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9.仙台石ノ巻銭 鋳造期未確定 陸奥国牡鹿郡(仙台)石ノ巻 鋳造

この銭座については、長期継続で銅、鉄銭が鋳造されており、はたして鉄銭がいつから登場したかどうかが定かではありません。旧来は明和期の鋳造とされていたものが、新寛永銭 鑑識と手引きでは元文期とされ、寛永通寶銭譜でもそれを引き継いでいます。新寛永通寶図会ではそれを旧に戻し、明和期としていますが、宝暦期(1750年代)の説にも触れています。
可能性としては元文4年から文久年間頃(1739〜1860年代頃)という類例を見ないほどの期間に鉄銭鋳造が行われた訳で、どの銭貨をどの時代に割り当てるかは、非常に難しいパズルのようなものです。同じ書体を加刀して長期間に渡り使用したり、民間でも密鋳が行われたりもしたので、細分類は困難を極めます。さらに鉄通用銭については字画の変化が見極められません。したがって、通用銭による細分類については固執せず、大雑把な分類にとどめる方がコレクションとしては賢明だと思います。もちろん高価ではありますが、母銭なら制作などによる細分類は可能であることを付記しておきます。存在は寛永鉄銭中最多であり、どちらかといえば雑銭です。


なお、従来は私の腰の入っていないコレクションならびに収集画像をこのコーナーに掲示していましたが、仙台古銭会のH氏から貴重な画像を多数頂戴しましたので、私のへなちょこ銭譜は削除し、かわりに特集ページへのリンクを設定します。
背千を分類される方は必見ですよ。


→ 石ノ巻銭母銭聚泉譜(仙台古泉会)
尖り千大字
これについては新規母銭による鋳造です。したがって尖り千類とは異なります。
背が細縁になるほか、永寶字が大きく、とくに寶貝の後足が下がり仰貝寶になります。

※すべての画像を削除するとページが寂しくなるので、これだけ残しました。

(オークション・ネットの古銭入札誌(二)より)
  
  
10.密鋳銭背千類 文政期以降 陸奥国九戸郡葛巻村 鋳造推定 

背千の文字があってもこれは石ノ巻銭ではありません。南部藩領内における密鋳についてはほぼ確実視されていますが、密鋳銭ですので資料など皆無です。面白い存在であることは間違いありませんが、評価ばかりが一人歩きしている感もあります。所詮、密鋳銭ですので何があっても不思議ではありません。それでも特徴が顕著なものは味があるんですよねぇ・・・。母銭においては概ね縦やすりで、輪側のテーパーのきついものが多いようです。小型のものが多いのですが、比較的肉厚がありがっちりした制作のものが多いようです。
密鋳銭 小字背千(母銭)
上掲のものと異なり仕上げも甘く、銅質がかなり異なります。密鋳母銭ということで購入しましたが今ひとつ良く分かりません。南部藩の仰寶の次鋳銭とされるものに似ている感じです。

→ 仰寶次鋳母
密鋳銭 小字背千(母銭)
東北地方赤銅色の密鋳母銭。
(オークションネットYカタログより)
十字千(母銭)
背千が十字に見えるもの。覆輪濶縁になるのが特徴で、いかにも密鋳銭らしい風貌です。背千字は第一画が急角度に加刀されているため十字に見えるようです。

(大和文庫ホームページより)
十字千磨輪 葛巻俯千手

東北S氏所蔵
舌千小様(母銭)
舌千の直径の小さいもの。文字の特徴は上掲のものと一致します。延展されたものなどもあるようです。

(オークション・ネットの古銭入札誌(二)より)
舌千小様無背
何が出ても不思議ではないのが密鋳銭です。細分類はコレクションとしては面白いのですが、あまり意味がないのかもしれません。

なお、この葛巻銭座の同炉推定品として
目寛、見寛、水永 などがあります。
 
 
 
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