉も違和感がありアブナイ。感染ったか???
 
   
6月16日【Kさんの張天保】
四国のKさんの持ち物。張天保を初めて見つけたのは私が大学に入学したときのこと。ご馳走してくれるという祖母の言葉に誘われて日本橋まで出かけました。祖母の「ごちそう」というと日本橋三越デパートの特別食堂と決まっていました。通常の食堂とは別階にあり、メニューも食材もちょっと高級なので空いていました。会員専用というわけではなく誰でも入れるのですが、混雑した大衆食堂ではなくちょっとしたセレブ気分が味わえる隠れ家でした。日本橋は私の家族にとっても特別な場所で、千葉のデパートはお買い物の場所で、日本橋のデパートは異世界への小旅行気分だったと思います。日本橋には賞山堂の他に当時は三越、高島屋にもコイン売り場がありました。そして高島屋のお買い得雑銭コーナーで発見したのが下の張天保。このコーナーでは寛永通寶の額輪(とても目立つ)を拾ったことがあってうぶだと感じていました。見ての通り真っ黒で炎にあぶられた可能性があるのですが地肌はきれいに残っています。とはいえ、これはクリーニングした結果の状態で、発見した状態は漆喰まみれで文字も半分ぐらいしか見えずお世辞にもきれいではなかったのです。手にした瞬間違和感を感じ即決購入。値段は1000円以上したと思います。祖母はこっちのきれいな方になぜしないのといぶかしんでいました。店員さんにこれすごいでしょと見せたら、水戸大字だよ~と返してきました。(今思うと間違っているにしても見るべきポイントは押さえています。)
さて、Kさんの張天保、文字が繊細で雰囲気がかなり異なるとお感じになられたようです。それは私の張天保を見たからで、張天保は文字が繊細なのです。奇天手と比べても良いと思います。私の張天保が文字がつぶれ気味だとお考え下さい。それとも肥字繊字の分類があるのか・・・私には分かりませんが過度な期待はしていません。天保の美しさに目を奪われてほしくなっちゃうし。それぐらい、このクラスの天保通寶は入手したら三日三晩祝宴を行いたくなるもの。(異常ですか?)張天保の発見数は意外に多く、4~5例はあると思います。張天保は浅字で地肌がごつごつしているものが多く感じます。その点は奇天手や張天保嵌郭とは異なる気がします。
上の奇天手を入手してしまったとき、あまりの美しさに作りものじゃないかと思ってしまったぐらい。支払いのためにとっておきだった10万円金貨5枚を銀行に入金してしまった馬鹿野郎です。妻には秘密だったからね。ばれてたとは思いますが干渉してこなかったら助かりました。古銭の自慢をすると早く売れとはよく言われましたが。四国のKさんはジャンク品大量購入専門で選りだしを楽しんでおられるようで感心します。当然ご家族にはバレバレでしょうから、優しいご家族に囲まれて君臨しているのでしょう。それとも家族に平身低頭尽くしてお許しを乞うているのかな。
※サイズを教えてください。
 
6月15日【これぞ仙台絵銭I】
関東のAさんから絵銭の画像を頂戴しました。仙台絵銭というからには古寛永の仙台銭の色じゃなくちゃいけませんね。ここに掲示した叺駒(かますごま)和同は小型の絵銭。カマスはムシロを二つ折りにして縄で縛る簡易な袋で炭や野菜、肥料などを入れたと言います。この絵銭は白銅質のツヤが美しく、彫りも見事なつくりでおそらく鋳浚い母銭でしょう。和同開珎の文字が後半に行くほど大きくなっているのはなんらかの意図があってのことかしら。末広がりとかね。駒を引いている猿?が寝っ転がっていてとてもシュール。左手に持っているのは桃なのか?本当に不思議なデザインです。
珍開和同左駒も文字が切れ切れですから母銭ですかね。地もとてもきれい。Aさんは絵銭は余技のように仰っていますがなかなかどうして素晴らしい品々をお持ちですね。和同開珎は順読ですけど珍開和同は対読で文字の配置が異なります。尓の小が久になっていますが、旧字にこの形はありません。同様の変化として、琉球の乎形刻印の彡が久になっていることがあげられます。彡=久なんですね、崩し字の関係かな。
 
月星寛永(昭和泉譜 絵泉譜原品)
仙台絵銭 御蔵銭駒曳
仙台絵銭 珍開左駒背寛永
6月14日【絵銭寛永】
平成14年の銀座コインオークションに出品されたもので昭和泉譜や絵泉譜などを飾った有名品。かつての持ち主は堀光文堂師。お金を払ってでも欲しかった寛永銭の第2号です。(第1号は同オークションで出品された火炎宝珠寛永。)通寶の文字部分に月星をはめ込んだ母銭から生まれたもので、文字が接郭することから岡山小字が原型かもしれません。同時出品の寛永鬼鍾馗も欲しかった。
仙台絵銭もおそらく同じときに入手したものだと思われます。面文は覆輪の御蔵銭でなのですがなぜか仙台絵銭とされます。理由は伊達家から出たとされるものの中に中央の御蔵銭駒引の系統の鋳浚母銭があったと言われるから。赤い銅質は東北特有のもので独特でかなりの古鋳の雰囲気がありますが、仙台絵銭としてはやや異質で後期のものかもしれません。
珍開左駒背寛永は珍開(和同)左駒と呼ばれる仙台絵銭の一種。面文は和同珍開という少々ふざけたデザインで背に猿駒曳図のあるもの。駒の位置は向かって右側に見えますが、古銭は人間の体と同じ見立てが本来でで左て側に駒があるので左駒なのです。製作から見て御蔵銭駒曳と同じような雰囲気です。
 
6月13日【刻印銭】
刻印銭の収集は余興だとまず御心得ください。躍起になって集めるものではありません。(私は躍起になってました。)強いて集めるなら由来がはっきりしているもので、ここに拡大掲示した2種以外は諏訪神社ぐらいか。旭堂とか五とか是とかあと一歩で由来が分かりうそうなものもありますが・・・しょせん遊びなんです・・・でも面白くなっちゃうから困る。。
谷中の日荷堂(にちかどう)の刻印銭はなぜか日本貨幣カタログに掲載されていますので、知名度はとても高いのですが、かなり少ないものです。日荷上人は健脚の神様。足の病の守護者とも。日荷上人は夢枕に現れた仁王様のお告げを信じ、仁王像を担いで当時住んでいた横浜から身延山まで三日三晩かけて運んだとか。この刻印銭の製作の目的は戊辰戦争で焼失した延寿寺日荷堂の再建上棟式のためで明治43年10月10日のこと。
四文銭は明和期の二十一波に鍍銀したもの。今のところこの書体以外のものは見たことがありません・・・というよりこれ以外は見たことがない。それもそのはず来賓用に50枚しか作られていないそうで、タトウ入りで配布されたそうですがそのタトゥはそれこそ見たことがありません。一方、一文銭は一般来客用の撒銭として1000枚以上作られたとのこと。こちらは何度か見たことがありますが鍍銀はされていません。
日荷堂刻印上棟銭は記念コインのようなものですが由来等がはっきりしているので称揚されているようです。この点は玉塚天保と同じですが玉塚天保は企業が考案・配布したノベルティグッズですからかなりの種類と存在数があるはず。これを世間に広めたのには天保仙人様がかかわっているとか。
阿弥陀三尊梵字刻印銭は浄土宗の信仰のお守り銭もしくは上棟銭。銀の成分から見て、明治期以前にまでさかのぼれる古い刻印銭です。ただし世の中に阿弥陀様(三尊)を本尊にしているお寺はごまんとあるのでどこにルーツがあるのかは全く不明。
ところでここにある鍍銀銭には銀成分に共通の特徴があり、それが時代を鑑定する上での根拠になっています。つまり、この鍍銀銭には本物の当時の銀が使われていること。この手法は現代の銀メッキ(電気鍍金・シアン等を用いる化学鍍金)とは異なります。(水銀を用いるアマルガム鍍金)この成分鑑定は古い銀鋳造貨幣の真贋の判定にも役立つと思われます。日荷堂の銀被膜は溶解した銀にどぶ漬けしたようにかなりぶ厚く感じます。(昔の技法が色濃く特徴が強い。)一方、梵字金銭の成分は謎。鍍金の時代も良く分かりません。
刻印銭収集は余興とはいえこれらと諏訪神社の春宮、秋宮、石鳥居は押さえたいところですね。日荷堂のカタログ値は5000円。でも、5000円買えるなら苦労しません。存在する数の上からならきっと富本銭なみに少ないと思いますよ。なお、鍍銀の鑑定の方法はとりあえず秘密。皆さんでお考え下さい。

明日は妻の三回忌法要です。が・・・子供が39度の発熱とのどの痛み。大ピンチです。血中酸素濃度94%しかない私と93歳の祖父。罹ったらいちころ。今月の八厘会も成田空港への出迎えの要請が入ってしまいOUT。(それも行けるか分からない。)ついていません。
刻印銭は簡単に作れることから贋造が極めて多く見られます。
とくに米字刻印、下田刻印、輪十(場替・二つ打ち)寛永は複数の収集家が贋造に手を染めているため、もはや正品は市場に無いものと割り切って手を出さない方が賢明です。こうしたものは銭体に直接刻印をするため新しい打刻痕跡がはっきり残っていますが、贋造から時間が経つとそれなりに古色を帯びています。
なお、米字刻印、下田刻印に比べ、輪十寛永は真贋鑑定する方法がわずかに残されています。鋳造の過程を調べればわかることなのですが、明かしてしまうと悪用されるためここには書きません。手を出さないことです
 
6月12日【バブルだね~】
休日出勤から戻ってきて椅子の上で寝落ち・・・。3日連続のこと。目を覚まして何気にネットを開くとものすごい数字が飛び込んできた。咸豊通寶の大銭かぁ、えっ・・・い、いちじゅうひゃくせんまん・・・と思わず指折り数えてしまった。出品価格は1000円だから9000倍以上の高騰である、いや暴騰と言った方がふさわしい。残り時間5分未満の中、かろうじて画像だけ採集。
日銭稼ぎのためせっかくの休日に汗水流しているのが馬鹿らしくなる、しかも今日の仕事は制度変更への対応と職員にボーナスを払うためのお仕事で、私には1円の儲けにもならない。よく考えたら私は管理者なので残業や休日出勤は無償、嗚呼~。)いや、この作業を残業で一般職員にやらせたらお金がもったいない・・・という訳で心身と自分の収入の一部を削って職員への再分配・・・美談だなあ。この古銭一枚あればすぐに叩き売ってやる・・・と言っても自分の好きな寛永銭や天保銭は売れないですね。
清朝銭譜を紐解くと背の満文は福建局みたいです。清朝銭譜には大銭の分類は載ってないので価値は不明。中国の人は大銭の「福」はいかにも好きそうです。子供の頃古銭バブルが起きて東京オリンピックの1000円銀貨が1万5000円ぐらいになったことがあります。当時の私のお小遣いは月600円。同級生と比べてもとても少なかった。しかも駄菓子、漫画禁止、テレビは大人優先ときたものだ。(駄菓子屋はよく行ってましたが150円の激安ミニカーばかり買っていました。)ところが泉譜は本だからという理由でなぜか親からの支援がもらえたので清朝銭譜も購入しています。何せ当時は清朝銭や安南銭はゴミくずのような扱いでしたから私にも買えたのです。咸豊通寶の大銭も投げ売り状態だった気がします。清朝銭といえば台湾局の康熙通寶のとても大きなもの(清朝泉譜190番と同格の極美大銭)を持っていたのですが隷書の開元通寶とともに格安で手放してしまった。あれから一度も見たことがありません。( ;∀;)
さて、今回のバブル古銭果たしてそこまでの価値があるものなのか。そして私が所有する日本の古銭類・・・はたしてどれだけの価値があるものか。この1枚に負けたら悔しいなあ。でも今売るのは大変そうです。バブル来てくれないかしら。
 
欠頭通跳尾大の大世
6月10日【大世通寶の手替わり】
琉球の貨幣は封印銭・中山通寶・大世通寶・世高通寶・金圓世寶、あとは薩摩藩が鋳造した琉球通寶と半朱が存在します。封印銭は小型の鳩目銭を集めたもの。これらについて詳しく記述しているのは2018年11月3日と2019年11月3日の制作日記をお読みください。この2年間は琉球の貨幣に興味を持って熱病のように調べたようですが、完全に忘れちゃってます。お恥ずかしい。ただ、記述している内容には風聞もあって間違いがあるとは思うものの実に良く調べていたと感心します。是非ご一読ください。
琉球の貨幣の歴史は古く、ただし確実な記録がほとんど残っていないのですが1400年代(室町時代)にまで遡れそうです。以下が主な歴史。
大世王 尚泰久(在位1454-61)
大世通寶(たいせいつうほう)を鋳造。
世高王 尚徳 (在位1461-69)
世高通寶(せこうつうほう)を鋳造。
尚圓王 尚圓  (在位1472-76)
金圓世寶(かなまるせいほう?)を鋳造。(推定)
尚真王 尚真 (在位1477-1527)
中山通寶(ちゅうざんつうほう)を鋳造した?
さて、ネットで変な大世を発見し画像収集しました。琉球の貨幣の泉譜は少なく、今のところ最も良い文献は方泉處第2号だと思います。掲示の大世通寶は昭和泉譜に缼頭甬(けっとうよう)類と言う名であるものに正合します。また貨幣誌に奇字跳大として紹介されたことがあるようです。方泉處2号には大世が25種類も掲載されています。多分これ大珍品ですね。ちなみにこれらの琉球銭は沖縄ではほぼ発掘例がなく、わずかに大世と世高通寶の1例ずつがあっただけじゃなかったかしら。


※缼(けつ)・・・缶(かん・ほとぎ)+欠。もともとは欠ではなく缼(けつが正しかった。缼と欠は別の文字で欠はアクビを意味し「けん」と昔は読んでいたらしい。欠は缼の代用文字として使われていたが、いつしかとって代わったらしい。ついでに読み方も変わってしまった。
ちなみに「缶」をほとぎと読めるのは古銭好きぐらいじゃないかしら。洪武通寶の缶寶はあまりに有名なのです。「ほとぎ」は水を蓄える甕や瓶子、産湯用の容器の意味で、昔は「かん」とは読まなかったそうです。CANはおそらく外来語(オランダ語)で水筒か何かの水の容器の事でしょう。女陰も古語で「ほと」なので形状から関係あるかと思ったが関係なさそう。最後が下品になってすみません。


※画像検索に引っ掛からなくなってしまった。取り下げられたか?誰か教えてください。
 
長郭手 刔輪細縁(赤銅)
長径47.87㎜ 短径31.6㎜
銭文径41.1㎜ 重量18.2g
 
長郭手 面強刔輪細縁
長径48.2㎜ 短径31.8㎜
銭文径41.1㎜ 重量17.7g
 
長郭手 面背強刔輪直足寶深淵
長径48.5㎜ 短径32.4㎜
銭文径40.4㎜ 重量19.0g
6月9日【長郭手細縁刔輪】
一番上が最近収集誌で入手した天保通寶です。フォルダーやタグには細縁小様とか長足寶とか書かれていますが出品者の鑑定で赤いペンで消されたようなのですけれど、間違いではないので消さなくても良かったと思います。タグがあったので泉譜に掲載があるのではないかとざっと探りましたが見つかりませんでした。かなり赤銅質で強く磨輪されて鋳写しされた細縁銭。刔輪は面の下部のみがが強烈であとはさほど強くありません。長径48㎜を切るので縮形の範中にも入ります。文字変化は寶足が長くなる以外は細点保になる程度でほとんど目立ちません。
強い磨輪により細縁になった天保通寶は良く見つかりますが、はっきりした刔輪を伴うものはそれほど多くありません。ただし、本当に少ないのは銭全体が強刔輪になっているタイプ。お手持ちの天保銭を調べてみてください。少ないですよ。
と、言うわけでその少ないタイプを掲示。
中段の品は面強刔輪タイプ。天上の刔輪が強烈です。一度写しであり、書体変化は寶足以外ほぼありません。このタイプの不知銭はあまり評価が高くないのですが存在数はどうしてどうして、めったに見ることができません。このように細縁銭の天保通寶は摩耗が非常に強く使い込まれた感があるものがとても多いように感じます。鋳肌も非常に滑らかです。薄肉で重量も軽い品が多いのではないかしら。このことから2012年8月18日に覆輪技法の仮説を掲載していますが、私はこの説はあながち間違ってはいないと思っています。母銭として私用したと考えた場合、証拠隠滅を考えるとそんな覆輪技法もあっても良いと思うのです。
下段の品は面背とも強刔輪の細縁銭です。これはさらに少ないはず。この品は不知天保通寶分類譜で刔輪で寶足が長くなることを説明する図として出て来るなど強刔輪のお手本の品です。最近、類品がネットに出てきて20万円ぐらいの価格が付いていましたね。
私の今のスキャナーは性能が今一つでピントが合わず寶足の先端が上手に映っていないのが残念。なお、これは覆輪2度写しの品ですけど、刔輪が強すぎて覆輪には見えません。だから覆輪の名は冠せなかったのですが、間違いなく覆輪銭です。
※寝不足生活がずっと続いています。夜明けが早くなり、猫どもが4時30分をすぎると餌をねだりに起こしに来ます。前の日の餌が残っていたってお構いなし。父も相変わらず早朝・深夜から活動していますが、以前よりは激しくなくなってきました。とはいえ朝食は5時前後、夜歩く生活は続けていて寝るのが午前1時から2時にかけて。今の私の生活です。死ぬかもしれない。
 
6月8日【狭足寛背濶縁大郭大型母銭】
関東のAさんに見せて頂いた古寛永です。外径は25.59㎜で、新寛永だと文銭の大きなものぐらいなのですけど古寛永で25㎜超は相当大きい。大様とすべきなのか大型とすべきなのか私には良く分からないので大型母銭としてしまいましたが、手本銭(ひょっとしたら御用銭?)とすべきものかもしれません。それだけ特別な品なのでしょう。
鋳だまりもなくおそらく母銭。久泉研究資料によると狭足寛の背濶縁大郭は大ぶりのものが多いとありますが、24㎜クラスまででやはり25㎜超過は別格。ひょっとしたら新寛永の錫母にあたる原母?なのかもしれませんね。どなたか教えてください。(そうだと推定されるようです。)
普通の狭足寛は背がはそれほど濶縁になりません。広郭のものは濶縁気味になり、なかでも久泉研究資料が大郭と名付けた背の濶縁が非常に強いものはまるで「蛇の目」のように幅広で、久泉研究資料は別の系統であるのではと示唆しています。
本品は彫りも深くかわいいじゃありませんか。
6月5日の錯笵も素晴らしかったけど大きさは24㎜台なので、この品がいかにすごいものであるかはそれだけで分かります。とにかくすごいし美しいです。(拍手!)
※はじめに作られた段階から大きいものだ・・・と思っていましたが覆輪されて大きくなっているとのこと。よく観察すると複数の覆輪痕跡が残っているそうです。(本当だ、面側左下にはっきり筋が出ています。他にもありそう。思い込みでした。失礼いたしました。)
雑銭掲示板でみなみ様が投稿した古寛永がまさにこの系統。破損があっても拾うなんて素晴らしい気づき。お目が高いです。
 
不知長郭手狭足寶(次鋳)
長径48.3㎜ 短径31.85㎜
銭文径40.4㎜ 重量17.7g
不知長郭手狭足寶(次鋳) 
長径48.1㎜ 短径31.9㎜
銭文径40.4㎜ 重量17.2g
不知長郭手狭足寶(初鋳大様)  
長径48.93㎜ 短径32.4㎜
銭文径40.85㎜ 重量20.5g
拡大図 
6月6日【狭足寶大様】
狭足寶をまた入手してしまった。
狭足寶は3枚目、いや(状態の芳しくないものを含むと)4枚目かもしれません。基本形は鋳写の覆輪銭ですけど、覆輪の強いものは少ないと思います。私の所有するここに掲示した3枚はいずれもインターネットで見つけて落札したもので、同じ特徴を持った兄弟銭だと思います。もしかすると1、2枚目と3枚目は銭文径が異なるので親子関係と言っても良いのかも。ただし、天保仙人様は「狭足寶には次鋳銭がある」と仰ってましたので上2枚が次鋳で一番下が初鋳というのが正解かもしれません。
狭足寶の特徴は寶足が開かず狭い・・・と言いたいのですが、拡大図を見れば分かるように前足は垂直になっているのではなく、削字によって寶足先端の開き部分が陰起してあたかも寶前足が垂直に降りているように見えるのが真相。ルーペで拡大してみると狭足寶には見えないのですけど、肉眼ではしっかりと狭足寶に見えるから不思議・・・だまし絵みたいです。この不知銭は寶下の輪際と郭の周囲の削り方が特徴的で識別・鑑定ポイントになっています。3枚の共通の特徴をご確認ください。
さて、今回入手した3枚目画像のものはヤフオクで桐箱入りの3枚組み物で出品されていました。すべて不知銭となっていましたが、画像でもかなり怪しく見えましたのでほとんど追随応札する人はいませんでした。
実際に組み物の残りの2枚は本座銭で、届いた品を一目見たときは「あー、またやっちまったかな」とい思いましたが、この1枚だけが正真正銘の不知銭でした。(ラッキー!)

ところで狭足寶の極印は(4枚とも)今一つはっきりしないのです。今回の入手品も浅い不鮮明極印が打たれているだけ。他もとても桐とは見えない極印だったり、そもそも極印なのかさえ良く分からない瑕のような痕跡だったり。砂目は感じないし、輪際の削り方が5月28日の変造天保と同じ歯科技工ドリルのような技術に見えてしまうので何となく時代が降る印象を受けてしまうのは私だけでしょうか。銭文径の縮小度も一般的な不知銭の0.7㎜刻みの縮小とは異なりますが、これは計測技術の問題かな?
とはいえ今回の入手品もきちんと一度は写しが行われている品ですし、鋳写しの鋳造技術はしっかりしています。私の抱く違和感は謎(杞憂)ですかね。

※郭の周囲の削りとそれに伴う郭の外周の変形と下部の輪際の削り方(形状と深さ)に共通の特徴があります。寶右側の輪のかすかな出っ張りが一番わかりやすいですね。
※組み物の入っていた箱には❶長郭手張足寶(一目本座)❷長郭手小様薄肉(本座を加工したもの)❸長郭手狭足寶覆輪とありました。実は❷は期待していたのですが・・・残念。
 
6月5日【美しすぎる錯笵】
関東のAさんのコレクション。非常に美しく母銭を思わせるつくり。だよな~と思ってみるとびっくり、背が大ずれです。なんとかわいい子だろう。目が錆びついていて奇永の書体が分からなくなっていた私ですが寛足が後ろにずれて狭いことなどから本能的に狭足寛の背濶縁だろうと判断しましたが、こんなにきれいな狭足寛は見たことない。古寛永泉志を開いたけど美銭が少ないと書いてあります。ちなみにこの手の銅質と書体は岡山と水戸に多く見られますが岡山は基本は刔輪なので文字が郭に寄ります。ただし進永類と短尾寛の類は離郭書体なんで、じっと見ていると違いが分かります。進永や短尾寛は文字に太細がなく棒状。さて、このように美しいつくりは広永とか勁永の類に多いのですけど・・・だからこれは特別製なんででしょうね。背のずれっぷりと言い、銅質の練れと言い、切れ切れの文字と言いほれぼれしてしまいます。私、おかしいですか?
※夜散歩してます。約6㎞を1時間15分ぐらいで歩いてます。私が今住んでいる地域は人口密度が高いのですが、山を切り拓いて複数の団地を造成した経緯があるため周囲に雉、鶯、タヌキ、リス、イノシシなどが無数に生息しています。キョンの不気味な鳴き声が聞こえることも。
イノシシには何度か出会ったことがありますが、夜に遭遇するとちょっと怖い。遭遇する場所は団地と団地をつなぐ谷あいの場所が多く、ときには親子連れの団体で出てきます。けもの道があるのです。
今日はくだんの場所を通りかかったとき、すぐわきの藪の中をガサガサ移動する何かがいる・・・。やばい、近すぎる・・・と焦ったのですが、相手も同じ気持ちだったらしく動きを止めてくれました。以前、路上で4~5頭の集団に出くわしたことがありました。暗がりに何かがいるなと目を凝らして近づいたら数m先の藪から次々にイノシシが出てきたのでさすがに焦った。一瞬にらみ合ったあと、イノシシ集団は私と反対方向の住宅街に一斉に(一気に)走っていった。住宅街の路上に人や車がいたら大騒ぎだったでしょう。あれは一番やばかったです。私の街ではイノシシに衝突されて車をお釈迦にした人が何人もいます。車体が曲がっちゃったという人も。職場の駐車場脇の藪が一時期イノシシの寝床になっていて、危険防止のため藪を刈りこむようにしました。砕石で固められた地面は掘られてぼこぼこだし、草が横倒しになった寝床は獣臭いし。君子蘭の花が自然繁殖した場所があったのですが、イノシシに根こそぎ食べられた事件もありました。そのときはまるでユンボで地面を掘られたみたいで、何も知らなかった当時の私は警察に通報してしまいました。花泥棒じやないかって。さらに、市内で一度山の主のようなイノシシにであったこともあります。白昼の市街地を堂々と2頭で歩いていて、交差点の手前では一斉に車が止まってしまい、皆見とれてました。2頭とも大きかったのですがそのうちの一匹がもののけ姫に出てくるようなキングサイズでした。あの巨大なイノシシ(2m級)・・・もう一度見て見たい。
 
6月3日【箕枡絵銭】
Aさんと泉談をしていて撮影させていただいた画像です。「畫銭燦」は穴銭友好クラブで絵銭を特集されたときに作成された銭譜と聞きました。(記憶違いだったらすみません。)その巻頭を飾ったのが掲示の「箕枡」。単独絵銭で最近の泉譜での掲載は見かけない。穴カタ日本に単独絵銭(母銭)として異品が掲載されているぐらいかもしれません。畫銭燦には浅間南蛮渡来船をはじめ名だたる絵銭の名品が数々あるのですが、それらを押しのけ巻頭にあるのが痛快ですね。当時の会長さんの計らいのかもしれませんが、それだけ珍しいものなのでしょう。実に味があります。
Aさんはこの絵銭の背がとくに気に入っているとか。なるほど明和期亀戸四年銭によく似ています。Aさんは絵銭は素人と仰りますが、なかなか素敵な審美眼をお持ちのようでそれがまた目にとまったんじゃないかしら。
ところでこの手のデザインの絵銭に「鍵枡和同」なるものがあります。あくまでも俗説(妄想)ですが珍は男根=鍵、開は女陰=枡を表し、子宝に恵まれる・・・銭が銭を生み財が増える事をも祈願したと言われています。個人的には枡は錠前のようにも見えるのです。Aさんの絵銭の右側部分は陰起している部分が多いのでひょっとしたら右側は和鍵(雄鍵)なのかもしれません。そして左の枡はあるいは錠前(雌鍵)なのかも。和同開珎は時計回りに和同開珎と置いてある順読と呼ばれる文字配置。それに対し鍵枡和同は和同を上下に置く対読配置です。この絵銭は対読で、右を鍵と仮定しますと、左に枡があるのでもし和同の文字があるとしたら和銅珍開になるはず。
そうした文字配置の絵銭に「珍開和同」なるものがありますが、2文字でこの配置は珍しい。

いつの時代も男根女陰はみんな大好きでして、観音開きでさあ御開帳と言ったことも大好きなんです。ついでにお金も大好きときたら・・・俗物極まりないですね。寶珍よりやっぱり男は珍寶なんでしょうかね。
とはいえ、この絵銭は銭座の真剣な願いが込められた神聖なものかもしれません。こんなエロ与太話・・・皆さん忘れてください。覚えたってちっとも役に立ちませんから。

※拓は泉譜には和漢銭彙、昭和泉譜、古銭大鑑、畫銭譜に出ているそうです。古くからある絵銭のようです。この絵銭は撰銭で見つけられたそうです。この彫の深さなら指に引っ掛かりさぞ吸い付きが良いでしょう。触って楽しめる絵銭ですね。

※箕は選りすぐった実を選び出すもの。枡は入れるもの +と- の関係ですね。やっぱり男女の象徴なのかも。

※畫銭譜は持っていたので確認しようと思ったら行方不明。ブランクの間未整理だったのですが遅々として作業が進みません。
 
6月2日【厳原藩札の行方】
この藩札は納まるべきところに収まりました。譲渡価格は100万円・・・といいたいところですけど、その100分の1+アルファ。損して得取れと言いますけどそんなに上手く行くものじゃないです。儲かったらおごってくださいHさん。
ちなみに私の地元市原市には藩が4つ存在していました。
一番古いのが姉ヶ崎藩で1607年から1627年の間に存在しました。初代は松平忠昌(福井松平家の祖)、2代目は松平直政(出雲松平家の祖)。お~、あの古銭大名の松平治郷公は松江藩10代当主。私の祖先はこのときに市原に来た旗本の系譜・・・多分そうたったんじゃないか劇場です。松平家の菩提寺だった森巌寺には葵の紋の位牌が伝わるとか。(昔、聞いたんですけど・・・)
鶴牧藩は1827年に今の姉ヶ崎小学校の地に陣屋を構えたのがはじまり。初代は幕府で若年寄を勤めていた水野忠韶。2代が忠実、3代が忠順と続く。水野家は家康の母方の於大の方の系譜。戊辰戦争のときは佐幕派と見られていたため中立を保つのに必死だったとか。学問好きで藩校を起こし、鶴牧藩版の史記評林の編纂に心血を注いだとか。
菊間藩(水野忠敬:沼津藩5万石)と鶴舞藩(井上正直:浜松藩6.2万石、なんと老中だった人。)は徳川宗家の駿河・遠江入りに伴い1868年に転封されて1871年までごく短期間存在した藩です。いずれも当時は未開に近い原野山林を切り開いて急いで城下を作ったのではないかと思われます。ですから石高は名目であり「高が知れている」と思われます。特に鶴舞藩のおかれた場所は今でも森深い山の中。酷いぞ明治新政府。その地区のキャッチフレーズは「日本最後の城下町」とか・・・知らなかった。ただし城下の人口は1732人(明治19年)と微妙・・・でも今よりずっとにぎやか・・・城下町がむなしい響きに聞こえます。アクセス最悪の場所ですけど、大きな病院と老人ホームだけが異彩を放ちます。
菊間藩の陣屋があった場所は「雲の境」と呼ばれていたそうで、今は個人宅の空地にして元ゴルフ練習場。武家屋敷が集まっていた場所は「徳永町(徳川家よ絵永遠なれ!?)」と名付けられていますが、今でも道は狭く益は比較的近いのに交通はひどく不便で、そのため御成街道と呼ばれた武士のための通勤路が作られ今に残ります。鶴舞藩よりはましですが辺鄙な未開地への転封で明治政府は実に底意地が悪い。
藩札は菊間藩と鶴牧藩に確認されてはいるものの、いずれも日銀コレクション以外は皆無と言ってよいくらいです。私は見たことありません。どこかにないかしら。対馬厳原藩札も短命だし、最高に辺鄙な地だから貴重だと思いますよ。

ちなみに・・・市原市には、古代の山城もたくさんありました。三浦半島からは房総半島は目の前。海路では鎌倉とすごく近かったからなんですよね。
市内の城(古代の山城・砦~江戸期の城と陣屋)をざっと記した資料がありましたので記しますと 安須城、姉崎台城、新生城、有木城、飯沼城、池和田城、石川城、磯ヶ谷城、伊丹陣屋、市原城、岩井戸城、岩野見城、犬成城、犬成向山城、牛久城、馬立館、潤井戸陣屋、潤井戸館、大桶城、大坪城、大羽根城、大厩館、大宮部田城、荻作館、奥野城、押沼城、小田部館、小野山城、海保城、海保堀ノ内館、風戸城、神代城、上高根城、木々城、吉沢城、勝間館、菊間陣屋、菊間館、君塚城、草刈城、久保館、五井陣屋、高坂城、光明寺館、小草畑城、古敷谷城、金剛地城、西広城、佐是城、椎津城、椎津正方山城、市東城、嶋野土腐館、下矢田城、白塚館、白船城、真ケ谷城、陣馬台砦、雀ケ崎城、瀬又城、高倉城、高田城、高滝陣屋、武士城、月崎城の腰城、月崎みさご城、土宇城(大城・烏城)、土宇南頓木城、土宇堀ノ内館、鶴舞城、鶴牧城、中高根下ノ根館、永藤城、新堀城、西国吉城、根古屋城、根田城、能満城、葉木城、畑木城、原田城、百枚田城、平蔵城、平蔵城部田城、奉免白山城、堀ノ内館、本郷堀之内館、本郷明金城、万代城、引田城、琵琶首館、松崎館、丸山城、御園生館、南岩崎城、皆吉城、皆吉橘禅寺城、皆吉堀之内館、宮作城、宮原御所、妙経寺館、村上城、諸久蔵館、山小川城、山木城、山口城、山田城、八幡御所、八幡陣屋、山倉城、夕木城、米沢中野城、分目要害城 とありました。すべてが存在したと証明できたわけではないようですが、こんなにあったんですね、これを調べた人すごいです。
古銭と関係ない話になってしまいましたね。
 
5月31日【踏潰銭母子:関東Aさんコレクションより】
踏潰銭はその昔、秋田踏潰の名前だったと思います。泉譜にはたしか悪名であると書かれていたように覚えていますがその独特の風貌に圧倒されました。実物に出会ったのは横浜のドラゴン商会のお店に行った時の事。当時は高校生だったと思います。京浜急行の井土ヶ谷にあるそのお店・・・たぶん、収集誌か何かに広告が載っていてそれに惹かれて千葉から足を伸ばしたんじゃなかったかな。私にとってはじめてのお使いのようなもので、京浜急行に乗るのもはじめて。快速や急行に乗ると別料金を取られると思いひたすら各駅停車で井土ヶ谷を目指しました。そこではじめて踏潰銭を見たと思います。
それからしばらくして、私は志望大学に合格。ご褒美に踏潰銭をねだって買ってもらった事を覚えています。
さて、Aさんの踏潰広永・・・右側が母銭。大きさもさることながら背の形成が素晴らしい。鋳だまりの位置も母子で一致。なんということでしょう!いい仕事しています。
どうしてこんなに大きくて目立つ密鋳銭が東北で作られたのか・・・本当に不思議です。かつて悪名と評された名前も私にとっては心地よい響きです。多分鋳造場所は秋田じゃないと思いますが、それにしても立派ですね。この銭を見て降雪の残る横浜の街を京浜急行でガタゴト移動したことを改めて思い出しました。今から40年以上前のお話です。


※アクセスカウンターが壊れてしまいました。修復ができない。
 
 
 
 
5月29日【これなんだ】
古銭からしばらく離れていたら目がすっかり節穴になりました。関東Aさんからお見せいただいた奇永が分からなかったのは超恥ずかしかった。と、言うわけで皆様にも問題。
❶は幸せ絶好調のタジさんの入手品。これは超有名。銭形独特ですね、文字も独特。稚味、雅味といえばこの天保通寶のことてす。見る品見る品ごとに書体が違って見えるから不思議ですね。こんなすごいもの複数入手しちゃうなんて、なんて人だ。お~い、こんなものに手を出しているとふられちゃうよ。私も欲しい。

画像にするとずいぶん金ぴかになったけど実物はもう少し落ち着いた色・・・ただし、未使用なのは間違いないところ。一瞬、鍍金銭に見えてしまうけどむしろ背の地には銀色っぽい金属色がうっすら見えるような気がする。(どうやら幻視らしい)九州からお越しのTさんの白銅母銭の足元にも及びませんが、この種でこんな発色のものは私は見たことがありません。肉眼では白黄色といったところですけど、ルーペで見ると本当にきれいな金色です。これも昨年東京コインショーで入手したものだったと思う。このときは他にも未使用天保ばかり探し出しました。よい子はこういう買い物しましょうね。

❸は前所有者が不知広郭手覆輪小様と名付けていたもの。コインフォルダーには土佐額輪小様?とまで書かれていました。背の斜線は何かを落とした瑕です。
八厘会で何気なく出していましたが皆さん気が付かなかった。画像の色を調整してみました。実物はもう少し地味で黒っぽい感じです。この方が分かりやすいかも。長径47.7㎜です。簡単でしょ。

→ 解答はこちら
 
変造長郭手刔輪
5月28日【変造天保】
この変造天保通寶は私の黒歴史の一つ。でも傑作ですね。歯科技工の工具を使って本物の天保通寶を削って加工しているだけなのでやすり目などは本物。だからだまされます。拡大すると輪の太細の不自然さが良く分かります。もっと拡大すると旋回ドリルの痕跡が見えます。
八厘会において天保仙人様からこの天保通寶の作者と思しき人の名前を聞きました。ただ、うのみにできないところも多分にあります。
贋作者とされる人の多くは「販売に関わった人」であり、製作者ではないケースも多く、それどころかはじまりは贋作を掴まされた被害者だったのかもしれません。作者であっても贋作として売る意図が端からあった訳ではないことも多いようです。
一方で損失を避けて転売をした人もいれば、小遣い稼ぎ目的で転売をする人もいるし、企画して製作依頼する者もいるなど様々です。
この天保銭の作者ではないかと噂された人物(仮にAとします。)ですが、その昔、変造の天保通寶母銭を大量に掴まされたように聞いています。困ったAは同業者のBに相談したところ安い値段ですがそっくり買い取ってくれたそうなのです。ところがそのBが変造天保を巷の収集家に高額で販売してしまったから大変です。変造天保はB天保と俗に呼ばれています。Aはそのため加害者側に名を連ねてしまいました。いえ、もしかするとA本人がその変造品を作ったのかもしれません。真相は誰も分からない。
Bは問い詰められたらきっとこういうでしょう。「私ははじめから本物とも贋物とも言っていないし、これをつくってもいない。転売はしたが入札して値段を決めたのは購入した人らだ。」
さて、掲示した変造天保、つくった人が悪いのか、作らせた人が悪いのか、売った人が悪いのか、転売した人が悪いのか・・・もし私がこれを不知天保として販売したら私も悪い人になるのでしょう。でも、贋作としてこの天保通寶を手放したあと、誰かが本物として求めたり転売したりしたら誰が悪いことになるのか・・・。本来ならば悪意ある変造品として廃棄処分すべきなんですけど、やっぱり処分できないよなあ。
A御子柴 B瓜生

盛岡銅山陶笵事件について
盛岡銅山と言えば天保通寶型の地方通貨としても有名なのですが、その中に二期銭とかつて呼ばれていた贋作品(レプリカ)が存在します。その製作依頼をしたのは教育者にして郷土史家の新渡戸仙岳でした。
さて、この盛岡銅山のレプリカを製作依頼した新渡戸仙岳、新渡戸に依頼されてレプリカを作成したⅠ氏とM氏、レプリカを東京へ持っていって小遣い稼ぎをした若き日のM氏・・・誰が一番悪いのか。新渡戸は悪意がほとんどなかったと思われますが、レプリカを作成して小遣い稼ぎをもくろんだと言われれば当たらずとも遠からず。レプリカを作成したM氏は地元の新聞に新渡戸は経済的に困窮していたから・・・などと悪意ある存在として証言しています。記事を読む限りそこまで話したM氏本人も実に怪しい、それとも馬鹿正直な人なのか。東京でレプリカを販売したM氏はこの中では一番悪いのですが、はじまりはほんの出来心なのかもしれません。そのM氏は著作などもありますがこの件に関しては実に歯切れが悪い表現に終始していますので責任は感じていながら、自分に火の粉がかかるのを避けている感じがします。真相は闇の中ですけど一番損をしたのは間違いなく新渡戸。結果的に自分で蒔いた種と言えば相違ないとはいえ、彼の功績である収集情報は非常に貴重。彼は古銭収集家でもブローカーでもないので気の毒な気がします。 
宮寿 砂子澤 水原庄太郎
 
5月25日【古銭会解禁】
関東のAさんにお預けしていた不知4文銭を1年ぶりにお返し頂きました。八厘会の前に待ち合わせということで自宅を6時30分前に出発。我が家の親父様は現在体内時計が破損状態。昨夜は午前2時30分に起床して活動を開始してしまったため、私は気になって眠れず、午前4時には早い朝食。いやあ眠いのなんの。このこところ排泄機能がだめになってきてしまい、大騒ぎなんです。徘徊はしないのですが、行動を時間を決めて指示してあげないとうまくできなくなってきてます。食事を準備しておけばお留守番位は何とかなる。蘇我駅まで30分、そこから75分ぐらいかと思いましたが東京駅には8時過ぎには到着してしまいました。
Aさん、私に合わせて出発してくださったみたいで申し訳なかったです。私のバラバラな分類だった4文銭をすべて採寸採拓して分類冊子にまとめてくださっていました。いやあ、頭が下がります。完成品のコピーを頂戴できるそうで楽しみです。と、言うわけで早朝から喫茶店で古銭談義。Aさんは少年のように目がキラキラ。私はスマホで撮影で、変な二人がお茶2杯で長時間占拠して営業妨害しているような。踏潰銭の母銭は大きくてきれいでした。贋作者で有名なO氏作の鋳肌・色についてのお話は勉強になりました。
お話の内容については後日詳しく・・・。(つづく)

八厘会の泉談
筑前通寶はチ極印と十字極印があります。チは初期で十字極印は後期で若干策が劣ります。
筑前通寶には本物ながらなぜか極印を潰してあるものがあるそうです。
最近の贋作は泉譜などから写し取っています。ですから書体は大変似ていますが、文字の陰起している部分まではっきり出てしまっているところがあるなど実物を知っていれば違いを見分けることは可能ですので、どうぞ本日は勉強していってください。
本日ははるばる九州からTさんがご参加くださいました。その他、久々に参加下さった方々もいらっしゃいます。Tさんが展示してくださっている福岡離郭白銅母銭は私が知っている限り4品しかない貴重な品です。福岡の離郭母銭は小川青寶樓師も初めて見たとき錫母かと思ったほど。その貴重な品が本日は2品そろっています。
T氏:田崎さん・離郭母銭は骨董市の撰銭で入手。出所は島根県方面の収集家の遺品だったらしい。
❶秋田小様 極印3ヶ打ち
❷久留米正字背異替濶縁(含白銅質)
❸対馬巌原藩田代御用達会所六銭十匁
❹鉄拳チンミぬりえ

❺長谷川博氏作 本革製名刺入れ
本日の収穫品ども
❶秋田小字の真っ赤っかな奴

盆回しにてMさんから購入。誰も応札がなかった。このクラスは八厘会メンバーはみんな持っているんだろうなあ。私は秋田小様というだけで食指が動いてしまう。長径47.00㎜ 短径31.4㎜ 銭文径39.6㎜ 銭文径計測は自信なし。極印が左側は2ヶ打たれてます。

❷久留米正字背異替(含白銅質)
これはヤフオクの収穫。こういう雑銭は飽きないですね。色が白いのが土佐額輪っぽく見えますが久留米です。

❸対馬厳原藩札田代御用達会所 六銭十匁札(藩札図録不載)
藩札図録は上巻しか持っていない・・・というより中巻下巻は発行されてなかったんじゃないかしら。これについての文献が分からない。片っ端からボナンザ探す方が早いかしら。どなたか良い資料(のありか)を教えてください。対馬厳原藩(いづはら)は明治2年に対馬府中藩が改称されたものらしい。つまり幕末の一瞬に咲いたあだ花。この札以外は収集階に発表されていますが、六銭十匁札は不載とのこと・・・つまりかなりの珍札です。興味本位で生まれて初めて買ってしまいました。欲しい方いますか?

❹鉄拳チンミぬりえ
1983年から月刊少年マガジンに掲載された少年漫画。作者は前川たかしで彼の代表作。と・・・言っても私はこの漫画の内容はほとんど知らないです。仙人様が高く売れるぞと言っていたので1000円で買ってしまった。これも欲しい人いますか?

❺長谷川博氏作 本革製名刺入れ
仙人様の幼馴染にしてお友達の革細工職人。実用品として購入。仙人様のお名前はたしか「由博」だったので「博」の印が何となく仙人様ブランドに思えてしまう。これを持っていると天保通寶が自然に集まるという。ただし、使えるお金が使えないお金にどんどん変換してゆくという説もあります。

 
高田縮通多重輪写り
虎の尾寛背ズレ
5月22日【錯笵ワールド】
ネットでちょっとした錯笵を見つけては無駄遣いをしています。多重輪は少ないエラーです。タイプとしては4つあります。
①一度型を採った砂笵の上に母銭を静かに置きなおしたもの。これは広範囲に複合的な多重輪になることがあります。肉厚の変化も少なく意図的な錯笵はこのケースが多いと感じます。
②落した母銭を砂笵に押し付けてしまう、母銭を取り損ねて砂笵に再び押し付けてしまう。急激な押しつけによる反作用で押し付けた周囲の砂笵が盛り上がるため、外周に凹になった部分が必ずできます。重なった部位の肉厚の変化はありますが少な目です。
③砂笵から母銭が飛び出し重なった状態で型採ってしまう。このケースでは②のような凹部分はできません。逆に凸になることはあり得ます。多重輪の部分の肉厚が倍になります。あらかじめ用意した砂笵が硬すぎた場合に母銭がずれ易いと聞きました。
④砂笵が崩れる、意図的にずらすなど面と背の砂笵が一致しない状態で鋳造される。広範囲な背ズレによる多重輪で重文にはなりません。これは背ズレというべきかな。
掲示品は③に該当します。以上は私の考察なので間違いがありましたらごめんなさい。
背ズレはよくある錯笵ですけど、大きくずれたものには貴重なもの、意図的なものがあります。掲示品は輪の周囲に余白があって楽しい。この程度のずれは型〆作業の不良もしくは砂笵の固め不足あたりが原因ですかね。
 
5月21日【水戸正字濶縁手って何?】今月の収集に掲載されている画像です。7万円という下値も目立ちますし、水戸正字濶縁手という分類名も初め耳にしたと思います。雰囲気的には接郭弱刔輪の変化なんじゃないかと思えてしまうのですが、中間的な雰囲気もあり、天上の刔輪も弱く微妙に違う感じ。背の文字は鋳型の横ずれがあったように見えるのでかなり濶字。左右の輪の幅が上下より強調されてますから。どなたかこの分類の定義を教えてください。下値が下値だけに勇気が出ない。でも手にしてみたい・・・。
25日、関東のAさんとお会いすることになりました。対外的な古銭活動もぼちぼち再開です。
ただし、私の職場ではコロナはまだ終わったわけではなく、2~4月の期間に私の地区では50人以上のクラスター事例が少なくとも3件発生しています。いずれも非常に身近な関係でしたので他人事ではすませられません。
コロナは感染力が弱くなって終わったのではなく、あおるような報道がされなくなったというのが正しい。(実際に報道統制・・・強い要請がマスコミにかけられています。)変な報道がされると誤った正義感をもつ人が電話やSNSで攻撃してきます。逆になんで解放しないんだ、コロナはただの風邪なんだからと揶揄してくる人たちもいますし、もっと厳しくしなくちゃだめだとプライベートにまで制限をかけに行こうとする倫理に厳しい職員もいます。こういった両極端に立つ人たちへの対応、バランスとりが非常にめんどくさかった。妻が亡くなった際はそのさなかでしたから特に大変でした。(でも葬儀は普通以上にやりました。)
感染症が入り込むと指導や規制は入るものの、人員的には誰も助けてくれませんし、金銭的にも数百万円のマイナスがすぐに出ます。面会制限が厳しかった頃は職員にも外食禁止令・同居家族以外との接触禁止令なんて事も出していたこともありました。それだけ感染が入り込むと大変なことになりま
すし、個人の問題ではすまされなくなるのです。私は呼吸器アレルギーもちだから、個人の問題でも大変なことになると言われてます。それでも今日は、4年ぶりにマッサージ店に行ってしまった。変な店じゃないぞ。
 
俯永写
文政小字背一直波写(踏潰系)
5月19日【密鋳寛永】
なんとなくネットで落としてしまった寛永通寶の密鋳銭です。密鋳四文銭の収集物は関東のAさんに1年ほど預けていて、今月返却を受けることになっています。HP作成を初めて一番ほったらかしなのが密鋳四文の類でフォルダーにかなりの数が未分類のままです。そのうち何枚かが2年以上行方不明で、探すのも面倒くさくなってしまい、収集から気持ちがそれてしまった原因になっています。その多くが初期の踏潰系と思しきもので皆一品もの。撮影用に分けていたものがいまだに見つからない・・・というか探しすのもあきらめてます。関東のAさんは私のいいかげんな分類を改めてくださっていると思います。なにせ、私はこれは浄法寺、踏潰、江刺と第一印象だけでフォルダーに書いてました。根拠・・・あんまりなし、当然自信なし。
例えば右の画像で文政写しは延展系なので100%踏潰に分類します。まあ、当たらずとも遠からずかな。みなさん、私の感覚お判りでしょうか?
仕事場からの緊急通報で午前4時にたたき起こされました。それでなくても猫も親父様も起きてます。親父様は体内時計が壊れているので昨日は11時には起きてカレンダー見てました。(時計を見ろ!)夢遊病みたいで声をかけても無言。所持する鍵に鈴が付いているので歩き回るとチリンチリンうるさいし、電気のスイッチをバシバシ叩く。叩かなくたってつくっつーの。叩く音がうるさいので居間などをつけっぱなしにしておくと今度は消しに起きてくる。ペットシーツが乱れていると並べなおしてくれるのですが、なぜかみんな裏返しにしてくれて昨日は大変なことになってました。ああー、今朝は洗い物もしてくれているみたい。(洗剤を使わないので洗いなおし。)一生懸命だけど仕事が増えるのが玉に瑕です。下が一時期危なかったのですが、ここ1週間は無事です。
 
不知長郭手赤銅質覆輪(再写小足寶)
長径48.15㎜ 短径31.65㎜ 銭文径40,25㎜ 重量17.0g
5月16日【駿河落札品】
出品名は長郭手再覆輪半刔輪縮径でした。長郭手の覆輪の2回写しには間違いないです。半刔輪縮径の名づけはやや苦しいものの・・・気持ちは分かります。輪際のぐりぐりはかなりはっきりしています。文字周囲の削りも・・・。ただ、刔輪というより輪際加刀修正のレベルかな。目立つのは銭文径の縮小と寶足が離綸気味に短くなって、後足がわずかに離輪していること。小足寶としてもいいかなあと思いましたがこれもいまひとつかな。特徴がいっぱいあるけど決め手がありません。文字変化が少ないですからね。
今日は終日草刈り。土手と駐車場をぶっ続けで刈ったら日焼けでヘロヘロになった。疲れました。残念ながら重文の明和四文銭は落とせませんでした。気合が今一つ入んなかったけど・・・頑張ればよかった。
 
長郭手磨輪細縁縮形
長径47.9㎜ 短径31.9㎜ 銭文径41,0㎜ 重量22.9g
5月14日【クリーニングの結果】
収集の落札品です。出品価格が2000円だから正真正銘のBクラス。ただ、画像掲載もされていて長郭手背錯笵と名づけがあった品。どこが錯笵???と目を凝らすとかすかに背の左側が重文気味に二重になっている。このぐらいで錯笵とはずいぶん甘い名づけですね。
見ての通り真っ黒だったのでオリーブオイルに2日間漬け、ティッシュにくるみ雑誌の中で油分抜き・・・色はおちなかったけど黒光りする品になったかな。地の浚いが分かります。
錯笵ろするのは無理な名づけなので大きさから磨輪細縁縮形としました。文字の周囲がや輪際が彫り込まれていますが特徴変化はほとんどありません。大きさが小さい癖に重さはしっかりあるので、きっと鉛分が多い材質なんでしょうね。極印も小さくて桐に見えない異極印です。
 
福岡藩銭 離郭広郭
萩藩銭 方字細字背ズレ
5月13日【再開記念】
ネットで何となく落とした品。欲しかったわけじゃありませんが・・・。離郭はお世話になった稲陽さんの出品だったから。普通にきれいな離郭。極印も普通。特筆すべき点もないけど欠点もなし。ところどころ未使用色が残ってます、以上。

下段は方字の細字。文字抜けよくまずまずの上作。こちらは背がかなりずれているので落としてしまった。だからどうしたという品。でも好きだなこの錯笵。輪ずれ部分が大きく、輪の外側に空白が少しあるのが楽しい。こちらも文字の周囲にわずかに未使用色が残っています。

※父がお留守番ができる・・・という一昨日の言葉は撤回? 散歩に出かけてデイサービスに自主参加してしまいました。全く自由な人です。まだ家に帰る力があるだけ幸いです。

※ゲーム世界を引退して自分のペース?で生活ができるのはありがたい。寝る間がないのは変わらないのですけど、短い時間でものんびりできます。
 
不知長郭手覆輪
長径49.35㎜ 短径32.2㎜ 銭文径41,1㎜ 重量21.9g
本座広郭背肥郭狭穿(母銭)
長径50.1㎜ 短径33.3㎜ 銭文径41,9㎜ 重量22.2g 
5月11日【新規獲得品】
収集から落札品が届きました。散財ですね。う~ん、こんな生活で良かったのかなと思いながら画像撮影しました。
不知長郭手覆輪は良くある一度写し。ちょっと俯頭辵気味にも見えるし、狭足寶のようにも見えますけどいたって普通の覆輪銭です。でも、文字抜けも良く長径49.35㎜は立派ですね。だからどうしたと言われればそれまでなんですけど。
本座広郭背肥郭狭穿母銭はちょっと前に大和文庫あたりで落としてしまった品。眺めていて背の狭穿ぷりがいいなあ・・・てな訳で衝動買いしてしまった。届いてからそのまま食卓の上に置いてある薬箱に放り込んだままになっていました。だって、黒ずんでいてとても画像映りが悪いんだもの。(見た目はもう少し良いです。)オリーブオイル漬けたろか。
実は月刊収集でもう一品落したんですけどそいつも真っ黒なもんで、オリーブオイルに本当に漬けています。しかも100%バージンオイルの高級な奴。ワイルドだろう。今は男所帯なんで、料理は限定的で他に使い道がないので・・・さぞかし美人になるでしょう。

ここ2年間、気晴らしの時間だと言いながら自分の時間が持てていませんでした。必死にゲームで時間を消化していただけ。それで何かを忘れようとしていたのかもしれません。怠惰なゲームの時間の中でもチーム育成の目標つくってサーバーで2週連続No1チームになってやっと引退宣言できました。(健康上の問題も出ちゃいましたし・・・)
古銭のHPは時間がかかるし、お金もかかるんですけど・・・自分のペースで活動できるからまだ良いのかも。とはいえ使える資源には限りがありますのでぼちぼちとね。なにせ家庭収入が半分になってますもんで・・・。
今は仕事の後の家事が終わったら毎夜歩いてます。そしてパソコンいじり。明日は天気が良いので山登ってやるぞ目標15㎞走破だ!相変わらず忙しく、自分をいじめている。そして寝てないんですよね、同居を始めた父も不眠行動があるので寝させてくれないし・・・それでも朝早くから遊び行っちゃうのは昔からの癖で・・・常に全力で遊んでいる・・・体に悪いかなあ。
今期の目標はまずは体づくり&呼吸器機能の鍛えなおし。そして仕事。コロナで失われた人間関係を作り直したい。そしてできれば何かで一花咲かせたい。恋なんかもいいかな。誰か慰めてください。だから古銭は生活目標の3番手以下だけどこんなもんでしょ。とにかくやるべきことをたくさん作ってます。スケジュール真っ黒、オリーブオイル漬けたろか!

※昨夜は2:00就寝、そして5:00起床。このあと父に食事を出してから留守番を頼み山歩きにGO。(死ぬかもしれない!)色々問題(物忘れなど)はあるけど父は留守番はまだかろうじてできます。終活をずっとやってきたことが今はうまく機能しているんです。これも計画的にやってきたんで・・・我ながらすごいと思ってます。
 
5月7日【つれづれなるままに・・・】
4月26日の開元手、饒益神寶は巡り巡って鉄人の持ち物のようです。もちろん本物に間違いなしとは鉄人の眼力・・・御見それいたしました。
さて、ゲーム世界から脱出しましたが・・・不規則生活が続いていてまあ、寝不足でして椅子での寝落ちが当たり前になってます。今日は雨で外歩きは休止。
机の上の古銭をもう一度整理しなくちゃ・・・と思っていますが気が重いなあ。行方不明の古銭がいくつかあってそれを探すのが面倒で(見つからないのが怖くて)古銭から気持ちが離れたというのもありまして。もう一つ言うとスキャナーの性能がいまいちでピンボケで気に入らなかった。奇麗な画像の再現ができていないのも気に入らない。生活は実に忙しいし、本当寝る暇ないです。こういうの充実しているっていうのかなあ。あちこち引っ張りだこですし。
職員も育ってきて自主的に色々やってくれています。私自身も市民講座をはじめとして研修講演を3月には対面で久々にこなしました。今月も対面研修がありますので・・・脱コロナが少しずつ進んでます。とはいえ私の業界(医療・福祉)は感染症にはいまだ厳しく、対外交流も限定的なままです。皆さんはあまりご存じないだけで下火になったとはいえコロナ集団感染はまだ起きています。公表されていないだけなんですね。でも解放機運の高まりは嬉しいです。

その昔、仙人様から遒勁は甲州街道沿いから良く見つかると聞いた記憶があります。これ倒幕の動きに関係あるんじゃないのかと・・・新選組関与(軍資金)だったりしてなんて妄想が膨らみますね。
新選組の近藤勇は流山の旧家に潜んでいた所を発見されたとか・・・私の知り合いが関係者(実家)でした。
 
5月6日【水戸遒勁】
関西のS様から水戸遒勁の画像を頂戴しました。4.9Kgもの雑銭の中からでてきたとのことです。遒勁というものは真贋が本当に分からない。あまりに美しいものは銀座古銭堂のものもあるようなので難しく、むしろ鋳だまりが少々残るような品の方が安心できるのです。
ただし、記憶に新しいところでは昨年の銀座コインオークションに出た水戸遒勁の母銭・・・あれは美しすぎるので妖しいと思ってたら非の打ち所のない銘品だったそうで・・・80万円で落ちましたからねぇ。見る目ありませんね。
そういう意味ではSさんの品・・・美しすぎるんだけど否定することもできない。
みなさんにご意見をお聞きしたいです。側面のやすりはとても良いです。極印も問題ないと思います。文字抜けがすこぶるよし。気になるとすれば肥字で保点、尓点の角度、寶前足が太いこと、やや広穿なこと・・・誰か教えて。
製作・極印は一切問題なし・・・奇麗すぎることが悩みという何ともうらやましい事になってます。

関東のAさんからの評判は・・・GOOD 母銭クラスじゃないかとの意見!
画像提供 関西S様
長径49.5㎜ 短径33.75㎜ 
銭文径40.47㎜ 肉厚2.6㎜ 重量21.24g
 
   
浩泉丸蔵 水戸遒勁小足寶 小様銭  
長径48.4㎜ 短径33.45㎜ 
銭文径39.7㎜ 重量18.3g
 
4月26日【和泉斎様から】
和泉斎様から頂戴した画像です。噂の島銭寛永を含む7枚+3枚です。少なくとも寛永銭は安南系の摸鋳寛永だと思われます。無背あり、細縁広穿あり、小様あり、大型のものあり。なんだろうこれ。
正直言うと島銭の中には近代のお土産のようなものが混じっている気もするのですけど区別がつかない。打印銭のような雰囲気もあれば安南寛永の水永のようなものもある。文の横書は安南寛永で有名な品種ですよねー。安南寛永は楽しい・・・。真贋全く分からないです。バリ島あたりでは古銭人形なるものがあるようでこれはある意味供養銭のようなもの???。聞きかじった話の知ったかぶりなのですけどその中に島銭的なものも大分混じっているような・・・話半分で・・・。文字を横置きしたり、満文いれたり・・・絵銭みたいですね。
私の所有物の内、不知厚肉水永としているものあります。書体的にはこの類に似てますが製作が全く違う。うーんわからない。もうひとつの亀寶至道手の背工は一品もの。これは手類銭考に採譜されています。
→ 外国摸鋳銭の類
おまけでついてきた画像もすごい。
開元手はその昔は現存1品と言われていましたが、今は4品ぐらいはあると思います。それでも貴重です。真贋は分からないけど。
白目中字は一目母銭ですね。玉印が何を意味するか不明です。何らかの符丁ですかね。
饒益神寶は本当に良く分からない。輪の歪みが気に入らないので後鋳じゃないかと感じます。
古寛永開元手 白目中字母銭輪玉刻印 饒益神寶
 
3月6日【ご無沙汰してしまいました】
不知銭と本座を見間違えて落札してしまったショックでしばらく古銭から心が離れてました。間違えた私が悪いのですので返品はしなかった・・・というより気力が萎えた。どうも気分がのらない。
うつ・・・だというと多分私の周りの人々は皆嘘だというでしょう。それだけ忙しいんですけどなんか気が乗らない。だから古銭の整理が全然できない。認知症???

さて、先月の続きについて書きます。
狭玉連玉寶異極印は寶下と當上に部分刔輪があって面白いのですが、あと一歩押しが足りません。それだけなら鋳写のB級天保なんですけど極印の桐葉脈が十字架型なんですね。完全に不知の極印です。合わせ技でA級とまではいかないB級+の品です。たしかに狭玉連玉寶ですけど、長郭は寶王と尓の前点がもともと接するので連玉寶はいらないかな。寶足が微妙に長いです。
真ん中も見事な異極印。久々に見たアスタリスク型。縦の直線に2本の線が斜めに交差する形。これらはもう桐じゃないですね・・・記号です。細縁で魚子地肌ですし、背の郭もずれてます。當のウ冠の右半分が下にずれているんですけどこれは鋳造上のエラーかな。小磨きがあるのが玉に瑕。残念。
最後の一枚は田路さん提供の覆輪。これはAクラスでいいかも。卵型の覆輪銭形が美しいです。
微妙に寶足も長いし、當上の輪との間隔も離れているので覆輪刔輪ですね。素朴な感じがします。
実はタジさん、もう一枚写真を送ってくださいました。本当は掲載したいんですけどー・・・古銭じゃないよ。お幸せに。
2089狭玉連玉寶異極印 20890異極印 侍古銭会 タジさん提供
長郭手覆輪
長径48.6㎜ 短径31.8㎜
銭文径41.2㎜ 重量20.7g
長径48.3㎜ 短径31.5㎜
銭文径41.2㎜ 重量20.8g
長径49.4㎜ 短径32.8㎜ 銭文径40.8㎜
3月なんで決算だ、総会だで大忙しなんです。ついでに親父の面倒見も大変でようやく慣れてきました。デイサービスは年よりばかりだからつまらないとのたまわっておりましたが、何言ってんだ爺さん、お前の方がずっと年上だぞ・・・と思ってたら最近はデイサービスの日は朝3時から着がえて首からカメラぶら下げてます。 
来月からベトナムの高校を卒業したばかりの女の子を2人受け入れます。昨年から6人受けてます。そのうち2人に日本語レッスン中。今度の子たちは日本語学校に通わせます。
国によって個性は全然違いますね。中国(少数民族)、モンゴル、フィリピン、ミャンマー、ベトナム・・・まあ、勢いですね。中国の子は自己主張が強いイメージがあるけど少数民族出身なんでそれほどアクが強くない。モンゴル人は真面目で頑健です。誇り高く正義感も強いですね。フィリピン人はマイペース。仲良くなると何でも話してくれる。楽天主義で明るいから彼女にすると楽しいかも・・・でも振り回されるかな。ミャンマーの子は一人しか会っていないから良く分からないけど、今いる子はすごく頭がいい。天才と言っても過言じゃないし勉強好き。実は数学の博士課程に進んでいる才女。彼女の村は今は戦争状態一歩手前なんだそうで・・・本来ならば私のところにいるような人材じゃなかったはず。
ベトナムの子は・・競争心が強くよく言えば勤勉。悪く言えばずる賢くて利用できるものはすべて利用しようとしてきます。国際交流は大変です。人材いないからねえ・・・。今私の職場は外国人効果もあってものすごい勢いで若返っています。
 
2月13日【B級+の品々】
収集の落札品が届きました。収集家が一括放出しているものと思われ、下値は2000円からなので嬉しくなって全部買うつもりで応札。もちろんそんなことは夢なんですけど(落ちたら大変)5品GET。B級よりほんの少し上位の品ばかり・・・でもB級かなあ。
収集2028番は不知長郭手2000円で出ていた品。やや白銅質で、この手のものは大正期の後鋳品も見られるのですがこの品はいたってまじめな不知銭です。端的に申すと覆輪刔輪で張足寶の前駆銭だと思われます。拡大すると天上がわずかに刔輪され、文字周囲や輪際が斜めに彫られ、深淵風です。寶足も少し長く張足寶風。B級としてはかなり上位の品ですね。
2030番ははっきりした覆輪。面側は刔輪でやはり深淵風に地が傾斜します。面側の両サイドの刔輪が強く、背濶縁に見えますね。寶下に朱点が見えますので古い収集家のコレクションだった品だと思われます。
2031番は・・・計測するとどうも長郭そのもの。今年の初エラーですね。どう見ても覆輪に見える。
2028番 覆輪刔輪 2030 覆輪背濶縁 2031覆輪 → 本座長郭
長径48.21㎜ 短径31.65㎜
銭文径40.53㎜ 重量19.8g
長径49.05㎜ 短径32.11㎜
銭文径40.86㎜ 重量19.4g
長径49.4㎜ 短径32.5㎜
銭文径41.6㎜ 重量22.4g
 
1月17日【目の覚める画像】
鋳不足気味で磨輪された短尾寛にしか見えませんが、これがなんと短尾寛方冠寶だというから驚き。寶冠後部が垂直になっているだけでなく、永点が退かないという特徴があります。しかし微差ですね。よく見つけました。皆さんもお探しください。案外あるのかもしれません。

しばらく更新をさぼっていました。父と同居を始めて超寝不足に拍車がかかってます。父は時間の歯車が狂っているので9時には寝て、朝と間違えて午前2~5時頃には着替えて起きだします。TVを大音量で見始めたり、電気のスイッチをバンバン叩くので私も付き合うことがしばしば。スイッチにはこだわりがありオートスイッチも気になるのか消しにきます。しかしスイッチの場所が覚えられず、そもそも消さなくてもいいのに消そうとしてあちこち押すまくります。それで起きちゃうのですが、最近は気にしないようにしてますが、眠れない。
大腸検診に引っ掛かり明後日は日帰り手術です。ポリープ除去なんで簡単なんですけど、下剤2リットルがきつい。ついでに食事制限が昨日から始まってます。ソーメンばかり食べてます。
長郭手縮形銭(磨輪)美制
長径47.9㎜ 短径31.75㎜ 銭文径41.0㎜ 重量19.1g
長郭手縮形(再写し)
長径47.25㎜ 短径31.05㎜ 銭文径40.0㎜ 重量20.8g
【こちらはB級不知銭】
収集で落札してしまった品。縮形は何となく気になるので良い値を付けてしまいましたが・・・上は少々残念。表示されたサイズよりかなり大きかった。私の計測では長径は47.88㎜、出品では47.5㎜なのでう~んといったところ。銭文径は一度写しなので磨輪ですかね。たしかに美制で深背気味だけど名称とするほどじゃないかな。

下段は削字小様とされた品。こちらは間違いなく縮形です。形もいびつで細縁。削字とまでは言えませんがたしかに寶に刀が入ってますね。素朴なつくりでかわいいです。
 
1月16日【頂いた画像です!】
和泉斎様が30kgの4文銭の中から選り出したという明和期大頭通の母銭。鋳さらい原母ではないかというお話もありますが、現物を見ないと何とも言えません。ただし、私の場合は現物を見ても何も言えません。実力ないです。外径29.6㎜とのこと。

下の画像は関東のA様から頂戴した画像です。未発表の品なのでコメントは最低限に控えたいと思います。黄白銅質の色調が美しい・・・母銭ですね。

こちらはモトさんから頂戴した画像。仙台銭の次鋳銭ですが背に太陽と富士と思われる絵があります。銭座職人による戯作で縁起物(記念銭)でしょうとのこと。絵銭の類ながらこれは江戸時代の記念硬貨のようなものです。 
 
1月2日【今年もよろしくお願いします!】
また年が明けて一つ年を取ってしまいました。コロナが5類に分類されて経済が活性化して急に忙しくなりましたが、私の業界はまだ警戒が解けません。でも外に出ることはかなり増え、昨年はCCFやら銀座コインオークションにも久々に顔を出すことができました。
コロナで山歩きが本格化し、女房の件で引きこもってましたがちょっと稼働開始。引きこもりの中でゲームにのめりこむ羽目になりましたが、そろそろそれを引退する方法を考えなくてはと思っています。健康のため山歩きを活性化したいのです。古銭はその次なのですけどね。私生活で大きかったのは昨年末から認知症の父と同居を始めたこと。実はものすごいストレスでしてオークションに出かけたのもその反動。私は天邪鬼です。
年賀状には不知小字の長人偏と短人偏を並べてみました。長人偏は印刷したらかなり赤みが強くなってしまいました。短人偏はたぶん年賀状2度目の登板です。
年賀状に古銭の画像貼り付けるなんて相当変態だと思います。ただ、はがきが84円になったら年賀状やめちゃうかもしれませんね。大分減らしてもまだ150通以上書いてます。年賀状はある意味自分のアイデンテティを示すアイテムでもあるからなかなか思いきれない。
本日は私の一族が20人以上我が家に集まりました。一族としては大きいのですが、父という接点がなくなったらどうなるか・・・ちょっと不安です。
さて、和泉斎さん、関東のAさん、モトさんからいくつか面白い画像を頂戴しています。年賀状もまだ整理していません。それらの記事は次回掲載します。それでは今年もよろしく。

追伸 
父の検査に付き合っていたら、昨年自分も大腸の内視鏡検査する羽目になりました。1月下旬に2度目の検査とポリープ切除を行う予定です。12月の検査前3日は食事制限で素麺ばかり食べてました。1月もまたやるのか・・・下剤2リットルはきつい。健康第一ですね。
 
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 ❶草点保 ❷福岡離郭 ❸秋田小様(銅替わり)秋田の特徴(寶貝)は陰起して弱いながら確認できます。