夏の古銭会展示室(仙人宅訪問記)

新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
 
 平成25年8月10日、天保仙人様宅を訪問させて頂きました。参加メンバーは私の他に、中学生になったS君、I氏、S氏と情報誌社のA氏です。

【泉談・・・幻の大川泉譜】
大川天顕堂は最後の財閥系コレクターであり、その膨大なコレクションの多くは国立佐倉歴史民俗博物館に寄贈されてしまい、私たちの目に触れることはほとんどなくなってしまいました。天顕堂は研究家であり、鑑識眼も優れていましたが、その一方で自身の研究を書物としてほとんど残さなかったことでも知られています。
その天顕堂の天保銭のコレクションを掲載した、幻の泉譜が存在するそうで、今は故、小川青寶樓家に原本が門外不出で残されているそうです。コピーでさえ貴重であり、某所にあることは判っていても、仙人でさえすべてを入手することができないでいるそうです。それには大川による書き込みが随所に残されていて、おそらく収集界を揺るがすような新事実の記載もあるに違いないと思われます。(知らぬが仏・・・でも知りたい。)
あの天顕堂でさえ贋作には悩まされたでしょうから、その大川の見解(反省)がここに書かれているのでしょう。
例えば萩藩銭の鋳ざらい母銭には非常に贋作が多く、天顕堂もずいぶんつかまされ、それが今泉界に流出もしているそうです。本物があるからこそ、それを真似た偽物が世に出てきているわけでして、どこかに必ず本物があるはずなのですが、私にはまだまだ判断がつかない世界です。困ったことに本物がどれだか判らなくなってしまったものや、本当は贋物なんだけど今更引っ込みがつかなくなってしまったものがたくさんあるそうなのです。そうなると収集をする上で大切なのはこの古銭が本能的に好きか否かの感覚なのではないかしら。まあ、不知天保銭・密鋳寛永銭に夢中になっている私ですけど、これら自体がもともと贋物ですからね・・・。
なお、大川天顕堂のところには試鋳とされる丸型の天保銭が3枚あったそうで、大川氏はそのうちの1枚を陸原氏(萬国貨幣洋行)の関係者に無償でぽんとゆずったそうで、何とも太っ腹・・・豪快ですね。

【泉談・・・皇朝銭談義】
皇朝銭を手にとって見る機会などまずありません。私は皇朝銭については専門外なのですが・・・
①側面の仕上げが独特のロクロ仕上げであること
②青錆は固くなっていること
③材質が枯れていてもろくなっている点

などは聞きかじっておりました。
その他に、和同は背郭のつくりがしっかりしていることや、A氏が何気なく発言した「枯れた金属は軽いこと」なども注目。
しかし、時価数百万円の古銭を手に、おにぎりを食べながら和気あいあいとお茶を飲む・・・大丈夫だったのでしょうか?
そして青錆極美品の隆平永寶と少し状態の劣った神功開寶を無造作に取り出し、真贋を見極めてみて下さい・・・と仙人。
真剣に観察して首をひねりながら呻吟するもののなかなかわかりません。隆平永寶はあまりにも美しすぎる。
実は2品とも本物。私は神功開寶の方が偽物なんじゃないかと言ってしまいました。短い時間で私が気が付いたのは穿内の仕上げ方法にポイントがあるらしいこと。こいつはつかえるかしら?もう一度確認する必要がありますけど。
青寶樓がかつてつくった極美品の皇朝銭十二銭セットも手にとって拝見。皇朝銭は意外に真贋鑑定ができる人がいないので、拾い出しのチャンスは多いとのこと。しかし、その域に至れるのはいつの事やら。I氏は先日、雑銭から3枚和同銭を見つけたそうで、1枚は本物、1枚は写し、そして1枚は偽物だったとか。雑銭から見つけることだけでもすごい。

【泉談・・・銀銭は難しい!】
天正通寶や永楽銀銭についてもお勉強。俗に「天正肌」と言われるこの銀銭の鋳肌は、背面に表情が顕著です。涙や汗を流したような流れのある肌なら安心ですね。覚えておかなくちゃ。
その他、古い銀絵銭も拝見。銀ものの絵銭は久八作の贋作が多いとは聞いていますのですが、真贋判断は難しい。仙人曰く、寛永銭の銀銭はほとんどが贋作か絵銭だよ。(私もそう思います。)
たしかに江戸時代に銀でわざわざ貨幣を作ったところで、通用するわけがない。恩賞用なら現金の方がうれしい。ただし、個人的記念貨幣としてつくるのは「古貨幣夜話」で利光教授が語ったようにありえる話です。なかでも永楽銭は庶民の間でも長期にわたって普及していましたので、そういう意味では記念銭的な銀銭は多く残されているのではないでしょうか。話の合間に紀州永楽がでてきましたが、これは加賀千代の作でした。いやあ、これはわからない。でも梨地肌で美しかった。

【泉談・・・エラー銭物語】
続いては私が引っかかったエラー硬貨の話。裏話まで詳しくは書けませんが、基本的なことのみヒントとして書きます。
①50円玉は圧印した後に穿孔するのではなく、あらかじめ穴の開いた円形に圧印をします。円形を打ち抜くと同時に穿孔されるようになっているのでそもそも大きな穴ずれは生じにくいのです。
②白銅は柔らかいので、圧印時に変形します。その穴は元の穴より小さくなり、外周に近づけば圧力で変形し、ひしゃげます。
③大量にある昭和50年名の無孔のエラー50円は間違いなく本物です。
なぜなら犯人が捕まっているそうです。
④近年のコピー技術は恐ろしいほどすごい。微細な打ち傷まできれいにコピーします。
私の入手したエラー50円は②の理由でダメ。もとは本物の小穴ずれエラー貨だったのに価値を上げるために穴の周囲が拡げられているそうです。残念!(贋作ではなく本物を変造した。そのままでも良いのにわざわざこんなことをするのですか?)
なお、昔の職人は金属に触れて色を見ただけでその組成が何であるかを見抜いたそうです。仙人のエラー銭観は、そうした金属を扱う職人ならではの視点から矛盾を指摘するので説得力があります。

【泉談・・・所蔵品交歓】
私が贋作と判断していた
、水戸深字の大様を見て頂きました。即座にダメと言われると思っていましたが、しきりに首をひねり「これは良くわからない」と意外な答え。ローラー圧延にしては表面にやすり目が残っているし、深字にしては重い。ひょっとして大化けするかもしれないとのこと。未だに審議品ながら楽しみが残りました。
また、Ⅰ氏の
不知細郭手狭長足寶大様」は長径50mmを超えるのに、焼け伸びにも思えません。こいつも今回の意見交換では謎でした。
この不知銭はなかなか貴重なものだそうで、たまたま仙人も私も類品を保有していましたので3つ並べて記念撮影しました。するとI氏が3品に共通の特徴・・・面郭右側の地に共通の窪み・・・を発見しました。さすがマニア。
天保戎寶も見て頂きましたが、江戸時代の今宮恵比寿の絵銭に間違いないとのこと。近代作は真鍮質で薄っぺらなので、これは肉厚で純銅色に近くしっかりした時代物との評価を頂戴しました。
不知中郭手覆輪赤銅無極印(2013年1月19日の制作日記に掲載)も見て頂きましたが、こいつはOKでした。
そういえば先日、無茶をしてしまった
不知長郭手異貝寶異當百(2013年7月31日制作日記)をじっくり見て頂いていませんでした。ただ、この品に正式な母銭は発見されていない・・・とは、さすが仙人もお気づきだったようです。無茶するぐらいならちゃんと連絡は欲しい・・・とのご指導。ありがたいお言葉です。

【泉談・・・その他】
ラムスデンの傑作、加越能三百通用も拝見。良くできていますが観察すると虎は猫みたいで可愛い。本当の本物が見たいとのリクエストに応じ、仙人が部屋の片隅をごそごそ・・・おいおい、そんな場所に無造作にあるのかい?仙人の部屋はドラえもんのポケットのようでして・・・。
出てきたのが加越能七百通用。直接、手に取らせて頂きました。かつて小川青寶樓師が
「加越能は貨幣というよりも美術品的なもの。」と語っていたという理由も実際に手に取ってみてわかりました。余談ながら仙人は「駆け出しのころ大金を払って加越能の贋作をつかまされた」と方泉處誌上で語っていましたっけ。それで古銭が嫌いにならないとは仙人もすごい人です。
実はお部屋には古銭だけでなく、掛け軸、茶碗、鏡なども無造作に置かれています。きっとこういう方を真のゼネラルコレクターというのでしょう。お話を聞くと趣味だけでなく人脈の力も確実に財産になっているようですね。
趣味で家族に迷惑をかけたことはない・・・とおっしゃる。その昔、引っ越し(夜逃げ手伝い?)をやって趣味のお金を稼いだり、似顔絵も得意だそうでいやはや奥の深い方です。バイタリティもあります。まぁ、私はこの趣味は周囲に秘密にしていますし、趣味以外の得意技も今はないかな。趣味で家族に迷惑をかけたことは・・・あるかなあ。かかったお金だけは秘密なんですけど・・・黙っていられなくて時々打ち明けてあきれられています。

【後日談・・・新発見!】
勉強会のときに謎だった2品、私の
「深字大様銭」とⅠ氏の「不知細郭手狭長足寶大様」について、仙人様が精査してくださいました。
偶然ですけど2品とも大様で、その状況が説明できない。私の場合、基本的にこのような説明できないものについては、はじめに存在そのものを疑う癖がついてしまっています。(悲しいかな、さんざん失敗してきた代償です。それでも最期には良く間違えます。)
今回の2品も常識的には説明が難しいもの。

「深字大様銭」は、書体、極印など製作的には石持桐極印銭そのものです。ただ、銭文径をはじめ全体が大きく濶縁です。文字にはなぜか加刀されたような太細が見られます。たしかに背郭や輪の立ち上がりもきっちりしていて、これで母銭なら問題はないのですが、つくりが母銭ではない。私はこれを圧延されたあとで文字を細く加工したもの・・・母銭に見せかける目的での変造じゃないかと判断していました。圧延ではない・・・というのが仙人の第一声。詳細については、画像とともに以下に報告します。

「不知細郭手狭長足寶大様」は少し色が黒く発色していますので、ひょっとすると焼けたのかなあ・・・というのが、失礼ながら第一感。確かに大きい。画像を重ねあわせてもあきらかに母銭サイズ。ただ、母銭と言い切るには通用銭に近い雰囲気。結論から言うとこれは摩耗した廃棄母銭を通用銭にしたててしまったもの。この大きさ、焼けや延展などの変化では説明が難しい。すなわち3品は兄弟というか親子に近い関係でした。ひょっとしたら母銭のなりそこないの廃棄かもしれませんね。これも詳細についても、画像とともに以下に報告します。


私所有の「俯頭通」と仙人所蔵のそれとの銭文径が明らかに違うことに気付いたのは、編集作業をはじめて3日目の朝。私の所有品の方が大きいことに半切りにした画像を重ねあわせて初めて気が付きました。俯頭通には小様があるので初鋳と次鋳があるのかもしれません。あるいは私の所蔵品が次鋳の母銭なのかも・・・。穿内のやすりがけも特殊ですし・・・。ただし母銭という点は以前に否定されていますけど。
続いて
「宏足寶」「長反足寶」も私の所有品の方が銭文径が大きいことが判明。「宏足寶」は色々なタイプがありそうだからまだしも、「長反足寶」がなぜこんなに違うのかは不明。実は拓本上では銭径もともとこいつは最大級でしたからねえ。
 
長郭手 縮字宏足寶(仙人蔵)
書体素朴。もはや元になった書体すら不明の奇品です。天保通寶と類似貨幣カタログでは細郭手になっていますが、長郭なのかもしれません。(ここでは長郭手にさせて頂きました。)

これ以上の書体変化はないだろうというぐらいのレベルの大珍品ながら驚いたことに不知天保通寶分類譜下巻161Pにこれをさらに刔輪整形した類品があります。
現在は天保仙人の所有に納まるべくして納まり、仙人を代表する所蔵品と言えます。

この品は当面は仙人宅を出ることはまずないと思われ、このような画像の撮影ができることは誠に幸運です。もし、これを雑銭から発見したら心臓が止まると思います。

長郭手 縮字宏足寶(再刔輪
(不知天保通寶分類譜上巻161Pより借拓)

一見、上掲の品をさらに鋳写したものだと思いがちですが、画像を重ねるとほぼぴったり銭文径が合います。すなわち上下の内輪の刔輪加工がきつくされているだけであり、親子の関係ではなく、兄弟あるいは従妹関係でしょう。
書体の変化はわずかに通頭が小さく変化しているぐらいです。背當の中の鋳だまりもそのまま同じなので、母銭をそのまま加刀したのかもしれません。あるいはこのような不知銭は母銭が木型なんてこともあるかもしれません。
発見1
縮字宏足寶には天上の刔輪の強さで2タイプあるものの銭文径は同じと見られること。これは原母銭が同じで刔輪の度合いを変えていると推定されます。
 
細郭手 短尾通細字(仙人蔵)
まるで子供が木の枝でいたずら書きしたような文字の変形です。これだけの変態ぶりなのに、当百銭カタログににおいては特に名称がつけられず、覆輪強刔輪の名前で類品が掲拓されています。
もっと源氏名がついて称揚されても良いと思うのですが、書体の変態ぶりに比べて今一つ存在感がありません。近年、天保通寶と類似カタログでその存在がしっかり示されたため、今後はもっと人気が出てくると思われます。
それにしても名前がねえ・・・類品の存在を考えると今一つ目立たないかな。


細郭手 覆輪刔輪退口呆(浩丸蔵)
長径49.05㎜ 短径33.05㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量19.1g

実物の比較では製作、風貌はかなり異なるのですが、上掲の短尾通細字とほぼ同規品であろうことが画像比較などからも判りました。
①ゆったりとした覆輪刔輪銭形で寶足が少し長いこと。
②呆の変形が著しいこと。
③通尾先端が陰記気味なこと。(さして短くはない。)
④當上の刔輪が著しく、冠点が長く変形していること。
⑤百字の横引き右端が丸く短い。 等の特色が同じです。
鋳造変化だと思いますがあまり細字ではなく保字の印象もかなり異なります。この品は収集の入札で一度不成立になり、再度の出品で私が落としたもの。結果的にかなりお買い得だったようです。薩摩十字のような異極印銭でもあります。
退口保は秋田のM氏の命名だったと思いますが、上の品は進口保気味に見えますね。
「異保短尾通」あたりでいかがでしょうか? 
中郭手 覆輪刔輪斜冠寶(浩泉丸蔵)
長径48.9㎜ 短径32.7㎜ 
銭文径40.2㎜ 重量19.8g
覆輪刔輪で寶足が長く、銭文全体が歪んでいます。また、保人偏が長く寶冠が斜めになっている他に背面の當の冠点が長くなっているのも特徴です。面白い点は鋳肌で仙台藩銭のものとそっくりなんですね。画像ではピントがうまくあわなかったのですけど、縦方向に条痕が走る魚子肌なのです。
背も輪の周囲がぐるりと刔輪されています。また、背當のツが大きくなっています。
※ある方のご指摘で、この不知銭が細字短尾通の類だと教えて頂きました。なるほど・・・。
類似カタログによる分類に従うと「短尾通細字濶縁」ということになりますが、短尾通細字という名称はあてはまらない風貌。
長郭手 覆輪異極印(浩泉丸蔵)
長径49.5㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量23.3g
横太り形が強く巨大に感じます。極印は極印はハート形に近く、左右の葉脈が段違いになっているものが深く打刻されています。銅質に黄色味がやや薄く、古寛永の仙台銭に近い青白銅質・・・その後の調査で、上記の天保銭類と同じ極印=同炉銭の可能性が高い・・・ということが判明しました。地肌、側面仕上げも良く似ていますが、全体的な風貌は全く異なります。極印の葉脈の走り方、輪郭、深く打たれた様子など、比較してください。
発見2
私の所蔵品(覆輪刔輪退口呆)と短尾通細字が同規格品であろうことが判明しました。製作雰囲気は異なりますが、書体のポイントが合致します。同じ品でこれほど印象が異なるのも不思議です。
新発見!
さらに書体違いの類品もみつかりました。これらが同じ系統の品とは気づきませんでした。私はまだまだですね。 
※良い統一名称はないものでしょうか? 同じ系統なのに書体がカメレオンのように変化しています。
 
長郭手 覆輪刔輪長反足寶(仙人蔵)
覆輪刔輪銭の最終形態と言われる進化形。文字は縮小するも整然としており非常にデザイン的です。
この不知銭は私もどうしても欲しくて一品保有していますが、保有後に妙に気になり始めています。
できすぎなんですよね。あまりにも。
不知天保通寶分類譜には「昭和の作り物説」なる逸話が掲載されておりますが、実は出現はもっと古くて大正9年の貨幣には「琉球通寶小字」と同座銭の天保として紹介されています。なるほど、琉球の小字の足の伸び方に雰囲気は似ています。とはいえ否定すべき材料も今以上出るべくもなく、今でも天保不知銭の王者格の品として君臨しているのは言うまでもありません。
長郭手 覆輪刔輪長反足寶(大様)
(浩泉丸蔵)

長径49.45㎜ 短径33.5㎜ 
銭文径39.65㎜ 重量
21.6g
さて、計測していて困ったことをまた発見してしまいました。上記の仙人所有のものに比べ銭文径が1サイズ大きいのです。えっと思ったのですが何度画像を合わせてもこちらの方が大きい。もともとこの品は不知天保通寶分類譜の下巻の原品で、類品中の最大のものです。泉譜でのサイズは長径49.8㎜ 短径33.5㎜ になっていまして、長径が誤りだと判っていますが、目視でも一番大きいと判別できます。文字抜けやつくりからして母銭とは考えていませんでしたが、郭内があまりに美しいのは下の俯頭通と同様です。大化けするかどうかは判りませんが面白くなってきました。
発見3
長反足寶に大様、小様があることは知られていますが、私の蔵品が大様の規格であることがはっきり判りました。今のところ泉譜などで紹介されているもののうち最大です。
 
長郭手 俯頭通(小様)(仙人蔵)
そのあまりにも個性的な書体から、最近は細郭手とされることが多いものの、ここではとりあえず長郭手とします。
見ての通り本座銭をほぼ無視した全くのオリジナル書体であり、超個性的書体。銭形も横広の卵型。
ここまで自己主張があるということは、かなり実力のある藩のものではないかと仙人は推定されています。
(あるいは加賀藩ではないか?)

俯頭通の名称ですが、通頭が平らなものも存在し、名称としては?です。私は巨頭通とか濶頭通の方が良いと思ってます。その独特な書風から人気も高い。
長郭手 俯頭通(小様)(仙人蔵)
仙人所蔵の俯頭通2品目。目立つ書体変化はあまりなく、鋳ざらいによって通頭の角度や大きさに若干の変化がある程度です。
一方で製作や銅質にはかなりの変化があるようです。
長郭手 俯頭通平マ頭(大字)
(浩泉丸蔵)

長径49.0㎜ 短径32.25㎜ 
銭文径41.2㎜ 重量24.1g
俯頭通にはいろいろなタイプがあるようですが、比較の結果、こちらはあきらかに銭文径が大きいことが判明しました。
不知天保通寶分類譜では母銭の長径は50㎜を超えています。この品の長径は49.0㎜で、数字上は母銭ではありません。ところが最近どうも不知天保通寶分類譜の瓜生氏の計測数値にも間違いがあることが判ってきました。すなわち、拓本計測上ですが50㎜を超えるものはわずかに1品程度なのです。
この品は郭内に完璧にやすりがけがされており、きめ細かな砂ぬけなどから小様の母銭としてもおかしくないかもしれません。(ただし文字のつくりは通用銭ですね。)この件については画像撮影後の編集作業で気づきました。俯頭通には初鋳と次鋳があるのかもしれません。泉譜で計測するとどうも平マ頭のほうが銭文径が大きいような感じです。これはもう一度精査が必要でしょう。
長郭手 俯頭通平マ頭(母銭)
(天保通寶母銭図録から借拓)
印刷物との照合ながら銭文径の大きさ的には私の所持品と完全に符合・・・というよりも勝るとも劣りません。俯頭通には小川青寶樓師が所有していた大字と名付けられた一回り大きな濶縁母銭があります。実は濶縁肥字になっているだけで銭文径自体は計測上は私のものとほぼ同じでした。
また、私が感じた平マ頭のほうが銭文径が大きい・・・という感覚は不知天保通寶分類譜上巻45Pの8番に掲載されている拓図が隣の母銭と同じ銭文径サイズであることから来ていました。以上を総合すると、あくまでも印刷物との比較になりますが、私の俯頭通はどうも母銭サイズで間違いない・・・少なくともちょっと上作であり、自慢してよろしいものという結論に至りました。
発見4
俯頭通に小様があることはなんとなくわかっていましたが、こうもはっきり異なるとははじめて判りました。私の品物、立派でしょう?でも小様の方が珍しいのかもしれませんね。
母銭と同じサイズであり、限りなく母銭。通用母銭という言葉があるなら母銭様通用銭です。
  
斜珎(仙人蔵)
貼り合せ技法という言葉を初めて学んだ不知天保銭です。
中見切方式での鋳造は天保銭ではよくあると思うのですが、前後の型合わせが下手だったと見えてずれているものが非常に多いのが特色です。

長郭手 斜珎(仙人蔵)
斜珎という名前でひとくくりにしているものの、雰囲気的にはずいぶん異なります。
製作的には面と背の型を別々にとったのか、中身切りの合わせ目がずれる癖があります。
その他には名称通りに珎が歪むこと、覆輪刔輪であることなどが特色になります。
掲示の品は上下に型枠がずれており、斜珎としては模範的なもの。
長郭手 斜珎(浩泉丸蔵)
長径48.6㎜ 短径32.2㎜ 
銭文径40.85㎜ 重量20.9g
鋳ざらい痕跡が生々しい肌で、一見すると母銭のような雰囲気ですけど、銭文径は上の2品ときれいに重なります。
この品はⅠ氏から購入したもの。
ずいぶん思い切りましたが、入手できてよかったです。
この品を手に入れた頃から、私の古銭病も悪化したように感じます。


貼り合せ手のものは、面細郭、背長郭のタイプが多く見つかり、地の雰囲気はこれににてすべすべした砂目を感じさせないものが多いのです。そのタイプと斜珎の関連性はよく分かりませんが、製造方法の共通性から見て何かが関連あるかもしれません。ただし、イメージ的には、面細郭、背長郭のものは銅質が異なり、かなり時代が降る気もします。あくまでも私個人の感ですけど。
細郭手 削頭天(貼り合せ手)
(浩泉丸蔵)

長径48.6㎜ 短径32.35㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量22.2g
類似カタログで削頭天の名前がつけられていますが、旧譜では刔輪・尖足寶など違う名称を付けられて何度も登場しています。最大の特色は面細郭、背長郭の貼り合せであることなのですが、これが意外に判別が難しいので名称にはついていません。不思議です。
それ以外の書体特色では天字第一画と通頭の横引きが削られ反り返ること、花押の袋部分のカーブがきついことなどがあげられます。
製作的には貼り合せ技法で作られているということに加え、砂目粒子を感じさせない独特の鋳肌があげられます。

細郭手 削頭天(貼り合せ手)
(浩泉丸蔵)

長径48.8㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.8㎜重量21.0g

平成30年に入手した品。やはり、砂目粒子を感じさせない独特の鋳肌です。
削頭天は比較的数がある方の不知銭ですけど、銅色はまちまちでここまできれいに発色しているものはあまり見ていません。鋳肌の鋳ざらい感も良く出ています。
面白味から見るともっと称揚されてよい品ですが、存在数が比較的みられることなどから入手しやすい不知銭です。
ただし、特徴に気づきづらいので知らずに保有されている方も多いと思います。不知天保通寶分類譜などにもあちこち登場しています。
 
発見5
貼り合せ手の代表格、斜珎にもいろいろなものがあるんだなと実感。書体だけでなく製作を総合的に見るのが大事。それにしてももう少し勉強が必要。今回は判っていないこと・勉強のし直しが必要なことを学びました。
 
覆輪強刔輪長宏足寶(縮字タイプ)
宏足寶ですけど銭文径が41㎜以下のもの。推定2度写しサイズです。いわゆる次鋳銭ですね。細縁タイプとしたものと文字の大きさの違いを感じ取っていただければ幸いです。印象的には細縁タイプのほうが足が長く見えるのですけど、濶縁を長宏足寶とするのが(泉界の慣習としては)正解のようです。しかし、刔輪の度合いに違いがなく、濶縁タイプは細縁タイプの改造母銭から生まれたと考えられるから、そもそも長宏足寶と宏足寶に分けることが意味がないのかもしれません。さらに細縁タイプには背側が極端に細縁に刔輪されたものがありますが、私にしてみればいずれも長宏足寶。
この一段階前の宏足寶(らしきもの)もあるわけで、そちらを宏足寶、そしてこちらを長宏足寶とすべきなのでしょうかね。
覆輪刔輪長宏足寶(濶縁縮字タイプ)
見事な美銭そして文句のない宏足寶ぶりです。実は宏足寶については判っているようで不明な点が多く、不知天保通寶分類譜においても同じ品を宏足寶としたり、”長”宏足寶とか名付けています。
ここに掲示されているものは実は濶縁の分わずかに銭文径が小さくなっています。
これが母銭からのものなのか覆輪による変化なのかはまだわかりません。下の天保の方が細縁ですが、磨輪だけでなくほんのわずかですけど刔輪が下の方が強いのです。
この文字の縮小をどう見るのかは私にはまだ結論が出ていません。少なくとも宏足寶は複数の系統があると思います。
覆輪強刔輪宏足寶
(細縁タイプ:浩泉丸蔵)

長径49.6㎜ 短径32.7㎜ 
銭文径41.15㎜ 重量25.0g
宏足寶の中でもなぜか銭文径がやや大きめで、細縁になるタイプです。細縁になるものは花押に特徴があり、これよりさらに背細縁になるものがあります。
掲示の品は私の大好きな白銅質の天保銭で、なかなか少ないと思います。濶縁縮字になるものはこれに覆輪をして写したものだと思います。
私は個人的には細縁タイプを長宏足寶、濶縁タイプを宏足寶としていましたが、泉譜はそうではありません。細分類はあまり意味がないかもしれません。
覆輪強刔輪宏足寶
(細縁タイプ:浩泉丸蔵)

長径49.75㎜ 短径33.05㎜ 
銭文径41.3㎜ 
重量22.9g
前述した背細縁のタイプです。もし、これらの中でどれが真の覆輪刔輪長宏足寶だと言われたら、このタイプのものを私は示します。すなわち銭文径が大きく、磨輪ではなく細縁であり、かつ背の刔輪が一段と進んでいるタイプです。寶足も直線的に伸びていますから・・・。
宏足寶もよく観察するといくつかタイプがあるようです。理屈からすると銭文径の縮んだ方が少ないはずなのですが、さて実数的にはどうなのでしょうか?
宏足寶そのものが希少品なので今まであまり顧みられていなかったことですが・・・知りたいですね。
細縁タイプの宏足寶にはいくつかの系統があります。英泉譜にそのことがはっきり記されていて、画像左の、英泉譜で「花押中央下ポツ」とされるタイプと右側の「花押中央先端切れる」というタイプです。前者は花押しの袋の下部分に穴状の切れ目があり、先端部が上に跳ね上がる癖があります。一方、後者は花押のツノの一番下部分が鋳切れ、袋の中に小さな突起が見られます。また、當上の刔輪はかなり強烈です。
當百銭カタログでは長宏足寶と宏足寶に分けていますが、画像計測しても面側は銭文径と内径に差異がほとんどなく、分類は意味がありません。やはり背當上の刔輪や花押で区別すると良いようです。
※不知天保通寶分類譜(下巻141P~)では左側タイプのものが長宏足寶とされています。(No19とNo22)おそらくNo20(當百銭カタログの264番原品)も同じタイプだと思います。
(2012年3月制作日記記事より:加筆)  
花押ヒゲ先端跳ね上がる
花押下ポツ穴
花押下ヒゲ先端切れる
背當上刔輪・花押内に星
覆輪強刔輪背細縁(浩泉丸蔵)
長径49.45㎜ 短径33.65㎜ 
銭文径41.15㎜ 
重量20.3g

私が考える宏足寶の前駆銭。天上や背の刔輪はすでに宏足寶と同じレベル。寶足もすでに直線的に伸びはじめていて、宏足寶としても何とか通用しそうな感じです。鋳肌など製作も似ています。
覆輪刔輪深淵様(浩泉丸蔵)
長径49.0㎜ 短径32.3㎜ 
銭文径40.55㎜ 
重量19.3g
こちらは寶下の刔輪は強いものの天上はほとんど変化のないもの。もちろん宏足寶は名乗れません。
銭面の中央が高く輪の際に向かって傾斜のある変わった鋳ざらい加工が見られるもの。ただし深淵を名乗るほどでもありません。
宏足寶を名乗るには少なくとも
①覆輪の横太り銭形であり
②天上、寶下ともに強い刔輪が見られること
③寶足が幅広く、長く開くこと
が最低条件でしょう。結構厳しいですね。

発見6
今回、色々なタイプの宏足寶があるんだな・・・ということを実物を見て覚えました。銭文径にはっきり差があることも並べてみて感じました。 
 
深字大様銭(浩泉丸展示品)
長径49.45㎜ 銭文径40.55㎜ 
重量17.6g
当初、私は変造品だと判断しておりましたが、勉強会の翌日に天保仙人様から連絡があり、大川天顕堂がかつて報告していた大型の深字母銭(稟議品?)から生まれた試作的な通用銭であろうとのことでした。
拓本は大川譜にも掲載されているようで鍍金されており、鍍金加工の過程で文字の肥痩が生じたものとの情報を得ました。これぞ瓢箪から駒?棚からぼた餅?今のところ、初めての発見のようで、とりあえず現存1品らしい品です。こりゃおどろいた。そういわれてみれば、郭がとてつもなく立派です。しかも立派な石持桐極印銭です。
※文字の加工などは完全に母銭仕立ですね。母銭でも良い気がしてきました。でも銭文径は通用銭。不思議です。
深字(通常銭)(浩泉丸蔵)
普通銭は比較用です。たしかに上の品は立派ですけど母子の関係ではありません。17.6gという重さも深字としては重めながら標準から大きく外れてはいません。
文字、郭、輪とも立派・・・ただ、なぜか一部の文字が細く加工されています。その理由が分からなかった。

仙人は大川譜の記述から鍍金加工による変化と見たようです。
発見7
変造ではないかと考えていた深字大様銭が、大川譜にも類品が掲載されている正統派のものであることが判明。これは衝撃でした。言われてみれば確かに立派。立派すぎるゆえに変造としてしまった自分が恥ずかしい。これは掘り出し物です。
 
細郭手狭長足寶 3枚
左から所有者は 浩泉丸 Ⅰ氏 天保仙人様

これだけの珍品が3枚並ぶことはまず珍しい。そして中央の品は長径・短径・銭文径ともに一回り大きい。
結果として、
中央の品は母銭であることが認定されました。確認現存はもちろんこれのみの大珍品です。
通用銭(左)  長径49.5㎜  銭文径40.65㎜
母銭(中央)   長径50.4㎜  銭文径41.33㎜
浩泉丸所蔵品 Ⅰ氏所蔵品(母銭) 天保仙人所蔵品
発見8
今回、Ⅰさんが不思議だと言って持ってきたのが50㎜を超える不知細郭手狭長足寶。やはり母銭でした。これも新発見。(あるいは原母銭から写された最大様銭かもしれません。)
 
広郭手 反郭長足寶(魚子肌)(仙人蔵)
魚子肌で長足寶、反郭。一見すると仙台長足寶風ですけど、微妙に異なります。スキャナー撮影でもはっきり映るこの鋳肌は、魚子肌というよりサメ肌。月面を縮小したようなクレーターの集合体です。
ゆったりした横広銭径、反郭の様子などから、ほぼ仙台銭と同じつくり方・・・すなわち細郭に覆輪、嵌郭したものと推定できます。たしかに凸状肌の仙台とは凹状肌で異なる気がしますが、共通点も多い気がします。極印も花序が尖っていて類似していましたのでなんらかの関連性があるような気がしました。


※画像比較で、こちらの銭文径がかなり大きいことが判明しました。これは予測外です。画像計測では41㎜以上あることはほぼ確実です。となると母銭は本座広郭の母銭と同じぐらいの大きさになるはずです。こいつは不思議だ。(おそらく仙台長足寶大様のサイズと同等ぐらいでしょう。)
仙台藩銭 長足寶小様(浩泉丸蔵)

画像を比較してみましたが銭文径が全然違う!それに肌もずいぶん違いますね。
本家は間違いなく覆輪刔輪の鋳写しで、銭文径がかなり小さいのですね。
拡大画像比較はすごく勉強になることが証明されました。
発見9
ひとめ仙台銭にしか見えなかった不知広郭手。手持ちの仙台長足寶と画像比較してみたら、銭文径などがまるで違いました。本座の通用と同じで、覆輪写しの仙台銭とは全く生まれが異なります。仙人様がこれは仙台ではないよと言っていた理由がようやくわかりました。では、こいつは何なのでしょうか?
 
長郭手 覆輪刔輪深淵(仙人蔵)
立派な覆輪の大様銭です。スキャナー画像ではうまく撮れなかったのですが、輪の際から帯状に陥没したようにえぐられています。とくに背右側の陥没は目を引きます。

※私は深淵の定義が今一つ判っていません。細い溝状に彫られたもの、このように帯状に彫られ傾斜が付けられたもの等様々です。
同炉だとは断言できないかもしれません。
長郭手 覆輪刔輪深淵(浩泉丸蔵)
長径48.9㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量23.2g

仙人に対抗しているわけではありませんが、面側の彫り込みはかなり判りやすい。しかし、覆輪や背の様子は仙人の品物に比べるべくもありません。

実際に指で触ってみて頂ければ、輪際が深く中央が高いという不思議な形が良く分かります。私はこの天保銭を触るのがとても好きです。本当に不思議・・・そして滑らかです。
長郭手 覆輪刔輪深淵(浩泉丸蔵)
長径48.6㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量22.1g
私なりの深淵の定義があります。そのなかで重要なポイントを記します。

①覆輪刔輪銭で地肌がえぐられ、2本の指でつまむとまるで碁石を触っているような感覚になること。
②寶貝の左角と寶王の間に加刀があり、貝からわずかに離れること。(ただし、鋳造状態によってこの特徴は現れないこともあります。)
その他のポイントもありますが、この特徴は押さえましょう。①は勢陽譜の解説
(灰黄色作良。谷の輪に沿う部分深く、中央ほど浅い特異の作)に、②は拓本の印象にぴったり符合するからです。
発見10
深淵天保とはどんなものということが判らず、仙人所蔵の品と比較してみました。さすがに仙人の品はクラスが異なります。ただ、仙人の深淵と私の深淵は若干系統が違う感じ。これだけはもう一度、仙人の品物を触って確認してみたいです。
 
細郭手 草点保(大様)(仙人蔵)
文字素朴。昭和4年に青貨堂貫井銀次郎氏がはじめて貨幣誌に発表したもので、貫井はごく初期の私鋳銭、関東より以北の出自であることを示唆しています。不知天保通寶分類譜ではこれを「短用画通」「長用画通」「小頭通」「高頭通」「陰起文」「不草点保」などに細分類していますが、もともと文字の鋳出しが今一つなので細分類にこだわるのはあまり意味がないかもしれません。
しかるにこの品は濶縁で大ぶり、画像写りもこの上なく美人の優等生です。さすが仙人自慢の品です。
細郭手 草点保(仙人蔵)
こちらはすっきり細字にできています。大体草天保なるものは鋳だまりや文字の陰起が激しく、美銭は少ないものです。輪幅は普通ですけど状態的には上掲品に勝るとも劣らない品です。
発見11
私の所有する自慢の草点保と並べようとと考えましたが、色が濃いので画像上どうしても暗くなってしましたのでキャンセル。これは今のスキャナーの特性ですね。しかし、2品とも素晴らしい。仙人が「私の草点保はきれいだよ」と、いつか自慢されていたのがうなづけます。上の品はかなり濶縁ですね。
 
加越能通用七百(仙人蔵)

本物の加越能通用が見たいという無茶なリクエストに対し、仙人は荷物の山から無造作にこれをとり出して見せて下さいました。
大きい・・・重い。失礼ながら額面が書いていなければ文鎮みたいですけど、これがかなりの貴重品。普通は見ることもできません。
ラムスデン作 加越能通用三百
(仙人蔵)
加越能通用五百と七百が発見された時、必ず三百があるだろうと古泉家達は推定しました。そして予測通り三百が世に出たとき、収集家の多くは大金を支払ってこの三百を購入したと言います。その品がラムスデンの空想の産物であることは、後に本物が世に出るまで判りませんでした。
七百が松竹梅の梅と干支の七番目の馬、五百が松竹梅の竹と干支の五番目の辰であったことから、松と虎の組み合わせであろうと推定し、世に出したところあまたの収集家が騙されました。これぞ空想贋造銭の最高傑作です。
良くみると虎は水戸虎銭から写したことが判りますが、まるで猫みたいで可愛いです。
発見12
生まれて初めて見る加越能の本物!こんな貴重品が無造作につまれた銭箱の山の中から出てきたのにはびっくり。知らないと文鎮にしか見えません。私には100年早い品物です。ラムスデンの贋作は傑作ですね。 
 
長郭手 奇天手(異足寶)(仙人蔵)

非常に大きな覆輪銭径と極端な細縁、字画末端を伸ばした雄大な文字の有名銭です。
天前足が伸びようとしていますね。また、異足寶という名称がかつてつけられたように寶足が変形しながら輪に接しています。画像を加工するとあきらかに穿下の方が穿上の長さより長くなっています・・・つまり、穿位置が上に偏っています。

これは数々の泉譜を飾った原品みたいです。
長郭手 奇天手(異足寶)浩泉丸蔵
長径49.3㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径41.3㎜ 重量24.5g

(天保通寶と類似貨幣カタログNo.196原品)

古銭収集をしていて、この奇天手を入手することになるとは夢にも思っておりませんでした。
奇天ほどではありませんが天前足が伸びようとする癖があり、肌も独特のぬめぬめ感があります。
長郭手 張点保(異足寶平頭通)
(浩泉丸蔵)
長径49.75㎜ 短径33.35㎜ 
銭文径41.6㎜ 重量22.1g


はじめてこの天保銭を見つけたとき、店主はこれを水戸大字だと言っていました。こうしてみるとこの銭種類は文字の末端を意図的に伸ばしています。張点保の場合、保点についてよく言われますが、やはり天二引の力強さには目を奪われます。よく見ると天の前足も伸びたがっていますね。
非常に巨大な銭径で、色からして焼け伸びの可能性も否定できないかなと思っていましたが、画像を奇天と比較しても内径はほぼ同じなので、もとから巨大な銭径であることが判ります。とにかく不思議な類。名品だと思います。
発見13
奇天手を手に取ってみるのは3回目。この奇天手は天の前足に違和感がないもの。その昔見たものは彫り込みのようなものが感じられましたが、Y氏の所蔵品と同様これは自然。ぶつぶつざらついた地肌の雰囲気も私の張点保と同じで、同炉であることを確信できました。 
 
長郭手 広穿大字(仙人蔵)
これはもう説明不要の有名品です。薩摩小字か濶天保、あるいはこの広穿大字あたりの極美品が、ぽろっと入手できないかとあこがれています。
こんなに珍品なのに人偏の爪の有無の手替わりがあるそうです。(爪があると連玉珎になるようです。)
でもこの書体、花押の癖も薩摩で良いんじゃないかしら・・・。
長郭手 広穿大字(浩泉丸蔵)
長径49.75㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径42.6㎜ 重量23.0g
2020年のヤフオクで狂乱の末入手したもの。滑らかな肌で製作も非常によく何より巨大な文字と極端な広穿が目立ちます。仙人様の所蔵品と文字位置などほぼスペックがぴったり同じです。
このコーナーには広穿大字と薩摩小字短人偏・長人偏を並べていますが、書体はともかく製作はみんな違います。この広穿大字は琉球通寶の大字狭貝寶になんとなく似ています。
長郭手 薩摩小字(短人偏)(仙人蔵)
不知小字と言われるより、薩摩小字と言った方が通りが良い品です。文字大きく広穿であり、通辵が力強く、末尾が短く跳ねます。
今回、じっくり観察させていただきましたが、極印の形状がほぼ薩摩の系統であることを物語っていました。
琉球の小字桐極印に近いものが打たれています。
長郭手 薩摩小字(短人偏)(浩泉丸蔵)
長径49.5㎜ 短径33.5㎜
銭文径41.0㎜ 重量21.9g

大和文庫の入札に2019年春に現れた銘品中の銘品です。文字の繊細さ、製作のち密さは抜群です。なお、この画像と天保仙人様の小字の画像はほぼぴったり重なります。つまり、仙人様の小字もかなり大きい・・・黄銅質大様であるということです。黄銅質の大様は別格の存在で、戦前には2枚程度しか確認されていなかった・・・という逸話も残っているほどです。
長郭手 薩摩小字(長人偏) (鉄人蔵)
長径48.65㎜ 短径33.11㎜ 肉厚2.66㎜
平成24年のネットオークションに出現したもので、現在は鉄人が所有しております。この類は一般的には不知小字とされていまして、人偏の長短、當冠の前垂れの長さで分類できるそうですが、これは長いタイプです。
しかし、特徴は合致していますので薩摩小字の名前はやはり捨てがたいですね。小字肥字としても知られていますがこれは文字が太くありません。これが本来の姿なのでしょう。
これが薩摩から籍が離れてしまった理由は、あまりに大きさや銅質が異なる品・・・怪しい品・・・が出てきてしまったから。この品は文字にキレがあり(写しではなく)満点です。薩摩小字の名前は復活してほしいなあと思います。
※画像はデジカメ写真を加工していますので、若干歪みがあると思われます。 
発見14
これらは薩摩藩の可能性が高いと言われる不知銭です。確証はありませんが本物はやはり良いとの印象です。すなわち、このようなものに手を出す場合、自分の第一感を大事にしなければならないということ。いやな感じがする場合はNGですね。
 
中郭手 原母銭(仙人蔵)
水戸方面で発見されたという不知天保銭の原母銭。非常に巨大で金属も少し特殊に感じます。
もしかするとこれが接郭のモデルになったのではないかとのこと。
私が出会ったら・・・あまりにもできすぎているので手が出せないかもしれません。それだけ巨大で異様かつ美しい品です。。原母銭とするには郭の仕上げがちょっと雑でしょうか?
銭文径は画像比較で本座広郭とほぼ同じ41.2~3㎜でした。接郭の通用銭の銭文径は40㎜前後ですから、約1.2~3㎜の差。
本音を言うと接郭の原母は本座広郭を覆輪したものであって欲しいと願っておりましたがこれはその痕跡はほとんどありませんでした。残念!
接郭 銅母銭(天保通寶母銭図録より)
天保通寶母銭図録に接郭の母銭と称するものが掲載されていますが、生意気を言いますがどうも感心しない。
銭文径が縮みすぎているのです。(推定銭文径40.2㎜)あくまでも印刷物との比較なので正確性は欠きますが、本座の母銭などは拓図とサイズが一致しているのですがこの接郭に関しては今一つ。一番立派そうな拓図でも接郭の通用銭の銭文径程度しかありませんでした。
通用母銭というものの存在は認めます。筑前通寶などはそうでしょう。しかし、母銭を名乗る限りはそれより銭文径の縮んだ次鋳通用銭が存在しなければなりません。
とはいえ、これは印刷物との比較ですから結論は早すぎますね。今度は本物の接郭の母銭を見せてもらいましょう。
不知中郭手覆輪赤銅無極印(浩泉丸蔵)
長径49.75㎜ 短径33.25㎜ 
銭文径40.4㎜ 重量25.9g
上の接郭母銭とほぼ同じ(わずかに大きい)銭文径です。接郭と同じような制作方法ながら刔輪されていません。
出来すぎのような気がしておりましたが、矛盾点はありません。こいつが接郭の刔輪前母だったら面白いんですけど違いますね。
接郭関連の画像と重ねあわせて比較してみました。接郭は全体に内輪が削られていますが、とくに天上の削られ方が激しいのが判ります。たしかに、上の原母銭の内輪を削ればちょうど接郭の原母ぐらいになりますね。
なお、通用銭の銭文径から考えられる接郭の母銭の大きさは銭文径で40.4~40.8㎜の範囲と推定されます。白い貼り付け画像は母銭図録のものなのですけど、通用銭サイズですね・・・あれれれれ・・・。
発見15
接郭の母銭についても拓図での大きさ計測がうまくゆきませんでした。印刷物比較なので何とも言えませんが、どうも瓜生氏の残した計測値は実物と異なるようなのです。
原母の可能性のあるものが覆輪痕跡がないこと、本座と同じ銭文径であることは一見不思議なのですが、職人が摸刻で写したと考えれば合点が行きます。 
 
中郭手 勇文(仙人蔵)
昭和泉譜では濶天の名前でした。その昔は会津藩銭とされたあまりにも有名な天保銭です。筆法や花押は会津藩の天保銭に似ていて、 天や保の字画先端が意識的に伸ばされています。この手法も会津藩に通じるところ・・・短貝寶の手法・・・です。
しかし、銅質がごらんのように赤くなく、鋳肌も異なるために会津藩から不知品に戻された経緯があります。
勇文は浅地で鋳だまりが多いのも特色。
銅色がやや青白ものが見られることから、おそらく豊後の白目銅との関連が推定されたのか、関西方面の出現と最近は噂されるようになっています。
この品はおそらく昭和泉譜原品の品と思われます。不知天保通寶分類譜では大川天顕堂に渡り、文化庁に納められたことになっていますが、その前に市場に出たものだと思われます。
会津短貝寶(浩泉丸蔵)
筆法が似ているという理由で会津藩穿とされた勇文ですが、実物を見る限り製作や鋳肌は全く違います。また、長径、銭文径もかなり縮んでおり、銭文径は推定で40㎜をはるかに切っています。文字全体が扁平に萎縮しているのです。
これは勇文が単純に銭文の先端を修飾して伸ばしたものではなく、ほぼオリジナルな書体であるということです。
仮にベースが本座銭だとしたら、覆輪刔輪したものを写し母銭としてさらに文字修飾して、写したレベルです。
会津濶縁離足寶(浩泉丸蔵)
これは古銭会が終わって自宅に帰ったら届いていた品。
会津特有の葉脈がはっきりしない五芒星型極印が深く打たれています。私はこの桐極印を「ダビデの星」極印と勝手に名づけています。これを見る限り会津濶縁はやっぱり会津藩だなあ・・・と言う気になります。なお、この品は会津濶縁の中でも寶足が輪から離れる濶縁離足寶と呼ばれる類。かなりいろいろ見てきたおかげで最近は見てすぐに判るようになりました。病気ですね。
迷ったら銭文径を測ってみるとわずかにこちらの方が銭文径が小さく40㎜を切るものが多い。しかしその差は再覆輪タイプと0.1~0.2㎜だからやっぱり難しいですね。画像で見ると寶足が長く見えてしまいますが、拓本や肉眼でははっきり離輪しています。
発見16
実際に並べてみて、やはり勇文と会津との関係は限りなく希薄だということが判りました。勇文は横太りで意外と長径、銭文径とも短いですね。形から見て覆輪刔輪のはずです。
 
長郭手 覆輪刔輪大点尓寶小様
(浩泉丸蔵)
長径48.3㎜ 短径32.1㎜ 
銭文径40.3㎜ 重量20.5g
覆輪刔輪大点尓寶は当百銭カタログの名称で別名の短尾通の方が判りやすいかもしれません。
穿内はべったり全面的にやすりがけがされていて、それが過度なため背郭も極端に細くなっています。また、極印は極小の桐極印が深く打たれています。
これは穴銭31号の落札品で、不知天保通寶分類譜の下巻P129の原品です。不知天保通寶分類譜には短尾通類はなぜか2ヶ所に分かれて掲載されています。(刔輪の項と覆輪刔輪の項)天保通寶と類似カタログには説明に「刔輪もある」とありますが、あるいはこのことなのででしょうか?実物を見る限り、拓本の用紙のたるみの影響のように思え、特に差があるようには見えません。
長郭手 覆輪刔輪大点尓寶大様
(浩泉丸蔵)
長径49.2㎜ 短径33.1㎜ 
銭文径41.3㎜ 重量20.9g

上記に比べ一回り大きな品。しかし、金質こそ違いますが母銭には見えません。当百銭カタログのサイズは大様であり、類似カタログは拓本の大きさから見て小様です。不知天保通寶分類譜では2枚が小様、1枚が大様です。拓本や掲載数値上の判断ですので正確ではありませんが・・・。
しばらく考えましたが、この大点尓寶は通用母銭を大量に作って鋳造しているのではないかとの思いに至りました。
ここまで考察をしていたらひらめきました。夏の古銭会のときの細郭手狭長足寶をはじめ、俯頭通や宏足寶にことごとく次鋳なのか大きさの異なるものが発見されたことです。
1つの銭笵には数十枚の母銭が必要なので、ひとつの枝銭を鋳造するのに原母銭はもちろん、原母銭から複製した母銭や通用銭をて改造したものなど、サイズ違いまで混ぜ大量鋳造を行うのが手っ取り早い方法なのです。これによりサイズ違いの不知銭が生まれる理屈がようやく納得できました。 
発見
2015年の2月に書いた制作日記からの転載です。目の利かない私もようやくこの考えに至りました。不知銭については大きさがいろいろあって当然なのかもしれません。
 
絵銭 天保戎寶(浩泉丸蔵)
長径47.6㎜ 短径32.1㎜ 重量16.8g
純赤銅色の打印絵銭。天保仙人によると江戸時代の今宮戎の絵銭だとのこと。新しいものは真鍮質で薄く、古いものは肉厚のものだとか・・・。
お遊びで入手した絵銭ながらまずまずの品物、そして由緒です。だからどうしたと言われればそれまでなのですけど・・・。
 
長郭手 覆輪陰起寶
真鍮質という表示がついていましたが、今の真鍮質ではなく明和期の青銭の色に少し近い色です。
どろんとした風貌ながら、立派すぎるほどの覆輪銭。これだけのものはまずめったにないでしょう。判りやすい不知銭でもあります。
長郭手 覆輪面存痕異書(撫角銭)
長径48.6㎜ 短径32.3㎜ 
銭文径40.45㎜ 重量22.9g
上記の覆輪陰起寶の画像をふとながめていて、この銭の存在を思い出しました。微妙に製作や銅質は異なりますが、寶字の崩れ方はそっくりですね。でも背文字などを見る限りやはり全く違いますね。
長郭手 覆輪最大様
天保仙人をして「これ以上の覆輪銭はまず見たことがない」という大きさです。
輪幅で言えば仙台濶縁に匹敵する規格。縦径もさることながら横径が立派。
うっかり計測するのを忘れてしまいましたが、天保銭としても超巨大です。
長郭手 覆輪異極印           
長径49.5㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量23.3g
私の手持ち品の覆輪銭の最大級のもの。こうして並べてみると結構健闘していますね。仙人の品を初めて見たとき、鋳肌などの質感が良く似ていると漠然と感じていました。雰囲気はありますね。なお、こちらの極印はハート形に近い変形異極印です。

※なんとこれが短尾通細字類と非常に似ている(同じ?)極印を使用していることが判明。おもしろくなってきました。金質は古寛永仙台銭に近いし、鋳肌も魚子地肌気味ですからこれこそ「仙台大濶縁」だったりして・・・。
長郭手 嵌郭
仙人曰く、広郭がごく最初に出現した時にそれを見た職人が母銭に増郭したのでは・・・ということ。加賀千代作との噂もあるものの、本物があるからこそ贋物が出現するのだ・・・ということ。なるほど納得。仙人は嵌郭を贋作を含めて収集されているようで、私の収集品もかつて差し上げています。
 
長郭手 厚肉重量銭
何の変哲もない鋳写銭ながら、持った瞬間にずしっとくる重さです。重さを計測したのですが、資料を紛失してしまいました。少なくとも26g、たしか28gぐらいあったと記憶しています。
長郭手 覆輪厚肉重量銭
こちらは厚みや重さはさほどではないものの横太りの覆輪が顕著な逸品です。
重量は少なくても24g以上、たしか26g台だったと記憶しています。
  
 
H氏 天保銭秘蔵録
2013年11月13日 H氏が我が家をご訪問くださいました。
お土産としてこれらの収集品の画像の撮影をさせて頂きました。
 
仙台広郭(背面画像なし)
奇品館No.94の原品であり、ネットオークションから大和文庫を経由してH氏の蔵中に納まった次第。将来は我が家に来い・・・と願いたいところですが、宝くじでも当たらない限り手が届かない品です。ネットの画像より数段美しく、また濶縁ぶりも見事です。
あわてて撮影したため背面の撮影を忘れてしまいました。大失敗ですね。本日、仙台広郭を2枚お持ちされたようですが、この品を複数お持ちの方は滅多にいらっしゃらないと思います。
仙台広郭
若干上の品より輪の幅が狭く感じますが、これも立派な仙台広郭。本座細郭と重ねてみると銭文径は0.7~0.8㎜くらい縮小しています。覆輪写し変化によると私は推定しています。
長郭手 覆輪刔輪長反足寶(大様)
鋳肌の美しい逸品です。私の所有品ももともとはH氏が保有していたと言いますから・・・。
画像を重ねあわせて見るとほぼぴったり重なりあいます。したがってこの品も大様のものであることが判ります。
薩摩小字(短人偏)
この薩摩小字は銅質や製作、大きさにかなりばらつきがみられます。これはその昔大和文庫において販売していたものだと思われます。

大きさは49㎜後半から48㎜程度まであり、銅色も赤いものから白銅っぽいものまでいろいろ。例えば 村上英太郎氏の天保通寶研究分類においてもかなりのばらつきが見られます。
本銭はかなり小様ですが、銅色は薩摩と言われても納得できる色です。
広郭手厚肉銭(重量30.4g)
非常に粗末な天保銭ながら重量が30gを超えています。この品は横浜古泉研究会の入札誌、穴銭に掲載されていたもの。画像を重ねてみると本座広郭の銭文径とほぼ重なります。広郭においてはこのように銭文径に違いがほとんどない(写しではない)不知銭が存在すると思われます。
広郭手厚肉異極印銭(重量24.4g)
細縁になっていますが重量は24gを超えています。極印が本座でも久留米でもない。したがって不知銭とするしかないもの。銭文径は本座とほぼ同じです。
会津藩銭 萎字大広郭
この銭を見たときはあまりの美しさに震えが来ました。都内の古銭店の店頭にあったのですが、納まるべきところに納まった品と言えましょう。これぐらいの品を所有できれば古泉家として鼻高々なんですが、家の中の居場所がなくなりそうです。


※私が知る限りの最高美品です。小郭は学生のS君がお持ちの品が非常に美しい・・・という噂を聞いております。
萎字は会津短貝寶の改造母銭から作られた・・・という説(瓜生氏説?)を聞くのですが銭文径などがまるで違い、ありえないと断言します。
そもそも文字の配置位置がまるで異なります。銭を中央で分断して、縦に穿を伸ばしたのなら判りますが・・・。
重ねてみると銭径はほぼ同じながら、内輪、文字位置が完全にずれています。
画像で見る限り会津萎字大広郭の銭文径は本座広郭より大きく、長郭に近いサイズです。ただし、これは穿が大きいからで文字の大きさはむしろ短貝寶のほうが大きいかもしれません。(保の字などは大きい)
やはり新規母銭によるものと考えた方が正しいと思います。
細郭手 削頭天(貼り合せ手)
面は細郭、背は長郭と言う異色の天保。意外に数があるので評価はそれほど高くないもののやはり押さえておきたい不知銭。天の横引きが少し短くうねる癖、通頭の反り、背の花押の右の袋底の反りに加刀が見られます。
なお、この手は面の向かって郭の左側の地肌にかすかに溝のような共通の凹みがあるとのことですが、目を凝らさなければわからないレベル。これを発見したのは秋田の村上氏だとか・・・さすが神様。

※この品は銅色が本座に近く、非常に上作です。
天保通寶広郭 鉄写し
広郭写しの鉄天保には、「辰五郎天保」と言われるものがありますが、この天保銭は銭文径から見て本座広郭の母銭から写したものと思われます。
したがってあくまでも近代絵銭としてとらえるのが妥当だと思われます。

玩具 鉄鋳軍人将棋駒形札
(少尉・馬・満点)


天保銭の形を模したのは陸軍大学校の卒業徽章の形が楕円形で、一般に天保銭と言われていたからだと思われます。
卒業徽章は陸軍大学校卒業生の証で、エリートの証。周囲からは羨望のまなざしで見られたとのこと。
もちろん、この玩具と卒業徽章の形は全く異なります。
100%玩具でありますが、識別証ペンダントとして使用したのか、あるいは何かにひっかけるためなのか、上部に穴があけられています。

 
※先日の曳尾の母銭・・・贋作と言う噂を聞きました。今から20年以上前、ある方が出品した品で、あまりにも立派で出来すぎなので小川青寶樓氏がダメじゃないかなと判断したものです。ただし、理由は積極的なものではなく、出品者があまり信用のおけない変わった方だったからだということも聞きました。その方が亡くなった後所有品が売りたてられましたが、たしかに贋作もあったようですが本物もそれらに混じって結構あったようです。今の定説は曳尾の母銭は通用銭を鋳ざらい改造したものに違いないということなのですが、それらの多くは大川コレクションの中にも見られる贋造品です。通用母銭は確かに存在しうると思いますが、その場合は通用銭は次鋳サイズに縮小します。したがって一般の通用銭より必ず大きな母銭がこの世に存在するはずなのです。青寶樓氏の眼なので軽視できませんが、この件についてはまだ自分の眼で見なければ結論は出せません。見ても多分分からないと思いますが・・・。

実は加越能は手に取ってみてもピンときませんでした。仕上げが近代的で失礼ながら古貨幣には思えないと仙人に申してしまいました。
そういえば石ノ巻反玉寶をはじめて手にした時も同じような感覚がありました。あの金質は江戸ではありません。時代は明治・・・それも中期以降だと確信しています。古泉界には文章に書けないことがたくさんあります。実は石ノ巻などは文章そのものも信用できません。それは、間違った論説を裏付けるために書かれたものだからだと思います。場合によってはねつ造もあり得ます。

水戸接郭原母?についてはちょっとわからない。本座と銭文径が同じというのも不思議ながら、確かに本座を真似て母銭を作ったとしたらこれはあり得ます。仙台様もそういえば本座と同じ銭文径。こちらは本座より大きな母銭を作ったことになるのでやや疑問が残る品。だって仙台は覆輪写しが原則ですから作為を感じます。極印まで似せていますし・・・。しかし明確な証拠なしですので謎としておきましょう。

大穴ずれエラーは、通常の製造過程では生まれないもの・・・ということがなんとなくわかりました。と、言うことは・・・。

ここに書いてあることは私のひとりごと。伏字にしてあり、特殊な条件下でしか読めません。だれにも信じてもらえないようなことなので、過信は禁物です。