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11.明和期亀戸銭 明和2年(1765年) 武蔵国江戸本所亀戸村 鋳造推定

個人的なイメージで恐縮ですが、明和期亀戸銭というと銅銭のイメージが強く、雑銭のイメージの強い亀戸鉄銭はつい忘れがちです。ですが、鉄銭は記録上は銅銭より早く鋳造が始まっています。なぜ、鉄銭鋳造後に銅銭を鋳造したのか?同じ銭座にもかかわらず銅銭と鉄銭の書体が極端に異なるのはなぜか・・・など、疑問は尽きません。書体は銅銭とは異なりますが非常にデザイン的な書体です。新寛永通寶でありながらス貝寶で、古寛永を意識したような古風な書体です。
なお、この銭貨出現のときに銭座運営の大変革が行われています。従来は銭座は有力商人による請負運営だったのですが、このときから全ての銭座は金座と銀座の差配下に置かれたのです。実際に金座が鋳造したのが天保銭と銅鉄一文銭、銀座が真鍮四文銭です。このときの書体は亀戸だけでなく、各地のモデル書体になった・・・と私考しています。余談になりますが、多くの銭書で寛保期一ノ瀬銭とされているものの書体がこの系統の書体に当たるため、時代考証を考え直す必要があるのではないかと考えています。
大様(母銭)
ス貝寶でどことなく古寛永的な書体。通字が長く、やや仰用通、仰貝寶気味に見えます。


(平成15年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 大様降通
わずかに降通、昂寶です。また、通字全体が俯すように見えます。寛冠の前垂れが長く、退点永でもあります。

→ 貨幣クローズアップ
画像未収 小様(母銭)
後掲の安政期小菅と同じ書体です。やはりス貝寶です。明和期と安政期母銭の差は、明和期の方が銅色がやや黒っぽく(深黄色・安政期は淡黄色)で輪が縦やすりでテーパーがありません。
画像未収 小様降通
通字が降り、辵底部が郭下辺あたりに位置します。また、短柱永であり、そのため平永でもあります。
12.明和期伏見銭 明和4年(1767年) 山城国伏見西浜 鋳造推定

亀戸銭の小様と好対をなす銭貨です。書体は非常に似ているのですが寶貝がハ貝に改められています。この銭貨はとても存在が多くはっきり言って雑銭です。
 
 
正字
明和期亀戸銭の小様に似ていますが、ハ貝寶です。磨輪されて小様になったものもあります。

大和文庫ホームページから転載)

※転載画像のため下記画像と倍率がそろっていませんが、お許し下さい。
平永(母銭)
本体銭と酷似していますが、わずかに永字が扁平で寶前足に比べて寶後足が長く下がるように見えます。
上図と永字ノ画の角度に注意して比較して見て下さい。


(平成16年銀座コインオークションカタログより)
 
 
13.明和期甲斐飯田銭 明和2年(1765年) 甲斐国北山筋飯田村新町 鋳造推定

鋳造時期については諸説あるようですが、現時点では明和2年鋳造ということが定説になっています。書体は細字ながら非常にデザイン的で平寛で寛尾が高く跳ねます。文字の打ち込みがはっきりしていて、寛足の付け根分岐が離れるのも特徴です。
玉点寶大字(母銭)
独特の書体ですが、寛足の付け根が離れ、寶冠点が丸く、先端が尖ります。三角形・・・というより宝珠のようです。

(平成15年銀座コインオークションカタログより)
玉点寶大字瑕永(母銭)
永字の払いにはっきり鋳切れがあるもの。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
玉点寶小字(母銭)
小字になるが寶点はむしろ大きくなります。

(平成15年銀座コインオークションカタログより)
 
 
14.安政期小菅銭 安政6年(1859年) 武蔵国南綾瀬村大字小菅 鋳造推定

亀戸小様と全く同じ書体です。母銭は非常にたくさん存在していてしかも未使用のものがほとんどです。銭譜では巻末に並ぶことが多いのですが分類のためには類似書体が近くにあるほうが判りやすいため、順番を変更しています。
薄肉(母銭)
明和期と同じ書体で、加刀痕などによる差異があるといいます。掲示品については銭譜にあるような一般の小菅銭の説明とは若干異なる仕上げですので、今ひとつ分類に確証が持てません。すなわち輪側が垂直にきっちり仕上げられており、テーパーやござすれ加工は全くありません。輪側は横やすり仕上げです。
厚肉(母銭)
小菅銭らしい仕上げが画像からも分かります。すなわち背輪の際が加刀され溝のような筋彫りが存在します。輪側は横やすりでテーパー仕上げになっています。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 縮字
稟議銭と思われます。極端な厚肉です。
 
 
15.明和期~安永期常陸太田銭 明和5年(1768年)~ 常陸国久慈郡太田郷木崎村 鋳造推定

これもまた非常に数を見る鉄銭です。マ頭通で背に久の文字があるため判別は容易です。
明和期 大字背広久
背久字のふんばりが広いもの。長寶で寶後足が長く垂直気味に立つのと、通頭が斜めに俯すのが特徴です。辵の高さは用画よりわずかに下がります。大字という名称はついているのですが、以下の銭種との差はわずかです。輪側のやすり目は縦やすりになります。なお、本銭には大珍品の祝鋳銀銭が存在します。

(大和文庫ホームページより)
明和期 小字背久(母銭)
通頭が大きく平らで、仰フ永になります。本銭には祝鋳金銭がありますが、現存一品です。
オークションカタログにおける久慈の名称は、この銭貨の鋳造された地域(常陸国久慈郡太田)に由来します。背久は久慈を表しているのは言うまでもありません。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 明和期 小字狭永背久
やや濶縁になり、全体的に文字も縮小します。別名、離足寶の通り、寶後足が垂直気味に寶貝から離れます。寶字の位置が上がると書いた銭譜もあるのですが、上がるのは文字が縮小した結果だと思います。本銭にも祝鋳金銭があり、現存一品です。
画像未収 明和期 広穿背久
通点の位置が辵頭からかなり通頭寄りにずれているのが、広穿の共通した特徴です。寛尾も高く跳ねます。永ノ画が長いこと、進貝寶になること、背久が大きいことが次の狭永との違いになります。
明和期 広穿狭永背久
小字背久に酷似しますが通マ頭が俯し、やはり辵点が退き気味。辵底部がゆるやかにカーブを描くのもポイント。上銭との違いは永ノ画が短くなるところ。本銭は磨輪されています。常陸太田銭はなかなか分類ポイントの見極めが難しく、オークションなどでは小字として一括処理されている場合が多いようです。

(オークション・ネットの古銭入札誌(二)より)
明和期 広穿狭永背久銀銭
大字の銀銭の存在は有名ですが、広穿の銀銭は初見です。

大和文庫ホームページから転載)
安永期 背久二(母銭)
背久銭座が火災消失の後、再建され鋳銭を再開したもの。久二は久慈における二度目の鋳銭の意味もあるようです。無爪寛です。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
安永期 背久二爪寛(母銭)
文字は前の銭に比べて少し大きく、寛見に爪があります。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
 
 
16.天保期深川州崎銭 天保6年(1835年) 武蔵国深川州崎 鋳造推定

寛永鉄銭に寛サ画が十に省画されたものがあります。十字寛という通称が一般的です。
十字寛(母銭)
別名は省寛。マ頭通で無背です。

(平成13年銀座コインオークションカタログより)
 
 
17.元治期水戸藩銭 元治元年(1864年) 武蔵国本所水戸小梅下屋敷 鋳造推定

幕末に江戸水戸藩の屋敷にて鋳造されたと推定されたものです。もちろん、水戸藩の本当の目的は大銭の鋳造にあったものと思われますので、これらの銭貨は申し訳程度に鋳造されたものではないかと思われます。
狭穿背ト(母銭)
背ト一文銭は四文銭鋳造のための試作銭あるいは見本銭の類だと思われます。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
広穿背ト(母銭)
背ト一文銭は四文銭鋳造のための試作銭あるいは見本銭の類だと思われます。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
 
 
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