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【会津藩銭】
会津藩は幕末の戊辰戦争の際の幕府側の主力になった勢力であったため、幕府側も会津藩の天保銭密鋳については積極的な取締りができなかったのでは・・・と、推定されます。文献などはほとんど残っていませんが試鋳貨などから推定されて割り当てられています。これらの銭貨は大胆にも江戸深川十万坪にある会津藩邸内においても慶応3年頃から製造されたと推定されています。

主な銭種に 
長貝寶 短貝寶 濶縁 萎字 があります。また、会津の旧家から出現した試鋳貨として大頭通などが知られていますがこれまた大珍品です。
長貝寶              【評価 少】
文字通り貝が長く、長寶、小頭通になるもの。銅質が会津特有の赤銅質。掲示品は2007年の国際コイン・コンベンションでの掘り出し物。長径48.7㎜でこの手のものとしては標準サイズですが文字周囲に未使用色が残る極美品です。

※天保銭研究会誌88年4月号によると長貝寶には滑らか肌の小極印銭(異制品)が存在するようです。あるいは母銭か?
短貝寶(母銭)         【評価 大珍】
厚肉で純赤色のほれぼれする母銭。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
短貝寶             【評価 4】
銅色純赤で銭径や肉厚にかなり差があるといいます。書体は本座銭を意識しているもののオリジナルで、全体的に丸みを帯び縮小しています。地肌はややざらついて仕上げは少し粗めです。彫りが深く全体に素朴な感じがあって制作の割りに悪い印象を受けません。
最近は輪幅が広く文字が細く陰起するものを会津濶縁短貝寶として別種にするようです。

短貝寶(黄銅質)           【評価 4】
保存状況にもよると思いますが会津短貝寶の中には黄色く発色した銅替りが存在し、少し少ないと思われます。なお、なお、未使用銭においては赤味が少ない傾向にあります。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
短貝寶陰起通          【評価 4】
通字の辵点と通頭が陰起しているもの。
短貝寶(無極印)        【評価 3】
会津銭には無極印のものがたまに存在するそうです。本来、無極印のものは贋作と簡単に見抜かれるため流通に出されることはありませんが、会津藩は最後まで幕府に忠義を尽くしたため、密鋳を黙認されていた可能性があります。密鋳がばれてもお咎めはない・・・という自信か、あるいは極印を打つ暇もないほどあわてていたか、倒幕後に未使用未仕上げ銭が市場に流出したものか(会津はたしかに未使用のものが多く見られる)・・・いずれも可能性があると思われます。
短貝寶(濶縁手)           【評価 3】
長径49.25㎜、短径32.9㎜、重量22.4gのやや大様銭。仕上げ研ぎの関係だと思いますが、とくに背の濶縁ぶりが目立ちます。

※濶縁手の名前はありますが、短貝寶大ぶり銭とすべきでしょう。
短貝寶(厚肉大様)         【評価 3】
長径49.5㎜ 短径32.8㎜ 重量25.0gの堂々たる大様銭。肉厚は2.8~3㎜でずっしりした重さがあります。おそらく初出のものだと思います。
短貝寶(超厚肉)           【評価 ?】
信じられないと思いますが、この天保は4㎜近い(通常の倍)厚さがありました。仙人のお話によると濶縁の原母銭になったのでは・・・という仮説があるそうです。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)

※内輪左側に傷があり、これが下の濶縁離足寶の傷位置と符合します。したがって濶縁離足寶が会津短貝寶から生まれた・・・という根拠になっているそうです。一方で、濶縁離足寶のほうが会津短貝寶より背内径が小さいため、親子関係については説明がつかない一面もあります。なお、上記仮説・評価はこの銭に限ってのこと。通常の厚肉銭はちょっと少ないものの大きな評価はできません。 
濶縁(標準銭)         【評価 3】
本座の覆輪鋳写しですね。したがって文字に陰起があるとはいえ短貝寶ほどの素朴さは感じません。銅質は赤銅質ですが、掲示品は上の短貝寶より少し黄色味を帯びています。これでは石持桐極印銭の正字濶縁背異替とどこが違うの・・・といいたくなりますが、それもそのはず小川譜(天保銭図譜)で銭籍が異動され、会津にされたものです。(旧譜では水戸銭正字反郭濶縁)ただし当百銭カタログでは水戸と会津の両方に掲載されていて、銅質と文字の陰起の違いで分けているようです。
掲示品の銭文径は40.7㎜で短貝寶に比べて大きくなります。
→ 石持桐極印銭 
濶縁(赤銅質)             【評価 3】
ネットオークションでの拾い物です。ただし、こちらはさほど濶縁ではありませんが制作はまさに会津といったところです。こうやってみると旧譜の正字反郭濶縁という名称は当を得ています。赤いものは案外少ないと思います。背花押の角が丸くなるのも特徴です。
※水戸銭の項でも追記しましたが、会津と水戸(称:久留米)は江戸において技術交流があり、鋳造技術においては兄弟のような関係にあるとのことでした。したがって、会津濶縁と称:久留米正字背鋳替は拓本などで明確に区別する方法はないようです。銅色はやや黄色いものも多く、判別は砂目・やすり目・銅質で見るしかないようです。
濶縁(再覆輪)             【評価 1】
見事な大濶縁です。銭文径は40.2㎜で下の濶縁より小さい。類似カタログでは再覆輪の名前ですが、覆輪したものを写したか、覆輪が強烈で思いっきり縮んだのか・・・。現在調査中です。

濶縁離足寶           【評価 2】
通頭小さくなり、寶足が短く陰起気味となり離輪します。(画像以上にはっきり離輪します。)
計測してみると明らかに文字が小さく、普通の濶縁の銭文径は40.7㎜ほどあるのに対し、こちらの銭文径は39.8㎜です。
当百銭カタログの銭文径は標準銭で39.8㎜になっていますが、私の所有品の計測の結果は40㎜以上の銭文径のものが標準銭だと思います。(40㎜以下は再覆輪銭だと思います。)銭文径にこんなに差があるというのは私にとっては新発見です。
なお、この銭は上掲の短貝寶を原母として鋳造されたとも推定されていますが、短貝寶と内径がほとんど変わらないことから再考が必要かもしれません。しかし、何らかの連続性があると思います。銭体の輪内左側に凹みに注目。當冠の形状も短貝寶に近いことを示しています。
濶縁離足寶           【評価 2】
銭文径39.9㎜の縮小書体。輪の左に明らかに傷が残っているタイプです。見れば見るほど短貝寶に筆法が良く似ています。
短貝寶によく似ていますが文字の修飾が少なく、背も濶縁となります。

この銭はかなりの美銭。濶縁でもあるし、短貝寶にも似ています。この銭のもとになった母銭を刔輪するなど改造すれば短貝寶になるのではないかと思います。面に砥ぎ仕上げが入ったようにも見えますが、手持ちのもう1枚も同じ雰囲気です。
濶縁離足寶(黄銅質)       【評価 2】
濶縁離足寶の黄色いタイプ。平成23年に会津銭を大量入手した際に1枚だけあったもの。製作は濶縁そのものです。
萎字(大広郭)          【評価 大珍】
瓜生氏は短貝寶を改造したが密鋳銭とされましたが、近年は再び会津藩の初期銭ではないかとされるようになりました。出現も会津の坂下(ばんげ)方面から発見されることが多いようです。鋳肌、銅色、極印とも会津藩で間違いないようです。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
萎字              【評価 大珍】
本当にきれいな逸品です。
平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。

(天保仙人 所蔵)
新種発見か?
勇文手短貝寶
(仮称)

都内在住のN氏からの投稿画像です。会津短貝寶のようですが、天前足と保の人偏が異様に長い。拡大画像を見ると、文字の際に加刀の痕跡が見えますがむしろ自然な感じです。勇文に似ていますが微妙に違います。(保口が退く。)
もしこれが泉界で認められたら昨年の短尾寛方冠寶通用銭以来の大発見だと思います。皆様のご意見をお待ちしております。
なお、名称はこれこそ勇文手としたいのですが、先客がいますので勇文手短貝寶と仮称します。
投稿者の方から連絡が入り、背の画像、側面の画像も頂戴しました。
側面の色はまさしく会津。ただし極印が確認できません。また、この天保銭の出所が判明しました。
上京した会津若松市内の友人から、一宿一飯のお礼として何気なく分けてもらった10枚の天保銭のうちの一枚だそうです。友人は天保銭には全く興味がなく、N氏宅を訪問したときに天保銭があるのを見て後日気軽に譲ってくれたそうです。ちなみに友人の家は会津若松市内の旧家で大地主。天保銭はまだたくさんあるみたいです。私もお友達になりたいです。
 
 
 
【秋田藩銭】
秋田藩銭は文献や鋳地、現物などの研究が進み、ほぼ銭籍が確定できている数少ない藩鋳銭です。鋳地は新寛永でいうところの加護山銭座で、かの地で天保銭の密鋳も行われていたようです。銅質は錫分が少なく赤味が強くなりますが、寛永銭と比すると安定して良好な制作のように見受けられます。また、本座広郭銭からの写しも行われていたようです。これは秋田本座写(秋田小様)と言われていますが、別炉(密鋳)と思われます。

主な銭種に 
長郭 横郭 細郭 小様 などがあります。
長郭                   【評価 4】
銅色は純赤ですが非常にしっかりしたつくりです。文字、背花押とも大きくオリジナル。しかも気持ちよいほど伸びやかです。通字のしんにょうのうねりが大きく尾が長いのが目立ちます。面郭は縦長です。秋田天保は錫分が極端に少なくなって鉛が6~7%とのこと。鉛が多いという解説記事をときどき見かけますが、鉛はむしろ本座より少なめです。純銅の比率が高いのです。
※赤い肉質のものが多いようですがやや黄色い品もあるようです。
また、秋田天保は背郭上辺が反るものが多いそうで、これは鋳造時の癖のようです。
広郭(赤銅質)         【評価 3】
書体は非常に近似していますが、面郭がほぼ正方形です。短柱保で背の當の田も横幅が広がります。通字もわずかに扁平です。
これも赤銅色が普通で稀に黄褐色のものもあるそうです。また、極厚肉銭も存在するようです。
※秋田藩銭の母銭には白銀色に輝くものがあります。それは阿仁からは天然の白銅(この場合は白い銅の意味:自然銅)が産出したからで、それを原料として母銭が作られたからです。白銅の主な成分は、銅、錫、銀だと推定されます。(おそらく錫がかなり多いと思います。)
広郭(黄銅質)          【評価 3】
広郭の黄銅質銭ということで求めたもの。錆はあるものの状態は極上品でした。未使用銭に近いのですが、果たして手ずれで何色になるのでしょうか?

※このあと青錆を刀剣油で落とそうとしたら・・・薄いところは取れましたが濃い部分がマジックで塗ったように真っ黒になってしまいました。大失敗?
広郭(黄銅厚肉銭)          【評価 2】
写真写りは誠に悪いのですが細郭の郭幅が広がったような感じで、黄褐色です。しかも肉厚は3.2㎜の迫力サイズ。これはダブルで珍しい存在です。

※広郭は全体的に肉厚なものが多く、中には3.4㎜を超えるようなものもあるようです。また純黄色のものは非常に貴重とのこと。
細郭(黄銅質)         評価 1】
広郭と同じ書体で郭が細くなるもの。これは黄褐色のもので、細郭はこの方が一般的でしょうか。背の花押が大きいのがわかるでしょうか?

※細郭は黄色が一般的で赤いものは背広郭気味になり少ないらしい。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
細郭(中間色)         【評価 1】
独特の黄色みあるピンク色の銅色の細郭。赤でも黄色でもなく、しいて言えばピンク&ダイダイ色なのですが、白みが意外にあります。広郭や広長郭にもこの色はあるようですけど、探すとなるとなかなか見つからないかもしれません。
細郭(赤銅質)            【評価 少】
赤い銅質の秋田細郭。細郭は黄銅質が一般的で赤いものは少ない。ただし、広横郭や広長郭の郭を削った変造品が存在します。広長郭は書体が異なるので判別は容易ですが広横郭を削ったものは、郭の内側をよく観察しないとわかりません。
ポイントは鋳肌。細郭は母銭のときから郭が細いので、穿内にも鋳肌が必ず残ります。穿内全体にやすりや砥石がかかっていたら変造贋作です。
私はこれまでに2品変造品を見ていますので、かなり存在していると考えたほうがよろしいでしょう。


※純銅色もあるという話・・・
秋田広長郭白銅母銭
旧南部民鋳銭:秋田本座写について
秋田小様と呼ばれるものは、長径が45.5㎜~47㎜程度で、本座銭より2㎜以上縮むのが普通です。その前段階で本座銭を鋳写したものも(旧:南部民鋳)存在します。こちらは小様よりひとまわり大きくなりますが製作は小様そのものです。銅色は加護山独特の色になるようです。さらに秋田本座写という類もここに包括してありますが、製作が全く異なるので本来は別種でしょう。

参考画像 → 広長郭白銅母銭 と 小様母銭
※無断借用画像になって申し訳ありませんが、銅色の参考のため掲載させて頂きました。白銅母銭は迫力がある名品で、三桁の価値はある逸品です。小様母も大珍品でしょう。

銭の道
2001.4号表紙より
  秋田小様母銭
秋田小様             【評価 少】
本座広郭の写しです。長径46.9㎜で小様としては標準サイズです。掲示品は郭や輪に鋳不足はあるもののなかなかの美銭。銅色も異論をはさむ余地のないもの。こんなに肌のきれいな秋田小様があるんだ・・・と思い高額だったのですが購入してしまいました。元々は南部民鋳とされていたものだそうで、そのなかから銅質から阿仁鉱山製だと推定された経緯があります。掲示の品は色も鮮やかであり、秋田小様として非常に味のある逸品です。

※3回写しであることが判明
秋田小様(最小タイプ)        【評価 少】
長径45.6㎜の秋田小様。
面側は磨輪されてかなり細縁に見えますが背側は濶縁とアンバランスです。以下に示すようにいろいろな誌上で発表されている品でもあります。
長径45.6㎜、短径30.4㎜、重量18.6g
天保通寶研究分類譜第三巻No.941
月間天保銭36号
貨幣協会20周年記念泉譜

※4回写しです。これが限界でしょう。
秋田小様(背錯笵)        【評価 少】
仙人お気に入りの秋田小様。背のズレがかわいい。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
秋田小様(中様タイプ)        【評価 少】
長径47.7㎜の秋田小様。一番上のものより外径はもちろん、銭文径も大きくなっていますが、極印や制作、銅質は秋田小様で間違いありません。
このサイズは天保通寶母銭図録では母銭のサイズ。
でも、どう見ても通用銭です。こんなものもあるんですね。

※2回写しの覆輪タイプ。
秋田小様(増郭痕跡あり:大様タイプ)
東北のS氏提供画像。縮小率誤差の関係で若干大きく写っているかもしれませんが銭文径などもさらに一回り大きいタイプだと思います。
いまのところ1品しか存在確認はできていませんが秋田小様の分類に新たな一石を投じる再発見になるかもしれません。

長径48.4㎜ 短径32.55㎜ 銭文径40.8㎜


※1回写しの覆輪タイプ
秋田小様(大様タイプの磨輪)   【評価 少】
長径47.6㎜ 短径31.4㎜ 
銭文径40.7㎜ 重量20.4g
英泉 天保通寶研究分類譜第三巻No.969(背上ズレ)の原品
輪が細いので小さいものの銭文径はすこぶる大きい。未使用との触れ込みで購入しました。文字の角が立ちますので状態は確かに最高レベルかもしれません。


※1回写しの磨輪タイプ
称:秋田本座写(赤銅)     【評価 3】
赤い秋田本座写ははじめて見ました。白っぽいものよりかなり少ないそうです。
平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(N氏 所蔵)

※この品が上のものといかなる位置関係になるのか・・・砂目が違うのでなんとも言えません。


称:秋田本座写          【評価 7】
秋田の本座写しは赤い・・・と思ったら大間違い。ポイントは砂目。ざらざらぶつぶつの独特の荒れ肌と面背のやや粗いやすり目。むしろこのような色あいの方が多いのではないでしょうか?
※秋田では仕上げ用の良質の砥石の入手が難しく、そのため輪側面は砥石仕上げではなく、荒やすり仕上げになるそうです。銅色は例外があるようなので判断にはその点とざらざらした砂目がポイントになるようです。存在はかなり多いようです。

※天保通寶と類似貨幣カタログでは異制として本座に包括されています。実際に銭文径を計測するとほぼ本座と同じ。極印も同じ・・・と、いうことは・・・本座の末鋳銭とするのが自然だと思います。 
称:秋田本座写(異制の異制)【評価 ?】
土佐額輪だと思っていたら、秋田本座写でした。輪幅がたっぷりあり台形状で横径は32.9㎜もあります。 秋田本座写は明治期に秋田の古銭研究家、布川新栄堂氏の発見経路から確定されたとのこと。手持ち品を計測してみると秋田本座写の銭文径はまったく本座広郭と同じで、これでは『写し』という名称が?ということになります。秋田藩銭には独自の母銭から作られた藩鋳銭と、私鋳かもしれない小様が存在し、それらの制作ともこの本座写はかけ離れていますし、同じ領地内でタイプの全く異なるものが3つあるのは怪しいですね。布川新栄堂氏の説はいささか眉唾・・・といった感じかもしれません。
ある泉家からもこれは秋田ではないと思う・・・との言葉を聞いています。
称:秋田本座写の誕生の謎
秋田銭の白銅母銭の発見により、白銅質=秋田にされた時期がありました。すなわち、もともとは秋田本座写は白銅の広郭のこと・・・佐渡本座写のことを指したようなのです。
しかしながら白銅質のもの以外にも、本座とは言い切れない異制のものが存在していて、それらが混同されて現在に至っているようです。したがって、称:秋田本座写については現在も完全な結論がついていません。

①秋田藩鋳説 これは現在否定されています。
②仙台藩鋳説 膨大な数量、鋳銭技術と実績から。秋田のM氏が収集誌上で仮説を立てたもの。
③本座異制説 幕末から明治にかけて、房州砂の調達ができず、王子産の鋳砂を用いたことによるもの。称:秋田本座写の規格は本座と変わらず、しかしながら製造過程には省略が見られます。これは幕末から明治期にかけての混乱によるものと考えられるのです。現在はこれが最有力で、私もこの説に傾いています。ただし、その中には不知品なども混在していると思います。
 
 
 
【南部盛岡藩銭】 

南部盛岡藩の地方貨としては盛岡銅山が有名で、この銭に書体が酷似するものが南部盛岡藩銭銅山手として認定され、さらにそれと制作の類似する銭貨群が南部盛岡藩銭として確定されるに至っています。鋳銭地はこれまた寛永銭の密鋳地として有名な浄法寺地区で、ここで大量の天保銭が藩の黙認のもとで密鋳されたと推定されています。
さらに明治時代には民間でも密鋳が行われるようになったようです。これら民間で密鋳されたものは昭和49年になってから民家解体の際に大量発見され市場に流出しています。浄法寺地区内の合名沢、飛鳥、焼切の隠し炉で密鋳された・・・という調査記録があるようですが、現在は【浄法寺銭】として別種に扱われるようになっています。


主な書体に 銅山手 大字 小字 があります。また、それぞれに 浄法寺銭 が存在します。

銅山手大様           【評価 1】
盛岡銅山の書体に似て、通字巨大。長径49.2㎜とこの手のものとしては本座銭なみの大型銭です。側面には桐極印がしっかりと打刻されています。
輪には傾斜が見られ面より背の方が銭径が大きくなっています。これは典型的な浄法寺山内座の特徴で、密鋳寛永銭にもこの手(浅字・台形仕上げ・厚肉)がよく見られます。
なお、画像では赤く見えますが現物はかなり黄色い品。
長径49.2㎜ 短径32.9㎜ 銭文径41.4㎜ 重量24.0g
銅山手大様(白銅質大ぶり銭)  【評価 1】
端正なつくりで、上の掲示品に比べ輪幅わずかに広く内径や銭文径は逆にわずかに小さいもの。かなり重い天保銭ながら厚みは2.5~2.7㎜。銅山手のきれいなものは少ないといわれるのは浅字で銭径や銅質がバラエティだからでしょう。
長径49.0㎜ 短径32.9㎜ 銭文径41.1㎜ 重量25.0g
銅山手(次鋳細字)       【評価 1】
全体的に白みを帯びた赤銅質。細字で精緻なつくりで初鋳品であることが予想されたのですが、計測値の銭文径は40.4㎜で私の保有している銅山手の中で最も小さいことが判明。長径47.9㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.8g
銅山手小様広穿(次鋳)     【評価 2】
銭径が萎縮していますが標準銭はこの程度の大きさです。個性溢れる書体で、文字は全体に大きくなります。とくに通字が巨大なため寶字が圧迫されるように縮みます。有名な盛岡銅山の書体とほぼ癖が一致しています。掲示品は珍しく黄褐色ですが、やや赤味を帯びているものが多いようです。長径47.9㎜ 短径31.5㎜ 銭文径40.9㎜ 重量16.6g
銅山手細縁薄肉最小様      【評価 稀】
手にした瞬間異常な薄さ・軽さに驚きます。やや白銅質の金質で異常な製作などから写しの不知銭とも考えられるものの、細字で砂目もきれいに出ています。また銭文径はやや小さいものの、最小ではありません。
村上譜には長径47.82㎜、短径31.88㎜、肉厚1.99㎜の薄肉銭が掲載されていますが、それ以上の品です。
あるいは維新前後に母銭が流出した可能性も考えられます。

※この軽さは全天保銭中最軽量です。(當百銭の謎P182原品)
長径47.2㎜ 短径31.1㎜ 銭文径40.9㎜ 重量11.7g

大字(初鋳銭)             【評価 1】
書体の幅が広く通字のしんにょうの折り返しに爪状のふくらみがあります。横雑銭の会の工藤氏から購入した南部藩の初鋳銭。長径49.1㎜ 短径32.3㎜と、確かに大きい。一方重量は17.6gとかなり薄肉なつくりになっています。
大字(最大様)             【評価 珍】
これだけ大きいものは私は見たことがありませんでした。長径49.9㎜ 短径33.6㎜ 重量21.3gと堂々たる品。原母は木型ではないかと思われ、その特徴をよく伝えています。
大字              【評価 1】
横広の文字が銭面を占拠しています。通辵の折頭にカギ爪があるのが最大の特徴です。なお、本銭は初鋳のもので銅色は紫褐色を呈しています。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
小字              【評価 珍】
通字が扁平で通頭が長いのが特徴です。
桐極印と八ツ手桐極印があるそうですが、これは八ツ手桐タイプ。地元では六ツ出星極印というようです。銅色は黄色いものが多いと聞いていましたが原品はきれいな赤銅色です。栗林座でつくられたものと言われています。
盛岡銅山                 【評価 大珍】
背の【通用】の文字に注目!この書体の癖が南部盛岡藩銭の銭籍を決定付けました。


(平成12年江戸コインオークションカタログより)
盛岡銅山(初鋳大様)        【評価 大珍】
平成19年度の江戸コインオークションの目玉商品のひとつ。大きくて赤くてきれいだった。初出のものは百字の横引きの手前に鋳走りがあります。

(平成19年江戸コインオークションカタログより)

【南部私鋳銭:浄法寺銭】
浄法寺銭というのは南部地方で私鋳された銭貨で、大きく分けて2系統に分類されるそうです。そのうちのひとつが【浄法寺山内私炉黙許銭】で、もうひとつが【浄法寺盗鋳隠し炉私鋳銭】です。

【浄法寺山内私炉黙許銭】
天保銭事典によると浄法寺内には複数(発見は14箇所)の私炉址が確認されているそうです。そのはじまりは慶応3年(1867年)秋と言いますからまさに明治時代前夜といったところです。藩の家老、楢山佐渡の言いつけで浄法寺村民35、6名で鋳造を開始したようで、原料の銅は尾去沢銅山から家老の配慮で取り寄せられ冥加金を上納するシステムもあったらしく、私鋳といってもこれはもうはなから藩公認(黙認)といって良い事業だと思います。慶応4年春になり不手際から藩の別の役人露見し取調べをうけることになりましたが、鋳銭場の取り壊しは行われず首謀者とされる松岡練治が閉門(外出禁止)というごく軽い処罰で済まされたそうです。さらに5月には家老の言いつけで鋳銭が再開され、7月まで鋳銭が続いたそうです。このタイプの天保銭は肌がやや粗く銅色は黄褐色~赤褐色で銭径はむしろ大ぶりのものが見られます。特徴は輪側面の仕上げで面から背に向けて輪が傾斜(台形)に仕上げられています。

【浄法寺盗鋳隠し炉私鋳銭】
現在、浄法寺銭としてもっとも流通しているのがこのタイプで、浄法寺村飛鳥部落で鋳造されたと推定されることから浄法寺飛鳥銭といわれることがあります。非常に肌が粗く質の悪い銅から鋳造が行われたと思われます。湯道が太く、やすり目が粗く、鋳放し銭も非常に多く見られます。最近の研究ではこの手のものの多くが、明治期にある寺の参道でお土産として売られていた絵銭ではないかと言われるようになっています。

【浄法寺中期~後期銭タイプ】
銅山手写(鋳放)【評価 1】
鋳バリも荒々しい南部藩銅山手写しの鋳放銭。湯道が幅広く銭体に歪みもあり、とても雑なつくり。はじめてみたら贋作を疑ってしまのですが、英泉 村上英太郎氏の天保通寶研究分類譜の原品です。天字第2画の先端が割れていて割二天の名称がつけられています。
銅山手写   【評価 3】
非常に粗いやすり目で、仕上げも雑です。銅色はやや赤銅質ながら硬さを感じます。すすけて黒くなっているものが多いようです。
※天第二画先端の割れ、天末尾上の鋳だまり、保字人偏の上の瑕、面輪下部寶後足付近の小鋳だまり、背輪内側下部の小鋳だまりなど上掲と同じ特徴。当百銭カタログ77ページ掲載品も同じ特徴です。
銅山手写(左内反郭)       【評価 3】
これも浄法寺銭です。郭内の左側が弓状に歪む特徴があり、左内反郭の名称が与えられているようです。
なお、この画像は都内に住むN氏からの投稿です。(感謝!)
南部藩大字写(穿内鋳放銭)   【評価 3】
本銭の大字の入手は非常に難しいのですが、浄法寺銭についてはまだ入手が可能です。文字が大きく通字のしんにょうの折れの先端が鉤爪状になります。背の花押も大きく、頭の部分が太くなるのも特徴です。
シークレット的なマークで寶前足の輪の内側、背花押の前部の輪に瑕、歪みがあります。
南部藩大字写(縮形銭)     【評価 1】
長径47.3㎜ 短径30.5㎜ 量目18gの小型天保。通常の浄法寺銭に比べても長径で約1.5~1.8㎜ 短径1.8~2.0㎜ 重さは1~2割ほどは軽いものです。周りのものと大きさの印象を比べてみてください。穿内は鋳放しですが輪側面は仕上げられており、とくに短径が通常のものより短くなっているのが特徴的です。
南部藩大字母銭          【評価 大珍】
浄法寺大字の真正母銭です。

この品物は平成20年の練馬雑銭の会において画像収録したものです。(工藤氏提供)
南部藩大字写(鋳浚改造母銭)  【評価 少】
浄法寺大字写を鋳浚い処理しているもので、面背ともやや濶縁気味です。輪、穿はやすり仕上げされており、面背の地の部分は削られ滑らかになっていて、文字付近は未使用の銅色が残っています。輪側には極印が打たれていて、改造母銭だという確証に欠けますが、非常に貴重なものだと思います。密鋳銭の技術を見る良い参考資料です。なお、通用銭をこのように改作することは技術的には容易ですので、購入する場合は慎重に・・・。(と、いっても私は真贋の区別は判りませんが・・・。)
南部藩小字写(仕立銭)        【評価 少】
珍しく丁寧に仕上げられていますが、金質は間違いなく浄法寺特有のもの。南部藩の小字そのものが少ないので、小字写はやはり浄法寺としても少ないものだと思います。掲示品は入札誌に銅山手と誤記載されて出品されていたもので、思い切って応札したという経緯がありました。
誤記載がなかったら応札しなかったと思いますので、まんまと出品者の作戦にはまってしまったのかもしれません。それにしても浄法寺としてはすこぶるの美人です。側面の極印はよく分からない異極印です。

※この手のものは面郭下部に虫食い状の凸凹があります。
【初期浄法寺仕上げ銭タイプ】 
本座長郭写(極厚肉)【評価 少】
浄法寺には5タイプあると言われているようです。
①山内座(変形桐極印)
②初期浄法寺(釘穴式極印)
③前期浄法寺(丸十型桐極印)
④後期浄法寺(穿内鋳放し)
⑤後期浄法寺(鋳放し)
実際には色々な製作があり総合的に見て分類する必要があるようですが、貨幣として流通したのはせいぜい③まで・・・あるいは①までかもしれません。これは釘穴式の極印があるタイプですが、重量が31.8gもある異常な厚肉銭。古い鋳造技法を使っていますがやはり絵銭としてみるべきかもしれません。下の長郭と型は同じ。
本座長郭写            【評価 2】
本座長郭を写したもの。比較的赤みを帯びた銅質で、製作も粗雑ですが、浄法寺にしてはつくりは丁寧なほうです。ただし、極印は釘穴式です。

※面郭の右側と保字内に小さな突起があるのが特徴です。

本座細郭写(穿内鋳放)        【評価 1】
浄法寺銭には南部藩以外の写しも存在します。本座写しでは長郭が一番多く見られ、細郭や広郭は比較的珍しい存在のようです。銅色は本座に近い黄褐色なのですが、わずかに赤味が加わり、かつ白味というのか明るい輝き色が加わる感じです。輪側面は仕上られていて釘穴のような極印が深く打ち込まれています。なお、本銭は郭幅から見て中郭にも見えますが、一般には細郭の写しと呼ばれています。

※背輪の右上部に必ず凹みがあり、面郭の右上部が細くなる癖があります。
本座写広郭手(穿内鋳放)      【評価 2】
穿内の見仕上状態がなければ、本座銭と間違えるほどの上出来な浄法寺銭です。色は明るい赤黄褐色。輪極印は形状こそはっきりしないものの深く打ち込まれています。私の印象ですが金質には硬さを感じ、ぶつけると軽く高い音がします。

→ 奇品館 浄法寺銭長郭写
正座銭 浄法寺山内銭   浄法寺私鋳銭
 
小字の3態

浄法寺は材質、製作が劣り、極印も正様桐極印ではありません。山内銭は変形桐極印ですが私炉銭は桐とはかけ離れた形状になります。

左の例の場合、正座はきれいな桐、山内は変形はあるものの桐状極印ですが、私炉銭は〇に葉脈らしき筋が漢字の小のようにある極印です。なお、小字の山内銭は大変希少なものだそうです。
工藤氏所蔵 栗谷川氏所蔵   工藤氏所蔵
 
浄法寺天保の成分分析票
(天保銭事典より)

銀(Ag) 銅(Cu) 亜鉛(Zn) 鉛(Pb) 錫(Sn) 鉄(Fe) ニッケル(Ni) マグネシウム(Mg) アルミニウム(Al) ビスマス(Bi)
亜鉛含有量が当時の常識外の数値です。銀も珍しい。

※銀は秋田天保にも含まれているそうです。
浄法寺銭の金属分析
浄法寺銭(盗鋳私炉)の金属組成分析をみると、銅、鉛、錫のほかに亜鉛がかなり含まれていることが分かりました。亜鉛が貨幣の金属として利用されたのは幕末ですが、原料はもっぱら輸入品だったようです。
国産金属として日本で精錬されて利用されるようになったのは明治30年以降のようで、それまで亜鉛鉱石(閃亜鉛鉱)は銅や鉛鉱山の不純物として捨てられていたようです。亜鉛鉱石は『やに』と呼ばれ、精錬の邪魔者で、亜鉛鉱石が多いと溶銅が粘り、凝固が早く鋳造がうまく行かない原因になったようです。したがって
官鋳銭以外に亜鉛が含まれることはまずない・・・と思っていたのですが、例外がこの浄法寺銭でした。浄法寺銭は原料の銅鉱の選別が不十分、あるいはくず鉱石(くず銅)として捨てられたものを再選別して精錬が行われたと思われます。
不純物の『やに』が多い銅を型に流し込むには高温の方が流動性が高く都合が良いのですが、沸点が低い亜鉛(907℃)の多い銅の扱いは難しく、そのため銭表面があわ立つ結果になったのでは・・・と考えています。
浄法寺銭の枝が極端に太いのは、溶銅の流れを少しでも良くするための苦肉の策だったようです。

※天保銭事典では融点降下現象を起こすために、あとから不純物としての亜鉛が加えられたとされていますが・・・
①当時は原料としての金属亜鉛を国内民間で精製する技術はなかった。
②亜鉛の原料は閃亜鉛鉱(亜鉛と硫黄の化合物)が唯一といって良い存在。
③融点降下は銅と錫、あるいは銅と亜鉛の接触で生じるが、精製前の鉱石の状態では触媒の役割を果たさなかったと思われる。
と、いう点で問題があると思います。

亜鉛は沸点が907℃と銅の融点(1083.4℃)より低く、銅鉱石を加熱して粗銅(還元焼成)にする段階(銅の溶解開始前)で多くが煙として排出されてしまいます。当時、真鍮(銅と亜鉛の合金)の生産が難しかったのは、金属亜鉛が輸入品で手に入りにくかったのに加え、坩堝製法では真鍮の融点(900℃)と沸点がほぼ近接しているため突沸現象(突然の沸騰=爆発)による原料の飛び散りの危険性が高かったからだと思われます。
亜鉛の精製は坩堝のような開放炉では無理で、排出された煙を回収冷却して酸化亜鉛を得る方法(閉鎖炉)が一般的です。また、当時の真鍮の製造も一旦銅と少量の錫で融点降下を誘発して青銅を作り、その後で亜鉛を少しづつ投入して合金化してゆく手段がとられたのでは・・・と考えています。

※浄法寺銭以外に、称久留米(石持桐極印銭)に亜鉛が含まれていることが判明!
となると原料は・・・ありました。當四銭です。しかし、これについても問題があります。
當四銭は維新直後に太政官布告によって鉄24文に交換レートが定められました。一方、天保銭は鉄100文。当時は96勘定だったので當四対天保は1対4の価値差なのです。したがって維新後に當四銭を使って天保銭をつくるは大損なのです。
→ 明治維新後の交換レート
浄法寺の私炉銭は明治期(4年以降)と推定されていますので、當四銭を原料にするはずがないのです。
不純物の多い銅鉱を使った・・・という推定をしましたが、考えてみると民間人がわざわざ鉱石から粗銅をつくるのは大変な手間がかかるわけですし、あまりに目立ちすぎますので、再考察の必要がありそうです。

※明治10年に西南戦争が起きる前に米価格の大暴落があったそうです。これは政府が没収した廃藩の米を大放出したことに加え、空前の豊作が原因だとか。したがってこの間の鋳造なら採算が取れるはず・・・。
 
 
 
室場反玉寶(旧石ノ巻)銭】 
仙台藩石ノ巻銭として紹介されている例が多いのですが、その後の研究によって南部地方の室場鉱山における私鋳銭との説が有力になっています。色は黄褐色で未仕上の覆輪技法による鋳放銭がほとんどです。寶字の王画下辺が反り返り尓の前の点と連なります。不知品で連玉寶になる加刀銭(不知銭長郭手連玉寶)もあるので、見極めには有識者の意見を聞いたほうが無難でしょうね。

M県のN氏から、旧石ノ巻銭の鑑識ポイントについてアドバイスを頂きました。(ありがとうございます。)

1.王画の第4画は下から突き上げるように入り、王縦画(第2画)のところで中折れし、以降は水平に伸びて尓と連なります。
  不知銭長郭手連玉寶は王と尓は連なっていてもこの特徴がありません。

2.天上と背當上が卵型に刔輪されています。しかも面背とも向かって右側の方が多く削られる傾向を持っています。

3.輪幅が向かって左側が幅広になる傾向があります。(なっていないにしても左右が同じくらいの幅)
  この傾向は面背ともに現れます。

4.背當の第1、2画が長く、第3画だけが短くなります。不知銭長郭手連玉寶は背當の第1~3画全てが短くなります。
 
覆輪刔輪反玉寶瑕寶(鋳放銭)       【評価 珍】
石ノ巻反玉寶と言えば鋳放の覆輪銭というイメージが私にはあります。寶王画の上部にも加刀があり、これは代表的な石ノ巻銭の風貌です。

(平成14年銀座コインオークションカタログより)

※私見ながら何品か石ノ巻銭を拝見するに及んで、同品は明治期の民間作である感を深くしています。これは、同銭の肌が浄法寺の仕上げ銭の肌に似ているとある大家からの言を聞き及んだこと、また、金質がかなり真鍮質で純粋な江戸期のものとは考えがたいからです。今後の研究によってはあるいはかなり時代が下がるかもしれません。
覆輪刔輪反玉寶(鋳放銭)     【評価 珍】
かなりの重量銭・大型銭であり、評価が高い理由がわかります。
こちらは寶玉上部に加刀がないタイプです。不知長郭手と考えれば納得のゆくつくりです。
大正のはじめに昌古堂こと木村昌二氏が東北地方で挿しで入手してきたものと言われ、ざらざらしたアバタ面の鋳放未仕上げですけど、これが正統派。発見当初は人気がなかったそうですけど、その後に再評価されたようです。
平成25年2月の収集誌に出品された品。名品と言われる反玉寶の鋳放銭ながら15万円以下で落札。これが現在の市場評価と思い、ランキングを下げました。
長径50.1㎜ 短径33.4㎜ 銭文径40.5㎜ 重量25.7g

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
反玉寶仕立て銭(細縁)
長径48.3㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量20.5g

この風貌を見て石ノ巻銭と判断できる人はすごいと思います。大元の所有者は秋田のM師なので間違いはありません。仕立てるとこんなに平凡な顔になるのだ・・・と改めて思った次第。特徴は面の反玉もさることながら、背の刔輪・・・とくに當上右側の刔輪が見どころです。

反玉寶はやや青みを帯びた銅質のものが多く、このように赤みを帯びたものはあまり記憶にありません。仕立て前の顔と違いすぎますよね。
 
 
【仙台藩銭】
仙台銭については私は所蔵品がありません。非常に珍しい存在なのですが、最近はオークションなどにも少しずつ姿を見せはじめています。特徴はその鋳肌で、松葉でつつかれたようにぶつぶつと小さな穴が空きます。古寛永のように覆輪や刔輪の技法を使って鋳造したようで、濶縁長足寶傾向になるものが多いようです。参考に他文献からの引用をさせて頂きます。関係者の方、お許し下さい。
大濶縁とその鋳肌の拡大図      【評価 大珍】

仙台大濶縁は天保通寶の三種の神器と言われる大珍銭です。方泉處のこの写真は魚子肌(ななこはだ)と言われる仙台天保の特徴を良くとららえています。覆輪痕も生々しく残っています。

(季刊 方泉處1995年秋号(11号)より)
(平成17年銀座コインオークションカタログより)
覆輪広郭                 【評価 大珍】

寶足が少し長いくらいですが、鋳肌は仙台銭です。郭が反り返る癖があります。

(平成17年銀座コインオークションカタログより)
長足寶                  【評価 大珍】
これは大珍品。一回り大きく、長足寶の母銭ではないかとの説もあるそうです。天の第一画が太くなります。また、郭左側に突起があります。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)

長足寶小様               【評価 少】
覆輪後の刔輪で寶足が伸びているだけでなく、天の上画を太くしてごまかそうとしているのが笑えます。

平成20年の暑気払い古銭会において撮影した逸品です。
(天保仙人 所蔵)
  
  
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