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新寛永通寶分類譜
文久永寶の細道
天保銭の小部屋
赤錆の館
古寛永基礎分類譜

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2013年1月~2013年12月31日分まで
制作日記バックナンバー 
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【目白十日会:穴カタを上梓した元方泉處の石川氏の次なる展開は・・・悦銭?!】
穴カタを購入された方は、そのページの多くに絵銭類が掲載紹介されていることに気付くでしょう。絵銭には古鋳のものを含めその写しやら得体のしれないもの、近代のお土産的なものまで含まれています。さらに空想銭、刻印銭、上棟銭の類やら妖しい贋造品までが渦巻く魑魅魍魎の世界。そこに氏は光を当てようとしています。最近はそれらには「ファンタジー」なる名称が冠せられているのですが、氏はあえて東洋的な名称の悦銭という名称を提唱しています。はたして世の中にどれだけの悦銭コレクターがいるのか・・・。かくいう私も気になったものはたとえ贋造銭であろうとも手に取ってみたくなる性分になっています。病におかされていると言った方がむしろ適切かもしれません。上棟刻印銭の類はずいぶん拾いまくった時期もあります。安南寛永や密鋳銭だってかつてはゲテモノ扱いされて、だれも見向きもしなかったのですが、今では品薄なぐらいですから、光の当て方によっては大化けする可能性を大いに秘めているかもしれません。さて、石川氏から参考になる品の(拓本)提供の呼びかけがありました。
少々、お時間を頂戴するかもしれませんが、手持ち品を整理して参考提供しようかと思います。まぁ、参考にできるものはやはり刻印銭系のものしかないとおもいます。なお、石川氏は毎月10日に目白駅前の喫茶店を訪れるとのこと。そこを拠点に悦銭の談義を深めたいとの事でもあります。ご興味のある方はご連絡ください。
目白十日会
会場:目白駅前 「カフェ アコリット」 ※目白駅から徒歩30秒(正式店名:カフェ シャンソニエ アコリット)
期日:原則として毎月10日
時間:13:00~
連絡:090-9346-3522(石川諄)
八厘会(天保仙人が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。
例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
時間 :14:00~
会場 :新橋駅前ビル1号館9F会議室
会費 :500円(高校生以下無料)
電話 :090-4173-7728(事務局)
 
雑銭の会(新規入札会員受付中)
主として鋳造古銭ジャンル全般の情報交換会です。
例会日:原則として毎月第4日曜日(変更もあります。)
時間 :14:00~
会場 :早稲田奉仕園(新宿区西早稲田2-3-1:変更もあります。)
会費 :500円程度(ご確認ください)
参加申し込みとお問い合わせ(事務局:工藤氏)
→ 雑銭の会 http://www.zassen.com/
 
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※このHPにはプログラムが組みこんであります。害のないものですがブラウザやセキュリティソフトによってはエラーが現れるかもしれません。不具合が頻発するようでしたら、ご連絡ください。
1.最新の情報が表示がされるように過去に蓄積したキャッシュデータを読み込まないようにプログラムしてあります。(制作日記・更新履歴)
その分、読み込み反応速度が遅くなりますが、ご容赦ください。
2.来訪者分析ツールを各ページに組み込んであります。いつ誰がどこから来て、通算で何回目の来訪か等の記録がされて行きます。
(NINJA ANALYZEの表示があります。)

※プロバイダー変更後の転送エラーにより、画像が表示されない(☓表示になる)ことがあります。お手数ですが、問題個所をご連絡いただけると幸いです。
 
 
 
12月31日 【反省の1年間】
古銭収集家たるもの後悔なんてしてはいけないのですが、今年はとにかく反省の多い無駄遣いの年でした。そろそろ身の丈にあわせた行動に戻すべきなんですけど・・・そこそこ楽しみましたね。というわけで今年の10大ニュースはというと・・・

1.ネットに出ていた 長郭手異貝寶異當百(覆輪延尾通) を意地で落としてしまった。これは反省でもあります。
2.
安南寛永四ツ宝銭広永写背文文 を入手したこと!譲ってほしいという話もありましたが・・・。
3.神奈川県のHさんから文久永寶と文献の大量無償譲渡を受けたこと。ありがとうございました。
4.ネットに出た 絵銭天保戎寶 を入手!激安のネット落札品ですけどものすごくお気に入りです。

5.仙人宅を訪問取材。その結果を 夏の古銭会展示室 で報告。水戸深字大型銭など新発見がいっぱいで楽しかった!
6.横浜古泉研究会で 中郭手覆輪赤銅無極印 を入手!厚肉で製作や材質も変わっていてすごいと思います。
7.不知天保銭 長郭手撫角銭 を入手したこと。こいつも面白い。
8.CCF郵便入札で未入手だった 
浄法寺盛無背異永 を入手したこと!ほぼ無競争。
9.東北のS氏からの寄稿 踏潰銭分類考 を編集掲載したこと。
10.
ネットに出た 志津麿大字 を思わず入手。衝動買いです。

今年は大枚をはたいて買ったものが他にもいくつかあり、南部小字やら細郭手強刔輪長足寶、巻銭 覆輪刔輪反玉寶鋳放銭などは本来はランクインすべき品です。それだけ失敗も多かった。猛省が必要です。
 
12月28日 【古寛永無星文の謎】
25.5㎜を誇る堂々とした大きさで、先日ヤフオクに出ていたものです。こいつは光ってました。(画像拝借お許しください。)
無星文は星文手の濶縁ではないかといづみ会譜には説明がありましたが、なぜこの手の書体ものだけがこれほど大きいものがあるのか不思議です。背星文にも大ぶりのものは散見できますけど、粒ぞろいでは無いと思います。無星文は真っ黒に変色しているものがほとんどなのですけど、これはきれいな白銅質系で、変色すると黒くなりそうですね。このように白っぽい発色は初めて見ました。この銅質も他の星文類とは違います。
なお、無星文と星文手は背星に比べて細字で刔輪されているとありましたが、写真のものは刔輪には見えません。ひょっとしたら分類間違いかもしれない・・・と思いながらも、この印象は無星文だよな・・・と私も思ってしまいます。銅色からすると長門銭を彷彿とさせます。背の内輪の不規則なところも良いのですが、少し彫りが浅い・・・でも、大きさと言い、いわゆる長門手本銭の風格に近いものがあると思いませんか?
 
12月27日 【石川氏からのお手紙】
石川様からお手紙と書籍が届きました。
なんでも「穴銭カタログ日本」の版権を銀座コインに譲られて、販売窓口が銀座コインに一本化されるとのこと。それにあわせて装丁が変更になるだろうとのことでした。キュリオマガジンの現在の連載は、来年4月で新しい展開を迎えるかもしれません。お手紙中に「穴カタmusium」やら「悦銭壁紙」なるものやらいろいろな構想が書かれておりましたが、発想貧困な私にはその秘められた構想の奥までは到底見通せません。なにせ、今や節穴と化した我が眼力ですから・・・。
また、鉄人と忘年会を開かれたとか・・・実は鉄人とはまだお会いしたこともございませんが、機会があればお話をお聞きしたいものです。ただ、ここのところ本当に古銭のための休日活動をしていません。無駄遣いもピーク状態で、本当の意味で反省しなければと最近つくづく思っています。なにせ運動不足。古銭にのめり込んでから腰を痛めたこともありゴルフ・スキー・山歩きの類は完全封印していましたが、そろそろ運動しないと命が縮まりそうな状況です。体重は減らない分、貯金がかなり減りましたし・・・。そろそろスローダウンを考えています。やめる気はさらさらないのですけど・・・。
 
12月25日 【雑銭から出た長反足寶】
鉄人から頂戴した画像です。ありがとうございます。上手に手入れされたらしく、なかなかの美人に変身しましたね。画像は反射を防ぎ、文字をくっきり見せるため、ライトは寶側から当て、カメラは天側から写したようです。(若干、画像は加工しました。)
天保銭の書体の変わり者と言えば、こいつが何と言っても筆頭格。どうしてこのような書体になってしまったのかがよく分からず、あまりにも出来過ぎなので、後鋳説もあるくらいなのですが、贋作意図があまり感じられない状態で雑銭から掘り出されているところを見ると、こんなものでも実際に流通していたのだなあ・・・と感じられます。

※バイドゥ恐るべし!
今朝、話題になっている「バイドゥIME」・・・私のパソコンにも一瞬入っていました。無料のイラストをダウンロードしたとき他のソフトとともにセットで侵入されてしまい、同時に各種設定をいじられたので警戒してすべてを削除しました。直後からパソコンの動きもおかしかったし、ウィルス検査にも引っかかりましたので・・・これってスパイソフトですよね。
 
12月23日 【私をスキーに連れてって】
久々にスキーをしました。腰を痛めていたこともあり、ゴルフは5年、スキーは13年やっていませんでした。その分、古銭にのめり込んでいたのですが、今回は子供の「やってみたい」という声に背中を押され、、軽井沢の人工スキー場ゲレンデに行って参りました。人工スキー場といってもここは本格的。軽井沢は気温、湿度が低いので条件は非常によく、今から約30年ほど前にオープンした経緯があったと思います。実は私はその頃、話題に惹かれてその地を訪れた経験もあるそれはそれは古いスキーヤーなのです。当然、ウェアなどは体形が変わってしまい入りませんので、セーターと登山用品でごまかし、用具は完全レンタルです。クリスマス前連休とあって、宿泊料金はべらぼうに高かったのですけど、ゲレンデは予想以上にすいていてかつ快適でした。
我が子ははじめてのスキーに最初はとまどい、午前中は半べそ状態でしたが、何度か体を連結してMAXスピードの快感を教えると目の色が変わり、雪山の暴走娘と化しました。そうなるとさすがに子供は覚えるのが早く、最後はなかなか休ませてくれず、しかも帰りたがらず困りました。
もともと私は「コブ専」と言われるほどモーグル好きだったのですけど、近年のスキー場は全く平ら。これもスノーボーダーの影響でしょうけど、正直つまらない。ただ、20Kg以上成長してしまったため、たぶん荒れ斜面では脚力が持たないと思います。昔取った杵柄とやらで、一通りの技術は体が覚えておりましたし、家族に教えることもできました。(たぶん、私は教えるのはかなり上手だと思います。)リフトの担当に「お子さん、うまくなったね。」と褒められ、親としての威厳も保てましたが、代償に有名天保不知銭1枚に近い出費と全身の筋肉痛を得ました。期待されたダイエット効果ですが、筋肉分の体重が増加してしまったようです。それでもこの趣味、お金はかかりますが家族受けは抜群によろしいようです。
 
12月20日 【薩摩濶字大字】
細分類が難しいのは古寛永・新寛永背文類などいろいろありますが、正直私はこの薩摩広郭の細分類が一番苦手です。哲泉こと板井哲也氏が分類発表した、この深字濶字・・・薩摩藩鋳銭広郭分類譜で濶字大字と改称・・・は、類似貨幣カタログ評価で80000円~100000円、広郭分類譜では150000円~200000円というお化けのような価格になっています。
ところがこのお化け、素人目にはなかなか分からない、見えないお化けなのです。
ただでさえ数が少ないのに、分類ポイントが分からないとまさにお手上げ。そこで東北のS様にポイントを恥を忍んでお聞きした時の丁寧な答えがこの画像です。これによって私も濶字大字が分かったような、分からないような・・・。やはりお化け、見えそうでなかなか見えてきませんね。
 
12月19日 【不知長反足寶が出た!】
久々にネットを騒がせたお化け!・・・鉄人が教えて下さいました。見やすく加工していますが、元写真は小さくそしてかなりのピンボケ。天の文字が極端に下がっていますので、見ていた方はムムッとなったのでしょう。実は私はここのところ気の入らない毎日でまったくスルーしてました。
この長反足寶、あまりにも奇妙な書体で出来すぎであることから、「昭和の贋作:不知天保通寶分類譜下巻」という嫌疑までかけてしまっています。ただし、大正年間には既に存在を知られていますし、雑銭からの選り出し例もあります。(2010年制作日記に掘り出し報告があります。)今回、鉄人が躍起になって落としにゆかれたのも「流通痕跡」のしっかりあるこの不知銭を確認したかったからとのこと。このように文字隔輪して寶足が長くなる書体は琉球通寶小字に似ることなどから、一時は薩摩天保とされたこともありました。書体は奇異ですけど、製作にはかなりしっかりしたポリシーが感じられます。今回の発見でこの天保銭が流通していた可能性がまた少し高くなった気がします。

 
12月13日 【白銅質の天保】
白銅質の密鋳長郭手天保です。おそらく今年最後入手の天保銭で、ぱっとしない顔ですけど私はこういうやつ・・・白いもの・・・好きですね。ところで密鋳天保銭に限っていえば白銅質はとりたてて珍しいものではありません。不知銭の色では黄色いものがやはり多いものの、白銅質はそれに次ぐ存在。赤銅質の方がはるかに少ないと思います。(感覚的には黄色20:白銅質5:赤銅質1ぐらいかしら・・・純赤銅はもっと少ないかもしれません。採算をとるためには原料の銅などを集める必要がありますが、一文銭や四文銭の場合は採算性が悪いため、原材料の原産地の東北近くで主に現地調達で密鋳されたと思われるのに対し、百文銭である天保銭は一文銭などを材料に東北以外の地でも鋳造が可能だからです。その際、廃金属も混ぜ込まれたと思われ、この白い色は仏具や鏡などの色だと思われます。あるいは白っぽい銅が良く出た九州地方の藩の密鋳なのかもしれません。いずれにしても白い不知天保銭は、東北ではなく関東以南・・・関西、九州方面の産の可能性が高い気がします。
長径48.35㎜ 短径32.0㎜ 銭文径41.2㎜ 重量20.6g
 
12月11日 【貼り合せ手のつくりかた仮説】
天保通寶の斜珎や削頭天と呼ばれるものは、貼り合せ手のように呼ばれており、中見切線(表型と裏型の境目)が銭の厚みの中央部にあります。銭の型を採るときは、平らに固めた下側型の鋳砂の上に面を上にして母銭を乗せて、上から剥離剤としての化粧砂、次に鋳砂を被せてゆきます。再度、型を踏み固めてから表裏に分離します。この手法だと見切り線は背側近い部分にできます。
貼り合せ手の場合、下側の型にめり込むように母銭を押し込んだとも考えられますが、これでは安定した型がつくれません。
削頭天のように面が細郭書体、背が長郭書体のような不思議な天保銭が存在するので、それこそ2枚の通用銭を貼り合せて母銭をつくったとも考えられるのですが・・・私はちょっとした仮説を考えています。
木の板に天保銭厚みの半分の深さで天保銭大の楕円の穴をあけ、そこに天保銭をはめこみます。上から鋳砂を被せれば片側の鋳型が完成。次に天保銭を裏返して同じ作業を繰り返せば・・・背側の鋳型も完成。穴の深さを変えれば肉厚調整も可能。湯流れ不良の鋳造の失敗で歩留まりが悪いときは肉厚にする・・・すなわち穴を浅くすれば良いので簡単です。
板の上で砂型を作成するので、分離用の化粧砂が無くても困らないし、もし天保銭を板に張り付けておけば、母銭をとり出す作業も一気に省略できる。なんて合理的なんでしょう。まあ、これによって美しい通用銭ができたか否かは判りませんが、やろうと思えば湯道までもあらかじめつけておけるので、量産には向いています。
あるいは板に穴をあけるのではなく、銭を半分の厚さににすり減らして板に貼りつけるなんてこともあるかもしれない。
それらを廃棄するときは表と裏をニカワで貼り付けて緡に入れてしまえばまずわからない・・・貼り合せタイプの密鋳廃棄母銭の正体なんて、もしかするとこんなところかもしれません。
この仮説、かなり前から考えていたのですけど、だれも唱えないし、実際の鋳銭図にも当然出てこない。鋳造上、何か欠陥があるのかもしれませんが、合理的な手法であることには間違いないので、仮説として発表します。信じる、信じないは貴方次第です。

※貼り合せ手が主流にならなかったわけ
現物を見ればすぐわかります。鋳型は生乾きの状態で分離されますので、乾燥過程で表裏の型に若干のずれが生じやすくなります。中見切の場合、若干ずれた場合でも修正が大変です。たとえば天保銭なら厚みが2.5㎜ぐらいありますので、修正のためはみ出た周囲を削らねばならず、それも厚さ1㎜以上の鋳ばりになります。大きく削れば当然銭径が小さくなってしまうので、目立ってはいけない密鋳銭にとっては致命的です。貼り合せ手はたいてい穿内に若干の段差・・・ずれがあります。さらに、中には、型のずれを修正しきれず、郭内の段差のみならず周囲の段差が残ってしまった“ねじれた”形状のものもありました。それでも必死に修正しようとした痕跡はあり、細縁小様になっていました。
以上のような理由で中見切方式はすたれたと思われます。
 
12月10日 【正徳大字背佐登場!】
久々に秘宝館に飾るべき画像を発見しました。
正徳大字背佐母銭です。こんなものがひょっこり市場に現れるのですから世の中面白い!
しかもエアポケットに落ちてしまったかのようにほとんどの人が気づいていませんでした。私もです。(画像もほとんど見ていませんでした。)
最近は天保銭や文久銭ばかりみておりましたから、新寛永銭にもとんでもないものがひょっこり顔を出すことがあるんですね。
本年出た新寛永銭の中でもとびぬけた珍品です。通常銭との違いを観察してみて下さい。
 
12月9日 【明和離用通面刔輪背削波母銭】
オークションネットには結局行けませんでした。この品はその中の目玉商品で、ものすごい価格でおちたようです。穴銭入門の原品だそうですし・・・。実は昨年北海道でこれと同種を拝見させていただいておりますし、その通用銭も石川氏がさらっと見せて下さいました。あまりに希少すぎてそれまで明和にこの種はないように錯覚しておりました。たぶん、いまでも錯覚気味なので出会っても気が付かないかもしれません。
それにしても明和期の母銭はどうしてこんなに大きくて立派なのでしょうか?真鍮の縮小率はやはりかなり大きいのでしょう。母銭と通用銭の大きさが2ランクぐらい違う感じがします。初心者の方が母銭を集めるとしたら、明和期四文銭か不旧手七条銭あたりが判りやすいと思います。

(画像はオークションネットより借用:一部加工)
 
12月4日 【曳尾大天】
数日前、ネットに出され狂乱した天保銭です。天の横引きと前足が長く、通辵頭の反り返りが異様です。文字も全体に大ぶりで通尾が気持ちよく跳ねます。
曳尾は変化が激しいのでどれを持って大点と識別するのかが難しい。泉譜とくらべると寶足が離輪している点など相違が多いのですが・・・大天として良いかな・・・と思います。
大天の鑑定ポイントをいくつか聞いたことがあります。
①天の前足と保の人偏がともに長く、郭の左側に長くはみ出る。
②通尾が長く、勢い良く跳ねる。
③天の横引きの下画の筆始めの下側に膨らみがはっきりある。
とにかく文字が大きく、天の足が気持ちよく開けば大天なんで、あとは分類者の主観ですね。この品の場合、天の前足だけでなく天の横引きや通の変化が楽しいので、分類はともかく変化としてはとても面白い品です。あとは価値はコレクターが決めてくれます。私も5万円までは付けてしまいました。もちろん負けました。

※下町の入札で水戸大字小頭通らしき拓本に反応。しかしながら届いたら普通品。拓本だけでは判らないものですね。もちろん表示名は水戸大字ですから私の独り相撲です。夢追いの失敗です。水戸大字のこれぞ小頭通にはなかなか会えません。
 
12月1日 【錯笵銭考】
11月12日のような文久銭の錯笵は果たしてどうやってできたのでしょうか?このメカニズムはなかなか難しいのですが、素人なりに考えてみました。
通常、物を鋳型の上に落とす、押し付けるなどすると、反作用で陥没する周囲の鋳砂は盛り上がります。
左の図は「錯笵銭物語」で使用している図で、たいていの異物落下による錯笵銭の盛り上がり部分の周囲には陥没が見られます。
異物落下的な動きであのような錯笵銭ができる場合のパターンとして下図左側の3例を考えました。

①鋳型から母銭を外す作業の過程で、母銭を突き刺すような動きで砂笵を傷つけてしまった場合・・・
この場合は、反作用で必ず鋳砂が盛り上がりますので、出来上がった銭に凹みが生まれます。しかし、くだんの文久銭は凹みはなく、逆に写り込んだ輪の周囲が盛り上がっています。

②今度は母銭を引きずるような動きで砂笵に押し付けた場合、引きずる過程で砂笵が破壊され一応あのような形の錯笵銭は理論上できることになります。
しかし、母銭を引きずりながら押し付けるというイメージがいまひとつ浮かんできません。

③そこで鋳砂を被せる工程で母銭が動いて偶然重なったケースを考えます。通常は母銭は面を上にして、しっかりと固めらられた鋳砂の上に背を押し付けられて整然と並べられます。並べ終わったら型板で周囲を囲み、化粧砂をかけられた後、再び上から鋳砂を詰められます。このとき、背側はさほど深く鋳砂に喰いこんでいないので動いてしまうことがあり、たいていは背重文という錯笵になります。この最たるものが今回のような錯笵で、完全に母銭どうしが重なってしまったアクシデントです。
固められた砂笵上で2枚の母銭が重なるので、動いてきた母銭は砂笵の上で斜めに傾いて重なると考えられますが、そのとき、白い矢印で示した部分は空洞化しやすく、また、仮になんとかかたどられたとしても砂型を割ったときに表面で凸状に飛び出すので、型〆作業前の整形で平らにならされ削り取られた可能性が大きいと思われます。
かくして右下図のように、白い矢印部分までが銅で埋められた鋳造物ができます。
このままでは連銭のままなので銭として流通させられませんのでどこかの場所で切断して仕上げるのですが、さすがに面側に失敗が見える形では切り出せません。したがって点線の部分で切断されるのですけど、この部分が最も厚みがないので切りやすいという面もあります。
かくして背側の一部が写り込んだ錯笵銭が世に出るわけです。

これ以外のメカニズムとしては、母銭の砂笵への置き直しということも考えられますが、この場合はうっすらと錯笵部分現れるのが通常です。だいたい錯笵などは失敗なので目立ってはいけないので、うっすら背側にあるというのが普通。面側の錯笵や、背側でもくっきりしていたらかなり珍しいし、贋作も多いと思います。錯笵のことを考えていたら今日は他のことが手につかなくなってしまいました。錯笵は邪道だけれど、そのメカニズムを考えるのは本当に面白いです。
左の錯笵は輪の周囲が食い込むように陥没していますので①のメカニズム。(鋳型から母銭を外す作業の過程で、母銭を突き刺すような動きで砂笵を傷つけてしまった場合)
かなり深く溝が食い込んでいますが、食い込みが面側に達してしまうと、銭が切断されてしまうため、これがぎりぎりの食い込みでしょう。
右の鉄銭は陥没も隆起も見られませんが、母銭が重なり、きれいにかたどられた結果だと思います。
一見同じような錯笵でも、それができる理由は様々だと思います。
 
11月29日 【戦利品・・・異極印銭】
銀座コインの戦利品が到着しました。

長郭手厚肉異極印(花桐極印)
長径48.0㎜ 短径31.85㎜ 銭文径41.15㎜ 重量25.0g
下見の段階で私が花桐と名付けた極印タイプだということが判っていました。これで花桐極印は長郭手3枚、細郭手1枚の4枚になりました。
この類は銅質が安定していて製作も良いので力のある藩による密鋳じゃないかと思います。
重量25g、肉厚3㎜を誇る堂々とした姿です。この重さは貴重で望外の結果でした。
長郭手刔輪
異極印
(一分銀型)

長径48.3㎜ 短径31.75㎜ 銭文径41.15㎜ 重量19.5g
寶付近の輪際がえぐられて、刔輪されていることがはっきり判るもののやはりぱっとしない鋳写しの域を出ていません、しかも真っ黒!こちらの極印は一分銀と似た桜の五花弁のような形状。ただし、打ち方が浅く画像にはうまく写りませんでした。(三花弁しか写っていません。)不知天保通寶分類譜P202にまったく同規格と思われる類品が掲載されています。)
長郭手覆輪楔形縮形
異極印

長径47.7㎜ 短径31.6㎜ 銭文径40.55㎜ 重量21.1g
やや赤みを帯びた金質で、計測値で48㎜を切る再写し小様銭ながら実にしっかりとしたつくりです。極印は全体に形がはっきりしない凹み状。銅質、地肌、極印などから魚子地肌異極印としたものに非常に近い気がします。(多分同じ。)
また、天側は2.25㎜の厚みですが、寶側は3㎜を超えています。はっきりした楔形の天保銭は今年2枚目。期待どおりの小型の銭形のプチ珍銭でした。
広郭手薄肉異極印
長径48.05㎜ 短径31.9㎜ 銭文径41.15㎜ 重量17.7g
一見久留米・・・銭文径も本座とほぼ同じながら、極印が明らかに違う。もちろん久留米とも違います。したがって不知品とするしかない。肉厚は2.25㎜ほどの薄肉計量銭で、広郭手としてすでに掲示しているものとたぶん同炉だと思います。この手のものを久留米正字としてお持ちになられている方は多い気がしますが、薄肉で極印形状が異なるので判別できます。

以上、すべて写し系のパッとしないものばかりですが、4枚とも製作に特徴があり異極印というのが判りやすい。書体の変化などは少ないのですがその割にはちょっと楽しめました。
 
11月28日 【会津濶縁再覆輪】
ネットで見つけた会津藩の濶縁銭と思われるもの。会津濶縁銭は銭文径が様々で40.7㎜前後のものから40㎜を切るものまであると思います。類似カタログには濶縁と再覆輪という名前で出ていますが、銭文径40.7㎜サイズは本座広郭の改造母銭によるもの、銭文径40㎜サイズはそれから生まれた母銭からの写しと考えるのが妥当かな・・・と考えるようになりました。濶縁と言っても細縁に近いものや、銭文径が大きいのに輪幅のあるものまであるようでして、様々な変化は覆輪加工の強さや仕上げ砥ぎの強弱も銭文径に変化を与えていると思われます。すなわち個人的には再覆輪と言う名称より、再写しもしくは強覆輪とした方がよろしいかと思っている次第です。
さて、画像の品は1万円以内までは頑張るつもりでしたが、残念ながら落札価格は予測をはるかにうわまりました。状態がいまひとつでしたが、会津の力恐るべしの結果です。


 
11月27日 【細郭手大濶縁】
大和文庫の中で目立っていました。細郭手の中でここまで輪幅があるのは仙台大濶縁ぐらいしかないと思います。覆輪痕跡もばっちりです。少し真鍮色気味の色に見覚えがありました。春先に投稿のあったあれですね。

この例で見てお判りになるように、均等に輪幅を増やす覆輪では銭形がかなりいびつになります。このケースでは通常に比べ横幅が広い・・・横太りにかわってしまいます。
覆輪にともなって刔輪修正が必要になる理由・・・それがこの事実だと私は考えています。
 
11月24日 【ヤフオク出品!・・・ただし・・・】
本日、早朝からお祭りイベントに参加。昨日から準備に追われ、本日は焼きそば屋の親父として終日働きました。360食もつくったんだから・・・。ちなみに私、このイベントでは焼きそばを焼くこと10年以上のベテランです。
さて、焼きそば販売中に地元の方から「良いものがあるからもらってくれないか」とのお話がありました。それがのらくろの本。デッドストック本みたいですが状態はいまひとつかな。換金の仕方が分からず捨てるのももったいないので・・・とのことです。私も価値が分からないのでオークションに出品してみました。興味がある方はご覧ください。できれば買ってください。

昭和44年頃の復刻愛蔵版 箱入り・ハードカバー・布貼り表紙 と、漫画にしてはとても贅沢な全10冊 こうやって並べるととてもきれいなんですけど、箱の劣化、小口などに虫のフンなどの汚れがあります。ページの内容はほぼ完品。
私は価値が判りませんのでお好きな人がいらっしゃったらお譲りします。もともとタダでもらったようなものですし・・・
 
11月23日 【銀座コインオークションに参加!】
銀座コインオークションに行って参りました。
(ピンチ1:妻のお怒り)
実は翌日に地元のお祭りがあり、オークション当日はその準備がある状況でした。当初、手伝いが難しいそうなことをそっと妻に告げると・・・ああ、恐ろしい。
(ピンチその2:深夜の電話呼出)
深夜に職場から緊急電話・・・そのまま徹夜出勤になってしまうかもしれない事情発生。オークション参加の大ピンチ!幸い、30分ほどで問題は解決しましたが、おかげですっかり目が覚めてしまいました。そのため家族が寝静まる早朝に「家出同然」に出発。(ゴミ出しはきちんと行いました。)
(ピンチその3:高速の事故渋滞)
行きつけの吉野家で朝食を採り、高速道路で一路帝国ホテルへ・・・。ところが、高速に入る直前に「京葉道路事故、渋滞・幕張~花輪通行止」の表示を発見・・・これまた大ピンチ。あわててハンドルを切り、最寄りの駅へGO、早く出た甲斐があったものです。
(ピンチその4:電車内に人が…)
なんとか電車に乗りこんで座っているとなんだか周囲が騒がしい。ありゃりゃ、車内に人が倒れてます。乗客が駅員さんにその由を告げて、女性駅員が駆けつけますが、倒れている男性乗客は無反応。ちょっと頭のねじのとんだお兄ちゃんが大騒ぎ状態だったので、関わりずらい状態でした。このお兄ちゃん、思ったことがすぐに声に出てしまう障害があるようで、悪気はないのですがかなり迷惑な存在。朝帰りの酔っ払いが寝込んでいるか、脳貧血を起したかだと思われましたが、電車はストップ状態になりました。おおよそ15分後に意識を取り戻し車いすに載せられて降車されました。(酔っ払いの泥酔)ねじのとんだお兄ちゃんは駅員の指示で呼んでしまった救急車をキャンセルしなきゃと周囲に訴え再び大騒ぎ・・・。申し訳ないが見て見ないふり。どうも神様はオークションに行くなのサインを出してらっしゃるような・・・。それでも当初の予定よりは遅れたものの開始30分前に会場に到着。
(オークション直前)
会場では鳳凰山氏や金幣塔氏を発見。その他にも先日自宅訪問をしたH氏のほかM氏、Ⅰ氏、O氏などよく見る顔の面々ですが、実に久しぶり・・・というか、毎年この会場で見ている面々ばかりです。
会場の入りは開始時で90%ほど。早朝にしてはかなり入っています。実は今年は25周年記念オークションだそうで、それなりに充実した出品があるようです。新しい工夫で大スクリーンを会場につけて何を競っているかわかるようにしたとのこと。郵便応札率も過去最高の95%に達しているそうで・・・。
開始前にあいさつと説明があり、9時5分にスタートです。
(戦闘開始:弱気の虫炸裂)
古和同縮字銀銭からいきなり大競り・なんと210万円。続く古和同広穿隷開は驚異の320万円。新和同の手替わり長珎も240万円・・・うげげ、アベノミクスバブルが思い切りはじけています。萬年通寶横点年濶縁50万、富寿神寶大様竪貫160万円、饒益神寶小字195万円。オークショナーは強気で20万円刻みで釣り上げてゆく・・・恐ろしい。皇朝銭はとにかく強い。鉄板ブランドです。
続く鐚銭からは皇朝銭に比べるとやや弱く、郵便落札も少し増えてきました。骨唐国6万円、二字寶永21万円は超お買い得価格のような気がします。
さて、新寛永ですが注目の「
小梅手母銭」は激しく競られなんと70万円。これはすごい。
地方の金銀貨はコレクションの放出があったらしく非常に熱かった。いやあ、札束が頭の上で飛び交う大激戦。美作一分銀が58万円だの加賀花降百目銀740万円、出羽野代印切銀110万円、出羽大阿仁印切銀170万円、長山納印切銀170万円、甲州露一両金200万円・・・。
続く絵銭は地方金銀ほどではないものの熱心なコレクターが多く激しい競りが起こります。ただし、戦いは桁が違う庶民レベルですけど・・・。絵銭で注目の
大念仏寛永は郵便入札がなく、なんと8万円からスタート。これはチャンスと思いきやあっという間に競りが進み40万円。納得の降参です。
さて、いよいよ注目の天保銭です。今回はこれだけにしぼっていました。
いきなり本座長郭の母銭が郵便応札がなくてオープンスタート。チャンス到来と札を上げましたが4万円を超えて降り・・・今日は気弱です。(結果4万4000円。)値段も伸びなかったですね。
仙台長足寶9万5000円草天保が18万円とかなり弱含み。お金に余裕があれば行くのですが・・・とりあえず持ってますから行けません。
130番の不知長郭手長足寶は原価割れの8000円・・・あまり、長足に見えない品でしたからね。でもこれならチャンスはまだあると思い、少し気を引き締めました。大本命は132番の
長郭手刔輪短尾通。こいつは素晴らし状態です。別名、覆輪刔輪大点尓寶。1枚保有していますが入れ替えたい品。
しかし・・・5万円を過ぎて手が萎縮。結果的に
6万円でほかの人が落札。根性ないなあ・・・。
続く133番はキュートな
覆輪濶縁なのでこいつこそ絶対落とすぞと思っていましたが3万円を過ぎて降り。(3万6000円。)値段の上がり方が早く小心者の心臓にはとても悪い展開。これは行くべきでしたかね。134番の覆輪も手を挙げましたがだめ、136番の深淵も負け。(3万1000円と5万6000円。)
神の声が今日はやめろと言っている気がして負け癖がついてしまいました。ところが137番・・・こいつは行く気が無かったのですが、オープンだったのでチャレンジ。1万8000円でGET。こいつは参加記念のつもりです。139番もだれも応札者がいなかったので1万円で頂きました。これは小さい不知銭に期待です。実は140番の
細郭手刔輪長足寶・・・こいつはなかなかの希少品です。安ければと思い参加しましたが願い届かず8万円で誰かが落札。こいつもお買い得だと思います。141番の細郭手貼り合せも状態が良かったので入れ替え用に欲しいとも思いましたが、自重。状態はいまひとつながらもう3枚も持ってますので・・・。(3万5000円。)
ここまででタイムアップ。そそくさと会場をあとにしました。そして、お祭り会場の準備に間に合いましたとさ・・・ああ、疲れた。

※結果的に不知天保銭4枚3万円ほど・・・1枚8000円+交通費・・・まあ、こんなものでしょうか?典型的な安物買いの銭失いで大したものはありませんが、小様の不知銭だけは可愛いかなあ。オークションは相手の顔が見えるので苦手ですね。
 
11月21日 【仙人が行く・バックナンバー】
天保仙人師が収集に連載執筆されていた「仙人が行く」のバックナンバーです。仙人の知識が幅広いことが良く分かります。情報の時代の現代とはいえ、古銭には隠された部分が多く、仙人のような幅広い知識をお持ちの方はそうは出てこないと思います。
これは過去記事を探すときの手がかりになります。そういえば五十話の収集段位で私が天保銭収集に再び目覚めてしまったんでしたっけね。ずいぶん散財しました。
昨日、久々に東京に出かけたついでに中野の野崎コインに立ち寄ってみました。いやあ、中野はおたくの聖地ですね。そこで、お土産(おつきあい)に利光教授の「古貨幣七十話」を購入。地元の学校の元学長であり、母校の元教授ですからね。
収集誌・仙人が行く 掲載順タイトル 
1. 天保座鋳淳祐通寶  21. 忠臣蔵  41. 戦時債権 
2. 天保銭形の萬年通寶 22. 安南・手類銭 42. 玉塚天保
3. 和同開珎 23. 南宋・淳祐通寶・當百銭 43. 琉球通寶(1) 
4. 今村啓一氏と貨布 24. 天保通寶・不知・草天保  44. 琉球通寶(2)
5. 幽霊銭 25. 百円玉  45. 宝石、貨幣になれなかった貴重品?
6. 天保通寶、本座、長郭と細郭 26. 古寛永通寶・御蔵銭・その一  46. 天才贋作者ラムスデン 
7. 天保通寶、本座、広郭 27. 古寛永通寶・御蔵銭・その二  47. 絵銭、浅間銭の謎
8. 咸豊重寶 28. 御三家・紀伊藩鋳の天保通寶?  48. 貨泉 
9. 天保通寶、本座、中郭 29. 絵銭・サムハラ銭  49. 円銀 
10. 天保通寶、痩通と細字通寶 30. 安陽大布  50. 収集段位 
11. 水戸藩、試鋳貨、花開清香 31. 天保通寶反玉寶  51. 古・和同開珎 
12. 中村不折と古銭  32. 天正通寶                
13. 時代劇中のお金?  33. クリスマス・コイン 
14. 中国の変形貨幣、その一、貝貨  34. 不知の名品・奇天 
15. 中国の変形貨幣、その二、魚幣、馨幣  35. 木屋の古銭? 
16. 福村弘明氏を偲んで  36. 天保通寶、南部藩、大字 
 17. 慶歴重寶  37. 刀幣 
18. 十円青銅貨  38. 寶永通寶
19. 盛岡銅山  39. 萩(長州)藩の天保通寶 
20. 五銖  40. 荒川銀判 
 
11月20日 【80歳の挑戦!長崎古仙堂】
本日聞いたお話・・・駒込の古仙堂のご主人が長崎の地でコイン店を新規オープンしたそうで・・・インターネットで調べたらありました。
ながさき古仙堂 〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町2−10 ☎095-811-2006
隠居生活ではなく御年80歳を超えての新たな挑戦だそうです。穴銭に詳しい数少ないお店ですから、体の続く限り頑張って頂きたいと思います。東京のお店は息子さんに譲ったのでしょう。

※都内のホテルでHPを見ていたら妙に古銭が縦長になっていました。ブラウザの性能でずいぶん歪む場合があるようです。
 
11月19日 【銭貨】
いろいろ問題もある方だったようですが、穴銭堂増尾富房氏が古泉界に与えた影響は大きいと思います。最大の功績は「古寛永泉志」の出版ですが、その他にも「新寛永泉志」や「本邦鐚銭図譜」など氏の才能が光る出版が続きます。現在、氏の手掛けた「銭貨」を流し読みしているところですが、創刊号からしばらく昭和泉譜の復刻掲載が続いています。おそらく、昭和泉譜の原本を入手されての復刻なのでしょう、これが契機となって昭和泉譜の復刻再版の動きになったと思われます。金銀図録や古泉大全なども掲載されており、版権の問題はあるのでしょうけど古銭ブームの仕掛け人であったことは間違いなさそうです。情報はだれのもの・・・と言う問題はとくに気を付けなければいけないと感じております。
近世古泉界に尽くした方はいずれもあまり幸せに恵まれていないようでして、田中啓文、平尾賛平の両氏は実質破産。増尾富房氏や太田保氏も金銭的にはかなり苦労されたようで、極楽殿も失われ、方泉處も解散、ボナンザ誌も倒産詐欺騒ぎなど枚挙に暇がありません。
古銭大収集家と言われる方で生涯を通じて幸福だった方はむしろ少数派なのかもしれません。
 
11月18日 【撫角銭の代表】
撫角(なでかく)という言葉が気に入ったので多用していましたが、撫角銭形の代表と言うべき存在があることを忘れておりました。それがこの俯頭通です。古来、あまりにも有名なので、俯頭通の名は今更代えがたいのですが、今一つ納得いかないネーミングです。全天保銭の中で、もっともオリジナリティーの高い書体であり、どうしてもっと気の利いた名前を付けなかったのか不思議です。濶字だとか巨頭通だとか特徴はいくらでも拾えただろうに・・・。書体だけでなく銭形も独特で、天保銭のフォルダーにうまく入らなかったことを思い出しました。よく見ると先日の撫角銭よりもっと撫角形です。この銭は一説によれば加賀藩あたりが怪しいのではないかと言われてますが、かの地には加越能という芸術的な古銭がありますので、何となくその形を彷彿とさせます。

しかし、これくらい堂々としていると、かえって気がつきづらいものですね。

※月刊 銭貨1969~1973年を読み始めました。。昭和泉譜の記事がずいぶん掲載されています。当時の入札相場が分かって面白いですけど、時間が必要ですね。
昭和44年は踏潰俯永手が落札価格3200円!もっとも初任給2~3万円時代の3000円ですから良い値段なのかもしれません。しかし、2年後にはコインブームが到来して、今の価格相場に限りなく近くなります。
 
11月17日 【丸屋銭の大型母銭?】
関西のSさんからのご投稿です。(ありがとうございました!)
丸屋の母銭ということですが画像からの印象ではなんかパッとしない雰囲気です。ところがサイズを聞くと外径26.3㎜(内径20.95㎜、重量3.92g)なんだそうです。こいつは超特大です。丸屋は通用銭で大きいもので25.7㎜ぐらい・・・26.3㎜の母銭というと通用の最大クラスができる母銭サイズでして、だいたい26㎜を超える新寛永一文銭は御用銭ぐらいしかないと思いますので、なかなか貴重な一枚です。母銭にしてはぱっとしないので、あるいは母銭のなりそこないなのかもしれません。輪際のえぐりが目立ちますね。ところで丸屋という名は謎が多いのです。ひょっとすると本当の丸屋銭は幻足寛なのかもしれませんが、もうこの名前定着してしまいましたね。
 
11月16日 【深字と深字手】
14日の記事の修正を受けて拓本の縮尺も修正してみました。もっともこれもまだ仮説の段階。実物の検証が充分ではありません。泉譜が正しいことを前提としているのですが、必ずしもそうであるとは限らないということです。拓本は伸縮しますし、製版の段階でのエラーも考えられます。
中には半意図的と思われる数値の改ざんや贋作の紛れ込ましなどもあります。これは最近の泉譜にも見られます。ある意味、収集家としての技量を試されているようです。先輩方も人が悪い。もう有名なことなので暴露しますが、天保銭の小川譜には不知銭の中にグリコ天保が紛れ込んでいます。探してみて下さい。
さて、深字と深字手ですが、内径仮説が使えないとなれば書体で見るしかない。やはり寶の珎、貝の大小で見るのが一番早いです。それ以外の文字には変化があって難しいと思います。
H氏の拓本の採り方を見て、私と遜色ないことが判りました。しかし、決定的に違うことがあります。それは拓墨。私のは半練状でH氏のは粉末を固めた状態。墨の水分をティッシュで吸いとることは聞いておりましたが、それをやっても半練以上にはできません。これは墨そのものが全く異なります。半練状では墨が強く付きすぎるので2つのタンポを使い、片方のタンに少量の墨を付け、もう一方のタンポに墨を移しムラをなくす・・・合せタンポというらしい・・・ことを行い、さらに濃くなりすぎないように薄めの色で30回以上叩いていました。H氏は10回ぐらいで終わり・・・時間も全然違います。
 
11月15日 【撫角銭の拡大観察】
縮小した拓図だとまったくふざけた古銭にしか見えず、しかも不知天保通寶分類譜では異製作銭に位置する異端児的な存在とあって、ひょっとすると贋作・戯作の印象を受けてしまいますが、こうして拡大してみると新作母銭によるものではなく、きちんと覆輪刔輪加工が行われた痕跡が残されています。
ハンマーで成形したと思われる変造撫角天保銭や、ローラー圧延された琉球通寶濶縁銭は確かに存在しますがそれとは一線を画す、正統派?覆輪刔輪銭です。
通常、覆輪加工をすると銭形は円形に近づこうとして真ん中が突き出した横太りの銭形になろうとします。密鋳銭の職人はその不自然さを解消するため、輪の内側を加工して整えます。この銭はその加工工程がちょっと下手糞だっただけのようです。
→ 天保通寶覆輪刔輪マニアック講座
単独で見るとさほど違和感はないのですが、複数の天保銭と比較すると一目瞭然。相当変な形の天保銭になり、それが後世になって珍重されるとは鋳工も考えていなかったでしょう。
異書という別名がつけられているように文字にも加刀変化がかなりあると思いますが、個人的には湯圧不足による変化のほうが大きいように感じます。
村上氏は異書異形と名付けていますが、覆輪刔輪撫角形もしくは覆輪刔輪異形で良いのではないかしら。

※昭和16年貨幣誌に仿鋳長郭手として変造銭らしきものが掲載されています。同じものが大橋譜にも掲載されていますが画像の品とは一線を画すもの(すなわち変造だと思います)です。
 
11月14日 【へそまがり:良恕手不連玉尓】
寛永銭のには筆者とされる人の名の付いた有名銭がいくつかあります。志津麿大字は書家の佐々木志津麿のことであり、これはまた発表者の妹尾柳斎の名前を戴いて“柳斎大字”の名称をも併せ持っています。その他では岡山銭の長嘯子(伝:木下長嘯子筆)や新寛永の不旧手(伝:長崎屋不旧筆)などが有名です。この良恕手は古寛永岡山銭の一類で、良恕親王の筆なるもの・・・かもしれないもの・・・に似ている書体の物であります。(妖しい・・・)その特徴は独特の風格ある書風で、特に寶王末画と尓初画が連なるのを特色とします。
しかしながらこの良恕手不連玉尓はその最大の特徴が加刀で失われています。実にわかりづらいへそまがりなのですけど、通常の寛永通寶は不連玉尓が当たり前・・・それが特徴なんて言うのもへそまがりです。ちなみにこれ、超雑銭です。
なんでこんな話題を書くかというと、文久永寶の分類でもへそまがりの出現に困っているから。深字広永と深字手の区別です。私は「深字広永は寶王が小さく、深字手は寶王が大きく、その末画が貝画の横に真横から突き刺さる感じ」だと良く説明します。しかしいるんですね・・・へそまがりが。
それが
深字広永の大玉寶。ちなみに大王ではなく大玉とするのが古泉界の習わしです。(漢字の意味的には玉が正しい。)よく見れば書体が違うと言いますけど、拡大しているから分かるというものです。
両者の違いは文の横引きが深字手の方が水平気味で長い、久字の足の開きが深字手の方がどっしり、寶の上半分のつくりが深字手の方が大きく頭でっかちに見える点など。文久永寶分類譜の拓本で比べる限りどうやら
深字手の方が銭径・内径が小さいようで、どうみても深字手の方が深字の後で出たようです。それにしてもこの違いは慣れないとなかなか肉眼では感じ取れません。ましてや文久永寶は加刀変化が御蔵銭なみにありますので本当に難しいです。 

※実物を計測してみて、拓本の縮尺が狂っているらしいことに気づきました。また振り出しです。
深字広永大玉寶 深字手(俯尓)
 
11月13日 【不知天保3題】
横浜古泉研究会からの落札品が届きました。この3品はいずれも秋田の村上氏の旧蔵品で、この機会を逃したら手に入らないものどもですので多少無理をしても拾いまくっています。

※それぞれに個性豊かな面々です。その特色は赤字で表示してみました。
上段:
長郭手覆輪刔輪面存痕異書 
長径48.6㎜ 短径32.3㎜ 
銭文径40.45㎜ 重量22.9g
不知天保通寶分類譜下巻では異制作銭として登場しており、
撫角楕円と名付けられています。覆輪と刔輪の仕上げが拙劣だったため、全体に角ばった楕円になっています。また、削字に加え湯圧が不足していたためか文字が陰起して奇妙な書体になっています。拓本だけで見ると、後鋳銭をのような風貌でしたが、現品を見る限りはいたって真面目に作られた不知銭の顔です。鋳造技術は実にへたくそですが白みがかった青銅質の材質は好感が持て、仕上げは滑らかで非常に良い方です。
銭文径から見ると、改造母銭からの再写しの可能性が高い不知銭です。また、拡大してみると刔輪によって撫角になった様子がよく見えます。
中段:
長郭手覆輪仰天
長径49.3㎜ 
短径33.0㎜ 銭文径40.9㎜ 重量22.8g
銅色本座に似ていて目立たないものの見事な横太り銭形です。おそらく意図しない加刀でしょう、天の横引きがわずかに傾き、
仰天に見えます。これがまたこの不知銭の命ともいえる景色になっています。

下段:
長郭手厚肉覆輪刔輪
長径48.8㎜ 短径32.55㎜ 銭文径40.8㎜ 
重量26.6g
すっきりしていて銅質、制作とも本座銭と遜色ありません。内輪の刔輪で細縁になっていますが、さして目立たないのでどこといって特徴のない不知銭に思えますが、こちらは重量の26.6gが命。厚みは部分によっては3㎜を超えます。この重さは私の所有する不知長郭手のNO.1重量銭であり、細郭手、広郭手を含む不知銭中でも3本の指に入ります。極印は中央の葉脈が細く長く、支脈がきれいな半円を描く独特の形です。

今月も使いすぎました。したがって銀座コインオークションは相当トーンダウンしちゃいそうです。でも・・・止まらないかしら。

※本日、H氏の来訪を受けました。そのとき所蔵品の一部を画像として頂戴しましたのでこちらに掲載しておきます。

→ H氏 天保銭秘蔵録
 
11月12日 【邪道・外道】
収集を楽しんでいるとどうしても集まってくる・・・というか自分から飛び込んで行ってる邪と外の道のものたち。気分転換には誠に良いのですがそれなりにお金も出て行っています。
文久の錯笵銭は外道とはいえちゃんとした流通銭。この錯笵は型〆作業中に母銭が飛び出して重なった状態でかたどられたか、砂型に母銭を落として拾う時に思いっきり押し付けたか・・・ありそうで意外にないタイプで、どうやってできたかを考えるだけで楽しい。
絵銭は外道でもあり、人によっては邪道ともいう。文久の絵銭は銅質は思っていたより古いものでしたが側面が西洋やすりの目です。まあ、それなりに味はありますがやっぱり邪道。
天保銭は近代作。酸等で焼いて古色付をしています。そのため郭の表面が荒れています。また、側面のやすりは近代のもの。間違いなく邪道ですが参考銭としては面白いもの。ちょっと縮小しているので通用銭からの写しでしょうけど砂目なんかは良くできてます。
和やすりを作れる職人が絶滅状態の現代では、側面の仕上げを真似るのはやはりとても難しいことみたいです。

※文久の錯笵の考察
文久永寶は錯笵が比較的みられますが、その多くが背ズレであり、これは型〆のときの合わせ不良もしくは片側の砂笵が崩れてしまい、合せ不良になったまま鋳造されたものだと思われます。
一方で、下のように銭の一部が貼りついた状態で鋳出されるケースは、かなり強く異物部分が押し込まれる必要があります。高い位置から物を落とした場合、その衝撃によって異物の周りの鋳砂が盛り上がります。その結果、盛り上がった部分は凹状態に鋳出されますので、異物の周囲は少し凹んだ形になります。一方で、落とした母銭などを拾おうとして押し付けてしまった場合、比較的盛り上がりが少ない状態になりますので、周囲の凹みはさほどではありません。ところが、下の文久銭の場合、写り込んだ輪の上部は凹んでおらず、逆に少し盛り上がっています。これは砂笵において、異物の周りが逆に凹んでいる状態にほかなりません。すなわち、この場合異物として写り込んだ母銭が左上から右下にずれるように移動したあと、再度深く押し付けられたと考えられます。あるいは拾い上げる時に左上の砂笵部分を破壊したか、母銭そのものが重なった状態でかたどられてもこのようになると思います。ただし、後者の場合は母銭が斜めになるため、横から見ると楔形の形状になる可能性が大きいかもしれません。いずれにしてもこの錯笵は非常に面白いメカニズムによって誕生していると思われます。
錯笵文久背輪写 絵銭・折れ綱駒背古寛永
絵銭・猿匍駒背玉寶文久
贋作・中郭手背ズレ錯笵
 
11月11日 【10大ニュース候補】
散財の実態から目を背けたい一心でやっていなかった作業でしたが、やはり行うことに考え直しました。こうしてみると大金を支払い手数はこなしていますが、そんなにすごいものばかりを入手した訳ではないことに気づきます。

ことしはすべてのジャンルの手を出しています。昨年に引き続きいまだコインフェアには行っていません。異常事態?
日付 ジャンル 名称・内容 評価
1.15 その他 穴ずれ50円をネットで落とすも変造品か?残念!
1.18 新寛永 元文期日光銭長字断足寛 を白川昌三氏からお分けいただきました!
1.19 天保通寶 横浜古泉研究会で 細郭手強刔輪長足寶 を入手!大珍品の類なのですけど支払もすごくありまして・・・。
1.19 天保通寶 横浜古泉研究会で 中郭手覆輪赤銅無極印 を入手!厚肉で製作や材質も変わっていてすごいと思います。
2.7 その他 いつかはつくろうと思っていた初心者のための 文銭入門講座 基礎の基礎 の編集を開始
3.4 天保通寶 ネットに出た絵銭天保戎寶 を入手!激安のネット落札品ですけどものすごくお気に入りです。
3.14 天保通寶 石巻銭 覆輪刔輪反玉寶鋳放銭 を収集誌で落札。思った通りの品ですね。でも出費は激烈。
3.20 文献  謎の文献の 天保銭雑事 を入手!増尾富房氏の作成したものと言うことが判明。
3.28 新寛永 ネットに出た雑銭を大量購入するも空振りに近い結果に唖然。雑銭買いには向いていない事を改めて悟る結果。
4.16 古寛永 御蔵銭小永離用通大様母銭 をオークションネットで入手!この大きさは素敵です。
5.13 新寛永 ネットで安南寛永四ツ宝銭広永写背文文 を入手!もう一枚の背文太異文も欲しかった。
5.31 その他 ネットに出た曳尾母銭 に挑むも届かず!70万円まで入れてしまった。熱狂しました!
6.12 その他 URLの引っ越し。分析ツールも付けました!
7.21 天保通寶 大和文庫のHPで 水戸深字大型銭  を入手!後に天保仙人が絶賛して下さいました。
7.24 新寛永  CCF郵便入札で 浄法寺盛無背異永 を入手!ほぼ無競争。
8.1 天保通寶 ネットに出ていた 長郭手異貝寶異當百(覆輪延尾通)  を大激戦の末入手!果たしてよかったのかしら・・・
8.12 その他 仙人宅を訪問取材。その結果を 夏の古銭会展示室 で報告。発見がいっぱいで楽しかった!
8.14 文久永寶 大和文庫入札で 密鋳 背低波写赤銅  を入手!こいつの美しさは特筆ものです。
8.31 天保通寶 横浜古泉研究会で 細郭手覆輪厚肉欠頭通(異極印)  を入手!重量27gは立派。
9.27 文献  ネットに出た 昭和絵銭図譜 を入手!
10.3 その他 東北のS氏からの寄稿 踏潰銭分類考 を編集掲載。力作です。
10.8 天保通寶 未入手だった 南部藩銭小字 をネットで入手!
10.16 文久永寶 神奈川県のHさんから文久永寶と文献の大量無償譲渡。文久永寶美星倶楽部 の編集を開始。
なかでも 直永細字俯フ永 と 繊字背大錯笵 は秀逸です。
10.17 その他 アククセスカウンター50万人突破!!足かけ9年半かかりました。
10.31 天保通寶 ネットで 琉球通寶山字添印 を入手!
11.10 古寛永  ネットに出た 志津麿大字 を思わず入手。衝動買いです。病気です!
11.13 天保通寶 不知天保銭 長郭手撫角 仰天 厚肉覆輪刔輪 の3枚をGET!
 
11月10日 【志津麿大字がやって来た!】
古寛永初期不知銭の大物、志津麿大字を入手してしまいました。ずいぶん散財しましたが今年はもう腹をくくっています。たしかこの品は以前ご投稿も頂いていました。そうなると落としたくなる・・・と言うのは病気でしょう。
背景を修正したら妙に平永っぽく写りましたが、これは立派な本体銭です。古寛永の収集としては入手可能なものとしてはこれが多分最高峰です。毎年、10大ニュース記事を書いていますが、今年は怖くて書けません。まあ、これは必ず10位以内に入っていますが・・・とにかくお金使いすぎました。
しかし、最低値で落ちるとは思いませんでした。古寛永は人気ないですね。状態は思った以上に良かったです。
 
11月9日 【穴銭免許皆伝】
石川諄氏の穴銭カタログ日本の446Pに穴銭免許皆伝の項があります。穴銭免許皆伝になるための教えは・・・

(免許皆伝の)判者サインは、己が師と敬う者にお願いせよ。
穴銭収集は日々の研鑽を怠らず、東洋史・日本史になるべく精通されよ。絵銭や・悦銭の収集はこの限りにあらず。
号を持つこと・・・自らを厳しく律し穴銭の究明時に当たらせる。号はそのために!
拓本を採る・・・銭図(拓本)と実物の照合には無理がある。銭図は拓本と比較せよ!
拓本に鮮烈さを・・・千枚の採拓を目指せ!そのプロセスに悦びを!
計測する・・・直径や内径は故意に歪められることがある。銭文径を重視せよ!
見本銭を作る・・・穴銭群から出来栄えの良い直径最大、文字最大銭を探せ!
見本銭の整理・・・鑑識や分類の迷走時、自らが用意した見本銭から、その答えを導き出せ!
分類解説に惑わされるな・・・他者の解説よりも、自らの解説ポイントを発見せよ!
歪曲銭は無価値・・・穴銭の存在量は多大。傷物、焼けもの、変色ものは避けよ!ワレ、カケ、磨滅、焼け半減、スアナのみは許されよ!
資料価値・・・研究目的でのワレ、カケ、磨滅、焼けの収集はこの限りにあらず!

実は石川氏から見本誌を頂戴したとき、この免許皆伝のサインが記入してありました。しかし、私は拓本についてはとてもそのレベルになっていませんし、最近は見本銭の整理もままなっておりません。もう少し習練が必要でしょうね。

穴銭カタログ日本には本当に見たこともないような拓本がたくさん掲載されています。ほとんどが収集の対象外なのでしょうが、ごくたまにぽろっと出会うこともあるかもしれません。少なくとも原母銭や試鋳銭の掲載数はNo1でしょう。まだ見たことのない方は必見です。
 
11月6日 【上京しました!】
久々のお休み!思い切って東京に行くことにしました。まずは銀座コイン。余裕があれば日銀の資料館を回ろうと思います。実は日銀資料館の館長さんからは以前直接お電話を頂いておりました。一般見学者の一人として行きたいと思います。
ところで、今年の銀座コインオークションは大判や近代、海外のコインが強そうです。
なかでも最近はプラスチックケースに入った近代~現代コインが幅を利かせています。グレーディングブームの到来です。ただし、古銭をこよなく愛する者としてこのブームに一つ警鐘を鳴らしておきます。このグレーディングサービスはあくまでも「状態を評価するもの」であって「真贋を保証する」ものではないこと。もちろん、一通りの鑑定はされるのでしょうが、サービスの本質はあくまでも状態評価。
したがって悪意あるものが精巧な贋作を紛れ込ませた場合、このサービスは果たして贋物を除外しうるのかが非常に怖いのです。私の杞憂はあくまでも机上の論なのですが、業界全体が本当に贋作排除の動きをしない限り、この不安は拭い去りきれません。なにせ、日本貨幣協会の鑑定書でさえあてにならないことがあるぐらいの時代ですから。
10時過ぎに銀座コインに到着!早速下見を開始しました。予測通り天保銭の不知品はまずまずのもの。突出したものはないものの状態が良いですね。あまり書くとおしかりを受けそうですから一つだけ情報提供。No137番の異極印の黄色いやつは、たぶん私が花桐極印と名付けたタイプです。これで4枚目の確認。案外多いのかもしれません。
驚いたことに私が朝書いた記事を見てHさんが訪問してきました。なんたる行動力・・・恐ろしい人です。
そしてあるお願いをされました。私のある所有品を別の方にお譲りするという割譲のお話なのです。ご当地でつくられたものを展示のため取り戻したいという話ならわかるのですけど・・・今一つ共感しきれませんでした。私はあまり収集品に執着しないタイプでして、納得すればお譲りするのはかまわないのですけど、やはりコレクターですのでお金をいくら出してもまず見つからない品なんで・・・もうしばらく楽しみたいです。
もっとも実はその品をどこにしまいこんだのか忘れてしまい、30分ぐらい探してしまいました。拓本を採ってお送りしますので、お許しください。(画像や拓本の使用はOKです。)


日本銀行貨幣博物館では館長さんにこそ会いませんでしたが、中をじっくり拝見しました。銀貨類はよほど保存が良いのかレプリカなのか見たことのない黒みある虹色状の銀錆。ところどころに展示してあった天保銭・・・薩摩の小字や本座の紛れもない中郭がぽんと出ている。展示者は判っているのかな・・・と思うことも。だって、水戸大字が秋田藩銭として出ていましたから。ともかく収蔵品は素晴らしいです。

再び戻った銀座コインでは久々に店頭撰銭。それも時間がないので文久永寶だけ。何も出てこないと思いきや出ました「玉寶の密鋳銭」が・・・。これで今日の電車賃が浮いたぞとほくそ笑んでます。わざと残しておいてくださったのかもしれませんが銀座コインさんは私にとってゲンの良い場所のようです。
なお、下の2枚は以前ある入札誌で購入した自称密鋳文久。どことなく気に入らなくて未整理でした。でもって改めて検証すると、中段はまぎれもない密鋳でしたが、最下段は焼けスレ磨輪銭じゃないかしら。文字の大きさ、内径の差が歴然ですね。
※銭は薄く作る方が技術が要ります。そのため江戸期の密鋳は必ずしも薄っぺらではありません。
※文久永寶の錫母があったのにじっくり見るのを忘れてしまいました。馬鹿ですねぇ~。
 
11月5日 【ガイアの夜明け:日本の技術】
東京12チャンネル(今はデジタルで7チャンネル)の番組が好きだ。他のチャンネルにはない、こびない独自性が番組作りに見られます。ガイアの夜明けはなんでも鑑定団に続くので必ず見てしまいますがはずれはありません。今日は日本の頑張る中小企業と言うことでいくつかの紹介がありましたが、富山の能作の紹介で図らずも鋳物の工程を見ることができました。鋳物の工程は江戸時代とあまり変わらない感じがしますが・・・気になるナレーションがありました。能作は錫の鋳物で世界に進出しているのですが、原点は仏具の銅鋳物だとか。その銅は厚さ3㎜以下には技術的になかなかできないのだとか。
それを聞いて・・・寛永通寶はせいぜい厚さ1.5㎜だぞと叫んでしまいました。鋳物の技術には現在では再現ができないものがずいぶんあるようです。たとえば中国の殷の時代の青銅器などが典型でしょう。今は贋作にも科学的な手法が取り入れられているようですが、和やすりだとか砂目のような昔の技術の方が今は再現が難しいようです。

文久永寶真文系の大分類方法(ポイント)
1)広穿広郭 をはじめに除外・・・文字が縦長で大きい。昔はこれを大字と称したこともあります。
2)深字系は フ画が郭に接しない
深字狭永系 と フ画が郭に接する広永系 に分かれます。
3)広永系のうち 
寶王が大きく第4画が水平に寶貝に接するのが深字手 で 寶王が小さいのが深字広永です。
4)
直永は その昔、文久童が「寶寄輪」と名付けていたように進寶であるのが特徴。これを覚えるべし。
5)
細字繊字は文字は細いものの寶字は進みません。
6)唯一、
細字長寶は寶字が進むというか仰ぎます。

この大分類をつかんでいれば、撰銭には迷わないと思います。ただし、細分類は難しいですよ。
 
11月3日 【謎の錫母銭】
四国のKさんからのお問い合わせ。(ありがとうございます。)
雑銭からの選り出しだそうですがどう見ても文久の草文広郭の錫母。見事です。サイズは27.2㎜、4.2gで通常の母銭と同じサイズだそうです。私は本物の錫母など触ったことすらない人間ですからこの品の素性は正直判りませんが、少し気になりましたのでお伝えしました。合金化していない錫は非常に不安定な金属で、常温下でも13.2度以下で崩壊が始まります。江戸時代の技術ですから多少の混入物はあったでしょうが、それでも100年も経過すると表面が崩壊して白くなり、多少の膨張も見られるのが普通です。すなわちこの品は美しすぎるのです。錫は全金属中でもっとも凝固収縮率の低い金属で、鋳写すとほとんど同じ大きさのものが出来上がります。すなわち、この品の元になったものはやはり母銭のサイズ。これから母銭→通用銭をつくるとすれば2サイズダウンが起こることにもなります。したがってありえないものということに結論付けました。しかし、それにしても非常に精巧です。他のご意見のある方、お教えください。
さっそく天保仙人様から返信がありました。

今回の文久・錫母銭は昭和30年代に東京都内に住んでいたTの作品と思われます。
(中略)
Tは天保銭の水戸・遒勁や鋳放し銭、秋田の鍔銭・波銭等、幕末の貨幣を鋳写しで作り、都会では売らず、地方にて商売をしておりました。結構精巧で、真正品として所蔵されております。
(中略)
寛永銭・天保銭の長郭・細郭の錫母銭は崩落しますが、合金技術の進歩の為か、天保銭・広郭と文久銭の錫母銭は崩落しません。崩落による真贋は古銭により、異なります。           
天保仙人


驚きの新事実!天保銭・広郭と文久銭の錫母銭は崩落しない!・・・勉強になりました。ありがとうございます。
 
Q.どちらのほうが文字が大きく見えますか?銭径は?
11月1日 【スキャナーの限界:錯視の世界】
ここにある2枚の文久永寶・・・書体はよく似ていますが微妙に違いますよね。とくに久字は全然違います。大きさも右側の方が私は大きく感じます。しかし、両画像は全くの同一品を同じスキャナーで撮影したものです。違いは撮影時に銭の上下方向を入れ替えただけ。よく見ると、左側は上側(文の方向)から光が当たっていて、右は下側(久の方向)から光が当たっています。スキャナーは光源が一方向から走るので、光源が向かう側の反対にわずかに影ができるのです。例えれば左は頭の上から見下ろす画像で、右は下から仰ぎ見る画像です。だから錯覚で見上げる形の右が大きく見えるのでしょうけど、画像の大きさは全く同じ。
微細な変化をとらえる古銭に影の影響は大変な問題です。左画像は短尾久に見えますが、右画像ではすそ野の広い勁久に見えます。実は右側の方が正規の撮影方法によるものなんですけど・・・実物はこれ短尾久なんですね。(影が足長に見せています。)彫りが深い深字系だからこそ起きる不思議な現象・・・目下、対策を思案中です。
 
10月26日 【乾坤通寶】
瀬戸浩平氏の「貨幣の文化史」を読んでいて、氏が和同開珎(わどうかいほう)と読んでいること、開通元寶と循読していることを確認して、ちょっとだけうれしくなりました。日本には貨幣学といえるものはあまりなくて、あるのは考証学や史学など記録文献を中心に考えるものか、考古学のように埋蔵発掘物を見て類推してゆくもの、あるいはや古銭収集学というべき古銭そのものを見て研究分類するもので、当時の経済や文化をも加えて総合的に考える・・・というものがないのです。
そもそも歴史の記録なんてものは敗者に厳しく勝者に寛容です。良い例が「蘇我蝦夷:そがのえみし」の名前で別名には立派な「豊浦大臣:とようらのおおとみ」があります。死して後まで辱めを受けるとは何とも残酷ですね。
貨幣の文化史のような本は、細分類などで痺れた頭を少し冷やしてくださいます。同時に富本銭を貨幣なんだかまじない銭なんだか未だ決められない日本の学者さんたち・・・いい加減になんとかしてもらいたいです。
さて、その瀬戸氏の著書の中に建武の新政の時に発行された?乾坤通寶のお話が少しだけでていました。この名前は日本貨幣収集事典やの本の貨幣収集の手引きなどにたびたび出てきていますが、実物も実際に作られたかもわかっていません。
槌屋杵之助・・・すなわち寛永堂(稲垣尚友)が創作した贋作があるという噂は聞いていますが、本物が出てくれば富本銭など吹っ飛ぶほどの話題になるでしょう。私は古代銭マニアではないものの、この存在をすっかり忘れていました。どこかに眠ってないかしら・・・。

※天保仙人様から・・・仙人が行く 2004年8月号に記事が掲載されているとのこと。すっかり失念しておりました。もう一度読み直す必要がありますね。なお、乾坤通寶については仙人様でさえ贋作も見たことがないとのこと。仙人様情報ありがとうございます。
 
10月25日 【幻足寛の厚肉鋳放し銭】
輪の鋳不足は残念ですけど見事な幻足寛です。この品は雑銭マニアの四国のKさんが昨日掘り出した品とのこと。(おめでとうございます。)
鋳バリがある部分は外径が26㎜(鋳バリがないと25㎜ほど)に達する大様で、未仕立ての厚肉銭だそうです。一文銭で4.6gというのもかなり立派です。
あるいは鋳不足であったためそのまま出された母銭のなりそこないかもしれませんね。未仕立て銭といっても完全な未仕立てというものは滅多にあるものではありません。この幻足寛も流通の過程でかなり角が丸くなった感があります。
出来損ないが世に出てくるというのはよっぽどの理由があるのか、鋳物師の親方がいい加減だったのかでしょう。「僕は失敗作だけど肉厚で大きくて立派で捨てがたいでしょ」・・・こいつからはそんな声が聞こえてきまです。
えっ?それは私の幻聴ですか?そうですか。
文久永寶深字手なんちゃって二水永
深字手の中でも短久肥字類に属します。深字手は深字に非常によく似ている書体ですが、寶王が大きく、その末画が水平に寶王に接する特徴があります。この掲示品の文久永寶はさらに永字の第2画の横引きが異常に長く、うねった二水永状になってます。偶然の鋳だまりだと思われますが、ルーペで拡大して目を凝らしてみても、文字の立ち上がりは全く自然な感じであり、違和感がありません。
もし、類品が複数現れたら世紀の大発見間違いなしの品なんですけど・・・ないですかね?
 
10月24日 【“ぜに”と“せん”】
ある大家の文献を読んでいて、「“ん”の発音は古代日本にはなく、我々の祖先はこの発音はできなかった」という一文を見つけました。たしかに“ん”が登場するのは室町期頃で、それ以前の古事記や日本書紀には“ん”の表記は出てこないようです。女は“おみな”であり、文は“ふみ”、銭は“ぜに”であると・・・。
古代日本は借字といって、漢字を日本語の発音にあわせて表現をした時代もあるそうです。中国から輸入した文字を無理やり日本語に当てはめはじめていた時代であり、試行錯誤の時代。漢字に音読みと訓読みが混在するようになったのもこの結果です。“ん”の表記がまだないのは日本語としてまだ発音されていなかったからという説は一見合理的なんですが・・・。
しかし私はこの説明に疑問を感じました。いくらなんでも“ん”の発音がないとは考えがたい。それなら萬年通寶や神功開寶など皇朝十二銭はどうなってしまうのだろう・・・。(輸入語だから?)
調べると表記はなくても発音はされていたそうで、しかも10通りぐらいの微妙な発音の違いで使い分けもしていたらしいという記述もありました。現代では“い”と“ゐ”、“え”と“ゑ”の発音を使い分けることもなく、唯一残った“を”も“お”とは発音上の違いはなくなってしまいました。
表記文字はなくても発音はされていた・・・それが私の結論。だいたい銭という文字時代が輸入文字のはず。日本で発祥したものではありません。この文字の中国語の発音は“ちぇん”であり、“せん”にも“ぜに”にも聞こえます。きっと“ぜに”の“に”は古代日本人は“
ん”とでも発音したのかもしれません。
 
10月23日 【美星倶楽部】
Hさんから譲り受けた文久永寶の撮影は1日数枚が限界です。まずは羅列して最終的には配列を直したりで・・・完成するのはいつになることやら。場合によっては本編と合流するかもしれませんがのんびり確実に進行しようと考えています。
さて、頂戴した品の中の妙に目立つ品を2枚ほどピックアップしてみました。

上:繊字背大錯笵
文久永寶には錯笵銭が多いと思うのですけど、ここまでのものは滅多にないと思います。背三輪写りという大変珍しい錯笵ですが、製作に矛盾はありません。

下:深字刔輪
8月31日のものとは若干系統が異なり、こちらは本体系の刔輪のようです。ほんのわずかな刔輪ですが文字配置のバランスが良く、すっきりした印象を受けるのは私だけでしょうか?
 
10月21日 【巨大な俯頭通】
東北のSさんから頂戴していた画像です。不知銭の名品俯頭通ですけどサイズがなんと49.75㎜、32.6㎜と、私のものよりかなり大きいですね。銭文径は同じなので濶縁気味に仕上がっています。寶下の輪が広がっていますので、仕上げの砥ぎが強かったのかもしれませんが、立派な品です。仙人宅で見た俯頭通は小様なのでしょうか。これは初鋳に近いのかもしれません。
こちらは曳尾大好きの京都のTさんから頂戴していた曳尾の泉譜図。左が佐野英山、右が下間寅之助のもの。実は上下に図が伸びていたので故人の名誉のため若干修正を加えています。英山譜では廣天挑寶(コウテンチョウホウ?)の名で、下間譜では刎通(フンツウ?)の名前でして、まだ曳尾尾の名称はなかったと見えます。
挑の文字は跳の誤りかもしれません。というのも挑には跳ねる意味がなく、「けしかける」とか「いどむ」の意味になるからです。それなら跳足寶かな・・・とも思いますが、それとも寶字は何かに挑んでいるように見えますか?
また、刎の文字は訓読みこそ「はねる」ですけど、躍動の意味はなくて、首を切りとばすほうのはねるですから、漢字の使い方としてはかなり変です。
 
10月20日 【銀座コインオークションの落札システム】
言葉が足りなかったので追加説明します。
銀座コインオークションへの参加は、①会場参加 ②郵便入札参加 の2通りあります。
会場参加の場合は最高額で落ちた価格がそのまま落札価格になります。オークショナーは郵便入札の2番札(2番目に応札価格が高い金額)を基準に(2番札がない場合は最低価格の80%から)競りを始めます。したがって会場内で誰も競る人がいなくなっても、郵便入札の1番札を超えられなければ郵便入札の勝ちになります。この場合、競りがとまった価格が落札価格になるので、郵便入札者は自分がはじめに付けた価格より低い価格で入手することも可能になるのです。
例えばある品に1番札10万円、2番札3万円で競りが5万円で止まったとしたら・・・郵便入札者は5万程度で入手できることになります。さらに、もし、だれも競るものがいなかったら2番札の10%増し・・・3万3000円程度で入手できます。この恩恵は私も受けたことがあります。
したがって郵便入札者の中には絶対入手・・・もしくは会場の戦意喪失をも狙って、とんでもない価格を一発入れるケースがあります。成功すれば2番札の10%増しですから、賭けとしては面白いのですけど、同じような考えの方が複数いると悲惨を味わうことになります。
会場参加の人は実際の価格を聞きながらの応札なのでそんな目にあうことはないのですけど、競り合うと熱くなるので同じかしら?それに会場参加の人はやろうと思えば必ず郵便入札を超えることができるという特典もあります。
また、オープンといいまして、郵便入札がいないときは最低表示価格の80%からセリが始まります。すなわちうまくゆけばし、最低価格より安く入手することができるのです。滅多にはないもののこれは会場参加者にとってはとてもおいしい特典です。
落札後には手数料が10%かかりますけど・・・消費税が内税なのはありがたいですね。
今年は近代銭と外国コインがすごいですね。穴銭は天保不知銭を除いていまひとつかしら。


なお、返品については下見の有無にかかわらずいかなる場合も不可と記述されています。法慣習上は(贋作の場合など表示と明らかに異なる場合は)瑕疵担保責任がありますし、郵便入札は特定商品取引法の保護の下にあるようなので無効な条文だと思うのですけど、ある意味こういうことをする輩が増えてきた事に対する警告なんでしょう。キャンセルは品物に瑕疵が認められなければ売買契約が成立するので間違いなく落札者側に非が発生しますのでご注意を!(少なく見ても遺失利益=賠償金額は20%以上には確実になると思いますので・・・)
 
10月19日 【銀座コインオークションカタログ到着】
銀座コインオークションカタログが到着しました。今年はお金を使いすぎたのでおとなしくしくしていよう・・・と思っていましたが、早くも病気の虫がうずきます。
入札のシステムは銀座コインオークションならではのもので郵便入札の2番札を基準とした上積み方式。10万円と5万円の応札しかない場合、落札価格は2番札の10%増し程度の価格で最高額を入れた方に落ちることになります。この制度は最近ずいぶん浸透してきておりまして、それを逆用してとんでもなく高い郵便入札をする輩が以前はときどきおりましたが(みんなが降りてしまえば2番札に近い価格で落札できるから)最近は同じような考えの人間が複数現れるようでして、そうなると痛い目を見ることになります。やはり会場に行って応札する方が確実のようです。
今回は残念ながらあまり穴銭は出ていないようですけど、私の注目は・・・
No31 小梅手母銭(穴銭入門原品) これは有名品・・・欲しいけど収集外の鉄銭の母だと思いたい。
No37 水戸深字母銭 これは大きいし鋳肌が気になります。
No95 大念仏背寛永通寶(絵銭譜原品) こいつもものすごく有名。
No128~141の天保銭 絶対的なものはないものの1枚ぐらい参加記念に欲しい。
正直言って、今回狙うのは天保銭しかないかな。大念仏は欲しいけど置き場がないから。それより参加できればよいのですけど。
古寛永歪永
旧松本銭の歪永です。鋳浚いの痕跡が美しく、一瞬母銭と見まごう品ですが、この銭種は美銭が多いことでも知られています。インターネットに出ていて美しさに目を奪われ思わず落としてしまいました。
この書体好きなんですね。可愛いじゃないですか。寛永はぺしゃんと潰れていて、犬で言えばチンみたいな顔。一方通寶の文字は上下に引き延ばされています。すなわちこの筆者はかなり意識してこの書を書いているということ。デザイン性が秀逸です。画像では判らないのですが、文字の際が深く、文字の間の黒い地部分が盛り上がっていて本当にきれい。やはり古銭も美しい方がいいですね。
 
 
スキャナー元画像 位置修正  背景修正 明度調整(背景色消去) コントラスト調整(完成) 
10月18日 【画像修正の実際】
スキャナー撮影した画像はそのままでは使えないことが多いので今までも多少は工夫していました。とくに厚みのある天保銭は光が横から漏れて露光しやすく背景に色ムラが現れますので、濃い色の布を被せてごまかしていました。(光漏れを防ぐには部屋を真っ暗にして作業するか、スキャナーの中央部を使用して撮影し後で画像を切り取る方法もありますが・・・前者は夜間しか作業できませんし、手元が見えず却下。後者は元画像が大きくなるのでこれまた面倒。というわけで布被せ撮影に落ち着いた次第。
最近、一般のパソコンに添付されているソフトを使って修正する技術を覚えましたので具体的に紹介します。
元画像は左上側に片寄りから光漏れが起こっているので背景はグレーに染まりとくに左端が真っ黒になっています。ペイントを起動し切り取った画像を重ね位置を修正します。このままだと影が強調されてしまっていますので背景色を切り取って(コピーして)被せておきます。出来るだけ細かくやったほうがきれいに仕上がりますが、この程度でも十分。
オフィス2010を起動して、明度を+7~15程度に修正すると、銭色はボケますが背景色がほとんど消えます。
続いてコントラストを+7~35に調整すると背景色がほぼ完全に消え、銭の元色に近くなりくっきりして見やすくなります。
背景色の残骸が残ってしまう場合はは、いったん画像を保存してもう一度明度とコントラストの調整をするか、あらかじめ背景をペイントなどで消し込んでおくと完全に消えると思います。若干手間はかかりますがこの方法だと特別なソフトも不要できれいな古銭画像が撮れますのでおすすめ。左端の画像を完成画像と比べてみて下さい。
 
10月17日 【文久永寶の迷宮】
Hさんから頂戴した現物資料をもとに美星倶楽部の編集が始まりました。画像撮影からはじめていますので実に大変な作業になります。それと同時に文久銭の難しさを改めて味わっています。
分類は本来、泉譜合わせとよばれるように、過去の資料データと照らし合わせて同じものを探します。ところが文久銭は古寛永御蔵銭のように削字変化が激しく、完全一致を目指すことができません。
前所有者のHさんは文久を20年収集研究したようであり、収集品はきれいに分類されてラベリングされています」・・・が、その分類名は参考にできても鵜呑みにはできません。泉譜にないような変化が出てくるのです。
結局、もう一度その品を観察して、その特徴を見極める作業から入ることにしました。再勉強です。

文久銭は色が真っ黒なのと、私の所有するスキャナー性能が低いので普通に撮影すると非常に見づらくなってしまいます。自分の所有物ならそのままでも良いのですが、Hさんの思いが詰まった資料ですので丁寧に作業することにしました。
①撮影に向いた個体(美銭)を選ぶ。
②予備撮影(プレビュー)。
③角度を調整して本撮影。
④ペイントを起動して古銭の位置をセンターに再配置。
⑤画像の端などからの光漏れ露光によって黒くなった部分を粗く修正。(陰消しのため)
⑥マイクロソフトオフィス2010(画像編集ソフト)を起動。
⑦画像全体の明度を上げて不要な影や背景の黒ずみを消します。
⑧コントラスト強調をして古銭の元の色を再現します。

と、ざっとこんな具合。普段はこんな丁寧なことはやっていません。画像ソフトは専門的なものではありませんがそこそこの編集は可能です。角度調整もソフトで可能なのですが、倍率や粒子が粗くなるので撮影を何度もやり直して修正しています。

ところで、右の文久銭・・・実に美しく、不思議です。初めて見たときは楷書の広穿広郭に見えてしまいました。泉譜上の書体分類は直永削字降点尓に一番近いようですが、製作から見ると直永本体系の細字俯フ永とみるべきかなあ・・・と考えています。やはり泉譜合わせ的な分類は無理ですね。
 
10月16日 【書籍と文久銭の山届く】
帰宅すると大きな段ボール箱が3箱も届いていました。実は数日前、神奈川県のH氏からメールが届いていました。H氏は20歳頃から古銭収集を楽しんでおられたそうですが、ここのところは収集から離れていたようです。今は手元に資料類と文久銭が580枚ほどを残しているだけだそうですが、身辺整理をするにしても収集品を処分するのは忍び難く貰っていただけないかとのこと。あまりよく考えずに『頂けるものなら・・・』とOKしてしまいましたが、到着した荷の多さに責任の重さを感じております。ここのところ文久永寶についてはご無沙汰気味でしたから・・・。(唐松堂さんもいつも資料をお送り頂きありがとうございます。)
年内に文久永寶の新コーナーの制作に取り掛からねばなりませんね。今の不勉強をたたきなおさなければいけません。忙しくなりそうです。
H様ありがとうございました。


※資料の中でも穴銭堂版の月刊「銭貨」「銭幣」「銭貨情報」が創刊号から合計254冊もそろっているのがすごいです。非常にきれいにとってあるのも収集家ならではですね。
台風のものすごい雨音で目が覚めてしまいました。
文久の編集を開始しなければ・・・と思いまずは、気になっていたことを一つ調べました。先般入手した真っ赤な文久の密鋳銭の正体です。入手したもののあまりに美しすぎて、写しではなく単なる変色もあるなあ・・・と漠然と考えながらそのままにしていました。文字は浅彫りながら乱れ少なく、写しにしては完璧だからです。一番簡単な調査は内径差を調べること。ただし、文久銭には刔輪加工が見られますので、実物比較するのが手っ取り早い。
そこで画像を重ねて見ますときっちり縮小しています。(左側が本銭、右が密鋳銭)
赤い色が焼けによるものだと仮定したら、内径の縮小は説明が付きません。
すなわち、この縮小は写しによる縮小と見るのが妥当であり、そうなるとこの赤い色も銭の銅色そのものであると考えるのが妥当・・・これで安心・・・また寝られる?
早朝覚醒は不眠症の始まりなんですけど・・・私は古銭病です。
   
 
10月15日 【7月以降アクセスのあった国】
日本(全県) 韓国 中国 香港 台湾 オーストラリア インド インドネシア シンガポール スリランカ フィリピン タイ ベトナム マレーシア アメリカ アルゼンチン ベネズエラ ブラジル ジンバブエ アラブ首長国連邦 イスラエル イギリス スイス オーストリア オランダ スペイン チェコ スロバキア ドイツ ロシア ウクライナ グルジア 以上32か国(中国と香港、チェコとスロバキアはそれぞれ一国としてカウント。)

分析ツールで大まかな地域(都市)は判ります。ただし、経由地などがあると狂うこともあるようであくまでも参考。日本対海外では日本が96%で海外が4%。思ったより海外が健闘しています。WIKIPEDIAにリンク掲載されているのが大きいみたいです。また、中国のバイドゥなどの検索ツールにも引っかかるみたいです。なんどか海外からお手紙が届くのですが、こいつは妖しいやら和訳が大変やらで苦労します。
 
10月14日 【限界突破!】
ついに100MBを超えました。OCNの無償のサーバーに登録した時の上限が5MB・・・容量が巨大になってからもしばらくは引っ越すのが面倒なのでお金を毎月数千円支払って頑張っていました。その後、ホームページビルダーが無償で100MBまでのサーバーを公開していたのでお引越しし、今年からは有償ですが10GBまでOK・・・つまり現在の100倍まで大丈夫になりました。
アクセス数も間もなく50万回を突破します。私が目標にしているのは三重大学の飯田教授のホームページでして、アクセス回数はなんと100万回を超えています。気が遠くなるような数字ですが、地道に追いつきたいなと考えています。最も芸能人の場合は1日で何十万アクセスがあるそうですから私のサイトなど可愛いものです。

さて、この記事を書いているうちに一つのオークションが終了していました。古寛永仙台銭の濶字低頭通の大字が出ていたのです。母銭と通用銭の組というふれこみですが、通常の濶字低頭通と濶字低頭通大字の組だと思っています。これでも本当はものすごく少ないものなのですが、人気がいまいちで18500円で落ちていました。本当はお買い得なんですけどね。今年はお金を少し使い過ぎでして・・・昨年のような臨時収入もなく、それに今月は親族の結婚式もありますのでちょっと自粛。と、いっても島屋直寶やら折二様もあの値段なら欲しい・・・て、本当に懲りてない。

そのせいか昨日から罰が当たって左下腹が痛い。正確に言うと今は左下腹が痛むものの、もとはキ〇タ〇も含むその周辺が痛い。女房に話したら、もういらないからキ〇タ〇とってしまえ・・・とのたまう。恥ずかしいけど殺される前に泌尿器科に行く必要がありそうです。インターネットで調べるとどうも膀胱か精巣の病気みたい。姿勢を変えるとすごく痛むときもあるのですが、もともと痛みには鈍い体質なので我慢できちゃう。以前、虫垂炎をやったときもただの腹痛かと思ったくらいですから。しかし、これは診察してもらうのにものすごく勇気がいります。どうせ見せるなら飛び切りの美人女医に診てもらいたい?(変態)痛みが限界突破する前に行ってきます。


天保仙人様から八つ手極印の情報が届きました!
なんでも今から28年ほど・・・ということは1985年(昭和60年頃)に、天保通寶研究会の席上で収集家のO氏と仙人との会話の中で生まれた名称との事。当時、この極印は六出星極印と呼ばれていたそうですが、いまひとつ形状にそぐわない。そこで八つ手の名称を考え二人で広めはじめたとのことです。今ではこの名称がすっかり定着しています。これは仙人とO氏の普及活動に加え、研究心、人柄があってのことでしょう。
 
10月13日 【足尾大型銭】
25㎜の大型銭
オークションネット画像
銭幣館拓図 通用大ぶり銭
24.15㎜

オークションネットⅩⅩⅠで落とせなかったもののなぜか心に引っかかり気になっていた大型銭についての情報の一端が判りました。
この足尾銭は直径が25㎜、3.6gで大様の未仕上げ母銭?か通用の美品なのかということで要下見品になっていました。
これについては銭幣館第一巻、『寛永御用銭を折二の試鋳銭とする』の中に拓図入りで触れられていました。(おそらく銭幣館蔵銭覚えにも拓図はあると思いますが、母銭との区別がつきません。)銭幣館田中啓文氏の推定では、これは原母銭から直接つくられた通用銭で、開炉の祝鋳銭に該当するのではないかとのこと。
ただ、現品の画像サイズが正確であるとすれば同時出品の母銭と内径は同じでした。従って特別大きな母銭と同じものいうことになりますが、つくりはたしかに通用銭風。
と、なるとこれは未仕上げ母銭とされてもおかしくないわけなのですけど・・・田中氏の説も捨てがたい気がします。すなわち、田中氏の説なら特別な大型通用銭、そうでなければ未仕上げの大型母銭ということ・・・。
まあ、どっちに転んでも珍しいもの、巨大なものには間違いないので夢を語るには十分ですね。もっとも残念ながら私は入手できませんでしたけど。
通用の最大クラスを並べて見ました。縮尺がそろってないので雰囲気だけですが違いを感じて下さい。右端の直径は24.15㎜でこれでも通用銭ではなかなか見つからない大きさだと思います。25㎜の母銭からできる通用銭は24.5㎜以上のはずで、25㎜というのがいかに異常な大きさだということが判ると思います。
 
10月12日 【贋造浄法寺の八つ手もどき極印】
左は浄法寺を真似た贋作長郭手に打たれている極印です。非常によくできた贋造ですけど、やすり仕上げが細かくグラインダー風で近代的です。銭文径は本座長郭の通用銭サイズですから、これは本座長郭の母銭を使用して鋳造された物。通用銭からの写しでは断じてありません。
金質は硬く、穿内は鋳放しで浄法寺に似せており、極印も八つ手風になってます。拡大して比べて見ると違いは歴然ですけど肉眼だとなかなか判りません。浄法寺天保銭は昭和50年代にまとめて発見されたもので書体は共通の特徴が多くみられます。と、いうのも同じ母銭からつくられているからで、母銭も数種類発見されているようです。ただし、この発見を機に贋作もずいぶん世に出ています。本物?の浄法寺天保銭も仕上げや金質から見て明治期以降であり本格的に流通したものとはあまり言えません。したがってこれからはあまり過熱なさらないようご注意ください。
私?・・・もう、燃焼してしまいましたから手遅れですね。

 
 
10月11日 【八つ手極印】
東北のSさんから画像がまた届きました。(ありがとうございます。)その中に非常に鮮明な八つ手極印の拡大画像がありましたので使用させていただきました。私の小字にも全く同じ極印があります。しかし、この形のどこが八つ手なのでしょうか?南部家の家紋は向い鶴ですし、八つ手の家紋なんて聞いたことがありません。だいたい八つ手はモミジの化け物のような形のはず・・・と思いながら探していたら・・・ありました。南部鉄器にそれらしき鍋敷きが。ただし、これは八つ手としてデザインされた物なのかどうかもわかりません。まして伝統的なデザインでもなさそう。名前の由来、また教えて下さい・・・Sさん。

S氏情報
栗林座では、大黒銭と虎銭を山内通用として使用したことも知られています。未確認ですが虎銭の中に八つ手極印を打刻したものが存在するようなのです。また,「盛岡銅山」に片側に八つ手極印と反対側に桐極印を打刻したものも存在するようです。

浄法寺山内は正確には浄法寺町大清水字山内ですが、二戸市に合併となり浄法寺町山内となっています。
稲庭岳の山麓です。北は青森県、西は八幡平市、更に秋田、県となります。鹿角の尾去沢鉱山から福岡(現二戸市)に銅を運ぶ途中になります。
※柏木座(山内)現在の浄法寺中心街からかなり南西の秋田県寄りにあったようです。浄法寺のエリアが思ったより広く認識を新たにしました。
 
10月10日 【南部小字濶縁手】
東北のSさんからアンサーメールが届きました。(ありがとうございます。)
質問:当百銭カタログには「小字濶縁手」なる小様銭が掲載されています。ひょっとすると浄法寺のような感じですが、正体は何なのでしょうか?

回答:当百銭カタログの小字(濶縁手)は、銭文径が39.1㎜ですので、称浄法寺飛鳥銭で間違いありません。銭文径40㎜以上が浄法寺柏木座です。当百銭カタログに記載されているように、当百銭カタログは「天保通寶銭分類譜」が元になっていて、第7回配本(平成6年6月20日発行)に初めて小字濶縁手と小字鋳放し銭が南部藩鋳銭として記載されました。称浄法寺飛鳥銭は,昭和50年から昭和55年にかけて三回にわたり出現(放出)しました。小字は三回目に現れました。値が下がらないように小出しされたためと小字の出来映えが良かったために南部藩鋳銭に組み入れたものと推測しています。
小字の極印は桐極印の方が少ないようです。昔は八つ手の方が少ないと言われていました。八つ手極印は栗林座で使用されたものです。桐極印は栗林座と浄法寺柏木座(いわゆる山内座のこと)両方あると思いますが、未入手なのではっきりとは言えません。


※明瞭な回答ありがとうございます。浄法寺柏木座=山内座なのですか?そして八つ手極印=栗林座・・・私はわかったようでまだよく分からない。奥が深そうです。さすがに地元の研究は最先端ですね。 
 
10月8日 【南部藩小字の到着】
ネットに出ていた南部藩小字がついに我が家に届きました。スキャナーで取り込みましたが相変わらずピンボケに見えます。実物はもっとシャープです。寶字付近に鋳不足の乱れがあるのと、天字上の輪にあたりがあるので最高極美品とまではいかないまでもかなり良い線です。前所有者のお話だと御爺様の自慢の宝物(遺品)だったとか・・・。競り合う前に直接交渉の問い合わせが水面下でずいぶん動いたようです。みなさん、なかなかしたたかですね。
極印は多分八ツ手タイプですね。これが盛岡銅山と同じ極印と言うわけなので初期銭とされるのかしら?
銅色は画像よりも赤く、砂目は細かく滑らかに見えます。昔、雑銭の会の工藤会長に見せて頂いた欠点のない品(春の古銭会展示室)には遠く及びませんが、最近見た品では非常に美しい小字です。
こうなると黄色い品や桐極印も欲しいのですが高いからねぇ・・・。こいつのおかげで江戸コインオークションは断念してしまいましたし・・・。

ところで当百銭カタログには「小字濶縁手」なる小様銭が掲載されています。ひょっとすると浄法寺のような感じですが、正体は何なのでしょうか?
 
10月6日 【踏潰銭分類考の公開】
東北のSさんから頂戴していた 踏潰銭分類考 の公開がようやく始まりました。作業にまる2日かかってしまいましたが、何とか体裁が整っています。いわゆる細分類譜ですが、ポイントは明瞭で画像も実に美しい。拓本が添えられていたのでさらに判りやすくなっています。見ていると自分の分類がまだ甘かった(間違っていた)ことを痛感します。(私が小字手だと思っていたものは、小字写しと見るべきでした。)私は叩き伸ばしによる背の乱れのあるものはとりあえず踏潰系としてしまいます。あとは江刺系と浄法寺系とその他。HPには載せてますが加護山系は4文銭は実はないのではないかと疑っています。(私もいい加減です。)
本当は頂戴した画像に分類名・サイズが明記されていたのですがインターネット上の規制で半角英数などの文字制限があるため編集せざるを得ませんでした。(全角文字や空白、日本語、カッコなどの記号はNG)
それでもHP用に体裁は整えていますがほぼ原本に近い仕上がりだと思います。
あっとはおまけに戴いた密鋳銭の画像を編集して載せるだけ。あと一息・・・ああ、疲れた。(10月6日配信開始)
 
10月3日 【あこがれの南部藩小字】
細かい手替わりを除き天保銭の藩鋳基本銭はあらかた入手しており、入手がかないそうなもので最後に残っていたのが南部藩の小字でした。しかし、この小字は非常に人気が高く、少ないことも相まってかなり高額。10万円以下ではほぼ入手は出来ない存在で、私は半分あきらめて浄法寺の小字写しで我慢していました。ところがネットに出ていたんですね・・・小字が・・・。多少歪みはあるものの肉厚はたっぷりあり、しかも肌は練れの良い赤銅質。
南部藩の小字は「本座に似た黄銅質が多い」ということですが、ときどき真っ赤なものを見かけます。
しかもこの赤いものに製作的に突出したものを感じるのです。ですから、私はこの南部小字にあこがれを抱いていました。それは数年前に雑銭の会の暴々鶏会長に頂いた超美銭の赤い南部小字の画像があるからでして、その震えつくような美しさに魅入られているからです。その頃は今ほど天保銭病ではありませんから手が出なかったのですが、結果として悔いがものすごく残ってしまいました。
今回はその品には比べるべくもありませんが、小字としては立派な品だと思います。これで心の傷は癒されました。問題は経済的なダメージなんですけどね。頑張って働きます。
 
10月2日 【濶縁大様と厚肉】
雑銭拾いをしていて、もっとも目につきやすいのが大きなものと重いものです。これらは見た目だけではなく、手にした瞬間「ビビビッ」と来るものがあります。それから脳内のエンドルフィンが急増してうっとりします。
画像の上は鉄人から頂戴した画像。
(ありがとうございます。)
直径25.2㎜ほども水戸無星文の濶縁大様です。これは濶縁ぷりが見事ですね。文字の立ち上がりもしっかりしていて特別な雰囲気。
さて、この星文手の類なのですが背星刮去とに区別が非常にややこしい。私のHPには正統派の画像が載っていないのですが、本来は水戸背星に似て、少し刔輪されて文字が細くすっきりしたものが充てられるようです。もちろんやや離郭気味の文字配置・・・と言っても非常に微妙なのですけど・・・が絶対です。また、無星文とされるものはなぜかこれだけ特別に大きい存在で、たいてい25㎜を上回ります。古寛永の25㎜というのは特別な存在でして、一部の種類を除いてかなり希少なのです。水戸銭は背星の類にときどき25㎜超過は見られますけど、無星文ばかりがなぜでかいのかが不思議です。こんなことを書くと笑われそうですけど、水戸無星文はなぜか背星のような黄色い銅質のものを見たことがないのです。
どことなく火を被ったような色が多い気がします。鋳造の最後で火を入れて叩いて大きくした・・・はい、これは私の都市伝説です。

さて続く下段の会津短貝寶は見事な厚さ。四国のKさんからのご投稿でs。
(ありがとうございます。)長径49.2㎜、短径33.05㎜、肉厚3.2~3.4㎜、重量26.1gの堂々たる体躯。テーパーも強く表より背面の方が1㎜ぐらい広くなっているとか。横から見た姿はなんともすさまじくずんぐりむっくりのイメージです。会津にはときおり驚くような肉厚の天保銭があると聞いていますが、これがその驚くようなものでしょうね。
 
10月1日 【大川天顕堂氏のこと】
まるで俳優のブロマイドのような一葉であります。これは若かりし頃の天顕堂こと大川鉄雄氏の写真で、京都のTさんから頂戴したもの。瓜生有伸著、往時古泉家芳名録にも同じ写真がありましたが、粒子が粗くてお送り頂いた写真の方が数段綺麗でした。もし、古泉家の古い写真で男前コンテストを開いたら、2世中島泉貨堂
(2012年5月7日制作日記参照)と人気を2分すると思います。
しかも、とても高級そうなスーツに身を固め、これまた高級そうなおしゃれな家具に囲まれてポーズを決める若き青年実業家・・・この方の古銭収集は趣味のほんの一握りであり、多彩多趣味でいわゆる天才の余技と言ったところ・・・と感じてしまうのは持たざる者の嫉妬心でしょうか?お金も社会的地位も名声も手に入れて、切手、将棋、囲碁、熱帯魚、天体観測など超多趣味であり、しかも貨幣収集はもっぱら雑銭が主体で、何トンもの符合銭を撰銭していたとか・・・いやはや恐れ入ります。
この方が20世紀最後の財閥型のコレクターであり、以降この方をしのぐ個人コレクターは出ていません。わずかに可能性があったとすれば方泉處だったのでしょうけど・・・残念ながら今は存在しません。
大川氏はとても忙しかったと見えてほとんど著述らしいものはありません。写真もこんなに有名な方だったのに文献やインターネットを探してもほとんど残っていなかったくらい。日本貨幣協会の会長職まで勤められた方なのに少し不思議な気がします。
一方で大川氏の周囲はかなりにぎやかで佐野英山氏や小川青寶樓氏、陸原貞一郎氏など本当に多士済々でエピソードもいろいろ残されております。本人はいたって謙虚・・・それでも目立たないようでいてもきちんと名前は残っているからやはり有名人はすごいです。
 
9月28日 【オークションネットの絵銭寛永】
先般のオークションネットに出品されていた絵銭寛永です。似寛永銭とか文字絵銭とされる類で、何のためにつくられたのかよく分からない絵銭・・・まあ、お守り類だと思います。当然私も狙いましたが惨敗でした。ところでこの絵銭、通常は左側も宝珠になっているのですが何やら変な形に改造されています。
はじめは蕪紋に見えましたがどうも違う。よく見ると葉の部分松に見えます。絵銭の有名な柄に三蓋松(三階松)というものがありますがこの葉の形には似ていますが下の部分はいったい何を意味しているんでしょう。まさか松の鉢植え?まさかね・・・仮称で松宝珠としておきましょうか?この形の意味の分かる方・・・教えて下さい。

※可能性として砂金袋がありました。かなり形状は異なりますが・・・
 
9月27日 【厭勝銭の読み方】
厭勝銭の読み方は最近は「えんしょうせん」説がかなり強くなってきています。自惚れかもしれませんが私のサイトの影響かもしれません。これについては古い資料をさんざん調べ、銭幣館か郡司勇夫氏あたりの説明で、「ようしょうせん」という言葉をはじめに使ったのは大阪の雁金屋庄兵衛(寶銭鑑一)で、元禄9年(1696年)にその出版著書の古今和漢古銭之図文手鑑(寶銭図鑑)でルビを振って記述したのがはじめで、実は誤読である・・・との説を拝領したもの。古銭語事典では「えんしょうせん」であり、私も疑ってもいませんでした。
ところが昨日入手した昭和絵銭図譜の中編冒頭で、
厭の字を「エン」と読むのは「いとう(嫌う)」の意味になり、「ヨウ」と読んで「押さえつける」の意味が正しいのだから「ようしょうせん」が正しいとの記述があり、いささか自信がなくなってきました。
たしかにコトバンク(パソコンサイト)の解説では「ヨウ」=おさえつける・・・と説明があり、慣用でこれを「エン」と読むことがあると書いてあります。
厭の文字はもともとは神に犬の肉を供えて祭った場所を意味するそうで、畏れ多い神聖な場所かつ邪悪なものはこれを嫌うことから「魔除け」・・・それが転じて「嫌う」の意味が加わったようです。(今でこそ神様は幸いをもたらす正義の味方なのでしょうが、本来の神の起源は畏れ敬う存在であり、いけにえを捧げて怒りを鎮めるような存在だったはずなのです。)さらに邪悪を制圧したことから壓(あつ)の文字が生まれ現代文字の圧に変化したようです。ちなみに小川青寶樓師の日本貨幣図誌の絵銭の部の序文には壓勝銭の表示が見られますので、書きも読みも一定していない気がします。
では何が正しいのか?
実は厭勝銭は日本の造語の和語ではなくもともとは中国伝来のもの。したがって厭の文字は中国語の読みがもとになっているらしいのです。
厭の文字に割り当てられた音は日本語では漢音、呉音とも「えん」もしくは「よう」とされ、訓読みはいと・うですが、中国語式の発音はYen「ィエン」が主流なので「エン」に近いようです。(Yanと言う発音も間違いではなく中間音的なのです。なお、その他の読みとしては「おん」があります。「厭離穢土:おんりえど」)
厭を「よう」と読ませる発音例は皆無に近く、検索しても厭勝以外はまじないを意味する「禁厭:きんよう」ぐらいしか見つかりません。しかも、これさえ今の読みでは「きんえん」に転じています。
寶銭鑑一が厭勝の中国風発音(Yensheng)を聞いて「ようしょう」と音表記したのもさほど間違いではなく、むしろごく自然なのかもしれません。つまり、「ようしょう」の読みは寶銭鑑一の誤読というより「発明」だったと言えます。(もしくは誰かに読み方を聞いて記したもの。)
したがって、寶銭鑑一が提唱した「ようしょうせん」の読みも時代が経つにしたがって「えんしょうせん」に代わっていったのだと推察できます。昭和絵銭図譜の八橋氏の説は一理あるようにも感じますが、「ヨウ」と読んで「押さえつける」・・・というように中国語の音読み変化と一部の日本語の意味だけを関連付けて固定化する点でかなり無理があります。なぜならば漢字は輸入語であり、日本語に置き換えられた象形文字、表意文字がはじまりであって、文字そのものに意味があっても音にはほとんど意味・概念はないことが多いのです。(漢字の読みがたくさんあるのはそのため。)まして厭勝銭は完璧な輸入語・・・したがって音をあらわしたものではありません。厭の読みに「よう」があるのに「ようしょう」が誤読とされた理由もそこにあると思います。寶銭鑑一の読みが正しかったかどうかは判りませんが、厭勝銭は「ようしょうせん」で日本にはじめて広められたこと・・・これだけは間違いないと思います。

おまけ・・・「えんがちょ」の仮説
えんがちょ・・・という言葉をご存知でしょうか?
かつて私はこの言葉は地元、せいぜい関東圏内のものだろうと勝手に信じていましたが、ジブリ映画の千とちひろの神隠しの一場面で、菅原文太が声優を務める「カマ爺」が「え~んがちょ」と言いながら手刀を切るしぐさをしているのを見て、この言葉が全国区であるのを改めて知りました。

Wikipedeaによると、「えんがちょ」は「縁をちょん切る」の意味であり、13世紀にはすでにあった古いまじない言葉であるとの事。
ここで思い出していただきたい。厭にはまじないの意味があり、かつ神聖な場所、畏れ多いところの意味でもあります。厭は神に犬の肉を供えた・・・神聖な地ですから何とも生臭くもあり、畏れ多い。それにえんがちょが広まった時代には浄土思想が出現し、不浄のはびこる俗世に対しての厭世観がはびこった時代。この世との縁を断ちたがる厭世の時代って厭勝に通じないかしら?
そう考えながら文字を見ると・・・厭勝・・・厭に勝つ・・・「えん」に「かつ」・・・「えん・かち」・・・「えんかち・・・えんがち・・・えんがちょ」
ね、「えんがちょ」になったでしょう?貴方はこの仮説、信じられますか?
 
9月26日 【火中変化?】
収集を長くやっていると、人の持っていない変わっている物に惹かれるようになります。上棟刻印銭、銅替り、安南寛永、密鋳銭、錯笵銭など屑ひろいとか言いながら次々に拾いまくりました。こうなると贋作銭をつかむのは日常茶飯事となり、収集としては非常に効率の悪いものになるだけでなく、筋悪と言われてしまいそうです。判っていても・・・いえ判らないからこそ、手が出てしまいます。
さて、さんざんぱら言い訳を書きましたが、今回はずいぶん失敗しました。ただ、こいつの正体はまだよく分かりません。銅質は泡立ち、全体に歪んでいますが大きくはない。厚みは十分あって重さは3gを超えています。寛保期高津銭の細字が元なんでしょうけどどうしてこうなったのか?
多分罹災品でほかの金属が焼けついているのだと判断していますが、あまりこのようにぼこぼこが写っている例は見たことがありません。まあ、大騒ぎするものではなかったということ。勉強になりました。
火中変化の例
①変色
・・・焼けると黒くなる・・・気がするのですが、成分と条件で異なるようです。時々見られるのが真っ赤(赤茶)になること。これは2段階の反応のようで、最初は空気中の酸素と銅が反応し、酸化銅の黒い皮膜が表面にできるようですが、そのうち周囲の酸素が消費され尽くし、一酸化炭素濃度が高まる状況で250度まで加熱されると酸化銅が還元焼成されて銅分が表面に析出するようです。意外に低温で反応するんですね。

②焼け伸び・・・熱によって溶けた銭が広がって固まった物。濶縁大様として売られている品物の多くにこれらが入っています。全体、文字がだらしなく広がります。したがって状態の悪い大様物には手を出さないこと。
なお、明和期の21波や11波には大様銭があるというもっぱらの評判ですが、私は肯首できるものを見たことがありません。ほとんどが真鍮が焼けたときの色・・・虹色光沢や暗紫がかった黄色に変色していたからです。真鍮は酸化変化があまりなく意外に火を被った状態変化判断ができません。→ 右の焼け伸び天保銭は長径が53.7㎜もあります。

③焼けつき・白文・・・熱によって互いの銭がくっつき変形・・・ときには文字写りすることもあります。

なお、聞いた話で確証はありませんが、火をかぶった古銭は緑青を生じやすいとのこと。たしかに全体が青錆で覆われた古銭に焼け銭が多いような気がします。
 
9月25日 【忙しく無駄な日々】
9月から10月にかけて殺人的スケジュールの日々が続きます。そのわずかな間隙をぬって更新をしていますが病気としか言えません。
オークションネットの入札誌が終わったようです。実は私は適当に応札していたので、自分が何にいくら値を付けたかわからなくなってしまいました。落札価格を見ると思わぬ真空地帯が発生しており、冷やかしでも入れておいた方が良かったと思うものもありますが、逆に競争が激しくてなんじゃこりゃ・・・と言う価格のものもあります。たとえば享保期折二様の寛永銭は2万円台で落ちていました。一方で絵銭の寛永は初値の6~7倍の値段です。実は私、絵銭の寛永銭に応札していたと思うのですが、不落であるのは火を見るより明らかです。
冷やかし半分のネットオークションも最近は思わしくありませんね。
もしかして不知品かもしれない・・・と札を入れた細郭天保銭は本座でしたし、、安南寛永の変わりものかもと考えた品は焼けた寛永銭の可能性が大きく・・・がっかりです。密鋳の四文銭だけが唯一まともでしたが、それ相応の価格を入れてますので・・・。。ストレス解消のためなんですけどストレス溜めて銭を失っています。
 
9月24日 【投稿記事3題】
選り出しマニアの方々からの投稿記事を紹介します。
はじめは関西のS氏からのご投稿。一見島屋無背の磨輪にも見えますが、内径が大きく立派な細縁銭。おそらく寛上の鋳だまりが原因で通用銭に格下げになったものではないかとの事。外径24.85㎜ 内径21.15㎜。
穿内の仕上げもあるそうで、よく見ると文字は極めて繊細で地の仕上げもきれいです。しかし、磨輪はずいぶんきついのでひょっとするとこれだけは後天的かもしれません。
中段は古寛永坂本高頭通大濶縁。坂本跳永大濶縁は有名ですがその陰にこの高頭通大濶縁は隠れた形になっていますがなかなか少ないし、面白い品。背の濶縁ぷりが見事ですね。こいつは欠点なくすばらしい。
そういえば最近はあまり使用されなくなっていますが、坂本銭の跳永を跋永(ばつえい)と記述する例が古い泉書では見られます。この跋の字は今では滅多に見られない文字で本来の意味は「つまづく」です。ただし、つまづくという漢字は「躓く:音読みはチ」と書く方が一般的ですね。古寛永岡山銭に寛の前足が短い跪寛というものがあります。寛字があたかもひざまづいているようだということですが、個人的にはあれは「つまづいている」ように見えます。ただ、跋寛(ばっかん)じゃ引き抜かれて浮き上がっているような印象ですし、躓寛(ちかん)は音が変ですかね。余談ですね。
最後のご投稿は久々にご登場の撰銭の達人K氏。
おお、寶連輪ではないですか・・・しかも雑銭からの選り出し・・・えっ、雑銭の会の古寛永の山から出たの???そりゃすごい。
雑銭買いの銭失いの私にとっては夢のようなお話です。もっとも私はそんなに雑銭の山を買う人ではありません。それでも生涯で50万円ぐらいは買ってるだろうなあ。
島屋無背だって拾ったことないんですよ・・・私は。
 
9月23日 【やっぱり踏潰系?】
東北のS氏から頂戴していた踏潰銭分類考を拝見すると、雑銭の会で入手した品になんとなく雰囲気の似ているものがありました。(拓本:東武より)小字様大頭通と称するものがそうで、文政期の小字背第二直波写しで、通頭に小さな鋳だまりが接していてわずかに大きいこと、永点が小さいこと、輪の右側が大きいことなどの特徴があるそうです。寶尓の後点が小さく、離れてうたれたようにも見えますね。同炉かどうかはよく分からないのですが、少なくともこの密鋳銭は延展の技法を使用しています。したがって踏潰系であることは私も異論がないところ。ちょっぴりこいつの格があがった感じがします。踏潰の小字写しは仰フ永になったものが良く知られていますが(踊り永と名付けられているみたいです。)このような特徴の少ない直写しの方がはるかに多く存在すると思われます。

※残念ながら背拓がありませんので完全な比較はできませんでした。

ところで、似た系統のもう一方の小字・・・これも延展系なのですが、銅質は同じですが制作に少し違いがあります。

①外輪の整形が不完全で鋳ばりなども残ること。
②郭が延展による変形が見られること。これは母銭そのものが変形したのではないでしょうか?
③そのためか郭が押し広げられたように整形されている(ように見える?)こと。面側が広く細郭になっています。

私の所持品に同じようなタイプの密鋳銭がいくつか見られます。こいつらは素朴で本当にかわいい。数も少ないのではないかしら? 
 
9月22日 【鋳割れの不知天保】
少し前のネットオークションに出ていた不知銭です。(画像借用お許しください。)
このように明らかな不知銭は競り合いが始まるととんでもないところへ行ってしまうことがあります。あまり見かけない銅質と濶縁ぷり、そして背の地に斜めに走る不気味な鋳割れ・・・これは鋳型が鋳造圧力に負けてひび割れたと考えられるものですけど、良く見かけると言いたいがありそうでなかなかないもの。結果は良い値段になりました。(残念!)
東北のウブ出しとのことで今も出品が続いていますので、注目してますが対抗が厳しいのなんの・・・。出品者を確かめるために冷やかしで入れた(本当は間違って入れた)応札には誰も反応してくれませんので皆さん冷静かつピンポイントに狙ってきますね。困ったものです。

ところで、余談ながら最近の私の趣味は・・・
1.古銭とHP更新・・・これはしょうがない。
2.将棋の本を読む・・・3手詰が分からないレベル。
3.ルンバ・・・これが最近急上昇しています。
ルンバは面白い。そして家がきれいになるのでご機嫌。ルンバを稼働させるために床の荷物をせっせと片づけています。だから余計にきれいになります。すっかりルンバのファンになりました。畳とフローリングの家は買って絶対損はないです。お勧めです。
 
9月21日 
【密鋳銭がいっぱい!】

雑銭の会で調子に乗って購入しました。
天保銭病もそうですが、私がはまっているのはすべて不知銭の類・・・この密鋳四文銭類もずいぶんはまっており、数えたことはありませんが気になるとせっせと購入してしまいます。分類も自己流なのでそろそろ系統だてて並べる必要がありと思いますね。なにせ枚数はかなりたまっていますので。玉石混交ですがいくつか面白いものがあります。
文政小字写しらしきものがあり、背波の長さも形状ずいぶん異なります。拡大画像右上は一直波かしら。これらは銅質や製作は若干違いますけど踏潰につながる延展系統のものだろうなあ・・・と思っています。外輪の仕上げが雑で面白い。
文政期のように赤い俯永は面輪がずれて段差になっています。
拡大画像右最下段にある踏潰俯永は28.8~9㎜ほどの外径がある大様。大様としてはよくある書体ながら美銭ぶりが気に入ってお買い上げ。
最下段にある小字・・・本当に風采があがらないです。まるで喧嘩して顔を殴られたような風貌。後延展とでも言いたい。劣品の文政期銭と見間違えそうですが、輪側面の感触は間違いなく密鋳銭。

さて、これらの密鋳銭を一目で度の系統・・・と判れば、あなたも立派な病気です。
背波の雰囲気や銭形を見ると違いが良く分かります。
右上拡大画像の背波が潰れて太いもので、輪が不正形なものはこれで一系統。(踏潰系)

他に江刺系のものがたくさん入っていますが、これは背がすっきりしているものが多く、最大の特徴はざらざらした砂目。江刺は明和銭の改造母系と、鋳写母系によるものがあるそうです。

集合写真の一番下に偶然集まっているものたちがまた一系統。背が浅くなる癖があります。ただし、右下は若干化等が異なります。

どこにも属さないもの、中間的なものも密鋳銭にはたくさんあります。そのうちこの種の専門家にお会いして細分類を聞いてみようかな・・・と思います。

最近、本当に目が悪くなりまして、分類には指先感覚も頼りです。 原因は老化現象とパソコンのやりすぎ。職業柄パソコンは必須ですけど1日10時間以上画面を見続けていますので、目にはよくないですね。  画像も1.5倍にしないと良く見えません。拡大画像を見るためパソコンを使う・・・これって悪循環ですね。
  
9月20日 【昭和絵銭図譜】
存在することは知っていましたが私にとっては幻の絵銭譜がネットで入手できました。この図譜、赤坂一郎氏著の「日本の絵銭」の巻頭に参考文献として名前と発刊日が掲載されているだけであとは一切謎でした。編集人の八橋喜代松氏がどんな方かも存じ上げませんが、兵庫貨幣会がかかわったことだけはオークション画像から判ります。ほぼ同時期に小泉建男氏が絵銭譜を刊行しており、こちらは新作銭をできるだけ排した作でしたが、昭和絵銭図譜は作銭やら福慶銭なども含まれています。
絵銭譜の存在があまりにも大きかったためこちらの存在はほとんど知られてなく、私も初めて拝見することになります。趣味が浸透するためにはやはりこのような文献が入手しやすいことが必須です。版権の問題は確かにありますが、どうせ古銭書の出版は儲からないとわかっていますので廉価版や復刻版・・・どんどん出てこないものでしょうか?損して得取れです。
 
9月19日 【地味ですけど・・・明和期背佐の特大銭】
こだわって集め出すときりが無いのですけど、佐渡銭は銭径の差が著しくあり、粗雑な製作のものが多いものの美しい白銅もあって意外に面白いかもしれません。明和期は23㎜を超えると大きい方で、23.7㎜の掲示品は超立派です。意外に思うかもしれませんが、むしろ元文期銭の方が大きいものが多いと思います。これは四国のK氏からのご投稿・・・ありがとうございます。
大きいものにこだわっているとときどき焼け伸びの品をつかまされますが、こいつは大丈夫でしょう。ちなみに私は21㎜を切る超小型のものを所持していますが、磨輪なんだか盗銅なんだかわかりませんので掲載はしていませんでした。また、ここまで大きいものは持っていません。熱意が足りませんでしたね。探すと見つからないと思います。皆様も大小探してみて下さい。
 
9月18日 【我が家にルンバがやって来た!】
かねてから興味のあったルンバを買ってしまいました。誕生日プレゼントだと自分に言い聞かせています。インターネット通販って便利ですね。我が家には猫が2匹いますので抜け毛がすごい。机の上では寝そべるし、、パソコンのキーボードの上も歩く。本はかじるし、表紙でツメも砥ぐので放置できません。拓本のタンポはすでにおもちゃになっています。猫たちはルンバに興味津々で、とっても怖いけど気になっているみたい。フローリングとカーペットの少々の段差も平気です。掃除のためは床に物がおけなくなるので自然に片づけるようになります・・・人力で。高性能のおもちゃだと思ってください。でも、ルンバって中国製なんですね。性能はまずますですがつくりは案外チープで壊れやすそう。日本で作ればもっと良いものができると思うんですけどね。この手の商品は日立や東芝も制作しているみたいですけどさすがにまだ追いついてないみたいです。本気じゃないのかもしれませんが・・・。
改造すべき点としては・・・
もう少しコンパクトにしてくれればソファの下にも入るのですけど、残念ながら入らない。幅もあと5センチ小さくならないかしら。
音がうるさいと悪評判でしたが思ったよりは小さい。でも静かと言うわけではありません。
リモコンは付いていましたがこいつは無駄です。だって自動で動くし、手動操縦は必要ない。動かす場合は片手で持てます。
ゴツンゴツンぶつかるとの評判も、心配したほどではありませんね。センサーできちんと減速していました。
その結果、ホコリやペットの毛をたっぷりとって掃除してくれました。意外に使えます。
 
9月16日 【絵銭に釣られてみる】
鯛釣り戎背古寛永を落としてみました。この手の絵銭は新しいものが多く、これもおそらく明治期から大正初期にかけての面子銭じゃないかしら。レトロ玩具と思えば楽しめます。絵銭にも使用目的があるわけで、信仰か玩具、お守りか土産品といったところ。中途半端なものは妖しいです。それでも面白いから私は集めているわけでして、コレクションとしては邪道の域なのです。寛永銭の密鋳はばれれば重罪、それに大量生産をした江戸の銭座でさえ採算がとれなかったのですから・・・。採算を無視した鋳造があったか否かなのですけど、ふいご神に捧げたという話の残る宮銭を除いて極めて怪しい。銭座の職工の戯れ・・・これも銭座の規律から考えるとあり得ません。少なくとも江戸時代に新寛永の絵銭はほぼありえないと断言しておきます。
 
9月15日 【噂の泉譜】
インターネットで古い泉譜発見。(すみません、画像拝借しました。)私は泉譜コレクターではないのですがそのタイトルに目が行きました。「稽古斎泉寿輯」・・・輯と言う文字は現代ではなじみがありませんが「しゅう」と読んで集めるという意味で他に聚(しゅう)の文字があてられる例が見られます。
稽古斎と言えば安政年間の贋作者、文林堂中川稽古斎しかありません。これが噂の稀世泉譜なのか・・・。(中書きには和漢稀世泉譜、見開きに稽古斎泉寿輯、表紙には和漢稀世古銭図録とあります。)→ 贋作者列伝
さぞかし贋物がたくさん載っているのだろう・・・と勘繰ってしまいますが、泉譜までに創造銭を載せるほど馬鹿ではないだろう・・・と考え直しました。稽古斎はこの本の原品だと偽って収集家に贋作を売り込んだと云います。出来は良くなかったようですが、時代もあり今では誰の作かの見分けは難しいと思われます。
真贋の見極めでは騙される方が悪いという風潮が収集界にはあります。騙されるのは目が利かないからだと。でも、やはりだます方が悪いに決まっています。収集家が自分の品を売り出すとき、真贋については自らはあまり言わないことが多いのだそうです。(古銭専門店でも良くあります。)真贋は相手が決めることだと。俺は嘘はついていないぞとはいうもののこの世界の人の良心を問いたいときもあります。


※アクセスカウンターのスピードが月5000回ほどに落ち着きました。これは正常値だと思います。来訪回数はもっと多いのですけど、表玄関から入ってこない人もたくさんいるからで、2週間でカウンター増加1万回なんていうのは異常で、1日だけで1万アクセスもあった6月12日は明らかにサーバーダウンを狙った攻撃でしょうね。それとも誰か熱烈なファンがカウンター増加を狙ったか。何が楽しいんだか私には判りません。という私も何やってんだか・・・と言う毎日です。
※サーチ会社もずいぶんあるもので、中国版GoogleのバイドゥやSo360、Sogouなんてところからも飛び込んできます。古銭関係リンク、ウィキペディアも多いですね。検索でヒットするのはありがたいことです。予想もしないサイトから飛んできます。
 
9月14日 【 第24回 江戸コインオークション】
本日、カタログが到着しました。毎年何らかの形で参加していますので、今年もなんとか参加したいと考えています。なにせ今年も古銭のことで上京はほとんどしていません。昨年に引き続き交通会館にも行っていません。私としては異常事態が続いているのです。

平成25年10月6日(日) 東京駅丸ビル7F 丸ビルホールにて
お問い合わせ 
03-3574-0010 ウインダム株式会社
〒105-0004 港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号地下1階109号
※過去に連続参加して落札されている方には見本誌送付されることもありますのでまずはお問い合わせください。
 
9月13日 【悪貨は良貨を駆逐する?!】
有名なグレッシャムの法則です。この法則、日本の歴史においても結構あてはまり、幕末において海外に金はおろか銭まで流出し、流通貨幣が減少する中インフレも亢進するという恐ろしい現象が生じました。
日本の良貨は海外の悪貨に駆逐されて幕府そのものが壊滅しました。
また、現代に文銭が大量に残っているのは、改鋳によって悪貨が氾濫したときに退蔵されてしまったからに過ぎません。良貨によって悪貨を駆逐しようとしたのは新井白石。このときはこれでもかというぐらいに良質の金銀貨幣を大量投入。物量作戦と締め付け政策で悪貨駆逐を行いました。まあ、悪貨にも限度があったわけで、宝永銀のあまりの劣悪さもあったのでこの作戦は一応成功しました。しかし、経済政策としては無理があったようで、結局、元文の改鋳によってこれらの良貨も駆逐(退蔵)されてしまいます。悪貨に限度があることはある程度理解ができます。万延小判など極端に変化した場合はやはり市場に受け入れられていません。安政年間の通称バカ二朱は、海外通貨両替用に造った貿易決済通貨なのですが、外国にしてみれば三分で両替されていたメキシコドルの交換レートがいきなり6分の1計算になってしまったので当然ながら受け入れがたい。貨幣としては大量に銀が増えて良貨なのでおそらく国内で流通させたら退蔵される運命にあったと思います。誰が考えたのか知りませんが理屈はあっていても現実は無理。一分銀が貨幣の形をとりながら名目通貨・・・紙幣と同じ幕府の信用貨幣であることを諸外国にうまく伝えられなかったのが敗因です。
現代ではずいぶん贋作が精巧になってきています。中国貨幣などどれが本物でどれが贋物課など全く分からない。悪貨が良貨を駆逐しています。また、日本の記念貨幣もいつ作られたんだかわからないぐらい氾濫しています。こいつらは逆に退蔵・・・駆逐されてしまうんでしょうね。コレクションとしては価値が高くなると思いますけど。


北秋田寛永通宝研究会の菅原直登氏から寛永通宝研究資料の第3回配布が届きました。今回の頒布は7枚ですけど、手作りの銭譜がおまけについてきました。氏いわくコレクションのすべてを拓本にする・・・と言う遠大な過程で中断してしまったとのことで、サイズ表記や解説はありませんが、冒頭が島屋文のしかも細縁であり、いやはや島屋文だけで全部で6枚・・・あるところにはあるのですね。
ところでこの寛永通宝研究資料、まだ若干余裕があるようです。(1ページあたり50円の有償配布です。)

バックナンバーを含めてご希望の方は・・・
ハガキに住所・氏名・電話番号と「寛永通宝資料配布希望」と書いてお申し込みください。
〒018-3322
秋田県北秋田市住吉町3-17 北秋田寛永通宝研究会 代表 菅原直登 ☎0186-62-1586
 
9月12日 【七度鍍金:しちどめっき】
絵銭の相場に七度鍍金の用語があり「ナナドメッキ」のルビがふってあります。その説明では「古銭家・故丸山源次郎氏の遺稿によると、江戸末期の銀鍍銀法で亜鉛と水銀を房州砂に混ぜ火に掛け融かし、練り合わせ、銅や真鍮の金属に塗り火に掛けてて鍍金する。これを七度繰り返して焼き付けするところから七度鍍金と言われた。」
とあります。インターネットで調べると「七度焼き:しちどやき」という言葉があり、どうやらこちらが元らしい。
意味は何度も繰り返し鍍金することから、上質のメッキの意味。
また、亜鉛と水銀を練り合わせて塗り過熱すると、原理的には初めは亜鉛色の銀メッキ(トタン)になりますが、何度も過熱することで銅の表面が真鍮化して金色になるはずです。従ってこれは銀鍍金ではなく金鍍金でもあります。どうでも良いことですけど気になりましたので。でも絵銭で七度鍍金するようなものってありましたっけ。ちなみに亜鉛ではなく、銀や錫を使えば銀色の鍍金になると思うのです。この場合、水銀は融点降下現象を起こして半固形のアマルガムを形成する触媒としての役割を担います。亜鉛や錫はもともと融点が低いのでどぶ付け鍍金(溶融メッキ)を行うことが現代では多いのではないかしら。


ところで最近、私の周囲の方々が引退をほのめかします。気が付けば職場でも最高齢に近づいています。目だけは良かったのですけど、最近は全くダメでメガネなしでは過ごせなくなってきました。寛永銭をみても微細な変化がつかみとれない。収集も最近はHP更新のためにしているようなもので、楽しみが何なのかわからなくなってきました知識のメッキもだいぶ厚くなってきました。後は剥がれないようにしなくては・・・所詮鍍金なんですけど。
 
9月9日 【打印銭寛永あれこれ+1】

絵銭の中に赤銅と呼ばれるような柔らかな純銅に刻印された一類があります。日本の絵銭における赤坂氏の記述によると、刀剣の金具装飾に同様の技術が見られるそうです。覆輪の技術が刀剣の鍔の装飾などから生まれ出ているように、貨幣と刀剣装飾は密接な関係があるように思えます。
もともと打印銭は面子銭から生まれたとも言われていますが、打印銭寛永に限って言えば面子銭にしては小さく薄く軽すぎて、とても遊びの使用に耐えられるようには思えません。
禁制の贋金づくりを冒すにしては少額すぎて割が合わず、職工の手慰みにしては、量産できるようにわざわざ刻印を作っているのが不思議。
実物は貨幣と言うより何かの飾りといった雰囲気で、寛永通寶がたくさん存在した時代に、手をかけてこんなものをあえて作る理由は今一つ不明です。
そのためか島銭として取り扱われたりもしていました。
つまらないもの、とるに足らないものですけど存在は絶希少。打印銭そのものが雅味溢れる存在なので、素朴な品ばかりです。

※上段左は銀製の寛永ですが、打製ではありません。

これらの拓本は、昭和泉譜・貨幣・銭幣館蔵泉覚等の文献から借用、編集しています。
HPの分析機能をつけて2ヶ月近く経過しました。
製作日記のページだけを見ている方がかなり多く、表紙から入ってくる方を完全に引き離しています。
驚いたことに読者の4%が海外からのアクセス。穴銭の国の中国が多いのはなんとなくわかるもののアメリカや南米からもアクセスがあります。それにともなって海外からもメールがちらほら届くようになりました。
先日はニューヨーク在住のおそらく日系3、4世あたりの女性と思しき英文メールが来ています。
ただし、表題が日本語表示ですし、送られてきたのが日本の通信会社経由なのでこれは「なりすまし」かな・・・とも考えました。一方、なりすましにしては無防備な通信履歴の痕跡がたくさん残っていまして、それによると元になったメールは8月17日に発信されたもので、同じ一族の方複数の人を経由しています。経由の方々のアドレスも残っていますし、ここまで偽装したとすれば天晴です。

内容から見て、日本のおじいちゃんが海外に住む孫娘との古銭のやりとりのメール・・・海外に住む孫娘たちがおじいちゃんに古銭を調べてくれと頼んだこと?・・・に対するメールが回りまわって届いたものらしいと判断し、無視せずに返事を出しています。
それに対するアンサーメールもすぐに英文で返ってきていますが、おじいちゃんが孫か娘になりかわって、一生懸命英文で答えてくれたようです。本当は黙っていようかと思いましたが、微笑ましいなりすましなのであえて書きました。勝手な思い違いかもしれませんけど。
 
9月8日 【銀打印銭寛永】
寛永銭にも打印銭と呼ばれる薄っぺらな打製の絵銭が存在しています。
多くが純銅製と思しき品で、それはそれで非常に味のあるもの。到底、流通を狙ったものとは思われず、古寛永の部に組み込まれたり、島銭にされたりしていますが果たしてどうなのか?

そんな中にも銀で作った打印銭がわずかに存在しています。左上は私の唯一の所有品。この画像は「なんでも鑑定団」がわが市にくるにあたり、出品を考えて撮影したものの一枚。(掛け軸でで勝負出来なかった場合の保険です。結局応募しませんでした。)
上段の2つの拓本は穴銭入門の第2版に掲載された銀の打印銭の古拓本。上段中央のものは郭の幅こそ異なりますがおそらく私の所有品と同じ系統で、昭和8年に関谷一船氏の発表したものです。

下の2枚は旧貨幣誌に掲載された古拓本で左が昭和7年に大島延泉氏が右は昭和12年に田邊政寶堂氏が出品しています。(牟田弥平氏が昭和16年に再出品。)
これらは銭幣館蔵泉覚の古拓や、昭和泉譜にも見られますが、今のところ私が確認できたのはこの4種です。
(最近、駿河で出品されたように記憶していますが未整理でまだ資料が見つかっていません。いつでしたか・・・どなたか教えて下さい。)

銀と言う貴金属でできているものですから当然ながら通用銭ではないはず。
それでは何のためか?
元貨幣協会会長の利光教授がその著書「古貨幣夜話」で言っていた、個人の記念銭的なものとしか考えられませんね。あるいは正月の熊手飾りとも考えられなくはないものの、そんな消耗品を高額な銀で作る理由がないですよね。
貴金属で作られている以上、これは記念メダル的なものですし、宝物には違いありません。
実物は薄っぺらですけど味は結構あります。ただし、これにいくらの価格を付けられるかは、その方の病気次第。この手の寛永通寶は非常に珍銭ですけど、本道から外れますので本来はあまり熱狂すべきものではないと思います。
買えば少なくとも15万円以上はしますけど・・・もったいない?一方で何より見ることもめったにない珍品中の珍品ですから、躊躇したら二度と会えません。そこが葛藤なんですよね・・・。

(この記事を書くに当たり、各種拓本を引用しています。お許しください。)
 
穴銭入門 寛永通宝 新寛永の部(第2版) より借拓 
復刻版 貨幣 第五巻 古寛永之部 より借拓 
 
9月7日 【埋もれた有力説】
古寛永に通称、井之宮銭というものがあります。縮寛という書体を代表とするもので、類品に長永、長通があり、なぜかこれを写した安南銭「鋳写寛永手」も存在します。実際にこれらが「井之宮」という地で鋳造されたという確証はなく、後の発掘調査では縮寛は岡山の銭座遺跡で出土しており、井之宮銭=縮寛というのも誠に怪しいことも判っています。
もともと駿河の鋳銭については近藤正斎がその著書「銭録」において「寛永16年 
井之竈村」と記してあるのを、当時の大家の静岡県在住の野崎静修軒(野崎彦左衛門)氏が「井之宮」の誤記であろうとしたことが定着したものようです。どの種類の銭が鋳造されたのかは判っていませんが、少なくとも「井之竈村」で鋳銭があったことは間違いがなさそうです。
これに対して大正13年に安藤遊仙氏が、
「井之竈は漢字の誤記による井之宮の地ではなく、音に従った伊河麻の地ではないか?」と貨幣誌に発表しています。地名調べはGoogleという便利なアイテムがあるのですぐに判りました。
鋳銭地とされた井之宮の正式名称は、
安西井之宮で、沓谷の少し西に在ります。一方、伊河麻は静岡駅の南方近くであり、こちらも沓谷とも比較的近い地域です。伊河麻の地にある伊河麻神社は「延喜式」にも記載されている由緒ある地でした。私は伊河麻神社が産火(かぐつち)を祀っていることに注目。伊河麻は鋳竈もしくは鋳鎌、鋳釜など鋳物業に関係があったのではないかと考えました。(いかめしいから転じたという説があります。いかめしいって何が?)江戸時代には井鎌の文字があてられていたようで、さらに古い文献には伊賀麻の字が見えます。
安藤氏の説は結果的に取り上げられていないものの、もう少し掘り下げて調べられても良い気がします。

ところで伊河麻神社の御祭神は「品蛇別命:ほむだわけのみこと」だそうで、これは4世紀に実在したのではと言われている第15代応神天皇の別名です。この御祭神の名を見たとき、私は生家近くにある姉﨑神社の御祭神の名前を思い出しました。その名は「志那闘辨命:しなとべのみこと」であり、風の神とされています。私は「品蛇別命」の文字を見て「ほむだわけのみこと」とは読めずに「しなだべのみこと」かな?と思ってしまいました。
日本語は漢字を日本語の音に合わせて強制的に当てはめたものであり、昔の表記は安定していなかったので案外由来は同じなのかもしれません。
また、私の居住地の近くに「誉田:ほんだ」という地名があります。これもおそらく「品蛇別命:ほむだわけのみこと」に由来すると睨み調べたところ見事にビンゴ!もともとは野田村という古名があったのを地元の八幡神社の祭神「誉田別命:ほんだわけのみこと」にちなんで大正3年に改名されたそうです。なお、「志那闘辨命」は「支那斗辨命」と書かれるのが一般的です。日本武尊伝説と結びつくうちに文字が力強く変化して地元に伝えられたのではと思っていますが定かではありません。だいぶ脱線しました。
 
9月5日 【初耳!大きな会津短貝寶】
長径49.55㎜ 短径32.9㎜ 銭文径40.6㎜ 重量22.8g
関西のSさんからの投稿です。(ありがとうございます。)はじめは普通の大ぶり銭かと思って、さして気に留めなかったのですが、銭文径の40.6㎜が尋常じゃない。問い合わせましたが再計測しても間違いないそうです。立派な濶縁の手ですけどたしかに49.55㎜の長径もかなり大きい。
デジタルノギスの誤作動でなければこれはすごいサイズです。と、いうのは会津短貝寶は比較的規格がそろっていて、その標準銭文径は40.2~3㎜前後であると考えられるからです。これは私の手持ち品計測の結果ですので、銭文径が40.6㎜を超える会津短貝寶があるのかもしれません。初見としたいところですが、実物を直接見たわけではないので、初耳としました。この0.3~4㎜の差と言うのが実に中途半端と言うか、困った数字変化。見たところ火中品ではなさそうですし、仕上げ砥ぎが過度に強いせいでもないみたいです。どなたかこれと同じサイズの会津短貝寶をお持ちの方、ご連絡ください。

※ちなみに私の所有する大ぶりの会津短貝寶のサイズは・・・
長径49.25㎜ 短径32.9㎜ 銭文径40.2㎜ 重量22.4gでした。
 
9月4日 【御蔵銭の難獲品】
ヤフーオークションに御蔵銭最大の有名品にして難獲品の長永が出品されていましたがやはり入手ならずです。(拓本は寛永通寶”古寛永”の大分類の手引きから借拓。)名前は長永ですけど永柱が特別長いわけでもなく、特徴としてはわかりづらい。実際に長尾寛に書風は近似していて、同類としても良い気もします。そのため、私はこの珍品に大枚をはたく根性がなく、永遠の未収品になっている状態です。これは一時の天狗寛永と同じ状況でして、天狗寛永の場合はHさんの好意に応える形・・・Hさんから勧められなければ購入していなかった・・・わけで、古銭よりHさんの人柄に背中を押された形での入手でした。
長永の特徴は
①永柱が湾曲し、退き気味。跳ねは長い。
②永頭は長く、永フ画は比較的大きく、永柱から離れます。
③通辵はほとんど伏さず、通字全体は丸まらず直立気味。
④永点、寶貝爪下部、寶足先端の輪に瑕がある。((瑕が目立たないものもある。)

見どころは④のポイント。すべての条件がそろっているものが欲しいですね。この貴重な長永の母銭をじゃらじゃら持っている強者にお会いしたことがあります。あるところにはあるんですね。

絶対的な特徴があって見栄えがするものではないし、考え方によっては単なる兄弟銭探しだとも言えますので、あまり熱狂すべきではないと自戒していますが実は持っていない人間のやっかみですね。
 
9月3日 【花桐登場!】
8月31日に掲載の不知細郭手異極印・・・よくよく観察すると極印が横打ちされていることに気づきました。そして画像を横転させてみると・・・あれれれ。見たことある極印が見えてきました。
これは私がお花型(花桐極印)と呼んでいるもの。若干雰囲気が違うもののおそらく同じ座だと思います。画像の接写倍率がそろっていませんが、右側の主葉のよじれ方まで同じです。これで花桐極印は3枚目の登場です。案外多いのかもしれません。
 
9月2日 【古銭贋作の都市伝説】
HPには書けないことがたくさんあるのですが、すでに雑誌などで公表されたり、口伝されて有名なことも多々あります。中には眉唾のものもあり、本当のところは判らないと思います。すでに書いたこともあるそんな噂話ですが・・・
寶永通寶の白銅母銭は寛永堂作である。
小菅巨字は鷲田寶泉舎の贋作である。
土佐之券などは佐野英山作の贋作だった。
白目大字は近代贋作である。
不知長郭手長反足寶は昭和の作り物である。
下田極印銭は全くの贋作、作り話である。
背下点盛はすべて贋作である。
石ノ巻反玉寶は浄法寺地方の絵銭である。
まだまだたくさんあると思いますけど、このあたりが有名かしら。根も葉もないものもあれば根拠のあるものもあります。ただし、本物があるから贋物ができるわけで、全くの空想銭ばかりではないと思いますが、加賀千代作の鬼字や背大ずれ天保のように全くの空想作銭であっても一時期本物として扱われるような名品?もあります。上記の銭の共通点はみんな有名であり、個性的なものばかりで目立つことです。

このことについては舎人坊石川氏がキュリオマガジン誌上で示唆しています。鑑定法もありますがいまだによくオークションに出てきます。
貨幣誌に耳口健士筆として最近書かれています。あくまでも噂話の範囲ですが生々しさもあります。
瓜生氏が小川青寶樓氏から聞いた話として天保銭誌上に語っています。当然本物があって贋物は写したものと思われますが、あくまでも噂話。
  なお、佐野英山は贋作を作ったのではなく、贋作と知っていながら扱ったと考える方が妥当かもしれません。
銭幣館などで田中啓文氏が語っていますが、明確な根拠はなく、古銭家の勘としての発言のようです。
瓜生氏が不知天保通寶分類譜に噂として記載していますが根拠はありませんし、すでに大正時代に長反足寶は発見されています。
貨幣誌上に耳口健士筆として語られています。刻印銭は昔から作銭が多いので要注意です。
新渡戸仙学氏に贋作者の汚名を着せるための口実にも使われたと思います。そのため新渡戸氏の見た本物もあると思います。
  現在は贋作が多すぎてはっきり区別がつかない状態です。
石ノ巻反玉寶は真鍮質のできであり、浄法寺の天保銭に似ていることから。出現経緯もわかっていますがちょっときな臭い。

私の中では結論が出ているものもありますが、あくまでも都市伝説。噂話の類で「誰も現場を見たことがない」お話です。本物があるから贋物ができ、コレクターが好むものに贋物が多い。贋作にあわせて伝説が作られる例もあり、文献に書かれているから正しいというわけではありません。悪貨が良貨を駆逐してしまうこともあって、そのために悩まされることも多々あります。本物があっても贋作に埋もれてしまうのです。

趣味は古銭が好きであることが第一で利殖(もうけ)を中心に考えたら趣味の志が下がる。これは自分への戒めです。
 
9月1日 【雑銭の会のHP再び】
雑銭の会のホームページが再び戻ってきました。
(おめでとうございます!)
平成4年(1992年)に練馬雑銭の会として結成されて、サイトを開いたそうですから今からかれこれ20年以上前になります。その頃は私が古銭収集をぼちぼち再開した頃であり、方泉處が北海道にオープンした頃でもあります。それからしばらくして、私はパソコン上で偶然に練馬雑銭の会のサイトを発見。すっかり魅了されてしまいます。とにかく古銭に関する情報が満載。ときには裏情報的なものもあるし入札もある。
私はこのサイトの常連と化し、会員番号も取得・・・結構古い方の会員かもしれません。その頃は密鋳四文銭にはまっていましたのでかなり買いました。密鋳四文銭は人気が無くてタダみたいな値段で拾えた時期もあったのですけど、私が相場を吊り上げた気がします。
姉妹サイトにたしか「日高見文化研究会」のHPがあって、そこに浄法寺関係の天保銭がずらりと並んでいたと思います。

地方に住んでいる私としてはHPによる情報公開は大変ありがたく、その影響で自らもサイトを立ち上げることになります。2004年のことですので雑銭の会の12年後です。以来、この雑銭の会のおかげで雲上人「天保仙人」様にお会いすることができ、私の古銭病は不治の病になりました。
私のサイトも10年近くなりますが、アドレスを公開していることもあり、けっこう攻撃されます。意図的に再読取りを連続して仕掛けられてサーバーダウンを狙われたり、迷惑メールはもう1日で100通を超えています。,練馬雑銭の会も同様でウィルス付のメールがわんさか届いたようですね。
こんなことする人間の気持ちはわからない・・・犯罪です。愉快犯では済まされません。
価値観は人それぞれですから、こういったHPの活動そのものを否定する方もいらっしゃいます。だからといって匿名の攻撃はいけませんね。来るなら正面から来てください。(受けて立つような根性もありませんけど、お答えはします。)
ですから練馬雑銭の会のホームページデータが攻撃によって完全に失われたと聞いたときはとても悲しかったです。

いろいろなことがありましたが、再開した雑銭の会のHPのますますの発展をお祈り申し上げます。
収集誌にもアドレスを公開するそうですから紹介します → 雑銭の会 http://www.zassen.com/

※私のこのサイト、直近の1ヶ月では世界17国、32都市からアクセスがあります。海外比率はまだ4%程度ですが、思ったより高い。日本国内はここ1ヶ月は全県から複数回のアクセスがあります。ありがたいことです。
 
8月31日 【すっきり文久】
入札誌 穴銭の落札品が到着しました。冒頭に「あまり落札できなくて申し訳ございません。」とご挨拶が書かれていました。あまり落札できなくて申し訳ないのはこちらの自己責任でして恐縮してしまいますが、それだけ今回の入札は激戦だったのでしょう。
退点文白銅銭(下値5000円)、狭通背肥元白銅母銭(下値12000円)、加護山正字図会原品(下値8000円)
加護山繊字7狭文様(下値3000円)、文政離用通面刔輪背削波(下値15000円)・・・
などまあ良く応札したものですがほとんど討死。本気で落としに行ったものがひとつ落ちませんでした。それが左の品。文久永寶もたくさんでていて4品ほど応札したのですが全滅。なかでもこの品は輝いていました。
文久永寶深字刔輪という名称ですが、このようにすっきりしているものは初めて見ました。なんじゃこれ!の世界です。
深字狭永勁久短尾久再刔輪という名称が正式名称らしいのですが初めて見る稀品。位3で勁久の中で最も細縁であり、かつ珍品のようです。1万円以上の価格を付ける馬鹿はそうはいないだろう・・・と高をくくっていましたが、馬鹿が私の他にもたくさんいたようでして・・・。文句なしの奇品館行きです。
落札できたのは2品だけでいずれも天保銭。そのうち1品は27gを超える厚肉銭。こいつも意中の品でしたから落とせて本望…ただし出費もそれなりに痛いレベルでした。
不知細郭手覆輪厚肉欠頭通(異極印)
長径49.2㎜ 短径33㎜ 銭文径40.8㎜ 
重量27.0g
不知天保通寶分類譜上巻原品

マ頭通の2画目に加刀されていて欠損してます。不知天保通寶分類譜には上巻の覆輪の部に記載されていて欠マ頭通と名付けられていますが、英泉研究分類譜では覆輪背反郭欠頭通厚肉面背刔輪存痕という長い名前を拝領しています。
刔輪については若干の彫り込んだ痕跡はありますが挿して強くはありませんが、何より重量が27gと重いのと通頭の変形は目立ちます。見た目は全くの本座銭のつくりなんですけどね。画像ではよく分からないと思いますが現品は完全にフ頭通になっています。また、極印はちょっと変わった筋彫り桐型。非常に小さいのも特色です。
不知細郭手浅字(異極印)
長径48.2㎜ 短径32.1㎜ 銭文径40.65㎜ 
重量20.0g
不知天保通寶分類譜上巻原品

こちらは異極印銭として掲載されていますが縮形銭ですね。雰囲気的に覆輪もされているような気がしますが、銭径が小さいので何とも言えません。異極印ということで、不知天保通寶分類譜では細郭手異極印の先頭を飾っていますが確かに変わっているものの不知天保通寶分類譜に示された雪だるま型ではなく、左右とも桜の花のような形にカタカナのイの字を裏書きしたような雰囲気です。
※花桐極印の横打ちでした!
不知長郭手写
長径48.3㎜ 短径31.65㎜ 銭文径41.05㎜ 
重量19.1g

こちらは最近のインターネット入手品。どこから見ても本座。銅質も本座。製作も本座。極印も良くできています。唯一、全体にわずかに小ぶりで銭文径が小さい。
言われなければわからない不知銭です。
市価5000円未満の不知銭があってもいいと思いますね。
 
8月30日 【鍍金・鍍銀】
そもそもメッキという言葉自体が不思議な響きなのですが、驚いたことに純粋な日本語・・・外来語ではないそうです。鍍金という漢字をあてるのですが、材料に応じて鍍銀などの言葉が生まれています。古くは
「滅金」の文字をあてたそうで、これが語源。この技術はもともと金や銀が水銀に溶けやすい性質・・・精錬技術・・・を応用したもので、こうしてできた金アマルガム(柔らかな金と水銀合金)をメッキの対象物の表面に塗り、熱することで水銀成分を蒸散させて鍍金していました。有名なのは奈良の大仏がこの手法で鍍金されていたこと。古い技術なんですね。 私のコレクションの中に時代の古い収集品で「四分一金銭」と名付けられた金色の寛永銭(四ツ宝銭)があります。わざわざ専用の銀の小箱に納められ、名札までついてました。(名札は廃棄してしまいました。)
四分一(しぶいち)という言葉を調べると銀1、銅3の合金のことで、これかな・・・とも思ったのですがどうみても色(銀の四分一は黒い発色)が違います。今回の調査で、金アマルガム法が金1、水銀3の比率が通常だだそうなので、この手法によるメッキのことを言っているのではないかと思います。

溶融メッキといって、溶かした金属にどぶ付けする手法も昔からあるそうですけど、熔解温度の高い金銀のメッキには向いていません。代用銀メッキには錫メッキ(溶融メッキ)があり、銀・錫の合金メッキもアマルガム法で行えるようです。
この他に考えられるメッキ方法としては、金粉や金箔などをニカワやウルシを使い直接貼り付ける方法もあったと思います。これはメッキと言うよりも塗装か蒔絵の技術ですね。(お手軽に考えると金銀色の塗装という手法もあります。)

これ以外は現代の手法によるものですから、それらは古銭とは言えないと思います。
電気メッキは金属の電気的特性を生かして、溶融イオンを電気的に沈着させるもの。
真空蒸着メッキは真空下での金属の過熱蒸散を応用したもの。これは簡単に真空が実現できるようになった超現代の技術です。
化学メッキは、金属塩溶液を還元剤を使用して析出沈着させるもの。銀メッキにはシアンを還元剤として使うようでとても危険。
化学メッキは表面の金属そのものが反応して結びついているので指でこすったぐらいでは簡単に落ちません。したがって化学めっきによる白銅銭偽装はなかなか見抜けません。 今の金メッキの多くは真鍮メッキ(化学メッキ)によるものが多いと思います。
亜鉛粉末を水酸化ナトリウム溶液に入れて強く熱した中に磨いた古銭を入れると初めは白銀色に染まります。(亜鉛の色)
次にこれを水洗いしてからバーナーで加熱すると、亜鉛が飛んで黄金色になります。これは金色のメッキであって厳密に言うと金メッキではないのですけど、一般には金メッキと言われています。

ところで例の水戸深字・・・今はメッキがほぼはがれてしまっているようでして、推定するしかないのですが、多分アマルガム法で銀あたりが薄くメッキされていたんじゃないかなと思っています。

※私は金属の専門家ではないのでこの記事には自信がありません。どなたか修正してください。お待ちしております。
 
8月29日 【つくるところを見たのか?】
当たり前のことですが贋作者はまず、その製作現場を見せません。古来、贋作者と言われる人々の多くは「贋作販売の元締め」的な人物が多く、実際の職人は別にいるケースが多いと思われます。
加賀千代太郎にしても福西常次にしても自分で作った作品より、工房で作成させた品が多いと思うのです。
天保通寶の不知銭真鍮銭広郭手に短尾通というものがあります。勢陽譜には292番で評価3として掲載されていますし、旧貨幣誌でも第173号、第255号に掲載されています。もともと89回例会に岡島文泉堂(岡島福松)氏が出品されたのが契機であり、直後から新作ではないかとの噂があったようで、173号には岡島氏自らがそれについて触れています。
復刻版貨幣の巻末に原山一郎氏とのやり取りの様子が記述されていて、岡島氏は「君つくるところを見たのか?」と繰り返し反論していたとの事です。この広郭手短尾通の画像、制作日記のどこかにあったと思うのですが分からなくなってしまいました。極印は星形だったように記憶しています。もちろん、今では贋作として認定されています。
(昔と思っていましたが本年の6月1日の制作日記に画像がありました。)
ただし、誰も作るところは見ていません。原山氏とのやり取りも見ていません。
このような件は多分にその人の人格が噂の強弱に影響しているような気がします。岡島氏は息子さんが管理していた古銭をちょろまかして売っていたそうで・・・これまた誰も見ていないことなんですけど。
上記記事を探していて、おもしろい資料を発見しました。旧貨幣第218号(昭和12年)に田野誠泉氏が発表しているもので、このときは水戸深字母としての紹介でした。
しかし、記事を読む限り、あの水戸深字の大様そのもののようです。
重量4匁7分5厘(17.8g)、銅色深黄、下方の鋳口を存し、輪側穿内にも仕上げ鑢をかけていない。
全体に薄い鍍金がかかっている。本品は水戸座の深字というものの母銭であるが、大体の形勢から観察すると通用銭用のものではなく、枝銭として作られたものでそれが何かの機会にもげ落ちたものではないかといわれる。いずれにしても存在の少ない珍品たることにおいては変わりはないのであるが、本来の使命はまず、そんなところであろう。

要するに田野氏の解釈は銭座で作られた飾り・・・宮銭(絵銭)のようなものなんじゃないでしょうか?(それとも・・・)
製作の状況は全く符合しています。大川天顕堂がその後に書き残しているものはまさしくこれでしょう。しかし、これもまただれも作るところを見ていません。
 
8月28日 【穴のお話】
問題です。
第1問 
5円玉を熱すると穴の大きさは ①大きくなる ②小さくなる
正解は大きくなります。膨張で面積が広がるから、穴が小さくなるような錯覚を覚えますが、これは相似形の問題で穴を含めて全体が大きくなります。

第2問 5円玉をさらに熱してどろどろに溶かしたとき、穴の大きさは ①大きくなる ②小さくなる
正解は小さくなります。溶けたら金属分子の結合は弱くなり、形状は維持できなくなります。したがって空間を埋めようと金属が移動し穴は小さくなります。

第3問 
5円玉をどろどろにしたときの穴の大きさを規準とすると、その大きさは冷えたらどうなる? ①大きくなる ②小さくなる

これは銭の鋳造における穿の変化の問題です。
膨張の問題を解くときは相似形変化の問題を解けば良いのですが、溶解と凝固となると話は別です。溶けた金属分子の結合は弱くなるので形状は維持できなくなりますが、その溶解した金属が復元しようとするとき、金属は凝固が起こりはじめた部分を中心に凝集します。
例えば丁銀の場合、一番冷えやすい外周部の縁がはじめに凝固します。中心部は肉厚なのでなかなか冷えませんが、冷えはじめると体積が減少するので、外周に引っ張られるように凝集し、結果として丁銀の中央に凹みが生じることになります。極端な例では丁銀の中央にドーナツ状の穴が空くことになります。このように固まりやすい部分に向かって金属が集まってゆくのです。

では5円玉のケースは・・・
一番固まりやすいのはやはり面と側面のある表面積の大きい外周部。そこに向かって凝固が進めば・・・穴は大きくなります。鐚銭の穴が大きくなるのはこれが理由でしょう。これを考えついた時、私は大発見だと思いました。
仮説)母銭から通用銭をつくるときこの現象が起きているとすれば、通用銭の穿は母銭より大きくなる。少なくとも母銭より小さくはならない。
鋳銭は砂笵という型の中での凝固ですから、穴が型より小さくなろうとすることには制約があるはず。
これは真贋判定に使える!凝固収縮の計算をシュミレーションしてみよう・・・こいつは実に化学的だ!と、大はしゃぎしました。
が・・・、実際の母銭の拓本と通用銭を比較すると必ずしもそうなっていません。なぜだ????

考え付いた理由は以下の通りです。
①穴銭は穴がはじめから空いており、そこも表面積が広いので熱放出が早く冷えが早い。
②丁銀に比べると穴銭はごく薄く、体積が小さいので、冷えむらが生じづらい。
③砂笵を乾かすときわずかだが砂笵全体に収縮が生じる。これは相似収縮になるはず。
④凝固の途中で金属の結合が強くなるので、そこからは相似収縮に戻る。したがって外周の冷えに引っ張られてはじめ広がった穴も、固まりはじめると縮み始めるはず。
⑤砂笵は金属に比べれば硬くないので収縮の制約はさほどでもない。
⑥冷えやすさは銭の厚薄の関与の方が大きいのではないか?


正解は・・・冷却時の条件によって異なるので分からない・・・でした。
かくして私の世紀の発見は露と消えました。

※早く冷えやすい部分は・・・
①凸凹して表面積が大きい部分。
②熱のこもりにくい肉薄の部分。
それを考えると銭の場合は凸凹して肉薄の銭文の地が一番冷えやすいですね。逆に外周部は肉厚なのでむしろ冷却は遅れる気がします。なかなかうまくできています。納得。
 
8月27日 【大コレクションの行方】
田中啓文のコレクションは日銀博物館に収蔵されています。金銀銭などの見栄えのするものもあるものの、多くは古貨幣穴銭、藩札、資料です。これらは展示されることは少なく、外部研究者の眼に触れることもほとんどないと思います。
いにしえの収集家は自己の収集品が散逸することを恐れ、まとめて購入してくれる大家に売却したりもしています。一方、お金が目当てでない真のお金持ちは、田中氏のように寄贈をします。東大コレクションの藤井栄三郎氏、文化庁の大川鉄雄氏などが有名です。しかし、こうした寄贈品の多くは展示されることは少なく、退蔵されることが多くなると思います。
極楽殿を建てた 博泉 野村志郎氏の大コレクションの行方は私も追い切れていません。方泉處や麗悳荘 平尾賛平のコレクションも散逸し、その一部は私も所有しています。
散逸というと聞こえは悪いものの、市場を潤したことは事実でして、こうやって古泉界はなんとかまわっているのです。残念なことに市井に古銭商さんがだんだんなくなっていく現状としては、無理解な家族が廃棄したり、リサイクルショップに持ち込まれるケースも多いと思います。売り物が減り買い手も減っている古銭商が廃業して行くのも自然の成り行きながら、何もしないでいるのもさびしいですね。変化を拒否するのではなく私たちも変わってゆかなければならないと思います。大川コレクションは現状どうなっているんでしょうか?これも田中コレクション同様、何とか拝見したいものですね。全てのコレクションが収蔵展示されているわけではないと思います。できれば目録みたいなものはないのでしょうか?ご存知の方、お教えください。

ところで田中啓文の読み方はやはり「たなかけいぶん」で良いのでしょうか?資料で見る限り「けいぶん」なのですが、自然な読みとしては「ひろふみ」じゃないかなあ・・・と思ってしまいます。名前をわざと音読みにするならわしもありますからね。もっとも、啓文の名も改名による通称で本当は田中謙さんだったはずですから。


早坂昇龍氏の北斗英雄伝の第4巻が届きました。早坂昇龍氏は古銭研究家にして雑銭の会の会長です。たまには古銭をお休みして歴史物語など気分転換にいかがですか?面白いですよ。
私は氏の深い知識にあやかりたい・少しでも近づきたいと思い読ませていただいております。

興味のある方はこちら → BOOKWAY  → 公式ホームページ
 
8月26日 【私の夢:日本銀行貨幣博物館の見学】
日本銀行の貨幣博物館と言えば、田中啓文銭幣館のコレクションがその中核をなしています。戦災を避け日銀に提供されたそのコレクションは、質・量とも日本一であり、銭幣館に師事していた郡司勇夫氏が日銀職員であった頃は、日本貨幣協会の方々もときどき閲覧が可能だったそうですが、その郡司氏亡き後はその夢もかなわなくなってしまっています。
→ 泉家・収集家覚書

関係者を知っているので、ダメでもともとの覚悟で見学をお願いしてみましたがどうなりますか・・・。これがきっかけで日銀と貨幣協会にパイプができて、研究が進み、古銭界に活気が生まれれば良いのですけどね・・・。

出張の途中、新幹線の待ち時間を利用して銀座コインに行きました。目的はオークションカタログ申込み。ついでに店頭でバラで5~6枚置いてあった琉球通寶を拝見。色が少し変わっていると思った1枚を手に取ると硬い感じ。非常によくできている贋造写しの琉球でした。画像だけではまずわからないでしょ。思わず店番の店員さんに、「すごく良くできた鋳写し贋作だよ、5000円なら参考に欲しいね」と言ったら、即座にOK。しまった2000円と言うのだった!(笑)

側面の仕上げが左画像のように縦やすりなので見なれた方ならすぐ判りますが、サ極印(傷?)も小さく打たれています。わずかに径がひとまわり小さいものの、見れば見るほど素晴らしい写し。贋作をほめちゃいけませんが、ほんと良くできています。文字の抜けや鋳肌が素晴らしい。側面の仕上げが完璧だったら、そう簡単にはばれないと思います。
これは悪意ある贋作のプロの作品でしょう。
長径48.2㎜ 短径32.75㎜ 重量23.4g

(小さくても少し重いというのが心憎い。)

帰りにはウィンダム㈱こと田宮商会に立ち寄りました。収集品を買ったらしく天保銭の中級品がたくさんありました。左下の天保銭は土佐額輪風ですけどこれは会津濶縁。極印も会津で間違いなし。(最近分かるようになりました。)銭文径は普通品(40.5㎜)でしたけど、また拾ってしまいました。濶縁の所有数は接郭より多いと思います。私も好きですねぇ。
日暮里の隆平堂さんも閉店していたそうです。そういえば以前探して見つからなかったわけです。古銭店はいよいよ絶滅危惧種・・・レッドデータブック入りですね。困りました。田宮商会は手に取って見られるから穴銭は良いんですよ・・・とおっしゃっていました。確かに手に取らなければ分からないですよね。手にとっても間違えてしまうこともありますしね。 
 
8月22日 【正統派収集品】
これは幣泉の落札品です。やはり白銅銭は良いですね。癒されます。
新しいスキャナーの性能もどうも今一つで、このような白銅銭の美しさを表現しきれません。異書長通低寛で寛永通寶の白銅銭の中ではかなりポピュラーな品。寛永通寶を集めはじめて、しばらくしたらこれぐらいを背伸びして狙ってくださいね。少ないですよ。私の趣味に毒されて、あまりに変わったものを追い求めるとまず趣味として長続きはしません。白銅銭は変わり者ながら、古来から有名なもの。中心路線からは外れていません。
収集のコツは、基本的なもので美しいものを集めます。
次は展示方法を工夫しましょう。集めたものが美しく見えていないと収集意欲がわきません。
今の私はスキャナーで収録することが展示になってしまっていますが、本来はアルバムにきっちり分類整理することが楽しみでした。近頃、ミント品の収集熱が高まっていますがあれもある意味美しさの追求ですね。収集としてありです。
新寛永は母銭や特殊なものさえ追いかけなければかなり経済的に楽しめます。最近は人気が少し陰ってきていますのでねらい目かもしれません。さて、この異書長通系の白銅銭ですが、基本的にある特色があります。それは鉄分がかなり入っていること。したがって磁石に飛びつくように吸い付きます。寛永銭が白くなる理由としては他に錫分過多になっていることがあり、白銅色でも文銭のように磁石に反応しないものがあります。異書の白銅銭でも短通の類はほとんど反応しないかもしれません。それはおそらく母銭のなりそこないか母銭そのものの可能性が高いと思います。
異書の白銅銭はアルバムの中で燦然と輝きます。そこだけ違う世界があるみたいで美しいので1枚探してみて下さい。

古銭初心のうちは泉譜合いといってカタログの端からあわせてゆくことが一番かんたん。いわゆるコレクションの穴埋めですね。現行銭なら年号をそろえて埋めてゆく作業。数がそろってゆくのは面白いし美しい。昔は年号別の現行銭収集アルバムがありましたっけ。たしか実家に2冊完全そろい(昭和50年代末までくらい)が残っていたはず。
可能なら収集の中でテーマを持つこと。片っ端から集めてある程度集まった段階で何かを集中して調べて集めると面白い。私の場合、先ほどの白銅銭の他に、古寛永、新寛永手替わり、密鋳四文銭、安南銭、絵銭、刻印銭、錯笵銭、文献とかなり変遷しました。人はこれを研究と言うかもしれません。
テーマ収集や研究をやると同じものがたくさん集まってきますので、ダブったら売っちゃいましょう。(でもコレクターはこれがなかなか苦手)

とにかく趣味は無理なく楽しむのが一番です。私も天保銭にお金を使いすぎてますのでちょっと反省しています。(懲りてませんけど。)寛永銭も良いですね。
 
8月21日 【銭文径の不思議2】
瓜生譜の銭文径等の数値に誤りが多いと書きましたが、拓本をスキャンして拓本どうしを比較した結果、母銭図録で大字とされている俯頭通(俯マ頭)と平マ頭母銭、平マ頭通用銭の銭文径サイズがほぼ同じだということが判明しました。
すなわち、これで私の所蔵品が母銭図録と同じ大きさの銭文径であり、大字とされる母銭などとも同じサイズであろうことが判りました。
印刷物との比較であるため絶対とは言えませんが、異貝寶異當百の表示サイズ間違いの実例もあり、可能性は高いと考えます。
天保仙人様に出会う前、一時期なかなか集まらない天保銭に見切りをつけて売却しようかと思ったこともありましたが、あれからずいぶんのめり込みました。比較するものがなかったとはいえ持っていて気づかないなんておろかですね。
しかし、拓本画像との比較は、正確とは言い切れないものの使えます。夏の古銭会展示室は私個人の研究進展(気づき)もあり、大変勉強になりました。

→  夏の古銭会 展示室

 
8月18日 【夏の古銭会総括】
百聞は一見にしかず・・・という言葉がありますが、古銭の世界もまさにこれ・・・数を見てきたものにはかないません。実物を見るのが一番の早道・・・ということもまた事実。文献では判らないことがたくさんあります。
一方で、肉眼では気づくことができなかった微細な違いを今回は画像撮影でたくさん見つけることができました。正直言ってこれだけ収穫があるとは夢にも思いませんでした。これもまた、実物を生で見ることができたからの成果です。
雰囲気的に同一ではないと思われたものが同炉であったり、銭文径の大小を発見したり・・・これらは接写計測と言う新しい武器によってはじめて可能になっています。今回はスキャナーを新しく購入し、パソコンとともに持参までしたのですから、この結果は素直にうれしいです。
古銭の世界は閉鎖的であると言われ久しいのですが、贋作排除問題を含めて少しずつ変わってゆくかもしれません。
 
8月17日 【銭文径の不思議】
仙人様宅で収集した様々な画像を整理し、自分の所有物と画像比較していると色々な発見があります。このような貴重な品は比較できるということがめったにありません。最近、瓜生譜の掲載計測値に誤りがとても多いことに気づいてしまったので、実物(画像)で比較する以外科学的な検証は出来ないと思うようになりました。そんな中で以下の新しい事実をまた発見してしまいました。

宏足寶・俯頭通・長反足寶を比較したところ、仙人の所有の品より私の所有の品の方がいずれも銭文径が一回り大きかったのです。

普通、銭文径が大きいと「ごく初鋳の銭」とか「母銭の可能性」とか言って大騒ぎします。ただし、不知天保銭に限って言えば、銭文径が小さく変化したものの方がより珍重されるケースが多いので、手放しで喜ぶわけにはいきません。天下の天保仙人がなぜ小さい銭文径のものを大事にしているのかを考えれば、答えがあるのかもしれません。それでも銭文径が大きいというのにはいくばくかの期待・・・わくわく感が持てます。
私は「銭文径重視主義」であり、
「母銭は必ず通用銭より大きい。」はずで「銭文径の大きなものと小さなものがあるということは、大きなものを母銭に改造したものが必ずある。」はずですし、2種として分類できることになります。
これらの3品の私蔵品の銭文径が仙人のものより大きかった正確な理由はまだわかりませんが私的には大発見・大ニュースなのです。

上記の3品には銭文径の異なる次鋳タイプがそろってあるのか、それとも私の所蔵品が実は母銭規格なのか?

銭文径の差はいずれも1回写し程度の差。この事実を天保仙人様ならどう説明されるのだろう・・・と興味津々です。

さらに4匹目のどじょうを狙って「斜珎」を撮影比較しましたが、こいつは空振りでした。
詳細は以下のページをご確認ください。

→  夏の古銭会 展示室

 
8月14日 【さらに発見!】
仙人宅で撮影した画像を編集していて、私所有の不知天保の俯頭通と仙人所有の俯頭通の銭文径が異なることに偶然気が付きました。すなわち、私個人所有の方が大きいのです。おそらく仙人の所有の方は2枚とも小様だったようです。また、この件で不知天保通寶分類譜の拓本サイズをざっと調べたところ、実物より大きく表示されている可能性が大きいことを感じました。俯頭通は初鋳と次鋳があるのか、それとも私の所有物が次鋳の母なのか?
俯頭通には美銭が多いので後者の可能性は低いものの、可能性は0ではありません。郭内の仕上げがちょっと気になるのです。


さらに宏足寶も画像計測しましたがこれも銭文径が違う。ただし、宏足寶にはいろいろなタイプがあるようですのでこれは異なって当たり前かな?
大和文庫に出ていた文久の赤鐚をようやく入手しました。この手のものは1枚は入手したかったので、絶対負けない価格を入れさせて頂きました。本日はそれ以外に仙台異書の純白銅銭を手に入れています。
使えるお金がどんどん昔のお金に両替されています。
それでも「紅白同時入手」とはお目出度くないですか?
お目出度い?・・・私そのものが?・・・そうですね。

※天保仙人宅でメモしていたノートが行方不明。大したことは書いていないのですが重量銭の計測値が分からなくなってしまいました。いたたた・・・。
 
8月12日 【大化けしました!】
私が変造品と判断していたあの深字の大型銭・・・仙人は一目見るなり首をひねり、材質を見たり、音を聞いたり・・・「う~ん」
結論は出なかったもののとりあえず審議参考品に格上げすることができて、ひとまず満足していましたが・・・
そして昨日、天保仙人から連絡がありました。仙人は資料を探してくださっていたのです。
大川天顕堂氏がかつて深字には鍍金された大型の深字母銭の存在を確認報告しており、大川譜にも拓本が残されているそうです。鍍金のため文字に太細があるそうで、深字の大型銭はその母銭から生まれた試作銭だろうということです。深字の類ではもちろん現存1品・・・大変な品になってしまいました。

※私の判断力はまだまだでした。世の中にはまだ知らないことがたくさんあるのですね。

驚いたことにもうひとつお化けがいました。
Ⅰさんが持参してきた不知細郭手狭長足寶・・・銭径が50.40㎜で銭文径が41.33㎜ありましたが・・・やはり通用銭に混ぜて処分した廃棄母銭という結論に達したようです。確かに焼け伸びでも延展でもなくあの大きさは異常でしたので・・・。Ⅰさん、おめでとうございます。
 
8月10日 【天保仙人宅訪問記】
朝10時、いざ仙人宅へ。スキャナー、パソコンなど重装備ですので車で行くしかありません。高速の下りは大渋滞ですが、上りはスイスイ。最悪3時間以上かかると覚悟していましたが、予定時間よりかなり早く到着。余った時間で床屋に行く余裕でした。
仙人宅には中学生のS君、Ⅰ氏、S氏と情報誌関係のA氏がすでに到着しておりました。

今夜は記事を仕上げる時間がありませんのでとりあえず仙人宅で頂戴した珍品の画像の一部を披露します。

帰宅しようとしたら、東京湾大花火大会だと?レインボーブリッジ閉鎖だと?湾岸エリアは大渋滞だと?
冗談じゃないぞ!しかもすでに首都高羽田線に乗ってしまったのに・・・レインボーブリッジを渡れないと平和島まで行ってしまいます。今更降りて渋滞の中を今来た道戻れだと?高速を乗りなおすのか?上りは大渋滞だぞ!
戻れば地獄・・・ならば行くしかありません。やむなく横浜経由アクアラインで帰宅。大迂回です。これならS君やⅠさんを送れたなあ・・・疲れました。金返せ道路公団・東京都!

あの深字大様がそんなに悪くないかもしれないとの仙人評価。やすり目があり重さもあるのであながちローラー延展ではないかもとのこと。大化けする可能性がありそう。

帰宅すると会津濶縁離足寶が届いていました。ほぼ未使用で極印もはっきり。この極印、会津短貝寶によくみられる五芒星型でした。これで個人的にも濶縁が会津藩だと納得できました。


→  夏の古銭会 展示室

 
不知長郭手縮字宏足寶
不知細郭手短尾通細字
 
8月9日 【会津濶縁離足寶ふたたび】
同じ品をたくさん集めるのは私の収集主義にはあっていないのですが、なぜか会津濶縁だけは拾ってしまいます。掲示の品は先日インターネット市場に出ていたもので、未使用級の会津濶縁、しかも離足寶です。
濶縁離足寶は通常の濶縁との見分けが微妙なものが多いのですが、画像の品は明確な離足寶になっています。面輪の左内側に瑕のあるものが多いのですが、この品には見られません。背の花押は後端が丸く、當冠の縦画がやや前のめりになっていることが目につきます。そうです、濶縁離足寶は當冠がやや短貝寶に似ているのですね。
濶縁離足寶は会津短貝寶から生まれたものという見方もかつてはあったようですが、短貝寶の背上部の刔輪やほぼ同じ銭文径から見てそれはありえません。ただし、同じ系統の母銭から派生したことは間違いなさそう。むしろ濶縁離足寶の母銭を改造したものから短貝寶が生まれた・・・と、考えたほうが自然なのかもしれません。
それにしてもこれで濶縁離足寶系は6枚になってしまいました。この品もなかなかの濶縁ぷりが美しい。

明日は仙人宅への訪問日です。撮影機材一式を持ってお伺いします。

 
8月5日 【大胆な仮説? 島屋文・島屋無背正徳期同時出現説】
最近ネタがないのであれこれ妄想していたら、素晴らしい仮説が思い浮かびました。(大妄想?)
仙台石ノ巻銭の背仙は銭の出荷時に無背銭の緡の両端に背仙を結びつけた形で出荷されたことは良く知られています。したがって背仙の存在は無背に対しかなり希少なのです。同じような風習は他の銭座でもきっと行っているはずで、例えば一ノ瀬銭の背一も無背との存在比率から見て、そんな感じではなかったかと予想できます。
では島屋文はどうなんだろうか・・・と、改めて考えたわけです。
今まで島屋文は寛文期の初出、島屋無背は延寶期(実は正徳期説が有力)になってからの鋳造とされていました。島屋文はその大きさや風貌、希少性から文銭の冒頭を飾るのにふさわしい存在ですから、自然にそうされたのでしょう。一方で、島屋無背は新井白石が主導した正徳の治の復古ブームに乗って造られたものと考えられていました。しかし、ひらめきました。もしかすると2つの銭は同じ時期に作られていたのではないか・・・ひょっとして島屋無背の緡の両端に島屋文が結び付けてあったのではないかしら・・・と、思いついたわけなのです。
仮にそうだとしたら島屋無背の緡を丁百の100枚、その両端が島屋文2枚だったと仮定しても、島屋無背を雑銭から50枚掘り出せれば1枚の島屋文を見つけられる勘定になります。存在絶希少の島屋文の存在数から見ると、この比率では島屋無背に比べて島屋文が多すぎる気がしますが、島屋無背を生涯で50枚以上掘り出した方はそうはいらっしゃらないと思うのです。(ちなみにこんな私はまだ島屋無背でさえ拾い出したことがありません。)したがって、そんなに的外れな仮説ではないと思います。
現段階では仮説・・・と言うより妄想に近いものですが、貴方はこの説を信じられますか?

※100枚の両端に背文銭を置くというのはあくまでも仮定の話で、鋳銭図を見ると銭納めの絵図ではかなり長い緡にされていることが判ります。おそらく1000枚緡だと思います。この場合、背文銭は荷札としての役割だと思って良いでしょう。荷札ですから端に1枚あれば識別できると考えれば1000枚で1枚でも事足りるはず。100枚ごとに両端で区切ったと考えても1000枚で11枚、96勘定だとしても9589枚に11枚の計算になります。

※有背銭はある意味で高品質ブランドを示す荷札。当時の銭は銭緡のまま流通したといいます。さらに、当時は金銀銭米の相場が独立して変動していましたし、品質の良い文銭類の銭緡とそれ以外の一文銭の銭緡では交換相場が異なったとも聞きます。銭座は独立採算性ですので、金銀米との交換レートの有利な状況で銭を売り出したいと考えるはずです。こうして考えると背一、背仙などは比較的製作、品質が良い気がしますので、この仮説を補完しているような・・・気がします。そういえば実は何かの本で背十もこの荷札の類だと読んだ気がします。眉唾かなあ。
 
8月4日 【張点保の画像比較】
異貝寶異當百を無謀にも落手(反省)して改めて本家張点保の拡大画像を撮ってみました。本日の3代目のスキャナーは機嫌が悪く、なんとなくピンボケで真っ黒にメリハリなく写ってしまいます。地金が黒く変色しているので、ある意味正しいのですが、欠点も強調されてしまっていますので少々不満です。この点は異貝寶異當百の大小の画像を比較して頂ければよく分かります。デジカメ写真の方がなぜか美しいですよね。
一方、スキャナーはフラットな面で画像をとらえるので、画面の歪みが少なく微細な点もわかる長所もあります。何より並べて拡大比較するときの歪みがないのがGood.
しかし、こうしてみると異貝寶異當百と張点保とは製作的に全く別物。張点保の文字も銭径も巨大です。どうしたら覆輪刔輪でこのようなものができるのか不思議です。

ところで現在のスキャナーはプリンター一体型なので仙人宅に御邪魔するためには大きすぎます。そこで独立型のスキャナーを購入して備えることにしました。(以前には同社の旧機種を保有していましたので、買戻しですね。)ところがスキャナー専用機は大手家電量販店ではおいていないのですよね。やむなくネットで探して購入。そして画像を比較してびっくり!シャープさが全く違う。やはり専用機は複合機に勝ります。今までの苦労が嘘みたい・・・というか今までの苦労は機械のためでした。買って大正解。古銭撮影にはだんぜんお勧めです。


ところが・・・
異貝寶異當百を写すとどうも色合いがいまいち地味ですね。こちらは古銭の色合いは左側の方が少し近い感じ。右側はくすんでしまっていますがもう少し光沢と黄色みがあります。背景の布はかなり濃い緑色なのです。
一長一短があるようです。

Canon PIXUS MP493 Canoscan Lide210
 
7月31日 【月刊天保銭21号】
Yさんからメール連絡。(ありがとうございます。)
月刊天保銭21号にほぼ同じ種類と思われるものが掲載されているとの事。時代的にはかなり古い投稿であり、おそらくこれが色々な泉譜を飾った原品のような気がします。というのも天字末尾の少し先に小さな鋳だまりがあること、面輪右内側にわずかな凹みがあることなどが共通しているからです。ちなみにこの時の所有者は故、本庄時太郎氏。と、いうことは収集誌にも掲載された可能性がありますね。母銭様としているのは母銭ではない可能性があるということでしょうか?


※この拓図は天保銭事典のものと全く同じことが判明しました。

現物が届き計測してみました。
もともとこの不知銭の計測値は参考本によってばらばらでした。以下に示します。
(1976年)天保銭事典
長径48.8㎜ 短径32.3㎜
(1983年)天保通寶母銭図録
長径49.5㎜ 短径32.35㎜
(1988年)不知天保通寶分類譜
長径49.65㎜ 短径32.5㎜
(1995年)當百銭カタログ

長径49.7㎜ 短径32.6㎜ (銭文径41.1㎜)
(1998年)村上英太郎天保通寶研究分類譜
長径49.0㎜ 短径32.37㎜

長径のばらつきが48.8㎜~49.65㎜と、とくに大きい。
村上譜の原品は上記すべての掲載品(同一品)であると推定されますので、どこかでサイズが間違えられたとしか考えられません。届いた品を計測すると
長径48.9㎜ 短径32.45㎜ (銭文径41.3㎜)
でした。村上譜の計測値が正しいとみるべきでしょう。となるとこれはサイズ的に母子の関係ではないようです。旧譜のものは母銭様(母銭仕上げ)と見るべきかもしれません。
 :文字に沿って加刀されて、若干字画の端が短くなっていますが、大きな文字変形はほとんどありません。
 :人偏が直線的で爪が大きく、保点が長く、(本家張点保ほどではないものの)いわゆる「張点保」状になっています。
 :通尾の周囲が深く彫りこまれて意図的に伸ばされています。塞頭通、接点通になっていますが、これは鋳造上の変化かもしれません。
 :削頭尓で寶貝が下すぼまり。貝の二引が細く、両縦画に接します。刔輪で寶足もわずかに長く、後足が湾曲気味に輪に接しています。
 :全体に加刀されていますが、田画が狭く歪み、内部の十字も歪む点が目立ちます。
 :横引きの爪がやや大きく、日の中央横引きが長く伸びて、縦画に接します。日画は極端な下すぼまり。
花押:全体に細く加刀され、とくに左側の3本のツノのうち一番上が棒状なのが目立ちます。
 :覆輪刔輪銭です。ただし、刔輪は寶下が少し目立つ程度ですので名称には入れづらい。
極印:主花序がなくカニの眼のような2本の副花序が頂部に集まった独特の形の極印が左右とも逆打ちされています。
銅質:本座とほぼ同じです。
鋳肌:砂目は比較的滑らかで、わずかに鋳ざらい痕跡を認めます。(銭の面右側に顕著)
銭形:縦径が縮小していますので、やや横太り形ながら、目立ちません。
製作:穿内はべったりとやすり掛け。全体的に製作は丁寧に作られている印象を受けます。

一番目立つのは通尾。なぜ長尾通と命名されなかったのかが不思議なくらい、はっきりと地を削って文字を浮き彫りにして伸ばしています。この手法は奇天手の天前足などにも見られると思います。保点も明らか意識して変形し、伸ばされていると思います。
ただし、張点保のようなオリジナル性あふれる力強さや文字の雄大さはありません。刔輪もさほど強く見られません。異當百異貝寶の名前をあえてかえるとすれば 不知銭長郭手 
覆輪延尾通異貝寶 かな?奇書としても良いのですが、天保銭で奇書というのは、砂笵に文字を書き込んだ種のイメージが強いので、使うとすれば「異書」か「奇書体」かしら。
それとも思い切って 不知銭長郭手 
覆輪奇通寶・・・なんていかがですか?
なお、異當百異貝寶の名称は、名前づくりのルールからすると面の特徴が先で異貝寶異當百のほうが適切じゃないのかしら?
  
 
7月30日 【あやうく変調?!】
仕事中、突然目がちらつき始めました。はじめはパソコンの画面の一部が半球状に歪んで見え始め、やがてその範囲が左上に広がり始めました。眩しい強い光でも見てしまったのかなと思い目を休め、メガネのレンズを洗いました。しかし、、なおらない。白内障?飛蚊症?それとも網膜剥離、加齢黄斑変性?両目ともおかしい。やはり神経系の異常か?
パソコンに打ち込んでいる文字の焦点部分が飛んでしまいますので見えているはずのものが確認できない・・・視空間失認か・・・容易ならない状態だと確信しました。(やばい!これでは古銭が見えない!・・・そんなこと考えている場合じゃないかな?)
あわてて病院へ行く・・・病気を確信したためか足元がふらつきます。頭も痛くなってきた。病は気からです。
しかし、待合室で座っていると症状が急速に軽くなってゆきました。血圧計で測ると最高160~最低110ぐらい・・・こいつか!
ここのところ屋外作業が続いて肉体的な疲労のピーク。今朝は早朝に2時間芝刈りをしてから仕事に行っておりました。熱中症の可能性もあったそうで・・・。あぶないあぶない・・・。

本日、仕事場にHさんから電話がありました。なんでも、最近は秋田のM氏のところまで遊びに行っていたそうです。精力的ですね。Hさんと言えば昨年の銀座オークションにおいて男の応札をみせて下さった方です。また、天狗寛永や江刺の大頭通を分譲して下さったありがたい方。
下の品を私が落としたことを知り、「おい、大丈夫か?」と、激励を下さったもよう。とりあえず支払は大丈夫・・・ただし、現物はまだ見ていませんので到着してから改めてドキドキしたいと思います。血圧はあげないようにしなくちゃ。

なんでも鑑定団の市原出張鑑定が行われました。出てきた方々に知り合いはおりませんでしたが、いかにも地元のおじんおばんといった風体。我が家伝来の掛け軸を持って出ていたらたぶん赤っ恥でしたけど、観覧したかったですね。
また、山口の古銭コレクターが「会津銀判」をかかげて出演していました。予測通りの「福西作」でしたが、うんちくがいろいろ聞けて面白かった。
 
7月29日 【名前が未確定!】
人生最大級のお買いものの天保銭、私は天保銭の鑑定の分類87P
(異當百)と天保通寶母銭図録126P(異書)にあることは調べましたがその他にも天保銭事典366P(奇書)、当百銭カタログ110P(異書体)、英泉還暦記念泉譜(異當百異貝寶)村上英太郎天保通寶研究分類譜第4巻66P(異貝寶)・・・さらに確認はしていませんが月刊天保銭や貨幣、古泉、秋田貨幣研究会7周年記念泉譜や四国合同貨幣大会記念泉譜にも掲載されているそうです。ずいぶん有名な品だったみたいですが、いずれも同じ品だと思われますが、名前も記載されたサイズもバラバラです。
拓本を見ると張点保で長尾通で削頭尓寶、細二狭貝寶で背の當田が歪み、百字の中の横引きが長く両縦画に接し、削花押です。寶足も微妙にゆがんでいます。
掲拓母銭と写真の品との違いは接点通・塞頭通になっていることですが、これは鋳造上の現象でしょう。特色はありすぎるほどあるのですが旧譜においても命名に苦労したことが伺えます。一番の特徴はと言うと張点保であることなのですが、この名称は不知銭の有名品の固有名称として定着してしまっている感がありますので使いづらい。それ以外の特徴では長尾通であることと寶尓と貝の歪みが目に飛び込んできます。
名称をまた変えてしまうと混乱が起きますので、村上譜の異當百異貝寶を引き継ぐのが妥当なのでしょうが、使いづらいとはいえ張点保の名称も捨てがたいですね。
そこで
張点保手奇書異貝寶なんていかがでしょうか?
このなんとなくぬめぬめとした砂目の少ない地肌と銅色は斜珎に近い印象を受けます。側面に桐極印があり、これは通用銭らしいのですが、文字抜けは今一つながら雰囲気的には母銭の可能性もあるのでは?極印があるから通用銭と言うのは本座の論理。密鋳の場合、発覚を警戒して母銭にも極印を打刻したことも考えられます。したがって現状では母銭なのか通用銭なのかはまだわかりませんが古泉界で確認できたのはこれで母銭、通用銭あわせても二品ぐらい。少なくとも評価は大珍クラスで数だけで見ると奇天より珍しいのかもしれません。

天保仙人宅で夏の古銭会が開催されることになりました。絶対参加するぞ!と今から宣言しておきます。スキャナー持参のつもりでしたが・・・軽量のものは壊れて処分してしまいました。カメラでうまく写るかしら?
 
 
7月28日 【人生最大級のお買いもの】
ネットで古銭収集人生最大級のお買い物をしてしまいました。正確に言うと古銭では2番目。(最高は方泉處解体時に購入した寛文様)天保銭では最高。ネットではもちろんダントツです。このようなものを追いかける時は、かならず声をかけてご相談下さい・・・と仙人様に心からのありがたいお言葉を頂いておりました。もちろん、無視した訳ではありませんで、ただ時間がありませんでした。仕事(お祭りイベント)から戻ったのが10時15分すぎで、パソコンを開いたらまだやっていた・・・。これは神が私に与えたチャンスだと痺れた脳みそでフラフラと指が動く・・・いけませんね。朝から炎天下の屋外で作業していて疲れて麻痺した脳みそで残り1分で応札をはじめましたがもし、帰宅があと10分遅かったら応札もしてませんでした
私の応札とほぼ同時に雌伏していた方々の競り合いが始まってしまったので昨年、薩摩小字で競り負けた金額を最後に入れてあとは目をつぶっていました。真贋は判りませんが、裏側の情報ではある大家が太鼓判をしたものという噂が・・・噂ですあくまでも・・・。これは自分に対するご褒美(それとも罰?)のつもりです。もうこんなことは当面やりません。反省しています。お母さんごめんなさい。競った方もお許しください。
 
7月25日 【江戸の改革】
瀬戸浩平氏の「貨幣の文化史」と長谷川亮介氏の「金 お金の履歴書」を現在読んでいます。いわゆる貨幣史のお勉強ですね。当時の世情、経済を知ることは貨幣の質の変遷を見るうえでは重要なのです。たとえば寛永銭では、サイズダウンや鋳造の中断があり、銅銭から鉄、再び銅銭、そして4文銭の登場となります。当時の経済は「金銀米銭」と呼ばれ、それぞれが影響を与え合いながらも独立した相場の中で変動していました。銭を自由相場にしたのは寛永銭を大量生産し始めた家光の時代のこと。これによって粗悪な渡来銭類は嫌われて市場から姿を消すことになります。この自由相場策が幕末になると資源枯渇による粗悪な鉄銭の氾濫と海外流出による金銀銭相場の乱高下によって、良質な銭が財産として退蔵され、実際には銭不足なのにインフレが加速するという悲惨な結果を生み出します。
銭の相場と重さと質は密接な関係があり、これらを厳密に調べれば鋳造地や時代の比定にはきっと役立つと思うのですけど・・・。
ところでこれらの貨幣史にある享保の改革についてを読んでいて、私の感覚とは少し違うと感じました。日本人は改革とか倹約という言葉をかなり美的にとらえている傾向にあります。享保の改革は成功したと言われていますが、6月27日にも書いたように元文の改鋳があってはじめて経済的な効果があきらかになったわけで、慶長復古の幣制は一部インフレ経済を安定させたように評価されていますが実は激しいデフレを起していますので経済政策としては失敗しています。吉宗は別名「米将軍」と呼ばれたように米相場の安定と増産に熱心だったようですが、米本位制ともいうべき幕府財政は、豊作で米価は下落するため大きな収入増は期待できず、飢饉時には財政そのものが破たんします。天候の影響の高い一次産品である米相場に基づく経済は実に不安定でした。吉宗の時代に米本位の経済から脱却できたら江戸幕府はもっと長持ちしたものと思われます。それでも吉宗は結果的には成功者でした。
江戸の3大改革はいずれも倹約と農業振興(年貢収入の増加)がその柱であり、経済振興より幕府財政の立て直しを主眼に図ったもの。寛政と天保の改革はあたかも「反対派」のためにうまく行かなかったように書いている参考書などもあるようですが、重農主義など時代に逆らい経済の原則を無視したからこうなっただけだと私見ながら思います。
寛政の改革の松平定信は、田沼時代の「重商主義」から「重農主義」へと真逆にかじ取りをしただけでなく、中国における文化大革命のような抑圧を行ったため猛反発を食らって失敗していますが、米相場の安定のためにおこなった「囲米」の備蓄制度と「七分積立」と言われる救済基金は評価できます。
天保の改革はやはり農業を中心にした経済立て直しを考えて新田開発をさかんに行っていますし、中身は締め付けによる緊縮財政です。寛政や天保の時代は、海外に金や銅が流出し、金銀銭相場も実に不安定でした。相場に左右されないように定位金銀貨や天保銭を世に出したアイデアまでは良かったものの、金銀銭の海外との交換比率の違いを諸外国つかれ、マネーゲーム化して金と銭の大量流出を招き、結果的に幕府の生命を短くしてしまいました。この事実は通貨レート管理、貿易管理の重要性を如実に示しています。時代は一刻を争うスピードが求められていたのに、実体経済は「金銀米銭」であったのに、天候に左右される米中心の経済の考え方であったために翻弄されてしまった訳です。

完全自由貿易とか通貨統合などは一見素晴らしい思想に思えますが、過去の失敗を考えれば交渉には加わるべきですが妥協はできないところもあると思います。現代日本も、腐敗追放はともかく、何でも反対でも、きれいごとだけの主張でもなく、もっと将来と現実経済を見据えたスピード感ある改革施策が欲しいですね。また脱線してしまいました。
 
7月24日 【浄法寺盛無背異永】
未収品であった浄法寺盛無背異永があっさり手に入りました。CCFの郵便入札でほとんど無競争。なんで皆さん競らなかったんだろうと不安に思います。暴々鶏氏や天保仙人様等に「ちっちっち、まだ甘いな~」と苦笑いされそうな気がしてきました。たしかに浄法寺は色々なタイプがありすぎで、あきらかに後世の作銭・絵銭も混じっていると思います。
それでも最近は贋作収集家のような迷走をしている私にとりましてはこの1枚は少し心和む品になりました。真贋はよく分からないけど「君は良い顔をしているよ」と、とりあえずほめておきます。
実はCCFでは高いと思いながらも踏潰銭の小字手を狙っていましたが落札価格12万円・・・これは無謀でしょ。大和文庫で2000円で出ていて逃したのが惜しまれます。(実は私の唯一の所蔵品も入札の掘り出しで2600円です。探せばあるのかしら・・・でも見かけません。)
この他のCCF収穫品は不知長郭手が1枚、6000円也。なんてことない写しですけどこれぐらいで落ちれば嬉しいですね。

知識なしに手を出してはいけないもの(教訓)

①刻印銭
・・・下田極印・米字極印・輪十場替など贋造が容易で真贋区別は極めて困難です。
②母銭類・・・とくに文銭母銭、改造母銭や古寛永はむやみに手を出すべきではありません。
③真鍮質・・・江戸時代の真鍮は特殊な条件下でしか流通せず、真鍮質銭はほとんど明治以降の贋作です。
④錯笵銭・・・古い贋作の宝庫です。ほとんど見分けがつかないものもあります。
⑤白銅銭・・・特殊な銀メッキの見分けは非常に困難です。白銅好きの私が言うのですから間違いないです。
⑥大様銭・・・焼け伸び、延展変造がまかり通っています。もちろん珍品もあるのですがやけどもしやすい。
※こうしてみると私の好物ばかり。ずいぶん勉強させていただきましたがいまだに反省がありません。
 
7月21日 【水戸深字の新種・大珍品?】
左上図は最近入手した水戸深字です。ありがたいことに非常に安い価格でお譲り頂きました。水戸深字は書体の手替わりがなく、コレクターにとっては面白味の欠けるもの・・・私も例外ではありません。アルバムに1枚放りこんであるだけでした。
長径は49.45㎜と巨大で銭文径40.55㎜。当百銭カタログにある銭文径は母銭が41㎜、通用銭が40㎜なので、不思議に思いましたが、手持ち品を計測したところは40.3㎜ほどありましたので、これは誤差の範囲と考えました。たしかに画像を拡大して重ねてみましたが両者の差異はあまりありません。指先に触れる感触は銭文や輪の角がとても立っていますし、輪際には彫り込んだような線条痕がはっきり観察できます。極印はきれいな石持極印で深字ではっきりわかる品はお恥ずかしいことにこれが初めてでした。(熱心なコレクターではありませんね・・・)これはすごい珍品かもしれないと思いながらさらに観察。面内径が44.0㎜・・・大きい。(普通品43.7㎜程度)重量は17.6g・・・重い。
ただし、(サンプル数が他に2枚しかありませんので・・・)

ここで私は一つの結論を出しました。仮説というべきかもしれません。これは多分
変造銭(コレクター狙いのもの)でしょう。非常によくできています。見事です。天晴!
第一に内径が大きく、輪にふれた感触が違和感を訴えること。これは焼け伸びではなくいわゆる
ローラー圧延物特有の感触です。ただしもともとはやや大ぶりだった可能性もあります。手持ちの深字はもっと軽く15~16gでしたから。この段階ではまだ疑いでした。
さらに違和感を感じるのが文字の加刀で當字や花押の削字の様子。普通でないものを感じます。
改めて拡大して子細確認すると
地肌の砂目が消えており文字に沿って字画が細く削られています。変色もあり、これは巧妙ながら加刀+スタリキ技法ではないか?これで疑惑は確信になってしまいました。

ところで深字には桐極印が稀にあるということで、私も1品だけ保有していたはずなのに、探したのですが見つかりません。記憶違いかなあ・・・と思ったのですが、天保通寶極印図鑑にはしっかり図の掲載があります。そういえば昨年撮影しなおしたから机の上か雑銭箱にまぎれたのか・・・。半分あきらめていたら雑銭箱の上部に剥き出しで転がっていました・・・ああ、危ない!ちゃんとラベリングしなければいけませんね。
数は少ないと思うので私的には普通品の4倍から5倍の価値はあるはずなんですけど、雑銭に紛れてしまうと小汚いごみにしか見えませんから・・・。
違和感を感じる文字周囲の様子(拡大)
百字と花押が細く削り出され、周囲の地肌から砂目が消えています。良くみると白く変色もあります。見落としそうな変化ながらやはり不自然と見ました。銭径が大きいだけならともかく、この文字の加刀については水戸深字に類例を聞いたことがありません。
したがってこれは
「できすぎの変化」であり、「人為的な加工」があったと考えるに至りました。もちろん、これは私個人の考えであり、ひょっとすると非常に珍しい変化・偶然の産である可能性は否定できません。
圧延による加工品は特徴的で指先に感触の記憶が鮮明に残ります。実は同様の変造品を1枚所有していますし、琉球通寶などの濶縁と称する品に危ない品がときどきみられるようです。(過去に確認もしたこともあります。)
真贋判断は人それぞれ、賛否両論でしょうけど、私はこの品を参考品以上には評価できなかっただけです。もし、これと同じような品をお持ちの方がいらっしゃればご連絡ください。本物と認定ができたときはお化けクラスの大珍品新種なのです。私は変造品と判断しましたが購入価格は格安なので問題はなく、ごく普通の取引です。変造ならばおそらく手間賃にもならないのですが、こんなものもあるんだと類品を入手する機会に思い出して頂ければ幸いです。
追加記事
迷走してしまいましたが・・・この品はやはり母銭クラスの特別品であることが判明しました。私が一番の疑問に思っていた文字の加工は、母銭などの文字抜けを良くするための銭座特有のものであり、肌にある変な色調は銀メッキの痕跡だそうです。なにより、これと同じものを大川天顕堂が泉譜に残していて、銭座の祝鋳銭であろうことを書いています。貨幣誌にも同様の記事記載があります。
 
7月18日 【踏潰正永の本当の背刔輪】
踏潰銭の名前はちょっとしたブランドでして、寛永銭収集家ならまず憧れるもの。ただし、代表銭のいくつかを集めるのがせいぜいで小字手や俯永手などの入手の難しいものもあり、これに特化して収集するということはなかなかできるものではありません。
実は右側の踏潰銭は「駿河」の入札で「狭永」の名で出ていたもの。ひとめ狭永じゃないな・・・と感じた私は確認のための無謀な応札を行いました。到着した品を見たところ非常に大きく美しい正永でしたが、手持ち品(左)と雰囲気が若干異なります。
手持ち品(左)の正永は図会685番正永背刔輪だとばかり思っていたのですが新規入手品の方が刔輪が少し強く、背の左下の波が左は上がって一直波ですが、右は湾曲して長くなっています。
そういえば東北のS氏に頂戴した細分類資料があったっけ・・・と思いだし照合をしてみました。
(踏潰銭分類考)
その結果、左側はS氏により
「正永異頭通」と細分類されているものであり、右は「正永進冠」に該当するようでした。
「正永」の特徴は永字が比較的整っていて「広永」に似ているものの
寶冠の末端の跳ねがしっかりあることであり、「正永異頭通」は俯頭通になることが多い「正永」類にあってあまり通頭があまり俯さないことが特徴のようです。また、お約束で寛上部の輪側から面に至る凹みがあります。
「正永進冠」は面背とも輪に加刀がされていてとくに
面通下の加刀痕跡は画像でもはっきりわかるほど強烈です。さらに寛冠の前垂れ下部がわずかに開く癖があり、進冠の名前がつけられています。背の左側内径が広くなりますのでこれこそ正永背刔輪だと思いますが、実は図会685番の「正永背刔輪」の拓本は「正永異頭通」の拓本になっていることに気づきました。
結果的に私のHP上の分類は図会に符合してしまったのですけど、手替わりとはいえ再検討が必要ではないかと思われます。なお、これらの名称はS氏の命名であり、研究途上でもあってまだ一般になじみがないものですけど、いずれ世に出てもしかるべきものかもしれません。

※S様、サイト容量も増えたので全記事掲載も可能になりました。公開してよろしいでしょうか?
渡邊氏のサイト「私の藩札収集研究」のが2013年4月23日で閉鎖されて表紙だけになっていました。渡辺氏はもともと仙台古泉会に所属しておられ、その後に秋田県に引っ越されたあとも収集活動を続けておられました。この制作日記も氏のサイトがお手本のひとつになっていました。氏を通じて判明・入手した情報なども数多くありました。詳しくは判らないのですが、HPにはかなりの決意が読み取れる記述があります。
渡辺氏とはメールなどHP上だけの交流で一度もお会いしたことがないのですが、元気を取り戻していただき、お会いしたいものです。
 
7月14日 【続・投稿画像】
頂いた画像・拓本が続きます。
右上は日光正字の梯子永・・・これも鋳だまり変化に間違いないのですけど最近は千鳥より少ないんじゃないかと思えるようになってきました。たかが鋳だまり、されど鋳だまりです。これ、ヤフオクで100円で買ったものだとか。すごい執念。よくぞ気づきました。銭径22.67㎜、内径18.4㎜、背内径16.8㎜、重量2.16g
右下は日光長字の破寛寛・・・寛冠の前部にガツンと鋭く加刀されています。
銭径23.57㎜、内径19.2㎜、背内径17.5㎜、重量2.61g
写真下は寛文期亀戸銭の正字縮文です。年賀状で生拓本を頂いておりましたが、カラーで登場。
銭径25.13㎜、内径20.4㎜、背内径18.9㎜、重量3.59g

いずれも未収品でのどから手が出てしまう品々です。とくに縮文はいいですね。
※明日は部下の結婚式、そして数日ほど旅に出ます。CCFはお預けです。残念無念。
 
7月13日 【奇品館原品】
前日に続く投稿記事です。(ありがとうございました。)
手紙に曰く・・・「お譲り頂いたもの」・・・当初はこの言葉にピンときませんでしたが、ああ、私とネットオークションで競っていた(実は監視を怠っていた)のはこの方だったんだと気が付きました。沓谷の濶縁は文源郷氏の出品で最低価格も安く、しかも誰も応札がなくにんまりしていました。
やる気満々だったものの、締め切り時間に間に合いませんでした。この古寛永、まことにつまらない顔をしていますが存在は絶希少。もちろん私もいまだに未収の品です。時々それらしき出ものを見かけるものの、多くは焼け伸びのいかがわしいものが多いのです。
奇永凹寛も早い段階で古寛永泉志の原品に間違いないものとにらんでおり、しかも凹寛は未収品。食指が動かない方がおかしい品でした。少し錆の手入れをしたら素晴らしい美品に化けたとのこと。そりゃあそうでしょう。なにせ泉志原品なんですから。
それにしても「お譲り頂いたたもの」・・・とはなんたる謙遜のお言葉。氏の人柄がにじみ出ております。私はそんなに良い人間ではありませんので、お譲りしたものではなく、しばらくお預けしたもの・・・ということにしておいてください。
掲載を忘れていた奇永凹寛も奇品館に掲載しましたので、両品とも奇品館原品になりました。
驚いたことに地元の「おたからや」さんから、そのうち遊びに来てくださいの連絡が入りました。もちろんボランティア鑑定(分類指南・査定)ですけど楽しみですね。古銭がかなりたまっているとのこと。
 
7月12日 【正字背文大破冠寶 大断辵:河谷俊一氏の寄稿より】
正字背文大破冠寶(文源郷・米田実氏の分類名は奇冠寶は
①寶冠中央部が寶点を残して大きく消失しており、一目瞭然分類しやすいものです。また、共通のポイントとして
②王画下辺前半分の玉切れ・・・が知られていますが、この他にも
③寶貝第一画の中ほどに斜めの細い断線が必ず走っております。

この大破冠寶にも、これまた一目瞭然の特徴を持った兄弟銭を発見しましたのでご紹介いたします。
「正字背文大破冠寶 大断辵」と命名しました。この「大断辵」の分類ポイントとしては上記ポイントの他に下記の4点が認められます。
④通辵下辺が大きく消失している。(大断辵)
⑤通頭斜め上の内輪に瑕。(通上瑕輪)
⑥永字フ画と最終画の先端が鋳切れている。(削永)
⑦背郭下の地に斜線と小点がある。(背下筋文・小星)

この大破冠寶には内径が20.4㎜と20.6㎜のものがありますが、20.6㎜の「大断辵」を発見されましたら是非ご一報を賜りますようお願いいたします。
ご投稿ありがとうございました。九州大会で大変だったと思いますが、疲れを忘れるような投稿です。なお、この他にもたくさんのご投稿を頂戴していますが、少しずつ公開をしますのでしばらくお待ちください。大会中に外径25.9㎜の正字背文を入手したとか・・・これまたすごいものを・・・。

※奇品館に掲載していたものの拓本2品も頂戴しました。やはりお目が高い・・・そして良い方にお嫁入りされたものです。
  
7月10日 【第六回西国合同古泉会記念譜と加治木洪武銭祥雲斎研究資料①】
西国合同古泉会は7月6日、7日に無事成功裏に終わったそうです。関東の田舎に貼りついて生活している私にとって九州はあこがれの地。異国?情緒あふれる地です。いいなあ、南の国は・・・。
そんな西国大会で記念泉譜と研究資料が発表されました。事前に資料をお願いしていたのですが、坂井氏からもうひとつ、加治木銭の資料を頂戴しました。右の拓図をご覧ください。加治木の超一級品達です。こんなのが雑銭からぽろりと出てきた日には・・・たまりませんね。九州鐚には独特の文化と言いますか、中央ではなしえなかった鋳銭と貿易の歴史があります。それにしてもこの加治木3枚組・・・表札にしたいぐらい美しいです。

なお、これらの記念泉譜は一般販売もされています。

申込 〒870-0918 
大分市日吉町5番4号 豊栄機工㈱内
大分貨幣研究会 坂井博文

☎097-551-1334 / 夜間 097-552-0019
記念泉譜 1冊4000円(送料込) 2冊セット 6150円 (送料込)  
加治木洪武銭 1冊2500円(送料込) 
※わが町にも「おたからや」がやってきた。こんな田舎町にもやって来るとは恐ろしい増殖増殖速度です。まだ、オープン間もないと見えますが、看板も上がっています。古銭はないかと物色しにゆきましたが、「買い取り専門」とのこと。買ったものはネットに流すのでしょうか?鑑定士買って出ようかな?

※最近、オーストラリア・シンガポールからもアクセスがありました。テキサスの方からは英文メールが・・・困った、もっと英語勉強しておけば良かった。
 
7月9日 【鐚永楽極小様】
ネットでやっきになって落としに行ってしまった鐚永楽。22㎜を大きく切る矮小サイズ。満州寛永と呼ばれる豆銭に匹敵するみすぼらしさです。画像は真っ黒に見えますが、ちゃんと地の色もある可愛いやつです。
その昔、貨幣手帳あたりに永楽の繰り返し写しの実験をやった記事があったかと思います。このサイズは3回ぐらいは写さないとここまでにはならないです。かえってこんなに薄くて小さいものを鋳写す方が技術的には難しいと思うのですけど・・・。
以前所有していた、慶長の鐚式小様や切銭手の極小の淳化元寶島銭はすでに格安で売ってしまいましたが、一緒に並べておきたかった品でした。しかしながら、私はこのような鐚永楽は専門外なのでどうしても欲しいという方が現れたら割譲してもかまわないと思っています。(しばらくは楽しみたい。)
ところで、本当にこのサイズで流通したんでしょうか?
こんな顔で排除されずに数百年も残ってたのですから、奇跡的強運のお金ですね。
 
7月7日 【海底摸月の寛永通寶】
海底摸月・・・海底の月を拾い上げる・・・とは何とも風雅な言葉です。古銭用語ではなくて麻雀用語だっていうのが残念なのですけど。
左の古寛永は初期不知銭として有名な狭穿です。この古寛永は比較的製作の良いものが多いのですが、この品も例にもれず美しい。そして鋳ざらわれた背にはいくつかの爪紋様が残っています。これは数年前に大和文庫の即売HPに掲載されていたもので、私のHPにもお願いして転載させて頂いたものですが、偶然にネットオークションで再版されていることに気づき意地になって競って入手したものです。
予想以上に背の地がすべすべして美しく、大きな月紋の他に小さな流星がいくつか見られます。まさに天から静かな海の底にまで降り注ぐ月の光、その宝石のような月光をつまみあげたような逸品とはほめすぎか?
背の月紋は母銭の外周痕跡と推定しています。砂笵は硬いから母銭を落としても簡単には傷つかないということも聞いたことがありますが、これはどう見ても丸いものの跡。拾う時にも傷つけることもあると思っています。
右の文銭も背に陰月、流星、連星のオンパレード・・・楽しいですね。
私は面白がって拾っていますが、これらは偶然の錯笵で古銭的にはほぼ価値はありません。手作業による鋳造ですから、寛永銭にもときどきこのようなものは見られます。あとはそこに美や幽玄の世界を感じるか否かですので、躍起になって集めるようなものではありません。(付加価値はないですよ!)
ところで大英博物館にある福知山藩の朽木昌綱公のコレクションにはなぜかこのような月紋や星紋の雑銭が多くみられます。福知山公なら海底摸月の銘はきっと理解してくれると思うのです。いにしえの大名も古銭の背に宇宙の景色を見たのではないでしょうか?

本日は七夕です。ですから天空に関する話題でした。
 
  
7月6日 【銅山通寶】
ここのところすっかり文献コレクターになってしまいました。仕事で外の古銭イベントには思うように出かけられないし、ネットでは負け続けてますので、結果的にそうなっているだけ。その気になれば本だけはまだなんとか手に入ります・・・ただし、その多くは希少なので機会を逃すとなかなか手に入りません。文献は知識が得られるし、お金をかけずに素晴らしいものが見れるし、楽しむ時間が長く取れるのが嬉しい。
しかし、最近ちょっと困った問題が生じています。なぜなら入手する文献が高級で美しすぎること。この銅山通寶もその典型で、和装上製本カバー付で中は光沢紙によるカラーグラビア印刷です。食事しながら眺めるとか、寝ながら読むとかいう手段がとれないのです。少なくとも汚い手では触れない。それに、床に放置しておくと馬鹿猫が上に載って寝たり、爪を研いだり、かじりにきます。とくにこのように紐がついて表紙にざらつきがある本が大好きだから困ります。英泉天保通寶研究分類譜の表紙の紐は格好の標的でした。不知天保通寶分類譜も良くねらわれます。
さて、この本ですが個人泉譜としては遊び心満載。所蔵品の単純な掲示ではなく、研究や分類にも役立つ解説付きです。私個人としては江刺銭や踏潰銭がたくさん見られるだけで大変ありがたい。
この本にあわせて昭和泉譜の復刻版も入手。正規本はすでに入手していますけど、巻末の泉家の記事が読みたいだけ。実は今、ネットに出ている復刻版貨幣も欲しいところなのですけど・・・置き場がないので迷っています。2冊不足しているしそれに高いしね~。どうしよう。

※8月に仙人宅で古銭会があるそうです。今度こそ参加したいぞ・・・と。なにせ今年はまだ一度も古銭のための外出がない状況です。いい加減に出かけたいぞ・・・と。
 
7月5日 【現物投稿!】
関西のS氏から郵便物が届きました。いつも画像投稿して頂いているSさんですけど、撮影をしてくれる方が不在ということで現物を送るという連絡が入りました。以前、純白の文銭をお送り頂いたこともありますし、お世話になっていますのでOKしましたが、通常はこんなことは受けません。なぜなら。自分の収集品と混じって分からなくなったり、傷つけたり、欲しくて返したくなくなるからです。従って欲望が鎌首をもたげる前に、さっと見て返すしかありません。

一番上は盛岡小字の書体です。2万円台で落とされたということですから、浄法寺でも良し。本炉銭なら大儲けです。
結論から言うと浄法寺です。極印は二重打ちなのでしょうが非常に変ですね。金質はかなり固い・・・この指先感覚は最近ようやく身に付きました。
画像では判りづらいのですが、浄法寺の小字写は必ず通上の郭に「虫食い」の通称のある凹みが2ヶ所あります。
その他、天第3画先端近く、通尾にも共通の瑕が見られました。(画像写りが悪いのと文字がかなり陰起しているので判りづらくなっています。)
盛岡小字本銭は欲しいのですけどなかなか気に入る品が現れず、今まで未収です。どうせなら超極美品が欲しいのですけどそうなると20万円くらいまで覚悟せねばならず、しかも品物もそうは出てきません。
やむなく浄法寺小字で我慢している次第。それでも私は5万円ぐらいで買ったのですからかなり暴落したものです。
まあ、浄法寺はそんなに躍起になって集める性質のものではないよ・・・と言っておきましょう。(余裕?ないない。)
さて、続いてはS氏が「お楽しみください」とおっしゃっていた古寛永長門異永と鳥越の純白銅銭。こいつらは確かに白い。
異永はかつて私が見たどの長門銭よりも純粋に白い。これは正統派の色です。背の地とのコントラストが美しく本当の白銀色です。すばらしい!
(通常の白銅色はこれが限界。)

鳥越銭はもっと白い。正直、はじめ銀写しかと疑ってしまいました。しかし、銀にしては軽い・・・そしてそれこそ眼を皿のようにして観察しましたが(こういうときは性格がいやらしくなる・・・相手の欠点を探すわけですから。しかし)、拡大しても問題点が見当たらない。問題があるとすれば黄色みが全くなく白すぎる点だけ。
軽さからみてこれは錫の含有比率がたまたま極端に高くなってしまったもののように思えます。(銀メッキの可能性はあるものの、目下のところ否定材料なし。)
不思議な品・・・長門ならまだわかるけど鳥越にもこんなものがあるのだと、感心しました。良いものを見ました。(探そうっと。)それとも一品ものでしょうか。
類品をお持ちの方、ご連絡ください。

S様、ありがとうございました。欲しくなる前に返します。

※極小の鐚永楽に惚れこんで追いかけています。収集ジャンル外なのですけどこんなの好きですね。(頑張ったら落ちました!)
 

※盛岡小字の超極美品の売り物・・・どこかにないかしら?純白も待ってます。
 
7月3日 【銭幣館の至宝達】
ずらっと並んだ下の拓本は銭幣館蔵銭覚からの借拓です。実際にはもっとたくさん掲載されていますが、いくつかをピックアップしました。泉書にはいくつかタイプがあるとは6月25日に書きましたが、これは記念銭譜というより、個人拓本集の典型でしょう。説明書きはほぼなく、だれからいくらで買った程度のメモ書きがあるぐらい。私は自分の収集品の中で1枚ぐらい銭幣館ゆかりの品があったって良いじゃないかと必死に探すのですけど、いかんせんレベルが違いすぎる。それもそのはずで、ここにある品はほぼすべてが日銀行きのはずで、市場にあるはずがありません。郡司氏亡き後日銀さんはもうこれらは展示することはほぼないでしょうから現物を拝見することは難しいと思います。そういえば、財務省の理財局に知り合いがいましたっけ(昨年8月27日制作日記)・・・頼んだらだめかしら?ダメですね・・・はい。(今まで3度しかお会いしたことがなく、実はすごく偉い人。)
1番と2番は穴銭入門新寛永の部に拓図がある有名品。市場に出ればいくらの価値がつくかもわかりません。まさに古銭家の欲しい価格が価値になるもの。3番に至ってはみたこともない拓本です。島屋小頭通風ですけど微妙に違い、銭文がすっきりしています。
4番と5番はやはり超有名銭の彫母。4番は入門にも拓が掲載されていますが、記事では文化庁の蔵と書いてあります。銭幣館から大川天顕堂に譲られたのでしょうか・・・謎です。
6番~8番は妖しい品。6番は寛永堂作の噂のある品。白銅質とありますが、黄色いものも画像で見たことが・・・あるいは古楽堂かも。しかし、これも今は謎。秘宝館に投稿写真もありますのでご覧ください。(2005年5月1日の制作日記に記事あり。)

7番は平成22年の銀座コインオークションに類似品の原母銭(左画像)が出ていますが、私には判らない。だいたい彫母と原母の違いすら判っていない。落札価格60万円とは夢買いの価格としてはそんなに高くない?あの品の由来の話、ある古銭商さんから聞いています。実にリアル。リアルすぎて死ぬまで語れない・・・でも、古銭界では私が知っているぐらいだから多分みんな知っている話かも。
8番は初めて見る品。稟議銭かしら。濶縁ぶりがすごい。
9番はいまだに通用銭ですらほとんど見たことのない超々珍品。母銭、それも彫母ですよ。これが世に出たらベンツ買えちゃうと思います。
そして最後の10番・・・これも日銀の奥深くに眠る幻の稟議銭です。これを見るためには国民栄誉賞クラスの活躍をして、総理大臣におねだりをするしかありません。それはおそらく不可能に近い・・・でも、可能性は0ではない。

※山梨・鳥取からもアクセスありました。これで全国制覇達成です。(地域が特定できない方もいます。)また、本日、英国ケンブリッジからのアクセスもありました。これを眺めるのがすっかり趣味になってしまいました。
1.島屋文彫母銭 2.細字背大文母銭 3.文銭系彫母銭 4.奴銭彫母銭 5.背川彫母銭
6.小字背佐刮去母銭 7.延尾永様母銭 8.マ頭通小字彫母銭 9.長尾寛肥字彫母銭 10.21波重点通彫母銭
 
7月2日 【銅山通寶と離用通幻頭通】
籠山閣こと菅原直登氏の還暦記念泉譜「銅山通寶」を落手しました。(まだ到着していません。)菅原氏は北秋田寛永通寶研究会を主宰し、寛永通寶資料を有償配布しています。全て集めるとさぞかし立派な資料になると、わくわくしています。さてそんな菅原氏が還暦記念につくったのがこの泉譜。記念集としてだけでなく、手替わり品も掲載されています。紹介写真を見たら、明和期離用通幻辵なるものの画像が目に入りました。実はこの品、数年前にある方から発表前のものだからと(プレゼントされて)口止めされていた品とも同一品でした。それから後に穴銭カタログ日本明和期離用通幻頭通の名前で無事掲載されましたのでもう黙ってなくても良いでしょう?少なくとも2人の研究家が認めた品です。永字の右わきから地が凹んでいる感じで通辵から通頭が陰起しています。穴銭カタログ日本によると評価25000円!離用通そのものが少ないので、お金を出して見つかるものじゃなさそうです。さあ、雑銭の魔力に憑りつかれしネット界の亡者どもよ、地を這いつくばって探してみやがれ!
HPのアクセス監視をしていて非常に気になる方がいます。現れ方からして同一地区で同じ人物なのはほぼ間違いないのですが、IPアドレスがたくさんあって順繰りに切り替わってゆきます。ネットカフェでパソコンを渡り歩いていると思ったのですが台数が多すぎるので違うかもしれません。昨日、一気にアクセス数が増えたのはこの方が原因で、80回以上のアクセスがあります。OSもブラウザも不明・・・複数のパソコンをつないでクラスター化したのか、ひょっとしていくつかのパソコン遠隔操作しているのか、ハッカー的な謎の人物・・・。

※中国江蘇省の方から返信メールが届きました。中国特有の簡体漢字まじりながら、日本語(ひらがな)にも対応しています。日本語の勉強をしているのでしょうか?私は仕事上で外国人の方にも教えていますが、日本語は本当に難しい。同じ音で全く違う意味になったり、微妙にニュアンスが異なる。
〇〇は良い 〇〇で良い 〇〇が良い 〇〇も良い 〇〇でも良い 〇〇なら良い  この違いどう説明します?
目がひどくかすんで見えない 目がひどくかすんで見える  これ否定形と肯定形なのに、意味は両方とも「良く見えない」ことを意味します。
日本が非常に繊細であり、わずかな違いで意味がガラッと変わってしまう現象に日々悩んでいます。
 
7月1日 【こんなものもあったそうです!】
四国のKさんからオークションの紹介がありました。なんだ、汚い天保銭ではないか、悪戯かなあ・・・と思いつつ目を凝らすと、あれれ
左下の天保がやけに大きい。裏側画像、横画像を見たらやはり分厚く大きい・・・ひょっとして久留米の母銭かも?
これは気づかなかった。最近は更新が忙しいのと、来訪分析を見るのが面白くてオークション一つ一つを良く見ていません。それにこの手のものは下段中央の濶字退寶がわざとらしくて、状態が悪そうだと見た瞬間パスしてしまいます。驚いたことにかなりの人が競っていて4万円以上の価格がついていました。皆さんチャレンジャーです。

私の気づかないところではこんな熱い戦いがあったのだと感銘を受けました。それにしてもみんな目が利くようになり、ネットではちっとも入手できなくなりましたね。私は掘り出す側でなく掘り出される側にすっかりなってしまいました。

Kさんありがとうございました。当然、入手されたと思っていたのですが・・・あれれ、IDが違うみたい。失礼しました。

※6月30日、7月1日の記事とも、ネットからの画像借用になっています。出品者の方お許しください。

 
6月30日 【不思議な不知銭の正体】
ネットオークションに30000円で出た天保銭ですが、突然取り下げになってしまいました。応札していなかったのですが、やる気満々でした。この品の正体・・・実は
不知長郭手異當百と言う名称で、天保銭の鑑定の分類87Pと天保通寶母銭図録126Pに掲載されています。私もどこかで見かけた記憶があり探してたどり着きました。異様に肌がすべすべしているのでひょっとすると母銭かもしれません。(通用銭は未見との事。ひょっとしてM氏旧蔵の原品?)おそらく、大変なものであることに出品者も気づかれたのだと思います。いえ、気づくべきですね。お化けです!
どう見ても張点保状の保は異常ですし、製作も
奇天の系統の雰囲気があります。15万円ぐらい入れておけばよかったかしら・・・。この値段じゃ無理かな?もう二三声?
入手はできませんでしたけど、良いものを見せて下さいました。ありがとうございます。

約半月間の来訪者分析結果が判りました。延べ訪問者2900人、1日あたり約276人訪れています。2回以上訪れた方は856人もいます。本日、11時台に一気にアクセスが増える動きがありましたが、同じ人をカウンターが別人と認識して何度もカウントしていることもあるようです。海外からのアクセスの場合に良く起きています。(そうか、ネットカフェですね。パソコンを移動しているのでしょう。)毎日3回ぐらい見ている人も結構います。視聴のピークは21時以降ですけど、6~8時までにピークがもう一つある・・・すなわち、出勤前に見ています。病気です。遅刻したら大変ですよ。海外は最近、ワシントン、上海と広東省からのアクセスも加わり、日本以外に6か国16地域にまで広がりました。(昨日は中国からのアクセスが一気に増えました。)リアルタイムで接続地域などが分かるので面白くて毎日見るようになってしまいました。検索キーワードまでわかるというのも面白いですね・・・。
※江蘇省の方から写真付きのメールが届きました。私、中国語だめなんですけど・・・ありがとうございました。
 
6月29日 【穂井田忠友の方程式】
子供と一緒に
「真夏の方程式」を鑑賞しに行きました。なかなか良くできた映画で終わったら福山雅治(のつもり)の喋りを真似てひんしゅくをかっています。ところで、今月になって「泉家・収集家覚書」に2人加筆をしています。力作であるという点では「天保通寶覆輪刔輪マニアック講座」と双璧でありますが、実はほとんど・・・というかすべてが借りてきた知識。自分の論説なんてほとんどありません。今回の穂井田忠友も方泉處5号「近世古銭家列伝」をベースにインターネット等の論説をつぎはぎしたもの。古文書は読めませんし、持ってませんし、読み下しの解読も怪しいものですし・・・。
もともとこのコーナーは「贋作者列伝」・・・これは結果的に方泉處タイトルのパクリになってしまっていたもの・・・を書いた際に勢い余って書き始めたもの。貨幣誌に川田氏が同じようなこと(こちらは私と違ってちゃんと根拠のある論文。)を書かれていたとはつゆ知らず、必死になってボナンザや旧貨幣、下間寅之助の古銭誌などに付箋を貼りながら関連記事を探しまくったものです。
この穂井田、幼い娘を自分の庇護者である幕臣に側室として提供しています。当時は仕方なかったのかもしれませんが、何たる親だと言いたい。
経済的には勘定奉行にまでなった相手ですので、生活に不自由はなかったのでしょうが、妾ですよ妾。しかも一人娘だそうです。穂井田が咎められ投獄されたときに、この娘がいたおかげで結果的に穂井田は助かっています。また、庇護者の口添えで、穂井田は正倉院の宝物の整理という一大業務・・・これはまた、考古学者の穂井田にとっては夢のお宝に触れるチャンスでもあったのですけど・・・に就くことができました。
穂井田のことは、森鴎外が
「少女をば 奉行の妾に遣りぬとか 客よ黙あれ あはれ忠友」と歌っています。学者のなかには学業のためここまでやるとは天晴と評価しているものもあります。
私には理解しがたいのですが、穂井田にとってはこれが正義の答えだったのでしょう。映画「真夏の方程式」は、複雑な関係にある親子がそれぞれの秘密を守るために悟られないようふるまい、かばいあい、必死にあがくさまが描かれています。ガリレオ教授はその謎解きをするのですが、結果的には秘密は守られても、また新たな秘密が生まれてそれに巻き込まれてしまう者が現れる・・・・・・あとは見てのお楽しみ。この映画にしても穂井田にしても方程式に正しい答えはないのかもしれません。

※江戸時代の古銭家を調べていると、養子縁組が異常なほど多いのが気になります。要するに、優秀な次男坊が養子になって成功する例が非常に多い。現代は養子制度そのものがほとんど生きていない時代。江戸時代は男が家を継いで守るということが徹底されているからで、男系に恵まれなかった家は優秀な次男坊を必死に探すからでしょうかね?
 
6月27日 【荻原重秀の経済政策】
荻原重秀というと、貨幣の改悪を続けてハイパーインフレを起し、不正蓄財をして、経済を大混乱に陥れた天下の大悪人・・・一方で新井白石は貨幣を復古改良し、腐敗政治を徹底的に正し、その結果正徳の治を実現した賢者、徳川吉宗は質素倹約に努めて新田開発なども積極的に行った結果、享保の改革を実現して幕府中興の祖と呼ばれる・・・とまあ、こんなところでしょうか?
しかし、経済の原則から言うと、新井白石や初期の徳川吉宗の政策は完全なデフレ政策であり、財政は均衡しても政策としては???。
実は荻原のとった通貨供給量を増やす政策そのものは間違っていなかったと思います。不幸だったのは、元禄大地震や富士山爆発などの天変地異が起こり、かつ、将軍や大奥の浪費癖を抑えられなかったこと。そのため改鋳を繰り返さざるを得なくなり、本当のインフレが生じてしまったのが失脚の原因でしょう。武士の収入が米価に支えられていたこともあって、米価と米供給の安定がないと経済が回らないというのも問題でした。
古銭収集家から見ても、白石や吉宗は慶長に復古した立派な金銀貨幣を供給してくれた人物であり、荻原は(珍品だけど)見栄えの落ちる悪貨を性懲りもなく作り続けた馬鹿者というイメージでしょうか。良貨は退蔵されるから現代に美しく残り、悪貨は消え去るばかり。
しかし、白石の経済政策は激しいデフレをおこして米価は低迷。吉宗は白石を罷免したあとも白石のデフレ政策を継承しましたが、倹約や新田開発でも経済面は好転しませんでした。デフレ経済下では米価は下がり、米生産を増やせばまた米価が下がる悪循環になります。結局、吉宗は元文時代に貨幣の改鋳を行って再び通貨供給量を増やしてようやく成功します。もし、吉宗が元文の改鋳をしていなかったら・・・おそらく名君とは言われなかったのではないかと、私は考えますがいかがでしょうか?
米中心の不安定な経済から脱却し、貨幣を名目貨幣にして相場変動に任せない仕組みに変えることができ、経済統制ができたなら、幕府は今日まで残れたかもしれません。

さて、そんな目で最近の日本の政治を見ると、通貨供給増加政策は正解。本当は円高のときに通貨供給を増やして海外資産を買っておくべきだったと思います。荻原は改鋳によって古金銀をため込んでいだ富裕層に打撃を与えて、貨幣流通に引っ張り出すことに成功しました。したがって同じことをするのなら広く浅くとる消費税増税ではなく、累進課税や物品税の復活、一部の資産課税が本来は先ではないかと思います。また、投票権は人口比率だけではなく、面積比率も勘案しないと必要な政府投資ができないのです。
今は都会より開発途上の地方経済への投資だってことは、過去の日本の政策や今の世界経済の流れを見れば一目瞭然ではないでしょうか。あの、一票の格差の違憲判決は絶対おかしいと、予言しておきます。話がすごく脱線しました。(日本穴銭党:浩泉丸)
 
6月26日 【濶縁離足寶背大濶縁?】
右の品、応札していて確認を忘れていたらいつの間にか終わっていました。女神に後ろ髪はありません。丸を書いたところにお約束の瑕がありますのでこれは会津濶縁の中でも濶縁離足寶系のものといえると思いますが、面背の輪幅の差が著しい。おそらくはやすりがけの問題かと思われるのですが現物を見なければわかりません。会津濶縁は好物と書いていたのですが、更新に夢中になっていてすっかり忘れていました。この落札価格ならもっと頑張るべきだと思いますが、終わってしまったものはしょうがないですね。

※監視ツールが面白く、また、全体の容量が増えて記事の大きさを気にしなくなったので記述も増えてパソコンの前に座っている時間がすっかり増えてしまいました。睡眠時間が減り血圧が上がって肩もこる。精神的に良いことは肉体的に良くない。
来訪者(回数ではありませんよ。)は10日間で580人ぐらい。うちリピーターは370人ぐらい。表紙を通さず、直接このページにくる方も多いので、アクセスカウンターでは判らかなったことが見えます。穴銭中毒者も全国には結構生き残っているようです。意外だったのは熱心な古寛永信者読者が予想以上に多いこと。ありがたいことです。
来訪者をリアルタイムで眺めていると、ロシア(サンクト・ペテルスブルグ)やドイツ(メクレンブルグ)、アメリカ(イリノイ)からも新たにアクセスがありました。愛媛県・福井(たった今!)からもアクセスがあり、あと残すは5県(石川・山梨・鳥取・徳島・佐賀)になりました。目指せ全国制覇!(ⅠフォンやⅠパッドなどは地域を特定できないケースがあるようです。)
 
 
6月25日 【呉服屋と文銭】 → 泉書探訪
泉書、すなわち古銭の本にはいろいろなタイプがあります。主なタイプは以下の通りでしょうか。(同じようなことを青貨堂貫井氏か文久堂山本氏が言っていたと思います。正しく思い出せませんので、自分なりの考えで示します。)
分類譜・・・細分類のための教本。お手本。特定のジャンルに特化。
価格譜・・・代表的なな商品を図として示し、価格相場を示したもの。総合カタログ。
研究書・・・分類以外の個人研究を記した書。かなりマニアック。
会誌・・・・・定期的な集まりでの種々の発表を目的にしたもの。数が集まれば研究書をしのぐものもできる。
記念譜・・・個々所有の古銭そのものの発表の場の本。個人拓本集と記念泉譜がある。目録や写真集もこの類。発展すれば分類譜にもなる。
入札誌・・・古銭の販売を主目的にしたもの。オークションカタログもこの類。
情報誌・・・読み物として意識された書であり、原則として読者に対する販売を目的にするもの。
実際には中間的なもの多いと思います。とくに情報誌や入札誌の記事の充実には目を見張るものもあります。さて、そんな数ある泉書の中で私が最も好きな本の一つに
「日本貨幣収集事典」(平成15年 原点社)があります。上のジャンルからすると情報誌になりますが、この本の元になったと言われる「貨幣手帳」は価格譜であり、それからさらに内容を充実させ研究書に近づいた内容です。とにかく泉談が豊富で飽きません。編集人の石原幸一郎氏については全く存じ上げませんが、よくぞこれだけのものを作り上げたものだと感心してしまいます。
しかしながらこの本、茶色のビニール表紙が実に地味であり、あまり売れなかった模様で、今ではほとんど見ることはありません。しかし、実に惜しい。内容的には日本貨幣商協同組合の
「日本の貨幣収集の手引き」に近いものがありますが、両書を見比べながら読むと又面白い。(私、変ですか?)
そんな中、寛文期亀戸銭の鋳造の言われに関して気になる記事があります。
文銭の鋳造理由は・・・
1.明暦大火、万治3年の大火の後の経済復興のため。
2.倹約令の影響で大打撃を受けた呉服商の救済のため。

1の理由については判りますね。でも2の理由は何でしょう?実は当時の倹約令は非常に厳しく、華美な着物を禁止したので呉服商は商売上の制約を受けただけでなく、寛文8年には高価な着物、反物を番所に供出・没収していたそうなのです。それに対する救済策だっようなのです。
この点について、「日本の貨幣収集の手引き」には「寛文8年、幕府は後藤縫之(殿)助ほか6人の呉服商に江戸亀戸に15000坪の土地を与えて大規模な鋳銭を許可した。」とあるだけですので、倹約令まで踏み込んだ日本貨幣収集事典は本当に詳しい。(詳しくはGoogleで後藤縫殿助と検索してみて下さい。)たしかに寛文銭の一文サイズが足袋の一文サイズになった理由はここにあるのかもしれません。また、明暦大火は別名振袖火事とも言われつくづく呉服に縁があります。さて、そんな呉服屋がつくった(かもしれない)文銭・・・そんな中に島屋文があります。別格なこの銭、島屋某がつくったなどといううわさがあるぐらい謎なのですけど、実際には島屋は仲間になく、後藤のほかは 亀屋姓がひとりと茶屋姓ふたり、あとは上柳と三島姓です。ひっとすると島屋某は三島の聞き間違いなんてことは・・・ないでしょうね。

※原点社の住所を検索しても同社の住所には見当たりません。Googleアースでも画像は見れるのですがシャッター倉庫しか映っていません。引っ越したのでしょうか?編集に携わった人は元気なのかしら。
四国のKさんからのご投稿。(ありがとうございます!)私が古寛永の項に掲示している奇永半玉寶(鍵爪辵)の通用銭です。実はこの銭は投稿コンテスト H氏おたずねもの集にも掲載していてわすれていたものを四国のO氏からご指摘を受けた思い出深きものでもあります。通下の彫り跡が生々しい。兄弟銭と言いますか親子銭と言うべきものなのでしょうか?
私、手本銭なるものが今一つわからず、母銭とすべきなのか通用銭の中の未使用の初出の見本銭と呼ぶべきものなのか・・・まあ、毛利家に伝来したありがたいものには違いないものの、すべてを母銭とするにはちょっと無理があるかなと感じています。
だからといって私は手本銭を否定するものではなく、今でも見つけると求めてしまいます。そういえばK氏、はっきりしない画像をたよりにまた天保雑銭を購入するといっておりました。私以上のチャレンジャーです。うまく行くといいですね。お祈りします。
 
6月23日 【化蝶】
パソコンでネットを調べていたら隠語大辞典に「化蝶:げちょう 銭の異名」とあった。ゲッ!げちょう??
例によって私は「かちょう」と読んでおり、ご丁寧にも古銭用語の基礎知識のコーナーにも書き込んで説明を行っていました。あの「化蝶類苑」は「げちょうるいえん」??そんなはずはないと古銭語事典などを引っ張り出しましたがどこにもフリガナが見当たらない。「かちょう」はどうやら私の思い込みだったようです。
このような風流な言葉はきっと古事に由縁があると思い調べました。そうすると二十四節気をさらに区分した七十二候において「菜虫化蝶」という言葉が見つかりました。季節を意味する啓蟄(けいちつ)の最期(末候)にあたり、青虫がモンシロチョウに羽化する季節のことを意味するそうです。もともとは中国から輸入された言葉のようでしたが日本でも定着して
「なむしちょうとなる」と読むそうです。江戸時代の社会は季節の風習などを大切にしていたはずですから、一般にも「菜虫化蝶」は知られていたと思います。ではこれを音読みにしたものはないかと探しまくりました。しかしない。私としては「さいちゅうげちょう」と読む例を探したのですが見つかりません。ただ、「なむしちょうとす」とへんてこな読みをしている例がいくつか見つかりました。
さらに調べると「化蝶記」、「化蝶散華」という本があり、いずれも「けちょう」と読むそうです。化蝶という言葉は中国の唐時代の古事にある言葉で、15代皇帝穆宗(ぼくそう:17代文宗という説あり)が宮中で宴を開いていた時に、数万と言う蝶の大群が押し寄せてきた。追い回してもなかなかつかまらなかったので、網を用意して捕まえるとそれらはすべて禁中で保管されていた銭、黄金が化けているものだった・・・すなわち帝国の浪費と疲弊を象徴する伝説らしいのですが、この古事が日本にも伝わって古銭=化蝶になったと思われます。
ところで化を「け・げ」と読むのは「化身:けしん」「変化:へんげ」のように、自らの意志によって変わることであり、変化に対する畏れ、驚き、神秘が含まれた読み方のようです。例えば化粧は男どもをたぶらかすために行う女性の呪術行為で、哀れな男どもは誘蛾灯に飛び込む虫けらだとお考え頂ければわかりやすい。それに対し、「か」と読むケースはそんな神秘性やおどろおどろしさのない言葉、他力による変化の語に多い気がします。そうなるとやはり古銭の場合は「けちょう」もしくは「げちょう」が正しいようです。みなさん古銭の魔力にたぶらかされていますから。
一方で、化の文字は貨幣の意味もあり、泉化=銭貨でもあります。これは音の置き換えや省略文字の意味合いもあるようですが、私が「か」と読んでしまった原因でもあります。貨幣の意味なら「け」「げ」とは読めませんから。
それでは正しいのは「けちょう」なのか「げちょう」なのか?
私を正すきっかけを作ってくれた隠語大辞典の記述は尊重しなければならないとは思いますが、日本語的には冒頭文字の「化」を「げ」と読む文化はないと思うのです。すなわち「けちょう」の方が自然です。何かの言葉に続くときに日本語は濁ることがあり、これを連濁と言いますから、「げちょう」は「闘化蝶:古銭を見せ合って優劣を競い合う優雅な遊び」のように他の語と結びついた読みから生まれたのではなかろうか・・・というのが目下の私の推理。すなわち「「闘化蝶」は「とうげちょう」なのではないでしょうか?
しかしこれはあくまでも机上の論にすぎません。果たして「化蝶」は「けちょう」なのか「げちょう」なのか、あるいは逆転で「かちょう」なのでしょうか?そして「闘化蝶」の正しい読みは?どなたか私を導いてください。ご連絡お待ちしております。
 
6月22日 【ちょっと怖いお話】
キュリオマガジンを開くと八厘会の記事とともに天保銭人の笑顔の写真が掲載されていました。今日は土曜日の完全休日・・・しかも第4土曜日(八厘会の日)・・・ということで朝、恐る恐る女房に東京行きを打診すると、「今日は美容院に行く日だから、子供にお昼ごはん食べさせといてね、それとお部屋の掃除もよろしくね。」という軽やかな反撃を受けてしまいました。仙人様ごめんなさい。無駄遣いしないで済みますが、なかなか参加できず不満がたまります。「・・・物を採取しようとする人は、かならず何らかの欲求不満のとりこになっている。この中、古銭蒐集家のそれは、特に重症である・・・」という古貨幣夜話(利光三津夫著)のお話の通りでして・・・。

HPの分析・監視ツールを付けて約1週間、公開されている無料のものなのですけど結構面白い。訪問状況はリアルタイムで分かります。
(2013年、9時20分現在、埼玉県、静岡県、東京都の方が訪問しています。みなさんリピーターです。ありがとうございます。)
引っ越しをしてから41都道府県域、1000人あまりの方がアクセスしてくれていて、リピーター率ははおよそ64%。これは解析を始めてからの数字ですのでまだ増えています。まだアクセスのない県は 石川・福井・山梨・鳥取・徳島・愛媛・佐賀 だけになりました。(頑張りましょう!)
海外からのアクセスも多少あり、アクセス地域はアメリカ(カリフォルニア・ワシントン・テキサス)中国(浙江省・河北省・江蘇省・山東省)・台湾(台北)・カナダ(オンタリオ州)からありました。(遠いところご訪問頂きありがとうございます。)
一番アクセスが多いページは表紙(あたりまえ)ですけど、かなりの数でこのページ(制作日記)に直接飛んでくる人がいます。
検索エンジン使用はヤフーが多く、私のようなGoogle派はむしろ少数派でした。
流入サイトは検索エンジン以外では “古銭関係リンク” が結構多く、“オレンジねこのページ” “シュミラン” にもお世話になっています。また、ウィキペディア からも結構入ってきていたのには驚きです。2CH掲示板からの流入もありまして、ありがたいお客様のようです。

ここからはちょっと怖い話・・・
この分析・監視ツールの機能はⅠPアドレスなどの接続者情報、地域、訪問回数やどこのページを見ているか、どこのサイトから来たのかなどの流入経路もわかるだけでなく、相手の機種やバージョン、プロバイダーまでも判ります。
判明したⅠPアドレスをとあるサイトで詳細情報検索すると、今度は
相手のパソコンの基本情報(クッキー)が丸見えになることがあります。クッキーは相手サーバーに接続したときの自己紹介用情報、いわば名刺交換のようなものです。この情報の中には個人情報も含まれています。
また、気に入った
ページをパソコン上にダウンロードして情報として保存する方はいると思いますが、インターネット接続状態で閲覧すると、パソコンに付けた個人名がドキュメントフォルダー名に(リンク先として)くっついて流出してしまうことがあるのも実例として判りました。これは保存したHPに相手情報をこちらに伝えるように仕込んであるからで、ダウンロード後も相手のパソコン上で律儀にその仕事を続けるからのようです。購入した直後のパソコンに、使用者として自分の名前を付ける方はとても多いと思います。少なくとも怪しいサイトにはいかない・保存しないほうが身のためですね。(私のサイトも十分に怪しい?)

※会津濶縁が出ていますね。しかも、濶縁離足寶系ですね。輪左側のわずかな瑕が素性を物語っています。私、会津濶縁は大好物なんですけど、いつまで頑張れるかしら。
 
6月21日 【2013CCFオークション】
CCFのカタログが到着。しかし残念ながら当日は結婚式に出席しなければならず観戦すらできない。残念。郵便入札と言う最終手段はあるもののまず勝てる見込みはない。勝てたとしてもものすごい高い買い物になるのは必定で、本当に困ったものです。そんなCCFに何が出品され私が何に注目しているか書いてしまいます。注目はやはり第4部の日本穴銭。目立つ品をピックアップ。
番号 品物 価格 寸評
6007 金圓世寶 大寶 350,000 珍しい逸品。表紙を飾る品です。
6018 島銭 唐国通寶 8,000 唐国の島銭は初めて見ました。
6024 御蔵銭 長永 30,000 御蔵銭のブランド。一度は手にしたい・・・それだけ。
6028 正字 縮文  80,000 文銭手替わりの東の横綱。西は天狗寛永。
6029 仿鋳鉄 白目中字写  5,000 密鋳鉄銭マニアなら喉から手が出る品? 
6037 小菅手 縮字 280,000 この価格はお安い?これは結構な珍品ですよ。 
6038 元文 正佐母銭  120,000 表紙を飾る品。大きい。ただし私は母銭は購入興味なし。
6039 天明佐 母銭  1,000,000 こいつは有名。ただし、買う予算なし。 
6041 大字 広久母銭 40,000 背久は人気ないけど、これは少なかったのでは? 
6059 文政離用通 面刔輪背削波  25,000 安く、状態もすこぶるよさそう。人気あると思います。 
6061 踏潰 小字手  50,000 こいつは欲しいが値段もすこぶる良い。 
6062 盛無背 異永  25,000 こいつも未入手品。見るからに汚い品なんですけど・・・。 
6063 仰寶大字 母銭   200,000 南部の顔をしています。でも高いなぁ。 
6066 仿鋳 短尾寛写  5,000 良くある品だけど好きです。 
6067 仿鋳 離用通写  7,000 こいつは人気沸騰すると思います。 
6084 水戸 繊字母銭  80,000 この価格なら手が届く? 
6086 薩摩 小字  300,000 状態いまいち? 
6087 会津 萎字改造母銭 400,000 天保銭の注目株?カタログ原品。
6089 高知 額輪大様  5,000 厚さ3.07㎜は見てみたい。それにしては軽い? 
6091 銅山手 正座  15,000 ありふれてますが、画像の顔が好き。 
6092 南部 小字 正座  75,000 状態が今一つか。未収品。 
他にも注目すべき品はたくさんあると思います。幻足寛とか鐚式に見える慶長通寶とか。ここに書いたから私が応札するとか、価値があるというわけではありません。カタログを見て目についた品ということ。今回は寛永銭が熱いと思うのです。会場に行ける方がうらやましい。
 
6月20日 【悪夢の画像マジック】
6月17日の天保銭・・・届きましたが、正解は②の画像マジックでした。(最悪~)
どうみても出品物と同じ品なのですが、100%本座長郭。16000円を捨ててしまいました!ショック!皆様、私の鑑識眼は当てになりませんよ。しかし、画像は刔輪されて長足寶に見える。比較拡大画像をつくってみたらやはり足が長い。左右が同じ品の画像には見えませんね。しかし、郭の当たり傷や地肌の傷が一致しましたので同一品で間違いない。結論から言うと意図的ではないにしてもこの画像は変形しています。あきらかに銭文径は縮小しているのに寶貝から下は伸びています。(銭径が長い。)魚眼レンズ効果なのかもしれませんが、何度見てもこれでは騙されます。出品者には悪意はないと信じますが、これはくやしいですね。自分の眼が信じられない・・・というより、自分の眼は今でも正しいと思っています。残念!

※今月号の収集を読んでいてはじめて
「50円や5円の穴は打刻時に穴が開けられるのではなく、あらかじめ穴の開いた円形に打刻するらしい」ということを知りました。そうなると穴ずれは円形製造過程でエラーになったものがはじめの検査をすり抜け、打刻後の検査もすり抜けたことになるのでしょうか。
今月号の収集には2つ穴の50円が出ています。これはすごい珍品に見える。しかし、果たしてこんなものが検査をパスできるのか・・・きわめて怪しく思えてきました。2つ穴は重量も絶対不足するはずです。エラーの世界は確かに何でもアリなのですが、これは難しいのでは?
そこで極めて不謹慎ながら、これが贋作だとして贋造者の視点に立って考えると・・・
最近は日本でも小さな業者が外国コイン公式記念貨を作っていますので、打刻技術は問題ない。だから一番てっとり早い贋造はは貨幣の刻印を贋造してしまうことではないでしょうか?
型は放電加工技術(日本の金型製造技術は世界一です。)で作れます。それでなくても最近は3Dプリンターという恐ろしい武器もできています。以前は芸術的なコインそのものを贋造しようとした結果、贋造過程の加工痕跡を追求されて贋作が露見していました。しかし、現行コインならデザインはシンプルで成分も公表されています。何よりお手本は格安で入手可能です。コピー製造したコインの打刻型をクロームメッキでぴかぴかに仕上げられたらおそらく本物と寸分たがわないものができてしまうのではないでしょうか?
芸術的な近代コインの贋造は大変でも、現行コインは楽、しかしそれではもうけが少ないのでエラーコインに目標を絞る。エラーコインなら何十万円も払う人がいる・・・怖い話です。
もちろん、これはあくまでも現行コインについてからきしの素人が考えた仮説です。私のたわごとが業界を揺るがしたら大変なことなのであくまでも仮説。素人の妄言です。自分が失敗してマイナス思考が脳を支配しています。だれか、正しい意見をお教えください。
 
6月19日 【投稿ありがとうございます!】
私の呼びかけに応えて下さいまして。七雄泉氏から例の安南寛永の背文太異文の画像と拓本を頂戴いたしました。ありがとうございまず。(拓本は容量調整の関係で余白をトリミング調整しています。ご容赦ください。)二度と会えないと思っていた恋人に再会できました。どうやらふさわしい方にお嫁入りできたようです。
こんな安南寛永に大枚をはたく評価ができる方はそうはいないでしょう。相当な病気、そして相当な愛情です。病気っぷりには負けないつもりでしたが、今回は脱帽でしたね。とりあえずお預けしておきますので、大事にしてあげて下さい。安南寛永にはまだ未知の領域がたくさんあるようで、新しい発見がときおりあります。多くが収集家の雑銭箱の中に埋もれてしまっているようで最近はあまり見かけなくなりました。この文太異文ははたして2枚目はあるのでしょうか?
秘宝館には掲載していますが、背中や背満文などの稀品は果たしていずこに・・・。お持ちの方、ご連絡ください。
(画像が欲しい!)
 
6月18日 【エースコイン】
女房にお使いを頼まれてスーパーにいったとき、エースコインと名付けられたレトロデザインなビスケットの袋が目に飛び込んできました。コインのお菓子と言えばコインチョコレートがすぐに浮かびますし、小判大判ならお煎餅や人形焼などがあると思うのですけど、コインとはいうものの穴銭がメインのお菓子は珍しい。女房に怒られることは承知で思わず購入。私の目当てはもちろん袋のみ。中のお菓子は子供にプレゼントです。
いやぁ~渋いデザインです。デザインは富本銭にはじまり皇朝銭、渡来銭、元和通寶、寛永通寶、天保通寶、仙台通寶とたくさんある。なぜか鉄四文銭の仙台銭が削頭千(さくとうせん)とあるのがこれまた妙にマニアック。しかし、なんで削頭千なんてけったいなものが選ばれたんでしょうか?
四文銭なら明和21波あたりの代表銭で十分だと思うのですけど、どなたか担当者にマニアな方がいたのか・・・いや、マニアならますます削頭千なんてマイナーなものは選ばないでしょうね。おおかた、日本貨幣カタログから適当に選んだのだと思います。しかし、これは子供にコイン趣味を芽生えさせる素晴らしいツールです。私のようなおじさんが喜んで購入することを狙ったものではないでしょう。
仕事柄子供に対して講演をやることがたまにありますので、今度一文銭をプレゼントしてあげようかしら?
私の古銭収集のはじまりは1枚の天保通寶がきっかけです。このビスケット、日本貨幣協会のイベントで子供向けに配る?・・・でも参加者はみんなおじさんとおじいさんばかりですから・・・。このお菓子、昭和30年からのロングセラーだそうです。富本銭があることからリニューアルもされているのでしょう。永く生き残って欲しいものです。

泉家・収集家覚書に久しぶりに加筆。(草間直方)
 
6月17日 【幻の逸品】
古貨幣夜話のおかげで久々に古銭談話に没頭しました。さすがに大学教授であり、日本貨幣協会元会長であらせられたから、かなりの珍品の話も出てきます。私のコレクションには3桁に達する価値があるものはほぼ無く、可能性があるとしたら島屋小頭通細縁ぐらいだと思います。
寛永銭の横綱は何かと聞かれたらなんだろう。
古寛永開元手は初期不知銭の名品ながら貧相。しかも現存1品とか言われていましたが、どうやら2~3品ありそう。
同じく古寛永魚尾寶も魅力ありますが、数が少しあるようで・・・。う~ん、古寛永はわからん。パス。(三井家伝来?の元和手番銭全揃い・・・あれはセットものとしては最高でした。)
バブル価格という点では平成17年の銀座コインオークションにおける
明和大字母銭の500万円、同じく明和大字通用銭の520万円が双璧。多分これ以上はないと思います。この時は島屋文の母銭180万円、奴銭母銭180万円なんて化け物もいました。(バブリ~)
もしこれを超えるとすると銭幣館の拓本にある
島屋文の彫母ぐらいでしょう。(試鋳貨と思われるマ頭通21波の彫母もすごいけど真贋は判らない。)銭幣館には彫母クラスのものがたくさんコレクションされていたようですが、これらは伊勢神宮などに奉納(賽銭)されていたものらしい。
天保銭は藩鋳銭では
仙台大濶縁、不知銭ではなんといっても奇天でしょう。これらも平成17年に420万円、660万円でそれぞれ取引されています。仙台大濶縁は人気はありますが数もけっこうあるといううわさ。先日の曳尾母銭の価格にも驚きましたけどこれらに比べればお買い得?
日本貨幣界(穴銭)全体では何かと考えると、もし民間に出てきたらということであれば以下の3種でしょう。
①太平元寶(銀銭)・・・760年につくられたとされる謎の銀銭。大正時代に発見されたとか、唐招提寺にあったが紛失したとか・・・幻。
②〇賈行〇(銀銭)・・・昭和12年、西大寺付近で開基勝寶とともに発掘。大型銀銭の破片であり、教授は商賈行布ではないかと推定・・・謎。
③開基勝寶(金銭)・・・寛政年間に1枚、昭和12年に31枚が発見されたものの、いずれも国家財産に(1枚は皇室御物)・・・国宝。
いずれも金銀貨になってしまいましたが、歴史的価値、貨幣としての品格申し分なしです。
 
6月16日 【安南寛永の最高級品:背文太異文】
やはり出てきた・・・背文太の安南寛永。これは初見ですがおそらく二度と見ることはできない代物だと思います。しかしながら、応札するとすぐ反撃があり、最後のお願いも簡単にひっくり返されました。さすがに現在価格は常軌を逸しております。残念ながら今回はさよなら・・・画像だけ採取させていただきました。(借用ごめんなさい。)前回の珍文同様、92年の収集掲載原品です。安南寛永をこの価格で落とされた方の心意気に感服しました。できれば正式に画像を送って下さい。
でも文太ってなんでしょうね。

ネット上に出されていた不知天保銭・・・実は昨年の10月に一度出ていましたが、突然出品取消しになったもの。価格は4万円以上ついていました。新規IDで再出品されていましたが、画像も全く同じなのでみんな警戒してあまり応札がありませんでした。怖いもの見たさもあり間際に応札。若干の競りはありましたが16500円で落札。夢買いの値段としてはぎりぎりOKでしょう。
さて、これからどうなるかドキドキします。
①良心的な方と普通に取引・・・できればこうあって欲しい。
②画像マジックが起きるケース。これには腹が立ちますがしょうがない。
③振り込み後のだんまり。これは一番警戒します。
④音信不通。これがいちばんありそう。

なぜか自虐的な考えが次々に浮かぶ・・・それでいて不気味に楽しい。虎穴に入らずんば虎児を得ずなのか火中の栗を拾いにゆく行為なのか。
※相手の住所が判明し、きちんと所在確認ができました。心配しましたが何とか大丈夫そうです。出品者のカタ、失礼しました。
 
6月15日 【古貨幣夜話】
故、
利光三津夫(りこうみつお)教授の「古貨幣夜話」を購入しました。恥ずかしいことに私は今まで「としみつ」教授だと思いこんでいました。大変失礼しました。
利光氏は日本貨幣協会の元会長であり、私は一度だけオークション会場でお会いしたことがあります。当時は利光氏のことを知らず、大柄で品格のある方が会場に来られたのだと思いました。私がぼけっとしていると、天保仙人があわてて「利光さんだ、席を譲りなさい!」と小声で教えてくださり、あわてて立ち上がった記憶があります。(仙人様ありがとうございました。)
それから間もなくしてお亡くなりになられたと聞いたので、利光教授についてはほとんど知ることはありません。実は教授は私の母校で教鞭をとられており、勉強嫌いの私でも現役時代に知っていたら絶対に会いに行っていた気がします。貨幣の研究をされてるのなら、文学部か経済学部あたりかと予想していましたが、なんと法学部で、教授は古代法の「律」の専門家だそうです。

私はこの手の随筆は自分の収集ジャンルにこだわらず好きで、教授は和同の珍寶論争で開珍説を唱えられていたということだけは知っておりましたので、その話題のあるこの本はかねてから是非読みたいと思っていました。
本の中身は軽妙なエッセイにして、貨幣に関するうんちく話が盛りだくさんです。未発見の貨幣、個人的な古代の記念貨の存在など初めて聞く話も面白いです。いわゆる泉談集と言った方が良いでしょう。第一話に教授の友人の自称心理学者が述べた言葉に「・・・物を採取しようとする人は、かならず何らかの欲求不満のとりこになっている。この中、古銭蒐集家のそれは、特に重症である・・・」とあり、私もドキッとしました。
定価は1900円ですけど古本市場を探せばもう少し安く見つかるかもしれません。まさか大学関係の出版会社で印刷されているとは知りませんでした。

※珍寶論争:たしかに教授の言うことには一理ありました。ただし、開元の鋳造・流通年代などについての論点に弱点もありますし、私が読む限りは(心揺らぎましたが)絶対的な決定打ではないと思います。何より氏自身が寶と珎が同意異語であることも認めています。単純な読み方ではなく珎が何を意味しているかもカギであり、これについては漢字の本家である中国、伝来経由地の韓国でどうであったかも関係すると思います。(私も頑固)
 
6月14日 【古銭収集家のひとりごと】
コレクションは男性的な趣味である。事実、東京交通会館で妙齢の美女におおよそ出会ったことがない。美しい人がまったくいないわけではないがたいがいお金持ちのパートナーかアルバイト女子である。そして彼女たちは古銭より現世のお金の方の収集に興味を持っているに決まっている。もちろん、スポンサーのパトロンに対しても興味はない。興味があるのは財布の中身の可能性が高い。(ついパンツの中身と書きたくなるが、それは想像したくない。)
女性にもコレクションを楽しむ者はいるが、大体集めるものが可愛いとかきれいといった直接的な価値基準である。一方、男性は他人から見たらそれこそガラクタにしか見えないものを集めて誇り喜んでいる。この違いは男女の性差にあると思う。
生物の常としてつがいを組む場合、実際の選択権は子供を産む女性の方に強くある。男性は相手に選ばれるため、力を蓄え自己顕示をする。競争の相手を屈服させるための行動もある。多くの生物のオスが強く美しくなるのはそれが理由である。しかし、残念ながら多くの人間男性はあまり美しくない。筋肉が発達しているとかで生物学的な理由で美しいということはあるかもしれない。事実、アスリートの人々はたいてい美しく感じる。収集家も本来はそちらの方に走るべきなのかもしれないが、もはや手遅れである。
こうしてオス同士の競争に勝てないと悟ったものは新たな武器探しに走る。そしてたどり着いたのが古銭という収集趣味であると私は考える。
はじまりは好奇心や子供がおもちゃを集めるようなものだったと思う。しかし、次第に他の人がやっていない、何かが違う、知識があることで心を満足させるのである。もはや自分の選んだ道が全く力の顕示に役だっていないことにすら気づいていない、いや、気づきたくないのである。
妻に自己顕示してみる。
「ふ、ふ、ふ、この古銭は〇万円もするんだぞ。」 「ふ~ん、売れば。」
「何を言うんだ、日本でも数少ない貴重な資料なんだぞ。」 「どうせ集めている人も数人なんでしょ。」
「バカ言っちゃいけない、欲しい人はいくらでもいる。ともかくこれはお宝なんだ。」 
「だったら早く売れば!」
やはりメスにはこの崇高な趣味を理解するのは難しいらしい。
健全男子は早くこの事実に気づくべきである。しかし、古銭界全体が衰退してしまうのも惜しい気がする。収集界がなくなってしまうと、自分の活きる世界・価値がなくなってしまうからである。だから、、新人がこの世界入って来ることを喜ぶ者も多い。彼らは新人になけなしの力を顕示して満足しているが、害は少ない。(私もきっとこのタイプである。)それは社会や家庭での憂さを晴らす行為でもある。(妻よ!私の魂の叫びを聞いてくれ!)
もう一方で新人を「敵」と考える不埒なやつらもたくさんいる。彼らは屈折していて贋物を売りつけたり、強硬に論破してみたりしていたぶることで快感を得ている。新人とはいえライバルと見ているのだろう。正面から戦えない相手には陰口攻撃を行うのが常で、趣味界が衰退することはチャンスと見ているのかもしれない。他人の不幸は蜜の味。だから、体が弱ってきたときやさしくしてくれる人すべてが善人とは限らないのである。きっと、
「俺にお前の古銭を早く譲れ」と呪文を唱えているに違いない。
その点、うちの妻は古銭そのものに興味がないので私が病に倒れ入院してもまったく心配する様子もなかった。これは多分喜ぶべきことなのだろう。しばらくは、古銭趣味に集中できると思う次第である。

※引っ越しをして3日目、Googleでようやくこの新URLがヒットするようになってきました。全体をスマホ対応に直したいところですが、しばらくは無理か。技術もないし・・・。容量が増えたので画像の大きさを気にしないですむようになったのはうれしい。
私の場合・・・収集はもはや病気であり、すっかり古銭バカになっています。HP更新ももはや儀式に近い?(仕事や家庭の憂さ晴らしです。)
情報の垂れ流しですから知らないうちに不快な思いをさせてしまっている事も多いと思います。(ごめんなさい。)古銭趣味者が若い人に広がればもっと楽しいのになあ・・・。
 
6月13日 【寛永堂と古楽堂】
私は日本貨幣協会の幻会員です。会員名簿なるものも見たことないので本当に会員になっているかは分からないのですが、昨年末に会費を払い貨幣誌が届いているから多分会員なのでしょう。
貨幣に書かれている記事はどれもが格調高く、古文献も調べてある学術的な内容で感心します。さて、そんななかに耳口健士こと穂泉故、小泉建男氏の古銭叢話があり、私はこれを楽しみにしています。もともと辛口の批評で知られる方でしたので、言いたい放題あり、秘話あり、暗に匂わす話あり・・・亡くなったあとの発表だから許されるものの、怪しい話やかなり危ない話もあります。
さて、今月の記事は「もう一度みたい 佐渡の寛永通寶」というタイトルでの寄稿で、注目したのは
「寛永堂は明治まで永らえた。その子の古楽堂は明治十年代、寛永堂の後を継ぎ贋物作りの名人と言われた。正徳佐の大型と小型と無背は寛永堂作だと先輩から耳打ちされた・・・」という一文。寛永堂と古楽堂の親子関係を書いた簡単な情報ですが、時代まで書かれているのは初めて見ました。
右上の寛永銭は平成17年頃にネットに出たもので、養真亭こと馬島杏雨の旧蔵品。直径28ミリを超える白銅の母銭づくりで、佐渡御用銭といったところ。これこそ寛永堂だと私は思う。右下のものも有名で跳文と言われるものでしかも母銭。これは新撰寛永泉譜にも掲載されていて、やはり寛永堂作と言われます。実は入手のチャンスもわずかにあったのですが、食指が動かなかった。たしかにつくりは立派なものの寛永堂の美学に合わないつくり。寛永堂の美学は私が勝手に作り上げた幻想かもしれませんけど、跳文には赤銅質と黄銅質のものがあるし、どうも古銭としての芸術・哲学がいまひとつ。もちろん、すばらしい作りですけど、やはり上の背佐に比べると役者が違う感じがします。天国(地獄?)で寛永堂は古楽堂に「お主はまだまだだ・・・」と言っているに違いない。なお、耳口健士氏は
銀でつくられた文久佐をもう一度見てみたい・・・とありました。でも銀も贋物が多いですからね・・・。久八とかブランセンとか・・・クワバラクワバラ。
 
 
6月12日 【お引越】
今まで無料だったホームページビルダーの公開サイトが8月から有料化されます。どうせお金を払うのなら容量が大きいところの方が良いので、思い切って「ロリポップ社」のサーバーをレンタルしました。月額も安いし、年会費も不要。容量も今の500倍です。また、変な広告表示も要求されないので気楽です。これでOCN社にはじまり、ビルダー社を2つ経由して引っ越し3度目にして4つ目のURL取得です。メールアドレスも変えたいのですが、こちらは影響が大きく手続きが面倒くさいのでもうしばらくはこのまま。OCNの転居案内表示は残りますが、ビルダー(IBM)側は7月末で完全閉鎖されます。
OCNのときは有料で、一時期追加ディスク費用だけで毎月5000円近く支払っていました。それに比べれば今回の負担は10分の1以下です。
「ロリポップ社」については全く知りませんでした。社名だけ見るとなんかあぶなそうな気がするのですが、価格、容量などを総合比較して選んでいます。完全無料というのもあったかもしれませんけど、この方が私にあってそうな気がしました。
半徹夜で一気に作業しましたので眠いのなんの・・・。
下の刔輪天保とともに入手した長郭手の陰起文です。見ての通り覆輪銭ですが、派手さはありません。文字は非常に細く鋳出されています。画像は非常に鮮やかな黄色に出ていますが、その通りの品で、いつもスキャナーがうまく写らなくて困っていたのに珍しく美人に撮れました。文字もシャープで、地肌のぬめぬめしたうねり感も本物以上?に美しく見えます。なにが原因でこうなるのかよく分かっていませんが、毎回これぐらいピントがあってくれると良いと思う次第です。(背景の色は本当はもっと鮮やかな深緑色ですけど・・・。)
長径49.0㎜ 短径32.45㎜ 銭文径40.9㎜ 重量21.6g

引っ越しの影響でGoogleなどの検索にこのページが直接ヒットしなくなりました。表紙と制作日記につくっていた仕掛けはしばらく役に立たなくなりそうですがお許しください。
今度はアクセス数が異様に伸びています。1日で1万回を超えました。これはサーバーに対する攻撃かもしれません。
 
6月11日 【刔輪天保】
見ての通り不知長郭手です。こいつは入札誌穴銭で3000円の下値で出ていました。本来なら入札は値段読みの駆け引きをするものですが、おいおい、いくらなんでもその下値は間違いだろうと、正当評価させて頂き、私の元に届きました。
評価の理由はやはり天上の刔輪がはっきりわかるつくり。文字変化はほとんどないものの銭文径は縮み天上の刔輪がしっかりされていて、背は細縁になり當字が隔輪しますのでサンプルとしてはとても面白い。良くみると横太り銭形なんですよ。(本当は覆輪銭です。)こいつはかわいいでしょ!
長径48.5㎜ 短径32.1㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.0g
※私の持論・・・刔輪は覆輪とセットが原則。刔輪は輪幅のいびつ修復が主な目的だからです。詳しくは天保通寶覆輪刔輪マニアック講座をお読みください。

残念ながら大和文庫の入札・・・白銅の秋田寛永・・・は空振りです。私には身分不相応の品と言うことですね。手に取ることができなくて残念でしたけど、支払いの不安からは逃げられました。でも、やはりちょっと悔しいな。
 
6月10日 【なんじゃ!ちみ、これは?】
最近、変なことは妙に覚えているくせに、大事なことの物忘れが激しくなってきました。さて、この品と同じものが最近ネットに出ていて3万5000円を超える異常な価格がついていました。見ての通り異書体で、金質は硬い真鍮と白銅質青銅の中間体。おそらく古寛永の永楽手を真似たものと思われます。福西常次と加賀千代が共同で販売したものに類似品があり、あるいはそうなの(有名なところでは二水大寶があります。)かもしれませんが、銅質が異なる気がします。何かの折にⅠさんかKさんあたりから頂いたようなあやふやな記憶があるのですが、詳細が全然思い出せず、実は今日まで所有していたことすら忘れていました。誰が下さったのでしょうか?この品は多分贋作銭・・・石川氏いわく悦銭・・・だと思います。したがって評価はいいとこ1000~3000円ぐらいかな。
気になるオークションがいくつかあります。他人の画像の使い回しらしきもの、ガラクタをさも高価なように装うもの・・・なかには犯罪すれすれというか、確信犯のものもあります。非常によくできた新作贋造の天保銭らしきものもあります。もともと贋造枝銭だったものをばらした品ですが、本物の母銭から昔ながらの方法で作ったのでかなり精巧です。私のHPにも類品が載っています(広郭手 粗肌無極印銭)ので探してみて下さい。参考品と考えるのなら一見の価値ある品です。かつて私は見事に引っかかりましたけど。
 
6月9日 【再読、大英博物館所蔵日本貨幣カタログ】
入手したあと、ほったらかしになっていたこの本をひさびさに引っ張り出しました。この本には江戸期の日本貨幣を中心に展示があるのですが、その中核をなしているのが江戸期の大名コレクター、朽木昌綱公のコレクションです。
朽木公は江戸期収集界の頂点に君臨する人物だと思っています。(詳しくは泉家・収集家覚書のコーナーをお読みください。)
大名コレクターと聞くと、金銀燦然たる収集品を予想されるかもしれませんが、当時の主な金銀貨は現行貨幣ですし、時代によっては金銀貨幣収集は恥ずべき奢侈だと規制の対象にもなりましたので、彼の興味はもっぱら鋳造の東洋の古貨幣。また、朽木公の生きた時代(1750~1802年代頃)は寛永銭でいえば元文が終わり明和~寛政期で、鉄銭がかなり出回った頃。カタログ収蔵品には朽木公とは時代があわない文久銭や天保銭も多く含まれることから、朽木公収集以外の品物もかなり含まれていると思います・・・というより、こと寛永銭に限って言えば、???の品が多すぎるかも。
そんな気持ちでもう一度読むと・・・
富本銭が3枚もあるのはさすが朽木公。割れているとはいえ手替わりまであります。皇朝12銭もひととおりあります。島銭がものすごくあるのがとても目立ちますが、やはりこれらは当時から奇異の目で見られたからなのもしれません。打製永楽、金銭や天正通寶、文禄通寶なども見えます。やはりこれらは当時から珍しかったのかもしれません。
さて、寛永通寶ですが、既述したようにこれがまぁ玉石混交もいいところ。少なくとも文政期以降の品は朽木公のものではなく、雰囲気的には雑銭箱の中身が混じったまま博物館に運ばれたのではと思う次第。
朽木公の時代、寛永銭は現行貨幣であるわけで、そんなものでも集めるというのはよほど資料的な価値が高いか、目を惹かれる変なものに違いありません。大きなス穴、鋳筋、星、月形など現代感覚で見れば屑に近い瑕ものが、当時の眼では奇異に映ったのだと思います。半意図的な?錯笵銭が多くみられるのも同じ理由だと思います。そんな中でも朽木公コレクションと思われるものはあります。
古寛永ではニ水大寶や背三、十三があり、沓谷の番銭や巨大な太細、水戸銭系の原母銭クラス(370番)が目立っています。
新寛永はあきらかにコレクションされた品と思われる朱書の残る母銭類と御用銭類が見事です。難波御用銭はこれだけ集めるということは、当たり前ですが当時から目立っていたのでしょうし、やはり御用銭は記念硬貨的な存在じゃないかなと思う次第。背十も背川もちゃんとあるのは同じ理由・・・あるいはやはり背文があるのは目立つからか?錫母が非常に多いのは資料として収集した証拠。そういう意味では密鋳銭もけっこう混じっています。安南寛永もありますね・・・永利手が模作寛永になっているのはご愛嬌。26㎜ある佐渡民鋳は地味ながらなんじゃこれ・・・と言った感じ。
そんななかに打印寛永銭が5枚もあるのは驚きました。やはりこれらは当時から島銭と同じ扱いなのかもしれません。こうなると絵銭から地位復活させても良いかもしれません。
よく見るともっと発見があるような気がしますが、英文ですし、残念なことにとにかく印刷の粒子が粗く、細部が見えず、目が非常に疲れます。
 
6月6日 【秋田の白銅銭】
たびたび触れますように、私は白銅銭が非常に好きです。先月号の駿河に秋田中字の大様白銅母銭が出ていました。本来は母銭は積極的な収集範疇に含めていませんでしたが、この品は「穴銭入門」の原品であり、通常より1サイズ以上大きい特異な品で、かつ通常は黄銅質が多い秋田の母銭の中で純白という特別なもの。背に大きな鋳だまりがありますが色の白いは七難隠すとも申します。
さて、この画像を見たとき、私は一つの思いを抱きました。秋田天保には天然の白銅を使った白銀の母銭が存在しますので当然、この母銭も天然の白銅を使った母銭かもしれない・・・それにしてもこんなに大きいのはどういうわけだろうか・・・と、いうようなもの。秋田寛永の通用銭サイズに妙にばらつきがあるのも気になり出しました。妄想が膨らんできました。
錫の収縮率は銅に比べるとかなり小さく、ほとんど無視できるレベルですから、白銅母銭は錫の含有率が高いので、当然ながら原母銭のサイズに近いに違いありません。もしかするとこれは秋田寛永の錫母に該当する特別なものかもしれないぞ。
あまりの美しさについ手がふらふらと・・・応札。ただし、ほぼ最低価格での応札でして、それでもひょっとしたら落ちているかもしれないと今からドキドキしています。もっとも、落ちていたらまた、支払いがドキドキです。まあ、これも先日の曳尾の母銭に比べれば可愛いもの・・・じゃないかなあ?

※古い、月間天保銭を読んでいると土佐額輪に白銅銭がある・・・とありました。実はその昔、雑銭の会でそれらしきものを拝見したこともあります。非常に薄肉で額輪のつくりながら地金はほぼ純白でした。見たことはないものの曳尾にも純白のものがあるようで薩摩広郭も本当に真っ白なものがあると聞きました。生涯に一度出会えれば良いなぁと思います。

※あると言われているのに見たことがないものとして、元文期十万坪含二水永の白銅銭。佐渡の含二水永の白銅はありふれていますが、その本銭になったものは果たしてあるのでしょうか?そしてどんな顔をしていますか?

 
6月5日 【密鋳銭?】
京都に引っ越したS君から画像でお問い合わせ。輪横やすり(ロクロ仕上げに見える)、穿内やすり仕上げの安政期のような雰囲気で文政期に近い黄銅質。さてこれは・・・ということでしたがこれだけの情報ではなかなか判断は難しかった。結局、追加画像を頂戴した結果、密鋳銭と判断しました。
彼は京都趣味の貨幣の会にも出入りしているようで、同じ判断を頂いたようで、一安心です。内径が明和俯永と同じとも聞いております。これは興味深いですね。写せば内径が小さくなるのが道理なのですが、延展されたり焼け伸びたりすると広がります。実際に4文銭に限って言えば延展銭の密鋳銭はかなりの存在量だと思われます。採算性を考えたら4文銭の密鋳は天保銭ほど効率の良いものではありません。それでも4文密鋳銭があるのは市場が決済用の小銭を必要としていたからなのかもしれません。
(少なくとも鉄銭よりは採算性は良かったと思われます。)密鋳銭の判別は総合的に見るしかありませんが一番のポイントは側面の仕上げ、そして材質と穿内の仕上げです。(そういえば内径はあまり気にしていませんね。)入札などで密鋳の触れ込みで応札すると、5枚に1~2枚の割合でで焼け銭が入っていて閉口します。見立ては人それぞれですけど、もう少し厳しく判断して欲しいなと思いますね。
しかし、S君、今から古銭に夢中になっているなんて将来有望・・・それともあぶない?
古銭は道楽ですから、若いうちは体を鍛えて勉強と恋に励んでくださいよ。ただし、人のやらないことに着目して取り組む・・・というのもなかなか楽しいことなのです。
 
6月1日 【天保通寶真鍮銭】
この天保銭は昭和8年の貨幣誌に掲載され、それから7年間あまり、真贋論争のようなものが続いたそうです。(東北のTさんから画像を頂戴しました。ありがとうございます。)
見ての通りのオリジナル筆法で、見事な短尾辵。側面の極印はきれいな星形であり、今でこそ誰もがおもちゃであると言えるのですが、当時は私鋳銭ではないかとかなり議論に上ったようです。これは背百に鋳切れがないタイプですね。
不知天保通寶分類譜別巻によると、濶縁大當百(俗称:グリコ天保)の作風と似ているということですが、拓本で見る限りではかなり雰囲気が異なります。近作の品ながら最近はほとんど見かけなくなりました。
ちなみにグリコ天保として市場に出回っている品はほとんどがグリコ天保ではありません。グリコ天保はこのような黄銅質で、背の當百の文字がつぶれて横広になったもの。グリコのおまけに付けられたものですから、絵銭と言うよりおもちゃかメダルと言ったような性格のものでしょう。
昨夜の曳尾もあれは古銭ではなく鋳銭道具・・・古道具です。そう思えば心は安らかになります。
「尖り千」は「とがり千」それとも「とんがり千」か?
自分の誤読を正すため、ときどき「古銭語事典」を眺めます。今日も変なものを発見しました。「古銭語事典」は「尖り千」を「とんがり千」と読んでいます。また間違えたと思い、新寛永カタログや新寛永通寶図会を開くと「とがり千」になっています。こういう時こそパソコン検索・・・してみましたが結論は出ない。
唯一、「とんがる」は「とがる」の俗語扱いらしいということが判明しただけ。「とんがる」はなまっている?
地元仙台の方! あなたは 「とがり」派ですか? それとも「とんがり」派?
東北の方から答えが返ってきました。やはり「とがり千」が主流だそうです。
 
5月31日 【意地・・・砕け散る!】
曳尾の鋳ざらい母の攻防が始まります。これは青天井になってしまう可能性がある品です。しかし、この品は名品間違いなし。今回は何があっても降りないぞ・・・と固い決意をしたはずなのですが、このままだと三桁まで行きかねません。曳尾の正統派の母銭は初めて見ました。見るからに大きく、名品の香りもぷんぷんします。
今年出た品の中では文句なしのお化け・・・そして古泉界の中を飾る名品間違いなしです。
預金通帳の中身を事前に確認し、行けるとこまで行ってやるという不退転の気持ちを固めたはずなのですが・・・どうしても指が動かないぞと。
え~い、いったれ、気合の86万・・・ひぇ~これでだめなの?

終了10分前・・・鉄人が抜けた!
おっと、PX氏も行った!これは強敵だぞ!
しかし、すかさずOY氏がさす!これは激しい。
ついに110万円突破!これは掲示板雀の予想を超えた!
さらにPX氏・・・つ、つ強い!終局は近いか?
私の上を5人以上行っています。まさに病気全開の世界。
112万円。鉄人もまだ行っています。すごい世界だ。激しい打ち合い。
これは怖くなった方の負けです。私はすでにチキンです。それとも120万行こうか?(動けない!)
出品者はきっと腰を抜かしているでしょう。ちょっと膠着状態。みんな相手の出方を見ています。ついにきた120万円!出品価格の1200倍です。これは決まったか?!女房にこれはものすごい戦いだぞ・・・と言ったら冷たい目で見られた。もちろん、私が応札していたなんて言えません。
鉄人はまだ追いかけている。「鉄人正斎の名に懸けて頑張る」と言っておられたので気合が入っています。おう!ついに逆転。
ここでそろそろ割り込んでも良いのですが、世間に敵がたくさんできそうですね。やめときますはい。

動きが停まっています。決まったか。いや、まだPX氏が突っ込んできました。目が離せません。逆転です。
穴銭で100万円を超えるなんてめったに見られない勝負です。それにしてもすごい戦いです。制限時間残り3分。
PX氏強い・・・鉄人たちの巻き返しはあるか、それともやはり私が行くべきなのか?
おっと、静かだったOY氏の攻撃が時間間際に炸裂。残り10分にまた戻る。PX氏も再アタック!これでまた延長です。これは時間攻めか?
入札件数も199回、いよいよ200回の大台になります。一瞬で206回・・・まだ攻防は続いています。OY氏は逃げきり態勢に入っています。
さぁ、130万円が見えてきました。超えたぁ!
あまりの応札履歴数に、私の応札記録が消えてしまいました。(履歴が多くなると古い履歴は自動削除になるみたい。)
残り1分。逃げきりか?
10:48終了 応札回数213回 落札価格131万3000円。出品価格の1313倍。出品者は笑いが止まらないと思います。
 
5月29日 【額輪と接郭】
額輪と接郭はよく見ると非常に似ています。少なくとも拓本で見ると瓜二つです。しかし、たいがいの収集家は額輪と接郭を見るなり簡単に分類して行きます。それは鋳肌ややすり目の雰囲気が全く異なるからだと思うのですが、私の記憶が間違っていなければその昔、額輪は接郭の類として扱われていた時期があったはずです。製作は違っていても技法がほぼ同じと認定されたからだと思います。
銭文径を調べると額輪がおおよそ40.7~39.9㎜とばらつきがかなり大きく、接郭はおおよそ40.2~39.9㎜でそろっています。
本座銭に覆輪してそのまま写すと、おおよそ銭文径は40.6~40.7㎜になると考えられます。さらにそれを写すと銭文径は接郭と同じように40.2~39.9㎜㎜になるのでしょう。
ただ、気になるのは銭文径40.7㎜に近い大きいものと、銭文径40㎜未満の小さいものには肥字系が多く、40,2㎜程度のものに接郭様の本体が多いような気がします。これはあくまでもわずかな手持ち品の計測結果ですので何とも言えませんが、40.2㎜のものはなんとなく母銭の製作系統が異なる気がするのです。気のせいかしら?

※季節外れの風邪をひきなかなか治りません。今回の奴はやっかいそうです。今日は休日なので自宅静養。暇なので机の上を久しぶりに整理しました。雑銭に混じって貴重な長門の手本銭やら新寛永の母銭やらがぽろぽろ出てきました。アルバムから出してスキャナー撮影してそのままになっていたんですね。折二様、明和の俯永母銭や29mmもある立派な仰母の大様母も再発見しました。多いものでは密鋳4文銭は20枚近く転がっていました。アルバムも不知天保銭を除き中がめちゃめちゃなので整理したいのですがこれ以上気力がわきません。
 
5月27日 【未見品誌上交歓:不旧手退永半刮去短足寶母銭】
東北のSさんから頂戴した画像です。(ありがとうございます。)不旧手の母銭で見過ごしそうですが、寶が跛寶になっています。新寛永通寶図会では未見になっているままの母銭。どこかにはあるものですね。このような手替わりは気づかないでお持ちになっている方がたくさん存在すると思います。雑どちらかと言えば雑銭の母ですけど、気づいて入手された方にとっては宝物になりますよね。母銭の存在が確認できるということは、一種としての存在が認められるということにもなります。よくぞ気づきました。
薩摩広郭大字(深字濶字)のポイント(私のリクエストに応えて、Sさんから情報提供いただきました。)
天保通寶と類似貨幣カタログの26ページの拓をご覧下さい。
広郭の中でも
郭が広い部類になります。
そして「濶字」と命名されたように
全体的に文字が大きくなっています。
特徴は解説文にあるとおりですが、
保字の口が縦に大きくなっていて、ホの右点が湾曲して長くなっています。
通字の
マ頭の横引が太く長くなっています。しんにゅうの左下の先端が丸みを帯びて膨らんでいます。
寳字の前垂れは少し湾曲して王画にほぼ接していますし、尓画の右点が少し長めです。
次に背ですが、
當字のツ画の上部に丸みがあり、前垂れが湾曲してほんの少し長くなっています。
花押の足の部分は太めです。
大通との違いは、大通はそもそも離足寳系のものですが、大字の寳足は輪にしっかりとくっついています。大字は細分類すると2~3種類あるようです。分かっているのは、當字の冠に
広冠狭冠があるということです。
 
5月25日 【西国合同古泉会大分大会】
九州の坂井様から7月に行われる第6回 西国合同古泉大会大分大会 創立50周年大分貨幣研究会記念大会の原稿が一足早く届きました。(ありがとうございます!)たまたま5月9日に秋田の次鋳銭について記述したからだと思うのですが、秋田寛永の計測実績も参考資料として加えて下さり、大変参考になります。ここで詳しく書いてしまうともしかするとご迷惑になると思いますので、秋田銭の一端だけご紹介。
秋田大字昂水の平均的な内径はおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は
18.8㎜以下です。(坂井氏は標準銭の下限としています。)
秋田大字降水の平均的な内径もおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は18.6㎜で、坂井氏をして1品しか保有していないようです。
秋田中字昂水の平均的な内径はおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は18.8~
18.3㎜までありました。
秋田中字降水の平均的な内径はおおよそ19.2~19㎜。次鋳と思しきものの内径は18.8~18.3㎜までありました。
秋田小字の内径は
18.7㎜~18.2㎜、降寶は18.55~18.4㎜。サンプル数が少ないので何とも言えませんが、本体銭の差異は大きい。
中字の次鋳にあたるものの内径にかなりばらつきがありますね。鋳造品ですから明確な答えは出ないと思いますが孫写しの可能性まであります。銭径の小さいものは通常あまり顧みられないものですけど、内径の小さなものは別種として扱われても良いかな・・・と感じます。

※ちょっとまとめると・・・秋田次鋳とすべきサイズは内径18.8㎜以下が目安。大字降水の次鋳は珍品みたいです。

大量見聞録の元祖の大西氏が収集誌に掲載された記事資料によると・・・(大西氏は外径と重量に着目し、内径値にさほどこだわりがなかったようなので、掲載品の数値を載せました。)
大字降水の内径は19.5㎜~19㎜。秋田中字降水(高寛)は秋田大字降水の次鋳ではないかと思えるほど似ている。
小字本体の内径は18.5㎜~18.2㎜。品質のばらつきは比較的少ない。母銭は超希少品で見ることも稀な品。
小字降寶の内径は18.8㎜~18.4㎜。本体より全体にわずかに大きい。

※これを見る限り坂井氏の内径18.7㎜の秋田小字本体はかなりの珍品?
なお、大西氏の記事中に特別の大型銭の示唆がありますが、その根拠は新寛永鑑識と手引に掲載されている125番の拓本らしく、どうも縮尺ミスが原因らしい。(123番は中字の誤掲載。)ただし、とてつもなく大きな母銭は確かに存在します。それがいづみ会の入門に掲載されている秋田中字母で、これは立派。(今月号の駿河にカラー写真掲載中。)現実に超大型の母銭が存在するのですから大型銭探しにチャレンジする価値はあるかも。
西国合同古泉大会大分大会平成25年7月6日(土)~(日)、別府温泉 豊泉荘にて開催されます。
背千のお化けがネットに出たそうです。
右の画像は最近ネットに出ていたもの。鉄銭に疎い私は正直ノーマークでした。しかし、これが高騰したという情報を受けて調べますと、仙台のHさんに頂いた資料にちゃんとあり、HPにも「天保期 尖り千大字跳ね千(母銭)」としてしっかり掲載していました。確認2品でその市場評価額はなんと25万円。競り合いも20万円以上になったとか・・・。コレクター同士の勝負とはいえ札束で横面を張りあうようなすさまじい戦いです。
→ 石ノ巻銭母銭聚
 
5月23日 【離郭濶縁が出た!】
関西のSさんからのご投稿。ありがとうございます。私はちょうどそのとき別のものを追いかけていましたので、これには気づいていませんでした。知らぬが仏と言いますか、気づかなかったのはくやしいですけど、気づいていたらもっと悔しい・・・というか中途半端な結果になっていたかもしれません。鉄人との争いになったそうですから大変だったと思います。二兎追う者は一兎をも得ずです。
長径49.12㎜ 短径32.6㎜ 銭文径40.75㎜ 重量20.95gとのこと。火中品のような写りですけど黒い部分は手ずれによるものらしく、お手入れでかんたんに除去できたとのこと。まずはおめでとうございます。

四国のKさんからも投稿画像を頂きました。ありがとうございます。改造母銭らしいもの・・・ということなのですが私はこの定義がいまだによく分かっていません。もうしばし、勉強させてくださいね。
5月20日 【ファビコン】
最近、ホームページの裏側のプログラムを勉強しなおしています。HTMLだとかCSSだとかやたらカタカナやアルファベットが飛び交う世界で、参考書を読んでも専門用語がわからない。表計算ソフトのエクセルのVBAのプログラムで少しは慣れている方なのですが、それにしてもこの世界は初心者には不親切です。検索しやすくするためのSEO(キーワード設定)とか、サイト内検索機能を付けたり、昨日は四苦八苦しながらファビコンと呼ばれるオリジナルマークの設定も行いました。だからどうなる・・・といったら何もないのですけど自己満足ですかね。

関西のSさんからネットに出ていたという福岡離郭濶縁の画像を頂戴しました。いやいや全然気が付かなかったです。
私は覆輪の長郭手をずいぶん高い価格で落としました。やりすぎてしまいましたが、久々の天保銭GETです。
 
5月19日 【並べ替えてみたものの・・・】
何か新しい発見があるかもしれないと思い、銭文径順に並べ替えて見ましたが、全ての計測値が分散してしまいました。やはり萩方字は鋳ざらいによる変化の方が大きいようです。ところで本日、関西のS様から送られてきた復刻版天保銭も手にすることができました。(ありがとうございます。)この本には旧土佐平通とされた天保銭が萩に移籍された理由(幕府諸藩天保銭の鑑定と分類にも掲載)も詳しく載っております。ただ、不思議なのは平通は曳尾との中間的なものが一切ないこと。加刀変化がほとんどないのです。平通が曳尾に鋳ざらい変化していった・・・という論は、なんとなく納得でも、良く考えるとちょっと飛躍が過ぎないかとも思えます。忌部氏に支配された鋳銭職人が藩の間を行き来していたと考えられる江戸時代の背景を考慮すると、鋳造技術が似ていること=同じ藩とも言い切れない側面も残っている気もします。
とはいえこれはあくまでも私の机上の空論、杞憂なのかもしれません。
どちらかといえば方字は萩銭の中で地味な存在であり、書体変化も少ないと考えられていましたが、萩銭の変化は古寛永の御蔵銭のようでもあり、まだまだ製作を調べればいろいろ出てくると思います。
番号 銭 名 銭文径 面内径(縦) 面内径(横) 背内径(縦) 背内径(横) 重量 長径 短径 肉厚
6 長 郭(接人) 40.50 44.00 27.30 43.50 27.30 19.48 49.40 31.90 2.30
8 大字 長 イ 40.50 44.00 27.20 43.90 27.10 17.94 48.80 32.20 2.30
4 接人仰柱保 40.40 43.90 27.20 43.50 26.70 20.35 48.70 32.20 2.50
7 大字 肥 字 40.20 43.70 27.10 43.00 26.50 19.32 48.70 32.20 2.50
9 短二天 小當 40.20 44.00 26.90 43.50 27.10 17.85 48.90 32.00 2.30
12 大字 短二天 40.20 44.00 27.50 43.50 27.00 17.68 48.40 32.10 2.30
14 大字 長頭通 40.20 43.70 27.00 43.60 27.00 16.69 49.00 32.20 2.30
20 薄天保揚尾通 40.20 44.00 27.30 43.50 27.00 15.42 48.80 32.20 2.20
2 肥 字 40.10 43.70 27.40 43.00 27.00 20.97 48.20 32.10 2.60
17 薄天保平尾通 40.10 44.00 27.30 44.20 27.30 15.97 49.00 32.10 2.20
1 大様 手本銭 40.00 43.50 27.70 43.50 27.20 23.60 49.20 33.00 2.80
5 大口保(赤銅) 40.00 43.50 27.40 43.50 27.30 19.83 48.80 32.70 2.50
18 薄天保短二天 39.90 44.00 27.40 43.70 27.00 15.91 48.80 31.50 2.30
3 小口保 39.80 43.80 27.00 43.50 26.80 20.62 49.20 31.90 2.60
11 大字 短一天 39.80 44.20 27.40 43.50 26.80 17.77 48.20 32.10 2.30
13 大字 短足寶 39.80 43.50 26.80 43.60 26.90 16.71 48.30 32.60 2.10
15 直足天 39.80 43.70 27.40 43.30 27.00 16.60 48.00 31.90 2.30
19 薄天保手本銭手 39.80 43.70 27.50 43.70 27.10 15.74 48.00 31.60 2.20
16 薄天保仰二天 39.70 43.50 27.30 43.30 27.00 16.56 48.10 31.80 2.30
10 短二天 - 43.80 27.30 43.00 27.00 17.80 48.60 31.90 2.30
 
5月18日 【方字の研究】
京都のT氏から非常にマニアックな計測表を頂戴しておりました。漢数字縦書きだったのでHP用に編集しなおしました。銭名はT氏が細分類用に名付けたもので正式な分類名ではないと思いますが(薄天保なる名称は昭和泉譜にみられるようですが・・・)、T氏(とそのお父様)は萩藩銭を愛するあまりに超微細な違いまで見分ける眼力をお持ちです。この表が送られてくるきっかけになったのは「雑銭の会」への投稿で、T氏が銭文径の異なる方字の存在を示したことからです。天保銭は鋳物ですから、鋳型の乾燥収縮など鋳銭工程で多少の誤差は生じますが、表示のように0.8㎜までの差があるとなるとさすがに誤差の範囲を逸脱していると感じます。実はその昔、天保銭人様から「方字には銭文径の小さい次鋳と思われる品がある。」と言われた記憶があります。この表を見る限りたしかに銭文径のばらつきは間違いないのですが、じっくり見ても法則性が良く分からない。1番の品の銭文径が最大級だったら「してやったり・・・」と思うのですけど、面内径(縦)が最少で面内径(横)が最大という不思議さです。このような形状が現れるのは覆輪変形のときなのですが、方字母銭が覆輪されているとは聞いていないので思考が迷宮に入ってしまった感があります。しかし、このバラバラの分布はいったい何を意味するのでしょうか?方字は法則がありそうで見当たらずカオスの世界です。
会津濶縁や接郭を計測していた時も似たようなばらつきはありましたが、なんとなくですが法則性が見出せました。それは覆輪による変形+写しによる縮小があると間違いなく考えられたからです。
方字は覆輪写しによる縮小ではなく、複数の母銭が鋳ざらいを受けながら繰り返し使用された結果だからなのではないか・・・
覆輪と鋳写の変形が主役ではなく、鋳ざらいが際立っているからではないでしょうか?今の段階では考えるしかなさそうです。(歯切れが悪いなぁ・・・)

もちろん、鋳写しがされた可能性は大きいとみます。下記の表は重量順に並んでいますのでそちらに目が奪われがちですけど、銭文径順に並び替えてみるとなんとなく見えてきそうな気もしてきました。
番号  銭名 重量 銭文径 長径 短径 肉厚 面内径(縦) 面内径(横) 背内径(縦) 背内径(横)
1 大様 手本銭 23.60 40.00 49.20 33.00 2.80 43.50 27.70 43.50 27.20
2 肥字 20.97 40.10 48.20 32.10 2.60 43.70 27.40 43.00 27.00
3 小口保 20.62 39.80 49.20 31.90 2.60 43.80 27.00 43.50 26.80
4 接人仰柱保 20.35 40.40 48.70 32.20 2.50 43.90 27.20 43.50 26.70
5 大口保(赤銅) 19.83 40.00 48.80 32.70 2.50 43.50 27.40 43.50 27.30
6 長郭(接人) 19.48 40.50 49.40 31.90 2.30 44.00 27.30 43.50 27.30
7 大字 肥字 19.32 40.20 48.70 32.20 2.50 43.70 27.10 43.00 26.50
8 大字 長イ 17.94 40.50 48.80 32.20 2.30 44.00 27.20 43.90 27.10
9 短二天 小當 17.85 40.20 48.90 32.00 2.30 44.00 26.90 43.50 27.10
10 短二天 17.80 - 48.60 31.90 2.30 43.80 27.30 43.00 27.00
11 大字 短一天 17.77 39.80 48.20 32.10 2.30 44.20 27.40 43.50 26.80
12 大字 短二天 17.68 40.20 48.40 32.10 2.30 44.00 27.50 43.50 27.00
13 大字 短足寶 16.71 39.80 48.30 32.60 2.10 43.50 26.80 43.60 26.90
14 大字 長頭通 16.69 40.20 49.00 32.20 2.30 43.70 27.00 43.60 27.00
15 直足天 16.60 39.80 48.00 31.90 2.30 43.70 27.40 43.30 27.00
16 薄天保仰二天 16.56 39.70 48.10 31.80 2.30 43.50 27.30 43.30 27.00
17 薄天保平尾通 15.97 40.10 49.00 32.10 2.20 44.00 27.30 44.20 27.30
18 薄天保短二天 15.91 39.90 48.80 31.50 2.30 44.00 27.40 43.70 27.00
19 薄天保手本銭手 15.74 39.80 48.00 31.60 2.20 43.70 27.50 43.70 27.10
20 薄天保揚尾通 15.42 40.20 48.80 32.20 2.20 44.00 27.30 43.50 27.00
※今日は子供の運動会。朝、5時前に起きて席取り・・・ところがすでに会場はビニールシートがいっぱい。3列目より後ろしかとれません。私の家の前の方は朝4時頃に行ってきたそうです。田舎人のパワーを見せつけられました。 
 
5月17日 【著作権と所有権・肖像権】
会津濶縁との交換で月刊天保銭の合本復刻版(1~10号)をお譲りいただける・・・というお話が来てわくわくしています。月刊天保銭はどなたか全巻復刻版で出してくださらないかしら。それには著作権が問題なのでしょうが・・・。
私はよく版権と言う言葉を使ってしまうものの、法律用語的には死語だそうで、現代では著作権と言うのが正しいようです。著作権の有効期限は一般に作者の没後50年だそうで、今は1972年までに亡くなられた方の著作権がフリーになっています。(佐野英山氏あたりまでか・・・)
古銭の画像や古拓本を使用するときは、現在の所有者の了解を取るのが礼儀だそうですけど、コレクターの間を次々移動する古銭の場合は確認は実に困難を極めます。古銭には肖像権はなく、拓本についても「配列に特別な工夫がされた美術的な価値があるもの」でない限り、著作権は及びません。ただし、その拓本が出版物に掲載された場合は、所有者ではなく出版した人に著作権が発生します。所有権と著作権は全く別のものであり、個人情報でもないので、所有しているからその拓本や写真の掲載はNOだと言っても法的には何の抑制力もないようです。つまり、古銭については拓本や写真はとったもの勝ち・・・が法的な解釈らしいので、どこまで丁寧に所有者に対応するかはマナーの問題になるようです。(マナーについては私も気をつけなくてはと思っていますが、皆様にご迷惑をおかけしています。)私の所有品もいつのまにかいくつかの泉譜・カタログに掲載されていますが、残念ながら私にはそれに対しての請求権利はないのです。もっとも、掲載されているということは価値が高まったと、喜ぶべきことなのでしょう。
若いと思っていた私もだいぶポンコツになってしまいました。古泉界は絶滅危惧種なので、若手育成のため著作権の解放をすぐに行ってくれないものでしょうか?今のご時世。電子書籍化はどうでしょうか?

※撰銭2回目が完了しました。断佐はついに出てきませんでした。明和佐の画像マジックかしら。少し気力が萎えました。
 
5月15日 【サイト内検索】
HPの容量が大きくなりすぎて、自分でもどこに記事を書いたのか迷子になってしまうこともしばしば・・・。そこで検索の窓を付けてみることにしました。ネットで調べて見よう見まねでコードを貼り付けて見ました・・・が当然ながら初めはうまくゆかない。
サイト内検索のはずがネット内検索になってしまったり、文字が見えなかったり・・・。最も苦労したのが文字化けの問題。入力した文字が契丹の文字のように変化してしまう。HTMLソースを開いて、どこをいじればどのように変化するのかを検証しながらいじってみました。プログラムについてはその昔にはじめてコボルに触れ(もちろんお手上げ)、その後にIBM社の表計算ソフトのロータスに出会いプログラムのいろはを覚え、エクセルの登場によりVBAプログラムを勉強することになり、現在に至っています。HPは作っていますがHTMLプログラムについては全く勉強していませんのでいまだ素人です。
したがって格闘すること数時間。ついに文字化けの対策を発見して、ツールバーを出現させることに成功しました。(この程度で数時間もかかってしまうレベルです。お恥ずかしい。)これを契機にHTMLの勉強も始めようかしら?
 
5月13日 【私の小字写し・・・どこに行ったか知りませんか?】
収集誌の落札品が届きましたがどうも変。覚えのない秋田の小字降寶が1枚混じっています。こんなもの落としたかな・・・あ、高津小字に応札したから高津小字降寶と応札を間違えたか・・・と妙に納得。いつもならこれで終わりにしてしまうところ、もう一度番号と品物を見直すと何かがおかしい。番号シールと商品名表示がずれています。あるいは誌上の誤植でしょうか?
結果として私の落札品が秋田小字降寶にすり替わった形です。収集誌だけでなく入札にやたらめったら手を出しているとこのような間違いは1~2年に1回ぐらい生じますが終焉まで結構苦労することがあります。番号通りの品が送られているので問題ない・・・はずなのですが、肝心の中身が間違っていると言っても信じてもらえずなかなか状況がうまく伝わらないのです。誤配でなくても誤鑑や表示ミスもときどきあります。面倒くさいので3000円以下はほおっておくことも多いのですけど、お金を支払って行方不明のままでは気分が悪いのでメールで連絡をしました。誰か私の仿鋳小字写しを知りませんか?
 
5月10日 【安南寛永の名品:背文文】
この安南寛永は、その昔に静岡いづみ会の穴銭入門(九十三)1992年3月号にも掲載された背文文です。安南寛永は雑銭扱いであるため一般的に評価は低いのですけどこれは間違いなく大関格です。当時の評価と今の評価は多少異なると思いますが、私の所有する亀寶至道手の背工・・・これが当時評価で8位(8~9000円)です。それに対しこの背文文はなんと6位(2~3万円)であり、これより評価が高いのは背文太異文(5位:3~4万円)しかありません。これらは価値は低くとも数は本当にない。実はこの品は収集誌に掲載された原品にほぼ間違いないものです。私が躍起になって安南寛永を追い求めていたせいか、あるいは舶載の安南銭の入荷が激減したためか、安南寛永もずいぶん品薄になってきました。最新刊の穴銭入門、新寛永の部にも安南寛永がたくさん掲載されていますが、この背文文は掲載されていなかったのであまり知られていなかったと思います。
 → 秘宝館
 
5月9日 【次鋳銭の地位】
左図は秋田中字昂水銭です。同じ書体ながら雰囲気はまるで違います。大きさが違うのも当然ながら内径が0.3㎜程度違うのです。右はいわゆる次鋳銭。この次鋳銭はよく輪の周囲を削られた 磨輪銭と混同されますが全くの別物。磨輪銭は内径サイズにかかわらず存在します。次鋳銭は母銭の写しから生まれた孫の代なのですよね。
もしこれが天保銭ならば「密鋳銭」になり、古寛永ならば「濶縁」とされ珍重されるのですが、新寛永においてはほぼ無視された存在です。
以前、「銭の細道 大量見聞録」で四ツ宝銭を調べましたが、たしかに次鋳銭の存在は確認できました。ただ、新寛永の次鋳の出現の経緯は、あくまでも「銭相場の混乱→節約」が主目的であり、覆輪されることなく単純なサイズダウンが主流。製作も数段落ちます。なかには珍重されるべきものもあるかもしれませんが、見た目の悪さとともに分別が極めて困難といった状況もあり、この地位復権はなかなかありそうもない。そういえば大量見聞録の元祖の大西氏が内径計測もやっていたと思います。次鋳の存在の有無調査をもう一度やる価値はありそうです。
 
5月8日 【世界のエツセン集3000未満・第一号】
穴カタの舎人坊石川氏からお手紙が来ていました。
現在、石川氏は「悦銭」情報集めと分類に奔走している毎日で、いよいよ世界のエツセン集3000未満・第一号を発刊する運びのようです。(しかも第2号にも取り掛かり始めたそうです。)それに伴い、
歴史ある町「函館」で研究会を開催したいとのこと。忙しくなりそうです。

※そういえば先日、鉄人も石川氏にコインコンベンションでお会いしたそうで、なんでも
「とても面白い古寛永の発見」が縁だそうですが、〇〇正斎の泉号も授かったそうです。鉄人は近藤正斎の雰囲気があるとのこと・・・近藤正斎は北海道ゆかりの人物で、身の丈6尺を超える大男にして博学な人物。探検家としても一流で当時の交流を持ったアイヌからは神として崇められるような存在でした。「とても面白い古寛永の発見」の話も気になりますね。

※朝5時前からたたき起こされて、気晴らしに更新作業をしています。これから出社。仕事と言えつらいですね。

※夕方、注文していた泉号印が届きました。今はインターネットで何でも注文できるので便利です。ベンジンも買いました。→ ハンコヤドットコム
雑銭の会の20周年記念泉譜の出品拓本もこれでとりあえず出来上がり。(印影は拡大。)拓を採るのは本当に大変ですね。入札紙を発行している方の苦労が良く分かりました。せっかく表がきれいに採れても裏で失敗し、表裏きれいに採れたと思ったら押印で失敗する。拓本用紙をずいぶん反古にしました。まだ、完璧ではありませんが集中力が続きません。血圧が最近不安定なので暇なときにまた練習します。それにしても以前、
京都のTさんから頂戴していた天保銭専用のゴムマットは本当に重宝しています。改めまして御礼申し上げます。本当は拓本も公開しようかと思いましたが、まだ恥ずかしいレベル。ご覧になりたい方は「雑銭の会の20周年記念泉譜」が出来上がりましたらご購入申し込みください。
 
5月5日 【真っ白な不旧手】
雑銭から出てきた何の変哲もない元文期横大路銭の進永です。ただし、現品は真っ白です。ここまで白いと嬉しくなって、雑銭ながら拾ってしまいます。しかし、残念ながら元文期の不旧手の色調は淡黄褐色~灰白色が普通なのでこれをとりたてて称揚するようなものではありません。元文期は決済用の銭の不足が目立ち始めたのと同時に、銅銭鋳造の採算割れが生ずるようになり鉄銭が登場した時代です。この時代の銅銭には磨輪銭や次鋳銭もあり、文銭の半分ぐらいしかない重量の一文銭も登場した混乱の時代でもあります。
この白い不旧手はかなり鉄分が多いらしく、磁石に飛びつくように吸い付きます。この白さは時代の流れに翻弄される新寛永銭の一形態でもあります。それでいて堂々として萎縮することなく潔く美しい。(私の印象ですけど・・・)やっぱり白い寛永銭は好きだなあ!癒されます。

※おじい様の遺産の古銭がダンボール2箱あるというお話がきました。中は不明ですが、興味ある方いますか?良いものだったら頒布しようかな?
 
5月4日 【いざ鎌倉へ!】
本来ならば水天宮に行くべき日なのですが、家族の要請で鎌倉に行くことになりました。子供が鎌倉に興味を持っているということでの小旅行なのですけど、妻は「お父さんを連れて行ってあげる」んだそうです。我が子は鎌倉に新幹線で行く気だったそうで、京都と勘違いしていたみたい。
早朝に出発し、午前9時には北鎌倉に到着。北鎌倉駅は快速が停まるというのにホームの幅が2メートルぐらいしかありません。わが町のローカル線の方が立派かも。さらにホームのすぐ横に岩をくりぬいたトンネルが・・・これまたローカル。
駅のすぐ近くに教科書にも載っていた「円覚寺」がありました。想像以上に大きなお寺で、もちろん国宝の「舎利殿」も拝観。(特別に見せていたみたい。)朝早かったため比較的ゆったり拝観もでき、北鎌倉の風情も感じられました。しかし、門から出たところで大量の観光客に遭遇。すごい人並です。世界遺産の話題で人が押し寄せたか?(私らもそうです。)人の流れに乗って歩き、ハイキング大仏コースなるものを発見。女房は銭洗い弁天に行きたいといっており、このコースの途中にあることはガイドブックに載っていました。ただし、このコースは本当のハイキングコース。山歩きです。当然人の流れも少ない。いざ、山道へ・・・。道はかなり険しく、細い。なんとか登り終えると葛原岡神社へ到着。ここで食べた玉こんにゃくは安くてうまかった。そこからしばらく歩くと銭洗い弁天。手掘りの洞窟を抜けて不思議な空間へ突入。しかし、ここは銭ではなく芋を洗うがごとくの人の波。銭洗い場まではたどり着けず、脇の泉でやむなくキャッシュカードを洗う。なんでもこの泉は洗った金額を倍にして下さるそうで・・・。
続いては佐助稲荷神社。千本鳥居を上ると小さな社殿がありました。その脇からさらに上に向かって伸びるのがハイキングコースの山道。これまたきつい上り坂。鎌倉は高さは低いけど斜度の厳しい山が多い。だらだら広い房総丘陵とは一味違ったハイキングです。ようやく山を越えると鎌倉の大仏に到着。しかし、ここは今まで以上の人の波。げんなりして江ノ電で藤沢に行こうとしたら40分以上待たねば乗れない大混雑とか。
やむなく鎌倉駅まで再びとぼとぼ歩きはじめました。道に迷ったこともあり、一日で10㎞以上は歩いたと思います。観光らしきものは円覚寺まで。当初の予定は横浜中華街でお食事をしようと思っていたのですが、これ以上人混みを見るのはいやなのでまだ2時すぎというのに帰路につくことに決定。しめしめ水天宮に行けるチャンス・・・と思ったのですが、それを言い出す勇気がなかった。長谷寺の近くの骨董店で、鐚永楽を一枚だけ記念に購入したのがせめてもの抵抗です。あ~、疲れた。
 
5月2日 【なんだろう?七条?有来?大きな無爪寛?】
4月に外径24.4㎜、重量4gの元文期不旧手を挙げました。そのあともう1枚変なのを拾ってます。画像で見る限り無爪寛の退永小通・・・ところがこれも24.25㎜のすこぶる大様銭です。多分ぴんと来ないかと思いますが、無爪寛は23.5㎜以上あればかなり大様なのです。その大様銭より一回り大きい七条銭に近いサイズなのです。
大きさ的には元禄期銭(注1)なのですけど元禄期銭にしてはかなり色が薄く、元文期銭にしては少し色が濃いほうです。(七条とは明らかに色調が違う。)よく見ると爪が陰起して先端が残っているように見えるので、はじめは鋳造時の陰起か打ち傷によるものかな・・・と思ったのですけど、ルーペで拡大してみると寛目の前面に削った痕跡があり、残された爪点のまわりにも溝らしきものが観察できます。名付けるなら退永小通無爪残点寛大様銭。しかしこの大きさは不思議だ。
享保期と元文期の不旧手は3種(進永・退永・退永小通)の書体と、2つの銅色(紫褐色~茶褐色・灰白色)と2つの大きさ(大、小)、4つの寛爪の形状(爪寛・半刮去・全刮去・異爪寛)で分類していただけであり、組み合わせ的には48タイプにもなる可能性があるのです。(3×2×2×4)したがって例外が現れても何の不思議はないでしょう。もとより、享保と元文期の区別、横大路をさらに鳥羽清水と鳥羽有来に分けたこともあくまでも現物を見ての推定に過ぎず、明確な根拠があるわけはないのですから。
(注1)多くの泉譜では享保期説でしたが、宝永期の富士山噴火の遺跡からも発掘されているため、元禄期鋳造(1704年以前)がほぼ確定しています。なお、退永小通は寶のウ冠が郭の上辺に並ぶ昂寶なのが特徴で、このほうが分類しやすいです。
 
5月1日 【天保泉譜:初版】
インターネットで天保泉譜の初版物を入手しました。本来は文献コレクターではないつもりなのですが、この歴史的資料を一目見たい・・・と言うよりほかに追随する人が誰もいなかったのであっさり入手できてしまいました。状態も良さそうで四つ目とじ和本という最高級の装丁。まだ怖くて開けません。こいつはやはり収集アイテムかしら?
実はビニールに入れて全く手を付けていない新品の本が2冊あります。新寛永通寶図会と古寛永泉志です。これらは手持ちのものがボロボロになったら交換しようと昔数あるうちに求めたもの。手持ちの本はボロボロなんですけど、もったいなくて開けなくなりました。その他には新撰明治銭譜、天保銭図譜の昭和10年版、竹四郎譜や村上譜もほとんど開いたことがない美本がかなり増えてきました。もともとお持ちになっていた方が大切に保管していたものばかり・・・触れません。う~ん、私も立派な文献コレクターになっているかもしれませんね。
 
4月30日 【良い子の拓本教室】
まずは拓本セットを買いましょう。古銭店で買うのが良いと思いますが、私はネットで買いました。 → TOMONARI
 → ユニカ
※はじめての拓本セットが3990円でした。これはお買い得。ただし、全く使用しないもの(釣鐘墨・蝋墨)も入っています。
次は拓本の採り方のおさらい。
→ 岐阜古銭堂 拓本セットもヤフオクで売っていると思います。

→ オレンジ猫のページ 
古銭関係の本では「方泉處22号」に記事が掲載されていますが、これはちょっと希少本かも。

私の採り方
①古銭を
ゴム台の上に置く。
②裁断した拓本用紙(画仙紙)を古銭の上に載せる。(位置決め)
③濡らした筆もしくは霧吹きで
紙をしっかり濡らす。
太めの筆で空気を追い出しながら端の方から用紙を圧着。(ここがポイント!) 注1
⑤ティッシュ一枚を2つ折りにしてかぶせて
大き目のタンポで何度か押し圧着して水分を取る。ティッシュをはがすときに注意。注2)
⑥ティッシュの位置を変えて、大き目のタンポで押し、余分な水分取りを繰り返す。
紙の表面が白くなってきたら準備OK。
⑦拓本墨を小さなタンポに付ける。小タンポについた墨をさらに中タンポにこすり付けて墨量を調整。あまりつけすぎない方が無難。
※これを
合わせタンポと言うようです。
⑧私は中タンポで拓を打つことにしました。これは好みの問題かな?大きいのだと少し傾いて打つと周囲まで染めちゃうことがあるから。
※コインフォルダーのセロハンを除去したものでガードする方法もあります。
⑨はじめは慎重に、やさしく。決してタンポを傾けず文字、輪、郭を少しずつ染めてゆきます。30回以上は叩くかな?
⑩表の拓本が採れたら
雑誌などに挟んで余計な水分取り。しわを伸ばします。注3)
⑪少し乾いたら裏側も同じ要領で拓本採取。
⑫採れたらまた雑誌に挟んで今度は本格的に乾かします。しわに注意しましょう。
⑬昔はアイロンで仕上げたこともありました。邪道かしら。
注4)

私にとってのポイントは ④の空気抜き と ⑤の余分な水分取り。これさえうまくゆけばあとはタンポにつける墨の量と叩きムラさえなければ出来上がるはずです。タンポや墨が新しかったりすると、初めは苦戦するかも。安い古銭で練習するのが良いかもしれません。

京都のTさんからコツの伝授がありました。(ありがとうございます。試してみましょう!)
注1)小筆を使い中心から放射状に水をつけると空気が入りにくいようです。
注2)ティッシュを折り畳んだものを芯にした使い捨てティッシュ製タンポを複数つくっておき、それで余分な水分取りをします。天保銭1枚でティッシュタンポ3個ぐらい使います。
注3)コーヒーカップ用のホットプレートがあればタンポを乾かして何度も再利用できますし、冬に墨が固いときはここで温めれば墨が緩みます。
注4)作業後に、ティッシュにベンジンを含ませてクリーニング。数回でティッシュが黒くなり、ぞっとするそうです。ベンジンは口の小さな容器に小分けしておくと使いやすく便利。
 
4月28日 【拓本と格闘】
酔っぱらって帰宅して拓本採りの練習。相変わらず満足ゆかない。細郭手異書体の拓を私が採ると本座細郭に見えてしまうから不思議だ。少しコツがわかってきた。最初に古銭に拓本用紙を載せてから濡らした直後の空気抜きが大事みたい。端からたっぷり濡らしてスポンジで空気を追い出すように密着。仕上げは大きな筆で細部が浮き出るように押してみる。合せタンポで墨を調整して・・・でもなかなか調整が難しい。打ち方もいろいろ工夫してみたものの、昨日採ったものの方がきれいだったという残念な結果でした。インターネットで調べて見たら、どうも墨の質が違うみたいです。ティッシュで油分を抜く・・・たしかに購入した墨はものすごく濃い墨汁みたいです。しかし、ティッシュで油分を抜いたら無くなってしまうのではないかと思えるほど量がないのです。練習はもう少しこのまま頑張ろうと思いますが、良い墨があれば購入するのも一手でしょうか。腕が悪いんじゃない、墨が悪いからだ・・・ということで本日も終わり。
拓本を採ったら篆刻の印を押したくなって、はんこ屋に発注してしまいました。本格的な印はもったいないので、四角い認印をオーダーメイド・・・それでも3000円もします。ただし、肝心の拓本がこれじゃあね。
 
4月27日 【拓本にチャレンジ!】
雑銭の会の20周年記念泉譜のため拓本セットを購入して以来はじめて挑戦。拓本は今から20年以上前にやはりセットを買って練習をした覚えがありますが、拓本用紙がなくなってからやめてしまいそれっきり。久しぶりの再開ですが・・・やはり下手!「下手な拓本数うちゃ当たる。」とばかりに頑張りましたが無駄打ちばかり。すっかり肩がこってしまいました。はじめは寛永銭の錯笵類にチャレンジしていましたが、拓本自体が錯笵になってしまいます。やむなく採拓が容易そうな天保銭に変更しましたが、特徴のはっきりしないものは腕がないから美しくありません。
夕食後、再チャレンジしていましたが、小学5年生になる子供が興味津々。私もやると言い出しました。風呂に入ったばかりだからとか、この古銭は高いから・・・といろいろ説明したもののやる気満々で背後に居座るので選手交代。琉球通寶の面側を仕上げてご満悦です。
これを機に古銭に興味を・・・持つはずないですね。親としてはあまり持ってほしくないな、やはり。
 
4月26日 【正統派掘り出し】
古銭界の中の底辺でのたうちまわっている私を尻目に、正統?雑銭派の四国のKさんから嬉しい撰り出しのお便り。(おめでとうございます!)
なんだ、仙台の濶字手じゃないか・・・と見落としそうですが、この背濶縁が」さらっと拾えるようになるともう撰銭名人の域だと思います。普通の濶字手が8位なのに対し、背濶縁は2位なんです。実は仙台銭は目立たない珍品の宝庫でして、濶字大字(2位)はもちろんのこと、濶字低頭通濶縁(稀)や濶字低頭通刔輪(稀)、濶字手覆輪(稀)など三大点や五大点が裸足で逃げだすような珍銭がぽろぽろあります。ここらあたりは高田銭の笹手永縮寛や長寶当たりとよく似ていて、ほんと地味。
しかしよく見ればなかなかのハンサムBOYではありませんか?

そういえば鉄人もすごい不知古寛永を見つけたとか・・・そのうち世に出るとの事ですけどなんだろう?
 
4月26日 【貨幣手帳】
ひさびさにD堂に立ち寄りました。いまや、コイン店は絶滅危惧種もいいところで、我が県内のコイン店はここを含めても3店ぐらいしかないと思われます。ほんの数分の間だけの訪問でしたが、懐かしい本を見つけ思わず購入。
このおびただしい大判小判の山の表紙を見覚えのある方は多いと思います。かく言う私もかつてはこの本の愛読者でした。このお店はコイン店でもあり骨董屋でもあり、囲碁将棋の道具の販売店でもあり、店中が倉庫のような昔ながらのコイン店なんですけど、この本は約40年前からのデッドストックなんですね。もちろん未使用の新品初版本(74年版)です。白髪の店主もおそらく80歳をゆうに超えていると思われますので、あと何年この商売を続けるのか。新しいものはほとんど入らないようで、お店の商品はほとんど変わっていませんので、お店の雰囲気もずっと変わらない。当然後継者はいないと思われます。考えてみると私もこのお店に40年ぐらい通っています。お互い古くなりました。

同じ県内のY様という方からメールを頂戴しました。骨董の買い出しをされているそうでウブ銭をお譲りいただけるありがたいお話でしたが、金欠で・・・。仕事と趣味が一致できれば楽しいだろうなぁ・・・。
 
4月23日 【こいつは何者?】
古寛永は久しくやっていないので見る目がかなり落ちています・・・が大和文庫に出ていたこの古寛永には興味をひかれました。
良恕手譜外と言うことになっていましたが、ずいぶん銭文が堂々としている・・・しかし、背はやけに濶縁広郭で、これは婉文の特徴。王と尓は不連続で・・・あぁ、良恕細縁の類かなとも思ったのですけど尓の右点がやけに下に降っています。良恕本体と比べると書体はほとんど同じながらやや寛目は小さいし、永字は洽水気味・・・これは良恕や婉文の癖。しかし書風はどう見ても良恕。良恕手とは永字が、婉文とは寶字の印象が異なります。(私は古寛永はフィーリングで見ていますので。)良恕不連続珎背濶縁広郭・・・なんてね。結局、判らないので購入予約してしまいました。幽霊の正体見たりにならなければ良いのですけど。ここのところついていないので心配です。
(婉文の変化のようです。小目寛で尓の変形が印象的。もうしばし精査します。この手の古寛永は難しいです。)
※仕事で使用しているサーバーがDOWN!データが3年分飛びました。まだ、2年半しか使用していないのに・・・。ハードディスクが2つともダメなんて信じられない。安全のためにバックアップしていたのに予想外です。今年は厄年です、天中殺です、さっき車もぶつけました、なんて日だ!
 
4月21日 問題・・・次の読みまたは意味を答えなさい! ①跪く(読み) ②跼る(読み) ③(読み) ④(意味)
対義表現一覧表 
文字の大きさ 
  文字の太さ
 
  文字の力感
 文字の丈
退 文字の位置
 
  文字の長さ
  垂直の長さ・彫
  文字の幅
  文字位置関係
文字の方向
文字の傾き
輪の幅
穿 穿の幅
郭の幅
  肉の厚さ
  加工方法
  字画のつながり
  反る方向
古銭用語を調べていて、その独特の世界にはまっています。そこで対比表現一覧表を作ってみました。細字を「さいじ」と発音することは昨日記述しましたが、その細字の対義語は太字「ふとじ」ではなく肥字「ひじ」だと思われます。会話ではともかく太字という表現は古銭語ではあまり使われません。理由は判りませんが、もしかすると細字が音読みなので、太字を音読みすると「たいじ」になり、大字と混同するからなのではと思う次第。(音訓の揃えの意味も・・・)
面白いのは幅を表わす漢字の組み合わせが縁・穿・郭・文字でそれぞれ微妙に異なること。合理主義的な読み方をしていた古泉界にしてはかなり不統一ですね。
そして古泉界専用の漢字・難読漢字もオンパレード。ワープロの変換で出てこない文字には苦労させられます。左の表でも濶・俯・昂・刔・勁・萎なんてまず普通は使わない漢字ですよ。

他にも以下のような難しい漢字が出てきます。
蜒(エン) 婉(エン) 刮(カツ) (カン) (カ きず) 跪(キ) 
跼(キョク) 洽(ゴウ) (コン・さし) 尓(シ・ジ) 遒(シュウ) 辵(チャク) 
鍮(チュウ) 珎(チン) 跛(ハ) 跋(バツ) 孕(はらむ) 笵(ハン) 鐚(びた) 仿(ボウ) 
尨(ボウ) 縵(マン) 幺(ヨウ)

いずれも手書き入力パッドがなかったらお手上げの漢字ですね。

①跪く(読み) ②跼る(読み) ③跛(読み) ④尨(意味)
答えが知りたい方は以下のスペースをカーソルで反転させてください。答えが見えます。

①ひざまづ く・・・ひざをついてかしこまる姿 跪寛(古寛永岡山銭)
②せくぐま る・・・体を小さくしてまるまっている姿 跼永(古寛永御蔵銭)
③びっこ(ちんば)・・・対の長さがそろわないこと。IMEで変換可能!跛寶(古寛永仙台銭)
④むく犬・・・むく犬の毛のように乱れる意味 尨字(天保通寶不知細郭手)
 
4月20日 【美しい日本語】
最近は古銭用語の基礎知識の修正に躍起になっています。と、いうのも私自身の読み間違いがあまりにも多く、勉強のし直しが必要だから。しかし、子供の頃に覚えた誤読は、理屈では分かっていてもなかなか治らない。これについては古銭界も迷走していて、例えば「内跳寛」の読みも古銭語事典では「うちばねかん」、古寛永大分類の手引きでは「ないちょうかん」で一致しません。日本語の美しさでは「うちばねかん」の勝ち!しかし、「直跳寛」の読みにはちょっと困る。訓読みの「なおばねかん」では意味が分からず重箱読みの「ちょくばねかん」もいまひとつ。「ちょくちょうかん」の方が通りもゴロも良いのです。古銭語が不安定なのにはいくつか理由があります。

①漢字には音と訓がある。
もともと日本語には文字がなく、中国から輸入した漢字を使用しています。漢字には中国語特有の音読みと日本語の意味を割り当てた訓読みがあります。読みが2つある以上、統一は難しいのです。

②漢字は表意文字であり、音表現よりより文字そのものの意味が重視された。
漢字は象形文字からの発展なので漢字にはそれぞれ固有の意味があります。アルファベットのような表音文字ではなく、表意文字である以上、読みの違いには寛大になります。(極論すれば読めなくても意味が伝わる。)良い例が「日本」の読み。自分の国の名前が「にっぽん」でも「にほん」でも良いとは日本人はなんと寛大(いい加減?)な民族なんでしょう。 同じ理由で日本語には漢字の前後を入れ替えたり(情熱 → 熱情)、同意漢字に置き換えたりとやりたい放題です。

③連濁など日本語特有の変化がある。
日本語には二つの言葉が結び付いて熟語化すると濁音化する連濁という特性があるのですが、明確なルールがないので難しい。「餅:もち」+「米:こめ」=「餅米:もちごめ」が一例。古銭用語の「手」の読みなどは「て」「で」で一定しません。もともと「て」であったのは間違いのないところで、連濁によって「で」が現れたと考えられるのですが、とにかく一定しない。私は「伏見手」を「ふしみて」読み「不旧手」を「ふきゅうで」と読んでいますが、正しいかどうか・・・。

④複雑な文字置換の変化もある。
古銭を古泉と表記するのが代表的。この場合は画数の多い字を発音の同じ他の文字に置き換えてしまった例。これは音による置き換えで、合理的な方法。銭より泉の方が簡単でなじみ深いからか?ほかにも鋳造において画数の多い文字は省文といって略すことは良く行われました。
反対に、元の意味に戻す例もあります。寶の王を玉に換えて「ぎょく」とする例(反玉寶:はんぎょくほう)です。もともと寶の王は財宝を表わす玉の意味だったので王を玉に換えてもなんら問題なしというのが理屈らしい。これは語調整えの影響もあります。

⑤音をそろえる傾向がある。
これは古泉界特有の癖だと思うのですけど、細字を「さいじ」と読むのは、細縁や細郭と音を合わせていると思います。「深・浅」は徹底して訓読み。深字(ふかじ)は間違っても「しんじ」とは読まない。(注)読みが統一されていれば乱れも少なくなり、ある意味では合理的ともいえる措置かもしれません。一方で日本語として変な読み方も・・・。かくして古銭用語には音訓が入り乱れ湯桶読みや重箱読みもオンパレードです。
(注)新寛永通宝カタログはなんと「しんじ」のルビがありました!

⑥誤読定着もある。
代表的な誤読のひとつが「良恕:りょうにょ× りょうじょ〇」。歴史的には「りょうじょ」が正しいのですが、古銭界では「りょうにょ」の読みの方が依然強い。富本銭が出土した時にさかんに厭勝銭(ようしょうせん)という言葉がテレビに出てきましたが、正しくは(えんしょうせん)です。今はかなり訂正されています。いずれも有名泉家が間違えたり泉譜に誤った記載がされたもの。これらは速やかに訂正されるべきだと思います。和同開珎「わどうかいちん」も実に怪しいと思いますが、なにせこちらは歴史が古いから・・・。

結論・・・読みの完全統一はかなりむずかしい。少なくとも濁音の有無統一は無理だと思うのです。ただし、誤読だけは恥ずかしいので直した方がよろしいと思います。そのうち細字の「ほそじ」、深字の「しんじ」も認められるような気がします。

※ネットに反玉寶が出ていました。ただし実に怪しいものですね。結局取り消されたみたいですけど。
 
4月18日 【本邦泉家泉界祝寿記念銭拓集】
インターネットで変わったものを落としました。本邦泉家泉界祝寿記念銭拓集は駿河貨幣研究会の康泉こと山本康介氏が1988年に上梓したもの。製本が立派で新寛永拓影全集(1988年発行)によく似ていると思ったら、製本に竹田四郎氏がかかわっているそうです。
中には全国の泉家・泉会のつくった記念銭の類がたくさん載っています。記念銭のルーツをあえてたどれば上棟銭なのでしょうけど、純粋な記念銭としては民間が金属を容易に入手できるようになった明治後期頃がせいぜいでしょうか?
手持ちの文献で確認できる年号の記された最も古い記念銭(絵銭・上棟銭を除く)は明治40年の富士山登山記念と富士山電信開通記念のもの。(昭和泉譜ほか)これは今なら記念メダルに相当し、メダルに馴染のなかった日本人が絵銭としてつくったように感じます。刻印銭では大正2年のクリーブランドとの姉妹都市提携記念のものが年号確認できるものとしては最も古く、こちらは寛永通宝の周囲に刻印が打たれています。(社寺福銭・上棟銭記念銭・代用貨銭譜:2007年3月7日の制作日記をご参照ください。)泉家の祝い銭としては、昭和7年の平尾賛平氏のものが最も古そう。泉家個人の祝い銭の最盛期は昭和40年代から50年代にかけてで最近はほとんど聞かなくなりました。還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿といった長寿のお祝い・・・というのもめでたい反面、記念品に祝い銭をつくって配るのは道楽と言われそう。もらった方も扱いに困る。そもそも長寿記念銭自体が歴史的にさほど古いものではなく、それも一時期的な流行りものだったような気がします。
役に立たないものを集めて自慢するのは自己顕示欲・縄張り意識の強いオス特有の行動。ましてや自分のためにお金をかけて模造コインを作って配るなんて酔狂以外の何物でもありませんので女性には理解できないと思います。
そういえばH氏が遊郭の記念銭をさも愛おしそうにしてましたっけ。昔の真鍮質でなかなか味があるのですが、文鎮にもなるようにと分厚い作り。文鎮が文房具としての主役としての役割を終えてからこの手の鋳物は行き場を失いました。
私としては古の泉家の足跡に触れることができたら面白いと思ったもの。古泉家の素顔や歴史について言及して下さればもっとありがたかったのですけど、なかなかの力作本です。この本自体が山本氏の記念銭だと思います。
 
4月17日 【撰銭の仮決算】
蛇の目 1枚 佳品
万延期仙台銭背千母 1枚 佳品
明和期亀戸銭大様狭足寛 1枚 佳品
延尾永小字 1枚 並品
重揮通背仙 1枚 佳品
元文期小梅銭広穿背小 1枚 佳品
元文期小梅手広穿 2枚 佳品
元文期平野新田銭白目中字 1枚 佳品
正徳期背佐 1枚 佳品
10 元文期伏見銭銭中縁 3枚 佳~美品
11 元文期伏見銭 2枚 佳~美品 
12 明和期長崎銭背錯笵 1枚 佳品
13 元文期十万坪銭無印純白銅銭  1枚 並下品(輪欠)
14 元文期十万坪銭輪十後打 1枚  美品
15 元文期十万坪銭輪十鋳込 1枚 美品
16 元文期十万坪銭虎の尾寛小字赤銅銭 1枚 佳~上品
17 元禄期亀戸銭厚肉の銅替り含白銅質 2枚 並~上品(1枚はスアナ)
18 不旧手横大路退永?大様24.4㎜ 1枚 上~美品
19 元文期平野新田銭十万坪手大様23.9㎜超 2枚 上~美品
20 享保期仙台石巻銭異書長通大様24.6㎜ 1枚 上品
21 享保期仙台石巻銭異書短通斜寶大様25㎜超 2枚 美品
22 享保期仙台石巻銭異書大子大様24.55㎜ 1枚 上品 
23 享保期仙台石巻銭異書大子次鋳 1枚  並品
24 享保期仙台石巻銭異書低寛大様24.3㎜ 1枚 上品
25 密鋳異書短通写し 厚肉 1枚  並品
26 享保期佐渡銭縮佐大様25.65㎜ 1枚  並下品(大ヒビ)
27 享保期難波銭濶縁大様25.4㎜ 1枚 上品
28 古寛永高田肥永小字 1枚 並品(スアナ)

銭の山を少し見直したら真っ黒な重揮通背仙が出てきました。したがって今回の撰銭はひとまず終了。時間を見てきれいなやつを分離するぐらいでしょうか。撰んだのは右の表のとおり。最初は珍品狙いでしたがなかなか出てこないので途中から銅替りや大様銭、美品を漁っていました。したがって撰り残しもたくさんあると思います。とくに不旧手の類はたくさんありましたが、伏見銭の類はかなり見逃しています。異爪寛はなかったですね。荻原銭と座寛は多かったのですけど、特筆するような美品はなく、少し銅質が白っぽいものだけ別抽出。明和期の小字は10枚以上ありましたが中字以上は1枚だけ。背佐も複数枚出てきましたが、みんな状態が悪いので割愛。25.65㎜の縮佐は割れてなければ嬉しかった。大様銭の類は目立たない雑銭ですけど探すとなかなかありません。
やはり、大きくてきれいなものは拾っておくに限ります。古寛永は御蔵銭も2枚だけ出てきましたがいずれも並以下の品でした。残念ながら古寛永にはあまり見るべき品はありませんでした。
見落としもいっぱいあると思いますし、再度の分類をするのも良いのですが楽しいながらもとにかくこの作業は疲れますね。本当は銭種ごとに細かく分類すれば良いのでしょうけど、家が汚れるから家族に嫌がられます、それと作業中に2匹の猫が邪魔しに来ます。
収支決算的にはビミョーで元はほぼ取れなそうですけど、楽しめたから良しとしましょう。

※そういえば断佐がまだ行方不明でした。探さなくちゃ・・・。
 
4月16日 【御蔵銭小永離用通大様母銭】
久々にオークションネットで落札しました。お付き合い入札でしたが、落ちたら良いなという思いもありました・・・ほぼ最低価格応札で恐縮なんですけど。御蔵銭の母銭はいかにも母銭らしいものが多いのですけど、これはその大きさが素晴らしい品。外径25.25㎜、重量4.6gとスーパーヘビー級です。下の不旧手も本当はなかなか立派なんですけど相手が悪い・・・1Rノックアウトです。御蔵銭の分類はどうも苦手で、とくに小永と縮寛がよく分からない・・・というより一緒で良いんじゃないかと思う時もあります。今回は古寛永泉志No.211にほぼ正合しました。面側は地味ですけど背の浚いが美しい。無競争みたいでしたけど、これはもっと評価を受けて良い品ではないかと思います。御蔵銭としては一頭地抜けています。私に言わせれば古寛永で25㎜というのは一種のステータスでして、母銭といえどもなかなか超えないのです。新寛永でも文銭系以外は稀ですよ。大きな寛永銭は拾っておくに越したことはないのです。
 
   
 
4月15日 【なんだろう?横大路?七条?】
なかなか撰銭を再開する気持ちにならない。とにかく始めると一気にやらないと気が済まなくなるからなのですが、ほかにやるべきことが多くて・・・。
とりあえず選った部分を少し整理。蛇の目、万延背千母・・・基本的に気になったものは一応選っています。私の好みで①大きいやつ②きれいなやつ③白いやつは選別対象になっています。そんな中で左の寛永銭も引っかかっていました。一目、元文期の不旧手なんですけど大きいし重いのです。背の彫りも深くて郭がきれいなので母銭ぽいのですけど製作は断じて母銭じゃない。外径は24.4㎜、重量は4gちょうどでこの手の新寛永としては相当大きく重い。とりあえず横大路退永の初出の大様としておきましたがひょっとしたら七条の銅替わりあるいは横大路の母銭のなりそこないかもしれません。横大路の標準銭より1㎜ぐらい大きいし・・・。
 
4月13日 【本座もどきの不知長郭手】
ネットで出ていた不知長郭手。半信半疑で落としてみたらやはり不知銭。しかし、この偽装は見事としか言えない。
右は比較用の本座の標準銭。長径は49㎜を切るのでその分きれいに相似形で縮形銭になっています。わずかに濶縁なのですがじっくり比べて見ないと判りません。銅質、製作はほぼパーフェクトに本座と同じです。極印も葉脈がはっきりしないもののほぼ正確に真似ています。一番感心してしまうのはこれを不知銭と見出せた眼力の人。毎日のように古銭を見ている私でも見落とすことは必至で、計測しないと信じられないつくりなのです。(拡大すれば判るかもしれないが・・・)砂目ややすりがけ」までほぼ同じ。昨年、細郭手の品で同じような記事を書きましたが、長郭手にもし次鋳というものが存在するのなら間違いなく該当品です。鋳造技術は本座と遜色はなく、間違いなく一級品。技術力から見たらものすごく評価ができるのですけど、残念ながら不知銭の世界は技術の高さはむしろ減点になるぐらいなのです。
唯一、重量が23g超えでかなり規格外な所だけ評価されるかしら・・・。
長径48.7㎜ 短径32.05㎜ 
銭文径40.9㎜ 
23.1g
 
4月12日 【投稿画像より 異極印】
こちらも関西のSさんからのご投稿。(ありがとうございます。)
一見何の変哲もない・・・というより、真っ黒で見栄えのしない天保銭。実は不知銭で、あちこちをガリガリ削られていて、とくに輪際の歪みが目立ちます。なかなかの縮小銭で外形は48㎜を切り、銭文径も1㎜以上小さい。特筆べきは輪の極印でこのタイプはいろいろな泉譜で異極印のサンプルとして表示されている*型極印ですね。この形、いったい何を模したのでしょうか?
外径47.62㎜ 短径30.9㎜ 文字径40.45㎜ 重さ20.88㎜ 厚2.52㎜
 
4月10日 【奮闘中!】
表示ずれの修正を開始しましたが、なかなか進みません。現在、ようやく文銭の中字に入ったところ。おそらく数か月かかると思いますし完全には修正できないかもしれません。微妙なずれは修正後でも生じています。
古銭用語の基礎知識はレイアウトが完全に破壊され、修正はまる2日がかりでした。寝不足でつらいのでちょっとペースダウン。見づらいかもしれませんがお許しください。


ようやく対処法が判明。この障害はWinndows7のOSにIE10をインストールすると生じる障害みたいです。IE10は既存ブラウザの動きを軽快にし、文字を調整して大きく表示するため、読みやすくなることもある半面、動かなくなったり、レイアウトが崩れる現象が起こるみたいです。
 
4月8日 【大規模障害発生】
障害はインターネットエクスプローラーをバージョンアップした瞬間に発生しました。(現在ご覧になっているパソコン等の機種によっては障害が出ていないケースもあると思います。)このHPはホームページビルダーの機能・・・どこでも配置モードを使用して編集しています。この機能は画面全体を絶対座標としてとらえ、その座標上に文字や画像を配置して行くというもので、見た目通りにHPを作成できるというすぐれた機能を持っています。文字と画像を自由に重ねることが可能で、画像に説明などを直接載せられるので何かと手軽で便利なのです。
一方でこの機能には以前から多少問題がありました。

①フォント種類の少ないパソコンで見たり、文字サイズを大にすると表示がずれること。
②パソコン画面が小さいと表示ずれが起きやすいこと。とくにマートフォンで表示位置がずれること。
③HTMソースが未整理なので、容量が大きくなりがちなこと。


①の現象は初期のころから気づいておりましたが、文字サイズを中以下に設定すれば問題はほとんど解決します。
②はスマホの登場で問題が発生。私のHPは大きいのでスマホ向きではないと割り切っていましたが・・・
③は見る側にはほとんど問題にならないこと。

今回の障害は配置座標が表示フォント(文字種・文字サイズ)によって微妙にずれる現象が私のパソコンにも及んだということ。今の状況は作成した画面がプレビュー通りの表示にならず、微妙にずれてしまうという現象に悩まされています。作成中の画面とアップロードした画面が微妙に違うのです。しかも困ったことにアップロードしてみなければどんな障害になっているかが判らない。アップロードするためには作業を保存しなければならず、作業を保存するということは不具合があってもデータが上書きされてしまうので後戻りができないということ。

実際に生じている障害は・・・
①文字位置がずれ、他の文字や写真と重なって見えなくなってしまう。部分的にはレイアウトが壊れてしまう。
②イベント(文字や絵の動き)が発生しないことがある。(リンク表示がされないこともあるらしいのですがまだ未確認。)
③行間表示がずれてしまい、むらのある文字配置になったり、行間が狭まり読みづらくなる。

気づいた点は以上です。実際に
2008年以前の制作日記を開いてみて下さい。文字重なりが発生している可能性があります。

対策は二つ。
①編集モードを変える。どこでも配置モードをあきらめ、標準モードで作成しなおす。
②画面の要素を表に配置しなおす。


本来なら①が望ましいようですけど、これは全面的な作り直しになってしまいますので今の私には不可能に近い。
②の作業も①ほどではないものの時間がかかります。コツコツやってゆけば何とか対応できるか?実際に作業してみましたが1Pなおすのに1~2日はかかります。これは大変なことになりました。
 
4月6日 【天保戎寶ふたたび・・・】
関西のSさんからの投稿の1枚。天保戎寶です。(ありがとうございます!)
例によって柔らかそうな銅の地金に子供がクレヨンでお絵かきしたような奇抜な書体です。しかも以前私が入手した品(3月4日記事参照)とは全く書体が異なります。
天保戎寶は初めて見た絵銭なのでどの位の価値なのかは全く見当が付きません。そこそこ時代はあろうかと思うもののあくまでも明治~大正期のものだと思っていますがいかがでしょうか?
不知天保通寶分類譜では打印銭とされており、雰囲気的にもそんな感じがするのですが、あるいは鋳造なのかもしれません。
外径47.3㎜ 短径32.33㎜ 重量16.69g

この銭について由来や変化・製法などご存知の点がございましたらご一報ください。
※3月4日の品・・・やはり泉譜原品のような気がしてきました。
 
4月4日 【歴史読本】
歴史読本シリーズは、その昔に古代史ミステリーや戦国武将に凝っていた頃にも時々買っていた記憶があります。このシリーズ本は、今でも続いているロングセラーなのですけど、コインブームの頃に「お金の百科事典」として出版もされていまして、私も自分で買って持っていた記憶があります。雑誌なので原本はすでに処分してしまって手元にはなかったのですが、ネットオークションで見つけて懐かしくて思わず購入してしまいました。ボナンザの臨時増刊号日本のコインなんでも百科と並ぶ懐かしい本でありますし、この手のものではあと月刊太陽のコイン特集もあったように記憶しています。
当時の私の一番の愛読書は矢部倉吉著の古銭と紙幣であり、それから穴の細道、寛永通寶銭鑑識と手引なども購入して表紙がボロボロになるまで読みふけりました。今回入手した本は古本ながらページの折れや破れもなく保存状態は良好なんですけど、収集品としてではなく読み物として購入したのでこれまたボロボロになってしまうかもしれません。もったいないかしら・・・。
 
4月1日 【見つからない・・・】
12キロの寛永・・・手早く処理したせいなのか、見落としがあったようで第一回の選りで三種のポイント銭が見つかりませんでした。
①背仙 ②背断佐 ③朝鮮通寶 です。朝鮮は価値的にはないものの画像で目立ったものなので見落としたのが不思議ですが、最初の頃はざっと見ていたので・・・。
背仙、断佐を見落とすとは信じられないのですけど、反対側の状態が悪いときは選ばないのであるいは・・・ということもあります。その他のポイント銭は見つかりましたが、中級以上のものは皆無ですし、古寛永はほとんどが割れ、欠け、歪み、スアナの劣品だったので残念ながらこの古銭はすでにざっと目を通されていた可能性が高いと判断できます。丸屋、文銭と座寛が同じ緡から大量に出てくることはあまりないと思われることも理由の一つ。ただ、関西方面(京都)の出であるというふれこみの通り、荻原銭や不旧手の山城系、背元、難波銭はかなり目立ちました。一方で東北と推定される日光銭が1枚というのはまだしも、関西の鋳造である和歌山は2枚、一ノ瀬に至っては0枚というのはかなり不可解。やはり選ばれている?
詳細見直しには2週間ぐらいはかかるかな。ちょっと退屈な作業になります。(現在はやる気なし)
 
3月28日 【撰銭格闘記・・・初日は空振り】
12㎏の寛永銭が来ました。ずっしり重い。梱包をとくと藁屑とほこりにまみれた雑銭の山が見えます。期待を込めて撰銭を開始しました。出でよ…島屋文。多いのは異書の類と不旧手の類、背元、秋田、背足、背長など。元禄荻原銭・亀戸銭の類も目立ちます。座寛はけっこうありますが四ツ寶の類は少ない。しかし、歪み、ヒビ、欠けなど状態の悪いものが多い・・・かなり不安です。
画像で確認していた背仙・背千母・蛇の目は・・・出てこない。それどころかまともな四年銭も御蔵銭も出てこない。あっても欠けた屑銭です。いやあ・・・これは期待外れ。半分ぐらい選ったところで本日はオシマイにしましたが、収穫はほぼ0。やられてしまったのかしら。(輪の欠けた十万坪白銅、輪十、状態の悪い延尾永小字1枚、ス穴のある高田肥永小字があったぐらい。)これで画像で確認した3種が出てこなかったら立派な詐欺だぞ!・・・とぶつくさ言いながら明日に期待。きついなぁ。

※現在、約半分を第1回目調査中、御蔵銭1枚(ヒビ)、延尾永小字1枚(スレ)、輪十1枚は確認。その他の品はまだ見当たらない。非常に不安になってきました。出品画像(合成編集)の段階でこれだけバラエティに富んだ顔をしていたので期待していたのに、今のところ大外れ。
 
3月27日 【ちょっと不思議な江戸時代の勘定】
文献写真を見ていたら「永〇〇文」などの文言を見つけました。永楽銭〇〇文のことなのかな・・・と思いましたが、時代があわない。(お断りしておきますが私は古文書の類は全く読めません。読める文字で判読しているだけです。)調べると江戸時代の金銀貨は四進法だったので金一両を計算用に永1000文として計算をしたそうなのです。永勘定の永の文字はやはり永楽銭から由来しているようです。いわば永は仮想通貨で、永一文は1000分の1両と言うわけです。一両は大きすぎる単位なので計算しやすくするための工夫。あとはこれに両替率をかけるだけ・・・。けれどもこれだと一朱は永60.25文となりちょっと半端ですね。
実は江戸時代の計算法にはもうひとつ重要なものがありました。それが九六勘定と呼ばれるもので、銭96文で100文と計算したもの。
96を因数分解すると2×2×2×2×2×3ととても素数が多い。4でも3でも割れるので何かと便利なのです。一両4000文とすると、九六勘定では一両3840文、一分は960文、一朱は240文、小数点以下の端数はでませんね。
インフレでは一両6800文になっても、一両6528文、一分は1632文、一朱は408文、多少面倒ながら上手くできています。実際はバラを数えることなく、96文=100文ですから、一両は銭緡68束、一分はその4分の1で1700文で17束、一朱はさらに4分の1の425文なので4束と25文・・・そうか、一朱は端数が現れるので九六勘定で単純計算した一朱408文と実数計算で求めた96×4+25=409文が違ってしまいました。アバウトのようでなかなか難しい。慣れていたのでしょうけど、江戸時代の商人の計算力はすごいものがあったみたいです。
 
3月25日 【雑銭買いの銭失い】
久々にネットで雑銭買いをやらかしました。京都から出たという12キロ。推定3700枚ぐらいか?いままで大量購入していい思いをしたことがありませんので私としては大冒険なのです。過去にもとをとったことはありません。ほとんどが選り出し済みだったり焼け銭でした。それどころか私はまだ島屋無背さえ選り出したことがないのです。
しかし、今回は勝算はあります。画像段階で背千母銭・蛇の目・断佐・背仙・白目中字等を確認済み。 はっきりしないものの輪十の通横打ちらしきものも見えます。古寛永も多く御蔵銭などはぽろぽろ出てきそうです。しかし、古寛永、文銭から鉄銭母までずいぶん内容がバラエティに富んでいて逆に不安になります。撒き餌・コマセかもしれない。個人的には収集家が中級クラス以上を分けていたものが偶然混じったのだと考えたい。(願望)
1枚30円で計算すれば安い買い物なんですけど、元はなかなか取れないでしょう。(弱気!)でも久々のチャレンジャーです。いでよ島屋文!
 
3月22日 【地名は生きている】
実は私は郷土史に凝った時期がございまして、地域の史跡、伝説、歴史人物など片っ端から調べて勢い余って町から声をかけられてミニ講座を開いたこともあります。今思うと地元の郷土史研究家の前で発表を行っていたわけで、赤っ恥をかきに行ったようなものでしたけど、まあ、良い経験になったと思います。神社に残っていた算額を現代数学で解く(証明する)ことができたときは本当に感動しましたっけ。(徹夜しましたけど。)
地名や姓はそんな調査のときにとても役立ちます。古い地名には必ず何かの意味があるのです。同時に誤伝も多いので注意が必要ですけど。御蔵銭が浅草橋場ではなく蔵前(浅草御蔵)でつくられた・・・と推理したのは天保銭人。かの地にはその昔江戸幕府の年貢米を保管する御蔵があり、その西側の地を蔵前と称したそうです。さらに歴史をひもとくと浅草御蔵の地は鳥越神社の社領地であった丘陵を拓いたものだそうで鳥越銭と御蔵銭は兄弟みたいなものですね。江戸時代は新田開発や大火などで町編成がたびたびおこなわれていて、御蔵の地名も移動された・・・のではと思います。このあたりの記事は収集の「仙人が行く」に記載されていたように思いますので、私の書くあやふやなことは話半分で・・・。

※私の住む近所に難読地名として百目木・廿五里というところがあります。それぞれ「どうめき」「ついへいじ」と読みます。百目木の近くには大きな川が流れていて、その川が「とうとう」と流れるから十々目木・・・十×十は百だから百目木という嘘みたいな話。とどろく→ 等々力も同じ語源みたいです。
一方、廿五里は複雑で、やはり由来は川。
川の近くで湿った地を乾かして農地にしたから露干地、あるいは土手(堤防)を作ったから築地・・・のいずれかが読みの由来。その昔は津以比地と書いたそうですから、多分前者がより近いものだと思います。廿五里の書きの由来は、古説では鎌倉から二十五里あるからと言う言い伝えがありますが、実は古代の里程にあわないことがわかっています。隣の市に廿五里(つうへいじ)という地名がありそこは戦国時代に通平寺氏の所領で通平寺というお寺も廿五里城もありました。私の調べではどうもわが市の「ついへいじ」はその廿五里(つうへいじ)の漢字の書き方・読み方・伝説を頂いてしまったような気がします。(どちらが本家かわかりませんが、)他にも分目(わんめ)とか小田部(おだっぺ)などという田舎発音丸出しのはずかしい地名もあります。こんなこと昔は一生懸命に本を調べていたんですけど、今はインターネットで一発で調べられます。便利になったものです。

※今のパソコンは一発でこの難読地名を変換しました。驚きです!
 
3月20日 【天保銭雑事 到着】
天保銭雑事がさっそく届きました。B5版より小さくて(A5版でもない!)無タイトル、ページ数表記もないのですが、400P以上はあると思われ昔の電話帳以上の厚さがあります。表紙や背は手作り製本風ですけど、天地や小口はしっかりそろっています。書店主は2冊保有しているということですから、もう一冊の背か表紙にタイトルがついているのかもしれません。奥付はたしかにありません。
中を開いてみたら一目瞭然・・・大橋義春氏の見覚えのある独特の文字がならんでいます。大橋義春・当百銭研究分類譜(天保堂・復刻版)をとり出して比較してみましたが配列も銭図数も異なります。ところどころ空欄もあっていかにも拓本を貼る前、完成前と言った雰囲気です。また、拓本用紙をそのままコピーした痕跡も残っています。貨幣誌や破草鞋(はそうあい)の記事の写しなどが挿入されていて、手作り感があります。推定ですがこれは昭和13~19年にかけて200部ほど制作されたという当百銭研究分類譜の元稿、あるいは編集前の原本の写しではないでしょうか。

※天保銭人もこの本を所有されているそうです。(情報提供ありがとうございます。)ただし、表紙は緑色とのこと。天保銭雑事はやはり大橋譜の原本の復刻版ではないかとのことです。詳しいことはまたご提供頂けるようですので・・・。
よく見ると手書きのページカウント記入がうっすらとあり505Pに及ぶと思われます。
 
3月18日 【天保銭雑事】
ネットで古書を徘徊していたら「天保銭雑事」なる書名にひっかかりました。おおかた天保銭事典(瓜生有伸著)の間違いだろうと通り過ぎようとしましたが妙にひっかかります。念のため書店にメール問い合わせをしました。以下、メールの本文です。
「天保銭雑事についてお答えします。瓜生有伸氏の天保銭事典とは違います。私も2冊所有しておりますが天保銭事典よりも厚く、但しソフトカバーです、天保銭の成り立ち、から各藩の地方貨まで解説したものです。私も古銭店などを巡ってもこの2冊しかみたことが有りません。天保銭事典より古い編集のものです。古銭研究には非常に良い参考書と思います。奥付がいずれも付いていないのでわかりませんが、おそらく原本はあろうかと思います。」
古銭店を巡るとはもしかすると店主は古銭マニアか?
雑事とは「ぞうじ」・・・雑多なこと・・・なのでしょう。枕草子にかけたのでしょうかね。古本屋にあるぐらいですからちゃんとした製本でしょうけど見なくちゃわかりません。さっそく注文してしまいました。お金が飛んで逃げてゆきます。
奥付もないとなれば作者もわからない。古い私家本かしら。この本の由来についてご存知の方・・・お教えください。

※書店主の名前をネット検索してみたら・・・古泉研究会にどんぴしゃ・・・会長さんだったのですね。失礼いたしました。
 
3月17日 【鋳肌の比較研究】
私の記事に呼応して画像をお送り頂きましたありがとうございます。
左の画像2枚は東北のSさんから送って頂いた反玉寶の画像。
左上はSさんの蔵品で鋳放銭で小様という名前がついていますが長径49.8㎜、短径33,25㎜もあります。
左下は鋳バリを除去した仕上げ銭。面の砥ぎや穿内やすり目がみえなさそうなので半仕上げか?オークションなどからの収集画像だそうで、倍率が異なるので大きさについては判りません。
私の落札品はかつて大和文庫に出品されたもののようで、画像も頂戴しました。さすがSさん、画像収集もされているとは!おかげで反玉寶の銅色・鋳肌はよくわかりました。

右下は関西のSさんからご送付いただいた仰永の母銭。明治短寶浅字(彫り)という旧称をすっかりわすれていました。仕上げとぎの違いなのかもしれませんが、確かに四国のKさんのものとは全く印象が異なります。よく見るのはこちらのタイプ。
このタイプには贋作も多いと聞きますが、これは雑銭から出てきたもののようです。

 
3月16日 【反玉寶の情報】
旧:貨幣誌(復刻版)をひもとくと反玉寶の記事はいくつか出てきます。   
大正8年10月 阿部弌泉 鋳放 名称なし
盛岡方面から出現した。覆輪鋳放であるが特段の書体変化はなしと紹介。
昭和11年11月 小川青寶樓 仕上げ 長郭覆輪天保
22.3g 
銅色深黄 東北の産で反玉寶であることを表示。
昭和14年4月 阿部好和堂 鋳放 長郭覆輪天保
26.6g 
銅色褐黄 大正初年、東北銭商が由来であることを示す。仕上げ品がときおり見かつり
その情勢から仙台以北のものではない(仙台である?)ように思うと推理。
昭和14年10月 田野誠泉 鋳放 鋳放し天保
24.75g 
銅色褐黄 今までの話を総括し、木村昌古堂の由来を明示。東北の出であることは
間違いないだろうと推定。
泉譜等ではどうかと言うと・・・
昭和8年刊行 平尾賛平 
昭和泉譜 に南部天保として鋳放の拓図があります。
昭和10年刊行の小川青寶樓 
天保銭図譜 では不知銭の冒頭に長郭覆輪として掲載(格付5位)
昭和31年の勢陽古泉会版 
天保泉譜 では石ノ巻銭として7図が掲載(格付4~5位)
その底本と言われる大橋義春 
当百銭分類譜 には石巻銭として5図が掲載
昭和37年刊行の 
天保通寶鑑識と手引 では石ノ巻として5図が掲載。ここには仕上げ細縁と覆輪刔輪銭が載っています。(格付4~5位)
昭和50年刊行の小川青寶樓 
新訂天保銭図譜 では仙台銭に包括されて2図が掲載。(格付2~5位、勇字は別炉だと思います。)
(石ノ巻に鋳銭の事実がないことが判明したことによる変更です。)
昭和51年刊行の瓜生有伸 
天保銭事典 でも仙台藩銭として4図が掲載。(格付2~3位)
贋作が多くあること、通用仕上げの小さいものは製作過程や金質などに疑問があり同炉ではないと断定しています。
昭和58年刊行 瓜生有伸 
幕府諸藩天保銭の鑑定と分類 には昭和49年に実施された 石巻鋳銭場展見学と現地古泉会交流によって、石巻において天保銭鋳造の証拠は見つからなかった(佐々木治郎氏のレポート)点が記述されており、その行程に小川青寶樓氏が同行したことなどから、青寶樓氏が石巻銭から仙台銭に戻した理由が分かります。
同じく昭和58年刊行の 瓜生有伸 
天保通寶母銭図録 にはほぼ同じ資料とともに、驚くことなかれなんと反玉寶彫母銭(削頭尓)と母銭が2図掲載されています。この彫母銭は平成7年刊行の 瓜生有伸 当百銭カタログ にも顔を見せますが、個人的にはいくつか不可解な点が残ります。
①幕府諸藩天保銭の鑑定と分類において瓜生氏は反玉寶は加刀ではなく「湯走りの具合で自然的に反玉寶になっていた」とありますが、天保通寶母銭図録においては「寶が反玉様に加刀されている」とあり矛盾があります。これは記事作成の期間に時間差があるかもしれませんので、見解が変わったとも考えられますが・・・
②天保通寶母銭図録に掲載されている彫母銭(削頭尓)には輪の刔輪変形が確認できないこと。
③天保通寶母銭図録に掲載されている母銭のサイズでは、通用銭をつくると小さくなりすぎること。

の2点はやはり不可解。瓜生氏ならこれぐらいは判っていると思われますが、掲示品がいずれも青寶樓氏のものであったので、師の考えを尊重したのかもしれません。③については 
月刊天保銭45号 に渡辺猛男氏の記事「反玉寶仕立て銭と不知銭など」にサイズ比較が載せられていますが、母銭と通用銭のサイズがほぼ同じという結果が出ています。(ただし、渡辺氏はこの結果をもって母銭図録に異論は唱えていません。)

資料としてのハイライトはやはり 
岩手古泉会十五周年記念会誌 泉寿 でしょう。
沢井敬一氏と引間茂夫氏によって書かれた室場天保考は室場において天保銭が鋳造された事実資料を明確に提示しています。ただし、反玉寶を室場であるとする根拠は次の2点に絞られるようです。

小笠原白雲居の日記帳にある記述資料とそこに反玉寶の拓本があり、そこに室場天保の墨書きがあった。
②県立岩手図書館蔵岩手県資料
「盛岡藩造貨」のなかにある「室場天保当百銭につきて」に、「明治4年末の私鋳天保として今日に存在するものは皆広穿にして、その質も前者と異なりて、赤色に少しく黄金光を有せる一種にすぎず其の形は外輪頗る広く・・・」の一文があること。

につきます。残念ながら小笠原白雲居の日記帳は公開ができない事情があったのらしいのですが、これによって室場天保は反玉寶と決定づけられたようです。どうにも好きになれない顔をしている・・・と私は書いてしまいましたが、いにしえの古銭大家たちがわいわいがやがや議論を尽くした結果なのですから、間違いないところ。願わくば小笠原白雲居の日記帳が公開されること、そして「室場天保当百銭につきて」に記述がある、大量につくられた第一期銭(引間氏は盛岡藩写しと推定)が確定されることを願います。
明治4年の鋳造・・・というのは天保銭密鋳のぎりぎりのタイミングで、同年10月には天保銭の新貨交換レートが8厘として発表になってしまいます。もっともそれ以前から銭相場は崩れていて銭相場は地金相場に限りなく近く「鉄銭を鋳造するよりは割が良い」ぐらいのものだったようです。
→ 明治維新の交換レート(コインの散歩道より)

※東北の天保銭の大家、英泉氏の天保通寶研究分類譜・英泉還暦記念泉譜を期待して調べたら、前者には2図あったもののそのうち1図は反玉寶ながら別炉だと思いますし、後者には未掲載でした。ひょっとして英泉氏もこの風貌は好きじゃないのかしら?
※ハドソンの東北北海道の貨幣(平成6年)には白黒写真ながら2図あり、鋳放銭の風貌の良く分かるものが掲載されています。カラー写真を求めて季刊方泉處を探しましたが残念、見つかりません。どなたか色調や肌の様子の良く分かる写真資料はありませんか?
(久しぶりに資料を調べまくりました。よく読んでいない資料が多いですね。浅学を恥じます。)
※石ノ巻銭という語の響きがなかなか離れないのは、覆輪刔輪という言葉を初めて学んだのがこの反玉寶であったから。(たしか貨幣手帳)。寛永銭では白銅のものがあるという記事もあって石ノ巻はすごい・・・と思いました。現在は日本貨幣カタログにも日本の貨幣収集の手引きからもこの反玉寶は姿を消しています。

 
3月14日 【反玉寶到着!】
どうせ落ちないだろうとお遊び応札していた旧称:石ノ巻反玉寶が届きました。いわゆる責任購入です。痛々・・・!
悪いものではないと思います。反玉寶のお約束はありますし未使用肌ながら錆も削れないほど固く古いもの。長径も50㎜を超えます。(50.1㎜)銭文径は40.5㎜でかなり縮小し、重量も25.7gもありますが、中には30gに迫るようなものもあるようですので、これが最大級と言うわけでもありません。泉譜と比較するとやや肥字気味で面側の刔輪が少なく見えますが、天保銭事典に同様の品が掲載されており一安心。この天保銭は大正のはじめに昌古堂こと木村昌二氏が東北地方で挿しで入手してきたもの。当初は鋳放しばかりであり人気がなかったのが・・・いつのまにか仕立てられた品が現れるようになり・・・という胡散臭い話もあります。したがって仕立て銭の方が少ないとの評価ですけど未仕立ての方が安心です。
しかし、この鋳肌はどうにも好きになれない顔をしています。仙台の魚子肌とはほど遠いアバタ面。金質も硬くどちらかと言えば浄法寺銭に雰囲気は似ていますので、近代贋作は容易でしょうね。その後の研究でこの天保銭は南部室場あたりでつくられた私鋳銭だと確定されましたが、時代的にはやや降る印象を個人的には持っています。
ところでこの天保には細輪仕立て小様のものもあるようでして、類似カタログでは4~5万円という評価。ずいぶん落差がありますがこれがその胡散臭いやつなのかもしれませんし、天保銭事典では製作、銅質が異なるので同炉は疑問とされています。また、一部の泉譜には反玉寶は製作が良い褐黄色・・・とありますが、たぶん誤り(仕立て銭のことか?)でこちらの風貌の方が正しいと思います。そういう意味ではこいつは未使用色の残るすごい品ということになるのかしら?惜しむらくはやはり背側の変色。このシミが価格が伸びなかった理由なのかもしれません。それともこのアバタ面が問題なのかしら?アバタもエクボと言いますが、ネー君はどうなんでしょうか?
これで天保銭の基本銭で未収の品は南部小字ぐらいになりました。会津の萎字とか筑前通寶・土佐通寶なんていう化け物もありますが、これは今の私にはまだ身分不相応な高額希少品です。反玉寶の入手は当分先だろうなぁ・・・こいつに大枚を払うのは勇気がいるし・・・と思っていたんですけどね。
※室場という地名を調べると、宮古の北、久慈との中間になります。室場は岩手の古い鉱山で「いわての鉱山史」によると寛政年間に開発された野田五ヶ鉄山のひとつだそうで、銅山ではありません。東北の澤井氏はこの天保銭の砂目が粗いことから、これは鉄の鋳物職人が作ったと推理し、室場鋳であることを突き止めたと言います。気になるのは貨幣第49巻第3号で郡司(耳口健士氏の)室場絵銭という言葉があること。この天保銭は幕末から明治期において民間で作られたことは間違いのないところ。鉄の鋳物職人、室場絵銭というキーワードが果たして何を意味するのか・・・意味深です。

※岩手古泉会十五周年記念会誌泉寿(コピー)を改めて読み返しました。資料の通りならば反玉寶はまぎれもなく明治初頭に作られた室場の私鋳銭ですね。また室場絵銭の図もありました。鉄絵銭かしら・・・もう少し読み解く必要がありそうです。
本日はおまけでもうひとつの話題・・・四国のKさんからの投稿です。ありがとうございます。例によって雑銭の中からの選り出しということでして、ご当人は雑銭買いの銭失いとご謙遜されますが、なかなかのお宝買いではないでしょうか?
この水戸深字は非常に立派ですけど銅質や仕上げに違和感を感じるということです。たしかに水戸銭のイメージはやや肌の粗い淡い黄褐色のイメージがありますが、実は私は何もわかっていません。母銭の色合いも泉譜にも書かれていないのではないかしら。この銅色の母銭は果たして銅替りですか?それとも良くある色?
非常に広郭で堂々としているように見受けられます。
反玉寶と異なり正統派ですね。ほれ、どうだ!っていう感じです。威張ってます。
  
3月13日 【深字背文 破冠寛 断柱永 重点通 欠画通 】
ネットオークションで落とした深字背文破冠寛が到着。はじめてこの手替わりを入手するまでどれだけ苦労したかを思うと、無競争で5000円はなんだか悲しくなってきます。ところでこの品ちょっと変なのです。
ポイントは・・・。
①破冠寛であること。寶上の輪きわずかな凹みがあることは約束事。
②永柱が中央で切れます。
③通点が切れて分断されて重点通様になります。
④通用の跳ねが陰起してほとんどありません。
深字の本体銭に欠画通はないはずなのでちょっと面白い。もしかすると九州のKさんあたりからご連絡があったのでは・・・と思い、資料を探したのですけど見つかりません。だいたい深字そのものが少し少ない品で、その破冠寛なんてめったに出てこない珍手替わりですから・・・。類品・資料などを発見した方はご連絡を!
 
3月12日 【丸型天保】
非常によくできた近代作の丸型天保です。金質・やすり・砂目などすべて新しいのですけど、きれいなつくりです。その昔、天保銭人はこの作者について心当たりがある・・・ようなお話を聞いたような聞かないような。
この品は四国のKさんから無償でお譲り頂きました。(ありがとうございました。)左上が削られすぎていびつになっていますが、枝(湯口)の部分だったのかしら?金質を変えればより本物に近い風合いが出ると思います。

Kさんからはほかに23.6gの長郭をお譲り頂きました。いわゆる規格外銭ですね。公的な記録では本座銭には絶対的な規定重量があり、最大重量21.75g、最軽量19.5gの範囲に収まるように規定されていました。昔の計量は大雑把だったのでしょうか?重いものは初期銭と言われています。
天保銭事典にある記述では長郭では22.2~19.2g、長郭以外は24.2g~18.9gまであると記述されていますが、実際にはその記述を超えたものも存在します。この数字はおそらく瓜生氏調べの数値なのでしょう。実際には片っ端から調べれば18g~26gぐらいまであると思われます。どちらかと言えば軽いものの方が不良品としてはねられやすいと思うので少ないかも・・・ただし、後世の摩耗銭との区別がつかないので軽量銭の評価は難しいと思います。
そういえばネットで黄色く見えた琉球通寶の中字を購入してしまいましたが・・・届いた品は黄褐色というより淡い茶褐色。黄色い琉球の中字はやはりないのですかね。ネットでは判りませんね。また反省・・・。(どこが緊縮財政なのか?)
 
3月11日 【誤落札】
酔っぱらっているときなどよく考えずに応札してしまうことがよくあります。絵銭という触れ込みで近代銭のつくりの天保通寶がでていたのですが、面白い書体なのでつい・・・でもよく見るとずいぶん小さい・・・「あっ壊れたキーホルダーだ!」ときはすでに遅し、お買い上げです。こんなの絵銭じゃないぞ!(すり減った寶永通寶との組み物)と言いたいのですが責任はこちら。さらに、送料はEXパック500だということでして。
こんなときは送料を払うのも腹立たしいのですが、処理が遅れるのも癪なので速やかに大人の処理。反省しなくちゃ・・・。
気晴らしでネット応札して「深字本体破冠寛」を5000円で落札。本当は持っているので不要なんですけど・・・もはや病気のレベルです。
 
3月10日 【北斗英雄伝 第3巻】
早坂昇龍氏の北斗英雄伝の第3巻が届きました。早坂昇龍氏と聞いてもぴんと来ないでしょうが、知る人ぞ知る古銭研究家にして雑銭の会の会長の工藤英司氏です。その知識の豊富さについては私など足元に及ぶべくもなく、とくに東北地方の密鋳銭の研究においては比類ない方です。
ご本人は存じ上げておりますが、実は私にとりましても謎めいた部分の多い方でして、あるときは古銭収集家、あるときは作家、あるときはIT業界の経営者、あるときは大学の講師、あるときは経営コンサルタント、あるときは海外の農園主・・・要するに博学多彩な資産家でありものすごく頭が良くて才能がある天才経営者・・・なんじゃないかと・・・まぁ、勝手に思っているだけで、とくに尋ねたこともありません。例えば私の古銭趣味についてはごく近い身内ぐらいしか知りませんし、身内も古銭については全く興味がないように、古銭家は他の古銭家の仕事や私生活には普通あまり興味がないものです。
しかし、たまには古銭以外の話題に脳みそを漬けて休めるのもよろしいかと思います.
それに、この本を読むと工藤氏の境地に少しだけ近づけるかと思うしだい。しかも読み始めるとこの手の本はでとまらなくなってしまいます。まさに痛快時代小説ですよ。

興味のある方はこちら → BOOKWAY  → 公式ホームページ
早坂昇龍著 九戸戦始末記 北斗英雄伝
天正年間末期、豊臣秀吉に反旗を翻し、6万人の軍勢に5000人の兵で抗った北奥の勇「将鑑様」こと九戸左近将鑑政実の戦いの記。疾風(はやて)こと厨川五右衛門を中心にストーリーが目まぐるしく展開します。聞いたことのある奥州各地の鋳銭場の名前も出てきますよ。平成20年~23年まで盛岡タイムス紙に連載された歴史小説で、現在は第1~3巻までが一般書籍、電子書籍で販売されています。
 
3月7日 【なんでも鑑定団がやってくる!】
市制50周年ということで、わが市になんでも鑑定団が招かれることになった。普段はあまり興味なさそうな我が不動の妻が、見に行こう・・・それともあなたの古銭を出品しない?・・・とえらく乗気です。
「鑑定士は銀座コインさんだから僕の方が穴銭は専門家だよ。それに自分の持っているものの価値はだいたい判っているつもりだよ。」とはぐらかしております。私の所蔵品は雑銭中心なので1枚当たりの価値はたかが知れています。全国放送のテレビに出るには少なくともウン十万の品でなければ恥をかくというもの。アルバム一冊を出せば恰好がつくのですが、先般放映された富本銭のように1枚だけで大衆をうならせるような品はありません。
古銭に無理解な妻をうならせるために出場するという手はありますが、価値が判ったら売れと言われるに決まっています。
実は我が家(実家)には古銭以外に価値のありそうなもの・・・価値が判っていないものがいくつかあります。
①村田省蔵の油絵・・・親父から譲り受けた絵で、そこそこの価値はあるそうです。ただし、他の絵を購入するときのおまけについてきたとも聞いておりますので・・・。実は保存状態が悪く、一時期は剥離が進みボロボロになっていました。そこで家を新築した際に大枚をはたいて修復しました。その額、おおよそ35万円。だから少なくとも50万円ぐらいしてくれないと割が合わない。
②エミール・ガレの花瓶・・・もらいもの。鑑定書らしきものもついていますが何とも汚い花瓶。これは恥をかくための品じゃないかしら。でももらいものですし・・・。
③狩野探幽の掛け軸・・・祖父の収集品で富士山の絵。実家の天袋に祖父の収集した掛け軸がほこりまみれになっています。ダメになってしまう前に救出しようかと思いますが素人目に見ても?な品。その他にも東郷元帥の書だとか何かが残っていました。もう30年以上見ていませんので原型が残っているかどうか。亡くなった祖母の話では当時のお金で50万円ぐらい払ったようにも聞いています。でも怪しさは一番です。

古銭は最後の砦でしょうね。放送での見栄え、素人の判りやすさを考えたらものすごく特徴的なもの以外はNGでしょう。
打印銭寛永銀銭とか先日の天保戎寶とか・・・
 
3月6日 【鋳銭師のお話】
銭を鋳造するには①鋳砂②水③金属材料④木炭⑤職人のいずれかが欠けてもうまくゆきません。このうち⑤の職人についてですが、もともと鋳造は大陸から招かれた渡来集団によってもたらされたものなので、技術伝承は一族の秘伝としていくつかの系譜に分派しながらも守られてきた・・・と聞いております。ネットで鋳物師をひもとくと戦国末期には河内鋳物師の系譜の下級公家真継(まつぎ)家が全国の職人を事実上統率していたそうです。
江戸時代の鋳物師は一種独特の職人制度であったらしく、江戸、大坂、京都など大都市部を除き、鋳物を生業にするには幕府の許可ではなく真継家の許諾だけが必要でした。裏を返せば真継家の了承なしには職人は動けず、鋳造は行えなかったということです。
真継家は後に斎部(いんべ)→忌部と改姓し、祭祀の際の奉幣使を務めたそうです。
技術独占が行われていたので一族としては大きな力を持つ可能性があったのですが、それを警戒した時の権力者たちは真継家の行動に一定のおめこぼしを与えながらも権勢が増大することは抑えたとも聞いています。それはまた「忌」の文字にも現れているのではないかと勘繰ってしまいます。
幕末はインフレ経済でありながら決済用の銭不足という危機的な状態になり、全国各地で密鋳銭がつくられました。密鋳は当然ながらご法度の世。そんな世の中でもこの技術家集団は特権を武器に全国を渡り歩けたようです。もちろん絶対的な秘密を守りながらのことで、この点については幕府も手を出せなかったようなのです。藩が異なるのに同じような技術で作られた寛永銭や不知天保銭が存在するのもこれらの理由からではないでしょうか。
少し話は異なりますが、そういえば天保仙人から面白い話を聞いていました。
琉球通寶がなぜ薩摩藩にだけ許可されたのか・・・それは琉球が「砂糖」という絶対的な切り札を持っていたから。時のお役人も甘いお話には弱かったようで・・・。

※以上のお話はインターネットで調べたことに聞きかじったことを加筆したもの。ガセネタかもしれませんのでご注意ください。
 
3月5日 【拓本セット購入】
雑銭の会の記念泉譜のために拓本セットを通販で買いました。(3980円+送料)
拓本は20代のときにやはりセットを買って初めてチャレンジし、俯頭通や張点保などをずいぶんと採った記憶がありますが、すぐに飽きてしまいやめてしまっています。それに拓本墨は油墨なので一度汚してしまうときれいにするのは困難だと気づいたのもその一因です。もっともそれは技術が伴っていないからなのでしょうけど。HPをはじめてからスキャナーは3回ほど変わりました。(初代→2009年1月→2011年10月)
3代目には一番悪戦苦闘していまして、何度撮りなおしても気に入らない画像もたくさんあります。光沢があるものと黒褐色系のものが苦手で、コントラストがはっきりしません。背景が白っぽく全体に霞がかかるようになることもありまして、それがまた気まぐれで生じます。プリンターとの複合機で5000円しない価格ですから文句は言えないのですけど。そのうち拓本が撮れるスキャナーが発明されないかしら。

※実は大物を落札してしまいました。これで3月も緊縮財政です。
 
3月4日 【今宮戎?】
天保戎寶の資料が見つかりました。不知天保通寶分類譜の別巻66Pでした。打製天保はごくまれな存在らしいのですがあくまでも絵銭。一説によると大阪にある今宮戎様の古い熊手飾りではないかとのこと。ただ、飾りにしてはかなり厚いのでやはりお守り銭と考える方が妥当そうです。雰囲気的に泉譜原品かと思ったのですが・・・微妙です。
  長径47.6㎜ 短径32.1㎜ 重量16.8g 不知天保通寶分類譜 66Pの拓本 
  
3月3日 【白文の寛永】
四国のKさんから白文の寛永がまた出た・・・とのご報告。(感謝!)この手のものは概ね焼けただれたような顔をしています。ときおり文字が反転して白文になったものを見かけますが、それは火災によって融けて重なった寛永銭をはがしたもの。このように文字の部分がきれいに白文になるケースは現時点では人為的なものと考えるべきでしょう。要は輪や谷の部分を漆などで保護してから金属を腐食させること。(スタリキ)この場合、内郭の保護が不十分だったため郭抜け気味になっています。その他に意図的でないケースを様々考えましたがなかなか思い浮かばない。文字部分をへこますのは腐食か火力による蒸散しか考えられません。金属は冷えるときに肉厚なところほど凝固が遅く、その結果、その部分を中心に収縮する癖があります。丁銀の凹みがそれで、島銭の白文にもその手のものと思われるものがあります。しかし、これではどうしても説明がうまくゆかない・・・。どなたか、他の説があればお教えください。
 
3月1日 【変な作銭天保】
ネットを徘徊していたら変なものを発見。左は不知天保通寶分類譜別巻にも掲載されている斜通正冠寶・・・立派な近代作で贋作と言うより空想銭に近いもの。薩摩広郭あたりを変造したもの。今気づいたのですが泉譜原品ですね。
右の天保
寶は雰囲気的には純銅の打製のようで、何かで見たことがある気がするのですが資料が見つかりません。(どなたか教えてください。)書体もふざけているし味もあるので思わず落としてしまいましたが、厚みがあるように見えるものの、ペラペラの熊手飾りだったのかもしれません。打印銭の類は肉厚にはつくりづらいですからね・・・。
こんなのは多分、石川氏のストライクゾーンなのでしょうね。
最近は気晴らしに応札していますが、無駄遣いが増え始めました。自粛のはずなのですけど。
 
2月26日 【なんちゃって虎の尾寛】
A氏からのご投稿の品。(ありがとうございます)明和期の背久の鉄銭。錆だらけの雑銭ながら寛尾がかわいらしく虎の尾になっています。99.9%偶然の品なんでしょうけど、ひょっとしたら手替わりなんてこともあるかもしれません。この時代の鋳造品は鋳造ミスが20%ぐらいはあるのが普通ですから、驚くことはないのかもしれませんが、類品や母銭が出てきたら愉快ですね。

※投稿品は気まぐれで載せています。全てを取り上げたり返信をしているわけではありませんが、ご了解ください。
 
2月25日 【投稿記事から】
選銭マニアの四国のKさんから・・・。雑銭のなかから文政小字の細縁銭が出てきたとのことでのご投稿。(ありがとうございます。)
文政期の細縁銭については、よく見ていると違いは文銭より判りやすいので拾えると思います・・・と、言っても私は1枚拾って満足していますけど。むしろ判断は背の変化の方が難しく、ご投稿の品も一直波に見えますが右側の刔輪がなく一直波ではないもの。この点については私ももう一度勉強しなおしてポイントを押さえないと、天保銭ボケした目では追い切れなくなっています。
文政期や安政期の背変化は案外難しく、それだけに変化を拾える可能性は大きいと思います。とはいえ、私もいまだに安政期の背刔輪の一直波は未入手ですので・・・絶対数がないのでしょうね。

下は最近私が錯笵物語に手を入れていること知ったのでしょうか、Kさんが送って下さった画像です。堰口からの鋳走りでこぶ状に盛り上がっているように見えましたが、周囲に陥没現象があるようですので、鋳走りに加え異物(おそらく鋳竿)落下をも伴うものと判断しました。ただし、銭体の変形は幾分後天的な力も加わっているかもしれません。
最近は天から隕石が落下して大騒ぎになっています。異物落下の錯笵も一見石ころかもしれないけれど、拾ってみれば大珍品かもしれない。こうして毎日面白いものがないか捜してネットばかり見ていると・・・今度は雷が落ちてきそうな・・・。
→ 錯笵銭物語 
 
2月23日 【方広寺の大仏絵銭?】
絵銭の名で出品されていた変なものを落札。画像で見ると立派でしょ?でも実物は1円玉より小さく、一厘銭ぐらいしかありません。薄いけど時代もあって鋳肌のようなものも見えますので鋳造みたい。画像からの印象で厚肉の面子銭か打印銭を期待していた私は大いにずっこけました。面側の刻印は廣、方と読めます。寛文期亀戸銭の俗称に「大仏銭」の名があります。文銭は京都の方広寺の大仏(1662年の大地震で倒壊)を鋳つぶしてつくったといううわさが流れたため「大仏銭」とも呼ばれていますが、この絵銭・・・ひょっとしたら方広寺の大仏からつくられた噂を知ってつくられたか、あるいは方広寺の大仏の銅からつくられた記念銭・・・だったらすごいのですが・・・。


※方広寺は「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘銘事件(1614年)で有名です。
【寛永通寶がユーロになっていた!】
2008年日仏交流150周年記念硬貨が発売され、このうち金銀それぞれ1種のデザインに寛永通寶の文銭のデザインが使われています。額面は10ユーロ金貨と1.5ユーロ銀貨。発売価格は金貨が345ユーロ、銀貨が45ユーロでそれぞれ3000枚×3種 5000枚×4種で、国内の銀行でも委託セット販売をしたみたいです。取扱手数料も加わり3枚セットで金貨が255150円、銀貨が31500円・・・とかなり良い値段。(1ユーロ158円で計算してみてください。)
寛永通寶のデザインが使われたのは150年前の条約締結時(1858年)に流通していた貨幣だということなんですけど、文銭発行は1668年のことなんでかなりアバウトですね。安いものがあれば買おうかしら。

※デザインは「日本の絵画」「フランスの絵画」「寛永通宝」「日仏の建造物」で「日仏の建造物」は銀貨のみの発行。日本では前3種をセットにして泰星コインが銀行等でで委託予約販売をしたようです。
 
2月21日 【薩摩広郭手刔輪長足寶俯頭辵】
鉄人から画像が届きました。実物は実にきれいですね白銅っぽいし・・・。それにしても寶足は見事に長く、通頭は奇妙なほど伏しています。背の花押しもヒゲがぴゅんと反り返って生きがよろしい。こんな天保銭がネットに出ていたとは見落としていました。ピンボケ画像を見るのに最近は疲れて、広郭の画像はあまり見ないせいでもあります。どうせ目の錯覚、画像の悪戯・・・と思うばかり。したがってここのところ収穫はあまりありませんね。お金は使ってますけど。そのうちこないかしら・・・黄金の一発!

※鉄人ありがとうございます。また、東北のS様、情報ありがとうございました。
 
島屋無背大様母銭
外径
面内径
背内径
肉厚
量目
26.4㎜
20.9㎜
19.0㎜
1.4㎜
4.2g
山陰のY氏改め
ふみやまちゃん所蔵
2月20日 【島屋無背大様母銭】
お約束通り、山陰のY氏改めふみやまちゃんからの投稿画像を掲載します。昨年、島屋文の画像を投稿いただいたのもこの「ふみやまちゃん」でした。あらためて御礼申し上げます。
この大きさは別格で、これからできる通用銭も26㎜近いもの。磨輪されてなく輪幅がかなりあるので大様になるようです。
こういうのを大型銭というのでしたっけ?私は定義がいまいち頭に入っていないです。とにかくでかい!名品です。
 
2月19日 【薩摩広郭二題】
今回も投稿ネタから・・・。
上段は鉄人からの投稿。(ありがとうございます)ネット上で収集した画像だそうで私は見落としていました。ひとめ広郭と見過ごしてしまいそうですけど、よく見ると寶前足が異様に長い。この手の有名品に仙台長足寶がありますけど、書体は薩摩広郭ですね。鉄人もこのような品ははじめて見たとのことで、色白の肌も含めて不思議な品です。小頭通ですし、製作的には薩摩ですね・・・。
(外径48.91㎜ 短径32.28㎜ 重さ19.93g 銭文径41.2㎜)
※東北のSさん情報では九州でこの鋳ざらい改造母が発見されているとの事でした。

下段は東北のSさんからご投稿のうちの1枚。天保通寶と類似カタログ39番の薩摩広郭深字濶字で「薩摩藩鋳銭広郭分類譜」では42P(No.81)で大字と改名されています。板井氏の分類は非常に緻密でものぐさな私はまだ目がついてゆけずに棚上げになっていました。
板井氏は3025枚の薩摩広郭を分類したそうですが、この大字は2枚だけしか出現しなかったそうです。氏は薩摩を前期・中期・後期で分類していて、この大字は後期に属し、しかも独立した類にされています。(薩摩藩鋳銭広郭分類譜5P参照)
目の利かない私はよく分かっておりませんが、なるほど文字全体が幅広く大きく、特に保点、通頭辵頭も長い。しんにゅうの折り返しに玉状の筆だまりが見えますが、これは見どころかどうかは不明。保の口の大きさ、保の横引きの筆始めの爪と終わりの止めなどいくつかポイントがありそうです。カタログ価格はそれぞれ8~10万、15~20万と板井氏の思いがものすごく入っています。
明治政府が回収した天保通寶5億8600万枚は、幕府の鋳造実績4億8500万枚より1億枚以上多く、計算すると密鋳銭は17%あまりになります。その密鋳銭のうち、約3割強の6%を薩摩が占めていると仮定すれば・・・天保銭25000枚調べれば1枚出てくる計算になります。楽勝?それともやはり無理でしょうか?
しかし、薩摩広郭3000枚あたりで2枚と言う数は不可能な数字ではないような気がします。Sさんも知らずに持っている人がけっこういるのではとのことでした。さあ、宝探しをはじめましょう。

※最近は広郭というだけでよく見ずに飛ばしてしまいます。お宝は案外身近なのかも。
 
2月16日 【ネットから・投稿から】
24.27g 厚さ2.8㎜という異常な数値の細郭としてオークションに出ていました。雰囲気的には写しかなあ・・・と思いながら追いかけましたが、15000円を過ぎたところで断念。出品者は本座細郭としていましたのですけど、規格外で気になりました。細郭は本座銭の中でも一番規格が厳しいもの・・・というイメージがありましたので・・・。
左下の画像はネットに出た一ノ瀬低寛背一の母銭。白銅質で精緻でなんと美しいこと。母銭は集めてないもののこれには心揺らぎましたね。
しかし、家計を揺らがせるわけにはゆかず涙の傍観。
右下は四国のKさんから頂戴した不思議な画像です。(感謝します!)
外径25.5㎜(内径19.0㎜)の分厚い赤銅写し・・しかも明和期の長尾寛という珍銭です。密鋳銭と見るか絵銭と見るかは人によって異なると思いますが、大きさは大き目の一文銭サイズなのでとりあえず絵銭・・・あわよくば通用をもといったところでしょうか?ただし、挿しに入れたら浮いちゃいますよね・・・これ。味があってコレクター殺しの品です。
最後に昨年頂戴していて掲載しもれていた品(というより見落としていた品)です。お名前は山陰のYさんとしておきましょう。
美しい島屋無背・・・と思いきや外径が26.4㎜、内径も20.9㎜もあります。そうですこれは立派な母銭、それも原母に近いもの・・・錫母級かもしれません。久泉研究資料に掲載されている島屋無背の母でも26.0㎜どまり。これはもう名品としか言えない超ド級の逸品でした。
Y様・・・大変失礼いたしました。後日改めて背側の画像も編集掲載させていただきますのでお許しを・・・。

※見苦しい言い訳をしますと・・・当初、送信主不明のアルファベットメールで着信しましたので、危険メールとして分類しておりました。その後、送信者が判明したもののそのままになっていました。よく見ていなかったのですね。注意不足、勉強不足です。
2月11日 【久留米深字の桐極印】
Ⅰ氏から久留米深字の桐極印の画像を頂きました。瓜生氏説によると深字の普通桐の存在割合は3~5%ぐらいだとか・・・。今回頂戴した左の画像は普通桐の極印らしいもの。ただ、正字のように葉っぱ・・・バットマンの羽のような部分が良く見えません。一方、私の手持ちの深字の普通桐はとても小さく変な形です。
瓜生氏の天保通寶の鑑定と分類にある普通桐の図はⅠ氏の画像に近似しています。あるいは玉の部分が破損した極印なのか?
久留米深字は極印の状態の良いものが少なく、大きな極印=玉持であろうことはなんとなく判るのですが葉脈が見えず、私も確証が持てません。こうなると深字の明確な玉持桐極印の画像が欲しくなりました。
 
2月10日 【資料再発見】
昨年の江戸コインオークションに出品された謎の寛永通寶・・・No.434明和期21波背刔輪について、どこかで資料があったはずだと散々探していたのですがついに見つからずあきらめていたら、本日ひょっこり出てきました。(その代り今日探していた資料が見つからない。)どなたからお送りいただいたコピー資料で「益永先生古希叙勲祝賀全国貨幣大会記念泉譜」とあります。出品者は大津の有田克 氏とあります。拓では輪が歪んでいてなんとなく仿鋳的な雰囲気なのですが出品名も明和期4文銭となっていますので明和のつくりなのでしょう。まだ泉界では存在が認定されていない品のようですが類品出現の予感もしますね。

※最近、携帯電話(スマホ)でメールをくださる方がいらっしゃるのですが、おそらく迷惑メール防止機能なのでしょうけどパソコンからは返信ブロックされてしまうようです。(携帯電話以外からのメール受信をブロックする機能だと思います。)S君とはどうやら通信が可能になったようですけど、フィルター設定をいじらないと通信が一方通行になりますのでご注意ください。ただし、フィルター設定を甘くすると迷惑メールやらウィルスメールがどんどん来るようになります。今は対策を講じていますがアドレス公開をしていることもあって、多い時は私も100通近くも迷惑メールが届くこともありましたので・・・。


明和期4文銭 短尾寛背刔輪
益永先生古希叙勲祝賀全国貨幣大会記念泉譜
大津 有田克 氏
 
2月9日 【さんざんな話】
不知銭という触れ込みで購入した天保銭・・・見事な変造贋作品でした。被害額5000円あまり。もともとその可能性があるかも・・・との不安がありました。金額も小さいのですけど、受っとって「やっぱりだめか・・・」の落胆はきついです。これは高知額輪の周囲をグラインダーで削り、郭内は平やすりで削って会津銭長貝寶風に細縁細郭に仕立てています。手に取ると機械油の香りがプンプンしますので新作の変造品です。だまそうという意図が見える贋作なのでとても腹が立ちます。失敗のサンプルとして贋造収集品に編入します。

もうひとつは2月4日の不旧手折二様・・・こちらは紛れもない真正品なのですけど、画像計測では27㎜以上あったはずの外径が26㎜半ばしかない。久々に出た画像マジックと絶句してしまいました。
画像編集して内径計測してみても、画像では20mmぐらいあったものが実物は19.2㎜しかありません。
失敗額は通常の不旧手折二様の1.5倍の価格。
ただし、これはたまたま撮影でそうなってしまった可能性が高いことが判りました。出品者から素早い確認返事が返ってきましたので、結果的に大きさを最終的に確認しなかった私のミスで、夢買いの代償ですね。
今年はずいぶん社会奉仕してしまっています。これはいけません。しばらくケチになります。
 
2月8日 【流文に爪?】
「文銭入門講座 基礎の基礎」を書き始めています。これはまた中途半端な知識のまま知ったかぶりをしている私にとって再勉強をする良い機会なのです。通常は撮らないサイズの拡大画像を観察すると、今まで気づかなかったポイントがよく分かるものでして・・・
そんなこんなで、文銭のなかで最も謎めいた種類・・・流文の超拡大画像も撮ってみました。流文のイメージは背文の前足がすっとのびやかなのと、寛後足が直跳に近いこと。さらには非額輪で文字が少し太くしんにょうの頭に爪がないこと・・・と思っていました。
しかし、流文の兄弟と言うべき繊字小文には爪がある。一方で流文と流文手、繊字狭文には爪がない・・・このことに少々違和感を以前から覚えていました。そして改めて画像を撮ってみると・・・あれれ・・・流文の辵に爪が見える!
きっと私の分類の誤りだろうと、文源郷氏から直接購入した流文と流文手をもう一度観察しました。
結論からいうと・・・流文の辵にも爪の痕跡があります!
流文は繊字小文の前駆銭なら当然なのかもしれません。私は爪がない=爪が削られて失われている・・・と勝手に思い込んでいましたが、爪がないように見えるのは「爪が削られた」のではなく「爪らしく見えない」だけのようです。もちろん繊字小文に比べたら辵に爪がないのも事実なので、先師の研究が否定されたわけではありません。しかし、このことは先入観を捨てて観察することの大切さを教えてくれたように思います。
 
2月6日 【鉄人から・・・細郭手仙台大濶縁もどき】
リクエストにお答えいただき、鉄人から入手品の画像を頂戴いたしました。(ありがとうございます!)いやあ~画像より何倍も美しい覆輪銭です。歪んで見えた銭形もこうしてみると許容範囲です。輪は延展されている雰囲気もありますが見事な覆輪銭ですね。あの小さな画像ですとハンマーか何かで叩き伸ばしたか、火事で火ぶくれを起こした恐れを感じてしまいました。鉄人の勇気にあらためて乾杯(完敗?)です!
ここまでみごとな覆輪銭はそうはない・・・覆輪大濶縁狭玉寶ですね。
長径49.33㎜ 短径32.57㎜ 銭文径40.2㎜ 見た目以上に白銅質のようです。良い顔です。いつか実物を見せて頂きたいですね。

※本日、S君から返信を頂きました。ためしに再返信してみましたがやはりブロックされてしまいました。
1.携帯電話以外からのメール受信が拒否設定になっている。
2.OCNドメインの着信拒否設定になっている。・・・のいずれかのようです。
最近のスマホは初期設定でパソコンからのメールを迷惑メールとしてブロックするようになっているケースがあるそうです。
こちらはやはりネットで競り負けた絵銭。この手の絵銭は新しいものだという認識なのですが・・・どう見ても天保銭側は本座。そして背側の銅色が微妙に異なる・・・つまりこれは絵銭の母銭・・・貼り合せの母銭だと睨みました。残念ながら同じ思いの方が他にもいらっしゃったようで2万円を超えた時点で腰が引けました。今回は面白いものがたくさん出ていたのですけど結局は折二様以外はすべてOUT。
無競争かな・・・と思っていた寛永の絵銭まで負けました。おかげで無駄遣いは少ない・・・とはいえ結構出費もしていますね。簡易保険が一つ満期になったので何とかなっていますが、現金がどんどん使えないお金に化けそうです。
 
2月5日 【S君ギャラリー】
高校生S君の画像を公開。携帯電話カメラからの撮影らしく、大きさもまちまちだったのを加工してそろえたのですが、どうしても粒子などが粗くなってしまいますがお許しください。某氏情報によると関西の大学に進学予定との事。
と、なるとあの素晴らしい極美の会津萎字の現物も見ることが当分かなわないのがちょっと残念ですね。(直接拝見したかったです。)
と、いうわけで進学祝いにポーンとご祝儀気分で・・・と画像を一挙公開しました。

S君にあやかっての「黄金の一発」再び・・・を夢見ています。
 
2月4日 【不旧手折二様】
意地で落とした不旧手です。いつもなら追いかけないのになぜ意地になって追ったのか・・・。
答えは大きいから。画像のものさしの目盛で計測すると27.5㎜以上ありそうでしかも内径が20㎜ぐらいあります。この内径の大きさが気になったのです。
もうひとつの理由は保有する黄銅質の折二様・・・大きさから見て母銭じゃないし、文献などから特別な品でもないと判断していましたが・・・やはり母銭か特別な品のような気がしてきました。したがってこの品と比較してみたかったのです。
まだ、現物は届いていませんが、現品を見たら何かわかりそうな予感。もっとも画像で大きさを判断することは危険です。黄銅質の折二様には母銭があると聞いていますが、雰囲気的にはこいつも通用銭ぽいのですけど・・・。
密か(?)に狙っていた古寛永が落ちませんでした。折二様が落ちたのでぬかっていました。
注目の品は古寛永長門銭の奇永凹寛手本銭で、古寛永泉志では垂寛と並び四位のやや珍品。ただし、市場出現率は垂寛よりぐっと少ないと思います。今一つ地味なのでその割に人気がない・・・と思っていましたが、ただ一人強力に競ってくる方がいらっしゃいました。(誤算!)
この品の素性に気付いている方は少なかったと思います。
大きさは25㎜以上ですので、大ぶりでたしかに手本銭サイズなのですが、それにしてはいまひとつ製作がぱっとしません。しかし・・・
しかし、これはどうやら古寛永泉志の原品のようなのです。背郭の形状、輪の癖、背の鋳だまりや瑕などほぼ一致しています。
このことに気づいてからというもののわくわくしていたのですが・・・・残念ながら終了時刻まで監視していなかったので負けてしまいました。痛恨のミスですね。


今年はここ数年の行動を反省して寛永銭にも注目しています。とはいえ天保銭狂いから卒業したというわけでもありません。ちょっとバランスを考えております。
 
2月3日 【日光正字母銭】
日光正字の母銭が出ています。(画像引用ごめんなさい。)
母銭の価値についてはよく分からないのですが、この日光銭は図会では50万円という破格の評価。人気があって少ないのでしょうけど、いくらなんでも評価のつけ間違いじゃないか・・・とも思ってしまいます。新寛永入門によると母銭は黄色とありますが、これは淡い白銅質。通用は真っ黒になっている者が多いのですが、地金はやや赤いらしいです。色白なので追いかけましたけど負けました。降参!

 
2月1日 【変な天保通寶出現】
ネットに組み物として出ていた細郭・・・どうみても覆輪。ひょっとして仙台大濶縁なんて夢を見てしまいそうです。参加したい気持ちをぐっとセーブしていたら、どうやら鉄人が競り勝ったようでして相変わらずお強い。しかし、地肌を見ると魚子っぽくも見えますね。ただ、全体が歪んでいるのが自信がなく、作為を感じてしまう。とはいえかなりの覆輪銭ですよね。
まぁ、これに入れ込むなら昨年の薩摩小字や一昨年の背細縁の不知銭に張り込んだ方が効率がよろしいようでして、当然のことながら小心者の私には手の出ない領域になってまいりました。
ところであれやこれやに手を出していたらノーマークだったマ頭通背仙の美品が1万円で落ちました。望外・・・でしたけど特に欲しかったわけでもない・・・でもちょっとお得。50円玉の損を半分回収できました。

会津萎小郭・・・私もあこがれの名品、美品です。
埼玉県の高校生のS君からメールが届きました。左の画像のほかに密鋳4文銭の画像も添付されていて、なかなか趣味がよろしい!メール返信をしましたが、携帯電話からのものらしくブロックされてしまいましたので、この欄で返信します。
S君は仙台のH氏ともお知り合いだそうで、昨年あたり八厘会に出席し会津萎字小郭を披露したことで話題になったこともあるあの高校生です。(拍手)
まさに、人生を変える「黄金の一発」というやつで、これでS君も古銭から離れられなくなったでしょうね。今は古銭収集をする若い人が少ないので、S君のような方が参入するのは大歓迎ですね。ただ、この世界、無理をするとお金を失うし、人間の欲望や本性が剥き出しになる場面も多々ありますので良い仲間を選び、自分の力量の範囲で楽しんでください。
高校生~大学生は人生の進路を決める大事な時期です。
目標がないまま過ごすのではなく、何か自分の武器(スキル)を身に着け、具体的な目標を持つことを目指してください。現代は変化が激しくしかも早いのでスピードが命。今、自分に投資すると必ず元が取れます。あと、体は鍛えておくに限ります。
新しいものを生み出すクリエイティブなことができたら良いですね。
 
1月29日 【整理整頓宣言!】
石川氏のために刻印銭を探していたら、昨年手に入れた貴重な天狗寛永やら高寛背一などが無造作に机の上から出てきます。そういえばここのところHP更新にやっきになっていて、アルバム整理は全くといって良いほど行っていませんでした。中にはウン万円が裸で転がっているものも・・・。
アルバムを見るとコインフォルダーもずいぶんくたびれています。こいつはいけません。もともと私は集めることより整理することに喜びを感じるコレクターでした。今年は寛永銭類を中心にコツコツと展示整理し直すことにします。時間はすごくかかりますがなにせお金がかからない。HP更新も少し遅れるかもしれませんが、こいつをやらないと私は人間としてダメになってしまう気がします。とにかく・・・やらなくちゃ!
※本日、上棟刻印銭類(玉塚含む)等を石川氏に発送しました。
 
1月24日 【謎の天保通寶】
世の中、まだまだ変なものが出てくるようでして・・・

画像の左上は今から8年前の制作日記の記事・・・ネットオークションで見かけた謎の天保銭。そしてそれから数か月後に行われた第20回みちのく合同古銭大会(青森大会:平成17年)で仙台古泉会のSM氏が出品した拓本がどんぴしゃの品でした。
接郭の錯笵らしいのですが「接郭奇天様」と名付けられています。一品ものでしょうけど面白い。

右上下は入札誌銀座に出品されている称:会津の不知天保。15万円の出品ながら返品不可扱いなので半信半疑。
会津試作貨の短尾通(當百銭カタログ掲載)によく似ていますが濶縁縮字です。こいつが何者なのかは実際に見てみないとわかりませんが面白い。

大和文庫にも気になる品(小梅手母銭)が出ています。欲しい、でも自制、自制・・・
上 2005年3月31日
制作日記記事より

左 第20回みちのく
合同古銭大会記念泉譜
SM氏の拓本より

右上下 入札誌銀座
2013.1(No51)出品 
 
 
1月23日 【T氏から・・・】 
T氏から曳尾の画像が届きました。(ありがとうございます。)本当はもっと大きな画像だったのですが容量の関係から縮小画像になりましたがお許しください。すでに報告したように、面側は砂目がほとんどなく滑らかな仕上げです。そして背は茣蓙目・・・曳尾の鋳造のときの型の置き方が縦入れ仕込み(型を立てて溶解した原料を注いでいた)ことがわかるサンプルですね。鋳ざらいと断定できる明確な痕跡とは言えないものの、面側にはうっすらそれらしき痕跡も・・・。少なくとも鋳砂は違うので異製作銭だと言えます。萩藩銭にはこのように滑らかな仕上げのものが少ないながら存在するのでしょう。実は、とある入札誌の萩藩銭が非常に滑らかな肌をしています。これも特異銭かもしれません。探してみてご確認ください。

おまけの画像は水戸短足寶の米字刻印銭。非常に珍しい品で泉譜にも掲載のあるものですが、あくまでも参考の域を超えないもの・・・としてT氏も申しております。この天保銭が間違いのないものだとすると短足寶が南部鋳造と言うことになります。たしか新渡戸仙岳がそれの可能性のある伝承らしきことをわずかに記述していたかと思うのですが、あくまでも噂の範囲であり、現状では否定されています。

さらに・・・
下の画像はネットで落とした元文期十万坪銭の輪十の場替り(寛上)。これには非常に後打ち贋作が多く、判定も難しいものがあります。本物は母銭に極印を打ったものから鋳造されているので銭体の歪みが見られないことで、偽物は金梃子の上でニセ極印を後打ちするので裏側に当たりがみられます。また、極印を打つ瞬間に金属に圧力が加わりますので、輪が外側に変形したり、歪んだりもします。それをごまかすため贋物は必ず焼けているなど状態が悪いものとなります。そういう目で見るとこの品・・・きわめてグレー・・・極印の裏側も怪しい感じがするのですが決定打には至っておりません。面側は不自然さがないけど・・・

もう一枚は安南寛永の元隆手の類で、面は十万坪手銭で背に大きな文の字を置くもの。この類はルール無用の世界なので何が出てきても驚きませんが、楽しいです。同じ面文で背の穿下に文の字を正置するものもあるようですが見たことがありません。
 
1月19日 【やってしまいました・・・】
昨年末の横浜古泉研究会の入札・・・ついふらふらっと筆が走ってしまった一品が落ちてしまいました。薩摩小字を逃した直後であったため、金銭感覚が麻痺していましたし、悔しさの代償を求めていたのだと思います。届いてみてびっくりし、女房に隠れてこそこそ支払手続きをしました。
この品は不知天保通寶分類譜上巻の原品で、細郭手としてはなかなかの珍品。銭全体の黒ずみは拓本を何度も採られた戦士の勲章じゃないかしら。
分類名は細郭手覆輪刔輪狭長足寶。不知天保通譜分類譜では反足寶になっていました。寶下はもちろんのこと、天上、當上も刔輪されています。この手のものは拓本の方が特徴が判りやすいかもしれません。しかし、新年から予定外の大出費。今年は天保銭狂いから卒業して、寛永銭をもう一度整理しようかな・・・と思い始めた矢先なのに、反省の微塵もありません。

長径49.5㎜ 短径33.2㎜ 銭文径40.65㎜ 
重量20.4g
実はもう一品落ちてしまいまして・・・
不知中郭手覆輪赤銅無極印
長径49.75㎜ 短径33.25㎜ 銭文径40.4㎜ 
重量25.9g

天保銭をかじったことのある方なら誰が見ても「水戸接郭じゃないの?」と言われてしまいそうです。たしかに印象はそっくりです。あるいは土佐額輪や会津濶縁を思い浮かべた方もいらっしゃると思いますが、いずれとも少し違います。銅色は会津ですね。水戸接郭の銭文径はもう少し小さいし、これには刔輪はなさそうです。また、土佐や会津にしては面郭が細すぎます。しかも外輪、内郭ともにほとんどやすり仕上げがなく鋳ばりが残っています。ちょっとできすぎじゃないかととも思うのですが、重量もたっぷりあるし、とりあえず不知品として収集品の中にいれておきましょう。
 
1月18日 【50円贋作の真相】
ウェブカメラを購入してしまいました。安物のデジタル160倍ですが、10倍ぐらいで肉眼以上に良く見えます。さて、例の50円玉・・・やはり穴を横に広げて穴ずれを拡大させたものらしい・・・とのこと。カメラで拡大確認しましたが、穴埋めの痕跡はちょっとわかりませんでした。たしかに穴は縦径より横径の方が大きく、痕跡は見分けがつきませんが広げたと言えばその通りかもしれません。
土台は本物のようですので穴を横に広げたとすれば
「本物の穴ずれ50円の穴を横に広げたもの」ということになります。真のコレクターなら価値ある本物に手を加えるなんてご法度。なかなか盲点をついてきます。
そういえば、幻足寛の母銭様もそんな作品だったな・・・私もずいぶんだまされています。もっとも、この品は勉強のために購入したものですので痛みはありません。
 
1月17日 【日光長字断足寛】
今年初のまともな入手品です。新寛永通宝カタログの白川昌三氏からお譲り頂いた、日光長字断足寛です。この銭は薄っぺらで摩耗しているものが多いのですがなかなかの美銭でした。ありがとうございます。
この銭種については複数の確認がされているそうで、母銭からの変化だと思われます。日光長字に変化はない・・・一手だと思われていた方・・・お手元の品をご確認ください。もっともこんな高級品を何枚も所持されている方はそうはいらっしゃらないと思います。私も2枚目なのです。

なお、1月11日の記事に呼応した形で、あの曳尾の落札者の方がメールをくださいました。(T氏としておきます。ありがとうございました!)
長径49.57㎜ 短径32.53㎜ 重量22.25g 面側は全体に滑らかで背側には茣蓙目のようなシワが確認できるそうです。天保銭事典の方字の項に、「滑らかに仕上げされたものがある」との記述があり、そのタイプの曳尾ではないかとT氏は推定されています。そういえば平通でやや滑らかに鋳ざらいされたものがありましたっけ。しかし、制作を知る上では実に貴重な品のような気がします。極印があるから母銭ではないとのことですが、藩鋳銭は万が一の発覚時にも言い逃れできるように極印をあらかじめ打つことがあるとも聞いています。まだ夢は見ていましょう。(写真をそのうちお送り頂けるみたいですから・・・)
また、昨年7月に記事にした沓谷正足寶大型銭もご入手されたとか。実はあの品、「穴銭カタログ」の原品で、沓谷正足寶原母銭としてばっちり掲載されているそうです。あのような名品をさりげなく所有できるような人物になりたいです。Tさん、ありがとうございました。

さらに・・・元方泉處の石川氏からもお手紙が届きました。詳しくは次回・・・
 
1月15日 【穴ずれ50円の真贋の謎】
今年初の入手品は専門外の現行エラー銭でした。実はこの手のエラー銭には贋作があると聞き、もともとエラー銭には興味があったので、天邪鬼な私は贋作覚悟で入手に励みました。これは1万円余りの品ですので、贋作なら参考品としてあきらめられるし本物ならもうけもの。
贋作師は中央の穴を溶かした(本物の50円の)白銅で埋めたあと、穴をドリルであけなおすそうです。金属加工の心得のある職業なら簡単にできるとの事。
この品、穴が横広になっていますので、最初は少しずれた穴を横に広げたのか・・・と考えたのですがそれにしては中心からもずいぶんずれています。コインが傾いた状態で穿孔されたのかな・・・と考えたのですが、その割には穴は斜めではない気がします。真贋を含めて正体をどなたかお教えください。
※某氏からこれも贋作・・・との情報を頂戴しました。ありがとうございます。しかし、見分け方がいまだにわからない。製作についてもっと勉強しなければ・・・これは良いサンプルになります。
※現段階の推定・・・穴埋めの痕跡ほとんど判らず・・・。やはり横に広がった穴が問題なのか?コインが傾いた状態で穴が穿たれたのなら、コインを傾けた状態で真円に見えるポイントがあるはずなのですがそれがありません。ここらあたりが問題なのかなぁ・・・?顕微鏡買っちゃおうかしら。
 
1月11日 【気になる曳尾】
今年、ネットに出たもので妙に気になっていた天保銭です。(画像借用失礼します。)大ぶりで色が黄色っぽく、鋳肌にざらざら感なく、波打ったような様子も見られます。郭も方形でくっきりしているし・・・鋳ざらい母という言葉が頭をよぎります。ただ文字抜けがいまひとつなので母銭とするには弱いかなあ・・・という弱気心。
結局、5万円で他人のものになりましたが、私と同じように心惹かれる方が複数いらっしゃったようで、平日の昼間の締め切りにもかかわらずけっこうな競争が起こっていました。5万円と言う落札価格も、夢買いの価格でしょう。宝くじを5万円買うより期待値は高く、仮に母銭でないにしても、母銭の鋳ざらいの様子を伝える資料としては非常に面白い存在だと思います。私は勇気がなくて突っ込めませんでしたが、ご入手された方は状況等をお教えください。
なお、本日は年初にいろいろ出た寛永銭類の大物の締切日でした。うっかり転寝してしまったため結果は全滅・・・ほぼ予測通りでした。ただし、悪戯で応札した「エラー穴ずれ50円玉」が(価格逆転状態で)残っていましたので、最後のお願いで再入札した結果、見事落札。今年の初入手品は「エラー50円」になりました。
なお、白銅の穴ずれ50円は歯科技工士技術があれば変造は簡単で、ネットにも横行していると某氏の情報がありますので皆様ご注意ください。私もあくまでも専門外のお遊び応札なのですが、初夢が悪夢にならないように祈っております。
 
1月10日 【縁起絵いかがですか?】
音信不通だった旧友の消息が判明しました。某一流企業のサラリーマン生活からアーティストに転身したとは聞いていたものの電気窯ひとつで陶芸家やっていると聞いてましたものですから・・・「本当にくってゆけんのかい?」と一番心配していた奴です。
大学の同級生の消息を調べるとみんな日本を代表する一流企業の管理職ばかり・・・あいつらそんなに才能あったかな・・・と思いますがこれは事実。そんな中でこいつは異色の人生を歩んでいます。しかしながら、話を聞くと腹立たしいぐらい幸せで自由気ままな人生を歩んでやがる。
私生活はかなり奔放で、今は海外の地で日本語教師をしながらはちゃめちゃな桃源郷生活を送っているそうです。う~ん、また腹が立ってきました。何が今の愛に生きるだぁ~!
と、何とか言いながら彼の作品をネットで買う私はお人よしです。
 
画像右→
寛永堂作 跳文母銭?
(ヤフー画像から拝借)



画像下↓
浅間銭写?南蛮渡来銭
(鉄人提供画像)

1月8日 【ネットから】
新年早々、ネットに気になるものがいくつも出ています。称:寛永堂作の跳文母銭は非常に気になるもの。さすがに落札者は現れませんでしたが、無断で恐縮ですが画像を拝借。(お許しください。)
大きさは25.63㎜、重さ3.51gとのことでなるほどビッグサイズです。真贋は判らない・・・というより、古来から有名な贋作で、古譜の明治泉譜にもちゃんと掲載されています。出品者の内容から見て、かなり由緒正しい品であろうことは判りますが、問題は価格です。8万円を超えたところで事実上の出品取り消しになりました。数寄者としてこの手のものにつぎ込めるのは20万が限度か・・・私には当然無理です。だって贋作なんだもの。
寛永堂作はあくまでも噂で、印象では寛永堂の白銅質じゃないですね、ひょっとして古楽堂かしら・・・と、言っても語る資格なんて全くないのですけど。

下の画像は鉄人からの投稿画像。(ありがとうございます。)図柄は南蛮渡来銭。浅間銭の中で一番謎めいた図柄で、南蛮人が輿を担いでいるらしい図の下にキリストをあらわすのか主の一文字。色から見て写し、もしくは模造のようですけど不思議ですね。
デザイン的にできすぎ・・・と言われればそれまでですが浅間銭はやはり絵銭の王者だと思います。ロマンがありますね。

 
1月5日 【誤読】
張良の正しい読みはいまだに判らないですね。古泉書にはルビがふっないものばかりですので最初に覚えてしまった誤読はなかなか直りません。私もそれで困っています。古泉界でも誤読が定着してしまった事例や、気づかない例もたくさんあると思います。
寛永銭では 竹田 高津 沓谷 の地名が間違いやすい三傑でしょう。地名としては「たけた」「こうづ」「くつのや」が正しい読みなのですが、「たけだ」「たかつ」「くつがや」の方が通りが良い気がします。琉球通寶の「乎形」印もテガタと読まれていますが、「乎」はテとは決して読めません。
まじない銭を意味する厭勝銭の正しい読みは「えんしょうせん」なのですが、江戸時代の誤読「ようしょうせん」が現代を席巻してしまっています。(雁金屋庄兵・・・(寶銭鑑一・・・が出版した古今和漢古銭之図文手鑑「寶銭図鑑」に誤ったルビが振られていたものが、現代にまで伝わったようです。)

開元通寶という中国の銭がありますが、この銭は唐の高祖により621年に鋳造され、約300年間に渡って流通した有名銭です。実はこの銭の本当の読み方は開通元寶ではないかという説が昔からあるのです。開元通寶をモデルにしたとされる和同開珎が時計回りの循読なので、開元も循読なのではないかということ、公文書の唐書(945年)にも詔勅として「開通元寶」の記載があるなど、傍証も見つかっているようです。何より「開元」という元号がはじめて中国に登場するのはこの銭が登場してから92年後の713年(玄宗)になってからのこと。高祖が鋳造したこの銭が元号を示していないことは明らかなのです。和同開珎の登場も708年のことですから、唐が開元時代になる5年も前なのですね。
ただし、玄宗の時代にも開元通寶は使用され、鋳造さえ行われたということですので、この時代に「開通元寶」は「開元通寶」という名前に読み替えられ定着してしまった・・・というのが「開通元寶説」の主旨。どうやら「はじまりは開通元寶」であったことはかなり有力なのですが、現代ではこの説はほとんど顧みられることはなくなっています。(対読の開元通寶を手本にした和同開珎が循読なのはおかしい、和開同珎じゃないか・・・と言う学説を唱える方はこの事実を忘れてしまっている方です。)

寛永銭座試鋳の光緒通寶といわれるものがあるようで、文政期銭や文久永寶のつくりとそっくりなため試鋳じゃないかと言われていたのですが、元号を調べていたら光緒元年は明治8年でした。よってこの俗説はまったくのでたらめでした。時代考証は大事だというお話でした。
 
1月3日 【張良:ちょうら?ちょうりょう?】
絵銭、浅間銭の有名品に
張良というものがあります。この絵銭は龍神に対し男が靴を捧げているような何とも不思議なデザインです。浅間銭の意匠は輪に図柄が食い込んでいたり、キリシタンに関係しそうな南蛮渡来図やらもあって非常に謎めいていますが、絵銭としての成立は比較的新しい説もあります。とはいえその図柄は円空の彫刻を思わせるほど古雅豊かで、絵銭収集の王者の風格が漂います。もし私に財力があり、絵銭の収集をするのなら間違いなくこの大型の浅間銭を一通りそろえてみたいと思うのは言うまでもありません。
さて、この張良なのですが、なぜか私は
「ちょうら」という呼び名で覚えていました。はっきり覚えていないのですが、「謡曲の張良(ちょうら)から来ている」と言う記述を何かで読んだと記憶しています。(何かが分からない。)少なくともこの謡曲は江戸時代からのものでしょうし、私も張良については調べてはいませんでした。
ところがネットサーフィンをしていて
「ちょうら」=「ちょうりょう」だと改めて知りました。
「ちょうりょう」ならば司馬遷の史記に出てくる軍師の張良ですね。もっとも私はこの中国文学についてはほとんど判っていません。ただ漠然と名前を知っているだけ。実は三国志と史記が頭の中でごっちゃになって、劉邦と劉備、項羽と関羽の区別がつかなくなっています。(さすがに軍師の張良と猛将の張飛は区別がつきますけど。)※20年前にゲームの三国志にはまっていましたので、古代中国の将軍、軍師に興味を持っていました。
そうなると正規の張良の読みは「ちょうりょう」になるはずなのですが、さらに詳しく調べると、謡曲では
「ちょら」でもネット検索でわずかに例が出てきます。
さて、古泉界でのこの読み方・・・「ちょうりょう」ですか「ちょうら」ですか?それとも「ちょら」?ご存知の方、お教えください。

※龍神(黄石公)が張良の人物器量を見極めるために色々試すのですが、その最初のエピソードに靴をわざと橋の下に落として拾わせる話があります。龍神に認められた張良は太公望の兵法書を手に入れるとともに、その将来を予言されます。龍神は13年後に黄色い石となって張良と再会することも予言。予言通り張良は石を発見し家宝とします。

※混乱の元は、張良がもともと中国語であること。
北京語なら「ちょんりょう」に聞こえました。一文字ずつ分解すると「ちゃん:りゃん」とも発音記述できますので「ちょうら」「ちょら」はここからきているかもしれません。(中国人に多い姓の張さんはちゃんさんと発音するそうです。)
まぁ、どちらかと言えば「ちょうりょう」が正解だと思うのですけど。

※ちょうら・・・の読みは他にもいくつかネット上で散見できました。原因は音読みらしいということも推定できました。もしかすると古い読みが「ちょうら」なのかもしれません。昭和泉譜には能楽の張良から来ている・・・とありましたがルビはありません。昨年入手した桃山泉談会誌には謡曲の張良・・・とあります。(ルビなし)謡曲・・・の記憶はここからみたいです。ただし、読み方「ちょうら」を何で覚えたのかはいまだに不明。ひょっとしてひとりよがりか?
子供のときの宝物・・・弥生式土器の破片(1973年頃 市原市姉崎台貝塚出土)
実家にもどり、部屋にあった子供の頃の宝物を回収しました。スキャナーで撮影したので細部がよく見えませんが、弥生式土器(だと思う・・・)できれいな線刻模様が全体にあります。この貝塚は住宅街の中の畑にあって、土器の破片はクワにひっかかる厄介者扱いでしたので、子供の私たちが拾うことは(畑を荒らさない限り)歓迎されていました。この貝塚からは縄文時代~弥生時代の遺物が出土しています。縄文式の土器破片が模様が多いのに対し、弥生式土器の破片はシンプルで植木鉢の破片のような感じのものが多くつまらないので殆ど捨てていましたが、これは地元の同級生からもらったもので、別格に美しかったので宝物としてとっていました。大きさは6~7センチと非常に小さな壺の破片なのですが、装飾性もあってとても美しい。ただし、この貝塚は今は宅地化が進み、おそらく採取不能になっていると思います。完全形なら博物館級だと思っていますが、はたしてこの土器の破片・・・価値ありますか?

 
1月2日 【他人の空似】
右の天保銭は昨年末にとり上げた長郭手覆輪狭玉肥足寶です。この天保銭の背を見たとき思い出した天保銭がありました。それが左の長郭手 大爪百(縮形)でした。長郭手 大爪百(縮形)は1988年4月の天保銭28PにD氏所蔵の品として記事紹介されている原品で、百の第一画や花押のヒゲ先端をわざと伸ばしたあとで削り取ったような変化と、百の後端には筆だまりがあります。鋳銭工の棟梁あたりが、小刀で型をちょいちょいといじった・・・なんて夢想してしまいます。
長郭手覆輪狭玉肥足寶も百の横引きが独特の形状で、花押のヒゲ先端もなんとなく加刀されたような雰囲気もある。そういえば砂目もなんとなく似ているような気がしてきましたが・・・両者はあまりにも銅質からくる風貌が異なります。爪の角度も異なりますし・・・。極印などにもう少し一致点があると面白かったのですけどねぇ。

※左の大爪百の極印ははっきりしないのですが中央に玉があるようにも見えてきました。妄想かな?

 
長郭手 大爪百(縮形)
長径48.55㎜ 短径32.0㎜
銭文径41.2㎜ 重量21.1g
長郭手覆輪狭玉肥足寶
長径48.9㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.75㎜ 
重量19.9g
 
1月1日 【あけましておめでとうございます!】 
私の仕事は完全なお休みというものがあるようでないので、年末年始も仕事です。
年賀状がぽつぽつ届き始めました。実は昨年、パソコンを新調した際にハガキ作成ソフトの移植がうまくゆかず(絶滅ソフトでした)、住所録の一部が壊れてしまいました。今年は筆まめを購入したのですが、忙しくて結局インストールできませんでした。
したがって壊れかけた古い住所録をCVS変換して、再利用しています。文面は書店で購入した安物ソフトを使いました。そのためここ数年に賀状を出していた方の住所が出力できなかったために失礼してしまった方もいると思います。(届かなかったらごめんなさい。)
もっとも、、年賀状は半ば惰性で出しています。なにせプライベートで300枚以上になっています。身内や業界の選挙を手伝った縁があるからなのですが、本来は一筆添えて出すこともしていませんし、賀状内容もちょっといい加減・・・すみません。
と、言うわけで頂戴したマニアックな年賀状ギャラリーをご紹介。
     
 
 

①皇朝銭 富寿神寶示神 大川天顕堂旧蔵品(鳳凰山氏)
②寛文期亀戸銭正字縮文 (九州K氏) 生拓です!
③古寛永初期不知銭 太平手 (四国O氏)
④成化年造 銀幣 (金幣塔氏)
⑤水戸広穿背ト・離点ト (関東Ⅰ氏)
⑥舌銭大様 前期・後期母銭 (東北S氏)

みなさん、楽しい品、思い入れのある品を掲載しています。女房に言わせればこんなつまらないものを年賀状に印刷するなど狂気の沙汰だとのこと。たしかにそうかもしれませんが・・・まぁ、いいじゃないですか。
私はプライベートな内容にちょっとばっかり古銭を追加印刷しただけなんで、申し訳ないですね。ちなみに古銭は元文期一ノ瀬銭高寛背一にしました。一と言う数字が一番に通じていてめでたい。しかしながら印刷したらうすぼけてしまった。本物はもっときれいなんですけど・・・。

 
 
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