匿名メール質問にはお答えできません。
住所・本名・電話番号をお知らせください。
画像投稿もOKです。
JPEG・GIF形式で40KB以内でお願いします。解像度は200dpi程度が適当です。
ご意見、ご感想はこちらへ
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【目白十日会:穴カタを上梓した元方泉處の石川氏の次なる展開は・・・悦銭?!】 穴カタを購入された方は、そのページの多くに絵銭類が掲載紹介されていることに気付くでしょう。絵銭には古鋳のものを含めその写しやら得体のしれないもの、近代のお土産的なものまで含まれています。さらに空想銭、刻印銭、上棟銭の類やら妖しい贋造品までが渦巻く魑魅魍魎の世界。そこに氏は光を当てようとしています。最近はそれらには「ファンタジー」なる名称が冠せられているのですが、氏はあえて東洋的な名称の悦銭という名称を提唱しています。はたして世の中にどれだけの悦銭コレクターがいるのか・・・。かくいう私も気になったものはたとえ贋造銭であろうとも手に取ってみたくなる性分になっています。病におかされていると言った方がむしろ適切かもしれません。上棟刻印銭の類はずいぶん拾いまくった時期もあります。安南寛永や密鋳銭だってかつてはゲテモノ扱いされて、だれも見向きもしなかったのですが、今では品薄なぐらいですから、光の当て方によっては大化けする可能性を大いに秘めているかもしれません。さて、石川氏から参考になる品の(拓本)提供の呼びかけがありました。 少々、お時間を頂戴するかもしれませんが、手持ち品を整理して参考提供しようかと思います。まぁ、参考にできるものはやはり刻印銭系のものしかないとおもいます。なお、石川氏は毎月10日に目白駅前の喫茶店を訪れるとのこと。そこを拠点に悦銭の談義を深めたいとの事でもあります。ご興味のある方はご連絡ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
目白十日会 会場:目白駅前 「カフェ アコリット」 ※目白駅から徒歩30秒(正式店名:カフェ シャンソニエ アコリット) 期日:原則として毎月10日 時間:13:00~ 連絡:090-9346-3522(石川諄) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八厘会(天保仙人が主催する古銭会) 天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。 例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日 時間 :14:00~ 会場 :新橋駅前ビル1号館9F会議室 会費 :500円(高校生以下無料) 電話 :090-4173-7728(事務局) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雑銭の会(新規入札会員受付中) 主として鋳造古銭ジャンル全般の情報交換会です。 例会日:原則として毎月第4日曜日(変更もあります。) 時間 :14:00~ 会場 :早稲田奉仕園(新宿区西早稲田2-3-1:変更もあります。) 会費 :500円程度(ご確認ください) 参加申し込みとお問い合わせ(事務局:工藤氏)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※このHPにはプログラムが組みこんであります。害のないものですがブラウザやセキュリティソフトによってはエラーが現れるかもしれません。不具合が頻発するようでしたら、ご連絡ください。 1.最新の情報が表示がされるように過去に蓄積したキャッシュデータを読み込まないようにプログラムしてあります。(制作日記・更新履歴) その分、読み込み反応速度が遅くなりますが、ご容赦ください。 2.来訪者分析ツールを各ページに組み込んであります。いつ誰がどこから来て、通算で何回目の来訪か等の記録がされて行きます。 (NINJA ANALYZEの表示があります。) ※プロバイダー変更後の転送エラーにより、画像が表示されない(☓表示になる)ことがあります。お手数ですが、問題個所をご連絡いただけると幸いです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月31日 【反省の1年間】 古銭収集家たるもの後悔なんてしてはいけないのですが、今年はとにかく反省の多い無駄遣いの年でした。そろそろ身の丈にあわせた行動に戻すべきなんですけど・・・そこそこ楽しみましたね。というわけで今年の10大ニュースはというと・・・ 1.ネットに出ていた 長郭手異貝寶異當百(覆輪延尾通) を意地で落としてしまった。これは反省でもあります。 2.安南寛永四ツ宝銭広永写背文文 を入手したこと!譲ってほしいという話もありましたが・・・。 3.神奈川県のHさんから文久永寶と文献の大量無償譲渡を受けたこと。ありがとうございました。 4.ネットに出た 絵銭天保戎寶 を入手!激安のネット落札品ですけどものすごくお気に入りです。 5.仙人宅を訪問取材。その結果を 夏の古銭会展示室 で報告。水戸深字大型銭など新発見がいっぱいで楽しかった! 6.横浜古泉研究会で 中郭手覆輪赤銅無極印 を入手!厚肉で製作や材質も変わっていてすごいと思います。 7.不知天保銭 長郭手撫角銭 を入手したこと。こいつも面白い。 8.CCF郵便入札で未入手だった 浄法寺盛無背異永 を入手したこと!ほぼ無競争。 9.東北のS氏からの寄稿 踏潰銭分類考 を編集掲載したこと。 10.ネットに出た 志津麿大字 を思わず入手。衝動買いです。 今年は大枚をはたいて買ったものが他にもいくつかあり、南部小字やら細郭手強刔輪長足寶、巻銭 覆輪刔輪反玉寶鋳放銭などは本来はランクインすべき品です。それだけ失敗も多かった。猛省が必要です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月27日 【石川氏からのお手紙】 石川様からお手紙と書籍が届きました。 なんでも「穴銭カタログ日本」の版権を銀座コインに譲られて、販売窓口が銀座コインに一本化されるとのこと。それにあわせて装丁が変更になるだろうとのことでした。キュリオマガジンの現在の連載は、来年4月で新しい展開を迎えるかもしれません。お手紙中に「穴カタmusium」やら「悦銭壁紙」なるものやらいろいろな構想が書かれておりましたが、発想貧困な私にはその秘められた構想の奥までは到底見通せません。なにせ、今や節穴と化した我が眼力ですから・・・。 また、鉄人と忘年会を開かれたとか・・・実は鉄人とはまだお会いしたこともございませんが、機会があればお話をお聞きしたいものです。ただ、ここのところ本当に古銭のための休日活動をしていません。無駄遣いもピーク状態で、本当の意味で反省しなければと最近つくづく思っています。なにせ運動不足。古銭にのめり込んでから腰を痛めたこともありゴルフ・スキー・山歩きの類は完全封印していましたが、そろそろ運動しないと命が縮まりそうな状況です。体重は減らない分、貯金がかなり減りましたし・・・。そろそろスローダウンを考えています。やめる気はさらさらないのですけど・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月23日 【私をスキーに連れてって】 久々にスキーをしました。腰を痛めていたこともあり、ゴルフは5年、スキーは13年やっていませんでした。その分、古銭にのめり込んでいたのですが、今回は子供の「やってみたい」という声に背中を押され、、軽井沢の人工スキー場ゲレンデに行って参りました。人工スキー場といってもここは本格的。軽井沢は気温、湿度が低いので条件は非常によく、今から約30年ほど前にオープンした経緯があったと思います。実は私はその頃、話題に惹かれてその地を訪れた経験もあるそれはそれは古いスキーヤーなのです。当然、ウェアなどは体形が変わってしまい入りませんので、セーターと登山用品でごまかし、用具は完全レンタルです。クリスマス前連休とあって、宿泊料金はべらぼうに高かったのですけど、ゲレンデは予想以上にすいていてかつ快適でした。 我が子ははじめてのスキーに最初はとまどい、午前中は半べそ状態でしたが、何度か体を連結してMAXスピードの快感を教えると目の色が変わり、雪山の暴走娘と化しました。そうなるとさすがに子供は覚えるのが早く、最後はなかなか休ませてくれず、しかも帰りたがらず困りました。 もともと私は「コブ専」と言われるほどモーグル好きだったのですけど、近年のスキー場は全く平ら。これもスノーボーダーの影響でしょうけど、正直つまらない。ただ、20Kg以上成長してしまったため、たぶん荒れ斜面では脚力が持たないと思います。昔取った杵柄とやらで、一通りの技術は体が覚えておりましたし、家族に教えることもできました。(たぶん、私は教えるのはかなり上手だと思います。)リフトの担当に「お子さん、うまくなったね。」と褒められ、親としての威厳も保てましたが、代償に有名天保不知銭1枚に近い出費と全身の筋肉痛を得ました。期待されたダイエット効果ですが、筋肉分の体重が増加してしまったようです。それでもこの趣味、お金はかかりますが家族受けは抜群によろしいようです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月20日 【薩摩濶字大字】 細分類が難しいのは古寛永・新寛永背文類などいろいろありますが、正直私はこの薩摩広郭の細分類が一番苦手です。哲泉こと板井哲也氏が分類発表した、この深字濶字・・・薩摩藩鋳銭広郭分類譜で濶字大字と改称・・・は、類似貨幣カタログ評価で80000円~100000円、広郭分類譜では150000円~200000円というお化けのような価格になっています。 ところがこのお化け、素人目にはなかなか分からない、見えないお化けなのです。 ただでさえ数が少ないのに、分類ポイントが分からないとまさにお手上げ。そこで東北のS様にポイントを恥を忍んでお聞きした時の丁寧な答えがこの画像です。これによって私も濶字大字が分かったような、分からないような・・・。やはりお化け、見えそうでなかなか見えてきませんね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月11日 【貼り合せ手のつくりかた仮説】 天保通寶の斜珎や削頭天と呼ばれるものは、貼り合せ手のように呼ばれており、中見切線(表型と裏型の境目)が銭の厚みの中央部にあります。銭の型を採るときは、平らに固めた下側型の鋳砂の上に面を上にして母銭を乗せて、上から剥離剤としての化粧砂、次に鋳砂を被せてゆきます。再度、型を踏み固めてから表裏に分離します。この手法だと見切り線は背側近い部分にできます。 貼り合せ手の場合、下側の型にめり込むように母銭を押し込んだとも考えられますが、これでは安定した型がつくれません。 削頭天のように面が細郭書体、背が長郭書体のような不思議な天保銭が存在するので、それこそ2枚の通用銭を貼り合せて母銭をつくったとも考えられるのですが・・・私はちょっとした仮説を考えています。 木の板に天保銭厚みの半分の深さで天保銭大の楕円の穴をあけ、そこに天保銭をはめこみます。上から鋳砂を被せれば片側の鋳型が完成。次に天保銭を裏返して同じ作業を繰り返せば・・・背側の鋳型も完成。穴の深さを変えれば肉厚調整も可能。湯流れ不良の鋳造の失敗で歩留まりが悪いときは肉厚にする・・・すなわち穴を浅くすれば良いので簡単です。 板の上で砂型を作成するので、分離用の化粧砂が無くても困らないし、もし天保銭を板に張り付けておけば、母銭をとり出す作業も一気に省略できる。なんて合理的なんでしょう。まあ、これによって美しい通用銭ができたか否かは判りませんが、やろうと思えば湯道までもあらかじめつけておけるので、量産には向いています。 あるいは板に穴をあけるのではなく、銭を半分の厚さににすり減らして板に貼りつけるなんてこともあるかもしれない。 それらを廃棄するときは表と裏をニカワで貼り付けて緡に入れてしまえばまずわからない・・・貼り合せタイプの密鋳廃棄母銭の正体なんて、もしかするとこんなところかもしれません。 この仮説、かなり前から考えていたのですけど、だれも唱えないし、実際の鋳銭図にも当然出てこない。鋳造上、何か欠陥があるのかもしれませんが、合理的な手法であることには間違いないので、仮説として発表します。信じる、信じないは貴方次第です。 ※貼り合せ手が主流にならなかったわけ 現物を見ればすぐわかります。鋳型は生乾きの状態で分離されますので、乾燥過程で表裏の型に若干のずれが生じやすくなります。中見切の場合、若干ずれた場合でも修正が大変です。たとえば天保銭なら厚みが2.5㎜ぐらいありますので、修正のためはみ出た周囲を削らねばならず、それも厚さ1㎜以上の鋳ばりになります。大きく削れば当然銭径が小さくなってしまうので、目立ってはいけない密鋳銭にとっては致命的です。貼り合せ手はたいてい穿内に若干の段差・・・ずれがあります。さらに、中には、型のずれを修正しきれず、郭内の段差のみならず周囲の段差が残ってしまった“ねじれた”形状のものもありました。それでも必死に修正しようとした痕跡はあり、細縁小様になっていました。 以上のような理由で中見切方式はすたれたと思われます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月24日 【ヤフオク出品!・・・ただし・・・】 本日、早朝からお祭りイベントに参加。昨日から準備に追われ、本日は焼きそば屋の親父として終日働きました。360食もつくったんだから・・・。ちなみに私、このイベントでは焼きそばを焼くこと10年以上のベテランです。 さて、焼きそば販売中に地元の方から「良いものがあるからもらってくれないか」とのお話がありました。それがのらくろの本。デッドストック本みたいですが状態はいまひとつかな。換金の仕方が分からず捨てるのももったいないので・・・とのことです。私も価値が分からないのでオークションに出品してみました。興味がある方はご覧ください。できれば買ってください。 私は価値が判りませんのでお好きな人がいらっしゃったらお譲りします。もともとタダでもらったようなものですし・・・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月23日 【銀座コインオークションに参加!】 銀座コインオークションに行って参りました。 (ピンチ1:妻のお怒り) 実は翌日に地元のお祭りがあり、オークション当日はその準備がある状況でした。当初、手伝いが難しいそうなことをそっと妻に告げると・・・ああ、恐ろしい。 (ピンチその2:深夜の電話呼出) 深夜に職場から緊急電話・・・そのまま徹夜出勤になってしまうかもしれない事情発生。オークション参加の大ピンチ!幸い、30分ほどで問題は解決しましたが、おかげですっかり目が覚めてしまいました。そのため家族が寝静まる早朝に「家出同然」に出発。(ゴミ出しはきちんと行いました。) (ピンチその3:高速の事故渋滞) 行きつけの吉野家で朝食を採り、高速道路で一路帝国ホテルへ・・・。ところが、高速に入る直前に「京葉道路事故、渋滞・幕張~花輪通行止」の表示を発見・・・これまた大ピンチ。あわててハンドルを切り、最寄りの駅へGO、早く出た甲斐があったものです。 (ピンチその4:電車内に人が…) なんとか電車に乗りこんで座っているとなんだか周囲が騒がしい。ありゃりゃ、車内に人が倒れてます。乗客が駅員さんにその由を告げて、女性駅員が駆けつけますが、倒れている男性乗客は無反応。ちょっと頭のねじのとんだお兄ちゃんが大騒ぎ状態だったので、関わりずらい状態でした。このお兄ちゃん、思ったことがすぐに声に出てしまう障害があるようで、悪気はないのですがかなり迷惑な存在。朝帰りの酔っ払いが寝込んでいるか、脳貧血を起したかだと思われましたが、電車はストップ状態になりました。おおよそ15分後に意識を取り戻し車いすに載せられて降車されました。(酔っ払いの泥酔)ねじのとんだお兄ちゃんは駅員の指示で呼んでしまった救急車をキャンセルしなきゃと周囲に訴え再び大騒ぎ・・・。申し訳ないが見て見ないふり。どうも神様はオークションに行くなのサインを出してらっしゃるような・・・。それでも当初の予定よりは遅れたものの開始30分前に会場に到着。 (オークション直前) 会場では鳳凰山氏や金幣塔氏を発見。その他にも先日自宅訪問をしたH氏のほかM氏、Ⅰ氏、O氏などよく見る顔の面々ですが、実に久しぶり・・・というか、毎年この会場で見ている面々ばかりです。 会場の入りは開始時で90%ほど。早朝にしてはかなり入っています。実は今年は25周年記念オークションだそうで、それなりに充実した出品があるようです。新しい工夫で大スクリーンを会場につけて何を競っているかわかるようにしたとのこと。郵便応札率も過去最高の95%に達しているそうで・・・。 開始前にあいさつと説明があり、9時5分にスタートです。 (戦闘開始:弱気の虫炸裂) 古和同縮字銀銭からいきなり大競り・なんと210万円。続く古和同広穿隷開は驚異の320万円。新和同の手替わり長珎も240万円・・・うげげ、アベノミクスバブルが思い切りはじけています。萬年通寶横点年濶縁50万、富寿神寶大様竪貫160万円、饒益神寶小字195万円。オークショナーは強気で20万円刻みで釣り上げてゆく・・・恐ろしい。皇朝銭はとにかく強い。鉄板ブランドです。 続く鐚銭からは皇朝銭に比べるとやや弱く、郵便落札も少し増えてきました。骨唐国6万円、二字寶永21万円は超お買い得価格のような気がします。 さて、新寛永ですが注目の「小梅手母銭」は激しく競られなんと70万円。これはすごい。 地方の金銀貨はコレクションの放出があったらしく非常に熱かった。いやあ、札束が頭の上で飛び交う大激戦。美作一分銀が58万円だの加賀花降百目銀740万円、出羽野代印切銀110万円、出羽大阿仁印切銀170万円、長山納印切銀170万円、甲州露一両金200万円・・・。 続く絵銭は地方金銀ほどではないものの熱心なコレクターが多く激しい競りが起こります。ただし、戦いは桁が違う庶民レベルですけど・・・。絵銭で注目の大念仏寛永は郵便入札がなく、なんと8万円からスタート。これはチャンスと思いきやあっという間に競りが進み40万円。納得の降参です。 さて、いよいよ注目の天保銭です。今回はこれだけにしぼっていました。 いきなり本座長郭の母銭が郵便応札がなくてオープンスタート。チャンス到来と札を上げましたが4万円を超えて降り・・・今日は気弱です。(結果4万4000円。)値段も伸びなかったですね。仙台長足寶9万5000円、草天保が18万円とかなり弱含み。お金に余裕があれば行くのですが・・・とりあえず持ってますから行けません。 130番の不知長郭手長足寶は原価割れの8000円・・・あまり、長足に見えない品でしたからね。でもこれならチャンスはまだあると思い、少し気を引き締めました。大本命は132番の長郭手刔輪短尾通。こいつは素晴らし状態です。別名、覆輪刔輪大点尓寶。1枚保有していますが入れ替えたい品。 しかし・・・5万円を過ぎて手が萎縮。結果的に6万円でほかの人が落札。根性ないなあ・・・。 続く133番はキュートな覆輪濶縁なのでこいつこそ絶対落とすぞと思っていましたが3万円を過ぎて降り。(3万6000円。)値段の上がり方が早く小心者の心臓にはとても悪い展開。これは行くべきでしたかね。134番の覆輪も手を挙げましたがだめ、136番の深淵も負け。(3万1000円と5万6000円。) 神の声が今日はやめろと言っている気がして負け癖がついてしまいました。ところが137番・・・こいつは行く気が無かったのですが、オープンだったのでチャレンジ。1万8000円でGET。こいつは参加記念のつもりです。139番もだれも応札者がいなかったので1万円で頂きました。これは小さい不知銭に期待です。実は140番の細郭手刔輪長足寶・・・こいつはなかなかの希少品です。安ければと思い参加しましたが願い届かず8万円で誰かが落札。こいつもお買い得だと思います。141番の細郭手貼り合せも状態が良かったので入れ替え用に欲しいとも思いましたが、自重。状態はいまひとつながらもう3枚も持ってますので・・・。(3万5000円。) ここまででタイムアップ。そそくさと会場をあとにしました。そして、お祭り会場の準備に間に合いましたとさ・・・ああ、疲れた。 ※結果的に不知天保銭4枚3万円ほど・・・1枚8000円+交通費・・・まあ、こんなものでしょうか?典型的な安物買いの銭失いで大したものはありませんが、小様の不知銭だけは可愛いかなあ。オークションは相手の顔が見えるので苦手ですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月21日 【仙人が行く・バックナンバー】 天保仙人師が収集に連載執筆されていた「仙人が行く」のバックナンバーです。仙人の知識が幅広いことが良く分かります。情報の時代の現代とはいえ、古銭には隠された部分が多く、仙人のような幅広い知識をお持ちの方はそうは出てこないと思います。 これは過去記事を探すときの手がかりになります。そういえば五十話の収集段位で私が天保銭収集に再び目覚めてしまったんでしたっけね。ずいぶん散財しました。 昨日、久々に東京に出かけたついでに中野の野崎コインに立ち寄ってみました。いやあ、中野はおたくの聖地ですね。そこで、お土産(おつきあい)に利光教授の「古貨幣七十話」を購入。地元の学校の元学長であり、母校の元教授ですからね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月20日 【80歳の挑戦!長崎古仙堂】 本日聞いたお話・・・駒込の古仙堂のご主人が長崎の地でコイン店を新規オープンしたそうで・・・インターネットで調べたらありました。 ながさき古仙堂 〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町2−10 ☎095-811-2006
隠居生活ではなく御年80歳を超えての新たな挑戦だそうです。穴銭に詳しい数少ないお店ですから、体の続く限り頑張って頂きたいと思います。東京のお店は息子さんに譲ったのでしょう。 ※都内のホテルでHPを見ていたら妙に古銭が縦長になっていました。ブラウザの性能でずいぶん歪む場合があるようです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月19日 【銭貨】 いろいろ問題もある方だったようですが、穴銭堂増尾富房氏が古泉界に与えた影響は大きいと思います。最大の功績は「古寛永泉志」の出版ですが、その他にも「新寛永泉志」や「本邦鐚銭図譜」など氏の才能が光る出版が続きます。現在、氏の手掛けた「銭貨」を流し読みしているところですが、創刊号からしばらく昭和泉譜の復刻掲載が続いています。おそらく、昭和泉譜の原本を入手されての復刻なのでしょう、これが契機となって昭和泉譜の復刻再版の動きになったと思われます。金銀図録や古泉大全なども掲載されており、版権の問題はあるのでしょうけど古銭ブームの仕掛け人であったことは間違いなさそうです。情報はだれのもの・・・と言う問題はとくに気を付けなければいけないと感じております。 近世古泉界に尽くした方はいずれもあまり幸せに恵まれていないようでして、田中啓文、平尾賛平の両氏は実質破産。増尾富房氏や太田保氏も金銭的にはかなり苦労されたようで、極楽殿も失われ、方泉處も解散、ボナンザ誌も倒産詐欺騒ぎなど枚挙に暇がありません。 古銭大収集家と言われる方で生涯を通じて幸福だった方はむしろ少数派なのかもしれません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
H氏の拓本の採り方を見て、私と遜色ないことが判りました。しかし、決定的に違うことがあります。それは拓墨。私のは半練状でH氏のは粉末を固めた状態。墨の水分をティッシュで吸いとることは聞いておりましたが、それをやっても半練以上にはできません。これは墨そのものが全く異なります。半練状では墨が強く付きすぎるので2つのタンポを使い、片方のタンに少量の墨を付け、もう一方のタンポに墨を移しムラをなくす・・・合せタンポというらしい・・・ことを行い、さらに濃くなりすぎないように薄めの色で30回以上叩いていました。H氏は10回ぐらいで終わり・・・時間も全然違います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月12日 【邪道・外道】 収集を楽しんでいるとどうしても集まってくる・・・というか自分から飛び込んで行ってる邪と外の道のものたち。気分転換には誠に良いのですがそれなりにお金も出て行っています。 文久の錯笵銭は外道とはいえちゃんとした流通銭。この錯笵は型〆作業中に母銭が飛び出して重なった状態でかたどられたか、砂型に母銭を落として拾う時に思いっきり押し付けたか・・・ありそうで意外にないタイプで、どうやってできたかを考えるだけで楽しい。 絵銭は外道でもあり、人によっては邪道ともいう。文久の絵銭は銅質は思っていたより古いものでしたが側面が西洋やすりの目です。まあ、それなりに味はありますがやっぱり邪道。 天保銭は近代作。酸等で焼いて古色付をしています。そのため郭の表面が荒れています。また、側面のやすりは近代のもの。間違いなく邪道ですが参考銭としては面白いもの。ちょっと縮小しているので通用銭からの写しでしょうけど砂目なんかは良くできてます。 和やすりを作れる職人が絶滅状態の現代では、側面の仕上げを真似るのはやはりとても難しいことみたいです。 ※文久の錯笵の考察 文久永寶は錯笵が比較的みられますが、その多くが背ズレであり、これは型〆のときの合わせ不良もしくは片側の砂笵が崩れてしまい、合せ不良になったまま鋳造されたものだと思われます。 一方で、下のように銭の一部が貼りついた状態で鋳出されるケースは、かなり強く異物部分が押し込まれる必要があります。高い位置から物を落とした場合、その衝撃によって異物の周りの鋳砂が盛り上がります。その結果、盛り上がった部分は凹状態に鋳出されますので、異物の周囲は少し凹んだ形になります。一方で、落とした母銭などを拾おうとして押し付けてしまった場合、比較的盛り上がりが少ない状態になりますので、周囲の凹みはさほどではありません。ところが、下の文久銭の場合、写り込んだ輪の上部は凹んでおらず、逆に少し盛り上がっています。これは砂笵において、異物の周りが逆に凹んでいる状態にほかなりません。すなわち、この場合異物として写り込んだ母銭が左上から右下にずれるように移動したあと、再度深く押し付けられたと考えられます。あるいは拾い上げる時に左上の砂笵部分を破壊したか、母銭そのものが重なった状態でかたどられてもこのようになると思います。ただし、後者の場合は母銭が斜めになるため、横から見ると楔形の形状になる可能性が大きいかもしれません。いずれにしてもこの錯笵は非常に面白いメカニズムによって誕生していると思われます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月11日 【10大ニュース候補】 散財の実態から目を背けたい一心でやっていなかった作業でしたが、やはり行うことに考え直しました。こうしてみると大金を支払い手数はこなしていますが、そんなにすごいものばかりを入手した訳ではないことに気づきます。 ことしはすべてのジャンルの手を出しています。昨年に引き続きいまだコインフェアには行っていません。異常事態? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月9日 【穴銭免許皆伝】 石川諄氏の穴銭カタログ日本の446Pに穴銭免許皆伝の項があります。穴銭免許皆伝になるための教えは・・・ (免許皆伝の)判者サインは、己が師と敬う者にお願いせよ。 穴銭収集は日々の研鑽を怠らず、東洋史・日本史になるべく精通されよ。絵銭や・悦銭の収集はこの限りにあらず。 号を持つこと・・・自らを厳しく律し穴銭の究明時に当たらせる。号はそのために! 拓本を採る・・・銭図(拓本)と実物の照合には無理がある。銭図は拓本と比較せよ! 拓本に鮮烈さを・・・千枚の採拓を目指せ!そのプロセスに悦びを! 計測する・・・直径や内径は故意に歪められることがある。銭文径を重視せよ! 見本銭を作る・・・穴銭群から出来栄えの良い直径最大、文字最大銭を探せ! 見本銭の整理・・・鑑識や分類の迷走時、自らが用意した見本銭から、その答えを導き出せ! 分類解説に惑わされるな・・・他者の解説よりも、自らの解説ポイントを発見せよ! 歪曲銭は無価値・・・穴銭の存在量は多大。傷物、焼けもの、変色ものは避けよ!ワレ、カケ、磨滅、焼け半減、スアナのみは許されよ! 資料価値・・・研究目的でのワレ、カケ、磨滅、焼けの収集はこの限りにあらず! 実は石川氏から見本誌を頂戴したとき、この免許皆伝のサインが記入してありました。しかし、私は拓本についてはとてもそのレベルになっていませんし、最近は見本銭の整理もままなっておりません。もう少し習練が必要でしょうね。 穴銭カタログ日本には本当に見たこともないような拓本がたくさん掲載されています。ほとんどが収集の対象外なのでしょうが、ごくたまにぽろっと出会うこともあるかもしれません。少なくとも原母銭や試鋳銭の掲載数はNo1でしょう。まだ見たことのない方は必見です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月6日 【上京しました!】 久々のお休み!思い切って東京に行くことにしました。まずは銀座コイン。余裕があれば日銀の資料館を回ろうと思います。実は日銀資料館の館長さんからは以前直接お電話を頂いておりました。一般見学者の一人として行きたいと思います。 ところで、今年の銀座コインオークションは大判や近代、海外のコインが強そうです。 なかでも最近はプラスチックケースに入った近代~現代コインが幅を利かせています。グレーディングブームの到来です。ただし、古銭をこよなく愛する者としてこのブームに一つ警鐘を鳴らしておきます。このグレーディングサービスはあくまでも「状態を評価するもの」であって「真贋を保証する」ものではないこと。もちろん、一通りの鑑定はされるのでしょうが、サービスの本質はあくまでも状態評価。 したがって悪意あるものが精巧な贋作を紛れ込ませた場合、このサービスは果たして贋物を除外しうるのかが非常に怖いのです。私の杞憂はあくまでも机上の論なのですが、業界全体が本当に贋作排除の動きをしない限り、この不安は拭い去りきれません。なにせ、日本貨幣協会の鑑定書でさえあてにならないことがあるぐらいの時代ですから。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11月5日 【ガイアの夜明け:日本の技術】 東京12チャンネル(今はデジタルで7チャンネル)の番組が好きだ。他のチャンネルにはない、こびない独自性が番組作りに見られます。ガイアの夜明けはなんでも鑑定団に続くので必ず見てしまいますがはずれはありません。今日は日本の頑張る中小企業と言うことでいくつかの紹介がありましたが、富山の能作の紹介で図らずも鋳物の工程を見ることができました。鋳物の工程は江戸時代とあまり変わらない感じがしますが・・・気になるナレーションがありました。能作は錫の鋳物で世界に進出しているのですが、原点は仏具の銅鋳物だとか。その銅は厚さ3㎜以下には技術的になかなかできないのだとか。 それを聞いて・・・寛永通寶はせいぜい厚さ1.5㎜だぞと叫んでしまいました。鋳物の技術には現在では再現ができないものがずいぶんあるようです。たとえば中国の殷の時代の青銅器などが典型でしょう。今は贋作にも科学的な手法が取り入れられているようですが、和やすりだとか砂目のような昔の技術の方が今は再現が難しいようです。 文久永寶真文系の大分類方法(ポイント) 1)広穿広郭 をはじめに除外・・・文字が縦長で大きい。昔はこれを大字と称したこともあります。 2)深字系は フ画が郭に接しない深字狭永系 と フ画が郭に接する広永系 に分かれます。 3)広永系のうち 寶王が大きく第4画が水平に寶貝に接するのが深字手 で 寶王が小さいのが深字広永です。 4)直永は その昔、文久童が「寶寄輪」と名付けていたように進寶であるのが特徴。これを覚えるべし。 5)細字や繊字は文字は細いものの寶字は進みません。 6)唯一、細字長寶は寶字が進むというか仰ぎます。 この大分類をつかんでいれば、撰銭には迷わないと思います。ただし、細分類は難しいですよ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さっそく天保仙人様から返信がありました。 今回の文久・錫母銭は昭和30年代に東京都内に住んでいたTの作品と思われます。 (中略) Tは天保銭の水戸・遒勁や鋳放し銭、秋田の鍔銭・波銭等、幕末の貨幣を鋳写しで作り、都会では売らず、地方にて商売をしておりました。結構精巧で、真正品として所蔵されております。 (中略) 寛永銭・天保銭の長郭・細郭の錫母銭は崩落しますが、合金技術の進歩の為か、天保銭・広郭と文久銭の錫母銭は崩落しません。崩落による真贋は古銭により、異なります。 天保仙人 驚きの新事実!天保銭・広郭と文久銭の錫母銭は崩落しない!・・・勉強になりました。ありがとうございます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月26日 【乾坤通寶】 瀬戸浩平氏の「貨幣の文化史」を読んでいて、氏が和同開珎(わどうかいほう)と読んでいること、開通元寶と循読していることを確認して、ちょっとだけうれしくなりました。日本には貨幣学といえるものはあまりなくて、あるのは考証学や史学など記録文献を中心に考えるものか、考古学のように埋蔵発掘物を見て類推してゆくもの、あるいはや古銭収集学というべき古銭そのものを見て研究分類するもので、当時の経済や文化をも加えて総合的に考える・・・というものがないのです。 そもそも歴史の記録なんてものは敗者に厳しく勝者に寛容です。良い例が「蘇我蝦夷:そがのえみし」の名前で別名には立派な「豊浦大臣:とようらのおおとみ」があります。死して後まで辱めを受けるとは何とも残酷ですね。 貨幣の文化史のような本は、細分類などで痺れた頭を少し冷やしてくださいます。同時に富本銭を貨幣なんだかまじない銭なんだか未だ決められない日本の学者さんたち・・・いい加減になんとかしてもらいたいです。 さて、その瀬戸氏の著書の中に建武の新政の時に発行された?乾坤通寶のお話が少しだけでていました。この名前は日本貨幣収集事典やの本の貨幣収集の手引きなどにたびたび出てきていますが、実物も実際に作られたかもわかっていません。 槌屋杵之助・・・すなわち寛永堂(稲垣尚友)が創作した贋作があるという噂は聞いていますが、本物が出てくれば富本銭など吹っ飛ぶほどの話題になるでしょう。私は古代銭マニアではないものの、この存在をすっかり忘れていました。どこかに眠ってないかしら・・・。 ※天保仙人様から・・・仙人が行く 2004年8月号に記事が掲載されているとのこと。すっかり失念しておりました。もう一度読み直す必要がありますね。なお、乾坤通寶については仙人様でさえ贋作も見たことがないとのこと。仙人様情報ありがとうございます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月24日 【“ぜに”と“せん”】 ある大家の文献を読んでいて、「“ん”の発音は古代日本にはなく、我々の祖先はこの発音はできなかった」という一文を見つけました。たしかに“ん”が登場するのは室町期頃で、それ以前の古事記や日本書紀には“ん”の表記は出てこないようです。女は“おみな”であり、文は“ふみ”、銭は“ぜに”であると・・・。 古代日本は借字といって、漢字を日本語の発音にあわせて表現をした時代もあるそうです。中国から輸入した文字を無理やり日本語に当てはめはじめていた時代であり、試行錯誤の時代。漢字に音読みと訓読みが混在するようになったのもこの結果です。“ん”の表記がまだないのは日本語としてまだ発音されていなかったからという説は一見合理的なんですが・・・。 しかし私はこの説明に疑問を感じました。いくらなんでも“ん”の発音がないとは考えがたい。それなら萬年通寶や神功開寶など皇朝十二銭はどうなってしまうのだろう・・・。(輸入語だから?) 調べると表記はなくても発音はされていたそうで、しかも10通りぐらいの微妙な発音の違いで使い分けもしていたらしいという記述もありました。現代では“い”と“ゐ”、“え”と“ゑ”の発音を使い分けることもなく、唯一残った“を”も“お”とは発音上の違いはなくなってしまいました。 表記文字はなくても発音はされていた・・・それが私の結論。だいたい銭という文字時代が輸入文字のはず。日本で発祥したものではありません。この文字の中国語の発音は“ちぇん”であり、“せん”にも“ぜに”にも聞こえます。きっと“ぜに”の“に”は古代日本人は“にん”とでも発音したのかもしれません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月20日 【銀座コインオークションの落札システム】 言葉が足りなかったので追加説明します。 銀座コインオークションへの参加は、①会場参加 ②郵便入札参加 の2通りあります。 会場参加の場合は最高額で落ちた価格がそのまま落札価格になります。オークショナーは郵便入札の2番札(2番目に応札価格が高い金額)を基準に(2番札がない場合は最低価格の80%から)競りを始めます。したがって会場内で誰も競る人がいなくなっても、郵便入札の1番札を超えられなければ郵便入札の勝ちになります。この場合、競りがとまった価格が落札価格になるので、郵便入札者は自分がはじめに付けた価格より低い価格で入手することも可能になるのです。 例えばある品に1番札10万円、2番札3万円で競りが5万円で止まったとしたら・・・郵便入札者は5万程度で入手できることになります。さらに、もし、だれも競るものがいなかったら2番札の10%増し・・・3万3000円程度で入手できます。この恩恵は私も受けたことがあります。 したがって郵便入札者の中には絶対入手・・・もしくは会場の戦意喪失をも狙って、とんでもない価格を一発入れるケースがあります。成功すれば2番札の10%増しですから、賭けとしては面白いのですけど、同じような考えの方が複数いると悲惨を味わうことになります。 会場参加の人は実際の価格を聞きながらの応札なのでそんな目にあうことはないのですけど、競り合うと熱くなるので同じかしら?それに会場参加の人はやろうと思えば必ず郵便入札を超えることができるという特典もあります。 また、オープンといいまして、郵便入札がいないときは最低表示価格の80%からセリが始まります。すなわちうまくゆけばし、最低価格より安く入手することができるのです。滅多にはないもののこれは会場参加者にとってはとてもおいしい特典です。 落札後には手数料が10%かかりますけど・・・消費税が内税なのはありがたいですね。 今年は近代銭と外国コインがすごいですね。穴銭は天保不知銭を除いていまひとつかしら。 なお、返品については下見の有無にかかわらずいかなる場合も不可と記述されています。法慣習上は(贋作の場合など表示と明らかに異なる場合は)瑕疵担保責任がありますし、郵便入札は特定商品取引法の保護の下にあるようなので無効な条文だと思うのですけど、ある意味こういうことをする輩が増えてきた事に対する警告なんでしょう。キャンセルは品物に瑕疵が認められなければ売買契約が成立するので間違いなく落札者側に非が発生しますのでご注意を!(少なく見ても遺失利益=賠償金額は20%以上には確実になると思いますので・・・) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月18日 【画像修正の実際】 スキャナー撮影した画像はそのままでは使えないことが多いので今までも多少は工夫していました。とくに厚みのある天保銭は光が横から漏れて露光しやすく背景に色ムラが現れますので、濃い色の布を被せてごまかしていました。(光漏れを防ぐには部屋を真っ暗にして作業するか、スキャナーの中央部を使用して撮影し後で画像を切り取る方法もありますが・・・前者は夜間しか作業できませんし、手元が見えず却下。後者は元画像が大きくなるのでこれまた面倒。というわけで布被せ撮影に落ち着いた次第。 最近、一般のパソコンに添付されているソフトを使って修正する技術を覚えましたので具体的に紹介します。 元画像は左上側に片寄りから光漏れが起こっているので背景はグレーに染まりとくに左端が真っ黒になっています。ペイントを起動し切り取った画像を重ね位置を修正します。このままだと影が強調されてしまっていますので背景色を切り取って(コピーして)被せておきます。出来るだけ細かくやったほうがきれいに仕上がりますが、この程度でも十分。 オフィス2010を起動して、明度を+7~15程度に修正すると、銭色はボケますが背景色がほとんど消えます。 続いてコントラストを+7~35に調整すると背景色がほぼ完全に消え、銭の元色に近くなりくっきりして見やすくなります。 背景色の残骸が残ってしまう場合はは、いったん画像を保存してもう一度明度とコントラストの調整をするか、あらかじめ背景をペイントなどで消し込んでおくと完全に消えると思います。若干手間はかかりますがこの方法だと特別なソフトも不要できれいな古銭画像が撮れますのでおすすめ。左端の画像を完成画像と比べてみて下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月16日 【書籍と文久銭の山届く】 帰宅すると大きな段ボール箱が3箱も届いていました。実は数日前、神奈川県のH氏からメールが届いていました。H氏は20歳頃から古銭収集を楽しんでおられたそうですが、ここのところは収集から離れていたようです。今は手元に資料類と文久銭が580枚ほどを残しているだけだそうですが、身辺整理をするにしても収集品を処分するのは忍び難く貰っていただけないかとのこと。あまりよく考えずに『頂けるものなら・・・』とOKしてしまいましたが、到着した荷の多さに責任の重さを感じております。ここのところ文久永寶についてはご無沙汰気味でしたから・・・。(唐松堂さんもいつも資料をお送り頂きありがとうございます。) 年内に文久永寶の新コーナーの制作に取り掛からねばなりませんね。今の不勉強をたたきなおさなければいけません。忙しくなりそうです。 H様ありがとうございました。 ※資料の中でも穴銭堂版の月刊「銭貨」「銭幣」「銭貨情報」が創刊号から合計254冊もそろっているのがすごいです。非常にきれいにとってあるのも収集家ならではですね。 台風のものすごい雨音で目が覚めてしまいました。 文久の編集を開始しなければ・・・と思いまずは、気になっていたことを一つ調べました。先般入手した真っ赤な文久の密鋳銭の正体です。入手したもののあまりに美しすぎて、写しではなく単なる変色もあるなあ・・・と漠然と考えながらそのままにしていました。文字は浅彫りながら乱れ少なく、写しにしては完璧だからです。一番簡単な調査は内径差を調べること。ただし、文久銭には刔輪加工が見られますので、実物比較するのが手っ取り早い。 そこで画像を重ねて見ますときっちり縮小しています。(左側が本銭、右が密鋳銭) 赤い色が焼けによるものだと仮定したら、内径の縮小は説明が付きません。 すなわち、この縮小は写しによる縮小と見るのが妥当であり、そうなるとこの赤い色も銭の銅色そのものであると考えるのが妥当・・・これで安心・・・また寝られる? 早朝覚醒は不眠症の始まりなんですけど・・・私は古銭病です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月15日 【7月以降アクセスのあった国】 日本(全県) 韓国 中国 香港 台湾 オーストラリア インド インドネシア シンガポール スリランカ フィリピン タイ ベトナム マレーシア アメリカ アルゼンチン ベネズエラ ブラジル ジンバブエ アラブ首長国連邦 イスラエル イギリス スイス オーストリア オランダ スペイン チェコ スロバキア ドイツ ロシア ウクライナ グルジア 以上32か国(中国と香港、チェコとスロバキアはそれぞれ一国としてカウント。) 分析ツールで大まかな地域(都市)は判ります。ただし、経由地などがあると狂うこともあるようであくまでも参考。日本対海外では日本が96%で海外が4%。思ったより海外が健闘しています。WIKIPEDIAにリンク掲載されているのが大きいみたいです。また、中国のバイドゥなどの検索ツールにも引っかかるみたいです。なんどか海外からお手紙が届くのですが、こいつは妖しいやら和訳が大変やらで苦労します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月14日 【限界突破!】 ついに100MBを超えました。OCNの無償のサーバーに登録した時の上限が5MB・・・容量が巨大になってからもしばらくは引っ越すのが面倒なのでお金を毎月数千円支払って頑張っていました。その後、ホームページビルダーが無償で100MBまでのサーバーを公開していたのでお引越しし、今年からは有償ですが10GBまでOK・・・つまり現在の100倍まで大丈夫になりました。 アクセス数も間もなく50万回を突破します。私が目標にしているのは三重大学の飯田教授のホームページでして、アクセス回数はなんと100万回を超えています。気が遠くなるような数字ですが、地道に追いつきたいなと考えています。最も芸能人の場合は1日で何十万アクセスがあるそうですから私のサイトなど可愛いものです。 さて、この記事を書いているうちに一つのオークションが終了していました。古寛永仙台銭の濶字低頭通の大字が出ていたのです。母銭と通用銭の組というふれこみですが、通常の濶字低頭通と濶字低頭通大字の組だと思っています。これでも本当はものすごく少ないものなのですが、人気がいまいちで18500円で落ちていました。本当はお買い得なんですけどね。今年はお金を少し使い過ぎでして・・・昨年のような臨時収入もなく、それに今月は親族の結婚式もありますのでちょっと自粛。と、いっても島屋直寶やら折二様もあの値段なら欲しい・・・て、本当に懲りてない。 そのせいか昨日から罰が当たって左下腹が痛い。正確に言うと今は左下腹が痛むものの、もとはキ〇タ〇も含むその周辺が痛い。女房に話したら、もういらないからキ〇タ〇とってしまえ・・・とのたまう。恥ずかしいけど殺される前に泌尿器科に行く必要がありそうです。インターネットで調べるとどうも膀胱か精巣の病気みたい。姿勢を変えるとすごく痛むときもあるのですが、もともと痛みには鈍い体質なので我慢できちゃう。以前、虫垂炎をやったときもただの腹痛かと思ったくらいですから。しかし、これは診察してもらうのにものすごく勇気がいります。どうせ見せるなら飛び切りの美人女医に診てもらいたい?(変態)痛みが限界突破する前に行ってきます。 天保仙人様から八つ手極印の情報が届きました! なんでも今から28年ほど・・・ということは1985年(昭和60年頃)に、天保通寶研究会の席上で収集家のO氏と仙人との会話の中で生まれた名称との事。当時、この極印は六出星極印と呼ばれていたそうですが、いまひとつ形状にそぐわない。そこで八つ手の名称を考え二人で広めはじめたとのことです。今ではこの名称がすっかり定着しています。これは仙人とO氏の普及活動に加え、研究心、人柄があってのことでしょう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東北のSさんから画像がまた届きました。(ありがとうございます。)その中に非常に鮮明な八つ手極印の拡大画像がありましたので使用させていただきました。私の小字にも全く同じ極印があります。しかし、この形のどこが八つ手なのでしょうか?南部家の家紋は向い鶴ですし、八つ手の家紋なんて聞いたことがありません。だいたい八つ手はモミジの化け物のような形のはず・・・と思いながら探していたら・・・ありました。南部鉄器にそれらしき鍋敷きが。ただし、これは八つ手としてデザインされた物なのかどうかもわかりません。まして伝統的なデザインでもなさそう。名前の由来、また教えて下さい・・・Sさん。 S氏情報 栗林座では、大黒銭と虎銭を山内通用として使用したことも知られています。未確認ですが虎銭の中に八つ手極印を打刻したものが存在するようなのです。また,「盛岡銅山」に片側に八つ手極印と反対側に桐極印を打刻したものも存在するようです。 浄法寺山内は正確には浄法寺町大清水字山内ですが、二戸市に合併となり浄法寺町山内となっています。稲庭岳の山麓です。北は青森県、西は八幡平市、更に秋田、県となります。鹿角の尾去沢鉱山から福岡(現二戸市)に銅を運ぶ途中になります。 ※柏木座(山内)現在の浄法寺中心街からかなり南西の秋田県寄りにあったようです。浄法寺のエリアが思ったより広く認識を新たにしました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月10日 【南部小字濶縁手】 東北のSさんからアンサーメールが届きました。(ありがとうございます。) 質問:当百銭カタログには「小字濶縁手」なる小様銭が掲載されています。ひょっとすると浄法寺のような感じですが、正体は何なのでしょうか? 回答:当百銭カタログの小字(濶縁手)は、銭文径が39.1㎜ですので、称浄法寺飛鳥銭で間違いありません。銭文径40㎜以上が浄法寺柏木座です。当百銭カタログに記載されているように、当百銭カタログは「天保通寶銭分類譜」が元になっていて、第7回配本(平成6年6月20日発行)に初めて小字濶縁手と小字鋳放し銭が南部藩鋳銭として記載されました。称浄法寺飛鳥銭は,昭和50年から昭和55年にかけて三回にわたり出現(放出)しました。小字は三回目に現れました。値が下がらないように小出しされたためと小字の出来映えが良かったために南部藩鋳銭に組み入れたものと推測しています。 小字の極印は桐極印の方が少ないようです。昔は八つ手の方が少ないと言われていました。八つ手極印は栗林座で使用されたものです。桐極印は栗林座と浄法寺柏木座(いわゆる山内座のこと)両方あると思いますが、未入手なのではっきりとは言えません。 ※明瞭な回答ありがとうございます。浄法寺柏木座=山内座なのですか?そして八つ手極印=栗林座・・・私はわかったようでまだよく分からない。奥が深そうです。さすがに地元の研究は最先端ですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月6日 【踏潰銭分類考の公開】 東北のSさんから頂戴していた 踏潰銭分類考 の公開がようやく始まりました。作業にまる2日かかってしまいましたが、何とか体裁が整っています。いわゆる細分類譜ですが、ポイントは明瞭で画像も実に美しい。拓本が添えられていたのでさらに判りやすくなっています。見ていると自分の分類がまだ甘かった(間違っていた)ことを痛感します。(私が小字手だと思っていたものは、小字写しと見るべきでした。)私は叩き伸ばしによる背の乱れのあるものはとりあえず踏潰系としてしまいます。あとは江刺系と浄法寺系とその他。HPには載せてますが加護山系は4文銭は実はないのではないかと疑っています。(私もいい加減です。) 本当は頂戴した画像に分類名・サイズが明記されていたのですがインターネット上の規制で半角英数などの文字制限があるため編集せざるを得ませんでした。(全角文字や空白、日本語、カッコなどの記号はNG) それでもHP用に体裁は整えていますがほぼ原本に近い仕上がりだと思います。 あっとはおまけに戴いた密鋳銭の画像を編集して載せるだけ。あと一息・・・ああ、疲れた。(10月6日配信開始) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月3日 【あこがれの南部藩小字】 細かい手替わりを除き天保銭の藩鋳基本銭はあらかた入手しており、入手がかないそうなもので最後に残っていたのが南部藩の小字でした。しかし、この小字は非常に人気が高く、少ないことも相まってかなり高額。10万円以下ではほぼ入手は出来ない存在で、私は半分あきらめて浄法寺の小字写しで我慢していました。ところがネットに出ていたんですね・・・小字が・・・。多少歪みはあるものの肉厚はたっぷりあり、しかも肌は練れの良い赤銅質。 南部藩の小字は「本座に似た黄銅質が多い」ということですが、ときどき真っ赤なものを見かけます。 しかもこの赤いものに製作的に突出したものを感じるのです。ですから、私はこの南部小字にあこがれを抱いていました。それは数年前に雑銭の会の暴々鶏会長に頂いた超美銭の赤い南部小字の画像があるからでして、その震えつくような美しさに魅入られているからです。その頃は今ほど天保銭病ではありませんから手が出なかったのですが、結果として悔いがものすごく残ってしまいました。 今回はその品には比べるべくもありませんが、小字としては立派な品だと思います。これで心の傷は癒されました。問題は経済的なダメージなんですけどね。頑張って働きます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月27日 【厭勝銭の読み方】 厭勝銭の読み方は最近は「えんしょうせん」説がかなり強くなってきています。自惚れかもしれませんが私のサイトの影響かもしれません。これについては古い資料をさんざん調べ、銭幣館か郡司勇夫氏あたりの説明で、「ようしょうせん」という言葉をはじめに使ったのは大阪の雁金屋庄兵衛(寶銭鑑一)で、元禄9年(1696年)にその出版著書の古今和漢古銭之図文手鑑(寶銭図鑑)でルビを振って記述したのがはじめで、実は誤読である・・・との説を拝領したもの。古銭語事典では「えんしょうせん」であり、私も疑ってもいませんでした。 ところが昨日入手した昭和絵銭図譜の中編冒頭で、厭の字を「エン」と読むのは「いとう(嫌う)」の意味になり、「ヨウ」と読んで「押さえつける」の意味が正しいのだから「ようしょうせん」が正しいとの記述があり、いささか自信がなくなってきました。 たしかにコトバンク(パソコンサイト)の解説では「ヨウ」=おさえつける・・・と説明があり、慣用でこれを「エン」と読むことがあると書いてあります。 厭の文字はもともとは神に犬の肉を供えて祭った場所を意味するそうで、畏れ多い神聖な場所かつ邪悪なものはこれを嫌うことから「魔除け」・・・それが転じて「嫌う」の意味が加わったようです。(今でこそ神様は幸いをもたらす正義の味方なのでしょうが、本来の神の起源は畏れ敬う存在であり、いけにえを捧げて怒りを鎮めるような存在だったはずなのです。)さらに邪悪を制圧したことから壓(あつ)の文字が生まれ現代文字の圧に変化したようです。ちなみに小川青寶樓師の日本貨幣図誌の絵銭の部の序文には壓勝銭の表示が見られますので、書きも読みも一定していない気がします。 では何が正しいのか? 実は厭勝銭は日本の造語の和語ではなくもともとは中国伝来のもの。したがって厭の文字は中国語の読みがもとになっているらしいのです。 厭の文字に割り当てられた音は日本語では漢音、呉音とも「えん」もしくは「よう」とされ、訓読みはいと・うですが、中国語式の発音はYen「ィエン」が主流なので「エン」に近いようです。(Yanと言う発音も間違いではなく中間音的なのです。なお、その他の読みとしては「おん」があります。「厭離穢土:おんりえど」) 厭を「よう」と読ませる発音例は皆無に近く、検索しても厭勝以外はまじないを意味する「禁厭:きんよう」ぐらいしか見つかりません。しかも、これさえ今の読みでは「きんえん」に転じています。 寶銭鑑一が厭勝の中国風発音(Yensheng)を聞いて「ようしょう」と音表記したのもさほど間違いではなく、むしろごく自然なのかもしれません。つまり、「ようしょう」の読みは寶銭鑑一の誤読というより「発明」だったと言えます。(もしくは誰かに読み方を聞いて記したもの。) したがって、寶銭鑑一が提唱した「ようしょうせん」の読みも時代が経つにしたがって「えんしょうせん」に代わっていったのだと推察できます。昭和絵銭図譜の八橋氏の説は一理あるようにも感じますが、「ヨウ」と読んで「押さえつける」・・・というように中国語の音読み変化と一部の日本語の意味だけを関連付けて固定化する点でかなり無理があります。なぜならば漢字は輸入語であり、日本語に置き換えられた象形文字、表意文字がはじまりであって、文字そのものに意味があっても音にはほとんど意味・概念はないことが多いのです。(漢字の読みがたくさんあるのはそのため。)まして厭勝銭は完璧な輸入語・・・したがって音をあらわしたものではありません。厭の読みに「よう」があるのに「ようしょう」が誤読とされた理由もそこにあると思います。寶銭鑑一の読みが正しかったかどうかは判りませんが、厭勝銭は「ようしょうせん」で日本にはじめて広められたこと・・・これだけは間違いないと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
おまけ・・・「えんがちょ」の仮説 えんがちょ・・・という言葉をご存知でしょうか? かつて私はこの言葉は地元、せいぜい関東圏内のものだろうと勝手に信じていましたが、ジブリ映画の千とちひろの神隠しの一場面で、菅原文太が声優を務める「カマ爺」が「え~んがちょ」と言いながら手刀を切るしぐさをしているのを見て、この言葉が全国区であるのを改めて知りました。 Wikipedeaによると、「えんがちょ」は「縁をちょん切る」の意味であり、13世紀にはすでにあった古いまじない言葉であるとの事。 ここで思い出していただきたい。厭にはまじないの意味があり、かつ神聖な場所、畏れ多いところの意味でもあります。厭は神に犬の肉を供えた・・・神聖な地ですから何とも生臭くもあり、畏れ多い。それにえんがちょが広まった時代には浄土思想が出現し、不浄のはびこる俗世に対しての厭世観がはびこった時代。この世との縁を断ちたがる厭世の時代って厭勝に通じないかしら? そう考えながら文字を見ると・・・厭勝・・・厭に勝つ・・・「えん」に「かつ」・・・「えん・かち」・・・「えんかち・・・えんがち・・・えんがちょ」 ね、「えんがちょ」になったでしょう?貴方はこの仮説、信じられますか? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月26日 【火中変化?】 さて、さんざんぱら言い訳を書きましたが、今回はずいぶん失敗しました。ただ、こいつの正体はまだよく分かりません。銅質は泡立ち、全体に歪んでいますが大きくはない。厚みは十分あって重さは3gを超えています。寛保期高津銭の細字が元なんでしょうけどどうしてこうなったのか? 多分罹災品でほかの金属が焼けついているのだと判断していますが、あまりこのようにぼこぼこが写っている例は見たことがありません。まあ、大騒ぎするものではなかったということ。勉強になりました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月25日 【忙しく無駄な日々】 9月から10月にかけて殺人的スケジュールの日々が続きます。そのわずかな間隙をぬって更新をしていますが病気としか言えません。 オークションネットの入札誌が終わったようです。実は私は適当に応札していたので、自分が何にいくら値を付けたかわからなくなってしまいました。落札価格を見ると思わぬ真空地帯が発生しており、冷やかしでも入れておいた方が良かったと思うものもありますが、逆に競争が激しくてなんじゃこりゃ・・・と言う価格のものもあります。たとえば享保期折二様の寛永銭は2万円台で落ちていました。一方で絵銭の寛永は初値の6~7倍の値段です。実は私、絵銭の寛永銭に応札していたと思うのですが、不落であるのは火を見るより明らかです。 冷やかし半分のネットオークションも最近は思わしくありませんね。 もしかして不知品かもしれない・・・と札を入れた細郭天保銭は本座でしたし、、安南寛永の変わりものかもと考えた品は焼けた寛永銭の可能性が大きく・・・がっかりです。密鋳の四文銭だけが唯一まともでしたが、それ相応の価格を入れてますので・・・。。ストレス解消のためなんですけどストレス溜めて銭を失っています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月21日 【密鋳銭がいっぱい!】 雑銭の会で調子に乗って購入しました。 天保銭病もそうですが、私がはまっているのはすべて不知銭の類・・・この密鋳四文銭類もずいぶんはまっており、数えたことはありませんが気になるとせっせと購入してしまいます。分類も自己流なのでそろそろ系統だてて並べる必要がありと思いますね。なにせ枚数はかなりたまっていますので。玉石混交ですがいくつか面白いものがあります。 文政小字写しらしきものがあり、背波の長さも形状ずいぶん異なります。拡大画像右上は一直波かしら。これらは銅質や製作は若干違いますけど踏潰につながる延展系統のものだろうなあ・・・と思っています。外輪の仕上げが雑で面白い。 文政期のように赤い俯永は面輪がずれて段差になっています。 拡大画像右最下段にある踏潰俯永は28.8~9㎜ほどの外径がある大様。大様としてはよくある書体ながら美銭ぶりが気に入ってお買い上げ。 最下段にある小字・・・本当に風采があがらないです。まるで喧嘩して顔を殴られたような風貌。後延展とでも言いたい。劣品の文政期銭と見間違えそうですが、輪側面の感触は間違いなく密鋳銭。 さて、これらの密鋳銭を一目で度の系統・・・と判れば、あなたも立派な病気です。 背波の雰囲気や銭形を見ると違いが良く分かります。 右上拡大画像の背波が潰れて太いもので、輪が不正形なものはこれで一系統。(踏潰系) 他に江刺系のものがたくさん入っていますが、これは背がすっきりしているものが多く、最大の特徴はざらざらした砂目。江刺は明和銭の改造母系と、鋳写母系によるものがあるそうです。 集合写真の一番下に偶然集まっているものたちがまた一系統。背が浅くなる癖があります。ただし、右下は若干化等が異なります。 どこにも属さないもの、中間的なものも密鋳銭にはたくさんあります。そのうちこの種の専門家にお会いして細分類を聞いてみようかな・・・と思います。 最近、本当に目が悪くなりまして、分類には指先感覚も頼りです。 原因は老化現象とパソコンのやりすぎ。職業柄パソコンは必須ですけど1日10時間以上画面を見続けていますので、目にはよくないですね。 画像も1.5倍にしないと良く見えません。拡大画像を見るためパソコンを使う・・・これって悪循環ですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月18日 【我が家にルンバがやって来た!】 かねてから興味のあったルンバを買ってしまいました。誕生日プレゼントだと自分に言い聞かせています。インターネット通販って便利ですね。我が家には猫が2匹いますので抜け毛がすごい。机の上では寝そべるし、、パソコンのキーボードの上も歩く。本はかじるし、表紙でツメも砥ぐので放置できません。拓本のタンポはすでにおもちゃになっています。猫たちはルンバに興味津々で、とっても怖いけど気になっているみたい。フローリングとカーペットの少々の段差も平気です。掃除のためは床に物がおけなくなるので自然に片づけるようになります・・・人力で。高性能のおもちゃだと思ってください。でも、ルンバって中国製なんですね。性能はまずますですがつくりは案外チープで壊れやすそう。日本で作ればもっと良いものができると思うんですけどね。この手の商品は日立や東芝も制作しているみたいですけどさすがにまだ追いついてないみたいです。本気じゃないのかもしれませんが・・・。 改造すべき点としては・・・ もう少しコンパクトにしてくれればソファの下にも入るのですけど、残念ながら入らない。幅もあと5センチ小さくならないかしら。 音がうるさいと悪評判でしたが思ったよりは小さい。でも静かと言うわけではありません。 リモコンは付いていましたがこいつは無駄です。だって自動で動くし、手動操縦は必要ない。動かす場合は片手で持てます。 ゴツンゴツンぶつかるとの評判も、心配したほどではありませんね。センサーできちんと減速していました。 その結果、ホコリやペットの毛をたっぷりとって掃除してくれました。意外に使えます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月13日 【悪貨は良貨を駆逐する?!】 有名なグレッシャムの法則です。この法則、日本の歴史においても結構あてはまり、幕末において海外に金はおろか銭まで流出し、流通貨幣が減少する中インフレも亢進するという恐ろしい現象が生じました。 日本の良貨は海外の悪貨に駆逐されて幕府そのものが壊滅しました。 また、現代に文銭が大量に残っているのは、改鋳によって悪貨が氾濫したときに退蔵されてしまったからに過ぎません。良貨によって悪貨を駆逐しようとしたのは新井白石。このときはこれでもかというぐらいに良質の金銀貨幣を大量投入。物量作戦と締め付け政策で悪貨駆逐を行いました。まあ、悪貨にも限度があったわけで、宝永銀のあまりの劣悪さもあったのでこの作戦は一応成功しました。しかし、経済政策としては無理があったようで、結局、元文の改鋳によってこれらの良貨も駆逐(退蔵)されてしまいます。悪貨に限度があることはある程度理解ができます。万延小判など極端に変化した場合はやはり市場に受け入れられていません。安政年間の通称バカ二朱は、海外通貨両替用に造った貿易決済通貨なのですが、外国にしてみれば三分で両替されていたメキシコドルの交換レートがいきなり6分の1計算になってしまったので当然ながら受け入れがたい。貨幣としては大量に銀が増えて良貨なのでおそらく国内で流通させたら退蔵される運命にあったと思います。誰が考えたのか知りませんが理屈はあっていても現実は無理。一分銀が貨幣の形をとりながら名目通貨・・・紙幣と同じ幕府の信用貨幣であることを諸外国にうまく伝えられなかったのが敗因です。 現代ではずいぶん贋作が精巧になってきています。中国貨幣などどれが本物でどれが贋物課など全く分からない。悪貨が良貨を駆逐しています。また、日本の記念貨幣もいつ作られたんだかわからないぐらい氾濫しています。こいつらは逆に退蔵・・・駆逐されてしまうんでしょうね。コレクションとしては価値が高くなると思いますけど。 北秋田寛永通宝研究会の菅原直登氏から寛永通宝研究資料の第3回配布が届きました。今回の頒布は7枚ですけど、手作りの銭譜がおまけについてきました。氏いわくコレクションのすべてを拓本にする・・・と言う遠大な過程で中断してしまったとのことで、サイズ表記や解説はありませんが、冒頭が島屋文のしかも細縁であり、いやはや島屋文だけで全部で6枚・・・あるところにはあるのですね。 ところでこの寛永通宝研究資料、まだ若干余裕があるようです。(1ページあたり50円の有償配布です。) バックナンバーを含めてご希望の方は・・・
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月12日 【七度鍍金:しちどめっき】 絵銭の相場に七度鍍金の用語があり「ナナドメッキ」のルビがふってあります。その説明では「古銭家・故丸山源次郎氏の遺稿によると、江戸末期の銀鍍銀法で亜鉛と水銀を房州砂に混ぜ火に掛け融かし、練り合わせ、銅や真鍮の金属に塗り火に掛けてて鍍金する。これを七度繰り返して焼き付けするところから七度鍍金と言われた。」 とあります。インターネットで調べると「七度焼き:しちどやき」という言葉があり、どうやらこちらが元らしい。 意味は何度も繰り返し鍍金することから、上質のメッキの意味。 また、亜鉛と水銀を練り合わせて塗り過熱すると、原理的には初めは亜鉛色の銀メッキ(トタン)になりますが、何度も過熱することで銅の表面が真鍮化して金色になるはずです。従ってこれは銀鍍金ではなく金鍍金でもあります。どうでも良いことですけど気になりましたので。でも絵銭で七度鍍金するようなものってありましたっけ。ちなみに亜鉛ではなく、銀や錫を使えば銀色の鍍金になると思うのです。この場合、水銀は融点降下現象を起こして半固形のアマルガムを形成する触媒としての役割を担います。亜鉛や錫はもともと融点が低いのでどぶ付け鍍金(溶融メッキ)を行うことが現代では多いのではないかしら。 ところで最近、私の周囲の方々が引退をほのめかします。気が付けば職場でも最高齢に近づいています。目だけは良かったのですけど、最近は全くダメでメガネなしでは過ごせなくなってきました。寛永銭をみても微細な変化がつかみとれない。収集も最近はHP更新のためにしているようなもので、楽しみが何なのかわからなくなってきました知識のメッキもだいぶ厚くなってきました。後は剥がれないようにしなくては・・・所詮鍍金なんですけど。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月7日 【埋もれた有力説】 古寛永に通称、井之宮銭というものがあります。縮寛という書体を代表とするもので、類品に長永、長通があり、なぜかこれを写した安南銭「鋳写寛永手」も存在します。実際にこれらが「井之宮」という地で鋳造されたという確証はなく、後の発掘調査では縮寛は岡山の銭座遺跡で出土しており、井之宮銭=縮寛というのも誠に怪しいことも判っています。 もともと駿河の鋳銭については近藤正斎がその著書「銭録」において「寛永16年 井之竈村」と記してあるのを、当時の大家の静岡県在住の野崎静修軒(野崎彦左衛門)氏が「井之宮」の誤記であろうとしたことが定着したものようです。どの種類の銭が鋳造されたのかは判っていませんが、少なくとも「井之竈村」で鋳銭があったことは間違いがなさそうです。 これに対して大正13年に安藤遊仙氏が、「井之竈は漢字の誤記による井之宮の地ではなく、音に従った伊河麻の地ではないか?」と貨幣誌に発表しています。地名調べはGoogleという便利なアイテムがあるのですぐに判りました。 鋳銭地とされた井之宮の正式名称は、安西井之宮で、沓谷の少し西に在ります。一方、伊河麻は静岡駅の南方近くであり、こちらも沓谷とも比較的近い地域です。伊河麻の地にある伊河麻神社は「延喜式」にも記載されている由緒ある地でした。私は伊河麻神社が産火(かぐつち)を祀っていることに注目。伊河麻は鋳竈もしくは鋳鎌、鋳釜など鋳物業に関係があったのではないかと考えました。(いかめしいから転じたという説があります。いかめしいって何が?)江戸時代には井鎌の文字があてられていたようで、さらに古い文献には伊賀麻の字が見えます。 安藤氏の説は結果的に取り上げられていないものの、もう少し掘り下げて調べられても良い気がします。 ところで伊河麻神社の御祭神は「品蛇別命:ほむだわけのみこと」だそうで、これは4世紀に実在したのではと言われている第15代応神天皇の別名です。この御祭神の名を見たとき、私は生家近くにある姉﨑神社の御祭神の名前を思い出しました。その名は「志那闘辨命:しなとべのみこと」であり、風の神とされています。私は「品蛇別命」の文字を見て「ほむだわけのみこと」とは読めずに「しなだべのみこと」かな?と思ってしまいました。 日本語は漢字を日本語の音に合わせて強制的に当てはめたものであり、昔の表記は安定していなかったので案外由来は同じなのかもしれません。 また、私の居住地の近くに「誉田:ほんだ」という地名があります。これもおそらく「品蛇別命:ほむだわけのみこと」に由来すると睨み調べたところ見事にビンゴ!もともとは野田村という古名があったのを地元の八幡神社の祭神「誉田別命:ほんだわけのみこと」にちなんで大正3年に改名されたそうです。なお、「志那闘辨命」は「支那斗辨命」と書かれるのが一般的です。日本武尊伝説と結びつくうちに文字が力強く変化して地元に伝えられたのではと思っていますが定かではありません。だいぶ脱線しました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月2日 【古銭贋作の都市伝説】 HPには書けないことがたくさんあるのですが、すでに雑誌などで公表されたり、口伝されて有名なことも多々あります。中には眉唾のものもあり、本当のところは判らないと思います。すでに書いたこともあるそんな噂話ですが・・・ ①寶永通寶の白銅母銭は寛永堂作である。 ②小菅巨字は鷲田寶泉舎の贋作である。 ③土佐之券などは佐野英山作の贋作だった。 ④白目大字は近代贋作である。 ⑤不知長郭手長反足寶は昭和の作り物である。 ⑥下田極印銭は全くの贋作、作り話である。 ⑦背下点盛はすべて贋作である。 ⑧石ノ巻反玉寶は浄法寺地方の絵銭である。 まだまだたくさんあると思いますけど、このあたりが有名かしら。根も葉もないものもあれば根拠のあるものもあります。ただし、本物があるから贋物ができるわけで、全くの空想銭ばかりではないと思いますが、加賀千代作の鬼字や背大ずれ天保のように全くの空想作銭であっても一時期本物として扱われるような名品?もあります。上記の銭の共通点はみんな有名であり、個性的なものばかりで目立つことです。 ①このことについては舎人坊石川氏がキュリオマガジン誌上で示唆しています。鑑定法もありますがいまだによくオークションに出てきます。 ②貨幣誌に耳口健士筆として最近書かれています。あくまでも噂話の範囲ですが生々しさもあります。 ③瓜生氏が小川青寶樓氏から聞いた話として天保銭誌上に語っています。当然本物があって贋物は写したものと思われますが、あくまでも噂話。 なお、佐野英山は贋作を作ったのではなく、贋作と知っていながら扱ったと考える方が妥当かもしれません。 ④銭幣館などで田中啓文氏が語っていますが、明確な根拠はなく、古銭家の勘としての発言のようです。 ⑤瓜生氏が不知天保通寶分類譜に噂として記載していますが根拠はありませんし、すでに大正時代に長反足寶は発見されています。 ⑥貨幣誌上に耳口健士筆として語られています。刻印銭は昔から作銭が多いので要注意です。 ⑦新渡戸仙学氏に贋作者の汚名を着せるための口実にも使われたと思います。そのため新渡戸氏の見た本物もあると思います。 現在は贋作が多すぎてはっきり区別がつかない状態です。 ⑧石ノ巻反玉寶は真鍮質のできであり、浄法寺の天保銭に似ていることから。出現経緯もわかっていますがちょっときな臭い。 私の中では結論が出ているものもありますが、あくまでも都市伝説。噂話の類で「誰も現場を見たことがない」お話です。本物があるから贋物ができ、コレクターが好むものに贋物が多い。贋作にあわせて伝説が作られる例もあり、文献に書かれているから正しいというわけではありません。悪貨が良貨を駆逐してしまうこともあって、そのために悩まされることも多々あります。本物があっても贋作に埋もれてしまうのです。 趣味は古銭が好きであることが第一で利殖(もうけ)を中心に考えたら趣味の志が下がる。これは自分への戒めです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9月1日 【雑銭の会のHP再び】 雑銭の会のホームページが再び戻ってきました。(おめでとうございます!) 平成4年(1992年)に練馬雑銭の会として結成されて、サイトを開いたそうですから今からかれこれ20年以上前になります。その頃は私が古銭収集をぼちぼち再開した頃であり、方泉處が北海道にオープンした頃でもあります。それからしばらくして、私はパソコン上で偶然に練馬雑銭の会のサイトを発見。すっかり魅了されてしまいます。とにかく古銭に関する情報が満載。ときには裏情報的なものもあるし入札もある。 私はこのサイトの常連と化し、会員番号も取得・・・結構古い方の会員かもしれません。その頃は密鋳四文銭にはまっていましたのでかなり買いました。密鋳四文銭は人気が無くてタダみたいな値段で拾えた時期もあったのですけど、私が相場を吊り上げた気がします。 姉妹サイトにたしか「日高見文化研究会」のHPがあって、そこに浄法寺関係の天保銭がずらりと並んでいたと思います。 地方に住んでいる私としてはHPによる情報公開は大変ありがたく、その影響で自らもサイトを立ち上げることになります。2004年のことですので雑銭の会の12年後です。以来、この雑銭の会のおかげで雲上人「天保仙人」様にお会いすることができ、私の古銭病は不治の病になりました。 私のサイトも10年近くなりますが、アドレスを公開していることもあり、けっこう攻撃されます。意図的に再読取りを連続して仕掛けられてサーバーダウンを狙われたり、迷惑メールはもう1日で100通を超えています。,練馬雑銭の会も同様でウィルス付のメールがわんさか届いたようですね。 こんなことする人間の気持ちはわからない・・・犯罪です。愉快犯では済まされません。 価値観は人それぞれですから、こういったHPの活動そのものを否定する方もいらっしゃいます。だからといって匿名の攻撃はいけませんね。来るなら正面から来てください。(受けて立つような根性もありませんけど、お答えはします。) ですから練馬雑銭の会のホームページデータが攻撃によって完全に失われたと聞いたときはとても悲しかったです。 いろいろなことがありましたが、再開した雑銭の会のHPのますますの発展をお祈り申し上げます。 収集誌にもアドレスを公開するそうですから紹介します → 雑銭の会 http://www.zassen.com/ ※私のこのサイト、直近の1ヶ月では世界17国、32都市からアクセスがあります。海外比率はまだ4%程度ですが、思ったより高い。日本国内はここ1ヶ月は全県から複数回のアクセスがあります。ありがたいことです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月30日 【鍍金・鍍銀】 そもそもメッキという言葉自体が不思議な響きなのですが、驚いたことに純粋な日本語・・・外来語ではないそうです。鍍金という漢字をあてるのですが、材料に応じて鍍銀などの言葉が生まれています。古くは「滅金」の文字をあてたそうで、これが語源。この技術はもともと金や銀が水銀に溶けやすい性質・・・精錬技術・・・を応用したもので、こうしてできた金アマルガム(柔らかな金と水銀合金)をメッキの対象物の表面に塗り、熱することで水銀成分を蒸散させて鍍金していました。有名なのは奈良の大仏がこの手法で鍍金されていたこと。古い技術なんですね。 私のコレクションの中に時代の古い収集品で「四分一金銭」と名付けられた金色の寛永銭(四ツ宝銭)があります。わざわざ専用の銀の小箱に納められ、名札までついてました。(名札は廃棄してしまいました。) 四分一(しぶいち)という言葉を調べると銀1、銅3の合金のことで、これかな・・・とも思ったのですがどうみても色(銀の四分一は黒い発色)が違います。今回の調査で、金アマルガム法が金1、水銀3の比率が通常だだそうなので、この手法によるメッキのことを言っているのではないかと思います。 溶融メッキといって、溶かした金属にどぶ付けする手法も昔からあるそうですけど、熔解温度の高い金銀のメッキには向いていません。代用銀メッキには錫メッキ(溶融メッキ)があり、銀・錫の合金メッキもアマルガム法で行えるようです。 この他に考えられるメッキ方法としては、金粉や金箔などをニカワやウルシを使い直接貼り付ける方法もあったと思います。これはメッキと言うよりも塗装か蒔絵の技術ですね。(お手軽に考えると金銀色の塗装という手法もあります。) これ以外は現代の手法によるものですから、それらは古銭とは言えないと思います。 電気メッキは金属の電気的特性を生かして、溶融イオンを電気的に沈着させるもの。 真空蒸着メッキは真空下での金属の過熱蒸散を応用したもの。これは簡単に真空が実現できるようになった超現代の技術です。 化学メッキは、金属塩溶液を還元剤を使用して析出沈着させるもの。銀メッキにはシアンを還元剤として使うようでとても危険。 化学メッキは表面の金属そのものが反応して結びついているので指でこすったぐらいでは簡単に落ちません。したがって化学めっきによる白銅銭偽装はなかなか見抜けません。 今の金メッキの多くは真鍮メッキ(化学メッキ)によるものが多いと思います。 亜鉛粉末を水酸化ナトリウム溶液に入れて強く熱した中に磨いた古銭を入れると初めは白銀色に染まります。(亜鉛の色) 次にこれを水洗いしてからバーナーで加熱すると、亜鉛が飛んで黄金色になります。これは金色のメッキであって厳密に言うと金メッキではないのですけど、一般には金メッキと言われています。 ところで例の水戸深字・・・今はメッキがほぼはがれてしまっているようでして、推定するしかないのですが、多分アマルガム法で銀あたりが薄くメッキされていたんじゃないかなと思っています。 ※私は金属の専門家ではないのでこの記事には自信がありません。どなたか修正してください。お待ちしております。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月29日 【つくるところを見たのか?】 当たり前のことですが贋作者はまず、その製作現場を見せません。古来、贋作者と言われる人々の多くは「贋作販売の元締め」的な人物が多く、実際の職人は別にいるケースが多いと思われます。 加賀千代太郎にしても福西常次にしても自分で作った作品より、工房で作成させた品が多いと思うのです。 天保通寶の不知銭真鍮銭広郭手に短尾通というものがあります。勢陽譜には292番で評価3として掲載されていますし、旧貨幣誌でも第173号、第255号に掲載されています。もともと89回例会に岡島文泉堂(岡島福松)氏が出品されたのが契機であり、直後から新作ではないかとの噂があったようで、173号には岡島氏自らがそれについて触れています。 復刻版貨幣の巻末に原山一郎氏とのやり取りの様子が記述されていて、岡島氏は「君つくるところを見たのか?」と繰り返し反論していたとの事です。この広郭手短尾通の画像、制作日記のどこかにあったと思うのですが分からなくなってしまいました。極印は星形だったように記憶しています。もちろん、今では贋作として認定されています。(昔と思っていましたが本年の6月1日の制作日記に画像がありました。) ただし、誰も作るところは見ていません。原山氏とのやり取りも見ていません。 このような件は多分にその人の人格が噂の強弱に影響しているような気がします。岡島氏は息子さんが管理していた古銭をちょろまかして売っていたそうで・・・これまた誰も見ていないことなんですけど。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月28日 【穴のお話】 問題です。 第1問 5円玉を熱すると穴の大きさは ①大きくなる ②小さくなる 正解は大きくなります。膨張で面積が広がるから、穴が小さくなるような錯覚を覚えますが、これは相似形の問題で穴を含めて全体が大きくなります。 第2問 5円玉をさらに熱してどろどろに溶かしたとき、穴の大きさは ①大きくなる ②小さくなる 正解は小さくなります。溶けたら金属分子の結合は弱くなり、形状は維持できなくなります。したがって空間を埋めようと金属が移動し穴は小さくなります。 第3問 5円玉をどろどろにしたときの穴の大きさを規準とすると、その大きさは冷えたらどうなる? ①大きくなる ②小さくなる これは銭の鋳造における穿の変化の問題です。 膨張の問題を解くときは相似形変化の問題を解けば良いのですが、溶解と凝固となると話は別です。溶けた金属分子の結合は弱くなるので形状は維持できなくなりますが、その溶解した金属が復元しようとするとき、金属は凝固が起こりはじめた部分を中心に凝集します。 例えば丁銀の場合、一番冷えやすい外周部の縁がはじめに凝固します。中心部は肉厚なのでなかなか冷えませんが、冷えはじめると体積が減少するので、外周に引っ張られるように凝集し、結果として丁銀の中央に凹みが生じることになります。極端な例では丁銀の中央にドーナツ状の穴が空くことになります。このように固まりやすい部分に向かって金属が集まってゆくのです。 では5円玉のケースは・・・ 一番固まりやすいのはやはり面と側面のある表面積の大きい外周部。そこに向かって凝固が進めば・・・穴は大きくなります。鐚銭の穴が大きくなるのはこれが理由でしょう。これを考えついた時、私は大発見だと思いました。 仮説)母銭から通用銭をつくるときこの現象が起きているとすれば、通用銭の穿は母銭より大きくなる。少なくとも母銭より小さくはならない。 鋳銭は砂笵という型の中での凝固ですから、穴が型より小さくなろうとすることには制約があるはず。 これは真贋判定に使える!凝固収縮の計算をシュミレーションしてみよう・・・こいつは実に化学的だ!と、大はしゃぎしました。 が・・・、実際の母銭の拓本と通用銭を比較すると必ずしもそうなっていません。なぜだ???? 考え付いた理由は以下の通りです。 ①穴銭は穴がはじめから空いており、そこも表面積が広いので熱放出が早く冷えが早い。 ②丁銀に比べると穴銭はごく薄く、体積が小さいので、冷えむらが生じづらい。 ③砂笵を乾かすときわずかだが砂笵全体に収縮が生じる。これは相似収縮になるはず。 ④凝固の途中で金属の結合が強くなるので、そこからは相似収縮に戻る。したがって外周の冷えに引っ張られてはじめ広がった穴も、固まりはじめると縮み始めるはず。 ⑤砂笵は金属に比べれば硬くないので収縮の制約はさほどでもない。 ⑥冷えやすさは銭の厚薄の関与の方が大きいのではないか? 正解は・・・冷却時の条件によって異なるので分からない・・・でした。 かくして私の世紀の発見は露と消えました。 ※早く冷えやすい部分は・・・ ①凸凹して表面積が大きい部分。 ②熱のこもりにくい肉薄の部分。 それを考えると銭の場合は凸凹して肉薄の銭文の地が一番冷えやすいですね。逆に外周部は肉厚なのでむしろ冷却は遅れる気がします。なかなかうまくできています。納得。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月27日 【大コレクションの行方】 田中啓文のコレクションは日銀博物館に収蔵されています。金銀銭などの見栄えのするものもあるものの、多くは古貨幣穴銭、藩札、資料です。これらは展示されることは少なく、外部研究者の眼に触れることもほとんどないと思います。 いにしえの収集家は自己の収集品が散逸することを恐れ、まとめて購入してくれる大家に売却したりもしています。一方、お金が目当てでない真のお金持ちは、田中氏のように寄贈をします。東大コレクションの藤井栄三郎氏、文化庁の大川鉄雄氏などが有名です。しかし、こうした寄贈品の多くは展示されることは少なく、退蔵されることが多くなると思います。 極楽殿を建てた 博泉 野村志郎氏の大コレクションの行方は私も追い切れていません。方泉處や麗悳荘 平尾賛平のコレクションも散逸し、その一部は私も所有しています。 散逸というと聞こえは悪いものの、市場を潤したことは事実でして、こうやって古泉界はなんとかまわっているのです。残念なことに市井に古銭商さんがだんだんなくなっていく現状としては、無理解な家族が廃棄したり、リサイクルショップに持ち込まれるケースも多いと思います。売り物が減り買い手も減っている古銭商が廃業して行くのも自然の成り行きながら、何もしないでいるのもさびしいですね。変化を拒否するのではなく私たちも変わってゆかなければならないと思います。大川コレクションは現状どうなっているんでしょうか?これも田中コレクション同様、何とか拝見したいものですね。全てのコレクションが収蔵展示されているわけではないと思います。できれば目録みたいなものはないのでしょうか?ご存知の方、お教えください。 ところで田中啓文の読み方はやはり「たなかけいぶん」で良いのでしょうか?資料で見る限り「けいぶん」なのですが、自然な読みとしては「ひろふみ」じゃないかなあ・・・と思ってしまいます。名前をわざと音読みにするならわしもありますからね。もっとも、啓文の名も改名による通称で本当は田中謙さんだったはずですから。 早坂昇龍氏の北斗英雄伝の第4巻が届きました。早坂昇龍氏は古銭研究家にして雑銭の会の会長です。たまには古銭をお休みして歴史物語など気分転換にいかがですか?面白いですよ。 私は氏の深い知識にあやかりたい・少しでも近づきたいと思い読ませていただいております。 興味のある方はこちら → BOOKWAY → 公式ホームページ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日暮里の隆平堂さんも閉店していたそうです。そういえば以前探して見つからなかったわけです。古銭店はいよいよ絶滅危惧種・・・レッドデータブック入りですね。困りました。田宮商会は手に取って見られるから穴銭は良いんですよ・・・とおっしゃっていました。確かに手に取らなければ分からないですよね。手にとっても間違えてしまうこともありますしね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新寛永は母銭や特殊なものさえ追いかけなければかなり経済的に楽しめます。最近は人気が少し陰ってきていますのでねらい目かもしれません。さて、この異書長通系の白銅銭ですが、基本的にある特色があります。それは鉄分がかなり入っていること。したがって磁石に飛びつくように吸い付きます。寛永銭が白くなる理由としては他に錫分過多になっていることがあり、白銅色でも文銭のように磁石に反応しないものがあります。異書の白銅銭でも短通の類はほとんど反応しないかもしれません。それはおそらく母銭のなりそこないか母銭そのものの可能性が高いと思います。 異書の白銅銭はアルバムの中で燦然と輝きます。そこだけ違う世界があるみたいで美しいので1枚探してみて下さい。 古銭初心のうちは泉譜合いといってカタログの端からあわせてゆくことが一番かんたん。いわゆるコレクションの穴埋めですね。現行銭なら年号をそろえて埋めてゆく作業。数がそろってゆくのは面白いし美しい。昔は年号別の現行銭収集アルバムがありましたっけ。たしか実家に2冊完全そろい(昭和50年代末までくらい)が残っていたはず。 可能なら収集の中でテーマを持つこと。片っ端から集めてある程度集まった段階で何かを集中して調べて集めると面白い。私の場合、先ほどの白銅銭の他に、古寛永、新寛永手替わり、密鋳四文銭、安南銭、絵銭、刻印銭、錯笵銭、文献とかなり変遷しました。人はこれを研究と言うかもしれません。 テーマ収集や研究をやると同じものがたくさん集まってきますので、ダブったら売っちゃいましょう。(でもコレクターはこれがなかなか苦手) とにかく趣味は無理なく楽しむのが一番です。私も天保銭にお金を使いすぎてますのでちょっと反省しています。(懲りてませんけど。)寛永銭も良いですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月21日 【銭文径の不思議2】 瓜生譜の銭文径等の数値に誤りが多いと書きましたが、拓本をスキャンして拓本どうしを比較した結果、母銭図録で大字とされている俯頭通(俯マ頭)と平マ頭母銭、平マ頭通用銭の銭文径サイズがほぼ同じだということが判明しました。 すなわち、これで私の所蔵品が母銭図録と同じ大きさの銭文径であり、大字とされる母銭などとも同じサイズであろうことが判りました。 印刷物との比較であるため絶対とは言えませんが、異貝寶異當百の表示サイズ間違いの実例もあり、可能性は高いと考えます。 天保仙人様に出会う前、一時期なかなか集まらない天保銭に見切りをつけて売却しようかと思ったこともありましたが、あれからずいぶんのめり込みました。比較するものがなかったとはいえ持っていて気づかないなんておろかですね。 しかし、拓本画像との比較は、正確とは言い切れないものの使えます。夏の古銭会展示室は私個人の研究進展(気づき)もあり、大変勉強になりました。 → 夏の古銭会 展示室 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月18日 【夏の古銭会総括】 百聞は一見にしかず・・・という言葉がありますが、古銭の世界もまさにこれ・・・数を見てきたものにはかないません。実物を見るのが一番の早道・・・ということもまた事実。文献では判らないことがたくさんあります。 一方で、肉眼では気づくことができなかった微細な違いを今回は画像撮影でたくさん見つけることができました。正直言ってこれだけ収穫があるとは夢にも思いませんでした。これもまた、実物を生で見ることができたからの成果です。 雰囲気的に同一ではないと思われたものが同炉であったり、銭文径の大小を発見したり・・・これらは接写計測と言う新しい武器によってはじめて可能になっています。今回はスキャナーを新しく購入し、パソコンとともに持参までしたのですから、この結果は素直にうれしいです。 古銭の世界は閉鎖的であると言われ久しいのですが、贋作排除問題を含めて少しずつ変わってゆくかもしれません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月17日 【銭文径の不思議】 仙人様宅で収集した様々な画像を整理し、自分の所有物と画像比較していると色々な発見があります。このような貴重な品は比較できるということがめったにありません。最近、瓜生譜の掲載計測値に誤りがとても多いことに気づいてしまったので、実物(画像)で比較する以外科学的な検証は出来ないと思うようになりました。そんな中で以下の新しい事実をまた発見してしまいました。 宏足寶・俯頭通・長反足寶を比較したところ、仙人の所有の品より私の所有の品の方がいずれも銭文径が一回り大きかったのです。 普通、銭文径が大きいと「ごく初鋳の銭」とか「母銭の可能性」とか言って大騒ぎします。ただし、不知天保銭に限って言えば、銭文径が小さく変化したものの方がより珍重されるケースが多いので、手放しで喜ぶわけにはいきません。天下の天保仙人がなぜ小さい銭文径のものを大事にしているのかを考えれば、答えがあるのかもしれません。それでも銭文径が大きいというのにはいくばくかの期待・・・わくわく感が持てます。 私は「銭文径重視主義」であり、「母銭は必ず通用銭より大きい。」はずで「銭文径の大きなものと小さなものがあるということは、大きなものを母銭に改造したものが必ずある。」はずですし、2種として分類できることになります。 これらの3品の私蔵品の銭文径が仙人のものより大きかった正確な理由はまだわかりませんが私的には大発見・大ニュースなのです。 上記の3品には銭文径の異なる次鋳タイプがそろってあるのか、それとも私の所蔵品が実は母銭規格なのか? 銭文径の差はいずれも1回写し程度の差。この事実を天保仙人様ならどう説明されるのだろう・・・と興味津々です。 さらに4匹目のどじょうを狙って「斜珎」を撮影比較しましたが、こいつは空振りでした。 詳細は以下のページをご確認ください。 → 夏の古銭会 展示室 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月14日 【さらに発見!】 仙人宅で撮影した画像を編集していて、私所有の不知天保の俯頭通と仙人所有の俯頭通の銭文径が異なることに偶然気が付きました。すなわち、私個人所有の方が大きいのです。おそらく仙人の所有の方は2枚とも小様だったようです。また、この件で不知天保通寶分類譜の拓本サイズをざっと調べたところ、実物より大きく表示されている可能性が大きいことを感じました。俯頭通は初鋳と次鋳があるのか、それとも私の所有物が次鋳の母なのか? 俯頭通には美銭が多いので後者の可能性は低いものの、可能性は0ではありません。郭内の仕上げがちょっと気になるのです。 さらに宏足寶も画像計測しましたがこれも銭文径が違う。ただし、宏足寶にはいろいろなタイプがあるようですのでこれは異なって当たり前かな? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月12日 【大化けしました!】 私が変造品と判断していたあの深字の大型銭・・・仙人は一目見るなり首をひねり、材質を見たり、音を聞いたり・・・「う~ん」 結論は出なかったもののとりあえず審議参考品に格上げすることができて、ひとまず満足していましたが・・・ そして昨日、天保仙人から連絡がありました。仙人は資料を探してくださっていたのです。 大川天顕堂氏がかつて深字には鍍金された大型の深字母銭の存在を確認報告しており、大川譜にも拓本が残されているそうです。鍍金のため文字に太細があるそうで、深字の大型銭はその母銭から生まれた試作銭だろうということです。深字の類ではもちろん現存1品・・・大変な品になってしまいました。 ※私の判断力はまだまだでした。世の中にはまだ知らないことがたくさんあるのですね。 驚いたことにもうひとつお化けがいました。 Ⅰさんが持参してきた不知細郭手狭長足寶・・・銭径が50.40㎜で銭文径が41.33㎜ありましたが・・・やはり通用銭に混ぜて処分した廃棄母銭という結論に達したようです。確かに焼け伸びでも延展でもなくあの大きさは異常でしたので・・・。Ⅰさん、おめでとうございます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月5日 【大胆な仮説? 島屋文・島屋無背正徳期同時出現説】 最近ネタがないのであれこれ妄想していたら、素晴らしい仮説が思い浮かびました。(大妄想?) 仙台石ノ巻銭の背仙は銭の出荷時に無背銭の緡の両端に背仙を結びつけた形で出荷されたことは良く知られています。したがって背仙の存在は無背に対しかなり希少なのです。同じような風習は他の銭座でもきっと行っているはずで、例えば一ノ瀬銭の背一も無背との存在比率から見て、そんな感じではなかったかと予想できます。 では島屋文はどうなんだろうか・・・と、改めて考えたわけです。 今まで島屋文は寛文期の初出、島屋無背は延寶期(実は正徳期説が有力)になってからの鋳造とされていました。島屋文はその大きさや風貌、希少性から文銭の冒頭を飾るのにふさわしい存在ですから、自然にそうされたのでしょう。一方で、島屋無背は新井白石が主導した正徳の治の復古ブームに乗って造られたものと考えられていました。しかし、ひらめきました。もしかすると2つの銭は同じ時期に作られていたのではないか・・・ひょっとして島屋無背の緡の両端に島屋文が結び付けてあったのではないかしら・・・と、思いついたわけなのです。 仮にそうだとしたら島屋無背の緡を丁百の100枚、その両端が島屋文2枚だったと仮定しても、島屋無背を雑銭から50枚掘り出せれば1枚の島屋文を見つけられる勘定になります。存在絶希少の島屋文の存在数から見ると、この比率では島屋無背に比べて島屋文が多すぎる気がしますが、島屋無背を生涯で50枚以上掘り出した方はそうはいらっしゃらないと思うのです。(ちなみにこんな私はまだ島屋無背でさえ拾い出したことがありません。)したがって、そんなに的外れな仮説ではないと思います。 現段階では仮説・・・と言うより妄想に近いものですが、貴方はこの説を信じられますか? ※100枚の両端に背文銭を置くというのはあくまでも仮定の話で、鋳銭図を見ると銭納めの絵図ではかなり長い緡にされていることが判ります。おそらく1000枚緡だと思います。この場合、背文銭は荷札としての役割だと思って良いでしょう。荷札ですから端に1枚あれば識別できると考えれば1000枚で1枚でも事足りるはず。100枚ごとに両端で区切ったと考えても1000枚で11枚、96勘定だとしても9589枚に11枚の計算になります。 ※有背銭はある意味で高品質ブランドを示す荷札。当時の銭は銭緡のまま流通したといいます。さらに、当時は金銀銭米の相場が独立して変動していましたし、品質の良い文銭類の銭緡とそれ以外の一文銭の銭緡では交換相場が異なったとも聞きます。銭座は独立採算性ですので、金銀米との交換レートの有利な状況で銭を売り出したいと考えるはずです。こうして考えると背一、背仙などは比較的製作、品質が良い気がしますので、この仮説を補完しているような・・・気がします。そういえば実は何かの本で背十もこの荷札の類だと読んだ気がします。眉唾かなあ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天 :文字に沿って加刀されて、若干字画の端が短くなっていますが、大きな文字変形はほとんどありません。 保 :人偏が直線的で爪が大きく、保点が長く、(本家張点保ほどではないものの)いわゆる「張点保」状になっています。 通 :通尾の周囲が深く彫りこまれて意図的に伸ばされています。塞頭通、接点通になっていますが、これは鋳造上の変化かもしれません。 寶 :削頭尓で寶貝が下すぼまり。貝の二引が細く、両縦画に接します。刔輪で寶足もわずかに長く、後足が湾曲気味に輪に接しています。 當 :全体に加刀されていますが、田画が狭く歪み、内部の十字も歪む点が目立ちます。 百 :横引きの爪がやや大きく、日の中央横引きが長く伸びて、縦画に接します。日画は極端な下すぼまり。 花押:全体に細く加刀され、とくに左側の3本のツノのうち一番上が棒状なのが目立ちます。 輪 :覆輪刔輪銭です。ただし、刔輪は寶下が少し目立つ程度ですので名称には入れづらい。 極印:主花序がなくカニの眼のような2本の副花序が頂部に集まった独特の形の極印が左右とも逆打ちされています。 銅質:本座とほぼ同じです。 鋳肌:砂目は比較的滑らかで、わずかに鋳ざらい痕跡を認めます。(銭の面右側に顕著) 銭形:縦径が縮小していますので、やや横太り形ながら、目立ちません。 製作:穿内はべったりとやすり掛け。全体的に製作は丁寧に作られている印象を受けます。 一番目立つのは通尾。なぜ長尾通と命名されなかったのかが不思議なくらい、はっきりと地を削って文字を浮き彫りにして伸ばしています。この手法は奇天手の天前足などにも見られると思います。保点も明らか意識して変形し、伸ばされていると思います。 ただし、張点保のようなオリジナル性あふれる力強さや文字の雄大さはありません。刔輪もさほど強く見られません。異當百異貝寶の名前をあえてかえるとすれば 不知銭長郭手 覆輪延尾通異貝寶 かな?奇書としても良いのですが、天保銭で奇書というのは、砂笵に文字を書き込んだ種のイメージが強いので、使うとすれば「異書」か「奇書体」かしら。 それとも思い切って 不知銭長郭手 覆輪奇通寶・・・なんていかがですか? なお、異當百異貝寶の名称は、名前づくりのルールからすると面の特徴が先で異貝寶異當百のほうが適切じゃないのかしら? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月30日 【あやうく変調?!】 仕事中、突然目がちらつき始めました。はじめはパソコンの画面の一部が半球状に歪んで見え始め、やがてその範囲が左上に広がり始めました。眩しい強い光でも見てしまったのかなと思い目を休め、メガネのレンズを洗いました。しかし、、なおらない。白内障?飛蚊症?それとも網膜剥離、加齢黄斑変性?両目ともおかしい。やはり神経系の異常か? パソコンに打ち込んでいる文字の焦点部分が飛んでしまいますので見えているはずのものが確認できない・・・視空間失認か・・・容易ならない状態だと確信しました。(やばい!これでは古銭が見えない!・・・そんなこと考えている場合じゃないかな?) あわてて病院へ行く・・・病気を確信したためか足元がふらつきます。頭も痛くなってきた。病は気からです。 しかし、待合室で座っていると症状が急速に軽くなってゆきました。血圧計で測ると最高160~最低110ぐらい・・・こいつか! ここのところ屋外作業が続いて肉体的な疲労のピーク。今朝は早朝に2時間芝刈りをしてから仕事に行っておりました。熱中症の可能性もあったそうで・・・。あぶないあぶない・・・。 本日、仕事場にHさんから電話がありました。なんでも、最近は秋田のM氏のところまで遊びに行っていたそうです。精力的ですね。Hさんと言えば昨年の銀座オークションにおいて男の応札をみせて下さった方です。また、天狗寛永や江刺の大頭通を分譲して下さったありがたい方。 下の品を私が落としたことを知り、「おい、大丈夫か?」と、激励を下さったもよう。とりあえず支払は大丈夫・・・ただし、現物はまだ見ていませんので到着してから改めてドキドキしたいと思います。血圧はあげないようにしなくちゃ。 なんでも鑑定団の市原出張鑑定が行われました。出てきた方々に知り合いはおりませんでしたが、いかにも地元のおじんおばんといった風体。我が家伝来の掛け軸を持って出ていたらたぶん赤っ恥でしたけど、観覧したかったですね。 また、山口の古銭コレクターが「会津銀判」をかかげて出演していました。予測通りの「福西作」でしたが、うんちくがいろいろ聞けて面白かった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月28日 【人生最大級のお買いもの】 ネットで古銭収集人生最大級のお買い物をしてしまいました。正確に言うと古銭では2番目。(最高は方泉處解体時に購入した寛文様)天保銭では最高。ネットではもちろんダントツです。このようなものを追いかける時は、かならず声をかけてご相談下さい・・・と仙人様に心からのありがたいお言葉を頂いておりました。もちろん、無視した訳ではありませんで、ただ時間がありませんでした。仕事(お祭りイベント)から戻ったのが10時15分すぎで、パソコンを開いたらまだやっていた・・・。これは神が私に与えたチャンスだと痺れた脳みそでフラフラと指が動く・・・いけませんね。朝から炎天下の屋外で作業していて疲れて麻痺した脳みそで残り1分で応札をはじめましたがもし、帰宅があと10分遅かったら応札もしてませんでした 私の応札とほぼ同時に雌伏していた方々の競り合いが始まってしまったので昨年、薩摩小字で競り負けた金額を最後に入れてあとは目をつぶっていました。真贋は判りませんが、裏側の情報ではある大家が太鼓判をしたものという噂が・・・噂ですあくまでも・・・。これは自分に対するご褒美(それとも罰?)のつもりです。もうこんなことは当面やりません。反省しています。お母さんごめんなさい。競った方もお許しください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月25日 【江戸の改革】 瀬戸浩平氏の「貨幣の文化史」と長谷川亮介氏の「金 お金の履歴書」を現在読んでいます。いわゆる貨幣史のお勉強ですね。当時の世情、経済を知ることは貨幣の質の変遷を見るうえでは重要なのです。たとえば寛永銭では、サイズダウンや鋳造の中断があり、銅銭から鉄、再び銅銭、そして4文銭の登場となります。当時の経済は「金銀米銭」と呼ばれ、それぞれが影響を与え合いながらも独立した相場の中で変動していました。銭を自由相場にしたのは寛永銭を大量生産し始めた家光の時代のこと。これによって粗悪な渡来銭類は嫌われて市場から姿を消すことになります。この自由相場策が幕末になると資源枯渇による粗悪な鉄銭の氾濫と海外流出による金銀銭相場の乱高下によって、良質な銭が財産として退蔵され、実際には銭不足なのにインフレが加速するという悲惨な結果を生み出します。 銭の相場と重さと質は密接な関係があり、これらを厳密に調べれば鋳造地や時代の比定にはきっと役立つと思うのですけど・・・。 ところでこれらの貨幣史にある享保の改革についてを読んでいて、私の感覚とは少し違うと感じました。日本人は改革とか倹約という言葉をかなり美的にとらえている傾向にあります。享保の改革は成功したと言われていますが、6月27日にも書いたように元文の改鋳があってはじめて経済的な効果があきらかになったわけで、慶長復古の幣制は一部インフレ経済を安定させたように評価されていますが実は激しいデフレを起していますので経済政策としては失敗しています。吉宗は別名「米将軍」と呼ばれたように米相場の安定と増産に熱心だったようですが、米本位制ともいうべき幕府財政は、豊作で米価は下落するため大きな収入増は期待できず、飢饉時には財政そのものが破たんします。天候の影響の高い一次産品である米相場に基づく経済は実に不安定でした。吉宗の時代に米本位の経済から脱却できたら江戸幕府はもっと長持ちしたものと思われます。それでも吉宗は結果的には成功者でした。 江戸の3大改革はいずれも倹約と農業振興(年貢収入の増加)がその柱であり、経済振興より幕府財政の立て直しを主眼に図ったもの。寛政と天保の改革はあたかも「反対派」のためにうまく行かなかったように書いている参考書などもあるようですが、重農主義など時代に逆らい経済の原則を無視したからこうなっただけだと私見ながら思います。 寛政の改革の松平定信は、田沼時代の「重商主義」から「重農主義」へと真逆にかじ取りをしただけでなく、中国における文化大革命のような抑圧を行ったため猛反発を食らって失敗していますが、米相場の安定のためにおこなった「囲米」の備蓄制度と「七分積立」と言われる救済基金は評価できます。 天保の改革はやはり農業を中心にした経済立て直しを考えて新田開発をさかんに行っていますし、中身は締め付けによる緊縮財政です。寛政や天保の時代は、海外に金や銅が流出し、金銀銭相場も実に不安定でした。相場に左右されないように定位金銀貨や天保銭を世に出したアイデアまでは良かったものの、金銀銭の海外との交換比率の違いを諸外国つかれ、マネーゲーム化して金と銭の大量流出を招き、結果的に幕府の生命を短くしてしまいました。この事実は通貨レート管理、貿易管理の重要性を如実に示しています。時代は一刻を争うスピードが求められていたのに、実体経済は「金銀米銭」であったのに、天候に左右される米中心の経済の考え方であったために翻弄されてしまった訳です。 完全自由貿易とか通貨統合などは一見素晴らしい思想に思えますが、過去の失敗を考えれば交渉には加わるべきですが妥協はできないところもあると思います。現代日本も、腐敗追放はともかく、何でも反対でも、きれいごとだけの主張でもなく、もっと将来と現実経済を見据えたスピード感ある改革施策が欲しいですね。また脱線してしまいました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この他のCCF収穫品は不知長郭手が1枚、6000円也。なんてことない写しですけどこれぐらいで落ちれば嬉しいですね。 知識なしに手を出してはいけないもの(教訓) ①刻印銭・・・下田極印・米字極印・輪十場替など贋造が容易で真贋区別は極めて困難です。 ②母銭類・・・とくに文銭母銭、改造母銭や古寛永はむやみに手を出すべきではありません。 ③真鍮質・・・江戸時代の真鍮は特殊な条件下でしか流通せず、真鍮質銭はほとんど明治以降の贋作です。 ④錯笵銭・・・古い贋作の宝庫です。ほとんど見分けがつかないものもあります。 ⑤白銅銭・・・特殊な銀メッキの見分けは非常に困難です。白銅好きの私が言うのですから間違いないです。 ⑥大様銭・・・焼け伸び、延展変造がまかり通っています。もちろん珍品もあるのですがやけどもしやすい。 ※こうしてみると私の好物ばかり。ずいぶん勉強させていただきましたがいまだに反省がありません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
左上図は最近入手した水戸深字です。ありがたいことに非常に安い価格でお譲り頂きました。水戸深字は書体の手替わりがなく、コレクターにとっては面白味の欠けるもの・・・私も例外ではありません。アルバムに1枚放りこんであるだけでした。 長径は49.45㎜と巨大で銭文径40.55㎜。当百銭カタログにある銭文径は母銭が41㎜、通用銭が40㎜なので、不思議に思いましたが、手持ち品を計測したところは40.3㎜ほどありましたので、これは誤差の範囲と考えました。たしかに画像を拡大して重ねてみましたが両者の差異はあまりありません。指先に触れる感触は銭文や輪の角がとても立っていますし、輪際には彫り込んだような線条痕がはっきり観察できます。極印はきれいな石持極印で深字ではっきりわかる品はお恥ずかしいことにこれが初めてでした。(熱心なコレクターではありませんね・・・)これはすごい珍品かもしれないと思いながらさらに観察。面内径が44.0㎜・・・大きい。(普通品43.7㎜程度)重量は17.6g・・・重い。 ただし、(サンプル数が他に2枚しかありませんので・・・) ここで私は一つの結論を出しました。仮説というべきかもしれません。これは多分変造銭(コレクター狙いのもの)でしょう。非常によくできています。見事です。天晴! 第一に内径が大きく、輪にふれた感触が違和感を訴えること。これは焼け伸びではなくいわゆるローラー圧延物特有の感触です。ただしもともとはやや大ぶりだった可能性もあります。手持ちの深字はもっと軽く15~16gでしたから。この段階ではまだ疑いでした。 さらに違和感を感じるのが文字の加刀で當字や花押の削字の様子。普通でないものを感じます。 改めて拡大して子細確認すると地肌の砂目が消えており文字に沿って字画が細く削られています。変色もあり、これは巧妙ながら加刀+スタリキ技法ではないか?これで疑惑は確信になってしまいました。 ところで深字には桐極印が稀にあるということで、私も1品だけ保有していたはずなのに、探したのですが見つかりません。記憶違いかなあ・・・と思ったのですが、天保通寶極印図鑑にはしっかり図の掲載があります。そういえば昨年撮影しなおしたから机の上か雑銭箱にまぎれたのか・・・。半分あきらめていたら雑銭箱の上部に剥き出しで転がっていました・・・ああ、危ない!ちゃんとラベリングしなければいけませんね。 数は少ないと思うので私的には普通品の4倍から5倍の価値はあるはずなんですけど、雑銭に紛れてしまうと小汚いごみにしか見えませんから・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追加記事 迷走してしまいましたが・・・この品はやはり母銭クラスの特別品であることが判明しました。私が一番の疑問に思っていた文字の加工は、母銭などの文字抜けを良くするための銭座特有のものであり、肌にある変な色調は銀メッキの痕跡だそうです。なにより、これと同じものを大川天顕堂が泉譜に残していて、銭座の祝鋳銭であろうことを書いています。貨幣誌にも同様の記事記載があります。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月13日 【奇品館原品】 前日に続く投稿記事です。(ありがとうございました。) 手紙に曰く・・・「お譲り頂いたもの」・・・当初はこの言葉にピンときませんでしたが、ああ、私とネットオークションで競っていた(実は監視を怠っていた)のはこの方だったんだと気が付きました。沓谷の濶縁は文源郷氏の出品で最低価格も安く、しかも誰も応札がなくにんまりしていました。 やる気満々だったものの、締め切り時間に間に合いませんでした。この古寛永、まことにつまらない顔をしていますが存在は絶希少。もちろん私もいまだに未収の品です。時々それらしき出ものを見かけるものの、多くは焼け伸びのいかがわしいものが多いのです。 奇永凹寛も早い段階で古寛永泉志の原品に間違いないものとにらんでおり、しかも凹寛は未収品。食指が動かない方がおかしい品でした。少し錆の手入れをしたら素晴らしい美品に化けたとのこと。そりゃあそうでしょう。なにせ泉志原品なんですから。 それにしても「お譲り頂いたたもの」・・・とはなんたる謙遜のお言葉。氏の人柄がにじみ出ております。私はそんなに良い人間ではありませんので、お譲りしたものではなく、しばらくお預けしたもの・・・ということにしておいてください。 掲載を忘れていた奇永凹寛も奇品館に掲載しましたので、両品とも奇品館原品になりました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
驚いたことに地元の「おたからや」さんから、そのうち遊びに来てくださいの連絡が入りました。もちろんボランティア鑑定(分類指南・査定)ですけど楽しみですね。古銭がかなりたまっているとのこと。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月12日 【正字背文大破冠寶 大断辵:河谷俊一氏の寄稿より】 正字背文大破冠寶(文源郷・米田実氏の分類名は奇冠寶は ①寶冠中央部が寶点を残して大きく消失しており、一目瞭然分類しやすいものです。また、共通のポイントとして ②王画下辺前半分の玉切れ・・・が知られていますが、この他にも ③寶貝第一画の中ほどに斜めの細い断線が必ず走っております。 この大破冠寶にも、これまた一目瞭然の特徴を持った兄弟銭を発見しましたのでご紹介いたします。 「正字背文大破冠寶 大断辵」と命名しました。この「大断辵」の分類ポイントとしては上記ポイントの他に下記の4点が認められます。 ④通辵下辺が大きく消失している。(大断辵) ⑤通頭斜め上の内輪に瑕。(通上瑕輪) ⑥永字フ画と最終画の先端が鋳切れている。(削永) ⑦背郭下の地に斜線と小点がある。(背下筋文・小星) この大破冠寶には内径が20.4㎜と20.6㎜のものがありますが、20.6㎜の「大断辵」を発見されましたら是非ご一報を賜りますようお願いいたします。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※わが町にも「おたからや」がやってきた。こんな田舎町にもやって来るとは恐ろしい増殖増殖速度です。まだ、オープン間もないと見えますが、看板も上がっています。古銭はないかと物色しにゆきましたが、「買い取り専門」とのこと。買ったものはネットに流すのでしょうか?鑑定士買って出ようかな? ※最近、オーストラリア・シンガポールからもアクセスがありました。テキサスの方からは英文メールが・・・困った、もっと英語勉強しておけば良かった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月3日 【銭幣館の至宝達】 ずらっと並んだ下の拓本は銭幣館蔵銭覚からの借拓です。実際にはもっとたくさん掲載されていますが、いくつかをピックアップしました。泉書にはいくつかタイプがあるとは6月25日に書きましたが、これは記念銭譜というより、個人拓本集の典型でしょう。説明書きはほぼなく、だれからいくらで買った程度のメモ書きがあるぐらい。私は自分の収集品の中で1枚ぐらい銭幣館ゆかりの品があったって良いじゃないかと必死に探すのですけど、いかんせんレベルが違いすぎる。それもそのはずで、ここにある品はほぼすべてが日銀行きのはずで、市場にあるはずがありません。郡司氏亡き後日銀さんはもうこれらは展示することはほぼないでしょうから現物を拝見することは難しいと思います。そういえば、財務省の理財局に知り合いがいましたっけ(昨年8月27日制作日記)・・・頼んだらだめかしら?ダメですね・・・はい。(今まで3度しかお会いしたことがなく、実はすごく偉い人。) 1番と2番は穴銭入門新寛永の部に拓図がある有名品。市場に出ればいくらの価値がつくかもわかりません。まさに古銭家の欲しい価格が価値になるもの。3番に至ってはみたこともない拓本です。島屋小頭通風ですけど微妙に違い、銭文がすっきりしています。 4番と5番はやはり超有名銭の彫母。4番は入門にも拓が掲載されていますが、記事では文化庁の蔵と書いてあります。銭幣館から大川天顕堂に譲られたのでしょうか・・・謎です。 6番~8番は妖しい品。6番は寛永堂作の噂のある品。白銅質とありますが、黄色いものも画像で見たことが・・・あるいは古楽堂かも。しかし、これも今は謎。秘宝館に投稿写真もありますのでご覧ください。(2005年5月1日の制作日記に記事あり。) 7番は平成22年の銀座コインオークションに類似品の原母銭(左画像)が出ていますが、私には判らない。だいたい彫母と原母の違いすら判っていない。落札価格60万円とは夢買いの価格としてはそんなに高くない?あの品の由来の話、ある古銭商さんから聞いています。実にリアル。リアルすぎて死ぬまで語れない・・・でも、古銭界では私が知っているぐらいだから多分みんな知っている話かも。 8番は初めて見る品。稟議銭かしら。濶縁ぶりがすごい。 9番はいまだに通用銭ですらほとんど見たことのない超々珍品。母銭、それも彫母ですよ。これが世に出たらベンツ買えちゃうと思います。 そして最後の10番・・・これも日銀の奥深くに眠る幻の稟議銭です。これを見るためには国民栄誉賞クラスの活躍をして、総理大臣におねだりをするしかありません。それはおそらく不可能に近い・・・でも、可能性は0ではない。 ※山梨・鳥取からもアクセスありました。これで全国制覇達成です。(地域が特定できない方もいます。)また、本日、英国ケンブリッジからのアクセスもありました。これを眺めるのがすっかり趣味になってしまいました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
HPのアクセス監視をしていて非常に気になる方がいます。現れ方からして同一地区で同じ人物なのはほぼ間違いないのですが、IPアドレスがたくさんあって順繰りに切り替わってゆきます。ネットカフェでパソコンを渡り歩いていると思ったのですが台数が多すぎるので違うかもしれません。昨日、一気にアクセス数が増えたのはこの方が原因で、80回以上のアクセスがあります。OSもブラウザも不明・・・複数のパソコンをつないでクラスター化したのか、ひょっとしていくつかのパソコン遠隔操作しているのか、ハッカー的な謎の人物・・・。 ※中国江蘇省の方から返信メールが届きました。中国特有の簡体漢字まじりながら、日本語(ひらがな)にも対応しています。日本語の勉強をしているのでしょうか?私は仕事上で外国人の方にも教えていますが、日本語は本当に難しい。同じ音で全く違う意味になったり、微妙にニュアンスが異なる。 〇〇は良い 〇〇で良い 〇〇が良い 〇〇も良い 〇〇でも良い 〇〇なら良い この違いどう説明します? 目がひどくかすんで見えない 目がひどくかすんで見える これ否定形と肯定形なのに、意味は両方とも「良く見えない」ことを意味します。 日本が非常に繊細であり、わずかな違いで意味がガラッと変わってしまう現象に日々悩んでいます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
約半月間の来訪者分析結果が判りました。延べ訪問者2900人、1日あたり約276人訪れています。2回以上訪れた方は856人もいます。本日、11時台に一気にアクセスが増える動きがありましたが、同じ人をカウンターが別人と認識して何度もカウントしていることもあるようです。海外からのアクセスの場合に良く起きています。(そうか、ネットカフェですね。パソコンを移動しているのでしょう。)毎日3回ぐらい見ている人も結構います。視聴のピークは21時以降ですけど、6~8時までにピークがもう一つある・・・すなわち、出勤前に見ています。病気です。遅刻したら大変ですよ。海外は最近、ワシントン、上海と広東省からのアクセスも加わり、日本以外に6か国16地域にまで広がりました。(昨日は中国からのアクセスが一気に増えました。)リアルタイムで接続地域などが分かるので面白くて毎日見るようになってしまいました。検索キーワードまでわかるというのも面白いですね・・・。 ※江蘇省の方から写真付きのメールが届きました。私、中国語だめなんですけど・・・ありがとうございました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月29日 【穂井田忠友の方程式】 子供と一緒に「真夏の方程式」を鑑賞しに行きました。なかなか良くできた映画で終わったら福山雅治(のつもり)の喋りを真似てひんしゅくをかっています。ところで、今月になって「泉家・収集家覚書」に2人加筆をしています。力作であるという点では「天保通寶覆輪刔輪マニアック講座」と双璧でありますが、実はほとんど・・・というかすべてが借りてきた知識。自分の論説なんてほとんどありません。今回の穂井田忠友も方泉處5号「近世古銭家列伝」をベースにインターネット等の論説をつぎはぎしたもの。古文書は読めませんし、持ってませんし、読み下しの解読も怪しいものですし・・・。 もともとこのコーナーは「贋作者列伝」・・・これは結果的に方泉處タイトルのパクリになってしまっていたもの・・・を書いた際に勢い余って書き始めたもの。貨幣誌に川田氏が同じようなこと(こちらは私と違ってちゃんと根拠のある論文。)を書かれていたとはつゆ知らず、必死になってボナンザや旧貨幣、下間寅之助の古銭誌などに付箋を貼りながら関連記事を探しまくったものです。 この穂井田、幼い娘を自分の庇護者である幕臣に側室として提供しています。当時は仕方なかったのかもしれませんが、何たる親だと言いたい。 経済的には勘定奉行にまでなった相手ですので、生活に不自由はなかったのでしょうが、妾ですよ妾。しかも一人娘だそうです。穂井田が咎められ投獄されたときに、この娘がいたおかげで結果的に穂井田は助かっています。また、庇護者の口添えで、穂井田は正倉院の宝物の整理という一大業務・・・これはまた、考古学者の穂井田にとっては夢のお宝に触れるチャンスでもあったのですけど・・・に就くことができました。 穂井田のことは、森鴎外が「少女をば 奉行の妾に遣りぬとか 客よ黙あれ あはれ忠友」と歌っています。学者のなかには学業のためここまでやるとは天晴と評価しているものもあります。 私には理解しがたいのですが、穂井田にとってはこれが正義の答えだったのでしょう。映画「真夏の方程式」は、複雑な関係にある親子がそれぞれの秘密を守るために悟られないようふるまい、かばいあい、必死にあがくさまが描かれています。ガリレオ教授はその謎解きをするのですが、結果的には秘密は守られても、また新たな秘密が生まれてそれに巻き込まれてしまう者が現れる・・・・・・あとは見てのお楽しみ。この映画にしても穂井田にしても方程式に正しい答えはないのかもしれません。 ※江戸時代の古銭家を調べていると、養子縁組が異常なほど多いのが気になります。要するに、優秀な次男坊が養子になって成功する例が非常に多い。現代は養子制度そのものがほとんど生きていない時代。江戸時代は男が家を継いで守るということが徹底されているからで、男系に恵まれなかった家は優秀な次男坊を必死に探すからでしょうかね? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月27日 【荻原重秀の経済政策】 荻原重秀というと、貨幣の改悪を続けてハイパーインフレを起し、不正蓄財をして、経済を大混乱に陥れた天下の大悪人・・・一方で新井白石は貨幣を復古改良し、腐敗政治を徹底的に正し、その結果正徳の治を実現した賢者、徳川吉宗は質素倹約に努めて新田開発なども積極的に行った結果、享保の改革を実現して幕府中興の祖と呼ばれる・・・とまあ、こんなところでしょうか? しかし、経済の原則から言うと、新井白石や初期の徳川吉宗の政策は完全なデフレ政策であり、財政は均衡しても政策としては???。 実は荻原のとった通貨供給量を増やす政策そのものは間違っていなかったと思います。不幸だったのは、元禄大地震や富士山爆発などの天変地異が起こり、かつ、将軍や大奥の浪費癖を抑えられなかったこと。そのため改鋳を繰り返さざるを得なくなり、本当のインフレが生じてしまったのが失脚の原因でしょう。武士の収入が米価に支えられていたこともあって、米価と米供給の安定がないと経済が回らないというのも問題でした。 古銭収集家から見ても、白石や吉宗は慶長に復古した立派な金銀貨幣を供給してくれた人物であり、荻原は(珍品だけど)見栄えの落ちる悪貨を性懲りもなく作り続けた馬鹿者というイメージでしょうか。良貨は退蔵されるから現代に美しく残り、悪貨は消え去るばかり。 しかし、白石の経済政策は激しいデフレをおこして米価は低迷。吉宗は白石を罷免したあとも白石のデフレ政策を継承しましたが、倹約や新田開発でも経済面は好転しませんでした。デフレ経済下では米価は下がり、米生産を増やせばまた米価が下がる悪循環になります。結局、吉宗は元文時代に貨幣の改鋳を行って再び通貨供給量を増やしてようやく成功します。もし、吉宗が元文の改鋳をしていなかったら・・・おそらく名君とは言われなかったのではないかと、私は考えますがいかがでしょうか? 米中心の不安定な経済から脱却し、貨幣を名目貨幣にして相場変動に任せない仕組みに変えることができ、経済統制ができたなら、幕府は今日まで残れたかもしれません。 さて、そんな目で最近の日本の政治を見ると、通貨供給増加政策は正解。本当は円高のときに通貨供給を増やして海外資産を買っておくべきだったと思います。荻原は改鋳によって古金銀をため込んでいだ富裕層に打撃を与えて、貨幣流通に引っ張り出すことに成功しました。したがって同じことをするのなら広く浅くとる消費税増税ではなく、累進課税や物品税の復活、一部の資産課税が本来は先ではないかと思います。また、投票権は人口比率だけではなく、面積比率も勘案しないと必要な政府投資ができないのです。今は都会より開発途上の地方経済への投資だってことは、過去の日本の政策や今の世界経済の流れを見れば一目瞭然ではないでしょうか。あの、一票の格差の違憲判決は絶対おかしいと、予言しておきます。話がすごく脱線しました。(日本穴銭党:浩泉丸) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月25日 【呉服屋と文銭】 → 泉書探訪 泉書、すなわち古銭の本にはいろいろなタイプがあります。主なタイプは以下の通りでしょうか。(同じようなことを青貨堂貫井氏か文久堂山本氏が言っていたと思います。正しく思い出せませんので、自分なりの考えで示します。) 分類譜・・・細分類のための教本。お手本。特定のジャンルに特化。 価格譜・・・代表的なな商品を図として示し、価格相場を示したもの。総合カタログ。 研究書・・・分類以外の個人研究を記した書。かなりマニアック。 会誌・・・・・定期的な集まりでの種々の発表を目的にしたもの。数が集まれば研究書をしのぐものもできる。 記念譜・・・個々所有の古銭そのものの発表の場の本。個人拓本集と記念泉譜がある。目録や写真集もこの類。発展すれば分類譜にもなる。 入札誌・・・古銭の販売を主目的にしたもの。オークションカタログもこの類。 情報誌・・・読み物として意識された書であり、原則として読者に対する販売を目的にするもの。 実際には中間的なもの多いと思います。とくに情報誌や入札誌の記事の充実には目を見張るものもあります。さて、そんな数ある泉書の中で私が最も好きな本の一つに「日本貨幣収集事典」(平成15年 原点社)があります。上のジャンルからすると情報誌になりますが、この本の元になったと言われる「貨幣手帳」は価格譜であり、それからさらに内容を充実させ研究書に近づいた内容です。とにかく泉談が豊富で飽きません。編集人の石原幸一郎氏については全く存じ上げませんが、よくぞこれだけのものを作り上げたものだと感心してしまいます。 しかしながらこの本、茶色のビニール表紙が実に地味であり、あまり売れなかった模様で、今ではほとんど見ることはありません。しかし、実に惜しい。内容的には日本貨幣商協同組合の「日本の貨幣収集の手引き」に近いものがありますが、両書を見比べながら読むと又面白い。(私、変ですか?) そんな中、寛文期亀戸銭の鋳造の言われに関して気になる記事があります。 文銭の鋳造理由は・・・ 1.明暦大火、万治3年の大火の後の経済復興のため。 2.倹約令の影響で大打撃を受けた呉服商の救済のため。 1の理由については判りますね。でも2の理由は何でしょう?実は当時の倹約令は非常に厳しく、華美な着物を禁止したので呉服商は商売上の制約を受けただけでなく、寛文8年には高価な着物、反物を番所に供出・没収していたそうなのです。それに対する救済策だっようなのです。 この点について、「日本の貨幣収集の手引き」には「寛文8年、幕府は後藤縫之(殿)助ほか6人の呉服商に江戸亀戸に15000坪の土地を与えて大規模な鋳銭を許可した。」とあるだけですので、倹約令まで踏み込んだ日本貨幣収集事典は本当に詳しい。(詳しくはGoogleで後藤縫殿助と検索してみて下さい。)たしかに寛文銭の一文サイズが足袋の一文サイズになった理由はここにあるのかもしれません。また、明暦大火は別名振袖火事とも言われつくづく呉服に縁があります。さて、そんな呉服屋がつくった(かもしれない)文銭・・・そんな中に島屋文があります。別格なこの銭、島屋某がつくったなどといううわさがあるぐらい謎なのですけど、実際には島屋は仲間になく、後藤のほかは 亀屋姓がひとりと茶屋姓ふたり、あとは上柳と三島姓です。ひっとすると島屋某は三島の聞き間違いなんてことは・・・ないでしょうね。 ※原点社の住所を検索しても同社の住所には見当たりません。Googleアースでも画像は見れるのですがシャッター倉庫しか映っていません。引っ越したのでしょうか?編集に携わった人は元気なのかしら。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月23日 【化蝶】 パソコンでネットを調べていたら隠語大辞典に「化蝶:げちょう 銭の異名」とあった。ゲッ!げちょう?? 例によって私は「かちょう」と読んでおり、ご丁寧にも古銭用語の基礎知識のコーナーにも書き込んで説明を行っていました。あの「化蝶類苑」は「げちょうるいえん」??そんなはずはないと古銭語事典などを引っ張り出しましたがどこにもフリガナが見当たらない。「かちょう」はどうやら私の思い込みだったようです。 このような風流な言葉はきっと古事に由縁があると思い調べました。そうすると二十四節気をさらに区分した七十二候において「菜虫化蝶」という言葉が見つかりました。季節を意味する啓蟄(けいちつ)の最期(末候)にあたり、青虫がモンシロチョウに羽化する季節のことを意味するそうです。もともとは中国から輸入された言葉のようでしたが日本でも定着して「なむしちょうとなる」と読むそうです。江戸時代の社会は季節の風習などを大切にしていたはずですから、一般にも「菜虫化蝶」は知られていたと思います。ではこれを音読みにしたものはないかと探しまくりました。しかしない。私としては「さいちゅうげちょう」と読む例を探したのですが見つかりません。ただ、「なむしちょうとケす」とへんてこな読みをしている例がいくつか見つかりました。 さらに調べると「化蝶記」、「化蝶散華」という本があり、いずれも「けちょう」と読むそうです。化蝶という言葉は中国の唐時代の古事にある言葉で、15代皇帝穆宗(ぼくそう:17代文宗という説あり)が宮中で宴を開いていた時に、数万と言う蝶の大群が押し寄せてきた。追い回してもなかなかつかまらなかったので、網を用意して捕まえるとそれらはすべて禁中で保管されていた銭、黄金が化けているものだった・・・すなわち帝国の浪費と疲弊を象徴する伝説らしいのですが、この古事が日本にも伝わって古銭=化蝶になったと思われます。 ところで化を「け・げ」と読むのは「化身:けしん」「変化:へんげ」のように、自らの意志によって変わることであり、変化に対する畏れ、驚き、神秘が含まれた読み方のようです。例えば化粧は男どもをたぶらかすために行う女性の呪術行為で、哀れな男どもは誘蛾灯に飛び込む虫けらだとお考え頂ければわかりやすい。それに対し、「か」と読むケースはそんな神秘性やおどろおどろしさのない言葉、他力による変化の語に多い気がします。そうなるとやはり古銭の場合は「けちょう」もしくは「げちょう」が正しいようです。みなさん古銭の魔力にたぶらかされていますから。 一方で、化の文字は貨幣の意味もあり、泉化=銭貨でもあります。これは音の置き換えや省略文字の意味合いもあるようですが、私が「か」と読んでしまった原因でもあります。貨幣の意味なら「け」「げ」とは読めませんから。 それでは正しいのは「けちょう」なのか「げちょう」なのか? 私を正すきっかけを作ってくれた隠語大辞典の記述は尊重しなければならないとは思いますが、日本語的には冒頭文字の「化」を「げ」と読む文化はないと思うのです。すなわち「けちょう」の方が自然です。何かの言葉に続くときに日本語は濁ることがあり、これを連濁と言いますから、「げちょう」は「闘化蝶:古銭を見せ合って優劣を競い合う優雅な遊び」のように他の語と結びついた読みから生まれたのではなかろうか・・・というのが目下の私の推理。すなわち「「闘化蝶」は「とうげちょう」なのではないでしょうか? しかしこれはあくまでも机上の論にすぎません。果たして「化蝶」は「けちょう」なのか「げちょう」なのか、あるいは逆転で「かちょう」なのでしょうか?そして「闘化蝶」の正しい読みは?どなたか私を導いてください。ご連絡お待ちしております。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月22日 【ちょっと怖いお話】 キュリオマガジンを開くと八厘会の記事とともに天保銭人の笑顔の写真が掲載されていました。今日は土曜日の完全休日・・・しかも第4土曜日(八厘会の日)・・・ということで朝、恐る恐る女房に東京行きを打診すると、「今日は美容院に行く日だから、子供にお昼ごはん食べさせといてね、それとお部屋の掃除もよろしくね。」という軽やかな反撃を受けてしまいました。仙人様ごめんなさい。無駄遣いしないで済みますが、なかなか参加できず不満がたまります。「・・・物を採取しようとする人は、かならず何らかの欲求不満のとりこになっている。この中、古銭蒐集家のそれは、特に重症である・・・」という古貨幣夜話(利光三津夫著)のお話の通りでして・・・。 HPの分析・監視ツールを付けて約1週間、公開されている無料のものなのですけど結構面白い。訪問状況はリアルタイムで分かります。 (2013年、9時20分現在、埼玉県、静岡県、東京都の方が訪問しています。みなさんリピーターです。ありがとうございます。) 引っ越しをしてから41都道府県域、1000人あまりの方がアクセスしてくれていて、リピーター率ははおよそ64%。これは解析を始めてからの数字ですのでまだ増えています。まだアクセスのない県は 石川・福井・山梨・鳥取・徳島・愛媛・佐賀 だけになりました。(頑張りましょう!) 海外からのアクセスも多少あり、アクセス地域はアメリカ(カリフォルニア・ワシントン・テキサス)中国(浙江省・河北省・江蘇省・山東省)・台湾(台北)・カナダ(オンタリオ州)からありました。(遠いところご訪問頂きありがとうございます。) 一番アクセスが多いページは表紙(あたりまえ)ですけど、かなりの数でこのページ(制作日記)に直接飛んでくる人がいます。 検索エンジン使用はヤフーが多く、私のようなGoogle派はむしろ少数派でした。 流入サイトは検索エンジン以外では “古銭関係リンク” が結構多く、“オレンジねこのページ” “シュミラン” にもお世話になっています。また、ウィキペディア からも結構入ってきていたのには驚きです。2CH掲示板からの流入もありまして、ありがたいお客様のようです。 ここからはちょっと怖い話・・・ この分析・監視ツールの機能はⅠPアドレスなどの接続者情報、地域、訪問回数やどこのページを見ているか、どこのサイトから来たのかなどの流入経路もわかるだけでなく、相手の機種やバージョン、プロバイダーまでも判ります。 判明したⅠPアドレスをとあるサイトで詳細情報検索すると、今度は相手のパソコンの基本情報(クッキー)が丸見えになることがあります。クッキーは相手サーバーに接続したときの自己紹介用情報、いわば名刺交換のようなものです。この情報の中には個人情報も含まれています。 また、気に入ったページをパソコン上にダウンロードして情報として保存する方はいると思いますが、インターネット接続状態で閲覧すると、パソコンに付けた個人名がドキュメントフォルダー名に(リンク先として)くっついて流出してしまうことがあるのも実例として判りました。これは保存したHPに相手情報をこちらに伝えるように仕込んであるからで、ダウンロード後も相手のパソコン上で律儀にその仕事を続けるからのようです。購入した直後のパソコンに、使用者として自分の名前を付ける方はとても多いと思います。少なくとも怪しいサイトにはいかない・保存しないほうが身のためですね。(私のサイトも十分に怪しい?) ※会津濶縁が出ていますね。しかも、濶縁離足寶系ですね。輪左側のわずかな瑕が素性を物語っています。私、会津濶縁は大好物なんですけど、いつまで頑張れるかしら。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月20日 【悪夢の画像マジック】 6月17日の天保銭・・・届きましたが、正解は②の画像マジックでした。(最悪~) どうみても出品物と同じ品なのですが、100%本座長郭。16000円を捨ててしまいました!ショック!皆様、私の鑑識眼は当てになりませんよ。しかし、画像は刔輪されて長足寶に見える。比較拡大画像をつくってみたらやはり足が長い。左右が同じ品の画像には見えませんね。しかし、郭の当たり傷や地肌の傷が一致しましたので同一品で間違いない。結論から言うと意図的ではないにしてもこの画像は変形しています。あきらかに銭文径は縮小しているのに寶貝から下は伸びています。(銭径が長い。)魚眼レンズ効果なのかもしれませんが、何度見てもこれでは騙されます。出品者には悪意はないと信じますが、これはくやしいですね。自分の眼が信じられない・・・というより、自分の眼は今でも正しいと思っています。残念! ※今月号の収集を読んでいてはじめて「50円や5円の穴は打刻時に穴が開けられるのではなく、あらかじめ穴の開いた円形に打刻するらしい」ということを知りました。そうなると穴ずれは円形製造過程でエラーになったものがはじめの検査をすり抜け、打刻後の検査もすり抜けたことになるのでしょうか。 今月号の収集には2つ穴の50円が出ています。これはすごい珍品に見える。しかし、果たしてこんなものが検査をパスできるのか・・・きわめて怪しく思えてきました。2つ穴は重量も絶対不足するはずです。エラーの世界は確かに何でもアリなのですが、これは難しいのでは? そこで極めて不謹慎ながら、これが贋作だとして贋造者の視点に立って考えると・・・ 最近は日本でも小さな業者が外国コイン公式記念貨を作っていますので、打刻技術は問題ない。だから一番てっとり早い贋造はは貨幣の刻印を贋造してしまうことではないでしょうか? 型は放電加工技術(日本の金型製造技術は世界一です。)で作れます。それでなくても最近は3Dプリンターという恐ろしい武器もできています。以前は芸術的なコインそのものを贋造しようとした結果、贋造過程の加工痕跡を追求されて贋作が露見していました。しかし、現行コインならデザインはシンプルで成分も公表されています。何よりお手本は格安で入手可能です。コピー製造したコインの打刻型をクロームメッキでぴかぴかに仕上げられたらおそらく本物と寸分たがわないものができてしまうのではないでしょうか? 芸術的な近代コインの贋造は大変でも、現行コインは楽、しかしそれではもうけが少ないのでエラーコインに目標を絞る。エラーコインなら何十万円も払う人がいる・・・怖い話です。 もちろん、これはあくまでも現行コインについてからきしの素人が考えた仮説です。私のたわごとが業界を揺るがしたら大変なことなのであくまでも仮説。素人の妄言です。自分が失敗してマイナス思考が脳を支配しています。だれか、正しい意見をお教えください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月17日 【幻の逸品】 古貨幣夜話のおかげで久々に古銭談話に没頭しました。さすがに大学教授であり、日本貨幣協会元会長であらせられたから、かなりの珍品の話も出てきます。私のコレクションには3桁に達する価値があるものはほぼ無く、可能性があるとしたら島屋小頭通細縁ぐらいだと思います。 寛永銭の横綱は何かと聞かれたらなんだろう。 古寛永開元手は初期不知銭の名品ながら貧相。しかも現存1品とか言われていましたが、どうやら2~3品ありそう。 同じく古寛永魚尾寶も魅力ありますが、数が少しあるようで・・・。う~ん、古寛永はわからん。パス。(三井家伝来?の元和手番銭全揃い・・・あれはセットものとしては最高でした。) バブル価格という点では平成17年の銀座コインオークションにおける明和大字母銭の500万円、同じく明和大字通用銭の520万円が双璧。多分これ以上はないと思います。この時は島屋文の母銭180万円、奴銭母銭180万円なんて化け物もいました。(バブリ~) もしこれを超えるとすると銭幣館の拓本にある島屋文の彫母ぐらいでしょう。(試鋳貨と思われるマ頭通21波の彫母もすごいけど真贋は判らない。)銭幣館には彫母クラスのものがたくさんコレクションされていたようですが、これらは伊勢神宮などに奉納(賽銭)されていたものらしい。 天保銭は藩鋳銭では仙台大濶縁、不知銭ではなんといっても奇天でしょう。これらも平成17年に420万円、660万円でそれぞれ取引されています。仙台大濶縁は人気はありますが数もけっこうあるといううわさ。先日の曳尾母銭の価格にも驚きましたけどこれらに比べればお買い得? 日本貨幣界(穴銭)全体では何かと考えると、もし民間に出てきたらということであれば以下の3種でしょう。 ①太平元寶(銀銭)・・・760年につくられたとされる謎の銀銭。大正時代に発見されたとか、唐招提寺にあったが紛失したとか・・・幻。 ②〇賈行〇(銀銭)・・・昭和12年、西大寺付近で開基勝寶とともに発掘。大型銀銭の破片であり、教授は商賈行布ではないかと推定・・・謎。 ③開基勝寶(金銭)・・・寛政年間に1枚、昭和12年に31枚が発見されたものの、いずれも国家財産に(1枚は皇室御物)・・・国宝。 いずれも金銀貨になってしまいましたが、歴史的価値、貨幣としての品格申し分なしです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月15日 【古貨幣夜話】 故、利光三津夫(りこうみつお)教授の「古貨幣夜話」を購入しました。恥ずかしいことに私は今まで「としみつ」教授だと思いこんでいました。大変失礼しました。 利光氏は日本貨幣協会の元会長であり、私は一度だけオークション会場でお会いしたことがあります。当時は利光氏のことを知らず、大柄で品格のある方が会場に来られたのだと思いました。私がぼけっとしていると、天保仙人があわてて「利光さんだ、席を譲りなさい!」と小声で教えてくださり、あわてて立ち上がった記憶があります。(仙人様ありがとうございました。) それから間もなくしてお亡くなりになられたと聞いたので、利光教授についてはほとんど知ることはありません。実は教授は私の母校で教鞭をとられており、勉強嫌いの私でも現役時代に知っていたら絶対に会いに行っていた気がします。貨幣の研究をされてるのなら、文学部か経済学部あたりかと予想していましたが、なんと法学部で、教授は古代法の「律」の専門家だそうです。 私はこの手の随筆は自分の収集ジャンルにこだわらず好きで、教授は和同の珍寶論争で開珍説を唱えられていたということだけは知っておりましたので、その話題のあるこの本はかねてから是非読みたいと思っていました。 本の中身は軽妙なエッセイにして、貨幣に関するうんちく話が盛りだくさんです。未発見の貨幣、個人的な古代の記念貨の存在など初めて聞く話も面白いです。いわゆる泉談集と言った方が良いでしょう。第一話に教授の友人の自称心理学者が述べた言葉に「・・・物を採取しようとする人は、かならず何らかの欲求不満のとりこになっている。この中、古銭蒐集家のそれは、特に重症である・・・」とあり、私もドキッとしました。 定価は1900円ですけど古本市場を探せばもう少し安く見つかるかもしれません。まさか大学関係の出版会社で印刷されているとは知りませんでした。 ※珍寶論争:たしかに教授の言うことには一理ありました。ただし、開元の鋳造・流通年代などについての論点に弱点もありますし、私が読む限りは(心揺らぎましたが)絶対的な決定打ではないと思います。何より氏自身が寶と珎が同意異語であることも認めています。単純な読み方ではなく珎が何を意味しているかもカギであり、これについては漢字の本家である中国、伝来経由地の韓国でどうであったかも関係すると思います。(私も頑固) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月14日 【古銭収集家のひとりごと】 コレクションは男性的な趣味である。事実、東京交通会館で妙齢の美女におおよそ出会ったことがない。美しい人がまったくいないわけではないがたいがいお金持ちのパートナーかアルバイト女子である。そして彼女たちは古銭より現世のお金の方の収集に興味を持っているに決まっている。もちろん、スポンサーのパトロンに対しても興味はない。興味があるのは財布の中身の可能性が高い。(ついパンツの中身と書きたくなるが、それは想像したくない。) 女性にもコレクションを楽しむ者はいるが、大体集めるものが可愛いとかきれいといった直接的な価値基準である。一方、男性は他人から見たらそれこそガラクタにしか見えないものを集めて誇り喜んでいる。この違いは男女の性差にあると思う。 生物の常としてつがいを組む場合、実際の選択権は子供を産む女性の方に強くある。男性は相手に選ばれるため、力を蓄え自己顕示をする。競争の相手を屈服させるための行動もある。多くの生物のオスが強く美しくなるのはそれが理由である。しかし、残念ながら多くの人間男性はあまり美しくない。筋肉が発達しているとかで生物学的な理由で美しいということはあるかもしれない。事実、アスリートの人々はたいてい美しく感じる。収集家も本来はそちらの方に走るべきなのかもしれないが、もはや手遅れである。 こうしてオス同士の競争に勝てないと悟ったものは新たな武器探しに走る。そしてたどり着いたのが古銭という収集趣味であると私は考える。 はじまりは好奇心や子供がおもちゃを集めるようなものだったと思う。しかし、次第に他の人がやっていない、何かが違う、知識があることで心を満足させるのである。もはや自分の選んだ道が全く力の顕示に役だっていないことにすら気づいていない、いや、気づきたくないのである。 妻に自己顕示してみる。「ふ、ふ、ふ、この古銭は〇万円もするんだぞ。」 「ふ~ん、売れば。」 「何を言うんだ、日本でも数少ない貴重な資料なんだぞ。」 「どうせ集めている人も数人なんでしょ。」 「バカ言っちゃいけない、欲しい人はいくらでもいる。ともかくこれはお宝なんだ。」 「だったら早く売れば!」 やはりメスにはこの崇高な趣味を理解するのは難しいらしい。 健全男子は早くこの事実に気づくべきである。しかし、古銭界全体が衰退してしまうのも惜しい気がする。収集界がなくなってしまうと、自分の活きる世界・価値がなくなってしまうからである。だから、、新人がこの世界入って来ることを喜ぶ者も多い。彼らは新人になけなしの力を顕示して満足しているが、害は少ない。(私もきっとこのタイプである。)それは社会や家庭での憂さを晴らす行為でもある。(妻よ!私の魂の叫びを聞いてくれ!) もう一方で新人を「敵」と考える不埒なやつらもたくさんいる。彼らは屈折していて贋物を売りつけたり、強硬に論破してみたりしていたぶることで快感を得ている。新人とはいえライバルと見ているのだろう。正面から戦えない相手には陰口攻撃を行うのが常で、趣味界が衰退することはチャンスと見ているのかもしれない。他人の不幸は蜜の味。だから、体が弱ってきたときやさしくしてくれる人すべてが善人とは限らないのである。きっと、「俺にお前の古銭を早く譲れ」と呪文を唱えているに違いない。 その点、うちの妻は古銭そのものに興味がないので私が病に倒れ入院してもまったく心配する様子もなかった。これは多分喜ぶべきことなのだろう。しばらくは、古銭趣味に集中できると思う次第である。 ※引っ越しをして3日目、Googleでようやくこの新URLがヒットするようになってきました。全体をスマホ対応に直したいところですが、しばらくは無理か。技術もないし・・・。容量が増えたので画像の大きさを気にしないですむようになったのはうれしい。 私の場合・・・収集はもはや病気であり、すっかり古銭バカになっています。HP更新ももはや儀式に近い?(仕事や家庭の憂さ晴らしです。) 情報の垂れ流しですから知らないうちに不快な思いをさせてしまっている事も多いと思います。(ごめんなさい。)古銭趣味者が若い人に広がればもっと楽しいのになあ・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月12日 【お引越】 今まで無料だったホームページビルダーの公開サイトが8月から有料化されます。どうせお金を払うのなら容量が大きいところの方が良いので、思い切って「ロリポップ社」のサーバーをレンタルしました。月額も安いし、年会費も不要。容量も今の500倍です。また、変な広告表示も要求されないので気楽です。これでOCN社にはじまり、ビルダー社を2つ経由して引っ越し3度目にして4つ目のURL取得です。メールアドレスも変えたいのですが、こちらは影響が大きく手続きが面倒くさいのでもうしばらくはこのまま。OCNの転居案内表示は残りますが、ビルダー(IBM)側は7月末で完全閉鎖されます。 OCNのときは有料で、一時期追加ディスク費用だけで毎月5000円近く支払っていました。それに比べれば今回の負担は10分の1以下です。 「ロリポップ社」については全く知りませんでした。社名だけ見るとなんかあぶなそうな気がするのですが、価格、容量などを総合比較して選んでいます。完全無料というのもあったかもしれませんけど、この方が私にあってそうな気がしました。 半徹夜で一気に作業しましたので眠いのなんの・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
気になるオークションがいくつかあります。他人の画像の使い回しらしきもの、ガラクタをさも高価なように装うもの・・・なかには犯罪すれすれというか、確信犯のものもあります。非常によくできた新作贋造の天保銭らしきものもあります。もともと贋造枝銭だったものをばらした品ですが、本物の母銭から昔ながらの方法で作ったのでかなり精巧です。私のHPにも類品が載っています(広郭手 粗肌無極印銭)ので探してみて下さい。参考品と考えるのなら一見の価値ある品です。かつて私は見事に引っかかりましたけど。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月9日 【再読、大英博物館所蔵日本貨幣カタログ】 入手したあと、ほったらかしになっていたこの本をひさびさに引っ張り出しました。この本には江戸期の日本貨幣を中心に展示があるのですが、その中核をなしているのが江戸期の大名コレクター、朽木昌綱公のコレクションです。 朽木公は江戸期収集界の頂点に君臨する人物だと思っています。(詳しくは泉家・収集家覚書のコーナーをお読みください。) 大名コレクターと聞くと、金銀燦然たる収集品を予想されるかもしれませんが、当時の主な金銀貨は現行貨幣ですし、時代によっては金銀貨幣収集は恥ずべき奢侈だと規制の対象にもなりましたので、彼の興味はもっぱら鋳造の東洋の古貨幣。また、朽木公の生きた時代(1750~1802年代頃)は寛永銭でいえば元文が終わり明和~寛政期で、鉄銭がかなり出回った頃。カタログ収蔵品には朽木公とは時代があわない文久銭や天保銭も多く含まれることから、朽木公収集以外の品物もかなり含まれていると思います・・・というより、こと寛永銭に限って言えば、???の品が多すぎるかも。 そんな気持ちでもう一度読むと・・・ 富本銭が3枚もあるのはさすが朽木公。割れているとはいえ手替わりまであります。皇朝12銭もひととおりあります。島銭がものすごくあるのがとても目立ちますが、やはりこれらは当時から奇異の目で見られたからなのもしれません。打製永楽、金銭や天正通寶、文禄通寶なども見えます。やはりこれらは当時から珍しかったのかもしれません。 さて、寛永通寶ですが、既述したようにこれがまぁ玉石混交もいいところ。少なくとも文政期以降の品は朽木公のものではなく、雰囲気的には雑銭箱の中身が混じったまま博物館に運ばれたのではと思う次第。 朽木公の時代、寛永銭は現行貨幣であるわけで、そんなものでも集めるというのはよほど資料的な価値が高いか、目を惹かれる変なものに違いありません。大きなス穴、鋳筋、星、月形など現代感覚で見れば屑に近い瑕ものが、当時の眼では奇異に映ったのだと思います。半意図的な?錯笵銭が多くみられるのも同じ理由だと思います。そんな中でも朽木公コレクションと思われるものはあります。 古寛永ではニ水大寶や背三、十三があり、沓谷の番銭や巨大な太細、水戸銭系の原母銭クラス(370番)が目立っています。 新寛永はあきらかにコレクションされた品と思われる朱書の残る母銭類と御用銭類が見事です。難波御用銭はこれだけ集めるということは、当たり前ですが当時から目立っていたのでしょうし、やはり御用銭は記念硬貨的な存在じゃないかなと思う次第。背十も背川もちゃんとあるのは同じ理由・・・あるいはやはり背文があるのは目立つからか?錫母が非常に多いのは資料として収集した証拠。そういう意味では密鋳銭もけっこう混じっています。安南寛永もありますね・・・永利手が模作寛永になっているのはご愛嬌。26㎜ある佐渡民鋳は地味ながらなんじゃこれ・・・と言った感じ。 そんななかに打印寛永銭が5枚もあるのは驚きました。やはりこれらは当時から島銭と同じ扱いなのかもしれません。こうなると絵銭から地位復活させても良いかもしれません。 よく見るともっと発見があるような気がしますが、英文ですし、残念なことにとにかく印刷の粒子が粗く、細部が見えず、目が非常に疲れます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「尖り千」は「とがり千」それとも「とんがり千」か? 自分の誤読を正すため、ときどき「古銭語事典」を眺めます。今日も変なものを発見しました。「古銭語事典」は「尖り千」を「とんがり千」と読んでいます。また間違えたと思い、新寛永カタログや新寛永通寶図会を開くと「とがり千」になっています。こういう時こそパソコン検索・・・してみましたが結論は出ない。 唯一、「とんがる」は「とがる」の俗語扱いらしいということが判明しただけ。「とんがる」はなまっている? 地元仙台の方! あなたは 「とがり」派ですか? それとも「とんがり」派? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東北の方から答えが返ってきました。やはり「とがり千」が主流だそうです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これは怖くなった方の負けです。私はすでにチキンです。それとも120万行こうか?(動けない!) 出品者はきっと腰を抜かしているでしょう。ちょっと膠着状態。みんな相手の出方を見ています。ついにきた120万円!出品価格の1200倍です。これは決まったか?!女房にこれはものすごい戦いだぞ・・・と言ったら冷たい目で見られた。もちろん、私が応札していたなんて言えません。 鉄人はまだ追いかけている。「鉄人正斎の名に懸けて頑張る」と言っておられたので気合が入っています。おう!ついに逆転。 ここでそろそろ割り込んでも良いのですが、世間に敵がたくさんできそうですね。やめときますはい。 動きが停まっています。決まったか。いや、まだPX氏が突っ込んできました。目が離せません。逆転です。 穴銭で100万円を超えるなんてめったに見られない勝負です。それにしてもすごい戦いです。制限時間残り3分。 PX氏強い・・・鉄人たちの巻き返しはあるか、それともやはり私が行くべきなのか? おっと、静かだったOY氏の攻撃が時間間際に炸裂。残り10分にまた戻る。PX氏も再アタック!これでまた延長です。これは時間攻めか? 入札件数も199回、いよいよ200回の大台になります。一瞬で206回・・・まだ攻防は続いています。OY氏は逃げきり態勢に入っています。 さぁ、130万円が見えてきました。超えたぁ! あまりの応札履歴数に、私の応札記録が消えてしまいました。(履歴が多くなると古い履歴は自動削除になるみたい。) 残り1分。逃げきりか? 10:48終了 応札回数213回 落札価格131万3000円。出品価格の1313倍。出品者は笑いが止まらないと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月29日 【額輪と接郭】 額輪と接郭はよく見ると非常に似ています。少なくとも拓本で見ると瓜二つです。しかし、たいがいの収集家は額輪と接郭を見るなり簡単に分類して行きます。それは鋳肌ややすり目の雰囲気が全く異なるからだと思うのですが、私の記憶が間違っていなければその昔、額輪は接郭の類として扱われていた時期があったはずです。製作は違っていても技法がほぼ同じと認定されたからだと思います。 銭文径を調べると額輪がおおよそ40.7~39.9㎜とばらつきがかなり大きく、接郭はおおよそ40.2~39.9㎜でそろっています。 本座銭に覆輪してそのまま写すと、おおよそ銭文径は40.6~40.7㎜になると考えられます。さらにそれを写すと銭文径は接郭と同じように40.2~39.9㎜㎜になるのでしょう。 ただ、気になるのは銭文径40.7㎜に近い大きいものと、銭文径40㎜未満の小さいものには肥字系が多く、40,2㎜程度のものに接郭様の本体が多いような気がします。これはあくまでもわずかな手持ち品の計測結果ですので何とも言えませんが、40.2㎜のものはなんとなく母銭の製作系統が異なる気がするのです。気のせいかしら? ※季節外れの風邪をひきなかなか治りません。今回の奴はやっかいそうです。今日は休日なので自宅静養。暇なので机の上を久しぶりに整理しました。雑銭に混じって貴重な長門の手本銭やら新寛永の母銭やらがぽろぽろ出てきました。アルバムから出してスキャナー撮影してそのままになっていたんですね。折二様、明和の俯永母銭や29mmもある立派な仰母の大様母も再発見しました。多いものでは密鋳4文銭は20枚近く転がっていました。アルバムも不知天保銭を除き中がめちゃめちゃなので整理したいのですがこれ以上気力がわきません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
薩摩広郭大字(深字濶字)のポイント(私のリクエストに応えて、Sさんから情報提供いただきました。) 天保通寶と類似貨幣カタログの26ページの拓をご覧下さい。 広郭の中でも郭が広い部類になります。 そして「濶字」と命名されたように全体的に文字が大きくなっています。 特徴は解説文にあるとおりですが、保字の口が縦に大きくなっていて、ホの右点が湾曲して長くなっています。 通字のマ頭の横引が太く長くなっています。しんにゅうの左下の先端が丸みを帯びて膨らんでいます。 寳字の前垂れは少し湾曲して王画にほぼ接していますし、尓画の右点が少し長めです。 次に背ですが、當字のツ画の上部に丸みがあり、前垂れが湾曲してほんの少し長くなっています。 花押の足の部分は太めです。 大通との違いは、大通はそもそも離足寳系のものですが、大字の寳足は輪にしっかりとくっついています。大字は細分類すると2~3種類あるようです。分かっているのは、當字の冠に広冠と狭冠があるということです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月25日 【西国合同古泉会大分大会】 九州の坂井様から7月に行われる第6回 西国合同古泉大会大分大会 創立50周年大分貨幣研究会記念大会の原稿が一足早く届きました。(ありがとうございます!)たまたま5月9日に秋田の次鋳銭について記述したからだと思うのですが、秋田寛永の計測実績も参考資料として加えて下さり、大変参考になります。ここで詳しく書いてしまうともしかするとご迷惑になると思いますので、秋田銭の一端だけご紹介。 秋田大字昂水の平均的な内径はおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は18.8㎜以下です。(坂井氏は標準銭の下限としています。) 秋田大字降水の平均的な内径もおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は18.6㎜で、坂井氏をして1品しか保有していないようです。 秋田中字昂水の平均的な内径はおおよそ19.2㎜前後。次鋳と思しきものの内径は18.8~18.3㎜までありました。 秋田中字降水の平均的な内径はおおよそ19.2~19㎜。次鋳と思しきものの内径は18.8~18.3㎜までありました。 秋田小字の内径は18.7㎜~18.2㎜、降寶は18.55~18.4㎜。サンプル数が少ないので何とも言えませんが、本体銭の差異は大きい。 中字の次鋳にあたるものの内径にかなりばらつきがありますね。鋳造品ですから明確な答えは出ないと思いますが孫写しの可能性まであります。銭径の小さいものは通常あまり顧みられないものですけど、内径の小さなものは別種として扱われても良いかな・・・と感じます。 ※ちょっとまとめると・・・秋田次鋳とすべきサイズは内径18.8㎜以下が目安。大字降水の次鋳は珍品みたいです。 大量見聞録の元祖の大西氏が収集誌に掲載された記事資料によると・・・(大西氏は外径と重量に着目し、内径値にさほどこだわりがなかったようなので、掲載品の数値を載せました。) 大字降水の内径は19.5㎜~19㎜。秋田中字降水(高寛)は秋田大字降水の次鋳ではないかと思えるほど似ている。 小字本体の内径は18.5㎜~18.2㎜。品質のばらつきは比較的少ない。母銭は超希少品で見ることも稀な品。 小字降寶の内径は18.8㎜~18.4㎜。本体より全体にわずかに大きい。 ※これを見る限り坂井氏の内径18.7㎜の秋田小字本体はかなりの珍品? なお、大西氏の記事中に特別の大型銭の示唆がありますが、その根拠は新寛永鑑識と手引に掲載されている125番の拓本らしく、どうも縮尺ミスが原因らしい。(123番は中字の誤掲載。)ただし、とてつもなく大きな母銭は確かに存在します。それがいづみ会の入門に掲載されている秋田中字母で、これは立派。(今月号の駿河にカラー写真掲載中。)現実に超大型の母銭が存在するのですから大型銭探しにチャレンジする価値はあるかも。 西国合同古泉大会大分大会平成25年7月6日(土)~(日)、別府温泉 豊泉荘にて開催されます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月20日 【ファビコン】 最近、ホームページの裏側のプログラムを勉強しなおしています。HTMLだとかCSSだとかやたらカタカナやアルファベットが飛び交う世界で、参考書を読んでも専門用語がわからない。表計算ソフトのエクセルのVBAのプログラムで少しは慣れている方なのですが、それにしてもこの世界は初心者には不親切です。検索しやすくするためのSEO(キーワード設定)とか、サイト内検索機能を付けたり、昨日は四苦八苦しながらファビコンと呼ばれるオリジナルマークの設定も行いました。だからどうなる・・・といったら何もないのですけど自己満足ですかね。 関西のSさんからネットに出ていたという福岡離郭濶縁の画像を頂戴しました。いやいや全然気が付かなかったです。 私は覆輪の長郭手をずいぶん高い価格で落としました。やりすぎてしまいましたが、久々の天保銭GETです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月18日 【方字の研究】 京都のT氏から非常にマニアックな計測表を頂戴しておりました。漢数字縦書きだったのでHP用に編集しなおしました。銭名はT氏が細分類用に名付けたもので正式な分類名ではないと思いますが(薄天保なる名称は昭和泉譜にみられるようですが・・・)、T氏(とそのお父様)は萩藩銭を愛するあまりに超微細な違いまで見分ける眼力をお持ちです。この表が送られてくるきっかけになったのは「雑銭の会」への投稿で、T氏が銭文径の異なる方字の存在を示したことからです。天保銭は鋳物ですから、鋳型の乾燥収縮など鋳銭工程で多少の誤差は生じますが、表示のように0.8㎜までの差があるとなるとさすがに誤差の範囲を逸脱していると感じます。実はその昔、天保銭人様から「方字には銭文径の小さい次鋳と思われる品がある。」と言われた記憶があります。この表を見る限りたしかに銭文径のばらつきは間違いないのですが、じっくり見ても法則性が良く分からない。1番の品の銭文径が最大級だったら「してやったり・・・」と思うのですけど、面内径(縦)が最少で面内径(横)が最大という不思議さです。このような形状が現れるのは覆輪変形のときなのですが、方字母銭が覆輪されているとは聞いていないので思考が迷宮に入ってしまった感があります。しかし、このバラバラの分布はいったい何を意味するのでしょうか?方字は法則がありそうで見当たらずカオスの世界です。 会津濶縁や接郭を計測していた時も似たようなばらつきはありましたが、なんとなくですが法則性が見出せました。それは覆輪による変形+写しによる縮小があると間違いなく考えられたからです。 方字は覆輪写しによる縮小ではなく、複数の母銭が鋳ざらいを受けながら繰り返し使用された結果だからなのではないか・・・ 覆輪と鋳写の変形が主役ではなく、鋳ざらいが際立っているからではないでしょうか?今の段階では考えるしかなさそうです。(歯切れが悪いなぁ・・・) もちろん、鋳写しがされた可能性は大きいとみます。下記の表は重量順に並んでいますのでそちらに目が奪われがちですけど、銭文径順に並び替えてみるとなんとなく見えてきそうな気もしてきました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※今日は子供の運動会。朝、5時前に起きて席取り・・・ところがすでに会場はビニールシートがいっぱい。3列目より後ろしかとれません。私の家の前の方は朝4時頃に行ってきたそうです。田舎人のパワーを見せつけられました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月17日 【著作権と所有権・肖像権】 会津濶縁との交換で月刊天保銭の合本復刻版(1~10号)をお譲りいただける・・・というお話が来てわくわくしています。月刊天保銭はどなたか全巻復刻版で出してくださらないかしら。それには著作権が問題なのでしょうが・・・。 私はよく版権と言う言葉を使ってしまうものの、法律用語的には死語だそうで、現代では著作権と言うのが正しいようです。著作権の有効期限は一般に作者の没後50年だそうで、今は1972年までに亡くなられた方の著作権がフリーになっています。(佐野英山氏あたりまでか・・・) 古銭の画像や古拓本を使用するときは、現在の所有者の了解を取るのが礼儀だそうですけど、コレクターの間を次々移動する古銭の場合は確認は実に困難を極めます。古銭には肖像権はなく、拓本についても「配列に特別な工夫がされた美術的な価値があるもの」でない限り、著作権は及びません。ただし、その拓本が出版物に掲載された場合は、所有者ではなく出版した人に著作権が発生します。所有権と著作権は全く別のものであり、個人情報でもないので、所有しているからその拓本や写真の掲載はNOだと言っても法的には何の抑制力もないようです。つまり、古銭については拓本や写真はとったもの勝ち・・・が法的な解釈らしいので、どこまで丁寧に所有者に対応するかはマナーの問題になるようです。(マナーについては私も気をつけなくてはと思っていますが、皆様にご迷惑をおかけしています。)私の所有品もいつのまにかいくつかの泉譜・カタログに掲載されていますが、残念ながら私にはそれに対しての請求権利はないのです。もっとも、掲載されているということは価値が高まったと、喜ぶべきことなのでしょう。 若いと思っていた私もだいぶポンコツになってしまいました。古泉界は絶滅危惧種なので、若手育成のため著作権の解放をすぐに行ってくれないものでしょうか?今のご時世。電子書籍化はどうでしょうか? ※撰銭2回目が完了しました。断佐はついに出てきませんでした。明和佐の画像マジックかしら。少し気力が萎えました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月15日 【サイト内検索】 HPの容量が大きくなりすぎて、自分でもどこに記事を書いたのか迷子になってしまうこともしばしば・・・。そこで検索の窓を付けてみることにしました。ネットで調べて見よう見まねでコードを貼り付けて見ました・・・が当然ながら初めはうまくゆかない。 サイト内検索のはずがネット内検索になってしまったり、文字が見えなかったり・・・。最も苦労したのが文字化けの問題。入力した文字が契丹の文字のように変化してしまう。HTMLソースを開いて、どこをいじればどのように変化するのかを検証しながらいじってみました。プログラムについてはその昔にはじめてコボルに触れ(もちろんお手上げ)、その後にIBM社の表計算ソフトのロータスに出会いプログラムのいろはを覚え、エクセルの登場によりVBAプログラムを勉強することになり、現在に至っています。HPは作っていますがHTMLプログラムについては全く勉強していませんのでいまだ素人です。 したがって格闘すること数時間。ついに文字化けの対策を発見して、ツールバーを出現させることに成功しました。(この程度で数時間もかかってしまうレベルです。お恥ずかしい。)これを契機にHTMLの勉強も始めようかしら? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月13日 【私の小字写し・・・どこに行ったか知りませんか?】 収集誌の落札品が届きましたがどうも変。覚えのない秋田の小字降寶が1枚混じっています。こんなもの落としたかな・・・あ、高津小字に応札したから高津小字降寶と応札を間違えたか・・・と妙に納得。いつもならこれで終わりにしてしまうところ、もう一度番号と品物を見直すと何かがおかしい。番号シールと商品名表示がずれています。あるいは誌上の誤植でしょうか? 結果として私の落札品が秋田小字降寶にすり替わった形です。収集誌だけでなく入札にやたらめったら手を出しているとこのような間違いは1~2年に1回ぐらい生じますが終焉まで結構苦労することがあります。番号通りの品が送られているので問題ない・・・はずなのですが、肝心の中身が間違っていると言っても信じてもらえずなかなか状況がうまく伝わらないのです。誤配でなくても誤鑑や表示ミスもときどきあります。面倒くさいので3000円以下はほおっておくことも多いのですけど、お金を支払って行方不明のままでは気分が悪いのでメールで連絡をしました。誰か私の仿鋳小字写しを知りませんか? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月8日 【世界のエツセン集3000未満・第一号】 穴カタの舎人坊石川氏からお手紙が来ていました。 現在、石川氏は「悦銭」情報集めと分類に奔走している毎日で、いよいよ世界のエツセン集3000未満・第一号を発刊する運びのようです。(しかも第2号にも取り掛かり始めたそうです。)それに伴い、歴史ある町「函館」で研究会を開催したいとのこと。忙しくなりそうです。 ※そういえば先日、鉄人も石川氏にコインコンベンションでお会いしたそうで、なんでも「とても面白い古寛永の発見」が縁だそうですが、〇〇正斎の泉号も授かったそうです。鉄人は近藤正斎の雰囲気があるとのこと・・・近藤正斎は北海道ゆかりの人物で、身の丈6尺を超える大男にして博学な人物。探検家としても一流で当時の交流を持ったアイヌからは神として崇められるような存在でした。「とても面白い古寛永の発見」の話も気になりますね。 ※朝5時前からたたき起こされて、気晴らしに更新作業をしています。これから出社。仕事と言えつらいですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※夕方、注文していた泉号印が届きました。今はインターネットで何でも注文できるので便利です。ベンジンも買いました。→ ハンコヤドットコム 雑銭の会の20周年記念泉譜の出品拓本もこれでとりあえず出来上がり。(印影は拡大。)拓を採るのは本当に大変ですね。入札紙を発行している方の苦労が良く分かりました。せっかく表がきれいに採れても裏で失敗し、表裏きれいに採れたと思ったら押印で失敗する。拓本用紙をずいぶん反古にしました。まだ、完璧ではありませんが集中力が続きません。血圧が最近不安定なので暇なときにまた練習します。それにしても以前、京都のTさんから頂戴していた天保銭専用のゴムマットは本当に重宝しています。改めまして御礼申し上げます。本当は拓本も公開しようかと思いましたが、まだ恥ずかしいレベル。ご覧になりたい方は「雑銭の会の20周年記念泉譜」が出来上がりましたらご購入申し込みください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月4日 【いざ鎌倉へ!】 本来ならば水天宮に行くべき日なのですが、家族の要請で鎌倉に行くことになりました。子供が鎌倉に興味を持っているということでの小旅行なのですけど、妻は「お父さんを連れて行ってあげる」んだそうです。我が子は鎌倉に新幹線で行く気だったそうで、京都と勘違いしていたみたい。 早朝に出発し、午前9時には北鎌倉に到着。北鎌倉駅は快速が停まるというのにホームの幅が2メートルぐらいしかありません。わが町のローカル線の方が立派かも。さらにホームのすぐ横に岩をくりぬいたトンネルが・・・これまたローカル。 駅のすぐ近くに教科書にも載っていた「円覚寺」がありました。想像以上に大きなお寺で、もちろん国宝の「舎利殿」も拝観。(特別に見せていたみたい。)朝早かったため比較的ゆったり拝観もでき、北鎌倉の風情も感じられました。しかし、門から出たところで大量の観光客に遭遇。すごい人並です。世界遺産の話題で人が押し寄せたか?(私らもそうです。)人の流れに乗って歩き、ハイキング大仏コースなるものを発見。女房は銭洗い弁天に行きたいといっており、このコースの途中にあることはガイドブックに載っていました。ただし、このコースは本当のハイキングコース。山歩きです。当然人の流れも少ない。いざ、山道へ・・・。道はかなり険しく、細い。なんとか登り終えると葛原岡神社へ到着。ここで食べた玉こんにゃくは安くてうまかった。そこからしばらく歩くと銭洗い弁天。手掘りの洞窟を抜けて不思議な空間へ突入。しかし、ここは銭ではなく芋を洗うがごとくの人の波。銭洗い場まではたどり着けず、脇の泉でやむなくキャッシュカードを洗う。なんでもこの泉は洗った金額を倍にして下さるそうで・・・。 続いては佐助稲荷神社。千本鳥居を上ると小さな社殿がありました。その脇からさらに上に向かって伸びるのがハイキングコースの山道。これまたきつい上り坂。鎌倉は高さは低いけど斜度の厳しい山が多い。だらだら広い房総丘陵とは一味違ったハイキングです。ようやく山を越えると鎌倉の大仏に到着。しかし、ここは今まで以上の人の波。げんなりして江ノ電で藤沢に行こうとしたら40分以上待たねば乗れない大混雑とか。 やむなく鎌倉駅まで再びとぼとぼ歩きはじめました。道に迷ったこともあり、一日で10㎞以上は歩いたと思います。観光らしきものは円覚寺まで。当初の予定は横浜中華街でお食事をしようと思っていたのですが、これ以上人混みを見るのはいやなのでまだ2時すぎというのに帰路につくことに決定。しめしめ水天宮に行けるチャンス・・・と思ったのですが、それを言い出す勇気がなかった。長谷寺の近くの骨董店で、鐚永楽を一枚だけ記念に購入したのがせめてもの抵抗です。あ~、疲れた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(注1)多くの泉譜では享保期説でしたが、宝永期の富士山噴火の遺跡からも発掘されているため、元禄期鋳造(1704年以前)がほぼ確定しています。なお、退永小通は寶のウ冠が郭の上辺に並ぶ昂寶なのが特徴で、このほうが分類しやすいです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月1日 【天保泉譜:初版】 インターネットで天保泉譜の初版物を入手しました。本来は文献コレクターではないつもりなのですが、この歴史的資料を一目見たい・・・と言うよりほかに追随する人が誰もいなかったのであっさり入手できてしまいました。状態も良さそうで四つ目とじ和本という最高級の装丁。まだ怖くて開けません。こいつはやはり収集アイテムかしら? 実はビニールに入れて全く手を付けていない新品の本が2冊あります。新寛永通寶図会と古寛永泉志です。これらは手持ちのものがボロボロになったら交換しようと昔数あるうちに求めたもの。手持ちの本はボロボロなんですけど、もったいなくて開けなくなりました。その他には新撰明治銭譜、天保銭図譜の昭和10年版、竹四郎譜や村上譜もほとんど開いたことがない美本がかなり増えてきました。もともとお持ちになっていた方が大切に保管していたものばかり・・・触れません。う~ん、私も立派な文献コレクターになっているかもしれませんね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月30日 【良い子の拓本教室】 まずは拓本セットを買いましょう。古銭店で買うのが良いと思いますが、私はネットで買いました。 → TOMONARI → ユニカ ※はじめての拓本セットが3990円でした。これはお買い得。ただし、全く使用しないもの(釣鐘墨・蝋墨)も入っています。 次は拓本の採り方のおさらい。 → 岐阜古銭堂 拓本セットもヤフオクで売っていると思います。 → オレンジ猫のページ 古銭関係の本では「方泉處22号」に記事が掲載されていますが、これはちょっと希少本かも。 私の採り方 ①古銭をゴム台の上に置く。 ②裁断した拓本用紙(画仙紙)を古銭の上に載せる。(位置決め) ③濡らした筆もしくは霧吹きで紙をしっかり濡らす。 ④太めの筆で空気を追い出しながら端の方から用紙を圧着。(ここがポイント!) 注1) ⑤ティッシュ一枚を2つ折りにしてかぶせて大き目のタンポで何度か押し圧着して水分を取る。ティッシュをはがすときに注意。注2) ⑥ティッシュの位置を変えて、大き目のタンポで押し、余分な水分取りを繰り返す。紙の表面が白くなってきたら準備OK。 ⑦拓本墨を小さなタンポに付ける。小タンポについた墨をさらに中タンポにこすり付けて墨量を調整。あまりつけすぎない方が無難。 ※これを合わせタンポと言うようです。 ⑧私は中タンポで拓を打つことにしました。これは好みの問題かな?大きいのだと少し傾いて打つと周囲まで染めちゃうことがあるから。 ※コインフォルダーのセロハンを除去したものでガードする方法もあります。 ⑨はじめは慎重に、やさしく。決してタンポを傾けず文字、輪、郭を少しずつ染めてゆきます。30回以上は叩くかな? ⑩表の拓本が採れたら雑誌などに挟んで余計な水分取り。しわを伸ばします。注3) ⑪少し乾いたら裏側も同じ要領で拓本採取。 ⑫採れたらまた雑誌に挟んで今度は本格的に乾かします。しわに注意しましょう。 ⑬昔はアイロンで仕上げたこともありました。邪道かしら。注4) 私にとってのポイントは ④の空気抜き と ⑤の余分な水分取り。これさえうまくゆけばあとはタンポにつける墨の量と叩きムラさえなければ出来上がるはずです。タンポや墨が新しかったりすると、初めは苦戦するかも。安い古銭で練習するのが良いかもしれません。 京都のTさんからコツの伝授がありました。(ありがとうございます。試してみましょう!) 注1)小筆を使い中心から放射状に水をつけると空気が入りにくいようです。 注2)ティッシュを折り畳んだものを芯にした使い捨てティッシュ製タンポを複数つくっておき、それで余分な水分取りをします。天保銭1枚でティッシュタンポ3個ぐらい使います。 注3)コーヒーカップ用のホットプレートがあればタンポを乾かして何度も再利用できますし、冬に墨が固いときはここで温めれば墨が緩みます。 注4)作業後に、ティッシュにベンジンを含ませてクリーニング。数回でティッシュが黒くなり、ぞっとするそうです。ベンジンは口の小さな容器に小分けしておくと使いやすく便利。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月28日 【拓本と格闘】 酔っぱらって帰宅して拓本採りの練習。相変わらず満足ゆかない。細郭手異書体の拓を私が採ると本座細郭に見えてしまうから不思議だ。少しコツがわかってきた。最初に古銭に拓本用紙を載せてから濡らした直後の空気抜きが大事みたい。端からたっぷり濡らしてスポンジで空気を追い出すように密着。仕上げは大きな筆で細部が浮き出るように押してみる。合せタンポで墨を調整して・・・でもなかなか調整が難しい。打ち方もいろいろ工夫してみたものの、昨日採ったものの方がきれいだったという残念な結果でした。インターネットで調べて見たら、どうも墨の質が違うみたいです。ティッシュで油分を抜く・・・たしかに購入した墨はものすごく濃い墨汁みたいです。しかし、ティッシュで油分を抜いたら無くなってしまうのではないかと思えるほど量がないのです。練習はもう少しこのまま頑張ろうと思いますが、良い墨があれば購入するのも一手でしょうか。腕が悪いんじゃない、墨が悪いからだ・・・ということで本日も終わり。 拓本を採ったら篆刻の印を押したくなって、はんこ屋に発注してしまいました。本格的な印はもったいないので、四角い認印をオーダーメイド・・・それでも3000円もします。ただし、肝心の拓本がこれじゃあね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月27日 【拓本にチャレンジ!】 雑銭の会の20周年記念泉譜のため拓本セットを購入して以来はじめて挑戦。拓本は今から20年以上前にやはりセットを買って練習をした覚えがありますが、拓本用紙がなくなってからやめてしまいそれっきり。久しぶりの再開ですが・・・やはり下手!「下手な拓本数うちゃ当たる。」とばかりに頑張りましたが無駄打ちばかり。すっかり肩がこってしまいました。はじめは寛永銭の錯笵類にチャレンジしていましたが、拓本自体が錯笵になってしまいます。やむなく採拓が容易そうな天保銭に変更しましたが、特徴のはっきりしないものは腕がないから美しくありません。 夕食後、再チャレンジしていましたが、小学5年生になる子供が興味津々。私もやると言い出しました。風呂に入ったばかりだからとか、この古銭は高いから・・・といろいろ説明したもののやる気満々で背後に居座るので選手交代。琉球通寶の面側を仕上げてご満悦です。 これを機に古銭に興味を・・・持つはずないですね。親としてはあまり持ってほしくないな、やはり。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※仕事で使用しているサーバーがDOWN!データが3年分飛びました。まだ、2年半しか使用していないのに・・・。ハードディスクが2つともダメなんて信じられない。安全のためにバックアップしていたのに予想外です。今年は厄年です、天中殺です、さっき車もぶつけました、なんて日だ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月21日 【問題・・・次の読みまたは意味を答えなさい! ①跪く(読み) ②跼る(読み) ③跛(読み) ④尨(意味)】
面白いのは幅を表わす漢字の組み合わせが縁・穿・郭・文字でそれぞれ微妙に異なること。合理主義的な読み方をしていた古泉界にしてはかなり不統一ですね。 そして古泉界専用の漢字・難読漢字もオンパレード。ワープロの変換で出てこない文字には苦労させられます。左の表でも濶・俯・昂・刔・勁・萎なんてまず普通は使わない漢字ですよ。 他にも以下のような難しい漢字が出てきます。 蜒(エン) 婉(エン) 刮(カツ) 篏(カン) 瑕(カ きず) 跪(キ) 跼(キョク) 洽(ゴウ) 緡(コン・さし) 尓(シ・ジ) 遒(シュウ) 辵(チャク) 鍮(チュウ) 珎(チン) 跛(ハ) 跋(バツ) 孕(はらむ) 笵(ハン) 鐚(びた) 仿(ボウ) 尨(ボウ) 縵(マン) 幺(ヨウ) いずれも手書き入力パッドがなかったらお手上げの漢字ですね。 ①跪く(読み) ②跼る(読み) ③跛(読み) ④尨(意味) 答えが知りたい方は以下のスペースをカーソルで反転させてください。答えが見えます。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月20日 【美しい日本語】 最近は古銭用語の基礎知識の修正に躍起になっています。と、いうのも私自身の読み間違いがあまりにも多く、勉強のし直しが必要だから。しかし、子供の頃に覚えた誤読は、理屈では分かっていてもなかなか治らない。これについては古銭界も迷走していて、例えば「内跳寛」の読みも古銭語事典では「うちばねかん」、古寛永大分類の手引きでは「ないちょうかん」で一致しません。日本語の美しさでは「うちばねかん」の勝ち!しかし、「直跳寛」の読みにはちょっと困る。訓読みの「なおばねかん」では意味が分からず重箱読みの「ちょくばねかん」もいまひとつ。「ちょくちょうかん」の方が通りもゴロも良いのです。古銭語が不安定なのにはいくつか理由があります。 ①漢字には音と訓がある。 もともと日本語には文字がなく、中国から輸入した漢字を使用しています。漢字には中国語特有の音読みと日本語の意味を割り当てた訓読みがあります。読みが2つある以上、統一は難しいのです。 ②漢字は表意文字であり、音表現よりより文字そのものの意味が重視された。 漢字は象形文字からの発展なので漢字にはそれぞれ固有の意味があります。アルファベットのような表音文字ではなく、表意文字である以上、読みの違いには寛大になります。(極論すれば読めなくても意味が伝わる。)良い例が「日本」の読み。自分の国の名前が「にっぽん」でも「にほん」でも良いとは日本人はなんと寛大(いい加減?)な民族なんでしょう。 同じ理由で日本語には漢字の前後を入れ替えたり(情熱 → 熱情)、同意漢字に置き換えたりとやりたい放題です。 ③連濁など日本語特有の変化がある。 日本語には二つの言葉が結び付いて熟語化すると濁音化する連濁という特性があるのですが、明確なルールがないので難しい。「餅:もち」+「米:こめ」=「餅米:もちごめ」が一例。古銭用語の「手」の読みなどは「て」「で」で一定しません。もともと「て」であったのは間違いのないところで、連濁によって「で」が現れたと考えられるのですが、とにかく一定しない。私は「伏見手」を「ふしみて」読み「不旧手」を「ふきゅうで」と読んでいますが、正しいかどうか・・・。 ④複雑な文字置換の変化もある。 古銭を古泉と表記するのが代表的。この場合は画数の多い字を発音の同じ他の文字に置き換えてしまった例。これは音による置き換えで、合理的な方法。銭より泉の方が簡単でなじみ深いからか?ほかにも鋳造において画数の多い文字は省文といって略すことは良く行われました。 反対に、元の意味に戻す例もあります。寶の王を玉に換えて「ぎょく」とする例(反玉寶:はんぎょくほう)です。もともと寶の王は財宝を表わす玉の意味だったので王を玉に換えてもなんら問題なしというのが理屈らしい。これは語調整えの影響もあります。 ⑤音をそろえる傾向がある。 これは古泉界特有の癖だと思うのですけど、細字を「さいじ」と読むのは、細縁や細郭と音を合わせていると思います。「深・浅」は徹底して訓読み。深字(ふかじ)は間違っても「しんじ」とは読まない。(注)読みが統一されていれば乱れも少なくなり、ある意味では合理的ともいえる措置かもしれません。一方で日本語として変な読み方も・・・。かくして古銭用語には音訓が入り乱れ湯桶読みや重箱読みもオンパレードです。 (注)新寛永通宝カタログはなんと「しんじ」のルビがありました! ⑥誤読定着もある。 代表的な誤読のひとつが「良恕:りょうにょ× りょうじょ〇」。歴史的には「りょうじょ」が正しいのですが、古銭界では「りょうにょ」の読みの方が依然強い。富本銭が出土した時にさかんに厭勝銭(ようしょうせん)という言葉がテレビに出てきましたが、正しくは(えんしょうせん)です。今はかなり訂正されています。いずれも有名泉家が間違えたり泉譜に誤った記載がされたもの。これらは速やかに訂正されるべきだと思います。和同開珎「わどうかいちん」も実に怪しいと思いますが、なにせこちらは歴史が古いから・・・。 結論・・・読みの完全統一はかなりむずかしい。少なくとも濁音の有無統一は無理だと思うのです。ただし、誤読だけは恥ずかしいので直した方がよろしいと思います。そのうち細字の「ほそじ」、深字の「しんじ」も認められるような気がします。 ※ネットに反玉寶が出ていました。ただし実に怪しいものですね。結局取り消されたみたいですけど。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月18日 【本邦泉家泉界祝寿記念銭拓集】 インターネットで変わったものを落としました。本邦泉家泉界祝寿記念銭拓集は駿河貨幣研究会の康泉こと山本康介氏が1988年に上梓したもの。製本が立派で新寛永拓影全集(1988年発行)によく似ていると思ったら、製本に竹田四郎氏がかかわっているそうです。 中には全国の泉家・泉会のつくった記念銭の類がたくさん載っています。記念銭のルーツをあえてたどれば上棟銭なのでしょうけど、純粋な記念銭としては民間が金属を容易に入手できるようになった明治後期頃がせいぜいでしょうか? 手持ちの文献で確認できる年号の記された最も古い記念銭(絵銭・上棟銭を除く)は明治40年の富士山登山記念と富士山電信開通記念のもの。(昭和泉譜ほか)これは今なら記念メダルに相当し、メダルに馴染のなかった日本人が絵銭としてつくったように感じます。刻印銭では大正2年のクリーブランドとの姉妹都市提携記念のものが年号確認できるものとしては最も古く、こちらは寛永通宝の周囲に刻印が打たれています。(社寺福銭・上棟銭記念銭・代用貨銭譜:2007年3月7日の制作日記をご参照ください。)泉家の祝い銭としては、昭和7年の平尾賛平氏のものが最も古そう。泉家個人の祝い銭の最盛期は昭和40年代から50年代にかけてで最近はほとんど聞かなくなりました。還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿といった長寿のお祝い・・・というのもめでたい反面、記念品に祝い銭をつくって配るのは道楽と言われそう。もらった方も扱いに困る。そもそも長寿記念銭自体が歴史的にさほど古いものではなく、それも一時期的な流行りものだったような気がします。 役に立たないものを集めて自慢するのは自己顕示欲・縄張り意識の強いオス特有の行動。ましてや自分のためにお金をかけて模造コインを作って配るなんて酔狂以外の何物でもありませんので女性には理解できないと思います。 そういえばH氏が遊郭の記念銭をさも愛おしそうにしてましたっけ。昔の真鍮質でなかなか味があるのですが、文鎮にもなるようにと分厚い作り。文鎮が文房具としての主役としての役割を終えてからこの手の鋳物は行き場を失いました。 私としては古の泉家の足跡に触れることができたら面白いと思ったもの。古泉家の素顔や歴史について言及して下さればもっとありがたかったのですけど、なかなかの力作本です。この本自体が山本氏の記念銭だと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月17日 【撰銭の仮決算】
銭の山を少し見直したら真っ黒な重揮通背仙が出てきました。したがって今回の撰銭はひとまず終了。時間を見てきれいなやつを分離するぐらいでしょうか。撰んだのは右の表のとおり。最初は珍品狙いでしたがなかなか出てこないので途中から銅替りや大様銭、美品を漁っていました。したがって撰り残しもたくさんあると思います。とくに不旧手の類はたくさんありましたが、伏見銭の類はかなり見逃しています。異爪寛はなかったですね。荻原銭と座寛は多かったのですけど、特筆するような美品はなく、少し銅質が白っぽいものだけ別抽出。明和期の小字は10枚以上ありましたが中字以上は1枚だけ。背佐も複数枚出てきましたが、みんな状態が悪いので割愛。25.65㎜の縮佐は割れてなければ嬉しかった。大様銭の類は目立たない雑銭ですけど探すとなかなかありません。 やはり、大きくてきれいなものは拾っておくに限ります。古寛永は御蔵銭も2枚だけ出てきましたがいずれも並以下の品でした。残念ながら古寛永にはあまり見るべき品はありませんでした。 見落としもいっぱいあると思いますし、再度の分類をするのも良いのですが楽しいながらもとにかくこの作業は疲れますね。本当は銭種ごとに細かく分類すれば良いのでしょうけど、家が汚れるから家族に嫌がられます、それと作業中に2匹の猫が邪魔しに来ます。 収支決算的にはビミョーで元はほぼ取れなそうですけど、楽しめたから良しとしましょう。 ※そういえば断佐がまだ行方不明でした。探さなくちゃ・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月10日 【奮闘中!】 表示ずれの修正を開始しましたが、なかなか進みません。現在、ようやく文銭の中字に入ったところ。おそらく数か月かかると思いますし完全には修正できないかもしれません。微妙なずれは修正後でも生じています。 古銭用語の基礎知識はレイアウトが完全に破壊され、修正はまる2日がかりでした。寝不足でつらいのでちょっとペースダウン。見づらいかもしれませんがお許しください。 ようやく対処法が判明。この障害はWinndows7のOSにIE10をインストールすると生じる障害みたいです。IE10は既存ブラウザの動きを軽快にし、文字を調整して大きく表示するため、読みやすくなることもある半面、動かなくなったり、レイアウトが崩れる現象が起こるみたいです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月8日 【大規模障害発生】 障害はインターネットエクスプローラーをバージョンアップした瞬間に発生しました。(現在ご覧になっているパソコン等の機種によっては障害が出ていないケースもあると思います。)このHPはホームページビルダーの機能・・・どこでも配置モードを使用して編集しています。この機能は画面全体を絶対座標としてとらえ、その座標上に文字や画像を配置して行くというもので、見た目通りにHPを作成できるというすぐれた機能を持っています。文字と画像を自由に重ねることが可能で、画像に説明などを直接載せられるので何かと手軽で便利なのです。 一方でこの機能には以前から多少問題がありました。 ①フォント種類の少ないパソコンで見たり、文字サイズを大にすると表示がずれること。 ②パソコン画面が小さいと表示ずれが起きやすいこと。とくにマートフォンで表示位置がずれること。 ③HTMソースが未整理なので、容量が大きくなりがちなこと。 ①の現象は初期のころから気づいておりましたが、文字サイズを中以下に設定すれば問題はほとんど解決します。 ②はスマホの登場で問題が発生。私のHPは大きいのでスマホ向きではないと割り切っていましたが・・・ ③は見る側にはほとんど問題にならないこと。 今回の障害は配置座標が表示フォント(文字種・文字サイズ)によって微妙にずれる現象が私のパソコンにも及んだということ。今の状況は作成した画面がプレビュー通りの表示にならず、微妙にずれてしまうという現象に悩まされています。作成中の画面とアップロードした画面が微妙に違うのです。しかも困ったことにアップロードしてみなければどんな障害になっているかが判らない。アップロードするためには作業を保存しなければならず、作業を保存するということは不具合があってもデータが上書きされてしまうので後戻りができないということ。 実際に生じている障害は・・・ ①文字位置がずれ、他の文字や写真と重なって見えなくなってしまう。部分的にはレイアウトが壊れてしまう。 ②イベント(文字や絵の動き)が発生しないことがある。(リンク表示がされないこともあるらしいのですがまだ未確認。) ③行間表示がずれてしまい、むらのある文字配置になったり、行間が狭まり読みづらくなる。 気づいた点は以上です。実際に2008年以前の制作日記を開いてみて下さい。文字重なりが発生している可能性があります。 対策は二つ。 ①編集モードを変える。どこでも配置モードをあきらめ、標準モードで作成しなおす。 ②画面の要素を表に配置しなおす。 本来なら①が望ましいようですけど、これは全面的な作り直しになってしまいますので今の私には不可能に近い。 ②の作業も①ほどではないものの時間がかかります。コツコツやってゆけば何とか対応できるか?実際に作業してみましたが1Pなおすのに1~2日はかかります。これは大変なことになりました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4月1日 【見つからない・・・】 12キロの寛永・・・手早く処理したせいなのか、見落としがあったようで第一回の選りで三種のポイント銭が見つかりませんでした。 ①背仙 ②背断佐 ③朝鮮通寶 です。朝鮮は価値的にはないものの画像で目立ったものなので見落としたのが不思議ですが、最初の頃はざっと見ていたので・・・。 背仙、断佐を見落とすとは信じられないのですけど、反対側の状態が悪いときは選ばないのであるいは・・・ということもあります。その他のポイント銭は見つかりましたが、中級以上のものは皆無ですし、古寛永はほとんどが割れ、欠け、歪み、スアナの劣品だったので残念ながらこの古銭はすでにざっと目を通されていた可能性が高いと判断できます。丸屋、文銭と座寛が同じ緡から大量に出てくることはあまりないと思われることも理由の一つ。ただ、関西方面(京都)の出であるというふれこみの通り、荻原銭や不旧手の山城系、背元、難波銭はかなり目立ちました。一方で東北と推定される日光銭が1枚というのはまだしも、関西の鋳造である和歌山は2枚、一ノ瀬に至っては0枚というのはかなり不可解。やはり選ばれている? 詳細見直しには2週間ぐらいはかかるかな。ちょっと退屈な作業になります。(現在はやる気なし) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月28日 【撰銭格闘記・・・初日は空振り】 12㎏の寛永銭が来ました。ずっしり重い。梱包をとくと藁屑とほこりにまみれた雑銭の山が見えます。期待を込めて撰銭を開始しました。出でよ…島屋文。多いのは異書の類と不旧手の類、背元、秋田、背足、背長など。元禄荻原銭・亀戸銭の類も目立ちます。座寛はけっこうありますが四ツ寶の類は少ない。しかし、歪み、ヒビ、欠けなど状態の悪いものが多い・・・かなり不安です。 画像で確認していた背仙・背千母・蛇の目は・・・出てこない。それどころかまともな四年銭も御蔵銭も出てこない。あっても欠けた屑銭です。いやあ・・・これは期待外れ。半分ぐらい選ったところで本日はオシマイにしましたが、収穫はほぼ0。やられてしまったのかしら。(輪の欠けた十万坪白銅、輪十、状態の悪い延尾永小字1枚、ス穴のある高田肥永小字があったぐらい。)これで画像で確認した3種が出てこなかったら立派な詐欺だぞ!・・・とぶつくさ言いながら明日に期待。きついなぁ。 ※現在、約半分を第1回目調査中、御蔵銭1枚(ヒビ)、延尾永小字1枚(スレ)、輪十1枚は確認。その他の品はまだ見当たらない。非常に不安になってきました。出品画像(合成編集)の段階でこれだけバラエティに富んだ顔をしていたので期待していたのに、今のところ大外れ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月27日 【ちょっと不思議な江戸時代の勘定】 文献写真を見ていたら「永〇〇文」などの文言を見つけました。永楽銭〇〇文のことなのかな・・・と思いましたが、時代があわない。(お断りしておきますが私は古文書の類は全く読めません。読める文字で判読しているだけです。)調べると江戸時代の金銀貨は四進法だったので金一両を計算用に永1000文として計算をしたそうなのです。永勘定の永の文字はやはり永楽銭から由来しているようです。いわば永は仮想通貨で、永一文は1000分の1両と言うわけです。一両は大きすぎる単位なので計算しやすくするための工夫。あとはこれに両替率をかけるだけ・・・。けれどもこれだと一朱は永60.25文となりちょっと半端ですね。 実は江戸時代の計算法にはもうひとつ重要なものがありました。それが九六勘定と呼ばれるもので、銭96文で100文と計算したもの。 96を因数分解すると2×2×2×2×2×3ととても素数が多い。4でも3でも割れるので何かと便利なのです。一両4000文とすると、九六勘定では一両3840文、一分は960文、一朱は240文、小数点以下の端数はでませんね。 インフレでは一両6800文になっても、一両6528文、一分は1632文、一朱は408文、多少面倒ながら上手くできています。実際はバラを数えることなく、96文=100文ですから、一両は銭緡68束、一分はその4分の1で1700文で17束、一朱はさらに4分の1の425文なので4束と25文・・・そうか、一朱は端数が現れるので九六勘定で単純計算した一朱408文と実数計算で求めた96×4+25=409文が違ってしまいました。アバウトのようでなかなか難しい。慣れていたのでしょうけど、江戸時代の商人の計算力はすごいものがあったみたいです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月25日 【雑銭買いの銭失い】 久々にネットで雑銭買いをやらかしました。京都から出たという12キロ。推定3700枚ぐらいか?いままで大量購入していい思いをしたことがありませんので私としては大冒険なのです。過去にもとをとったことはありません。ほとんどが選り出し済みだったり焼け銭でした。それどころか私はまだ島屋無背さえ選り出したことがないのです。 しかし、今回は勝算はあります。画像段階で背千母銭・蛇の目・断佐・背仙・白目中字等を確認済み。 はっきりしないものの輪十の通横打ちらしきものも見えます。古寛永も多く御蔵銭などはぽろぽろ出てきそうです。しかし、古寛永、文銭から鉄銭母までずいぶん内容がバラエティに富んでいて逆に不安になります。撒き餌・コマセかもしれない。個人的には収集家が中級クラス以上を分けていたものが偶然混じったのだと考えたい。(願望) 1枚30円で計算すれば安い買い物なんですけど、元はなかなか取れないでしょう。(弱気!)でも久々のチャレンジャーです。いでよ島屋文! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月22日 【地名は生きている】 実は私は郷土史に凝った時期がございまして、地域の史跡、伝説、歴史人物など片っ端から調べて勢い余って町から声をかけられてミニ講座を開いたこともあります。今思うと地元の郷土史研究家の前で発表を行っていたわけで、赤っ恥をかきに行ったようなものでしたけど、まあ、良い経験になったと思います。神社に残っていた算額を現代数学で解く(証明する)ことができたときは本当に感動しましたっけ。(徹夜しましたけど。) 地名や姓はそんな調査のときにとても役立ちます。古い地名には必ず何かの意味があるのです。同時に誤伝も多いので注意が必要ですけど。御蔵銭が浅草橋場ではなく蔵前(浅草御蔵)でつくられた・・・と推理したのは天保銭人。かの地にはその昔江戸幕府の年貢米を保管する御蔵があり、その西側の地を蔵前と称したそうです。さらに歴史をひもとくと浅草御蔵の地は鳥越神社の社領地であった丘陵を拓いたものだそうで鳥越銭と御蔵銭は兄弟みたいなものですね。江戸時代は新田開発や大火などで町編成がたびたびおこなわれていて、御蔵の地名も移動された・・・のではと思います。このあたりの記事は収集の「仙人が行く」に記載されていたように思いますので、私の書くあやふやなことは話半分で・・・。 ※私の住む近所に難読地名として百目木・廿五里というところがあります。それぞれ「どうめき」「ついへいじ」と読みます。百目木の近くには大きな川が流れていて、その川が「とうとう」と流れるから十々目木・・・十×十は百だから百目木という嘘みたいな話。とどろく→ 等々力も同じ語源みたいです。 一方、廿五里は複雑で、やはり由来は川。 川の近くで湿った地を乾かして農地にしたから露干地、あるいは土手(堤防)を作ったから築地・・・のいずれかが読みの由来。その昔は津以比地と書いたそうですから、多分前者がより近いものだと思います。廿五里の書きの由来は、古説では鎌倉から二十五里あるからと言う言い伝えがありますが、実は古代の里程にあわないことがわかっています。隣の市に廿五里(つうへいじ)という地名がありそこは戦国時代に通平寺氏の所領で通平寺というお寺も廿五里城もありました。私の調べではどうもわが市の「ついへいじ」はその廿五里(つうへいじ)の漢字の書き方・読み方・伝説を頂いてしまったような気がします。(どちらが本家かわかりませんが、)他にも分目(わんめ)とか小田部(おだっぺ)などという田舎発音丸出しのはずかしい地名もあります。こんなこと昔は一生懸命に本を調べていたんですけど、今はインターネットで一発で調べられます。便利になったものです。 ※今のパソコンは一発でこの難読地名を変換しました。驚きです! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月20日 【天保銭雑事 到着】 天保銭雑事がさっそく届きました。B5版より小さくて(A5版でもない!)無タイトル、ページ数表記もないのですが、400P以上はあると思われ昔の電話帳以上の厚さがあります。表紙や背は手作り製本風ですけど、天地や小口はしっかりそろっています。書店主は2冊保有しているということですから、もう一冊の背か表紙にタイトルがついているのかもしれません。奥付はたしかにありません。 中を開いてみたら一目瞭然・・・大橋義春氏の見覚えのある独特の文字がならんでいます。大橋義春・当百銭研究分類譜(天保堂・復刻版)をとり出して比較してみましたが配列も銭図数も異なります。ところどころ空欄もあっていかにも拓本を貼る前、完成前と言った雰囲気です。また、拓本用紙をそのままコピーした痕跡も残っています。貨幣誌や破草鞋(はそうあい)の記事の写しなどが挿入されていて、手作り感があります。推定ですがこれは昭和13~19年にかけて200部ほど制作されたという当百銭研究分類譜の元稿、あるいは編集前の原本の写しではないでしょうか。 ※天保銭人もこの本を所有されているそうです。(情報提供ありがとうございます。)ただし、表紙は緑色とのこと。天保銭雑事はやはり大橋譜の原本の復刻版ではないかとのことです。詳しいことはまたご提供頂けるようですので・・・。 よく見ると手書きのページカウント記入がうっすらとあり505Pに及ぶと思われます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月18日 【天保銭雑事】 ネットで古書を徘徊していたら「天保銭雑事」なる書名にひっかかりました。おおかた天保銭事典(瓜生有伸著)の間違いだろうと通り過ぎようとしましたが妙にひっかかります。念のため書店にメール問い合わせをしました。以下、メールの本文です。 「天保銭雑事についてお答えします。瓜生有伸氏の天保銭事典とは違います。私も2冊所有しておりますが天保銭事典よりも厚く、但しソフトカバーです、天保銭の成り立ち、から各藩の地方貨まで解説したものです。私も古銭店などを巡ってもこの2冊しかみたことが有りません。天保銭事典より古い編集のものです。古銭研究には非常に良い参考書と思います。奥付がいずれも付いていないのでわかりませんが、おそらく原本はあろうかと思います。」 古銭店を巡るとはもしかすると店主は古銭マニアか? 雑事とは「ぞうじ」・・・雑多なこと・・・なのでしょう。枕草子にかけたのでしょうかね。古本屋にあるぐらいですからちゃんとした製本でしょうけど見なくちゃわかりません。さっそく注文してしまいました。お金が飛んで逃げてゆきます。 奥付もないとなれば作者もわからない。古い私家本かしら。この本の由来についてご存知の方・・・お教えください。 ※書店主の名前をネット検索してみたら・・・古泉研究会にどんぴしゃ・・・会長さんだったのですね。失礼いたしました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月16日 【反玉寶の情報】 旧:貨幣誌(復刻版)をひもとくと反玉寶の記事はいくつか出てきます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泉譜等ではどうかと言うと・・・ 昭和8年刊行 平尾賛平 昭和泉譜 に南部天保として鋳放の拓図があります。 昭和10年刊行の小川青寶樓 天保銭図譜 では不知銭の冒頭に長郭覆輪として掲載(格付5位) 昭和31年の勢陽古泉会版 天保泉譜 では石ノ巻銭として7図が掲載(格付4~5位) その底本と言われる大橋義春 当百銭分類譜 には石巻銭として5図が掲載 昭和37年刊行の 天保通寶鑑識と手引 では石ノ巻として5図が掲載。ここには仕上げ細縁と覆輪刔輪銭が載っています。(格付4~5位) 昭和50年刊行の小川青寶樓 新訂天保銭図譜 では仙台銭に包括されて2図が掲載。(格付2~5位、勇字は別炉だと思います。) (石ノ巻に鋳銭の事実がないことが判明したことによる変更です。) 昭和51年刊行の瓜生有伸 天保銭事典 でも仙台藩銭として4図が掲載。(格付2~3位) 贋作が多くあること、通用仕上げの小さいものは製作過程や金質などに疑問があり同炉ではないと断定しています。 昭和58年刊行 瓜生有伸 幕府諸藩天保銭の鑑定と分類 には昭和49年に実施された 石巻鋳銭場展見学と現地古泉会交流によって、石巻において天保銭鋳造の証拠は見つからなかった(佐々木治郎氏のレポート)点が記述されており、その行程に小川青寶樓氏が同行したことなどから、青寶樓氏が石巻銭から仙台銭に戻した理由が分かります。 同じく昭和58年刊行の 瓜生有伸 天保通寶母銭図録 にはほぼ同じ資料とともに、驚くことなかれなんと反玉寶彫母銭(削頭尓)と母銭が2図掲載されています。この彫母銭は平成7年刊行の 瓜生有伸 当百銭カタログ にも顔を見せますが、個人的にはいくつか不可解な点が残ります。 ①幕府諸藩天保銭の鑑定と分類において瓜生氏は反玉寶は加刀ではなく「湯走りの具合で自然的に反玉寶になっていた」とありますが、天保通寶母銭図録においては「寶が反玉様に加刀されている」とあり矛盾があります。これは記事作成の期間に時間差があるかもしれませんので、見解が変わったとも考えられますが・・・ ②天保通寶母銭図録に掲載されている彫母銭(削頭尓)には輪の刔輪変形が確認できないこと。 ③天保通寶母銭図録に掲載されている母銭のサイズでは、通用銭をつくると小さくなりすぎること。 の2点はやはり不可解。瓜生氏ならこれぐらいは判っていると思われますが、掲示品がいずれも青寶樓氏のものであったので、師の考えを尊重したのかもしれません。③については 月刊天保銭45号 に渡辺猛男氏の記事「反玉寶仕立て銭と不知銭など」にサイズ比較が載せられていますが、母銭と通用銭のサイズがほぼ同じという結果が出ています。(ただし、渡辺氏はこの結果をもって母銭図録に異論は唱えていません。) 資料としてのハイライトはやはり 岩手古泉会十五周年記念会誌 泉寿 でしょう。 沢井敬一氏と引間茂夫氏によって書かれた室場天保考は室場において天保銭が鋳造された事実資料を明確に提示しています。ただし、反玉寶を室場であるとする根拠は次の2点に絞られるようです。 ①小笠原白雲居の日記帳にある記述資料とそこに反玉寶の拓本があり、そこに室場天保の墨書きがあった。 ②県立岩手図書館蔵岩手県資料「盛岡藩造貨」のなかにある「室場天保当百銭につきて」に、「明治4年末の私鋳天保として今日に存在するものは皆広穿にして、その質も前者と異なりて、赤色に少しく黄金光を有せる一種にすぎず其の形は外輪頗る広く・・・」の一文があること。 につきます。残念ながら小笠原白雲居の日記帳は公開ができない事情があったのらしいのですが、これによって室場天保は反玉寶と決定づけられたようです。どうにも好きになれない顔をしている・・・と私は書いてしまいましたが、いにしえの古銭大家たちがわいわいがやがや議論を尽くした結果なのですから、間違いないところ。願わくば小笠原白雲居の日記帳が公開されること、そして「室場天保当百銭につきて」に記述がある、大量につくられた第一期銭(引間氏は盛岡藩写しと推定)が確定されることを願います。 明治4年の鋳造・・・というのは天保銭密鋳のぎりぎりのタイミングで、同年10月には天保銭の新貨交換レートが8厘として発表になってしまいます。もっともそれ以前から銭相場は崩れていて銭相場は地金相場に限りなく近く「鉄銭を鋳造するよりは割が良い」ぐらいのものだったようです。 → 明治維新の交換レート(コインの散歩道より) ※東北の天保銭の大家、英泉氏の天保通寶研究分類譜・英泉還暦記念泉譜を期待して調べたら、前者には2図あったもののそのうち1図は反玉寶ながら別炉だと思いますし、後者には未掲載でした。ひょっとして英泉氏もこの風貌は好きじゃないのかしら? ※ハドソンの東北北海道の貨幣(平成6年)には白黒写真ながら2図あり、鋳放銭の風貌の良く分かるものが掲載されています。カラー写真を求めて季刊方泉處を探しましたが残念、見つかりません。どなたか色調や肌の様子の良く分かる写真資料はありませんか? (久しぶりに資料を調べまくりました。よく読んでいない資料が多いですね。浅学を恥じます。) ※石ノ巻銭という語の響きがなかなか離れないのは、覆輪刔輪という言葉を初めて学んだのがこの反玉寶であったから。(たしか貨幣手帳)。寛永銭では白銅のものがあるという記事もあって石ノ巻はすごい・・・と思いました。現在は日本貨幣カタログにも日本の貨幣収集の手引きからもこの反玉寶は姿を消しています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天保銭事典にある記述では長郭では22.2~19.2g、長郭以外は24.2g~18.9gまであると記述されていますが、実際にはその記述を超えたものも存在します。この数字はおそらく瓜生氏調べの数値なのでしょう。実際には片っ端から調べれば18g~26gぐらいまであると思われます。どちらかと言えば軽いものの方が不良品としてはねられやすいと思うので少ないかも・・・ただし、後世の摩耗銭との区別がつかないので軽量銭の評価は難しいと思います。 そういえばネットで黄色く見えた琉球通寶の中字を購入してしまいましたが・・・届いた品は黄褐色というより淡い茶褐色。黄色い琉球の中字はやはりないのですかね。ネットでは判りませんね。また反省・・・。(どこが緊縮財政なのか?) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月11日 【誤落札】 酔っぱらっているときなどよく考えずに応札してしまうことがよくあります。絵銭という触れ込みで近代銭のつくりの天保通寶がでていたのですが、面白い書体なのでつい・・・でもよく見るとずいぶん小さい・・・「あっ壊れたキーホルダーだ!」ときはすでに遅し、お買い上げです。こんなの絵銭じゃないぞ!(すり減った寶永通寶との組み物)と言いたいのですが責任はこちら。さらに、送料はEXパック500だということでして。 こんなときは送料を払うのも腹立たしいのですが、処理が遅れるのも癪なので速やかに大人の処理。反省しなくちゃ・・・。 気晴らしでネット応札して「深字本体破冠寛」を5000円で落札。本当は持っているので不要なんですけど・・・もはや病気のレベルです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早坂昇龍著 九戸戦始末記 北斗英雄伝 天正年間末期、豊臣秀吉に反旗を翻し、6万人の軍勢に5000人の兵で抗った北奥の勇「将鑑様」こと九戸左近将鑑政実の戦いの記。疾風(はやて)こと厨川五右衛門を中心にストーリーが目まぐるしく展開します。聞いたことのある奥州各地の鋳銭場の名前も出てきますよ。平成20年~23年まで盛岡タイムス紙に連載された歴史小説で、現在は第1~3巻までが一般書籍、電子書籍で販売されています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月7日 【なんでも鑑定団がやってくる!】 市制50周年ということで、わが市になんでも鑑定団が招かれることになった。普段はあまり興味なさそうな我が不動の妻が、見に行こう・・・それともあなたの古銭を出品しない?・・・とえらく乗気です。 「鑑定士は銀座コインさんだから僕の方が穴銭は専門家だよ。それに自分の持っているものの価値はだいたい判っているつもりだよ。」とはぐらかしております。私の所蔵品は雑銭中心なので1枚当たりの価値はたかが知れています。全国放送のテレビに出るには少なくともウン十万の品でなければ恥をかくというもの。アルバム一冊を出せば恰好がつくのですが、先般放映された富本銭のように1枚だけで大衆をうならせるような品はありません。 古銭に無理解な妻をうならせるために出場するという手はありますが、価値が判ったら売れと言われるに決まっています。 実は我が家(実家)には古銭以外に価値のありそうなもの・・・価値が判っていないものがいくつかあります。 ①村田省蔵の油絵・・・親父から譲り受けた絵で、そこそこの価値はあるそうです。ただし、他の絵を購入するときのおまけについてきたとも聞いておりますので・・・。実は保存状態が悪く、一時期は剥離が進みボロボロになっていました。そこで家を新築した際に大枚をはたいて修復しました。その額、おおよそ35万円。だから少なくとも50万円ぐらいしてくれないと割が合わない。 ②エミール・ガレの花瓶・・・もらいもの。鑑定書らしきものもついていますが何とも汚い花瓶。これは恥をかくための品じゃないかしら。でももらいものですし・・・。 ③狩野探幽の掛け軸・・・祖父の収集品で富士山の絵。実家の天袋に祖父の収集した掛け軸がほこりまみれになっています。ダメになってしまう前に救出しようかと思いますが素人目に見ても?な品。その他にも東郷元帥の書だとか何かが残っていました。もう30年以上見ていませんので原型が残っているかどうか。亡くなった祖母の話では当時のお金で50万円ぐらい払ったようにも聞いています。でも怪しさは一番です。 古銭は最後の砦でしょうね。放送での見栄え、素人の判りやすさを考えたらものすごく特徴的なもの以外はNGでしょう。 打印銭寛永銀銭とか先日の天保戎寶とか・・・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月6日 【鋳銭師のお話】 銭を鋳造するには①鋳砂②水③金属材料④木炭⑤職人のいずれかが欠けてもうまくゆきません。このうち⑤の職人についてですが、もともと鋳造は大陸から招かれた渡来集団によってもたらされたものなので、技術伝承は一族の秘伝としていくつかの系譜に分派しながらも守られてきた・・・と聞いております。ネットで鋳物師をひもとくと戦国末期には河内鋳物師の系譜の下級公家真継(まつぎ)家が全国の職人を事実上統率していたそうです。 江戸時代の鋳物師は一種独特の職人制度であったらしく、江戸、大坂、京都など大都市部を除き、鋳物を生業にするには幕府の許可ではなく真継家の許諾だけが必要でした。裏を返せば真継家の了承なしには職人は動けず、鋳造は行えなかったということです。 真継家は後に斎部(いんべ)→忌部と改姓し、祭祀の際の奉幣使を務めたそうです。 技術独占が行われていたので一族としては大きな力を持つ可能性があったのですが、それを警戒した時の権力者たちは真継家の行動に一定のおめこぼしを与えながらも権勢が増大することは抑えたとも聞いています。それはまた「忌」の文字にも現れているのではないかと勘繰ってしまいます。 幕末はインフレ経済でありながら決済用の銭不足という危機的な状態になり、全国各地で密鋳銭がつくられました。密鋳は当然ながらご法度の世。そんな世の中でもこの技術家集団は特権を武器に全国を渡り歩けたようです。もちろん絶対的な秘密を守りながらのことで、この点については幕府も手を出せなかったようなのです。藩が異なるのに同じような技術で作られた寛永銭や不知天保銭が存在するのもこれらの理由からではないでしょうか。 少し話は異なりますが、そういえば天保仙人から面白い話を聞いていました。 琉球通寶がなぜ薩摩藩にだけ許可されたのか・・・それは琉球が「砂糖」という絶対的な切り札を持っていたから。時のお役人も甘いお話には弱かったようで・・・。 ※以上のお話はインターネットで調べたことに聞きかじったことを加筆したもの。ガセネタかもしれませんのでご注意ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月5日 【拓本セット購入】 雑銭の会の記念泉譜のために拓本セットを通販で買いました。(3980円+送料) 拓本は20代のときにやはりセットを買って初めてチャレンジし、俯頭通や張点保などをずいぶんと採った記憶がありますが、すぐに飽きてしまいやめてしまっています。それに拓本墨は油墨なので一度汚してしまうときれいにするのは困難だと気づいたのもその一因です。もっともそれは技術が伴っていないからなのでしょうけど。HPをはじめてからスキャナーは3回ほど変わりました。(初代→2009年1月→2011年10月) 3代目には一番悪戦苦闘していまして、何度撮りなおしても気に入らない画像もたくさんあります。光沢があるものと黒褐色系のものが苦手で、コントラストがはっきりしません。背景が白っぽく全体に霞がかかるようになることもありまして、それがまた気まぐれで生じます。プリンターとの複合機で5000円しない価格ですから文句は言えないのですけど。そのうち拓本が撮れるスキャナーが発明されないかしら。 ※実は大物を落札してしまいました。これで3月も緊縮財政です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月8日 【流文に爪?】 「文銭入門講座 基礎の基礎」を書き始めています。これはまた中途半端な知識のまま知ったかぶりをしている私にとって再勉強をする良い機会なのです。通常は撮らないサイズの拡大画像を観察すると、今まで気づかなかったポイントがよく分かるものでして・・・ そんなこんなで、文銭のなかで最も謎めいた種類・・・流文の超拡大画像も撮ってみました。流文のイメージは背文の前足がすっとのびやかなのと、寛後足が直跳に近いこと。さらには非額輪で文字が少し太くしんにょうの頭に爪がないこと・・・と思っていました。 しかし、流文の兄弟と言うべき繊字小文には爪がある。一方で流文と流文手、繊字狭文には爪がない・・・このことに少々違和感を以前から覚えていました。そして改めて画像を撮ってみると・・・あれれ・・・流文の辵に爪が見える! きっと私の分類の誤りだろうと、文源郷氏から直接購入した流文と流文手をもう一度観察しました。 結論からいうと・・・流文の辵にも爪の痕跡があります! 流文は繊字小文の前駆銭なら当然なのかもしれません。私は爪がない=爪が削られて失われている・・・と勝手に思い込んでいましたが、爪がないように見えるのは「爪が削られた」のではなく「爪らしく見えない」だけのようです。もちろん繊字小文に比べたら辵に爪がないのも事実なので、先師の研究が否定されたわけではありません。しかし、このことは先入観を捨てて観察することの大切さを教えてくれたように思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月29日 【整理整頓宣言!】 石川氏のために刻印銭を探していたら、昨年手に入れた貴重な天狗寛永やら高寛背一などが無造作に机の上から出てきます。そういえばここのところHP更新にやっきになっていて、アルバム整理は全くといって良いほど行っていませんでした。中にはウン万円が裸で転がっているものも・・・。 アルバムを見るとコインフォルダーもずいぶんくたびれています。こいつはいけません。もともと私は集めることより整理することに喜びを感じるコレクターでした。今年は寛永銭類を中心にコツコツと展示整理し直すことにします。時間はすごくかかりますがなにせお金がかからない。HP更新も少し遅れるかもしれませんが、こいつをやらないと私は人間としてダメになってしまう気がします。とにかく・・・やらなくちゃ! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※本日、上棟刻印銭類(玉塚含む)等を石川氏に発送しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月18日 【50円贋作の真相】 ウェブカメラを購入してしまいました。安物のデジタル160倍ですが、10倍ぐらいで肉眼以上に良く見えます。さて、例の50円玉・・・やはり穴を横に広げて穴ずれを拡大させたものらしい・・・とのこと。カメラで拡大確認しましたが、穴埋めの痕跡はちょっとわかりませんでした。たしかに穴は縦径より横径の方が大きく、痕跡は見分けがつきませんが広げたと言えばその通りかもしれません。 土台は本物のようですので穴を横に広げたとすれば「本物の穴ずれ50円の穴を横に広げたもの」ということになります。真のコレクターなら価値ある本物に手を加えるなんてご法度。なかなか盲点をついてきます。 そういえば、幻足寛の母銭様もそんな作品だったな・・・私もずいぶんだまされています。もっとも、この品は勉強のために購入したものですので痛みはありません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なお、1月11日の記事に呼応した形で、あの曳尾の落札者の方がメールをくださいました。(T氏としておきます。ありがとうございました!) 長径49.57㎜ 短径32.53㎜ 重量22.25g 面側は全体に滑らかで背側には茣蓙目のようなシワが確認できるそうです。天保銭事典の方字の項に、「滑らかに仕上げされたものがある」との記述があり、そのタイプの曳尾ではないかとT氏は推定されています。そういえば平通でやや滑らかに鋳ざらいされたものがありましたっけ。しかし、制作を知る上では実に貴重な品のような気がします。極印があるから母銭ではないとのことですが、藩鋳銭は万が一の発覚時にも言い逃れできるように極印をあらかじめ打つことがあるとも聞いています。まだ夢は見ていましょう。(写真をそのうちお送り頂けるみたいですから・・・) また、昨年7月に記事にした沓谷正足寶大型銭もご入手されたとか。実はあの品、「穴銭カタログ」の原品で、沓谷正足寶原母銭としてばっちり掲載されているそうです。あのような名品をさりげなく所有できるような人物になりたいです。Tさん、ありがとうございました。 さらに・・・元方泉處の石川氏からもお手紙が届きました。詳しくは次回・・・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※某氏からこれも贋作・・・との情報を頂戴しました。ありがとうございます。しかし、見分け方がいまだにわからない。製作についてもっと勉強しなければ・・・これは良いサンプルになります。 ※現段階の推定・・・穴埋めの痕跡ほとんど判らず・・・。やはり横に広がった穴が問題なのか?コインが傾いた状態で穴が穿たれたのなら、コインを傾けた状態で真円に見えるポイントがあるはずなのですがそれがありません。ここらあたりが問題なのかなぁ・・・?顕微鏡買っちゃおうかしら。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月5日 【誤読】 張良の正しい読みはいまだに判らないですね。古泉書にはルビがふっないものばかりですので最初に覚えてしまった誤読はなかなか直りません。私もそれで困っています。古泉界でも誤読が定着してしまった事例や、気づかない例もたくさんあると思います。 寛永銭では 竹田 高津 沓谷 の地名が間違いやすい三傑でしょう。地名としては「たけた」「こうづ」「くつのや」が正しい読みなのですが、「たけだ」「たかつ」「くつがや」の方が通りが良い気がします。琉球通寶の「乎形」印もテガタと読まれていますが、「乎」はテとは決して読めません。 まじない銭を意味する厭勝銭の正しい読みは「えんしょうせん」なのですが、江戸時代の誤読「ようしょうせん」が現代を席巻してしまっています。(雁金屋庄兵・・・(寶銭鑑一・・・が出版した古今和漢古銭之図文手鑑「寶銭図鑑」に誤ったルビが振られていたものが、現代にまで伝わったようです。) 開元通寶という中国の銭がありますが、この銭は唐の高祖により621年に鋳造され、約300年間に渡って流通した有名銭です。実はこの銭の本当の読み方は開通元寶ではないかという説が昔からあるのです。開元通寶をモデルにしたとされる和同開珎が時計回りの循読なので、開元も循読なのではないかということ、公文書の唐書(945年)にも詔勅として「開通元寶」の記載があるなど、傍証も見つかっているようです。何より「開元」という元号がはじめて中国に登場するのはこの銭が登場してから92年後の713年(玄宗)になってからのこと。高祖が鋳造したこの銭が元号を示していないことは明らかなのです。和同開珎の登場も708年のことですから、唐が開元時代になる5年も前なのですね。 ただし、玄宗の時代にも開元通寶は使用され、鋳造さえ行われたということですので、この時代に「開通元寶」は「開元通寶」という名前に読み替えられ定着してしまった・・・というのが「開通元寶説」の主旨。どうやら「はじまりは開通元寶」であったことはかなり有力なのですが、現代ではこの説はほとんど顧みられることはなくなっています。(対読の開元通寶を手本にした和同開珎が循読なのはおかしい、和開同珎じゃないか・・・と言う学説を唱える方はこの事実を忘れてしまっている方です。) 寛永銭座試鋳の光緒通寶といわれるものがあるようで、文政期銭や文久永寶のつくりとそっくりなため試鋳じゃないかと言われていたのですが、元号を調べていたら光緒元年は明治8年でした。よってこの俗説はまったくのでたらめでした。時代考証は大事だというお話でした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月3日 【張良:ちょうら?ちょうりょう?】 絵銭、浅間銭の有名品に張良というものがあります。この絵銭は龍神に対し男が靴を捧げているような何とも不思議なデザインです。浅間銭の意匠は輪に図柄が食い込んでいたり、キリシタンに関係しそうな南蛮渡来図やらもあって非常に謎めいていますが、絵銭としての成立は比較的新しい説もあります。とはいえその図柄は円空の彫刻を思わせるほど古雅豊かで、絵銭収集の王者の風格が漂います。もし私に財力があり、絵銭の収集をするのなら間違いなくこの大型の浅間銭を一通りそろえてみたいと思うのは言うまでもありません。 さて、この張良なのですが、なぜか私は「ちょうら」という呼び名で覚えていました。はっきり覚えていないのですが、「謡曲の張良(ちょうら)から来ている」と言う記述を何かで読んだと記憶しています。(何かが分からない。)少なくともこの謡曲は江戸時代からのものでしょうし、私も張良については調べてはいませんでした。 ところがネットサーフィンをしていて「ちょうら」=「ちょうりょう」だと改めて知りました。 「ちょうりょう」ならば司馬遷の史記に出てくる軍師の張良ですね。もっとも私はこの中国文学についてはほとんど判っていません。ただ漠然と名前を知っているだけ。実は三国志と史記が頭の中でごっちゃになって、劉邦と劉備、項羽と関羽の区別がつかなくなっています。(さすがに軍師の張良と猛将の張飛は区別がつきますけど。)※20年前にゲームの三国志にはまっていましたので、古代中国の将軍、軍師に興味を持っていました。 そうなると正規の張良の読みは「ちょうりょう」になるはずなのですが、さらに詳しく調べると、謡曲では「ちょら」でもネット検索でわずかに例が出てきます。 さて、古泉界でのこの読み方・・・「ちょうりょう」ですか「ちょうら」ですか?それとも「ちょら」?ご存知の方、お教えください。 ※龍神(黄石公)が張良の人物器量を見極めるために色々試すのですが、その最初のエピソードに靴をわざと橋の下に落として拾わせる話があります。龍神に認められた張良は太公望の兵法書を手に入れるとともに、その将来を予言されます。龍神は13年後に黄色い石となって張良と再会することも予言。予言通り張良は石を発見し家宝とします。 ※混乱の元は、張良がもともと中国語であること。北京語なら「ちょんりょう」に聞こえました。一文字ずつ分解すると「ちゃん:りゃん」とも発音記述できますので「ちょうら」「ちょら」はここからきているかもしれません。(中国人に多い姓の張さんはちゃんさんと発音するそうです。) まぁ、どちらかと言えば「ちょうりょう」が正解だと思うのですけど。 ※ちょうら・・・の読みは他にもいくつかネット上で散見できました。原因は音読みらしいということも推定できました。もしかすると古い読みが「ちょうら」なのかもしれません。昭和泉譜には能楽の張良から来ている・・・とありましたがルビはありません。昨年入手した桃山泉談会誌には謡曲の張良・・・とあります。(ルビなし)謡曲・・・の記憶はここからみたいです。ただし、読み方「ちょうら」を何で覚えたのかはいまだに不明。ひょっとしてひとりよがりか? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月1日 【あけましておめでとうございます!】 私の仕事は完全なお休みというものがあるようでないので、年末年始も仕事です。 年賀状がぽつぽつ届き始めました。実は昨年、パソコンを新調した際にハガキ作成ソフトの移植がうまくゆかず(絶滅ソフトでした)、住所録の一部が壊れてしまいました。今年は筆まめを購入したのですが、忙しくて結局インストールできませんでした。 したがって壊れかけた古い住所録をCVS変換して、再利用しています。文面は書店で購入した安物ソフトを使いました。そのためここ数年に賀状を出していた方の住所が出力できなかったために失礼してしまった方もいると思います。(届かなかったらごめんなさい。) もっとも、、年賀状は半ば惰性で出しています。なにせプライベートで300枚以上になっています。身内や業界の選挙を手伝った縁があるからなのですが、本来は一筆添えて出すこともしていませんし、賀状内容もちょっといい加減・・・すみません。 と、言うわけで頂戴したマニアックな年賀状ギャラリーをご紹介。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||