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天保通寶 覆輪刔輪マニアック講座
 
 
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天保銭の小部屋 文久永寶の細道
 
はじめに・・・
密鋳があたりまえだった天保銭類の研究は、制作の研究であり、なかでも覆輪、刔輪の理解はもっとも重要な分野です。そのため天保銭を収集すればするほど、銭文径や内径の比較・・・そして、それを決定付ける覆輪と刔輪のメカニズムを知ることが大事だと感じるようになりました。
天保堂瓜生有伸氏主催の研究誌、月刊天保銭88年4月号『密鋳当百銭に於ける覆輪・刔輪手法について』はこれらの技術についてもっとも詳しく説明しているもので、ほぼ同じ記事は同年刊行の不知天保銭分類譜(下巻)や平成2年の九州別府大会においても改筆・加筆されて公に示されています。
また、85年5月号の月刊天保銭誌上に西川孝弘氏が鋳造時の収縮について(鋳写しの考察)と題して寄稿した論文があり、これらが私にとって覆輪刔輪を理解する上でのバイブル的存在になっていました。
その一方で、天保銭には鋳造縮小の理論値からの微妙なずれや理解しがたい変形があるなど、従来の論ではいまひとつ釈然としない現象がありました。もともと、密鋳天保の横に膨らんだ銭形は覆輪の影響だろうな・・・とは漠然と思っていましたので、これらを数値化して証明すればもっと理解が深まると思ったのが本稿の起筆のきっかけです。
理論の柱は、上記瓜生氏、西川氏の発表などで、発表はされていなくてもすでに古銭界で常識になっていることも多かろうと思います。
未熟な私がこの件について語るなど無謀だと思われますが、集めた情報や実質的な計測などを示して何らかの一助となれば・・・と思いますのでご笑覧下さい。

※以下の論の随所に瓜生有伸氏、西川孝弘氏の論説を引用させて頂いておりますことを予めおことわり申し上げます。

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 『密鋳当百銭に於ける覆輪・刔輪手法について』 瓜生有伸氏の研究をもとに

覆輪とは何か?

覆輪の手法は日本の鋳造貨幣に見られる工程で、古寛永の仙台銭や高田銭などにもその名を見ることも出来ますが、なんと言っても天保通寶により顕著に見られます。もともと覆輪とは古銭用語ではなく、装飾の工法から来ています。外周を金属で覆ってスレやひっかかりを防止し、装飾性を高めるもの・・・というのが本来の覆輪の意図のようです。したがって覆輪という用語は、刀剣用語(鍔)や陶磁器(口の部分の補強・装飾)、宝飾品(宝石を指輪等に固定する技術)に良く見られるのです。 
 
なぜ覆輪をするのか?
天保銭が社会的に円滑流通する条件は以下の3点に集約されるようです。

①重さが充分あること。
②大きさ、厚みが充分あること。
③極印が確認できること。

銭は『挿し』の形態で流通することが多く、高額貨幣の天保銭もその例外ではなかったようです。挿しに入れられて流通する場合は、銭径の大小は一番目立ちます。
当時の両替商は銭の秤量が義務付けられており、一方で商家では文銭(優良銭)が好んで退蔵されたように、庶民も意識的に銭を選別していました。天保銭も優良なものが好まれ、形が小さかったり、軽かったりしたものは流通に支障があったと思われます。まして天保銭が流通しはじめた頃の本座銭の規格は非常に厳しく、品質も安定していました。
(末期はかなり乱れたようですが・・・。) 
ところで密鋳銭を作るうえで、最初の難関は母銭を作ることでした。もちろん、自前で母銭を作れれば苦労はないのですが、隠れての鋳造であったことや、小規模鋳造も多かったことでしょうから、通用銭をそのまま母銭とするのが一番手っ取り早かったのです。
ところが金属は冷えると収縮します。天保銭の場合、鋳写しを行うと少なくとも長径で0.5~0.6㎜くらいは縮むと考えられます。縮小した銭は当然のことながら流通の段階で嫌われ、ときには受け取り拒否をされます。密鋳銭は疑いを持たれることでも支障があるのに、受け取り拒否は致命的といえます。

そこで登場したのが覆輪の技法です。
 
覆輪の方法
貨幣の覆輪は金属を貨幣の外輪に、接着剤、溶接などを使わずにがっちり組み合わせるものです。金属の膨張、収縮を利用した象嵌の技術の応用がつなぎ目もなく、堅個で美しい覆輪を生み出しました。古銭書の中には覆輪技法を『金属板を貨幣の周囲に巻いた・・・』と表現しているものがありますが、それは(結果的にそう見えるだけで)誤りです。実際には・・・

①元になる天保銭の周囲を削って少し輪を細くしておく。
②金属板に嵌めこむ天保銭より少し小さな穴をあける。
③金属板を熱して膨張させたあと天保銭をはめる。 → 冷えて収縮すればがっちりはまる! (注1)
④金属板の外周を削って銭形を整える。


と、いうように嵌め込み技法で仕上げたようです。
金属の収縮作用によって、嵌め込まれたは銭は容易にはずれなくなります。額輪の母銭を見せていただいたことがありましたがびくともしないほどがっちりはまっていました。
 
覆輪の誤解(あなたは間違っていませんか?)
あなたは天保銭の周囲を、均等に金属板でとりまけば覆輪は完了する・・・と思っていませんでしたか?
実は覆輪の作業はそんなに単純ではないのです。

不思議なことにこのことに言及した文書を私はまだ見たことがありません。したがってこれから展開する記述には私の推論が多分に入っていることをあらかじめお断りしておきます。

なぜ、単純ではないのか・・・それは
通用銭に均等に増金した母銭からは、もとと同じ形の通用銭はできないからです。
このことを書くと、ほとんどの方が???と思うはずですが、間違いはありません。
理由はかんたんです。それは
天保銭が楕円形だからです。
 
覆輪の限界(私論)
はじめに理解しなければならないこと・・・覆輪後の復元圧力による変形です。熱せられた金属の収縮力は意外にあなどれません。
しかもこれは貨幣そのものの総面積を保存しながら円形に近づこうとする・・・縦に縮み横に膨張しようとする・・・複雑な作用をもたらします。 (注2)
楕円形の紙筒をつくり、輪ゴムをはめると円形になろうとします。円形は楕円形より安定した形なのです。

これを聞いて
『横太り銭形』を思い浮かべた方・・・ナイスです。だけど、これだけじゃあない。

忘れてはならない強烈な変形がもうひとつあるのです。それは
溶銅が冷えて固まるときの収縮変形
銅が冷えて収縮する率は均等のはずだから、単純に小さくなるだけだろう?どうしてそれがいまさら変形が起こると騒ぐのかって?
この理由もかんたん・・・やはり
天保銭が楕円形だからです。

楕円形であれば、縦横の長さは当然違います。と、いうことは同じ縮小率でも実際に縮む長さは縦のほうが大きくなります。
一方、嵌め込む天保銭は鋳縮みを考えてないそのままのもの・・・通用銭・・・を使います。
拡大のため増やせるのは輪の幅分だけしかありません。したがって、規定の母銭のサイズに切り出すときは、収縮幅の大きい縦径は大きめに、収縮幅の少ない横径は控えめに切り出さなければならなくなります。だから予定外のズレが生じるのです。
それを簡単に示したのが以下の図です。 一番左側の母銭から通用銭ができると仮定します。通用銭は母銭と相似形で3分の2の大きさです。

通用銭を覆輪して母銭にすると、上下の輪の幅の方が広くなります。
均等幅に覆輪をすると長径の小さいものや横径の巨大な大濶縁銭ができあがります。理解が難しかったら、もっと極端に幅1cm、長さ1mの天保銭を考えて下さい。鋳造でこれが10%縮むと考えたら、横1mm 縦10cm分の増金をして母銭にする必要があります。当然ながら、均等覆輪ではうまくゆかないのがお分かりになると思います。
したがって、通用銭をそのまま利用して作った母銭から同じサイズの天保銭をつくろうと思ったら・・・
天保通寶の覆輪幅はけっして均等にはならない・・・いえ、均等であってはいけないのです。
もちろん銭体にあらかじめ予定した幅で金属を巻きつける工法でも輪幅調整はうまくゆきません。嵌め込んだあとで正しい形に切り出す・・・一見、非効率的に見えるこの嵌め込み工法にもちゃんとした理由があるのです。
 
収縮変形のメカニズム(おさらい)
天保銭の収縮変形には2つのタイプがあることはもうご理解できたと思います。
そうです、覆輪後の復元圧力によるものと、溶銅の凝固収縮によるものです。覆輪の復元圧力による収縮は銭形そのものを力学的に歪めますが、銭の面積そのものは不変です。これは上下左右の輪のアンバランスを生み出します。以下に模式図を示します。

平行四辺形の中に内接する楕円形を考えてください。楕円の面積は一定ですが、四角形の歪みが少なくなるにつれて楕円は円に近づきます。これが覆輪による変形のメカニズムです。

一方、凝固収縮は面積変化を伴う変形で、銭形は相似形で変しますが、天保銭は楕円形なので、同じ縮小率をかけても縦方向の変形の長さが横方向の長さより大きくなります。

そのため通用銭を単純に覆輪してつくった母銭からは思った通りの形の天保銭ができなかったのです。

輪の増幅だけで縮小をごまかそうとする覆輪の技術に限界があることは理解できましたか? 
 
刔輪の誕生(私論)
覆輪変形では縦の収縮と横の膨張が生じました。
鋳造の収縮では縦方向の収縮の長さが横方向の収縮の長さ以上に強く現れました。当初予測していなかった問題発生の原因がここにあります。嵌め込み完了した母銭の周囲をあらかじめ予定したサイズに削り出そうとすると・・・

出来上がった密鋳用の母銭は・・・輪の幅がバランスを欠いて超いびつ・・・とくに長径方向の輪だけが極端に濶縁になっているはずなのです。これは困りましたね。

密鋳者は輪の幅を太いほうに合わせた
『横太り銭形』に母銭を切り出すのか、それとも輪幅がいびつになることを覚悟して、予定の母銭サイズに切り出すのか、を選択しなければなりません。
銭形(長径)が小さくなることを覚悟して切り出しを行うこともできますが、それでは覆輪の意味があまりなくなってしまいます。(実際には縦径が寸詰まり気味な覆輪天保銭はたくさん存在します。)
そして予定の母銭サイズに切り出した場合は、太細になった輪に頭を悩ませたと思います。そして、その修正技術こそが刔輪技法だと思うのです。したがって、私はほとんどの刔輪は歪みを生み出した覆輪とセットで行われたものと考えています。
典型的な横太り銭形の覆輪刔輪銭(張足寶)
余談ながら、贋作の覆輪母銭に仙台大濶縁を模して均等に大覆輪をしているものがあります。しかし、あの形状の母銭から生まれる通用銭はかなり横広の変な形・・・そのまま流通させる通用銭としてはとても褒められた代物ではありません。密鋳銭たるもの、目立ってはいけないのです。つまり均等な覆輪は常識的にはありえない・・・仙台大濶縁はやはり完成前の試作品段階と考えるべきでしょう。

刔輪と加刀
私論はさておき、母銭に加えられた加工について少し説明したいと思います。
刔輪は外輪の内周部の立ち上がり側面を整形したもので、覆輪がプラスの加工方法であるとすれば刔輪はマイナスの加工方法です。こうも言えます。覆輪は密鋳銭の縮小という致命的な欠陥をごまかすための
『予定された工程』であるのに対し、刔輪は覆輪母銭製造過程に発生した予期せぬ変形に対する『予定外の工程』なのだと思います。だから刔輪は覆輪ほどの頻度では現れない技法なのだと思います。
B.刔輪ではない加刀 A.刔輪 
鋳銭工の気持ちとしてはより良い銭を世に出そうと努力するのは職人として自然なこと。密鋳者にとって一番大事なことは、採算より周囲にばれないことなのです。母銭に対しての修正は当然のように行ったはずでしょう。鋳造上崩れやすい文字の立ち上がり部分や輪際にはこれとは別にタガネが加えられることも多かったようです。
なお、このような予防的な加刀作業は不知天保銭に限ったものではなく、本座の母銭や藩鋳銭にも見られます。
したがって、輪の立ち上がり部分への予防的、修正的な加刀のことは刔輪とは言いません。
刔輪はあくまでも輪幅を修正変更するために行われた技法とされます。
えぐり=溶銅流入の際の防波堤説。たしかにこれなら輪際の崩れは起こりづらいと思います。文字の周りのえぐりは古寛永などにも良く見られます。
なぜ刔輪をするのか?(従来説を踏まえて・・・)
刔輪誕生に関する古い説は『覆輪によって極端に輪幅が広くなったものを刔輪で細く修正した。』というものでした。それに対し、瓜生氏はそのような幼稚な理由では、ぎりぎりの立場で密鋳している現場の事情と採算を無視しているとし、新しい説を展開しています。(不知天保銭分類譜ほか)

瓜生氏論に今までの論、旧説、俗説を統合すると、刔輪(加刀)の効果や目的は以下の4つに集約されます。
①鋳銭工程の失敗を予防する。
②母銭鋳造後の結果的な失敗を修正する。(錯笵、鋳走りなどの修正)
③覆輪母銭に生じた輪の歪みを整形する。(原母銭段階・通用母銭段階:瓜生氏は否定的)
④原料を節約する。
 
まず、瓜生氏は不知天保銭の寶足が長くなる原因は液体の特性で『呼び込み現象』であると唱えました。天保銭の場合、天字と輪の際や寶足の先端に鋳だまりや鋳走りが出来やすいものです。水滴どうしをぎりぎりまで近づけてみると、ある距離から互いがひきつけあうように融合し、融合面では互いに広がろうとします。また、毛細管現象で液体は細い隙間に自ら流れ込もうとします。さらに、広い入口から入った液体は狭いところほど高速高圧で流れ、ときには外周も破壊します。これは川の流れを考えれば良く分かるでしょう。まして天保銭は重い金属ですから、その破壊力は水の比ではありません。文字の末端部や型の圧力のかかる先端部に鋳走りができやすいのは当然のことなのです。
失敗が出ないように輪や文字に手を加えるのは鋳銭工としては自然の行為で、また、母銭の鋳走りや鋳だまりを整形するのも当然の作業です。量産のため覆輪銭を原母銭とし、それから母銭を鋳造する行為も多かったたと思われますので、その場合は原母銭、母銭と加刀修正が重ねて加えられてゆくことになります。

さらに、瓜生氏は本座の母銭には長年の経験から生みだされた絶妙の段差があったと指摘します。一方、密鋳銭の場合は本座銭を母銭に加工するために、この段差がなく失敗鋳造が多かったのではないか・・・その修正のために、主に刔輪や加刀作業が行われ、鋳走りなどで伸びた寶足を整形することで、長足寶化していったと結論づけています。
つまり、②を主論に、①を補論として位置づけたわけです。
しかし、『失敗予防のためにタガネを加えるのなら、ついでに輪の歪みを修正しておこう・・・と考えるのも鋳銭工としては自然な行動』だと私は考えます。あるいは輪の歪みそのものが多くの失敗を生み出していたのかもしれません。

それに、瓜生氏の説には明確な反証があります。
もし、②が主論であるとすれば、刔輪銭は通用母銭から生まれた孫写しレベル(長郭手で銭文径40㎜前半台、広郭手は40㎜前後)のものが主体となるはずです。ところが実際にはもう少し大きな銭文径段階のもの(覆輪母銭から直接生まれたと思われるもの)に刔輪銭は良く見られるのです。鋳写で同じ大きさの天保銭をつくるためには、輪幅を単純に増やせば事足りる・・・と考えた鋳銭工も、試作段階の覆輪銭を見たとき、思いがけない事態・・・輪のアンバランスの発生・・・に苦悩したのではないでしょうか。
そして彼らがとった行動が、通用銭の鋳造前にあらかじめ輪の内側を削って太細を修正していったのではないか・・・つまり、私は③が主論だと思うのです。(その証明は後述します。)
 そしてこの考え方は、天保銭研究者が一度は否定した『覆輪によって極端に輪幅が広くなったものを刔輪で細く修正した。』という説を形を変えて見直しすることを意味します。(微妙にニュアンスは異なり、『覆輪によって崩れた輪のバランスを刔輪して修正した。』というべきですが・・・。)
なお、原料の節約は副次的な産物で、結果的効果であったと思いますが、あるいは鋳銭師の涙ぐましい努力の痕跡かもしれません。
 
寶足が伸びるのはなぜ?
さて、覆輪によって、輪幅のいびつな未仕上げ母銭がたくさん生まれました。
もし、貴方が鋳銭工で刔輪によってこれらを修正するとしたらどのように削って仕上げますか?
①天上、寶下を削って整形する。
②主に天上を削って整形する。
③主に寶下を削って整形する。

①の仕上げは文字が中央に配置される仕上がりになり比較的きれいですね。その一方で②、③はどちらかに文字が偏ってしまう欠点があります。
しかし!・・・②③にもメリットがあります。
嵌め込んだ金属板から母銭を削りだすときに上下どちらかに片寄らせれば内輪を削る場所が一方だけですみ、作業が簡略化できる
のです。
長郭手寶下強刔輪
長径49.0㎜ 
短径32.15㎜ 
銭文径40.75㎜ 
重量17.0g

天字の輪からの離れ具合に比べ寶字の輪からの離れ具合が大きく、計測してみると天保間(16.25㎜)と通寶間(17.8㎜)でした。
寶下の変色部分すべてが削りだしといったところでしょうか?
穿は上方に0.8㎜ほど(1.65㎜の半分)ずれているのですが案外目立ちません。
これだけ足が長くても銭文径サイズは覆輪1回写しでしょう。
仙台銭の長足寶は天の第一画を太くして文字の配置バランスをとっていましたね。寶足の加工は比較的多いのにくらべ、天の文字の加工はこの例ぐらいしかありませんが、鋳銭工も文字配置を気にしていたことを示している好例だと思います。
ところがこの作業は案外手間がかかります。上下の輪に加えて天の第一画まで加工しなければならない・・・これは大変ですね。

数々の不知銭の実物を見る限り③の方法を選ぶ鋳銭工がけっこういたようです。(実際に寶下刔輪は比較的良く見られますが、天上刔輪はかなり少ないのです。)
それはなぜか・・・これについては天保仙人が明確な答を出してくれています。
『人間はものを見るときは上から下に見る。もし、天の文字の周辺がいびつだったら違和感を強く覚えてしまう。だから密鋳銭作者は寶の足を伸ばす修正手段を選んだ。』

不知天保銭に寶の足が極端に伸びた反足寶というものがあります。当時は文盲率が非常に高かった時代ですし、挿し流通も多かったので鋳造上の失敗はともかく、文字そのものの変形はあまり気にされなかったようなので、こんなものでも堂々と流通したようです。
 
また、この事実こそが『主に寶足鋳走り修正のために刔輪が行われた』のではなく『輪幅修正を目的として刔輪が行われた』ことの決定的証拠になっています。なぜなら、鋳走りの修正作業や予防作業だけではここまで穿の位置がずれてしまう説明がつかないからです。

(注1)
銅の線膨張係数
いきなり難しい用語で恐縮ですが、膨張係数とは固体を熱したり冷やしたりするとどれだけ変化するかを表す数値です。長さの変化を線膨張係数、体積の変化を体積膨張係数と言います。銅の線膨張係数の場合、温度によって多少変化がありますが16.5~17.8(×10-6)の数値の数値が使われるようです。(純銅・低温のほうが数値が低い。)普通の銅線で17.7(×10-6)ぐらいです。
計算式は 伸び=元の長さ×線膨張率(×10-6)×温度変化 で
仮に長さ1メートル(=1000㎜)の銅線を20度から900度に熱した場合
1000×17.7(×10-6)×(900-20)=15.58㎜ の長さ変化があります。
覆輪収縮の場合、銅板の穴の大きさはおおよそ5cm(1mの20分の1)ですから上記の温度変化で
0.78㎜ほど縮む計算になります。なお、銅は融点降下の反応を使わない場合は1083.4℃まで熔けません。炭火の温度は安定期で870度くらい、普通に燃え盛っているときで1020℃くらいだそうですので、火加減によって収縮の度合いは異なります。
なお、膨張係数は鋳造時の金属収縮割合=凝固収縮率と似ていますが、膨張係数は固体時における熱による長さや体積の変化であり、凝固収縮率は液体から固体に変化するときの長さや体積の変化で、似て非なるものです。 
 
 
(注2)
覆輪変形について(マニアック幾何学講座)
楕円だと分かりにくいので、ひし形で考えます。
ほぼ天保銭と同じ長径、短径のひし形があります。
覆輪変形は長径が短くなる方向により強く働きます。短径も短くなろうとしますが縦の圧力の方が少し強く、結果として短径が押し出されてしまいます。このとき、ひし形を構成する三角形の総面積は逃げ場がないので不変と考えます。

これを計算式で求めると上の図のようになります。これによると長径が1㎜縮むと短径が0.681㎜膨らむ計算になります。
楕円とひし形は違う!楕円は丸みで変形を吸収するからそこまでの変化はないと思っていた人・・・その感覚は鋭い!・・・でも、間違っています。
ひし形を楕円にしてみると・・・。短径の半分(16㎜)をa、長径の半分をbとすると、面積(S)= a×b×πになるそうです。
(良く見るとこの公式は円の公式半径×半径×円周率と同じ事に気づくでしょう。そうです、円は楕円の特殊な形に過ぎないのです。)したがって仮に長径が1㎜縮むと16×24.5×π=A×23.5×π という公式が成り立ちます。(※Aは変化した後の短径の長さ)
これを解くと A=16×24.5÷23.5≒16.681・・・ 計算結果はなんとひし形のときと同じ
なのです!。
もちろん、実際には天保銭は純粋な楕円ではありませんし、厚みの変形は考慮に入れていませんので計算どおりにはいかないかもしれませんが、数学的にはこの数値に近づこうという変形が生じます。それに変形は収縮圧力の弱い部分に生じやすく、それは短径方向のしかも覆輪幅が一番細くなる方向に突出して出やすいのです。

短径の半分をA 長径の半分をB 短径変化をa 長径変化をbとすると
ABπ=(A+a)(B-b)π AB=(A+a)(B-b)=AB-Ab+a(B-b)
Ab=+a(B-b) a=Ab/(B-b) というマニアックな公式が求められます。

短径32㎜、長径49㎜の天保銭の銭文径が0.5㎜縮んだ場合、A=16 B=24.5 b=0.5
a=16×0.5÷(24.5-0.5)=0.333・・・   と、いう結果が出ます。
ちなみに凝固収縮率を1.8%とすると、この天保銭を鋳造してもとの大きさにするのは長径49.90㎜ 短径32.57㎜の大きさの母銭として切り出す必要があります。
したがって、長径方向で (0.5+0.9)×98.2%=1.37㎜ 短径方向で (▲0.33+0.57)×98.2%=0.24㎜の変形が起こります。横方向の変形はほとんど気にならない程度ですが、縦方向の変形の大きさは案外大きいのです。
しかもこれは1回写しの場合ですから・・・。

※覆輪変形には郭(穿)変形も起こることがわかりました。その結果、縦方向の圧縮はさらに強調され、横方向の膨張は緩和されることが予測されますので、この計算式は郭(穿)変形が生じないことを前提にしたもの、理論値になります。
 
補習授業)南部藩の覆輪技法
覆輪は嵌め込みによるもので、銭に薄い板を巻くような覆輪はない・・・と思っておりましたら、南部藩では寛永銭でそのような技法がとられたことがあるそうです。(仙人談)この場合、薄い金属板を銭に巻いて、一か所でろう付けしてあるそうです。ただし、これは例外中の例外で、もしそのような天保母銭が出現したら間違いなく贋作だそうです。
再覆輪・再刔輪はあるか?(私論)
結論から先に言ってしまいたい。否定はできないけれど再覆輪は極めて可能性が低く。限定的だと(本当はほぼ皆無に近いと)思います。一方、再刔輪はあります。(ただし、強刔輪との区別は難しいと思います。)
1回鋳写すと銭文径は少なくとも0.6㎜くらいは縮むので上で述べたように輪に微妙な太細が生じていびつになります。再覆輪の場合は写しが2回になりますので1.2㎜以上は銭文径が縮むことになります。したがって銭径を保つためには縁を広げるしかなく輪幅は3.1㎜ぐらいになってしまいます。しかも、この仮定数値は、最小数値であり、覆輪、再覆輪による銭本体の変形は全く考慮に入れていないのです。
再覆輪写しは覆輪による文字の縮小が2回、鋳写しによる文字の縮小が2回起こります。おわかりのように、覆輪による文字の変形と、写しによる文字の変形はけっしてイコールではありません。覆輪変形は縦の圧縮と横の拡張、鋳写しは相似形縮小なのです。覆輪による文字縮小の規模は未知数なのですが、少なくとも再覆輪銭があるとすれば、不知銭の長反足寶や水戸遒勁クラスの文字変形・銭体変形があるはずです。存在の可能性は否定できませんが、そこまで手間隙かけて変形の著しい母銭をつくる意味があるのか・・・それは母銭製造過程の微調整というより大幅な改造で、工程の失敗を意味します。
いっぽう通用母銭といって、通用銭の大様のもの、出来の良いものを選んで母銭にしたものがあります。これに覆輪をするという手がないわけではありません。しかし、私がもし鋳銭工だったら大量の母銭をつくるためにはじめから意図して思い切り覆輪をして原母銭をつくり、それをもとに大量生産用の母銭をつくります。
したがって多くの輪の幅の広がったものは再覆輪銭というよりも、しっかり覆輪したあとで銭を大きく切り出し整形した・・・と考えたほうがごく自然だと思います。再覆輪と言われる銭の多くは、覆輪銭と銭文径・銭体変化に大差がない輪幅の広いもの、あるいは覆輪母銭から写されたと通用銭かもしれません。(とはいえ、これはあくまでも私の所感・・・勘ですけど・・・)

昔の本を読むと、不知天保銭のことを、本座銭を覆輪改造したものの写しを繰り返し・・・などという表現が良く出てきます。一文銭などは原料節約をしないと原価割れしてしまうため、複数写しもあるのですが、天保銭は一文銭5~6枚で1枚の原料はまかなえますので原料節約をメインにとらえる改造銭づくりは普通考えられません。
それを考えると不知天保銭は大きく分けると以下の4タイプしかありえないように感じます。
①本座銭をほぼそのまま鋳写したもの 
②本座銭に覆輪加工などをして母銭をつくり、鋳造したもの
③上記②のものを加工して通用母銭として、鋳造したもの
④新しく母銭をつくったもの


③の段階で再覆輪があったかどうかが極めて微妙ですが、私は否定的です。つまり、私は複数回写しでさえ限定的で、せいぜい孫写しまでだと思うのです。唯一といってよい例外が秋田小様ぐらいでしょう。一方で、鋳造の結果を修正する刔輪は、原母銭仕上げ段階、それからつくった量産型の母銭の仕上げ段階でも行われる可能性を秘めています。鋳造物である天保銭は、常に鋳だまり、錯笵との戦いだからです。
 
銭形縮小メカニズムの実証的検証
密鋳銭をつくるとき、一番簡単な方法が本座銭をそのまま母銭にすること。本座銭はいくらでも入手できますからこうして作られた密鋳銭は、けっこうあります。ただし、前に述べたように銭形の縮小は避けられません。そこで覆輪銭が登場し、その修正過程で刔輪銭も登場します。
天保銭事典によると銅の収縮率はおよそ1.2%~1.4%とのことですから、銭文径41.2~41.8㎜の天保銭なら0.5~0.6㎜という数値が導き出されます。
実際の本座広郭銭の母銭→通用銭の銭文径差は計測だと0.5~0.6㎜くらい(実測値母銭41.7㎜、通用銭41.2㎜)でした。さらに、マニアックに凝固収縮率を調べると、銅は凝固過程で4.9%体積が減少するとありました。これから算出すると長さの凝固収縮率は1.6986% 銭文径41.2~41.8㎜の天保銭でおおよそ0.69~0.71㎜の縮小率になります。
(注4)
ただし、、覆輪銭の場合はさらに銭文径が0.1~0.5㎜ほど縮んでいる(ばらついている)感じのものが多く、覆輪による銭文径縮小差はときに鋳写しによる縮小以上に激しかった可能性もありえます。
鋳造時の収縮については、月刊天保銭41号(昭和60年5月)において
西川孝弘氏が非常に興味ある論を述べています。氏も熱膨張係数などを使って、なかなかマニアックな計算をしています。
氏の計算だと、長さの凝固収縮は1.8%、実測による銭文径収縮は本座長郭1.6%、広郭系1.4%、久留米背異と土佐額輪が1.9%とかなりのばらつきがありますが、結局中間値の1.6%という数値を選択しています。この数値は私が算出した理論値の1.6986%
近似しています。
ところで新寛永銭の内径収縮を見ると、母銭と通用銭の内径差は0.4㎜ぐらいです。それに比べると0.69~0.71㎜は気持ち押さえられた数値のような気もします。不知天保銭分類譜には収縮0.9㎜という数値が出ていますので、これが実勢値に近いものなのかもしれません。実際に、天保銭は純銅ではなく銅・錫・鉛の合金ですし、鋳造時には重力の影響も受けていると思います。(注5)
 
(注4)この件について『古銭小話 天保本座での金属収縮率』にも参考記事が載っています。長さの凝固収縮率の求め方は体積の凝固収縮率の立方根になります。

(注5)
合金の融点降下現象のため、凝固開始温度も低くなり、凝固収縮率も若干変わる(大きくなる)と思われます。また、天保銭は鋳型を縦に置く縦入れ鋳込みのため重力の関係で縦方向の収縮が理論値より促進されると思われます。
なお、論説中、西川氏は鉛の凝固収縮率は銅の2倍・・・と記しています。私が調べたところ、鉛単体では凝固体積収縮率は3.44%(長さの収縮率は1.51%)でむしろ銅より小さくなります。どうやら固体時における熱変化の膨張係数を、液体から固体に変化するときの凝固収縮率と混同してしまったようです。
※融点降下現象については新寛永色見本の記事中(金属組成について)に記述がありますのでご参照下さい。

西川孝弘氏による『鋳造時の収縮について』(鋳写しの考察)
月刊天保銭 昭和60年5月号より

西川氏所蔵銭の銭文径計測結果

銭 種  母 銭 通用銭 収縮率  備考 
本座長郭 42.2 41.5 1.66%  
長郭以外 41.9 41.3 1.43% 細・中・広郭の平均
背異類 41.2 40.4 1.94%  
額輪 41.2 40.4 1.94%  
離郭 41.6 40.8 1.92% 濶縁と普通銭の差
上記の平均を取ると1.779% 西川氏の計算値1.8%はこの数値のことかもしれません。
西川氏の発表
収縮率1.6% 広郭系 長郭系
銭文径 41.3 41.5
1回目 40.6 40.8
2回目 40.0 40.2
3回目 39.3 39.5
4回目 38.8 38.9
西川氏方式(修正)
収縮率1.6% 広郭系 長郭系
縮小率 銭文径 41.20 41.60
0.98 1回目 40.54 40.93
0.97 2回目 39.89 40.28
0.95 3回目 39.25 39.63
0.94 4回目 38.63 39.00
覆輪変形▲0.3㎜
収縮率1.6% 広郭系 長郭系
縮小率 銭文径 41.20 41.60
0.98 1回目 40.25 40.64
0.97 2回目 39.60 39.99
0.95 3回目 38.97 39.35
0.94 4回目 38.34 38.72
西川氏の数値を修正した設定に置き換えています。(注6)
この数値はあくまでも純粋に鋳写しを繰り返した結果の数値です。
氏はこれにより長反足寶は4回の鋳写しが必要である・・・と推定しています。
ただし、氏の推定には覆輪変形の数値が入っていないこと、ならびに長反足寶の銭文径を拓本から計測しているため実測値より小さくなっていることなどの点があります。(銭文径38.8㎜としていますが、実測値は39.65㎜ほどあります。)(注7)
この結果は不知天保銭分類譜にそのまま引き継がれてしまっていて、長反足寶の贋作論の根拠のひとつになっているようです。
覆輪による銭文径の変形が0.3㎜あったと仮定した場合の銭文径の鋳写し縮小計算です。(覆輪は1回だけ。)たった0.3㎜が結果を激変させてしまいます。これによると2回の写しで銭文径は39㎜台に突入します。
実は
大量生産のことを考えると2回の写しは必要不可欠な行動なのです。大量生産のためには母銭も数十枚は必要になりますが、すべて手作りで母銭を大量つくるのはとても間に合いません。
むしろ、最初につくったものを原母銭として、母銭を作るほうが自然なのです。ただし、覆輪による2回写しは銭文径の異常縮小と銭形の変化という問題もあり、鋳銭工は悩むことになります。
39㎜台の銭文径の覆輪銭の代表格には、水戸接郭などがあります。
縮小率変更
収縮率1.8% 広郭系 長郭系
縮小率 銭文径 41.20 41.60
0.98 1回目 40.46 40.85
0.96 2回目 39.73 40.12
0.95 3回目 39.02 39.39
0.93 4回目 38.31 38.68
覆輪変形▲0.3㎜+縮小率変更
収縮率1.8% 広郭系 長郭系
縮小率 銭文径 41.20 41.60
0.98 1回目 40.16 40.56
0.96 2回目 39.44 39.83
0.95 3回目 38.73 39.11
0.93 4回目 38.03 38.41
収縮率を変えてみました。
母銭から通用銭へ写す縮小は、水戸(久留米)が41.3㎜→40.4㎜(0.9㎜) 土佐が41.3㎜→40.5㎜(0.8㎜)と少し大きめです。縮小率は合金の質や覆輪の度合い、鋳造時の温度などによって変化すると思います。
新寛永の母銭と通用銭の内径収縮差を見る限りこの数値は全く不思議ではありません。
覆輪変形も考慮します。そうすると銭文径の異常縮小と言われる長反足でさえ、2回の写しの中に入ってくる計算になります。
銭文径の縮小度からみて2回写しは銭文径で長郭は40.7㎜以下、長郭以外は40.2㎜以下だと思います。3回写しや再覆輪再写しの存在の可能性も否定できませんが、現実的ではないような気がします。上に掲示した、長郭手寶下強刔輪などは銭文径変形から見て1回写しにほぼ間違いないと思います。
   
(注6)縮小率の計算方法は (1-収縮率) % になります。nは写しの回数です。
(注7)長反足寶小様というものの拓図が不知天保通寶分類図の中に1枚あります。また、天保銭事典に掲載されているものも小様で、どうやら氏はこの数値を計測したものかもしれません。これは長反足寶の写しのサイズのようです。
   
鋳写しの分岐モデル
 
   直写し系  再写し系 再々写し系(存在?)
本座銭  →  直写し通用銭(1回)     
 
通用母銭  →  再写し通用銭(2回)  そのまま写す(3回)
   覆輪して写す(2回) 覆輪して写す(3回)
覆輪母銭  覆輪写し通用銭(1回)  覆輪刔輪して写す(2回) 覆輪刔輪して写す(3回)
通用母銭 →  再写し通用銭(2回) →  そのまま写す(3回)
   覆輪して写す(2回) 覆輪して写す(3回)
覆輪刔輪母銭 →  覆輪刔輪写し(1回)   覆輪刔輪して写す(2回) 覆輪刔輪して写す(3回)
    
  通用母銭 →  再写し通用銭(2回) →  そのまま写す(3回) 
     覆輪して写す(2回)  覆輪して写す(3回) 
     覆輪刔輪して写す(2回)  覆輪刔輪して写す(3回) 

1枚の本座銭を加工することにより1回目で3種類、2回目も9種類、3回目以降は3×9種類の違うタイプの改造通用銭ができることになります。4回目以降があるとすれば27×3種類の違うタイプの銭が出来る可能性がありますが、これはちょっとありえないと思います。個人的には3回写しも極めて珍しく、ほとんどないに等しい程度ものだと思ってます。

果たして白文字の品の存在はあるのでしょうか?

残された課題(穿と肉厚)
ここまで覆輪刔輪について、私の知識・情報を総動員してきましたが、考察において無視せざるをえなかった条件があります。
ひとつは
厚みの変化・・・これを考慮しすぎると考察が不能になってしまいます。凝固収縮は立体計算なので厚みの計算も入っていますが、覆輪変形による厚さ変化については無視せざるを得ませんでした。

最大の問題は穿の変形・・・実はこれが非常に厄介なのです。
まずは覆輪時の穿の変形
大きな力が加わる
覆輪変形では穿はもっとも弱い部分なので、力が集中しやすく、しかも郭以外は抵抗力が小さいのでダイレクトに変形が起こると思われます。その結果は穿を内側へ湾曲変形させることになります。天保通寶の銭文径収縮が理論値より大きくなりがちでしかもばらついているのは、実は穿の変形にも原因があると考えられます。起きてしまった穿の変形はやすり+郭の加刀と言う手段で修正していたと思いますが、痕跡は残っています。
土佐額輪母銭に嵌郭がされていること、仙台銭や会津濶縁が背反郭気味になることなどは間接的ですがその証拠でしょう。
(注8)

さらに問題なのが
凝固収縮時における穿の変形です。
凝固時の収縮は相似形変化・・・と私は書きましたが、本当は違います。
相似形変化なら凝固収縮において銭形収縮に合わせて穿は小さくなるはずです。ところが鐚銭を思い浮かべて下されば分かるように、
銭を写すと普通は広穿になるのです。熱膨張からの収縮を考えているとこのような変化は予測できません。(5円玉を熱すると穴は広がります。冷えると穴は小さくなります。)
この変化は、鋳型の中という特殊条件化においてのものであり、金属の冷える速度・・・外気温や湿度、肉厚など・・・の影響も多分にあると思います。詳細変化は予測不能ながら、現物を見る限り
薄肉のものは穿が広くなりやすく、厚肉のものはやや狭穿に仕上がりやすいように思えますし、土佐額輪や会津濶縁などは穿の大きさで銭文径そのものが変わってしまっているように感じます。(注9)
これらの問題については銭体・銭文径の計測方法などに今後課題を与えてくれますので、皆さんもその解決方法を考えて下さい。

(注8)面側の反郭はとくに修正されたということになります。ただし、これはあくまでも推論のお話。また、穿変形に逃げた力は縦の変形力ではなく横方向の変形力だったと思われます。横の膨張力の一部が縦の圧縮(郭変形)に置き換わったとも考えられないでしょうか?
(注9)仮説になりますが・・・凝固収縮において広穿になったものはその分、銭文径収縮が少なくなると思います。
銭文径は穿の大きさを含めて計測されていますので、
収縮が穿変形に吸収されているというのがその理由・・・たぶん、その通りじゃないかしら。
 
 

改造銭物産展
現物から判ること・・・

妖しき名品 長郭手長反足寶
不知天保銭分類譜 下巻の表紙を飾るように、不知品の中の超有名品です。あまりの奇品ぶりに、鑑識と手引きの小川吉儀氏が『昭和のつくりもの』と言ったとか言わないとか・・・。
ただし、この品はすでに大正9年6月の貨幣誌に
天保の小字琉球同座銭として紹介されていますし、雑銭からの選り出し例もあるようです。たしかに画像の品に関しては琉球小字桐極印銭に非常に雰囲気は似ています。
超横太りの銭形は覆輪の強烈なしめつけの勲章でしょうか。左右の輪の幅に合わせてやむなく輪幅を修正したら、上下が思いっきり空いてしまった・・・そんなとこかしら。美しさは罪なんですよね。
長径49.45㎜ 短径33.5㎜ 銭文径39.65㎜ 重量21.6g
わずかに寶足側の方が広くなっています。 
不知天保銭分類譜で瓜生氏は『面の銭文径が38.6㎜、背が38.2㎜と異様な縮小度・・・』と、記述していますがこれは長反足寶小様の値(おそらくこれから写したもの)であることが判りました。(上記、注7参照)
長反足寶の謎
この銭の異様な銭文縮小を、新規母銭から・・・と考えることも可能だと思いますが、写しによる変形という仮説も成り立つことが判りました。
銭文径41.6㎜の長郭から2回の写しでこの銭文径になったとすれば1回あたりの縮小幅は0.975㎜、3回だと0.65㎜です。通常の銅の収縮率だけを考えたら3回写しと考えるのも当然で、過去の大先輩がたの考察では4回写しなどという現実としては信じがたい検証結果も出ていました。しかし、すでに記述したように、私はこの銭は
2回の写しでも十分に出現するものだと思います。
これだけ横幅のある銭形ですので、覆輪による銭文径縮小率はかなり高いもの・・・上限に近いと考えられます。
ただし、なぜこのような上作なものができたのか、そこまで技術があるのなら覆輪刔輪をしない新規母銭だって堂々とつくれるとか・・・疑問を持ち出したらきりがありません。(この品を文久2年の薩摩の試作品ではないかという説を真剣に説く方もいらっしゃいます。)
あるいは写した実物をもとに新規面文を起こした可能性も否定できません。
実物をなんども見直しましたが、銅質制作とも矛盾はなく、ただただ美術品のように美しく見えてしまうのは所有したものの自惚れでしょうか。妖しくも可憐な不知銭です。
 
微妙な内径の差 福岡離郭・濶縁・濶縁手 
①内径44.25㎜
銭文径41.75㎜
②内径43.60㎜
銭文径41.45㎜
①内径44.25㎜
銭文径41.85㎜
③内径43.05㎜
銭文径40.50㎜
福岡離郭に覆輪・・・というとピンとこない方はいると思いますが、濶縁銭の存在を思い出せればなるほどと思えるはず。ところで、離郭濶縁は有名ですが、その中間にある濶縁手の存在はあまり知られていません。濶縁手には玉持極印が良く見つかるそうで、なかなか興味深いものがあります。濶縁手は研ぎ出しが強く、文字が太くなるため銭文径は大きくなり勝ちです。濶縁手ははたしてどの段階で分化したのか?それとも単に制作の差なのかは微妙なところ。私はこれぐらいの差こそ覆輪による変形の範囲だと思います。
この件については下に記載する、天保仙人の解説(通用母銭とは何か)の記事を読むとなんとなく分かるかもしれません。
 
離郭広郭  離郭濶縁手 離郭広郭  離郭濶縁
なお、離郭はその名称の通り、文字が郭から離れるもので、接郭と好対をなすものですが、これは文字修正の際に郭へも加刀が行われたからのようです。 
①通用母銭とは何か
本座の天保通寶の鋳銭は 彫母→錫母→銅母→通用銭 の形式で行われます。
この場合は幕府や雄藩の様に、財力と権力により(実際には幕府も雄藩も財政難でしたが)、 高度な技術を持つ職人を雇う事が出来る場合にのみ行える事で、 幕末において財政難だった諸藩には優秀な職人を雇う事はなかなか出来ませんでした。
特に彫母銭を作る彫金師は、当時も数はいなかったようです。現在でも腕の良い技術者は、殆どが造幣局にいるようです。
そこで一番簡単なのが、当時木版関係に従事していた彫り師や、印鑑などの職人に木型で彫母銭を作る事でした。
しかしどんなに堅い木で制作しても、所詮は木ですから限界があります。おそらくは20~30品しか出来なかったと推測します。
そこで今度は銅母銭から銅母銭を作ります。本来の錫母銭があれば、この様な工程が要らない訳です。
本座銭みたいに多量に鋳銭されれば、銭径にバラ付きがあってもおかしくは無いのですが、存在数の少ない筑前通寶に銭径に誤差があるのは、錫母銭が無かったからと思われます。

解りやすく図式にしますと以下の通りになります。

   
木型→銅母銭A→通用銭①
       ↓ ↓
       ↓ →銅母銭B→通用銭②
       ↓
      覆輪→通用銭③
       ↓
       →銅母銭C→通用銭④
 

鋳銭では銅母銭A・Bを一緒に(Cも同時に使用したかも?)使用したと考えられます。
この場合通用銭①と銅母銭Bが、 又銅母銭AとC通用銭③の銭径はほぼ同じになります。今回の大様銭は通用銭③と思われます。
現存する2品の銅母銭が母銭Aにならば、今回の筑前銭に該当する通用銭はありません(銭径が同じでも、銭文径が違う)。
もし今回の筑前が通用銭①ならば現存している銅母銭はBになります。
小生が思考するには現存する銅母銭はBで今回の筑前銭は通用銭③を、銅母銭Bの銭径に外輪を削った物と考えております。
今回の筑前は当初は『通用銭』として作られた物で、その痕跡は花押に出ております。
しかし面側は母銭の様相が有り、鋳砂でもまれた形跡もある処から母銭として使用されたと考え、『通用母銭』と呼んだのです。
誤解しないで頂きたいのは、『通用母銭』が全て、覆輪母銭から作られた物ばかりでは無いと言う事です。例にとると土佐通寶・當二百銭では通用銭の良い物を、そのまま母銭として鋳銭を行った為、銭径に物凄くバラ付きが出ております。
この様な場合も母銭に使用した通用銭を『通用母銭』と呼んでおります(土佐二百の通用母銭は3品確認されております)。

②通用母銭の同規格品の存在と通用母銭からつくられた子銭の存在
今回と同型の筑前通寶・大様は小生の知る限り1品存在しております。但しこちらの方は完全に通用銭です。
又今回の筑前銭と符合する通用銭は現在まで見付かっておりません。
土佐二百の場合は符合する通用銭が、見付かっております。
筑前銭の通用銭も今後出現する可能性は充分にありますので、是非探してみて下さい。
今回オークションの出品された筑前をみて、最初は相当考え、所蔵している筑前通寶・銅母銭・通用銭四品と比べさせて頂き、この様な結論に達しました。
(練馬雑銭の会掲示板10月10日 天保仙人様の記述より)
 
覆輪刔輪の典型銭 仙台広郭長足寶 
サンプル画像としてはあまり良い物を提供できませんでしたが、広郭の覆輪刔輪銭の典型のものです。接郭とは異なり、寶足を伸ばすだけでなく、
天の横引も太く加工しています。
母銭になったのは本座広郭で、目立ちませんが銭径の割りに銭文径はかなり小さいほうですね。
そういう意味では文字の加工が非常にうまくいっているほうだと思います。
また、地肌には引っかいたような浚い傷がたくさん見られます。もちろん、地肌は特有の魚子肌です。
  

仙台銭の特徴は背郭が反郭気味になることが知られています。良く見ると面郭も反郭気味になっています。これは覆輪変形の名残だとい思います。
長径48.8㎜ 短径32.8㎜ 銭文径40.1㎜ 重量21.0g
これもわずかに寶足側の内径が広くなっています。サイズ的には覆輪写し。
サイズ的には本座広郭の1回写し。
 
ルーツはどこに・・・ 会津短貝寶・濶縁・濶縁離足寶 
短貝寶(濶縁手)
オリジナルの母銭から。
見た目より銭文径は小さい。
銭文径40.1㎜
会津短貝寶と濶縁類は判っているようで、結構迷う品です。いずれも本座広郭を範として作成されていてときに見分けがたいものがあります。
掲示品は長径49.25㎜、短径32.9㎜、重量22.4gの短貝寶大様銭。
下の濶縁に比べて書体では天の踏ん張りの広さ、保の後点の長さ、背の當冠の大きさと形が目に付きますが、実は銭文径が全く違い、短貝寶はだいたい40.1㎜前後なのですが、濶縁は40.7㎜ほどあります。内径はほぼ同じですが短貝寶の天字が降るのが良く判ります。濶縁は本座の覆輪銭から直接生まれたもの、
短貝寶は新規母銭から生まれたものなのでしょう。下の合成画像は、左側が濶縁、右が短貝寶。銭文径は全く異なります。雰囲気的には短貝寶のほうが文字が大きく見えますが、実際は濶縁のほうが大きいのです。
濶縁(やや幅広のタイプ) 覆輪写しのサイズ
銭文径40.7㎜
 
短貝寶は小郭にあわせ文字配置してますが、天の文字をあわせると輪の位置がかなりずれてしまいます。

会津濶縁の旧譜名は、水戸正字反郭濶縁という名が残されているように、反郭が基本。やはり覆輪による変形だと思います。
濶縁(再覆輪銭と呼ばれるもの)
銭文径40.1㎜
左:再覆輪銭
右:標準銭
左:再覆輪銭
右:離足寶
類似カタログで再覆輪という名前になっていますが、再覆輪ではないような気が当初していました。しかし、計測すると銭文径は標準銭より1回分縮小していて、濶縁離足寶とほぼ同じレベルであり、微妙なサイズ差はあるものの確かに2度写しサイズとも言えます。
この銭文径縮小が
①標準母を改造母として使用したもの・・・いわゆる2回写し、孫写しによるものなのか
②覆輪変形によるものなのか 判断がつきません。
個人的な考えを述べさせていただくと、輪幅の広いものの方が存在が少なそうなので、大量生産を目論んで孫写しの母銭をはじめから企図したものではなさそうだ・・・と、いうこと。通用銭の中から状態の良い物を選んで再覆輪して母銭にしたにしては銭文径はともかく文字全体の縮小がいまひとつ、その割りに標準銭以上にゆったりした銭形・・・すなわち、強い覆輪による変形が原因なのではという感覚があります。
一方で、下の濶縁離足寶は文字そのものが縮小した雰囲気で孫写しの風貌がぷんぷんにおいます。とくにこの背側の濶縁ぶりは上記の2種とは別人を主張しています。
しかしながらこれはあくまでも私の勘・・・実際のところはまだまだ不明です。
濶縁離足寶 短貝寶に近いが内径が小さい。
銭文径39.9㎜(2回写しサイズ?)
今回の計測で、濶縁離足寶の素性をあばこうと思ったのですが、今のところサンプルが少なくて結論は出ませんでした。
濶縁離足寶の銭文径は短貝寶より0.2~0.3㎜小さいだけ。したがって、短貝寶から写されたというより濶縁からの派生と考えたほうが無難かもしれません。実際に短貝寶と画像を重ね合わせてみると、銭文径(39.9㎜)はほぼ重なり、内径が全く違うことの方が目立ちます。もちろん標準銭より 銭文径は1㎜近く縮みます。
一方で濶縁離足寶には輪の内側に瑕のあるものが多く見られます。(白い線の位置)これは母銭になった短貝寶からの瑕だといわれていて、濶縁離足寶=短貝寶写し説の根拠になっています。背の當の冠の歪みも短貝寶に共通しています。会津濶縁は輪幅や銭文径にばらつきが相当あるようです。中には全く濶縁に見えないものもありますので総合的に判断する必要があります。
 

濶縁(赤銅質・細縁気味のもの)

水戸(久留米)正字濶縁石持桐極印
 ほとんど同じなのに見え方が違うわけ
会津濶縁のもっとも濶縁に見えない赤銅質タイプと石持桐極印のもっとも濶縁タイプとの比較画像。実は両者の計測値はほとんど同じ・・・むしろ会津の方が大きいのに、石持桐極印の方が濶縁に見えるので不思議でした。実は石持桐極印の方が砥ぎが強く、内径が0.3㎜ほど小さい。(43.0㎜と43.3㎜)上下だけでなく、左右の内径もわずかに小さいため石持桐極印の方が大きく見えるのです。

 
 長径49.0㎜ 銭文径40.6㎜  長径48.8㎜ 銭文径40.7㎜
初心者のうちは会津の濶縁はなかなか曲者で、銭譜は輪幅の広い立派な濶縁銭の拓を掲載していますが、会津濶縁はそれほど濶縁ばかりじゃないようです。
見分けのポイントは、鋳肌(砂目)と極印の大きさ。会津の地肌は凸、石持桐は凹の感じ。会津濶縁の場合、銅色はこんなにきれいな赤のものはむしろ少ないと思います。
 
覆輪ではなかった! 正字・背異・背異替 の濶縁銭
石持桐極印のある正字・正字濶縁・背異替・背異替濶縁と、石持桐極印の見つかっていない背異類は、いまだに水戸だか久留米だかわからない謎の銭貨です。
これらの銅色は淡黄褐色から赤銅、黒褐色、紫褐色など様々ですが、制作上に共通点が見られます。それは文字の周囲の加刀痕跡がはっきりしていることで、ルーペで拡大すると深い溝状になっているものが多くみられます。(右写真参照)
銭文径は40.4㎜~40.8㎜程度で、このサイズは本座の(覆輪)1回写しそのものなのですが、母銭は銅質、制作が本座と異なるようで、天保通寶母銭図録によると、正字濶縁には錫母銭が、同様に背異にも錫母銭が確認されていて、本座広郭を忠実に模倣した新規のものということが判明しています。
正字濶縁原母銭などは長径が52㎜もあり、ここまでの模倣技術があるのなら、銭文径まで合わせた銅母銭ができたはずなのですが(錫母はほぼ本座母銭と同規格)なぜか一般的通用銭は一ランク下のサイズになっています。
ところで、これらの各銭の銭文径は40.4㎜~40.8㎜、内径は43.3~43.5㎜ほどでほぼ同じであり、つまり濶縁かそうでないかは磨輪の度合いと砥ぎの強さの問題で、濶縁の錫母の存在からも別途覆輪による差異ではないようなのです。
私もこれらは本座覆輪によるものとばかり思っていましたが、さすがにこの結果は意外です。勉強になりました。


天保通寶母銭図録より借拓
正字濶縁錫母銭
51.10×33.95
正字濶縁錫原母銭
52.1×35.00
正字背異錫母銭
51.10×34.00
正字背異錫母銭
50.70×34.30
 
銭種名 石持桐  普通桐  備考 
正字 多い 少ない 普通桐はかなり少ない。母銭はなめらかな赤銅質。

正字濶縁 多い 少ない 正字よりは普通桐は存在する。母銭はなめらかな赤銅質。
巨大な錫原母銭・錫母銭も存在する。
正字背異 未発見 多い 水戸繊字との共通点多く、錫母の存在がある。母銭は黄褐色。
背異濶縁  未発見 多い 反足寶の名称が一般的。母銭は黄褐色。その昔は反郭と呼ばれていた。
繊字  未発見  多い 繊字は背異の鋳ざらいによって生まれた(あるいはその逆の変化)と考えられている。
正字背異替 少ない 多い 母銭は黄褐色で制作が上のものとは違う。

背異替濶縁 少ない 多い 母銭は黄褐色。

謎多き三段階銭径 土佐額輪 
額輪小様
2回写しだと思うのです。
額輪
新規母?改造母?
額輪濶縁
1回写し。あるいは延展?
本座広郭 銭文径39.9㎜
銭内径42.45㎜
本座広郭 銭文径40.2㎜
銭内径43.2㎜
本座広郭  銭文径40.6㎜
銭内径43.5㎜
このシリーズを詳しく書きたい・・・と思うキッカケになったのは実は額輪を計測していてのこと。中央の額輪の銭文径が実に中途半端。どうしてこんな差があるのかもう一度考え直そうと思ったからです。本座広郭の改造母銭であるのなら、収縮率だって一定の規則があるに違いない、刔輪に個体差があっても何か規則があるんじゃないのか・・・そんな思いが、基礎的な計測をあとまわしにしていた怠け者心を刺激しました。
額輪濶縁は本座広郭の改造による・・・と、類似カタログに記載があります。その、一方で額輪の本体は新規母銭からだろうと先の西川孝弘が述べた一文があり、 非常に困ってしまいました。額輪のこの中途半端な銭文径は、本座銭の額輪加工による収縮に違いない・・・とにらんでいたものだからですが、実際の額輪母銭の銭文径は41.2ミリ前後と本座とほぼ同じぐらいで、あまり変形しないのは郭の補強=嵌郭によって変形を最低限に抑えていたと見るべきでしょうか。このサイズからの写しは40.4~7㎜ぐらいの銭文径に収まるはずで、40㎜程度の通用銭を鋳造するためにはこのサイズの母銭から作った通用母銭が存在しても良いはずなのです。つまり、いわゆる額輪母銭は母銭でもあると同時に原母銭であり、これからできた通用母があってもおかしくないと考えられるのです。
また、本体は刔輪されたように母銭で文字が離輪していて、何らかの加工が母銭か原母銭段階で行われた可能性を示しています。この件についても母銭の現物を持たない私は推測でしか語れませんので真相は闇の中。ひょっとすると、上記の額輪濶縁、額輪小様と額輪本体は別座の可能性すらあります。極印が本体は極小に見え、濶縁、濶縁小様とも異なるように見えるのです。
→ 天保通寶極印図鑑

※一番右側の額輪は広穿に仕上がっています。銭文径が大きいのはそのせいかもしれません。
額輪母銭(関西S氏提供画像)
外径49.35㎜ 内径43.75㎜
銭文径41.12㎜ 肉厚2.46㎜
重量19.25g

嵌郭は面背とも明瞭で、とくに背側は嵌め込んだ部分が盛り上がりはっきりしているそうです。覆輪痕跡は部分的にしか確認できませんが、画像でも寶下等にうっすら痕跡が見えています。
サイズ的には本座通用銭を流用したものです。しかし、これから通用銭を作った場合、約0.9~1.2㎜の縮小はかなり大きい。しかし、現物は真実を語る・・・これから銭文径40㎜未満の通用が直接できるのかもしれない・・・でもまだ未解明です。 
 
変形の見本市 水戸接郭  
水戸接郭という天保銭は、個人的になぜか惹かれてしまいます。
もちろん、雑銭には違いないのですが、そこそこ状態は美しいし、覆輪と刔輪の要素がきちんと入っているし、なにか新しい発見があるような気がしてしまいます。銭譜によっては、この接郭と高知額輪とが混同されているようなものもあり、制作からも額輪母銭との類似性を指摘するものもあります。
文字が輪から離れる特徴が注目されがちですが、銭形は横の膨らみの大きな卵型で、長径は48.8~49.6㎜ほどを確保しています。
接郭類の銭文径は、比較的そろっていましたが、手計測で
濶縁のほうが0.2~4㎜ぐらい銭文径が小さい感じです。左図で濶縁になったものは、外輪の収縮の力が強かったもの・・・嵌め込む金属の面積が広かったもの・・・と推定できます。強烈な収縮力が、わずかですが銭文径まで影響していると思うのです。その結果かどうかはわかりませんが、輪の幅を確保し、長径をある程度保ったため全体的に切り出す面積が増えて重量銭になっているものが散見されます。
強刔輪になったものはそれを修正しようとしたものか、文字などが細く鋳出されていて末期的な顔をしています。

これらの差は、覆輪するときの金属の幅、その結果の修正方法の方針(刔輪の度合い)の差といったところでしょうか?
掲示比較画像は、左から弱刔輪、通常品、強刔輪になっています。
内径43.1㎜ 43.9㎜ 44.2㎜
銭文径39.7~40.2㎜
サイズ的には本座広郭の覆輪2回写しですが、覆輪変形がかなりあるような気がします。
番号 長径 短径 縦内径 銭文径 区分
49.3 32.9 43.1 39.7 濶縁
49.0 33.0 43.2 39.8 濶縁
49.5 33.3 43.5 39.8 濶縁
49.0 32.6 43.6 40.1  
49.3 33.2 43.8 40.1  
49.0 32.7 43.8 40.0  
49.2 33.2 43.9 40.2  
49.2 33.2 43.9 40.0  
48.9 33.0 44.1 40.0 強刔輪
10 49.0 32.9 44.2 39.9 強刔輪
11 48.6 32.9 44.2 39.9 強刔輪
12 49.1 33.0 44.2 39.9 強刔輪
手持ちの接郭の計測結果
0.1㎜刻みのデジタルノギス計測です。濶縁がもっとも銭文径が小さく、強刔輪が次に続きます。標準銭(俯頭通を含む)は若干銭文径が大きい感じ・・・しかしながら、これらの数値は微差で、覆輪変形の度合いの差といったところかもしれません。
サイズ的には覆輪2回写し(通用銭の改造母→接郭の通用銭)に思えるのです。
 
意図された縮小限界 
   秋田小様(最小様・小様・中様・大様) 
 長径46.9㎜ 短径31.5㎜ 本座広郭 秋田小様  秋田小様は47.5㎜以下、標準でも47㎜未満と言われます。私所有の秋田小様は大きさこそ46.9㎜とさして小さくないのですがが、こうしてならべてみるとはぼ片輪分の縮小と異様です。銭文径は39.75㎜ほどあり、標準銭より1.45㎜ほど小さいのですが、実際には文字が太く鋳出されているので2ミリくらいは縮んでいると思います。
ではこれが何回写しでこうなるかと、上の表から探すとおそらく3回写しのレベルです。長径49.2㎜の本座広郭を鋳写すと
1回目 48.314㎜ 
2回目 47.445㎜
3回目 46.591㎜
4回目 45.752㎜
(縮小率1.8%)
実際に、秋田小様には銭形の小さな母銭の存在が知られています。天保通寶母銭図録掲載のものの大きさが47.6㎜で2回写しのサイズです。 
長径47.7㎜ 短径31.8㎜ 秋田小様の中様   
秋田小様の銭径の大きいもの。外径は47.7㎜ほどあります。銭文径は40㎜ほど。上の画像と比較すると完全に輪3分の1は大きい感じです。
写しのレベルはおそらく2回だと思われます。なぜこんなに写しを繰り返すのかが不思議です。
 
 長径48.4㎜ 短径32.55㎜   東北S氏の投稿画像を加工しました。  
ついに出ました!
東北のS氏所有の秋田小様の大様。(変な名称ですね。)銭文径は40.8㎜とまさに1回写しのサイズです。
嵌郭(増郭補強)の痕跡が見て取れますので、これも貴重な資料です。
なお、S氏は覆輪嵌郭としています。覆輪については、やすり掛けの問題などもあって明言は避けますが、これを見る限りありそうですね。(と、いうより背を見る限りほぼ確定的です。)
長径45.6㎜ 短径30.4㎜
秋田小様の最小様  
入札で手に入れた最小クラスの秋田小様です。輪幅2つ以上の縮小です。画像で見る限り、輪幅3つと言っても過言ではなさそう。
こうして本座銭と並べるとまるでおもちゃのようですけど、チューリップのようなかわいらしい形状の極印がきっちり、まじめに打たれています。
ここまで縮小するには、都合4回は鋳写さなければならないという理論的な仮説が正しいことがこれでほぼ確定的になった気がします。
天保通寶母銭図録などに掲載されている母銭そのものが小さい(長径47.6㎜)ことから他の密鋳銭類とは異なり、明らかに小さくなることを覚悟の上で鋳造していると思われます。したがって通用銭は3回写しの大きさが標準で、ひょっとしたら4回写しもあるのかもしれません。
また、入手品の計測から2回写しのものも存在することが証明されました。大きさは外径47.5㎜以上あると思われますので、皆様も手持ちの品を調べて見て下さい。(さらに秋田小様を探してゆくと、1回写しのものも存在すると予測されます。)
このような例は他に類例はなく、その意味でもこれは藩鋳銭ではなく密鋳銭であると思われます。

※盛岡藩銭などはかなり小様のものが作られています。東北地方はあまり天保銭の大きさにこだわらなかったのでしょうか?秋田藩は立派な藩鋳母銭がありますので、秋田小様はやはり密鋳でしょう。問題はこれが覆輪されているかどうかというところですが、横への膨らみが多少感じられることや、輪が少し広く見えるので可能性はあると思いますが、母銭とされるものの写真を見た限りでは覆輪の雰囲気はありませんでした。よって本件は・・・今のところ謎です。

※S氏によって1回写しの存在もほぼ証明できました。類品をお持ちの方、ご連絡下さい。
 
土佐平通から萩平通へ 電撃移籍の謎 平通と曳尾 
土佐藩籍であった平通を萩藩に移したのは小川青寶樓氏で、私が初めて目にしたのは新訂天保銭図譜においてでした。
以来、私の中にはもやもやした納得できそうでできない何かがくすぶっていました。
このたび、実物から両者の類似性と相違点を確かめてみたいと思います。
左は土佐平通と曳尾細字・・・まあ、一般的なものです。平通と曳尾は内径はほとんどかわりませんが銭文径は平通の方が曳尾よりほぼ文字一画分大きくなります。仮定として平通を鋳ざらって曳尾を写しで作ったと考えられます。したがって通常の分断画像で比較はうまくできません。
そこで拓本の透過画像にしてみます。さらに鋳縮みを考慮して平通の拓本を縮小して重ねました。
結果・・・重なった・・・というより無理やり重ねた。はじめは何度やってもうまく行かなかったので、角度と縮尺を変えてみました。その結果、面は平通を3%縮小、背は2%縮小してみてはじめて見られる形になりました。しかし、文字や花押の末尾は曳尾の方が意図的に長く、また、通字については実はよく見ればほとんど重なっていません。位置が違うのです。それを強制的に合わせるように平通の拓本を縮小したため、銭文径が逆転しています。 一方、背の方は、當の口部分と花押のツノ部分の長さの差はありますが、面側ほど違和感がありません。文字の位置関係のずれが少ないのです。
これから推察する限り、両銭の書体類似性は十分にわかるものの、鋳ざらい変化であるとするには若干無理があるということ。
ルーツが同じだとしても原母銭段階から派生して、早い違う道を歩んだと考えるべきではないでしょうか。製作や銅質に類似性も見られますが、何かが違う。
ただ、極印については双方かなり類似性がありますので、やはり接点があると考えた方が自然なのかもしれません。
 
関西T氏提供 平通計測値(銭名はT氏がつけた仮称)
こうしてみると平通は大ぶりで、重量こそバラつきはあるものの銭としての規格はほぼ統一されています。
銭 名 重 量 銭文径 長 径 短 径 肉厚 内径 内径
1 大 字 27.20 41.0 49.7 33.1 2.7 43.7 27.2 43.5 26.6
2 離用通 26.28 41.3 49.7 32.9 2.7 43.8 27.2 43.5 26.6
3 大口保平尾通 25.99 41.0 49.2 32.8 2.7 43.8 27.3 43.4 26.8
4 玉 天 25.98 41.0 49.5 32.5 2.6 43.7 27.2 43.3 26.5
5 小頭通 25.64 41.2 49.8 33.1 2.6 44.0 27.3 43.5 26.7
6 曲柱尓 25.03 41.0 50.0 32.9 2.6 43.8 27.0 43.6 26.7
7 小点尓 24.91 41.0 49.8 32.5 2.6 43.8 27.2 43.5 26.7
8 大点尓 23.88 40.7 49.2 32.7 2.5 43.7 26.1 43.5 26.6
9 離 人 23.50 41.0 49.9 32.5 2.5 44.3 27.2 43.6 26.6
10 跛 天 23.37 41.0 49.2 32.8 2.4 44.0 27.1 43.6 26.5
11 背 異 22.58 40.9 49.7 32.8 2.5 43.6 27.0 43.7 26.5
12 短柱保 22.56 41.2 49.3 32.3 2.4 44.2 27.2 44.0 26.7
13 太 細 21.95 41.0 49.9 32.9 2.4 44.0 27.1 43.4 26.7
14 仰柱保 21.47 41.2 49.5 32.5 2.4 44.0 27.0 43.5 26.6
15 由田當 21.22 41.1 49.3 32.8 2.3 43.4 27.0 43.3 26.5
16 短二天 21.18 41.0 49.4 32.4 2.3 44.2 27.3 43.5 26.5
17 仰二天 20.38 41.0 49.5 32.2 2.2 44.1 27.3 43.6 26.7
18 跳尾通 19.30 41.0 49.2 32.2 2.2 44.0 27.0 43.5 26.5
 
 
 
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