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制作日記
2020年1月~12月31日分まで
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ひみつ
 
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
東京駅地下1F「八重洲中央口改札」→八重洲地下街突き当り右「24番出口」へ →
→ 左側「銀座・京橋・中央通り」階段上がる(地上へ)→ しばらく歩き「久安橋」を渡る
→ 「久安橋」を渡ったすぐ右手にある「麺屋一(はじめ)」のビルの3階が会場です。
※八重洲中央口改札からほぼまっすぐ徒歩12~14分のイメージです。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目1-2 
    「八丁堀水澤ビル」3階 コンビニエンス・スタジオ「サムシン」

 
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貨幣そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局 吉田守 ☎090-7839-4437
郵便振替00110-0-8563 日本貨幣協会 

※年会費は5000円だったと思います。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
 
第51回 日本コインオークション
開催日:2020年7月12日(日)
時 間:午前10時~
場 所:品川プリンスホテルメインタワー12階{シルバー」
注 意:マスク持参
電 話:03-3447-5855
主 催:株式会社日本コインオークション(株式会社ダルマ)

 
不知長郭手覆輪強刔輪宏足寶(背歪百) 
長径49.3㎜ 短径33.1㎜ 銭文径41.0㎜ 重量20.5g
不知長郭手覆輪肥字含白銅質
長径48.7㎜ 短径32.0㎜ 銭文径41.05㎜ 重量20.9g
不知細郭手鋳写異極印(中郭様)
長径48.3㎜ 短径32.0㎜ 銭文径40.8㎜ 重量19.0g
不知長郭手鋳写(花押細字)
長径48.75㎜ 短径32.25㎜ 銭文径40.9㎜ 重量20.6g
7月10日【天保銭祭り】
やっちまった、やっちまいました。ネットオークションで意地になって下りなかったのです。スマホは簡単で1操作で反応できて便利なのですけど考える時間をくれないし取り消しもできません。投稿してくれた画像だったので意地を張りましたが、少し反省・・・でも、まあ、いいか。
頂戴していた情報では細縁大様になる宏足寶の少し銭文型が縮むタイプと認識していましたが、画像を重ねてみた結果(雑銭掲示板参照)は0.2~0.3㎜しか異なりません。その分、ほんの少し刔輪が甘く寶足が短いもののやはり宏足寶には違いありません。2つの品は製作的には近似していますが鋳ざらいの強さによる肌の質感は違い、そのせいか砂目も見えません。同じ系列だとは思いますが微妙に異なるのは製作期の違いなのかもしれません。この系統の品は少ないことは間違いありません。背百の横引きのゆがみが印象的です。
続く品は不知長郭手の含白銅質覆輪銭です。宮城県仙台から蔵出しの銘が入っていますけど、たしかに古寛永仙台銭の正字手や寛字と同じような銅質ですからなんとなく納得。ただし、魚子肌ではありません。これで魚子肌なら完璧で長郭手仙台濶縁の発見なんですけどね。そういわれて極印を観察すると、何となく仙台風の尖り形。
続く品は広郭手直写楔型広穿と名付けられた品。楔型の名称はあるものの肉厚の際は0.3㎜以内ですし、全体に薄肉なのでこの名称は名乗りづらくはずすべきでしょうかね。各幅は広郭手、細郭手、中郭手のどれでも良い気がします。推定出現過程や時期、絶対数を見る限り、中郭を模して不知銭を作ると言うことはあり得ませんので、そもそも中郭手という名称そのものがおかしく、中郭様とすべきなんですけど、この名称がある程度定着してしまっています。方泉處誌上などでは長郭手、細郭手、広郭手の3つで構わないのではないかという意見もあったように記憶しています。現品はやすり目があまり感じられない滑らか肌で小さめの異極印が打たれています。時代的にはかなり後・・・最期の方ですが、贋作とか摸造の類ではないと思います。
最後の1枚はおまけで頂いたもの。画像では着色された真鍮銭みたいに見えますがれっきとした鋳写し銭です。文字・・・特に花押を観察すると鋳写しのための加工がきちんと読み取れます。抜けをよくするために鋳ざらいで頂点を細く台形状に加工してあるのです。鋳ざらいの条痕こそありませんが、かなり丁寧に鋳ざらいされたようで、極端に言えば凹面鏡のような仕上げになっています。
 
7月8日【完全擬態】
6月30日の天保銭の画像を見ていて・・・重大な見落としに気が付きました。これは薩摩そのものだということ。薩摩広郭の中で短尾通小字というものがありますが、これは本座広郭とうり二つなのです。薩摩の方がわずかに保後点が縦に打たれ気味で、通辵の頭が大きいのですけど・・・この品はその特徴が弱い。しかも短尾通小字は黄色い銅質というイメージでしたが、こんな色合いもあるのですね。銭文径と背郭が肥郭気味になることから間違いないと思いますが、エアポケットに入ってしまいました。しかし、この偽装っぷりは見事。今まで見てきた短尾通小字の概念が壊れてしまいました。
長径49.6㎜、短径32.8㎜、銭文径41.6㎜、重量22.4g
ここのところ習慣にしている水曜日の山歩きを本日決行。天気は危なそうだし、女房に言われて午後2時から仕事だし、挫けそうでしたが鋼?の意思を貫きました。4時半起床、5時出発とし、6時から山歩き開始。天気予報では12時前までならなんとかなりそうということからの強行です。もちろん、リュックにはカッパ、折り畳み傘、飲料食糧、防虫スプレー、蛭よけスプレー完備です。目標は月崎永昌寺~大福山山頂~石神集落~上総大久保~月崎永昌寺・・・往復で16~17km。風が強く雲がビュンビュン流れていて、山全体がうねり泣いている感じ。送電線も泣いています。ものすごく不安なスタートですけど、さすがに朝早くて誰もいませんね。唯一会ったのは、イノシシ狩り(罠師)のおじさんで、猟犬2頭に吠えられてちょっと怖かった。こんな早朝に山にいる奴はイノシシぐらいなのかも。私、JR駅の荷揚げをやってましたので普通の人よりは体力があったのは昔の話。猫アレルギーで呼吸がつらく、体重増で膝が痛い。普通の人より足が短いので、ギアが一段階低いから登りには強いはずなんですけど、歩幅が狭い分前に進みません。時々蛭が靴にへばりついていないか点検しながらの歩行です。見つけたら塩水スプレーで撃退です。落ち葉の積もっている場所は要注意です。休憩時間を含み4時間で走破しましたが、10時過ぎに車についたとたん大粒の雨が降り出しました。あと1時間ぐらい歩こうか迷っていたのですけど正解でした。足も限界間近でしたしね。6月に入ってからは週40kmぐらい歩いています。しかし、痩せない。今夜もビールがうまそうだ。 
 
7月5日【文久様】
最近、文久様について尋ねられたこともあり、久々にこのことについて考えてみました。文久様は寛永通寶當4文銭の銭籍不明な密鋳銭でありながら一種として認定されている特異な品です。同様の品に寛文様、踏潰、江刺などがありますが寛文様と並び存在希少で、しかも様々な銭種書体があると言うこれまた特異な品。明和期銭を鋳写しているらしいのになぜか鉄銭の縮字様があり、離用通手、大頭通手など通常の密鋳銭ではめったにないものまでの書体が揃っています。穴銭入門にもこうあります。「存在銭に比べて小異の認められるものが多すぎる点、いかにも収集家好みでかえってひっかかるのである。」新寛永泉誌には「・・・絶妙の後作品がある。」とあり、さらに水戸と野州(下野:しもつけ:栃木)で挿しで発見され、某氏曰く「この銭は水戸藩武田耕雲斎一派具運用として作られたものならん」と、妖しい仮説が流されるなどきな臭い香りが強くします。私はごく若い頃にこの文久様を古銭店の店頭で拝見したことがありましたが、それは白銅色調だった事だけ鮮明に記憶しています。
そういう意味では、水戸等から出たとされる白黄色の文久様には時代のそぐわぬ新しさの違和感が禁じえません。しかし、それ以上否定する材料がないのも事実なのです。これらの件は元方泉處の石川師もふれていて、文久様の白銅色系のものと未使用白黄色系のものは前期、後期のように別物として考えるべきではないかとオークション誌上で提案されていたと思います。
さて、一番上の俯永様はまさしく未使用の白黄色の文久様俯永手で本品は小川青寶樓師旧蔵品ということでオークションに出た品。穴銭入門の拓図を見て頂くと感じると思いますけど、加刀の癖が非常に近似しています。寛尾の跳ね方とか背の波の歪みとか・・・。側面はロクロ仕上げで穿内やすりもあります。そうなんです、意外にまともな品なんですね。ただ新しい品で加刀変化を除けば安政期俯永との差がよく分からないのです。
続く離用通手・・・これは手術後の朦朧とした意識下で衝動買いしてしまったもの。当時は病院代に上乗せなので痛いのなんの。これも書体は泉譜の癖とよく似ています。寛尾の内跳っぷりなんか同じです。入札に出ていた品で、かつてはどなたかの持ち物だったのでしょう。絶妙な後作品だとしたらこいつかなぁ・・・なんて思いながら保有し続けています。O氏あたりが怪しく感じたりスタリキという言葉が頭をよぎりますが、確証はありません。これの真贋はどなたが分かるのでしょうか?(実は尋ねられた時、こいつの存在をすっかり忘れていました。アルバムのどこにあるかもわからない・・・探さなくては。)
最後の正字手・・・これが昔私が見た文久様と同じつくり・・・だと思います。面の加刀は少ないのですが、通頭が大きく反りかえる変化はすぐにわかります。今までの品は文久様というより製作的には安政期様に近い。文字の加刀があるから文久様になっただけ・・・という問題もありました。一方、この品はたしかに文久様といって良い雰囲気はありますが、文久銭と同じかと言えば???。密鋳銭の白銅質安政期風仕上げなんですね。
 
7月1日【加護山銭英泉還暦記念泉譜原品】
下町の入札に加護山銭細字様含鉛銭という出品があり下値も低かったので興味本位で応札してみました。この品は英泉還暦記念泉譜の原品なのですけど、なんでこの品が記念泉譜に載せられたのかが拓本では分からないほど普通(普通以下?)の品なのです。巻末を読むとこの泉譜の構成の意味が分かりました。英泉こと村上英太郎師は秋田の大収集家で、天保銭に半生を懸け、残りの半生を秋田・加護山関連地方銭と紙幣の収集に懸けた・・・ということで、前半には還暦と同じ60枚の天保通寶の珍銭を、後半には愛してやまない収集品を掲示されたようです。なかでも加護山関連の掲載は27枚にも及び、村上師の秋田愛を強く感じます。収集してみればわかると思いますが密鋳の銅一文銭の存在は四文密鋳銭の十分の一以下じゃないかと思うぐらい少ないのです。少ないと言われる中で比較的入手しやすいのがこの加護山座のものなんですけど、それとて細字様以外は難獲品です。寛永一文銭は元文4年(1739年)には鉄銭主体に切り替えられはじめており、公式な鋳造銭としては明和4年(1767年)から安永2年(1773年)頃まで亀戸と長崎で短期間鋳造されたのが最後で、以降銅一文銭は姿を消しています。寛永通寶が公式通貨として世に出たのが1636年ですから一文銅銭は130年あまりで公式鋳造が終わったわけで、江戸幕府が終わりを告げる1868年(慶応4年)までの100年弱の銅一文銭の流通は古銭ばかりだったと言っても過言ではありません。幕末においては230年前の寛永通寶も現役の通貨だったわけで、これを令和の世に置きなおすと明治金貨どころか寛政二朱銀や文政小判までが流通していることになります。ちなみに寛永通寶が正式に通用停止になったのは昭和28年(1953年)のことなので、法的には300年以上現行通貨であり続けたのです。
寛永の銅一文密鋳銭が少ない理由ははっきりしていて、鉄銭主体の時代になって鋳銭事業として採算がとれなくなったから。それにどうせ重罪を犯すのなら一文銭を作るより四文銭や天保銭を作る方がずっと割が良いのです。そのような最中、銅の密鋳一文銭が再びつくられるようになったきっかけといって良い事件が1842年(天保12年)に盛岡藩内で生じます。密鋳鉄銭の横行と流入によって領内経済が大混乱していた事にきれた藩主が鉄銭の領内通用を禁止しただけでなく、住民からも強制回収まで行ったそうで・・・詳しくは2018年の12月30日の制作日記をお読みいただければと思います。
さて、村上師に愛されたこの寛永通寶、お世辞にも美しいとは言えません。外径は23.1~23.0㎜と小ぶりで、肉厚は1.4~1.5㎜。ただ、重量は4.2gあって手にした瞬間に重さを感じます。「これが愛された理由なのかな?」と感じた次第。中段は同じ泉譜に掲載されている加護山銭中字写し。細字写しとの見分けが難しいのですけど、濶縁で内径が小さい特徴があります。さらにその下は加護山銭の亀戸中字写し。これも泉譜原品ですけど、ヒビが入っている品。それでも宝物だったんですね。私も思わず目を細めてしまいます。
 
6月30日【不知広郭手】
関西のTさんからおまけとして頂戴した不知広郭手です。いずれもヤフオクで入手されたもののようですけど、こいつの判定にはいささか困りますね。だいたい天保通寶は本座以外はほぼみんな密鋳で、わずかに薩摩藩の琉球通寶と水戸藩が鋳造許諾を受けた記録が残されているぐらい。立場上、会津藩が黙認されていただろうなあ・・・というぐらいであとは藩政維持のために各藩は贋金づくりに精を出していたと思われます。贋金とはいえ、天保通寶は歴史を動かした熱情の原動力たる存在であったのは間違いないところで、それだけに寸分違わぬ精巧なものも数多く作られたと思われます。
赤銅の天保は長径49.25㎜、短径32.6㎜、銭文径41.3㎜、重量20.4g。一見したら久留米(石持桐極印銭)で決まり!なんですけど銭文径が縮んでいません。隣に比べてみて縮んでそうですけど本座と同じ規格です。文字の周囲が彫られる久留米特有の癖もほとんどありません。極印も違うみたいですけどはっきりしません。地金は確かに赤そうですけど子細に見ると、赤の発色は自然なものではなく少々むらがあり若干の火中変色っぽくもあり、また、輪の面右上内際に額輪風の傾斜痕跡がわずかにあります。本座異制赤銅質というべきか不知広郭手とすべきか・・・悩ましい。ただ、ほとんどの方は一見して久留米正字だと言い切って見向きもしないでしょうね。Tさんの見立て通り本座異制としておくのが無難だと思います。
もう一枚の黄銅質(右)のフォルダーには広郭手大様側面薩摩仕上背肥郭異極印と、たくさん特徴名が並べられていますがどれもが決定打にはなりきれません。計測値は長径49.6㎜、短径32.8㎜、銭文径41.6㎜、重量22.4gと銭文径と重量は一応規格外なんですけどきわめて微妙で、極印も穴ぼこ状にも見えますが小さいので破損した結果なのかもしれません。薩摩藩銭に銅色は似ていますけど絶対にそうだとも言い切れません。これを不知とするかは気分次第でしょうね。私的には不知銭度35%ぐらいです。

※精巧な広郭手が存在する理由として、金座後藤家による天保通寶母銭の横流しの可能性を否定できない事があげられます。(2015年2月15日制作日記参照)1845年に天保通寶鋳造の立役者、13代の後藤三右衛門が斬首されるという事件がありました。三右衛門の処刑の理由は天保の改革で有名な老中水野忠邦への16万両に及ぶ賄賂が原因とされていますが、後藤家の蓄財には天保通寶が一役買っているのは間違いないところです。水野は1842年に改革反対派によって一時失脚するのですが、江戸大火災による本丸焼失という大事件もあって、財政再建のため半年後に再登用されています。水野の再登用支援には後藤が一役買っていたと思われ、その後藤の処刑は水野の再失脚によるトカゲのしっぽ切りであることは間違いなさそうなのです。長郭手や細郭手が覆輪刔輪などのかなり分かりやすい物が多いのに比べて、あきらかに不知銭と言える広郭手が滅多にないことは、水野復権にかけた後藤家が短期的に資金調達をするために母銭の意図的流出(闇売却)をしたのではないかという推定の根拠になっています。三右衛門には水野家失脚の状況下では後藤家もこのままではただでは済まないという焦りがあったと思います。
本座の母銭を使って寸分たがわぬ天保通寶を作れたとすれば、その鑑定はほぼ不可能です。全く同じなら分類上はそれはもう本座なのです。書体分類がダメなら砂目、銅質、やすり目、極印などで判断するしかないのですけど、決定打がない場合は「本座異制」とするしかないでしょうね。銭文径が小さいのならば写しの可能性を考えられるのですけど、逆に大きい場合は(極端な場合を除き)鋳造上の何らかの変化と考えるしか私はないと考えています。
 
6月29日【銅山手】
ヤフオクで重量26g超の表示と青みがかった黄銅色画像が気になって応札した銅山手です。私の個人的なイメージでは銅山手は製作のやや貧相なもの(重量20g未満)が多かったはずなんですけど、気に入ったものばかり購入しているせいか25g前後のものがこれで3枚目になりました。出品時の表示は26.1gでしたが、私の秤だと26.2~3gを表示します。私の秤の狂いかもしれませんが、重く出たのでまぁ、いいか・・・てなところ。一方、実物の銅色は赤みが強い銅色で、これは撮影時の蛍光灯等のライトの色が強く出たものだと思います。銭径等は長径49.05㎜、短径33.0㎜、銭文径41.2㎜で、これは金属ノギスで計測した値。愛用のプラスチックノギスは最近は摩耗のせいかこれより0.1㎜ほど小さく出てしまい、計測しなおしています。出品者の計測は長径49.04㎜、短径33.03㎜、銭文径41.28㎜なのでこちらの方が正しそうです。金属ノギスの方がより正しい値が出るのですけど、大事な古銭を傷つけてしまった過去の経験がありまして、以来プラスチックノギス一筋でしたが考え直す(買いなおす?)必要がそろそろあると思います。
銅山手は天保通寶初心者が初~中級に移行する際のマストアイテムで、仙人への道段位制度では2段クラスに位置します。初段以上は福沢さんが流出するのが普通で、銅山手は福沢さん2人ぐらいは覚悟が必要。この辺りが金銭感覚破壊がはじまるところでありまして、貧乏コレクターだった私は5000円の壁を破る事すらためらっていたぐらいでした。(だから穴銭を集めはじめていたんですけど・・・。)
銅山手は通の字が巨大で寶を圧縮している状態で、盛岡銅山の書体とうり二つです。密鋳銭なんだからもう少し遠慮すればよいのに、実に堂々とした書体で、これは隣藩の秋田の鋳造っぷりとよく似ています。実際にがさ入れは複数回あったようで、そのためなのか銅山手の母銭は未だ発見されてなく(過去の泉譜にはありますが疑問視されています。)原母銭は木型でないかと言われています。実物を見る限り銭文径はいくつかありまして、私が感じた経験では ①黄銅色系の濶縁広郭厚肉タイプ ②細字のすっきりタイプ ③やや赤銅質の側面仕上げがしっかりしたタイプ ④白銅質の磨輪細縁広穿細郭薄肉の末鋳タイプ があります。今回の入手品は間違いなく①です。
 
6月24日【反足寶】
画像は千葉県のHさんから頂戴したものです。ネット上に出ていたそうですけど、検索に引っ掛からなかったのか私は初見でした。検索ワード「古銭→天保」と絞り込んでいるので、この語句が記されていない出品物には引っ掛からないことがありますから・・・。
いわく「・・・ヤフオクで落札した天保銭なのですが、画像が悪く、細郭手の長足宝かと思って落札した品なのですが、届いた品を見たところ、お持ちの長郭手覆輪強刔輪反足宝と、刔輪の具合、長径、短径、銭文径がほぼ一致、量目は、20.58gとやや軽めです。画像のみの比較では、私の方が、面のザラザラが、少ないようです。・・・」
頂戴した画像はスマホもしくはデジカメで撮影したもので歪みが強かったので、問題ない範囲で若干補正しました。また、色調も補正し、特に拡大画像では見やすさを優先して修正しています。
色調も黄銅色で雰囲気が違いますし、砂目も違うので最初はピンとこなかったのですけど、極印画像を見て目が覚めました。このとんがった雰囲気は私の反足寶と同じです。色調補正を強くして寶足をなんとか確認できるレベルまでにした結果、どうやら反足寶に間違いなさそうです。反足寶は天上の刔輪が少し強くなりますが、画像は下側からあおって見ている形なので確認ができませんが、背の當上の刔輪が強いところから間違いないと思います。寶後足が長く湾曲するだけでなく、前足が張足寶より長いのも特徴的です。実は反足寶は超有名な長反足寶より存在は少ないそうで、私は類品を見たことがありませんでした。(ただし長張足寶とは類似していて近縁関係かもしれません。)
私の入手品の極印と地肌が仙台天保に似ていたので、もしかすると仙台銭かしら等と夢想していましたが、Hさんの入手された品を見る限りいろいろなタイプがあるのかもしれません。
画像下はおまけ・・・皆様はどう思われますか?ベースは水戸濶字退寶で、とくに寶貝が変形しています・・・というより変形させられています。ご判断は皆様自身の責任で・・・。
 
6月21日【ネット観察記:美品登場!】 
最近気になったもの。打印銭はこの手のものとしては最高美品だと思います。私も少し追いかけましたが後進のことを考え自重したものの、背がここまできれいなものは初めて見ました。薄っぺらで絵銭の類だと思いますが昔から島銭寛永通寶として有名な品です。
古寛永の俯永抬頭永は源氏名銭として超有名な品。永の頭が蛇がかま首をもたげるようというところから来ています。岡山銭としては少し大ぶりで細縁になり刔輪が強く、いかにも名品といった雰囲気の銭です。左の品は少し輪の幅が広く永尾がうねって少し短くなる変化が見られますが抬頭永に間違いないと思います。状態も申し分ないので落札価格はかなりお買い得でした。(私じゃありませんよ。)
最後の品・・・背元六銭は30万円を超えた争いが生まれた品。試鋳貨と言われていますが素性ははっきりしません。今まで見てきたものは真鍮系の材質のものが多かったのですがこの品は黄銅質に見えます。地が漆で黒く染められていますが禿げているところを見ると古い収集家によって美化されたものかもしれません。つまり、これはそれだけ愛された由緒正しい収集物(もしくは母銭?)と考えられるのです。これは後世の絵銭だと否定される声も確かに聞きますが、平尾賛平をはじめとする有名収集家の収集品(昭和泉譜等)に収まっていた事実もあり完全に否定しきれる材料がそろっているわけではありません。
※地に漆を入れる技法は母銭の砂抜けをよくするため、古い時代に行われたものとして拝聴したことがあります。鋳造において凹部は研ぐことができないからで、技法としてはあり得るかな・・・と思います。一方、一般的な寛永通寶の地が黒く染まっているのは工程中(床焼)に墨と鯨油で煮詰める作業があるからで、これによって一旦は真っ黒な寛永通寶になりますが、その後の研ぎで銭文がくっきり浮き上がるという仕掛け。なお、この作業は鋳造末期の銅銭座、鉄銭座、天保通寶鋳造では省略されています。
打印銭寛永通寶 浩泉丸蔵品 
古寛永岡山銭俯永抬頭永  浩泉丸蔵品    
寛永通寶背元六銭  平成17年銀座コインオークション出品画像 
 
6月19日【古寛永分析ツール】
千葉のHさんの訪問を受けました。Hさんは関西出身で温厚な方。某有名ベーカリーのご関係者のようですけど、現在は悠々自適の毎日だそうです。今回の目的はHさん作成の古寛永分析ツールのご紹介を受けること。ご自宅からデスクトップパソコンをご持参されるなど本気モード全開でした。
水曜日は猫アレルギー対策のため山歩きの日と決め込んでいたのですけど、今回は特別です。晴天がちょっとうらめしい。
パソコンを起動すると、画面いっぱいに古寛永の画像が現れます。拡大された類品画像を左右に並べることができて簡単に比較ができます。また、特徴による検索も可能で、キーワードに従って次々に画像を呼び出すことも可能。10品以上の類品を並べて比較をすることも可能です。何より画像が大きいので左右比較が分かりやすいのです。HPの場合は転送容量の問題もあって私は画像を小さ目に設定していたのですが、いまになってみると小さい画像は見づらいのなんの・・・一部撮影しなおす羽目になり途中で力尽きています。
作動はアクセスというデータベース専用ソフトを使うのですけど、このツールは通常パソコンには標準装備はされていません。名前は知っていても使用したことがなく、したがってデータを頂いても見ることができないと思っていましたが、Hさんのご好意でソフトまで分譲いただきました。その結果、私のおんぼろノートパソコンでも作動閲覧が可能になりました。アクセスは日本語によるプログラム変更も可能なようで、覚えればいろいろいじれそうです。
まずは参考書を購入して基本動作を調べたいと思います。Hさんも画像を増やして分析ツールの完成を目指されると思います。
ただ、Hさんのパソコンは横長ワイド画面でそれにあわせてツール設計されているため私のオンボロパソコンでは画像が画面からはみ出してしまい、並列表示ができません。多分解決方法があると思いますが、私には時間がかかりそうです。Hさん、期待しています。
 
 
 
6月15日【熱闘天保銭】
相変わらずネット上の天保銭市場は過熱気味です。私も犯人の一人なので他人のことは言えないのですけど、ちょっと度が過ぎてるんじゃないの!!っと腹を立てたくなるぐらい。画像上は昨日10万円を超えた闘いが行われた品。覆輪強刔輪で寶下の刔輪が極端で反足寶気味になっているもの。天上の刔輪も強く、魅力的ですけど寶下の部分刔輪というより寶下強刔輪といったところで、どう評価するかです。張足寶の強刔輪といった方が分かりやすいでしょうか?保の人偏が短く泉譜になかなか合致するものがないのも良い感じですね。
陰起文なので状態が今一歩に見られやすくそこそこで闘いは止まるとみていたのですが甘かった。私の予測のはるか上を行きました。コレクターおそるべしです。
それこそ状態は今一つながら少し似た私の所持品を下に掲示します。覆輪寶下強刔輪反足寶様としたもので寶足は上の品より長張足寶になっていますが、天の離輪ぶりは及びません。ただ、刔輪としての強さは背の細縁ぶりに現れています。輪際のグリグリした加刀痕も素適でしょう?
この天保銭は「覆輪刔輪マニアック講座」を記述する原動力になった品で、今はなくなってしまいましたが日本橋柳屋ビルの地下にあった賞山堂さんから購入した思い出の品でもあります。状態が今一つだからとおっしゃっていましたが、この品をとんでもなく安い価格でお譲りいただいたことが良い思い出です。賞山堂さんは母や祖母の東京での買い物の際に連れて行ってもらって中学生時代からたまに訪れていたお店で、店長さんは私のことをうっすら覚えていてくださったのがありがたかったです。何分東京は遠かったし、日曜祝日休業のお店だったので部活のない夏休み、春休みにしか行くことができなかったお店でした。
背に赤い朱がぽんと置いてありますが、これは昔の大家の愛蔵品であることを示しています。この印、三上香哉あたりじゃなかったかと思うのですけど、どなたかご存知ですか?
上の品が出たとき、私はこの品の美銭が出た!と小躍りしてしまいましたが、良く見ると別物ですね。負けて納得ですけど、みんなよくやるなあ・・・と、自分のことは棚に上げて思ってしまいます。降参、勝てません。白旗、脱帽です。
 
極印は小さく花序は3本がオバQの毛のような配置。(古い表現で恐縮です。)別炉じゃないかと噂の濶字退寶の極印にちょっと似ているのが気になります。 
6月14日【大和文庫】
落札品が届きました。ここのところネットは負け続けてますし入札誌でも芳しい結果がありません。上段は先月の大和文庫さんで会津短貝寶濶縁という名で出ていた品。賢明な皆さんはお気づきだと思いますが正しくは会津濶縁離足寶。私はこの天保銭がなぜか気になってしまい見つけると購入してしまう悪い癖があります。市場価格よりずいぶん安い価格でしたが落札してしまいましたが、果たして何枚目なんだろう。反省。
長径49.6㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径39.9㎜ 重量19.0g
下段は何の変哲もない久留米深字。HPでは石持桐極印銭にしていると思います。石持桐極印は天保銭の極印の中で最も巨大で、その花芯の頂に大きな玉を乗せている特異なもの。深字も石持桐極印なのですけど、正字の類に比べると極印は小さめで玉もはっきりしないものが多いと思います。天保銭事典には極印は石持桐極印のみと書かれていますが、天保銭の鑑定と分類においては100枚中3~5枚の割合で桐極印がみつかると改められています。実はこの深字私が出会った2枚目の深字の桐極印銭です。本当は珍しいんですよ。

長径48.8㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量17.1g
 
寛文期亀戸銭細字背文鋳浚い母銭
外径25.22㎜ 内径20.80㎜ 
6月11日【母銭の顔】
文銭に母銭なし・・・私がHPに度々書く古銭界に伝わる格言と言いますか戒めです。もちろん文銭に母銭はありますよ。ただ、実際には初鋳の通用銭らしき母銭まがいの物、疑わしき物までがかなり称:母銭として売られているのが実態なのです。「なぜ、これが母銭なのか?」と尋ねると大概「郭内に丁寧にやすりが入っているから」という答えが返ってきますが、「それだけが根拠なのかい!」と突っ込みたくなります。自分で言うのもなんですけど、これだけ穴銭にのめり込んでいる私ですら母銭の判定には慎重なのです。文銭には細縁銭が発表されているように母銭サイズの通用銭があるからなおさらなんです。(文銭は古寛永的なのです。と、いうことは古寛永の母銭にも注意が必要だということなんですよ。)
画像の品は寛仙堂師が出品されていた細字背文の母銭。久々に、禁断の母銭に手を出してしまいましたが、ご覧のとおり繊字と見まごうばかりの極細字で背郭も整い、あちこちに鋳ざらい痕も残る文句のつけようがない品。現品は少し磨かれたような光沢がありますが角も立っていて特別感があります。材質もなんか違う・・・金属の冷たさをあまり感じない。良くわからないけど透明な漆のようなものが地に塗られているのかもしれません。私はまだ文銭の母銭がよく分かりません。でも、これはたぶんとても良いものだと思います。
※HPを作成していて、見た目は良いのに画像にするとさえないものには数多く出会ってきました。一方、この品は画像の方が美しくなる。原品は表面光沢が強いのですが、撮影するとそれが落ち着いて写ります。こんな品は珍しいですね。光沢が磨かれた乱反射によるものではないからのようです。
 
細郭手削頭天肥郭
長径48.5㎜ 短径32.2㎜ 銭文径40.7㎜ 重量19.7g 
細郭手削頭天
長径48.8㎜ 短径32.5㎜ 銭文径40.8㎜ 重量21.0g
6月10日【七色仮面】
画像上段の天保は収集2020年6月号に「広郭手削輪」として出ていたものです。おうっ、広郭手の不知銭で刔輪があるものか・・・これは珍しいと、あまり考えずに落としに行きすっかり忘れていましたところ、落札の知らせ。到着したものを見てありゃりゃ・・・と驚きました。これ、細郭手の削頭天の類なんです。初めて出会ったのはネット上で、面細郭・背長郭の貼り合わせの天保通寶ということで熱狂してしまいました。ところが、この不知天保通寶は実にいろいろなところに出現します。銅色が一定せず黒っぽいものから赤茶、さらにはきれいな黄銅質(参考画像下)まであります。重品になるとは気が付かず、私は少なくとも5枚以上過去に購入しています。つまり、今回も同じ轍を踏んだわけでして、それでも「郭幅が違うからまあ、いいか。」と、観念した次第です。
ところで、送られてきた品についてきたタグは、秋田の故、村上師のものを示すものでしたがこれまたいろいろな名前、掲載歴が付けられています。長郭手俯頭通刔輪、細郭手俯頭辵(面肥郭:英泉天保通寶研究分類譜No.1378)、中郭手俯頭通(不知天保通寶分類譜上巻P133-5)収集1983年9月号P18-2 
ずいぶん爪痕を残したものです。これが銘品の証・・・ならうれしいのですが、要はこの類は名前や分類が一定してなくて、いろいろなところに違った名称で出てきているのです。不知天保通寶分類譜をお持ちの方は注意して観察するとわかると思いますので調べてみてください。
①天第一画が短くうねる。②通頭が長く反り返り、凹頭通の異名もある。③背當の田が歪む。背の書体形状は長郭のもの。したがって貼り合わせ手の愛称もある。④花押の後端下側のカーブのところに強い加刀が見られる。⑤刔輪銭でぬめぬめして砂目を感じない鋳ざらい銭。⑥面左側の郭のやや上部から輪にかけて、横に走る鋳ざらい条痕がある。(この画像でもわかります。上下2枚の比較をしてください。)などなど。詳しくは収集1983年9月号に村上師が寄稿していますのでご覧ください。
※タイトルを改めて見て、我ながら古いセンスだと呆れてます。七色仮面なんて・・・私の世代でもないのですけどね。
 
6月7日【関西のTさんから】
関西のTさんから画像を頂戴しました。(ありがとうございます。)この方、なかなかの嗅覚ををお持ちでしてネット上などあらゆる方面から良い品を集めてこられます。最近の入手品+αということですけどまだ相当お若いのにまあ、すごいこと。感心してしまいます。以下、Tさんの説明を含め公開させていただきます。
長郭手 覆輪強刔輪 曲足寳 背小星
前足が途中垂直に曲がり、背の花押上と郭右に必ず鋳だまりのある不知銭です。
拓本でも出ているのを見たことがありますし、案外数はあるのでしょうか?
長径 :49.17㎜
短径 :32.83㎜
銭文径:40.96㎜
重量 :21.2g
※よく観察されています。私は星の特徴は気が付いていませんでした。不知天保通寶分類譜下巻P147に一致しています。私の所有品(曲足寶)とも兄弟ですね。天上と當上がこんなにはっきり刔輪されている品は珍しいと思います。(浩泉丸)
不知天保通寶分類譜下巻P147
(掲載名:肥足寶)
Tさんのご指摘で拓図の確認をしてみました。すると同じ位置に星のある兄弟銭が見つかりました。他にも類品があるかもしれません。皆様もお探しください。
長郭手 覆輪強刔輪 宏足寳 縮字 背歪文
細輪縮字ですが、このタイプは余りないのではないでしょうか?
花押の角や袋にポイントが無く、背輪左に傷も無し。當百字が大きく歪み、使用済み本座母銭の様にツルツルです。長足寳系統でこれに近い物をどこかで見た事があるのでその系統でしょうか?
長径 :49.32㎜
短径 :33.01㎜
銭文径:41.06㎜
重量 :20.5g
※宏足寶ですけど當百の歪みが面白い。百の中引きがはっきり斜めになるのが特徴的です。(浩泉丸)
不知長郭手 異書 (面背逆製)
本品は画像よりかなり焦げ茶色をしています。浩泉丸さん所有の撫角銭の覆輪が取れたような見た目で、これでもしっかりと郭内に四面ともヤスリが入っています。側面の見切り線は嵌郭跡のような形で面側〜中央部に残っています。砥石仕上げの際についたと思われる極小傷あり。これは名付けるなら異書?奇書?崩書?そもそも面背逆であっていますか?
長径 :48.34㎜
短径 :31.50㎜
銭文径:41.33㎜
重量 :21.2g
 
※面白い品です。称:撫角銭は絵銭的な製作なのですけど、この品はそれよりは若干銭らしいです。ただ、つくりは同じぐらい下手です。しかし、母銭逆置のエラーとは異なる気がします。背郭が極端に横広で、それに合わせて面側も大広穿になっています。面背逆製は面狭穿、背広穿になるのですけど、これは背が大広穿すぎて面側が追い付かなかった・・・よく見ると意図的に郭の位置を広げて外側に配置しているようにも感じます。書体的には加刀変化があるわけでなく、全体に歪んでいますので、異書とか奇書というより歪書(歪文かな?)とすべきかしら。歪書(歪文)大広穿としたらどうでしょうか。それにしてもどうやったらこんな郭と穿の形状になるんでしょうか?(浩泉丸)
※改めて見たら撫各銭と面文はとても良く似ていますね。
通称:撫角銭
覆輪銭で銅色、製作的には大きく異なりますが、書体は非常に似ています。面の文字全体が縦に引き延ばされている感じで湯圧不足なのか文字にも勢いがありません。全体が砥石で仕上げられている雰囲気で粗いやすり目の条痕は確認できません。変造品的な品ではなさそうですけど、製作的には大量生産に向かない絵銭的なつくりだと思っています。でも、こいつもかなり広穿ですね。
長径 :48.6㎜ 
短径 :32.3㎜ 
銭文径:40.45㎜ 
重量 :22.9g
 
6月3日【玉石混交です!】
最近頂戴した画像。常連のタジさんのもの。天保通寶の不知長郭手の鋳写し赤銅質異極印です。玉石混交と失礼なタイトルをつけていましたが、「石」じゃありません。立派なお宝です。ただし、宝石までは届きません。貴石ですね。極印が変わっています。真ん中は私がネットで落とした出来損ない。いわゆる錯笵銭です。古寛永の太細系かしら、見事なずれで下弦の月のようになっています。できそこないですから収集としては邪道な余興でして石ころみたいな存在なんですけど、同じものは二つとして出てこない。これを集めても誰も関心を持たないし、売るときにはたいていごみ扱いですけど・・・やめられませんね。
一番下の画像は寛仙堂師が出品している長門の勁文の手本銭です。これは26㎜もある大様銭で普通の品じゃないですよね。26㎜ですよ。古寛永には手を出さないと心に決めているのに動揺しまくっています。これを見ると手本銭はあくまでも手本であって母銭としては未完成な品ですね。お願いだから誰か私の目の前から消し去ってください。

 
6月1日【麒麟がくる!】
古銭の話ではなくて恐縮ですけど・・・私は郷土史を調べるのが好きで一時期かなり熱中をしていたことがありました。もっとも、古文書が読めるわけではなく多くが史実などの再発掘です。幸い、故郷の市原市は知る人ぞ知る(知らない人は全く知らない)歴史の宝庫的地域で、最近話題になったチバニアンがあり、大和朝廷時代の東国の基地でもあり、巨大古墳群が複数存在し、上総国分寺があり、更級日記の出発点であり、源頼朝が旗揚げ再起した地でもあり、戦国時代からの山城も多く、江戸~明治時代には姉ヶ崎藩、鶴巻藩、鶴舞藩などが存在していましたが、今は何も残されていなく、住民の関心も極めて薄いのが残念です。
さて、NHK大河ドラマ「麒麟がくる!」はコロナの影響でしばらく休止になるとか。実は私の故郷は明智光秀にも関係があったというお話です。今から50年ぐらい前・・・市原市に明智一族の子孫を名乗る一族がいるらしいと話題になり、郷土史の研究家大室晃氏が調査に乗り出しました。その報告書の写しを最近入手し、改めてその内容を確認する機会に恵まれました。
現存する証拠は墓と明智家の子孫を名乗る一族(明智姓ではありません)の口伝しかありません。文書や位牌の類はすべて失われていますので、確たる証拠は墓石しかないというのが事実です。しかし、残された古い墓石には史実を裏付けるようなものが記されていました。
墓石があるのは市原市の不入斗(いりやまづ)というどちらかと言えば辺鄙な地。ここに明智光秀の側室(早く言えば妾)のフサの方と嫡男光慶(幼名:十五郎)が家臣の齋藤利満・利治親子とともに逃げてきた(利満は途中で捕縛死)というのです。フサの方は尼僧の姿で西光院に入り、幼かった十五郎はフサを母と呼び、家臣の斎藤利治は片又木(かたまたぎ)地区に住んだとか。片又木地区はとても辺鄙な隠れ里で、斎藤姓が多いことで知られています。
この件については以下のURLで一部を見ることができますが、大室氏の研究資料は当時の子孫のインタビュー内容なども残されていますし、その他の古文書から得た事実にも触れられていますので、かなり信ぴょう性は高いものと思われます。ただ、この話は今ではほとんど忘れられています。本家筋が途絶えたことに危機感を持った一族が当時名乗りを上げたんじゃなかったかしら。家紋の桔梗が残されている話なども聞いた覚えがありますけど・・・。少なくとも、側室が逃げてきたのは間違いないと思います。
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/tenji/densyou/aketi/aketi.html
 
 
5月31日【刔輪存痕銭】
侍古銭会のタジさんの入手品。やや陰起文気味の覆輪刔輪銭です。極印は逆打ちらしい。背の輪際のえぐりがなかなか楽しい品で部分的に輪そのものが抉られた痕跡があります。覆輪の存痕銭はときどきありますが、刔輪の輪への直接加刀痕跡は珍しいですね。輪際のえぐりもなかなか楽しい。ご本人も申していますが、不知銭はなかなか飽きることがありませんね。
※本日も、子供の送迎で東京へ。やることがないので石神井川のほとりを10㎞ほど散策させて頂きました。石神井川は水質改善されていて、いろいろな生き物が増えてますね。先日は河鵜の潜水の様子を観察できましたし、本日は清流の女王のカワセミを3匹見ました。カルガモの親子はあちこちにいますし、なかなか飽きません。ちなみに、河鵜の大コロニーは私の家の近くのダム湖にもあって、木々がフンで真っ白になるほどなんです。カワセミもいるはずなんですけど見た記憶がありません。(雉やサギの類はそこかしこにいます。)最近は川廻し遺構探しにも熱中していて、先日は山の中を20㎞ほど歩き回りました。HPにも追加してしまいました。
 
5月27日【楽しい錯笵(危ない錯笵)】
江戸時代の大古銭収集家と言えば八代目福知山藩主の朽木昌綱公ははずせません。大名収集家としては間違いなくNo1で、古銭だけでなく蘭学も解体新書の前野良沢から学んでいて、オランダ語も堪能なスーパーマンでした。
福知山公が収集した品は大英博物館に収蔵されていて、大英博物館所蔵日本貨幣カタログでその一部を垣間見ることができます。大名の収集したものだからさぞすごいものばかりと思いきや、なんでこんなもの・・・と思うような出来損ないの穴銭も結構見られます。画像の一番上は、(粒子が粗くて恐縮ですが)昌綱公が収集されたと思われる元文期秋田銭の錯笵銭。このようなものが富本銭(3枚あり)や御用銭とならんでいるんですから収集家の性とは誠に不思議ですね。
2枚目は東北のTさんからお送りいただいた画像。古寛永の水戸狭足寛(推定)の面重文銭です。外径は24.25㎜ほど(24.27×24㎜.24㎜)で、雰囲気的には近代の作りではなく銭座の作りです。この手の面文が回転して置かれる重文錯笵はとても目立つのでときおり目にしますが、こんなにくっきり奇麗なものは初めて見ました。その下に私所蔵の高田縮通の面重文銭を掲示しますけど、美銭という意味では天地の違いですね。このような派手な面重文銭は通常は廃棄されるものです。したがってこれらは意図的なものじゃないかと思われます。では贋作の類かというと製作から見ると必ずしもそうは思えず、(少なくともTさんのものは贋作ではなくて)戯作・お守りの部類のような気がします。ただ、両銭の背の雰囲気がよく似ているのが気になりますが・・・。
以下に、私所蔵の錯笵銭類も載せてみました。今まで何度か掲載しているので皆さまおなじみでしょう。錯笵銭は出来が悪いのが相場なのですけど、ここまで規格外だと(自画自賛ながら)ほれぼれしてしまいます。
4枚目は銘「乱視寛永」とした古寛永。書体は水戸長永の類に見えますけどまったく自信が持てません。これは文字が縦ずれで先日オークションに出た横ずれとはまた違った味わいです。これは砂笵から母銭を取り出すときに失敗して銭を砂笵に再スタンプしてしまったことが原因です。
5枚目は背側に面文がくっきり映し出されたもの。銘は「割り込み寛永」としましょうか。書体は古寛永の称沓谷銭で、背側の錯笵としては最高峰のもの。元方泉處の石川師の著作「銭幣の華」にも掲載されました。これは砂笵から母銭を取り出した後に母銭を型に落としてしまい拾うときに押し付けてしまったものと考えています。
6枚目は小川青寶樓が愛した・・・かどうかは分かりませんが、小川師が所有していたと聞いている錯笵銭です。銘「湖上連窓」・・・命名は私の洒落ですから。書体は水戸長永ですね。郭が二重になっているだけでなく下輪が極太になっているのが面白い逸品です。青寶樓師もおそらく格調高くこのような命名をして楽しまれたのではないかと・・・私の妄想です。
実は本日、秘境マニアの間にひそかに話題の林道月崎一号線の双子隧道まで歩いてきました。インスタ映えするんですね、このトンネル。ですから本当はこの形「照月双洞」としたいのですけど、まだ誰もわからないですね、はい。
最後の1枚は明和期亀戸銭の小様の背大ずれ錯笵銭です。新寛永は古寛永に比べて大量生産になったため、錯笵そのものの数は多く見られるのですけど、技術向上のため大きな錯笵は限られます。ここまで背がずれてしまったものは珍品中の珍品で、芸術の香りさえします。(自画自賛!)同じ明和期銭の長崎銭や當四文銭類、後出の文久銭と比較しても亀戸銭の錯笵は少ないので、亀戸座職人の技術と誇りの高さを感じます。命名「若月追窓」・・・格調高いなあ。(自画自賛!)

※最近はまっている謎のパワースポット「浦白川のドンドン」(雑銭掲示板に記載の巨大手掘り水路隧道)・・・幻の反対側口ともうひとつの幻巨大隧道を求めて山道を散策。しかし、藪が深く思った以上に谷も深く危険なのでうかつには近づけません。谷の深さは場所によっては30mぐらいあります。道を間違って滑落したらただでは済みません。たまたま地元の方々等にお会いすることができましたのでお話を聞きました。「40年ぐらい前はすぐ近くまで田んぼがあって川をせき止めてできたため池もあったから遊んだ記憶もあるけど、今は藪が生い茂ってマムシとマダニとイノシシの巣窟だよ。(市民の森管理者)」「戦争のときは村の防空壕として使っていた。中はぬるぬるして泥が積もって深いところもあるからあぶないよ。行くんなら上流の浅瀬から川を下るしかないかな?(駅前のお店のおばちゃん)」「この間、東京の人に(洞窟の反対側への)行き方教えてくれと言われたけど、道なんてもうないと答えた。あんなもの珍しいのかい。(市民の森職員)」つまり忘れられた存在のようです。写真を見せたら反対側のこともちゃんと覚えてらっしゃいました。なにせ地元の観光案内には一切掲載されていません。管理者の方からは自分たちの価値観を変えることができたとお礼を言われました。もしかすると道を整備してくれるかな? 
 
5月25日【出来の悪い子供ほど可愛いもので・・・】
収集に行き詰ってくるとあれこれ迷走するもので、刻印銭やら安南銭、はたまたこのような錯笵銭や銅替わりや密鋳銭に走ります。もともと私の穴銭収集趣味のはじまりが近代銭の収集に行き詰った結果ですし、途中で再び行き詰まりを感じ、海外の大型銀銭や古代銀貨に行きかけた瞬間もありましたっけ。それでも古銭収集家としては私は一途な方なのかもしれません。
最上段の2枚は寛永通宝収集界の第一人者の文源郷師の出品物。左はなかなかの珍品の面重文、右は穿内の鋳張りが原因で仕上げが偏った偏輪+斜穿です。錯笵銭としてはややマイナーな感じなのですけど、私以外に興味をお持ちの方がいらしたようでGETならずでした。
さて、2段目は見事な白銅銭。出品名は良恕白銅ということですが、これは水戸銭の勁永跳永濶縁です。改めて見ると結構濶縁で楽しい品です。水戸銭勁永は白銅質のものが散見されるようで、古寛永泉譜にも銅色黄色または帯白色とあります。私は追いかけきれませんでしたがこの品、白さも抜群に見えます。逃がした魚は大きい??
3段目の左は文久永寶の背錯笵銭です。文久には錯笵銭が比較的多いのですけど、この錯笵銭も楽しい品です。これは砂笵崩れによるものでしょうか。
3段目右は珍品の江刺大頭通。寶下に鋳走りがあるタイプです。これは少ないですよ。これは大競争が起きましたので私はスルー。
最後は加護山細字の穿がおかしくなったもの。破穿とでも名付けましょうか。加護山銭が嵌郭をした理由が分かりますね。これは角棒を挿して仕上げるときの失敗が原因です。加護山銭の材質は柔らかいからこのような事故が生じるわけでして、その割に偏輪になっていないのは後で郭内をガリガリやった痕跡から、後天的に何らかの修正をしようとしたものと推定されます。そういう意味では純粋な錯笵銭ではないとも考えられるのですけど、加工そのものはかなり古いと感じますし、自然です。

 
↑ 正字背文の白銅銭。文字は超繊細で母銭を思わせます。かすかに褐色を帯びるものの、これを超える実物は見たことがありません。細字で細縁なのも目立つ。(関西S氏蔵)  ↑ 文の左隣にコのような形があり、さらにその下にレのような影がうっすら見えます。刻印にしては表面の地の部分に変形がない。これは文字の周囲を彫ったか砂笵に押したかです。
5月19日【ネット収穫?変な奴ら】
ヤフオクで落札した変なものたち。道楽ですね。上段は寛文期亀戸銭正字勁文の白銅銭。相当白い方ですけどあと一歩で純白に届きません。肉眼ではかなり白く見えるのですが、スキャナ撮影したりルーペで拡大すると意外に茶色っぽく見えます。これは表面に光沢のあるものによくみられる現象で、光の乱反射によって肉眼では実力以上に白く見えるのです。つまりそれが色が本来の色。(これでも文銭としてはかなり白いほうです。)悪く言えば磨かれて光沢が出た品は白く見えてしまうのです。
白銅好きを自負する私ですから、かなりの数の白銅銭を見てきましたが文銭の白銅には仙台の異書類のような完璧な純白のものはほとんどないのかな・・・と思います。何年か前に関西のSさんから送って頂き撮影した正字背文が目下のところNO1美白銭で、私の中ではこれを超える新記録はなかなか生まれませんね。しかも、母銭のように文字が繊細。同じスキャナーで撮影していますからその卓越性が分かると思います。昔、収集誌に文源郷氏が掲載した真っ白な文銭・・・あの色が本物ならすごいのですけど・・・見てみたいです。(5月20日:色調補正してみました。この方が実物の目視に近いです。)
さて、もう一つは元文期亀戸銭大字の背文もどきです。16日の画像と比べてもらうとまるで雰囲気が異なる事に気づくでしょう?これはスキャナーとカメラの機能違いですね。光の当て方や対象の傾け方でこんなに雰囲気が変わってしまう。これこそ画像マジックです。手にした感じは絵銭の類ではありません。薄っぺらですけど銭座の作りです。贋作師はこんなに薄く作ることはなかなかできないのです。つまり、土台は通用銭です。そして文に見えた文字にはどうも左側にも何かあるみたいなのです。目を凝らしてみると「改」の文字のようです。ここで改めて考察すると・・・改の文字は削り出されたようにも見えます。面側に打ち傷がないので打刻ではなさそうなのでひょっとすると金属腐食技術・・・スタリキによるものじゃないかと思えてきました。(ドリル加工による旋回痕はなし。)もし鋳銭工の戯作だとすると砂笵に改の文字をスタンプしたことになりますけど・・・可能性は低いかな。百聞は一見に如かず、幽霊の正体見たり枯れ尾花。手間はかかっていますけど近代の悪戯でしょうね。
 
5月17日【封印せし物】
世の中真実を知らない方が幸せなことはいくらでもあると申しました。ここにある刻印銭の類は過去数年にわたって私が目を背けてきた者たちです。きれいに拓本と分類名称が印刷されています。裏側にはやはり背の拓が印刷されしかも「浩泉丸」の名前まであります。実はこれ、元方泉處の石川氏から頂戴したものなんです。何かのご褒美でもらったもので、だから名前まできれいに入れてくれてあります。ただし、お気づきの方も多いと思いますがこれらは本来は存在してはいけない刻印銭ばかりです。つまり、贋作刻印の試し打ち銭なのです。私はそう聞いてこれらを受け取りました。一度だけHPにこのことを書いた事があったかもしれません。しかし、以降私はこれにかかわることはタブーだと決めて頂いたままの状態で小箱にしまい込み卓上に放置していました。(石川様、ごめんなさい。)
机の上が雑銭などで溢れかえっていたのを整理する過程で、勇気をもって箱を開けてみました。実はこれで全部ではありません。中には上棟刻印銭もあると思いますが、やはり怪しいものが大半です。ですから、私はこれらをもう一度眠りにつかせるべく、存在を公表します。この浩泉丸の包み紙を見たらOUTです。その昔、ある大家が贋作ばかりを一つの引き出しに大量に放り込んでいたとか。それを参考銭としてもらっていた輩がその贋作類を世に出してしまったことがあったそうです。そんなことは避けたいですね。刻印銭には手を出さない方が無難。真贋を見分けるのは極めて難しいというより無理なものの方がが多いのです。
 
5月16日【戯作背文】
変なものを購入してしまいました。まだ手元には届いていませんが元文期亀戸銭の大字の書体で背に文のような紋様があるもの。これは本格的な贋作ではなく、お遊びの要領で作ったものと分かります。理由は文字周囲の凹みなんです。ちゃんとしたつくり?の場合、文字は金属で作って母銭に嵌め込みます。当然文字の周囲に凹みなどできません。これが現れる場合の1つは母銭の段階で文字の周囲を彫る。しかしこのように幅広く不均一にはなりません。普通は筋彫状になります。また、嵌め込みの場合は文字周囲を彫る理由もありません。したがって、このケースは文字を直接砂笵(鋳型)に書いたと思われます。それも彫刻刀のようなものではなくヘラの先端で書いた(押し付けた)事がうかがわれます。文字周囲の凹みは、その際の反作用で鋳砂が盛り上がったと考えられるのです。文字の先端の方が押し出した砂が多くなるので凹み幅が広くなります。(鋳型の凹凸は通常と逆転していますので頭を良く整理して考えてください。)文の点は鋳型の凹んでいる部分に書き込みますので、本来ならばもっと立体的に浮き出るはずです。そうなっていないのは仕上げの段階で強く研いだのでしょう。しかし、この文はかなり下手糞。点の傾きも通常と逆です。それに輪に喰いこますほど大きくする理由もない。ですからこの文字は当初、点の部分だけゴミくずなどで陰影がついてしまったのを、鋳銭工が発見し、どうせ廃棄するからと面白半分に字画を書き足したものと考えられます。だって贋作にしちゃひどすぎます。そこまで考えて贋作したのなら見事でしょうね。以上、私の推理です。信じるも信じないもあなた次第です。
 
5月12日【天狗花押の接郭】
ネットでつい購入してしまった接郭。私のIDをご存知の方はなぜ私が接郭なんかに応札しているのか???だったかもしれません。理由は単純で花押のツノが長く見えたから。それに私は接郭は好きな雑銭だから。だって接郭はものすごく製作の良い覆輪強刔輪の不知銭ですよ・・・本来ならば・・・ですけど。昨年、1月29日の東北のSさんが発表された横長の花押に見えるもの・・・ただし、花押はあまり扁平に見えないないから正合するんだかどうだかはまだ分かりません。でも花押の角はほんのちょっぴり長い。名前を決めていなかったので、本当は格好よく「長刀:なぎなた」としたかったのですけどやはり天狗の方が分かりやすいですね。
極印画像です。接郭の極印は横幅よりも縦が長い縦長葉脈の特徴がありますが、この極印は破損していたのか左右ともまるで盛岡藩の八つ手極印のような形状です。面側の書体については分類上は接郭の本体なんでしょうけど、寶足が気持ちよく開くなど若干小異がありますね。私もまだ勉強不足、接郭は面白いです。
 
5月11日【寛上削輪再考】
北陸のNさんから新寛永文銭と古寛永岡山銭伸寛の寛上削輪の画像を投稿いただきました。(ありがとうございます。)この寛上削輪は何気ない変化なのですが、意図がないとできない加工の一つです。鋳物を作る場合、砂笵(砂型)を使用します。母銭から型どりをするわけです。すると砂笵には凸凹が反転した形が現れます。文字の部分は凹、地の部分は凸という具合です。星紋や文字を加える場合は彫刻刀や爪楊枝でちょいちょいと加工できます。砂笵といっても海岸の砂浜のようなサラサラではなく、適度に(結構)粘り気があって固くなるので加工は簡単なのです。一方、削輪をつくる場合は砂笵の加工は実に困難です。凸凹反転なので凹部に盛り土をするか、何か他の異物を据え付けなければならないのです。しかもしっかり固定しないと鋳型はひっくり返されたりしますので、盛り土(異物)は動いてしまいます。削輪部分が寛上にぴったりくっついていることは、この加工がものすごく意図的であることを示しています。もちろん、母銭段階での加工もあると思いますが、母銭の加工は(金属ですからとても硬く)なおさら意図的になります。では何のための加工だったかというと、発見者の「吉野宏」氏は鋳走り(鋳つぶれ)防止のための加工ではないかとの見解でした。もしかすると出だしはそうだったものの途中から意図が変わったのじゃないかと私は考えています。じゃあ何かと聞かれれば・・・わからない。ただ、鋳造技術的なものにしては目立ちすぎます。それは職人としての美意識を傷つけます。それに鋳走り防止ならすべての文銭に同じ加工がされていなければおかしい気がします。ゲン担ぎとか、自己顕示とか何かの意図があると思うのですけど・・・分かりません。皆様もお考え下さい。
 
5月9日【秋田小様再び】
また、秋田小様を落札してしまいました。今度は収集です。もう病気としか言えませんね。自重しているつもりが自嘲になってしまいます。自粛します自粛。
サイズは長径46.3㎜、短径31.05㎜、重量16.9g
秋田の故、村上師の所有物でもちろん英泉天保通寶研究分類譜の現品です。秋田小様としては美銭の部類なのですが背側が拓本墨で汚損されています。除光液を試してみましたがやはりうまくゆきません。墨は薬品系では絶対落ちませんね。極印がきれいに残っていましたので画像に撮りました。
 
5月8日【白銅銭の墓場?】
68式ヲヤジ様が白銅の薩摩に悩まれているということで、私も恥を忍んで公開します。これで全部じゃないです。(一番上と下の2枚はおまけ画像)正直言ってかなりお金をどぶに捨てました。雑銭箱に放り込まれたり子供たちにあげたりして抹殺されたものも何枚もあります。騙されるのが嫌な人は絶対手を出してはいけません。真実を知らない方が幸せなものだって世の中にはあるのです。
薩摩広郭含白銅質
・本物度    100% 
・白銅度     15%
・うさん臭さ    0%
通常の薩摩広郭よりはかなり白っぽい。蛍光灯下での現品の見た目はこの画像以上なんですけど、スキャナーするとかなり黄色くなってしまいます。自然光では黄色っぽいので、鏡面反射がかなり強い品かな?
実はこういう品が非常に多いのです。即売会の会場で薄暗い照明の下で見るとあら不思議白銅に間違いないと多くの方が惑うのです。欲をかかなければ怪我をすることはないんですけどね。
薩摩広郭白銅
・本物度     10% 
・白銅度     75%
・うさん臭さ   90%
某入札誌で購入したもの。直前に某コイン商購入した薩摩広郭の白銅が幼稚なメッキ品で、頭にきて高額な価格設定なのに応札して落としてしまった。(二度あることは三度ある?)でもってHPに妖しいと嘆き書き込んだら、某氏から自分が昔作ったものかもしれないというお便りが届きました。製法についても教えてくださいました。マイクロスコープで超拡大すると色むら部分(地金露出)があったと思ったのですけど今見ると確認できません。(確認しました。)
薩摩広郭白銅
・本物度     50% 
・白銅度     80%
・うさん臭さ   50%
某コイン商でこれは間違いないと言われて購入。(コイン商がこいつはだめだと言って売るわけがない。)これにもかなり良い値段を払っています。散々調べましたが決定的否定材料がみつからなかった。ただ、銀メッキをかけたように白すぎて逆に確証が持てません。郭の部分やその内側に鋳不足状の欠けがありますがそこまで色むらなく完璧に白い。妖しいけれど傷つけてまで調べる根性なんか持っていません。
薩摩広郭白銅
・本物度     60% 
・白銅度     85%
・うさん臭さ   40%
かなりシャープな白銅銭。手ずれ感がほとんどなし。コインの即売会場でこいつを購入しようとしたとき、居合わせたYさんやHさんから妖しいからやめた方が良い、考え直せと散々たしなめられました。手にした感触が金質が違う感じがしたのと、古いコレクターの収集品だったらしいこと、金属の欠け部分がとても自然なので賭けました。もろいのは錫の特性でもあると自分を納得させていましたっけ。こいつも否定材料はありません。
薩摩広郭白銅
・本物度     70% 
・白銅度     70%
・うさん臭さ   30%
ネットで購入。少し黄色みがかった部分がありますが発色は自然でメッキの品ではないと思います。この出品者は比較的良い品を放出することで知られており、某大物古銭収集家(関西のKT氏)の遺品を売却処分していると私はにらんでいます。つまり、この品は某大家の旧蔵品ということになりますけど、絶対そうだとも言えません。
薩摩広郭銀製贋作
・本物度      0% 
・白銅度     90%
・うさん臭さ  100%
ある方から無償で頂いたもの。真っ二つに割られていて断面は銀鼠色。表面はわざと汚されている感じです。重いし、手にするとひんやりします。これは銀の特徴なんですね。やや薄いのに25gもあります。見て手にとってわかる教材です。
※黒いのは銀錆・・・硫化銀かもしれません。
本座広郭白銅
・本物度    100% 
・白銅度     60%
・うさん臭さ    0%
佐渡白銅ともいわれますが、佐渡の明確な根拠、確証はありません。この1枚は私の所有品の中で最も白いもの。秋田の村上師に、某入札誌に当時超高額出品されていた本座広郭の純白銅銭について「あのようなものは本当に存在しますか?それに高すぎませんか?」と尋ねたところ「ありますよ、純白なら10万ぐらいしてもおかしくないよ」と言われて感心したことがあります。純白ではありませんが雑銭からみつけたこの1枚、皆さんならいくら付けますか?
曳尾白銅のふれこみで購入
・本物度    100% 
・白銅度     10%
・うさん臭さ    0%
入札誌に白銅質と書いてありましたが拓本だけでは色が分かりません。そこで応札。蛍光灯の下で見ると実物はかなり白く、上の本座広郭白銅とほとんど遜色ないのに、なぜかスキャナーで撮ると黄色くなってしまいます。自然光で見ると輪表面は比較的はすべすべしているので黄色く見えます。蛍光灯の下では騙される品です。黄白色ですね。
右は上から2枚目の白銅銭の超拡大部分画像です。私がこれをダメと判断した理由が見つかりました。解像度1200dps(通常の12倍)にあげて撮影したもの。文字のわずかな染め残しを確認。これは肉眼はもちろん20倍のルーペでも確認不能でした。このような芸当はスキャナー、マイクロスコープにしかできません。輪や郭の縁、側面や時には表面に空いた小さな穴の内部まで拡大して観察します。機械の性能などもありますのでこれだけで100%ダメとは断言できませんけど私的にはほぼダメです。その他にもメッキ系贋作は表面がのっぺりしやすいので砥石の目や表面のぼつぼつ穴がきちんと残っているか、染め残しがないかも確認します。贋作は化学銀メッキを薄く全体にかけてきます。手ごわいです。
 
5月7日【投稿画像】
侍古銭会のタジさんの投稿画像です。不知細郭手の覆輪ですね。若いのにいろんなところに出入りしておねだり上手なのかせっせか入手をされています。私が彼の年齢の頃は、がむしゃらに働かざるを得なくて、イライラを抑えるためにゴルフの打ちっぱなしに行ってました。スキーも趣味でしたが休みが取れず、土曜日夕方出発、オールナイトでスキーを楽しみそのまま帰ってくるという超人的なスケジュールで遊んでました。今では信じられないほど肉体派武闘派でした。
そういえば市のミスコンテストの司会なんかもやりました。当時はミスコンの末期で、他の市が水着審査開催をやめていったものだから(芸能界志望の強い)すごい子たちが集まったこともありまして・・・某元グラビアアイドルの娘さんとか、次代ミス〇〇港グランプリとか現役のミス〇〇(某国大都市代表)なんかもなぜかいて、さすがにスタイル抜群でした。受賞者3人と記念写真を一緒に撮ったとき、みんな背が高いのにハイヒールを履いているもんですから、私は捕えられた宇宙人のような写真にしかなりませんでした。今は遠い思い出です。余談の方が長くなってしまいました。
 
5月5日【残念な反玉寶】
上段の品はネットで見かけた方も多かったと思いますが、間違いなく反玉寶ですね。雑銭掲示板の4月11日に反玉寶小様の記事を書いたとき、この品は同時出品されていました。ただ、大きいんですけど状態が悪いので誰も応札せず、その後も不落が続き再値下げして出ていたので、研究のためと・・・言い訳しながら落としてしまいました。出品された方も真贋を気にされていましたから私も私なりに知りたくなったのですのです。
実は落とした後に「タジさん流除光液大作戦」を考えちゃいまして、美銭に仕上げて大儲けなんて、捕らぬ狸の皮算用。でもって24時間除光液に漬け込みましたが、ほぼ変化なしでした。除光液が100円ショップで購入した安物だったのがいけなかったのか、この汚れ焼け付いたように取れません。
さて、実物を見た第一感は悪くない。長径は50.07㎜、短径33.63㎜、銭文径40.67㎜、重量19.6g(出品者計測値ですけど正確だと思います。)
気になるのは状態が悪いことに加え、大きさの割に軽いのです。50㎜以上長径があるなら22g以上はあるのが常識。だから薄っぺらく感じるのですが肉厚自体は2.5㎜以上ありますので問題はないのかもしれません。ただ全体に浅彫・・・多分磨かれて摩耗しています。金質は問題なし。
側面は仕上げられていますが極印はなく、穿内は鋳張りこそないもののやすりで仕上げた雰囲気はありません。穿内も真っ黒なんです。結局、これは仕上げ銭ではなく、半仕上げ銭ですね。反玉に半仕上げがあるということは聞いたような気もしますが、確証はありません。
私の結論は・・・これは本物の反玉寶に間違いなし。その証拠に半切りの合成写真をつくりました。私の所有する鋳放しと小様の内径銭文径とぴったり重なります。表面は火を被ったのか黒い固着物が喰いこんでいます。どなたかがそれを取ろうとしたようです。
ついでに言うと側面の仕上げはおそらく後で行われたものじゃないかしら。仕上げられたのは最近ではないと思います。時代はあります。和やすりの目は感じられないものの近代的な仕上げではありません。
だいたい仕上げ銭に極印がないのはおかしいし、側面が磨かれていても穿内が仕上げられていないのも理にあいません。銭の作成工程では穿の仕上げが先で研ぎが後なんです。つまり、こいつは罹災品の変造品でしかも失敗しています。もったいないですね~。ただ、土台は良いものです。あくまでも参考品ですね。欲しい方いらっしゃいますか?いない?、そうでしょうね。
木村昌古堂が反玉寶を挿しで東京に持ち込んだ時、売れなかったそうで頭にきて磨いて鋳張りをとって何枚か売りさばいたとか・・・。その原品ではないと思いますが、少なくともオリジナルのものじゃないような気がしますがどうでしょうか?
 
秋田小様細郭 長径46.1㎜ 短径30.6㎜ 重量16.8g
5月4日【秋田小様細郭】
秋田の銭座は元文期に寛永通寶を鋳造した川尻の銭座と幕末期から明治初期に密鋳を行った阿仁銅山系の加護山座がありますが、秋田小様は間違いなく加護山系だと思います。こんなおもちゃみたいな小さな天保通寶をどうしてつくったのか・・・発覚するリスクを感じなかったのか実に不思議です。本座広郭をもとに鋳写を重ねたと推定され、1回写しから4回写しまであると推定しています。4回写しは45㎜台で、銭文径は38㎜台になるはずですけどこれは3回写しと思われます。加護山ですから嵌郭の技術は持っていたと思われますが、秋田小様の郭幅はバラバラです。秋田小様には面側郭が背側に凹んでいるような物が多くみられる気がします。これは郭の鋳張りを除去する際、面側から角棒のようなものを強引に打ち込んだんじゃないかと思うんですけど・・・あくまでも推測、妄想ですね。私は会津濶縁、秋田小様、久留米濶縁はなぜか気になって見つけると入手したくなる性分です。もともとは白銅好きを公言していたのですけど、天保通寶に白銅銭はめったにないからいつの間にか赤銅好きにもにシフトしてしまったようです。しかも、これらの天保銭は大概出来が悪い。でもその方が密鋳銭らしくて私にとっては魅力的なんです。どうです、可愛いでしょう・・・え、ちがう、そうかなあ。しかし・・・秋田小様は高いんですね。手放して売るときに絶対苦労するんです。やめようやめようと思いながら手を出してしまう私は大バカ者です。
 
5月3日【昂通背星・絵銭猿匍駒背寛永虎の尾寛】
上段は大分貨幣研究会に対して関東のA氏が生拓交歓として出品した昂通背星です。古寛永泉志における評価は「珍」で絶対的な珍品です。私銭・初期不知銭の有名品と同格以上の扱いで、そのグループ銭以外でこれと同じ評価は坂本大濶縁ぐらいで、数の少なさだけでなく品格まで評価として問われます。特徴は岡山銭の良恕に似た書体で寶王末画と尓初画が連なる事。別名良恕大字ながら、今は仮に水戸銭に籍を置かれています。かつて仙台古泉会のH氏からお見せ頂いたことがありましたが、その直後東日本大震災の津波で一度行方不明になり、必死の捜索で泥沼の中から見つかったとか。その品も目鼻立ちのはっきりした美銭だったと思いますが、この拓本もきれいですね。退足寛気味に寛は俯して足の分岐位置が下がり、通の辵は踊るようにうねり永は千木永気味に仰フ永になります。珍品なのでよからぬ物もあるようでして、背郭がこの拓図以上に細いものは「寛永堂」による贋作を疑って下さい。
猿匍駒は寛永の書体が鉄銭の虎の尾寛なので、新作だと思っていましたが、かなり本格的なつくりです。同じものをかつてネットで見たことがありますが、絵銭としては銭座の基本を守っていて上作です。(穿が駒側の方が広く、きちんと表側になっていますし、近代銭の香りがあまりしません。)それでも面文が新寛永の鉄銭ですから時代的にはそんなに古くないと思います。猿匍駒は養真亭の畫銭譜や昭和泉譜に「猿匍ヒ駒」と名付けられているため「さるはいごま」と呼ぶらしいのですけど「匍」の文字は匍匐前進ぐらいにしか使用しませんのでほとんどなじみがありません。はうなら「這」の方が一般的なんですけどね。(昭和絵銭図譜は猿這ひ駒でした。)
 
5月1日【絵で解く丁銀・豆板銀の鋳造】
貨幣64巻第2号が届きました。そこにあった花野韶氏の記事はなかなかの力作で感心しました。金属を水中で鋳造する技術とか、溶解した銀が空気中の酸素に接することで酸化が急激に起こり、表面があばた面になる・・・それを防止するために藁を燃やして酸素を遮断するなどなど・・・。なるほどそういう考えもあるのか。
私はこのHPに、丁銀水中鋳造は誤りと書きました。受け売りですけど、十分に納得していました。一方で、思考を停止していた自分を恥じましたね。しかし、疑問が残ります。
1.溶解した金属が水分に出会うと水蒸気爆発を起こし大きな事故にならないのか。
2.水中鋳造が可能だとして、水中では丁銀の表面にできる凝固時の凹みが説明できないのではないか。
水蒸気爆発は冶金についての資料には必ずふれられています。わずかな水分でも水は急激に気体になって容積を増やすので爆発的に熱湯や溶解した金属を飛び散らせます。砂型の乾燥が足らない場合でも水蒸気爆発は生じます。この件については古代の百科事典「翁草」にも記されていて、すでに固まり始めている銅を鉄槌で割った後に「その出来立ての割銅を水中に入れて冷ます作業」でさえ水蒸気爆発を起こすのでひどく危険だったようです。したがって常識的に考えてもさらに危険な行為(溶解した銀を冷やさずに直接水中に投入すること)を江戸時代に行ったとはにわかに考え難いのです。とはいえ私は金属の専門家でも古文書が読めるわけではありません。これ以上は冶金の専門家の出番ですね。
※昨日、酔っぱらって大変失礼な記事を書いてしまいました。(申し訳ございません!)花野氏の説は読めば読むほどよく調べたものであることが分かります。私の知らない世界がまだたくさんありそうです。鋳造金属の性質についてどなたか詳しいことをお教えください。
 
4月29日【加護山母銭】
掲示板へのアンサー記事です。加護山の母銭だと私が勝手に思っているもの。何年も収集をしているくせに母銭の鑑定はいまだに自信がありません。
一番上のものは繊字狭文様の母銭と判断したものです。磨輪されていてかなり使用感があります。方泉處の新寛永通寶図会に掲載されている原品で、泉譜に「比較的大型のもの・次鋳もある」と記載されていていました。つまりこれを初鋳銭と判断していたのです。しかし、実物を観察したところ、通用銭サイズに磨輪されていること、内径の大きさ、銅質、やすり目、研ぎなどから改造型の母銭として考える方が自然であると総合的に判断しました。
次鋳があるとすればこれと同じサイズの通用銭があるはずなのですけど、繊字狭文様そのものが少ないので、いまだに出会えていません。というより無理のような気がします。改めて観察するとこの繊字狭文銭の文字・銭体の大きさが伝わってきませんか。
中段のものはオークションネットに出品された加護山の細字様母銭。細字様の初鋳のものと内径がピッタリ同じなので異論がある方もいらっしゃると思います。とくに背の出来が悪いのが気になりますね。しかし、郭内は丁寧に仕上げられていますし、銅質が普通の加護山と違いやや白銅質気味です。上の繊字に比べると小さく見えますが加護山銭細字としては決して小さくありません。それ以上のことは私もわかりません。100点満点の母銭ではないと思いますが次鋳のための改造母銭なら納得できます。
最下段はオークションネットにかつて出た細字嵌郭の原母銭。オーラが全然違いますね。12万円で出品されて50万円で落札されたとか。私も挑みましたが軽~く吹っ飛ばされた感じ。身分不相応でした。これは芸術品です。
加護山は民間密鋳のようなイメージがありますが、秋田天保にもかかわっていて、明治維新後にも鋳造を勝手に続けて政府から問題視された経緯があったと聞いた気がします。秋田天保の母銭は、天然の白銅や黄銅を使用している物が多く、砂目が細かくてつるつるした雰囲気があります。これはまさしくそう。加護山は文銭の細字をモデルにしていますけど、原母のつくりは別物で嵌郭をした背文刮去の改造銭ではなくピカピカの新規作成・・・精巧なコピー作という感じです。これから見ると上の母銭としたものはかなりレベルダウンしますね。
※一般に鋳写母銭の場合、母銭の方がほんの少し狭穿になる傾向にあります。鐚銭について学んだ方は郭抜けという言葉をご存知だと思います。砂笵という鋳型の中に注ぎ込まれた溶銅は冷えるにしたがって容積を小さくしますが、鋳型があるが故、鋳型より狭穿にはなれないのです。原母から作られたものなどもありますし、やすり掛けなどにより変化もありますので例外もあると思いますが。参考にしてください。
 
4月28日【典型的土佐額輪】
土佐額輪は案外難しい。先にも書きましたが天保通寶研究家の瓜生氏でさえ土佐額輪本体母銭と水戸接郭の母銭を混同しています。だから水戸接郭・大字の土佐鋳造説なんてものもありますから。(ちなみに水戸大字というものも不思議な天保銭で、面側はオリジナルなんですけど背はどう見ても写し・・・縮小が激しいんですね。水戸藩銭はあくまでも称:水戸であって確証的な裏付けが何一つない気がします。)
画像上段は最近見かけた典型的な土佐額輪本体(濶縁)。美しかったので欲しかったんですけど、放置状態だったので最期まで追いきれませんでした。
覆輪、嵌郭、額輪、接郭の様子がすべて観察できます。
覆輪によって輪幅が広く少し横太りになっています。また、覆輪圧力で郭が反郭状に反り返っています。
それを補強するために行ったと思われるのが嵌郭で、面側に痕跡がうっすら残ります。
額輪は母銭を覆輪する際に輪の外側に金属のタガを嵌め込んだため、輪の外側が盛り上がった状態になったと思われるもの。輪が額縁状ということでして、通用銭においてはあまり残されていないものも多いのですが、画像では輪の内側が凹んで陰起しているのが分かりますでしょう?
さらに文字全体が縮小して寶がわずかに輪から離れます。つまり接郭の特徴も持っているのです。ただ、本場?の接郭よりはその特徴は弱く、とくに背の當字においてはほとんど離輪しません。
比較のために下段に一般的な額輪の本体銭の画像を置きました。土佐砂目が粗いとよく言われますが砂抜けは今一つながら本体銭はわずかですけど粒子は細かい雰囲気もあります。肥字とはちょっと違うんですね。ですから4月26日の下から3番目の画像のようなものも存在するのです。(実物はすこぶるの上ものです。)
私は母銭コレクターではないので(と、いうより資金力的に集められないので)よく分からないのですが、土佐の額輪母銭には額輪や嵌郭の痕跡を確認することができましたが、接郭の母銭にはその痕跡がほぼ確認できません。その金質も額輪は緻密な白っぽい黄銅質でしたが接郭は黄褐色で違います。土佐額輪母銭は改造原母的であるのに対し、接郭母銭はあくまでも改造原母銭からの鋳写母銭なんですね。似て非なる額輪本体と接郭・・・興味が尽きません。
 
4月26日【本物は誰だ!:額輪・接郭編】
額輪や接郭などは雑銭とされてますけど、覆輪刔輪や嵌郭など不知銭鋳造のあらゆる技術が集約されているものすごく良いサンプルなのです。ただ、斬新なテクニックはあっても、肝心なクオリティがいまひとつで、数も比較的見られることから人気がありません。しかし、このクラスを正確に見極められる人は少なく、私自身もしばしば見誤ったり、目を疑うことも起きるのです。4月3日に天保通寶段位制度の改訂版を書きましたが、この見極め技術は本来初段以上のものと考えています。チャレンジしてみてください。ものすごく意地悪で難しい画像ばかりですから。
※ノーヒントじゃ難しいので極印画像と計測値を付けました。これで難易度はがくんと下がります。
長径47.9㎜ 短径32.0㎜ 銭文径39.9㎜ 重量17.7g  
1.超小型で軽量。極印は鋭い。
長径49.0㎜ 短径32.5㎜ 銭文径41.3㎜ 重量19.5g  
2.やや大型銭。極印は平凡。
長径49.4㎜ 短径32.7㎜ 銭文径39.9㎜ 重量20.7g  
3.背濶縁銭。極印は大きい。
長径48.6㎜ 短径32.3㎜ 銭文径40.7㎜ 重量13.7g  
4.超軽量。極印は鋭い。
長径48.9㎜ 短径32.6㎜ 銭文径40.3㎜ 重量17.6g  
5.細字軽量の小型桐銭。
長径49.2㎜ 短径32.9㎜ 銭文径39.9㎜ 重量20.1g  
6.やや大型細縁銭。
長径49.0㎜ 短径33.0㎜ 銭文径39.7㎜ 重量20.7g  
7.横太り濶縁銭。
→ 解答はこちら
 
4月24日【喀龍さん大丈夫?!】
喀龍氏は収集誌上で主に近代銭等に関しての記事を連載されています。ユーモアとウィット、自尊自戒に自嘲を交えた独特の世界観にあふれた文章で、私にとっては専門外ながら興味津々で拝見をしています。そんな喀龍氏唯一の天保銭コレクションについての記事が掲載されました。ネーミングの「不知ウルトラ大濶縁」とは喀龍ワールド全開です。ご本人も”本筋からはずれた品”と断っているように、はずれもはずれ、大外れの天保銭です。だいたいM78星雲からやってきた・・・というジョークは昭和40年代以前生まれの世代にしか通用しませんよ。(私?・・・しっかりと響いてます。)このサイズはどうみても通用銭ではなく絵銭。時代も大正以降で多分昭和以降じゃないかしら。喀龍さん、20万円でお求めになられたらしいのですけど、売られた方は指2本出したということで2万円、ひょっとしたら2000円のつもりだったんじゃないかしら?それでも欲しいから求めてしまうのがコレクターの悲しい性。かくいう私も失敗のたびに猛反省をするものの、入手の快楽を求めてふらふらしてしまう性分でして・・・。喀龍さん、大丈夫ですか?
 
 
4月23日【秋田小様狂奏曲】
ネットに出た秋田小様です。画像で見る限り相当小さい。輪一つ分以上縮小のミニサイズです。秋田小様で45㎜台のものは村上師の自慢の愛蔵品をかつて保有していましたが、乞われるままに分譲してしまい、心にぽっかり穴が空いてしまいました。ここ数年は仕事がとんでもなく忙しい中、両親の終活に奔走し、台風も竜巻も停電も洪水も来るは、猫アレルギーで体調不良に陥るはですっかり参ってしまっていましたから。猫アレルギーは克服できてないものの、ウィルス騒ぎで時間がものすごくできました。収入にマイナスの影響がないわけではないものの、仕事がなくなる状況にはない分だけ私は幸せです・・・というわけで更新回数が増えています。
やっていることがちぐはぐで変ですけど、画像を見てこいつは小さいぞ・・・と再び色めき立ち、途中まで追いかけましたが、買い物に出かけたすきに逆転を許しそのまま終了。逃した魚は大きいかもしれませんが、出費がなくなり幸せと考えましょう。『多分、あの小様は46.0㎜以上に違いない、そうだ、そうに決まっている、そうなんだ』・・・呪文をかけ続けています。
 
4月22日【贋作の贋作??】
加賀千代の代表作の方字の大錯笵銭。非常によくできていますが、天保仙人様宅で拝見したものと雰囲気がだいぶ違います。こちらは砂目があまり感じられない青銅質といいますか真鍮質のものを着色したように見えます。本物の(と言っても偽物なんですけど)加賀千代の傑作は砂目がきれいな未使用の黄銅色なんです。加賀千代に職人として使われていたO氏の関与が強く疑われるつくりで、同じ系列の作品に水戸虎銭や水戸系の母銭類や無紋稟議銭類などもあります。初期の加賀千代には下手糞なつくりの真っ黒なものがあるとも・・・。加賀千代は贋作者ではなく、プロデューサー兼ブローカーだったんじゃないかなと私は思っています。それにしても贋作の贋作まで出現させるなんて加賀千代はやっぱり天才だったと思います。

 
4月21日【背陰文の寛永】
これは焼け銭。こういった類のものに手を出すと先師に叱られます。銭が重なった状態で高熱にさらされると、背側にある銭の文字が判子のように押され残ることがあります。ですから文字は必ず鏡文字になります。つまり裏返し。その証拠に面と背の書体が異なりますし角度もずれています。このように背が陰文になる事例はほかにもあります。安南寛永の隆徳手に見られるもので、鋳型を水平に置いたときに生じます。溶解した銅は冷えるにしたがって体積が縮みます。その際、肉厚の部分ほど個体になるのが遅れます。したがって肉厚の部分は他の部分が先に縮むにしたがって溶解した銅を奪われ、結果的にその部分の鋳縮みが激しくなります。丁銀の中央部が凹んでいるものが多いのはこれが理由。それを避けるため、寛永通宝の多くは鋳型を縦において上部から圧力(重量)をかける形で鋳込みます。これを縦入れ仕込みと言います。
最後に残った可能性・・・火災の際に銭が地面に落ち、埋没した状態で火に強くあぶられた・・・その結果、前の解説と同じ現象が生じるのですが、落ちた場所が粘土質のものなどの諸条件が必要になりますので、ケースとしては激レアでしょうか?
さらに稀なケースとして、写った文字は陰文であるものの裏返しになっていないことがあります。これはどう考えても自然にできない。今の結論としてはスタリキという金属腐食技術を使った贋作・戯作であろうと思われます。まあ、このようなものは製作を観察するために面白半分で集めるのがせいぜいで、良い子の皆さんは高額なお金を払ってはいけませんよ。 
 
4月20日【スキャナーVS写真VS拓本】
4月15日の長郭手はスキャナー、写真、拓本の3つが揃いました。それぞれを見比べると一長一短があります。スキャナーは色彩を記録として残せ、砂目ややすり目等の加工痕跡も表現できます。また比較的、画像のゆがみも少ないので正しい姿を伝えることも可能です。欠点としては接写であるが故古銭の色調、光沢によって非常に見ずらい画像になる事があり、また、光源が一方向からに限られるため、見た目の印象が異なることも生じます。画像の左がスキャナーのもので、光源が下から上になっているため寶下のえぐれの印象が強調されています。本品は寶下のえぐれが強烈なので好都合だったのですけど、実物は輪全体に加刀が及んでいます。写真はスキャナーと性能そのものはあまり変わりませんが、光源を自由に設定できるというメリットがあります。右画像は「銀座」に掲載されたもので影の位置から光源が上方にあることがわかります。欠点は正面からの撮影でないと画像にゆがみが生じます。画像をよく見ると全体的に下膨れ気味で、下からあおり気味に撮影したと思われます。そのため全体的に寸詰まり気味になり銭の下部が強調されています。中央の画像は長径サイズを合わせ貼り合わせたもの。寶足、下部の輪が協調されて大きく(長く)写っています。魚眼レンズ的な効果もあると思われます。寶の底が1㎜ぐらいずれているのが分かると思います。
拓本は色彩や肌の様子の表現はできませんが、陰影のみを写すため文字の特色を良く表してくれます。古銭を学ぶためには格好の資料であると思われます。色彩の表現以外の欠点では古銭には凹凸があるため、それに合わせて拓を打つと歪みが生じやすいこと。とくにこのように深彫り深淵のものにおいては拓本紙がたわみやすく、輪際部分が強調されてしまう傾向があります。拓本の方が横内径が少し膨らんで大きく、寶足も少し長い印象を受けると思います。古銭はほんのわずかな違いを見きわめる趣味なので、こういった歪みは天敵になります。ゆがみ、撮影角度などによって見えないものが見えてしまうこともままありますのでご注意ください。
※4月13日の覆輪様画像の正体
輪に強い打ち傷による切れ込みがあり、その先が磨かれた感じになっています。画像の魔力ですね。
 
4月15日【泉譜原品】
入札誌「銀座」で久々にに落札。少なくとも5年は買えていませんでした。その間ずっと無償でカタログを送って下さっておりまして非常に恐縮です。今回の支払いでカタログ代の足しになったかしら。
さて、この入手品に該当する拓本はないかと探していましたが不知天保通寶分類譜下巻の166P-40 
長郭手覆輪強刔輪直足寶深淵にほぼ合致。おそらく原品だと思われます。(寶周囲の掘り下げ方がすごいです。)
背輪の太細、天尾の先にある鋳だまり・・・はじめは似ているなあ、兄弟かもなあ・・・とは思っていました。と、言うのも拓本にしかない鋳だまりのようなものがあるからです。通尾の先とか・・・。しかし、拓本はパーフェクトに実物を写すわけではありません。
観察の結果、泉譜原品であるとしか考えられない証拠が続々と見つかりました。
ぼやけた花押、通辵頭の小さな鋳だまり状の爪、保人偏の中央部にあるヒゲ状の小さな鋳走り、面左下の輪の小さな欠け瑕・・・決め手でしょう?。
これで収集品の格がワンランク上がりましたね。これだからこそ泉譜原品探しはやめられません。
長径48.5㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.4㎜ 重量19.0g
 
4月13日【深字大様+α】
大阪のRさんから投稿を頂きました。その中からものすごく気になる2つを・・・。
なんだ、ただの久留米深字じゃないかと思うことなかれ長径が49㎜を超えるのです。
長径49.1㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.48㎜ 重量17.0g
文字細く郭もきれいな方形で、ところどころ鍍銀のような痕跡が残ります。深字の大型銭は私も所持していますが、やはりうっすら鍍銀されているように見えます。ただ、装飾にしてはいくら何でも薄くてムラがありすぎで、これはやはり何らかの意図・・・例えば砂抜けをよくするための加工・・・剥離剤の雲母?錫?・・・なんじゃないかしら。
大型銭の存在は大川天顕堂師もふれていたらしく、それもまたうっすら鍍銀されていたようです。離郭の母銭にもこのような鍍銀痕跡が見られることから何らかの鋳造技術なんじゃないですかね。この深字、ネットの雑銭の中からひょっこり出てきたようなのですけど、なかなか幸運ですね。これで深字に大様銭が稀に存在することがほぼ確定です。
一番下の画像は、南部の民鋳じゃないかということで添付された画像の中の1枚なんですけど、思わず目がとまってしまいました。これ・・・ひょっとしたら覆輪の加工痕跡???だったとしたら土台は本座で、母銭にするための覆輪の様子なんじゃないかと勘ぐってしまいます。ただ、今の情報じゃ果たしてこれが何者なのかすら分かりません。(上の深字とは関係はありません。)
もう少し詳しい資料を送ってもらえるように声をかけてみます。
 
4月12日【反玉寶】
私がはじめて反玉寶について制作日記で語ったのが2011年、収集誌上入札で鋳放し大様銭を入手したのが2013年、Nさんから反玉寶小様を分譲していただいたのが2015年です。記事をたどってみると私はこの天保銭についてずっと胡散臭いと思い続けてきたことが分かります。
木村昌古堂が大量発見して、東京に大量に持ち込んだもののちっとも売れず、鋳放し銭を仕上げ銭に変造して売ろうとした話が残っているなど始まりからしてきな臭い。その後、この天保銭に仕立て上げられて流通している通用銭が存在していることが発見されると、鋳放し銭が母銭ではないかという噂が立ち人気沸騰。古泉家必携アイテムとなり、後に貨幣手帳でも覆輪刔輪の代表銭として紹介され私も記憶することになります。小笠原白雲が室場銭であることを書き残していることを澤井師などが再発見し泉壽で発表。しかし詳細については明かされず、風貌からは浄法寺じゃないかとかとも・・・。さらにはこの天保銭、某資料館から盗難流出したものじゃないかとか、秋田の村上師が毛嫌いしていたとか、とにかく変な情報・うわさが絶えないのです。
雑銭掲示板に反玉寶小様について書き込みましたので、改めて反玉寶についての関連記事を調べてみました。その上で手持ち画像で銭文径の比較を初めて行ってみたところ、反玉寶の鋳放し銭と小様の銭文径、内径が見事に一致したのです。実は今まで確認したことがなかったのです。内心では怖かったのかもしれません。木村が反玉寶の小様をもとに作り上げた作銭でないことで一安心。それにしてもどうしてこんなに大きさが違うのでしょうか?
参考までに制作日記にあった反玉寶に関係した記事を記します。読み直してみてください。
2011年 6月23日
2013年 3月14日  3月16日 
2014年11月19日
2015年 3月15日  3月16日 11月18日
2016年 2月16日  6月 2日  6月 3日 
2017年 2月 8日  2月10日  5月30日  8月12日 
2018年11月27日(参考:反玉寶と同じ特徴を持っていますが、銅質、製作が異なる不知銭。) 
2019年12月27日
 
4月11日【投稿記事+α】
侍古銭会のタジさんからの一枚。赤茶けた天保通寶で南部肌の名称の品は私も1枚保有しています。では、何をもって南部なのかが実はわからないのですけど、言われてみるとそうなのかもしれないと妙に納得しています。おそらくですが、かつての石ノ巻反玉寶の仕上げ銭の鋳肌に少し似ているからなんじゃないかしらと思っているのですけど違いますかね?石ノ巻は仙台だろうと突っ込まれてしまいそうですが、現在は南部藩の室場ということなので・・・。
ただ、半玉手と雑銭の会の工藤氏が名付けた天保銭は白銅質系ですし、反玉寶そのものもあまり赤くないのです。反玉寶小様と呼ばれるものに赤いものが散見されるのですけど鋳肌は微妙に異なります。山内とも違うし南部の初期銭とも多分違う・・・謎だなあ。
下段は入札誌銀座に出ていた不知天保銭。再刔輪という出品名ですけど正しくは覆輪強刔輪宏足寶細縁とすべきでしょうか?天保通寶にはときどき覆輪が外れたような細縁の不知銭を見かけるのですけど、これがまさしくその典型です。不知天保通寶分類譜には刔輪の手法を施した類として主に掲載されていますが、49㎜の長径を超えるものが一つもないところから、この天保通寶もかなりの銭径縮小銭であると想像しています。
ところで・・・銀座に水戸揚足寶が出ていまして15万円で落ちていました。消費税・送料手数料込みで16万7000円・・・安くはないけど自慢できる逸品でした。あれは実に少ないんですよ。
4月になって狂ったように更新しています。それだけコロナの影響があるんでしょう。外に出られないし、出張や会議や研修はなくなるし・・・昨年まで身内の介護もあってそれどころじゃなかったのですけど、時間の余裕は少し増えたもののお金の方は出てゆくばかり。まずいな・・・と思いながらなかなかやめられないのが病気というものでして・・・。
 
4月10日【絵銭:念仏銭背寛永通寶】
収集の入札で入手した品。時代はそこそこありそうに見えますが、所詮絵銭です。遊行(ゆぎょう)念仏銭の名前で出ていましたが、書体、文字の向きが異なりますので(分類名は違うし)時代は降ると思います。念仏銭には文字が横倒しで郭の周囲をめぐる車念仏と、すべての文字が正しく上を向く真向念仏、文字の下方が郭方向を向いている遊行念仏があります。この絵銭は文字の上方が郭の方向にありますので遊行念仏の逆です。ちなみにこの絵銭、念仏側が面で寛永が背のつくり。これは信仰的に正しい作りです。
ところで・・・書信館出版社から送られてきた古銭のフォルダーのホチキスのとめ方・・・私と同じ方法でした。私は古銭店の店主の方法をまねたのでオリジナルではないのですけど今まであまり見たことがなかったのでちょっとだけ驚きました。左にホチキスのとめ方の例をあげましたけど皆様はどの方式でしょうか?
ちなみに私は左下のとめ方。寛永銭のような軽くて小さい古銭の収納には都合がよく、簡単で針をとめたまま出し入れも可能なのが良いところ。欠点は文字を書く位置に針が被ること。
文字が書きやすいのは下段中央。ただし、衝撃を与えると古銭が下に脱落しやすいので、重い古銭には向いていません。最近アルバムを整理していなかったので、卓上がむき出しの古銭だらけになってしまっています。反省。
※加護山細字狭文様が格安で出ていて飛びつきました。確かに文字は細く見えますが・・・確認してみたらただの細字様。ネットを含め今年3回目の失敗・・・大丈夫、傷はまだ浅いぞ!
 
4月9日【投稿記事】
コロナウィルスによる影響は皆様いかがでしょうか?研修や会合がすべてキャンセルになったので私はかなり自由になり、昨日は半年ぶりにアルバムを整理しました。医療福祉に関与していますので感染症の怖さは身に染みています。施設や病院は感染症一発で1000万単位で損失が出ますが、自己責任にされてしまう上に休めず公的な保証がほぼ期待出来ません。報道が院内感染だ…とやるたびに、院外から患者が持ち込んだ結果なのに、かわいそう…と思うばかりです。
さて、滅入った気分を癒すのはやはり古銭に限ります。
上段は侍古銭会のタジさんから・・・。天上などの輪際に強烈な加刀痕跡の残る長郭手です。寶足もちょっと長めですし、通頭にも加刀が見られる佳品です。本当は覆輪だったんだろうなあ…と思いますねこれ。
下段は久々登場の関西のSさん。
長径48.54㎜ 短径31.55㎜ 銭文径40.22㎜ 重量17.81㎜
足の長い張足寶で、一時期はよく見かけたのですが最近は少なくなってきたように感じます。3枚組の中の1枚だったそうで、こんなのありましたっけ?相変わらず目が利きますね。白銅質の美人だそうです。
同じ書体で濶縁になるものもあると思いますが、これはかなり小ぶりになっています。
不知銭は楽しいですね。外に出られないからなおさらです。
 
4月8日【本物は誰だ!:本座VS不知銭編】
先日の秋田小様シリーズは初めにサイズ・ヒントなどを載せてしまったので簡単でした。今度は目だけで勝負してください。正直言ってとても難しいと思います。なお、鑑定結果については異論がある方がいらっしゃると思いますので、不知の定義は銭文径に異常がみられる場合、または極印、製作、重量などが明らかに本座と異なるものとします。
さて、果たして何枚が不知銭でしょう?それは何番ですか?
1.細郭手覆輪?
2.細郭手鋳写?
3.長郭手覆輪?
4.長郭手寶下刔輪?
5.長郭手覆輪?



→ 正解はこちら
 
4月7日【久留米正字濶縁の文字周囲】
久留米正字濶縁はどちらかと言えば雑銭なのですが、天保通寶の製作を学ぶためには格好の存在です。右の画像を見て久留米だと即座に答えられる方は良い目をしています。久留米は何かと文字周囲に溝を掘るのが好き?なようで、拡大観察すると文字と同じぐらいの幅で文字周囲の窪みが見られます。秋田小字にも多少その傾向はありますが、久留米には遠く及びません。右の天保は天上にも強い加刀が見られます。
画像は正字濶縁のもので天上に強めの刔輪が確認できます。(輪の加刀修正は秋田小様でも観察できます。)久留米正字濶縁と言えばそれまでですけど、
不知広郭手覆輪刔輪天上強刔輪赤銅質と表現すれば人気爆発するんじゃないかしら?妄想ですか?
文字周囲が盛り上がるメカニズムとしては、母銭を押し付けた際の反作用(鋳砂の押出)、引きはがす際の引っ張り作用も多少考えられるのですけど、刔輪痕跡を見る限り久留米は意図的な強い鋳ざらいであることが伺えます。久留米の母銭は見たことがないのですが、たぶんそうなんじゃないかな・・・と、思います。
なお、鋳造型をつくる工程では、母銭を砂型にハンコのように押し付ける・・・では鋳砂の空気の逃げ場がなくなり失敗が増えます。秋田の場合背の出来が悪いので、おそらく背側は固めた鋳砂の上に押し付けたものなんじゃないかしら。一方、面側は銭の顔であることからきれいに作る必要があります。空気の逃げ場を作るため、化粧砂(細かい分離用の砂)を振るいかけた後鋳砂を上からかける・・・のが一般的な銭の鋳造の方法です。会津濶縁のように文字が陰起するような天保通寶は、化粧砂が粗かった(のか使用しなかった)ものではないかと考えています。
 
4月6日【本物は誰だ!:秋田小様編】
秋田小様なんて簡単に見分けられる・・・と豪語する方。チャレンジしてみてください。
ここにあるだけの情報で銭種まで全問正解出来たら、相当な力量です。 → 正解はこちら
1.郭内仕上げあり!
長径47.1㎜
短径30.8㎜
重量19.0g

郭内が滑らかに仕上げられています。極印は小さいものが深く打たれています。郭や輪表面はなめらか。背のずれはない。
2.横太り銭形
長径48.7㎜
短径32.9㎜
重量18.1g

ややざらついた地肌の赤銅の覆輪銭。この中では一番短径が大きい。極印は小さい。背は右上にずれている。穿穴そのものがずれ歪んでいる。
3.嵌郭痕跡あり!
長径46.9㎜
短径31.5㎜
重量18.9g

やや赤黒い地肌。背郭に嵌郭の痕跡を見る。穿がやや上にずれる。凸部は滑らか。地の部分は細かい砂目でかなり黒い。あるいは地染め?
4.細縁の美制大字
長径47.6㎜
短径31.4㎜
重量20.4g

未使用肌の残る美銭で銭文径が大きい。穿歪み背は左上にずれる。
5.細縁銭大字
長径48.9㎜
短径32.6㎜
重量20.8g

実物はもっと赤い感じの赤銅質銭。右肩(向かって左上)に湯口の痕跡が残る品。穿の穴が歪んでいる。銭文径は大きい。極印は不鮮明。
6.大様嵌郭存痕銭
長径48.4㎜ 
短径32.55㎜


大ぶりで面側に嵌郭痕跡が残る?背は全体に左にずれる。重量、極印の情報は不明。
7.大様覆輪銭
長径49.2㎜
短径32.6㎜
重量17.9g

大様銭。長径が大きい。大きな極印が打たれている。面の天保の文字の周囲に大きく加刀あり。
8.背不正輪穿内未仕上げ
長径48.2㎜
短径31.7㎜
重量20.7g

穿内仕上げが中途半端。その割に全体はかっちりとしたつくり。やや黄色みが強い。一風変わった桐極印。型ずれはないように見えるが背の左右の輪幅が異なるのが不思議。
9.細縁細郭薄肉小様
長径46.0㎜
短径30.6㎜
重量15.2g

色は焦げ茶色。この中では一番小さく薄い。極印は小さく深い。背は右上にずれる。
10.濶縁陰起文
長径48.9㎜
短径32.7㎜
重量21.5g

砂目やや粗めで文字が陰起する癖あり。極印は大きめ。ただし不鮮明で葉脈は見えない。花押が小さい。

11.滑らか肌異極印
長径47.6㎜
短径31.3㎜
重量17.6g

輪際に加刀痕あり。極印は不鮮明でよくわからない。サービス問題。
 
4月5日【秋田小様】
冷やかしで応札していたつもりの秋田小様が落ちてしまった。驚きの2万円未満です。今や新型コロナで冷え切っているので古銭どころじゃないのかもしれません。個人的にはすべての会合や研修担当がキャンセルになっているので、日中にできる仕事時間がものすごく増えてます。(やるべきことも増えていますが・・・)
余計な仕事の子供の送迎が本日のお仕事。日中11時間の東京へのアッシー君です。人込みには絶対いけないので住宅街の中をひたすらウォーキング。先週は午後から雨で車に缶詰めでしたので本日はまだ気楽。石神井川の桜はきれいでしたが、川を眺めていたら近隣で3~4人患者が出たとヘルメットを被ったおじさんが教えてくれました。クワバラクワバラ。この品は村上師の旧蔵品で、英泉天保通寶研究分類譜の968番原品。その他、収集にも掲載されていると思います。赤い天保銭は好きで、久留米正字の類は見かけると拾ってしまいます。秋田小様も好きなんですけど、こちらは久留米の10倍以上の相場なのでなかなか手はでません。村上師の書いた記録ではこの天保は長径47.63㎜、短径31.34㎜、肉厚2.04㎜と秋田小様の中ではやや平凡な中様サイズです。極印は打ち損じなのか破損なのかよく分からず、異極印の名称がつけられていました。その他にも三連接、欠頭通の名前も札に見えます。
ところで・・・秋田小様によく似た赤い天保通寶の久留米正字の類と秋田小様の違いを皆様ご存知でしょうか。価値的に雲泥の差がありますので、間違ったらひどい目に遭います。改訂版の段位制度に入れておいても良いのですけど・・・分かりますか?大きさだけではありません。秋田小様には大様までありますので。(答えは・・・しばらく秘密にしておきます。考えてください。)
※自分でも自信がなくなってきました。
 
4月4日【魚尾寶】
古寛永通寶にもし序列をつけるのなら、太平手、開元手、永楽手に二水大寶を加えたものが四天王。それに続くのが魚尾寶だと思います。魚尾寶の名称は、寶足が魚の尾のように左右に開く様からきており、吉田広永のように魚尾寶の古寛永も存在しているのですけど、この名称はなぜかこの一種に独占されている感があります。それだけ、この古寛永の人気、知名度は抜群なのです。そんな魚尾寶がネットにひょっこり現れたから大騒ぎ。このような珍品はまず見ることも難しく、いにしえの大家が保有していた品が世に現れたとしか考えられません。25万円以上の価格で落ちていましたが、その数倍してもおかしくない珍銭種です。出品された品は24.4㎜とやや小型。古寛永としては普通のサイズですけど、魚尾鳳は濶縁で25㎜を超える大ぶりなものが多いのです。しかし、かなりの兵どもが競ったもようです。
 
4月3日【改訂版仙人への道】
仙人への道の段位制度を自分なりに修正してみました。個人的な考えでの修正ですので妄想です。収集の目標と言っても過言じゃないのですが、私の場合母銭は収集の中心においていないので外したのが大きいかも。9級の薩摩広郭と本座広郭の書体の違いが分かる・・・とか8級の薩摩広郭の書体の大まかな分類、7、6級の高知額輪の違いの理解はかなりの難題です。大筋は変わっていませんが目標課題が違います。ぜひチャレンジしてみてください。私?・・・やはり5段どまりです。
段位    収集所持品
(上位段は下位の品は保有していること)
  達成課題
10級 本座長郭・本座細郭・本座広郭・本座異制(秋田本座写) 本座長郭と広郭、細郭の書体の違いが分かる。
9級 薩摩広郭(5種)・水戸正字背異・水戸繊字 薩摩広郭と本座広郭の書体の違いが分かる。
8級 高知額輪(肥字)・水戸短足寶・水戸濶字退寶 薩摩広郭の書体分類がある程度理解できる。
7級 久留米正字・高知額輪(本体)・水戸接郭(3種) 額輪本体と肥字、本座異制の違いが分かる。
6級 久留米正字反足寶・久留米正字背異替・高知額輪短尾通 高知額輪本体と水戸接郭の違いが理解できる。
5級 久留米正字濶縁・久留米深字・水戸大字 久留米と水戸の製作の違いが分かる。
4級 山口方字・薩摩横郭・会津短貝寶 藩鋳銭を50種集める。
3級 秋田広長郭・琉球中字・琉球半朱 琉球中字の製作違いを5種、半朱を2種集める。
2級 山口方字狭天・薩摩長郭・福岡離郭 福岡離郭の書体、製作違いを5種集める。
1級 本座中郭・会津濶縁・琉球大字広郭 会津濶縁、久留米正字濶縁、土佐額輪の違いが分かる。
初段 山口曳尾・秋田広郭・琉球大字狭貝寶
琉球小字狭足寶・琉球大字大頭通・長郭手覆輪
山口曳尾の書体、製作違いを10種集める。
藩鋳銭を100種集める。
二段 南部大字・南部銅山手・会津濶縁再覆輪
琉球大字宏貝寶・長郭手縮形(48㎜未満)・細郭手覆輪
南部藩銭の浄法寺と山内の違いが分かる。
三段 琉球小字・琉球大字平尾球・琉球大字短尾球
長郭手張足寶・長郭手狭足寶・薩摩広郭白銅
琉球通寶の中字、大字の書体違いを判断できる。
近代贋作天保(真鍮銭など)の見分けができる。
四段 秋田細郭・山口平通・福岡離郭玉持極印
反玉寶小様・細郭手容弱・長郭手覆輪強刔輪
秋田細郭の真贋判断ができ、銅質違いを2種集める。
反玉寶、容弱の特徴が分かり、選り出しできる。
五段 山口進二天・会津長貝寶・秋田小様・玉塚天保
細郭手張足寶・長郭手大点尓寶・長郭手深淵
秋田小様の銭文径違いを3枚集める。
玉塚天保を10種集める。
六段 山口縮通・仙台長足寶・福岡離郭濶縁
南部反玉寶(未仕立)・細郭手覆輪強刔輪(2種以上)
進二天と縮通の書体の違いが分かる。
不知天保銭を100枚集める。
七段 南部小字・南部大字大様・水戸遒勁・南部反玉(仕立)
琉球大字小字(桐極印5種)・長郭手斜珎
南部小字の桐極印、八つ手極印を揃える。
琉球通寶の桐極印5種を揃える。
八段 萩平二天・久留米揚足寶・長郭手長反足寶
薩摩小字・細郭手尨字・細郭手俯頭通・細郭手草点保
久留米揚足寶、薩摩小字の特徴の違いが分かる。
不知天保銭を200枚集める。
九段 会津萎字小郭・仙台広郭・仙台長足寶大様
張点保・濶天保・大字広穿
仙台藩銭の鋳肌、極印などの違いが分かる。
1000枚以上の大コレクションを形成する。
十段 会津萎字大広郭・奇天手・張点保嵌郭
盛岡銅山・筑前通寶・土佐通寶當二百
研究発表・泉譜出版など情報発信できる。
盛岡銅山・筑前通寶・土佐通寶の鑑識ができる。
仙人 勇文・土佐通寶當百・琉球大字小足寶
奇天・萬年通寶・不知天保銭300枚
ラムスデン・加賀千代などの真贋判定ができる。
あらゆる情報に精通し、真贋判定もできる。
 
4月2日【曳尾の魅力】
福岡離郭10種収集は大変ですけど曳尾10種収集は(金銭的な問題を別にすれば)さほど困らない課題です。画像の曳尾は未使用肌の残る美銭で細郭ぶりが素晴らしい。(と勝手に思ったわけでして・・・)
長径48.8㎜、短径32.3㎜、銭文径41.1㎜、重量17.1g・・・曳尾はあまり真剣に計測したことがないのですけど多分かなり小様です。曳尾はどちらかと言えばおおぶりのものが多く、中には50㎜を超えるものも存在します。10枚集めれば必ず何かが違う。しかも書体は変態的におかしい・・・古寛永の異永でおなじみの長門の鋳造なのです。ちなみに古寛永の長門銭は白銅質で有名です。西日本の銅山は銅質が白っぽいものが多いのですけど、その割に曳尾は(一般的には)白くない気がします。文献によると純白のものが存在するそうですけど、私は未確認。方字ではそれらしきものを見つけていますので、曳尾でも見つけ出したいと願っています。
 
4月1日【仙人への道2020】
天保通寶段位制度は収集2005年5月号に天保仙人様が発表したもの。あれから15年も天保銭にはまっています。いま改めて検証すると私はまだ五段どまりです。六段の琉球通寶桐極印大字・小字各3種がメチャメチャ厳しい・・・と、いうより無理なのです。2018年の5月25日の制作日記をお読み頂ければ判るように、そもそも琉球の小字に桐極印は2種しかなく、大字小字あわせても桐極印は6種しか発見されていません。そのうち広郭の桐極印と短尾球の桐極印が絶対的な珍品です。
もう一つの問題が母銭収集でして、私はこれを積極的収集ジャンルからはずしています。背景が赤いところは達成しており、ピンク色は下駄をはかせていただいて(ただし琉球の桐は無理です!)何とかなると言ったところ。鑑定については知識はあるものの、経験値が足りません。一流の域は遠いですね。
段位  必須所持品
(上位段は下位の品は保有していること)
基本的な知識・鑑識 
 10級
本座広郭・薩摩広郭・高知額輪 本座広郭の書体を覚え、薩摩、高知との違いが分かる。
 9級 本座長郭・久留米正字背異・岡藩銭 本座広郭と長郭の書体の違いが分かる。
 8級 本座細郭・秋田本座写・水戸接郭  秋田本座写と額輪の区別ができ、接郭の書体が分かる。
 7級 久留米深字・正字濶縁(石持)・水戸短足寶 桐極印と石持桐極印の区別ができる。
 6級 久留米正字と正字花押異・水戸濶字退寶 水戸と久留米の違いが分かる。
 5級 水戸大字と繊字・山口方字 水戸繊字と久留米正字背異との区別ができる。
 4級 本座中郭・薩摩横郭・秋田広長郭 中郭を見分けられる。
 3級 会津短貝寶・薩摩長郭
琉球中字(5種以上)
短貝寶、琉球大字、中字、薩摩長郭、横郭が区別できる。
 2級 佐渡白銅・秋田広郭
半朱(やすりとロクロ)
白銅の色が分かる。秋田広郭と長郭の差が分かる。
 1級 会津濶縁・山口曳尾(10種)
琉球大字広郭
会津濶縁と久留米正字濶縁の区別ができる。
 初段
中級
広郭銅母・福岡離郭(10品)・山口平通
長郭手縮径・長郭手覆輪
離郭の銅質や特徴が分かり雑銭から選りだしたことがある。
 二段 南部大字・銅山手・秋田細郭
長郭手覆輪大様・面反郭背円郭
南部藩藩内銭、浄法寺、山内の区別ができる。秋田細郭の真贋判定ができる。
 三段 長郭銅母・山口進二天・秋田小様
広郭手覆輪や銅質違い・細郭手覆輪
秋田小様と額輪小様の区別ができる。
 四段 会津長貝寶・琉球大字と小字(各3種)
細郭手小様・天上刔輪
長貝寶と短貝寶の違いを述べられる。琉球大字と中字の区別ができる。
 五段 細郭銅母・山口縮通・仙台長足寶
長郭手張足寶・細郭手容弱 
山口縮通と進二天、仙台長足寶と刔輪長足寶の区別ができ、仙台銭を選りだせる。
 六段 南部小字・琉球大字小字(桐極印各3種)
細郭手張足寶・長郭手狭足寶
琉球通寶の大字と小字の分類ができる。南部小字を鋳造地別に分けられる。
 七段 水戸遒勁・南部反玉寶(未仕立)・薩摩小字
細郭手刔輪反足寶・細郭手俯頭通
遒勁や反玉寶の真贋がつく。薩摩小字と不知小字の区別ができる。
 八段
上級
中郭銅母・福岡離郭濶縁・玉塚天保7種
長郭手長反足寶・長郭手斜珎
中郭銅母・福岡離郭濶縁の見分けができる。 
 九段 広郭錫母・水戸大字母・高知額輪母
長郭手篏郭・細郭手草点保
錫母の鑑識ができる。 
 十段
一流
会津萎字小郭・久留米揚足寶・南部大字母
大字広穿か濶天保・尨字の類
揚足寶と背異反足寶を区別し説明できる。 
 泉家
師範代
仙台長足寶大様と広郭・南部反玉(仕立)
会津萎字大広郭・異書・奇書など不知逸品
仙台銭や南部反玉寶の分類ができ、不知の連玉寶や反玉寶と南部反玉寶の区別ができる。
 大家
免許皆伝
盛岡銅山・筑前通寶・土佐通寶當二百
奇天手あるいは張点保
盛岡銅山・筑前通寶・土佐通寶の鑑識ができる。 
 仙人 仙台大濶縁・土佐通寶當百・藩鋳銅母5種
勇文
ラムスデン・加賀千代をはじめとする多くの天保銭の贋作判定ができる。
 
3月29日【仙人への道:離郭10種】
駆け出しの頃、天保仙人様に離郭10種を集めなさいと言われた際に、泉譜を確認すると勢陽譜には4種、類似カタログと當百銭カタログには7種、小川譜にも6種類しか掲載がありません。 そのうち何枚かは希少品種の離郭濶縁系です。これには困りましたね。そこで製作・銅質の違いやちょっとした書体の変化まで探すことにしました。普通のコレクターが離郭の異種集めをすると・・・
①離郭(広郭) ②離郭中郭 ③離郭細郭 で三種になり、④離郭細縁 ⑤離郭爪百 ⑥離郭爪百細縁 ⑦離郭玉持極印 でいっぱいいっぱいになります。頑張ってお金を張り込んで ⑧離郭濶縁(赤銅質) でたいてい打ち止めです。
10種完全収集は小変化を狙って 
⑨離郭小点保(細字) とか ⑩離郭非離郭(肥郭狭穿) さらに ⑪離郭赤銅質(または黄銅質) とか ⑫離郭厚肉・薄肉 などという変化球の組み合わせを狙う必要があります。
私は10種を集める過程で、離郭の玉持極印は通常の離郭より内径が小さく中濶縁気味になることがあるのを発見し、中濶縁ながら玉持極印でない 
⑬離郭濶縁手 の存在も確認できました。なお、古い天保銭コレクターは 離郭中濶縁は ⑭離郭濶縁黄銅質のことであるとおっしゃいますが、これは離郭濶縁より実は希少な存在です。さらに入手困難な希少品としては ⑮離郭爪百濶縁 や 長径50㎜を超える ⑯離郭大様 の存在も確認できています。こうやって羅列すると、離郭10種は確かに収集不可能ではない気もするのですけど、実際に収集に挑戦してみると想像以上に大変なことが分かると思います。
 
長径49.1㎜ 短径32.4㎜ 銭文径41.6㎜ 重量23.6g
3月28日【離郭細郭】
福岡の離郭は書体変化こそあまりないものの、銅質や次鋳など鋳造上の小変化は結構見られます。天保仙人様に曳尾と離郭を10種類ずつ集めなさいとご指導を受けたとき、(財力上の問題はあるものの)曳尾は文字の変化が激しいので10種は比較的早く目処が立ちましたが、書体変化の少ない離郭類はかなり苦労しました。そんな駆け出しの頃、秋田の故、村上師にお会いした際に、「福岡の離郭は細郭が案外少ないんだよなぁ。」と、ぼそっと語られたことが脳裏から離れず、つい大和文庫さんの即売品に手を出してしまいました。実際、巷で見かける”自称:細郭”の多くは中郭というべきもの(とくに背郭が広郭のままのもの)が多く、面背とも郭が細いものには滅多に出会いません。とはいえ、この変化はちょっとしたやすりの入り方ひとつで大きく変わってしまいます。村上師からは「穿内の鋳肌ややすり目に注意をしなさい。」と、ご指導を受けました。秋田の細郭、本座中郭などには広郭に後やすりを入れた変造品が多数存在します。変造品にあぶなく引っ掛かるところだったことは私も一度や二度ではありません。(引っ掛かったこともあります。)秋田の細郭や本座の中郭通用銭には必ず穿内に鋳肌が残り、本座の中郭母銭に関しては木賊(とくさ)による滑らか仕上げが基本で条痕が残るものは手を出してはいけません。
福岡離郭については、秋田細郭や本座中郭ほど変造による利益の増加率が低いので、変造品はほとんど見られないと思われますが・・・背側からやすりが入りますので、その仕上げ痕跡(鋳ばりが内側に折り込まれた痕跡)が観察できるものなら間違いないと思います。ちなみに私が最初に入手した離郭細郭は平成22年度版「日本の貨幣収集の手引き」の原品でした。
離郭は計測してみると肉厚で大ぶりのものが多く見られます。本来は広郭なのですけど何らかの原因で細郭に作り上げられたと考えます。何らかの原因は推定ですけど「母型郭内の瑕の修正」あたりではないでしょうか。離郭細郭の爪百とか、離郭細郭濶縁、離郭細郭玉持ち極印銭などは存在を聞いたことはありませんけど、どなたかお持ちではないでしょうか?また、30g級重量銭とか銅替わりで白銅色のものをお持ちの方いらっしゃいませんか?ご報告をお待ちしております。
 
網至道手異書長通模
不知背双文
不知背文太異紋(画像提供:七雄泉氏)
亀寶至道手背工
元隆手異置背元母銭
開元手古寛永摸
3月27日【安南寛永】
寛永通寶は天保通寶とひとくくりにされていますけど、寛永通寶が公貨として登場したのは1636年。寛永通寶が登場して199年経過した1835年になってようやく天保通寶が登場します。古銭としては寛永通寶が約200年先輩で、当然歴史的に果たした役割も大きいのですが、人気においては寛永銭は今一つですね。
掲示最上段の寛永通寶は元文期の石ノ巻異書長通を模した安南寛永。比較的ありふれたものなのですが、衝動買いしてしまいました。細分類では網至道手になる薄っぺらな、それでいて代表的な安南寛永です。清朝銭が日本に大量流入していた今から40年くらい前、コイン店では安南寛永がたくさんあった気がします。薄っぺらでみすぼらしいのでほとんどくず銭扱いでした。
ところが、あんなにたくさんあった安南寛永は忽然と姿を消してしまいました。価格は相変わらず安いのですが物そのもがないのです。安南寛永は私鋳銭ですから天保通寶で言えば不知銭になり、本来は大変魅力的なんですけど人気がありません。一時期躍起になって収集していたのですが、私鋳なんで何でもありで果たしてどれぐらい種類があるのか見当がつきません。

この記事を書いていて、久々に安南寛永の画像を集合させてみたくなりました。安南寛永のページはいまだに未整備で作り直しが必要ですね。代表銭の画像を探したのですが、永利手と郭抜寛永手の大きい画像が見つかりませんでした。これはすぐに解決すべき課題ですね。
不知背双文と不知背文太異紋は安南寛永の中の奇観品。実は収集誌上を飾った超有名品です。この二品は盗難に遭い行方不明だったそうですが、数十年ぶりにネットオークションに現れ、何も知らない私が入手していたもの。もう一枚はそれに気が付いた七雄泉氏が落手し、画像提供してくださいました。
亀寶至道手背工は安南手類銭考掲載の原品。未だに類品の出現を聞いたことがありません。拓本を方泉處の石川氏が採られていましたからそれが巡り巡って、投稿され泉譜原品になったんだと思います。亀寶至道手寛永そのものが少ないので絶稀の品です。
元隆手異置背元母銭は幣泉誌で入手したと記憶していますが、安南寛永の母銭はこれ以外見たことがありません。島屋文よりもっと珍しいと言っても過言ではありませんよ。
建仁寺写もあまり見かけないタイプの安南寛永。手類銭考の分類に従い紆余曲折し、開元手に改めました。
不知古寛永写は安南寛永には珍しい柔らかい銅質でペラペラの品。岡山銭か太細あたりを写したもので、これは知らないと安南寛永には分類できません。昔の収集誌に分類が掲載されています。
開元手は少し透明感のある紅色が特徴です。
一方隆徳手は特徴的ですけど入手は比較的しやすい品。やや大ぶりの形状で、背郭が四道気味になるのと、背が白文状にへこむ癖があります。
奇書は新規書体の品。無背なら入手はできるかもしれませんが、穿下に文の文字があるのは初見の品です。
歹銭は中国語で「タイチェン」と読むそうで、粗悪銭の意味。歹ははもともと骨を意味する漢字のようです。掲載の歹銭は寛永通宝の文字が読める限界の大きさです。果たしてこんな銭で買い物ができたのでしょうか?
最後の一枚は、ネットで見つけて競争になってしまい、1万円も支払った安南寛永で私にとっては大いなる反省の一枚。さすがにそこまでの価値はないと思いますが、お金を出しても入手が難しいのがこの類の特徴です。まだまだ種類をあげたらきりがありません。安南寛永は奥が深いのです。
不知古寛永写 開元手
隆徳手 不知奇書背下文 
歹銭 不知濶縁背縮元
 
3月26日【匿名投稿物件】
ネットやオークションで競り負けるとものすごく悔しいですね。恨みを買うことにもなりかねません。しかし、競った品を入手した日には無性に誰かに見せたい、喜びを絶叫したいものです。ですから、「私が入手したことをご内密に」なんて前置きをしながらの投稿になります。そんな矛盾を抱えていらっしゃる方々のために、今回は無記名で掲載させていただきました。
上段は、抱冠寶の名称で出品されていたもの。類似カタログの分類名ですけど、私は抱冠寶と崩字の違いが今一つ分かっていません。この類、鋳造変化が激しく、同じ書体の品でも出来具合で見え方がかなり異なるのです。極細字のものは昔は「異書体」の名称で紹介されていましたし、全体に素朴さが増すと「崩字」でさらに変化すると「細字短尾通」???。中間体のものも多そうで、これはやや肥字で保点も長いので「崩字」とすべきかもしれませんが、細縁で素朴で草点保的な雰囲気がある好感度抜群の品です。郭内の仕上げもまるで中見切りの貼り合わせみたいで面白いですね。
2枚目は・・・白状します、私が落としました。連敗続きの私めに、哀悼のお目こぼしを頂きありがとうございました。原品は仕上げ研ぎがきれいで、柔らかい感じがする赤みの強い黄銅質の覆輪長郭手です。長径48.8㎜、短径32.4㎜、銭文径40.9㎜、重量22.2g。模範的な覆輪銭ですけどこういうの好きですね。
3枚目の南部大字・・・匿名にしようと思いましたが無理ですね。誰とは言いませんが背景色でバレバレです。彼は今、好奇心が抑えられなくて出費が止まらない・・・一応反省したふりをしているのですけど、ネット徘徊がとまりません。今では重度のネットオークション中毒患者です。(私もです。)
そんな彼が可愛らしい(そう見えること自体が異常か?)密鋳寛永の画像もくださいました。
赤みの強い小梅手大永の写しで、背のずれが秋田小様天保を彷彿とさせます。阿仁銅山の色だろうなあと思うのですけど、手ずれが強く面側の地肌がよく見えない。もう少しザラザラ感があると加護山って言い切れるんだけどあと一歩。でも多分加護山でしょうね。
ところで、彼はこの小汚い銭の寛の字の横にハートマークが見えると言って喜んでいました。それは重度の幻覚です。そのうち、古銭の方から「貴方のところに行きたい、私を買ってください。」と甘くささやく声(幻聴)が聞こえ始めるかもしれません。(私もその声に日々悩まされています。)大丈夫ですか?
 
3月23日【密鋳一文加護山風】
ネットで拾った画像です。密鋳一文銭について話題にしていたので覚悟していたのですけど、競争が激しくなってしまいました。普段はこんな汚い一文銭は誰も気に留めないのですけどねぇ。(色調調整しましたが実際の色とは異なる可能性があります。)
上段は加護山銭細字背元の触れ込みのもの。(色はやや赤黒く映っています。)いびつだし汚いしたぶん、本当にみすぼらしいと思います。砂目は加護山で、つくりの雑さから見ても加護山で良いと思います。
2段目は小梅手の仰永写し。やや赤黒い銅質に見えます。同じ出品者ですけどこちらは加護山の名前がありませんでした。決定的な違いは穿内が(母銭段階で?)きれいに仕上げられていたように見受けられること。良い仕事しているんですね。砂目は加護山風なんですけど・・・。
3段目は大和文庫さんのHPで見つけたもの。大変残念ながら気が付いた時にはもう売り切れていました。かなり手ずれがありますけど背の浅い雰囲気と砂目は加護山ですね。加護山決定!
最後の一枚も大和文庫さんの即売品から。こんな品が出ていたなんて気が付きませんでした。摩耗が進んで砂目が確認できませんが、この色は間違いなく阿仁銅山の銅色です。だから私は誰が何と言ったって私は加護山銭と判断します。色だけでも判断できる好例です。(色調はやや明るくなってしまいましたが・・・)
とはいえ、加護山か否かの判断は多分に私見によるもの。加護山と言われて高額になるかもしれないと思う方・・・実は密鋳一文の中で加護山は決して少ない方ではありません。むしろ多いかもしれません。ただ、加護山と断定できる美銭が少ない・・・と考えたほうが無難で、加護山風はたくさん???あります・・・が、密鋳一文そのものが少ないので、なかなか良いものに出会えないのです。だれが見たって汚いじゃないですか、密鋳一文銭は・・・。
ペラペラで小汚くて見栄えのしないこんなものらに興味を持つのは相当の好きもので、3000円払っても笑っていられるのは相当の変人。5000円以上払えるのは変態で、1万円払えたら正気の沙汰ではありません。私はそうですけど・・・。
 
 
加護山銭:地肌がザラザラな赤銅質。 
江刺銭:地肌だけでなく輪もざらつく。穿は未仕上げ。 
葛巻母銭:小さく厚く側面は平ら。広穿仕上げ。
不知:東北出身は間違いなさそう。
不知:あるいは九州 出身か?
改造母:テーパーある厚肉銭。
鋳写改造母:純白だが、つくりは葛巻。珍品。 
3月18日【密鋳銅一文銭と鉄銭用密鋳母銭】
素性のよく分からない銭は一般的には不知銭とか密鋳銭と呼ばれています。ただ、イメージ的には不知は「素性はよく分からないけどそれなりに立派なつくり」で密鋳は「得体のしれない妖しい品」です。とくに寛永銭の場合、「不知は公鋳の銭座」で「密鋳は零細な民鋳贋金」のイメージですね。
加護山銭は幕末から明治期にかけて、銭座関係者がかかわったものらしいのですが、明治政府の禁令を犯して鋳造を継続したということで関係者が処罰されたようです。2014年の5月23日の制作日記に、加護山銭の特徴が書いてありますのでご参考に・・・。
加護山の特徴は①赤い銅質 ②地のざらざら感 ③面背はほとんど磨かれていない に尽きます。
やすり目という言葉がよくHPにも出てきますが、厳密にいうと(厳密に言わなくても)実は寛永銭の面背にやすり目は存在しません。やすり目に見えるものは砂磨き(もしくは荒砥石)による条痕であって、やすりの痕ではないのですが、私を含めて何となく昔から言い伝えられていたことでして(言い訳)・・・正確には磨き目というべきかもしれません。寛永銭の多くは、砥石による仕上げ(平研ぎ、丸目研ぎ)がされていますが、加護山銭はそのようなきれいな仕上げがないということ。ついでに言うと床焼き(地の墨入れ)もありません。(詳しくは錯笵銭物語を参照してください。)側面の仕上げは原則横やすり方向ですけど、際立った特徴・・・角張るようなことはあまりありません。
東北地方の密鋳寛永銭には赤い銅質のものが多いのですけど、地の(特に背地の)ザラザラ感がなかったり、銅質が異なったり、側面の仕上げが異なると私は加護山だとは判定しません。
同じザラザラ感でも、銅質が赤くないものは江刺系。穿内は未仕上げが基本です。江刺は地だけではなく輪までザラザラです。ここら辺は感性でして、正直私も自信がありません。江刺寛永一文銭はめちゃくちゃ希少品です。
銭径が小さく、分厚く輪側面が垂直に平らに仕上げられている密鋳銭はたいてい葛巻銭の母銭です。葛巻は鉄銭なのですけど、鉄銭の製作上最大の難点は「固いこと」。枝(鋳造の際の湯道)を切り落とした後の最終仕上げが楽になるように、側面が垂直仕上げになっています。また、穿内もきれいにやすりが入っています。これは原料の切れが良くなるようにとの配慮でしょう。鉄銭はもろいので、割れやすく、そのため薄いつくりにはできなかった・・・だから。分厚い鋳写しの改造銭が必要だったようなのです。この点は銅銭の母銭が比較的薄造りなのに対し、鉄銭の母銭は肉厚で、側面が①垂直仕上げ②台形仕上げ③ござ擦れ(楔形)仕上げのいずれかになるものが多いように、対照的です。

右の掲示品は私のお気に入りで、HPに何度も登場しています。
加護山の藤沢写は、私所有の加護山銭の中の最高峰です。状態、風貌、何をとっても非の打ちどころなし。加護山はけっこう存在すると思うのですけど、間違いないと言える品は少ないのです。
江刺の異書写しもこれが江刺であると衆目一致するつくり。穿内が未仕上げで赤銅質以外のもの。地に加え輪もザラザラです。
葛巻の白目写しは超珍品。小さいので藤の実銭と呼ばれます。側面と輪の仕上げが印象的。
古寛永写しはかなり立派。銅質は加護山より柔らかい感じ。ここまできれいなものは少ないと思う。
文銭写しは色調から九州方面かもしれない。九州の銅山はヒ素成分が多い黄白銅質・・・土呂久の銅なのです。ただし、確証はありません。
座寛の改造母(鉄銭用母銭)は小さいのにかなり肉厚。重量は2.9gと小さい割に意外に重い。典型的な鉄銭母で、外輪は台形仕上げ、穿内もやすりでしっかり仕上げられています。鋳写改造かもしれません。
最後は珍しい純白の鋳写改造母(鉄銭用母銭)。肉厚で側面は垂直で葛巻風。こんなに白い密鋳母銭は他に見たことがありません。可能性は2つ。原料に鏡を用いたか、秋田阿仁鉱山特有の天然白銅を使用したか。加護山の母銭だったら面白いのですけど・・・ちょっと肉厚ですし、加護山の母銭のつくりではありません。(出来が悪すぎ。)
 
 
3月14日【タジさんの天保】
侍古銭会のタジさんから頂いた画像です。上段は不知長郭手狭足寶。手変わりはほとんどないと言われていますが覆輪がはっきりわかるタイプ①と通常の小型のもの②、それに次鋳にあたる縮小タイプのもの③が存在しています。もともと48㎜台前半の小型のものが多いのですけど次鋳銭は長径48㎜を切りますし、理論上の銭文径も40㎜以下です。実物を拝見したことはありませんが、不知天保通寶分類譜上巻に1枚だけ拓図が掲載されています。なお、狭足寶には49㎜を超える(49.75㎜)母銭の存在が知られています。勢陽譜には「小型のものあって、この母銭存在するが母子共背郭前隅近くの内側に皆小瑕がある。」とあります。瑕はすべてのものにあるわけではないのですけど、一応目安になります。また、この独特にゆがんだ背郭の形状が鑑定ポイントになります。
タジさんの狭足寶には背郭の瑕は見られませんが背郭のゆがみは同じですね。②タイプです。
下段は不知広郭手の刔輪だそうです。ただ、本座銭にも刔輪の強いものがありますので、ご注意を!
掲示品は銭文径が40.8㎜と縮んでいるそうです。気が付かず雑銭箱にいれてしまいそうですけど、輪際の加刀の溝がなかなか楽しい。広郭手にはこのように本座にしか見えない品がたくさん潜んでいる気がします。ただし、誌上価値的には特徴が少ないので微妙かもしれません。マニアアイテムでしょうか?

このような加工は歯科技工用のドリルでできますのでご注意ください。本品は拡大画像で鋳造品であることが分かりますし、ドリル加工の場合は旋回痕が残るので見分けることができます。
 
3月13日【お世話になった方々】
私が休止していた古銭収集を再開したのは1994年の秋頃だったと思います。きっかけは放送が開始されたばかりの
「何でも鑑定団」で、収集が中途半端になっていた寛永通宝の再整理を始めたことでした。中断していたとはいえ、島屋文や幻足寛、張天保や俯頭通なども保有していましたのでそこそこのコレクターを自負していました。東京に出かけ催事会場に顔を出したり、収集誌を買うようになり、入札誌も次々に購読を開始しています。入札誌では蘭、スズコー、幣泉、大和文庫、下町古泉会など、オークションネットや銀座コインオークション、江戸コインオークションなどにも参加しています。中でも「鈴鹿」柴田守氏には大変お世話になりました。私の雑銭コレクションのかなりの部分を占めていると思います。そんなある日たまたま立ち寄った日暮里の隆平堂さんで「季刊方泉處」を発見。その斬新な切り口に圧倒されました。入手したばかりの島屋文小頭通が気になって、浅草古銭会に手紙を出し鑑定を依頼したものが「島屋文小頭通細縁」と認定されて大騒ぎ。私は舎人坊石川氏と知り合います。また、ネット上で練馬雑銭の会のサイトを発見し、13番目の会員として会に参加。暴々鶏氏とも知り合うことになります。富山の三鍋氏のお店にもよく顔を出し、古寛永、新寛永の基本銭を相当買いあさっています。この頃はとくに密鋳寛永4文銭と古寛永の収集に躍起になっていました。勢いあまって2004年にHP作成を開始。やがて練馬雑銭の会の勉強会の席で、天保仙人様にもお会いすることにつながります。
ついには、天保通寶収集にも熱中するようになり、
横浜古泉研究会の関さんの入札誌穴銭を通じて、秋田の村上師の収集品を相当量購入しています。ネット上では鉄人とデッドヒートを繰り広げ(ほとんど負けですけど)皆様にご迷惑をおかけいたしました。
様々な人に出会うことで知識をかなり吸収できましたが、いまだに鑑定については自信がありません。ここには書ききれない方々にもものすごくお世話になりました。本日、なぜかぎっくり腰になってしまいました。椎間板ヘルニアの再発で泣ければよいのですけど・・・こんなこと書いていて収集をやめるわけではありませんよ。ただ、今日はちょっとブルーです。

余談ながら・・・
先日、公証人役場に赴き、父との任意後見契約書を作成。これで相続に関する一連の作業が完了しました。任意後見契約はあくまでも認知症が悪化した時の保険です。(すでに軽度の認知症であることは分かっていますので・・・。)後見制度には成年後見と任意後見があり、成年後見は家庭裁判所が後見人を指名するのに対し、任意後見制度は被指名人確定の後見なのです。私が指定されているので後見人に支払う毎月の費用が節約できる利点があります。最近は後見人が家族以外に指名される傾向が強まり、後見人の監督人も必ず指名されるため、(2人分の人件費がかかるため)少々の年金が吹っ飛んでしまうぐらいの額にもなりかねません。後見人制度がわずかな資産を食いつぶす・・・そういった悲哀があるのです。この制度は使わないで済むのが一番ですけど、将来の資産の売買が絡む場合は必須になるケースもありますのでご注意ください。
 
3月12日【島屋文磨輪】
関西のSさんが入手されたという島屋文。外径が24.94㎜と小さいものの内径20.69㎜で久泉研究資料にある計測値にほぼ同じ。さすがに島屋文を人為的に磨輪して細縁に変造する強者はいないと思いますので、これは自然な磨輪と見るべきでしょう。まあ、後天的な悪意のない摩耗はありえますけど・・・。
以前述べたことがありますけど、このような希少な背に文字のあるものは、一種の荷札銭なんじゃないかと思います。背仙は仙台ブランドを示すために、銭挿しの端に括りつけられたものという証言が残っていたと思います。したがって背仙は無背数百枚から1000枚に1枚程度しかないものだと思われます。存在数から見て、背一、背十もそのような感じがしますし、島屋文も島屋無背あたりの荷札銭と考えれば納得がいきます。ただし、この説は誰も唱えていませんので、眉唾ものだと思ってください。(荷札銭という名称も私が勝手につけたものです。)
荷札銭はいわゆるおまけでもあり、景品だからちょっと豪華に作ったと考えたんですけどね。
 
3月11日【泉廊 関康輔氏追悼泉譜】
ネットに出品されていた追悼泉譜を思わず購入してしまいました。関さんが亡くなられたのが2015年の6月10日ということで早いもので5年近くが経過しています。それから1年後(2016年)の4月に北秋田寛永通宝研究会の菅原直登師、夏には秋田の村上師も亡くなられ、さらに同年の秋口には雑銭の会の暴々鶏氏も健康上の理由から収集界から退いてしまい古泉界が一気に寂しくなってしまいました。
私もあと何年頑張れるかは分からないのですが、古銭界の火は消したくないですね。
ところで、暴々鶏氏のHPを久々にのぞいてみましたが、まだ活動は継続されているようでなによりです。
→ 九戸戦始末記 北斗英雄伝
 
深字手短久仰柱永
大尓(吐玉泉師)
深字手短久仰頭永
仰尓(永厘按師)
深字手短久進文仰柱永
跳足寶広郭(蘭泉堂師)
草文広郭
湯口コブ付(祥雲斎師)
3月10日【文久永寶周遊会より】
新型コロナウィルス・・・困りましたよね。おかげでほとんどの研修、会議がキャンセルになり内勤の仕事がはかどってます。私、猫アレルギーなので、呼吸器系が弱っています。時々咳が出て止まらなくなるのでものすごく肩身が狭いのです。ましてこの時期、スギ花粉が飛び交います。幸い、スギ花粉には過敏ではないものの、埃アレルギーもありますからそれなりに反応してしまいます。葬儀の焼香には特に弱く、いつも困るのですけど、昨今の騒ぎで葬式の最中にマスクをしていても何ら違和感がないのは不幸中の幸いでしょうか?
さて、右の拓本は文久永寶周遊会の拓本から。
主宰の祥雲斎坂井師のご好意で、毎回資料を頂戴しているのに最近は何の貢献もしていません。印刷費、郵送費も大変なようなので、私も会費をお支払いしても良いと思っているのですけど・・・今はご厚意に甘えさせて頂いております。
深字手はけっして少ない銭種ではありません。むしろありふれていると言っても過言ではないのですが、なかには得難い品も潜んでいるようです。まず、基本的事項として・・・深字手は寶王が大きく、王画の末画が水平に寶貝画の上辺に接するという癖があります。久の足の長い広久と短い短久があり、広久は一見深字本体に見えてしまいドキッとすることがありますが、先の特徴で見分けるのが良いかと・・・。
短久は久が頭でっかちでものすごく目立ちます。
深字手短久進文仰柱永跳足寶広郭は文久永寶分類譜の仲では深字手短久退足寶で、永頭に爪がなく寶足が退き気味でチャーミングです。これらの3枚はなかなかの美人ぞろいなんですけど、希少か否かは集めてみなければわからない世界。深字や直永のように一目少ないというものばかりではないのでマニアにしかわからない世界です。深いですよ文久の闇は。
最後の一枚は祥雲斎師が雑銭3.3kgのなかから選り出した鋳放し銭。枝付きの銅銭はかなり少なく、めったに見られるものではありません。しかも厚み最大4.0㎜・・・何だこりゃの世界です。これは素人目にもわかる珍銭ですけど、このような品ばかり躍起になって求めていると贋作に引っ掛かりますので注意してくださいね。ここにいらっしゃる方々は文久永寶を何万枚も見続けている人達ですから・・・。ネットで文久が全く手に入らなくなったのはこの方々たちが原因ですね。
 
3月3日【春夏冬中】
古典的な洒落のネーミング本です。著者は赤坂一郎氏・・・下町古泉会の主宰者にて絵銭の大家でもあります。入札誌下町の楽しみは、入札に出される古銭だけではなくの巻頭を飾る赤坂氏のエッセイにもあります。軽妙洒脱と言ったら褒め過ぎかもしれませんが、古銭好きの人が書いたウィットに富む文章で、私も言わずと知れた古銭好きですから思わず「うんうん、分かるその気持ち」・・・てな具合の心のつぶやきが記されていて共感できるのです。そんな赤坂氏の著作がネットオークションに出てきました。あれ、私は何でこの本を買っていなかったんだろう・・・と反省して応札したのですが、同じような気持ちの方々が複数いらっしゃったようでして残念ながら入手ならず。ちなみにこの本のタイトルは「春夏冬中=秋無い中」=「商い中:あきないちゅう」です。分かりますよね。 
 
2月29日【贋作図録】
Oさんから驚きの資料を頂戴しました。琉球銭をはじめとする鋳写贋作の画像です。驚くべきことに母子揃いなのです。なぜ、母子揃いなのか・・・ひょっとしてOさん関与したの?
答えは「マニアとしての画像探査努力と観察眼」・・・執念と言っても良いかも。贋作者はネットオークションの良品出品者から商品を購入しては複製を繰り返しているそうす。Oさんは良品出品者の画像をチェックを続けて、同じ特徴の複数の贋作があるのに気が付いたようです。仲間内でも騙される人が現れ始めたので告発に踏み切ったようです。
昔、ラムスデンが贋作を作るため本物を超高額で買いあさったという話があります。今回もそれと同じ図式ですけど、対象が比較的低額のものばかりなので被害があまり露見していないようです。出品者は一人ではなく、IDも複数あるそうです。しかも最近は匿名配送になってしまっているので、誰が悪事を働いているのかが分かりません。匿名配送って問題ありませんか?
Oさんが確認している不貞の出品者はM県とT県の輩だそうです。ご注意ください。
※右上の矢印から資料はダウンロードできます。(右クリックして対象を保存できます。1.13MB)
 
2月26日【密鋳3題】
最近入手した密鋳銭です。一番上は常陸太田銭の広穿狭永背久の鋳写母銭と思しきもの。仕上げが葛巻風です。ものすごくみすぼらしくこんなものもあるんだ・・・といったものなんですけど、ものすごく少ないもの。銅質は赤茶で銭径は22.2~22.3㎜と一回り小さいサイズ。穴銭入門には鉄写し改造母として背久二が掲載されていますがほぼ同じサイズ。しかし実にみすぼらしく、昨年入手したにもかかわらず撮影をためらってしまいました。入手に費やした金額を聞くと家族はドン引きするでしょう。
中央の画像は「伝世の見寛」としてネットに出ていたものですけど、書体は藤沢・吉田島銭の縮字です超肉厚で、藤の実銭と呼ばれる葛巻の風貌ですけど、こいつはさらにみすぼらしく歪んでいます。こんなものに興味を持つ奴なんかほぼいないと思っていましたが、一部の熱狂的な馬鹿者が争奪戦を繰り広げました。とはいえ正規の葛巻銭より50%OFFの価格。少し儲かった?
最後は加護山の十万坪無印写し。かつて秋田の村上師の旧蔵品が売りたてられたこともあり、その時は高いなあ・・・と思いながらもコアなマニアが入手されていました。こんなものに1万円以上の価格を付けるのは大バカ者です。反省していますけど、少ないんですよ。
 
2月24日 【琉球濶縁】
琉球通寶半朱銭の分類研究という最新文献を入手。半朱に手変わりなし・・・という先入観を打ち破られましたね。久々にハードパンチを食らった文献で、右図を見れば全く違う顔をした半朱がこの世に確実に存在することがよく分かりました。願わくば手変わりに出会いたいのですが、いまだに仙人様保有の濶縁以外は見る機会さえ得ていません。いえ、チャンスはありました。2018年の7月2日の制作日記に、この半朱の濶縁の画像が掲載されていますが、そのときの半朱がこの文献の目玉というべき最濶縁そのものでした。あのときが最大のチャンスでしたけど、収まるべき人のところに収まったと考えるべきでしょうか。あのとき、こんなひびの入ったような小汚い半朱に3万円以上の値段をつける奴なんか絶対いないと決めつけていてすっかりもらった気でいましたが、見る人は見ていたのでしょう。この結果が非常に気になっていたのですけど、このような形で再会するとは夢にも思わず、世の中狭いものだと思います。私の手の中からするりと逃げた半朱・・・出世しましたね。
 
2月20日【寶下刔輪でした!】
侍古銭会のヨネさんから不知天保銭入手の喜びのメール。(画像上段)この天保、私も追いかけてましたからよく知っています。画像も保存してありましたから。ただここまで良い品とは思いませんでしたね。ヨネさんファインプレーです。
ところで頂いた画像を見ていてなんとなく見覚えがあることに気が付きました。この寶下のえぐれ・・・2018年の8月20日の制作日記をご覧ください。ほぼ同じものが掲載されています。当時、私はこの銭に長郭手覆輪刔輪深淵赤銅質(當上刔輪)という長い名称をつけました。寶下のえぐれは目立つけど、これはたぶん鋳不足で気泡か何かの跡じゃないかと思った次第です。ですから當上の刔輪を名称として採りましたが、これは寶下刔輪で間違いない。それぐらい深く、穴が空いたような感じなのです。有名な深淵との共通点があるものの銅質や製作が全く違う品。ヨネさんも深淵に関係があるかもと書かれていましたが・・・謎が多い品です。このクラスの不知銭には一品ものに近い種が多く、ここまでドンピシャのものは、なかなか出会えません。おかげで私の中の評価がワンランク上昇しました。
このようなはっきりした部分刔輪ってめったにありませんけど、雰囲気的には刔輪というより、加工工程中の事故じゃないかしら。もちろん、部分刔輪しようとしての結果だと思いますので、部分刔輪(あるいは削輪)で良いと思います。とにかく製作は実に素朴で面白いのです。自慢できる品ですね。

※平二天がまた出ています。つり上げ狙いの転売かしら・・・あの背景の画像の人・・・一度取引したことがあります。今度は突っ込んでいってみましょうかね。飛んで火にいる夏の虫かな?
散歩に行っている間に逆転・・・負けました!
 
2月15日【愛銭家雑記】
収集から封書が届きました。あれ、今月は少し早いなと思い封を切るとこの本が・・・。鳳凰山氏からの謹呈本でした。(ありがとうございます。)収集誌上に掲載されていた「皇朝銭雑記」「鐚銭雑記」「寛永銭雑記」をまとめたもので知命泉譜とのことで、しかも「壱」ということはいずれ「弐」「参」も出てくるのでしょうか。私はこの手の読み物が好きな方でして、軽くてサクサク読めて知識が得られます。実は最近将棋も趣味なんですけど、将棋はささず、棋譜も読めず、もっぱら記事読みの「読む将」なのですけど、そのうち古銭も「読む泉」になってしまうかもしれません。ただし、私の場合、鳳凰山氏と異なり読んだことを片っ端から忘れてしまいます。最近は書いたことも忘れる・・・やばいです。
鳳凰山氏は若いころから知識が豊富で、それも由緒やら古文献についても実によくご存じで、私など足元にも及びません。よほど記憶力が良いのかそれとも研究熱心なのかはたまたその両方なのか・・・尊敬に値します。この世界、私を含め有象無象な胡散臭い個性的人物の宝庫なんですけど、鳳凰山氏は日本の古泉界を背負って立てる最後の人格者なんじゃないかしら。お会いしたことは数度しかないのですが、まとっているオーラが私のような下賤のものとは一目違います。お世辞じゃなくこれは本音。見落としや忘れてしまっている記事も多いのでありがたく拝読させていただきます。
 
2月14日【掘り出しもの?】
関東のⅠさんからご連絡。おお、島屋文小頭通じゃないですか!さすがに風格があります。これは雑銭12キロの中からの選り出しで・・・私も見た記憶がかすかにありますがこの背が写っていていかにもという雰囲気じゃなかったかしら。それで頑張れる方と疑心暗鬼になってしまう人間とで幸運(不運?)の分かれ道。どちらの人も病気には違いありませんが今回は幸運が舞い込んだようです。ちなみに私は島屋無背さえ掘り出したことがないヘタレです。
 
2月12日【密鋳寛永】
密鋳銭の判定は非常に難しいものがあります。とくに人様のものを判断するときは非常に気を遣うわけでして、言葉に詰まることもしばしば。天保通寶などは密鋳なら1万円ぐらいの価値があるのが普通でそうじゃないものとは天地の開きがあります。密鋳かどうか聞いてくる相手側は期待度100%でしょうからおいそれとダメ出しはできない。私も天保通寶収集初心者の頃は天保仙人様に「どうでしょうか?」なんて輝く目で判断を求め、無理やり言葉を引き出そうとしたものです。(ごめんなさい。)今では贋作をたくさんつかみ慣れてしまいまして、自分なりの判断基準を持っていますので心が以前ほど揺らぎません。ただし、家族には絶対言えないですね。古銭収集を禁止されてしまいますから。
画像の品は収集誌の誌上入札でGETした2枚。
上段は仙台大永の写し。全体に赤くただれているように見えますので当初、火中品のように思えました。仙台寛永はやや赤みの銅質が多いので火中変化はこうなりがちなのでダメかと思いましたが・・・寛尾下の郭の鋳不足は本物で輪に向かってムラ状の筋(湯圧不足のときに生じます。)があり、同様に寶下にも鬆穴があります。厚みは均一で薄くありません。これは火中変化ではなく製作そのものが劣っていると判断できますのでどうやら密鋳に間違いなさそうです。ただし高い評価はできませんから限られたマニア向けの商品でしょう。
下段の品もなんだ、文政小字次鋳の状態の悪い品じゃないのかな・・・と思ってしまいそう。これは指で側面を触るとすぐにわかりました。きれいにやすりで台形状に仕上げられているのです。拡大画像で見ると縦やすり。文政期の仕上げは縦方向砥石仕上げなのですが上下往復に擦られますので丸みを帯びます。それに対してこちらはきっちり平らな仕上げです。しかも台形状の斜め仕上げなので大量にまとめての仕上げはしづらく、一品ずつ仕上げたか、何枚かをまとめて(傾斜させた状況にしての)面から背に向けた一方向の仕上げを行ったと思われます。(ただし私の想像)斜め仕上げは浄法寺系の密鋳に多く見られますが、ここまできっちりした丁寧仕上げは珍しいです。一方で穿内仕上げは実にいい加減ですし、肉厚でちょっとかわいい。なお、明治期吹き増しと呼ばれる一群も側面が縦やすり仕上げになっていますが、そちらはもっと粗い目の縦(垂直)仕上げになります。
 
安政期俯永
2月8日【収穫三昧】
今月は少々お金を使いすぎています。昨年後半の自重の反動でしょうか。反省をしなくては・・・。
冒頭の一枚は
「安政期俯永」・・・意地になって落としてしましましたが、これにお金をつぎ込めれば立派な古銭病です。かなりのマニアでもお持ちの方は少ない。評価以上に数がないのです。安政期の黒みがかった材質で、側面がロクロ仕上げ、かつ穿内やすり仕上げです。書体変化はありません。材質の違いは重要で巷にはときどき文政期の柔らかい材質で安政期風仕上げのものが出てきます。すべてが贋作とも言い切れないのですが個人的には納得がいきません。この品は安心できます。なお、明和期材質のロクロ仕上げにはよからぬものが多いので気を付けてください。
不知天保通寶は収集誌の誌上オークションで久々にまとめて落手できました。
「長郭手背偏輪」はいわゆる錯笵もの。全体に細字ながらこれといった書体変化はなく、ごく普通の鋳写銭です。あまりの偏りで背郭が半分なくなりかけていますので背失郭と名付けようかとも思いました。
「長郭手浅字覆輪」は非常に製作がよく地肌も滑らかな不知銭。浅字ながら肉厚で重量は本座銭より少し重い品。寶足もわずかに長く輪の縁に沿って小刔輪されています。背の當上も刔輪が少し強いですね。
「長郭手覆輪刔輪」は3つのうちで一番寶足が長い品。出品名は覆輪額輪様でしたので非常に興味を惹かれたのですけど、額輪ではありませんね。そのかわり鋳ざらいにより面背とも文字のない左右の地の中央部分がわずかに凹状に凹みます。古寛永の長門銭の背を思い浮かべてください。鋳ざらいが感じられる不知銭です。以上、いずれもB級の不知銭ですけど面白いので飽きません。
長郭手背偏輪 長郭手浅字覆輪 長郭手覆輪刔輪
長径48.7㎜ 短径32.0㎜
銭文径41.2㎜ 重量18.6g
長径48.9㎜ 短径32.6㎜
銭文径40.9㎜ 重量23.6g
長径49.3㎜ 短径32.7㎜
銭文径41.3㎜ 重量20.4g
 
2月5日【縮通の研究】
ネットに縮通系の天保通寶が現れ大騒ぎになりました。私も当初行く気が満々でしたが、生半可な知識が邪魔をして見れば見るほど疑心暗鬼になり、無条件に突っ込んでゆく勇気がありませんでした。戦う前から負けていましたね。改めて画像を並べて検証すると、知識の浅さが露呈してしまいます。タジさんごめんなさい。間違っていました。
第一感は当然ながら平二天・・・しかし、天保仙人様からの教え・・・花押の違いを見抜け・・・という言葉が頭をよぎります。で、出品物を改めて見ると花押のくちばしがあまり伸びない・・・あれれ進二天みたいだぞ。これが混乱の始まりです。画像は斜めだしもしかすると進二天の刔輪+画像のゆがみなんじゃないかしら・・・と思い始めてしまいました。そう思いながら各種泉譜を眺めていると當百銭カタログの拓図が目に飛び込んできました。(以下に続く)
縮通  進二天
當百銭カタログの平二天です。銅母とありますので大きなものです。これが今回の出品物に一番近い品。くちばしは短いのです。縮通仰天と狭木保の拓図を並べましたので比べてください。形の違いは一目瞭然でしょう。つまり、進二天と平二天は非常に近く、仰天系とは別物・・・ひょっとしたら出品物は進二天の刔輪(画像マジック含み)じゃないかな・・・と思いこんだのです。この結論は確信に近いものでした。これら一連の画像を並べ終わるまでは・・・。(以下に続く)
※鋳ざらい母銭とされるものは文字などに加工が加えられている可能性があります。ただし拓本だとそれが分かりません。
天保通寶と類似貨幣カタログ掲載の縮通平二天。しかし、當百銭カタログと雰囲気は全く違います。文字の配列が歪み進二天風です。一方、花押のくちばしは長い・・・私混乱の原因でなんじゃこれの一品。保もやや扁平です。(以下に続く)
當百銭カタログの縮通仰天です。ね、全然違うでしょう?天上の刔輪の度合いも違う。これから見ると縮通平二天と仰天系は全くの別種です。しかし、オークション進行中は出品物は縮通ではない可能性が高い・・・進二天系の変種だろうと思った次第。(以下に続く)
當百銭カタログの縮通狭木保です。この名称はだめですね。縮通大字とか縮通大天にした方が分かりやすいです。花押も大きく後端がとがる癖があります。縮通の名前は共通でも平二天とは全く別物という印象です。(以下に続く)
天保通寶と類似貨幣カタログ掲載の縮通平二天濶縁です。とても有名な品ですけど見たこともない大珍品です。ただ、花押の形はまた変化しています。天上の刔輪は強烈ですね。じっくり見ていると平二天系は背百の横引きがみなやや右下がりになってますね。偶然かな?(以下に続く)
これは英泉天保通寶研究分類譜に掲載されている一枚。村上師はこれを方字濶縁としていましたが、縮通平二天濶縁だと思います。背の百の横引きが思いっきり傾いでいます。方字としながら村上師もこれはお気に入りだったようでいろいろなところで発表されています。方字の変種であると思ってらしたんじゃないかしら。花押はかなり方字に近い。(以下に続く)
これは進二天刔輪。寶下の刔輪が強く、寶は完全に離輪しています。背も極端な細縁。花押のくちばしはとても短い。進二天刔輪はあまり天の二引きが進みません。文字の配列もあまり湾曲しない。だから平二天との違いが見えづらいのです。しいて言えば天の二引きが昴り、背が高く見えるのと保点が広がり保そのものが扁平です。(以下に続く)
英泉天保通寶研究分類譜に掲載されている進二天刔輪。かなりの天上強刔輪ながら寶下の刔輪はほどほどで長足寶に変化しています。また當点が草点になり離冠していますね。通尾が長いのも特徴的でまるで曳尾です。文字の末画がみんな長いのです。さらに驚いたのはその花押・・・くちばしが長いぞ!!!こりゃ縮通系の花押じゃないですか。これにより、ちっぽけな私の自信は木っ端みじんになりました。つまり、縮通・縮通仰天・進二天・方字はみんな兄弟の関係で、削字の変化でいろんな中間種があるということです。型にはめきることは不可能だということ。と、いうことは第一印象で分類すべきで、花押の形に縛られていた未熟者ということ。反省しています。
 
長郭手覆輪大様 
長径49.7㎜ 短径33.0㎜ 銭文径41.2㎜ 重量22,2g 
2月4日【発見ならず】
何の変哲もない覆輪銭を躍起になって追いかけてしまいました。実はこの手の覆輪銭で、短尾通細字と同じ極印の覆輪長郭手を保有しておりましたのでもしや・・・と思い追いかけてしまいました。銅色がやはり紫褐色でしたので可能性は高いかなあと思いましたが甘かったです。結果としてかなり高い買い物になってしまいましたが、しかたがありませんね。49.7㎜というサイズは立派ですけど顔は平凡です。
ネット世界では萩の縮通で盛り上がっていますが、どうもこの縮通・・・変種がいっぱいありそうで難しいのです。ついこの間まで狭木保を縮通だと思っていましたから私の眼力も大したことがないようでして・・・。実は各泉譜においても分類が今一つ安定しておりません。それだけ変化が多いということでしょうね。
 
2月2日【称:建仁寺番銭】
関西のSさんからさんからとんでもないものが投稿されてきました。真贋について問われましたが、見たことないからわかりません。旧貨幣にも大正10年頃に呆仙(時代的に鷲田信一か?:呆泉)の名前で投稿がありますが、ほとんど謎に包まれています。2014年の3月3日に嘉祥祝の風習について木村智氏が紹介したと書いておりましたが、大正10年の貨幣誌にも同じ内容が寧際されておりますので、どうもこちらの方がルーツのようです。嘉祥祝は本来は改元の際に仁命天皇が16個の菓子を疫病除けとして供えたことに由来するもの。それが6月16日にお菓子を神前に供えるようになったり、食べたり、お菓子の代わりに16文の銭を供えたり・・・と変化したようです。
そうなるとこれは絵銭、もしくは記念銭というわけですけど、とにかく数が少ないので正規の通用銭というわけではないと思います。しかし、これを全揃いで保有しているコレクターはたぶんいないでしょうね。真贋なんてわかるはずもありません。
※勢いあまって安政俯永らしきものを落としてしまいました。安政俯永は今まで3枚入手していますが、今回のものが一番安政期っぽいですね。久々の寛永銭の高額品です。
 
1月28日【広穿大字LOVE】
天保通寶収集にのめりこんで、いつのまにやら有名銭もかなり手にするようになりました。古銭収集のはじまりはミニカーと本座広郭を交換したこと。中学生で俯頭通を入手し、大学生で張点保を掘り出しましたが、高額商品の多かった天保通寶は収集のメインではありませんでした。それでも天保泉譜(勢陽譜)はボロボロになるまで読み込みました。
私は初心者の時に「俯頭通」と「張点保」というとんでもない珍品を入手してしまったため、基礎的な眼力が未熟なままでしたが、天保仙人様や秋田の村上師のコレクションに接して、製作から見る力がかなり強化できたと思います。
「俯頭通」「張点保」に続き、2009年6月に憧れの「長反足寶」をオークションネットで入手。私にとっての三種の神器が揃った瞬間です。やがて「奇天手」「尨字」「草点保」「小字」なども入手し、次なる目標と言いますか、目下のあこがれの品は「広穿大字」です。とにかくでかいのです。長径が50㎜を超えるのは当たり前でしかも美銭が多いのです。ところで大和文庫に広穿大字が出ています。ただし大きさは49㎜大で、十分大きいのですけどおそらく次鋳クラスか。価格は魅力的なんですけど迷うところです。(画像は天保仙人様所蔵品:夏の古銭会のPより) 
 
1月23日【江刺銭拓泉集】
平成4年11月の日付で酔泉こと奥井勇氏の序文が掲載されています。なんでも本書の発行は会員の久我氏の新築祝いを祝し、川村庄太郎氏の発案で寛永通宝24種、絵銭3種の分類を掲載したミニ記念譜のようです。
いかにも手作り感が満載で、表紙の行篆混じり風の題字も味わい深い。でもって中は完全に手書きコピーです。
江刺銭は謎多き密鋳銭で、明確な鋳地は不明ながら量的に豊富で、かなりさかんに密鋳が行われたと思われるものの、特徴のある特定の母銭による鋳造が繰り返し行われたと思われ、兄弟銭が非常に多いことが知られています。江刺は岩手県南部にあり、江刺の地名はあくまでも暫定的な名称なのですけど、古泉界では市民権を得た名称の存在になっています。
江刺の地域には銅の産地はなく、鉱山からも遠いことから実際の鋳造地は異なる可能性が高いと思われます。一方で気になるのは江刺の地域には天保通寶の密鋳を行ったと言われる梁川という地名を見ることができます。ただ、いわゆる梁川天保じゃないかとされる某水戸銭と江刺銭の風貌はあまりにも違いますし、江刺銭の中には浄法寺じゃないかと思われる風貌のものが多数含まれます。
同じ型の多さは一部の浄法寺銭にも共通するところなので、江刺銭の正体も鋳期が異なるだけで案外そういったところなのかもしれません。
 
1月20日【美銭珍品に変身?】
侍古泉会のタジさんから頂戴した画像ですが、昨年の10月5日の制作日記に掲載したものと同じ品なんだそうですが、全く別物に見えてしまいます。撮影のときのライティングで古銭は違う顔を見せる典型例ですね。濶縁ぷりもものすごく見えますし、極印も星型で・・・評価ランキングも急上昇。この星型の極印は会津藩などで使用されたものによく似ていて、東北地方の不知銭に散見されるタイプじゃないかしら。
長径49.3㎜
短径32.3㎜
銭文径40.9㎜
重量25.2g

 
長郭手覆輪大頭通
長径49.2㎜ 短径32.1㎜ 銭文径41.0㎜ 重量22.4㎜
水戸藩銭濶字退寶
長径49.1㎜ 短径32.9㎜ 銭文径40.9㎜ 重量18.9㎜
1月17日【獲物二題】
上は大和文庫の応札品。尓の前の点が小さくなる覆輪刔輪のよくあるタイプかしら。肥花押気味で通頭が大きく見えます。ほんのちょっと厚肉で重い長郭手ですね。珍品というわけではありませんが不知銭好きとしては幸先の良い入手品。
下段は個性的雑銭の水戸濶字退寶です。実は先日東京出張の機会がありまして、ウィンダムさんに立ち寄りました。店頭に置いてあったはずの不知銭が行方不明でして、そのせいか新たに得る獲物はなかったのですが来場記念にきれいなこの天保銭を入手。ウィンダムさん側も私の気持ちに応えてくださり格安分譲してくださいました。ありがとうございます。花押は少々鋳つぶれていますけど未使用色の残るかなりの美銭です。
濶字退寶は書体変化のほとんどない雑銭ですけどこのような美銭は得難いものです。この書体は天保通寶初心者が勉強の上でまず入手すべき1枚だと思いますよ。
この銭は南部梁川銭座で鋳造されたという説もありますけど、なるほど南部大字の最大様に製作色合いが似ています。
 
1月17日【縮通と狭木保の比較】
縮通として分類していた手持ち品がどうやら狭木保だったようです。書体が変わっていたので、縮通(小異)としていたのですけどちょっと恥ずかしいですね。また、前回の縮通はやはり狭木保ではなく普通の縮通でした。残念。こうやって並べてみるとよく分かります。ただ、狭木保の名称はわかりづらいですね。仰口保と花押後端の尖る癖の方がわかりやすいのですけど・・・。
狭木保は天保泉譜で珍の位付けでした。実は天保銭辞典で仰天、新訂天保銭図譜で縮通とされて掲拓されているものが狭木保で、同じ拓本が當百銭カタログで狭木保として掲載されています。私の混乱の原因はここにあった気がします。まあ、小異と言えば小異なんですけど・・・。
萩藩銭縮通狭木保
天: 濶大で両足長く広がる
保: 人偏長く反る
呆口仰ぐ
保点が昂る
木の幅が狭く木呆気味
 
通: 通頭低く上辺平ら
辵はやや緩やか 
花押: 横広で大きい
後端が尖る
着色の部分は各泉譜における説明。画像の品は狭木状には見えませんが、その他の特徴はほぼ合致しています。
萩藩銭縮通狭木保
當百銭カタログより
瓜生有伸の師の小川青寶樓師はこの拓を「天仰ぎ花押独特のものになる」と評しています。ただ、花押は萩銭の中で最もおとなしい形状・・・本座に近い・・・ものなので、青寶樓師が果たして何を言いたかったのかはよく分かりません。しいて言えば花押後端がとがる特徴ぐらいなのですけど、それとてこの拓本ではわからないですね。
萩藩銭縮通(仰二天)
今年の入手品。色調のイメージはこちらの方が正確です。やはり、すべての特徴において狭木保には及びません。残念でした。撮影しなおして改めて確認できました。
萩藩銭縮通(仰二天)
當百銭カタログより
 
1月13日【縮通かなあ?】
縮通跛天ということでネットに出ていたもの。余り状態はよろしくないように見えたものの気になったから応札してしまいました。理由は保の点が長く保の口画が仰いでいるように見え人偏も長く見えたから・・・これらは狭木保の特徴なのです。ただし、私自身が狭木保についてよく分かっていません。當百銭カタログでは平二天のものを縮通の本体として仰天系のものの中に狭木保がありますが、類似カタログでは仰天を本体として、平二天は別類扱いにしています。もともと削字変化が多い萩銭で仰天と狭木保の違いは大同小異のような気がします。狭木保は仰天のなかでもホの横引きが短く、保点が上がり木に近く見えるから・・・というのが名称の由来なのでしょうけど今一つしっくりしません。花押後端がとがるという特徴もあるそうで、この品は60%ぐらい狭木保かなあといった感じです。なお、狭木保は2010年4月22日の制作日記に投稿画像があります。さらに・・・実は私が縮通として掲載している縮通がどうも狭木保そのものみたいです。花押後端の鋭さや全体の削字ぶり・・・よく見ると異常です。良い品と言ってくださった方がかつていらっしゃいましたが本日改めて画像を見直し、案外名品じゃないかと自画自賛することとしました。こうなると縮通の本体と言える個体と平二天の美銭が欲しい・・・困りました。
※縮通ですね。あるいは中間体かしら?
 
1月12日【西洋銭譜】
久々にこの本がネットに出ていました。福知山藩主朽木公による日本初の外国コインの泉譜なのです。2015年の9月にもネットに出ていますので2度目の発見です。古泉界においては歴史的な資料なのですけど文献コレクターでない限り食指は動かないかしら?
福知山公は江戸時代におけるNo1研究家であると言っても過言ではないと思います。詳しくは泉家・収集家覚書をご覧ください。
 
1月11日【魅惑の古寛永】
私が古寛永に目覚めたのは30歳を過ぎてからだったと思います。きっかけは富山の三鍋氏が東京によく出店されていたこと。それまで古寛永はあまり売り物がなく接する機会が限られていたのですが、三鍋さんのお店には細分類された古寛永が豊富にありました。気に入った基本的な品をぽつぽつ購入していたのですけど、入札誌「鈴鹿」などにもいろいろ出品されていて入手もしやすくなっていたので、古寛永泉志を徹底的に学びなおすことにしました。私のHPにおいて古寛永が従来の銭譜と全く違う並びになっているのは、私なりの古寛永の分類学習の試行錯誤の歴史です。
さて、画像は寛仙堂山添師のヤフオク出品。四国の地は玄友谷巧二師、寛仙堂山添春男師の両巨匠がそろっておりますので古寛永研究の盛んなところ。この両氏に九州の祥雲斎坂井博文師を加えたあたりが現代の古寛永収集界をけん引しているのじゃないかしら。
しかしながら、古寛永の収集家は激減しています。分類が細かくて難しいのと古寛永の絶対数そのものが少ないからなのです。実際、古寛永泉志を読み始めたとき、同じに見えてしまう書体のなんと多いことか・・・。ようやく全体像がつかめるようになるころには古寛永泉志はボロボロになっていました。
画像の品は芝不草点刔輪の白銅銭。不草点刔輪は芝銭のNO1珍銭で未だ未入手の品。少し無理すれば入手は可能なのですけど、自分の将来設計を考えると古寛永は入手しないと心に決めています。不草点刔輪には銭径の大きな品が多いのですが、画像の品は24㎜大と小ぶりだったと思います。しかし、刔輪痕跡は明瞭でなんでこんなに白いんだ・・・と心を揺さぶります。古寛永の収集をするのなら今がチャンス・・・なんですけどね。
 
1月7日【小字のお名前】
(不知長郭手)小字の薩摩小字という旧名称は非常に明瞭で良かったと思います。小川青寶樓師は薩摩の名前が捨てがたかったと見え、短人偏を薩摩小字として残し、長人偏だけを(不知長郭手)肥字としています。現在の分類は(不知)小字が一般的で短人偏と長人偏に分けられています。類似貨幣カタログでは少し名称を変えて小字と小字深冠當及び深冠當花押肥に分類されていますが、大同小異で本質的にはあまり変わっていません。。
かくいう私も「薩摩小字」という名称に未練たらたらなのです。と、いうのも「小字」という名称は一種の天保銭が独占するにはあまりも普遍的過ぎるのです。このような名称を冠するときは鋳地あるいはもう一つの特徴をかぶせるのが常套手段で、例えば「秋田小様」「広穿大字」「仙台広郭」等々・・・。これは寛永銭でもよく見られる名称付け方法で「厚肉抱寛」「異寛小永」「亀戸小様」等あげたらたくさん出てきます。
それにこの天保銭は薩摩の各銭に比べれば確かに小字なんですけど、単独で見ればたいして小字には見えません。初心者から見ればなんでこれが小字なんだと混乱すること必至の名称なのです。
薩摩小字に戻した方が格好はいいものの、小川吉儀師泉譜にいわく「本銭はほかの銭種に比して
黄褐の銅質の物である関係上、薩摩藩鋳ではあるまいと言う研究家のいることを附記しておく。」とあるように、薩摩のガマ口と呼ばれる初期銭とは銅質製作が少々異なるのです。ただ、天保通寶鑑識と手引きにおける拓図はあきらかに小様のものですから、これが黄褐色である可能性は少し疑問です。泉譜のものが黄褐色の小様であると仮定すると小川青寶樓師が新訂天保銭図譜に記述している「(薩摩小字は)前品(他の薩摩類)と銅質製作共に同じである。(中略)普通にあるのは銅色が違うものもあるがこのところに入れておく。」そして位付けが「(普通品)四 黄褐色 一」としている意味は果たしてどうなのでしょうか?青寶樓の所有品は文脈などから見てやはり黄褐色であると思われるのです。つまり小川吉儀師は「黄褐色だから薩摩じゃない可能性あり」と言及し、青寶樓師は「黄褐色でも銅質製作は薩摩で良い」と主張しています。これからも青寶楼も薩摩小字の名が捨てがたかったのだと感じるのです。
薩摩の天保銭でも琉球通寶の小字や広郭短尾通など純黄色に近いものが確かに存在しますし、小字の小様銭には薩摩の白銅質の色物も存在するようなので後は製作の問題かと思いますが、私にはまだ判断しきれません。(薩摩説はちょっと分が悪いと思いますけど・・・。)ただ、混乱を招く薩摩の名を外すのは現段階の流れでは致し方ないと思われます。
では名称を変更するとしたら何が適当か???
薩摩小字の名が使えないとすれば、原点に戻り
長郭小字という名称があります。青寶楼が最初につけた名前ですね。
また
広穿小字はどうか?不知の有名品の広穿大字の向こうを張るわけですけど、大して広穿でも小字でもないし、同系列のものと間違われる危険性もありますね。(ちょっと捻って長穿小字とする手もあります。)
改めて書体の特徴を見ると①文字の横幅が広く縦にやや詰まる。②とくに保字が極端縦に縮み小さい。③筆勢、とくに通辵のうねりが強い。④通用の両肩の縦画が上に突き出る。⑤寶足が気持ちよく広がる。⑥當百大きく、百の横引き先端の爪が大きい。⑦花押が扁平。⑧極端な横広銭形。⑨穿の位置は上方に偏る。(天保側より通寶側の方が径が長い)・・・こんなところかしら?
縮柱保・短柱保 勁通・鋭通 爪百・鋭爪あたりの言葉組み合わせたらいい名前が出来ないかしら・・・ねえ?
 
類似貨幣カタログ193
穴カタ日本
不知分類譜下巻P95-3
英泉天保通寶研究譜
月刊天保銭ほか
不知分類譜下巻P95-2


新訂天保銭図譜19図
不知分類譜下巻P95-1
天保銭辞典
勢陽譜P33-54
天保通寶鑑識と手引き原品
1月4日【不知小字短人偏大様いろいろ】
代表的銭譜の不知小字短人偏黄銅質大様(薩摩小字)の拓です。(昭和泉譜・大橋譜・當百銭カタログには掲載なし))
新訂天保銭図譜の拓本はさすがに立派で別格です。拓本上で天の上部輪に小欠が見えますが、(同じ拓本の使いまわしの可能性があるので)本当に欠損があるのかは分かりません。不知天保通寶分類譜P95-2の拓本はかなり細身に見えます。右の拓本に重ねてみると輪半分縮みますが長径は同じ。これは瓜生氏の編集資料に時々見られるもので、こうなると果たしてこの拓本の天保銭が本当に実在するのかも怪しい。(右と同じものかもしれません。)秋田の村上師の天保通寶研究分類譜等の著作にも大様銭が確認できますが、これは不知天保通寶分類譜の3に該当するもの。背の広穿ぶりが目立ちます。類似カタログの拓本もなかなか立派で、新訂天保銭図譜に近い大きさがあります。こちらは天第一画の末に鋳だまりがあり、拓本では上部輪の肌に荒れが見られます。秋田の村上師は薩摩小字を入手したときの心境として「小川吉儀譜に現存2品ぐらいではないか?と記されていた当時は夢見ごこちだった。」と(研究分類譜の巻末コメントに)記しています。小字大様の存在はこうやって確認したところ少なくとも現存5品以上はあると推定されるものの、少ないことは間違いありません。小字短人偏の大様は私の保有している泉譜の中にほとんど掲載例がなく、あっても上記の拓本の品の使いまわしだと思われます。(上記以外では天保仙人様の蔵品しか知りません。)私のような小者は当然今も夢見ごこちでして、すなわち半年以上にわたって夢遊病状態です。
なお、勢陽譜にも拓本掲載がありますが、ひとまわり小さいので次鋳クラスと思われます。これは勢陽譜の前身の大橋譜の拓においても同じなので、大様については収録されていなかったものと思われます。ちなみに小川吉儀譜掲載の小字も小様で、勢陽譜の拓本現品だと思われます。
 
長径49.5㎜ 短径33.5㎜
銭文径41.0㎜ 重量21.9g 
1月3日【今年もよろしく!】
2020年もよろよろと立ち上がりました。喪中ということで年賀状は控えさせていただきました。非礼をお詫び申し上げます。しかしながら親族一同が我が家に大集結し、餅つきはするは獅子舞は来るわで大騒ぎ。どこが喪中なんだろう?
さて、昨年の最大の収穫は左の称:薩摩小字短人偏でしょう。この小字は特に銭径(長径)が大きく、ここまでのものは小川青寶樓師の新訂天保善図譜にあるものぐらいなのですけど、出所がいまだによく分かりません。通尾の先端上部にある小星は青寶樓とほぼ同じでサイズも近似していますが、青寶楼拓に見られる天上左側の輪の小欠がこれにはありません。名品間違いなしで、これ以上の状態の小字は(少なくとも短人偏では)見たことがありません。昨年度の収集はこれの入手で息切れをしてしまい、後は惰性になってしまいました。更新についてもぼちぼちやっていきます。夜の散歩が忙しく、健康維持のため睡眠時間をこれ以上削れないのでマイペースになりますがお許しください。(猫アレルギーが治りませんが、悲しいことになれてきました。一時は猫喘息でしたので・・・。)
 
水戸接郭と土佐額輪の鑑定

1.土佐額輪(小様)

額輪肥字は本座銭に覆輪をして写したもの。砂目が非常に粗くざらついています。軽量のものも多く見られます。額輪は本体系と肥字系があり、この小型銭は極印だけを見ると肥字系なんですけど、寶足がわずかに離輪していて本体の次鋳の可能性も否定できません。額輪に小様があると仙人様からお聞きして、探し回って見つけた1枚。そんなにあるタイプじゃないと思います。

2.本座異制(称:秋田本座写)
大きさを書いたからお分かりになられた方も多いと思いますが、ノーヒントならまず当たらない品です。見た目は額輪の肥字系とほとんど変わりません。恩賜手とか明治吹増とも言われますが、銭文径が本座とほぼ同じ。明治初期、佐幕派の志士が房総半島南部に集結したため、明治政府は房総南部の鋳砂が手に入らなくなってしまいました。そのため、代替の鋳砂を使ったのですが、質が悪くこのような出来になったと言われています。
なお、昔からこのタイプは秋田本座写とも言われていますが、現代では秋田説は否定されています。

3.会津濶縁(離足寶) 
離足寶まで言い当てた方は満点。これは花押の形(後端が丸くなる、中央の髭が短い)から額輪や接郭ではないとすぐに分かると思います。また、極印は私がダビデの星と呼ぶ大型のもの。文字は全体に縮小し、面の輪の左側の郭下辺あたりにごく小さな瑕があるものが多く見られ、この画像でも拡大してみると傷があるのが分かると思います。濶縁離足寶は藩鋳銭としてはちょっとした珍品の部類です。

4.土佐額輪(肥字:称南部民鋳)
1~4まで砂目はほぼ同じ特色ですよね。額輪肥字はその昔は南部民鋳と言われました。しかし、いつの間にか土佐藩へ移籍していましたが、天保仙人様は再び南部藩籍に戻すべきだとのお考えです。13g台の重量は、流通が危ぶまれるほどの軽量で、この天保銭が出たのはかなり末期状態だったのではと推定されます。

5.土佐額輪(本体)
非常に判別が難しいものをあえて選んで画像化しました。土佐額輪は砂目が粗いものが多いのですけど、これは砂目がものすごく滑らかな一枚。ここまできれいなものは貴重です。ただ、決定的なのが極印の小ささ。額輪本体の極印は全天保通寶中で最小です。本体は文字が細く、書体は接郭に似ていて寶字は離輪します。瓜生氏の泉譜、天保通寶銭分類譜には、額輪本体と接郭にかなり混乱が見られます。接郭との書体上の一番の違いは背當の位置。接郭の方が刔輪が強く當が輪より降り離れます。あまりに雰囲気が違うので本体と肥字は別座だという考え方もあるぐらいなんですが、収集界ではなぜかその違いにあまり言及していません。なお、額輪の名称の由来ですが、覆輪を行った結果、輪の外側の方が肉厚になり、輪の内側が内側が低くなり通用銭では陰起する癖があるため。母銭の雰囲気があたかも額縁をはめたように見えるからという理由。この特徴は母銭に顕著で、通用銭の場合はかなり失われています。

6.水戸接郭(強刔輪タイプ)
1~4までのザラザラ肌とは異なり、非常に砂目は滑らかですよね。実は接郭の刔輪の強弱はバラバラなんですね。雑銭なんで細分類までされている方は少ないと思いますけど、内径を計ると1mm以上の差があります。接郭は内径を計った方が差が分かりやすいのです。これは刔輪が最も強く、天上、當上、寶下の隙間空間がものすごく大きい。極印も本座に比べると葉脈の縦ラインが長めです。

7.水戸接郭(濶縁:弱刔輪)
書体だけ見ると額輪の本体にとても似ていますよね。違いは背の刔輪の強さと極印の大きさ。また、砂目は極めて滑らかです。なお、接郭は内径に3タイプほどあり、画像は割愛しましたが前の銭との中間タイプのものも存在します。接郭も額輪も奥が深いのですよ。
 
 
秋田小様の鑑定
平均的サイズは47㎜前半。小さいものが多いものの、稀に48㎜を超える大型銭があります。
極印はこじんまりした丸い桐極印が深く打たれています。
色調は少し黄色味を含んだ赤い色が多く見られます。
背がずれるものが多く、内輪の修正痕跡が時々観察できます。
砂目は比較的滑らかで地の部分や輪の表面などは
ざらつきません。
(会津や土佐はざらつきます。)

文字の加刀はほとんどありません。文字周囲は自然な加刀がわずかに見られる程度。
久留米は文字周囲が幅広く深く加刀されます。これは最も重要なポイント。
1.
秋田小様(中様) 郭内の仕上げがあり美銭です。母銭仕立て?
2.土佐額輪赤銅質(南部民鋳) ざらつく砂目と、覆輪形状が特徴的。
3.
秋田小様(3回写し) 柔らかく赤い銅質で秋田に間違いなし。雰囲気はやや変わっています。
4.
秋田小様(大様磨輪) 磨輪小様。一見秋田には見えない。背側は秋田。銭文径も秋田には思えない大きさ。
5.薩摩広郭赤銅質  これは鋳肌が全然違います。
6.
秋田小様(大様) 48㎜を超える秋田小様は珍品です。母銭かもしれません。
7.久留米正字濶縁 文字周囲の加刀と極印形状がポイント。
8.不知広郭手 これは画像だけだと難しい。極印が違うのと明るい赤黄褐色で銅質が固い。
9.
秋田小様(細縁細郭) 色は悪いのですけど立派な秋田。極印と製作が同じ。細郭になるのは珍しい?
10.会津濶縁 花押の形と砂目で判断できます。
11.秋田小字 今回の入手品。極印が確認できないものの文字の周囲の彫りがあまりなく久留米とは違う。
会津濶縁系
私はダビデの星と呼んでいます。三角を上下に合わせた形で葉脈がはっきりしません。
久留米系
銭の厚みいっぱいに打たれます。極印の中では最大。石持桐極印で方向はまちまち。
土佐額輪系
尖った感じの小さな極印。深く打たれると穴ぼこにしか見えないものも多い。
秋田小字
角が取れて丸くやや小さい。いろいろなタイプがあるかもしれない。深く打たれます。
不知銭の鑑定 
1番と2番の合成画像。銭文径はほぼ同じ輪幅もわずかに違うのみ。人の目はいったい何で違いを感じているのだろう?
正解は・・・「不知銭と私が認定したのは1枚だけ。」
では何番か?・・・「驚くなかれ!3番です!」
1番は見た目は細郭手の覆輪に見えるんですけど、何度計測しても
本座サイズを超えない。組み物の中にこいつがあってすっかり騙されました。砂目や色合い、少し幅広の輪など絶妙です。これが不知銭に見える方は私と同じ目をしています。でも不正解。計測値もほかの特徴においても本座と同じなら本座としか判断できません。
2番は本座の
火中品で変色しているだけ。背は普通の色です。実物はもう少し白っぽく見えます。これは1番と比較させるための仕掛けでもありました。
3番は見事に本座銭に擬態していますが銭文径縮小でわずかに
覆輪の不知銭です。當上にも加刀痕跡があります。極印はよく見ると中央の柱が太くなっています。長径49.1㎜、短径32.3㎜、銭文径41.1㎜、重量21.2g。
最近オークションネットに出品されていた一枚で、肉眼だけじゃ判別できない品ですね。
4番は細縁で寶足が長く見える傑作ですけど偶然の変化。
鋳だまりです。文字変化だけ追いかけている方は騙されます。銭文径、重量、製作ともまったく異常ありません。私も目を疑いました。楽しい品でしょう?
5番は(意図的かどうかわかりませんが)
輪が圧延されていると判断しました。背側の発色が悪いので、あるいは火中品かもしれません。意図的圧延をするときは加熱してローラーにかけるのか、それとも圧延の際の傷をごまかすために火にあぶるのか、青錆が出たり変色したり、表面がすべすべしたりします。また、一方向に伸ばすので、縦方向の輪の幅と横方向の輪幅に不自然な差異が生じやすくなります。こんなに変わって見えても銭文径や重量は本座銭の規格範囲内です。指先で触れると輪の部分が少し外側に向かいわずかに傾斜して薄く感じられますので、部分的に伸ばされたのかもしれません。
人によって判断は異なると思いますが、私は(オリジナル書体、焼け伸び銭を除き)
覆輪の通用銭で銭文径が縮まないのは常識ではあり得ないと断定します。銭文径が本座とほぼ同じである不知銭は確かに存在しますが、それには不知銭であると判断できる合理的な理由が必ず別にある場合に限ると私は定義しています。
この他に最近騙されたのが・・・画像では真赤に見えた品がインクで赤く染めてあり、撮影後色彩調整したと思われる品。画像マジックにはまりました。がっくり。
 
難読地名の解答
1.
あまありき。海士村と有木村が合併して生まれた地域。小港鉄道の無人駅があります。
2.
ひつば。櫃は箱。挾は挟の旧字。山に挟まれた狭隘(きょうあい)な盆地やくぼ地、谷間。
3.
わんめ。かつてあった海上郡の支配地区の境目(境界線)の意味が由来だと私は考えていました。
4.
おだっぺ。だっぺ言葉千葉の本領発揮の読み方。
5.
ついへいじ。明治以前の記録には露乾地(露干地:つゆひじ)の記述が見られるためこれが元の漢字。地元の人は「つうへいじ」と言っています。川岸の低湿地を開拓して農地にしたのがはじまり。今では梨やイチジクの栽培地です。廿五里は鎌倉から二十五里あるからという説もありますが、鎌倉時代の里程計算上はあいません。(源頼朝が挙兵した地だから頼朝にゆかりはあります。)実は千葉市内に通平寺氏という武将が砦を作り、廿五里城と呼ばれた記録が残っています。おそらく、こちらが本家。わが市の廿五里は、似た呼び名であったことから後発ながらちゃっかり文字を拝借したものと思います。今では本家が地名として消滅したため難読地名の本家になった・・・というのが私が出した結論です。
だっぺ言葉で思い出しましたが、私の地域で「押す」は「おっぺす」で「走る」の命令形は「走れ」ではなく「走ろ」です。「おっぺす」は20歳を過ぎるまで方言とは気が付かず、「走る」の命令形は「走ろ」だ!、教科書は間違っていると国語の授業が大騒ぎになった 記憶があります。ちなみに子供たちの引率中に
「お~、さびさび~。おっさ、おでんでんくうべでん」と発言して大笑いされてあだ名が「おでんでん」になった知人もいます。意味は「うわ~とても寒いな~。そうだ、おでんでも食べませんか」です。今では地元でも若い子には通じません。

 
 
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