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鉄一文銭の部
  
何度もお断りしているように、私は寛永鉄銭(とくに一文銭)は分類収集の対象にはしていませんでした。手は汚れるし、保存は難しい・・・それに微細な文字変化が良く判らない。母銭は高くてとても手が出ません。
それでも拝借画像を中心にぼつぼつと銭譜制作をはじめていこうと思い立ちました。時間はかかると思いますがのんびりやって行きますのであまり期待せずに見守り下さい。


なお、画像の多くは、銀座コイン様ならびにオークション・ネット様、大和文庫様のカタログ・ホームページなどから転載させて頂いております。ご協力に深く感謝致します。
 
【鉄銭登場の時期と背景】
鉄銭の登場時期には諸説があると思われますが、概ね元文末期の元文4年あたりであろうと思われます。この時期に銅銭を鋳造していた各所で鉄銭を平行して鋳造する事が相次いで許諾されています。したがって初期の鉄銭は元文期の規格銅銭をほぼ転用しているものが多く、地金相場が交換レートに強く影響する当時としては当然ながら評判が悪かったものと思われます。しかも原料の砂鉄は豊富にあったとはいえ、鉄は銅より融点が高く、硬くてもろく加工が難しいものでした。鋳不足やス穴が生じやすく、割れやすく錆びやすく、仕上げ加工も難しいものでした。それでも鉄銭鋳造に踏み切らざるを得なかったのは、市場経済の発達に伴う銭の供給不足と国内銅原料の枯渇にあったと思われます。また、四文銭の部で触れたように、明和期以降は国内の銅銭が海外に流出していた事実もあります。
書体の潮流として元文期の銭文の流れ(個性派細字系あるいは虎の尾寛含二水永系)を引き継いだものと、明和期に現れた古寛永風濶字書体があります。それに最大鋳銭規模を誇りかつ長期鉄銭座であった仙台石ノ巻銭座が加わり、種類はかなりバラエティーに富んでいます。
 
1. 赤錆の館(鉄一文銭の部) 目次   
2. 佐渡銭 元文期背佐・断佐・文久佐 11. 密鋳背千の銭 十字千・舌千ほか 
3. 元文期中の島銭 大様・長尾寛・虎の尾寛・内跳寛 12. 明和期亀戸銭 大様・大様降通・小様 
4. 元文期一ノ瀬銭 背一・丸一鋳込・丸一後打ほか 13. 明和期伏見銭 正字・平永 
5. 元文期十万坪銭 虎の尾寛小字・輪十後打・無印 14. 明和期甲斐飯田銭 玉点寶大字・玉点寶小字ほか 
6. 元文期小梅銭・小梅手 広穿背小・狭穿背小・小梅手 15. 安政期小菅銭 薄肉・厚肉・縮字 
7. 元文期加島銭 大字 16. 常陸太田銭 大字背久・小字背久・背久二 
8. 元文期押上銭 大字・大字小王寶・小字 17. 天保期州崎銭 十字寛 
9. 元文期小名木川銭 背川・輪片川・輪両川・輪並川ほか 18. 元治期水戸藩銭 狭穿背ト・広穿背ト 
10. 仙台石ノ巻銭 大字背千・小字背千・尖千ほか  19. その他密鋳銭の類   
1.元文~文久期佐渡銭(鉄銭座) 元文5年~(1740年~) 佐渡相川鋳造 推定

元文5年に銅銭と並んで鋳造することを許可されて、佐渡でも鉄銭の鋳造がはじまったようです。元文5年は元文期の最終年ですので、実際の鋳造は寛保期以降なのかも知れません。いずれも背に佐の字を置き、状態さえ良ければ選別は容易です。

元文期背佐 背断佐 文久期背佐(狭穿広郭・広穿細郭) などがあります。なお、 天明佐 という母銭仕立ての大珍品が存在しますが、鉄銭鋳造のための稟議銭だと言われています。

なお、銅銭においては
 鉄銭座銅銭 と呼ばれる珍銭が存在します。鉄銭座の末期に背佐を刮去して鋳造した・・・とされています。鉄銭の評判が悪く、明和期に一時的に銅銭が大量投入された経緯がありますので、明和期直前に試験的に材質を落とし量目を減じて鋳造して市場の反応を見たものではないでしょうか?(私の勝手な推論です。)
元文期鉄銭座背佐(母銭)
虎の尾寛、含二水永の典型的な元文期書体です。鉄銭座銅銭と呼ばれるものと同じ書体で文字大きく、輪が濶縁になり背に佐字が置かれます。

(平成15年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 元文期鉄銭座背断佐
背佐の横引きが鋳ざらいによって短く変化したもの。

→ 貨幣クローズアップ
文久期背佐(母銭)
面文は明和期小菅銭と同じです。背に佐字があります。狭穿広郭・広穿細郭のものがあるそうですが、母銭の仕上げの差によるものだと思われます。また、佐の字の大きさに大小があるといいます。

(平成13年銀座コインオークションカタログより)
 
  
2.元文期中の島銭 元文5年(1740年)紀伊国名草郡中之島村 鋳造推定

かつて御用銭の俗称もつけられたように大型の銭径を誇る人気銭です。わずかに鉄銭が存在することから稟議銭と思われますが、謎の多い銭貨です。銭座としては元文2年からですが、鉄銭は元文5年からだと推定できます。また、この銭座は元文期和歌山銭を鋳造した銭座に間違いないのですが、これらの銭が鋳造されたことについてはあくまでも推定に過ぎません。旧中の島銭と呼ばれる一群の銭貨類の行き場がなくなってしまうこともあり、ここでは暫時中の島銭として再集合させることにして、後考を待つことにします。

短貝寶 と 長貝寶 があり、いずれも珍銭です。
旧 中の島銭としては 
長尾寛 繊字 虎の尾寛 奴銭 内跳寛濶永 内跳寛縮永 があります。
大様短貝寶(母銭)
珍銭でありながら何とか目に触れる機会があるのはこちらの方でしょう。銭径雄大で、鉄銭が発見されているとはいえごくわずかな存在であり、試作の域を超えていません。御用銭の名称は銭径の雄大さからの誤解からでしょう。制作や書体から見て和歌山銭であることは異論のないところですが、中の島銭とされた一群との共通性にはやや欠けるところです。

(平成12年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 大様長貝寶
おそらく現物を見ることはまずないと思われるほどの珍品です。

→ 貨幣クローズアップ
中の島 長尾寛(小通)
旧称、和歌山中の島銭と呼ばれているものです。この一連のグループは背郭が巨大になるのが特徴です。そのうち長尾寛は鉄銭でもかなりの珍品です。深彫りで寛爪と尾が長いのがポイントです。また、寛後足が郭に接するように長く(深く)折れているのもポイント。画像から推察するとこれは小通と呼ばれるものだと思います。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
→ 貨幣クローズアップ
中の島 長尾寛
九州のH氏からの提供写真です。寛爪が錆ではっきり見えないのが残念ですが、これは長尾寛では小通(狭辵)にならないものだと思います。長尾寛は小通(狭辵)となるものが一般的で通字の幅が広いものの存在は忘れられがちです。銭譜にもわずかに青寶樓氏の銭譜にあるだけで。図会や手引き、入門には未記載です。2005年2月の収集に拡大画像が収録されています。繊字との差は穿が小さいこと、辵底のうねりの程度などが判りやすいかも・・・。
中の島 繊字
長尾寛に比べて浅字広穿になります。気持ち大字で通字の用画が幅広く全体に大きく見えます。背大郭は長尾寛と同じ特徴です。
背広郭になったものも見られます。こちらは長尾寛に比べるとやや存在は多く見られます。

(オークション・ネットの古銭入札誌(二)より)
中の島 虎ノ尾寛(母銭)
文字通りの虎の尾寛であり、背大郭です。非常に特徴的であり、名前も有名ですが、比較的多く見られる存在です。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
中の島 奴銭
新寛永の源氏名としてはほぼ最高の名称でしょう。ある意味で蛇の目と双璧をなす存在ですが。こちらの方がはるかに貴重品であることは言うまでもありません。
奴銭の名称は、その巨大な背郭から由来しているそうです。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
中の島 内跳寛縮永(母銭)
一見、元禄期亀戸銭、あるいは七条銭を思わせる書体です。ただ、彫りが浅く文字もどことなくこじんまりまとまっています。文字通り内跳寛であり、通点、永点が草点になります。背郭が巨大であるのは他の銭と同じです。 
中の島 内跳寛濶永(鋳放母銭)
濶永は永点の跳ねや爪が長くなります。小目寛、縮用通、小貝寶で、永字以外の文字全体が縮永より小さくなります。また、通用画が進むところも目立ちます。背郭はさらに大きくなります。

※画像はHM氏投稿の鋳放母銭。背の地に筋が入ってしまったのが母銭として使用されなかった理由かもしれません。輪幅もあって堂々としていますね。投稿者に感謝申し上げます。
 
 
 
3.元文期一ノ瀬銭(鉄銭座) 元文5年(1740年)~ 紀伊国一ノ瀬 鋳造推定

この銭座ももともとは銅銭からスタートしています。鉄銭の鋳造開始は元文5年からで寛保年間以降に本格鋳造されたと思われます。問題なのはそのバラエティ溢れる銭容で、種類の多さからかなりの長期間に渡り鋳造されたことが推定できます。
したがって一ノ瀬鉄銭座を【元文期一ノ瀬銭】と総称するのにはいささか抵抗があります。さらに丸一刻印の類に至っては、寛保年間鋳造説が強いのですが、書体的にはまだ割当時代が古いのでは・・・と違和感を覚えています。この手の書体は明和期になってから亀戸などで大量生産されたものに類似性が強いのです。たとえ寛保期だとしても亀戸銭が世に出てくるまでは20年ほどのタイムラグがあります。はたして紀伊の片田舎が中央に先駆けて模範となる書体を創作したのでしょうか?丸一の類の制作年代はも定説の寛保年間よりさらに後なのではないでしょうか?
とにかく江戸時代の鋳銭事業については謎が多く、鉄銭全盛のおりに突然銅銭が復活したりと理解に苦しみます。
高寛背一 (無背も有)
鉄通用銭では一、二を争うほどの珍品のひとつです。市場にはたまに顔を出し、価格についても状態に左右されるせいか流動的です。画像は平成15年のオークションの出品で、60万円の価格がついて感心した記憶があります。無背銭もあるようですがこちらも見ることも稀な珍銭です。

(平成15年銀座コインオークションカタログより)
→ 貨幣クローズアップ
画像未収 低寛背一 (無背も有)
高寛よりは存在するのですが、それとて銅銭に比べても少ないものです。また、こちらも無背銭があるのですがこれも珍銭中の珍銭です。
小字(一般名:狭穿)母銭
高寛、低寛の鉄銭は急造といった感じだったのですが、こちらははじめから鉄銭用として意識して作成されたようです。一般的には狭穿という名称なのですが、この名称はなんとも苦しいネーミングです。高寛、低寛に比べるとわずかに狭穿なのですが、書体的には小梅手大永や広穿に似ており、どうしても狭穿には見えません。無印あるいは小字でも良いのではないかと思い、勝手に変更させて頂きました。輪に丸一刻印のある大珍品の母銭が存在し、それによって当銭の鋳地が確定されました。

(平成14年銀座コインオークションカタログより)
小字進永(一般名:狭穿進永)
永字が進み、寛字が仰ぎます。カタログでは狭穿進永の名前がついていましたが、狭穿という名称は背一類に比較してのことです。いづみ会の銭譜では単に進永と表示してあります。丸一刻印銭は発見されていませんがが、見つかるかもしれませんね。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
背一(母銭)
次掲の丸一類と非常に似た書体ですが、広郭になり微妙に書体が異なります。降通に比べ大貝寶です。存在も少ないため、見本銭的な存在であったのでは・・・と推定されています。

(平成14年銀座コインオークションカタログより)
背一降通(母銭)
やはり広郭であり、通字の位置が下がります。寶の珎部分が大きくなり、小貝寶になります。

(平成14年銀座コインオークションカタログより)
画像未収 鋳込丸一大寛
寛冠、寛目ともわずかに大きくなります。中貝寶と小貝寶に非常に似ています。中貝寶より通字しんにょうの底部の角度が急傾斜であり、小貝寶より明らかに寛字が大きくなります。通用銭での見分けは非常に難しいと思われます。
ところで、丸一という名称なのですが、十万坪が輪十なのになぜ・・・と思います。刻印の形状の違いもありますが、おそらく語呂の問題もかなり関係していると思います。でも、統一したほうが良いのではないでしょうか?

→貨幣クローズアップ
鋳込丸一大貝寶(母銭)
多くの銭譜が当銭を寛保期としています。でも書体や雰囲気を大事にする私にはこれが寛保期の書体には思えません。大貝寶、離頭通です。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
鋳込丸一中貝寶

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
鋳込丸一小貝寶(母銭)
寛冠が狭く、しんにょうの末尾が急角度で下がるのが特徴です。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
後打丸一長通(母銭)
小貝寶に非常に似た書体ですが、輪刻印が後打ちになって、方向や位置がばらばらです。やや進頭通、進貝寶に見えます。

(平成16年銀座コインオークションカタログより)
長通無印
上記の無印銭です。
後打丸一短通(母銭)

(平成14年銀座コインオークションカタログより)
無印短通(母銭)

(平成14年銀座コインオークションカタログより)
 
 
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