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制作作日記
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天保仙人様が主催する天保通寶の研究を中心の古銭会
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そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局(副会長) 吉田守 ☎090-7839-4437
郵便振替00110-0-8563 日本貨幣協会 

※年会費は5000円。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
→ 入会申込書(ワード)    → 入会申込書(PDF)
 
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雑談)12時就寝 3時半起床
最近多い私の生活パターンである。親父様の行動パターンに合わせているためだ。オリンピック期間中は朝2時起床だったので、これでも改善した方である。ときどき5時過ぎまで寝てくれることもある。
親父様が起きると、猫どもが大騒ぎを始めるので寝ていられない。耳元で鳴き、最後は肉球で顔をつつき、ひっぱたく。餌の所望である。ついでに親父様もである。

親父様は起きると家じゅうのスイッチを押して戦闘開始。気を付けていないとあらゆるスイッチがオンになる可能性がある。不思議なことに台所のスイッチには関心がないので助かっている。触られると困る場所にはカバーと貼り紙をしてある。みっともないが仕方ない。貼り紙は読んでくれないが、躊躇はしてくれる。

朝食後にごみ捨て。今日は八厘会の日で、しかも関東のAさんと待ち合わせがある。8時過ぎの電車に乗らなければならない。
実は明日、職場主催の祭りがある。30年以上続く町会の名物行事で、本来なら忙しい時期なのだが、私が疲れていることを皆が気遣ってくれ、今日は休みをもらった。しめしめ……ずる休み?

さらに今日は、親父様の「認知症家族の会」の昼食集会の日でもある。この会は隔月第4土曜日開催のため、八厘会と重なってしまう。以前は夜開催だったのが昼になり、調整に困っている。こちらも臨時欠席を決めた。言い訳には事欠かない。しめしめ……詐欺?

ごみ捨て場から戻ると、玄関が施錠されていた。「やられた!」
扉を叩き、大声で呼ぶが反応なし。耳が遠いから仕方ない。いつもは起きて玄関の鍵を開けて、そのままにしているのに、おそらく新聞を取りに外へ出たあとなんとなく施錠してしまったのだろう。まだ午前4時前で新聞は届かない。もちろん携帯など持っていないし、寝巻姿である。
寒かったら凍死だぞ、と思いながら新聞を取りに再び出てくるのを待つ。最悪、職場まで歩いて夜勤者に助けを求めればいいか、と考えつつ、だめもとでしつこくチャイムを鳴らすと……出てきてくれた。
「外に出たの知らなかった」とのこと。いや、「ごみ出してくるね」と伝えたのですが。

親父様は、私が家の中にいても「先に出かけられた」と思い込み、デイサービスまで歩いて行ってしまうことがある。元気なのは良いが、さすがに早朝営業はしていない。今のところ自力で帰宅できているが、最近もあった。朝ドラの音楽がスイッチらしく、その時間帯はできるだけ近くにいながらテレビをつけておくようにしている。音が消えたときと本人は確実に戦闘モードに入っている。
デイサービスへは私が送ることになっていて、いつも一番の出勤。先日、パソコン作業中に突然テレビの音が止んだ。すぐ所在を確認し「待っててね」と声をかけて作業に戻ったが、3分後には姿が消えていた。テレビはついたまま。やられた。すぐ施設へ電話。「親父が出勤しました」。油断も隙もない。

起床直後や食後にはトイレ誘導もしなければならない。最近はこれがなかなか大変で、本人は「行ったばかりだ(いつの話?)」「出ない(出てる!)」「もったいない(何が?)」と主張する。怒らせると大変なので誠心誠意お願いモードで促すのだがトイレの中でも、「ほら、きれいだ」と黄色く濡れた紙パンツの面を触ってみせる。便塊があればつまんでポイ。リサイクルである。愚痴を挙げればきりがない。

それでも親父様はよく動き、ある程度の分別や配慮もある。外面は抜群に良く、人に合わせるのも上手だ。清潔の概念や時間の概念、短期記憶力は失われていても、愛されキャラのスーパー爺さんである。几帳面で身の回りの整理整頓大好き、洋服たたみはユニクロ店員も真っ青だろう。(ただし着続けた服と洗濯済みの服の区別はつかない。)

できなくなったことも多いが(私が?)、人並み以上にできることもまだたくさんある。
今年の秋で96歳。あとどれくらい頑張れるだろうか。(私が?)

こうして話すことが、私のストレス解消法である。老々介護は、毎日が新発見でもある。
私もスーパー爺さんになりたい。なっていっぱいセクハラするぞ。
 
銅山手(美制)
長径48.85㎜ 短径32.77㎜
銭文径41.15㎜ 重量23.4g
銅山手次鋳細字(美制)
長径47.9㎜ 短径31.8㎜
銭文径40.4㎜ 重量19.8g
2月26日【美しい銅山手】
ヤフオクで落札した南部盛岡藩の銅山手
です。
文字抜けが良く、赤黄色の色調が美しく見えたため食指が動いたのですが、届いた品は予想以上にきれいでした。

丁寧な作りに見え、鋳砂の粒子も細かく、地にうっすら墨が入り、文字が鮮やかに浮き上がって見えます。よく観察すると、面背の地を横方向に鋳浚らった痕跡があり、輪と郭の間の地がわずかに凹んでいるように見えます。
花押を貫く鋳だまりがあるのが玉に瑕ですが、それもまた味わいの一部でしょう。

計測してみると、銭文径が予想より一回り大きい。初出タイプとほぼ同じ寸法です。しかし、全体の印象は初出タイプとまったく異なります。
のような雰囲気をもつ細字の銅山手を、故・暴々鶏師は、盛岡小字を鋳造した栗林座の出ではないか、と推測されました。
もしそうであれば、盛岡小字と同様の八ツ手極印銭がどこかに存在するのではないか…。そんな仮説を立て、師が夢を追い求めた品。私にとっては思い出深い一枚です。

ただし、今回の品
は師から分譲いただいた細字の銅山手と比べると、文字は細いものの、繊細さの点ではさすがに及びません。極印は八ツ手ではなく小型の桐タイプが、左右ともにきれいに打たれています。
うーん、銅山手には実にさまざまなタイプが存在するのですね。ますます謎が深まります。だからこそ楽しいのですが。
1月20日の記事と比較してご覧ください。
 
 
雑談)草書・行書・篆書・隷書
漢字にはいろいろな書体があります。行書は何となく読めても草書・篆書・隷書は読むのに苦労します。
最初はIME手書きパッドに書いてそれらしき文字を探し、だめならネット検索してフォントで似たものを探します。
大変なのは草書・・・崩し方に個性があって、また仮名の崩しもいろんな漢字…変体仮名…が混じっている。これは行書も同じ。制作日記1月11日の玉塚証券のノベルティグッズの読みも正解にたどり着くまでに一苦労しました。最初の一文字「は:者」がとくに難しかった。
また、文字の読みが判明しても、文章が何を意味するのか、言い回しが現在と異なるのでなかなか理解できません。
なお、手書き文字を検索する場合は以下のサイトが便利かもしれません。

https://seal.dhii.jp/image/
篆字画像検索システム
https://ai-kuzushiji.net/
AI手書き崩し字検索
 
図1
2月23日【面背逆製に円穿が多い理由】
鋳造による日本の古銭の穿(穴)は本来四角形ですが、ときどき丸くなった「円穿」が見られます。これらは本来は鋳造上のエラーによるもので、珍重されるようなものではありません。しかし、中には「面背逆製」のように、例外的に評価されるエラー銭も存在します。そして、この面背逆製には、なぜか円穿のものが多いのです。では、なぜ「面背逆製」に円穿が多く生まれるのでしょうか。

立体の中で最も安定した形は「球」、図形では「円」です。これは表面積や外周が最小となるためで、自然界の多くの現象はこの形に近づこうとします。
たとえば四角い蛇口から出た水は、流れ落ちるうちに四角い形を保てず、次第に円柱へ近づこうとします。銭の鋳造の鋳型づくりにおいてもこの現象が生じようとしているのです。

銭の鋳造作業では「鋳砂」を用いて鋳型を作ります。まず、硬く踏み固めて平らにした「背側の鋳型」に、銭の型の母銭を「面を上にして軽く押しあてながら」並べます。背側の鋳型づくりはこれでおしまい。極めて浅い鋳型になります。
続いての面側の鋳型づくりでは、背側の鋳型の上に並べた母銭の上にきめ細かい「化粧砂」をかけ、さらに新たな鋳砂をかぶせて行き、踏み固めます。このとき穿の内側にも鋳砂は入れられますが、穴の角までは鋳砂が行き渡りにくく、わずかな空隙が生じることがあります。このわずかな隙間が「丸い鋳ばり」の原因になるのです。

ところで、はじめに背側の鋳型だけを硬く踏み固めるのはなぜでしょうか。理由の一つは、母銭が鋳砂に深く沈み込まないようにして、
鋳型の合わせ目を意図的に背側に寄せるためなのです。(作業行程省略の意味もあります。)
鋳造は手作業で行われるため、合わせ目がわずかにずれてしまうことがあります。もし鋳型の合わせ目が銭の厚みの中央に位置していた場合、型ずれによって大きな段差が生じてしまいます。これは銭としては修正がきかず致命的。
その点、背側の鋳型を浅くして、背側に合わせ目を置けば、背側の段差(ずれた鋳型)は薄くなるので、修正が容易になります。デザインは多少ずれますが背側なので目立ちません。ついでに鋳ばりも背側に偏るので一緒に除去できて一石二鳥です。

ここでさらに重要なのが、穿の内側に付けられた「テーパー(傾斜)」の存在です。母銭の外周や穿の内側には、鋳砂が行き渡りやすいよう、わずかな傾斜が付けられています。
図1の三角形を例に考えてみましょう。三角形を頂点側から鋳砂で覆えば、砂は全体にきれいに回ります。ところが、三角形を逆さに置いてしまうと、底辺が庇のようになり、鋳砂は奥まで入り込めません。力を込めても周囲から少し押し寄せる程度で、大きな空隙が残ります。これが面背逆製の穿が丸くなる原因。
このように母銭の置き方が逆の「面背逆製」では、分厚い鋳ばりが面側に偏って丸くでき易いのです。

面背逆製の明和期亀戸銭小様
背側が深く、面側が浅くなります
円穿にはパチンコ玉がぴったり?
銭づくり工程では研ぎの前に、複数の銭をまとめて、角錐の棒に挿します。この作業の際、厚い鋳ばりが作業の邪魔をします。特に面背逆製では強固な鋳ばりができ易いため、円穿や斜穿、花穿と呼ばれる変形穿などが生まれやすくなります。

なお、古来日本では「完璧なものには魔が宿る」とされ、「ふいご祭」などではあえて失敗作を作り、厄を払う風習がありました。そのため、円穿の面背逆製のような「できそこない銭」は意図的に作られて、お守り銭として大切に扱われた可能性があるのです。
古銭大名として有名な福知山藩八代目の朽木昌綱公のコレクションには、出来損ない銭がたくさん含まれていたことが、大英博物館で再発見された品々のリストからも分かっています。これらの出来損ないが昌綱公が自ら好んで集めたのか、それとも銭座から献上されたものなのかは分かっていませんが、どうやらエラー銭は昔も好まれたようで、少しほっとするお話ですね。
 
ネットからの収集画像(転載お許しください)
2月21日【石持桐?】
皆様色々とご収穫があるようですが、私はマイペースの滑り出し。人のふんどしで相撲を取る日々です。今日も収集画像から。

さて、画像の天保通寶・・・ひと目、会津濶縁再覆輪、寶足が短く離足寶と合いの子みたいな雰囲気。通尾が跳ね、輪の左側にも瑕が見えるので、離足寶と言っても通りそうな雰囲気です。会津濶縁好きの私としては当然応札。そして負けました。

実はこの品、気になることが幾つかありました。
まずは前述のように合いの子のような風貌、花押の後端があまり丸くないこと、そして最大の興味が極印なのです。ご覧のように
頂点に玉のようなものが見える。「え、石持桐極印?」と興味津々でした。会津銭の極印は、大きくて葉脈などがはっきりしない形のものばかり。私はよく「ダビデの星」と言っています。石持桐極印銭は全体に大きく、左右の葉の広がりも大きいのですが、形状的にはかなり共通点があります。
会津藩と水戸藩は非常に近い関係で、幕府も天保通寶鋳造を黙認(水戸は許可)したと思われ、おそらく銭座の職人も共有している可能性が高いと思います。会津銭とされている「濶縁」が水戸藩銭であっても何ら不思議ではないのですが、偶然かもしれない。類品の出現を待ちます。

なお、石持桐極印銭は久留米銭ではないかという説が昔からあり、私もHPの随所で久留米銭の名前を使用していますが、現在は水戸藩銭でほぼ間違いないだろうという個人的見解に達しています。
 
雑談)Tさんの異能ととらさんの反応
関西のTさんととらさんの会話がすごい!レベチです。
そもそも古銭の「違いを見つける能力」と「同じと判断する能力」とはいったい何なんだろうかと思う。
初心者の頃は「本座細郭」と「本座長郭」が同じに見えたし、中級者になっても「本座広郭」と「薩摩広郭」の違いがなかなか分からなかった。
また、先入観に支配されて違いが分からないから贋作の餌食になるし、見落としも多い。
頭でっかちで「才能なし・凡人」なんだろうなあとつくづく思ってしまうのです。

私は、失敗を重ねた学習体験で生きていると思っているので、直感的なものに欠けます。全くないわけではありません。何かおかしいぞ・・・と感じるものはあります。
でも、それが何かが瞬時に見えない・・・鈍いのですね。まあ、真実が見えていない方が幸せなときがあるかな?

「貴方は才能はないけど努力する才能はある」と言われたことがある。私にとって最大の誉め言葉。でもって今は努力が面倒くさくなっている。

今回のTさんの気付きにすぐに反応できるとらさんもすごい。私は今自分のコレクションがどこにあるかも見えていない。そうなんだ・・・すごいなあ、と感心する自分と、見えていない世界の会話を必死に追いかけている自分がいます。今、知ったかぶりして会話に加わるとぼろが出ると思う。

でもって、Tさんの短人偏の指摘…おお、たしかにそうだ、Tさん、やっぱりすごいや。 
 
2月17日【幕末の経済戦争】
今でこそ日本は一つの国ですが、江戸時代はまったく様相が異なっていました。幕末で全国に260ほどの国(藩)が存在し、それぞれが独自の経済圏と政策を持っていました。貨幣制度は幕府によって統一が図られていたので、実態としては現在のユーロ圏に近いものですけど、互いに緊張感があったと思います。

そんな幕末の日本経済は大混乱に陥っていました。国内相場が国際基準と大きく乖離していたため、金・銀だけでなく寛永通寶銅銭までもが海外に大量流出が続いていて、深刻な通貨不足に見舞われていたのです。
通常、貨幣の流通量が減れば物価は下落しデフレに向かうはずですが、逆に物価が高騰するという異常事態が発生していました。江戸時代の経済は米を基軸としていたため、気候変動や政情不安が経済に与える影響が極端に大きかったことが背景にあります。お金というものは政権の信用によって価値が決まるもの。幕府の権勢が低下していたため、貨幣に対する信用も落ちていたのでしょう。

財政難に苦しんだ薩摩藩は、幕府から琉球通寶の鋳造許可を勝ち取り、これを藩内の決済や物資購入に用いました。しかし結果は大失敗。無軌道に琉球通寶を鋳造して域内にばらまいたため藩の信用が急落し、インフレがさらに加速。領民は物価高騰に耐えられず逃散し、藩の産物もインフレで他藩で売れなくなるという悪循環に陥ったと思われます。

そこで薩摩藩は天保通寶を密鋳し、方針を転換して天下の台所・大阪でばらまく戦略に出ました。大阪でインフレが起きても自藩への影響は小さく、自藩の物資を大阪に運べば高値で売ることもできます。もしかすると米などの相場の操作を行ったかもしれません。
このように密鋳銭は自国ではなく他国にばらまいてこそ、より大きな効果を発揮するのです。また、密鋳そのものによる利益よりも、自藩経済の回復を通じて得られる利得の方がはるかに大きかったとも考えられます。ただ、贋金で他国の物資をかすとめり、インフレも起こすのですから、これはもう他国から経済的な略奪を行っているとも言えます。迷惑ですね。
こうして薩摩藩は経済の立て直しに成功し、やがて倒幕へと向かっていきます。

余談ながら・・・「徳川幕府中興の祖」といわれる徳川吉宗の最大の功績は慶長復古を目指し享保の幣政(新井白石によるもの)を改め、元文の改鋳を実施して通貨供給量を増やして、経済循環を促した点にあります。米将軍はけっして質素倹約だけで成功したわけではないのです。これ、歴史教科書にはあまり触れられていないのですが間違いありません。
 
2月15日【天保通寶80文】
天保通寶が「80文で通用した」という話(時期によってそうだったときもある)を理解するには、江戸時代の勘定慣行を知る必要があります。

寛永通寶は元文期から鉄一文銭が登場しましたが、当初は鉄銭と銅銭が等価で流通していました。しかし民は見栄えの良い銅銭を好み、次第に退蔵するようになります。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレッシャムの建言は、この状況をよく表しています。
1835年に天保通寶の鋳造がはじまった時点では、銅の寛永通寶一文銭が生まれてからほぼ200年、銅から鉄一文銭に主流が切り替わりはじめてからも95年以上が経過していました。寛永通寶の銅一文銭の大半はすでに“古銭”と呼ぶべき存在だったのです。

金座はこの退蔵古銭に目を付けたのでしょう。幕府を通じ両替商に対し、
「新銭百文×5枚を旧銭400文と交換する」という触れを出しました。この差額がいわゆる「増歩(ましぶ)」です。江戸時代には金銀貨改鋳のたびに旧貨回収のため増歩が行われており、その慣行を天保銭にも適用したわけです。それだけ天保銭の鋳造利益が莫大だったとも言えます。
旧銭400文が新銭500文になるので、銭挿し400文が500文になる…天保銭1枚分儲かった、すなわち100文が125文に化けたといえます。これぞ「増分」ですね。
琉球通寶が125文の価値で通用したという誤った解釈は、この増歩の誤解に由来すると私は考えています。(正しくは銭125文相当と交換された。)しかもこの誤説が古銭書に堂々と記されているのだから困ったものです。当時は「96勘定」といって、銭96枚の銭挿しを100文として扱っていました。これを踏まえると実質の増歩は24文相当となります。

一方で、天保通寶を銭に再両替すると(増歩分を返却すれば)今度は5枚で400文にしかならず、1枚あたり20文の差損になります。算数が苦手な頭ではとてもややこしく感じられますが、天保通寶が80文相当とみなされ実際に流通した時期があった背景には
増発のたびに増歩が慣習化されたための自然な帰結なのだと考えられます。天保通寶の通用停止は明治24年、地方ではその後もしばらく使えたようですが、その頃には鉄銭80文になっていたようです。したがって天保通寶80文が通説になったのは明治時代の記憶の可能性が高い気がします。

ところで明治4年の公定レートでは、天保通寶1枚は鉄銭128文とされました。鉄銭全盛の時代なので決して不利な交換レートではありませんでしたが、銅一文銭のバブル状態から見ると損をした気になるのも分かりますね。
これに96勘定を適用すると、天保通寶1枚で得られる鉄銭は
96枚+28枚で124文となり、増歩24文と合流します。つまり、一見不可解に見える「天保通寶=鉄銭128文」という半端なレートも、増歩と96勘定を巧みに組み合わせた計算であることがうかがえるのです。

江戸時代の貨幣制度は、
金・銀・銭・米の4つの相場が絡み合い、幕末にはさらに藩札や銅・鉄銭の種類による交換レートまで混在していた複雑怪奇極まりないものでした。
下に掲示した表は明治維新前後の公式交換レートですが、この時期に銅一文銭に対する天保通寶の交換価値が急落していることが分かります。急落の背景には、
天保通寶の密鋳利益による反政府勢力の台頭を抑える意図が強くあったと考えられます。密鋳で利益を得て倒幕に成功した藩が、今度は政府側に回ってその力を恐れるという皮肉な構図ですね。(倒幕の原資になった密鋳の証拠隠滅の意図もあるかな?)

また、最期の銅一文銭の公鋳から100年近く経った明治初期に突如として寛永通寶の阿仁銭(加護山密鋳銭)がつくられたのは、
空前の“銅一文銭バブル”が生じたためと私は考えています。

このように江戸期を通じて銭の交換レートは、私たちの想像が及ばないほど乱高下していました。これは天候等に左右される米相場に貨幣経済を連動させた幕府政策の大きな欠点でしたが、銭の密鋳が行われた時期や理由などの時代背景を読み解く上では非常に興味深い歴史の道しるべになっているのです。

幕末の公式レート(実勢レートとは異なるかもしれません。)
銭 種 1865年(慶応元年) 1868年(明治元年) 1871年(明治四年)
天保通寶 96文 96文 128文(8厘)
寛永四文 12文 24文 32文(2厘)
文久四文 8文 16文 24文(1.5厘)
文銭・耳白 6文 12文  16文(1厘) 
銅一文銭 4文
鉄一文銭 1文  1文 1文(1/16厘)











※以上は浩泉丸が到達した解釈であり、公式な学説として認められたものではありません。(私は古文書を読めませんので・・・。)
銅や金の海外流出もあり、幕末の金銀銭相場は混乱を極めており国内はハイパーインフレと言っても良い状態でした。(琉球通寶125文通用説の修正と阿仁銭の出現の下りは公式な文献によるものを私は見たことがありません。)天保通寶80文という話も民間伝承であちこちで聞く話で、恐らくそうだったのだろうと思いますが、公式な裏付けは増歩の説明で聞いたものぐらいです。
 
不知長郭手覆輪背上反郭
長径49.27㎜ 短径32.58㎜
銭文径40.75㎜ 重量18.7g
2月14日【長郭手覆輪背上反郭】
未使用色がところどころに残る覆輪の長郭手です。銭文の加刀はほとんどなく、使用感も少ないので計測するとデジタルノギスの値の揺れが少なく100分の1まできちんと出るのが驚きです。
銭文径は40.75㎜と通常の一度写しより縮小幅が大きく、しっかりとした覆輪がされたということでしょうか。
穿内は本座銭位以上に丁寧に仕上げられていますし、極印も奇麗に打たれていて好感が持てます。
ただ、覆輪以外の特徴が少なく不知銭としての面白味に欠けますね。不知銭は多少劣等生の方が可愛いのかもしれません。
雑談)古銭You Tube 
たじさんが古銭のYouTubeを始めたそうです。まさに映像の時代ですね。頼もしい挑戦ですが、まだ試行錯誤の段階とのことです。実際に試作動画を拝見しましたので、あえて辛口の評価をしてみたいと思います。

率直に申し上げて、視聴者としては興味を持ちにくく、やや分かりづらい印象を受けました。
YouTubeは動画の世界ですから、視聴者は「見たことのない世界」や「変化」「驚き」を期待していると思います。しかし古銭は、残念ながら“静”の世界であり、大きな動きや派手な変化は少ない分野です。
天保通寶の本座銭と福岡離郭銭の違いを示す内容でしたが、画像と文字による説明しかなく、しかも画像の切り替えが早く感じられました。違いを理解する前に画面が変わってしまい、初心者の方には目で追いきれないのではないかと思います。
もし視聴者に驚きや納得感を与えるとすれば、文字情報だけでなく、拡大画像と愉快な口頭解説を組み合わせ、価値の違いを驚きとともに強調して伝えること、そして画面の切り替えをもう少しゆっくり行うこと、美しさを意識すること・・・そのあたりが鍵になるのではないでしょうか。
とはいえ、YouTubeの題材としては難しい古銭に挑戦する姿勢そのものは素晴らしいことだと感じます。

振り返れば、私のサイトも気づけば20年以上続いています。当時参考にしていた多くのサイトは、今ではほとんど姿を消してしまいました。本当は技術的にリニューアルしたいのですが、あまりにサイトが巨大化してしまい、もはや収拾がつかないまま、だらだらと続けているのが現状です。
それでも「電脳泉譜」はほぼ存在しなかった分野でしたので、自分が興味を持ったことを書き続けて今日に至っています。好きこそものの上手なれ・・・ですけど、何をするにしても「人より先に始めること」「視聴者を意識して変化し続けること」「面白そうな情報を提供すること」が大切なのだと感じています。

かくいう私、もうひとつ裏の顔があります。ご存知の方も多いと思いますが「Google マップのローカルガイド」として今でも380件、2400枚以上の画像の投稿がGoogle Map上に残っています。妻が亡くなってからは休止していますので、古い投稿や写真がかなり消えてしまいましたが、市原市から南房総にかけて、低山や林道や文化財、お店等のかなりマニアックな情報を提供しているのです。
媒体は変わっても、結局のところ大切なのは「伝え続ける」ことなのかもしれません。
(Google Mapを検索してみてください。)
 
2月12日【琉球通寶小足寶】
琉球通寶の一般的な大分類は以下の通りでしょう。
大分類 細分類 (小足寶類) 
 大字類 狭貝寶※  宏貝寶  大頭通  宏冠寶 狭冠寶
平尾球※ 短尾球※ ※印・・・桐極印あり
中字類 中字
広郭類 広郭※
小字類 小字※ 狭足寶※
昔から琉球通寶の平尾球と短尾球は大字とされています。そして広郭はなぜか大字とされず、中字と呼ぶ人さえいます。自分の目がおかしいのかと疑ったこともありますが、短尾球などはどうみても中字より文字が小さい。背の當の文字が中字と広郭は大きくないからと聞いたこともあるのですが、私には屁理屈にしか聞こえないですね。この点は改めても良いのではないのかしら。
琉球通寶大字小足寶宏冠寶(肥郭) 
琉球通報大字小足寶狭冠寶 
   天保仙人様所蔵品
當百銭カタログより
上:49.2㎜×32.8㎜(長尾琉小足寶 7)
下:49.2㎜×32.9㎜(長尾琉小足寶 8) 
 泉譜による名称の違い 大字小足寶 
天保銭雑事(大橋義春)   大頭通手小足寶 長尾琉小足寶 
長尾琉小足寶
天保泉譜(勢陽譜) 大頭通手小足寶 小足寶
新訂天保通寶図譜(小川譜) 短足寶 不載
當百銭カタログ 長尾琉小足寶 長尾琉小足寶
琉球通寶図譜 短足寶 短足寶肥郭
天保通寶と類似貨幣カタログ 小足寶 小足狭冠寶
浩泉丸おすすめ  宏冠寶 狭冠寶

ところで、琉球通寶の中に別格の大珍品があります。それが大字小足寶の類。巨字と言ってよいほどの品。ただし収集対象にならないほど少ないと聞いています。
今回、私はこの小足寶を宏冠寶と狭冠寶の2種に分けました。と、いうのもこの類は掲載のない泉譜もあり、掲載名さえもが一定していないのです。

例えば天保銭雑事には「大頭通手小足寶」と「長尾琉小足寶」の名前で宏冠寶と狭冠寶が、さらに別項に「長尾琉小足寶」という名で宏冠寶の拓本が2枚掲載されています。また、大橋義春・當百銭分類譜には琉球通寶そのものが不載なのです。
天保泉譜では「大頭通手小足寶」の名で宏冠寶が、「小足寶」と言う名でそ狭冠寶が掲載されています。
新訂天保通寶図譜では「短足寶」と言う名で宏冠寶だけ掲載されていて、狭冠寶は未載です。
當百銭カタログには「長尾琉小足寶」の同名で宏冠寶と狭冠寶の2種が掲載されており、琉球通寶図譜では「短足寶」の名で宏冠寶が、「短足寶肥郭」の名で狭冠寶が掲載されています。
とにかく、なんじゃこれっていう感じで名前もいりくっているのです。

最終的に類似カタログで「小足寶」と「小足狭冠寶」とされており、これが一番わかりやすいと思いましたが、もう一歩進めて私は「宏冠寶」と「狭冠寶」とすることを推奨します。
※大字小足寶・宏冠寶と大字小足寶・狭冠寶で良いと思います。

泉譜説明によると宏冠寶は面細郭のつくり、狭冠寶は肥郭とされていますが、今回ネットに出てきた品は宏冠寶でありながら広郭なんですよね。
さらに混乱するのは背の當の文字の大きさ。天保泉譜の説明では
宏冠寶の當 < 狭冠寶の當
なのですが、類似カタログの拓本は
宏冠寶の當 > 狭冠寶の當と
逆転して見える。これは當の田の大きさのようなので、私の眼の錯覚なのかもしれないのですが・・・。

整理すると宏冠寶は宏冠當であり、狭冠寶は狭冠當。
さらに宏冠寶は球の王偏が大きくはらいが長く、狭冠寶は王偏が少し小さくはらいが短くなりますが、これらは郭の太さとともに仕上げ研ぎの強さによる違いなのかもしれません。したがって単純に寶と當の冠の見た眼で分類した方がよろしいかと思いますがいかがでしょうか。

位付けは天保泉譜によると狭冠寶が「珍」、広冠寶が「二位」となっていますが、これはあまり当てにならず、類似カタログの方は宏冠寶の方が評価が上です。少なくとも数はほとんどないのが実際でしょうね。

今回ネットに出てきて俄然興味がわきましたが、まだ分からない点もたくさんあります。
かつて一度この画像は拝見した事があったと思いますが、当時も今も真贋は分からない。火中の栗を拾いに行く「お願い応札」をしてみましたが、残念、きっちり逆転されました。値段あがってしまってごめんなさいね。
この珍品が市場に出てきたのはここ20年では収集誌上に一度出たぐらいじゃないかしら。怪しい品はいくつか他にも見たことはありますが、今回のネットの品は銭としての雰囲気は悪くないと思います。
※画像、無断使用になってしまいました。要請あれば必要に応じて削除しますのでお許しください。
 
2月10日【落札】
月刊「収集」の落札品が届きました。今年初めてのまともな入手品でしょうね。
秋田小様の入手は何枚目なんだろう。会津濶縁と並びかなり数が多い方だと思う。不知銭のように赤くて小さいのが大好きで、決して安い買い物ではないのについ両替行動をしてしまう。ただし、私は今まで秋田小様の目玉というべき45㎜台サイズを2枚入手した経験があるものの、いずれも乞われるまま短期間で譲ってしまった馬鹿野郎なのです。もう3度目の出会いはないだろう・・・いや、2度あることは3度あるか?3度目の正直か?
秋田小様(推定3回写し)
極印は左右に深くガツンと打たれている。
長径46.6㎜ 短径31..0㎜ 
銭文径39.6㎜(推定) 重量14.9g
長郭手覆輪背存痕異極印
長径49.35㎜ 短径32.9㎜
銭文径41.05㎜ 重量17.0g
さて、私は秋田小様のきれいに発色した赤色を見るたびに阿仁レッドだ・・・と思ってしまいます。阿仁は「赤土」の古語。埴◯、羽◯、姉◯、赤◯など赤い粘土質の土(丹:に)を由来とする地名は全国各地にあります。北秋田の阿仁銅山は赤土の銅山の意味で、そこから採れた銅から作った銭も真っ赤だったんで阿仁銭と呼ばれるようになったとしても自然なことですね。
ちなみに阿仁銅山はひとつではなく山中に小さな鉱山があちこちに散在していたようです。(阿仁十一山)
山麓の加護山地区に精錬所ができたのは安永年間のことで、意外に新しい。ここで精錬された銅から数多くの密鋳銭がつくられたのでしょう。ただし、阿仁銅山そのものの歴史は寛文年間以前からあるようです。阿仁という名称は加護山よりずっと古いのです。
それにしても秋田小様はおもちゃみたいでかわいい。見てて飽きないですね。私、変ですか?

もう一枚の入手品は正統派の覆輪銭。刔輪はほとんどないけど、寶足が宏足寶気味に伸びようとしている雰囲気があります。極印は破損していると思いますが形状が変わっています。最近、こういった正当な覆輪不知銭はなかなか入手しがたくなってきています。だからと言って特に珍しい品でもなく、文字の変化がほとんどない品。とらさんはBクラスと言うだろうなあ。寶足がもう少し長かったら宏足寶なんですけどね。こっちは銅質に赤味がほとんどないから九州~中国地方方面の産銅由来かもしれない。はい、私の妄想です。

雑談)ときどき、智泉noteを眺めている。話題がないときは「雑談」と称してあれこれ書いているが、たぶん彼の書く「雑感」に影響を受けているのだと思う。
スピリチュアルで、はかなく繊細で、全体的に退廃的で幻想的でもある。私にはない世界観に満ちている。添えられた写真もまた美しい。引き込まれそうで、危なっかしさも感じるけれど、彼は恋の中を旅しているのだなあと思いながら眺めている。もっと近づきたい、失いたくないと考えながら、今生きている理由を求めているのだろう。でも正解なんてきっとない。恋ってそんなもの・・・いいなあ。
たとえ挫折や失敗をしても、経験を重ねて視野と世界を広げていける。若いことはそれだけで未来がある。私にはそれがうらやましい。私ももう一度、恋をする勇気がほしいと思いながら、今更だけど失敗するのが怖い。
う~ん、残念ながら私には恋を語るパワーも魅力も、そして残された時間もなさそうだ。弱気だ。
そんな私の背中を押してほしい・・・いや、出来れば私を押し倒してください。押し倒されるような恋をしたい?受け身だなあ。うん、押し倒されたいぞ。寂しい妄想だ。

南部銭 膳所額輪写・・・素敵です。そんなものあったんだという感じ。

インフルエンザ後、10日経っても体調が戻らない。咳き込みが続き、疲れてぐったりしています。もともと声帯のしまりが悪いと言われている。義弟が医師なので意見を聞いたら・・・特効薬はないねと言われた。のど飴なめすぎて糖尿が悪化しそうです。ああ、きっと私の命も長くないんだろうなあと、厭世的な気分・・・でも、土曜の朝に目覚めたら大分良くなっている。老化で回復が遅いだけみたい・・・こんなもんだ。
 
 ❶鋳写楔型厚肉 
 天側3.6㎜ 寶側2.3㎜
 ❷鋳写広穿面背偏輪
 左右差0.6~1㎜前後あり
長径49.25㎜ 短径32.4㎜
銭文径41.0㎜ 重量26.1g
長径48.1㎜ 短径31.78㎜
銭文径41.0㎜ 重量20.3g
2月7日【はみだしもの】
ここにある二枚の不知銭は、ぱっとしない B クラス品の風貌ながら、実は A クラス級の珍品です。

❶ 極端な上下の肉厚差をもつ一枚
見た目はただの本座銭のようですが、上下の肉厚が極端に異なり、その差は1 ㎜を超えます。
砂笵から母銭を外す際、天側を強く押しつけてしまったため、天側の鋳型が深くなり、結果として「天保」の二文字が肥字になっています。これは研ぎ仕上げの際、肉厚側に砥石がより強く当たるためだと思われます。
手作業の鋳銭では多少の厚みの不均衡はよく見られますが、さすがに 1㎜超えは珍しい。しかも重量は 26 g もあります。
不知天保通寶分類譜 下巻 P194-10
英泉天保通寶分類譜 1032
※銭の左右で厚み差のあるものも存在しますが、横径は短いので縦径ほど差の激しいものは見ていません。

❷ 左右に大きく鋳型がずれた一枚
こちらは面背の鋳型が横方向にずれた結果生まれたもの。文字変化は背の百が太字に変化しているぐらい。鋳型のずれは通常、背側に多く生じるものです。鋳型の合わせ目は背側に寄せる(面側深字・背側浅字にする:片見切り製法)のが一般的で、背側のデザインのずれを気にしなければ、生じる段差が小さく、成型作業が楽なのです。
しかし❷の銭は、合わせ目が厚みの中央にある「中見切り製法」。そのため、鋳型のずれによって生じる段差が面背とも分厚く残ります。修正をしても輪が互い違いにずれた形状が面背に残らざるを得ないのです。このタイプは、銭を水平にして「寶」の方向から見ると平行四辺形のように見えることが多いのです。(輪幅のずれを極力抑えるため+やすり掛け作業の都合上だと思われます。)手にする人が違和感を覚えないよう、職人はぎりぎりまで段差の修正をしていますが、これが限界だったのでしょう。結果として、通常の天保通寶よりかなりスリムな姿になっていますし、広穿横郭気味にもなっています。
※上下の型ずれ銭も存在し、こちらは結構激しいものもあります。

これらは偶然生まれたエラー銭と言って良いもので珍しい存在です。ただ、それを珍重するかどうかは人それぞれの感性次第。 ちなみに私は、こういう“はみ出した銭たち”が大好きなのです。
 
雑談)ネットオークションを徘徊している方の中には、私のIDを監視している方も多いと思います。何せ私は、応札してそのまま放置、ということがほとんど。執着心もあまりない。
だから「なんでこんなものを、こんな値段で……」と思われている方もいるでしょう。実際、その通りで、自分でも深く考えずに入札していることが多いのです。

たいていは、失敗しても「まあ、いいか」と思える範囲の金額。いわば“好奇心の値段”です。
したがって、私のIDにつられて泥沼にはまった方がいらっしゃれば、ご愁傷様としか言いようがありません。ちなみに私自身、落札率はさほど高くないので、被害額も大きくないのです。

とはいえ、この“好奇心の値段”は人それぞれ。経済的余裕と言われればそれまでですが、私だってさほど収入が多いわけではありません。スーパーの閉店前50%引きをこよなく愛する、くたびれたおじさんです。
そんなおじさんが、使えるお金を“使えないお金”に両替しているだけの話。

私の場合、「好奇心の値段」は「収集余命の値段」に近いのかもしれません。余命が減るにつれ、一度に使える許容額が大きくなっているのだと思います。
なかには、とらさんのように“活力無限大”の方もいらっしゃいますが、彼は例外。

さてさて、今日も私のIDに集まってくる雑魚どもよ……痛い目を見るがよい。 
 
2月5日【退点文欠叉文】
入手して放置したままでした。退点文の欠叉文。偶然の産物かもしれませんが文源郷師の文銭図譜には一応掲載がある。
白川師の文銭カタログには名前と手書き図のみ掲載。いずれも最終画先端が陰起する形状なので、これが正合するものだと思います。ただし、交叉部に鋳だまりがあるのはご愛敬、お目こぼしを・・・。
 
雑談)1月中旬から2月にかけて食中毒とインフルエンザで10日以上休んでしまった。2月2日から業務上は復帰していますが、後遺症なのか咽こみが生じてしまい、ときどき喘息発作状態になってしまいます。
食事中や食後に発作のように咽てしまうことが続き、われながら情けない・・・おじいちゃんみたいです。いや、すっかりおじいちゃんです。
古銭の話題が欲しいなあ。ここのところドキドキできる出会いがないですね。天保銭は気配すら感じない。会津の萎字とか仙台の広郭とか不知銭の大物とか・・・ポロッと飛び込んでこないかしら?
 
2月3日【砂鑞質(さろうしつ)】
安南の貨幣には鉛や錫成分の多い金属が用いられることがよくありました。鉛や錫の天然合金を(白っぽくて低温で溶解するからでしょうか、)日本では「白鑞」(しろめ)と呼んでいました。(「蝋」の文字を充てられる事が多いのですが、金属なので正しくは「鑞」なのです。)
これらの安南銭貨は表面が泡立ったようにざらつき、酸化被膜のためか粉をふいたような風合いになるため収集界では「砂鑞質」と呼ばれています。これはある意味、出来の悪い銭への蔑称とも言えます。
❶は安南郭抜寛永手銭の大ぶり砂鑞質銭。
❷は同じものながら真鍮質のもの。郭抜寛永手寛永は砂鑞質が一般的なのでちょっと目立つ。
❸は秋田加護山銭の細字様の白鑞(しろめ)のもの。日本の古銭に砂鑞質という呼称を使って良いものか迷い、白鑞(白目と意味的には同じ)という語を使用しました。
この貧相で出来の悪い銭を、所有者の英泉こと村上英太郎師は還暦記念泉譜に斜穿と錯笵重文の「できそこないども」と一緒に掲載をしています。(しかも1Pずつを使用して!)郷里秋田への愛の深さか、それとも悪戯心か?拡大してみるとやすり目もはっきり分かり、真っ赤な銅質部分も白錆の間から顔を見せてくれています。ほんと、こんな見向きもされないような雑銭が好きな方だと思います。
 
2月1日【安南寛永の最高級品2】
私自身、まだ泉譜でしか見たことがなく、想像しかできないもの、いや想像すらつかないものたちです。むしろ想像が膨らみすぎていて、実物をみたら「な~んだ、そうなのか」というかもしれない・・・それすら想像の域を超えていない「あやかし」の世界です。(一部所持品を加えて掲示します)
鋳写安法手 安法通寶の類は、南方からじゃらじゃら入荷し、いつの間にか消えていなくなってしまった、黒くて薄くてつやつやしておもちゃみたいな一群でした。
そんな中に寛永通寶を写したものがあったという。少しだけ厚手で初期の安法手に属すらしいのですが、私は見たこともない。拓本も収集誌に掲載されたこの一枚しか知りません。 
永利手 砂鑞質と呼ばれる鉛や錫などの多い柔らかく傷つきやすい材質の銭でありながら、キャラクター文字のような書体がとびぬけて可愛く、特徴的な二水永ということもあり、安南寛永の中でも人気は抜群です。
この一連の手類銭の書体は皆可愛らしく強烈インパクトを残してくれました。状態の良いものに出会ったら、即買いをお勧めします。
裕民手 薄肉、背夷縵(いまん)、銅質黒褐色・・・ときに赤褐色を帯びるものもあり、鋳肌は平滑。手類銭考にはこの拓図と背文写の2枚のみしかありません。文献では長崎元豊を写した濶縁削字の作が多そうに感じますが、寛永の直写しは見たことがないので・・・いえ、裕民手そのものを見たことがないので、私には判断が全くつかないです。※手類銭考下巻より借拓
亀寶至道手 鋳写坂本正永
亀寶至道手背工
亀寶至道手寛永は「島銭の寛永」と呼ばれるほど奇天烈な書風に変化しています。

・銅質:淡褐~黄色
・背郭:細~中郭
・郭や輪の立ち上がりに特徴
・細字が基本・・・変化著しい

そんな亀寶手のなかに古寛永の直鋳写品があることが、手類銭考の下巻補遺に示されています。
※手類銭考下巻より借拓
亀寶至道手 鋳写井之宮縮寛
元隆手背中 荻原銭写 1992/3収集誌に掲載されたこの拓本の古銭は鈴木幸泉バリ島輸入古銭拓本集上巻に掲載されたものと同じ品です。したがってバリ島帰りの一品ものだと思います。
南方舶載銭の大量流入はつまるところ鈴木幸泉師の存在があったからこそだったんですね。
元隆手背満文(宝武局) 高津接郭寶写 1992/3収集誌に掲載。それ以外の情報はありません。寛保期高津銭中字接郭寶に宝武局の背をくっつけたもの。銭の形であれば文字はどうでも良かったのでしょうか? 1992/3収集誌
元隆手背穿下文 十万坪写 何の意図があって、実際の位置や形状と違う文字や記号を置くのか不明。文字位置は背穿下への配置が一番少なく、中でも背穿下に正しく文字を配置したタイプは私は2例(あと1例は次掲示品)しか見たことがありません。
1992/3収集誌

奇書大広穿背穿下文は泉譜未掲載。私は奇書は水永と呼んでいます。穿下に文字がある類は、見つけたら絶対逃さないことです。
奇書大広穿背穿下文 
元隆手輪十写 目を凝らしてみると、輪に十文字が見える?
珍品のようですけど贋作が怖いので過度な評価はできませんね。
1992/3収集誌
元隆手背穿下逆足大様  1992/3収集誌に掲載されています。穿下逆置の文字は穿下正置に次いで少ないです。
元隆手有背類とされていますが元隆手にしてはとても姿が大きい。拓本に(広:広瀬輝夫師か?)の名があることから個人の蔵品でしょう。

※広瀬輝夫師は島銭分類譜の著者。
元隆手白目中字写 鈴木幸泉バリ島輸入古銭拓本集上巻に掲載。
白目中字そのものが存在数が多くないので、安南写しが少ないのは言うまでもありません。
島屋系の安南写しとか、背佐や背仙の写しが出てきたら大騒ぎかも。いや、もう案外あったりして。

文・元・足はよくある。小は珍しいけどある。長・佐・仙・一・十 は未見。
 
1月
 
1月31日【安南沼】
発熱がようやく治まったが体力は相当削がれてしまった。火曜日から発熱で休んでおり、水曜日に受診インフルA確定。明日で5日です。日曜から出勤可能かと思いきや月曜日まで待機命令。うちの検疫班は厳しい。今日は休んでおとなしくしているつもりだったが、業界仲間からの強い要請があり市への陳情に同行。直前にインフルの検査キットで非陽性であることを確認され、強引に引っ張り出された。もともと私が感染したことが原因で代行・協力頼んだ仕事なので、断ることができない。しかし、職場によって復帰の判断基準はまるで違う。うちが厳しいのか、それとも優しいのか。
書類が足りなくて職場に戻ったら呼び鈴を押しても事務所に誰もいないし出てこない・・・それで、書類を採りに中に入ったら見つかって白い目で見られた。背広を着ていたので選挙活動をしていると思われたらしい。信用ないなあ。陳情書受け渡しの証拠写真画像をLINEで送って誤解は解けたが一度燃え上がった怒りは解けてないもよう。冤罪だよ・・・どうしよう。
開元手   赤銅質の安南寛永(再掲示)
そもそも銅質の赤い安南寛永そのものが珍しいのです。上段の寛文期亀戸直写は薄肉の貧相なつくり。開元手は純赤銅色とされますが薄肉も特徴の一つ。手ずれによってもう少し赤黒く発色するのが普通です。これは開元手以外に該当させられない。

2枚目が非常に悩ましい。建仁寺写とみていますが、これこそ見事な赤銅。日本でいえば阿仁REDに近い。しかし、収集誌の穴銭入門94/2(九十四)には元隆手無背類の寛永通寶の50番としてこの書体の末鋳っぽいものが「大字俯寶」として掲載されています。でもこれは元隆手じゃない。厚みがあり、濶縁、狭穿で立派。手類に全部当てはめることは無理なのかもしれないのですが、仮に異国唐国手とした次第です。
異国唐国手? 
丸屋銭写 背郭の細さと薄さ以外、安南寛永を感じさせないつくり。直写しは安南寛永はなんでもありでしょうけど、この大きさの安南寛永はあまり見ないですね。でも手にしてみたらペラペラの安南寛永です。こんなものもあるとの一例。
寛文期亀戸銭摸無背(細縁大字) 背に文の文字を置くものと無背があります。気持ちよいほどの大字にして筆法ものびのびとしています。この品は以外に背は濶縁広郭。個体差があるようです。元隆手の中の大型の代表銭で人気がある方です。
異書長通低寛写  元隆手の直写。背郭が細い。薄肉ながらとてもきれいに写していて好感が持てますね。 
仙台重揮通無背写 通辵でかろうじて仙台銭だと分かる。これも元隆手直写。
異書斜寶写 元隆手にしては少し肉厚で銅色や背の形成がやや異なる気がします。 
元文期亀戸小字写  隆徳手とされてもおかしくないかもしれないが、保存の良くない元隆手かしら?  
猿江小字写  少し肉厚で背が深彫り。赤いのは鉄錆。元隆手とはちょっと背の形成が違う気もするが、鉄錆がなければ雰囲気も変わるかしら。
秋田中字写背右倒文  元隆手異置背文の代表的なもの。彫が深めで好感が持てます。
元隆手新規銭文無背  寛目幅広く寛前足反り跳ねる癖があり、通辵底が急角度で右下がり。永は草点永。一転、寶字はおとなしい。
元隆手俯頭辵摸と紹介される事が多いようですけど、いろいろ混じってます。私は日光銭摸鋳かと思っていました。
元隆手座寛写  もともと小さい寛永通寶を鋳写すのだから、かなりの鋳造技術ですね。よく特徴を伝えてくれている一枚です。
元隆手藤沢銭写 加護山写しと並べて見たかった!
小梅手大永写広穿  通の位置と通辵の形状から大永を何度か写したものだと推定。真鍮質っぽくは見えないものの、これは歹銭に移行する直前段階にあるものではないでしょうか。
 
1月30日【七宝玉塚天保会員証】
昨年の八厘会の例会でちょっと話題になった玉塚天保会員証。七宝には何種類か色があるようですが青が一番少ないようで、ネットオークションで出てきたらあっと言う間にウン万円になってしまった。絶対あの席にいた八厘会の誰かが落としたと思う。私は寝込んでたから巻き込まれずに済みました。
 
元隆手背文太異文
濶縁長通二水永
大濶縁長通二水永背文
収集誌より 安南寛永
 
背文 背右倒文
背左倒文 背右文
背穿下逆文 背穿下文
背双文 背元
背翻元 背縮元
1月29日【安南寛永の最高級品】
インフルエンザAはきつかった。ようやく動けるようになったけど、呼吸ができなくてやばかったです。親父に染してたら大変なんだけど・・・大丈夫かな。

安南寛永はそれほど高額なものが多いわけではありませんが、別格と呼ぶべき品がいくつか存在します。その代表が「元隆手背文太異文」(七雄泉師提供画像)で、1992年3月の収集誌の穴銭入門の解説文にも「安南寛永の最高級品」と明記されています。私所有の「元隆手の双文」はその隣に掲載されていて、風格的にもこれらが1,2位なんだろうなと思います。

そのほか、「永利手寛永」はデザインされた文字がとても可愛いので人気が高いし、「鋳写し安法手」は私も見たことがなくかなり希少だと思います。
「亀寶至道手」はそのものが存在が希少。ましてや「背工」は別格の珍品。『手類銭考』において「初見の稀品(某氏蔵……実は私)」とされています。(92年5月の収集誌には掲載あり)

それだけ安南寛永は数が多く、評価が難しい銭種だということなのでしょう。背中や背満文といったものも存在はするものの、数は少ないはずで、私は実物を見たことがありません。

「濶縁長通二水永」は昨年入手したものですが、これの“親”ともいうべき「大濶縁長通二水永背文」という、とんでもない品が存在するようです。この安南寛永は、中国のオークションサイトに出品されていた、という話を当時中国にいらっしゃった方から聞いており、画像も頂戴しております。なお、「濶縁長通二水永」は鈴木幸泉バリ島輸入古銭拓本集上巻に「島銭手」とメモされています。この本は鈴木幸泉師がバリ島等で購入した古銭の中で拓本として残された貴重品。「濶縁長通二水永」も師の目に止まったのだと思います。

安南寛永には、背にさまざまな文字を、思い思いの向きと位置に配したものがありますが、最も少ないのは「郭の下に文字を置くタイプ」で、しかも倒置ではなく「正置」のものです。
『収集誌・穴銭入門』には「十万坪写背穿下文」が掲載されていますが、相当な稀少品のはずです。私の所持する「水永大広穿背穿下文」も、同様の位置づけでしょう。

何が出てくるのか分からない・・・それが安南寛永の面白さです。出会いさえあれば、これほど楽しい銭種もありませんね。

安南寛永の背文の呼称(推奨)
いろいろな変化があるのですが、背の文字は「文」が最多で「元」「足」 珍しい事例は「文太異紋」「工」「満文」「中」「輪十」など、恐らく今後も新発見の出現が期待されると思います。背左文が未発見なのは意外ですね。

背元は数が多いだけあって裏文字風の翻元と、上下に圧縮されて小さな「縮元」をエントリー。

本当は文の方が大小様々な形態があるのですけど、名称分類までされていません。で、代表的な6種に双文を加えて呼称統一を推奨します。

背文 背上文という呼称もありますがシンプルに。
背右倒文 右文とか右横文とか言われることがありますが倒文に統一したい。ただし、もし文の頭が左側を向いているものが出現したら腹臥文もしくは腹這文か?
背左倒文 文の頭が右側の物が出現したら仰臥文もしくは仰向文になる。
背右文 目立つので人気がある。
穿下逆文 少ないタイプだが背足にも見られる。
穿下文 オリジナルの背文。複数種確認できているが希少種。
双文 文文とも言われている。
背翻元 文字が裏返し。
背縮元 ゴシック風文字が縦圧縮されている。
 
雑談)深夜から発熱しています。だるいし、体の節々が痛いし、咳も鼻水もくしゃみも咽頭痛もある。コロナとインフルエンザの可能性あり。予防接種全部やったんですけど・・・残念。
インフルエンザAでした。すべての予定キャンセル。願いが叶ってしまった?? 大災害です。 
 
雑談)さあ、地獄の2週間が始まりました。2月は日数が少ないのに有給消化で人がいない上、市町村も年度末が近づくと駆け込み事業消化をぶち込んでくる。だから単年度事業制はダメだっつーの。実績作りの研修が増えて制度変更も重なり酒席も多いときたもんだ。病気や家族の不幸で休職している職員が4人、帰国した外国人職員がひとり。そこに選挙がとどめを刺しに来てます。
昨日から喉が痛い。インフルエンザかコロナなら堂々と休めるぞ、と悪魔の声が聞こえてきます。(幻聴)
親父様は午前1時半からお目覚めでワイシャツを着て、選挙に行かなきゃ、礼服と銀のネクタイを用意しろと大混乱している。ようやく落ち着かせましたが、そのあとすべての記憶が消えてリセットされた。腹立つわ~。
しかも今度は完全な痴呆老人と化してしまった。指示してもわかんないし、動かざること山の如しのまだらボケ。う~ん、これで出陣式に出席できるかなあ。選挙は親父様にとって良い刺激で、人に会うとしゃきっとする・・・事を期待しているのですが・・・大丈夫かな。会場近くのホテルで朝食をとって、出待ちをする予定。頼むよ、親父様。
おかげで私は半徹夜。熱はないけど超寝不足で体調最悪・・・死ぬかもしれない。
 
元隆手歹銭 マ頭通背文
元隆手歹銭 極小様
元隆手 背異紋(母銭?)
元隆手背左倒元(母銭) 
水永大広穿背穿下文 大珍品かも!
水永無背
元隆手歹銭 水永小様
元隆手 異置背文類? 背双文  
元隆手 背右文
元隆手 異置背文類? 背左倒文大通
隆徳手 長字
永利手二水寛永 
開元手(亀戸銭摸)
異国唐国手もしくは開元手(俯寶)
1月25日【安南寛永】
南さんが安南寛永に沼っているそうですが、私も未だにこの迷宮の森の中をさ迷っています。

古銭収集にのめり込み始めたころ、安南寛永はどこのコイン商にも少なからずあり、まるでゴミのような扱いでした。ちょうど中国では文化大革命が起こり、清朝銭をはじめとする古銭が大量に日本へ疎開してきた時期でもあったと記憶しています。

初めて手に入れた安南寛永は、いわゆる豆銭の「歹銭」(タイチェン、日本語風に“たいせん”と読むこともある)でした。「歹」とは骨を意味する語で、歹(かばね)偏の漢字を調べると、不吉な字がずらりと並びます。現代で使われるのは残・死・殉などごく一部ですが、「歹=かばね」という読みからして死体を表すのですから、縁起が良いはずがありません。「歹銭」とは、骨のように痩せた小さくみすぼらしい銭を指すようで、私が初めて購入した一枚もまさにその名のとおりの姿でした。
しかし、小さいとはいえ「寛永通寶」の文字はなんとか読め、背には「文」の字もある。通頭はマ頭通で、書体も見たことがない。そんな不思議な魅力に心を奪われましたが、当時は分類もよく分からず、安南寛永の収集にのめり込むまでには至りませんでした。なにせ泉譜にもほとんど載っていなかったのです。

私が本格的に安南寛永にはまったのは、寛永通寶の収集が一段落し、めぼしい成果が得られなくなってきたころのことです。ちょうど収集誌の特集記事「穴銭入門 寛永通寶の古寛永部 いづみ会編」のコピーを入手し、その最後に安南寛永がずらりと掲載されていたのが決定打でした。いまのところ、これ以上に使える文献はほかになく、「穴銭入門 安南手類銭考 いづみ会編」と合わせて頼りにするしかなさそうです。
とはいえ、拓本だけでの分類には限界があります。結局は実物を探すしかなく、道のりは遠いままです。しかも最近では、かつてあれほど見かけた安南寛永そのものが、ほとんど市場に出てこなくなりました。これはいったいどうしたことでしょう。

こうして安南寛永は、いまや絶滅危惧種のような存在になってしまいました。穴銭収集という趣味そのものが絶滅危惧種に指定されそうであり……いや、私たち古い穴銭収集家のほうが先に絶滅してしまいそうなのです。
私が亡くなったときには、収集品もすぐに処分・放出されるのでしょう。その際、見栄えのしない安南寛永など、真っ先にごみ箱行きになる気がしてなりません。そうならないためにも、長生きして、きちんと分類を済ませておかなくては…とは思うのですが、最近入手した安南寛永が机の上で見つからないぐらいですから先が思いやられます。

郭抜寛永手(井ノ宮銭縮寛摸 真鍮質) 
亀寶至道手 背工
新規銭文 異書背縮元
和歌山銭写
岡山銭写 
網至道手二水永
俯頭辵摸 加刀あり・厚肉
安南寛永の謎 
鋳造地は安南だけでなく、中国南部やマレーシアあたりも含まれるかも。昔は「満州寛永」なんて言われてたと思います。目的は貿易銭だろうと思いますが、埋葬等の儀式にも使われたんじゃないかな…とは私の勝手な思い込み。とくに歹銭は琉球の封印銭に何か関係ないのかしら。
 
雑談)飼い猫がうるさい。二匹いるが、いずれも老猫である。そのうちの一匹、黒猫が昨年から急激に痩せた。もう15歳を超えているし、獣医から腎臓が悪いとも言われていた。子猫の頃から吐き戻しが非常に多く、それも場所を選ばずやりやがる。

この猫は、子供が小学校2年生のとき、社会学習で訪れた先の獣医からもらってきた捨て猫だ。「このまま貰い手が見つからないと殺処分になる」と聞き、子供が祖母の手を引っ張って引き取ってきた思い出がある。子猫のうちは可愛かったが、成長するにつれて立派などら猫になった。やがて子供も女房もほとんど構わなくなり、その結果、すっかり私になついてしまった。正直、うっとうしい時もある。
猫のくせに顔や手をべろべろ舐めてくる。犬好きな人ならたまらなく可愛いのだろうが、残念ながら私はそうではない。そもそも私は猫アレルギーなのだ。寝室には絶対に入れてはいけないと、ルンバと空気清浄機まで買った。(×2組)しかし、きっちり扉を閉めても、器用に引き戸を開けて侵入してくる。追い出すと激しく鳴いて抗議する。
千葉県南部では小型鹿の「キョン」の鳴き声がうるさくて不気味だとよく言われるが、うちの黒猫の鳴き声はそれに勝るとも劣らない。悲鳴、もしくは絶叫に近い声が執拗に続く。うるさいので親父様にも怒られるが、まったくやめる気配もない。親父様は怒って叩こうとするので、こちらも止めに入らざるを得ない。しかも呆けた親父様は24時間営業中で、こちらにもしょっちゅう起こされてしまう。

ところが、激やせしてヒョロヒョロになると、さすがに哀れに思えてくる。獣医に連れて行こうかとも考えたが、「寿命ですね」と言われるのが落ちだろうとも思っていた。
ある日、もしかすると餌が固くて食べられない(消化できなくて吐いてしまう)のではないかと思い、柔らかい餌に切り替えてみた。いろいろ試した結果、高級な高齢猫用のパック餌を非常に好んで食べることが判明した。チャウチュールも同様だ。
食欲はどんどん上昇し、1日3パック+2チャウチュールを所望するようになった(×2匹)。かくして猫は太った。ただし、もう一匹の方である。丸太棒のように太く短くなり、まるでマンチカンのようだ。こいつは足の間で寝る癖があるため、私は身動きが取れなくなった。ちなみに医師も驚いていたが、私の猫アレルギーいつの間にか治癒していた。(他のアレルギーは残っていますが・・・)
黒猫の方はなかなか体重が増えないものの、元気は取り戻した。そして毎晩、親父様の深夜早朝営業に合わせるように、激しく鳴いてくれる。高級な高齢猫用パック餌は、3日で一箱が消えてゆく。従来の安価なドライフードには、見向きもしなくなった。

ところが、である。ある日、別のドライフードを試してみたところ、喜んで食べ始めた。しかも、これもまた超々高級品だ。今度は高級パック餌には見向きもしなくなった。在庫はまだ大量にあるというのに。混ぜて出せば食べるかと思ったが、どうやらお気に召さないらしい。
かくして、深夜早朝、猫の絶叫のような鳴き声が家中に響き渡る。親父様もまた目を覚ます。私は痩せるような思いをしているが、残念ながら体重にはまだ効果が出ていない。増えるのは早朝深夜のこのブログの記事ばかりである。

※そういえば今日は八厘会です。私は今夜が職場の新年会なので行けなくなってしまいました。ごめんなさい。来週からは選挙応援2日と研修4種(うち主催3つ)×5日が続きます。外国人の受診つきそいと酒席も2つあるので結構ハードです。休みは今日ぐらいしかないので思い切って山歩きをしようかな。ヘロヘロになって会場に行く・・・会場まで自宅から6㌔ぐらいだから歩いてゆくのもありか?
 
 
❶ 銅山手(初鋳) 
長径49.04㎜ 短径33.03㎜ 銭文径41.28㎜ 重量26.2g
 
❷ 銅山手(反玉手)
長径47.2㎜ 短径31.1㎜ 銭文径40.9㎜ 重量11.7g
銅山手(細字美制小様)
長径47.9㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.4㎜ 重量19.8g 
銅山手(小様)
長径47.9㎜ 短径32.2㎜ 銭文径40.4㎜ 重量18.8g 
❺ 銅山手(大様)
長径49.0㎜ 短径32.9㎜ 銭文径41.1㎜ 重量25.0g
大字濶縁広郭(最大様)
長径49.9㎜ 短径33.6㎜ 銭文径41.2㎜ 重量21.3g 
大字(初鋳)
長径49.1㎜ 短径32.3㎜ 銭文径41.5㎜ 重量17.6g  
1月20日【南部天保の思い出】
収蔵画像にて南部天保について語ります。天保通寶収集を始めたときは、1万円を超える南部藩の天保は高嶺の花でした。今のその地位は変わりませんが、気になったものの出会ったときは思い切って買うことにしています。

❶の銅山手は私のものになったこともありますが、今は関西のTさんの持ち物になっているはず。49㎜、26gを超える立派な姿で、故、暴々鶏師はこのタイプを山内の初鋳銭だと申していました。素朴で全体に浅字でテーパーが強め、砂目も粗く文字抜け悪い。銅色は黄褐色~赤黄色が多いと思います。
なお、山内とは浄法寺地区のことで、山内と浄法寺・本炉と分類する東北以外の古銭家は多いけど、あんまり意味がないとは暴々鶏師のお言葉。(栗林・山内・明治以降の浄法寺ならわかる)

❷は軽量で薄く小さく、私所有の天保通寶の中で一番軽い・・・しかし、彫が深く摩耗して軽くなったものではありません。暴々鶏師が「南部當百銭の謎」において鋳造地不明銭として掲拓しているもので、なぜか銅色を純黄色としていますが、実物は白黄色というかかなりの白銅質です。
この色と作風の四文寛永密鋳銭を某先輩が反玉手として暴々鶏師に伝えたとも聞いていますので、反玉手の銅山手と私も仮称していますが、それが正しいのかは不明。
仙人様にお見せしたところ、これは密鋳ではなく本銭の末鋳ではないかとのご意見。山内座そのものが密鋳なのでややこしい。山内座は何度か手入れがあり、そのたびに鋳銭道具や母銭が破却されたとか。銅山手は急遽つくられた木彫り母銭から生まれたとの説があるようです。(銅山手の銅母銭はかつて存在(倉田屋田中桂寶師所持)したとのこと。今はいずこでしょう。)
末炉とはいえ銭文径は意外に大きいのが不思議。あるいは本当に仿鋳なのかもしれません。

❸は暴々鶏師が栗林座ではないかと仮説を立てて、八つ手極印を探し求め続けた銅山手の一枚。
浅字ですけど文字抜け最高。南部小字は栗林座で藩主導で作られたと結論付けられているようで、小字のとある種と雰囲気が似ているこの銅山手に暴々鶏師は夢を抱いたのではないかしら。
ただし、銭文径は最小なので、普通ならこれが初出とは考え難いのです。
この品には地染めらしきものがはっきりあるのですが、地染めがない赤銅色の銅山手(暴々鶏師は黄色とよく申していましたが)が存在し、そのサイズが美制のものとほぼ同じなんです。

❹がほぼ❸と同じサイズ規格の銅山手です。小さいけどしっかりしたつくり。砂目は細かくテーパーも強め。

❺ はやや製作が近い大様の品。銅色は褐色を帯びていますが文字抜けや製作はまずまず。重量もずっしりある。ちょっと砂目が粗いかしら。

❻は銅山手ではなく大字の最大様。肉厚で非常に製作が良く、新渡戸仙岳の記述が正しければ、「天保通寶鋳造がうまく行かず、そのため鋳造方法教えてもらうためを栗林座に職人が見学に行った」・・・という物だと私は推定しています。天保仙人様は通用母銭の可能性すら語られていました。テーパーがかなり強いのも特徴です。なお、❻の大字はとらさんがうらやむ数少ない美品大様・・・いいいでしょう?

❹の銅山手はその大字❻の製作血統をひくものじゃないかな・・・と暴々師が申していたものだと思いますが、これは私の妄想も多分に含まれます。と、なると❸と❺も同じようなものかもしれません。

さて、新渡戸の著述には鋳銭工程において砂抜けの悪さにとくに苦労したような記述があります。そのせいかたしかに盛岡藩銭は鋳だまりがすごく多いのです。そして鋳造時に通用銭に喰いこんだ鋳砂を除去するため、銭を焼いたような記述もあり、暴々鶏師はそれをもとに焼けたような雰囲気のある赤いものを初鋳銭❼でないかと推定されました。何かの資料で南部藩の初鋳銭は紫褐色だ・・・と書いてあるのを見ましたが、暴々鶏師はこの色だと仰っていたのです。❸の銅山手をよく黄色っぽいと仰っていたのであるいは私の色彩感覚が違うのかもしれません。

❼の大字はサイズこそ小さいのですが銭文径はわずかに❻より大きい。暴々鶏師はあまり銭文径は気にされていなかったようなのですが、銭文径信者の私にしてみればこの事実は大きいのです。つまり、人為的に熱せられて焼け延びをわずかに生じたとも考えられます。

さて、ランダムに銅山手と大字を並べ、さも分かっているようなお話を並べましたが、私のお話は暴々鶏師と七時雨山師、それに新渡戸仙岳とめんどう師などから聞いたお話に妄想を加えてごちゃまぜにしたものにすぎません。
大字・銅山手をつくった山内(浄法寺)の黙許私炉はがさ入れを複数回受け、処罰と称して証拠隠滅の鋳銭道具や母銭の破却をされては短期間で復活をしたようで、技術もかなり変遷をしたようなので、通常の・・・銭径は末鋳に近づくほど小さく、銭文径も小さくなるとか、初鋳ほど立派というのも必ずしも当てはまらないようなのです。
新渡戸仙岳の記録が正しければ・・・1.大字の焼けたものがはじめ 2.大字の美しいものは栗林座で学んだ後にできた 3.銅山手は大字のあと、がさ入れ後に出現していることになりますが、多少大字とかぶる部分もあるような気がします。(銅山手の初期は砂抜けが悪くて大きいのできまりかも。小字は栗林座でいいと思います。)製作や銭文径が多岐にわたるのは、それこそ短期間で大量生産を行うため、通用母の写しを繰り返したんじゃないか、鋳銭場も分散させたのではないかと思う次第。はい、妄想です。
南部藩銭はとにかく謎だらけ・・・誰か決定的な解明をしてください。
 
雑談)今年、はじめて鋸山を登りました。病み上がりで息も絶え絶え・・・いえ、いつも通りのことで。やたら登山客が多いな・・・と思ったら2月中旬までメンテナンスでロープウェイが運休中。
山頂を越えて鋸山の裏側までゆく人はよほどのもの好きなんですけど、4~5人にあったのは久しぶり。小鋸山に行った人がいて様子を聞いたら荒れていて超危険だそうで・・・私はいけない場所。別名、裏鋸山キャニオン。本当の地獄のぞきです。ダム湖や映画のロケ地もあります。すれ違う方に話を聞くと、超マニアな会話が出てくる。封鎖された旧登山道なんかもよくご存じで。
保田駅までの道中、キョンには4~5匹であった。人に慣れてしまい逃げない。小型犬サイズの鹿で見た目は可愛いいけど、鳴き声は不気味。食べたら美味らしい。害獣扱いだけど観光資源にしちゃうしかないんじゃない。じゃなきゃ食材。もう、うじゃうじゃいるよ。この山。
保田駅まで残り100mちょっとで「間もなく電車が来ます」というアナウンス。ここで逃したら1時間以上待ちぼうけになるのでダメもとで猛ダッシュしました。間一髪で間に合いましたが、両ふくらはぎがつりそうでした。(いえ、つってました。スイカ持っていなかったらOUTでした。)
 
1月17日【男前ギャラリー:俯頭通の思い出】 
天保通寶の収集を本格的に始めた頃、この三種を揃えるなどとは、まったく考えられませんでした。ましてや奇天手や張天保まで所持するようになるとは夢にも思わず、もし美銭を並べることができたなら「もう死んでもいい」と思ったほどです…とはいえ、まだ死にたくないので、もう少しだけ頑張ろうと思います。
俯頭通平マ頭(大様) 小字(黄銅質) 広穿大字
※いずれも本座以上の上作。美術品です。
俯頭通は、中学生のときの正月休みに、千葉市にあった「大宝堂」という古銭店で入手しました。店主は石橋さん。根っからの古銭好きで、銭帷子(ぜにかたびら)の中から奴銭(やっこせん)を発見した話を、よく聞かせてくれたものです。
お店は千葉市のはずれにあり、私は電車とバスを乗り継いで通っていました。取扱い品目は古銭の他に囲碁・将棋用品。石橋さんは店番をしながら囲碁の定石を並べ、スポーツ新聞を読み、タバコをくゆらせている…今思えば実にのんびりとして優雅な時代でした。

私は店の片隅に積まれた雑銭の山に夢中になり、千木永や秋田銭を見つけては店主に見せて、1枚10円や20円で買っていました。当時のお小遣いは月600円。千葉市までの行き来だけで、その半分以上が消えてしまいます。その頃の中学生のお小遣い水準としても我が家は渋めでしたが、その代わり、年3回あった中間・期末試験で好成績を取れば報奨金が出る約束を両親に取り付けていました。獲得条件は学年成績で10番以内に入ること。マンモス校で同学年生は450人ほどいましたから、かなり厳しい条件です。成績は校舎の壁にはり出される、今の個人情報保護の流れからは考えられない個人情報の見える化&過酷な競争の時代。スパルタ世代なんですね。
ところがこの「馬の鼻先にニンジン作戦」が驚くほど良く効き、ごぼう抜きで上位常連となり、一度だけですが総合1番になったこともありました。必殺技は教科書の丸暗記。音読で一言一句を暗唱できました。
クラブ活動にも夢中でしたから、勉強一辺倒というわけではありません。ただ、どんなに疲れていても、毎日1時間は机に向かうことだけは習慣にしていました。友人との付き合いのためには報奨金はなくてはならない存在だったのです。
当時、クラブ練習帰りに仲間とときどき立ち寄る甘味屋の餡かけラーメンは300円ほど、コーラは50円ほど。コーラは私には高嶺の花で、もっぱら10円程度で買える「チュウチュウ(別名チクロ)」と呼ばれる氷菓子が定番で、余裕があるときはオロナミンCに似た味のガラナ(30円ぐらい)という炭酸飲料を楽しみました。ちなみに「チクロ」とは、毒性があるとして使用禁止になった人工甘味料。この話が通じるのは、たぶん60歳以上だけでしょう。

「お年玉が出たから、今日はお金あるよ」と胸を張る私に、石橋さんは「すごいものがあるぞ」と言って金庫から旧二十円金貨と、この俯頭通を出して見せてくれました。もちろん、私の目はキラッキラで釘付けです。「坊主、いくら持ってる?」と聞かれ、「1万円ちょっとくらい」と実際に数えて見せると、「残念だな、それじゃ買えないね」と悪戯っぽく笑われました。ちなみに旧二十円金貨は、400万円くらいだったと思います(初年度の未使用品だったはず)。一方、俯頭通は12,000円。旧二十円金貨とは比較になりませんが、これは当時も今も破格の安価。伝えられた金額は石橋さんの悪戯心だったのかもしれません。

当時、天保銭は今以上に高価なものばかり。収集対象外でしたが、大宝堂を出た後もその姿が頭から離れません。
そこで、京成千葉駅近くで小さな焼肉店を営んでいた叔父のもとへ早足で行き、「おじさん、明けましておめでとう!」とお年玉をねだり、首尾よく入手。すぐさま大宝堂に引き返し、唖然としている石橋さんに12,000円を掴ませ、俯頭通をひったくるように手にして帰路につきました。
残金は電車賃ぎりぎり。食事代もバス代もなくなりましたが、大満足です。

こうして私のコインアルバムには、ミニカーコレクションと交換して友人から手に入れた(その結果、両親から大目玉を食らった)「本座広郭」と、この「俯頭通」の二枚だけが並ぶことになりました。
その後も天保通寶を特別熱心に集めたわけではなく、水戸銭と高知額輪が増えた程度でしたが、大学1年の秋、1,500円で買った「張点保」が、突如として加わることになります。

※1/24 事業所の新年会が入ってしまいました。八厘会は欠席です。選挙の手伝いもあり、しばらくは大変になりそう。
 
1月14日【膳所額輪】
体調悪く引きこもってます。何食べたんだか腹が痛い。何かに中ったようで力が入らない。古銭も新規に入手できないので古い新寛永の鑑賞と決めました。
ここにある4枚中3枚はおそらくこのHP作成開始時には所有していたもの。というのも制作日記や更新略歴(休止中)に出てこないものばかりなのです。と、いうわけでそんな日陰者たちを 今一度紹介。
❶膳所額輪(大様母銭)
外径23.7㎜ 重量3.2g  
内径はいづみ会譜とそん色ない。もちろん通用銭や次鋳母銭より内径は大きい。
❷膳所額輪(通用銭)
外径22.97㎜ 重量3.6g
❸膳所額輪縮寶(母銭) 
外径23.67㎜ 重量2.9g
❹高津銭小字背元降寶(大様母銭)
外径23.54㎜ 重量2.9g 
❶ 元文期不知銭 膳所額輪(大様母銭)
膳所額輪は、2001年に組み物として、たぶん入札誌「鈴鹿」で購入したものです。当時の収集方針では母銭は対象外としていたのですが、このような珍品は一度入手機会を逃すと再会すら難しいと覚悟を決めて入手したものと思います。背に朱点が見られることから、古い収集家の蔵品であったことは間違いありません。

今回あらためて撮影していて、気づいたことがあります。いづみ会譜には、①大様母銭、②母銭、③通用銭の三種の拓本が掲載されていますが・・・
❶は入手当初から「大きい」とは感じていましたが、拓本①と比較してみると、どうやら本品は大様母銭である可能性が極めて高そうです。

❷ 膳所額輪(通用銭)
これが実に悩ましい一枚。まるで母銭のように銅の練れも良く、輪の角も立ち、厚みもあり、面背の研ぎも美しい。しかし、背郭は甘く、穿内仕上げも雑で母銭とは言えません。内径も❶より小さい。
そこで、いづみ会譜の②小型の母銭の拓本と比べてみると・・・同じ。これは?!と思い、③の通用銭の拓本とも比較すると、あれっ? これも同じ。
結論から言うと、いづみ会譜掲載の②母銭拓本と③通用銭拓本は内径が同一なのです。つまり②が次鋳の母銭、もしくは通用母銭であるとすれば、③よりさらに内径の小さな通用銭が存在することになります。
真相は不明ですが、私の❷は「製作の良い通用銭」としておくのが妥当でしょう。極美銭であることは言うまでもありません。

❸ 膳所額輪 縮寶(母銭)
背郭の出来は甘いものの、郭内の丁寧な仕上げから見て、絶対的な母銭です。私のメモによれば、2002年の銀座コインオークションで落札した品でした。やや白銅質で、面の研ぎは美しいのですが、文字が絹糸のように細く、老眼の肉眼では何が書かれているのかすら分からないほどです。

これら膳所銭類は鉄銭が存在しないことから、銅から鉄にに材質が切り換えられた元文期末に企画されたものの、採算が取れず製造打ち切りになったものではないか、(あるいは文字が細すぎて鋳造に合わず不合格になった?)とも考えられ、鋳造地不知銭とされています。
謎の多い膳所銭ですが、膳所の地で製作された直接の根拠は見つかっていません。でも近江「膳所」の名称は捨てがたいところです。

❹ 寛保期高津銭 小字背元降寶(大様母銭)
2004年の銀座コインオークションで入手したもの。このサイズの母銭は、いづみ会譜の解説だと「特別なサイズの母銭」に該当します。通用銭で23㎜を超えるものはほとんどありませんので、本品は名品と言ってよいでしょう。(リップサービスかもしれませんが)落札時、元方泉處の石川氏に褒められた思い出があります。

なお、当時の手動計測では外径23.4㎜としていましたが、今回新しいデジタルノギスであちこち測定したところ、23.58~23.54㎜と、どこを測っても23.5㎜を下回りませんでした。そのため、23.54㎜としています。一般的な小字降寶と並べると、その雄大さには驚かされますよ。もっとも、それが分かるのは、いわゆる“病気”の方々だけでしょうけれど。
③額輪通用銭 ②母銭とされる拓本 ①額輪大様母銭
穴銭入門新寛永の部 いづみ会編より
 
琉球通寶中字(黄褐色)
長径49.15㎜ 短径33.10㎜ 重量19.0g
1月13日【療養中】
昨夜から腹が痛いし張る。むかむかするし、ゲップがさかんに出る。頭も痛いし、だるい。朝、体温を計測したら37.4度。今、38.1度ある。で、お休みしました。この後受診します。こういうときは古銭リハビリに限るのですが、あいにく大した入手物がありません。
この本座色の琉球通寶は今年の入手品第一号。きれいでこれで桐極印だったら病は全快しちゃうのですがそうは簡単にいきませんね。琉球の黄色いものは小字と広郭にはありますが中字にはありません。この中字も黄色じゃなくて黄褐色。でもこの発色はそんなにないと思いますよ。だからどうしたって言われれば実に苦しいのですけど。
 
1月12日【再び競鑑古寛永2】
古寛永リハビリです。今回は最初から泉譜を開いた。あたりは付けていて寶珎のバランスが悪いので水戸。それとなんだこの変な寛足の形状は・・・ということで長門の勁文でほぼ間違いなし。で、その大様母銭。長門銭はツヤがなく、角が立つ研ぎ仕上そのままの手本銭のイメージがあるから、このようにつるっとした顔を持つ母銭はエアポケットに陥りやすい。書体ではこの変な寛足のイメージは覚えといて損はないです。
と・・・ここまで書いて先日の関東のAさんの古寛永が無性に気になり始めた。
あれって長門の可能性はないのかしら・・・どうなんだろう。今度Aさんに聞いてみよう。
 
1月11日【再び競鑑古寛永】
過去の蓄積画像より。26㎜を超える古寛永。ネットに出ていたのですけど持ち主不明で、情報はこの画像のみです。いかにも特別なつくりの古寛永・・・さて、これはなんでしょうか?
余談)玉塚証券のノベルティグッズ
こんな画像を見つけました。
「者ち里ん(はちりん)のつもりて家の福寿草 
天保銭人 塚榮(天保銭人 玉塚榮次郎)」
※鍋敷きなのか、お盆なのか、菓子皿なのか?

八厘のつもりて家の床抜ける
八厘のつもりで貯金したつもり
 
1月10日【古寛永岡山銭】
天保仙人様と出会ってから15年は天保銭ばかり集めていましたので、「新寛永通寶分類譜」とは名ばかりになってしまいお𠮟りを受けそうです。ここ数年は古寛永は基本買わない・・・と心に決めて臨んでいました。老眼・乱視で目が悪くなったことに加え、終活を考えたとき一番処分に困りそうなのがこの古寛永。分類が細かくマニアックすぎるんですよね。ただ、最近は南さんや関東のAさんの影響で、少しずつ古寛永をいじくり始めてしまった。古銭リハビリですね。しかし、物忘れがひどくて困ったものです。
古寛永はHPを造り始めた頃はさかんに収集していました。HP作成そのものが自分の勉強だったからで、古寛永泉志は表紙が取れて、破れて、バラバラになるまで眺めていたものです。寝る際は枕元、トイレに入るときも持参するほど。その頃はまだ古寛永はいくつかの古銭の店におかれていましたが、どちらかと言えば売れない組で厄介者扱い。そんななかでも富山貨幣研究会の三鍋師のお店と大和文庫さんは私の格好の採取場所でしたね。
古寛永岡山銭はどちらかというと地味な存在で、皆同じに見えたので私も敬遠しがちだったのですが、判りやすいものから拾うことにしてぽつぽつ収集品に加えていました。今は古寛永の収集家はライバルも少なく、とても集めやすい環境だと思いますが、果たしてこれがチャンスなのか、ピンチなのか・・・。
ともあれ、まずは基本銭の美銭探しからはじめれば、良いコレクションができると思いますよ。
❶俯永抬頭永
❷俯永大字
❸俯永小永
❹俯永短尾永
❺短尾寛大様母銭(25.2㎜)
❻濶縁小字
❶俯永抬頭永
抬頭永は私がはじめて江戸コインオークションの会場落札をした古寛永です。初参加の記念に何かを落札して帰ろうとがんばってしまった。応札の理由は「抬頭永」という名前。蛇が鎌首をもたげる・・・なんて優美な名前だと思いませんか? 巳年の代表銭にすればよかったと反省です。新寛永の元文期伏見手も抬頭永なのですが名称はこちらが本家。彫が深く刔輪で細縁になります。位付けは四位なので珍銭の部類になります。

❷俯永大字
この分類名は泉譜にはない気がします。たぶん入札誌で見つけて何も考えずに落札したのじゃないかしら。たしかに文字が大きくて立派。分類的には俯永肥字じゃないかと思うのですが良く分からないまま今日まで来ています。かっこいいでしょ。(HPには俯永肥字の名称で掲載しているようですね。忘れてました。)

❸俯永小永
俯永の類なのですが、仰フ永・俯頭永で、短ノ永という変な奴です。見ての通り永字がものすごくアンバランスなのです。これも中々の難獲銭ですから岡山銭の中では隠れた珍品になります。
こうやって並べてみると岡山銭の背は深くて結構立派なものが多いですね。珍銭とはいえこのあたりの品に対してお金を払ってまで入手しようとする人はそんなにいないと思います。位付け四位、美銭を探しましょう。

❹俯永短尾永
俯永小永の姉妹銭と言って良い古銭。こちらは短ノ永ではないものの永尾が短く気持ち跳ね気味。それに仰永気味でまったく俯永とは言えない天邪鬼な存在です。
文字の彫が深くて結構真面目なつくりの銭である気がします。古寛永泉志で位付け四位。難獲銭です。

❺短尾寛大様母銭
短尾寛は古くは狭足寛手とも称され、また御蔵銭の未使用母銭挿の中からも母銭が選り出された経緯があるなど、謎に包まれたミステリアスな古銭です。文字の太細がほとんどなく棒書き状の書風。個人的には岡山じゃあないよね・・・と感じています。この銭はネットにでていて、やけに大きく見えたので落札したもの。25.2㎜ある立派な母銭でした。通用銭は雑銭です。

❻濶縁小字
これも隠れた珍銭。書風は長嘯子に近く、長尾永です。この品は貨幣273号を飾った原品で濶縁厚肉の大ぶり銭。外径は24.90㎜あります。寛爪の上部に瑕があり爪がやや下に向いてい癖がありますが…果たしてすべてがそうなのかは不明。お気に入りです。
 
1月9日【競鑑:年賀状の古寛永2】
湧泉堂こと関東のAさんからの年賀状生拓本。皆様は判定出来ましたか?私はすぐにここらかなあと、判断した後・・・改めて泉譜を見て確認したら逆に迷いが出てしまいました。難しいですね。古寛永は。

見どころは・・・
文字が小さく、隔綸している。中字としましたが小字といって良いですね。
寶珎は比較的整っている。連玉珎じゃない。寶貝は短く爪が陰起?、さらに寶足がアンバランス。だから寶字が頭でっかちに見える。
通用は細めで縦長。

さて、このような文字が小さく隔輪する書体・・・岡山の類(小字系・良恕手)と太細の類、水戸(宏足寛・狭足寛)・高田(縮通)との一部と仙台ぐらいか?
第一印象は岡山・・・いやそれしかない。寶前足・寶珎・文字形状から、岡山しかないのです。永字が小さくなる・・・小字系もしくは婉文系に感じる。これは感性。偶然かもしれないが小字手にも見える。だとしたら奇跡の一致だ。
いや、何も考えずに婉文本体の大型母銭としたくなる。永の文字の太細があるし、幅も狭いよな。
泉譜で確認。ところがだ・・・
寛目がでかい。でかすぎる。あれ・・・全然違う。

これで思考回路がショートした。で・・・送られてきた画像でさらに混乱。あれー
永の字平たいじゃん。永尾も長い。俯永系も視野に入れるべきのようです。銭体がでかすぎて小字に見えているだけ?
俯永短尾永?・・・違うよなあ・・・永頭長くね?進点永?
寶王がエ一に見える・・・異王寶? 違う。

俯永広目寛・・・いや 俯寛あたり・・・
縮寛かもしれぬ・・・迷う。俯寛で短爪寛の特徴は間違いない。永尾に太細寛目の二引きは細いなあ・・・これ、縮寛の特徴って泉志にあり、探したことがある。でも前後の柱からはわずかに離れているように見えます。だから縮寛は厳しい。
ちょっと拓本を加工。ほんの少し曲がっていた拓本画像を1度だけ角度修正し、真直ぐにしました。寛目の前柱が俯して俯寛ははっきりしたので俯寛はいいでしょう。拓本では永尾は長く見えないけど仰柱永気味なのも古寛永泉志の説明に沿っています。久泉研究資料の寛目の二引きが後柱に寄り気味という説明も合致かな。寛前足も細長くとがっている?

と言う訳で私の結論は
「古寛永 岡山銭 俯永 俯寛 大様 母銭」でどうでしょう。ただし、拓本で見る限りは短尾永に見えますし、大貝寶短爪貝寶にも見える・・・偶然かな。久しぶりに古寛永泉志や久泉研究資料を開きました。これだけ大様だと銭の書体の全体印象がかなり違ってきて、過去の蓄積情報があてはまらず頭からすっぽ抜けますね。岡山銭は難しいです。

なお、古寛永泉志には俯永大様の拓本が巻末にあります。通頭の鋳だまりなどは合致しますが、細かいところは異なって見えますのでまったく検討していませんでした。どうなんでしょうかね。
※古寛永泉志の拓本画像を並べてみましたがやはり違う。内径も違う。別物。格が違う。
皆さん・・・見解を教えてください。
 
1月4日【競鑑:年賀状の古寛永】
湧泉堂こと関東のAさんからの年賀状生拓本です。拓本以外の情報はありませんが大きさは25㎜台後半だと思います。(追加情報あり)
拓本なので、銅質・製作は不明。大きいこと、背郭がしっかりしているからおそらく大様の母銭。文字は隔輪している中字系の書体。
さて・・・皆様はもうお分かりでしょうか?
これはAさんからの挑戦状だと考え、ご自分で答えをだしてみて下さい。

※一生懸命更新していますが、私の仕事場は年中無休を交代で休んでいて、今年は珍しく12/31と1/2と1/3がお休みになりました。31日は買い出しと掃除&近隣散歩。2日は親族大集結の日、本日はグロッキーでした。久々に良く寝た・・・つもり。早朝目覚めるのは変わりませんが・・・。天気が良くても外出はしなかったのは久々です。明日から通常シフトに戻ります。
※スライドショーが3回壊れた。もろい。どうしよう。

追加情報
   直径26㎜を超えるそうです。
 
小字手濶縁
穴銭入門(静岡いづみ会編 収集誌掲載品)の原品
1月3日【小字手濶縁】
房総半島も初雪です。車の屋根に3㎝ほど積雪している。雪の降る地域の方には申し訳ありませんが、私の住む千葉県は滅多に雪が降らず、路上に2cm積もれば大騒ぎ。5cm積もれば災害です。
冬用タイヤはもちろん、チェーンなど持っている人はほとんどいないので、降雪を理由に出勤できない、機能マヒということが起こる。私の仕事は年中無休なのでこういった事態が一番困ります。子供らは大喜びですが、大人は雪かきと人集めに駆り出されるわけで・・・それで大変とは雪国の人には笑われてしまいますね。
濶縁小字 小字(古寛永泉志)


さて、鳳凰山師から「最近、マニアックな古寛永にハマっています。」という新年のお便りを頂戴しました。(ありがとうございます。)
小字手濶縁と聞いて・・・あれ、そんなものあったっけ・・・と思われた方、古寛永泉志を良く読み込んでいる方です。(ぱちぱち👏)
私も目にした瞬間は「ああ、濶縁小字だよね。」・・・と、勝手に判断していましたが、濶縁小字は全く別物。(小字手の記事もHPに載せているのに・・・)
古寛永泉志には「小字手」の名前も「濶縁」の分類もありません。「小字仰頭永」と「小字短尾寛」しかないのです。
古寛永岡山銭泉譜にもこの分類名はなく、「小字仰永」と「小字」とがあるものの、古寛永泉志の「小字仰頭永」と岡山銭泉譜の「小字仰永」は別物の分類。
拓図を見る限り「小字仰永」はわずかに離郭傾向の書体であり、古寛永泉志は接郭気味の書体の違いがあります。

「小字手」は穴銭入門(静岡いづみ会編)として月刊収集のみにある名称なんですね。ここまで書くともう訳が分からなくなりそうですね。
詳しくは「コインの散歩道 古寛永・(称)岡山小字~小字手濶縁」をご覧いただくのが一番かと思います。(私には小字手濶縁は仰フ永で寛前足が跳ね上がろうとしているように見えます。)
そして鳳凰山師の写真は穴銭入門の原品にほぼ間違いない。

いずれにしても超マニアックな分類。泉譜にものっていない変化が小字の類にはあり、さらにマニアック。鳳凰山師いわく「ハマっている」とは、今でいう「ヌマってる」状態かな。それも「泥ヌマってる」かも?
沼は深そうですね~。

 
言い忘れておりましたが、私・・・喪中ですので賀状は遠慮させていただいております。
葉書代も高くなりましたので、これを機会に勝手ながら賀状仕舞とさせて頂こうかと思います。もちろん、お送りいただいた賀状の古銭等は楽しみにさせて頂きますよ。
 
中郭手小点尓(尨字系)
黄褐色の肌で地はうねる雰囲気。
長径48.7㎜ 短径32.05㎜
銭文径40.8㎜ 重 量22.3g
 左:塞頭通 右:小点尓 當田右肩に穴がある 

塞頭通 収集誌掲載画像
異頭通不接培に見えませんか?
長径49.10㎜ 短径32.30㎜
銭文径40.90㎜ 重量20.6g
異頭通?  不接培?

関西S氏提供 制作日記2017/9/12
鋳浚い肌の異頭通
長径49.03㎜ 短径32.54㎜
銭文径41.33㎜ 重量19.8g
※関西のSさんから2017年に頂戴した尨字異頭通の画像。鋳浚痕跡が明瞭でぬめぬめの紫褐色の肌。
尨字は黄褐色とどちらが主流なのだろうか?鋳肌はどちらも不規則にうねる感じがある。
 
1月2日【小点尓と塞頭通】
小点尓は昨年入手に費やした価格の中のNo2で、しかも真贋等に不安を抱きながらも購入を踏み切るなど、私にしては大博打を打った品でした。
2025年3月23日に同炉銭の極印の話について書いた際に尨字に関して触れたので、次は手持ちの尨字塞頭通の拡大撮影を行い、話題にしようと心に決めていました。私の尨字塞頭通は収集の誌上入札で遊び半分で落札したものです。
マ頭や當田などに加刀があり、通頭は口をあけ、田の十の横画の両端が縦画に接していないように見えます。天保泉譜には「不接培」という名称で掲載されていたものがあったのがとても気になっていました。
この塞頭通は入手した直後にうっかり妻に話をしてしまい、少しばかり「馬鹿じゃないの」と、睨まれたこともあってさして話題にもせずそのまましまい込んだ形になっていました。
したがって、撮影の際には鋳肌や極印などをじっくりと見なおすことができたのでした。
それから1ヶ月後にTICCで小点尓に出会うのですが、購入を決断するまで30分以上は店頭で迷っていたはずです。その間、懸命に記憶を絞り出していました。私の記憶像もあやふやで正直絶対と言えるものではありませんでしたが、確かこうだった程度の印象が残っていたのは幸いでした。そして細かい砂目と地肌のうねり、極印の印象だけで・・・えいやっと買ってしまったのです。博打ですね。けっして褒められたものではありません。
泉譜における小点尓は、長径49㎜台の塞頭通に比べて皆小さく48㎜台です。銅色は黄褐色ともありますが、紫褐色~黒褐色の異製作のものも多いようです。
ただし、私の頭の中の情報はあくまでも塞頭通の印象ばかり・・・それもぼんやりとしたものに過ぎません。
小点尓は不知天保通寶分類譜に上巻の中郭手「寶の変化」に4枚、「製作の変化」に広郭気味になったものが1枚掲載されているだけ。そもそも比較する現物そのものがあまりないのです。
小点尓が尨字の仲間だと語ったのは、私が知る限りは天保仙人様が方泉處誌上でインタビューに答えた記事を読んだぐらいですので、その発見者は天保仙人様なのかもしれません。
その後、極印の一致ととらさんのご指摘で特徴的な文字画の欠損などのポイントが見つかり、どうやら私の小点尓も大丈夫そうだと自分で結論付けた次第です。
仙人様がおっしゃるように鋳肌のぬめぬめ感がない点は確かなのですが、これは塞頭通を観察する限り地肌の穴ぼこを塞ぐような地染め加工と鋳ざらいの有無が大きそう。側面の色を見る限りは、小点尓と塞頭通の銅色は黄褐色でよく似ているのです。
結果として私は「運が良かった」・・・あるいは「運が良かったと思い込んでいる」おめでたい人なのかもしれません。一昨年は会津大濶縁、昨年は本座広郭母銭(背大郭)で大失敗しましたので、これが失敗となると立ち直れないかも。(懲りないけど。)
知らぬが仏。もう少し幸せでいたい私です。

※塞頭通として入手しましたが、マ頭が開き不接培気味になっています。

 不知分類譜上巻 の小点尓
 ページ 長径 短径
❶  135-3 48.70㎜ 32.25㎜
❷  135-4  48.50㎜ 32.30㎜
❸  136-5 48.10㎜ 32.35㎜
136-6  48.50㎜ 32.15㎜
❺  152-2 47.80㎜ 31.80㎜
❶黄褐色
❷やや濶縁に見える・異製作
❸異極印・内反足寶(異足寶)
❹内反足寶(異足寶)
❺極端な小様・異製作・・・拓本の印象だが小さすぎ、写しのような雰囲気があり、正規のものではなさそう。
 
1月1日【駒曳銭】
あけましておめでとうございます。午年のコインといえば・・・駒曳銭しか思いつかなかったのでアラカルトをお届け。

❶御蔵銭駒曳(寛永駒)
仙台絵銭なのになんで御蔵銭なのかは・・・なんでも戦後仙台伊達家から出現した古寛永の鋳ざらい母とこの寛永駒の鋳ざらい母の製作が近似すること、東北地方で良く見つかることからだそうで、かなり古い時代からある絵銭のようです。
色は黒灰色で浅地の物と南部地方特有の赤い銅質ものが続きます。

❷御蔵銭仙台左駒
面が仙台絵銭の左駒になります。古銭は銭を人の体に例えるので向かって右側を左といいます。ややこしい。南部の銅質。

❸双馬背古寛永
芝接郭もしく仙台濶字刔輪の寛永との組み合わせに見えます。駒曳銭は通常は駒側が面になります。馬をリスペクトしているのです。

❹長門寛永索出し駒
「索出し」はおそらく「つなだし」と読ませると思います。これも駒側が面で広穿になります。企画ものかと思いますが日本の絵銭にも掲載されています。

❺古寛永草喰駒
小笠原白雲居が見つけたという草喰駒絵銭。入手字、「白雲居発掘品ハ小型細縁」という説明の文字がついていました。

❻古寛永折れ綱駒
伝説の武将、渡辺綱が羅生門で鬼の腕を切り落とした際、愛馬の綱が切れたことから「折れ綱」は、悪いものを断ち切る、厄を落とすといった意味を持つようになったとAIは答えていますが、半分はこじつけでしょうね。

似せ(にせ:偽)と似非(えせ)
「にせ」は似せてつくった偽りの品、「えせ」は似ているけど中身が全く異なる見せかけだけの品。格付け的には「似せ」の方が「似非」より上で、言葉としての使われ方もたしかにそう。「似非」の方が卑しい感じがします。贋作も偽の方が似非より上物ということになります。絵銭という言葉の響きにはそのような意味が込められているのかもしれません。

市原市の馬頭観音
観音様なのに忿怒の相で、まるで不動尊のような顔。3面と8本の腕の像が多く、頭もしくは宝冠に馬の頭を戴くのが特徴です。市原市にはなんと400を超える馬頭観音が残されているそうです。(415ヶ所だそうで、どなたが数えたのでしょう。)古来、交通往来の要所であったこと、幕末に鶴牧・鶴舞・菊間の三藩が存在し、農耕文化とともに武家文化が色濃く残されていることも要因かと思います。子育講・出羽三山講や五人組の風習も昭和後期まで普通に残っていました。石仏・碑等が残るのは馬が亡くなった場所や埋葬地・供養された寺院の他、街道沿いに建てられ道標や一里塚等になっているケースもあるようです。画像は大厩から若宮に抜ける道に残る馬頭観音。道祖神神社と呼ばれる小さな祠の周囲にあるもの。年代は不詳。
(庚申塔とよく似ていますが腕の本数が多く、鳥や猿の従者がいません。)。
 
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新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
八厘会のご案内 
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
地下鉄日比谷線・JR京葉線 八丁堀駅より徒歩3分
地下鉄日比谷線・東西線  茅場町駅より徒歩7分
都営浅草線        宝町駅より徒歩5分
JR 東京駅からあおぎり通りを経由して徒歩13分
※八重洲中央口改札から大通りを渡り、右手へ・・・セブンイレブンで左折しあおぎり通りへ
 あとはまっすぐ。八丁堀石川クリニックの隣の庄司ビル3階。その先隣は佐藤調剤薬局。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目19-7 庄司ビル3貝「セキレイ会議室」 
 
     私の古銭史
1971/3 友達の天保通寶(本座広郭)とミニカーを交換 収集品第一号
自宅捜索で安政一分銀を・古銭・記念貨幣・古紙幣発見
1972/1 千葉市の古銭店(大宝堂)で千木永発見 新寛永等の雑銭収集の始まり
1972/4 成績に応じて報奨金もらえる制度発動 泉譜の購入開始
1973/1 不知俯頭通を大宝堂で購入! 12000円
1975/3 中学卒業記念に天保丁銀・四匁六分銀判を購入(お年玉+貯金放出)
1978/3 大学合格記念 横浜ドラゴン商会で、踏潰銭 低寛背一などを購入
1979/10 日本橋高島屋で不知天保張天保を発見・入手 1500円
1982/5~ 島屋文・幻足寛等を通信販売で購入(いったん収集を休止)
1994/ なんでも鑑定団開始 収集再開
1995/秋 入札誌を片っ端から購読開始
富山貨幣研究会の三鍋師のお店にはまる 古寛永の収集はじめる
1997/秋 方泉處7月号購入(隆平堂) → 庶銭会に入会
1998/頃 練馬雑銭の会 入会(会員No13)
2001/5 方泉處解体の報告を札幌で聞く(現地旅行中)
2002/4 浅草古銭会設立(旧方泉處) 入会(2004年解散)
2003/春 島屋文小頭通細縁 入手 石川諄師との出会い
2004/4 新寛永通宝分類譜 作成開始
2007/4 練馬雑銭の会に初参加 故、暴々鶏師 天保仙人師 等との出会い
2011/1 下町個古泉会の赤坂師の紹介で日本貨幣協会へ入会
新・古寛永 絵銭寛永 密鋳寛永 天保通寶と収集変遷
 
 
愛読書だったもの 
日本貨幣カタログ これは初心者が必ず買うもの。発行枚数を調べて特年探し。
貨幣手帳 穴銭に目覚めるきっかけ。地方銭もこれで調べました。
新寛永銭鑑識と手引 はじめて自分で買ったと言える泉書。これは熱中しました。
古銭と紙幣 矢部倉吉氏の著。これも本当に読んだ本。島銭にあこがれました。
コイン利殖入門 ジャンピングインディアンやワイマール銀貨などを購入。
穴の細道 本がバラバラになるほど愛読・熟読。中国穴銭に目覚めた瞬間。
符合泉志 穴の細道によって符合銭に目覚め購入。しかし挫折もしました。
清朝泉譜 康熙銭・順治銭などずいぶん集めた時期もありました。
天保泉譜 (勢陽譜) 超愛読書。大学生時代に張点保を見つけたときは狂喜した。
古寛永泉志 収集を再開した頃は古寛永に燃えた。ボロボロになるまで読んだ。
穴銭入門 新寛永の部 これも収集を再開した直後に購入。版違いで3冊を愛読。
季刊 方泉處 日暮里の隆平堂で発見購入。私の中で何かがはじけた。
新寛永通寶図会 この本の影響で計測に目覚め、ノギスを買ってしまいました。
月刊 収集 もう30年ぐらい愛読しています。私の知識の原源ですね。
天保通寶と類似カタログ 複数冊購入。持ち運びやすく便利
不知天保通寶分類譜 不知天保通寶狂いの原因。この泉譜原品は実に多い。
久泉研究資料 古寛永の計測比較には欠かせない存在。