戻る 進む
 
6.不旧手の類 元禄期〜元文期 推定
             
いずれもマ頭通で俯永という共通した書体ですが、前掲の荻原銭と書風が似ています。銭文筆者は長崎屋不旧という説があり、これら一連の書体の銭貨を不旧手と称します。鋳期については謎が多く、前掲の荻原銭と同様にどの種類がどの時代、場所に該当するかは諸説があり一定していません。ただし、近年の発掘調査により従来享保期とされていたものが元禄期までさかのぼることがほぼ確定し、銭籍については改める必要が生じています。そこで従来の名称を尊重しながらも鋳期については間違いのない年代に変更するということにします。

折二様、七条銭、十万坪銭、藤沢銭、山城横大路銭、伏見銭、伏見手に中分類されます。
 
不旧手 【折二様:俗称 享保期御用銭】
折二様 【評価 少】
享保期御用銭の俗称で有名で銅質や制作から見て、元文期の鋳造のように思われますが、旧説に従い不旧手類の冒頭を飾ることにします。直径が26oを超える大型銭貨でいかにも特別なものという風貌ながら作はやや粗い。私は記念硬貨的なものではなかろうかと考えています。銅質はいろいろありますが、紫灰白色のものが多いと思います。内径19.2o、外径26.65o。
折二様大様(母銭?) 【評価 珍】
折二様の中に27oを超える黄銅質の美制大型銭が稀に見られます。母銭とも言われますが内径に上記銭との差がありません。内径が大きくないので母銭ではなく、郭内にテーパーがないので新寛永通寶図会の説明にある特別な大型銭というわけでもありません。これについては私も未だに素性が良く分かりませんが、貴重な品であることは間違いありません。
折二様小様 【評価 珍】
上記の折二様を磨輪したものではなく、内径が小さくなります。磨輪をしたものも存在しますが、後作の可能性もあるので注意が必要です。制作はさらに粗くなるため見栄えはしませんが、存在は極めて少ないものです。評価は抑え目にしてありますが、本来は大珍クラスのものです。内径18.9o、外径25.2o。
→ 奇品館の関連記事
戻る 次へ
拡大画像サーフィン
不旧手折二様の拡大図
折二様は不思議な銭で、写真左側の通常のタイプ@の他に、A内外径が大きいもの(郭内テーパーあり) B内径は変わらず外形が大きいもの(郭内テーパーあり) C内径は変わらず外径が小さいもの D内外径とも小さいもの(写真右側)の5タイプがあるようです。このうちAはおそらく母銭でしょう。問題はBの存在で、これはDの母銭とすべきか悩ましいところです。あるいは折二様にも初鋳銭と次鋳銭があるのではないでしょうか?折二様の小様は珍品なのですが、内径の縮まない磨輪銭(変造品?)が混在しています。
黄銅質の折二様(大様)
外径27.25oで大型ですが内径19.2oは一般のものと変わらない大きさです。内径が大きくないので母銭ではなく、郭内にテーパーがないので新寛永通寶図会の説明にある特別な大型銭というわけでもありません。前の表現を借りると E内径は変わらず外形が大きいもの(郭内テーパーなし)になります。最上段の折二様の画像は余白を大きくとってあるために本画像より小さく見えますが、本来はそんなに差がありません。(0.25oの差)
黄銅質の折二様(大様)
折二様の銅質は白銅〜紫褐色系のものが多いのですが、黄銅質のものも存在します。母銭は黄銅質で内郭にテーパー仕上げがあるといいます。母銭ではないとは思いますが、掲示品はちょっと気になるところです。同様のものが江戸コインオークションにも出品され10万円以上の落札となっています。
(平成16年銀座コインオークションカタログより)
 

不旧手 【七条銭】 元禄期推定

進永 【評価 10】
享保期の鋳造とされていましたが、宝永の富士山噴火時に埋没した遺跡からも発見されていて、元禄期頃の鋳造であることがほぼ確実視されています。となると、この銭貨が本来の京都荻原銭である可能性があり、荻原銭が不旧の筆であるという伝承とも符合するように思われます。薄手ながら大型の銭径でマ頭通が特徴です。進永は永字が郭中央より左側に進んで尾を長く引きます。永点、永フ画が大きく通頭はわずかに郭寄りに進み、小貝寶です。
マウスを載せると 進永 → 退永 に画像変化します。
(画像提供千葉県のKさんより)
退永 【評価 10】
退永と名付けられていますが永字が右側にあるわけではなく、ほぼ中央に位置します。また、永柱がやや起き上がり気味です。あくまでも前掲銭との比較の話ですので・・・。通頭は3種の中では一番俯します。
七条銭の銅色は茶褐色〜紫褐色などやや黒味がかった茶色のものが多いのですが、浅彫りで銭面が傷みやすく、状態の良いものが少ない気がします。

マウスを載せると 退永 → 退永小通 に画像変化します。(画像提供千葉県のKさんより)
退永小通 【評価 9】
退永とは進永と比較しての話。永字はむしろ左側に位置し、永フ画の水平画が短くなります。通字の用画がわずかに小さく、またマ頭が水平気味で位置はわずかに輪寄りです。ます。さらに寶字が郭の上辺あたりまで上がり昂寶になっています。寶足の付け根は一番開き、寶貝は大きくなります。
マウスを載せると 退永小通 → 進永 に画像変化します。(画像提供千葉県のKさんより)
以上、この3書体は後述の元文期山城銭に引き継がれています。
進永 退永 退永小通
通頭はわずかに俯し進み大きい。
小フ永で永柱が一番左側に寄っている。寶字ウ冠は郭の内側辺より最も下がる。
通頭ははっきり俯す。
永字の柱はほぼ中央に位置する。
寶貝幅広。郭内編よりウ冠が下がる。
通頭上辺は水平に近く退く。小用。
永柱は左寄りだが、あまり俯さない。
寶貝長く、寶字ウ冠は郭の内辺の高さ。
 
 
不旧手 【十万坪銭】  元禄期推定
従来は享保期とされていたこの銭貨は、発掘調査の結果元禄期までさかのぼることになったようです。外径は24.5o以下のものがほとんどで、享保期の他銭に比べて見劣りがしますので、発掘調査の結果は妥当だと思います。江戸期には銭の相場があって、同じ時代に違うサイズの通用銭は存在し難く、淘汰が当然のように生じたと思います。悪貨が良貨を駆逐する・・・の格言は、当然に有効だったはずですし、金銀貨の質を向上させた時代は銭も良質なものになったはずだと思います。したがって、この銭貨以外にも時代に合わない銭容のものがまだまだあると思います。鋳地は未確定ですが、分類のため旧説に従って十万坪の名称はそのまま残します。
書体は不旧手の系統ですが、銅色は赤茶系で、小柄ながらしっかりした作のものが多いと思います。存在量から類推して比較的大きな銭座であったことは間違いないと思われます。
 
広目寛 【評価 10】
寛字の見画の幅が広く、台形気味。また寶字のウ冠の右肩が上がります。小ぶりながら不旧手類にしては練れが良く、製作技術は安定していますが、浅字で見栄えがしません。寛冠の幅も広くなります。
狭目寛  【評価 10】
寛字の見画の幅が狭く、また寶字全体が下がり、いわゆる降寶になります。
濶縁 【評価 10】
一般には濶縁という名称で呼ばれていますが、以下の銭貨も濶縁であるので注意してください。当然ながら文字が小さくなりますので寶字が郭の高さの範囲で収まるのが識別ポイントです。ただし、次掲2品との差があまりないので、分類には並べて比較しましょう。
濶縁高寛  【評価 10】
これも濶縁です。文字はさらに小さくなり、寛の足が高いのは名称通りで、ポイントは通字の用画としんにょうの高さが一番低いこと、寶字ウ冠が右肩上がりになることです。小目寶、藤沢銭とも似ているので並べて比較して下さい。
濶縁小目寶  【評価 10】
濶縁小字でやや高寛気味、しかも小通です。前2銭と本当に良く似ていますが、わずかに寶貝画が短く小さくなります。
濶縁小目寶(白銅母銭)  【評価 3】
濶縁小目寶の母銭。磨輪されているので濶縁には見えません。背郭に乱れはありますが白銅質の美しい母銭です。郭内の仕上げもしっかりしています。
 
不旧手 【藤沢銭】
藤沢銭 【評価 10】
十万坪銭に良く似ていますが、やや白味のある金質だということで、別の銭籍が与えられています。製作はとても安定しています。文字はさらに小さくなりやはり濶縁。ポイントは通字マ頭が右肩下がりなことと通字が郭の上辺近くまで上がっていること。
戻る 次へ
拡大画像サーフィン
不旧手十万坪・藤沢銭類の拡大図 
広目寛
類品中では文字大きめで寶冠が右肩上がり。
狭目寛
類品中では文字大きめ。寶が郭上辺より下がり、冠点が長い。
濶縁
小字濶縁である。小字の割りに寶貝が大きい。
総体的な特徴

※マ頭通で永尾が長くなる。
※銅色は茶〜黒褐色・紫褐色。
※濶縁小字である。
※輪の肉厚がしっかりある。
※外径24.5o以下のものが多い。
濶縁高寛
濶縁小字で高足寛。しんにょうの頭位置が低く斜冠寶である。
濶縁小目寶
濶縁小字でやや高足寛。しんにょうは高い。わずかに寶貝が小さい。
藤沢銭
濶縁小字でやや高足寛。通頭が前のめりに見え、郭上辺に近い。かなり進永である。
 
戻る 次のページへ