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H氏 密鋳銭
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平成23年1月23日、出かけられなくなって鬱々としていた私に仙台古泉会のH氏から書留郵便が届きました。
中には30枚ほどの寛永四文銭が・・・。しかも先頭はどう見ても文久様、どうもプレゼントではなさそうですね。ということでお手紙を読ませていただきました。
いわく、
踏潰小字の記事に応える意味で、もっと頭の痛くなる(判別の難しい)ものを送付した・・・読者の見識を問うと言う内容のようです。
この挑戦状に対し、私は敢然と立ち上がりました。ただし、お断りしておきますが、私の密鋳の分類は我流で、厳密に言うとすべてが断定形で言い切れないもの・・・すなわち江刺様、踏潰様といった分類ですのではなから腰砕け状態です。
送付品は未使用のものが多く、手に製造時の金属の角が当たるような・・・手の切れるような・・・ものばかり。未使用のものは手ずれのものとかなり雰囲気が異なることを改めて実感しました。
私のHPの解説文にはやすり・・・と言う言葉が出てきますが、実際は目の粗い砥石の可能性が多分にあります。当初は仕上げに関する知識も無く、また私の眼力ではその判別が難しいこともあり、いまさら修正も大変なので混乱が生じることを承知の上でこれらの語句を使用しています。
ただ、実際に東北地方では良質の砥石は手に入りづらかった・・・という傍証もあります。
普通の工程では鋳出されたばかり銭を
やすりで側面の鋳ばりを落とし、形をそろえ、穿内にやすりをかけ、表面を砥石で磨き(平研ぎ)、側面を砥石か工具で研ぎ(丸目)ます。銭によっては豆から取った澱粉で煮たり、梅酢による処理を行ったり(鋳砂除去:主に天保銭)、古墨で煮る(地の染め:主に一文銭)作業が加わることもあります。細かな砂で表面を磨いたり、ワラ(と草)で表面を磨く(藁摺り)作業があって仕上がり・・・という具合。
これらは時代によって順番や工程の変化、省略があったように思われます。
 
銭の仕上げに関する一考察
銭の仕上げ工程は
@台摺り(耳摺り) 側面を
やすり掛けする。鋳ばりや湯道などを落とす。
A目戸切り 穿内
やすり掛け。 → 床焼き → 形打ち
B平研ぎ 銭面を
砥石で磨く。
C丸目 側面を
砥石で磨く。
D臼踏み (糠磨き処理) → 銭洗い → 露取り(これらは鋳砂除去工程です。)
E直し摺り(藁摺り) 
などで周囲を磨きピカピカ滑らかに。

銭はお分かりのように、主にやすりや砥石を使用して仕上げます。面背は砥石、穿はやすり、側面はやすりと砥石(あるいは工具?)を使っています。
(工程については錯笵銭物語の最後に鋳銭図解とともに説明を載せてあります。)
当時のやすりは和やすりだそうで、今の洋やすりのような筋が入ったものではなく、おろし金のようなものを考えて頂ければ良いと思います。したがって目は比較的粗く深く出ると思います。
やすりは押し引きする関係で細長く作られます、そのため
銭の側面のやすり仕上げは(人間工学からも)横方向か斜め方向にやすり目が残るのが普通です。一方、砥石による側面仕上げは、縦方向に磨くのが通常で、砥石痕は縦方向が普通になります。
安政期以降は
ロクロ仕上げが普及し、これは銭そのものを回転させ、側面に砥石か専用の工具を当てるもの。したがってこの場合は横方向の条痕が残り、しかも側面はまっ平ら。
以上のことから銭側面の条痕が
縦方向なら砥石横方向と斜め方向はやすり・または砥石痕がほとんど、ということになります。
と、言う事は側面の
縦方向のはっきりした条痕・・・やすり仕上げと思えるものは非常に珍しいものだと思います。このことを踏まえて以下の記事・・・とくに仮称ガリガリ手とした一群についてご考察下さい。
事実は小説より奇なり・・・なのですが、実際にあるから面白い。
なお、東北地方は良質な砥石に恵まれなかったと言われますし、省力化のために、B以下の工程を省略することも充分に考えられます。
 
密鋳四文銭の選別と観察のポイント

これについては人それぞれでしょうが、私の場合・・・

@全体の色、風合いを見ます。
保存状態にもよりますがおおむね赤系と黄色系、黒褐色系などに分けておきます。第一印象は大事ですね。出来の悪いものに思わず目が言ってしまう癖がありますが、焼け銭や保存の悪いものに引っかからないように気をつけましょう。

A
輪側面を指で触れてみます。
明和期や文政期は砥石で引っかかりの無いようにやや丸く磨かれています。文政期は磨耗して丸いものがほとんどですが、中には縦方向に砥石目が残っているものが見受けられます。安政期はロクロ仕上げといって、銭を回転させながら側面を削るので横方向に傷(条痕)がきれいに並び、側面の角が立っていて面は平らです。

B
側面の仕上げを目で確認します。
多くの密鋳銭は手仕上げ風横やすりか斜めやすり。砥石ややすりの当て方が一定せず、銭形も真円を描いていません。この矛盾を指で調べたあと、ルーペで確認します。鋳バリの残り方で仕上げの方向までわかるものもあります。
側面は丸くなっているもの、きついやすり目があるもの、ひっかかりやゴツゴツ感があるもの、台形になっているものなどいろいろあり、密鋳銭判別のための最大の発見ポイントです。

C
表裏面の肌の感じを見ます。砥石の目の有無、砂目(銭の凹んだところのざらざら感)を見ます。延展によって文字や波が乱れてないか?背が浅くなっていないか?

D
穿内を見ます。明和期や文政期は一応、鋳ばりは除去されているものの、それほどやすり目は残っていません。安政期はベタっとやすりがかかっています。 

※観察順序については気分で変わります。
 
文久様俯永様
外径27o 内径20.9o 重量4.2g

文久様としてこれは良く見かけるタイプ。あまりに美しすぎて最近はこの存在そのものが否定される傾向にあります。
未使用の安政期的な感じ・・・ただし随所に加刀が見られます。
穿内はやすり、側面はろくろ仕上げ、面背はかなり目の細かい砥石の仕上げです。
密鋳?安政期俯永様
外径27.1o 内径20.3o 重量5.3g

側面やすりはロクロ仕上げ、銅質が赤っぽいのでぱっと見は安政期。文久様でも安政期でも超希少品ながら、内径が小さくまた背の製作に違和感がありますので、密鋳銭とされたもの。でも捨てがたい品ですね。欲しいなぁこれ。

※たしかにH氏のおっしゃるとおり。ときどき密鋳銭にもろくろ仕上げがあるようなのです。背に鋳砂が食い込んだままで除去作業がうまくいっていない感じです。面の筋目は粗砥石か砂磨きか?
※所蔵品に安政期様の俯永は2枚ほどありますが、ここまではっきりしたロクロ風横方向の仕上げのものではありません。銅質は違いますが正字でもロクロ風横方向仕上げのものが1枚ありましたがこれとは別炉ですね。
ロクロ仕上げについて

ロクロ仕上げが新しい技術と思ったら大間違いでした!実はロクロ仕上げは皇朝銭の時代からある技術なのです。穿に棒を通し、動かないようにきっちりまとめて、軸になる棒を回転させ周囲を削ります。
(月刊ボナンザ1979年6月臨時増刊号 日本のコインなんでも百科より)


※横の工具は鉤爪状に見えますが、工具によって削られたカスが工具の先にある図・・・とお考え下さい。実は私も30年たってはじめて勘違いに気づきました。
安政期小字(黄銅銭の未使用)
外径28.1o 内径20.6o 重量4.1g

世間一般ではこれを真鍮銭と言いますが、もともと四文銭の地金は真鍮ですから、呼称としてはやや不適切かもしれません。
安政小字は背の輪幅に微妙な変化があって面白いものです。
今回はこのほかに4枚ほど未使用銭を送付して頂きましたが、どうもスキャナーの調子が悪く(みんな白っぽく写る)ため画像は割愛させて頂きました。
文政期俯永(未使用銭)
外径28.0o 内径20.8o 重量5.4g

これは文政期銭未使用銭であるとともに、鋳造時の鋳肌が銭の表面に残る珍しいもの・・・だそうです。すなわち、面背の砥石仕上げが省略されたもの。

※う〜ん、ここまでの観察眼は私にはありませんでした。側面の縦の条痕も手ずれせずしっかり残ってます。
文政期小字(未使用銭)
外径28.0o 内径20.8o 重量5.3g

同じく未使用の小字。これは以下の江刺銭との比較サンプルとして送られたものだと思われます。
江刺俯永写 (未使用銭)
外径27.8o 内径20.7o 重量4.8g

計測は参考値。上の文政の仕上げのないものと肌の雰囲気は近いものがありますが、穿内未仕上げでヤスリは横方向です。なお細分類では俯永断柱永(H)とされるものだと思います。
江刺の多くは穿内未仕上げ、輪側面に粗っぽい仕上げがある以外は仕上げらしきものがないのがほとんどです。
側面は統一性のない横または斜め方向の条痕で、丸目作業ではなくやすり+砥石による手仕上げじゃないのかと感じてしまいます。
江刺俯永写 (未使用銭)
外径27.9〜28.2o 内径20.7o 重量5.2g

これも江刺。ただし、分類名称はついていません。絶対的な特徴もなさそうです。クレーターのようなあばた面がすごい品。
江刺俯永写 (未使用銭)
外径27.8〜27.9o 内径20.8o 重量5.2g

これも江刺。通下の湯道の痕跡に特徴がありますが、やはり分類名称はついていません。
江刺正字写 (未使用銭)
外径28.0〜28.1o 内径21.1o 重量5.6g

同じく江刺の正字。画像写りが悪いものの原品は未使用色の残るもの。やはり分類名称はついていません。
参考)江刺 異書斜寶写

私からのアンサーということで掲載します。これは数年前にネットで出てその後、入手されたS氏から私にお譲り戴いたもの。
〇〇様・・・としがちな私もこれだけは江刺で良いと思う一品です。背は加護山っぽくも見えますが間違いなく江刺だと今では言えます。実は江刺の一文銭はかなり貴重な品なのです。
 
踏潰と踏潰もどきたち
ここからはしばらく踏潰銭と材質・製作的には踏潰銭の近縁者たちが並びます。
踏潰正永(未使用)
外径27.4〜27.6o 重量5.0g

こちらはまたずいぶん実物より画像写りが良くなりました。寶の上下、寶背にな凹み(鋳ざらい痕跡)が見られます。おそらく兄弟銭も発見されると思います。面背は砥石仕上げで条痕が残るものが多い。横方向の砥石仕上げ。
穿内は鋳放しではありませんが余り手が入っていない感じでやすり目はほとんど見えません。
踏潰狭永(未使用)
外径27.4〜28.0o 重量5.0g

私のスキャナーは、ワイヤーブラシで引っかいたような光沢は押さえてくれきれいに写ります。肉眼ではもっとギラギラ輝いて見える品。
穿内はほぼ鋳放しか?
踏潰俯永
外径27.5o 重量4.8g

肉眼では上の品々よりも文字がはっきり見えるのですがスキャナーではいまひとつ・・・不思議ですね。この手の品としては良くあるタイプ。俯永はやや大きな銭径の物が多く、作りも丁寧です。

※こうして見ると踏潰は地に墨が入っているように見えますね。
 
踏潰様 俯永写(縦〜斜めやすり)
外径27.8o 重量5.1g

内径計測は歪む品が多いのでパス。材質や雰囲気は踏潰に非常に近い、ただし
側面やすりは縦から斜め方向で延展の雰囲気はありません。穿内も踏潰以上に丁寧にやすりで仕上げてあります。
踏潰様 小字写(斜めやすり)
外径28.0o 重量6.1g

肉厚でおおぶり。雰囲気はさらに踏潰度UPの品。ただし、
側面は完全な斜めやすりで郭内も丁寧な仕上げ。面背は粗い砥石か砂で磨かれたのか複数方向に傷が走ります。
銅色は明るくきれいな黄土色。この色は特徴的です。
これとほぼ同じ雰囲気の小字を踏潰様として保有しています。(でも、踏潰ではありませんね。)銅質も面白いので個人的に好きな密鋳銭。
※所蔵品を調べたところ同系と思われる品が3枚ほど見つかりました。銅色も同じで深い輪斜めやすりとしっかりした郭内仕上げが特色です。これはかなり力のある銭座の作じゃないかしら・・・。
踏潰様 小字写(穿内やすり)
外径27.7〜27.8o 重量5.3g

画像にすると踏潰っぽくみえますが、材質はやや赤い。また
穿内にもしっかりやすりが入っています。ただ、延展の雰囲気は実によく出ています。
踏潰様 小字写(穿内やすり)
外径28.2o 重量5.3g

さらにこれは踏潰でいいんじゃないの・・・というような雰囲気。完全につぶれてる感じ。輪のやすりも違和感は少ない。ただ、
穿内はベタッと縦やすり・・・う〜ん、微妙に違うなぁ。でも良い感じです。
※穿内のやすりをどう見るか・・・微妙ですね。一般的な踏潰銭の穿は鋳放しではないもののあまり手が入っていない感じです。
はずかしながらH氏に言われるまで穿内の仕上げにはあまり注目していませんでした。
踏潰様 正字写(未使用)
外径27.4o 重量4.3g

たしかにこれも踏潰と同じような材質と面背の雰囲気。ただし、
側面の仕上げ方が気にいらないので、踏潰度は少し下がります。
踏潰様 俯永写(寶上削輪+墨入り)
外径27.8〜27.9o 重量4.9g

材質、仕上げは踏潰系。踏潰でよいと思います。寶上に加刀痕跡らしきものが見られます。延展によるゆがみかしら?
ただ、
地に墨が入っているようにも見える。その点をどう見るかですが、一般的な踏潰には地に着色があるようにも見えますね。。
踏潰様 正字写(未使用)
外径27.4o 重量4.3g

小ぶりな俯永。直感的には好きな顔。自分で発見したら踏潰にしてしまうと思います。背波の乱れはあまりありませんし、文字変化もなし。
それでも材質や製作に矛盾なし。
踏潰様 俯永写(未使用)
外径28.1o 重量5.1g

おおぶりで未使用色の残る品。材質、制作方法はかなり踏潰。ただし、これも背波の乱れはほとんど無いようです。大きいのをどう見るか・・・延展かなぁ?微妙な品ながら踏潰度高し。
謎の仰寶
仰寶(郭抜け)
外径27.3〜27.7o 重量4.2g

薄っぺらで愛すべき逸品。H氏は江刺かも・・・ということでしたが、この背のずれっぷり、形の歪み、広がりきった穿・・・実は私が踏潰様再延展写としたものに似た雰囲気があります。(ただし、銅質などはずいぶん違います。)
分類名ではありませんが、風貌的には踏潰というにふさわしいもの。ただし、面の条痕は見えません。
一方、肌と銅質はたしかに江刺。江刺だとしたら相当出来が悪く、薄っぺら・・・穿も違う。肌もすべすべ。結局は謎です。でも良い味してるな・・・これも欲しい!
輪極粗縦やすりの一群(仮称:ガリガリ手)
さて、ここからがH氏提供のハイライト。上の品々と同じような雰囲気ながら側面はまるで歯車のようなギザギザ。ガリガリ手とでも言いたくなります。以下、皆同じような仕上げ・・・明らかに同類です。穿内にもやすりが見られます。
違和感を感じるのは、普通は平研ぎ(面の研ぎ)をやった後に丸目(側面の研ぎ)をするのに、これは側面の仕上げの後で面の仕上げをやっています。
あるいは側面を粗仕上げしただけで、丸目を省略した(私はこちらが本銭だと思います。)・・・それで側面を触れると引っかかる感触があるのだと思われます。規格が比較的揃っているところを見ると、まとめて側面仕上げしたように感じますが、そうなると(人間工学と当時の工具の関係で)こんなにきれいに揃った縦条痕は(やすりでは)つきづらい気がしますし、粗砥石仕上げだとしてもここまで目の粗いものがはたしてあるんでしょうか?
未使用の品が多いのでこのような感じなのかもしれませんが、とにかく不思議な一群です。
  俯永写
外径27.7o 重量5.0g

この条痕を見て下さい。また、面の仕上げが輪側にはみ出しているのも不思議。最終工程の藁摺りは完全に省略されている雰囲気です。一度触ったら忘れられない感触です。
俯永写
外径27.5o 重量4.3g

鋳不足はあるものの製作は同じ。
これは踏潰とは全く異なる仕上げです。穿内は粗くバリ取りをしていますので鋳放しではありません。

俯永写
外径27.6o 重量5.0g

面の仕上げは砥石というより荒砂で磨いたみたいな雰囲気。ひどい仕上げですね。
俯永写
外径27.7〜27.8o 重量4.6g

比較的良好な出来の品。たまたまかもしれませんが銭径は揃っていてほとんど同じ大きさの感じがします。まとめて側面を加工したのは間違いないかもしれません。
俯永写
外径27.6〜27.7o 重量4.4g

現品はもっと赤い感じがします。穿の仕上げは目立ちませんがやすりはちゃんと入っているようです。
俯永写
外径27.6o 重量5.0g

書体にはほとんど変化が見られません。規格も予想以上に揃っている感じがします。
俯永写
外径27.6o 重量4.3g

ほぼ未使用に近いものばかりです。これなどは穿の仕上げが雑でバリが残っているように見えますが、一応人の手が入っています。
小字写
外径27.3〜27.4o 重量4.4g

製作はほぼ同じながらやや薄肉。背波は一直波だと思いますので文政期の写しだと思われます。類品の中では最も小さい。
小字写
外径27.6o 重量3.4g

上に同じ。未使用色が残るもののとにかく粗い。みすぼらしい。側面の縦ヤスリ仕上げが無ければただの雑銭扱いかも。
こちらは軽い。
※所蔵品を調べましたがここまではっきりした縦やすり目と思われるものはありませんでした。大体、縦やすり目自体珍しいと思います。
 
密鋳四文銭は面白いです。銅質、鋳肌のほかに、面背の条痕、郭内の仕上げ、側面の仕上げ方向までじっくり見なければいけません。今回はさらに仕上げの順序まで考える必要があることを勉強しました。(今まで少しいい加減、直感的に見ていました。)
私のコレクションはアルバム1冊ほどしかありませんが手持ちの密鋳銭を再検証する楽しみが増えました。編集も大きく変わるかもしれません。H様ありがとうございます。
 
明治吹増銭(称:恩賜手)の再考察
 
UP後にH氏から再びお手紙が届きました。そこには驚くべきH氏の推論が記載されておりました。
 
(前文略)
さて、あの密鋳銭はすべて未使用に近い状態でした。あれは昨年の暮れに四文銭5000枚程の中に7挿しの未使用挿しがありました中より選りだしたものの一部です。(ほとんどが文政小字ですが)文政、安政、江刺、踏潰、不知とが混在して入っておりました。
(中略)
文政から安政まで40年間ございます。文政のみの挿しであったならまだしも、他の時期のものと未使用状態のまま交ざることはちょっと考えられません。
(中略)
それで残っている文政小字、俯永などをよく見ましたら、面背の仕上げが粗砥石のままで輪側にも砥石(やすり)の目が残るものが大多数でした。中にはガリガリ手のごとき輪側に粗砥石(やすり)目が残っている物もあり、また文政にしては金質も硬い感のものや、明和に近いものまで色々でした。
私思うに、斯界の一部で言われている明治期吹増銭であれば銭径、仕上げ、金質にばらつきがあっても不思議ではなく、また未使用状態が交ざっていても納得できます。
(中略)
ホームページをご覧になっている古銭収集研究家の皆様の忌憚のないご意見をお伺いできれば幸いです
(後略)
論点を整理しましょう。
@H氏の入手した挿しは、ほとんど未使用銭の挿しであった。
A中は文政期以降とされるものがほとんど・・・しかし、文政から幕末まで40年ほどあるので、それらが未使用状態で同じ挿しになるのは不自然ではないか?
Bよく観察すると、文政期に見えるものはいわゆる明治期吹増銭(恩賜手)と呼ばれるつくりの粗いものがほとんど。
C同じ挿しから出た製作の似ているガリガリ手は明治期吹増銭(恩賜手)ではないか?混乱期ならば銅質のことなるものが出現してもおかしくないのでは?
 
補足と推論
文政期銭は文政4〜8年(1821〜25年)に江戸浅草橋場町(千田新田=十万坪という説もあり)で鋳造が開始されたと言われています。一方、安政期銭は安政4年(1857年)に江戸深川海辺新田(東大工町)で鋳造されたとされています。
鋳造開始時期は36年の隔たりがあり、また両銭の製作は全く異なります。
明治期吹増銭については、これを恩賜手とする説(三上説)やら、文政期未使用品と断定したもの(方泉處説)などがあり、まだ決定的な文献資料は残されていません。判断が難しいのは、明治期吹増銭は鋳造記録がないだけではなく、(製作は粗いものの)銅質、書体はたしかに文政期銭とほぼ変わらないからです。(同じ母銭規格からの鋳造?)
明治期吹増銭の仕上げは面背の粗い目(やすり目?砥石目?砂磨きの痕跡?)と側面の粗いやすり(砥石?)目が特徴で、観察すればかなりの差があります。 穴銭入門の改訂第3版には明治期吹増銭が横やすりのように書かれていますが、実際は見事な縦方向目。(程度の差はあるものの文政期銭も同じです。)
ただし、文政と明治では47年の開きがあり、間に安政期銭の鋳造があったことを考えると文政期に近似した技術(銅質)の銭を明治期に復活再登場させる謎も残ります。

参考)
明和期銭の鋳造量は5億3000万枚以上なのに対し、文政期銭はその15%ほど・・・わずか7970万枚の鋳造です。
天保通寶が登場して以降、(天保銭は明和期と文政期の間に登場)銭相場は混迷を極め、市場では小銭が不足しているのに、銅の小銭を鋳造すると赤字事業になるという悪循環に陥り始めます。やむなく鉄銭が登場するわけですが、鉄は原材料の砂鉄は豊富にあるものの、高温鋳造をしなければならないので燃料費が嵩み、技術的にも難しいもの。(鉄銭の鋳造は大赤字だったそうです。)
それでも鉄銭が登場しなければならなかったのはやはり、銅の海外流出による原料不足が大きな理由だったと思われます。
文政期の鋳造は地方経済の小銭不足と混乱を解消するために、ようやく調達した原料を使い、赤字覚悟の苦肉の救済策だったと言われています。
 → 明和期鋳銭事業の謎 

幕府の思惑とは異なり、赤字覚悟で投入した精鉄銭(日本刀のような輝きを持つ炭素鋼)も銭相場によって翻弄されます。市場には銅銭相場、鉄銭相場が並立するようになり、さながら地金相場のようです。こうなるといくら儲かるからといって相場を混乱させ、小銭不足を招く天保銭を鋳造し続けることはできません。そこで文久銭が登場するわけです。
 → 文久永寶の細道(序文をお読み下さい。)

文久のコーナー序文に書いたとおり、文久永寶の事業はわずかに黒字を確保できたようです。相場の混乱によって中断せざるを得なかった鋳銭事業が、銅鉄相場の格差によって復活したわけです。しかしながら国産銅の払底が解消されたわけではありません。
明治元年4月の太政官布告には鉄1文に対して 寛永四文銭=24文 文久銭=16文 天保銭=100文 という通用価格の定めが書かれているそうです。
 → 明治維新の交換レート(コインの散歩道より)

さて、以上色々な資料で見聞してきたことをさも自分で考えたように書くのは私の悪いところ。
ここから自分の意見を書きましょう。
ここでは以下のように問題点を追加・整理して考察します。

@明治期吹増銭の正体は何か?
Aなぜ時代が異なると思われる未使用銭が同じ挿しに入っていたのか?
Bガリガリ手=明治期吹増銭なのか?


実験的仮説(妄想?)あれこれ

考察1)
明治期吹増銭の正体は天皇行幸、恩賜のための鋳造銭なのか
(明治期の新規鋳造)
まず、恩賜手についてですが・・・明治天皇が行幸したのは明治元年から2年にかけてのこと。ちょうどこの頃、貨幣司がおかれ貨幣製造も幕府から引き継がれた形になっています。実際に行幸のために賑恤(じんじゅつ=ほどこし)した金品の総額は1万1130両。
恩賜手鋳造説はこのお話が根拠です。
ただ、当時ただでさえ資金繰りに苦しい新政府が鋳造的に採算の取りづらい新銭を(配ることだけを目的に)つくるメリットがあったのでしょうか?また、その記録もありません。(配るのなら市中にあるものをかき集めたほうがよほど安上がりのような気がします。なお、貨幣司は二分金や一分銀、天保銭、一朱銀など高額貨幣を作った記録のみあるようです。)
徳川の時代には上洛や日光参詣のときに恩賜とその費用捻出のための銭がつくられた(御用銭・文久銭)と言われます。行幸のための銭鋳造の説はこの徳川の時代の風習をこの行幸にも当てはめたものだと思われますが、いかんせん経済情勢がかなり異なります。
82年の収集1、2月号に恩賜手の記事があり、青緡(あおびん?・あおぜにさし=青房寛永・・・贈答用の銭挿し)を一メ文(1000文)配る・・・という記述が大正13年の寛永講習録にあったと書かれています。当時の交換レート(鉄一文=24文)から逆算して、四文銭なら40文(当時は九六勘定であったので1000文=960文として計算)の青緡になると思われます。この程度の数、そして恩賜が本当なら、天皇陛下から頂戴した有難い恩賜手の寛永を伝承つきで保存しているものが出てきても不思議ではありません。
しかしながら、今のところそのような伝承は聞いたことがありません。
したがって、恩賜手伝説については個人的には懐疑的ですが、完全には否定し切れませんね。ただ、これらの銭は大量に存在するので、恩賜ではなく別の理由の鋳造も考えられます。

考察2)
明治期吹増銭の正体は密鋳銭説・・・を考える

その昔、
小字の次鋳タイプは仙台の密鋳銭であるとされていた時代もありました。ただ、明治期吹増銭(恩賜手)には小字次鋳銭タイプ以外の書体が存在します。推論ですが、これらの銭が東北地域などでよく出てくることからこの説が生まれたのだと思いますが、もともと文政期銭は地方の小銭不足を解消するために赤字覚悟でつくられたもの。したがって江戸などの大都市ではなく、主に地方に運ばれて流通したものなので、地方にたくさんあるのも当然なのです。したがってこの仮説は???
ただし、明治期吹増銭が実績のある地方銭座(仙台藩)でも作られた・・・というのなら可能性はあります。

考察3)
なぜ時代が異なると思われる未使用銭が同じ挿しに入っていたのか・・・銀座あるいは幕府による長期相場操作があったのでは

この仮説は私が今考えました(笑)。当時の世相は銭をつくっていっぺんに流通させると銭相場が暴落します。暴落すると鋳造による利益が吹っ飛びます・・・と、いうよりもともと赤字覚悟の事業ですからあまり損もしたくない。だから、情勢を見ながら細々と放出を続ける。つまりタイミングを計るわけです。請け負い事業なので銀座がこの操作を行ったかどうかはわかりませんが、私が幕府関係者なら間違いなく実行を考えます。鋳銭コストを下げるために作業の手抜きは当然のこと。未使用銭が多いのは流通までの退蔵期間が長かったから。でも期間が長すぎるなぁ・・・。

考察4)
なぜ時代が異なると思われる未使用銭が同じ挿しに入っていたのか・・・文政期と・安政期銭は同じ時期にも鋳造されていたから

私たちが一般に文政期や安政期と呼称しているものが果たして本当にその時期にそれだけが鋳造されたという確固たる証拠は実はないのです。安政期銭が安政期とされたのは、銅色や側面の仕上げが文久銭に似ているからなどの理由だと思います。
大日本貨幣史には「安政4年 寛永銭を鋳る。真鍮銭ならびに銅銭および鉄銭なり」とあるそうです。穴銭入門にもどの銭を当てるのか謎としていますが、現在の通説では 真鍮銭は安政期の黄色いもの、銅銭は安政期の一般的なもの、鉄銭は万延元年(1860年)の精鉄銭としているようですが、私はあえてこれに異を唱えます。
実は文政期銭も安政期銭も当時の基準で言えば立派な真鍮銭。今の定義で真鍮と言えば黄金色に近い印象を持ちますが、それは亜鉛精錬が国内で可能になった明治中期以降の印象です。当時の亜鉛は貴重な輸入資源なのでこれを使った合金を真鍮と呼ぶのは当然だと思います。(では銅銭は何かと聞かれたら・・・困った。安政期銭も真鍮ですしね。でもあえて安政期銭を銅銭と仮定します。)
安政期期においても文政期の製法を引き継いでいたとしたら・・・これは充分にありえるお話なのではないでしょうか?

考察5)
なぜ時代が異なると思われる未使用銭が同じ挿しに入っていたのか・・・選銭風習の結果なのでは

当時のインフレはすさまじく、銭はもちろん天保銭もバラより挿しで流通するほうが多かったようです。当然ながら挿しでぎっちり固められたものは磨耗しづらくなります。このような形で流通するのでは痛むのは銭ではなく銭を通す紐です。郭内の仕上げがずさんなものが増えた文政期以降は当然縄切れが起こります。そこでもう一度紐を変えて挿しにしなおします。当時は九六勘定ですから96文=100文・・・まとめるだけで4%以上の稼ぎになります。これを逃す手はないのです。もちろん小額の支払いもあるでしょうから時には挿しをばらす必要も起きるでしょうが、96枚になればまた挿しに戻す。
大体、200年以上経っても未使用色が残るのはそれだけ真鍮が酸化劣化に強いことを意味します。青銅ではこうはなかなかいきません。
なお、
当時も出来の良い銭だけを集める選銭の風習は強く残っていましたので、出来の悪いものがたまたま集まって残っていたいたとも考えられなくも無い。ただし、H氏の挿しに明和期があまりなく、明治吹増や密鋳と思われるものがほとんどであったとしたら、これらが幕末銭である可能性が高い・・・というH氏の説はすごく説得力があります。

考察6)
明治期吹増銭の正体は、明治政府による銭相場調整と戊辰戦争の戦費調達のためでは。文政期銭にしたのはその偽装なのでは?
可能性は否定できませんね。これについてあとの記事をお読み下さい。

考察7)
ガリガリ手=明治期吹増銭なのでは・・・製作の近似と相違を考える

文政期と明治期吹増銭の仕上げの違いは、丸目作業が省略され、代わりに銭面の磨きが加わったように感じます。
また、H氏の見解のように明治吹増銭と仮称:ガリガリ手の差は金質だけだ・・・といっても良いほど酷似しています。(側面の雰囲気は全く同じです。これについては恥ずかしながら全く気づきませんでした。さらに明治吹増銭の側面がこうであったことも完全に忘れていました。)
ただ、いくつかの違いもあります。穿内の仕上げ・・・
ガリガリ手は一応、郭内の角仕上げがあるように見えます。また、地の砂目が微妙に違い、称:明治吹増銭がピュアな銅色なのに対し、ガリガリ手は砂の色か墨の色なのか分かりませんが何かが残っているように感じます。
いずれにしても文政期銭がその鋳造過程で工程省略が行われ、末鋳のような銭が生まれたことには間違いありませんが、仮に仮説が正しいとしても時期とか工人とか・・・何かが違う気がします。。

考察8)
ガリガリ手=明治期吹増銭なのでは・・・天保銭(秋田本座写との砂目の違いに注目
そういえば、天保銭は戦費調達のため明治期まで鋳造され、末期においては良い鋳砂(房州砂)が入手できなくて王子産の砂を使ったと聞いています。当然のことながら恩賜手の寛永があるとすれば同じ鋳砂が使用されたと思います。恩賜手の寛永と明治期吹増天保(称:秋田本座写)の砂目をじっくり観察すれば何か判るかもしれません。
称:秋田本座写(左側)の砂目と明治期吹増銭とガリガリ手の砂目比較

8倍に拡大しています。私の判断ではとても同じ砂目には見えません。称:秋田本座写は粒子が粗いだけでなく不均一に見えます。
一方、明治期吹増銭はザラザラしているものの粒子そのものは不均一ではありません。この違いは文字や輪の立ち上がり部分で一番良く観察されます。砂目の粒状感についてはガリガリ手の方が近似しています。
ただし、この点は砂型の踏み固めの違いや銅質の違いによるもの・・・とも考えられなくないかもしれませんが・・・。(真鍮銭の方が流動性が良い。)

でも、やはり何か違いますねぇ・・・。
H氏推論の肯定的な状況証拠
否定的見解ばかりではいけませんね。今度は肯定的な見地からH氏の推論を擁護して見ます。

まず、恩賜伝説が真実だと仮定して・・・
@賑恤(じんじゅつ)した金品についてはなるべく小額の方が都合が良いこと。
そりゃあ小判や分朱金銀がほどこしでもらえりゃ庶民は喜ぶでしょうが、それでは予算がすぐに底をつきますよね。

A小額銭で新規吹増してほどこすなら四文銭が一番効果的だったが、銭不足に加え四文銭の退蔵率が上がり、全数量を市中から集めるのは困難だった。
当時のレートでは天保銭が鉄100文、四文銭が鉄24文、文久銭が16文、文銭が鉄6文、その他の寛永銭が鉄4文で、重さと価値の比率、配布のしやすさでは四文銭が一番効率が良い貨幣になっています。一方、貨幣信用不安の中庶民は質の良い貨幣ほど退蔵して出し渋ります。だから明治期にも吹増が必要だったとも考えられます。

B恩賜準備を隠れ蓑に銭相場を操った可能性。
もし、交換レートを決める前に安い相場で四文銭を回収していたら・・・恩賜に備えるという理由で事前に四文銭を準備しておき、その後政府に有利な固定相場を発表したら・・・新政府が鋳造記録を残さなかったのは後ろめたかったから・・・。文政期銭型にしたのは一種の偽装か?

ガリガリ手=明治吹増銭であるということについては・・・
C明治30年の「寛永銭研究報告 第11号」に次の一文があること。文政吹増銭ハ猶真鍮トハ云ヘト銅質赤キモノ十中ノ九ヲ占ム
これを逆説的に捕らえれば10枚に1枚ぐらいは色変わりが存在する?(ただし、この記事中の文政吹増銭とはいわゆる普通の文政期銭のこと。)
実際に収集の81年3月号に文政の黄色っぽいものを恩賜手として間違えて発表した・・・云々の記事があります。と、いうことは恩賜手(明治期吹増銭)にも色変わりがあってもおかしくないはずです。

Dガリガリ手の重量分布が3〜5gに集中している。これは明治期吹増銭と同じ傾向。
文政期は5〜7gが多いのです。比重も重い。これは鉛の含有量の関係としか思えません。一方、重量が軽く、かつ白くなるとすれば・・・錫、亜鉛の量しか考えられません。

記録はなくても明治期に鋳銭があったことについては・・・
E三上氏、大川氏、小川氏、瓜生氏などのそうそうたる研究家が明治期吹増銭の可能性を認めている。
これらに異を唱えるのは相当勇気が要りますね。方泉處はすごいと思います。


ガリガリ手が官鋳か密鋳かを判断する方法として・・・
一番簡単な方法は成分分析すること。当時は亜鉛は輸入品で、日本国内で民間が入手するのは極めて困難でした。
したがって金属分析をして、亜鉛が一定量含まれればほぼ間違いなく官鋳であるといえます。一方、含まれない場合は密鋳の可能性がグンとあがることになります。
それともうひとつ、文政期銭は正規の母銭を使用していたので、ガリガリ手も文字サイズに縮小が見られなければ・・・官鋳という決定的な証拠になります。
※実は頂戴したガリガリ手の俯永は良く見ると次鋳濶縁サイズ。一方恩賜手の俯永の記事(収集・貨幣など)にはこのタイプのものを見ません。これをどうとらえるかですね。(この事実・・・重要なカギになります。)

と・・・思って、画像で計測してみたところ・・・超意外なの結果がおこりました。

左右の画像の文字位置がほぼ重なったのです。
目の錯覚か、どう見ても右側の方が輪が太く感じます。たしかに文字以外の部分では輪が内側にせり出しています。けれどもそれは仕上げの研ぎ押しの強さによる変形の範囲でした。(画像を重ねて比較判断しました。)
と・・・なると、ガリガリ手と明治吹増銭の母銭は同一サイズ・・・すなわち
正規銭座からの母銭流用ということになります。

これはH氏の仮説を裏付ける決定的な証拠になりえる事実です。
8倍にまで拡大した画像を使い、その後縮小しています。文字の位置がほぼ揃っていることがお分かりでしょう。

これは重要な意味を持ちます。ガリガリ手は官炉の母銭と同じ規格の母銭を使用していたということ。
すなわち、
ガリガリ手=明治期吹増銭の可能性がぐんと高まったのです。

もちろん、両者は全く同じではありませんが、官炉銭であろうという推論は成り立ちます。

(母銭の民間流出後の密鋳とも考えられなくは無いのですが、そこまで考えるのはもはや不自然でしょう。)
 
ここまでの結論
@状況的な証拠から、明治初期に吹増があった可能性は極めて高い。
A吹増銭は面背の砥ぎ目が粗く、側面が縦やすりで、平らに仕上げられているものをさす。
B吹増銭の銅色は文政期と同じ赤色が多いが、少数だが銅替わりのものがある。(混乱期だったためと推定。)
Cただし、銅替りは砂目など若干の製作の相違があるため、これについてはさらに検証が必要。
D恩賜説については可能性はあるが、明確な証拠が見つかっていないため再考察が必要かもしれない。
EH氏の推論はほぼ間違いのないものと(少なくとも私は)認定できる。
 
明治吹増銭と思われる物の銭径の違い 最小 9 27.2 20.4 20.7
最大 100 28.6 21.2 21.0
平均 28.2 20.7 20.8
番号 外 径 内 径 背内径 番号 外 径 内 径 背内径 番号 外 径 内 径 背内径
大 字 小 字 小 字
1 27.3 21.0 21.0 33 28.5 20.5 21.2 67 28.5 20.7 20.4
2 27.7 21.0 21.0 34 27.6 20.6 20.4 68 28.5 20.7 20.7
俯 永 35 27.7 20.6 20.8 69 28.7 20.7 20.4
3 28.1 20.6 21.3 36 27.7 20.6 21.0 70 27.6 20.8 21.0
4 28.0 20.7 21.4 37 27.8 20.6 20.6 71 27.8 20.8 20.6
5 28.2 20.7 21.2 38 27.9 20.6 20.4 72 27.9 20.8 20.6
6 28.3 20.7 21.3 39 27.9 20.6 20.8 73 27.9 20.8 21.0
7 27.9 20.8 21.5 40 28.0 20.6 20.7 74 28.1 20.8 20.6
8 27.9 21.0 21.1 41 28.0 20.6 20.9 75 28.3 20.8 20.9
小 字 42 28.0 20.6 21.0 76 28.3 20.8 21.1
9 27.2 20.4 20.7 43 28.1 20.6 20.5 77 28.4 20.8 21.0
10 27.3 20.4 20.7 44 28.1 20.6 20.6 78 28.4 20.8 21.3
11 27.9 20.4 20.4 45 28.1 20.6 20.9 79 28.5 20.8 20.9
12 28.0 20.4 20.4 46 28.1 20.6 20.9 80 28.5 20.8 21.1
13 28.0 20.4 20.4 47 28.2 20.6 20.6 81 28.6 20.8 20.9
14 28.0 20.4 20.8 48 28.2 20.6 20.6 82 28.8 20.8 20.8
15 28.1 20.4 20.3 49 28.2 20.6 20.6 83 27.7 20.9 21.2
16 28.1 20.4 20.8 50 28.2 20.6 21.1 84 28.1 20.9 20.8
17 28.1 20.4 20.8 51 28.3 20.6 20.2 85 28.2 20.9 20.6
18 28.2 20.4 20.7 52 28.3 20.6 20.6 86 28.2 20.9 21.0
19 28.2 20.4 20.8 53 28.3 20.6 20.6 87 28.4 20.9 20.6
20 28.3 20.4 20.9 54 28.3 20.6 20.9 88 28.5 20.9 20.7
21 28.3 20.4 20.9 55 28.3 20.6 21.1 89 28.6 20.9 21.1
22 28.4 20.4 20.5 56 27.6 20.7 20.6 90 28.6 20.9 21.2
23 28.5 20.4 20.5 57 27.8 20.7 20.7 91 28.6 20.9 21.3
24 27.7 20.5 20.8 58 27.8 20.7 21.0 92 28.1 21.0 20.6
25 28.0 20.5 20.4 59 28.0 20.7 20.7 93 28.1 21.0 20.9
26 28.0 20.5 20.7 60 28.0 20.7 20.7 94 28.1 21.0 21.4
27 28.0 20.5 20.9 61 28.1 20.7 20.7 95 28.2 21.0 20.9
28 28.2 20.5 20.7 62 28.2 20.7 20.7 96 28.4 21.0 21.2
29 28.2 20.5 20.9 63 28.2 20.7 21.1 97 28.5 21.0 21.0
30 28.3 20.5 20.6 64 28.3 20.7 20.7 98 28.8 21.0 21.1
31 28.3 20.5 20.9 65 28.4 20.7 21.2 99 28.5 21.1 20.5
32 28.5 20.5 20.4 66 28.5 20.7 20.3 100 28.6 21.2 21.0