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特 別 展 示 室 (1)
 
 このコーナーは新寛永分類譜の中でも特に貴重な品々、あるいはお気に入りの品々をクローズアップする展示室です。基本的に個人所有品のみの展示の予定で、私としては宝物にあたる自慢の品々ですが、中には【えっ】と思うような物の展示があるかもしれません。収集誌のクローズアップ貨幣の向こうを張るといえば勇ましいのですが、自己満足中心の企画になるかもしれません。その点はお許しを・・・。
なお、配列順序については順不同となります、画像サイズについても拡大版も検討したのですが容量が大きくなり通信速度が低下してしまうため150dpsの解像度に留めています。
 

 

【特別展示品 その1 : 由緒正しき品】

絵銭譜原品の月星寛永 と 昭和泉譜兄弟銭?の索出駒二字寛永  

絵銭 月星寛永 【評価 2】
特別展示の第1号が絵銭と、いうのも変かもしれませんが、これは絵銭譜だけでなく、絵銭の相場などを飾った正真正銘の由緒正しい品物なのです。昭和泉譜の掲載拓もおそらくこの銭だと思われますが、その持ち主は【堀光文堂】。絵銭ですし、評価も高くないのですが、とにかく市場には出てきません。銅色は長門銭に似ていて制作も座銭とほとんど遜色がありません。似寛永銭と呼ばれる絵銭群の中でも最も通用銭に近い制作だと思います。
絵銭 索出駒二字寛永 【評価 3】
追加掲示した索出駒二字寛永は、入手直後から昭和泉譜の掲載拓に良く似ていると思っていました。特に馬子の脇から出ている鋳走りや馬子側永左や永下の鋳だまり、馬子側の郭の形状、寛永側背輪左の凹み、同背郭左にある不規則な鋳だまりなど特徴の一致がたくさんあります。でも・・・寛永側の輪外周の形状がまったく違うので兄弟銭かな・・・と考えていました。でも一致点があまりに多いのですよね・・・。
結論は言えませんが、どうもこれは昭和泉譜の原品に限りなく近いものらしいのです。昭和泉譜でもこれは平尾麗悳荘のネームがついていますので、原品ならば平尾賛平氏の旧蔵品ということになるはずなのですが、皆様のご判断はいかがでしょうか?やっぱり兄弟銭かなぁ?

※寛永側の左上部の輪幅があまりにも違うのですが、他はかなりの一致点があります。
 

特別展示品 その2 : 謎多きもの達】

打印銭寛永 銀銭と銅銭  
打印銭には薄肉で文字が浮き出ている陽刻のものと、厚肉で文字が筋彫りになっている陰刻銭があります。
そのうち陰刻銭は間違いなく玩具(面子銭)なのですが陽刻銭はその使用目的がよく分かりません。装飾銭あるいはメダル的な存在、それともおもちゃのようなものかもしれません。これらをつくった人はまさか後世でこんなに珍重されるものになるとは思ってもみなかったでしょうね。
  
打印銭 寛永(銀銭) 【評価 大珍】
この銀銭は銀座の試作ではないか・・・との説があります。紀州永楽との書体類似性もあるようでとにかく謎の多い存在です。良質の銀でつくられている・・・とのことですが、とても薄く、とても流通を目的とした存在には思えません。いづみ会の穴銭入門に背大郭のものと並んで掲載されていて、こちらは背小郭の方です。背郭の右下角が尖る特徴は掲載古拓と同じです。存在は極稀で評価もさることながら市場には滅多に現れません。したがってかなり強気相場となります。おそらく昭和8年12月の貨幣177号 原品です。
打印銭 寛永(銅銭) 【評価 少】
純銅の薄片に文字を打刻したもので、まるで島銭のような風貌です。こういうのを稚味とか雅味なんていうのでしょうか?わびさびの世界です。
このタイプのものは打印銭としては最もよく見かけるタイプだと思います。打印銅銭としては伝世の非常に良い状態のものです、見栄え以上に人気は絶大です。
打印銭 寛永(銅銭) 【評価 少】
インターネットオークションに出品されたもの。こちらは穴銭入門に記載があります。原品はおそらく伝世品でとても味がある仕上がりです。
打印銭 寛永(銅銭) 【評価 2】
入札誌駿河で落札したものですが、とにかく状態が悪い。打印寛永はおおむね制作が劣るのですが、これは重さが1.4gしかありませんし焼きも入っているようです。かろうじて寛永銭であることが判明しますが誰がこんな薄汚い銅片に大金をつぎ込むのでしょうかね・・・。(私です。)寶字が大きく永字は四ツ宝銭風です。
評価は抑え目にしましたが、美品の評価はもっと高いはずですよ。
打印銭 寛永(銅銭) 【評価 少】
 

【特別展示品 その3 : 世界遺産 と 国宝】

島屋文小頭通細縁 と 島屋文(背狭文) と 島屋直寶  
この銭譜の表紙を飾っているものですからその希少性はお分かりいただけると思います。ユ頭通、仰通、俯寶の書体で文字、銭径も大きく彫りも深いなど珍品のオーラ満載です。最近高値につられて市場にときおり姿を現しますが状態のよいものにはなかなか出会えませんね。(本来は美銭が多いのです。)
島屋文小頭通細縁については私にとっては世界遺産級の古銭で、もちろん家宝!・・・なのですが、私以外の家族は当然ながら全く興味がありません。市場評価については貴重品すぎて分かりません。
島屋文小頭通細縁 【評価 大珍】
鑑定書では細縁と認定されていますが郭内の丁寧な仕上げから見ると磨輪母銭という意見があることもうなづけます。銅質も一般に見られる通用銭とは明らかに異なります。
特別なお金・・・と、いう点は間違いないところですし、現在確認できるものとしては細縁であろうが母銭であろうがこれ一枚だけの超珍品です。図会でもいづみ会の穴銭入門でも母銭は未見とされています。【俺はここにいるんだ!誰か認めてくれ!】と叫びたくなります。
島屋文(背狭文) 【評価 大珍】
島屋文は寛永銭を多少集めたことのある方なら必ず憧れる古銭です。私の場合、社会人になってから間もなく月給をはたいて購入した品物なのですが、購入後に空虚感を覚えてしばらく収集から離れるきっかけになった古銭でもあります。細縁ほどではありませんがやはり珍品、国宝級の品物です。
島屋直寶  【評価 珍】
島屋直寶は島屋と冠されているように島屋文と同じ類とされがちですが、銅質がやや赤く彫りもとても浅くなっていて別炉説が大勢を占めています。ただし、外径は大きく掲示品は25.8㎜と通常の島屋文にも勝るとも劣らない威容を誇っています。
別炉説はとても強いものの島屋という名称ははずし難く、今日まで同類として扱われています。こうして並べてみると、大きいもののずいぶん風格に差があります。
 

 

【特別展示品 その4 : 白銅三銃士】

元文期の白銅銭 虎の尾寛小字 と 輪十無印(離爪寛)と 十万坪手   

あちこちに書いていますのでしつこいかもしれませんが、私は白銅銭が大好きです。なかでもこの雑銭3種が大のお気に入りなのです。(変わってますか?)
いずれも鈍い灰銀色の小さな奴です。この3枚はいずれも元文期特有の書体で、十万坪銭あるいは十万坪手・・・という具合に十万坪つながりのある一群です。十万坪も平野新田もいずれも深川近辺ですし、技術や資材調達の交流があったのかもしれません。
十万坪銭 虎の尾寛小字 【評価 6】
虎の尾寛小字は私の白銅好きを決定付けた一孔です。とにかく美しく(見えて)びっくりしました。 虎の尾寛本体にも白銅銭があり少ない存在です。
 十万坪銭 輪十無印(離爪寛) 【評価 6】
輪十無印には小さな手変わりがたくさん発表されています。これは寛見の爪の付け根が陰起するタイプのもの。私は輪十後打ちの純白銭を目下探していますが完全なものにはまだ出会っていません。
平野新田銭 十万坪手 【評価 6】
平野新田銭は俗称白目と言われるように、もともと白銅銭が多いのですが、純白に近いものは銭径が通常銭より大きいものが多くとても目立つ存在です。ただし、同炉とされる中字や小字と材質がかなり異なり、別炉であるのはほぼ間違いないところですね。
ここにあるもの達はいずれも評価的には低いのですが、きれいで純白に近いものを探し出すとなると評価以上に苦労します。本当ならここに十万坪銭の含二水永の白銅銭を加えて白銅四天王!と行きたいところなのですが残念ながら含二水永の白銅銭には未だに出会えません。どなたかお譲り下さいませませ! 
元禄期亀戸銭 厚肉抱寛  【評価 ?】
おまけの画像です。厚肉の白銅銭の存在を示した銭譜はありませんが、この1枚はかなり白い品。類品の出現が待たれます。 
 

 
【特別展示品 その5 : できそこないの美学

元文期十万坪銭輪十場替 通横 通下 二ツ打 二ツ打場替 寶上
輪十の場替はいわゆるエラー銭ですから、当然ながら存在は少ないもの。オークションに出てくると評価はもっと高くなりがちです。でも見た目は本当に貧相です。
人気者の常で偽造刻印を後打ちしたものが散見されますが、偽造刻印は輪の歪みと背の摩滅から見分けられます。後打ちといってもこれらは母銭の段階で刻印されていますので通用銭では輪の歪みはありません。また偽造後打ちですから背にも歪みが生じ不自然な摩滅が見られます。それを隠すためにわざと状態を悪くしたり磨いたりする輩がいますのでご注意を!
 
輪十場替 通横打ち 【評価 1】
通横打ちは私がはじめて出会った場替り銭です。うっかりするとただの凹みにしか見えませんが間違いのないものです。この場合刻印が一㎜ずれると評価が天地ほど違ってしまいます。


輪十場替 通下打ち 【評価 1】
通下打ちは場替わりのなかでは比較的ポピュラーな存在なのですが、それでも滅多に出会えません。これは古銭店の店頭掘り出し物なのです。すごいでしょ。あまりに安い価格設定だったので(雑銭扱い)目を疑い、参考品なのではと思ってしまいました。そのお店には、今でもときおりお世話になります。
輪十場替 二ツ打ち(通上寶上) 【評価 稀】
輪十二ツ打は大和文庫の展示即売会で購入したものです。ここまでの珍品は掘り出しはほとんど期待できません。事前広告でこの出現を知り、価格はとても高かったのですがチャンスを逃したら絶対に遭えないと思い、朝一番で会場に乗り込み即決しました。この輪十二ツ打の刻印形状はいづみ会の穴銭入門の拓図に非常に似ています。もともと母銭も少ない存在でしょうから兄弟銭の可能性が大だと思います。貧相ですが、市場出現率は島屋文より少ないと思います。
輪十場替 二ツ打ち(通上寶下)   【評価 稀】 
平成17年12月大和文庫【駿河】において二ツ打場替(通上寶下)を幸運にも落札しました。私が出会った2枚目の二ツ打です。新寛永通寶図会によると二ツ打場替の評価は(通上寶上)の方が(通上寶下)や(通上通下)などより高いようです。さて、実際はどうなのでしょうか?ただし、この手のものは本物より贋作の方が多いとも聞きます。さらに、昔は現代よりもっとたくさんあった・・・とも聞きます。どこに行ってしまったんでしょうか?
輪十場替 寶上打ち  【評価 少】 
平成20年の『穴銭:横浜古泉研究会』落札品。
某四国の大家はこの場替の場所違いを時計で言えば5分刻みで集められているとの記事を読みました。
あるべきところにはあるようです。やっきになって集めれば・・・それでも難しいですね、これは。それに絶対贋作をつかみます。
輪十場替 寛上打ち 【評価 少】 
平成19年6月の駿河の落札品。銭体にかすかな歪みが感じられたため一瞬不安がよぎったのですが、全く問題ない品でした。寶上打というより寛上打でしょうか?実はこの銭は新寛永通寶図会とほぼ同じ形状です。兄弟銭であることは間違いないところでしょう。それとも原品?
新寛永通寶図会283(No.119-09)より
刻印位置、形状、傾きはほぼ同じ。背郭の歪み、ずれ、鋳バリ位置まで酷似する。寶冠点の形状と寶足の陰起癖も一致。微妙な差もあり決定打はないものの兄弟銭であることは間違いなし。
 

 
【特別展示品 その6 : めぐり会し者たち】

安南寛永 削字背工 と 背双文 
亀寶至道手背工 【評価 1】
昔は島銭とされた時期もありました。安南銭であることがほぼ通説になり、亀寶至道手という分類名称も頂きました。 削字背工は安南寛永の中でもかなりの珍品のようで、削字との評価比較でその倍程度の評価だと予想されますが、お金を出してもなかなか手に入らないことは確かです。私も偶然に近い出会いでして、削字背工は入札誌で発見し相場以下の金額で入手しています。2枚目を探しているのですがなかなか見つかりません。
(穴銭入門 手類銭考 下巻補遺 原品)
元隆手背双文 【評価 1】
背文文はインターネットオークションで見つけて入手したもの。諸事情があって市場流出したもので、割譲を切望されましたが、もう少し愛蔵していたい品です。
安南寛永の中でもトップクラスの珍品のようです。
(穴銭入門 新寛永通宝の部 原品)
 

 
特別展示品 その7 : 大きいことは良いことだ!】

踏潰広永最大様 と 文政小字最大様 と 
享保期背広佐最大様(25.75㎜)
踏潰広永最大様(29.35㎜) 【評価 少】
インターネットで出会った踏潰広永の最大様です。
外径29.35~29.7㎜、内径19.6㎜ 肉厚1.15㎜ 重量5.3gという堂々たる体躯。
印象としては悪くない感じです。と、いうのも輪の瑕の位置はハドソンの北海道と東北の貨幣にあるものと同じ位置・・・兄弟銭のようです。メールで知り合った東北のS氏とのやり取りがなければこれは入手しなかったと思います。
  
文政小字最大様(29.00㎜) 【評価 3】
文政小字です。でも外径が29㎜もあるのです。さすがに上の踏潰に比べると小さく見えますが、どうしてどうして母銭級の大きさです。ただし、内径は20.8㎜で通用銭・・・だからとてつもなく濶縁です。さらに肉厚1.6㎜、量目7.2g。普通の文政小字は6gどまりですからとにかくでかいし重いので気に入っています。評価は私の思いをこめたもの。もちろんこの価格では売りませんよ!
 享保期背広佐最大様(25.75㎜)  【評価 3】
享保期佐渡銭背広佐という何気ない品なのですが、直径が25.75㎜もあります。製作も通常銭と異なりやや白銅質で郭内にやすり痕も確認でき、特別な品の香りがぷんぷんします。(民鋳の母銭ではないか?でも永に跳ねがある・・・謎だ。)これが収集の入札に何気なく出ていたのですが、雑銭の会で見てもらうと大絶賛でした。ただし、現段階での評価はなんともいえないところ。文銭でもこのサイズはなかなかないでしょう。
(記録を見ると1600円で入手しています。これは掘出物ですね。)
 

【特別展示品 その8 : 方泉處の遺物】

不知銭 寛文様 と 日光凹千鳥
寛文様(方泉處原品) 【評価 大珍】
私の寛永銭収集史上最大のお買物です。良い買物なのか、そうでないのかはまだ判りません。この、寛文様の出所ですが方泉處の元収蔵品なのです。(古くは矢倉吉著『古銭と紙幣・・収集と鑑賞』やボナンザの表紙を飾ったこともあります。)このような形で方泉處の解体にかかわるようなことになるとはなんとも複雑な気持ちです。
日光凹千鳥(方泉處原品) 【評価 2】
日光正字凹千鳥は新寛永通寶図会の原品に間違いありません。輪の傷や鋳だまりのある位置が見事に一致しています。都内の某古銭商で見つけて購入したのですが、原品という表示はなく、うっかりすると見逃すところでした。
実は入手した時は方泉處コレクションが銀座オークションに出る前のことです。そして原品という事実に気づいたのは入手後のこと。幸運でした。
 

 
【特別展示品 その9 : 真贋不詳】

不知銭 文久様離用通手 と 俯永手 と 安政期俯永
【評価 ?】
文久様については様々な意見、憶測が飛び交っています。昔から存在が知られる一方で、贋作の噂も絶えません。この品物は入札誌下町に出品されたもので、同時に大頭通も出品されていました。お遊びのつもりが撤退できなくなってしまいました。
(実はこいつも手術直後の朦朧とした意識の中で買っています。懲りていません。)

いづみ会の穴銭入門にも存在を疑問視する記述があるなどここのところの市場評価はかなりトーンダウン傾向です。私は夢を買ってしまいました。ちょっときれい過ぎるところが気になります。でも削字の様子がいづみ会の穴銭入門の拓図にそっくりです。


文久様俯永はかつては小川青寶樓氏のコレクションの一つだったそうです。大家の持ち物だから安心ではないのが、この世界の常識だとわかったのは入手後のこと。むしろ疑問品の売り文句に使われることもあるようです。
制作的には安政期とほとんど変わりません。掲示品は淡い真鍮色ですが灰白色に近いものが多いようです。文字のあちこちに加刀痕がありとくに寛目、寛足において顕著です。銭径も小さい。入手直後は安政期俯永との差が良く分からなくて悩んでしまいました。こうして並べてみると削字は進んでいますが・・・スタリキの言葉が頭をよぎります。
安政期俯永は明和期よりやや黒ずんだ銅色と輪側、穿内の仕上げがポイント。本当に目立ちませんが滅多に存在しない珍品です。掲示品はやや色が黄色っぽく、いわゆる真鍮銭とされるものに近い色調になっています。
実は鑑定書付の間違いのない品があったのですが、調子に乗って売却してしまいました。
【評価 ?】
【評価 少】
 

 
【特別展示品 その10 : 似て非なるもの】

元文期不知銭 額輪(母銭) と 額輪縮寶(母銭)
【評価 少】
   【評価 珍】
ここらへんの寛永銭をお持ちの方はかなりマニアックです。なぜなら市場価格はかなり高額の割りに、どことなくぱっとしないからです。(失礼!)
極細字で文字が小さく、目をこらさないと特徴がよく判らないからなのかもしれません。ですから購入する場合はかなりの勇気が必要です。

さて、2枚の寛永銭を並べてみると、書体は似ていても銅質や制作が全く違うことがお分かりになると思います。とくに背の様子は両銭が別炉であることを如実に物語っています。

額輪の母銭は銅色が赤味ある黄褐色で、この色はなんとなく鉄銭の母銭の色を連想させます。小川青寶樓氏の分類ではこれを加島銭としていました。続化蝶類苑の【加島銅銭、元文三年始鋳銅銭。今世稀也。同鉄銭元文四年末鋳之。】という記述が真だとすると小川氏の推測はもっとものようにも思えます。

本編でも記述してあるのですが、額輪縮寶は同じ不知銭の細字跳足寶に似通っているところがあります。額輪縮寶の寶足がなんとなく跳ねたそうな雰囲気であることや、高足寛気味になることなどがかなり似ているのです。ただし、背が細郭になる特徴は細字跳足寶とはかなり異なります。なお、本銭は背郭に鋳だまりがあったり、背輪の内縁がなめらかではないなどの難がありますが仕上は間違いなく母銭です。
 
 

 
【特別展示品 その11 : 源氏名で出ています】

和歌山銭淋手 と 日光銭正字千鳥 と 四ツ宝銭幻足寛 
   【評価 珍】
   【評価 少】
   【評価 少】
源氏名・・・と、いってもキャバクラの女の子の名前ではありません。古銭の世界ではニックネーム的な分類名称であり、これがあるものは人気者であるといっても過言ではありません。

淋手はもともと寛内跳という名前で、広穿小字の変種として紹介されたもののようです。それが淋手という源氏名をもらってから、超有名品となり、古銭界のわびさびの世界の代表格に登りつめました。
掲示品はその昔、銀座コインオークションに出品されたもので、清水の舞台から飛び降りたつもりで落札したものです。

日光正字には鋳だまり変化が多くあり、千鳥はその最高位にあるものです。とはいえ所詮鋳だまりなのです。こんなものでも名前がついてしまうと超人気者に変身して、コレクターを狂喜させます。あばたもえくぼなのです。でも、名前負けしてませんか?

幻足寛は正徳期にごく短期間鋳造されたものだと推定しています。(正徳4年中島喜左衛門による亀戸銭鋳造の記録に該当か?2ヶ月で廃座)
鋳銭願い立てのときの稟議銭と思われるものが数種類残されていて、四ツ宝御用銭として珍重されています。寛足の付け根のところがはっきりしないところからのニックネームで、大型の銭容とあわせてとても人気の高い古銭なのですが、状態の良いものをあまり見たことがありません。
短期間の鋳造に終ったとされる原因は、採算性の悪さも関与していると思われ、富士山噴火とインフレの昂進も多分に影響しているのではないでしょうか。画像の品は母銭というふれこみで応札入手したものの、通用銭の非常にきれいなものを加工したのではないかという疑惑が拭い去れません。反省の一品です。
 

 
【特別展示品 その12 : 折二様】

折二様の大型銭 と 折二様小様 
【評価 珍】
折二様は別名享保御用銭の名前もありますが、元文期頃の稟議銭の可能性が高いと思われます。ただし、制作にかなりばらつきがあります。
掲示品は一般的なものよりひとまわり銭径が大きく銅質もきめ細かい美銭です。
折二様の母銭ではと思いましたが一般的なものに比べて内径がとくに大きい訳ではありません。あるいはこれから小様が生まれたとするのなら納得できます。なにより製作が一般のものとはずば抜けているのです。

折二様小様は母銭式から生まれた子銭であるのはほぼ間違いないところで、広穿で内径があきらかに小さくなっています。図会では内径が小さくならないものの存在も指摘していますが、後天的な磨輪銭との区別が難しいところです。
銭径が小さくて制作が劣る方の価値が高いのはこの御用銭類くらいかもしれませんね。
 
  【評価 珍】
左:折二様
右:折二様小様
外径だけでなく、内径があきらかに違います。
折二様小様が子銭式と呼ばれる所以です。
 

 
【特別展示品 その13 : いったい何者?】

古寛永明暦浅草銭(称:沓谷銭)背錯笵 と 元文期佐渡銭背佐刮去? 
 
 収集暦が長くなるとときおり変なものに出会います。面白いと思うか、偽物と判断するかは各人の責任です。(私もかなり失敗しています。)
古寛永明暦浅草銭(称:沓谷銭)背錯笵 【評価 ?】
掲示している古寛永明暦大字背錯笵ですが、通常の製造過程では考えがたい錯笵です。砂笵から母銭をはずすときに誤まって母銭を型の上に落としてしまうとこのようなものができあがるのですが、これほどくっきり、しかも背に面文が写るものなど他に見た事がありません。拾い上げる際に型に押し付けてしまったとしか思えません。
元文期佐渡銭背佐刮去 【評価 ?】
元文期佐渡銭無背大様については存在自体を疑問視されています。ただし銅母銭については新寛永通寶図会にも掲載されており、新寛永拓影集には通用銭が掲載されています。
掲示の品は雑銭からの掘り出しで、肝心の永字の跳ねの確認ができませんが材質的には間違いなく佐渡銭です。含二水永にも似ているのですが背郭が小さいのは背濶佐(断佐)の系統であることを物語っています。よく見ると佐字の最終画らしきものがかすかに見えています。現段階では背佐陰起文ということになりますが、大化けする可能性を秘めています。
 

 
【特別展示品 その14 : 背星?

古寛永明暦駿河銭(称:鳥越銭)背星 と 元文期不知銭延尾永背星 
【評価 すべて?】
寛永通寶の背星といえば古寛永の水戸銭が有名なのですが、ここにある寛永銭は本来ならば背に星はないはずなのです。鋳だまりの可能性が大なのですが、単なる鋳だまりと言い切れないほど鮮明な星が鎮座しています。

古寛永銭や文銭には鋳工が意識してつけたのではないかと思われる小さな星(シークレットマーク)があり、ここにあるものについてもその可能性はあるのでしょうが、それにしてはシークレットマークにならないほど目立っています。
ところで水戸銭に見られるような星にはいったい何の意味があるのでしょうか?
銭籍の自己主張なのか、それとも刻印銭に見られるように宝珠を意味するものなのか、真相についてお分かりになる方・・・是非ご教唆願います。

なお、市場評価については現時点ではあくまでもお遊び価格にしかなりません。よくてせいぜい3000円くらいまででしょう。
ネットオークションの雑銭から入手したもの。明暦駿河銭の背星の2枚目です。星は小さいけれどきちんとした位置におさまっています。明暦駿河銭の背星の位置違いを集めたら面白いかもしれません。鋳銭工の意図を感じるものが多いからです。
称:建仁寺(長崎銭)の小字背星です。称:建仁寺と明暦駿河銭(称鳥越銭)には不思議な背星が多いと思います。これは収集の09年1月入札で格安入手。類品の出現があれば面白いのですが・・・。
ボナンザ80年新年号から
左は明暦駿河銭の背星、右は水戸広永背星です。
寄稿者は赤羽秀一氏(古寛永大分類の手引きの編集者)でした。これはもう背星として確定してよいかもしれない・・・と氏もおっしゃっております。
 

 
【特別展示品 その15 : 有名品です!】

明和期小頭通 と 文政期離用通面刔輪背削波 と 明和期離用通面刔輪背削波
 
明和期小頭通 【評価 大珍】
明和期小頭通は江戸コインオークションで(郵便入札で)入手したものです。あまりに貴重品すぎて真贋について語る資格などないのですが、思った以上にきれいな品物でした。郵便入札で落札などする訳がないと思い、ほぼ最低価格で応札したら競合者がいませんでした。責任払い・・・の試練をはじめて経験したのがこの品物です。お約束の寛冠右側の凹みもきちんと存在します。
文政期離用通面刔輪背削波 【評価 少】
文政離用通面刔輪背削波をはじめて入手したのはサラリーマンほやほや時代のこと。
その後、よりきれいな文政離用通面刔輪背削波を探していて、ようやく入手できました。しかも銭径、内径とも頗る大きい。なお、同じ書体で明和期のものもあるのですがそれは超々珍品です。

明和期離用通面刔輪背削波 【評価 大珍】
その明和期のものが私の所にやってきました。しかも穴カタ原品の由緒正しき名品で、極細の繊細な文字。さらにこれ以上ない極美品。石川さんに誘われ北海道に赴いたとき、何気なく手渡され拝見した瞬間にあまりの美しさに全身が凍りつき絶句してしまった記憶があります。そのときは北海道の大コレクターが持参した母銭も拝見したのですが、まさか親子そろって見られるとは思いませんでした。文政も明和も文字繊細でこの上ない極美品。このそろい踏みは貴重だと思いますよ。(穴銭カタログ日本原品)
文政離用通面刔輪背削波をはじめて入手したのは川崎市内の古銭店。そのお店の店主は何でもその昔は天保銭の大家であったようで、天保銭譜に掲載されていたものの多くは同氏の持ち物だった・・・と懐かしそうに語るのが印象的でした。
店主のお名前が研究家本庄時太郎氏であることを知ったのはそれからかなり経ってからです。
 
 

 
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