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明和期俯永面背刔輪
制作作日記
2021年1月~12月31日分まで
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八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
東京駅地下1F「八重洲中央口改札」→八重洲地下街突き当り右「24番出口」へ →
→ 左側「銀座・京橋・中央通り」階段上がる(地上へ)→ しばらく歩き「久安橋」を渡る
→ 「久安橋」を渡ったすぐ右手にある「麺屋一(はじめ)」のビルの3階が会場です。
※八重洲中央口改札からほぼまっすぐ徒歩12~14分のイメージです。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目1-2 
    「八丁堀水澤ビル」3階 コンビニエンス・スタジオ「サムシン」

 
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貨幣そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局(副会長) 吉田守 ☎090-7839-4437
郵便振替00110-0-8563 日本貨幣協会 

※年会費は5000円だったと思います。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
       
古銭関係リンク
 
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2月26日【アテネのフクロウコイン研究】
収集から郵送物が届きました。あれれ、こんな時期に何かなと思ったら鳳凰山様からの贈り物でした。ありがとうございます。鳳凰山様といえば符号銭・皇朝銭・寛永銭といった穴銭専門のイメージでしたが、最近収集誌上にフクロウコインについて連載されていて・・・古代ギリシャコインにもはまってたと思い出しました。古代ギリシャの銀貨は手作り感がすごく、穴銭にも通じる・・・見方によってはそれ以上の味わいがあり、私に財力と文献を読む力さえあればぜひ集めたいジャンルでもありました。古さが桁違いですし、少なくとも家族受けは良さそうです。何を隠そう穴銭収集に行き詰りかけたとき瞬間的に私もギリシャ・ローマの打製金銀貨に手を出したこともあるのです。結局、HP制作にのめり込んだため2枚ほど購入した安い(それでも結構見栄えのあった少し時代の下がった)金貨などは売り飛ばしてしまいました。先に出た「愛銭家雑記が知命泉譜(壱)でどうやらこちらが(弐)のようです。この勢いなら(参)も出されるのではないかと・・・。それにしても実に収集の幅が広い。こんな美しいフクロウの二、三羽なら手元においても良いかなと思いませんか。
この書籍は書信館出版社から最新刊として発売されています。
知命泉譜・弐(外国貨幣の部)『アテネのフクロウコイン研究』余禄・古代インドコインのコインから
鳳凰山 神野良英 著 B5判80項/1980円(税込み:送料350円別)

知命泉譜・壱(日本古貨幣の部)『愛泉家雑記』ーこの深遠なる世界に一灯をー
鳳凰山 神野良英 著 B5判104項/2200円(税込み:送料350円別) もどうぞ!
お問い合わせ 042-484-5531 書信館出版株式会社
〒182-0026 東京都調布市小島町1-21-6 アジャンタ調布403号
 
大分貨幣研究会の祥雲斎様へ・・・
中国の湯曄暉様から・・・

「加治木洪武銭の祥雲斎様の研究資料を拝読しておりますが、勉強する過程でよく分からないことが多々あります。祥雲斎様のアドバイスを得ることができればと思っています。」

とのこと。ただ、湯曄暉様は日本語が苦手なので、メール(翻訳ソフトによる変換あり)が中心になってしまいます。可能であればご対応ください。雑銭掲示板にも近々書き込みがあると思います。(勝手ながら連絡先を先方にお伝えしてあります。) 
 
12月29日【幻足寛】
源氏名で有名な幻足寛です。それも極美の通用銭。自分で稼ぐようになって初めて買ったのが「幻足寛」と「島屋文」でした。幻足寛は美銭になかなか出会えなかったのですけど、四国のK様から大様の鋳放し銭(画像中:この品も謎!)を分譲頂いたり、変造品(画像下:後加工品)に引っかかったりといろいろありまして、思い出、失敗のある品です。これで4枚目なんですね。このクラスで重品を持つのは私としては極めて珍しいのです。
それもこれも源氏名の強烈な魔力だと思っています。もし、この名前が「座寛」とか「低寛」だったらこうも熱中しなかったかもしれません。この書体が好きなわけでもなく、名前が好きなんですね。何十年も前の初恋の「○子さん」が忘れられないのと一緒ですね。
今回この品を出品されたのは文源郷師・・・言わずと知れた寛永通寶の大家です。この品に我慢ができずに手を出してしまったの理由は、名前以外に「黄色くて大きかったから」なんですね。
いづみ会の穴銭入門新寛永の部に「銅色は赤いものが多い。黄色いものは前三者(幻足寛大字、小字、短寶)と同じ製作で母銭であろう。通用銭で黄色い品があるかどうか。」の記述が記憶に刷り込まれていたから。と、言うわけで禁を破って久々に大きなお買い物をしてしまいました。
さすがに文源郷師が母銭であることを見逃すはずはなく、初鋳の通用銭に間違いありません。なお、銅質は黄銅質・・・と言いたいのですけど茶褐色でした。
左側(変造品?:母銭として購入)はものすごくきれいな細字なので当初は文字の細さも加工されたものと思っていたのですが、並べてみると全く自然です。地の様子も酷似しています。つまり土台はとんでもなくきれいな通用銭の穿内にやすりを入れたものに間違いないようなのです。母銭として使用されたかどうかはわかりませんけど少なくとも正規の母銭とは言えないと思います。比較している鋳放銭も25㎜以上ありますが、こちらも通用銭です。内径値も通用銭サイズ(19.5㎜前後)ですから・・・。
 
12月28日【小菅クローン銭???】
和泉斎さんから日本・中国で収集した画像の数々が。なんだ小菅か・・・と思うことなかれ、分身の術を使ったのかすべてに同一の特徴があります。
同じ特徴の小菅銭が果たしてあるのか、それとも精巧なコピークローンなのか、私には見当がつきません。もともと大量に存在するものなので、近代的な金型コピー技術を駆使する価値はないと思いたいのですが、ちょっとぞっとしてしまいました。杞憂であってほしいです。 
 
12月24日【薩摩ァ~】
タイトルで絶叫してしまいましたが・・・、今月号の大和文庫の駿河を拝見して昨年の6月30日と7月8日に登場した天保通寶を見直すきっかけになりました。(11月25日も参考に・・・)
今月号の駿河にも薩摩本座広郭様と言うものがあります。(掲載画像一番下)この銭がどんな素性なのか、私には想像しかできませんが、これを見ているうちに関西のTさんから頂戴した不知品(上から3番目)が薩摩の新品種である可能性が高い気がしてきました。薩摩短尾通とはどう見ても合致しないのです。単なる鋳造変化とすることができなくなりました。ただし、ものすごく微差です。
さて、ここにずらりと並んだ天保通寶・・・皆様は見分けることが果たしてできるでしょうか?正直、私は自信がありません。

画像の一番上は比較用の①本座広郭母銭
母銭なので長径は50㎜を超えます。

その次が
②薩摩短尾通小字。 
はじめてこの天保銭に出会ったとき、本座広郭との差が見えず、衝撃を受けました。
辵頭が大きいため、通がわずかに幅広であること、保後点が立つ癖があること、銭文径が本座広郭より0.5㎜ぐらい大きいこと(41.8㎜:つまりわずかに文字が大きい)ぐらいしか差がありません。肥郭狭穿になる癖もあり、背郭が立派なのも特徴ですが、これは仕上げによって変化します。銅色は本座によく似ていますがやや淡い感じのものが多いと思います。
長径49.05㎜、短径32.5㎜、銭文径41.8㎜、重量20.0g

3番目は関西のTさんが不知品としたもの。
③薩摩の本座広郭様???。
薩摩短尾通小字と同じつくりですけど、書体の癖がほとんど見えない。銭文径が大きいのと背郭の雰囲気からかろうじて判別できるレベル。薩摩短尾通小字が鋳ざらいなどで変化したものなのかと思いましたが、これを見分けたTさんの目のすごさを感じます。長径49.6㎜、短径32.8㎜、銭文径41.6㎜、重量22.4gと記しています。

4番目は
④本座規格外厚肉銭としていたもの。
長径49.4㎜、短径33.1㎜、銭文径41.3㎜、
重量25.6gと記録していましたが新規に購入した国産の金属デジタルノギスで改めて計測すると
長径49.43㎜、
短径33.02㎜、銭文径41.64㎜・・・あらら、プラスチックノギス計測値とかなり違う。とくに銭文径は0.3㎜以上違う。これは困りました。画像を重ねると短尾通小字とほぼ重なるのでこの間違いに気が付きました。極印も本座にしては雰囲気が違うので、これは薩摩本座広郭様とした方が良いのかもしれません。銅質はほぼ本座と同じ。製作も同様です。しかし、本当に規格外なのです。

5番目は
⑤本座広郭異制としているもの。
もしやと思ったのですが再計測結果は長径49.26㎜、短径32.75㎜、銭文径41.25㎜、重量21.7gと本座広郭の範疇でした。明らかに濶縁肥字で、面背砥ぎ、砂磨きが強く背も広郭。背郭の立派さは薩摩広郭以上です。横から見ると仕上げが台形になります。でも本座。

最後が大和文庫の出品の
⑥薩摩本座広郭様。画像を拝借しました。
画像で見る限り本座にしか見えない品です。何を根拠に薩摩とするのかが分かりませんが興味津々です。⑥については原品を見ていないので何とも言えませんが、
薩摩天保には本座に酷似していてわずかに銭文径が大きいものが存在する可能性が私には否定できなくなりました。ただ、あまりにも似過ぎていて肉眼では分類が困難なのです。③④⑥に関して皆様の見解はいかに???私にはもうなんだかよく分かりません。

どなたか決定的な違いを指摘してくださいませんか?
贋金であっても本物と寸分違わなければそれはもはや本物でしかない・・・のか?今回は雑銭の中から出てきた不思議なものたちなので、収集界に与える影響はほとんどありませんが、ひょっとしたら今までの常識を覆す発見になるかもしれません。
 
12月9日【酒酔い応札の是非】
私はオークションより入札の方が好きだ。オークションは気が抜けないけど(抜いてますが)入札は一度応札しておけばほったらかしで良いから楽。私のネットオークション参加もだいたいそんなもので、終了間際で逆転されるのは悔しいけど、ギリギリまで応札せず入札を忘れる方が嫌なんですね。
と、いうわけで今回の入手品は収集誌から。A級品とまではいかないかもしれませんがB級+といったところです。
上段は分かりやすい不知長郭手覆輪です。出品名は覆輪濶縁。書体変化はほぼ見られません。穿内のやすりはべったり形で、やすり掛けがきついため極端な細郭になっています。特別に珍しいわけではありませんが、これぐらいはっきりした覆輪銭は最近はなかなか得られません。
長径48.63㎜、短径32.12㎜、銭文径41.03㎜、重量20.3g

下段は輪が細いもののやはり覆輪銭です。ただし、覆輪と名付けるのは厳しいかなあ。銘名は長郭手三角高頭通。だいたい天保通寶のマ通頭は三角形なのですけどね・・・マの横引きの中央がわずかに盛り上がっているのですけど、個人的には背當の刔輪に目を奪われました。明らかな當上刔輪です。長郭手高頭通背當上刔輪でしょうね。不知天保通寶分類譜にも三角高頭通が掲載されていますが當上がやや強く刔輪されています。極印はこじんまりしているけどやや変わった形。会津を小さくしたような、福岡離郭のようなあいのこ形。
上段の濶縁と長径と短径の差はわずか・・・なのに銭文径はさらに小さい。不思議ですね。文字が細いからかなあ。
長径48.44㎜、短径32.02㎜、銭文径40.60㎜、重量22.5g

さて、次なる問題はその落札価格。落札通知ハガキを見て、思わず女房に見られないように隠しました。なんでこんな価格付けたんだろう・・・絶対お酒の勢いに違いないですね。ネットオークションではよくあることですけどねぇ。まあ、いいか。
 
12月3日【摩耗・スタリキ?!】
一番上の品は四国のK様から参考品としてお送りいただいた品で、重量10gと表示がありましたが我が家の重量計は9.8gを示しています。手にした瞬間に「薄っぺらさ」を感じますね。このような薄っぺらな天保銭を皆様は一度は見たことがありませんか?
長径48.48㎜、短径31.4㎜、銭文径41.79㎜と、銭文径は細字なのに伸び気味です。また、摩耗している割に文字は細い・・・これは熱と腐食・・・いわゆるスタリキ・・・による変形とみるのが自然です。側面には極印の痕跡のようなものがあります。厚みは1.74㎜しかありません。

中央の品は今年の2月にも登場しましたが、贋作と判断したもの。面はどうみても不知銭なんですけど背は本座そのもの。面だけ見たら不知の焼けて状態の悪いものと考えても良いのですが、ひとめ背とのバランスが悪すぎます。長径47.9㎜、短径31.0㎜、銭文径41.7㎜、重量15.6g、肉厚は2㎜を切ります。スタリキと言うより人為的摩耗+加工かもしれません。こんな製作なのに側面はきちんと砥石仕上げ・・・ますます怪しいですね。

一番下は南部銅山手・・・ただし、重量は11.7gしかありません。長径47.2㎜、短径31.1㎜、銭文径40.9㎜。こんなに薄っぺらなのに整然とした砂目もあります。旧、所蔵者は暴々鶏師で「南部當百銭の謎」の原品。金質、砂目の違いから師はこれを密鋳系の品ではないかと推定されていました。
一方で文字は大きいし、製作や極印が割としっかりしていることから天保仙人様はこれは本炉の末鋳であると判断されています。いずれにしても収集家を狙った贋作系のものではないことはたしかなようで、目下のところ私所有の天保銭中最も軽量なものであることは間違いないところです。

一番下の寛永通寶を見てください。暴々鶏師がこう申していたと記憶しています。この手の背盛銭(仰寶?)は反玉手と言うそうで、K先輩から貴重なものだと言われてものすごく良い値段で購入するように勧められたとか。特徴はやや白銅質の色と地肌の砂目・・・よく見ると仙台寛永に似ていると思いませんか?
そしてその上の銅山手・・・実はこれでも銭文径は初鋳のものより一回り小さいのです。銅山手にはやや白銅質で銭文径が小さく、製作がやや劣る一群が存在します。特別に少ないものではないと思いますので、お手持ちの品をご確認ください。
これ反玉手の銅山手の類だと思います。


 
不知長郭手異極印
長径48.70㎜ 短径32.54㎜ 
銭文径41.30㎜ 重量20.2g
 
秋田小様
長径47.12㎜ 短径31.71㎜ 銭文径39.63㎜ 重量18.3g
11月28日【久々の天保通寶】
ここのところご無沙汰だった天保通寶を久々に入手。特別な品ではありませんが、私にとっては精神的に刺激を受け、非常に癒されます。古銭的リハビリですね。
1枚目の不知長郭手異極印は、覆輪刔輪銭に間違いないと思うのですがいずれも微のレベル。微覆輪微刔輪微長足寶・・・中郭があるなら中足寶があっても良いのじゃないかしらなんてぼやいています。異極印といっても破損があり、それほど強い特徴があるとは言い難い。でも、鋳写しでは寂しすぎます。こういう中途半端なB級品が一丸始末に負えない。ぎりぎり覆輪は名乗っても問題ないかなあ・・・どうでしょうか?
2枚目は有名な秋田小様。これは銀座コインオークションで4万円以下で落ちた品。10%の手数料を加え、さらに書留送料を加えようやく4万円を数百円超えました。状態が悪いわけでもありません。それにしても伸び悩みました。私も4万円しないで買えたらいいなあ・・・ぐらいで応札していました。いわゆる記念応札なんです。
参考に他の出品物の落札価格を覗いてみたら・・・仙台雉狩銀銭大永30万円?、折二様26.8㎜155000円??、本座長郭母銭210000円???、本座細郭母銭240000円????・・・私は夢を見ているのでしょうか?落札したの秋田小様はエアポケットに落ちたような状態で、文字通り桁違いの安さに見えます。
秋田小様のステータスは小ささにあり、今回の品はデジタルノギスで計測すると47㎜をわずかに超えます。秋田小様にしては輪幅が立派なのが皮肉にも邪魔をしたのかしら。また、実物の発色がやや赤みが少なく、下見をした皆さんが(ひょっとしたら土佐、もしかして久留米なんて)疑心暗鬼になったのではないかしら。さらに穴銭の最終盤の登場で、皆さんお金を使い果たしていたのかもしれません。極印も銅質も製作も秋田に間違いなしなので儲かったといって良いのでしょうか。それにしても異常な落札価格の数々・・・オークション的には大成功でしょうけど、参加される方はもう少し古銭を勉強して冷静になっていただきたいなあ・・・と思います。(それとも私は何かを見落としているのかしら?)
 
11月20日【ある女性収集家の掘り出し】
男性と女性の脳の機能には性差が激しくあると私は思っています。早く言えば男性は大雑把、女性は繊細。それだけを見れば女性の脳の方が優秀なのですけど、男性はそれを補う想像力を身に付けました。
だから男性は地図を読むことが上手で、女性は苦手なのです。
さて、古銭の世界と言うと、これはもう空想力の世界なんですね。古銭なんて薄汚い金属の破片にすぎないのですけど、男性はそこに価値を見出し収集することができます。あまり有益な行為ではないことに男性は執着できる変な生き物なんです。一方、女性は「美しいもの」「高価なもの」・・・つまり、「現実的に有益なもの」への興味の方が強く出ます。
さて、このHPを主宰していて、過去に何人かの女性コレクターからご連絡をいただきましたが、たいていが「いくらしますか」で終わってしまうことが多いのです。一方男性はいくらという側面もそうですけど、だれも持っていないとか、この価値に私だけが気が付いたことを大切にします。そのことを家族に自慢しているあなた…変です。
今回、掲示した「島屋直寶」2枚と「幻足寛」はその珍しい若い女性コレクターが掘り出した・・・厳密に言うとその方の師匠格の先輩の購入した雑銭の山から掘り出した・・・珍品です。宝の鉱脈にぶち当たったようなのです。さらに島屋文のケーキまでつくったとは驚き!これは男性にはできない芸当で、なかなかツボを突いてくるなあ。おじさんも参ってしまいます。事前に約束していたようで、掘り出した幻足寛と島屋直寶1枚をそれぞれ200円で分譲してもらったとか。先輩も鼻の下が伸びていますね。Sさん、女性の武器を使いまくって先輩を手玉に取っていませんか?
しかし・・・すさまじいまでの泉運です。女性コレクター出現を古銭の神様が歓迎しています。 
このケーキの模様…どうやって描いたのでしょうか?よく考えるとすごい技術です。3Dプリンター?まさかねぇ。この凝り方・・・ただものではありません。

銀座コインオークションが終了しました。記念応札していた秋田小様が落ちていました。ほぼ4万円でした。

ところで・・・散策先をグーグルマップに投稿しまくっていたら、いつの間にかレベル8、被閲覧回数300万回超のスーパーローカルガイドになっていました。1日最高で30㎞以上、週50㎞以上目標で歩いていた時期もあったのでコロナの最中に少なくとも500~600㎞は歩いています。でも全然痩せないのが不思議だ。

 
11月18日【投稿2題】
軽い捻挫をした左足首のまま歩いていたら悪化させてしまい、腰痛、右肩痛など全身に伝播・・・お年寄りです。寒くなって猫が布団の上下に潜り込み、不自然な寝姿も影響しているようで・・・克服しつつあった猫アレルギーも首を抬げそうです。(もたげる=抬頭永の抬です。)
さて、そんな苦しい私に関西のSさんと中国の和泉斎さんから癒しの画像が届きました。

①不知細郭手覆輪異極印(花桐極印)
私のHPに覆輪断足寶異極印として掲載しているものと同じ系統で、明確な花桐極印銭です。立派な濶縁ぶりに仙台大濶縁を夢見たとのことですけど、なるほど覆輪銭としてもかなり立派な作りです。
長径49.65㎜ 短径33.43㎜ 文字径40.95㎜ 重量20.35㎜
暴々鶏師の研究では花桐極印銭の原型の可能性のある(と、私が考えている)縦長桐極印銭は明治初期に盛岡領内で散見されるとあります。覆輪技法と言い天第一画がわずかに削られる癖と言い、また寶下部がわずかに削輪される点と言い仙台銭に通じる点があるかもしれません。仙台大濶縁にはいろいろと噂がありますが、これあたりが仙台大濶縁につながるものではないかと夢見るS様のお考え(夢?)・・・案外当たっているかもしれません。

②小菅手縮字
文久永寶鋳造前の稟議銭と言われるもので、絶対の珍品です。私には鑑定などできるはずのない品ですけど、この肉厚ぶり、側面や郭内の仕上げ、練れの良い銅質、強いテーパーなどいかにも特別な品と言う雰囲気に思えます。
書体は小菅とほぼ同じなので、埋没気味の品ですが皆様いかがでしょうか?
重量4.02g 直径24.5mm 厚さ1.38mm 
 
11月10日【古寛永十五鋳地+3】
関東のAさんから、八厘会で発表した資料を頂戴しました。天保通寶で頭がいっぱいの人たちにとって、古寛永は難しかったかもしれません。天保仙人様は古銭は書体の違いでなく、製作(と歴史的背景)を見なさい・・・と良くご指導されていますが、古寛永は製作に加え書体の微妙な癖を見抜くことが重要で、これが分かるまで泉譜をぼろぼろになるまで眺める作業(修行)と基本銭の美銭を入手してじっくり見る作業が必要になります。拓本は白黒のシルエットなので、書体の違いを観察するのには最適なんです。一方、製作の違いはあまり見えないので、この拓本の品々が美銭・一流品ぞろいであることについてはなかなか気がつかないと思います。例えば「初期不知銭異寛小永」は祥雲齋師曰く「ここまで造りの良く大きなものは戦前の資料でも見たことがない。母銭なら納得がゆく。」とまで言わしめた品だそうで、ひょっとして母銭、少なくとも母銭クラスの美銭なんだそうです。周囲の品々があまりに立派なので埋没しぎみ。かく語る私自身も、Aさんからのメールを拝見するまで気が付きませんでしたので・・・。実は周囲の品のほとんどは「小川青寶樓が愛した品々」で、なるほど背郭が立派なところから母銭と思しき大ぶりな銭ばかりです。古寛永はこのような品(ここまでのものは難しいですけど)を基本銭として揃えるところから始めるのが近道です。昔は古寛永十五鋳地セットが古銭店で良く売られていましたが、今は見かけることもほとんどありません。ですから自分で作ってみてください。基本銭と言えるものは15以上ありますので細かい点にこだわらずコツコツ美銭を集めるのが良いでしょう。はじめは5000円以内で買えるものを古銭店で買うのが良いと思いますよ。

かえる仙人さんが雑銭掲示板に掲示した品物は、水戸退点永のようです。失礼しました。この品物は是非貨幣協会の例会で展示品として見たいと、Aさんが仰っていました。
初期不知銭 狭穿  初期不知銭 異寛小永
古寛永の初期につくられたと推定されている珍銭の一群。このうち狭穿が一番入手しやすいものの、それでも少ないものです。
志津麿大字(同平永)・狭穿(同大字)・異寛小永・寶連輪(同大字)・魚尾寶・二水永マ頭通
 
水戸二水永 (正三刮去) ①長門銭  異永
佐藤新助が1625年に願い出て鋳造開始したといわれるもの。背の三は寛永3年を現すとも水戸のミを現すとも言われています。二水永寛永は古寛永収集をする者なら1枚は持ちたい品です。
背三(同刮去)・背星(同刮去)・濶縁・短寶・長字
萩藩で鋳造されたことはほぼ確定。白銅質で背が深く鋳ざらいによって独特の形状になります。製作により分類する典型的な古寛永です。異永は書体が独特で人気抜群です。また、手本銭と呼ばれる大型の未使用銭(未仕上げ母銭?)が伝来しています。
異永・奇永・麗書・裕字・勁文・星文様・正字様・俯永様・太細様・広永様
 
②水戸銭  長永 ③御蔵銭  正字
遺跡発掘例のある長永の類を除き、一般的には「称水戸銭」と呼ばれています。黄褐色系の雑多な類をまとめて水戸とする風習は古銭界では昔からあるようで、書体、風貌も製作もバラバラです。
長永(長永手)・仰永・浮永・流永
背星(同刮去)・星文手
正字・狭足寛・宏足寛・大目寛・勁永・短足寶・放永・広永
力永・湾柱永・勇文
 
浅草鋳は間違いないと思われます。文字は深彫で加刀が激しく同じものがないと言われるほど変化します。背郭が細くなる癖があります。書体系統分類はありますが、中間体も多く、あまりこだわらない方が良いかもしれません。
大字・正字・跳永・大永・大寛・長尾寛・小永・縮寛・小字・小永・長永
④芝銭   二草点 ⑤坂本銭  跳永
大量生産された銭で書体大きく、永字は横広で均整がとれています。銅色は黄褐色が主体。接郭は刔輪技法が使用されていますので仙台にされた時期がありました。江戸大火により浅草に移転して鋳造継続されたと私は推定しています。
二草点・四草点・不草点・細字・接郭
記録上では寛永3年には鋳造が始まっていたとされ、背星が坂本ではないかとの噂もあります。永の払いが跳ねる癖、通頭に爪がある癖がありますが、ほとんど癖のない高頭通と言う類もあり、古寛永の鑑定でいつも悩まされます。
跳永(同大濶縁)・不跳永・正永・高頭通
 
⑥仙台銭  大永 ⑦吉田銭  狭永
奉納された額にある寛永通寶の書体から仙台鋳とされてます。通用銭は黄銅質もありますが白銅質のものが主体。覆輪、刔輪の技法を用いているものはこの類とされています。大ぶりの拓本が並ぶ中で、この大永の拓本は巨大ですね。
大永・跛寶・正字手(同三大点)・寛字(同五大点)・濶字・濶字手
 
三河の吉田で鋳造されたとされます。書体変化はあまりありませんが、狭永の見分けが大変です。
狭永・狭永小字・広永
⑧松本銭  太細 ⑨高田銭  肥永
文字が端正で余白が多い書体。永柱が太くなる癖をもって太細とされていますが、「斜寶」が松本で鋳造されたのではないかと推定されており、松本の名を使いづらくなっています。
太細(同太細小字・同長寶)・幺永・歪永
 
永ノが反り気味に高い位置から打ち込まれる癖がある一群。背地の形成に癖があるようです。
肥永(同小字・同降寶)・笹手永・笹手永手(同仰頭通・同退寛・同長寶)・縮通
 
⑩岡山銭  長嘯子(破寛) ⑪竹田銭  斜寶
水戸銭と並び、雑多なものが集められた感があります。文字は中字~小字で製作は端正ながら細かい変化が多く分類が大変です。
長嘯子(同長嘯子手)・良恕(同良恕手)・俯頭永・俯永(同俯永手)・婉文・進永・短尾寛・小字・縮字
 
松本鋳造と確定しかけたこともありますが、竹田銭の名前があまりに定着してしまっています。書風はひとつ。慣れればすぐわかります。
斜寶(同縮寶・同高寛)
⑫井之宮銭 縮寛 ⑬建仁寺銭 大字
寛の文字が他の文字に比べて縮む癖があります。また、背郭が反る癖があります。寛の文字が他の文字に比べて縮む癖があります。また、背郭が反る癖があります。ただ、この書体の古寛永は岡山の銭座遺跡で発掘され、出土した記録があります。
縮寛(同濶縁)・長通(長永)
建仁寺で鋳銭されたらしき記録の断片はありますが、この銭はあまりに存在が多い。長崎鋳造の噂もあり、いづみ会ではその説を採用しています。文字は独特で基本書体は2種しかありません。母銭は26㎜を超えるものが時々出現し、拓本がそうではないかと・・・。
大字・小字
 
⑭沓谷銭  大字 ⑮鳥越銭  高寛
沓谷銭(駿河)で名前が定着してしまっていますが、量的な存在、芝銭との製作類似から鳥越(江戸浅草)鋳造でほぼ間違いないと思われます。黄褐色で二草点にそっくりな風貌ですけど、通用が細長い癖で分類できます。
大字・小字
消去法でこちらは駿河国で鋳造されたと推定されていますが、名称は鳥越銭で定着してしまっているからややこしい。通頭がぺちゃんこなのですぐわかります。こちらも非常に存在量の多い古寛永です。
高寛・低寛
 
11月8日【モトさんの選り出し】
大きさも書いてないし、側面も示していないので正解が出なかったのは無理がなかったかもしれません。
大きさは外径28.02㎜、面内径21.24㎜、背内径21.61㎜、重量4.5g、肉厚1.17㎜(モトさん情報)
書体は俯永・・・これは簡単です。そして母銭これも分かります。
銅色は文政期の色・・・じゃあ、文政俯永の銅母銭なら簡単ですから問題にはなりませんね。(明和期の母銭はは黄白色~白銅色)
側面の仕上げはロクロ仕上げ、かつ郭内にもきっちりやすりみたいです。
そう、明和期と文政期の母銭仕上げは縦やすり・・・となると残る候補は・・・
①万延期俯永の母銭 ②安政期俯永の母銭
万延期俯永の母銭は29㎜ほどと巨大で濶縁なんです。背を見るとすっきりしていてこの品の径が大きくないことが雰囲気で分かりますけど、なかなか気が付かない。新寛永拓影銭集には万延期俯永明和期俯永に範をとり、破損を考えて大きくしているとか、稀に径30㎜のものがあるとか・・・。新寛永通寶図会では銅色は紫褐色だとか・・・まあ、銅色は微妙ですけど。
と、言うわけでこれは
②安政期俯永の母銭ということ。図会評価では未見の品になっています。
これについてはモトさんに説明したAさんの言葉が一番説得力があります。
Aさん曰く・・・安政期母銭は2種類あり、文政期母銭を加工して仕上げたものと、安政期用に新規鋳造したもの。文政期母銭との違いは、銅色、銅質と仕上げ。
今回の品は安政期用に鋳造し直したものなので、文政期の母銭とは銅色が異なり、硬い銅質になります。・・・とか。硬いかどうかは画像だけじゃ分からないですよね。どこぞの市長が金メダルかじって話題になりましたが、皆様くれぐれも赤い母銭をかじらないように。
できればAさん、追加説明願います。私は母銭はよく分からないのでいっぱいいっぱいです。そもそも安政期の母銭に2種類あるなんて誰も知らないですよ。

ところで「かえる仙人さん」の投稿画像は不思議ですね。左は(巨大に見えますが)明和期の俯永だとして、真ん中は水戸長尾寛背ト刮去かしら。銀色ですけど白銅母?それとも銀銭?右は磨かれちゃったのか真鍮銭に見えてしまう。
これを見て思い出したのはボナンザ1980年1月号の表紙。(2007年8月26日の制作日記に記事あります。)北海道の刀禰武夫氏が水戸の銀虎銭、唐金虎銭、狭永銀母銭、長尾寛背ト錫母銭、逆ト唐金母銭、背ト砂鉄銭を紹介していますけど、みんな刀の刃のような色。唐金銭と言っても白銅色です。
あれは何だったんでしょうか?そしてかえる仙人さんの中央の品・・・地肌が工芸品みたいで職人技です。飾り職人のO氏の存在も気になるところですが、このつくり刀禰氏の狭永とそっくりな雰囲気。Aさん、教えてください。

※刀禰さんと仰る方、かつて北海道でお会いしています。ご関係者でしょうか?明和期離用通面刔輪背背削波の見事な母銭を見せていただいた記憶がございます。(2012年4月26日の制作日記参照)
 
11月6日【日荷堂】
ネットオークションできれいな日荷堂の上棟銭があったので衝動買い。この手の上棟銭で有名なのは諏訪大社の上棟銭で文政年間(1820年代)の春宮の上棟銭を皮切りに秋宮、鳥居、上石鳥居の4種が存在しますが、諏訪神社自体は全国各地に分社が存在しますので、類似の上棟銭が作られた可能性は否定できません。諏訪大社は4つの社殿が分散して存在しており、上社として本宮と前宮が、下社に春宮と秋宮があるそうです。上鳥居は本宮の一の鳥居、二の鳥居の、上石鳥居は三の鳥居の上棟銭でかかわった人物名(鮎沢弥三郎)まで判明しています。ちなみに貨幣カタログに掲載されている「春宮華表」は下社の鳥居を意味するのですけど、諏訪古泉クラブ様の調査では該当する建造物がないため、「本宮華表」がどうやら正しいようです。

日荷堂刻印銭は明治43年10月10日に、上野戦争で焼失した延寿寺の日荷堂の上棟式の時にまかれたもの。これについては貨幣誌に記事が掲載されています。(私は復刻版で拝見しました。)
一文銭は一般参賀のお客様に上棟式の際にまかれたもので1000枚以上つくられたとか。鍍銀4文銭は来賓用に50枚限定で配布されたもの。包み紙のタトゥは超希少品で、私は見たことがありません。日荷堂の刻印銭は日本貨幣カタログに掲載されているので広く知られることになりましたが存在は希少。たくさん存在する玉塚天保が市場価格1万円以上なら10万円したっておかしくないのですけどそんな奇跡は起きませんね。とくに4文銭は自分の所有品以外は見たことがありません。

さて、最後の品は方泉處原品の文久様の正字手。最近、安政期銭などを話題にしていましたので久々に引っ張り出してきました。内径は小さく直径26.8㎜、重量4.4g。帯白銅質で外周はロクロ仕上げ、郭内はきっちりとしたやすり仕上げ。加刀されていなければ安政期との区別は難しいかも。
 
10月29日【安政期小字真鍮銭】
4文銭のうち安政期銭は小字(背削輪)を除いてみんな珍銭です。その安政期小字とてなかなか少ないもので、なかには背濶縁だとか(背強刔輪)一直波だとかマイナーながら珍銭がぽつぽつあります。あまりにマニアックすぎて私も(背再削輪)一直波を除いてあまり重要視していませんでしたが、よ~く観察するとその微妙な違いが見えてくる・・・はずなのです。
画像上段は安政期小字の真鍮銭と呼ばれるもの。色は明和期銭とよく似ていますが、わずかに淡い感じ。安政期銭は黒っぽい発色のものが多いのですけど、稀にこのように黄色く発色したものが見られます。
明和期銭が黄色いのは金属配合が銅68%、亜鉛24%、その他8%だったからで、一般的に亜鉛が20%以上の銅亜鉛合金を「真鍮」と呼びます。文政期銭は銅75%、亜鉛15%、その他10%の「丹銅」と呼ばれ.るもの。丹は赤を意味しますのでいわゆる赤銅銭になります。安政期銭の配合に関する資料は見当たらないのですけど、丹銅に近い真鍮であったのではないかと推定はしていますが確証はありません。真鍮の材料の亜鉛は当時輸入金属材料であり、かつ、鋳造上の取り扱いが非常に難しかったため、安政期銭は亜鉛の含有量をさらに落としてその分扱いやすい錫を増やしていたのかもしれません。
安政期と明和期を並べてみると、側面の仕上げが違うことはよく分かります。安政期は角が立つような回転式のロクロ仕上げ。(角棒に挿した状態で回転させた。)一方明和期は平滑な砥石仕上げ(多くはかまぼこ状に丸みを帯びます。)で、砥ぎの方向が縦方向(角棒に挿した状態で上下に動かしながら砥石をあてた)なので、多くは平滑なのですが稀に縦方向の荒仕上の筋が観察できることがあります。(文政期も明和期と同じ仕上げ。)
2枚を比べると、明和期の方が明らかに文字が大きく、安政期の方が濶縁縮字なのがお分かりになると思いますが、さらにマニアな方は背の波が微妙に異なるのに気が付くかもしれません。
一番下の波が描く空間は、安政期の方が明和期より大きいのです。
安政期小字の一般的なものは、明和期の覆輪背削輪なんですね。これが肉眼で見えるようになれば大したものです。安政期は意外に宝の山なんですけど、見分けるのが至難の業で、そこまで細分類しても皆ついていけない・・・と言うのが本当のところでしょうか。

35年前、関東のAさんはウブという触れ込みで骨董商から4000枚の寛永一文銭を購入したそうで、その結果は見事外れ・・・というか、すでに選った後のかす銭だったそうで・・・普通なら怒り心頭でここで放り投げ出すところなんですけど、さらに業者の勧める四文銭4000枚を追加購入。毒食らわば皿まで?反省がない?
若さの勢いですね。これでだめなら業者に叩き返して付き合いやめる覚悟だったとか。ヘタレの私には絶対できないことです。
その結果、出るは出るは万延期俯永母銭、安政期俯永、踏潰7枚、江刺20枚、文政期銭などは全種類が出てきたそうで、もううはうはほくほくです。鳴いたカラスがもう笑った。
明和期約2900枚、文政期約1000枚、安政期約30枚、密鋳銭約70枚と言うのが内訳。密鋳銭の割合が少し多いと思いますが、他は一般流通の割合に近いと思います。かくして、Aさんは古銭収集決別の危機から、古銭中毒へどっぷりはまったそうで・・・めでたしめでたし・・・かな?
安政期は四文銭全体の5%もないと思います。その中で黄色く発色したものはおそらく未使用クラスのものばかりでしょうからさらに少ないはずです。一度黒くなってしまったものは磨いても容易に元の色にならないと思います。安政期の地金の色はどちらかと言えばやや赤みを帯びている気がするのです。
古銭書の評価だと安政期小字真鍮銭は1~2万円ぐらいつけられているかもしれませんが、数は少なくても集めている人が極めて少ないので実勢相場はせいぜい5000円ぐらいでしょうか。安政期はまだまで探求が必要ですね。
 
安政期小字(背削輪)真鍮銭 
明和期小字 
 
10月28日
【よりどりみどりHさん劇場9】
Hさんの収集熱が止まらないですね。まずは本座細郭母銭3枚から。私は母銭コレクターではないので母銭はついでに集める程度。本座の母銭は広郭を1枚持っているだけなんです。細郭や長郭の母銭を入手する機会は何度もありましたが、経済的な原因で心が動かなかった。金持ち喧嘩せずと言いたいところなんですけど。
細郭は広郭の前にできたというのが通説です。広郭と細郭は書体が同じなので銭文径は同じ・・・と言いたいのですが、実は銭文径はわずかながら細郭の方が大きい傾向にあると聞いたことがあります。広郭の錫母は細郭の錫母に嵌郭をして作成した可能性があるからで、錫の縮小率はごくわずかであるものの母銭の銭文径は細郭の方が微妙に大きいとか・・・。ただ、通用銭レベルでは分からない。まあ、これは聞いた話であって、タイムマシンに乗ってその場面を見たわけではないのですが・・・。
一番上の未使用感たっぷりの母銭はHさんが初めて入手した細郭の母銭です。墨書きの五九の管理番号らしきものが目につきます。実はこういった鋳肌の未使用銭を私は本能的に回避する癖があります。理由はこの鋳肌の系統に贋作品が良く紛れ込んでいるからで、文久様とか水戸のとある銭種とか、そういえば加賀千代の大錯笵などもこんな鋳肌だったと思います。
ただ、計測値(長径49.93㎜、短径33.37㎜、銭文径41.7㎜、重量22.33g)については全く問題なし。よってこれは問題ない品であると感じます。文字は極細ですので、砥ぎが強くなるともう少し銭文径が大きくなるかもしれません。
この品はネットで入手されたとのこと。
2枚目、3枚目はいかにも母銭と言った雰囲気です。とくに3枚目はうぶな肌も観察できるし、完全に未使用の母銭の顔をしています。素性も素晴らしく秋田の故、村上師の旧蔵品とのこと。
長径50.13㎜、短径33.26㎜、銭文径42.0㎜、重量21.33g
長径50.08㎜、短径33.33㎜、銭文径41.7㎜、重量21.93g

2枚目はよく見かけるタイプの使用母で、彫が深く銭文径が大きいように感じられますがこれは雰囲気と文字の太さの差でしょうね。1枚目と3枚目はほぼ同じ規格で、画像ではほぼぴったり重なります。

4枚目は銭文径が小さい2度写しの覆輪銭とのこと。銭文径は40㎜なので確かに小さい。そしてざらざら肌の覆輪銭。書体変化はないもののこれはなかなか楽しい品ですね。
長径48.7㎜、短径32.78㎜、銭文径40.0㎜、重量19.00g

5枚目は不思議な品。細縁で不正輪で天上の離輪(刔輪)が強く、郭が細くて明らかに広穿です。ところが計測値が以下のようになっています。
長径49.05㎜、短径31.61㎜、銭文径41.7㎜、重量16.18g
長径と銭文径は本座、短径と重量は異常値。なんだこりゃ。
私は基本的に銭文径はうそをつかないと思っているのですが、さすがにこれは普通じゃないですね。穿が広がっているのがいかなる原理かわかりませんが、不知とすべきだと思います。少なくとも改造がなされています。

6枚目はHさんいわく本座。サイズなどの規格から私もそう思います。
ただ、天上の鋳だまりの処理をしようとしたらしき雰囲気があって面白いとのこと。横引きが変形してますし、左先端に削ったような痕跡があります。兄弟が出てくれば面白いですけど・・・母銭由来じゃないかもしれません。参考まで。
Hさん、こんな細部まで興味を持たれているようで感心します。古銭にたくさん見て触れているとそのうち古銭の方から自分に語りかけてくれるなんてロマンを語ってくれる先輩がおりますが、それはもしかすると幻聴なのかもしれません。Hさん、天保銭病が確実に進行しているようです。お大事に・・・。
 
10月17日【安政期俯永様の密鋳銭】
安政期の當四文銭は小字はたやすく入手できるものの、それ以外の書体は入手はおろか見ることも難しい品々ばかり。安政期俯永は頑張れば入手ができる・・・筈なんですけど、これとて市場に出てくることは稀で、5万円以上を覚悟しないと入手もできません。ところで、安政期銭の定義って何だろうというと、意外にあいまいだったりします。とくに文久様との差がさほど分かっているようで分かっていません。実物を見てもどうしてこれが文久銭のようなの?????・・・と言う感じで、私に言わせれば「安政期様不知銭」なのです。
ここで安政期當四文銭についておさらいをすると・・・
①銅質は固い感じで銅色は黒茶褐色~青みを帯びた淡黄色。
②輪側面はロクロ仕上げで、線条痕が残ります。
③側面は平らに仕上げられで角が立ちます。
④穿内は角仕上げがあり、穿全体にやすり掛けが見られるようです。

なんだ、簡単じゃないかと思われるかもしれませんが、文政期のような銅質なのに安政期としてお店で売られているものがあったり、文久様との差別化が今一つ難しかったり、最終判断に迷うものがあったりもします。その典型例の2枚。
画像上の銅色はまあまあ合格。側面は和やすりの大きな目跡が若干気になりますが、指で触れた感じでは角が立ち平ら。穿内は角は比較的きれいに処理されていますが、べったりやすりではありません。これが気になります。総合力であと一歩。
下段も同じような雰囲気ですけど、平らに仕上げられた側面はさらに砥石の磨きが入っているようにも感じます。摩耗なのかもしれません。こちらも穿内の処理に違和感を覚えます。
と、言うわけでいずれも安政期にはしないで安政期様ということにしてあります。改めてアルバムから出して眺めると、安政期でも良いかもなんて気持ちになります。問題は穿の仕上げ・・・いずれも背側からやすりが入れられて安政期とするには軽く仕上げられている雰囲気なのです。
安政期俯永と認定されれば4~5万円ぐらいの価値になると思うのですけど、安政期俯永様の密鋳銭と言うことになればせいぜい1~2万円と言うところでしょうか。だから迷う。本当はもっと評価されてもしかるべきなのですけど、この判断、皆さんはどうお考えになりますか?また、価値については?そもそもこれは密鋳銭でよろしいんですよね?文久様じゃないですよね。 
 
10月15日【暴々鶏師の研究活動】
これについては早坂昇龍氏のHPをご参考に!こんなものもあるんですね。
古貨幣迷宮事件簿 
 
 
10月7日【正字背文白銅最大様母銭】
外径25.95㎜、内径20.9㎜、背内径18.85㎜、肉厚1.40㎜と言うお化けサイズの文銭で、しかも白銅質の美銭とのこと。持ち主は関東のAさんで今年一番の掘り出し物とのこと。このサイズの文銭はおそらく日本に10枚はありません・・・とは祥雲斎師の評価。これはすごい!うらやましいですね。

※この手の大型銭の画像はかつて九州の河谷師が送ってくださり、おたずねもの集に画像を掲載しています。大分貨幣研究会様の報告で、師は先日お亡くなりになられたそうです。寛永通寶をこよなく愛する方で、私のHPにも九州のKさんのお名前でたびたび登場して研究公開されておりました。(合掌)

中字背文大様母銭
外径25.7~8㎜ 内径20.6㎜
重量4.6g 背内径18.8㎜
故、河谷師提供画像

 
9月29日【網縄手のこと】
寛永13年(1636年)に鋳造がはじまった古寛永芝銭の鋳造地の網縄手について数年前に調べても詳細が分かりませんでした。地図に地名が見つからず、どこにあるかも分からない。そもそも「網縄手」を何と読むかも分かっていなかったぐらい・・・ところがパソコン検索は進化して便利になったもので、関連用語を入れることで次々に新しい事実が分かりました。
まず、「縄手」とは畔道やまっすぐな長い道の古語のようで、高輪は高縄手が語源のようです。京急には八丁畷(はっちょうなわて)という駅もあります。つまり、読みは「あみなわて」が正しいようです。
さらに・・・浜松町1丁目付近に新銭座という字が残っていることが判明し、それを調べていると、鋳造所は元文年間(1736年~)頃に姿を消したという伝承も発見しました。ただ、この伝承が正しいとすると芝銭座は鋳造開始から100年間も存在したことになります。芝網縄手から銭座が移転してはじまったとされる亀戸銭座は1668年に稼働していますので、網縄手の最期は銭以外の何かが鋳造されていたか、伝承の年代そのものが誤りなのかもしれません。幕末の万延年間の古地図にも新銭座丁の文字が見えますので、芝網縄手は浜松町1丁目付近にかつてあった新銭座町(丁)付近・・・ということだけは間違いないようです。
ではこの地はどんな地であったかと言うと・・・この辺りは今の浜離宮のそば。(古地図では浜御殿)江戸初期は葦が生い茂る低湿地帯だったようで、寛永年間までは将軍の鷹狩場だったそうです。つまり、当時は(農耕)生活には極めて不向きな貧しい地であったことが推定されます。浜辺に近い土地はおおむねそういった土地が多く、私の生家のあった地域にも浜町という地区がありました。このような地は農耕や住宅地には不向きでも、重い原料を船で運搬し、火を扱う銭座には向いている土地なのです。(ちなみに、浜松町には「新網町」という字が確認できますが、こちらは「しんもうちょう」と読むらしい。この町は明治時代に移転されてできた町で、当時の貧民街だそうで・・・。掲示の古地図は海岸線にお屋敷が並び整然としていますが、これは寛永期以降の埋め立てによるものだろうと思われます。)
1657年に明暦の大火が江戸の町を襲います。振袖火事の名で有名なこの大火、江戸城の本丸まで焼失しています。火元は本妙寺とされていますが、老中の阿部忠秋邸の失火を本妙寺が庇ったという説が根強くあります。多くの家屋敷が大火によって焼失し、その再建のため、江戸城にほど近いこの地に武家屋敷が次々に進出してきたようで、この網縄手の旧住民は(おそらく亀戸に)集団移転させられたと思われます。幕府としても(老中邸が火元だとするとなおさら)経済再建が急務であり、そのためには新銭の鋳造は欠かせない事業であったと考えられます。
なお、古地図に見る限り細長い路地に囲まれたこの辺りは、なるほど「網」「縄手」の地形なのです。
 
9月28日【細字の古寛永】
巣ごもりの影響でネット市場の高騰が止まりません。とくに美品に対する評価は高く、分かっていてもなかなか手が出ないところまで行ってしまいます。そのような中でも古寛永は比較的競争が緩やかで、穴場的存在なのですが、私自身が「古寛永は今は我慢」と決めています。年齢的にも集めるより整理整頓することを考えなければいけないと思いますし・・・老けこむには早いのですが、気が付いたら絶対手遅れになりそう・・・というより、もうその域に入っている気がします。
さて、そんな古寛永なんですが我慢できなくてついつい手を出してしまうものもちらほらと。
画像上は古寛永高田銭笹手永手細字削尾永のすこぶる美品。背の形成がいかにも高田銭。高田銭には深背と浅背があると思いましたが、いずれもすっきり平滑なんです。(この雰囲気を覚えておきましょう。)
しかも銭径が24.9㎜と大ぶり。この笹手永手細字の類はなぜか大ぶりのものが多い気がします。なのにこの枯れた書体。とても高田銭とは思えないのですけど、背の形成など総合的にも判断されたのだと思います。私自身。この手の美銭は保有しているのですけど、つい手が出てしまいます。最後はネットを見ないように我慢して乗り切りました。1万円を超えたようですが、状態や存在数量的には妥当な評価だと思います。
2枚目は古寛永岡山銭長嘯子小字短尾寛のすこぶる美品。黒っぽく変色しているものを多く見かける気がしますが、この品はとても自然な発色で摩耗もほとんどありません。
「長嘯子」は「ちょうしょうし」と読むのが正しいのですが、私はなんとなく「ちょうちょうし」と読んでしまい、良く誤読して気が付かないでいます。「嘯」の文字は「うそぶく」と入れると簡単に出せます。(または「つなみ:かいしょう」と入れると出てくる場合もあります。)ちなみに長嘯子の由来は戦国大名歌人の木下長嘯子からの由来。木下長嘯子は北政所の甥にあたり、関ヶ原の戦いのときに東軍に寝返った小早川秀秋の異母兄にもあたるようです。
さて、この長嘯子小字はなかなか風格のある書体。長嘯子本体は高価で入手がかなわないのですが小字の市場価格は10分の1ほど。ところが、先にも書いたようにこの美品はなかなか得難いのです。同じ考えの方は複数いらっしゃったようで、驚くなかれ落札価格25500円・・・これはあっぱれです。私はこの半分が限界でしたから、病気な・・・いえ強気な方がたくさんいたようで・・・。でも、これすっごく良いですよ。
 
↑和泉斎様発見の踏潰俯永様

↑画像提供:七時雨山様
寛冠の前垂れが垂直。
永字ノ画が永柱のやや上部で接する。
寛字前足が陰起気味。
永点が陰気気味で細くなる。
9月21日【出現!】
中国の和泉斎さんからのご投稿。「現在の中国の商人は万能である」の言葉通りなのでしょう。日本で買い付けた大量の4文波銭の間からとんでもないものが出現したそうです。先日ご報告のあった踏潰俯永様(上段拡大図、中段は比較用の七時雨山様の提供画像)に続き、お化けサイズの古寛永が出現したそうです。芝二草点の大様銭。平成古寛永銭譜に同様の品が掲載されていますが、すこぶる美銭。外径28.1㎜。4文銭より大きいです。驚愕、狂乱の出現です。私だったら心臓止まります。
今の日本は古銭ブームが終わり、それどころか終焉に向かおうとしています。中国は文化大革命で歴史文化が破壊されてしまった過去があります。そのとき、多くの文化遺産が日本に流出した経緯があります。地域密着文化が廃れ、これから日本の歴史や仏教、神道文化は荒廃・流出・散逸してゆくと思います。古銭の文化を含め、どうやって守ってゆくのか・・・心配です。
↓和泉斎様発見の古寛永二草点大様銭 
外径:27.96㎜(通寶間)~28.13㎜(寛永間) 内径:19.80㎜
重量:5.00g 肉厚:1.15㎜
←平成古寛永銭譜より
母銭とされていますが特別な通用銭の作りに見えます。記念銭や手本銭の類かもしれません。
 
9月19日
【よりどりみどりHさん劇場8】

さてさて、Hさんの収集成果報告もすっかりシリーズ化していますけど、良く集めてらっしゃる・・・かないません。私としては金持ち喧嘩せずと言いたいのですが、ない袖は振れないというのが本当のところ。長い物には巻かれろ、札びらには切られろ??・・・画像を見るだけでも少しだけ幸せになれますね。

①長郭手覆輪(細字)
長径49.2㎜ 短径32.79㎜
銭文径41.0㎜ 重量24.30g
Hさんはありふれた覆輪銭と申されていますが、細点保で通点が小さくて立つのは、文字が細かく削字されているからでしょう。重量もなかなか立派な品ですからBクラス以上の品でしょう。

②長郭手刔輪削郭
長径49.05㎜ 短径32.51㎜
銭文径40.8㎜ 重量19.40g
Hさん曰くとても美人な不知銭。私もそう思います。面の文字周り、輪の際、郭の際が丁寧に浚われています。刔輪と言えるか否かは微妙なんですけど差別化するため刔輪削郭としてみました。文字変化はほとんどないものの確かに味わいがありますね。雰囲気が良いので私ならAクラス入りさせるかな。

③細郭手細縁
長径48.37㎜ 短径31.92㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量19.61g
呆の柱が曲がって見える変化は偶然だと思いますが、寶足が少しだけ長いのは輪際がわずかに刔輪されているからでしょう。こういった輪際の鋳造のための調整的刔輪は本座にもみられるもので、これを刔輪と称すべきでないという声もあります。鋳写だけじゃ寂しいけれど、刔輪長足寶とも言えないので、とりあえず細縁としてお茶を濁しました。

④水戸藩銭揚足寶(H氏所蔵)
長径48.68㎜ 短径33.03㎜ 
銭文径39.6㎜ 重量18.32g
収集誌に出ていたので覚えている方も多いでしょう。色が真っ黒で背の鋳だまりが目立ちます。状態は今一つですけど、絶対的な珍銭の一つです。
この揚足寶・・・個々の微妙な変化が実に多く、寶足の雰囲気や保点など、泉譜に記されていない特徴の違いをよく見る気がします。

⑤水戸藩銭揚足寶(天保仙人様所蔵)
これぞ揚足寶という特徴満載の品。私が知る限り、最も美しい揚足寶のひとつ。天の前足は少し短い感じがします。これを見ると揚足寶が石持桐極印銭ということがよく分かります。④と同じように寶足が前に長く伸びます。

⑥水戸藩銭揚足寶(浩泉丸所蔵)
保点が長く基本的特徴から少し外れます。また、肝心な特徴である寶前足に鋳だまりと傷があってものすごく残念。ただし、状態は最高に近く、とくに背側は太字で超美品です。保の違いを鋳造上の違いと見て良いのか、もしかすると別種とも思ってしまいますが・・・文字位置などはぴったり仙人様の所蔵品と重なります。雰囲気から見て贋作などというものではないと思われますので、この違いがいかなる理由なのか・・・謎なんですね。寶足もやや短い気がします。

⑦水戸藩銭揚足寶
(平成15年銀座コインオークション画像)

寶足が極端に短く離輪します。揚足寶短足寶とすべきものか?

⑧水戸藩銭揚足寶(大和文庫HPより)
同じく寶足が短いタイプ。赤銅質の伝世品らしく肌はすべすべしています。その他の特徴としてやや広穿です。

このように雰囲気はみんな違います。さらに當百銭カタログには47㎜台の揚足寶小様の掲載があります。こちらも寶足は短いのです。もしかすると・・・揚足寶には短足寶、長揚足寶、長点保、小様などの変化があるかも・・・。
 
9月15日【古寛永の鋳造地】
古寛永は15鋳地と呼ばれていますが、記録上、口伝上、遺跡調査などで可能性のある銭座は20ヶ所以上候補地があります。15ヶ所という数字は、研究者によってまとめられ、つくられた数字であり、記録上の実数を示したものでないということはことは間違いありません。
平戸の商館長ニコラス・クーケバッケルは寛永13年10月1日の日記に「日本の皇帝(将軍)は銭、すなわち銅銭を全国に通用させるため、特定の鋳造所で一定の品位で鋳造させる筈である、と正確に伝えられた。」と記しています。
以下に古寛永の鋳造地として、比較的有力な地域などを示します。
  
 1.常陸水戸田町銭座 寛永3年(1626年)
佐藤新助が願い出てはじめて寛永通寶の鋳造を行ったとする場所。これは公鋳ではなく私鋳の段階の品ですけど、二水永背三銭がつくられたという説が有力。三は水戸のミと寛永3年の両方の意味と思われています。

 2.常陸水戸煙草町銭座 寛永13年(1636年)
佐藤新助の子供が親の遺志を継いで鋳造したもの。背十三が該当するのではないかと言われてますが、見ることもできないほど希少なので・・・。

 3.江戸浅草橋場銭座 寛永13年(1636年)
御蔵銭が該当します。江戸は大火などにより転居や地名替えが行われたようで、御蔵銭も何度か移動があったようです。
2020年10月2日の制作日記にそのことについて少し記しています。

 4.江戸芝網縄手銭座 寛永13年(1636年)
芝網縄手という地名は現在ではどこにあるのか私はまだ発見できていないのですが、
大体読みが分からない。「しじょうて」と読むと思っていたら「あみなわて」と書かれた英文献を見つけました。「縄手:なわて」とはあぜ道や、長くまっすぐな道のことを意味する言葉だそうで。品川区の高輪は高縄手が語源です。現代地図を調べると浜松町付近に新銭座という字が残っているようなので、この近辺に何かがあったことは間違いないようです。

 5.近江坂本銭座 寛永13年(1636年)
毛利家手本銭の中に、近江坂本銭として背星の類がまとめられていたことから、現代で水戸背星とされているものが実は坂本銭ではないかと言われています。近江は当時関西の有力地で織田信長(明智光秀)がこの地の承認を保護したこと、鐚永楽時代から貨幣の鋳造地で、輸出さかんだった・・・という記録があります。

 6.常陸水戸向町片町銭座 寛永14年(1637年)
発掘調査により長永の類が該当、確定せしめられましたが、谷巧二師は中川近礼師による記録捏造の疑いがあるとも述べられています。

 7.備前(岡山)二日市村銭座 寛永14年(1637年)
発掘調査により銭座のあった場所まで確定していますが、出土した銭類は現在「井之宮縮寛」とされる類などでした。現代の貨幣カタログには縮寛の拓本が岡山銭として堂々掲載されています。また、2007年1月7日の制作日記に成分分析をした学術記事へのリンクがありました。

 8.豊後竹田古町銭座 寛永14年(1637年) 
古寛永泉志で斜寶が割り当てられ、貨幣カタログでも同じなので、すっかり定着してしまっています。ところが松本市において今井文書なるものが発見され現物資料から斜寶は松本銭であるという決定的な資料が出され、豊後竹田銭は宙に浮いた形になってしまいました。が・・・・さらに、斜寶は松本銭ではないという衝撃的な証言がもたらされ、私はもう何が何だか分かりません。詳しくは2018年の8月18日の制作日記に記しています。なお、豊後竹田の地は叶元祐の鋳造地であることから、この地の寛永通寶は九州特有の白銅質に違いないだろうという推定もあります。仙台銭とされる古寛永の中に正字、寛字など白銅質気味のものが含まれることから、これらを竹田銭ではないかと推定する説もあります。

 9.仙台三迫銭座 寛永14年(1637年)
神社に奉納された大寛永の額の書体から、大永、跛寶の類が割り当てられ、さらに覆輪刔輪の技法が見られる古寛永(正字類・濶字)などが割り当てられています。ただし、後者についてはあまり根拠がない気がします。

10.信濃松本銭座 寛永14年(1637年)
古寛永泉志では太細が割り当てられていましたが、今井文書の出現で一時全否定されました。私のHPもそれをもとに作成したのですが、根拠資料そのものが極めて怪しいことが判明。鋳造地があったことは確定的ながら、何が作られたかは今を持っても不明です。2018年8月18日の制作日記をお読みください。

11.越後高田銭座 寛永14年(1637年)
現代は肥永、笹手永の類が割り当てられています。根拠は近藤正斎が著した「銭録」に越後高田銭 未見とだけあるようで、それ以上の掘り下げができません。

12.長門赤村銭座 寛永14年(1637年)
毛利家手本銭の原品ならびに発掘調査などからほぼ確定しています。

13.三河吉田新銭座町銭座 寛永14年(1637年)  
こちらも近藤正斎が著した「銭録」が根拠のようです。地名から見て鋳造地は確定で良いと思いますが、何が作られたのかは不明です。
愛知県豊橋市の吉田天満宮あたりらしいです。なお、吉田の地名、新寛永の藤沢・吉田島銭の存在から、私は長らくこの吉田銭を神奈川県の銭座・・・うどんの名所の富士山の登山口付近の銭座と思っていましたが、全くの場所違いでした。絵銭の吉田牛曳はこちらが鋳造地のようです。

14.駿河井之宮村銭座 寛永16年(1639年)    
一番問題の古寛永で、駿河に井之宮の地名が見つからないことや、代表銭とされる「縮寛」が備前の地で発掘されたことから、日本貨幣カタログから名前が消されてしまった!
駿河國史に井之竈村と記されていたのが最も古いようで、野崎静修軒が井之宮→安西井之宮の誤りではないか、さらに安藤遊仙師からは伊河麻の地ではないかと推定しています。ただ、この地は沓谷のすぐ近くなのでもしかするとその混同があるかもしれません。
ただ、野崎静修軒が元にした貴志家文書の信憑性はかなり高いと思われます。そこには井ノ宮村とはっきり書かれているのです。この井ノ宮村は洪水により廃村になったようで、正式な位置もわかっていませんが、地図上の地名などでおおよその場所までは判明しました。廃村から銭座が移動して最終的には沓谷に落ち着いたと考えればなんとなく納得がいきます。
この件について2013年9月7日、2014年5月28日の制作日記に記しています。ただし、何が作られたかは今もって謎。

15.江戸浅草鳥越銭座 明暦2年(1656年)
16.駿河沓谷銭座 明暦2年(1656年)
 
古寛永の中で最多を誇る銭種。称、建仁寺銭と合わせて雑銭中の雑銭です。鳥越銭はおそらく御蔵銭の後継で、御蔵銭の地が鳥越神社の寺社領付近にあったことからじゃないかなあと勝手に考えています。なお、存在量から考えて、現在鳥越銭とされているものが沓谷銭で、沓谷とされているものが鳥越じゃないかと考察されています。つまり、大間違い。また、沓谷は「くつのや」と鋳読むのが正しいのですが、多くの文献が「くつがや」とルビを振っています。

17.肥前(長崎)銭座 万治2年(1659年)
冒頭にも記した平戸の商館長ニコラス・クーケバッケルは、寛永16年4月の日記に「長崎の貨幣鋳造人」という記述も見られるそうです。この時期に幕府は国内での貨幣私鋳を禁じていたので、貨幣の鋳造人とは寛永通寶ではないかとも考えられるのです。
「鴻池年表」に万治2年肥前国で鋳るとあり、「鋳銭重寶記」にも未詳ながら鋳造した記録が残ることから、肥前の地でも古寛永が作られた可能性は極めて高いと思われますが、決定的証拠がないため15鋳地から漏れています。候補地としては中島銭座あたりと推定できます(制作日記2016年1月11日と13日参考)が、この付近は銭座だらけなんですね。ただし、中島銭座の出現は公的には20年ぐらい後のようですので、貿易銭鋳造以外の古寛永が作られた絶対的証拠ではありません。なお、ここには一ノ瀬川という川も流れていて和歌山鋳とされている背一銭が長崎で作られたという可能性は実はかなり有力だったようです。この地は新寛永の鋳造地の稲佐(歌手福山雅治の出身地)にも近いのです。稲佐銭座については2014年5月18日の制作日記を参考にしてください。方泉處をはじめ多くの研究家が長崎元豊と称:建仁寺銭の類似点を示し、長崎鋳であるとしており、私のHPでもその扱いにしています。

18.山城建仁寺銭座 時代不詳
建仁寺については「銭禄」に詳細不明のまま記載されている程度で、きわめて根拠薄弱ながら、建仁寺銭座に現在の建仁寺銭を割り当てています。鋳銭規模、銅質(のちの不旧手などは白銅質・・・土呂久系鉱山の色)などから見て疑問は残るものの、完全に定着してしまった感があります。

そのほか、以下の銭座について「銭録」に存在が記されていますが詳細は不明です。
19.山城粟田口(東山)銭座
20.大阪銭座(詳細場所不明)

粟田口は建仁寺と併記されているので支座なのかも。大阪銭座については、長崎に対する竿銅・・・銅の原料・・・鋳造所なのかもしれません。

なお、田中啓文師によれば①背星は坂本 ②笹手永は水戸 ③俯永中字は岡山 ④勁永、狭足寛、大目寛、俯永は江戸ではないか。 ⑤不草点は江戸 ⑥建仁寺、大阪は坂本の支座ではないか としています。
さらに建仁寺:大阪十左衛門、大阪孫左衛門 大坂銭:長崎ノ徳右衛門、長崎勘兵衛、長崎助右衛門などの記述があります。これ・・・ひょっとすると建仁寺や大坂が竿銅専門の銅座だったりして・・・建仁寺、大坂、長崎がかなり入り組んでいるので何かがありそうですけどわからない。
調べればまだたくさん出てくるとい思いますが、過去に書いたことも忘れてますし・・・疲れました。
 
9月12日【寛永ども+1】
中国のコレクター貞観鬼市様からご投稿をいただきました。アイパッドによる撮影だと思いますので、大きさや色の再現性に多少難がありますがお許しください。とくに、色彩につきましては私のパソコンソフトで保存すると(何らかの制御がかかっていると思われ)元画像より赤くなってしまう不思議な現象が初めて起こりました。
もともとの画像が少々赤かったのですが、大きさの調整、トリミング、傾き補正をするたびに赤みが増します。鮮度を落として保存しても赤くなるのでお手上げです。特定の画像に起こるのも不思議でした。調整しましたがやはり変な色になってしまいました。ご了解ください。

①これは超有名な伏見手の破寛(破冠寛)です。寛点の前の部分が鋳切れているだけの変化なのですが、寛永通寶鑑識と手引きの拓本(母銭)がこれで有名になりました。伏見手そのものが希少品なので、これはなかなか入手できないのですけど、理想の美銭ですね。

②は今回一番苦労した画像。特に背はどうやっても真っ赤になってしまいこれが限界でした。(この現象の理由がお分かりになる方教えてください。)
もとになったのは古寛永で、その写し。仙台か高田銭あたりでしょうか。通字が昂って小さいのが目立ちます。元写真から推定すると安南寛永開元手か異国唐国手あたりの品でしょうか。色彩が分からないのでそれ以上の探求ができませんでした。(色彩が分かったとしても良く分からないかも。)

③は砂鑞質の雰囲気の品。安南寛永の古寛永沓谷銭写しと思われますが、詳細分類はよく分かりません。(どなたか教えてください。)背は摩耗しているのか、それともはじめから夷縵なのかは不明。なお、砂鑞質とは安南寛永によくみられる白みを帯びたざらざらした銅質で、錫や鉛、亜鉛など多く含まれる柔らかくて脆い金属のこと。夷縵というのはだらけた状態を意味し、古銭においては背側が浅くでのっぺりとした鋳造状態のことです。

④は雰囲気的には少々肉厚で加護山中字写しにも見えてしまう・・・。背に文があるようなないような・・・。やっぱり安南寛永なのかしら。

⑤も文銭写しみたいですね。さすがにこれだけの情報だとわからないのですけど、密鋳銭は手に取って見ても良く分からないかもしれません。収集誌に連載された「いづみ会の穴銭入門」(93)の開元手猿江正字写に雰囲気がとてもよく似ています。書体的には文銭ですし、銅質製作も開元手なら肉薄の鮮紅色系なのですけど。

⑥は安南寛永元隆手の仲間でしょう。画像では赤くなっていますが本来の地金は違うはずです。収集誌に連載された「いづみ会の穴銭入門」では網至道手縮字背文と名付けられ分類されていますが、元隆手も網至道手も大同小異なので、名称は好みの差でしょう。説明には白銅質のものが多いと書かれています。元隆手も網至道手は真鍮色のものが多いのですけどこれは果たして何色なんでしょう。

⑦も同じ系統。安南寛永元隆手混書の異置背文とすべきものですけど、「いづみ会の穴銭入門」ではかつて網至道手濶縁左文と命名されています。安南寛永は第3版以降の穴銭入門寛永通宝 新寛永銭の部(静岡いづみ会編)からは掲載されるようになりました。(先の「いづみ会の穴銭入門」はそのもとになった連載です。)そこでは新規書体濶縁小字としてこの無背銭が掲載されています。これも本来は黄色い銅質ですけど、真っ黒に発色しています。

安南寛永は雑銭と思われがちですけど奥が深い。ただ、種類を上げたらきりがないほどたくさんあります。日常決済にも使われたでしょうけど、貿易決済や一部祭礼の儀式にも使われたでしょうね。

⑧本座長郭錯笵(輪写り) 侍古銭会のタジさんの投稿です。本座の錯笵は圧倒的に広郭に多く、長郭や細郭は珍しい気がします。皆さまも手持ち品をご確認ください。これぞという長郭や細郭の錯笵があればご投稿をお待ちしております。

気が付いたらアクセスカウンターが92万回を超えていました。100万回達成はHPを作り始めたときの目標でしたのであと少しです。古銭のHPとしてはかなりの古参、老舗ですけど技術的には拙くて恥ずかしい。作り替えようとは思っていますが、パソコン買い換えも含めていまだに決断ができていません。VBAプログラミングは独学である程度の技術はあるのですが、HPなどの画像系はからきしでちゃんと習わないといけませんね。
 
9月10日【寛永通寶誕生の謎】
雑銭掲示板に天保仙人様から書き込みがありました。行きたい!でも立場上行けないのです。親族の結婚式でさえ出席を断らざるを得ないのです。仙人様の投げかけた謎について、半分程度は分かる気がします。頭でっかちなえせ知識かもしれません。半分はお聞きしたこともあります。でも正解は分かりません。第一、水戸の豪商の佐藤新助の素性が全くよく分からないのです。本当にいたのかしら?
私が知る限りのヒントを書きますので、興味がある方はご考察ください。

1.
鋳銭技術は大陸伝来で、九州、中国方面から日本中に時間をかけて広まった。
2.鐚銭の鋳造地は、加治木、豊後、筑前、近江、河内あたり、とくに
近江は信長時代に技術者が集められ保護された経緯がある。江戸初期までの銭の生産地は対外交易が盛んな地と重なる。近江は銭も輸出していた。
3.渡来人の鋳銭技術集団は
真継家が支配した。鋳銭事業は真継家(のちの忌部氏など)の力(許可)なしにはできない事業だった。
4.真継家・忌部氏は社会的地役割こそ高くとも、表に出ない神秘的な役割に徹していた。
忌部という特殊な姓にも何か意味があると思う。
6.関東の鋳銭技術については、渡来系と別という説もあるし、同じ集団から分化したという話も聞いた気がするが定かではない。なお、関東の鋳銭を考える上では
浅草弾左衛門を調べる必要がある。
7.水戸は古くからなんらかの鋳造にかかわっていた地ではないか?(三上香哉の考察)
8.真継家の証明があれば、
鋳銭工は全国の往来が認められていたようである。権力の集中を避けるため幕府はその特権を認める代わりに、真継家・忌部家以外には高い身分を与えなかったらしい。
9.鋳銭は火事の危険を伴うので、集落の中心部では決してできない。このような事業を行う場所は農耕に向いていない
水辺の辺境地になる。余談ながら・・・私の祖父は本家から独立し、分家となるとき、土地の空いていた新しい町「新町」に住んだそうで、そこは海に近い痩せた湿地帯でした。本家は関ヶ原の時代から続き、名主を司るような豪農(関が原時代は武家だったかも)でしたが、次男坊の祖父はたいした農地も分けてもらえず、商家の奉公人になる道を選んだそうですが酔うと「こんな地にしか住めなくて・・・。」と語っていたと父が最近教えてくれました。
半分答えが書いてありますね。後は仙人様に聞いてください。
 
 
9月9日【よりどりみどりHさん劇場7】
もとよりこのHPは収集に行き詰まっていた私の打開策のためのものですから、他人の情報掲載には何の抵抗もありません。今回もHさんから頂いた画像を掲載させて頂きました。他人の褌で相撲をとるということで・・・。
おなじみのB級品。Hさん、超A級からB級まで根こそぎ集めてらっしゃいます。

最初の1枚は・・・
人偏が長く見えるので長人偏・・・はちょっと無理な命名・・・とお考えのようですけど偶然かもしれませんが、良いんじゃないですかね。特徴ですから。
それ以外に名付けるとしたら背の地の部分が深くて異様に波打ちますので粗造長人保背異制ということになるかな。背肥郭でもありますね。探せば特徴がたくさん出てくるかも。でも、どうやったらこんなにボコボコになるんでしょうか?
長径48.37mm 短径32.35mm 
銭文径41.0mm 重量19.69g

2枚目は純粋な鋳写しかな?
寶下の刔輪がわずかに強く、部分結論に見えますけど、寶下強刔輪とは言えないですね。寶下ちょい刔輪・・・だめだこりゃ。花押の頭にも加刀があるような感じ。
長径48.19mm 短径31.80mm 
銭文径40.8mm 重量20.67g

最後の1枚は長径が48㎜に満たない鋳写粗造縮径銭。だからどうしたっていうレベルですけど・・・。
長径47.91mm 短径31.65mm 
銭文径40.9mm 重量18.87g
 
9月7日【不知長郭手削花押】
実のところ「よりどりみどりHさん劇場」の続きです。ただし今回はテーマが決まってますので、タイトルを変えました。
削花押の名称は、當百銭カタログ、勢陽譜に見ます。花押へ加刀した不知銭はそうは多くないのですが、例えば貼り合わせ手の削頭天などはかなりの削花押なんですけど・・・それらは削花押と呼ばれることはありません。
削花押は覆輪、強刔輪宏足寶の類なんですけど、花押の加刀の部分を名称として採り上げた形になっています。泉譜には花押の頭部に強い加刀があるように書かれていますが、拡大画像を見ると頭の下の空間が強く浚われていて、一番上の角と二番目の角の間に加刀がありあたかも運河のよう・・・さらによく見ると浚われた地の部分にも加刀の筋が残っています。
この品は2014年の江戸コインオークションの入札誌に出品されておりまして、私はただの宏足寶の類だと思っていたのですが、玩多夢師が削花押と見抜いて応札されたと後で知りました。今回掲示の3枚はいずれもHさんの収集物で「数の割に評価が高い」などと仰っていますが、私はいまだに手にしたことのない品なのです。これは日ごろの行いの差なんでしょう。
Hさん曰く、何度も鋳写されたらしく、一番右側の品などは特徴がかなり失われてしまっていますが、同じ系統のものであることは見て取れます。
今回画像をいただいて、今まで知らなかった特徴まで観察できました・・・が、私が出会えるのはいったいいつのことになるのか・・・。Hさんの馬力に圧倒されっぱなしです。
不知長郭手削花押
強刔輪宏足寶系の長足寶で天上寶下とも刔輪が見られますが、寶下が強烈な一方で天上はさほど目立ちません。細縁のものが多いようで(覆輪銭だと思いますが)覆輪も目立ちません。花押頭部の湾曲が強く、頭部袋が鋳浚われ運河のような筋が外部に通じているものが見られます。

削花押・・・花押全体が削られている。頭部の袋が外部とつながる。
制作日記2014年8月10日(不知天保通寶分類譜下巻P82の2)
制作日記2014年5月31日(江戸コインオークションの入札誌)
 
④ 
9月4日【手替わり銭】
机の上にあった文銭、気になる文銭を改めて調べてみました。
①退点文奇文
退点文奇文は文源郷師著作の文銭図録によると文の第2画横引きに2ヶ所の切れ目があるとありますが・・・実際には前半部分が陰起して切れるものと切れそうになっているだけのものがあるようで、掲示品は後ろ側は切れていません。②は文源郷師の分類ですし、文銭は鋳物ですから絶対ということはないのだと思います。
それより目立つのは文の横引き前半と最終画前半で囲まれている部分が大きく削られていて、横引前半の下がものすごく痩せていること。まるで口を開けているみたいなんですね。仙台H氏のおたずねものに中字異文がありますけど、それによく似ていますね。これは収集誌上入札に出たもので、この上ない美銭じゃないかしら。

②退点文奇文寛上削輪
文源郷師の分類・・・横引きが短いとか完全に切れていないとか細かい点に差異はありますが削れ方は同一です。それより気になったのは文点の上部に明らかな輪欠損があること。画像でははっきり見えませんが打ち傷のようなものではなく、鋳造によるもの・・・意図的と思われます。これは新発見じゃないかしら。
以上の変化は微細なもの。もともと私は微細変化はあまり気にしないタイプなんですけど、実物を見てしまうと面白くなってしまいます。特に意図的と思われる変化は類本が出ないか楽しみです。

③中字最小様(磨輪)
外径24.3~24.0㎜で次鋳タイプに見えます。非常に肉厚で4.2gもありますので、出荷前に調整されたものだと思われます。最初の計測では面内径が小さいと思ったのですが・・・背内径は18.2㎜で通常銭と同じ・・・これをどう見るか。再計測と画像比較が必要かもしれません。と、いうわけで画像で計測。するとピッタリ同じでした。残念ながら次鋳ではないようです。

④正字最小様(磨輪)
参考銭として掲載していたもの。
入手時のスペックは外径24.1~24.2㎜、内径20.0㎜。たしかに小さいのですけどだらしない雰囲気。画像を重ねた結果、文字位置はほとんど変わらない。微妙です。輪が内側に溶けた結果じゃないかと思います。次鋳タイプの文銭は本当はないのかもしれません。

※文銭の鋳写(初鋳と次鋳、母銭と通用銭)の内径差は0.3~0.4㎜だと思われます。この差はノギスの精度や測り方、ちょっとした鋳だまりなどでどうにでもなりそうな微差。0.2㎜ぐらいの差だと鋳造のブレだとも言えて、判断に困ります。たしかに画像を拡大すると、今回の品々もわずかに内径が小さくも見えます。
不知天保通寶の場合はたいてい銭文径に明確な差が出るのである程度判定できますけどこれは難しい。ただ、公平な目で見る限り、明確な差がないものは差がないとしかいえません。それが今回の判断です。もちろん、これが最終結論というわけではありません。
 
9月1日【ラムスデンの目録3】
天保通寶の最後に天保類の大珍品がずらっと並びます。このクラスの真贋は全く分からないのですけど、並び位置からするとラムスデンはこれらは「まともな品」として取り扱っていたように思えます。というのもこの後にラム作と言われる天保型絵銭の母銭類がずらっと並び、そのあとに明らかな贋作類が続き、さらに本物と思しき絵銭類、地方銭、絵銭、近代銭と続くからです。
贋作の中には土佐通寶、筑前通寶、琉球通寶、萬年通寶などが含まれていますので、ここに並ぶものは贋作とは別の扱いであっただろうと感じるのです。
気になるのは土佐通寶當百。輪3分の2ほどの大きさに差があり、母子というより母孫というような違いです。書体にも歪みがあり同じ系統のものには見えないのですがどうなんでしょうか。土佐通寶は昭和17年、佐野英山が四国の堀見甘泉堂の収取物の中に見出して銭幣館に納めたという話が残っています。このときに額輪母銭も大量に見つかっていると思いました。ラムスデンを調べていると時代が重なる佐野英山や加賀千代太郎がちょくちょく出てくるので少し気になりますね。ブランセン(丁抹人)も出てきますし・・・。ただ、ここにあるものは正品だとラムスデンは信じていたような気がしますので、こういった品もあるのかも???
筑前、盛岡銅山は複数所持、萬年通寶が2枚あるのはすごいです。クレイグ氏は米国貨幣協会にこの原品が保管されているのではないかと今後調査するそうです。
最後に・・・No364の1枚・・・番号が若いのでおそらくラムスデンのお気に入りかなあと思います。郭の様子から通用銭。面重文になり大濶縁。跛天になっているのも目立ちます。花押の形状から久留米正字濶縁背異替なんでしょうけど、名付けるとしたら久留米正字跛天大濶縁背異替面重文・・・まあ、跛天は錯笵のおまけみたいなものでしょうけど・・・すごいですね。ラムスデンまで魅了した雑銭の王者です。仙台大濶縁は恐れ多くてとても入手できませんけど、これなら欲しいなあ。

※土佐通寶當百で一番有名なのは、當百銭カタログに掲載されている銅母銭で、天保仙人様の元所蔵品で現在は鉄人所蔵になっています。當百銭カタログに掲載されている土佐通寶當百通用銭はどうみても母銭の拓本の使いまわしです。花押があった付近に刮去痕跡が見られるからです。
なお、當百銭カタログには土佐通寶當百(細郭)通用銭なるものが掲載されていて、それがどうも拓本571番に近いと思われます。ただ、拓本571番の當百の文字は本当に歪んでいます。よろめいちゃってますものね。それが拓本上の歪みなのか、鋳造上の歪みなのかよく分かりません。
 
8月31日【鉛銭】
モトさんが鉛銭を手に入れたそうで・・・禁断の果実ですね。(画像は見やすさを優先した自由倍率にしてありますので大きさはあてになりません。実物は見にくい=醜いのです。)
上2つがモトさんの入手品。下3品が私のアルバムの中の住人。どうです、汚いでしょう?
鉛銭の由来説はいくつかあります。一つは古銭会などで出会った珍しい銭を鉛で鋳写した・・・というお話。しかしここにある銭はみんな雑銭が元のようでそんな珍品のオーラなんかありません。
もう一つが昭和銭譜にあるように東北地方の密鋳銭とする説。一番下の汚い奴が昔の収集家が集めていたもので手製のタトウが付いていましたが(三上香哉のもの??)うかつにも私はそのタトウをなくしてしまいました。
モトさんのものでは一番上が最も近いですね。実際に加護山銭にはほぼ鉛質の寛永通寶があり村上師がこよなく愛してたしか還暦記念泉譜にも掲載していたぐらいです。ただし、加護山銭はそれなりの厚みがありますが、モトさんのものと言い、私のものと言い薄っぺらですね。私のものなど穴が開いています。
あとは・・・錫母を装った贋作説、玩具・絵銭の類、熊手飾りなど・・・いずれもダメだこりゃ・・・というものです。
だいたい2枚目は鋳不足がいやらしいし、3枚目と4枚目は郭にきついテーパーがあり、特に4枚目は鋳型の合わせ目が厚みの中央で絵銭的・・・これは時代がかなり降ります。2枚目と4枚目の材質は鉛主体でもキラキラしているのでハンダ的合金ですね。
1枚目と5枚目は挿しに入れられて流通させた可能性があり、もしこれが銅でできていたら「打印銭」とか「島銭」とかの扱いになり〇万円の価値になりますけど、悲しいかな鉛銭にはそのような評価がされることはありません。材質の差でこれほどまで評価が出ないのは、やはり醜さと胡散臭さが災いしているんでしょうね。

数は少ないから大どんでん返しがあってよいのですけど、その兆しさえありません。簡単に贋作ができそうですし。
まあ、はっきり言って価値があるものはないと思うべきなんですけど、見ていると面白くなっちゃうからいけません。こんなものに手を出すこと自体が時間の無駄ですね。モトさん、ごめんなさい。

 
8月30日【ラムスデンの目録2】
拓本の内容をざっと私が分類したもの。巨大PDFファイルをJPEG画像に変換して1Pごとに分割してから確認しました。1Pに画像を収めるようにしたら画像がかなり縮小してしまったので、確認の際は再拡大しています。それでも間違いは多いと思います。秋田小様などは拓本の大きさと配列から推定しただけですし。Noとしたものは拓本に振られた番号。ラムスデンによるものではないと思いますが、配列は比較的規則正しく並んでいます。おそらくラムスデンが残した古銭箱に納められた順番によるものではないかと考えています。
ところどころ本座や薩摩が割り込んでいるのは空いていた部分を雑銭で埋めたんじゃないかと勝手に考えています。
ある程度系統だって並んでいますが、仙台銭、反玉寶の類は1枚もなく、盛岡小字、銅山手もないのは意外。会津の萎字や萩の進二天や縮通がないのは珍銭だからわかるとして不知銭の張足寶系が見られないのも不思議です。はっきり不知銭とわかるのは広穿大字と草点保などわずか数枚だけ。天保通寶は当時はまだ近代銭に該当していて、昭和泉譜などを見ていてもまだわかっていない部分がたくさんあったのだと思います。贋作とされる大錯笵の類が入っているのは、ひょっとするとラムスデンはこれらを本物として来ていたのかもしれません。というのも明らかなファンタジーや絵銭、贋作銭は581番以降にまとまっているからです。番号の末尾は1246番で本物の絵銭類?もたくさん含まれています。当時、絵銭は現代以上に隆盛を誇っていましたからラムスデンも当然意識していたと思います。
不思議なのは土佐通寶の當百が明らかに2種類あるということ。よく知られているのはNo571の方。(と思ったけどどうも違うかも。)No570はラムスデンもこれから写している作品がある母型になったもののような気がします。と、いうことは本物?
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
1 353 本座 中郭 母銭 21 373 水戸 濶字退寶  
2 354 本座 細郭   22 374 薩摩 長郭  
3 355 本座 長郭 母銭 23 375 薩摩 横郭  
4 356 本座 長郭   24 376 薩摩 横郭  
5 357 本座 広郭 母銭 25 377 薩摩 横郭  
6 358 本座 広郭   26 378 会津 長貝寶  
7 359 本座 広郭   27 379 不知 細郭手?  
8 360 本座 広郭   28 380 不知 長郭手?  
9 361 会津 短貝寶 母銭様 29 381 不知 長郭手小様  
10 362 会津 進口保 母銭 30 382 不知 広郭手?  
11 363 水戸 繊字 母銭 31 383 久留米 正字背異替濶縁  
12 364 久留米 正字背異替濶縁 大様面錯笵 32 384 薩摩 広郭  
13 365 水戸 接郭強刔輪 天狗花押 33 385 本座 広郭異制(短尾通様)  
14 366 水戸 短足寶   34 386 土佐 額輪肥字  
15 367 盛岡 大字   35 387 土佐 額輪短尾通  
16 368 盛岡 大字   36 388 土佐 額輪肥字  
17 369 盛岡 大字   37 389 土佐 額輪肥字 背錯笵
18 370 水戸 濶字退寶   38 390 土佐 額輪短尾通 本体系に近い
19 371 水戸 濶字退寶   39 391 土佐 額輪短尾通  
20 372 水戸 濶字退寶   40 392 久留米 正字背異濶縁  
          
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
41 393 土佐 額輪肥字?   61 413 曳尾  
42 394 土佐 額輪肥字   62 414 曳尾短天  
43 395 土佐 額輪肥字   63 415 曳尾  
44 396 土佐 額輪肥字   64 416 曳尾  
45 397 水戸 大字   65 417 曳尾  
46 398 方字   66 418 曳尾短天狭保  
47 399 方字(末鋳小様)   67 419 曳尾細字狭天  
48 400 方字   68 420 曳尾  
49 401 方字大ぶり銭   69 421 曳尾短尾通  
50 402 平通   70 422 薩摩 広郭(曳尾様)  
51 403 平通   71 423 秋田 広長郭  
52 404 水戸 大字   72 424 秋田 広長郭  
53 405 水戸 大字   73 425 本座? 広郭?  
54 406 水戸 大字小頭通   74 426 不知 広郭手小様 久留米正字?
55 407 水戸 大字   75 427 久留米? 反足寶 不知? 
56 408 曳尾   76 428 不知 広郭手?  
57 409 水戸 大字   77 429 会津 短貝寶  
58 410 水戸 大字   78 430 秋田 広長郭  
59 411 水戸 大字   79 431 不知 広郭手?  
60 412 曳尾背広郭大様   80 432 不知 広郭手面重文  
          
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
81 433 不知 広郭手大頭通   101 453 本座 広郭  
82 434 不知 広郭手?   102 454 本座 広郭  
83 435 不知 広郭手?背錯笵   103 455 本座 広郭  
84 436 会津 短貝寶   104 456 本座 広郭  
85 437 久留米 深字   105 457 本座 細郭  
86 438 久留米 深字   106 458 本座 広郭  
87 439 土佐 額輪本体   107 459 本座 広郭  
88 440 土佐 額輪本体   108 460 本座 広郭  
89 441 土佐 額輪本体   109 461 土佐 額輪肥字  
90 442 不知 長郭手広穿大字   110 462 本座 広郭  
91 443 不知 細郭手草点保 不草点? 111 463 土佐 額輪肥字  
92 444 不知 広郭手?   112 464 会津 短貝寶  
93 445 不知 広郭手?   113 465 本座 広郭?  
94 446 不知 広郭手?   114 466 本座 広郭  
95 442 土佐 額輪本体   115 467 久留米 正字濶縁  
96 443 土佐 額輪本体   116 468 久留米 正字濶縁  
97 444 水戸 接郭   117 469 久留米 正字?  
98 445 水戸 接郭濶縁   118 470 久留米 正字濶縁  
99 446 本座 広郭   119 471 福岡 離郭広郭中濶縁  
100 452 本座 広郭   120 472 本座 広郭  
          
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
121 473 薩摩 広郭   141 493 秋田 小様  
122 474 薩摩 広郭   142 494 秋田 小様  
123 475 薩摩 広郭   143 495 久留米 正字背異  
124 476 薩摩 広郭   144 496 不知 広郭手?  
125 477 水戸 遒勁   145 497 秋田 広横郭  
126 478 薩摩 広郭   146 498 秋田 細郭  
127 479 薩摩 広郭   147 499 秋田 広横郭  
128 480 水戸 遒勁   148 500 福岡 離郭広郭  
129 481 水戸 遒勁   149 501 福岡 離郭広郭  
130 482 水戸 短足寶   150 502 福岡 離郭広郭  
131 483 水戸 短足寶   151 503 福岡 離郭広郭正百  
132 484 水戸 短足寶   152 504 水戸 接郭強刔輪  
133 485 久留米 正字背異替   153 505 水戸 接郭俯頭通  
134 486 会津 短貝寶   154 506 水戸 接郭  
135 487 会津 短貝寶   155 507 水戸 接郭濶縁  
136 488 久留米 正字?   156 508 水戸 接郭  
137 489 水戸 揚足寶   157 509 水戸 接郭  
138 490 久留米 正字背異   158 510 水戸 接郭  
139 491 水戸 繊字   159 511 水戸 接郭  
140 492 水戸 繊字   160 512 久留米 深字  
          
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
161 513 久留米 深字   181 533 本座 背錯笵  
162 514 久留米 深字   182 534 贋作 方字背ズレ大錯笵 加賀千代作
163 515 久留米 深字   183 535 贋作 方字背重文大錯笵 加賀千代作
164 516 曳尾短天   184 536 水戸 濶字退寶背錯笵  
165 517 方字   185 537 本座 広郭背錯笵  
166 518 不知 長郭手覆輪   186 538 不知 長郭手粗造  
167 519 薩摩 広郭   187 539 不知 広郭手粗造  
168 520 薩摩 広郭   188 540 不知 広郭手粗造  
169 521 本座 広郭?   189 541 琉球 大頭通  
170 522 不知 広郭手?   190 542 琉球 小字  
171 523 不知 長郭手   191 543 琉球 中字十進當  
172 524 本座 広郭   192 544 琉球 大字宏貝寶  
173 525 曳尾   193 545 琉球 小字狭足寶  
174 526 薩摩 広郭   194 546 琉球 中字  
175 527 不知 細郭手   195 547 琉球 中字  
176 528 不知 長郭手?   196 548 琉球 中字  
177 529 贋作? 當五十   197 549 琉球 中字  
178 530 不知? 細郭手?   198 550 琉球 中字  
179 531 久留米 正字背錯笵   199 551 琉球 中字  
180 532 贋作 面重文大錯笵 加賀千代作 200 552 琉球 中字  
          
番号 No 鋳造地 名称 補足 番号 No 鋳造地 名称 補足
201 553 琉球 小字狭足寶   221 573 福岡 筑前通寶  
202 554 琉球 中字乎形刻印   222 574 福岡 筑前通寶  
203 555 琉球 中字三字刻印?   223 575 福岡 筑前通寶  
204 556 琉球 中字乎形刻印   224 576 福岡 筑前通寶  
205 557 琉球 小字   225 577 本座 萬年通寶  
206 558 琉球 広郭   226 578 本座 萬年通寶  
207 559 琉球 中字十進當   227 579 盛岡 盛岡銅山  
208 560 琉球 中字十進當   228 580 盛岡 盛岡銅山  
209 561 琉球 中字   229 581 盛岡 盛岡銅山  
210 562 琉球 平尾球            
211 563 琉球 中字            
212 564 琉球 中字            
213 565 琉球 中字            
214 566 琉球 中字            
215 567 土佐 當二百            
216 568 土佐 當二百            
217 569 土佐 當二百            
218 570 土佐 當百大字          
219 571 土佐 當百 贋作?           
220 572 土佐 土佐官券五匁            
 
本座中郭(母銭)
称:会津進口保(母銭)
不知長郭手広穿大字
不知細郭手草点保
称:久留米揚足寶
方字背大錯笵(加賀千代作?)

8月29日【ラムスデンの目録1】
アメリカのクレイグさんから、ラムスデンの資料を頂戴しました。一番大きなファイルはPDFで140P、13MBという巨大なもの・・・よく受信できたと思います。以下はメール本文の一部です。

ファイル(ラムスデンの日本貨幣の拓本)を添付しました。これはジョン・ライリー・ジュニアが(ラムスデンの死後)ラムスデンコレクションを購入する前に、つくられた小冊子です
私はANS(American Numismatic Society)ライブラリからコピーを入手しました。
ライリーの娘は、数年前にコレクションをANSに寄贈しました。しかし、すべてのコインがANSに寄付されたかどうかは定かではありません。私は(ANSで)それらののうちのいくつかを発見し、観察できるかどうかを試みたいと思います。ANSが萬年通寶を所蔵しているか確認してみたいのです。
(ラムスデンと)同じく横浜にいたジェームズ・イーズもラムスデンの偽物を販売していたことがわかりました。彼は絹と陶器のバイヤーでした。彼はラムズデンコレクションをライリーに売却する仲介をしています。


拓本内容は絵銭の部に移行するまでは実にまとも。皇朝銭からはじまり天保通寶、ファンタジー、絵銭までありますが、萬年通寶の項まではコレクターとしてのラムスデンの顔が見え隠れします。つまり収集姿勢は極めてまじめなんですね。中でも彼が好んだとされる天保通寶は母銭もしくは初鋳の美銭を中心に収集していたようです。このリストはラムスデンが亡くなった後に米国人収集者に売却されたもの・・・つまりラムスデンの遺愛品のリストなのです。拓本はやや乱れていたので、ラムスデンの手によるものではないかもしれません。(画像は傾きなどを修正してあります。)

ラムスデンの資料については2019年の収集1月号に茨城貨幣研究会の八木様の寄稿が掲載されています。私が同年1月の制作日記で紹介したところ、米国の貨幣研究家のクレイグ氏が2020年に私に問い合わせをしてきたのが縁で、八木様からもクレイグ様に画像資料が渡された・・・というのがこれまでの経緯。
欧米ではラムスデンはあくまでも貨幣研究家で、贋作者としての顔は知られていなかったということで、クレイグ氏はその資料を基に発表をされたようです。
これでラムスデンに関するまとまった資料としては八木氏の発表したラムスデンの義理の弟の「小早川氏」に引き継がれたもの(を画像化などしたもの)及びクレイグ氏が発見した米国貨幣協会に寄贈されたラムスデンの収集物目録(J・ライリーが購入しその娘さんが寄贈したもの)があることがはっきりしました。さらに米国貨幣協会にもしかするとラムスデンの収集物そのものが眠っているかもしれないということ・・・ここまでがクレイグ氏の研究成果です。
2つの資料をざっと拝見した結果ですが、小早川資料については100%贋作及びファンタジーであり、J・ライリーの資料では贋作と本物はある程度区分されていて、前半は本物中心、後半は一部に自作を含む作銭は混じるものの、かなりまじめに集められた絵銭や地方貨を中心とした収集品ではないかと目されるのです。つまりラムスデンは日本貨幣の収集を愛していた節がよく分かるのです。そのことを頭に小早川資料などを見ると、ラムスデンは海外向けレプリカを中心に作っていたのであって、直写しは琉球通寶、土佐通寶など地方貨幣中心であったことが判ります。

本座中郭(母銭)
天保銭の冒頭は本座の母銭と通用銭の組み合わせと思しきものの拓が並びます。中郭の母銭はその先頭ですけど、組み合わせはなぜか細郭の通用銭と。

称:会津進口保(母銭)
本座の直後に並んでいるので、これは本座に近い母銭の一種として認識されていたのかも。隣は水戸繊字の母銭。

不知長郭手広穿大字
不知銭としてすぐに分かり目立っていました。

不知細郭手草点保
不草点かもしれません。

称:久留米揚足寶
これも目立ちますね。拓本には大ぶりな美銭がたくさん並びます。また、例えば水戸大字は小頭通などの手替わりも含まれていて好感が持てます。

方字背大錯笵(加賀千代贋作?)
萩藩の項目になぜかこの大錯笵が。もしかすると本物として購入していたのかもしれません。


 
8月28日【寛上削輪】
中国の和泉斎さんから頂いた画像。見事な寛上削輪です。この手替わり銭、文源郷師が発表した波冠寛のようなものもありますが、多くは無名・・・つまり類品は多いのに皆少しずつ違うのです。しかも最近は古寛永やら4文銭にも同様の加工に見えるものが出てきています。形状から見ると母銭の加工によるものとみるのが一番自然で、発見者の吉野宏氏は「鋳詰まりのしやすい寛上の削りだしの修正」と考えておられ、それゆえこの加工のもっとも見られる正字系は文銭の中で一番古い銭種ではないかと推定されています。そのほかにも何らかの符丁的な意味合いがあるのではという考えもあるのですが、すべてが推論で決定的なものは見つかっていません。ただ、言えるのはこの加工は間違いなく意図的なものであろうということ。

母銭の存在がいまだに見つからないのと、形状が不安定・・・この2つから砂笵に直接加工を施したことも私は視野に入れて考えています。しかし、鋳型の場合、凹凸は反転するのですよね。寛永通寶の面や背に「星」と呼ばれる突起があるものは時々見つかります。鋳型を加工して星をつくるのは簡単で、爪楊枝でちょんと突けば星の一丁上がり・・・なんですけど、削輪の場合はわざわざ盛り上げなければいけない・・・簡単そうで難しい繊細な作業になります。
ありえそうなのは、輪や寛などの文字のお掃除をした余計な砂を寛の上に残したこと。ただ、大量鋳造なんでいちいちそんなことやったかというと、やはり無理かなあと思います。
かくして寛上削輪の謎は母銭が見つかるまで続くことになりました。

※寛上削輪の名称は収集誌上に発表するにあたってその場で考えたもの。ちょっと地味なんで適切な名前があれば変えても良いかと思います。
寛上凹輪(平凡?)蝕輪寛とか(センスない?)いっそのこと輪喰い寛永とか(変?)・・・何か良い名ありますか?

 
8月25日【天保通寶贋幣館2】
私の雑銭コレクションから。見分けポイントをあまり書いてしまうと修正されてしまうかもしれないので、ここではあまり書きません。皆さん用心してください。

その1:変造 延展水戸短足寶大様銭
天保仙人様からの分譲品。金属関係の仕事を長年していた天保仙人様が舌を巻いた変造銭。ローラー圧延ではなくコツコツ槌で叩き延ばした職人技です。わずかに打ち傷が残る程度で内輪のゆがみがほとんどありません。ものすごい技術で時間もかかったと思います。手書きで偽札を作るような気の遠くなるような変造。あっぱれです。薄っぺらなので騙される人はいないと思いますが、雑銭に混ぜられて画像化されたら目立つことこの上なしです。
長径51.45㎜ 短径34.0㎜ 
銭文径41.4㎜ 重量19.2g

その2:贋作 本座広郭写背ズレ
これは面白かったので暴々鶏師から購入させていただいた品。本座広郭の写しで、新作をごまかすため真っ黒に着色されています。チャームポイントは背のズレ錯笵。極端すぎると不自然ですから、この微妙な加減が手ごわいのです。製作は近代的で側面はグラインダー仕上げでしょう。金質も硬いです。背ズレで有名なものに加賀千代作がありますが、本品よりずっと上作です。多分違うと思いますが、加賀千代作の中にも真っ黒なものもありますので気になるところではあります。

長径:48.0㎜ 短径32.3㎜ 
銭文径40.75㎜ 重量20.3g

その3:模造 長郭手厚肉深淵
天保仙人様からの分譲品。昭和50年代に出現したといわれる新作銭で、肉厚でずっしり重みを感じます。輪際が深く掘り下げられている特異の作。不知銭の深淵を模したのかしら。地肌(銭笵)を彫刻刀で削ったような荒々しさがあります。肉厚ですけど金属そのものが重い感じがしますね。時代色が付いたら良い雰囲気になるかもしれません。
長径:48.8㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量26.5g

その4:模造 薩摩広郭手厚肉
こちらもその3と同じ系統の作品。真鍮色ながら文字通り重厚作でずっしり。よく見かける一般的な真鍮銭は軽さを感じますがこちらはそれがありません。金属の塊感があります。書体は薩摩広郭がもとになっていて写しによる銭文径の縮みが観察できます。
長径:48.9㎜ 短径32.8㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量26.8g

その5:贋作 本座長郭写(浄法寺摸)
極印の形状から昭和50年代以降に出現した新作の浄法寺銭もどきじゃないでしょうか。つまり浄法寺本座写しとして登場したものをさらに模したものではないかと思われます。いわゆる昭和作の浄法寺。銭文径の縮みが一切なく、母銭から写されたことが推定されます。母銭から写しているので精巧。悪意の塊ですね。側面の仕上げが近代的です。画像で見ると意図的に地に墨が入れられていますね。
長径:49.0㎜ 短径32.2㎜ 
銭文径41.7㎜ 重量22.1g

その6:贋作 水戸濶字退寶写
これは傑作です。極印はその5と同じですけど製作はかなり上手。南部密鋳もしくは銅替わりとして出てきたら目の利くコレクターほど騙されるかもしれません。銭文径は通常品と同じということは母銭から写されたのかもしれません。極印が違わなかったらかなりの人が騙される気がします。こちらも意図的に地に墨が入れられていますがかなり上手で自然に見えます。
長径:48.8㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量20.0g

その7:新作 本座広郭写
なんの目的で作ったのかは不明ですけど、おそらく最近中国で作られたもの。金質は固くやや白っぽいのですけど赤く着色されています。加熱されたのか焼けたような感じを受けます。製作は近代的で側面はグラインダー仕上げのようです。ただし、銭文径の縮みがないので母銭から写された可能性が高いと思います。
長径:48.5㎜ 短径32.2㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量22.7g

その8:新作 水戸短足寶写
その7の類品です。贋作の練習をしているのかも。こちらは通用銭からの写しらしく銭文径が小さい品です。製作は同じく近代的ですけど、短足寶の金質はもともとやや硬めなので、広郭写しより違和感は少ないです。これ以上上手になってほしくはないですね。
長径:48.7㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径39.8㎜ 重量21.6g

その9:贋作 琉球通寶中字写
都内コイン店で発見し、上手だったので思わず購入してしまった品。写しの技術はものすごく高いものの、黄銅質でかなり縮んでしまっていますし、側面の仕上げがまるでダメです。ただし、ぱっと見だけではなかなか分かりません。
長径:48.0㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量23.5g

その10:新作 水戸遒勁様
これは昭和の新作。遒勁に似せていますが字画が伸ばされています。おそらく母銭としても使用されたのではないかとのこと。八厘会の盆回しで頂いた品らしいです。
長径:48.4㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径39.6㎜ 重量24.8g

その11:新作 水戸遒勁様濶縁
騙される人はいないと思いますが・・・その10を覆輪して写された作品だと思われます。こちらも八厘会の盆回しの入手品らしいです。たぶん仙人様の収集品だったものでしょう。昔は遒勁の手替わりとして相当珍重された・・・とも聞いておりますが、これに騙される人は現代ではいないでしょうね。
長径:48.8㎜ 短径33.8㎜ 
銭文径38.7㎜ 重量23.8g
 
8月24日【天保通寶贋幣館】
その昔、文京区に贋幣館という贋作貨幣専門の私設博物資料館があったそうで・・・館長は福村さんという方。私はお会いしたことも訪れたこともないのですが、その風貌は天保仙人様より仙人らしかったとか・・・。
浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ・・・との言葉通り、現代においても贋作はなくならないどころかより巧妙化しつつあります。あまり掲載はしていませんが、私が引っ掛かった贋作・変造の類は数知れません。頭にきて冷遇してどこかに行ってしまったものもあると思いますが、二度と本物として世に出ないようにしなければならないと思っています。

その1:贋作 広郭写異制無極印
これは昔は結構有名な品だったそうなんですけど、現代では知らない方もたくさんいらっしゃると思います。古銭ブームのさなか「金の成る木」として天保通寶の枝銭の置物がつくられたそうで・・・。これは本物の天保通寶の広郭母銭を使ってつくられた精巧作。当初は枝銭としてつくられ、次に鋳放し枝銭に加工され、最後は枝部分を処理して密鋳銭として売られたとか。そして私は見事に引っ掛かりました。
計測すると本座銭と規格はどんぴしゃ。当たり前ですよね、母銭からの写しですから。ざらざらした仕上げはおそらくサンドブラスト加工。枝を切り落とした痕跡はほぼわかりません。金質がわずかに硬く、音も甲高く違和感を覚えるそうです。(天保仙人様談)この感覚は有名な加賀千代の方字大錯笵と相通じるものがあります。マニア向けの贋作です。
教訓:無極印・鋳放し銭には気をつけろ!

その2:偶然 本座長郭 長足寶
この品も先ほどの品と並び、私のHPにたびたび顔を出しています。それほどの傑作。ジャンク品としてネットオークションに顔を出せば、ネトウヨどもが勝手に見つけ盛り上がり値段が吊り上がってゆきます。まあ、状態も足の開きっぷりの良いことこの上なく、不知小字のごとしです。寶足の先端に絶妙な鋳だまりが接続しているだけなんですけど見事の一言です。自滅なら文句は言えませんが、本物として出品されていたらそれは詐欺です。ただ、出品者も本座だとは気が付いていないかも。
教訓:書体の一部変化には飛びつくな!

その3:変造 圧延長郭手
これは目の肥えたコレクターほど引っかかりやすいもの。画像で見る限り覆輪の不知天保銭であることに疑いは持てません。それほど巧妙です。不知銭に夢中になっているとこの類の変造銭にときどき出会うのです。偶然と悪意がこの品を生み出すからです。偶然とは・・・焼け伸び。火災に遭うと金属は伸びます。実際に50㎜をはるかに超えた焼け伸び銭をIさんから頂戴したことがあります。ただし、焼け伸びは文字・風貌がだらしなくなる。そこで、文字以外を延ばせれば・・・と考えるのです。この品、天上と左右の輪だけがわずかにたたき延ばされているのです。その結果、銭文径はほぼ本座と同じ、もしくはわずかに大きくなります。延ばされた輪の表面が滑らかになること、輪の端ほど薄くなること、熱を加えた痕跡が残ることもあります。変造贋作品としては秀逸、ただし悪意の塊です。指先の感覚を研ぎ澄まして見抜いてください。背側の輪の太細に注目。
教訓:銭文径が本座と同じなら圧延を疑え!
 
長径48.5㎜ 短径32.1㎜
銭文径39.8㎜ 重量20.4g
長径49.1㎜ 短径32.6㎜
銭文径39.9㎜ 重量23.9g
8月23日【通寶小字反足寶】
上段は侍古銭会のタジさんの戦利品。まあ、なんときれい、そして足が長く反足寶に見えます。通常の張足寶(長足寶)としての分譲購入だそうですけど、なかなかのおねだり上手。これは私が通寶小字系だと、毎回騒ぐ品の仲間ですね。
通寶小字は當百銭カタログや不知天保通寶分類譜などには名称が登場するものの、他の泉譜に名前が出てこないものの代表格です。この類は通寶の2文字が特に小さいから・・・という説明がつけられていますが、張足寶(長足寶)の類の中のひとつにすぎない・・・あるいは鋳造変化の一形態の範囲・・・とりたてるようなものではない・・・と、見られたのではないかと思われます。たしかに張足寶の類は大きさや製作の変化があまりにも多く、大同小異なんでしょうね。
寶貝が狭長という点については鋳造(拓本?)変化としか言えないかもしれませんが、私が通寶小字系とするのにも多少こだわりがあり、天上、當上の刔輪がほとんど目立たないこと、製作が精美であること、寶足の開きがやや狭く縦方向にやや長く見えるなどが条件。長反足寶と同じ癖(シークレットマーク?)については、はっきりしないものもあると思います。泉譜に近いものは銭文径が40㎜を前後しかなく、小点尓寶気味になるようです。参考までに覆輪濶縁になる類品を下に掲示します。全く同じではありませんが、製作は同じ系統でしょう。桐極印は三角耳のきれいなタイプが打たれています。琉球通寶とか薩摩系のものに似ていますが果たしてどうなんでしょうか。
さて、名称付けですけど張足寶(長足寶)小様とかじゃつまらないし、反足寶になっていますけど、一般的な反足寶とは刔輪・・・とくに寶上や當上の刔輪が違います。
反足寶は天上刔輪、寶上刔輪が強烈なんですね。これは長張足寶とされるものも同じです。もちろん長反足寶でもない。だから通寶小字でも良いのじゃないでしょうかね。あるいは通寶小字反足寶だって良いかもしれません。タジさんの入手品は寶貝も細く見えますし・・・通寶小字にふさわしい。そして寶足も少し長くて反足寶気味なのもとても好感が持てます。鋳造変化と言われればそれまでですけど、これを見ているとこの通寶小字系の書体が反足寶や長反足寶の系統につながってゆくという、先師の方々の考え方がなんとなく理解できるような気がします。
 
長郭手覆輪細足寶赤銅質
長径48.6㎜ 短径32.25㎜
銭文径40.9㎜ 重量19.5g
8月20日【お目こぼし】
Hさんのお目こぼしで連続して不知銭が入ってきました。目こぼしはこれが最後ですと言われていたかな。きれいな赤銅質で面に朱が入っていますので古い収集品だと思いますが朱文字は読めませんので泉号か何かの記号(符丁)のようです。岡山方面の蔵出しということでした。
若干ながら覆輪刔輪があると思うのですが、名乗るほどでもない。寶足は補足ちょっぴり長く直線的なのですけど、張足寶でも宏足寶でもないので実に悩ましいです。
強いて言えば覆輪尖足寶もしくは細足寶とした方が分かりやすいか?覆輪はギリギリですけど・・・。
長径48.6㎜ 短径32.25㎜ 銭文径40.9㎜ 重量19.5㎜。プラスチックノギスで計測したら誤差が0.1~2㎜小さく出ます。金属ノギスで測りなおしてみましたが銭文径以外は前の所有者の申告通り。銭文径は恐る恐るの計測ですけど、間違いないと思います。最近の私の計測値はあてにならないかもしれません。買い替えが必要ですね。
ところで・・・最近あまり入札誌をみていませんね。下町とか幣泉とかとんと見ていない気がします。挨拶入札を近頃していないから切られてしまったのか、それとも会費未納(要らないともいわれていましたが・・・)で切られたか?気になりますね。まだ続いていますか。会費が必要なら払いますよ。
 
8月18日【重量銭の調査】
アルバムに入っている天保銭の重量銭の調査を突然やりたくなって、半日格闘しました。重量銭の定義としては24g以上とし、該当の銭名、重量、長径を書き出しています。不知銭中心の調査ですけど、藩鋳銭についても重量計測してあるものは記録。ただ、藩鋳銭はすべてを重量計測していたわけではないので若干の記録漏れはあると思います。
その結果、不知銭の該当枚数は30枚。保有枚数をざっと数えたところおよそ7.1%が過重量の銭じゃないかと思われます。長郭手が21枚で圧倒的に多かったのはほぼ予測通り。
重量別ランキングでは28g台及び27g台が各1枚、26g台と25g台が各8枚、24g台が12枚という結果です。27g以上はかなり希少であることは間違いないでしょう。
藩鋳銭の方では薩摩藩、萩藩、福岡藩などに厚肉のものが目立ちました。中でも薩摩藩の広郭では30.7gという記録が2枚あり、琉球通寶でも30.6gの中字がありました。30g超えの琉球中字は目下のところ天保仙人様の所有品の記録を抜いて暫定日本一だと自称しています。みなさん、かかってきなさい。
薩摩広郭、琉球通寶は厚肉のものが多いので探せば25g以上あるものはすぐに見つかると思います。
意外なところでは本座広郭で25g超過が3枚あるのです。一番重いもので25.8gなので、そのうち26g超過も見つかるのではないかと期待しています。これらは探そうと思って見つけたものではなく、たまたま店頭の雑銭コーナーを選っていて手に重さを感じて拾ったものばかりですから、まだ巷にこんなものはたくさんあると思いますよ。
また、今回、重量g÷(長径cm×長径cm)×100という独自指標を使用しました。(重量長径率と仮称)この数値が1以上になるとおおむね過重量銭になり、1.1以上あるとかなりの肉厚銭になります。特筆すべきは長径47.7㎜しかなかった細郭手(縮形厚肉美制:26.2g)が重量長径率1.15と堂々の2位に入ったこと。これはすごいことです。
ただし、上には上があるもので昨年10月31日の制作日記で紹介した関西のTさんの長郭手縮形極厚肉銭は重量28.3g、長径47.65㎜、重量長径率は驚異の1.25・・・ぶっちぎりなのです。私所有の最重量不知銭より重い縮形銭なんて・・・絶句ものです。Tさんはこの不知銭に出会ったとき、贋作だと思い放出しようと思ったらしいのですが、実物を拝見しましたがきちんとしたつくりであり、時代が下がったマニア向け贋作ではないと私は判断しました。偽物だと言って譲ってもらっちゃえばよかった・・・なんて思っちゃいますけど・・・嘘はつけませんね。もちろん、人によって見方は異なると思いますけど、私は悪くないと考えます。なお、私所有の品の中にも広郭手30.6g(重量長径率1.30)、浄法寺長郭写(重量長径率1.32)なんてお化けもいますが、今回は後鋳参考品であると判断して除外品にしています。
※下記の表において重量・長径は、小数点以下第2位で四捨五入し、第1位までの表示になっています。
※重量長径率:人間の肥満率を現すBMI指数(ボディマス指数:体重÷身長×身長)を応用したもので、科学的なんですよ。標準的な天保通寶(長径49.2㎜・重量20.625gに設定)の場合、指数は0.852を示します。BMI指数にちなんでTMI指数とでもしましょうかね。
番号 銭種類  細分類 重量g 長径㎜ 重量長径率   番号 銭種類  細分類 重量g 長径㎜ 重量長径率
1 長郭手 極厚肉銭 28.2 48.7 1.19 1 会津藩銭 短貝寶極厚肉大様 25.0 49.5 1.02
2 長郭手 覆輪刔輪宏足寶厚肉 27.6 49.1 1.14
3 広郭手 細縁厚肉異極印 26.6 48.4 1.14 2 薩摩藩銭 広郭厚肉 30.7 49.4 1.26
4 長郭手 厚肉覆輪刔輪 26.6 48.8 1.12 3 薩摩藩銭 広郭厚肉白銅質 30.7 49.4 1.26
5 長郭手 過重量銭 26.6 49.1 1.10 4 琉球通寶 中字極厚肉 30.6 49.6 1.24
6 長郭手 覆輪強刔輪宏足寶白銅 26.4 49.8 1.06 5 琉球通寶 広郭厚肉 30.5 50.2 1.21
7 広郭手 厚肉 26.3 48.2 1.13 6 琉球通寶 中字極厚肉 29.6 49.2 1.22
8 細郭手 縮形厚肉美制 26.2 47.7 1.15 7 琉球通寶 中字厚肉 27.6 49.7 1.12
9 長郭手 鋳写楔形 26.1 49.3 1.08
10 中郭手 崩字厚肉異極印 26.0 49.0 1.08 8 盛岡藩銭 銅山手次大様 25.0 49.0 1.04
11 細郭手 覆輪赤銅質無極印 25.9 49.8 1.05 9 盛岡藩銭 銅山手大様 24.1 49.4 0.99
12 長郭手 覆輪刔輪細字大頭通 25.7 48.2 1.11
13 長郭手 縮形背横穿異極印厚肉 25.5 48.4 1.09 10 室場銭 覆輪刔輪反玉寶鋳放 25.7 50.1 1.02
14 長郭手 覆輪厚肉細点尓 25.4 48.9 1.06
15 細郭手 厚肉赤銅質 25.3 48.2 1.09 11 本座 広郭厚肉 25.8 49.2 1.07
16 中郭手 過重量銭 25.0 47.8 1.09 12 本座 広郭厚肉 25.6 49.2 1.06
17 長郭手 厚肉異極印(花桐) 25.0 48.0 1.09 13 本座 広郭厚肉 25.6 49.2 1.06
18 長郭手 覆輪強刔輪宏足寶白銅 25.0 49.6 1.02
19 長郭手 覆輪厚肉 24.9 49.0 1.04 14 福岡藩銭 離郭厚肉 27.1 49.2 1.12
20 長郭手 覆輪長足寶 24.9 49.5 1.02 15 福岡藩銭 離郭広郭玉持極印 25.3 49.2 1.05
21 長郭手 小様白銅質厚肉 24.8 48.6 1.05
22 長郭手 覆輪厚肉縮形 24.5 48.2 1.05 16 萩藩銭 曳尾広郭俯頭通厚肉 25.1 49.7 1.02
23 細郭手 大濶縁様 24.5 49.2 1.01 17 萩藩銭 平通 24.9 49.6 1.01
24 長郭手 奇天手 24.5 49.3 1.01 18 萩藩銭 曳尾白銅質短尾通 24.3 49.5 0.99
25 長郭手 厚肉異極印 24.4 48.8 1.02 19 萩藩銭 平通 24.3 50.0 0.97
26 長郭手 覆輪刔輪仰頭通離貝寶 24.3 48.6 1.03
27 長郭手 覆輪浅字 24.3 49.3 1.00 20 浄法寺銭 長郭写極厚肉 31.8 49.0 1.32
28 長郭手 覆輪厚肉 24.2 49.1 1.00 21 浄法寺銭 銅山手鋳放 24.1 52.0 0.89
29 細郭手 覆輪(面刔輪) 24.2 49.2 1.00
30 長郭手 覆輪濶縁背存痕 24.1 49.5 0.98 22 後鋳 広郭手厚肉白銅質 30.6 48.5 1.30
23 後鋳 長郭手厚肉 26.5 48.8 1.11
- 長郭手 縮形極厚肉銭(T氏) 28.3 47.7 1.25 24 後鋳 薩摩広郭手 26.6 48.9 1.11
細郭手 縮形厚肉美制 長郭手 縮形極厚肉銭 浄法寺銭 長郭写極厚肉銭
長径47.7㎜ 短径31.8㎜
銭文径40.7㎜ 重量26.2g
長径47.65㎜ 短径31.60㎜
銭文径40.06㎜ 重量28.3g
長径49.0㎜ 短径32.5㎜
銭文径41.0㎜ 重量31.8g
 
8月16日【よりどりみどりHさん劇場6】
絶好調のHさんからまたまたご投稿がありました。ありがとうございます。
最近の天保通寶の画像の7割ぐらいがHさんの入手品で、あたかも私が数多の天保銭を獲得しているように見えますが、私はもっぱら画像コレクターになっています。
私のIDはバレバレで、先行入札を必ずするので「終了間際の入札にしたら?」と複数の方にアドバイスを受けているのですが、入札しておくと画像確保と結果通知が約束されるというメリットがあるので・・・まあ、いいかと割り切っています。今年はヤフオク20連敗を喫するなど絶不調でしたが、最近はお情けによるお目こぼしもありました。ありがとうございます。HPに書いてみるものですね。みなさん、幸せになりたかったら私のIDに近づかないように。さもないと私が不幸になります。

長郭手覆輪刔輪天上刔輪
英泉天保通寶研究分類譜原品
不知天保通寶分類譜下巻P137の19
故、村上英太郎師の収集品でついていたタグには1251番とあるようですが、拓本の入れ違いがあったようで拓は1252番にあるようです。覆輪による赤銅質濶縁の品で刔輪もはっきりしています。文字変化はあまりないものの天上が意図的なのか強く刔輪されているように見えます。
長径49.2㎜ 短径32.6㎜
銭文径40.5㎜ 重量22.33g

細郭手鋳写(純赤銅質)
英泉天保通寶研究分類譜1326番
不知天保通寶分類譜上巻P24の4
泉譜には陰起文とあるそうですがさほど陰起していないそうです。
長径48.4㎜ 短径31.6㎜
銭文径40.6㎜ 重量21.20g
以上2枚ともずいぶん赤銅質に見えます。

細郭手磨輪細縁(含白銅質)
英泉天保通寶研究分類譜1386番
不知天保通寶分類譜上巻P57の1
後者泉譜では異百とされていますが特徴的ではなく、村上師のタグの小様・白の方が的を射ているかも。それを踏まえて掲示名称をいじらせていただきました。
長径48.65㎜ 短径32.25㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量18.24g
目立たないのですけど、このタイプの細郭手・・・実はあまり見たことがありません。私も保有してないと思います。銅質的には関西方面の出だと思いますが、意外に少ないと思いますよ。

細郭手覆輪
英泉天保通寶研究分類譜1397番
英泉譜では細郭手塞頭通の名称だそうですけど、だいたい細郭はみんな塞頭通になるのでこの名称はあまり意味がないかと。覆輪で良いでしょう。背の當上が微妙に刔輪されていますし、面文も細く削字されていて連玉尓系につながるものかもしれません。
長径48.45㎜ 短径32.3㎜
銭文径40.4㎜ 重量20.07g

最後の品は赤い密鋳天保。

細郭手鋳写赤銅質
英泉天保通寶研究分類譜1381番
不知天保通寶分類譜上巻P42の10 
不知天保通寶分類譜上巻P50の2
出た!瓜生師特有の拓本の二重使いが出ました!同じ不知銭を別の項に登場させる荒業。しかもご丁寧に計測値や拓本の印象も変え、名称も違う。意図的であるのは間違いないのですけど悪戯なんでしょうか。瓜生氏の計測値はあまりあてにならないのでという例です。
村上譜では俯貝寶、不知分類譜では縮辵離用通、大王寶の名称がつけられていますが・・・覆輪刔輪はあると思いますけど目立たないので鋳写赤銅質とすっきりさせてみました。
長径48.5㎜ 短径32.1㎜
銭文径40.6㎜ 重量18.72g

 
8月6日【長郭手肥足寶】
出品者のIさんはなかなか目が利く方。そして知識も豊富。肥足寶についてご存知とはなかなかの研究家ですね・・・このHPから学んだとすればありがたいですね。私が知る限り、肥足寶を一類として特別に取り上げた記事の記憶はほとんどありません。泉譜掲載例としては不知天保通寶分類譜に3枚(P120、121、170)と同じものが2枚、英泉 村上英太郎 天保通寶研究分類譜に掲載されているものぐらいです。なかなか個性的でして
①面側は全体にやや肥字、浅字となり、寶足が先太で輪に接する。
②寶王末画筆初めが太く寶冠の前垂れギリギリに近づく。
③背百の横引き先端が鋭く尖る。(鋳だまりを整形?)
④百横引きの末端が丸く団子状になる。
⑤延展を思わせる濶縁銭。そのためさほど厚みを感じない。
⑥横太りの丸みを帯びた独特の形状。長径はやや短い。
⑦花押の角がとがって少し長いため、全体に大きく見える。
といった具合です。

上段が今回の入手品。覆輪肥足寶ですね。
長径48.5㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量20.6g
実は職場で受け取ってちらっと見たとき、極印が見えなかったのでものすごく不安になってしまい、思わず出品者の方にメールしてしまいました。(ごめんなさい)ぬめっとした雰囲気に飲み込まれてしまったのですけど、自宅のルーペで拝見したら不安は雲散霧消・・・全然問題のない品でした。極印は片側が打ち損じですけど、もう片側にはやや不鮮明ながら肥足寶の極印がしっかり打たれてました。面側は浅字で延展の雰囲気がすごくあります。面背の平面がすべすべした感じですが砥ぎ目はしっかりあります。百の横引きの爪、花押の角もとがり気味です。
中段は不知天保通寶分類譜で狭玉肥足寶の名称で掲載されています。英泉譜では張足寶の名称です。寶王の末画の先が少し長く爪があり、それが鋳切れているため狭玉寶に見えますが、偶然の変化だと思いますが、それが名称採用されてしまっています。。覆輪肥足寶で良いかと。
長径48.9㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.75㎜ 重量19.9g
不知天保通寶分類譜下巻120P32
英泉天保通寶研究分類譜1287
(濶縁張肥足寶)
下段の品は覆輪肥足寶(覆輪存痕)
長径48.8㎜ 短径32.7㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量18.7g
大きさの割には薄肉浅字で、肉厚は2.1㎜しかありません。花押の部分は鋳割れによる乱れでしょう。
※不知天保通寶分類譜下巻P170の3原品

そうこうしていたらHさんからまたまたメールが届きました。添付された画像は覆輪肥足寶の覆輪なし???といった代物。
長径48.5㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量17.72g
書体的にはたしかに肥足寶の特徴を備えています。不思議なのは長径、銭文径がほぼ変わらないのに見た目の印象が全然違うこと。
撮影方法が異なるのであくまでも参考にしかならないのですけど、半切り画像を合わせてみました。異なっていた光源位置を可能な限り揃えましたが、影の幅が異なるので完全一致とはいきません。それでも文字の規格はほぼ一致することを確認できました。つまり、上の品々は短径側の輪幅だけがわずかに広いのです。人間の目の不思議ですけど延展の可能性は否定できないですね。
 
8月5日【面背逆製の文久】
いけないと思いながらまた手を出してしまった。ありそうでなかなかなかった(気が付かなかった?)もの・・・文久永寶の面背逆製です。
私は面背逆製についてはかなりのヘビーコレクターなんじゃないかと、勝手に思っています。理由は他に集めている人が少ないからなんですね。集めている人はマニアなんで売却時にはそれなりの思い入れ価格をつけてくるのですけど、買ってくれる人が
そんなにいないので売買が成立しづらいんですね。存在は少ないけど値段が付かない・・・そんな品なんです。
この面背逆製についてどうしてこうなるかをきちんと説明できる方は意外にいないと思います。母銭の裏表を反対に砂笵に置いたまでは知っていても、どうして面狭穿、背広穿になるとか、円穿になりやすいとか・・・。
2017年の2月11日の制作日記の説明図が比較的わかりやすいので再掲します。円穿になりやすい理由は書いてありませんが、砂場で遊んだ記憶を思い出せばなんとなくわかると思います。

 
8月4日【よりどりみどりHさん劇場5+1】
Hさんの勢いが止まらない。一時期の鉄人のようで私はほとんど勝てませんでしたがかなり競り合ったものです。しかも重度の欲しい欲しい病のようで不知の病になっているようです。いけません、このままでは私が不幸になります。(経済的には助かっています。)良心があるのなら少しはお目こぼしください。と、いうわけでHさん劇場の始まり始まり。

冒頭はなんと不草点の草点保!草点保でさえ珍しいのにその手替わり。この品はヤフオクに出品され、そして大和文庫に転売されたもの。この野郎、聖なる不知銭を金儲けの材料に使うなどふてえ野郎だ!こちとらお断りだ。絶対に買うもんか!(買えないけど)と、私は息巻いていましたがHさんはどこ吹く風。かなりの重症です。
細郭手 不草点の草点保
長径48.8mm 短径32.8mm 
銭文径40.6mm 重量19.61g

続く品は仙台長足寶大様(日本貨幣商協同組合鑑定書付)
仙台長足寶大様は向かって面左側に鋳だまりがあるのが普通。しかしこれにはその鋳だまりがありません。全体が赤っぽい銅質に見え、極印も深く鮮明だそうで、Hさんはなんとなく違和感をお感じのようですけど、持てる者のぜいたくな悩みです。
私には悪い品には見えませんので、いつでも格安でお引き受けします。信じる者は救われます。
仙台長足寶大様(鋳だまりなし)
長径49.5mm 短径33.4mm 
銭文径40.6mm 重量19.37g

ちょっと磨かれた感のある長郭手は、なかなかの珍銭じゃないかしら。覆輪刔輪銭ですけど寶足が長いですね。覆輪刔輪の長足寶ですけど、背の當百や花押の削字変化が実に楽しい。覆輪刔輪長足寶削當百大花押・・・なんてどうかしら。
長郭手覆輪刔輪長足寶大花押
長径48.7mm 短径32.5mm 
銭文径40.7mm 重量19.67g

最後の細郭手・・・これこそHさんのお目こぼしによって私が入手したもの。
製作から見て覆輪刔輪連玉尓の類と思いましたが、文字が細い・・・とくに寶足が細くて長いのが面白く見えました。Hさん、5万円ぐらい入れようと思っていたそうで、そうなったらひとたまりもなかったです。私的には2万円台なら良かったのになあと思ってたぐらいですから。
この手のものは異極印が多いのですけど、両側面とも極印がきちんと打たれてなくてよく分かりませんでした。残り物には福がある。
細郭手覆輪刔輪細字連玉尓
長径48.1mm 短径32.5mm 
銭文径40.2mm 重量21.8g

そろそろ寝ようと思っていたらとんでもないメールが届いていることに気が付きました。広穿大字・・・しかも2枚組です。
1枚目 広穿大字本体 
長径49.9㎜ 短径32.8㎜ 
銭文径42.7㎜ 重量22.10g
先日のヤフオクの入手品とのこと。思った以上にきれいです。これは良い品です。

2枚目 広穿大字爪保(連玉尓) 
長径49.8㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径42.6㎜ 重量20.74g 
これは銀座コインオークションでの落札とか。まあ、良い買いっぷりです。

ちなみに私の入手品のスペックは以下の通りです。
広穿大字本体
長径49.75㎜ 短径32.6㎜ 
銭文径42.6㎜ 重量23.0g 

私の所有品と画像をロールオーバーで重ねてみたのですが、スキャナー撮影の光源位置の違いと縮尺(大きな画像を私が手動で縮めた)の問題からHさんの画像の方がわずかに大きくなってしまっていましたのであきらめました。3枚のスペックはほぼ同規格、ただし、それぞれの印象は大分異なります。広穿大字には微妙な変化があります。有名なのは人偏の形状で爪のあるものとないもの。あと、王の末画の微妙な差の連玉尓もあり、H氏は4枚集めるぞ・・・という意気込みのようですけど泉譜の印象では爪保のほうがどうも連玉尓気味に見えるのです。百の横引きの形状も大きく異なり、爪保の方が両端が丸くなります。

お気づきだと思いますが保の点の大きさがかなり異なります。私の所有品は文字が細く、全体の印象もきれいすぎる。対してHさんの画像の品は自然で張点保と言ってよいほど保点がダイナミック。画像を重ねたら大きさがうまく重ならなかったので・・・これはひょっとして・・・と背中に気持ち悪い汗が流れましたが・・・そういえば縮尺が手動だったことにしばらくして気が付き、サイズを調べて(多少もやもやはありますが)合致したのでひとまず安心。不知天保通寶分類譜を調べると本体系には細点で小さくなる傾向にあるようです。(爪保が長い。)実はこの品の入手直後、サイズが50㎜を上回らないので少し悩んだことがあります。(49.75㎜は十分大きいのですけど。)不知天保通寶分類譜の計測値はのきなみ50㎜を超えていますから。瓜生氏の計測値はあまりあてにならないということを経験上存じ上げていたのですけど、今回のHさんの数値でほぼ実証されたような気がします。(もちろん、50㎜を超えるものもあるのでしょう。)
なお、広穿大字には絶妙な贋作があるというお話・・・九州出と呼ばれる直摸で不知天保通寶分類譜の別巻にも拓本があります。銅質がかなり赤味を帯びていることと全体に縮小していること、側面仕上げなどから判定ができるそうです。同じつくりの福岡離郭濶縁もあるようです。(なんか、また心配になってきました。)
 
7月28日【新寛永の宝の山】
気に入ったものをちょくちょくヤフオクで落としていたら机の上が寛永通宝の雑銭だらけになっています。CCFの打印銭や、去年入手した凹千鳥や明和期俯永面背刔輪もまだあるから雑銭とはいえないですけど・・・。そんな宝の山に2枚が仲間入り。明和期短尾寛21波の密鋳銭は果たして何枚目のものだろうか・・・かなり拾っている気がします。出品者は文源郷師で私はまあまあの常連さんなのです。
赤黒くて柔らかそうな材質で、輪不整形で丸くないし、延展気味に強い研ぎで、郭内は鋳放しできっざぎざだし・・・見ていて飽きないのです。系統立てて分類ができれば面白いのですけどまだそこまでの数はないかなあ。雰囲気的には間違いなく東北系で、浄法寺あたりでしょうね。
もう不旧手の伏見手。元文期不知銭とされていますが製作は不旧手のなかでも良い方で銭径も比較的大きいのが特徴です。永の字の頭がぐっと上に伸びていて、蛇がかま首を持ち上げる(これ、古い表現ですね)ようないわゆる「抬頭永」の書体で有名です。一方で製作が安定していすぎて変化がほとんどないのが玉に瑕。その中で有名なのが破寛(破冠寛)なのです。新寛永通宝鑑識と手引きの拓本が破寛の母銭であったことからその存在がものすごくクローズアップされました。なかなか出会う機会がなくて入手できないと思っていましたが、2009年の雑銭の会の忘年会でSさんから分譲されてますし、2016年には四国のKさんからプレゼントもありました。2016年のときには自分は破寛はもってないとすっかり忘れていましたので・・・。ただいずれもひびがちょっとあります。
今回は文源郷師の出品ということで頑張りまして無事入手。結構勉強代を払いました。さて、この破寛、次鋳があると九州の寛永マニアKさんが発表されています。そのことをすっかり忘れていて、私は過去の入手品が次鋳かどうか調べていませんでした。調べようと思っているのですが果たして獲物がどこにあるのかわからない始末。整理不足のつけがものすごくたまっています。後2枚の宝物はいったいどこか・・・探し物はしばらく続きそうです。※伏見手の名称の由来は、伏見銭と同じように通用の左肩に隙間があるからということからなんですけど、通用銭だとよく分からないものの方が多そうです。
 
長郭手覆輪細字白銅質鋳写母銭  7月26日【検証鋳写母銭】
拡大画像による分析ついでにあまり調べていなかった所有品の解析を行うことにしました。それは不知長郭手覆輪細字白銅質の鋳写母銭。実はこの品はキュリオマガジンに天保仙人様が極秘出品していたもので、私は何も知らずに落札していて、たまたま仙人様宅にお伺いした際にその真相を告げられたれた次第。2015年11月15日の制作日記に記していますが、なんとなく考えるのをやめたままアルバムの中に眠っていました。
現品は側面、面背の角が立つほどきれいに砥ぎ仕上げられていて、穿内もきれいなべったりやすりで背郭もきれいな方形です。背の當百の文字は細く山形に切り立ち、まさに母銭のつくりですけど砥ぎの結果なのか面文字がちょっと甘いかなあ・・・でも密鋳銭ですからね。側面は無極印のような雰囲気。逆にそれが気になります。密鋳母銭は無極印だとばれやすいのであえて極印を打っていることが多いとか、なぜ無極印のままにしたんだろうか?。
背の朱文字が気になったので解析。私には母銭という文字が読めなかったのです。地色を脱色して朱を強調してゆきます。その結果、右が母銭、左が長郭と読めることが判明。昔の収集家はやはり母銭と判断していたことが証明できました。もう少し加刀や鋳ざらいがあると母銭らしいのですけど・・・砥ぎはあとでからも可能なので無極印できれいすぎるのが気になりますけど、母銭と言えば母銭です。ただ、これから作られる通用銭はかなり小さくなりますので覆輪が必要になるかもしれませんね。
 長径48.8㎜ 短径32.1㎜ 銭文径41.3㎜ 重量20.0g
 
7月25日【検証兄弟銭?】
Tさんの指摘の長郭手赤銅細縁小様を捜し出して字拡大撮影してみました。初めにお断りしておきますが、Hさんのスキャナ撮影の光源が左側から右への移動、そして私のスキャナ撮影の光源移動が下から上で一致していません。その分印象がかなり異なると思います。ただし、地の雰囲気や鋳だまりの位置などはよく分かると思います。
結論から言うと、左右の天保は同型とは言い難いと思います。
合致ポイントの一つの天上の刔削はこの手の不知銭にはよく見られるものであり、形状は微妙に異なりますし、百ノの瑕の位置も異なります。またそもそも銭文径が異なります。(画像上では無理やり大きさを調整しています。)
寶貝の上段横引きに刔削があるのとないのも、百の横引きの形状も異なります。
もちろん合致するところはいろいろあるのでしょう。Tさんの観察眼と記憶力には恐れ入るところです。(兄弟銭探しのスペシャリストだと思います。) 
 
7月24日【よりどりみどりHさん劇場4】
Hさんの投稿がまたやって参りました。状態は今一つのものであっても今回はB級とは言い切れないものばかり。B+もしくは1.5流クラスですね。

状態が今一つということで謙遜されていますが、南部小字は間違いなく珍品です。このクラスの品は、美品1枚持てれば満足してしまうところなんですけど欲を言えば銅質で2種(赤銅質・黄銅質)×極印で2種(桐・八つ手)の合計4種をそろえるのが夢ですね。私?・・・まだ、1種(赤銅質の八つ手)しか持っていません。これを4種揃えるのは経済的にとても厳しい。でもせっかく揃えるのなら美品はぜいたくかな?この品はCCFに出品されたもので私自身も応札するか悩みました。極微の品なら15万円ぐらいは覚悟しなければならない人気者なのです。Hさんは悩んだ末応札する法を選んだそうで、家族の(怒りの)顔が浮かんでしまう私とは反対行動になりました。

細郭手覆輪強刔輪長足寶もCCFの出品。(出品名:細郭手覆輪刔輪)磨きがあったので応札はほとんどなかったようですけど、実はこの品は細郭手でもっとも刔輪の強いなかなかの珍品なのです。寶足の下に鋳だまりのような突起があるのが特徴で、一種の景色になっています。名品館のNo.38に同じ品が掲載されています。

長郭手覆輪刔輪もCCFの出品物。(出品名:長郭手覆輪刔輪少刔輪)私も応札していましたが勝てなかったもの。寶横の巨大な鋳だまりがチャームポイントでやや白銅質っぽく見えます。「あと少し寶足が長かったらA級入り」とのことですけど十分に楽しめる景色を持っていると思いますよ。

下段にある長郭手には関西のTさんから早速連絡がありました。なんでも制作日記2018年8月15日の品と同規品とのこと。え~、色も雰囲気も全然違うよ~と思い返信したのですが、一致ポイントが6ヶ所以上あるとの返事。たしかに郭の形状など一致点は複数あります。透過法による合致なので自信ありとのこと・・・掲示板で説明をご期待申し上げます。
なお、TさんによるとCCFの6183と6184も兄弟銭だそうで・・・あらら、全然気が付いてなかったです。私の目は節穴だなあ。

続くは細郭手張足寶。不知銭愛好家ならマストアイテムと言ってよい定番品です。黄褐色の品が多いのですが、なんだろう・・・妙にすべすべした地肌でやや赤い。Hさんも面側だけ見たら母銭???なんて書かれていましたが、背側を見るとちょっと違います。この類はオリジナル母銭によるものでしょうから母銭はきっと精巧なものでしょうね。銭文径40㎜というで、これ以上小さい細郭手張足寶の存在は知らないのでやはり通用銭でしょう。少し夢を見ました。

最後は長郭手張足寶です。銭文径が40.1㎜のタイプは2度写しなのでいわゆる小様サイズのはずなのですが・・・長径が48.7㎜あるし濶縁でもない。この類は改造銭のようでいてオリジナル性も高い不思議な品ばかりなんですね。しかも重量が15g台しかないということはかなりの薄手です。張足寶には何系統かあるようで集めれば集めるほどよく分からなくなってゆく不思議な不知銭です。これは状態から見ても間違いなくAクラスですね。 
南部小字黄銅質桐極印
長径48.4mm 短径32.6mm
銭文径40.0mm 重量20.75g
細郭手覆輪強刔輪長足寶
長径49.5mm 短径33.6mm
銭文径40.8mm 重量20.62g
長郭手覆輪刔輪
長径49.0mm 短径32.9mm
銭文径41.0mm 重量22.6g
長郭手覆輪
長径48.9mm 短径32.3mm
銭文径40.5mm 重量20.59g
細郭手張足寶
長径49.0mm 短径31.9mm
銭文径40.0mm 重量21.98g
長郭手張足寶薄肉
長径48.7mm 短径31.8mm
銭文径40.1mm 重量15.78g
 
7月20日【よりどりみどりHさん劇場3】
今回は正真正銘?のB級劇場です。私のコインアルバムもB級品の宝庫なんですけど、Hさん・・・お主、なかなかやるのう・・・と、いったところ。
村上師が研究分類譜の収集メモに「真鍮銭は、不知銭をやり出した当時、川崎の本庄さんに、この手は少ないよと教えられ、価格にこだわらずかなり無理をして現在8孔」と、記載してあるそうなんですけど・・・。川崎の本庄さんとは川崎古銭会館の故、本庄時太郎師のことです。なつかしいですね。詳しくは泉家・収集家覚書をお読みください。
真鍮銭と聞くと私はおもちゃのような模造銭を頭に浮かべてしまいますが、村上師のおっしゃる真鍮銭は「明和期の青銭」のことを言っていると思います。たしかにこれは真鍮なんですけど、天保通寶不知銭に本当の真鍮はまずないと思いますよ。真鍮の鋳造技術は温度管理が相当難しく、原料の亜鉛の入手も困難で、突沸による爆発もある。国内技術が確立する明治中期以降まで誰が好き好んで使用するものかって代物なんです。(金座のみの門外不出の技術だったようです。)分析記録によると久留米には入っているかもしれないようなんですけど・・・よく分かりません。ちなみに真鍮とは銅と亜鉛の合金のことで、亜鉛が20%を超えると黄金色の光沢を示します。5円玉の色と言えばわかりやすいのですけど、模造金メッキにも使われることから「貧者の黄金」なんて揶揄されたりします。実は文政期の當四文銭(赤銭)にも亜鉛が使われています。したがって文政期銭も真鍮銭なんですけど全く別物ですね。文政期銭は亜鉛の含有率が低く、正式には丹銅と言うそうなんですけど、真鍮の一種には変わりません。
金座が真鍮銭を採用したのは、①金色が長く保てること②金属流動性が良く鋳不足による廃棄が減らせるからという差別化のため(あくまでも推定です。)だったと思いますが、後の文政期銭の出来栄えを見る限り、真鍮を採用した理由がほとんど意味をなしていない気がします。
亜鉛は国内にも豊富にある金属ながら、沸点が銅の融点より低いため、溶解の段階でどんどん蒸発・・・しかも、先ほど申したように温度管理を間違えると爆発するじゃじゃ馬です。銅には自分の融点より低い金属に対して溶けるという不思議な融点降下現象があるため真鍮合金は可能なんですけど、亜鉛の沸点(907℃)を絶対に超えない管理が必要になります。

長郭手鋳写縮形(細縁小様):長径48.3mm 短径31.8㎜ 銭文径41.0mm 重量18.48g
英泉譜1020番、分類譜下巻P7の5、別巻P85の5、趣味の情報3の102P、兵庫貨幣会報87号P36の187
各種泉譜に良く掲載されています。タグに下値10万円とあるそうで・・・さすがにそれはないでしょうねえ。細字で背肥郭気味刔輪も少々ありそうですけど・・・製作はいまいちですけど、まあまあの不知銭です。
良く見ると少々刔輪されていているようにも見えます。細縁小様ですからもしこのタイプで刔輪が強ければかなりの珍品なのです。いわゆる覆輪強刔輪の覆輪のタガがはずれたような・・・と私が称している類になります。銅色は発色の関係もありますが真鍮色ではないと思いますけど。

長郭手鋳写縮径:長径47.83mm 短径31.93mm 銭文径41.0mm 重量18.53g
英泉1024番、分類譜下巻P186の4
これは青白いので真鍮銭と言っても納得できますね。CCFの6184番かと思いました。よく似ています。長径が48㎜を切る縮径銭なのでB級は失礼かもしれませんね。これは少ないですから。

長郭手鋳写細字:長径48.4㎜、短径32.1㎜、銭文径40.8㎜、重量20.65g
細字で背肥郭気味刔輪も少々ありそうですけど・・・製作はいまいちですけど、まあまあの不知銭です。
 
長郭手覆輪刔輪宏足寶背上辺削郭 
打印銭寛永省寶 
密鋳小梅手大永鋳写母銭背夷縵
7月17日【CCF収穫品】
CCFの郵便入札の落札品が届きました。コロナの影響もあり会場にも行かず、下見もせずの応札ですけど、同じ考え・行動の方々が多かったのではないでしょうか。会場に行かないと競り負けてしまうのが常なのですけど、幸いいくつかの品を入手することができました。
天保通寶の出品名は長郭手覆輪刔輪、ただし少刔輪とありました。そのためかまさかの(天保銭唯一の)落札成功・・・これはラッキーでしたね。実物を見た瞬間、珍品GETの香りがプンプンです。予測以上に天上の刔輪が強く、横のふくらみが強い独特な形。これは宏足寶とか大珍品の濶字と称される形状にそっくりなんですね。まさか濶字・・・なんて夢を見てしまう。宏足寶の系統ながら、寶足が今一つ長く見えない前駆銭的存在かも。う~ん、宏足寶でも良いかもしれませんね。
長径49.1㎜ 短径33.2㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量27.6g!
重量も実に立派です。長郭手覆輪刔輪宏足寶背上辺削郭とでもしましょうか。

続く寛永銭は赤銅の打印銭です。省寶とでも称すべき特異な書体で、これは初めての入手です。しかし薄くて小さくてペラペラです。(22.2~22.0㎜ 2.2g)とてもお金として通用したとは思えませんけど、楽しい品なんですね。これが今回で一番の高額出費になりました。いいんです。

最後の一枚は、一番私らしいもの。元文期小梅手大永の鋳写し母銭です。背はのっぺりしていて鏡屋銭みたい。(21.6~21.4㎜ 4.3g)しかも出品価格が強気の7000円・・・誰がこんな小汚いもの・・・と思いながらも好奇心が止まらない。誰も応札していないだろうと思います。鉄銭の母で、そこそこの肉厚がありますが、本当に粗雑な密鋳母銭ですね。
 
7月16日【美しい不知銭】
不知銭の中にも群を抜いて製作が安定しているものがあります。掲示板にもありましたが「容弱」が典型ですね。私は量を求める収集家ではないのですけど容弱は今まで4枚ほど入手し、現在は2枚のみ手元に残しています。
1枚は通用母銭ではないかと仙人様に指摘された1枚。(銭文径41.2㎜)もう1枚は銭文径のやや縮んだ(40.9㎜)極細字の美銭。四国のKさんから分譲頂いた品です。私はこれを次鋳?としていましたが、考えてみれば他の容弱の銭文径を詳しく調べて残してなかった。これでは次鋳もへったくれもあったもんじゃないです。皆さま手持ちの容弱のスペック(長径・短径・銭文径・重量)をお教えください。
文字の繊細さはまさに美術工芸品で、そのまま母銭になるといっても過言ではありません。もちろん、すべての容弱がここまで細字であるわけではなく、やや肥字になるものも存在しますが、総じて製作は上質です。花押の髭太ぶりが楽しいですよね。
天保通寶母銭図録には容弱の錫母の古拓が掲載されています。所在は不明とのことですが、容弱ならあり得ると思われます。錫母の写しを重ねることで銭文径のほとんど変わらない母銭を量産できるわけなんですね。銭文径0.3㎜の差はここに秘密が有るかもしれません。なお、母銭図録には村上英太郎師の容弱の鋳ざらい母が掲載されていますが、これもいわゆる通用母。貸出母銭なる不思議な名称がつけられていた品だったと思います。

美しい不知銭と言えば俯頭通ははずせませんね。私にとっては生まれて初めて出会った不知銭で、極上の美銭でした。俯頭通にも母銭が存在しているようで、50㎜を超えるサイズ表記の拓本が母銭図録に掲載されています。(小川青寶樓旧蔵)しかし、瓜生氏の記録したサイズはそのまま鵜呑みにできません。あくまでも印刷物からの計測ながら1ミリぐらいの誤差は良くありますし、同じ品の複数掲載、拓本の修正・改竄がそこかしこにあります。意図的なものかは不明ですけど・・・。
俯頭通には製作のやや劣る次鋳銭が確実に存在します。(仙人様の保有品で2品拝見しましたがもしかすると少ない存在なのかもしれません。)そのことから俯頭通は錫母方式ではなく古寛永のように写しを重ねたことが予測されます。
私所有の俯頭通は郭内がきれいに成形され、背側の文字は切り立ち完全に母銭の作りです。したがって、このサイズの俯頭通は次鋳の母銭として使用されたと考えても良いかと思います。ただし、仙人様に聞くと俯頭通には美銭が多いそうで、このクラスのものは良くあるそうで・・・そうなんですか・・・奥が深いなあ。

3つ目は張足寶。ただ、この類はいろいろ混じっていますので、製作にばらつきがなく安定している細郭手の張足寶を基準としたいと思います。もちろん、長郭手でこれと同じ製作のものもあるだろうと思いますが、節穴目の私にはこれが同炉と言い切れる自信はありません。関西のTさんのおっしゃる通り、長郭手の張足寶が会津から出現したことがあります。だからと言って張足寶がすべて会津であるとは言えないと思います。もちろん、可能性は否定できませんが、短貝寶類などとあまりに製作が違いすぎる点がどうにも説明がつかないのです。これらの不知銭は民間鋳造にしてはあまりにも堂々としていますし、書体もオリジナル・・・なのに、規格がしっかりしているのです。大きな藩で製作された不知銭としてはこれらは有力な書体なのではないでしょうか。
 
7月13日【文銭母銭考】
「文銭に母銭なし」・・・何度も書いていますが、この言葉は自分への諫めとしてしています。それだけ寛文期亀戸線の母銭判定は難しく、私が母銭を積極的に集めない理由の一つになっています。新寛永通寶時代の幕開けとなる寛文期亀戸銭は母銭の管理がほかの時代に比べて厳格だったと見えて、これぞ母銭と言える品はめったに見ません。たまに見かけるのは何らかの欠陥による格下げ母銭らしきもの、もしくは細縁銭ともいうべき通用銭の大型のものがほとんどです。
そもそも、コレクターの多くは「郭内のやすり掛け」を母銭判定の理由にしていますけど・・・私はそのコツがさっぱり判らないのです。以下は私が母銭で良いだろうと考えている数少ない文銭です。
①正字背文鋳ざらい母銭。私が完璧な母銭だと判断したもの。平成17年の銀座コインオークションに出品された品で大分の坂井師によると母銭の母銭以上・・・おそらく母の母の母クラスだとのこと。仙人様の仰る通り3m離れてもわかる品で、私も落札を目指して参戦しましたが5万円を超えてしまい溜息をついた覚えがあります。今は誰の手の下にあるのでしょうか?

②細字背文母銭。上掲の正字母銭には及びませんが鋳ざらい痕もあり、銅質も非常に練れが良い感じです。文字も繊細で大きい。外径は25.22㎜、内径は20.8㎜とあるので特別に大きいというわけではありませんが、内径は少々大きめです。久泉研究資料だとワンランク上位認定されるものですかね。

③中字背文白銅母銭。今年2月に大和文庫に出品されて、発狂寸前の価格で応札してもぎ取ったもの。①のときのトラウマです。大きさは25.3㎜ですからビックりするほど大きいわけでもありませんが内径は20.5㎜、重量は4.2gで母銭としてはかなりの及第点。久泉研究資料には25.75㎜の最大様母銭が掲載されていて(内径20.6㎜)、それが白銅質ということですから何か近いものがあるのかもしれません。まあ、この白さは異常ですね。別格品でしょう。

④中字半欠叉文大様母銭。3m離れても判るどころか30cmでも判らないかもしれません。真っ黒に見えますが、実物は赤銅色(??)の未使用肌がわずかに残ります。外径は25.65㎜で、焼け伸びでもなく中字のこのサイズは異常です。内径20.6㎜、重量も4.1gもあります。HPには文字の立ち上がりが不満・・・なんて書いていましたが、改めて確認すると見た目以上にきれい。(修正しました。)地肌もきめ細かい。郭内仕上げもめちゃめちゃきれいです。よく見たら半欠叉文になっていました。母銭で間違いないと思います。見る目なかったなぁ、収集の誌上入札で手に入れています。

⑤繊字背狭文大様母銭。収集誌上入札で強気の26000円の設定。しかも白銅母銭の名前が見えたので応札した記憶があります。白銅は大したことがなかったのでがっかりしたのですが、外径が25.65㎜もありました。(内径20.4㎜、重量4.0g)改めて確認しましたが、これも手にすると別格の品に見えますね。ただ、郭内の上辺仕上げが少し斜めでやや雑な気もします。

⑥繊字背小文格下げ母銭(通用銭)。母銭のつくりなのですが、郭内の成形に失敗したためなのか、文の鋳出し不十分なのか、それとも輪の偏りが気に入らなかったのか磨輪されて通用銭に交じって(通用銭として)流通させられたものと推定。面側が極端な偏輪になっているのが珍しい。母銭の出来損ないであって母銭とは言い切れませんがきれいなつくりです。磨輪される前はさぞかし立派だったと思います。母銭の製造は中見切り(型の合わせ目が厚みの中央)なのでこのような偏輪の錯笵は発生しやすかったと思います。

 
7月8日【美しき古寛永】
最近は意識的に古寛永は集めないようにしています。理由・・・年齢的なことを考えてジャンルを絞ろうと考えているからで、気が早いかもしれませんが将来的な終活に備える意味でもあります。(私心配性なんです。)それでなくても「欲しい欲しい病」に罹っているものですから、放置しておくと家計と家庭の平和を壊します。これはこの病の最大の問題なんですね。ただし、ときどき発作が起きることがあります。そんなときはこれぐらいならいいだろうという価格を入れてあとは極力見ないようにしています。結果はたいてい負けなんですけど覚悟の上。残った画像で心を癒しています。
今回はそんな美しい古寛永画像を2枚ほど。初めの1枚は文源郷師が出品していた水戸長永広郭の母銭。古寛永の母銭はたいてい「え、これ母銭?」というものが多い。通用銭の良いものを使用して母銭とした・・・という言葉を自分に都合よく拡大解釈されている方が多いのです。正直言って私は市場にある古寛永母銭の半分以上が気に入らないのです。母銭なら母銭らしい特徴がひとつやふたつあってしかるべきなんです。その点、この母銭は納得できます。銭径は大きいし、鋳ざらい痕跡もあるし、広郭の風貌も良いし、銅質もなんか違う。背郭がやや甘いのと、表面に何か固着している点は気になりますが、いい味を出しています。もちろん、今は他の人の持ち物なんですけど・・・目の保養、心の栄養。
2枚目は寛仙堂師が出品していた水戸遒勁大字星刮去。これは一目気になりました。鋳ざらい痕跡といい、銅質といい、背郭の雰囲気まで長門銭にしか見えません。その類には星文様遒勁というものまであり、しかも通頭に加刀されているものが存在します・・・これも加刀されていますね・・・幻頭通とか削頭通なんて珍品ですし、それでなくても少ない品。永字は大きく、まるで踊っているように払いが跳ねる印象です。いわゆる千木永風なんですね。これは原品を見たかったです。ちょっとだけ心残り。
最後の1枚・・・これ収集誌の落札品。ちょっと磨かれちゃっていますが長郭手の1回写しでした。長径は48.2㎜と小さく、短径も31.8㎜しかありません。銭文径も41.1㎜、重量は21.5gで、書体の大きな変化なし。小さくなかったら本座にしか見えません。一応、覆輪の名称はついていましたが実物を見ると微妙な感じです。郭内は背側からべったり4方向やすりで、極印は破損しているのか打ち損じているのかよく分かりません。実は秋田の村上師のタグ付きで、覆輪と不知銭長郭様の名称がついていました。英泉天保通寶研究分類譜1021番で、長郭手真鍮銭とされていますが、タグにかつて書いてあった真鍮銭の文字は横線で消されています。覆輪で良いのかなあ・・・鋳写し小様とすべきでしょうかね。村上師もいろいろと悩まれた(楽しまれた?)ようですね。
 
7月7日【Tさんの宿題】
本日は仕事場の草刈りを終日行いまして・・・フラフラです。本当は休日なんですけどボランティア・・・ブラック???・・・責任者だから仕方がありません。大雨が予測されていたので、休止されるだろうと思い昨日はちょっと夜更かししてHPを書いていましたが、朝起きたら微雨・・・。立場上、やる気を見せないわけにはいかないので草刈り開始・・・そのうち、中止になるだろうと思いつつ・・・しかし、午後から晴れました。大雨で大変な思いをされている地域も多いと思いますので、ありがたいと思うべきでしょう。織姫、彦星も喜んでいると思います。しかし、高温多湿でヘロヘロになりました。駐車場の奥を草刈りすると地面がぼこぼこで、イノシシの寝床やドロ浴場が出てきました。人口27万、工業出荷額全国2位の市なんですけどね。
さて、Tさんからのリクエストの天保銭をようやく発見。天保通寶の収蔵用に中型アルバムが10冊ほどあるのですが、全部黒で統一してしまった上に目次などをつけてないので何に何が入っているのかわかりません。ついでに机の上にも撮影した後に放置状態の不知銭が10枚以上あります。最近はHPに記事を書いたことに満足してしまう傾向にあり、全くと言って程整理が進んでいないのです。わ(私にとって収集とはHPを書くことになっています。)本末転倒で反省が必要ですね。
Tさんは画像から兄弟銭的な特徴を見つける天才ですね。ただ、今回の品はさすがに違うと思います。鋳だまりらしきものの位置は一部近似していますが、製作が全く異なります。上段は単純な鋳写で、輪際にわずかな整形痕跡はありますが刔輪と呼べるものではありません。(この程度のものは本座でもあります。)当時(2011年3月23日)は刔輪修正なんて書いてしまっていますがこれは欲目ですね。
2016年2月19日の品は見事な宏足寶になっていて、とくに當上、花押下部のえぐれは見事です。
Tさんはこんなに小さな鋳だまりによく気が付くことに感心してしまいますが、(発見場所もそうですが)あまりこだわりすぎると本質が見えなくなってしまいますのでご注意ください。
 
7月6日【水戸短足寶母銭】
四国のKさんから画像を頂戴しました。雑銭掲示板に短期間の掲示をしたもので、確認する前に削除されてしまったので、関東のAさんから(すごいものがあると)メールを頂戴したのですが何のことか???でした。画像を直接頂戴してあらためて状況が理解できた次第。削除の理由は、計測値などを詳細公開するのは(贋作を招く可能性もあるので)まだ早いのでは・・・ということだそうで、詳細は伏せた状況での画像公開とします。
Kさんは根っからの雑銭党で、撰銭を何よりの楽しみにされているのですけど・・・今回は久々のヒット・・・いえ、場外大ホームラン!、ということになります。掲示画像はカメラによる撮影で下からのあおり撮りになっていたものに対しゆがみ矯正を少しかけたもの。したがって上半分の縮小が下半分よりまだ強くなっていますが、それでも実物の迫力が良く伝わってきます。一番下の画像が出品時の画像。見易いように背景色を脱色してありますが、この画像だけで違和感を見抜くとはかなりの慧眼の持ち主です。
長径は50㎜を超え、側面はかすかにテーパー状になっていると見え、面より背側の径がわずかに大きい。拡大画像を見ると文字や郭の立ち上がりや鋳ざらいの雰囲気がよく分かります。側面に極印が打たれていていることから、万一の発覚に備えたものか、あるいは文字頂点が砥がれているようにも見えるので廃棄母なのか?
短足寶が水戸藩錢だとしたら、水戸藩には天保通寶鋳造の幕許が下りていることが判っていますので「母銭に極印を打つ必要はないのでは?」というKさんの疑問はもっともです。水戸藩がつくったにしても、本座のつくりとはかけ離れていますね。あるいは幕許前につくっていたとか???それとも水戸藩以外の手になるものなのか?

短足寶が水戸藩とされた理由はたぶん以下の通りです。
①製作が均一、しかも大量鋳造。
②錫母からの鋳造であり、この技術を使える藩は限られていること。
③錫母、銅母が水戸方面から出現していて、常陽銀行などに納められた経緯があること。

一方、短足寶には南部藩鋳造説(盛岡藩鋳砲場説)もあります。その根拠は
①盛岡藩が錫母を介した鋳造の技術を知っていた可能性が高いこともありますが・・・
②郷土史家の新渡戸仙岳が書き残した資料「盛岡藩造貨」が再発見されていることにつきます。
鋳造開始は南部藩の代表銭、大字や銅山手が出現する前のこと(鋳造開始は弘化4年頃)であり、場所も梁川地区の藩鋳砲場で、その内容も克明に記されています。資料には拓本も張り付けられていたようです。この発見の発表をしたのは故、沢井敬一氏(岩手古泉会15周年記念誌泉寿などに掲載あり)で、発表はしたものの氏は新渡戸のこの記録文書に対してはやや懐疑的であったようです。
(一方、「室場天保=反玉寶」については、やはり新渡戸研究が大もとにもなっているのですが、小笠原白雲の研究記述のある日記などの傍証もあったので「室場天保」と断定しています。ただし、その「間違いない証拠」については、誌上において資料の元持ち主の名誉を汚すとの理由で伏せたままであり、何とも歯切れがよくなかった記憶があります。)梁川天保については様々な疑問を呈しながらも、泉寿誌上に資料紹介を詳しくされています。

2つの説を補完する情報として・・・水戸短足寶の錫母銭は昭和4年(7~8年頃という記述もある)に水戸方面で濶字退寶銅母銭3枚とともに10枚ほど発見されたといいます。発見者は木村昌古堂・・・かの室場天保の大量発見&市場流布者でもあり、大正~昭和初期の東北の古銭ブローカーでもあります。(やや胡散臭い人でもあります。)この発見が今となっては短足寶=水戸説の最大根拠なのですが、果たして木村昌古堂がかの入手先を正しく伝えているか否かについてはかなり妖しいものがあります。
一方で南部藩鋳造説は新渡戸の残した資料がどこまで信用に足るか否かにかかっています。新渡戸は古銭収集家ではなかったので、専門用語を知らず、記述が正しくないことも十分に考えられます。そして残念なことに新渡戸の記録は古泉界では自分で作った盛岡銅山を売らんがための捏造文書と、一方的に非難されてきています。

しかし、新渡戸は前述したように古銭収集家ではなく郷土史家であり、新渡戸の資料についても本人が貨幣誌に寄稿したものでなく、編集者が掲載して流布したものと思われます。さらに、新渡戸は東京まで出てゆくこともなく、贋作と断罪された盛岡銅山をせっせと売りさばいていたのは後に新渡戸を贋作者として糾弾した古泉家たちであったことまでわかっているようです。(新渡戸は鋳造技術を持つM氏にに頼みレプリカの盛岡銅山を作成して周囲に配っていました。全く無防備で、後にこのレプリカ作成者まで新渡戸を非難しています。)
個人的な感想になりますが、新渡戸の文章には古泉家特有の化粧部分(推論によるふくらまし)があまりありません。郷土史家がたんたんと伝聞を記録したものに思えるのです。それに対して古泉家の文章はかなり化粧部分が多い。その理由は、郷土史家は歴史を記録として伝えることに興味があり、古泉家は古銭そのものに魅力を感じているからにほかなりません。もちろん、私は新渡戸の文章すべてを読んだわけではありませんので、思い込み、買い被りなのかもしれません。私も趣味で若干郷土史を勉強していますが、その思いはこんなことがあった・・・事実を残したいからなんですね。もちろん記録を文学的に誇張して書かれる方もいますのでみんながみんなそうだとは限りませんが、新渡戸はどちらかというと前者のタイプに思えます。

沢井氏は新渡戸が古銭家でないのに、書体の細かい記述を残していることに疑問を呈し、また、鋳造期間や人員規模に比べて現存数が多すぎることなどから記述は誤りだと判断していますが、果たしてそれで良いのか私にはわかりません。一方で沢井氏は「新渡戸の記録は盛岡銅山に関する記述以外はほとんど真実に思えた」とも述べています。ではなぜこの記述部分がだめなのか・・・伝聞記録をそのまま残したい郷土史家と、現物を知っている古泉家のそんなはずはないという思いの戦いがそこには存在します。 南部古泉界と新渡戸の間に何があったのか・・・真相はよく分からないものの、南部藩地域の貨幣研究は新渡戸の残した資料なくしては成り立たないものであると断言できます。その後の研究の多くが新渡戸の研究範囲からほとんど歩み出せていない中で、それぞれの研究者が自説を仮設として展開しているのが現状です。その点において沢井氏も「新渡戸研究をすべて否定すべきものではない」という心情を吐露しており、南部古泉界の当時の重鎮とのはざまで揺れる心情が見え隠れします。
私は古い文書の類の読解はからきしなのですが機会があったらこれだけはもう一度検証してみたいなと思います。

まとめますと・・・
短足寶水戸藩鋳造説は・・・
①錫母の大量出現・・・これは強烈です。ただし、木村昌古堂が本当の出現地を正しく伝えているか否かはやや妖しいとも言えます。

短足寶南部梁川鋳造説は
②新渡戸の残した詳細記録・・・元鋳銭工鏑理八の妻、キサの口伝・・・ただし、キサも新渡戸も古泉家ではないので書体記述が合致するのかが不明なのと、鋳造量的に疑義が残ること。さらに、製作がほかの南部藩と全く異なるというのも不思議です。ただし、見つかれば死罪は免れなかった密鋳ということを考えれば、それらも説明できるかもしれませんね。

個人的には②だったら良いなあと思ってしまいます(東北の古泉家のみなさんは絶対否定するでしょうけど)錫母は短期間で大量生産するためにはなくてはならないアイテムなんですよね。短足寶の錫母は本座と違い鉛成分の多いものであるという記録も気になります。伝承は正しいものばかりとは言えませんが、まったく根拠のない伝承はありません。

※短足寶の錫母には木型から伝鋳されたと思われる彫跡が残っているそうです。すなわち彫母は木型であったということ。なお、木村昌古堂によって発見された錫母は散逸して3品ぐらいしか確認できていないそうです。また、短足寶の銅母銭は2品ほどしか見つかっていなかったということですから、今回の品は3品目???なのかしら?(天保通寶分類譜第6巻より)
 
6月30日【江刺一文銭】
画像の一文銭をどうして私が江刺と判断したか・・・という理由についてAさんから質問が来ました。この品が手元にあれば話が早いのですが、残念なことにほかのコレクターのところにお嫁入してしまいました。
出品されていた方は関東のIさんで、かなりの目利きです。ヤフオク画像はおそらく補正が効いていてノイズが除去されやや赤みが強く映っていますが、現品はもう少し落ち着いた色調になります。と、いうのも私から花嫁を奪った今一番勢いのあるHさんが、嬉々として画像を私にお贈りくださいました。
古銭収集趣味というものはときとして残酷なもので、失恋の心の傷跡に塩をすり込むような仕打ち・・・おかげで後悔しきり、未練たらたらで枕を濡らしています。いつでも良いので戻っておいでと声をかけてあげようと思います。
さて、頂いた画像で他の江刺銭と並んだ姿では端正に見えますが、側面の仕上げは江刺系と同じ。(飛び出しているものが問題の品。上に重ねてあるのは加護山銭。)密鋳一文銭の側面の仕上げは摩耗して良く見えないものが多いのですけど、手仕上げのやすりであることが良く分かります。
実はこれらの画像を見るまでもなく、Iさんの出品物は私の所有品(画像最下段)と同じ系統の密鋳銭であると確信していました。
最下段の画像品は2006年9月にヤフオクに登場し、激戦の末に中部のSさんの手中に一度は落ちたのですが、3年後に古銭会でお会いした際にお譲りいただいたという思い出の品なのです。(Sさん、その節は大変お世話になりました。)奇品館のNo.60として掲載されているので記憶にある方もおられると思います。
でもって改めて私の所有品と見比べてください。ほら、同じ系統・・・江刺に見えてきませんか?
何で見たのかが見つけ出せないのですが、異書の江刺写しを泉書で拝見したことがあるのです。今回の品はざらざら肌には見えないということですが、その点は流通過程や保存でもかなり変化します。(江刺はあくまでも仮分類で、一手ではない、別炉もあると思います。)
とはいえ、これらの品は私が初めて見た瞬間から
「私の品と同炉だ、だから江刺だ!」と思いこんだことから始まります。私の入手していた品は、ざらざら肌が残っていて穿内も鋳放しなので説得力はあるのですが・・・誰も江刺で作っているところは見ていませんよね。
密鋳銭は私の場合思い込みによる分類が主体なので、その点は差し引いてお考え頂ければ幸いです。違うかなあ?
 
6月28日【黄金の一発】
中国地方のHさんから・・・これはひょっとして・・・とのこと。
鉄銭は苦手なんですよね~埃アレルギーだし、くしゃみが出て触りたくないし、なにせ最近見ていないから勉強不足だし・・・なんてぶつぶつ言い訳をしながら画像拝見。メールにはもしかすると長爪寛輪片川かもだって、そんなに簡単に見つからないよ、単純に片川じゃないのかなあ・・・文字細く、永柱がくねっていて打ち込みが大きいね、通の辵と用の間が大きいなあ。う~ん、これってやっぱり長爪寛じゃないかしら。寛爪の特徴が良く見えないのは残念ですけど総合的に見て間違いなさそうですね。はい~、黄金の一発が出ました!
※穴銭入門には「とくに寶字が長大」とありますが今ひとつわかりづらいですね。寶冠が郭の上辺すれすれにまで達しているのですけど・・・。
 
6月19日【横広の張足寶】
この品は覚えている方も多いでしょう。私が一時期意地で張り合っていたからで、結局は関西のSさんの手に落ちていました。まあ、納まるところに納まったと言えます。なぜ、この品に私がはりこんだのかというと・・・画像で見る限り①テン上の刔輪が少し強く見えたから②周囲の本座銭に比べて巨大に見えたからなのです。Sさんから画像と計測値が送られてきました。長径48.66㎜  短径32.85㎜  銭文径40.19㎜
あれれ・・・天上の刔輪はさして強くないし、長径も大きくないや・・・ちょっと残念、いや、助かったのかしら・・・などと失礼なkとを考えてしまったのですが、よくよく数値を見ると短径の32.85㎜はずいぶん大きいのです。スマホの自動補正機能でヤフオク画像は大きくなったのかと思いましたが、大きく見えた原因はここにあったようです。ちなみに英泉天保通寶研究分類譜の第四巻を調べてみても長径48㎜半ばで短径が32.5㎜を超えるものは見当たりません。計測値がこのとおりならこの品はなかなか個性的な逸品であったことになります。私が負けたんですからこれぐらい箔が付いてくれないと困りますね。初めて見たとき、薩摩小字じゃないかと2度見してしまいましたから。Sさんには長径が大きくなくて残念なんて失礼な返事を書いてしまいましたが、横広ずんぐりむっくりの張足寶は唯一無二の珍品かもしれませんね。それにしても張足寶には無限と言って良いぐらいの変化がたくさんあって飽きません。すばらしいです。
 
6月18日【楽しい寛永通寶】
古寛永は難しいと思います。ただでさえ難しいのに、先輩方が細分類をいろいろ模索した結果、これでもかというぐらい種類があります。しかも存在数は新寛永の10分の1ほどもないと思います。あまりの難しさ故、ただでさえ絶滅危惧種コレクターぞろいの穴銭の世界の中でさらにレアなんですね。おそらく古寛永収集家に出会うのは野生のヤンバルクイナに出会う以上に難しいのは確実だと思います。
ところが中国の収集家の中には日本の穴銭をこよなく愛すパンダ級コレクターが存在します。
最初の画像はそんなコレクター氏が画像送付してくださったもの。坂本高頭通の刔輪じゃないかとの解説付きでした。初めての画像は正直言ってピンとこなかったのですけど取りなおしてのチャレンジです。寶下にうっすら朱のマークが見えますね・・・古いコレクターの収集品ではないかとも。
坂本に刔輪なんて初耳だと思いながら、画像を縮小してみると・・・あらら芝銭の四草点ですね。芝銭は接郭に代表されるように輪の内側を鋳浚う癖があります。とはいえ良い気付きだと思います。こんな小さな発見から収集の世界は広がると思います。

続く品は雑銭掲示板にすでに挙げた品。貨幣第65巻第2号(令和3年4月)湧泉堂A氏が出品されています。正式名称は古寛永称仙台銭跛寶昂通肥尾永白銅母銭。直径25.45㎜ 重量3.6g。古寛永の母銭をもし最初に収集するのなら、仙台跛寶の類か御蔵銭の未使用級の母銭がよろしいかと思います。仙台跛寶の母銭は通常は黄銅質なのですけど、これは白みがかっている・・・だけでなく二回りぐらい大きいのです。いわゆる母銭の母銭もしくはさらにその上の母クラスのもので絶稀の品と言えます。画像が正しく色彩を表現しているのかはわかりませんが、仙台跛寶母銭で白銅質の色合いのものを見かけたら絶対に見逃さないように・・・。

最後の1枚はI氏出品の新寛永密鋳銭。実は私が今猛烈に反省している品。応札して放りっぱなしにしておくことは良くあるのですが、だれも追いかけてこないから忘れてしまっていました。これ、超激レアの1枚なんですよ。落とされた方・・・それこそラッキーです。これは江刺系のものに間違いないと思われるのです。人気はあまりないものの江刺の密鋳一文銭はかなり少ないものになります。なかでも江刺の仙台異書写しはめったにない品です・・・いやあ、欲しかったなあ、これ。
 
6月14日【よりどりみどりHさん劇場2】
Hさんの好調の波が止まらないです。今回も秋田の故、村上氏の旧蔵品を中心に新規収集物をご投稿くださいました。(運を分けてください!)

長郭手張足寶小様
英泉譜1281 小川青寶樓旧蔵
長径48.15mm 短径31.2mm
銭文径39.95mm 重量18.97g
張足寶の2度写しタイプです。長径はわずかに48㎜を超えているのですけど、銭文径が39㎜台と小さく、寶足が長く宏足寶気味に見えますね。故、村上師曰く、「張足寶は入手するたびにいつも銭径が違っていて、ついつい相当量になってしまった。」・・・私もそうなりたい。(なりかけている?)

細郭手張足寶 
英泉譜1441 分類譜上巻P70の10
長径49.24mm 短径33.2mm
銭文径40.0㎜ 重量18.98g

言わずと知れた超有名細郭手銭です。英泉天保通寶研究分類譜の張足寶の中で微差ながら最大径のもののようです。細郭手張足寶は製作が均一で銭径も49㎜前後で良くそろっているイメージがあります。未使用色が残る美銭ですね。大きな書体変化はないとされていますが、研ぎ仕上げの具合なのかこれはやや肥字に製作されています。

長郭手肥字濶天(立点通異制鬼天保)
英泉譜1076 分類譜下巻P205の1
天保銭41号
長径48.65mm 短径32.1mm
銭文径41.0mm 重量22.34g

赤銅質の鋳写し銭。肥字と言うより浅字。東北の方は天の上に鋳だまりが二つ並ぶと鬼○○と名付けるのがお好きなようで・・・。
この天保通寶は穿内の処理が独特でまるで反郭のように見えてきます。(反郭ですかね。)ただし、文字変化は通点が小さく丸く見える以外はあまりないように見えます。異制の名称がつけられているように、ざらざら肌で浅字に見えるのですけど重量は規定以上あります。

長郭手連玉寶厚肉(長尾通)
英泉1140 分類譜下巻P33の12
長径48.1mm 短径31.75mm
銭文径40.8mm 重量27.8g
厚3.5mm

背側のずれが楽しい不知銭。ただし、最大の特徴はその肉厚なこと。細縁で縮形なのに27.8gとはもう天保通寶としてはとんでもない厚みのレベルです。このギャップがたまらないです。長尾通は分類譜の名前ですけど、あまり的を射ていませんね。村上氏の連玉寶も失礼ながらありきたりでピンとこない。見た目で命名するなら細縁厚肉か縮径厚肉でしょう。

長郭手覆輪刔輪大様
長径50.25mm 短径34.1mm
銭文径41.0mm 重量23.92g

私は世の中に50㎜を超える天保通寶など母銭以外は何枚も存在しないだろうと思っていましたが、昨年9月27日にAさんの細郭手強刔輪銭を拝見。あるんですね。ところが本日2枚も登場するとは思わなんだ。
この天保銭にはCCF6159、2014.8.2と書いた村上師のタグがあるとのこと。はい、この品には記憶があります。どうしても会場に行きたくて品川までは何とか行ったのですがオークションが始まる前に帰ってこなければならず、断念した品です。8万円前後で落ちていたんじゃないかなこの品。参加してたら村上師と一騎打ちになり、意地でも落としていたと思います。(負け惜しみ)こうして再びみられるだけで幸せですね。(製作日記2014年8月2日、13日に記していました。)
それにしても良い品です、これは。卵型の独特の形状も不思議です。

細郭手覆輪刔輪大様
長径50.1mm 短径33.7mm
銭文径40.9mm 重量20.98g

細郭手の覆輪銭で、覆輪痕跡がしっかりあるタイプ。覆輪刔輪は間違いないものの、極端な覆輪でも刔輪でもありません。ですから画像の雰囲気ではやや平凡に見えて、そんなに大きいとは感じないのですが、バランスよく大きな天保銭のようです。製作が良ければ絶対母銭のサイズなんですけど通用銭にしか見えない作りです。不思議ですね。それにしても大きいですね。
 
6月10日【よりどりみどり雑銭劇場】
銘品のあとで恥ずかしいものの、雑銭類がまた増えました。
先頭は古寛永坂本跳永(不跳永?)の写しと思しきもの。収集の市場入札に名前だけ掲載されていてたいして期待できないだろうなあと思いながら応札。届いた品は真っ黒で薄っぺら、重さも2.6gしかない。周囲は極端な磨輪で虫食い状態。でも、これは密鋳銭ですね。こんなもの購入する奴は相当のもの好きですけど、よく見ると朱の赤い点が打たれていてかなり古いコレクターの収集物だろうということが分かります。密鋳の一文銭は少ないので面白がって収集していますが、これはきっと誰にも売れないだろうなあ。お金をどぶに捨てる行為、自殺行為、飛んで火にいる夏の虫なのかも。そして私は虫の息。嗚呼~。
続く2枚目、3枚目の画像はヤフオクで拾ったもの。出品者はIさん。雰囲気はいい感じで東北出身を感じます。まだ手元に来ていないのですけど、まあ、この手のものは過度に期待しちゃいけません。絶対汚い。書体は元禄期亀戸銭の厚肉の系統と、元文期小梅手の仰寛あたりか。厚肉は全体が歪みぼてっとした雰囲気であか抜けない感じ。一方小梅手は薄っぺらで背がずれており、湯道部分が食いちぎられたように欠損しています。このつくりは加護山銭に時々見られるものじゃないかしら。少なくとも画像的には加護山系の色合いですけど実物を見ないとわかりません。
天保通寶の画像は曳尾。書体的には仰頭通の系統かしら。収集誌上入札に出ていて天の左足がとても長く見えたのですが幻を見ていたような・・・。まあ、曳尾は愛嬌のある天保銭ですから多少枚数が増えてもいいか。私は枚数をたくさん集めるコレクターでもなければ、同じ品種を集中的に集める研究者的な人間でもありません。自分の気に入った品物を単品で愛でるのが好きなただの変態的愛玩者なのです。言っておきますがこの世界の方々は皆さん自分が普通の人だと思っていますけど皆さん相当変なんですよ。自覚しましょう。でも反省はほとんどしませんね。
かくいう私の反省の品を1枚。こちらも曳尾。寶貝が幅広いので細字系の大字で良いと思います。この品、ネットオークションに一度出て、その後に大和文庫のHPにずっと出続けていたから見ていた方は多かったと思います。ところで類似カタログで見ていても曳尾の細字と大字の差はあまりない気がします。2品の差は思い入れの差なんじゃないかと・・・。販売価格は曳尾4枚分でしたが、10%OFFセールになっていたので衝動買い。いけませんねぇ。
この品、拓本や画像の方が一層きれいに見えます。未使用色は肉眼だと薄汚れて書体がはっきり見えづらいのです。画像にするとくっきり見える・・・修正こそしていませんがお見合い写真美人のようなものでしょうか?こうやって観察すると花押は明らかに巨大ですね。化けますねえ。
最後の1枚はまたまた天保銭。真っ黒な広郭ですけど、実は不知銭です。こいつは収集誌上に不知広郭手厚肉片側極印落という名称で出てました。広郭手の不知銭の半分は高知額輪のできそこない。残りの半分が久留米の出来損ない・・・てな結果が多いのであまり期待していなかったのですけどそのどちらでもないですね。真鍮銭の類でもなさそうです。極印は半分側面から外れているし穴ぼこだけだし、かなり下の方ですから単なる打ち傷かもしれません。
長径48,2㎜ 短径32.1㎜ 銭文径40.5㎜ 重量26.3g。厚みは2.5~3㎜ですから確かに肉厚ですけどそれより鉛分が多いんじゃないかと思う肌の色です。普通、極印のない天保は後作を疑うところですが、極印以外はまじめな作りです。ただ、側面のやすりのかけ方に癖があり、全体に斜め方向に流れているように見えます。やすりそのものは古い。不思議です。加賀千代色かなあ。

 
5月31日【よりどりみどりHさん劇場】
関東のHさんが絶好調です。その原因はどうも私にあるようで、たきつけてしまったようです。人のせいにしちゃいけませんね。おかげと言って頂きたい。お礼に1~2枚お譲り頂きたいぐらいですね。絶賛、お待ちかね中です。( ´艸`)
さて、今回もなかなかの銘品ぞろいのようです。

①細郭手草点保
英泉天保通寶研究分類譜1358 趣味の教室8号P48
長径49.2㎜ 短径32.5㎜ 銭文径40.6㎜ 重量20.96g
類似カタログでは草天保になっていますが、意味としては草点の天保なのでやはり「草点保」の方がしっくりきます。大きさ49㎜を超えていながら細縁気味な大ぶり銭。砂目と言い独特の銭形と言い文句なしの銘品です。素朴な文字と砂目が粗い作なので、近代銭を収集しているコレクターさんは好き嫌いが分かれるでしょうけど、これこそ天保銭のわびさび代表なのです。

②長郭手嵌郭
英泉天保通寶研究分類譜1053 英泉還暦記念銭譜 趣味情報 
不知天保通宝分類譜下巻P90の15、16 P91の17(重複掲載)
長径49.3㎜ 短径32.5㎜ 銭文径41.2㎜ 重量21.19g

これも超有名品なんですけど、ずいぶんと泉譜に重複掲載されていますね。拓本収集でだぶったのかそれとも意図的なのか真相は不明です・・・けど、サイズがばらばらだから意図的だと私は思っています。瓜生さん、数字も良くいじるのですよね。
嵌郭そのものが大珍品ながら、加賀千代作の黒いうわさもついて回ります。根拠はあまりないのですけど、この砂目をあまり感じないどんよりした黒褐色がなんとも言えないのです。それでも収集してしまう、それがコレクターの性。これを所有できる方は選ばれた者のみです。

③長郭手覆輪深淵大様(肥天連玉寶)
英泉天保通寶研究分類譜1196
長径49.9㎜ 短径33.1㎜ 銭文径41.0㎜ 重量21.72g
Hさん曰く「巨大」。50㎜にあと一歩ですね。(惜しい!)背の輪際のぐりぐり感が特徴的です。明らかに覆輪刔輪されていますので、大様という名称とともに足しました。書体変化は少ないのですけど、これはなかなかの品です。大きいことは良いことなんですね。

④長郭手覆輪背濶縁(連玉寶異型)
英泉天保通寶研究分類譜1181
長径48.9㎜ 短径33.2㎜ 銭文径40.5㎜ 重量23.03g
⑤長郭手覆輪異型
英泉天保通寶研究分類譜1180
長径49.1㎜ 短径32.4㎜ 銭文径40.6㎜ 重量21.78g
関西のTさんが目を輝かせそうな、同じ製作にしか見えない2枚。独特の銭形で完全な兄弟銭とは言えませんが、同炉であろうことがなんとなくわかります。これぞ覆輪の不知銭と言っても良いでしょう。

⑥長郭手連玉冠削貝寶赤銅質
長径48.9㎜ 短径32.4㎜ 銭文径41.0㎜ 重量19.76g

これだけは英泉師の所有品ではなかった品とのことですが、いかにも東北出身といった雰囲気。書体変化はほとんどありませんが、要所要所に刔輪痕跡が確認できます。赤い天保通寶ってやっぱり可愛いですね。
 
 ④  ⑤  ⑥
 
5月28日【上棟銭・刻印銭】
古銭収集していて、手を出さない方が良いと先輩方によく言われるのが刻印銭の類です。理由は簡単で真贋の判定が難しく簡単に偽造できること。実際に輪十の刻印の贋作者は複数いて、それもかなりの数量を製作しています。最近では版画の贋作が話題になっていますが、構造的には同じで複製しやすいのです。困ったことに本物があるから偽物があるわけでして、価値が暴落した本物はどうしてくれるんだ・・・と言いたいのですけど、所詮、刻印銭なんで・・・色物なんです。
ですから、好奇心に任せて暇つぶしに集め、可能な限り由来を調べまくるというのが私のスタイル。深追いは禁物です。
刻印銭でわかっていることは・・・
①春宮・・・文政年間、諏訪大社上棟銭。
②秋宮・・・天保7年、諏訪大社秋宮改築時の上棟銭。
③上鳥居・・明治25年、諏訪大社上社、銅製の一の鳥居上棟銭。
④上石鳥居・明治32年、諏訪大社上社、石製の鳥居の上棟式銭。
※③と④については模倣した類似の品が全国各地にあると思われます。
⑤日荷堂・・(一文・四文)明治43年10月10日、東京谷中、延寿寺の上棟銭。鍍銀四文銭は来賓用で50枚のみ製作。
⑥旭堂・・・長野市の南西部、俗に朝日城址と呼ばれている屋敷跡にかつてあった木曽義仲の祠の上棟銭らしいこと。
⑦是・・・・参州是字山寺院(愛知県岡崎市)通称、是字寺(ぜのじでら)こと龍海院の寺院改築の際の上棟銭らしいこと。
⑧三梵字・・(鍍金・渡鍍銀)阿弥陀三尊を現す梵字。鍍銀成分からかなり古い時代にもつくられたと判明。作成した寺社は不明。
⑨丸い刻印の多くが、どうやら宝珠を模したものらしいこと。
⑩五字横打・博打場への(割符)らしいこと。(天保仙人様)
・・・と、まだこれぐらいしかわかっていません。
さて、最近文源郷師の出品で、旭堂と大黒刻印銭を入手しました。旭堂の由来らしきものは突き止めているのですが、大黒刻印は初めてです。この素性、はじめは贋作の豆板銀の刻印の試し打ちかな・・・と思いましたが、あまりに小さいのでお守り銭、上棟銭、博打場の入場券のいずれかでしょうかね。
※はずかしながら携帯メールのフィッシングに引っかかってしまいました。ネットショップで注文した品物が遅配していたところ、絶妙なタイミングで問い合わせが来たので詳細に応えてしまいました。携帯内情報は流出してしまったかもしれません。登録してあったカード情報も切り替えました。私のアドレスはどこから流出してしまったのかしら?私名義で怪しいメールが来たらご注意ください。
 
 
5月25日【あるところにはある】
ここのところ古銭流通は停滞気味で、特に天保通寶は人気が高まり価格が高騰、品物そのものがあまり姿を見せなくなっていたような気がしていましたが・・・あるところにはあるものなんですねぇ。

南部藩小字八つ手桐極印
(68式ヲヤジ氏蔵)
5月18日の日記原品です。うわ~いいなぁと思わず声をあげてしまいました。撮影方法の違いで色調がだいぶ異なりますけど、おそらくこちらの方が原色に近いと思われます。南部小字は黄色っぽいものと赤茶のもの、桐極印と八つ手極印があり、収集目標としては2×2=4種ということなんですけど、もともと高額な珍品なので一つ持つだけでも大変。まして美品は得難いのです。この品はネット上では背側に難があるように見えたのですが、これなら許容範囲ですね。八つ手の赤銅色は私は唯一保有している品なので深追いはしませんでしたけど、やっぱりいいなぁ小字は・・・。

福岡離郭濶縁爪百(青煮斎氏蔵
長径49.1㎜ 短径32.7㎜ 
銭文径40.5㎜ 重量21.8g 
内径43.1㎜ 肉厚2.4㎜
南部小字は目立っていたので注目していた方は多かったと思いますが・・・福岡離郭濶縁爪百(正百)の存在は誰も気が付いていなかったようです。(私も知らなかった。)この品は雑銭とのロットに混じっていたようで、落札価格は1万円余り。はい、「黄金の一発」出ました。このめくるめく快楽を一度体験してしまうと、二度目の快楽を求めて古銭の暗黒面に落ちてゆくのです。青煮斎さん、ようこそ。
離郭濶縁は珍銭には違いないのですが、数量的には決して入手不能の品ではありません。しかし、爪百(正百)は違います。カタログ評価(類似カタログ)は「甚だ少」・・・一体いくらなんだかわからないほどの価値なんです。現品は未使用色が残る美品で、極印は極小さいのものがやや不鮮明に打たれています。離郭濶縁には九州出と呼ばれる贋作があると聞いて心配になられていたようですが、大きさは十分。写しではありません。鋳ホールは見られませんが製作から見て間違いなく赤銅質の濶縁。一つお教えしますと通のしんにょうに切れが一か所ありますよね。これは実はポイントなのです。

次からの3枚は先日もご登場いただいた関東のHさんのコレクション。
中郭手狭足寶(関東H氏蔵)
長径48.83㎜ 短径32.67㎜ 銭文径40.7㎜ 重量22.87g
(英泉天保通寶研究分類譜1586 不知天保通寶分類譜上巻P137-8原品)
秋田の故、村上師の収集品です。私が天保通寶収集にのめりこんだのも師の収集品が入札誌「穴銭」などで全国のコレクターに売却されるようになったのが大きいのです。それによって泉譜原品が身近な存在になったのですね。Hさんも村上師のコレクションを先輩方に頼み込んでお譲り頂いているようでして、師の書いたタグを大切にしろと先輩方の教えを引き継いでおられるようです。覆輪と弱刔輪による写しのようで、天上の刔輪により若干輪の形がいびつになっています。

長郭手接輪天(関東H氏蔵)
長径48.08㎜ 短径31.92㎜ 
銭文径41.0㎜ 重量25.19g 
肉厚3.05㎜
(英泉天保通寶研究分類譜1085原品)
この品、村上師はタグに横棒引いたり消したり、名付けた後悩んだ様子が伺えるそうで厚肉とか肥二天とかタグにいろいろ書いてあるみたい。輪際の加刀以外保温度目立たない直写しですけど厚さ3㎜超過、25g超過は立派なので、厚肉重量銭とすべきじゃないかしら。

長郭手小様楔型
長径48.0㎜ 短径32.0㎜ 
銭文径40.4㎜ 重量29.26g
肉厚2.8㎜(天側)-3.7㎜(寶側)
(英泉天保通寶研究分類譜1035 不知天保通寶分類譜下巻P195-19原品)

最後の1枚は見るからに小ぶりですが、大きさは48㎜どまり。しか~し、重量がなんと29g????・・・これはすごい。関西のTさんから昨年の10月に見せていただいた品に匹敵するもの。小型の天保銭でこの手の色調、雰囲気のものはかなり製作に個性的なものが多い気がします。私手持ちの極小様の類がこれとどことなく似た風貌なのです。(刔輪縮形仰二割貝寶最小様・覆輪縮形宏足寶)こいつには参りました。
 
5月18日【連敗中】
5月に入りヤフオクの競り負けが込みはじめ、目下のところ20連敗中です。本気でない応札もありますので額面通りではないものの、最近は全く勝てる気がしません。GW中も巣ごもりの方が多かったと思われるので、競争激化しているのでしょうが今まであまり競争がなかった寛永通寶の雑銭まで高騰している気がします。みんなどうかしていますね。

文久永寶深字は久の脚が直線的でそそられました。未使用色の残る肌といい魅力的。この足で踏みつけられたいと久々に思い、手を出しましたがあっさり逆転されそれで終わり。思ったより値が伸びなかったのでもっと粘ればよかったとも思うのですが後の祭りです。

寛永の當四文正字写し密鋳銭はこのざらざら感がたまらない。背側の微妙なずれも楽しくてこのざらざら肌に頬ずりをし、しゃぶりつきたくなります。こういう得体のしれないものに1万円以上つぎ込むのはかなりの変態で、私以上の輩がいるとは思いませんでした。ああ~いたんだ。

古寛永芝不草点刔輪は私にとって憧れの品。長嘯子、御蔵銭長永とならぶ未入手品なのですが、年齢的にもう古寛永はお金をかけられないと心に決めていました。しかし、出品者はあの文源郷師で素性はよろしい。小さいしやや真鍮っぽく見えて荒れ肌なんですけどアバタもエクボ。輪際のぐりぐり感も気になりましたけど。こちらも思ったより低価格で落ちていたので残念です。

さて、続く画像はその憧れの品の御蔵銭長永です。タイトルを見る前に寶貝の爪と永点の瑕に気が付きましたが、寶足近くの輪の瑕は見当たりません。それにこちらも輪ぐりぐりです。不草点といいこの品といいちょっと気になったのですけど(銅質や地肌もなんとなく似ている。)まさかね。結局追いきれませんでしたが、こちらは良い値になりました。

その下は仙台跛寶の赤銅写し。加護山写しかな・・・でも火中品で赤く発色するものもあるかもしれないなあ・・・なんて思ってみていたらどんどん値が上がってしまった。やけくそで最後のお願いを入れましたが簡単に蹴り飛ばされました。本当に全く疑いをも持たない人たちです。あんたら、正常な目で物を見ているんですか!!!

最後は天保通寶盛岡小字。藩鋳銭での大人気銘柄です。面側はまずますなんですけど・・・それに背に少し難がありますけど許容範囲かな。八つ手極印に見えましたが、桐極印だったかもしれません。この類は人気があり十万円以上は必至なんですけど、一縷の望みを託し夢を見ました。夢でした。
それにしてもまったく、皆さんどうかしています。
 
長郭手覆輪強刔輪反足寶 関東H氏蔵
長郭手覆輪強刔輪宏足寶(花押下部凹) 関東H氏蔵 
長郭手通寶小字  関東H氏蔵
長郭手異書小様 (嵌郭手) 関東H氏蔵
面側に鋳割れのある広郭(軽量銭)侍古銭会 タジさん提供
長郭手覆輪強刔輪削字宏足寶 関西T氏蔵
細郭手背蝕輪 関西T氏蔵
5月17日【投稿天保画像】
たまってしまった画像を公開します。

最初の一枚は関東のHさんから頂いた長郭手の反足寶。寶足が長い不知天保銭は長反足寶があまりにも有名で、反足寶はその陰に隠れた存在になっていますが、どうしてどうして本家にも勝るとも劣らない大珍銭なのです。掲示の品は私が所有している品(天保通寶と類似貨幣カタログ現品)と鋳だまりなどの特徴が同じで同炉の兄弟銭と思われます。私の所有品がやや白銅質で、魚子地肌、先の鋭く尖った極印で、ひょっとしたら仙台???なんて夢を抱いておりましたが、これはきれいに黄銅色ですね。そうなると仙台は???かなあ。反足寶は張足寶系の書体ですけど、決定的な違いは天上や當上の刔輪が強いのです。何系統化ありそうですけど、きれいに反足寶になるのはこの系統だけかもしれません。長径49.0mm 短径32.6㎜ 銭文径41.2㎜ 重量22.12g。

2枚目はどうやら秋田の村上師の旧蔵品らしい品。残念ながら泉譜(英泉天保通寶研究分類譜)では確認できませんでしたけど、いわゆる花押の下角にポツ穴があり、ひげが跳ねるもっとも宏足寶らしい書体です。長径49.2㎜ 短径32.4㎜ 銭文径41.0㎜ 重量21.48g。この手の不知銭は何枚あっても楽しいですね。(手に入りませんけど。)

続いては通寶小字。長径48.6㎜ 短32.0mm 銭文径40.0㎜ 重量19.61g。私はこの手のものを通寶小字の類としていますが、Hさん「感覚的には通宝小字とは張足寶の次鋳みたいなものと感じました。」と仰るように世間一般はそうだとはしていないと思います。張足寶の中で覆輪があって天上の刔輪はほとんどなく、それでいて銭文径の小さな一類を当てているのですが、張(長)足寶小様とどこが違うのかといわれると微妙なのです。泉譜を見る限りでも「通寶が小さく見える・寶貝が細く見える」とかやはりちょっと感覚的なんですね。Hさんは寶貝の底の瑕の有無(あるいはシークレットマーク?)を気にされていましたが、鋳物なんですから気にしすぎる必要もないかと思いますよ。

次の品は真っ黒!長郭手異書小様。入手されたときに「嵌郭手」の謎の名称がついていたとか。覆輪の写しらしいのですけど、天の二引きや保の点が修飾されています。「長点保」としても良いかもしれない書体です。背當の隣のえぐれも気になりますね。嵌郭といえば加賀千代作といわれる贋作が有名で、昔、いかにも贋作という風貌の青銅製の嵌郭を所有していましたが、お世話になった仙人様に無償譲渡してしまったと思います。(もったいない?)その風貌に似ているといえば似ていますが・・・。長径48.5㎜ 短径31.2㎜ 銭文径40.8㎜ 重量17.57g。かなり小さいですね。

続いての画像は侍古銭会のタジさんから。ただの本座広郭・・・いえ、よく見てください面に鋳割れが走っています。面側は銭の顔ですからこういった失敗作はあまり出てこないのですけど、タジさんはこういった小変化にも敏感ですね。鋳割れは砂笵にひびが入った結果で一つ間違うと大錯笵になります。鋳走りや星、鋳だまりに比べて原因がはっきりしていますし、本座ではあまり見かけない錯笵だと思います。よく見ると保の一部も陰起していますし、重量も17.9g、肉厚も薄い規格外銭です。それなりに少ないものでしょうけどじゃあ、価値があるかといえば喜んでいるのはたぶん少数派の変態どもです。穴の細道の安達呑泉師が誰も集めていなかった錯笵を面白がってコレクションしていたとか。浩泉丸も人気薄の安南寛永やら上棟刻印銭、密鋳銭、錯笵銭など王道から次々に外れて散財を続けています。タジさんも危ない口なのかもしれませんけど、こういうものに興味を持たれることはまだまだ伸びしろがあると思いますね。泉運もありおねだり上手なので才能ありです。採拓も上手ですね。

さて、最後は雑銭掲示板に関西のT氏が投稿した2枚。
宏足寶は初見ですね。はじめてみたときは宏足寶というより、肥足寶の類か大点尓寶の類かと思いました。極印もものすごく独特。これは花桐極印じゃないし製作も違います。参りました同類を見たことありません。
投稿画像では何気なく写されていましたが、細郭手の背蝕輪もすごいですね。どうしたらこうなるのか頭の中で整理できません。こちらは花桐極印だと言われればあり得るかも。関西のTさんはどうやってこんなものを入手しているのでしょうか?ネットは最近競争が激しすぎて全く歯が立ちません。虎の威を借る狐、人の褌で相撲を取る…そんな毎日です。

 
5月16日【広人の長貝寶】
仙台古泉会のHさんから画像メールが届きました。ありがとうございます。
天保通寶収集をしていると会津長貝寶は避けて通れない一品です。この品そこそこの希少品で掘り出しをしようとすると大変なんですけど、4~5万円のお金を出せば購入することは容易に可能です。この会津長貝寶は書体の手替わりがほぼなく、製作も一定なので1枚手に入れてしまえばその後に追い求めることをやめてしまう方が多いと思います。その点は萩の平通や秋田細郭によく似ています。同じ金額を払うのなら曳尾の3~4枚を買った方が楽しめる・・・収集家心理なんですね。会津長貝寶は萩平通や秋田細郭よりほんの少し高くて入手が難しいし、かといって南部小字のような絶対的珍品にもなり切れない微妙な存在なんです。
そんな会津長貝寶の手替わりをHさんが発表しました。右側がその品。天の人、帆の人偏がわずかに長い。微妙な違いといえばそうなんですけど、そう言えば、その昔に短貝寶に似たような品が出てきて、いまだにそのままになっていましたね。不知勇文は会津ではないとされてしまってますけど勇文につながる変化???なんてね。
まだ、「手替わり?」の段階のようですけど、皆様の手持ち品をお調べいただければ幸いです。
 
不知長郭手濶天保 
49.0mm 32.6mm 41.2mm 22.12g
実物はもう少し黄色味が強いそうです。
 
5月15日【濶天保】
画像で関東のHさんの濶天保を拝見しました。状態はいまいち、いまに?かもしれませんが第一印象・・・大きいなあ・・・これは、悪くない、いえ、良いかもしれないという印象なのです。市場で不知天保銭の稀品を見ることがたまにありますが手を出したくない雰囲気のものが良くあります。やや小さくて湯圧が弱く文字抜けが悪くてどろんとした雰囲気のいかにも写しましたという顔の品です。次鋳銭の場合もあるのでしょうけどやはり大きいことに越したことはないのです。密鋳銭は採算性追及よりばれないことが優先なので小さかったり薄かったりするのは原則御法度。このクラスの品は長径49㎜前後は欲しいのです。もちろん、秋田小様のような小さな珍品もありますがこれは幕末期のどさくさに現れたあだ花だと思っています。また、俯頭通のように初鋳、次鋳ではっきり製作が異なるものもありますが、さすがに風格は初鋳に軍配が上がります。(実は私はこれを通用母銭格のものじゅやないかと思っています。)
濶天保は不知天保銭マニアなら誰でも思い浮かぶ名品なのですけど私はほとんど見たことがありません。たまにオークションなどに出てきてもちょっと手を出すことがためらわれる嫌な感じのものが多く、その点は赤銅質で小ぶりのものの多い薩摩小字と同じ感じです。ですから大様の濶天保の存在数は実はかなり少ないのではないかな・・・と感じる次第。実数的には奇天手や張点保より少ないと思うのですけど、格下に扱われることが多いのは風格ある銘品にあまり恵まれないからかもしれません。これも状態が良かったら飛びついたかもしれないのですけど。
濶天保は不知天保通寶分類譜の下巻に濶天保4枚掲載されていますが、49㎜を超えるのは大川天顕堂旧蔵品のみ。出現時期が比較的遅かったこともあり、地位が実力に追い付いていない感じは否定できません。願わくば49㎜以上ある濶天保の美人さん・・・私の前にひょっこり現れてくれないものかなあ。
 
5月12日【サイトクラッシュ】
この記事が読めているということは復旧したということ。転送画像が1万点を超えているので設定が壊れてしまったようです。
さて、久々の天保銭入手。ごく普通の細郭手覆輪銭です。長径49.0㎜、短径33.4㎜、銭文径40.9㎜。極印ははっきりしませんが、本座とは異なります。
下段の素朴な寛永通寶はネットで競争に敗れた一品。良い顔をしているので掲載させていただきました。ざらざらっとした肌から江刺敬であろうと思っています。書体も歪んでいて面白いですね。緊急事態宣言延長で皆さん巣ごもり状態だと思います。私は地獄のGWがようやく終わりちょっと一息です。
 
5月8日【仙台長足寶大様】
侍古銭会のタジさんから頂戴した画像です。見ての通り仙台長足寶・・・それも長径が49.5㎜もある大様です。泉譜(類似貨幣カタログ)を見ると仙台長足寶大様には角の向かって左側に凸起の特徴あり・・・とあるのでいささか不安になられたようなのです。持てる人の悩みですね。
仙台長足寶は長径48㎜台のものが多く、49.5㎜はいわゆる初鋳のもので中には母銭として使用されたものも混じっているかもしれません。数も少ないしそのロマンがあるので仙台長足寶大様は人気がるのだと思います。そもそも天保の密鋳銭は短期間で大量生産をしたがゆえ、通用母銭からの写しが存在するのは当たり前で、張足寶、俯頭通、大点尓寶(短尾通)、短尾通細字類など名だたるものにも多く見られます。
この品はどう見ても仙台、そして大様なんですから突起(雲と呼ばれていたと思います。)がなくたって全く問題なし。むしろ、欠点のない極美銭であることを喜んでいいと思います。突起のない大様が存在することは仙人様もお話されていたと思います。それでも不安ならこの品私が格安でお引き取り致します。なにせ私は仙台長足寶大様はまだ持っていませんから。(持ったことのない人が持っている人にアドバイスをするのも変だとつくづく思います。)
※仙台長足寶小様に突起のあるものは見たことがありません。ということは少なくとも突起のある大様は母銭として作られたものではない・・・少なくとも突起部分は除去されていたと思われます。(掲示の天保通寶はあくまでも通用銭だと思いますけど・・・。)タジさんの大様は輪際の加工痕跡がはっきりしています。一方、小様によくみられる縦方向の鋳ざらい痕跡はほとんど観察できません。郭の左側には郭に向かうような筋が見られます。元になった母銭への加刀鋳ざらい痕跡なのかもしれません。(ひょっとしたら指紋?)空想が膨らみます。おもしろいですね。
 
5月7日【縮通大様】
癖の強い書体です。中国の湯曄暉さんから頂戴した画像で 「高田縮通背濶緣広郭、銭径24.9㎜ 、内径19.6㎜、背内径15.8㎜」
久泉研究資料にも未掲載の大様銭とのことで、たしかに母銭で25㎜のものは掲載されているものの、ここまで濶縁でも背濶縁広郭ではありません。状態から見て若干火が入っていることは否定できませんが、濶縁であることは間違いなさそうで単なる焼け伸びとは異なるようです。(願わくばあと少し状態が良く、銭径が0.1㎜大きければ・・・と思うのは贅沢でしょうか。)
日本の古寛永に興味を持たれている中国の方がいることが、何より驚きで久泉研究資料を購読されていることもすごいと思います。私も10代の頃穴の細道に誘われ符合銭にチャレンジしかけたのですが、難解ですぐに挫折放置してしまった苦い思い出があります。その点はきちんと師について学んだ鳳凰山師とは天地の差がありまして、独学我流の限界点があると思います。今はネットで簡単に意見交換ができるので便利になりましたが、情報の少なかった昔は本当に大変だったと思います。
ところで古寛永の高田銭は本当に個性的だと思います。縮通などは雑銭扱いされていますが書体は奇抜だし、覆輪の絶対的な珍品があります。覆輪銭は個人的に好きなので似た雰囲気がある岡山銭の婉文覆輪などは見かけるとつい食指が動いてしまいます。しかし・・・高田の縮通覆輪は希少でなかなか入手がかなわない・・・と思ったら持ってましたね・・・でも2枚目が続かないです。この品は覆輪銭ではありませんが高田銭のバラエティ豊かなキャラクターの一つ。なかでも笹手永手退寛、縮寛狭辵、そして長寶などは瞬時に見分ける分類も難しい品。代表銭の肥永類と同類にはなかなか思えません。笹手永手の細字の類もなかなか楽しいですね。皆さんも雑銭箱を探すと意外な発見があるかもしれません。

 
5月1日【3枚目の島屋小頭通】
島屋文は新寛永を収集している者にとって憧れの品で、御用銭と並んで最終目標と言っても過言ではありません。私自身、社会人になってすぐの給与で島屋文と幻足寛を購入。その達成感からか脱力感を強く覚え、それがしばらく収集の世界から離れるきっかけとなりました。
画像の品は関西のSさんがヤフオクの雑銭の中から選り出した島屋小頭通です。名品は美しいものですね。背の文の形状も独特です。この選り出しは小頭通だけで3枚目だそうで、島屋無背さえ選り出したことのない私にとっては信じられない結果です。大量の雑銭をめったに買わない(買った時はいつもスカ)私はまだしも、普通はドラム缶1本撰銭をしても島屋文は出てこないと言います。Sさんはいったいどれだけの雑銭を買ったのか、それともとんでもない幸運の持ち主・・・それとも両方あるのかもしれませんね。

※世の中はゴールデンウィークですけど私には関係なし・・・というより、今年一番忙しい状況です。パソコンソフトの設定改訂と、仕事で使うExcelの帳票にマクロプログラムを組み込む作業が続いてます。残業続きでフラフラ。今までさんざんしてきた山歩きはしばらく封印です。
 
4月27日【古寛永仙台跛寶昂通大様白銅母銭】
貨幣誌からの借拓になります。「跛・昂」という字は古銭を収集していないとなかなかお目にかからない文字です。「跛:は」はワープロでは「びっこ・ちんば」と入れて変換できますが、差別用語ですから「かんけつはこう」と入れて呼び出す方法もあります。これは医学用語ですけど良くある病気。何で知っているかというと私も椎間板ヘルニアで苦しんだ時に罹ったことがあるからです。(人生で一番痛かった病気でした。尿管結石の方がましでした。)「昂:こう」は「昴:すばる」と間違えやすく私も良く誤ります。「たかぶる・いきけんこう」で出てきますけど、最近は意気軒高と書く方がメジャーかも。
さて、この古寛永・・・拓本だけだとピンと来ない方がほとんどだと思いますが、非常に稀有な大珍品なのです。古寛永の仙台跛寶の母銭は未使用クラスのものが一時期市場に大量に出ていたのでお持ちの方は多いと思います。古寛永の母銭を持っているといえばだいたい御蔵銭かこの仙台跛寶というのが相場なぐらいです。しかし、通常の跛寶は黄銅質で大きさもせいぜい25㎜どまりなんです。25.45㎜というサイズは母の母・・・つまり錫母銭クラスのもので、材質から見ても特別な母銭であることは間違いないと思われます。
したがってもしこのような品を見かけたら、相手を押し倒してぶん殴ってひったくるぐらいの覚悟で買い求めなければなりません。それだけ貴重なんですこれ。
所有者の湧泉堂ことAさん自慢の品で私にも光輝いて見える(幻覚?)存在なんですけど、紳士のAさんは奥ゆかしいので私のように大騒ぎせずに静かに誌上解説されています。
もっと騒いでも良いのです。古寛永専門書の久泉研究資料にも未掲載の幻の品。拓本なので仕方がないのですが白黒でしか拝見できないのが誠に残念です。
 
4月25日【古銭とは関係のない話:高宕山】
猫アレルギーによる呼吸力低下克服のため山歩きに熱中するようになり2年、今回は高宕山に登ることにしました。高宕山を登るのは15年ぶりぐらいだと思います。君津市にある清和県民の森に遊びに行って、ハイキングコースの地図を手に入れたのがきっかけです。しかし、このコースは登山届が本来は求められるレベルで、私が昨年から歩き回っている養老渓谷周辺とは全く様相が異なります。この山に初めて入ったときは真夏でして、所持していた水分(1ℓ×2)を途中で飲み切ってしまい大変な思いをしました。無計画に歩いたため車を止めた位置からかなり外れた場所に降りてしまい、喉はカラカラで田んぼの水を飲もうかと思ったぐらい。ただ、山頂の爽快さが忘れられず、その後も単独行を含めて何度か登っています。
高宕大滝のすぐ横から登山道へ登る計画でしたが・・・しかし、倒木で通行止めの案内。諦めて帰ろうとしたらトレイルラン風の男性が駆け下りてきました。話を聞くと山頂まで道はきれいで問題ないとのこと・・・ならば行けるとこまで歩くことにしました。
高宕大滝・・・高さ30mとのことですけど水がちょろちょろです。滝の上の落水地点まで歩いて行けますが落ちたら大変です。
はじめはひたすら上り。これが結構効くのです。階段の高さ奥行きもだんだんもまちまちになってきます。アレルギー喘息持ちの私はすぐにゼイゼイ。衝立(ついたて)状の岩が見えたら難所を過ぎた証拠。ここからは斜度は緩やかになり気持ちの良い尾根道が続きます。
尾根道は階段よりは歩きやすいのですけど、木の根が張り出している場所もあり要注意。枯葉も滑りやすいので慎重に。緩やかになったといえども基本は登りです。そして道幅は狭く片側はたいがい急斜面です。千葉の低山をなめたらいけません。迷いやすく迷ったらかなり危ないのです。尾根ですから左右とも切り立っていますが樹木があるので足を滑らせても引っ掛かりそうです。 
高宕山が面白いのは山頂付近が岩場で変化に富んでいること。鋸山(のこぎりやま)によく似ていますがそれも当然。この山も昔は石切り場だったそうです。樹木の間から巨石がモニュメントのようにそびえるところが随所に見られます。石切り場跡の木々が育ったからなんでしょうけど不思議な風景です。
下左・・・尾根をふさぐ巨石のわきに彫られた登山道をそろそろ歩く。左手側は奈落です。
下右・・・多分古い石切り場跡。鋸山のラピュタのミニチュア版。石壁は完全に垂直です。
下左・・・木の枝のはるか先に巨石が浮いて見える。たぶん石の尖塔が樹木の上に突き出ているのだと思われますがものすごく不思議な光景です。
下右・・・倒木と巨石。ここまでの道のりはほとんど障害がなかった。数少ない片付けられていない台風倒木。登山路が塞がれているのは何年か前に滑落死者が出たからという噂有り。確かに閉鎖する理由が他にないのですけど、人が押し寄せても困る。この付近はやや荒れていて道に迷う可能性もあります。踏み跡をよく観察することと、下山は早めに行うことは必須。夏でも午後3時、冬場なら1時過ぎには下山開始するぐらいの気持ちが必要です。暗くなってから滑落するいたましい事故の例はこの付近の山でもたくさんあるのです。 

左・・・紅葉を頭上に載せたガマガエルのような岩。
根っこも太く見事です。
それがまたガマの目や手足のように見えてしまいます。
下・・・両脇絶壁の細い石段。ここはちょっと慎重に。
おふざけ、よそ見厳禁です。

高宕山観音
この山の見どころのひとつ。山頂の巨石をくりぬいた穴の階段を降りてたどり着きます。穴はおひとり様専用サイズ。お堂は解放されていて中で休憩も可能。山頂が狭いのでここで休憩する人も多いようです。ここから石切り場だった石射太郎山までは2kmちょっと。人気の登山道でしたがそちらも閉鎖されているみたい。(ただし、多くの人が登っているようで・・・)赤ちゃんを抱いた若い夫婦(なかなかのチャレンジャー)のお話では石射太郎山の山頂までは往復2時間ぐらいのようで・・・。
高宕山観音堂から山頂までは400mほど。ただし、鎖場あり梯子ありの難コース・・・でしたがよく整備されていました。山頂には大きな岩が2つ。梯子のかかった4mほどの岩を登り、反対側の岩に飛び移れば高宕山登頂完了です。鋸山の地獄のぞきは有名ですが手すりがあるので全然怖くありません。こちらはその手すりがないバージョンで足元の岩が削れて丸みを帯びているので怖いのなんの。昔はもっと平らだった気がしますけど。初めて来たときはこの上でお弁当を食べられましたが今は無理。誰も来ない間、春の風を満喫しました。

足元は奈落。地図で調べても50mほど垂直落下します。
こんな場所に手すりなし。本当の地獄のぞきです。
それとも天国への入り口か?
千葉県で一番スリルある観光スポット間違いなしです。

天国への跳躍
隣の岩までは足を少しだけ開けば充分に届きます。右手側と奥は断崖絶壁。落ちたら死にます。標高330mですから東京タワーと同じぐらい。怖くて下を見るのもためらってしまいます。山頂の岩は人が2~3人なら座れますが、崖の先端になるのでものすごく怖い。しばらくは立っていられましたがすぐに腰が引けてしゃがみ込みました。
しかし、ものすごく景色が良い。だから何回も来てしまいます。個人的には千葉県No.1の眺望です。
登山といっても初心者もOK。この日も子供たちが団体で登ってきていましたが、危険だし子供の団体向きの場所じゃありませんよ。今回、紹介してしまいましたが、本当は秘密にしておきたかったスポットです。

 
4月25日【白目の白銅母】
関西のSさんからご投稿いただいた「雑銭から選り出した元文期平野新田銭の欠目寛手の白銅母銭」です。欠目寛は寛見の第5画とウ冠の右肩に切れ目があるのが特徴で、ウ冠だけその特徴があるのが欠目寛手と言われます。
白目の母銭には黄銅質のものと白銅のものがあり、通用銭は白銅質がほとんどなので本当なら黄銅質の方が分かりやすいのですけど圧倒的に白銅質母の方が人気です。画像の品は非の打ちどころがほとんどなく繊細で郭の仕上げや文字の抜けも母銭で間違いなしの逸品です。良いものを拝見しました。
 

4月23日【クレイグさんからのお手紙】
最近は日本以外の方々からもお便りを頂戴します。翻訳機能の進化のおかげで、語学が苦手であってもなんとかなるものです。クレイグさんは最近ラムスデンの研究にはまっている方。今回の資料は天保通寶型の絵銭が中心ですけど、中には加賀千代作と思しき書体(加賀千代が作ったとうわさされている新作書体)のものが含まれています。加賀千代が作成したものをもとに写したのか、加賀千代が作成したものを販売したのか、それともラムスデンの創作なのかは謎ですけど・・・加賀千代とラムスデンは裏ではどこかつながっていたんでしょうねえ。類は友を呼ぶんですね。

Dear  Kosenmaru:

I recently obtained three files from the American Numismatic Society.  These files are books of rubbings made by Ramsden and given to John Reilly Jr.  Reilly purchased Ramsden's collection after Ramsden died.  One file contains Japanese coins and e-sen, another has old Vietnam coins and the last has Chinese amulets.  I'm going through the files and have posted these on the internet. 
Please feel free to post on your website oif you want to.

#273249: Ramsden Bishu Tsuho fantasy "coin" 

#273226: Ramsden made fantasy Bunkyo tsuho "coins" 

#273215: Rubbings of Nine Ramsden Fantasy Tenpo Charms


best regards,

Craig

こんにちは浩泉丸

私は最近、アメリカ貨幣協会から3つのファイルを入手しました。これらのファイルは、ラムズデンによって作成され、ジョン・ライリー・ジュニアに渡された拓本です。ラムズデンが亡くなった後、ライリーはラムズデンのコレクションを購入しました。 1つのファイルには日本のコインと絵銭が含まれ、別のファイルには古いベトナムのコインが含まれ、最後のファイルには中国の絵銭が含まれています。私はファイルを調べて、インターネットに投稿しました。よろしければ、お気軽に貴方のウェブサイトにご活用ください。

#273249:ラムスデン作 尾州通宝ファンタジー「コイン」
#273226:ラムスデン作 文久通宝絵銭
#273215:ラムスデン作 9つの天保型絵銭の拓本

宜しくお願いします、
クレイグ 
 
4月22日【ありそうでないもの】
画像は北陸のNさんから頂戴した正徳期背佐の画像です。これを見て違和感を覚えた方はかなりの新寛永通です。(気が付かなかったとしても無理はありません。)
正徳期背佐渡は手替わりがほぼなく、寛永コレクターであっても数枚集めたら満足してしまうことが多いのです。ですから正徳大字なんて大珍品が市場にひょっこり出ても、誰も気が付かないエアポケット状態になるのでしょう。もちろんこの品は大字ではありませんが・・・。
正徳背佐は赫褐色(きゃくかっしょく)と呼ばれる赤黒い銅色が普通なのですが、文献(新寛永入門)によるとごくごく稀に白銅質の銅替わりが母子とも存在するそうなのです。オークションにかつて一度それらしき母銭が出たような記憶もあるのですが、実物は見たことがありません。この品は白銅質ではありませんが明らかな銅替わりで黄銅質のもの。これとて私は初見です。皆様もお手持ちの品をご確認ください。貴方の雑銭箱に眠っているかもしれません。
 
4月13日【錯笵の美】
モトさんから頂戴した画像です。モトさんは天保仙人様と寛永通寶収集家のAさん2人の強力なアドバイザーのもと古銭を勉強中。これは強力無比な助っ人でして、将来有望です。
錯笵は本来は収集の余興というべきものなのかもしれませんが、古銭を知るためには書体よりも製作を学ぶべきという師の教えに従えば、これは立派な教科書で、好きこそものの上手なれの格言の通り、好奇心は成長の糧でもあるのです。
背ズレと落下による錯笵、重輪で、雑銭ながらどうしてこんなものができたんだろうと思いを馳せることにより、空想が広がります。このようなものに興味が持てるモトさん・・・あなたは大したものです。でも、古銭の迷宮は深く、興味のない方からすればただの変人に見えると思いますので、没我し過ぎないようご注意ください。
※携帯電話を機種変更しましたが設定に四苦八苦しています。参ったのがパスワード。4~5種の言葉の組み合わせパターンを持っていますが、大文字小文字を交えるとパターンが10種以上になってしまい何が何だか分からない。複数回間違うとフリーズになってしまうものもあり、あせるのなんの。携帯電話のGメール機能が昨夜やっと開通しました。ヤフーメールもあったはずですがもはやアドレスが分からない。最近はGPS機能のせいで、訪問の先々が筒抜けで、お店の評価を求められるようにもなりました。初めは面白がってましたが、監視されているみたいで・・・。そんなに高機能はいらないですね。HPの見え方も機種により全く違うことを知りました。パソコンも換えないといけないのですが、さらに問題が起こりそうです。
 
4月12日【パラパラ画像】
68式ヲヤジ様がパラパラ動画にチャレンジしたそうで、仙台長足寶の兄弟銭を重ねてみたそうです。なかなか繊細な作業が必要なので「おじさんヘトヘト」みたいです。よく頑張りました。汗と涙の結晶をぜひご覧ください。
試験画面上ではうまくいったのですが、UPしたら動きませんでした。

結局、ホームページソフトの機能を使って再編集しました。携帯電話のブラウザではパラパラにならないと思いますのでスライドショーをつけてみました。おじさんヘトヘトです。
上手くいかなかった理由は外部ファイルとサーバー側が認識し、ブロックしてしまうためらしいのですけど・・・よくわかりません。68式ヲヤジ様、・・・力不足の私をお許しください。 
 
4月8日【踏潰的な顔:延展】
密鋳4文銭は私の収集品最大の謎スポットです。天保通寶不知銭は入手品の8割以上がHPに掲載されているのに対し、密鋳4文銭に関しては代表的なもの以外はほぼ手付かず。掲載率はおそらく4割ぐらいで、入手したままの状態でほったらかしのものばかりです。そうなった背景には老眼の進行という切実な問題がございます。肉眼でアルバムのビニール越しに古銭を観察することが困難になったからで、コインフォルダーのネームを書くのも億劫で最近は何をするのも面倒くさい。
コインフォルダーのビニールがたるんでしわになっているのも見にくい原因で、入れ替えが必要なのです。(最近のコインフォルダーはセロファンのたるみが多く、それをとるためにはコンロであぶるひと手間も必要。ああ~面倒くさい。)
 
そんな私のカオスな世界にに昨夜踏み込みました。きっかけは雑銭掲示板に踏潰銭の投稿があったことですけど、探しているうちに、そういえば「雑銭の会の暴々鶏会長から頂いた盛無背異永があったはずだと探し始めてしまいました。なにせフォルダーに何も書いていない上、適当に放り込んでいるので見つからない。1時間、2時間とたち諦めかけたところでようやく全く違う場所で発見できました。
それが画像一番上の品です。この品を初めて見たときの印象は「浄法寺って赤くないんだ・・・」ということ。私の分類はいい加減で、昔から赤くて側面が台形仕上げで背が浅いものをかたっぱしから浄法寺系としてしまっていますが、勘(いえ、思い込み)だけで何の根拠があるわけではありません。盛無背異永は背は浅いものの黄銅質で輪はロクロ風の横やすりです。これは天保通寶の浄法寺とも、浄法寺飛鳥と呼称されるいわゆる後期銭とも異なる感じ。結局良く分からないけど、見つかったから満足?。

巨大な背盛濶縁銭は密鋳母銭で外径は28.8~29.2㎜ある立派なもの。肉厚で重量も8.5gあります。これを江戸コインオークションで見たとき、これこそ踏潰だ・・・と思いましたが、どうなんでしょうか?延展というより覆輪ですかね。表面はなめらかに砥石仕上げされています。密鋳の背盛はいろいろな銅質・製作があります。江刺風の肌でで側面が粗い斜めやすりのものが同じオークションで出されていて、興奮気味に落札をしたことを覚えています。

続く大型銭は間違いなく踏潰銭。大きさは29.35~29.7mmのお化け。この古銭がきっかけで東北のSさんと知り合いました。方泉處の東北・北海道の貨幣に掲載されている濶永母(当時の分類名、今では広永とされます。)と輪の形状、下部の傷の位置がぴったり符合しますし、面側の雰囲気もそっくり。北海道と東北の貨幣をお持ちの方は33Pを開いて確認してみてください。少なくとも兄弟銭です。踏潰銭の表面は砂磨き仕上げが目立ちますが、砥石がけもしっかりされていて、これはかなり滑らか。内径が特に大きいわけでもなく、背の波も太いので私もSさんも母銭ではないと思っていますがいかがでしょうか?圧延された品かなあ?

黄色い踏潰はきれいでしょう?通頭が俯しているから俯頭通・・・としたいところですけど実は正永進冠という分類。このあたりはSさんの方が目が利きます。たぶん暴々鶏会長から購入したものじゃなかったかしら。踏潰は昔は秋田と言われていましたが銅質から見る限り岩手でしょうね。ここまできれいなものは少ないと思います。

踏潰の小字写しは、初めて見たとき「延展だ!踏潰銭だ!」と叫んでしまいました。Sさんの分類の小字手の踊永とは完全符合しないのですけどまあ、微妙に仰フ永でもあるし、私的にはこれはこれで良いと思っています。少なくとも踏潰の製作なのですから・・・。

小字写し・・・背波が抉られたように深い一品で、銅質だけは踏潰。これは何とも言えない品なんですけど背の作りが面白いので載せました。踏潰系ということで・・・。

正字写し。Sさんの分類譜には正字写しが掲載されていません。密鋳銭アラカルトにはこの画像の品の類品と思しきものが何枚か掲載されておりますが、これも踏潰系じゃないかと思いたい品です。ただ、砂磨きが強烈で逆に砥石仕上げ部分が全く見えません・・・やっぱり違うかなあ。側面を見たら見事な斜めやすり。やっぱり違うみたいですね。純正な踏潰銭の正字写しはあるんでしょうか?

正字写し。フォルダーには輪斜めやすりとあります。つまり上の品と同じ系統のようです。これも暴々鶏会長の愛銭だった品ですけど、恥ずかしながら今までほとんど気にしていませんでした。。

粗造歪形の正字写し。こうなるともう銭としての形さえありません。ロクロどころかやすりもなく、タガネで叩き切って出荷したとしか思えません。輪を叩いて少しでも丸くしようとしたような雰囲気もあります。銅色は盛無背や小字写深背に近いものがありますね。
結局さしたる発見はありませんでしたが、少なくとももう一度勉強しなおす必要があるということだけが分かりましたね。
皆様、密鋳4文銭については私のHPの分類に惑わされないでくださいね。本当にいい加減ですから。

※九州の祥雲斎様へ
昨日、わずかばかりですが寄付金を振り込ませていただきました。運営費の一部としてご笑納ください。
 
4月1日【密鋳の寛永 踏潰かな?】
上段はネットで買ってしまった出来損ない。ひどい鋳不足でこういったものは傷物としてあまり評価されないのですけど穿の様子が可愛いので手が動いてしまった。側面は不規則な手仕上げ風。銅質や側面仕上からこのタイプを踏潰系にする方もいらっしゃいます。その気持ち分からなくもありません。鋳不足がまるで魂が飛んでいるみたい・・・スピリチュアルです。
下段の密鋳4文銭は俯永の写しですけど、入手して15年以上たちますが、大きくて立派で色は明和に近くて類品をあまり見たことがない・・・だから位置づけが分からなかった。その後、考えることをやめてしまっていたのですが、久々に手にして感じました。これも踏潰の系統じゃないかということ。側面仕上がいかにも手仕上げの多面体仕上げ風なんです。大きくて延展は感じますが背の波は潰れていません。だから踏潰にはできなかったんですけど、手の感触は踏潰だと言っています。なお、東北のSさんによると踏潰の俯永写しはものすごく珍品なのですけど、これは異なります。S氏も別物として扱うと思いますけど・・・でもこんな奴があっても良いと思いませんか、だめですか。
→ 踏潰銭分類考
→ 密鋳銭アラカルト
 

3月22日【Tさんから】
関西のT参から投稿画像が届きました。ご本人のコメントを少し直してそのまま掲載しています。
※印は私のコメントです。
・福岡離郭 兄弟銭

離郭中郭で面郭の形状、及び郭右横の地に同じ凹みがあります。

もし同じ凹みのある離郭細郭や爪百、濶縁などがあれば非常に面白いので、もし発見しましたらご一報ください。

右)長径49.05mm 
  短径32.05mm
  銭文径42.05mm

左)長径49.15mm
  短径32.65mm
  銭文径42.05mm


・不知細郭手覆輪刮頭天
関西のS様の品や浩泉丸様の品と同じく確かに繊字!張足寳や容弱に近いものを感じる一方、遒勁の様にも見えます。あまり銅質、肌質にブレはないようですね。
ところで名称の刮頭天、天字を刮ぐということは削頭天と意味合いが同じということでよろしいのでしょうか?
長径49.20mm
短径32.60mm
銭文径40.80mm
※私は同じ意味合いだと思っていますが、名称としてはあまり特徴をとらえていません。繊字の特色がやはり際立っていますから、それを生かした方が良いかもしれません。

・不知長郭手三角高頭通覆輪次鋳
先日掲示板で紹介しました三角高頭通です。なぜまた投稿したかというと、最新記事掲載の関東のH様の右品が同種だから。次鋳は細字になるものが多くみられ、パッとみると私の品と印象は異なるものの、通頭の形状や當上刔輪、そして必ずある花押傷が一致します。浩泉丸様も4枚程保有していると記憶していますので機会があればご確認下さい。
長径48.10mm
短径32.05㎜
銭文径40.35mm
※えっ!、そんなに同じものを私持ってましたか?兄弟銭探しの慧眼は関西のTさんにはまったくかないません。私のHPも隅から隅まで見てらっしゃる恐れ入りました。

・不知長郭手 貼り合わせ手縮形
穿内に明確な段差のある長郭手です。貼り合わせ手は削頭天と斜尓離貝寳を除いて無名品ばかりで銭譜に記載がなく、本品に関してもイマイチ特徴を把握しきれていません。類品を探しているのですがこれに近い品をご存知ないでしょうか?刻印は○の中に木。
長径47.45mm
短径31.30㎜
銭文径40.60mm

※貼り合わせは「面細郭に背長郭の書体」というのが相場で、2枚の銭を面背で貼り合わせたようだ・・・が由来。名品の斜珎は貼り合わせというより「中見切り」と呼ぶのが本来は正しく、鋳型の合わせ目が厚みの中間にあるのが特徴です。
この製法の最大の欠点は型ずれを起こした際に、修正が効きづらいこと。画像の品は面背がほぼ正しくおさまっているのに段差が残るぐらいですから、もう少しずれたら修正不能ですね。刻印〇木もこの鋳肌も見たような気がしますが、私のHPのヘビー観察者のTさんが見いだせないのなら、私は持っていないのでしょう。皆さんもお探しください。なお、中見切りの天保銭は数は多くないものの時々見かけますよ。数が多くない理由はロスが多く歩留まりが悪いからだと思います。

・広郭手水戸背異様痩通2品
明らかに水戸背異とは製作の異なるグレー品です。側面角に鋳ばりの様なでっぱりがある事、地と文字がボコボコに変形し歪むにも関わらず輪は一切歪まない事、色は久留米銭に近い赤褐色と背異には見かけない濁った黄土色をしている事、そして2枚とも側面仕上げが同じ事。まるで砂で揉み洗いしたような細かい不規則な傷があらゆる方向に向いてついています。これ何だと思いますか?
ご意見をお寄せください。
赤)長径48.85mm
  短径32.45㎜
  銭文径41.00mm
黄)長径48.40mm
  短径31.90
  銭文径41.05mm

※背異と久留米って明らかに製作が異なりますよね。文字周囲の彫り込みもあまりないような・・・でもなんとなく近似点もある。幕末ですから製作は安定しなかったんでしょうけど謎です。これを不知にするか、背異にするかは微妙だなあ。側面の極印が見たいです。
なお、背異替、正字濶縁などの石持ち桐極印類は最近の説では久留米に固まりつつあるようですけど、深字大様銭の存在などまだ良く分からないことも多いです。

 
3月17日【常連のお目こぼし】
本日は投稿画像から。最近はネットの競争が激しくて、天保通寶ので物が少ないのですが、なかには多くのウォッチャーの目をかいくぐり抜けた地味ながら可愛い奴がいるようで・・・
はじめは関東のHさんから。平凡な顔ですけど立派な鋳写の不知銭です。背のずれ方が可愛い。左は縮形で背が郭抜けですね。右の背の偏輪ぶりも良いですね。
左:長径47.5mm 短径31.0mm
  銭文径40.2mm 重量21.65g
右:長径48.3mm 短径31.7mm
  銭文径40.1mm 重量20.00g
けっして派手なものではないのですけど、このようなものを拾えた時には市場価値以上にうれしいものです。ネットウォッチャーの常連・猛者どもも欺いたその素朴さが素敵です。

下段は中国の和泉斎さんから頂戴した画像です。中国の方ながら和泉斎を名乗るなど気合が入っていますね。その投稿品が一目醜い・・・ごつごつした岩のような無骨な一文銭です。
お世辞にもきれいとは言えないのですけど、これはこれで貴重な経済遺産なのです。

密鋳鉄銭の母銭なのですけどこれは通用鉄銭から写して銅母銭としたものだと思われます。
密鋳鉄銭の母銭は藩鋳のものよりどうしても見劣りします。このクラスの母銭なら5000円もしないと思いますが、個人的には好きですね。仙台銭の写しが最多だと思われますが中には別座を写したものも存在します。

下段の久ニの写しは特に珍しいでしょう。穴銭入門での評価は8位(12~14000円ぐらいか?)と低いのですけど、評価以上に入手は難しいのです。

密鋳の一文銭系は一部の品を除いてあまり人気はないのですけど、奥が深いのですよ。
 
3月15日【紅白揃い踏み】
大和文庫の寛永銭で久々に大きな買い物をしてしまいました。寛文期亀戸銭の中字背文の白銅母銭です。出品段階の画像である程度白いことは予測がついていましたが、実物を見てその白さに驚きました。繊字系で時おり白く抜けているものは見かけますが、それ以上に白く純白と言っても過言ではありません。昨今は刀剣ブームと聞きますが、日本刀の刃にも似た妖しい輝きに満ちています。ここまで白いのは、関西のSさんの正字背文・・・いや、それ以上でしょう。色彩の補正がほぼなくてこの色ですから。
偶然なんでしょうけどかなり錫の配合比が高いと思います。この母銭に私は5万円払いました。母銭コレクターではないんですけどこれは手に取ってみたかった。計測は傷つけたくないのでオンボロのプラスチックノギスで測っていますから、誤差はお許しください。
外径25.3㎜ 内径20.5㎜ 重量4.2g

さて、もう一枚は加護山鋳という触れ込みの座寛。座寛の加護山写しは見たことがなかったので失敗覚悟のうえで突っ込んでゆきました。到着した品は安南寛永と思うようなミニサイズでしかもペラペラの薄さ。ひと目、磨輪の進んだ火中銭を思い浮かべました。銅質はともかく砂目、やすり目は残念ながら加護山ではありません。大失敗の文字が脳裏をかすめましたが、内径は確かに小さく、写しのサイズなのです。はたして座寛に次鋳ってあったかしら・・・火中品ではありませんようにと思いながらコレクションの仲間に加えることにしました。鐚銭のイメージがあると鋳写しは肉薄軽量のイメージなんですけど、幕末の東北写しはどちらかといえば肉厚のものが多いのです。東北には密鋳鉄銭の文化があるからで、鋳造技術的には肉薄で小さな銭を鋳造するのはとてつもなく難しいはずです。また、密鋳とばれないようにそこまで貧相なものは普通は作らないはずなのですが、幕末の東北は何があってもおかしくないかもしれません。しかし、重量1.2gなんて貧相にもほどがあります。果たしてこれは密鋳なんでしょうか?
外径18.8㎜ 内径16.6㎜ 重量1.2g
 
 

3月14日【細郭手異極印】
なんだろう、不思議な細郭手です。銭文径が本座と同じで書体も同じ。銅質は本座と異なり黒く、重量も重い。穿内やすりは面背から入れられていて中央部で山形に仕上げられています。つまりこれは本座では断じてありません。極印は太い十文字に花序が二つ付いた形の変形桐です。画像では贋作品の不規則桐極印のように写っていますが、この天保通寶はまじめなつくり。細郭手には銭文径のほとんど変わらないものが存在するのですけど、これはまさにその典型です。母銭の横流しがあったという噂話はありますが本当なのかもしれません。
長径49.05㎜ 短径32.6㎜
銭文径41.2㎜ 重量23.9g
 
3月13日【阿仁銭かもしれない・・・】
密鋳銅一文銭は良く分かっていないことが多く、数も少ないのであまり検証していませんでした。そもそも、密鋳銅一文銭が少ないのは、採算性と必要性の問題があったからで、採算が採れなければ作る意味はなく、市場での必要性がなければ危険を冒してまで挑む必要はありません。天保通寶や四文銭に比べれば採算性の劣る密鋳銅一文銭はなんとなく天保通寶や四文銭密鋳のおまけ的存在で作られていたと考えられていました。
寛永通寶の公式一文銅銭は明和期を最期に幕末まで100年間途絶しています。それはつまり銅一文銭の採算がそれ以降にとれなくなったことを意味しているのですが、しかし、幕末~明治期に銅一文銭の交換レートが俄然有利になった瞬間があったらしく、その頃に阿仁銭をはじめとして多くの密鋳座(密鋳の鉄銭座や天保銭座)によって一文銭が作られたと私考しています。
なお、本日も加護山銭でなく、阿仁銭と呼ばせてください。

➊古寛永水戸湾柱永写
ざらざら感のあまりないどろんとした雰囲気ですけど背はいい感じ。ただし、側面は丸く仕上げられていて阿仁とは言い難い。

➋古寛永斜寶写
上記のもの以上に赤い。銭径や文字は縮小していて完全な写し。こちらも側面は摩耗していて丸いのでいまいち。Aさんの仰る東北写しでしょうね。
古寛永の写しは肉厚で比較的立派な大きさのものがありますので、幕末ではなく寛永通寶が出たての頃の密鋳かもしれません。古寛永の写しは多くありません。

❸高津銭写(赤銅)
とてもきれいな赤銅銭。雰囲気で阿仁銭としていましたが輪は丸く阿仁の仕上げではありません。東北密鋳ですね。

❹高津銭写
赤黒く薄い感じ。砂目も異なるので阿仁ではないと判断しています。このタイプは東北密鋳でよく見かけると思います。

➎四ツ寶銭広永写(郭抜け斜穿)
やや黄色い銅質で砂目がだめ。輪の雰囲気はありますが阿仁の系統ではありません。穿は歪んでいます。

➏藤沢・吉田島縮字写
すごく良い感じ。肉厚もあり背の雰囲気も良いもののざらざら感が足りない。人によっては阿仁銭にするかもしれません。

➐藤沢・吉田島縮字写背夷縵小様
砂目や銅質から阿仁銭間違いなしだと思っていましたが・・・輪を子細に観察していたところ縦やすり目を発見してしまいました。

➑藤沢・吉田島縮字写
上のものと非常に作りは似ています。輪の様子は微妙。どちらにでも取れます。こいつの判定はその人次第ですね。ただ、上の銭を含め阿仁銭だっていうこともあり得るので判断は難しいです。

❾鹿島銭細字写
すすで真っ黒に見えますが、銅質砂目は合格です。唯一輪の仕上げに縦方向の目が混じるので阿仁銭には認定できませんでした。前の所有者は阿仁銭と判断していて、私もその分類名で購入していました。

❿阿仁銭の鹿島銭細字写
色合いはかなり異なるように見えますが、前掲示銭と良く似ています。こちらは間違いなく阿仁銭で良いつくりです。

⓫十万坪写
こちらも阿仁銭の触れ込みで購入しましたが、輪にテーパーがかすかに感じられ違うかもしれないと思いはじめました。好みが分かれるところですけど・・・。銅質も少し堅いしざらつきも少ないしやっぱり違うかなあ。

⓬亀戸狭穿写
3月12日の製作日記記事にある亀戸狭穿と比較してみて頂きたい。地が黒く染まっているものの雰囲気は瓜二つです。砂目なんかもものすごく良い感じ。私の中では90%以上阿仁銭で良いと思っていますが、側面が丸みを帯びているんです。
摩耗ってやつなのかもしれませんけど、特徴がその分失せています。絶対に阿仁銭かというとそうでもない・・・自信がない。

判断は難しいですね。➐以降は輪の摩耗が強いので断定ができないといったところです。評価についても人それぞれでしょうね。言えることは絶対に間違いないという品は少ないということ。そのような品は10000円以上提示されても食らいつくべきです。そして・・・同じ価格で売ろうとしても絶対売れるもんじゃない・・・それでも集めてしまうあなたはもう病気です。

※病気の私は密鋳一文もせっせと拾い、購入もしています。やっと50枚近くになりましたがなかなか増えない上に見栄えが悪くて・・・。
 
3月12日【阿仁銭】
Aさんとの携帯メールのやり取りの中で阿仁銭という言葉が飛び交いました。阿仁という言葉は古い寛永銭コレクターなら即座に反応する言葉。今でこそ加護山の名称が一般的になってきましたが、私は今でも阿仁の名称をつい使ってしまうのです。Aさんもそうだったのだと思うと少しうれしくなります。「阿仁とは阿仁銅山のことであり、鋳造地の加護山ではない」というのが加護山派の意見でしょうけど、阿仁の語源は赤土のこと・・・つまり、赤土のような赤色をした銭と考えれば現在でもあながち間違いではないのです。(阿仁派の意見です。と、いうわけで今日は阿仁銭と呼ばせてください。)
Aさんによると阿仁銭は戦前では珍品だったそうで、その後に大量に出現して今に至るようなのですけど・・・あれ、大量見聞録かなんかにあったかもしれないな・・・。そのAさん、阿仁は側面を見ればすぐ分かるといいます。おそらくAさんは側面のやすり形状で阿仁かそうでない東北密鋳かを分けているみたい。私?・・・あまり気にしてなかったですね、雰囲気と勢いだけです。
横やすりが多いようですけど、もっとたくさん見る必要があります。(古泉界の習いでやすり目としましたが、実際には砥石や磨き砂での磨き仕上げのようです。阿仁銭の側面は砥石仕上げだと思います。)手仕上げであろうと思っていたのですが・・・よく見ると
側面は予測以上に平らに仕上げてあるものが散見されます。輪の砥ぎの方向は面背に平行です。ただし、条痕ははっきりしません。
阿仁銭が作られた時代は鉄銭全盛であったこと、当時、当地の鉄銭の母の仕上げから見て、側面はろくろで銭を回転させながら砥石等で仕上げたであろうことが予測されました。それは掲載画像➊のように穿がずれて偏輪になったものが存在することから推定したのですが・・・一方で❹のようにどことなくいびつなものも多いことからやはり手仕上げじゃないかと思いなおしました。条痕もほとんどないですし・・・。
阿仁銭は摩耗しているものも多く、側面仕上げがはっきりしないものもありますので、側面だけで確定判断するのは難しいかもしれませんが、判断のための良い材料になりそうです。側面仕上に対する皆様のご意見お聞かせください。
それ以外の判断は
ざらざらの砂目・・・秋田は鋳砂に恵まれなかった
赤い銅質
③穿の仕上げを無理やり角棒か何かを通して鋳バリを折り曲げて除去しようとしたもの(画像➊)が散見されること
等が特徴でしょう。ただし、①は摩耗で失われますし、②は銅質も保存や配合次第でずいぶん変わります。鉛分の多いものは灰白~灰黒色になったり、金紅色ともいえる丹銅色が一部に見えるものも存在します。(画像➋❸)
③については背側に飛び出した鋳バリが郭に押し付けられたようにへばりついているものがあります。通常、目処抜きと呼ばれるこの工程は、専用の角やすりで鋳ばりを除去した後に角棒に挿すのですが、阿仁銭は最初に角錐状の角棒を強く打ち込んだように思えるのです。秋田天保の小様にも面側から角棒を叩き込んで鋳ばりを除去したようなもの・・・銭全体が凹形に歪んでいるものが散見されるのです。銅質と言い嵌郭の技法と言い秋田小様と阿仁銭は同じ職人がかかわっているように思えます。

見事な偏輪銭。背には鋳ばりが飛び出した後に押しつぶされたようにへばりついています。見た目は悪いものの製作面での良いサンプルです。
次鋳母銭と思われるもの。銅質は黒く、一般の通用銭とは異なる感じ。穿の仕上げも丁寧です。
英泉還暦記念泉譜に掲載された含鉛銭。村上師遺愛品。これを愛せるとは・・・・。
図絵原品の繊字狭文無背の鋳写母銭。新寛永通寶図絵には通用銭として掲載されていますが一回り大きい上に穿内の仕上げが異なります。
繊字の改造母・・・阿仁銭のものじゃないとは思いますけど、こんなものがあってもおかしくありません。参考までに。
藤沢銭の阿仁写し。小ぶりですけど100%阿仁の風貌を持つ美銭です。以降は文銭以外の珍しい写しが並びます。
亀戸狭穿写。新寛永通寶図会・北海道と東北の貨幣・英泉還暦記念泉譜など各泉譜を飾った原品です。
小梅銭狭穿背小写。第28回みちのく合同古銭大会研究発表資料原品で菅原直登師の遺愛品。
 
3月6日【美しき白銅母】
大和文庫の入札に出ていた白銅の中字母銭です。画像の美しさに目が釘付け。涎が止まらなくなってしまいました。正字縮文が出ていたは我慢できたのですが、こいつには参りました。しかし、出品価格は通常母銭の3倍以上。気弱な私にはおいそれと手が出せる品じゃありません。悩んだ挙句、最低価格に色を少し加えて突進してしまいました。欲しいのにお金を払うことに躊躇している矛盾した人格が自分の中いる。人格崩壊しそうです。果たして結果はいかに。
 
3月2日【ジャンピングインディアン】
侍古銭会のタジさんとメールやり取りをして話題になりましたが、このコインのことを知っている方の多くは昭和40年代に始まったコインブーム体験者じゃないかしら。アルバムの中を探して再発見しました。メキシコオリンピックの公式記念貨幣なのですけどインディアンの足元の五輪の輪の左右が少し高く描かれていて、インディアンが中央の輪を蹴ってジャンプしているように見えるためこのように呼ばれています。製造上のエラーではなく、いわゆるデザイン上のエラー貨幣で、問題になって多くが流通前に回収されたため700万枚の発行数のうち50万枚だけがこのデザインのようです。穴銭に比べて50万枚という数字はとてつもなく多いのですけど、近代銭としてはやはり少ないのでプレミアムがついているとかいないとか。ネットで見ると怪しいレプリカものもありそうなのでご注意を。このクラスの手替わりは本来ならば1~2万円ぐらいしてもおかしくない気がするんですけどね・・・。
画像のコインは「コイン利殖入門」という本に刺激を受けて中学生時代にお年玉をはたいて千葉のお店「大宝堂」で買い求めました。当時でも5000円以上したと思います。夢を買いましたが利殖には今一つならなかったようで。
ほぼ同じ頃(多分その1年前)に同じお店で購入した不知天保通寶の俯頭通は店主が自慢げに金庫から出して見せてくれた品で、これは掘り出し物でした。お年玉をしこたま?ためて持っていたので「いくらぐらいするのですか?」と聞いたところ、手持ち金オーバーの12000円と言われました。お年玉について少し話していたので、からかわれたのかもしれません。しかし、諦めきれなかった私は、一度お店を出ると数キロ先にお店を構えていたオジサンのところに(徒歩で)年始の挨拶とばかりお年玉の無心に伺ったのです。諦めて帰ったとばかり思っていたコイン店主は約1時間後に再び現れた私に目を丸くしながらもしょうがないなあと、俯頭通を譲ってくださいました。(男だねぇ~)その結果、食事代も帰宅のためのバス代をも使い果たして、すっからかんになったほろ苦い思い出があります。
 
2月21日享保期佐渡広佐面背逆製
佐渡銭は面背逆性が比較的見つかるといいますが、私自身は寛保期の鉄銭座銅銭の1枚しか保有していませんでした。別に躍起になって集めるほどのものではありませんが、新しいものを見ると欲しくなる・・・これはコレクターの病気です。見た目に美しいわけではなく、いや、むしろ醜く、将来誰にも見向きもされないだろうなあと思いながら私だけの花園のハーレムで楽しむ変態です。

 
長郭手宏足寶薄肉小様(贋作) 
2月17日【違和感ある品々】
詳しくは雑銭掲示板に投稿してありますが、稲陽舎様でも手に追えないと称した品。彼が手に負えないのなら私が手に負えるわけがありません。
贋作として判断しましたが決定的な何かがあるわけではありません。鋳造技術的なものを含めバランスが悪いのです。近年中国で作られている品の進化形だと思いますけど汚し方が非常にうまくなりました。鋳物で砂目もありますが鉄粉か何かを表面に焼き付けているように見えます。薄くて銭文径が大きいのは焼き仕上げのためかもしれません。
長径47.9㎜! 短径31.0㎜! 
銭文径41.7㎜! 重量15.6g!

寛文期亀戸銭正字背文初鋳超大型母銭 外径25.9㎜! 内径20.7㎜ 
モトさんが昨年投稿してくださった寛文期亀戸銭正字背文超大型銭です。Aさんの鑑定により初鋳の母銭にまちがいないとのこと。画像ではわかりませんが銅質も少し違うようで白味が強い(白銅質系)ようです。文銭の母銭鑑定は難しくこんなに大きくても単独画像で見てしまうと通用銭のきれいなものとあまりかわりません。母銭としての役目を終えて通用銭に格下げされて流通に回されるときに面砥ぎされて文字を太くして母銭として再利用されないよう配慮されているからかもしれません。しかし、25.9㎜は巨大ですよ。
密鋳古寛永斜寶写赤銅銭 外径23.9㎜! 4.8g! 


稲陽舎さんから頂いた品。火中品ではなく銅色からして赤い。阿仁・加護山系の銅色です。なにより小ぶりで可憐です。斜寶は24㎜以上がほとんどなのですが小さく撰文縮小しています。特に肉厚というわけではないのに重さもしっかりあります。これはこの密鋳銭の鉛含有量が多いことに他なりません。好事家しか集めてないでしょうけど古寛永の密鋳銭はかなり少ないのです。
 
酔人のひとりごと
モトさんの25.9㎜の文銭はAさんが絶賛していました。画像をもう一度見たいとリクエスト中です。
東北のTさんの「千」の古銭箱にリンクを貼りました。なお、古銭関係リンクにも同じく東北のEさんのブログ「岩手関係の貨幣のお話です」とともにリンクされました。侍古銭会が表紙を一新したとか・・・。
 
明和期正字面背逆製 
明和期俯永面背逆製 
明和期小字面背逆製
明和期當4文銭の面背逆製3種
みんな見事な円穿です。3種集めるのにとても時間がかかりました。費用はさして掛かっていませんがお金をかけても集めるのがとても難しい錯笵です。見た目が醜悪なものの多い面背逆製のなかでは、比較的美銭ぞろいです。

余談ながら・・・
上記の画像を撮るため、コインアルバムの中を捜索しました。ところが小字の面背逆製がどうしても見つからない。昨日の夜は見つからず、今朝は6時前から大捜索。出勤時間が迫っても見つからず半分あきらめかけていたら、作業机脇の資料の山からひょっこり出てきました。3年前ぐらいから放置されていたみたい。とはいえ見つかってホッとしました。
2月13日【面背逆製はなぜ円穿?】
面背逆製は穴銭では比較的有名なエラー(錯笵)ですけど、その発見と発表は意外に新しく、昭和50年代後半頃に南部古泉研究会の例会で、故川村庄太郎氏が「佐渡明和背佐には面背が逆になっているものがある」と言って紹介したのが最初ではないかとのこと。銭譜では、昭和61年発行の穴銭堂の新寛永泉志の佐渡明和背佐小様の項に「別に通用銭から伝鋳されたと思われる末鋳品もあり、面背逆のものは希少。」という記述(拓図はなし)があるのがはじめてのようです。(東北のS氏談)
それまでは出来の悪い屑銭だったものが急に価値を持った瞬間です。私も穴銭入門新寛永の部の佐渡の項に面背逆製が紹介されていて、なんだろうと思っていたところ、収集誌上に記事が掲載されていたこともあり、誌上入札にも出たので興味本位でぼちぼち集め始めました。
面背逆製は鋳型に母銭を置く際に面背を逆置してしまったことが原因で発生します。これがエラー銭であると言うことは、銭の鋳造工程を熟知していないと理解できません。
通用銭を鋳造する際には、踏みしめられた背側の鋳型の上に母銭を置き、その上からきめの細かい化粧砂をふるいます。そして鋳砂をかぶせるのです。したがって面側が細部までくっきり鋳出され、背側はやや浅く、あまく出ます。母銭鋳造の場合は、はじめ板の上に母銭が並べられ面側の型採りがされた後に、型がひっくり返されて板が外され、化粧砂がふるわれてから鋳砂がかぶせられ踏み固められます。通用銭と母銭は工程が異なります。したがって面背逆製は通用銭のみに生じるエラーなのです。
母銭の穿や輪側面には傾斜(テーパー)がつけられています。その本来の目的は型抜けを良くするためだったり、鋳ばりを除去しやすくする目的だったりしますが、面背逆製はこれが鋳造上の障害になります。母銭が裏返しに置かれてしまうため、穿の上空は「ひさし状」に背側の郭が張り出します。そのため上からふるわれたサラサラの化粧砂は穿の中央部目がけてひらひらと堆積してゆきます。その上から鋳砂をかぶせられてもひさしが邪魔をして鋳砂が郭内に広がりませんし、固めることもできません。かくして鋳型はきれいにかたどられず、面側の郭の部分・・・とくに角部分に空洞ができます。この空洞部分に溶解した銅が流れ込むので分厚い鋳バリになり、円穿になるのです。輪側もテーパーにより鋳バリが生じやすいのですけど、穿よりは修正がしやすい・・・というより、あまりにもひどいと流通できないので、廃棄処理されます。かくして面背逆製は円穿が多いのです。円穿をみつけたら、面背逆製を疑え・・・これが合言葉です。
なお、面背逆製は銭種によって出現頻度はだいぶ違います。最多はおそらく明和期長崎銭、次いで文政期小字でしょう。佐渡銭は多いと言われる割には銭種が分散していてあまり出会いません。手抜きの多い元文期以降の不旧手類は多いと思います。貴重なのは古寛永、文銭、明和期11波、天保銭。探してみてください。明和期銭は小字、俯永、正字は発見しました。大頭通と離用通を見つけたいです。
価値的には好きものの世界で、むしろ雑銭の方がプレミアムが付きます。私は佐渡鉄銭座銅銭の面背逆製を持っていますが、売る場合は通用美品の評価以下になってしまうかもしれません。タジさんの離郭の面背逆製など、現存一品の大珍品エラーなんですけど誰も手を出さなかった。離郭濶縁より入手は100倍難しいけど、悲しいことに価値は5分の1も行かないかも。(こんなもの集めている人はほぼいないと思っていたのですが、意外なところに潜んでいます。)寛永銭の収集大家のⅠ原師が熱心に集めていたのには驚きました。記事を書いていて無性に面背逆製が欲しくなり高いと思いながらネット応札・・・ひとりで盛り上がって自滅・・・確実に損をしています・・・馬鹿の極みです。
※天保泉譜原品と全く同じ細郭手が出ていますね。郭下部のふくらみが特徴的な極細字覆輪銭です。1月22日の品ですね。これは良い品です。
 
2月8日【のんびりやりませう】
萩天保に関する収集の記事が1998年の8月号であると稲陽舎さんから聞き、先ほど意を決して古本の山に挑みました。年号ごとにはおおよそまとまっているので簡単に見つかると思いきや、あらら8月号だけがないときたもんです。捜すと見つからないもの、忘れた頃に出てくるだろうとあきらめて机の上を片づけていたらひょっこり出てきました。こんなものです。現在の私の机の周辺は資料の山に囲まれ、未整理の古銭が裸で転がっています。やる気がないったらありゃしないです。一応現役で仕事に追い立てられていますので、暇ではありませんが、いざ暇ができても気力がきっと出てこない。今は仕事も山づみ・消化不良で現実逃避したくてしょうがないのです。古銭はもちろん、山歩きもそのひとつなんだろうなあ。ただし、整理は面倒ですし現実に引き戻されてしまうから後回し。
稲陽舎さんは仕事で沖縄出張でしょうか?いいなあ・・・彼のことだから中山通寶など拾ってくるんじゃないかしら。
掲示板は自由なこと、自慢話を書き込んでかまわないと思っています。私は全く古銭と関係ない話まで書いてますし・・・。(節度が必要かしら?)脱線はほどほどに。
ところで雑銭掲示板は個人的なお礼の書き込みなどはしなくても良しとしませんか。SNSをやりすぎると返信をすぐしないと落ち着かない・・・なんて症状を呈している方(私?)もいらっしゃいますが、当掲示板に限ってはその気遣いは「なし」でも良いことにしましょう。返信の無限連鎖を生じさせます。返信はきまま、お礼返信は無用・・・これがお気軽でいいです。でも投稿がないのはつまらないし、しょっちゅう確認してしまう・・・私も中毒ですね。(だからこの記事にも反応しないでくださいね。)
なお、人間ですから投稿には間違いも思い込みもあります。初心者投稿もあると思います。それもOK。みなさん大人の対応でお願いしますね。敷居は低く投稿情報は多い方がやはり楽しいのです。

※半分仕事で日本語を教えていると以前書きましたが、今はほぼ毎日1.5時間~3時間教えています。その分仕事が押します。大変なのですが良い息抜きでもあります。みんな素直で可愛い。私があと〇〇歳若かったら・・・。あと半年で日本語検定N3に合格できなかったり、4年以内に日本語で受験する国家資格を取得できないと強制帰国が待っていますから彼女らも必死です。日本人の若者はこの試練を受ける根性はたぶんないでしょう。鎖国に近い日本の制度は過酷すぎます。
私の同級生のバカタレは30年前に未亡人の魔性に溺れ、家に入りびたり大手企業を飛び出して陶芸家になりました。その後なぜか縁起絵師という芸術家モドキになってお土産グッズで大成功して海外に逃避。台湾で日本語学校講師になり超若い教え子(しかも超絶美女)と一緒になって日本に戻ってきました。うらやましいぞ。死んでしまえ!(酔ってます)
※海外の日本語講師は日本語が喋れれば現地言葉がほとんど分からなくてもできるのです。私はフィリピン人とモンゴル人に教えていますが、英語・タガログ語・ヴィサヤ語・モンゴル語はしゃべれない。生徒側がしゃべれる。中には4言語あやつる猛者もいます。
 
2月7日【投稿+3】
最上段のみすぼらしい(失礼!)福岡離郭は見覚えがある方も多いと思います。画像の投稿者は侍古銭会のタジさん。ネットで見かけたとき、面側の郭に漆喰のような白っぽいものが付着しているように見えたので気にはなっていましたが、状態も悪いしスルーしていましたが、どうやら鋳張りが面に側に寄っているようなので、面背逆製のつくりになっているようなのです。ヤスリは基本ルール通り背側から面に向かって入っているようで・・・こうなってしまった理由は通常の面背逆製と異なるかもしれませんが・・・やはり面背逆製と認定しても良いような気がしますがいかがでしょうか?
タジさんありがとうございました。

続いてはオークションネットで私が落とした不知長郭手覆輪強刔輪宏足寶です。
当百銭カタログNo263(覆輪強刔輪・宏足寶)、不知天保通寶分類譜・下巻P158No14(覆輪強刔輪宏足寶)原品なので、しっかりしたものなんですけど、拡大画像で見るとどうも宏足寶に見えません。で、さらに拡大してみましたがやはり、寶足は鋳走りによる変化で、輪から浮いているのです。肉眼と画像で全然雰囲気が違ってしまう好例ですね。刔輪はかなり強烈なので宏足寶になる過渡期銭であることは間違いないと思います。地の部分はやや粗く、画像上は魚子地肌風ですけど鋳造技術的にはかなりの上作です。
長径49.3㎜ 短径32.8㎜ 
銭文径41.1㎜ 重量21.4g
新しく買ったデジタルノギスがあっという間に電池切れになってしまいました。したがって元のプラスチックノギスで測りましたので誤差はあるかもしれません。日本製の方が電池切れの心配はないですね。

同じくオークションネットで落とした不知細郭手覆輪刮頭天。
天保泉譜No244原品、大川天顕堂旧蔵というプレミアム付き。刮頭天というより繊字と言いたくなるほど全ての文字が細いのです。鋳走りかもしれませんが寶足もしっかり長い。天保泉譜に書かれているように通頭付近の郭の膨れも確認できますが、これは観察する限り偶然の変化かもしれませんね。今回、天保泉譜原品・大川師旧蔵品がどうしても欲しくなり、片手ほどの価格を付けてしまい私としては少々無茶をしてしまいました。
長径49.2㎜ 短径32.5㎜ 
銭文径40.6㎜ 重量18.6g

さて、最後の1枚は新寛永通寶の元禄期亀戸銭の厚肉の背大錯笵。材質製作的には全く問題ない品なのですが、先にも書いたように錯笵銭としてはきれいすぎるところがあるのが気になります。割り込んで写ったように見える寛永の輪は、元の輪の上に乗っかっているように見える・・・つまりより深く押し付けられた・・・一方で中央の郭は錯笵部分の上にきちんと出ています。あれれ・・・こんなことあり得るのかと思って、しばらく首をひねってしまいましたが・・・一応あり得ました・・・けど、押しつけの反作用で鋳砂の乱れが発生してなくこんなにくっきりと、しかもきれいに姿が出るのはやはり考え難い気がします。そうなると企画ものとか後作という言葉が頭をよぎります。
観察した結果、言えることはこれは戯作の可能性はあるものの贋作ではありえないこと。それはさんざん錯笵と寛永通寶を追い求め見てきた(ついでに妖しい物を掴みかなりだまされたと思っている)私だからこそ断言できます。(説得力ないなあ・・・。)やはり、ふいご祭りのときに銭座で作られたものかもしれません。
したがって錯笵銭としては一級品ですけど、だからどうしたと言われればそれまでですね。
 


2月6日【玉石混交佐渡銭図鑑】
雑銭掲示板に掲載した関西のS様の正徳期佐渡銭は残念ながら古い写しであるとの意見が多いようでした。
佐渡の寛永銭はかなりの長期にわたって鋳造されたようでバラエティ豊かですが、中には素性のよく分からないものも含まれています。以下は私が集めた画像ですけど、大きさ(倍率)、色調などはバラバラですのでその点はお含みおきを・・・。

❶正徳期佐渡銭背佐(母銭)喜寶寛永銭譜より
私たちが良く見る正徳期の背佐の母銭の拓本。比較用画像です。この書体を目に焼き付けておいてください。

❷正徳期佐渡銭大字背佐(母銭)喜寶寛永銭譜より
通用銭はないと言われている大字背佐は超希少品。ものすごく繊細な文字でいかにも稟議銭です。
なお、喜寶譜は写真銭譜であり、陰影をはっきりさせるためかなりコントラスト補正をしています。推定になりますがこの画像は実物より色彩が白く出ている可能性があります。全体的に大きいだけでなく寶の後足の長さ、あとは寛冠、寶冠の大きさに違いがあります。

❸正徳期佐渡銭大字背佐(母銭)
平成13年のオークションネットに出現した大字背佐渡母銭。上の物と雰囲気はだいぶ異なりますがこれもいい感じです。実はこの品は通常の正徳期背佐母銭として出品されたもの。このことに気が付いたのはわずかに2名だけで、しかもお互いに知り合いだったので譲り合いで落札。この違いに気が付くのはもう達人のレベルです。

❹正徳期佐渡銭大字背佐(彫母銭)
オークションには出ていませんが上掲の物と出現場所は同じで、親子関係にあることは納得できます。七雄泉師がこれを見出し収集誌上に発表されました。つまり正徳期佐渡銭大字背佐の母銭と彫母を所有していたコレクターがいらっしゃったのです。寛通間にある赤い朱のマークは三上香哉師あたりの印かしら。彫母は芸術品的なもので、同じものは二つと存在しません。昔は伊勢神宮などに銭座から奉納されたそうで、賽銭箱から発見された彫母、試鋳銭の逸話は時々耳にします。

❺享保期佐渡銭超大型母銭(稟議銭)
2014年のヤフオクに出現した養真亭旧蔵の佐渡御用銭と言うべき品。寛永銭研究会で明治30年に発表された原品です。直径28.2㎜もあります。養真亭 馬島杏雨は会津に生まれた漢方医であり、書道家としてもかなり有名です。古銭収集暦は古く、東京古泉会では一時期会長も務めてるほどの人物。この品については賛否両論あり、寛永堂の傑作とする噂もありますが、非常に良い雰囲気の品です。寶永通寶の母銭に通じる作風です。

❻伝、寛永堂作寛永通寶背跳文(母銭)
寛永堂作という噂がありますが、通用銭は黄色い銅質と赤い銅質のものがあり、寛永堂にしてはちょっと落ちる気がします。こちらも有名で新撰寛永泉志には堂々記載されているほどです。
 
2月4日【オークションネット最後の入札誌】
最後ということでそれなりに気合を入れて臨ませていただきましたが・・・結果は9戦3勝6敗でした。加護山銭が全滅だったのは意外でした。右は収集していた画像です。(数字は出品番号)

❶退点文玉点文(0181)
新寛永通寶図会原品。図会原品というだけで心が躍ってしまいます。入手ならず。この変態的な文の変形を見たかった品です。

❷元禄期荻原銭厚肉錯笵(0185)
完全なものには魔が宿る・・・ふいご祭りの際に錯笵をあえて作ったと言う説があります。これはその品かもしれません。母銭落下もしくは再押し付けによる錯笵で、反作用による鋳砂の盛り上がりにより輪が凹んでいるように見えます。これは落札できました。
※原品には落下したときの鋳砂の乱れが確認できませんでした。凸凹感がほとんどなく落下後に成形し直しているように見えるのです。これは意図的なものかもしれません。(贋作ではありませんが、非常に丁寧なつくりに思えます。)

❸加護山銭細字狭文様2枚組(0206)
これは評価以上に少ない品なんです。2枚組で、銭径も違うので魅力的です。がつがつ行こうと最初は考えていたのですが、なぜか心にブレーキがかかってしまいました。

❹加護山銭正字様2枚組(0208)
こちらも2枚組。なかなか貴重な組み物でした。正字と中字の見分けは難しい。私は寛尾の方向、辵の細さと寶尓の点の開き、寶足などで見ていますが、正直自信ありません。内径で見るのが早いかもしれません。入手ならず。

❺加護山銭中字様(0209)
中字とはっきりわかる品は少ない気がします。パッとしないのですけど押さえておきたい。入手ならず。

❻加護山銭中字様嵌郭(0210)
と、ありましたが、正字様嵌郭でまちがいありません。しかも母銭様です。皆さん気が付いていたと思います。改めて画像を見るとものすごく魅力的に見えます。これは欲しかったです。

❼加護山銭小梅手仰寛写(0211)
加護山銭かどうかは実物を見なければわからないのですけど、一文密鋳は少ないのです。最後の最後で高額応札ができなくなって案の定負けました。

❽不知長郭手覆輪強刔輪宏足寶(0239)
とありましたが、さして宏足寶とは言えず本来は覆輪強刔輪が正しい気がします。当百銭カタログNo263(覆輪強刔輪・宏足寶)、不知天保通寶分類譜・下巻P158No14(覆輪強刔輪宏足寶)原品。泉譜原品は押さえたい。天上の刔輪が強いのが決め手ですね。これは落手。2つの泉譜とも宏足寶の名がついています。私の目がおかしいのかなあ。
※原品が届きました。肉眼ではたしかに宏足寶に見えます。ただし、ルーペで見ると先端が分離していて宏足寶になりきれていないのです。宏足寶のなりそこね、一歩手前の品です。

❾不知細郭手覆輪刮頭天(0240)
天保泉譜No244原品、大川天顕堂旧蔵。天保泉譜原品の大川師旧蔵というだけで価値倍増です。細字で通頭上の郭が膨れます。天の二引きが短いと言いますがさして目立ちません。この原品は何としても欲しかったので、ちょっと気合を入れてしまいました。落手。
※浅字ながら非常に丁寧なつくり。文字は細く加工されています。
1月22日の関西のSさん投稿の品・・・まったく同じです。ご確認ください。このことを記述するのを全く忘れていました。

オークションネットのY様には大変お世話になりました。また、私の活動拠点がなくなってしまう気がして非常に寂しいです。ありがとうございました。
 
1月29日【ヨネさんの天保・禄生禄さんの寛永】
侍古銭会のヨネさんから久しぶりにメールを頂戴しました。最近、雑銭掲示板が萩藩の天保銭の話題で盛り上がっていますが、ヨネさんはもともと萩銭マニアなので興味深く見て頂いているようです。ヨネさんもまた天保仙人様影響で天保通寶にのめり込んでいるようで・・クラスター化してますね。
そんなヨネさん藩鋳銭の母銭がどうしても欲しくなって、一念発起して水戸正字背異の母銭を購入されたそうです。未使用色が輝かしく見えますね。
背異は本座によく似ていますけど、シークレットマークのように花押の一番上のひげが短く、袋の下端が丸くなっています。また、通寶の文字も微妙に変化しています。
こういう品を一度購入するとこれと並べる品が欲しくなって・・・財布のひもが緩くなるんですよ・・・ヨネさん。
下段は禄生禄さん投稿の寛永通寶。いびつでぱっとしない背久・・・と、思いきやこれは鋳写の背久母なんですね。位置づけ的には密鋳の背千のようなもの。常陸太田は今の茨城・・・一応関東なのですけど、東北文化が流入していたのか、それとも東北で写されたのか定かではありませんが、不思議な品です。
 
1月27日【進ニ天・縮通曳尾?】
萩の天保銭は本当に不思議です。書体の個性派ぶりは傑出していて、密鋳銭であることを隠そうとしていないのか、自己主張の強いこと、鋳ざらいによる文字変化が激しいことこの上ありません。一方で方字の文字変化はかなり少なく、萩に転籍になった平通などはほぼ一手しかありません。稲陽さんが掲示板に示したように贋作の噂の絶えない鋳ざらい母の存在もあり謎も多いのです。
そんな萩銭に泉譜にもほとんど紹介されていない一品もの?が存在します。拓図は省略しましたが、類似貨幣カタログに掲載されている進二天奇書は銭径も大きく、方字強刔輪大様といったところ。私の記憶が正しければこれは宮島の古道具屋辺りで掘り出された逸話があったような気がします。
拓図上段は英泉天保通寶研究分類譜に掲載されている進二天刔輪削字。同書の隣に掲載されている進二天刔輪大様より強烈な刔輪で別種にしか見えません。
中段は東北のTさん所有の同じ系列と思われる進二天刔。やはり強刔輪で通尾が跳ねます。ただしこちらは寶足が完全に離輪します。天は明らかに進二天。保字は扁平でこれも進二天の特徴です。ところが・・・花押の形が進二天とは明らかに異なります。扁平で嘴部分が長いのです。天保仙人様にレクチャーを受けた方は進二天と縮通の見分けは花押がポイントと聞いているはず。これには困りました。良く見るとこちらは村上師のものと背の當百の形状も異なります。
そして稲陽舎さんの縮通???。もしかするとかつてお見せいただいていて、私がこの品の価値に気が付かなかっただけなのかもしれませんが・・・いやあ、絶品です。進二天と系統は同じかもしれませんが進二天じゃない。保もこじんまりまとまっている。ただ、背は同じ系統。通尾も跳ねています。ひょっとしたら萩の天保は盛岡銅山と同じく面背が別々につくられた・しかも木型だったのでは・・・なんて妄想が生まれてしまいます。
これらは進二天強刔輪、縮通跳通とすべきか、萩銭らしく進二天刔輪曳尾、縮通曳尾でも良いかも・・・欲しくなってきました。類品お持ちの方はいませんか?

※稲陽舎様のご指摘で2015年12月5日の記事で東北のN様からご投稿いただいていた縮通隔輪が全く同じ系統であるとのこと。恥ずかしながらすっかり失念していました。N様大変失礼いたしました。
 
長郭手刔輪細縁(侍古銭会タジ様蔵)  
不知天保通寶分類譜P127-2 新訂天保銭図譜121図 天保銭事典 
英泉天保通寶研究分類譜1289番 長径48.33㎜ 短径31.76㎜
長郭手刔輪細縁(68式ヲヤジ様蔵)  
長径48.26㎜ 短径31.78㎜ 銭文径41.2~3㎜ 
長郭手刔輪細縁(浩泉丸蔵)
長径48.2㎜ 短径31.8㎜ 銭文径41.1㎜ 重量17.7g 
長郭手覆輪強刔輪直足寶深淵(浩泉丸蔵)
不知天保通寶分類譜下巻P109左図、166P‐40原品
長径48.5㎜ 短径32.4㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.0g 
最後の一枚は銭文径の縮小したもの。今までの品は一度写しでしたけど、これは2度写しにしてこの細縁です。上記の銭以上に文字変形も強く、覆輪は一応されたのだと思いますがそれ以上に刔輪が強烈なのです。こいつは確か入札誌銀座で発見して本気で落としに行ったもの。面の刔輪もさることながら、背の當上の刔輪も強烈です。改めて調べていて気が付いたのですが、この品は不知天保通寶分類譜のP166Pの覆輪強刔輪の代表銭として拓図が載っていたんですね。拓が変形していて最初は気が付かなかったのですけど、決め手は鋳だまりの位置と輪の形状と花押の陰起。なかでも面輪右の小欠が決定打でした。
1月24日【強刔輪細縁の長郭手】
掲示板が盛り上がっていますが、管理者として少し参入。タジさんの天保銭が各種泉譜を飾った品であることが明らかになりました。
関西のTさん、実によく見ています。私は新訂天保銭図譜の現品はたぶん保有していないと思います。(おそらく勢陽譜原品もないんじゃないかしら。)
この刔輪細縁銭の類ですけど、覆輪がはっきりしている類に比べて少し地味な存在なのですけど、実は数がとても少ないのです。天保通寶の密鋳は、見つかれば死罪ですから命がけ。したがってバレないことが第一です。そのためには銭径が小さくては贋金とすぐばれるのでダメ。写しによるサイズダウンの回避・・・覆輪の理由はここにあります。
しかし、刔輪だけの存在理由はほぼない。ですからここにあげている細縁類は覆輪の後に強烈な刔輪をしたことによる細縁のはずなのです。刔輪の理由については天保堂瓜生師の鋳走り・鋳づまりの修正説に対して、私は輪の成形過程・・・穿の偏りのごまかし等もあると思っています。詳しくは覆輪刔輪マニアックワールドに記述してありますのでご一読ください。
この細縁銭類はまるで覆輪のタガが外れたように輪が細い・・・あるいは本当に覆輪が外れたのかもしれません。すなわちこれらは元母銭で、周囲の覆輪は紙でつくられた・・・なる考えもあります。(2014年8月18日制作日記参照)当時は紙の覆輪は水に弱いとやや懐疑的でしたけど、ニカワでがっちり固めれば結構使える気もします。まあ、それが本当か否かは別にしてここにあげた品々は、なされた覆輪以上に強烈な刔輪がされた品・・・あるいは覆輪前または磨輪成形のし過ぎかもしれませんが・・・存在そのものが少ないことは間違いないところです。
2枚目の品は68式ヲヤジのご投稿。赤銅質が珍しく、かつ寶前足がわずかにくの字に湾曲する癖があります。天上の刔輪はガリガリとかなり強烈です。この天上の刔輪がこれらの類の見どころなのです。1回写しの銭文径にもかかわらずこの強烈な刔輪・・・たしかにこれに紙で覆輪すれば宏足寶の母銭になるかもしれませんね。銅色が変わっている分、不知銭らしい雰囲気があります。
3枚目は私の蔵品。寶足は直線的にすっと伸びていてさわやかですね~。(そう感じるのは私だけ?)銅色は淡褐色で文字変化は寶足以外は目立ちません。銅質も異なり、背の當上の刔輪がわずかに強いので、関西のTさんがご指摘の兄弟銭ではないと思いますが、つくりは非常に似ています。これでがつんと覆輪がされていたら目立つのですが、細縁だとどうも貧相で市場に出てもピンとこない方は多いと思いますが、こんな覆輪を感じない強刔輪銭は少ないのですよ・・・覚えておいてください。天上の刔輪・・・強烈でしょう?見慣れてないと悪戯で輪を削って小さくなったものにしか見えないかもしれません。この品は東北のNさんからお譲りいただいたものだったんじゃないでしょうか。間違っていたらごめんなさい。

 
1月22日【投稿細郭手】
関西のSさんからの初投稿の2枚の細郭手。上段は不知細郭手覆輪刮頭天。長径49.05㎜ 短径32.63㎜ 銭文径40.70㎜ 重量21.17g。この画像を見てピンときた方は天保銭のマニアでしょう。勢陽譜No.244にその拓本があります。(原品ではありませんけど・・・。)郭下部のふくらみがものすごく特徴的です。刮頭天の名前はありますが、この特徴は少し弱い気がします。孕み郭(はらみかく)とか膨滴郭とか命名すべきかな?背の百の横引き末端爪が大きいですね。
もう一枚は張足寶とのことですが、撮影角度のせいかあまり足が長く見えません。ただ、面はものすごく深字。背の花押の下部の輪が太いのも目立ちます。當上の刔輪もほんの少し強いですね。極印はとても似ています。もしかすると同炉なのじゃないかと思うほどです。
長径48.95㎜ 短径32.36㎜ 銭文径40.44㎜ 重量21.96g

ついでにもう一枚。
先ほどネットで落札した密鋳亀戸狭穿写しの一文銭。
思ったより価格は伸びませんでしたから、私にとっては幸いでした。出品者は関東のⅠさん。良い目利きです。これは明らかに加護山銭。私の蔵品はヒビ入りですけど、秋田の村上師がこよなく愛し各種泉譜を飾った有名銭なのです。文銭系以外の加護山写しは本当に珍品で、私、ヒビ入りなのにかつて1万円も払ってしまいました。個人的にはマ頭通背仙クラスかそれ以上の珍銭だと思っています。
 
1月13日【初収穫】
今年初の獲物は高かった。例によって応札してほったらかしにしておいたら1万円を超えていました。馬鹿です。でも、とても不細工でかわいい顔をしています。永字が横広でフ画が水平なので俯永なんでしょうけど通頭は離用通みたいです。また、郭の仕上げが妙にきれいで、違うと思いますが鉄銭の母みたいに見えるから。鉄母は何でもありなんでしょうけど、こんな母銭じゃ銭文は読めないでしょう。まあ、道楽ですね。
雑銭掲示板にも記載しましたがセキュリティ向上のためURL変更を考えています。
目下のところ、
httphttpになるだけの変更にしたいと考えていますが時期等も未定です。10年近く愛用しているパソコンそのものの引っ越しも検討中なのです。ある日突然引っ越すかもしれませんので念のため雑銭掲示板のURLをメモしておいてください。

引っ越しによって
①セキュリティが向上して安全なサイトとしての認証が高まります。また、URL蘭の「セキュリティ保護なし」という表示が消えます。
②検索に格段に引っ掛かりやすくなります。
③手間暇とお金がちょっとかかるようになるのが困りどころ。

【閑話休題】

英語もほとんどできないくせにここ10年、外国人に日本語を教えています。すると日本語表現の難しさを時々発見します。最近見つけた例・・・

例文
1.私は水
だけ買えない。 2.私は水しか買えない。 3.私は水さえ買えない。

問題 上記例文1~3それぞれについて以下の質問に答えなさい。
Q1.私は水が買えますか?
Q2.私は水以外のものは買えますか?

正解
A1.1.買えない。2.買える。 3.買えない。
A2.1.買える。 2.買えない。3.買えない。


1.私は水だけ買えない。  2.私は水しか買えない。 3.私は水さえ買えない。
1.I can't buy only water 2.I can only buy water 3.I can't even buy water 翻訳はGoogleです。
2はI can't buy other than waterr と教えたほうが分かりやすいかもしれません。

日本人だとすらすら答えられますが、外国人には難解でとくに「しか」の理解は難しい。買えないと言っているのに買えているのはおかしいですよね。ですから外国人に「私は君しか愛していない。」なんて告白すると「私のこと嫌い。」と勘違いされます。古銭愛好関係者は一切関係ないと思いますがご注意ください。

似た事例では以下のものがあります。
1.私は目が
かすんで良く見えない。
2.私は良く目が
かすんで見える。

結果は両方ともよく見えない。
1.I have blurred eyes and can't see well
2.I often look blurry
 翻訳はGoogleです。
簡単な日本語なのに実に難解です。どうです、日本語って難しいでしょう。今は英語がしゃべれないモンゴル人にも教えています。もちろん私はモンゴル語はわからない。日本語を簡単な日本語で教える。相手が優秀なので何とかなっていますがそれでも四苦八苦しています。本業が何かわからなくなってきています。

 
1月12日【魚子地肌】
雑銭掲示板で地肌の魚子(ななこ)仕上げについて話題になっていました。魚子地と言えば仙台銭が有名で、よく「松葉をつついたよう」と表現されますが、実際には凹状の穴の集合体ではなく凸の重なりの集合体で、ところどころ気泡の抜け穴がある程度。もちろん、これは私が観察した数少ない個体からの印象ですから例外があるのかもしれませんが、果たしてどうなんでしょうか?
一方、仙台寛永銭の母銭が1月9日の制作日記に掲載されていますが、こちらはなんとなく凹に見えます。
そもそも魚子地は金属加工の技術からきた言葉で、表面が圏円(凹の半球)状の鏨を丹念に打ち込んで魚卵を並べたように仕上げる工法。イメージはカズノコの粒々ですね。魚子地と並んで有名なのは梨地(なしじ:梨子地とも言う)ですけど、こちらは蒔絵・漆芸から来たもので、漆塗りの上に金や銀の細かい粉を撒いて定着させ、その上から仕上げ漆を塗ったもの。魚子地と同じようなものですけど、イメージとしてはさらに細かいですね。古銭用語じゃなくてもしかして使っているのは私だけかもしれません。
技法の由来からしても、魚子地は凹ではなくて凸、ですから「松葉をつついたよう」という表現はちょっとおかしいのですが、結構独り歩きしてくれています。
いかにも妖しい仙台もどき不知銭を拝見したことがありますが、それは見事な松葉でつついた凹の連続でした。(しかも丁寧に反郭気味になっています。)あの肌は砂目では絶対に再現不能で、母銭の肌を釘状のもので叩いていったとしか考えられません。金属は叩けば反作用で周囲が盛り上がります。したがって地肌はクレータ状になりますから美しくない。まるでおろし金みたいでした。職人の美学に反しますね。仙台天保は魚子地肌だけではなく、深い鋳ざらい痕跡が有名です。魚子地加工するぐらいなら鋳ざらい痕跡を修正するのが職人魂じゃないですかな・・・と思います。ですから仙台大濶縁のようなお化け銭はともかく、仙台長足寶の魚子地肌は、職人の加工じゃなくて粒子の粗い砂目から生まれたものなんじゃないのかな・・・と、思っていました。

もし、密鋳天保に全く同じパターンの地肌模様のものがあるとすれば、それはきっと母から伝鋳されたしかないですよね。仙台天保も大様から小様が生まれたのは間違いないところですから、伝鋳はありえたと思いますが果たして地肌の細かい模様まで通用銭レベルで正確に再現できるのかしら?鋳ざらい痕跡が出るならあるのかなあ。
仙台寛永銭の砂目を調べたことはないのですが果たしてどうなんでしょうか?恥ずかしながら私は母銭コレクターではないので仙台の四文母銭をじっくり観察したことも求めたこともありません。お持ちの方お教えください。なお、以上は、私の印象から考えた勝手な考察ですから皆さん深く考えないでくださいね。酔っぱらってますし・・・。
 
 
1月11日【クレイグさんから】
米国のクレイグ氏からメールが届きました。天王寺屋長兵衛の化蝶類集の研究発表を海外誌に投稿している強者です。おまけで横浜光仙会誌(1912年10月)に掲載された安南の贋銀の拓本画像を頂戴しました。もっとも、これがラムスデン本人が作ったかどうかまではわからないそうです。なお、彼の投稿記事は3月に掲載されるようです。
 
1月9日【海外投稿者】

Dear Walter

The image of the old coins you sent is a coin for making cast iron coins and is called Bosen.The smaller one is a 1-mon coin made in Edo Kosuge from 1859.The larger one is a 4-mon coin made in Sendai around 1866.The letter "thousand" written on the back side represents the place name of Sendai.


kosenmaru

※昨年もご投稿いただきましたが、今回は母銭の画像でした。海外からのお便りはウィルスが怖いのでくれぐれもご用心ください。
画像は小菅の薄肉と仙台銭の削頭千ですね。
 
1月8日【オークションネット最後の入札誌】
オークションネット様からメールが届きました。昨年末に送られたそうなのですけど、私には届いていませんでしたので、再送信はありがたかったです。すでに活動を休止されていたと思っていましたが、今回が最後の入札誌になるとのこと。記念応札というわけで下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる方式です。ひとつ当たればうれしくて全部当たれば号泣です。大変お世話になりましたのですけど、バナー削除をはやまってしまいました。したがって表紙、雑銭掲示版、製作日記にと大々的に告知させていただきました。
 
1月6日【がんちゃんのサイトが消えた!】
いったいいつからなんだろうか。がんちゃんこと寺山巌様のサイト・・・電脳古銭譜がネット上から消えてしまいました。インターネット上のマニア向けサイトとしては草分け的な存在で、大久保さんの雑銭記と並び私にとっては師匠格のネット泉譜でした。雑銭記は2006年に休止宣言が出されその後に姿を消してしまっていますので、電脳古銭譜は戦友のような存在でした。HPの更新を続けることはけっこう大変で、電脳古銭譜ほどサイズが大きいと管理は大変だったと思います。維持・更新には情熱を注ぎ込み続けるだけの気力と好奇心が必要ですから、高齢者割合の多いこの世界は体力面、経済面共に維持するのは一苦労だったと思います。そのため維持管理の大変なHPから手軽なツィッターなどのblog系に移行される方も多いようです。
今回、私のHPにリンクさせて頂いていた(勝手にリンクをしている)サイトを改めて調べると、「楽龍堂」さん「日本と軍票」さんのリンクが切れていました。また、「貨幣博物館天狗館」さんは長期休館中、「NUMISMATIC ROOM」さんもつながるのになぜか表示がほとんど出現しません。「オークションネット」さんはサイトは残っていますが活動そのものが休止状態です。過去に閉鎖したサイトでは「方泉處」「(練馬)雑銭の会」「日高見文化研究会」「雑銭記」「銭の蔵」「私の藩札収集研究」などが思い出され、継続の難しさを感じます。
入札誌も廃刊はよくあることで私にとっては「穴銭」の廃刊は実に痛かった。私を含め絶滅危惧種なんだなあ・・・とつくづく思います。と、いうわけで今残っているサイトのバナーを勝手に作って応援リンクを貼りました。古銭業界に隆盛あれ!
 
1月5日【年賀状ギャラリー】
静かに2021年がはじまりましたが、感染爆発でまもなく千葉も戒厳令状態になるみたいです。私の地域はもともと医療崩壊瀬戸際でしたからしかたありません。せめて賀状で目を楽しませてもらいましょう。
四国のO様の小名木川背川母銭は私あこがれの品です。ただし、これについては昔から贋作が多いと噂されているので、私は絶対の自信がない限り手を出さないと決めています。無論、O様の背川はすばらしいです。これ、島屋文より得難い珍銭だと思っています。
湧泉堂様の古寛永は仙台の跛寶昴通であることは間違いありませんが、この方が普通の拓本を送ってくるはずはないとにらんでおります。書体は肥尾永で濶縁で銭径が大きいことはすぐにわかりました。でもまだ何かありそう、手本銭クラスの特別な母銭かな?まさか、彫母・・・背が違いますね。なんだろう???
天保仙人様は水戸背異の天上三ツ星という変化球で来てくださいました。実際には向かって左側にはひとつ星、中央にはふたつ星、右側にはみつ星があるそうで偶然のものではなく何か意図的なものではないかとのこと。三ツ星は「太陽・月・星」「神・男・女」「前世・現世・来世」等の意味があるそうで・・・深いですね~ホシみっつです。
東北のH様は丑年にちなんで吉田の牛曳。馬の絵銭は多いのですけど牛の図柄はこれぐらいでしょうか。そういえば東北は震災10年目になりますね。早いものです。でも、まだ復興は半ばですね。原発被害に遭った友人も頑張っていますが・・・。
金幣塔様は鐚銭の大珍銭の一天聖大字。しかも本邦鐚銭図譜の現品ときたもんです。この変態的な書体・・・寶なんか宇宙人みたいです。こいつは天下一の奇銭、改造鐚の王様です。
鳳凰山様・・・最近は執筆関連でも頑張ってらっしゃってます。恵比寿大黒の二神銭・・・私はよく分からないのですけど、時代的には新しいものなのかもしれませんが、神様の表情に稚味、雅味があってほっこりします。これは鳳凰山様のお人柄でしょうか。その法力をもって病魔退散をぜひともお願いします。(ついでに泉運萬来!)
禄生禄様と健仙童様はメールで頂戴したもの。
禄生禄様の洪武通寶は郭内がきれいに処理されていて郭抜けの鐚の母銭みたいです。材質も九州じゃないかとのことですけど、私にはよくわからないので皆様教えてください。このHP・・・世界につながっているんですね。
健仙童様はアメリカバイソンの5¢玉。年賀状もいただいています。幅広く古銭にのめり込んでおられるようで・・・すばらしい。彼は持ち前の人なつこさでいろいろな方の懐に飛び込み、どん欲に収集に努めています。これは一種の才能で私にはまねができません。その才能と情熱を仕事と彼女に向けることができれば・・・。でも、それができないから世の中は難しいのですね。わかっちゃいるけどやめられない世界です。(合掌)
七時雨山様は毎年大自然の写真を送って下さるのですけど、今年はお花畑の写真です。私も地元の野山を歩き回っておりますが東北の山とはやはり自然のスケールが違います。千葉は高い山はないし、夏は暑いし、ヒルとか虻だらけで荒れています。間伐をして休耕田を元に戻せば見事な里山になるのですけどねぇ。
最後に・・・掲載できなかったのでお詫びを・・・それは仙台のN様。
賀状は届いたのですが、配達事故で拓本部分がむしり取られてしまい、切れ端しか確認できませんでした。ごめんなさい。
私、賀状管理がいい加減で出し忘れている方いらっしゃると思いますがお許しください。

近況:外国人への専門日本語教育は現在4人、フィリピン娘3人に、モンゴル娘1人が加わりました。明日は休日返上で特訓日です。これは密です。

※跛寶は25.44㎜(内径20.27㎜)の初鋳大様白銅母で、(所持する)未使用母(25.03㎜、20.15㎜)、使用母(24.93㎜、20.14㎜)にも(伝鋳されたと思われる)大様白銅母の鋳ざらい痕跡が残っています・・・とのこと。(ご本人より)
いわゆる新寛永では錫母のような存在でもある母銭の母銭。古寛永は写しが良く行われたので、これからも通用銭が直接作られたのかもしれませんが、それにしても、材質が違うと言うことはそれなりに意識されて作られていた特別製の母銭ということでしょう。
四国O様 背川母銭 湧泉堂様 跛寶昴通大様白銅母 天保仙人様 水戸正字背異 天上三ツ星
鳳凰山様 恵比寿大黒銭
七時雨山様 早池峰山お花畑
東北H様 吉田牛曳 金幣塔様 一天聖大字
禄生禄様 洪武通寶改造鐚母銭   健仙童様 米国5¢
 
1月1日【あけましておめでとうございます!】
新年あけましておめでとうございます。めでたさも中くらいなりお正月・・・といいますか、首都圏はどうも中の下くらいのスタートになりそうです。
今年こそ、病魔退散といきたいですね。というわけで「アマビエ」さんのご登場です。古銭病についてはまだしばらく楽しみたいところですけど。
 
 
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新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道