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【薩摩藩銭:前期銭】
 
薩摩前期銭とされているのは別名ガマ口の異名を持つ一群の銭貨です。根拠としては琉球通寶との類似性が挙げられていますが、確定的であるとはいえないかもしれません。ただ、制作が非常に堂々としている点から見て、かなり実力のある藩の鋳造と見ても大過ないように思えます。

横郭短尾通 長郭長尾通 とに大別されます。
 
横郭短尾通           【評価 5】
仰冠當タイプ(本体) 昂百タイプ
実に堂々としたつくりで、書体は本座の長郭を真似ていると思われますが幅広く、とくに貝足のふんばりが広い点と通尾が短いのが目立ちます。また、銭形においてはサイドの曲線がやや緩いため全体に大きく感じます。掲示品は未使用の美銭で、制作時の輝きがそのまま残っています。
※本品は多くのカタログでは本体銭とされるものです
が、天保通寶と類似貨幣カタログでは仰冠當とされて
います。
横郭短尾通(昂百)       【評価 5】
ほぼ同じ書体ながら背の當百の書体が微妙に異なるもの。
仔細に観察すると、仰冠當は冠の3点の爪が大きく、冠も幅広で縦画が太く長く、田、百は縦画が強調され下すぼまりです。また百の横引の長さ爪の角度もかなり異なります。
横郭にはこの他に『広白』タイプが存在します。

※昂百に対して広百ではなく広白なのはなぜか?おそらく発音上の混同を避けるためと思うのですが・・・。
長郭長尾通           【評価 4】
こちらは穿が縦長になるのと通尾が長く跳ねるのが特徴です。もちろんガマ口といわれる広穿です。
小字(短人タイプ)       【評価 大珍】
別座の可能性もありますが、筆法が似ているため薩摩藩銭とされています。天の足の踏ん張り、保字の横幅、寶足の広がりとも広く、辵が気持ちよくうねります。背百字の爪がとても大きいのが目立ちます。通用の縦画が突き出る癖もあります。銭体の形状も上下カーブが緩やかで幅広に見えます。(大和文庫ホームページより)
※不知のタイプと薩摩とされるタイプは書体や製作が違うようです。これは薩摩とされるタイプ。人偏が短く大型でやや白銅質調です。不知品は小様肥字とされ、人偏や背當冠、製作に違いが見られるそうです。
個人的には大型薩摩タイプの方が安心のような気がします。
琉球通寶 中字         【評価 4】
琉球の本体銭とされます。書体に肥痩の抑揚が少なく、王偏とつくりの横画が一直線上に並びます。球の求の中柱が短く郭から離れます。
本体とされるもの、と長柱球には中間的なものがあり、肥字になるものがそれにあたります。したがって判別に悩む例もあります。
琉球通寶 中字(厚肉)     【評価 3】
琉球はときどき肉厚のものが出現するようで85年の収集には28.5gの厚肉の中字琉球が入札に出ていました。
この琉球は肉厚3.1~3.2㎜ 重量27.6gもあります。

※平成27年9月 29.6gのものを入手。
 
琉球通寶 中字(赤銅)     【評価 3】
琉球通寶にはこのような純赤の通用銭も存在します。これは末期において材料が不足したためあらゆる素材を使用したからと言われます。
黒褐色、茶褐色、淡褐色、淡黄色のほかに、このような赤褐色、黄褐色などもあり、ごくまれに白銅色も存在するようです。
琉球通寶 中字短尾球      【評価 4】
中字書体で球末尾が短く変化したもの。書体的には下の長柱球とのやや中間的な感じがします。
琉球通寶 中字長柱球      【評価 4】
薩摩藩は文久2年(1862年)に琉球通寶の鋳造許可を取り付けています。琉球における英仏異人の滞留費に充てるということで、3年間に450万両の鋳銭許諾を得たといいます。それは天保銭密鋳のための隠れ蓑にすぎず、浅草橋場から鋳銭工を招いて天保銭の密鋳のための技術を会得したと思われます。
なお、琉球通寶は当百とうたっていますが、触書による通用単価は124文とされたそうです。
※この書体は球の字の求の横引に爪があり爪球とも呼ばれます。背當の田画が大きく中の十字が進みます。
琉球通寶 中字長柱球肥字十進當 【評価 2】
琉球通寶の中字の隠れた名品。背の當田の横画端が縦画から離れます。この手の変化は中字本体と長柱球の双方にあり、なかには中間的なものもあります。たとえばこの品は、面文は長柱球ですが、背當の田の幅はやや小さくなっています。
肥字の長柱球と普通の中字との中間体的なものが多く分類が困難です。長柱球は球の求の柱が長いこと、琉の川画、求の初画に筆だまりがあること、王画が求画に比べあがること、背當の田が横広になることなどに差異があります。琉球の中字は案外細かい変化が多いものです。
琉球通寶 中字長柱球肥字十進當(薄肉)
厚みが2.15㎜、重さは15.4gほどしかありません。この厚さは天保仙人も未見だとのことですので今のところ暫定日本チャンピオンです。
書体も中字の名品と呼ばれるもの。赤銅質でおそらく末鋳品でしょうね。
琉球通寶 中字(贋造・参考銭)
非常に精巧だが全体に磨輪されていて銭文径も一回り小さい。側面極印もない。このタイプネットによく出ているそうです。たしかに磨輪されてなければ画像判断は不可能ですね。
左) 琉球通寶 中字輪乎形刻印 【評価 2】
右) 琉球通寶 中字輪三刻印 
【評価 1】
琉球通寶には意味不明の刻印を輪に打ったものが存在します。【乎形】、【三】の他に輪側上下に【山】や【人】を打ったものや、サ極印に代えて桐極印を打ったものなどがあるようです。桐極印は天保銭と平行して作業が行われていたための誤りとも、対外取引用とも言われています。
(オークション・ネットの古銭入札誌(二)より)

琉球通寶の刻印銭は京都の薩摩屋敷のあった地域で良く見つかるとのこと。三字刻印は川で、「山と川」これは薩摩藩士の割符ではないのか・・・と言う説。(京都に拠点のあるお店の方から・・・なるほど。)
琉球通寶 中字山字添印     【評価 1】
輪の斜め上下に山の字が2ヶ所打たれています。この印がはたして何を意味しているのかは不明ですが、昔から有名です。
割符として使用したという噂は聞きましたが、あくまでも推定です。なお、刻印銭は簡単に偽造できますのであまり熱狂しないことです。

琉球通寶 広郭          【評価 3】
この制作が薩摩広郭浅字に類似すると言われています。本銭はござ目と呼ばれるしわ状の肌荒れが現れることがありますが、これも薩摩浅字には良く見られる現象です。
文字は雄大です。

琉球の場合、文字の大きさが分類名に一致しないことがあります。この広郭はなぜか中字広郭と呼ばれることがあります。
琉球通寶 広郭厚肉       【評価 2】
広郭は厚肉で大ぶりなものが多いと思いますがさすがに30gを超えるものは迫力があります。
長径50.2㎜ 短径33.4㎜ 重量30.5g
琉球通寶 大字宏貝寶肥郭    【評価 1】
月刊収集2007年12月号で大字長尾琉黄銅とされたものです。たしかに水戸銭のような黄色ですが純黄色ではありませんでした。
銅替わりの一種でもありますが大騒ぎするほどでもないでしょうね。
文字はかなり大きくなります。
琉球通寶大字宏貝寶(赤銅質)  【評価 1】
穿内やすりが完全に中見切方式であることを示す山型を示しています。滑らか肌の異製作。
琉球通寶 大字狭貝寶      【評価 1】
長通、狭長貝寶なのが目立ちますが文字はさほど大きくありません。この品は2008年に東京交通会館で掘り出したものです。
琉球通寶 大字狭貝寶桐極印   【評価 少】
狭貝寶の類は大字という割にはおとなしい書体です。桐極印は対外取引用に使用されたともいわれており、製作の良い物がみられます。
琉球通寶 大字大頭通(赤銅質) 【評価 1】
細郭で大字です。掲示品は通常の大字より通頭が大きくなります。背の當の字が郭に寄っていますので降當の異名もあります。
掲示品は真っ赤な色をしているいわゆる銅替り銭ですが、大頭通は赤いものがかなり多くみられます。
琉球通寶 大字平尾球      【評価 1】
平尾球の類は面の砥ぎが強く、濶縁気味に変化するものが多いイメージがあります。また、横のカーブ曲線がやや強く出ていて円形に近いイメージもあります。昔から大字の類とされていますが、銭文径は小さい方でとくに通寶字が萎縮し郭から通頭が離れます。この特徴は短尾球類とほぼ同じです。
最大の特徴は球の字の払いが水平なこと。
掲示品は面側はこれ以上は望めないクラスの極美品。背の當字がつぶれてしまっているのが残念ですけど、一級品でしょう。なお、大ぶりに見えるので他の品と画像比較をしましたが、内外径ともほぼ一緒。若干の砥ぎの強さの差で雰囲気が異なって見えるようです。美銭なので桐極印を期待しましたが通常のサ極印でした。
琉球通寶 大字平尾球(赤銅質) 【評価 1】
平尾球にも赤銅質のものがあるようです。材料不足のためか、琉球には黒褐色、純黄色、淡茶褐色、赤褐色など様々な色彩のものがあるようです。極稀に白銅質のものもあると文献では読みましたが、私は見たことがありません。平尾球の純赤銅色を見たのもはじめてでした。
琉球通寶 大字平尾球桐極印   【評価 少】
平成20年の江戸コインオークションの収穫品。球の尾が水平に跳ねる特色を持っています。本品は薄肉やや濶縁に仕立てられています。
琉球通寶 大字短尾球(赤銅質) 【評価 少】
背當百が大きいので昔から大字とされますが銭文径は平尾球と同様に小さくなります。書体の癖も平尾球と似ていて退貝寶になりますが、球末画の払いが丸く短くなります。
短尾球は美銭が少ないと言われますが、この程度でかなりの美銭の部類になるようです。
大字小足寶 狭冠寶
【評価 大珍】
文字は巨字と称してよいほど大きい。琉球通寶の中の絶対的な珍品です。小足寶という名前は大字宏足寶に比べての話。どちらかといえば寶後足の短足寶です。
こんな珍品でも2種類あることが知られていて、寶冠が大きく、王末画の前に飛び出すものもあるようです、(拓図で見る限り前者は背の當字もやや大きくなります。)
※天保仙人様蔵品
琉球通寶 小字桐極印      【評価 稀】
2009年のネットオークション落札品。小字寶前足が長く、母銭段階でわずかに刔輪されていて寶足下に加刀痕跡が見えます。
琉球銭の中の名品であり、かなりの希少銭であると思われます。
琉球通寶 小字(赤銅質末鋳)  【評価 1】
肉厚2.3㎜、重量15.7gの軽量銭。小字は琉球通寶のなかでも後期銭と見られています。銅色は純黄色に近いものから赤銅色、黒色まであるようで、この赤い銅質のものは製作から見ても最末期に当たるのではないかと思います。なお、小字は刔輪技法による製作で従来は、正足寶、長足寶の区別をしていましたが、鋳走りによる変化もあるのであまり意味がないと思い、名称から外しました。
琉球通寶 小字         【評価 1】
通常の琉球小字銭。側面刻印はもちろんサの字です。こちらは末鋳ではなく、輪幅もしっかりあるもの。
琉球通寶 小字狭足寶       【評価 2】
文字通り小字で寶足が細長く伸びます。狭足寶は寶足の開き方が不均一で、前足が長く、後足が削られびっこに見えます。
また、通頭が本体に比べ小さく、通寶の文字自体が縮小します。
琉球通寶 半朱  【評価 3】
当時の半朱とは248文に相当し、琉球当百の2倍の価値ということになるそうです。銭相場の混乱ぶりが分かる設定ですね。

※半朱には輪側やすり仕上げのものとロクロ仕上げのものとがあり、ロクロ仕上げの方が若干少ないようです。
また、
極稀に濶縁縮字になるものが存在します。原品を見せてもらいましたがものすごく肉厚になっているのも特徴でした。さらに密鋳タイプと呼ばれるものもあるようで、これは内径が小さくなりサ極印はないようです。 
 
【薩摩藩銭:後期銭】
 
薩摩後期銭は旧大阪銭とされていた広郭の類を充てています。このうち深字の方は新訂 天保銭図譜(小川浩編)では広島藩銭とされていましたが、同じ書体ですので同炉に戻します。旧大阪銭とされていたのは、あまりに存在が多く、密鋳銭にしては堂々と流通していたため官炉ではないかと思われたようで、薩摩と決定された根拠はやはり琉球通寶広郭との類似性と、倒幕を果たした薩摩藩の軍資金として大量に市場にばら撒かれたであろう・・・ことの推定からです。薩長土肥の軍資金として天保銭の密鋳は当然あったろうと思われ、中でも薩摩藩銭として割り当てられたこの類は非官鋳銭としては最多を誇ります。と、なると長州、土佐、肥前の軍資金が気になりますが、長州は曳尾や方字の類、土佐は額輪の類が割り当てられそこそこの存在量が確認されています。問題は肥前の国でして、未だに天保銭の密鋳に関する史実が出てきません。肥前は陶磁器の輸出などで軍資金を稼いだという仮説も成り立ちますが、やはり天保銭も密鋳したのではないでしょうか?

広郭浅字 広郭深字 などがあります。

※天保通寶と類似貨幣カタログの分類について
天保通寶と類似貨幣カタログでは薩摩広郭を、短尾通大字、同小字、美制、濶字、濶字手・・・等に細分類していますが、少々分かりづらく私はまだ自信がありません。そのため分かりやすいものを除いて旧分類に準拠した分類表示をさせて頂きます。
 
広郭浅字            【評価 9】
堂々とした大字書体でとくに通寶の2文字が巨大です。これは前期銭に通じる点です。通字しんにょうのうねりが力強く、その印象で分類するのが一番判りやすいと思います。大阪銭とされた経緯があるように市場には関西方面を中心に相当ばら撒かれたようです。そのあまりに堂々とした銭様から官炉(明治政府による貨幣司鋳造)と間違われたのもうなずけます。
書体はほぼ一手ですが、字画の小変化が多く、小頭通や縮保、離足寶、短尾通などが発表されています。掲示品はほぼ未使用状態のもので、制作当時のやや白味の強い黄金色の輝きがそのまま残っています。

なお、薩摩の後期銭はすべて肥郭狭穿になります。
広郭深字(両面深字)      【評価 8】
輪際や背の地はかなり深いようです。広島鋳(仮)・・・とされたこともありましたが、根拠はほとんどありません。小川氏は不知品に仮の銭籍を与えることをよく行なっていましたので、これもその経緯から定義づけられたに過ぎないと思います。なお、深字としたものには背面だけ深くなったものや中間的なものも存在します。
画像の品は両面とも深彫りのもので、このタイプはやや少ないほうです。
広郭短尾通  【評価 8】
天保通寶と類似貨幣カタログでは銅色が黄褐色ものを初出として、短尾通大字、小字などに分類しています。
本品は本座と類似した製作で、やや短尾通なのですが書体から見る限り、
濶字手背異とされるもののようです。
花押の下の波型部分の凹凸が小さく、末端も短くなっています。
広郭短尾通小字         【評価 8】
通称、短尾通小字。銅色黄褐色で製作恵良。通尾が極端に短くなり全体に小字に見えるための呼称です。製作も良く、本座広郭とかなり似ています。
天字の両足の開きがやや狭く、いわゆる短天気味になっています。
広郭背十進當(含白銅質)    【評価 8】
背當の田の十の縦画が進むもの。この書体を天保通寶と類似貨幣カタログでは濶字手とするのですが、差異がほとんどないため、ここでは広郭浅字に包含しました。なお、掲示品はかなり白味の濃い銅質です。
広郭離足寶           【評価 5】
鋳ざらいによって完全な離足寶になっています。短足寶といっても間違いない。
※類似カタログでは『深字離足寶大通小字』に該当しますが、ちょっと意味がわかりづらい名称ですね。単に離足寶、小点保、離点當といった特徴を羅列したほうがわかりやすいかも・・・。深字としましたがやや深彫りながら中間的。
広郭離足寶小頭通        【評価 4】
おそらく末鋳系なのでしょうが、全体に文字が細く寶足が輪から離れています。(上掲の品と特徴が被る。)通の辵頭がわずかに長く、通用画がやや下すぼみに見えて、通頭が俯して少し小さくなります。
保点は小さく、當のツ画に爪が見られず冠と末画が分離しています。系統としては深字のようですが、彫りは深くありません。薩摩広郭の中では少ないとされます。青譜では當の上輪が刔輪されて下がるものが浅字小頭通として掲載されています。
広郭小点保(無極印様)     【評価 ?】
桐極印が見えません。薩摩にはときおりこのようなものがあるようです。なお、掲示品はやや保前点が小さく、降ります。また本品は小頭通気味でもあります。
小頭通気味に見えるものは案外たくさん見つかるようです。したがって小頭通とすべき条件は通頭だけでなく、小点保、長頭辵、離寶足、離点當などの特徴も見る必要があると思います。
※英泉氏によるとこれは無極印ではなく打ち損ねによるもので、浅い傷は残っているとのこと。完全な無極印も存在するそうです。
広郭深字(赤銅質銭)      【評価 ?】
天保銭事典によると、薩摩銭の末期は原材料不足からあらゆるものをぶち込んだ・・・とのことで、白銅のものが稀にあることは有名なのですが、このような赤色のものもそれこそ極稀に存在するようです。
本銭はきれいな赤褐色で、長径が小さかったので当初は密鋳銭であろうと思ったのですが、銭文径の縮小がほとんど見られません。したがって銅色替りと判断しました。存在は少ないと思いますが、銭譜での紹介もほとんどないので評価は不明です。
※火中品の可能性もありますが、英泉氏は大丈夫ではないかとのこと。
広郭浅字(赤銅銭)       【評価 ?】
2枚目入手の赤銅銭。こちらは火中品ではなさそうな雰囲気で地金そのものが真っ赤です。浅字としましたが細分類すると濶字になると思うのですが・・・。
広郭浅字(白銅銭)       【評価1】
ようやくたどり着いた純白銅の薩摩広郭。なるほど、この白さは異常かもしれません。(実物はかすかに黄みを帯びていますが、スキャンすると真っ白に写りました。)材質は硬く、やや軽く感じます。文字の角、縁の角が立っていて鋭さを感じますが拡大してみても問題はなさそうで、やはり材質が影響している気がします。惚れたがの弱みで薩摩の白銅には15万円以上をつぎ込み、ほとんどがNGでしたがこれが一番自信が持てる品でした。とはいえ、入手直後の周囲の評価はぼろくそで、現時点の判断はあくまでも私個人の見解にすぎません。でも、これはいいほうだとと思いますよ。
広郭浅字(白銅銭)※贋作?   【評価 ?】
薩摩銭には白銀色の天保銭が存在します。白銅好きな私としては本来ならたまらない存在なのですが、なんとなく違和感を感じてしまってなかなか手が出ませんでした。これはついに好奇心に負けて手にしてしまったもの。かなり危ない品のような気がします。
※銀メッキによる贋作が横行しているそうです。純白に近いものほど注意が必要とのこと。これも純白に近い非常にきれいな品。発色、地の色は下の贋作に比べれば自然ですが・・・。
広郭浅字(白銅銭贋作)
入札誌に出た白銅銭です。高い勉強代を支払いました。真贋にとても悩んでいます。原品はやや黄色味を帯びているのですが、手ずれ感があってもしかすると薬品着色では・・・と思ってしまいます。
第一印象は・・・だめ。でもじっくり見ると・・・そんなに変なものではないような気もします。とくに側面の発色は自然です。純白でないのもかえって信憑性があります。でも手ずれ感は気に入りません。どなたか教えて下さい。
※仙人判定によると贋作でした!残念。現在は手軽にできる銀メッキ塗料もあります。(銀微粒子溶液などを使う手段)
薩摩広郭の加刀修正痕跡
薩摩広郭は独自の大量生産を行ったため、小さな変化が色々見られます。その原因のひとつに加刀修正があると思われます。左は加刀痕跡の拡大写真で當上の輪の内側に加刀の溝が、さらに(画像にはうまく出ませんでしたが)文字と郭の周囲にはっきりとした加刀痕跡が残ります。地肌には茣蓙目と呼ばれる皺もあって、この銭は製作の特徴をあらわす良いサンプルだと思います。
※刔輪などの痕跡がはっきりでているものは貴重な存在だと思います。
収集の2009年1月号に、天保銭四天皇の一人、青森の板井氏の記事で薩摩に刔輪なし・・・との一文が掲載されました。説得力のある研究者の言なので、一目置かねばならないと思いますが、小足寶変化もあることから輪加刀も必ず見つかると思うのですが・・・。
左:背ズレ
右:背茣蓙目(広郭深字白銅質)
製造管理のいいかげんな例です。
左側は輪が完全に左方向へずれてしまい、右に余白部分がわずかに出てしまっています。
茣蓙目(ござめ)は地の部分に横じわが走る現象で、「鋳砂を平らにした箱(下枠)を縦に積んだ時、箱と箱の間に茣蓙(及びムシロ)を入れ、その跡が鋳写った」という説が有力だそうです。私は鋳皺の一種かと思っていましたが、良く考えると背にしか現れない現象なので、これは間違いでした。
面背逆製の薩摩広郭
仕上げやすりをかけるときに台に裏返しに置いたため逆台形になっています。鋳不足修正のためらしいのですがとにかくありそうでない大珍品です。側面にきちんと桐極印もあります。
※通常の面背逆製とは産出のメカニズムが違いますが、先人のつけた名称を尊重します。月刊天保銭47号(61年11月号:天保銭研究会)には奇しくも不知天保面背逆製と薩摩の面背逆製(逆斜面仕上げ)が掲載されています。
超厚肉の薩摩広郭
画像では分かりませんが異常な厚さがあります。重さはなんと32g。肉厚は3.5㎜近くある感じでした。広郭狭穿ぶりもみごとです。
なお、画像は省略しますが薄肉のものは厚肉より少ないそうで重さは15.2gしかありませんでした。
薩摩広郭 厚肉含白銅質     【評価 3】
肉厚3.2㎜以上、2.2㎜以下は少ないものと仙人に教わりました。これは3.3㎜から3.4㎜の厚さがあります。なんといっても重さが30.7gもあるのが異常ですね。評価は私の思いいれがたっぷり入っていますが、やはり30g超えは珍しいと思います。
※30g超えだけで珍しいのに白銅質のおまけつき。黄白銀色でかなり白い部類に入ります。
薄肉の薩摩広郭【評価 3】
ネットの掘出物。重さは13.8g。厚さは2.05㎜でした。重さは仙人宅で見た品の記録を塗り替えました。右は上の極厚肉との比較画像です。重さは半分以下ですので厚みも半分近い感じでしょうか?
 
【福岡藩銭】
 
福岡藩も天保銭の密鋳を行なっていたことは、稟議銭の筑前通寶の存在やその後の証拠隠滅の大騒動などからほぼ明らかです。その銭種の認定は筑前通寶の制作からあまり異論なく【離郭類】に決定されています。少し気になるのは輪極印に玉持極印と呼ばれるものが存在することです。また、離郭という特徴はあくまでも製造過程の郭修正から生まれたもので、離郭非離郭というわけの判らない銭名のものも存在するからやっかいです。

主な書体は 
離郭 です。
 
離郭爪百(広郭)        【評価 2】
百の横引が水平で筆はじめに筆っかけがあるもの。本品はかなり赤い銅質です。本来はこの書体が本体とすべきものなので最初に掲げます。
面の文字が郭から離れる癖など細かい特徴がたくさんあります。

→ 逆引き天保銭事典 ステップ10 を参照して下さい。
(掲示品は背百の書体が一般の離郭と異なる例外品です。)
離郭(広郭)          【評価 3】
かなり広郭で狭穿気味に仕上がっています。側面極印はきれいな六角形状です。
離郭(広郭)厚肉 3.06㎜   【評価 1】
手本は本座の広郭であると思われますが、面郭が削られているものが多く、そのため文字が郭から離れているように見えます。一方で背郭はやや膨れ気味になるのも特徴のひとつです。銅色も本座に近いものもあり、一見すると間違いやすいのですが、背郭が膨れる癖で気がつくことができると思います。ただし、例外もありますので、書体の雰囲気を覚える必要があるでしょう。これは肉厚3㎜超、重さは27.1gもある重量級。貴重なサンプルです。
色々資料を調べましたが3㎜超過サイズはかなり少ないようです。
離郭(母銭)          【評価 大珍】
かなり使用感のある母銭。全体に白っぽい光沢(白銅?)を持っています。

この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
離郭(広郭)赤銅質       【評価 3】
赤黒い銅質のもの。離郭はかなり銅質に変化があり、黄褐色、黒褐色、赤褐色の他に純白のものもごく稀に存在するそうです。(暴々鶏氏談)
なお、本品は雑銭の会の席において、天保仙人から譲り受けた由緒正しい雑銭です。このぬめぬめした鋳肌がたまりませんね。(だからどうした・・・と言われればそれまでです。)
母銭的な雰囲気もありますので・・・ひょっとしてなんてね。
離郭(広郭非離郭)       【評価 2】
離郭非離郭と言われるものは、保字の縦柱が太く、通頭のフ画横引も太くなっています。原品の郭はかなり肥大しています。つまり郭の周囲の加刀があまり見られないものということでしょうか?

この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
離郭(中郭)          【評価 3】
面側が広穿になっているもの。掲示品の銅色は一般的なものより薄くなっています。極印は五角形あるいは変形星型のような独特の形状です。
離郭(細郭)          【評価 1】
面背とも広穿になっているもの。やすりがけ作業のちょっとした癖の差だと思いますが意外に少ない。本品の場合面背の型ズレのため、穿位置が郭上で偏ったため仕上げ段階のやすりがけで修正したようにも見えます。

平成22年版 日本の貨幣(収集の手引き)原品
離郭濶縁手(玉持極印)     【評価1】
平成21年5月に偶然入手した品です。濶縁の内径・銭文径が通常銭から1.2㎜ほど縮むのに対し、本銭は0.6㎜ほどの縮小になるようです。まさしく中濶縁、その原因は・・・やはり通用母の存在でしょう。通用母の存在は筑前通寶においても確認されているようなので、福岡藩銭では当たり前の工程だったのでしょう。いわゆる次鋳銭ですね。本銭の内径43.6㎜。通常銭は44㎜超、濶縁銭は43㎜強。刔輪はなさそうなので内径計測で判断できます。雑銭の会の情報によると玉持極印銭にはこの手のものが多いとか・・・そうなると玉持極印は後期銭ということになりますかね?
離郭濶縁手(通常極印)     【評価2】
内径は43.8㎜ほどで通常品より0.5㎜位縮小しています。いわゆる次鋳銭サイズです。一般に離郭の銭文径は本座より大きくなります。それは文字が郭から離れているためで文字が大きいわけではないのですが、そのせいか本座より輪が細くなる癖があります。(磨輪銭もあります。)本品は一般的な離郭と濶縁の中間にある品で輪幅が若干太くなる他にやはり内径が小さくなる癖を見るべきでしょう。なお、この類は面の砥ぎが輪や強く文字がつぶれ気味になっているものも散見されますので雰囲気だけで判断せずしっかり計測する必要があります。銭譜にはうたわれていませんが、私はこの類は一分類として独立させるべきだと思うようになりました。(名称は中濶縁とすべきですが紛らわしいので濶縁手としています。)本品もかなりの肉厚で重量は26.1gもあります。
離郭濶縁(黄銅質)       【評価 稀】
黄銅質のものはなぜか濶縁でも中濶縁と言われることが多いようですが書体的には赤銅質のものと変わりませんので濶縁としました。(おそらく上掲品との混同があるため?)
こちらには鋳ホールはありません。存在数も濶縁より少ないのですがなぜかこちらの一般評価は低めです。内径はさらに縮小しほぼ43㎜に近い数値となります。
平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)


離郭濶縁(赤銅質)       【評価 稀】
保字通字が郭から離れる特徴から離郭と呼称されています。特徴は少ないのですが文字も素朴です。このように輪幅の広いものは珍品になります。赤銅質でぶつぶつと穴が鋳肌にあるそうです。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
離郭濶縁(赤銅質)       【評価 稀】
平成26年12月のネットオークションに出品されていたものを衝動的に購入してしまいました。はっきりした赤銅質のものが欲しかったというのがその理由です。
離郭濶縁            【評価 稀】
平成21年春に衝動買いしてしまった?離郭濶縁です。黄銅質ですが輪幅がしっかりあり、長径は49.3㎜もあって、やや小様が多いと聞いていた離郭濶縁の中では大きいほうになります。
ここには書けませんが鑑識のシークレットポイントに矛盾もありませんので問題ないと思います。原品は手ずれ感のない未使用銭らしく、やすり目も粗いものですが、もしこれが流通していたらもっと赤く発色しているのではないかと感じます。
長径49.3㎜ 短径33.0㎜ 重量21.0g

離郭の輪幅のバラエティ → 離郭濶縁の再考察
離郭の製作には結構幅があるようです。肉厚も3㎜を超えるものがあり、銅質も黄銅質、赤銅質、なかには大珍品ですが純白銅質もあるとのこと。輪幅の広狭についても色々なタイプがあるようで、そのうちの珍品が離郭濶縁になります。
これは濶縁という名称の通り、輪幅が広いだけでなく文字もかなり縮小します。その一方で有識者の間では離郭中濶縁というものの存在も知られています。ただし、この分類については賛否両論があり大家であっても青寶樓氏は否定派、瓜生氏は肯定派だったそうです。
問題を難しくしているのが、縮小が大きい濶縁とその中間のものがあり、それに赤銅質と黄銅質の製作の異なるものがそれぞれあるからのようです。
①赤銅質系の文字縮小銭 → 文句なしの濶縁銭(鋳ホールのあるタイプ)
②赤銅質系の中間タイプ  → 濶縁銭とされることが多いようです。
③黄銅質系の文字縮小銭 → 中濶縁と呼ばれることが多いようですがやはり濶縁でしょう。
④黄銅質系の中間タイプ  → 濶縁手とされたり、あえて分類されないことも・・・。

銅質や製作を含めて分類名称がつけられているからゆえの混乱のような気もしますし、色々な母銭が作られたと考えられる経緯からあえて細かく分類しないというスタンスの方々もいらっしゃるようです。

現物主義的な考えから私見を言うと、①と③は濶縁銭で良いと思いますし、②と④は中濶縁あるいは濶縁手とすべきでしょう。もちろん後天的な加工による磨輪もありますし、文字の縮小しない大様銭もあると予測されます。
ここらへんは文銭の濶縁、細縁の名称談義と同じような展開になりそうです。仙人の天保銭段位認定の中に離郭10枚という高いハードルがあるのですが、その意味が少し理解できたような気がしました

筑前通寶(通用銭)         【評価 大珍】
この背郭の特徴などから離郭が福岡藩銭に定められた経緯があります。目の保養に・・・。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)

※天保仙人様から、筑前の真贋判定ポイントをご教授頂きましたが、鑑識ポイントの位置は頭では理解できたものの、私ごときの眼力ではなかなか見抜けません。やはり経験の差というものは大きいようです。
筑前通寶(小様)           【評価 大珍】
筑前は銭径の差が激しいのですが、これは小様と言われる珍品です。天保仙人が絵銭として売られていたものを見て購入したと言う信じられないお話が・・・。

この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
筑前通寶(通用母銭)      【評価 大珍】
平成19年度江戸コインオークションの目玉商品にしてこれ以上の品はないというもの。通常の筑前より大きく、天保仙人氏によると通用母銭というべき一品です。詳細は雑銭の会に天保仙人氏が投稿しております。以下にその全文(一部編集)を転載させて頂きます。

(平成19年 江戸コインオークションカタログより)


※その後の報告でこれに対応する子銭が発見されたとのこと。仙人の眼力はすごいと思います。
①通用母銭とは何か
本座の天保通寶の鋳銭は 彫母→錫母→銅母→通用銭 の形式で行われます。
此の場合は幕府や雄藩の様に、財力と権力により(実際には幕府も雄藩も財政難でしたが)、 高度な技術を持つ職人を雇う事が出来る場合にのみ行える事で、 幕末において財政難だった諸藩には優秀な職人を雇う事はなかなか出来ませんでした。
特に彫母銭を作る彫金師は、当時も数はいなかったようです。現在でも腕の良い技術者は、殆どが造幣局にいるようです。
そこで一番簡単なのが、当時木版関係に従事していた彫り師や、印鑑などの職人に木型で彫母銭を作る事でした。
しかしどんなに堅い木で制作しても、所詮は木ですから限界があります。おそらくは20~30品しか出来なかったと推測します。
そこで今度は銅母銭から銅母銭を作ります。本来の錫母銭があれば、この様な工程が要らない訳です。
本座銭みたいに多量に鋳銭されれば、銭径にバラ付きがあってもおかしくは無いのですが、存在数の少ない筑前通寶に銭径に誤差があるのは、錫母銭が無かったからと思われます。

解りやすく図式にしますと以下の通りになります。

   
木型→銅母銭A→通用銭①
       ↓ ↓
       ↓ →銅母銭B→通用銭②
       ↓
      覆輪→通用銭③
       ↓
       →銅母銭C→通用銭④
 

鋳銭では銅母銭A・Bを一緒に(Cも同時に使用したかも?)使用したと考えられます。
この場合通用銭①と銅母銭Bが、 又銅母銭AとC通用銭③の銭径はほぼ同じになります。今回の大様銭は通用銭③と思われます。
現存する2品の銅母銭が母銭Aにならば、今回の筑前銭に該当する通用銭はありません(銭径が同じでも、銭文径が違う)。
もし今回の筑前が通用銭①ならば現存している銅母銭はBになります。
小生が思考するには現存する銅母銭はBで今回の筑前銭は通用銭③を、銅母銭Bの銭径に外輪を削った物と考えております。
今回の筑前は当初は『通用銭』として作られた物で、その痕跡は花押に出ております。
しかし面側は母銭の様相が有り、鋳砂でもまれた形跡もある処から母銭として使用されたと考え、『通用母銭』と呼んだのです。
誤解しないで頂きたいのは、『通用母銭』が全て、覆輪母銭から作られた物ばかりでは無いと言う事です。例にとると土佐通寶・當二百銭では通用銭の良い物を、そのまま母銭として鋳銭を行った為、銭径に物凄くバラ付きが出ております。
この様な場合も母銭に使用した通用銭を『通用母銭』と呼んでおります(土佐二百の通用母銭は3品確認されております)。

②通用母銭の同規格品の存在と通用母銭からつくられた子銭の存在
今回と同型の筑前通寶・大様は小生の知る限り1品存在しております。但しこちらの方は完全に通用銭です。
又今回の筑前銭と符合する通用銭は現在まで見付かっておりません。
土佐二百の場合は符合する通用銭が、見付かっております。
筑前銭の通用銭も今後出現する可能性は充分にありますので、是非探してみて下さい。
今回オークションの出品された筑前をみて、最初は相当考え、所蔵している筑前通寶・銅母銭・通用銭四品と比べさせて頂き、この様な結論に達しました。
(雑銭の会掲示板10月10日 天保仙人様の記述より)
 
岡藩銭
 

これは資料と現品の出現から、鋳造地が確定されている天保銭です。岡藩と聞いてどこの地域か判る方はほとんどいないと思いますが、東九州の豊後地域、竹田市(大分県)といえば古寛永の収集を多少かじった方なら思い当たるでしょう。この地域には寛永通寶の鋳造で培った技術が営々と生きていたんですね。ところではじめて岡藩銭を見た方はその本座との類似性に驚かれたと思います。銅質はもちろん書体や寸法などほとんど本座と変わりません。一方で、その存在量から見て、このような小藩にしては模が大きすぎるという意見もあり、岡藩銭の分類そのものを疑問視する方も多いと思います。事実、天保通寶と類似貨幣カタログでは本座銭に抱合する形に改められています。したがいまして、本稿では旧譜の分類に従いながらも本座とするには製作面や規格などから逸脱の見られるものを中心に集めて見ました。

主な書体は 肥天痩通 です。 

肥天痩通            【評価 8】
制作はやや仕上げが粗いもののほとんど本座広郭と区別がつきません。わずかに通字が陰起して細くなる癖があり、これがシークレットマークなのかもしれません。鋳写しにしてはさして銭径や銭文径が縮まず、さりとて覆輪や刔輪の様子もないので、あっぱれな鋳造技術としか言えないものです。それだけ発覚を恐れて計画的に行なったものなのでしょう。存在は密鋳銭としては最多クラスで、雑銭からも良く拾い出せます。銭譜によっては通字のみ細いものとと通寶両方とも細くなるものを挙げていますが大同小異といった感じです。
岡藩銭に対してのひとつの意見
岡藩銭は通寶が細字になる・・・という特徴があるのは発見された現物から見て間違いはありません。
その一方で、全ての痩字通寶=岡藩銭というのは当てはまらないという意見があります。と、いうのも鋳写しなどで天保母銭を作る場合、字抜けの悪い通寶の2文字を加刀修正するのが通常で、そういう意味では岡藩銭にされているもののなかにかなりの別藩作成の天保銭が混じっていると考えられるからです。
肥天痩通 郭内未仕上      【評価 7】
長径48.8㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径41.15㎜ 重量18.5g
郭内のヤスリがけがありません。重量も規定外のものです。
広郭手も判別の難しいものがかなりありますが、やはり重量と銭文径の規格外であること、やすり目の異常は見逃せません。
文字がところどころ極端に細くなっています。
※この品は規格外ということで不知品としていましたが、製作などから岡藩に掲示しなおします。背の文字も細く変化しています。
広郭手 厚肉          【評価 7】
長径48.25㎜ 短径32.8㎜ 
銭文径41.5㎜ 重量23.5g
重量が規定外のものです。
※この品は明確な痩通になっていませんが、銅色や製作から同じ鋳造場所の可能性があると判断し、ここに掲示します。
広郭手 細縁          【評価 7】
長径48.2㎜ 短径32.1㎜ 
銭文径41.2㎜ 
重量18.8g
これは実にしっかりしたつくりで、一見だけでは本座銭との区別はつきません。ただ、全体に磨輪されて細縁になっていることと、寶足がちょっと長く見えます。銅色は本座の黄褐色とは少し異なるようにみえます。
※この品も明確な痩通ではなく、刔輪のためか細縁離足寶、長足寶気味になっていますが、銅色製作から同じ鋳造場所の可能性があると判断し、ここに掲示します。
広郭手 背ズレ         【評価 7】
長径48.6㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径41.2㎜ 
重量18.5g
面含円郭、細字通寶ですが、岡藩のようなやすり目はなく極印は穴ぼこ状に深く打たれています。
背のズレがなければ(あっても)本座とほとんど見分けの付かない精巧作です。
※この品は銅質、製作は上掲品とは隔たりがあるのですが、細字通寶になる特色からとりあえずここに掲示します。
土佐藩銭
 
土佐藩銭のうち、額輪や短尾通などは地元の収集家の所蔵品などの傍証から、異論なく土佐藩のものとなったのです。
問題は有名な平通(現在は萩藩銭)です。こちらは土佐通寶との書体や制作の類似性からみて、土佐藩とされていたのですがなぜか途中から萩藩銭にくら替えされてしまいました。この点について疑問を述べたのはわずかに方泉處ぐらいだけです。頑固者私は長らく平通を土佐藩の欄に置いておりましたが、瓜生氏の『幕府諸藩 天保銭の鑑定と分類』の論を読み、ついに平通を萩藩銭に移動することにしました。

主な書体は 
額輪 短尾通 です。
 
額輪本体(母銭)        【評価 大珍】
本座から写し仕上げた母銭に覆輪をした仕上げ痕跡が良く分かります。熱した外環をはめて覆輪したため、金属の収縮により接合部が盛り上がって額輪状になったとのことです。

この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
※仮説として水戸接郭が土佐藩銭ならんというものがあります。製作から見た仮説ですが、それなりの説得力はありますね。
なお、掲示品は保点が湾曲するタイプのように見えます。
額輪本体(通用銭)          【評価 7】
手ずれにより肌が滑らかになっていますが鋳肌はやや荒れ気味。覆輪ですが長径は縮み49㎜を切ります。銭文径は縮小して40.2㎜ほどしかありません。水戸接郭に非常に雰囲気は似ていますが隔輪せず、肥字系の最小通常銭文径(39.8㎜)よりはわずかに大きい。
輪は外側に行くほどわずかに高く、内側がやや階段状に低くなります。極印は非常に小さな桐極印です。

→ 天保通寶極印図鑑
額輪短尾通           【評価 6】
額輪の枝銭の中にこの書体があったため、土佐藩に確定した経緯があります。額輪に比べてやや深字のような気がします。やはり制作は粗いのですが、通尾が極端に短く区別は容易です。やはり書体は本座広郭からの写しが原点でしょう。なお、短尾通にはやや尾が長くなるタイプも存在するようです。
額輪肥字濶縁(覆輪)      【評価 8】
昔は南部民鋳とされていましたが、銅色はどう見ても東北ではありません。白味を帯びた黄褐色が基本色なのですが、変色して黒っぽくなっているものが多いようです。額輪という名前が付いていますが、通用銭ではほとんど判りません。はっきりしているのは覆輪された母銭からつくられた本座鋳写し系のものであり、粗雑で非常にやすり目が粗いということです。存在も多いためあまり人気がありません。覆輪独特のやや横太り銭形。長径は48~9㎜とかなりばらつきがありますが銭文径は40.2~40.6㎜と肥字のためやや大きめ。極印は本体系に比べて大きめです。あるいは別炉なのかもしれません。

額輪肥字濶縁赤銅質(称:南部民鋳)【評価 4】
鉛含有量の多そうな赤茶色で、この銅色はやや珍しい。昔は土佐額輪といっしょに南部民鋳とされていたそうですが、昭和52年の天保銭研究会において、故・沢文男氏によって額輪と分離されることが提唱されたそうです。

仙人の基準では銅質は茶~紅黒銅色で銭文肥字、輪がカマボコ状に丸みがあるのを南部民鋳とするそうです。

額輪肥字赤銅質            【評価 4】
火中品でない自然な赤銅色は意外に珍しいと思います。やや刔輪の度合いが強いもの。
額輪肥字(未使用)         【評価 7】
長径48.6㎜ 短径32.3㎜ 
銭文径40.7㎜ 
重量13.7g
額輪としましたが覆輪をあまり感じず、長径も48.6㎜としっかりあります。その一方で重量が13.7g、肉厚が2㎜強しかありません。
額輪なのか、他座なのか悩みましたが、砂目と極印から土佐としました。銭文径が大きめなのは肥字になっていることと、銭全体が押し広げられた可能性があります。
本銭は未使用銭だと思われ、きれいな金色が残っています。
額輪肥字小様          【評価 4】
長径47.9㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径39.9㎜ 重量17.7g

銭文径がさらに縮んでいます。このサイズは孫写しになりますので、本座銭から改造原母銭をつくり、母銭を作ってから大量生産したものかもしれません。ただし、これだけ小さいとやや目立ちますので、末期の物だと思われます。銭文径が40㎜を切るものは少ないと思います。
小様は48㎜以下のもので47㎜台のものは珍しいと思います。
額輪肥字小様(最小様)?      【評価 ?】
長径47.7㎜ 短径31.75㎜ 
銭文径39.90㎜ 
重量15.6g
すべてのデータ値が標準を大幅に下回ります。いわゆる粗造品なのですが、ここまでの縮小銭は珍しいかもしれません。そのため当初は不知品としていましたが、秋田のM氏からのご指導で額輪の最小様クラスということにしました。月刊天保銭61年7月号には額輪最小様として47.8㎜のものが掲載されています。本品はそれに勝るとも劣らないサイズです。
本品は通字に加刀が見られ不知銭の可能性があります。くわしく知りたい方は制作日記の2010年5月15~25日の記事をご覧ください。
右端は額輪の特徴を良くあらわしています。また、保点が湾曲するものが良く見られます。これは母銭の段階での修正によるもののようです。
なお、面背刔輪で當冠の前垂が外曲するものがあるという記事が天保堂の記事(天保通寶分類譜 第4回配本平成4年)に見られ母銭の図も掲示されていましたが、私にはどうも接郭の母のように見えます。
土佐通寶當百(母銭)        【評価 大珍】
製作精巧、面背の地に鋳ざらい痕跡のある見事な母銭です。
背の下部には明らかな刮去痕跡があり、天保仙人の解説によるとおそらく家紋を入れていたのではないかということでした。
昭和15年2月の貨幣第251号を飾った現品にして、母銭は今だ現存1品しか確認されていない天下の大珍品です。
この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。
(天保仙人提供)
土佐通寶(通用)             【評価 大珍】
土佐通寶には意図的に流通したという痕跡があり、鋳造許諾のための稟議銭ではなく、藩内通用銭であったという仙人からのご教唆がありました。位置づけ的には地方貨ということになると思いますが、試作的な流通であったらしく存在量はごくわずかです。

(平成12年江戸コインオークションカタログより)
土佐通寶當二百(異百)   【評価 大珍】
異百は百の字の首の部分が長いためにそのような呼称になっていて、通常品の後に掲載されているのですが、佐の書体は土佐官券十匁の書体とも通じるものがあるため、最初期の試鋳銭ではないかと推定されています。(佐の第3画横引端が第5画右端より左側にある。)現存数は日銀蔵品を含めて2品のみです。なお、原品は母銭の肌の様子を如実に伝えていて、面側郭を中心として放射状にもタガネが走る痕跡が観察できました。このことから原品の母銭は木型ではないかと仙人は推定されていました。
この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
土佐通寶當二百(通用母銭) 【評価 大珍】
異百と佐の字の形状が異なることを確認して下さい。土佐通寶當二百の母銭は通用母銭式を採用していて、これは銭径・銭文径が大きく、母銭の形状で、母銭として使用され鋳砂でもまれた跡があります。仙人が確認した土佐通寶當二百の母銭は大様3枚、中様3枚、小様1枚で、そのうち日銀に2枚(大様と小様)収蔵され、1枚は所在不明(大様)とのことです。
なお、当品は旧譜では大様肥字母銭として掲載されていることもあります。(天保仙人提供)
田頭仙泉堂 → 大沢知足斎 → 田中銭幣館 → 大橋義春 → 大川天顕堂 → 小川青寶樓 → 日馬天保仙人 とすごい収集家の間を渡り歩いてきた由緒正しい品です。
土佐通寶当二百(小様肥字) 【評価 大珍】
平成17年銀座コインオークションに出品された逸品です。
この書体と制作でいわゆる平通がかつては土佐藩銭とされていました。このタイプは小様肥字とされるもので、平通ともっとも近似した制作です。これも試作銭だと思っておりましたが、現実に掘り出しの例もあり、ごく少量ながら流通をしていた・・・という事実があるようです。瓜生氏はその事実をもって通用銭と断定されたようです。なるほど・・・!
この品物は平成20年の雑銭の会において画像収録したものです。(天保仙人提供)
 
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