戻る     進む  
赤錆の館
       
      浩泉丸編
       
文久永寶の細道     新寛永通寶分類譜
天保銭の小部屋     古寛永基礎分類譜
 
寛永通寶の分類譜・・・と銘打っているのになぜ鉄銭のコーナーがなかったのか・・・。それは私が熱心な鉄銭コレクターではないからです。見栄えがしないし、汚いし、保存も難しいし・・・。あるオークションで鉄一文銭に数十万円のお金をつぎ込んだ有名コレクターには畏敬の念さえ感じてしまいます。私は銅の通用銭に絞った収集をしていて、鉄銭と母銭についてはあまりお金を費やす対象にはしていません。(予算がありません。)したがって所蔵品は安くて状態がいいから雑銭コーナーで遊びに買ったものがほとんどで、中にはおまけにもらったとか、解体現場で拾ったなんてものもあります。希少品はほとんどありませんし、これからもあまり増えないでしょう。

と、言うわけでこのコーナーは私の数少ない所蔵品を参考画像紹介するだけのコーナーの予定でしたが、
銀座コインさん オークションネットさん 大和文庫さんなどのご了承を得て、オークションに出品された母銭類などの画像をも紹介できるようになりました。(多謝!)
 
オークションネット 銀座コイン 収集 大和文庫
1. 赤錆の館(鉄四文銭の部) 目次
2. 万延期精鉄銭 俯永・小字
3. 慶応期仙台藩銭 背千・背千刮去
4. 慶応期盛岡藩銭 背盛・仰寶・仰寶大字・マ頭通
5. 慶応期会津藩銭 背太ノ・断辵・背細ノ
6. 慶応期伊勢津藩銭 降波背イ・狭波背イ・縮字
7. 慶応期広島藩銭 背ア
8. 慶応期水戸藩銭 長尾寛背ト刮去・濶字背ト・広穿
濶字背ト刮去・逆背ト刮去
→南部藩母銭聚泉譜

→石ノ巻銭母銭聚泉譜

 
 
鉄四文銭の部
【鉄四文銭の登場】
明和2年(1765年) 幕府は鋳銭の方式を従来の民間請負型から、金座、銀座の差配方式に大転換させました。金座が一文銭類を、銀座が四文銭類(1768年~)をそれぞれ管理したのです。
ところで黒船の来航によって日本が鎖国を断念せざるを得なくなってから(1859年)、ある特別な事情が発生してしまいました。それが為替レートの問題です。金銀の交換比率が日本と海外で異なったため、金が大量流出したことはよく知られていますが、銅銭も同じ現象に遭っています。すなわち洋銀1ドルでおよそ5000文と交換し、それを中国にもってゆくと洋銀5~6ドルと再交換できたのです。この錬金術によって貿易船は多大な利益を生んでいました。幕府が安政二朱銀(通称バカ二朱)を造り、金流出を阻止しようとしたことは貨幣史では有名ですが、同じ様に銅銭流出を阻止するために鉄銭を大量鋳造したことはあまり知られていません。
鉄銭は元文4年頃(1739年)から鋳造されていましたが、評判は芳しくなく大量発行は銭相場を下げ、製造コストを上昇させる原因になります。開港にあわせ大量鋳造された鉄銭も例外ではなく、一文銭1枚を鋳造するコストは3~4文にも達し、完全な逆ザヤ状態に陥ってしまっています。そこで登場したのが鉄四文銭です。これは市場における小銭の不足を払拭し、かつ赤字にあえぐ一文銭の鋳銭事業をサポートし、さらに銭の海外流出を防止するための事業でした。
こうして登場した初期の鉄四文銭は【精鉄四文】と呼ばれています。良質な鉄を使うことにより評判と相場の維持を図るPR策でもあったのでしょうが、丹念に磨かれたその銭面はおそらく日本刀のような輝きを誇ったものではないでしょうか。
1.万延期 精鉄銭 万延元年(1860年)江戸深川海辺新田(東大工町)鋳造 (浅草橋場町鋳造説もあり)
万延巨字背小郭通用銭     【評価 大珍】

堂々とした書体、その風貌は鉄銭の王者。母銭の存在も少ないのですが鉄通用銭はさらに貴重な品物で、試作的なものと思われる。本銭は通用銭だが面背に砥石仕上げが行われている。なお、穴銭入門には通用銭の存在は掲載されていない。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
万延俯永                        【評価 10】
精鉄の名前にたがわず、鉄銭ながらきっちり輪にやすりがけがされている。書体は明和期の俯永と同じ。
万延小字                              【評価 5】
きっちり輪にやすりがけがされている点は俯永と同じ。書体は明和期と同じである。母銭の色は明和期の白銅色、文政期の赤銅色に比べて紫褐色であるという。人気がなく雑銭視されているが、なかなか存在が少ない。本来はもっと評価されてもしかるべきか?
 
 
2.慶応期 仙台藩銭 慶応2年(1866年) 陸奥国牡鹿郡石ノ巻鋳造
削頭千広千(原母銭)       【評価 大珍】

原母銭(母銭の母銭)なので大きさは通常銭よりはるかに大きなもの。貴重なものであることはいうまでもない。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
背爪千                          【評価 8】
背千の初画に爪がある。
背削頭千(一直波)                  【評価 9】
背千の初画に爪がない。背波が一直波になっている。
背千刮去(一直波)                  【評価 10】
背千の刮去銭。無背銭あり、一直波が上部まで直線状になるのだが通用銭での選別は困難である。万延銭とは輪側の仕上げが違う。
 
 
3.慶応期 盛岡藩銭 慶応2年(1866年) 陸奥国稗貫郡大迫通外川目村鋳造 
仰寶大字                               【評価 7】
面文が大きく独特。堂々とした書体である。
仰寶                                  【評価 10】
マ頭通が伸び上がり、寶字がねじれるように仰ぐ。存在は最多である。

→ 仰寶母銭
背盛                                  【評価 8】
背に盛の字を置く。コ頭通である。
背盛濶縁                        【評価 7】
輪幅が広いもの。
マ頭通                                【評価 8】
背盛に書体は酷似しているが、マ頭通で無背のもの。虎の尾寛になる珍品があるという。
栗林広穿(母銭)          【評価 7】
水戸藩の広穿の鋳写母銭から生まれたもので、書体は同一であるが薄肉小様になるもの。内跳寛、進寶であり、永字の打ち込みが強く独特である。

(オークションネットの古銭入札誌6より)
背山(母銭)              【評価 大珍】

仰寶の背に山の字を入れたもの。郭左角にある波の接合部に鋳だまりが必ずある。これの特徴を持った無背銭をを背山手とすることがある。元々は尾去沢銅山の通用銭として大迫銭座でつくられたという説が有力で、本来は銅銭だけの存在だと思われるのだが、市場でも鉄銭をよく見かける。あるいは鉄銭も鋳造したのかもしれないが・・・。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
背山(鋳写密鋳)          【評価 稀】

背山は鉱山における人足支払の代用貨だと言われています。当時はインフレでしたから、山の中で通用銭をもらったところで使えず、重い荷物になるだけでしたから。したがってこの通用銭はもらった母銭をもとに写したものといわれています。この品は岩手県内の工房に鉄原料として保管されていた大量の鉄4文銭の中から出てきたものです。
背盛大様(母銭)          【評価 珍】

直径30.8㎜の大様銭。ここまで大きいものは滅多に出てこない。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
背盛刮去(母銭)        【評価 大珍】
背盛が刮去されているもの。旧譜では背盛無背とされているが、画像を見る限り明らかな刮去痕が見られる。試作品であり、通用銭はないとされている。

大和文庫ホームページより)
仰寶大字米字刻印(母銭)  【評価 大珍】

刻印の意味は廃棄に代わり通用銭に混入して利用するにあたって母銭として再利用されないようにするため・・・という説がある。普通の仰寶の米字刻印はたくさんあるが、仰寶大字のものとなるとちょっと見つからない。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
仰寶磨輪(母銭)        【評価 1】

普通は古銭は大型のものの方が希少の場合が多いのだが、当品に限っては磨輪されたものの方が少ないようだ。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
マ頭通覆輪大様(母銭)    【評価 少】

直径29.5㎜の大型銭。通常に見られるものよりかなり大きく立派。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
マ頭通虎の尾寛(母銭)    【評価 少】

もともとは鋳だまりだったのだろうが、それが珍品を生み出す結果になった。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
 
 
4.慶応期 会津藩銭 慶応2年(1866年) 江戸深川八右衛門新田(会津藩邸) 鋳造 
背太ノ                                 【評価 7】
寛、寶に爪がない素朴な書体である。私がはじめて意識して買った鉄4文銭である。背にノ字があり、アイヅのア字の略字という。
背太ノ断辵                             【評価 4】
通のしんにょうの折部分が削られているもの。有名品である。

背細ノ                          【評価 9】
やや浅字小様になり、背ノ字が細い。
未収品 小字
 
 
5.慶応期 伊勢津藩銭 慶応2年(1866年) 江戸深川西町(津藩邸) 鋳造 
ノ字様背イ刮去(母銭)      【評価 大珍】

会津藩と同じ職人集団が製造にかかわったため、津藩銭ながら会津細ノと同じ書体になったもの。これはそれをさらに修正し、背のイの字を刮去して無背にしたものである。通用銭はまだ未発見。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
広波背イ(母銭)         【評価 大珍】

狭波に対して背波が横方向に流れている珍銭。類似品の降波に比べて波の位置が全体的に高くなっている。(右下の波の位置が郭の下辺より上)

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
未収品 潜イ
降波背イ                               【評価 7】
会津藩銭に似るが銭径小さく寛に爪がある。背波が横に伸びきった感じ。背左の一番上の波が郭角のわずかに下から出る。左側の背波はやや直線的である。郭角から波の出る広波(珍品)とは波形が違う。背にイ字を置く。
狭波背イ                         【評価 7】
波の形が全く違う。狭波と言うが配置的にはむしろゆったりした感じ。狭いのはあくまでも波の長さのこと。
縮字                                  【評価 7】
勢いのない独特な書体。母銭は打製である。背波は太く、比較的銭径も大きい。銭径の大きさといい、打製母銭の存在といい広島藩銭とのつながりを感じる。(本当に津藩で良いの?)
縮字母銭                        【評価 少】
津縮字は打製の母銭で、この製法は背アに共通のものを見る。この銭が津藩だという確証はないようなので、あるいはこれは安芸藩のものなのかもしれない。

この画像は平成16年の銀座コインオークション出品のものからの借用で、非常に精緻なつくりであることが判ります。鉄銭や母銭に興味のあまりない私も惚れてしまいました。
 
 
6.慶応期 広島藩銭 慶応2年(1866年) 安芸国広島藩 鋳造 
背ア                           【評価 少】
通頭低く、細く貧弱な書体。銭径は雄大で背にア字を置く。鉄銭だがかなりの珍銭である。
未収品 大字背ア小字
未収品 無背
 
 
7.慶応期 水戸藩銭 慶応2年(1866年) 常陸国水戸祝町および江戸本所小梅村 鋳造 
背逆ト                                 【評価 3】
背のト字の点が上向きになる有名銭。
背逆ト刮去                       【評価 5】
俯永に似ているが文字が小さく幅広の感がある。通頭の上辺が短く少し仰ぐ。通字のしんにょうの末尾が跳ねる。
長尾寛背ト(母銭)       【評価 大珍】

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
長尾寛背ト刮去                          【評価 7】
逆トの書体に似ているが寛尾が長く伸びる。通字のしんにょうの末尾が跳ねるのは同じ。
濶字背ト                         【評価 8】
仰寶に似た書体で背にト字を置くもの。マ頭大きく仰ぐが、寶足はほぼ水平である。
濶字背ト刮去                           【評価 10】
前銭の背刮去銭。
退点永(母銭)                     【評価 大珍】

長尾寛背ト刮去によく似ているが、やや小字になり永点が永柱の右側に退く。母銭のみの存在。

大和文庫ホームページより)
中穿                           【評価 4】

(大和文庫ホームページより)
狭永                           【評価 9】
濶字背トなどに書体が似るが、やや小字。とくに永フ画の横引きが短いのが特徴。またやや長尾寛、昂通でもある。

※新寛永泉志では銅銭が存在するとの記述があります。はたして銅銭を鋳造する意義がどこにあるのかは判りかねますが、興味ある事実です。
広穿                                  【評価 10】
名前の通り広穿である。永字などの打ち込みや頭の爪が長い。寛尾は内跳寛である。
小字背ト                               【評価 3】
背に波がなければ一文銭と見間違う大きさ。通用、寶貝の短さが目立つ。

(平成16年銀座コインオークションカタログから)
深字                            【評価 7】
がっちりとした作ながら文字がこじんまりまとまっている。通頭が小さく、通辵の頭の位置は用画の上辺近く。
深字降辵(母銭)                    【評価 少】
本銭は明治期になって鋳造されたとされるもの。厚肉広穿で深字で、文字全体はこじんまりしている。降辵は通のしんにょうの頭の位置が通用画より下がるもの。永フ画はやや直線的に流れる。評価は母銭としてのもの。

(平成16年銀座コインオークションカタログから)
仰永(母銭)                       【評価 少】
深字に非常に近似しているが浅字で、寛前足が長く方折するのが特徴。深字本体との差異は本当に微差である。降辵に比べ辵頭の位置が高く、辵頭角が用画に接する差がある。

(平成16年銀座コインオークションカタログから)
 
次のページへ
新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道