戻る     進む  
 
制作作日記
2022年1月~12月31日分まで
ご意見、ご感想はこちらへ
画像投稿もOKです。
JPEG・GIF形式でお願いします。
解像度は200dpi程度が適当です。
匿名メール質問にはお答えできません。
住所・本名をお知らせください。
メール
交流サイトに投稿もできます! 
→ 雑銭掲示板Ⅱ
→ 雑銭掲示板アーカイブ
→ 2021年の記事へ
中字純白銅母銭 打印銭寛永省寶
新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
 
制作日記バックナンバー   
2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年
2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年    
 
分類目次( INDEX)
更新略歴 古銭用語の基礎知識   逆引き新寛永事典   逆引き古寛永事典 逆引き天保銭事典
制作日記   2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013
2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021    
新寛永通寶 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30          
古寛永通寶 10 11 12 13 14 15 16 17
寛永鉄銭   石巻銭母銭聚泉譜   南部藩母銭聚泉譜
天保通寶 天保銭極印図鑑    天保通寶覆輪刔輪マニアック講座
文久永寶   美星倶楽部   奇品館 秘宝館   番外随想掘出物の記憶 
新寛永通寶
拡大画像サーフイン
 
10 11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24 25 26  27            
貨幣クローズアップ寛永通寶      密鋳銅一文の観察箱   天保通寶銘品館
銭の細道大量見聞録     おたずねもの集    穴の細道/新寛永編 
錯笵銭物語  贋作者列伝   泉家・収集家覚書   泉書探訪   改造銭物産展
密鋳四文銭タイプ別研究分類 江刺銭の細分類研究譜   H氏密鋳銭コレクションBOX 
特別展示室1 特別展示室2   春の古泉会展示室  文銭入門講座/基礎の基礎
夏の古泉会展示室    H氏天保銭秘蔵録     踏潰銭分類考   密鋳銭アラカルト
特集記事 
新寛永色見本 白銅銭について 母銭について   面背逆製の寛永通寶  撰銭の達人 現る!!  
翁草に記述された鋳銭の様子 短尾寛方冠寶通用銭の発見 正字背文 寛上削輪 について
そっくりさん集合! 1 そっくりさん集合! 2 そっくりさん集合! 3    そっくりさん集合! 4
類似銭の書体比較   浄法寺銭の金属分析 入札とオークション 細縁と濶縁について  
島屋文小頭通細縁について すごい!中字背文跳永 すごい!細字勇文 毛利家手本銭ギャラリー
古銭みちしるべ 縮字背文(裕文)深冠寛 幻の寛永通寶明和期離用通面刔輪背削波
島銭様の寛永通寶 祝 新発見!深字背太一文跳永 退点文の超大型銭(廃棄母銭)
白い文政小字 新発見?会津勇文手短貝寶 伏見手破寛(次鋳)について   正字背勁文円頭辵
深字背文破寛本体と手替り 新発見 勁文短尾寛鋳浚い母銭 元文期背正佐異爪寛について
ひみつ
 
八厘会(天保仙人様が主催する古銭会)
天保通寶の研究を中心に、各種泉談が満載の会です。

例会日:原則として8月・12月を除く毎月第4土曜日
 
12:00 開場・受付
12:30 『楽笑会』骨董美術何でもオークション
14:00 『八厘会』天保通寶研究など
15:00 盆回し式入札会
16:30 終了(後片付け)
会費:500円(大学生以上の男性のみ。付添者は無料)
電話:090-4173-7728(事務局 日馬)
東京駅地下1F「八重洲中央口改札」→八重洲地下街突き当り右「24番出口」へ →
→ 左側「銀座・京橋・中央通り」階段上がる(地上へ)→ しばらく歩き「久安橋」を渡る
→ 「久安橋」を渡ったすぐ右手にある「麺屋一(はじめ)」のビルの3階が会場です。
※八重洲中央口改札からほぼまっすぐ徒歩12~14分のイメージです。

会場住所:東京都中央区八丁堀2丁目1-2 
    「八丁堀水澤ビル」3階 コンビニエンス・スタジオ「サムシン」

 
Google
WWW を検索 このサイトを検索
 
貨幣そうだ!「貨幣」を読もう!
貨幣誌は戦前の東洋貨幣協会時代から続く、現存する最も古く、かつ権威ある貨幣収集愛好家団体です。貨幣収集趣味が衰退している昨今、生で勉強できる貴重な研究会場であるとともに、情報収集することもできる交流の場でもあると思います。かくいう私、会費は払ったものの、例会には参加したこともなく、果たして正式会員であるかどうかも分からない幽霊です。まあ、今でもこの情報誌が送られてくるから会員なんでしょうね。
日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので、その気のある方、私のように地方在住で仕事の関係で参加できない方も、情報収集アイテムとしてご参加・ご活用ください。
入会申し込み先
〒243-0413 神奈川県海老名市国分寺台1-15-14
日本貨幣協会事務局(副会長) 吉田守 ☎090-7839-4437
郵便振替00110-0-8563 日本貨幣協会 

※年会費は5000円だったと思います。この記事は勝手な応援広告なので必ずお問い合わせください。
       
古銭関係リンク
 
【メール投稿に関するお願い】
ウィルス駆除の過程で、保存していた過去メールを隔離状態にしました。そのため保存していたメールと添付データのかなりの部分が閲覧不能になり、投稿者の身元確認ができなくなりました。

つきましてはまことに恐れ入りますが私に直接メール投稿される場合につきましては
①住所
(必須)
②お名前
(必須)
③雑銭掲示板のニックネーム(任意)
④電話番号(任意)
⑤プロフィール(任意)
をメールに記入しお送りいただきますようお願い申し上げます。
身元確認ができないメールは過去に投稿歴があっても削除対象になることがあります。
なお、雑銭掲示板はより安全な媒体ですので、個人的な連絡以外は記事投稿はそちらにお願いいたします。 
 
鳳凰山 神野良英 著
知命泉譜


(壱)愛泉家雑記
(弐)アテネのフクロウコイン研究
(参)寺社札入門(紀伊・河内編)
鳳凰山 神野氏が「知命泉譜・参 日本古紙幣の部 寺社札入門(紀伊・河内編)余禄・古札寛永のススメ」を3月30日に上梓しました。書信館出版から2000円(税別)で購入できるようになります。 これで3冊目、(壱)が愛泉家雑記「皇朝銭雑記」「鐚銭雑記」「寛永銭雑記」をまとめたエッセイ集。(弐)が外国コインの部「アテネのフクロウコイン研究」余禄・古代インドコインから。(参)が寺社札なら(四)は絵銭かそれともエラーコイン?それとも専門の符号銭かしら? 鳳凰山師のゼネラルコレクターぶりには頭が下がります。数度しかお会いしたことがないのですが落ち着いていて、世の中を達観されている雰囲気が全身からあふれています。私のように全身から加齢臭を漂わせている煩悩満載コレクターとは格(人格?)が違いますね。私は知命の年齢(数え50歳)をとうに過ぎてしまいましたが古銭は「痴迷の領域」を未だにさまよっています。 
 
→ 中郭の分類(浩泉丸の見解)      → 中郭狂騒曲
→ 雑銭掲示板アーカイブ  
 
Joseph Hayden氏の論文の意訳・・・自信ありませんがこんな内容かと・・・
(少しずつ進めます・・・)
 
寛永通寶(11波銭)における組成分析研究 Joseph Hayden 2022.6.5

従来の古銭研究では寛永通寶の11波銭の(少量の鉛成分添加のある)明和期のものは真鍮質で、(多量の鉛成分添加のある)文政期銭は赤く発色し、(同じく多量の鉛成分添加のある)安政期は黒もしくは暗い発色を呈するとされています。これらの色については合金の組成の違いによるものもしくは原材料中の少量の混入金属成分によるものとされています。
以上の知見に基づき、8枚の波銭(11波)の色を観察し、さらに比重、磁性、そしてその金属組成の主成分の含有量を計測しました。
その結果によると、(実際には)銭の金属組成はかなり広範囲に変化するため、発色が鋳造年代を比定するための決定的な指標とは言えないことが明らかになりました。一方で、鉛含有量と比重の方が(発色より)信頼できる指標となりえることも分かりましたが、鉛含有量と比重の関係性では比重は(金属の組み合わせによって)ばらつきがが大きいため、年代の比定の決定的なものと言えないことも分かりました。

1.寛永四文銭の基準金属組成

時 代: 銅(Copper) 亜鉛(Zinc) 錫(Tin) 鉛(Lead)  
明和期(1769-1788) 68% 24% 8% 0%
文政期(1821-1825) 75% 15% 0% 10%
安政期(1857-1859) 65% 15% 0% 20%

2.(実際の)金属組成から予測される比重

時 代 :色 (探査目標)金属組成   比重(重量/体積)
明和期(1769-1788) 真鍮色(黄銅色) 銅68%・亜鉛 24%・錫8%・鉛0% 8.30
明和期(1769-1788) 真鍮色(黄銅色) 銅68%・亜鉛 24%・錫0%・鉛8% 8.58
文政期(1821-1825) 赤褐色 銅75%・亜鉛 15%・錫0%・鉛10% 8.81
安政期(1857-1859) 黒 色 銅65%・亜鉛 15%・錫0%・鉛20% 8.99

3.8枚の抽出サンプル寛永通寶11波銭の外見観察と比重

番号 表側の色 裏側の色 比重 目視基準による判定

A 赤褐色
B 真鍮色( 帯黒真鍮色)
C 褪せた真鍮色
D わずかに黒い真鍮色( 褪せた真鍮色)
E 黒味のある真鍮色
F 黒褐色
G 赤褐色
H 黒色(黒変色)
 
8月24日【琉球通寶半朱の密鋳銭】
密鋳半朱の記事は月刊天保銭42号に詳しく掲載されています。昭和63年の4月に薩摩藩の隣国の細川藩ぼ領地内(水俣)において、鋳銭場跡とともに2枚の半朱が発掘されています。その特徴は鋳写しであり、内径が1㎜程度縮小していること、正規銭よりやや赤みのある銅質で鋳肌が粗いこと、わずかに薄肉であり広穿・・・そのため背郭が細くなることなどが挙げられていますが、これらは2枚の出土銭を元にした考証にすぎないので、必ずしもすべての密鋳銭に当てはまるわけではないと思います。あるいは類似カタログに掲載されている濶縁銭もひょっとしたら密鋳銭なのかもしれません。(調べると本炉の扱いになっているようです。)密鋳地は薩摩領外というのがミソで他国領内通貨の密造ならば自国の経済に直接及ぼす影響は少なく、薩摩藩も直接取り締まりもできないし、自国からのお咎めも他国の貨幣なら及びづらいと考えたのでしょう。水俣は薩摩との交易拠点でもあったようで、その意味で琉球を密鋳半朱する意義があったと思われます。
半朱は30g以上あるのが通常ですが、今回ヤフオクに出ていた品は23.6gと天保通寶ほどの重さで10gほど軽量です。
ただし、琉球通寶半朱銭の研究によると意外なことに直径は44.4㎜から40.6㎜までが存在し、重量も37.5gから23.4gまであるようで、製作にもばらつきがみられるようです。こればかりは数を見ないと分かりません。今回の品は直径43.3~6㎜、内径35.85㎜程度・・・この資料によると普通銭と同じなのでちょっと不安。少なくとも水俣の密鋳の記録には合いません。
ですが、琉球通寶半朱銭の研究によると密鋳銭は大様銭からの写しが多いようでこのサイズであっても問題ないようです。大様の半朱は100~200枚に1枚見つかるそうで・・・母銭サイズのものなのだそうです。初鋳でできも良いので母銭にはうってつ・・・これは見てみたいし欲しいなあ。
琉球通寶半朱にこんなにサイズ違いがあるなんて、数を見たことのない今の私にはなかなか信じられないですね。しかも覆輪も刔輪も濶縁もある。おそらくこの中にも密鋳に類するものもあるんじゃないかしらと勝手に思っています。寶横の極印の有無と製作の違いが密鋳か否かの判断の違いだそうで、たしかにこいつは極印ははっきり確認できないし、鋳浚いのような痕跡もあるので密鋳でよろしいような気がします・・・が、まだ自信がないなあ。とにかく、半朱のバラエティは私の想像以上なのでして、見たことのないものがまだたくさんあるのです。これについてはまだ探求しがいがあると思います。
 
8月21日【関東Hさんから再び】
この方の天保通寶収集熱の勢いは止まらないですね。ネットだけでなくオークション、入札、、個人相対取引まで幅広くアンテナを張られているようで・・・もはや下々のものはお目こぼしを願うしかないようです。
①長郭手深淵は細郭手の重量銭と同時期にネットに出ていたもので・・・え~、こんなに大きかったのと驚いています。 ②は同種の品で天保通寶分類譜では仰宝大字、英泉研究分類譜では肥二天連玉宝という名前で出ているそうです。特徴は横幅のある覆輪刔輪銭で寶王の末画が寶貝からわずかに離れて連玉尓になる癖があります。この不知銭は触ってみるとすぐに分かるものでまるで碁石に触れているような不思議な感覚を覚えます。<br>
③はCCFに出ていたaペン書様・・・私も郵便応札していました。文字が委縮していて広い銭面に比べてかなりの縮字になっています。浅字でなんかちまちましてますね。卵型の銭径も独特です。<br>
④はずんぐりした素朴な長郭手張足寶。長径に比べて銭文径が縮んでいて実にかわいい。郵便応札していてこれも敗れ去りました。これは私好みです。<br>
⑤の長郭手覆輪もCCFの獲物。大ぶりの覆輪銭で刔輪もそれなりにあるようです。<br>
⑥は離郭正百濶縁。なかなかの珍銭なのですがオークションでは売れ残ったそうですけど、追加購入されたとか。状態や銅色から本当に福岡なの???という雰囲気でしたが、極印は間違いなく福岡の小さな六角型のものでした。

昨日、数年ぶりに東京のコイン店・・・中野の野崎コインに顔を出しました。実は子供の習い事の関係でコロナ以前から毎週のように石神井公園周辺に出没していましたのですけど、はじめて訪問した次第。でも人が多い地域なので怖くて・・・。それでもの親父さんは私のことを覚えてくれていました。石神井から6~7㎞の距離ですけど渋滞で大変で、また、中野駅前の駐車場料金の高いこと・・・さすが東京。もう少し時間があればよかったのですけど、今回は収穫無し。こういったお店はなくならないでほしいですね。
長郭手 深淵
長径50.02mm 短径33.35mm
銭文径41.0mm 重量21.92g
長郭手 深淵
長径49.87mm 短径33.12mm
銭文径41.0mm 重量21.69g
長郭手 ペン書様
長径49.90mm 短径33.32mm
銭文径40.8mm 重量26.44g
長郭手 張足寶肥字
長径49.20mm 短径31.94mm
銭文径40.0mm 重量17.35g
⑤長郭手 覆輪
長径48.54mm 短径32.40m
銭文径40.20mm 重量20.27g
離郭濶縁正百
長径49.60mm 短径33.14mm
銭文径41.3mm 重量25.03g
 
8月14日【縮通】
大和文庫に出ていた不知銭は萩の縮通でした。画像では濶縁の大ぶり銭に画像では見えたのですが・・・はい、普通の品でした。画像だけの判断は難しいですね。色合いも思ったより黒っぽいです。
長径48.75㎜ 短径32.7㎜
銭文径40.4㎜ 重量18.8g
状態はまずまずと言いたいのですが、背側にあたりがあって郭を中心に銭体に歪みがありました。残念。
 
不知細郭手覆輪存痕厚肉重量銭
長径49.5㎜
短径33.3㎜
銭文径41.1㎜
重量29.6g
肉厚2.9~3.2㎜
8月11日【細郭手重量銭】
古銭リハビリもいい加減にしないといけませんね。この細郭手、ストレス解消とばかりに超強気応札して放っておいたら10万円近くまで行ってしまいました。これでは別のストレスになりそうです。
さて、今回入手の細郭手は29gを超えています。ネットに出たとき「たぶん、記載間違いだろうな」・・・と思いながらも質問すると競争が激しくなるのでぐっと我慢。かくして落札したものは文句なしの結果でした。立派な覆輪銭で、極印は小さな桐が逆打ちされており、寶下には刔輪痕跡も確認できますが、書体変化はほとんどありません。
昨年の8月18日に所持する天保銭の重量を調査して披露しましたが、当時一番重い不知銭は28.2gの長郭手でしたので(細郭手は26.2g)今回の入手品は間違いなく不知銭最高記録になりました。そこで天保通寶の肥満度を示すTMI指数を考案発表していますが、その計算式に当てはめるとこの細郭手は1.21という数値になります。こうして見ると1.1を超える不知銭はめったにないことがわかります。関西のTさんの縮径超厚肉銭のすごさがよくわかります。0.01ポイントの差が果てしなく遠い。皆様もチャレンジしてみてください。
TMI指数の求め方
重量g÷(長径㎜×長径㎜)×100
※本座の標準銭は0.85前後になります。1.0を超えればまずまず厚肉、1.05を超えればかなり厚肉。逆に0.7を切ればかなり薄肉。薄肉では私の記録は0.53(銅山手:11.7g×長径47.2㎜) 
番号 銭種類  細分類 重量g 長径㎜ 重量長径率   番号 銭種類  細分類 重量g 長径㎜ 重量長径率
👑 細郭手 覆輪存痕厚肉重量銭 29.6 49.5 1.21  
1 長郭手 極厚肉銭 28.2 48.7 1.19 1 会津藩銭 短貝寶極厚肉大様 25.0 49.5 1.02
2 長郭手 覆輪刔輪宏足寶厚肉 27.6 49.1 1.14
3 広郭手 細縁厚肉異極印 26.6 48.4 1.14 2 薩摩藩銭 広郭厚肉 30.7 49.4 1.26
4 長郭手 厚肉覆輪刔輪 26.6 48.8 1.12 3 薩摩藩銭 広郭厚肉白銅質 30.7 49.4 1.26
5 長郭手 過重量銭 26.6 49.1 1.10 4 琉球通寶 中字極厚肉 30.6 49.6 1.24
6 長郭手 覆輪強刔輪宏足寶白銅 26.4 49.8 1.06 5 琉球通寶 広郭厚肉 30.5 50.2 1.21
7 広郭手 厚肉 26.3 48.2 1.13 6 琉球通寶 中字極厚肉 29.6 49.2 1.22
8 細郭手 縮形厚肉美制 26.2 47.7 1.15 7 琉球通寶 中字厚肉 27.6 49.7 1.12
9 長郭手 鋳写楔形 26.1 49.3 1.08
10 中郭手 崩字厚肉異極印 26.0 49.0 1.08 8 盛岡藩銭 銅山手次大様 25.0 49.0 1.04
11 細郭手 覆輪赤銅質無極印 25.9 49.8 1.05 9 盛岡藩銭 銅山手大様 24.1 49.4 0.99
12 長郭手 覆輪刔輪細字大頭通 25.7 48.2 1.11
13 長郭手 縮形背横穿異極印厚肉 25.5 48.4 1.09 10 室場銭 覆輪刔輪反玉寶鋳放 25.7 50.1 1.02
14 長郭手 覆輪厚肉細点尓 25.4 48.9 1.06
15 細郭手 厚肉赤銅質 25.3 48.2 1.09 11 本座 広郭厚肉 25.8 49.2 1.07
16 中郭手 過重量銭 25.0 47.8 1.09 12 本座 広郭厚肉 25.6 49.2 1.06
17 長郭手 厚肉異極印(花桐) 25.0 48.0 1.09 13 本座 広郭厚肉 25.6 49.2 1.06
18 長郭手 覆輪強刔輪宏足寶白銅 25.0 49.6 1.02
19 長郭手 覆輪厚肉 24.9 49.0 1.04 14 福岡藩銭 離郭厚肉 27.1 49.2 1.12
20 長郭手 覆輪長足寶 24.9 49.5 1.02 15 福岡藩銭 離郭広郭玉持極印 25.3 49.2 1.05
21 長郭手 小様白銅質厚肉 24.8 48.6 1.05
22 長郭手 覆輪厚肉縮形 24.5 48.2 1.05 16 萩藩銭 曳尾広郭俯頭通厚肉 25.1 49.7 1.02
23 細郭手 大濶縁様 24.5 49.2 1.01 17 萩藩銭 平通 24.9 49.6 1.01
24 長郭手 奇天手 24.5 49.3 1.01 18 萩藩銭 曳尾白銅質短尾通 24.3 49.5 0.99
25 長郭手 厚肉異極印 24.4 48.8 1.02 19 萩藩銭 平通 24.3 50.0 0.97
26 長郭手 覆輪刔輪仰頭通離貝寶 24.3 48.6 1.03
27 長郭手 覆輪浅字 24.3 49.3 1.00 20 浄法寺銭 長郭写極厚肉 31.8 49.0 1.32
28 長郭手 覆輪厚肉 24.2 49.1 1.00 21 浄法寺様 長郭手厚肉 27.5 48.2 1.18
29 細郭手 覆輪(面刔輪) 24.2 49.2 1.00 22 浄法寺銭 銅山手鋳放 24.1 52.0 0.89
30 長郭手 覆輪濶縁背存痕 24.1 49.5 0.98 23 後鋳 広郭手厚肉白銅質 30.6 48.5 1.30
24 後鋳 長郭手厚肉 26.5 48.8 1.11
- 長郭手 縮形極厚肉銭(T氏) 28.3 47.7 1.25 25 後鋳 薩摩広郭手 26.6 48.9 1.11
 
不知長郭手細縁縮径
長径47.75㎜ 短径31.6㎜
銭文径41.05㎜ 重量20.2g
 
不知長郭手覆輪強刔輪削花押
長径49.15㎜ 短径32.65㎜
銭文径41.0㎜ 重量20.6g
8月5日【CCFの収穫品】
CCFの落札品がもう届きました。関東のHさんの収集品には比べるべくもない品々なのですが、収集品が増えるのはうれしいですね。
1枚目は「一番小さくてみすぼらしい不知天保銭」です。覆輪刔輪という命名でしたが刔輪はともかくこのサイズで覆輪はちょっと名乗りがたいですねぇ~。大きさは47㎜台なのでやはり細縁縮径ですね。穿内部はべったりやすりでどちらかと言えば粗造銭ですね。寶足が若干長いので寶下の刔輪は見られますが目立った加刀変化はないようです。

2枚目は強刔輪銭です。細縁ですけどこれは刔輪の結果で立派な覆輪銭です。銅色は本座と同じで穿内仕上げはとても滑らかで、製作面の丁寧さは本座並みかそれ以上と言える一方で彫りは意外に浅いのです。刔輪の強さは天上と當冠上の離輪ぶりを見れば一目瞭然ですね。寶足は鋭く長く、張足寶と宏足寶の中間ぐらいと言っても良いぐらいです。細縁のため横幅がゆったりした印象を受けます。銭名の由来の削花押ですけど、頭の部分が強いカーブを描きます。また、角の一番上と二番目の間の付け根が加刀で離れます。袋の部分に加刀のある削花押は良く見られるので「削頭花押」といった方が分かりやすいかもしれません。
 
8月4日【CCFの結果】
CCFは郵便応札しかできませんでした。私の住んでいる市では連日400人以上のコロナ患者が出ていますし、何より大学生の娘が感染者になってしまいましたので、これで出かけていたら非難ごうごうですよね。(現在は無症状で隔離療養中。同居してませんので。)
さて、CCFですけどやはり参加しないとだめですね。郵便入札だとそのちょい上で落されてしまう・・・オークショナーが郵便入札額をポロっと明かしてしまうことが多くて・・・と考えるのは被害妄想か現実か?負けたもののほとんどがワンランク上で落ちているので疑心暗鬼になってしまいます。思い切ってペン書手も狙いましたが・・・その通りの結果でした。負けたけどよく頑張った。
落ちたのは2品。高いからたぶん誰も入札しないだろうと考えた削花押・・・でも高いなあ・・・これ10万円以上は高いなあ。Hさんはよく見かけるとおっしゃってたし。(2021年9月7日制作日記)その昔、江戸コインオークションの誌上入札(2014年5月30日・8月10日制作日記)に出ていたときは関西の大収集家の玩多夢師が10万円以上で落札していて感心したものでした。ですから今回の価格は妥当と言いたいのですが・・・やっぱり私にはきついなあ・・・と思いながら負けるものかと応札。で、無競争で落札した模様です。私はなかなか玩多夢師のような気持ち(身分?)にはなれないけど、まあ、いいか。リハビリだぁ!
もう一品も無競争。一番小さくてみすぼらしい不知天保銭です。これも書体変化がなさそうなので2万円は高いけど・・・リハビリだぁ!。その他、寛永銭も含めて全滅・惨敗・・・こんなもんですね。

※記録を見ると玩多夢師には一度お会いしているらしいのですが、どうしてもお顔が思い出せない。まあ、私も滅多に古銭会には出ていませんので・・・。
※本日、猛暑の中伊予ヶ岳を登りました。さすがにきつく、(たぶん)熱中症でふらふらになりました。ほぼ無風で体温が下がらないし、最後の岩登りが暑いこと。それに山頂は直射日光をよけられる場所が少ないから・・・木陰で水分を取りながら(凍らせた飲料を首筋にあてて)時間をかけて回復を待ち、休み休み降りましたが、あぶなかった。もう、景色どころじゃなかったです。真夏のハイキングはしばらく休むべきかもしれませんね。(麻綿原高原と高宕山の時は何とかなったのですけど・・・)
 
8月2日【投稿画像】
更新をお休みしている間も、皆様からいろいろ頂いておりましたので・・・。
上段は関西のS様から頂戴した鐚永楽の珍品の画像。600枚ほどの永楽の雑銭の中から出てきたということですが、これはあの有名な曲永大字じゃないですか。鐚永楽としましたが、実際には新規母銭によるもので永楽としては最高人気を誇るものです。位は本邦鐚銭図譜によると小珍・・・これは珍の上のランクなんですよね。このクラスは中正や流永といった超有名役物が並びます。寛永通寶では島屋文クラスかそれ以上相当であり、天保通寶ならそれこそ会津萎字や奇天手でしょうか。この曲永大字は掘り出し事例の報告はいくつかあるものの私も実物を直接見る機会に恵まれていません。
一厘の画像は侍古銭会のタジさんこと健仙童様からのもの。なんでも一厘をまとめて手に入れたそうで、じっくり眺めていたら手替わりをいくつか見つけたとか。
とくに輪の幅についてはこの画像で見ても明らかに異なります。私は近代日本貨幣の手替わりについてはほとんど知識がありませんが、この違いは注目に値します。ただ、こんなに目立つ違いが今まで見逃されているとしたら信じがたい。心配なのは贋作でして、こういった少額貨幣にも最近怪しい品が紛れ込んでいるとかいないとか・・・願わくば私が小耳にはさんだ(気がしている)噂がガセネタであって欲しいです。こんな濶縁の一厘、本当にあるんですか。どなたか教えてください。
 
7月29日【叶手元祐無背】
日本の初期鐚銭については謎が多いのですが、この叶手についてはかなり突っ込んだところまで研究されています。文献が少ないのであまり知られていないと思いますが、鋳銭関係者の中に真木一左衛門なる人物がいて、名前の一宇文字を背文としたことに加え隠れキリシタンに関する諸説を裏付ける証拠が発見されているなどもっと称揚されても良い銭貨だと思うのです。詳細は坂井博文師著の図説豊後元祐の研究に詳しく書かれておりますので、頑張って探してください。実はこれ、歴史研究文献としてもかなりの力作なのです。
さて、画像の叶手元祐曲元はたしか無背のみに存在する書体で一風変わっているので私もなんとなく覚えていました。代表銭の背叶の文字は「聖杯と十字架」を表しており雑銭コレクターの必須アイテムなのですが、有背銭に比べ無背銭はどちらかというと地味で人気はいまひとつ…どころか全然ない。この曲元も市場評価はそんなに高くないと思っていましたが、美銭だということでちょっとした競争が生まれてしまいました。高騰の理由に文源郷師の出品という信用もあったと思います。
ところで、無背銭の中に小字とされるものがあり、位がたしか2~3位だったと思います。実は40年以上前にデパートの催事で雑銭の中に無背叶手が大量にあるのを発見。しかも小字が複数枚あって夢中になって拾い出した記憶があります。一度ヤフオク(収集だったかもしれない)でその小字を出してみたら5000円以上の値段がついて驚いたことがあります。そのときは調子に乗って開元の隷書や康熙通寶背台大様なども出してしまったと思います。(ああ、もったいない。)小字の無背は1枚ぐらい残っていたと思うのですが最近あまり見てないからどうなっているのか・・・。
【関東のHさんから】
削字の名前がぴったりの不知銭です。特に寶字への加刀がきつく寶王の縦画と最終画が失われています。覆輪刔輪銭で独特の横太り銭形も特徴です。
 
細郭手削字瑕寶
勢陽譜、不知天保通寶分類譜、英泉研究分類譜・還暦記念譜、大橋譜、類似カタログ原品
長径49.44mm 
短径33.06mm 
銭文径41.0mm 
重量15.52g
細郭手の超有名銭。この一枚は草点保としてはかなりの大ぶり銭だと思います。
細郭手草点保
(陰起文・未使用肌の残る大様銭)
不知天保通寶分類譜、大橋銭譜、天保銭36号、英泉譜研究分類譜
長径49.34mm 
短径33.16mm 
銭文径40.6mm 
重量21.23g
小郭と大広郭があり、たぶん藩鋳銭として認定されている天保通寶では人気、希少度では最高峰のものだと言えます。
会津藩銭萎字小郭
長径49.29mm 
短径32.92mm 
銭文径41.4mm 
重量20.82g
この不知銭は加賀千代太郎作の噂の絶えないもの。嵌郭を行う理由が分からないだけに賛否両論があります。銅質もちょっと新しく感じるなあ・・・。
不知長郭手嵌郭 
青宝楼昭和10年譜、不知天保通寶分類譜、名古屋泉譜、大橋譜、勢陽譜、趣味教室原品
長径49.27mm 
短径32.38mm 
銭文径40.9mm 
重量20.02g
 
いやはやすごい品ばかりです。古銭リハビリをしたいのですがHさんの前に向かうところ敵なし。本日はCCFだったのですがコロナもあって見送りです。よせばいいのに炎天下の中を山歩きをしてヘロヘロになった後で映画館でレイトショーです。別に見たい映画があるわけではないのですが、気を紛らわしたので・・・。
 
7月22日【面背逆製天保】
Ⅰさんからヤフオク経由で分譲頂いた品。なぜか競争がほとんど起きませんでしたが、地味ながらもっと称揚されても良い品だと思います。
面がやや浅く、郭内は鋳肌が残り、面側から軽くやすりが入ります。郭内のテーパーも逆で面より背の方が広穿ですので面背逆性は間違いないところですけどこれは気が付きにくいですね。見どころとしては背側の刔輪が強く細縁になっているところ。輪際のぐりぐり加刀が美しい品です。改めて名前を付けるとすると、不知長郭手背強刔輪細縁面背逆製かな?覆輪刔輪銭ですけど輪が細いので覆輪には見えませんね。Ⅰさんは良くこんな品見つけたものです。銅色は鮮やかな黄銅色で同じような天保通寶は少ないながら存在します。
長径48.7㎜
短径32.5㎜
銭文径40.5㎜
重量20.0g
※小数点第二位で四捨五入。
最近入手した品。古銭リハビリです。長径49.67㎜、短径32.88㎜、銭文径42.2㎜、重量25.6gとかなり大きい。実はヤフオクには離郭白銅質とあり、通常の2倍の価格で落しました。間違っていることは承知の上なので結果は気にしません・・・リハビリですし。見ての通り未使用ですけどうっすら鍍銀のかかったものでした。離郭の母銭は錫のメッキのようなものがかかっているものが見られるので、あるいは何らかの関係があるかと思ったんですけど、どうもそれ以上の進展はなさそうです。
寛永通寶は寛永通寶の大家、文源郷師出品の繊字狭文大型銭25.6㎜。
25.6㎜とはずいぶん大きい。郭内は滑らかで郭内の角仕上げが一ヶ所甘いのですけど母銭と言っても良い気がします。歪みが少しあるのですけど3000円だからねえ。好奇心を満たすために無駄遣いをしています。
 
7月5日【癒しの天保通寶】
関東のⅠさんから頂いた品。え、こんな品頂戴してしまって良いのかしら・・・そんな品です。
しかし不思議な品です。銭文径から見て一度写しの品。ただ、過剰なほどの加刀と鋳肌への加工もあると思います。またこの変色が着色の可能性もあるだけに判断は難しいですね。手にするとかなり薄く感じるのにずっしり重く、色合いから見て純銅に近い赤銅で真鍮ではないと思います。製作や書体は文字や輪の周りがぐりぐりと彫られていて一部書体を破壊するほど。花押の頭など加刀によって真っ二つに割られています。ただ、過剰すぎるほどのこの加刀をどう見るべきか?
一方、側面には小さな切極印が逆打ちされています。この点はかなり好印象です。乞い言った行き過ぎた加工銭は普通は後鋳を強く疑うものですが否定すべき材料が全体の印象以外に見当たりません。おそらくⅠさんもかなり迷っていたと思います。私もこれ以上は分かりません。砂目が全く感じられないのも怪しいのですが、削頭天やで尨字の類にこんな肌が見られると思います。人により真贋、好き嫌いの判断が分かれる品で私も以前Ⅰさんにそうお答えしたような気がします。泉譜にも類品はなかったと思います。奇書削字と仮命名し、愛で心を癒したいと思います。
この状態では何とも言えませんので類品の出現報告をお待ちしています。ひょっとしたら大珍品の香り・・・Ⅰさんありがとうございます。
長径48.64㎜
短径32.44㎜
銭文径41.21㎜
重量22.9㎜
 
7月4日【妻とのお別れ】
古銭収集の趣味というのはどこか後ろめたいものがあり、私も例外にもれず結婚するまで古銭収集の趣味について話すことができませんでした。新婚生活は2001年に私が妻の住むマンションに転がり込む形ではじまりました。お互い遅い結婚でしかも職場結婚。妻は古銭には全く興味がなかったのですが、干渉することもありませんでしたので、まあ大人の対応といったところでしょうか。私に次いで大量の古銭が転がり込んできたので呆れたのかもしれません。
結婚式は挙げず新婚旅行は北海道の春スキー・・・札幌に立ち寄った際、方泉處見学をしようと目論んだところ閉館の知らせを聞いたのが衝撃でした。旅行費用の捻出に手持ちの古銭をはじめて売却したのも良い思い出です。2004年にこのHPを立ち上げたことにより古銭収集熱が上昇しました。仕事も忙しく子育ても大変だったので妻と出かける機会がめっきり減りました。
子供が成長し、手がかからなくなると今度はそれぞれの両親の介護や終活が忙しくなります。
2016年に私の両親が(私らの)新居の隣に引っ越ししてくる半同居生活+実家整理がはじまり、やがて妻側の実母の生活支援も始まります。
二人で夜の散歩を盛んにするようになったのもその頃からで、コロナ禍になってからは共通の休日の土曜日は千葉の低山を中心に盛んに歩きました。妻はべたべたするのは大嫌いで手も握らせないほどですが、「歩きに行く?」と聞くと必ずついてくるし、また誘ってきました。
10㎞以上歩くのが普通で、大概15㎞以上・・・時には20㎞ほど歩くこともありました。養老渓谷や大福山、鋸山、高宕山、伊予ヶ岳、麻綿原高原等はお気に入りで幾度も訪れたものです。古銭に関係ない話・・・には妻が必ず参加していました。そんな妻に病変が見つかったのが今年2月、それでも歩くのをやめず最期になった手術直前の山歩きでも12㎞歩いています。それどころか私が疲れたので夜歩くのをやめようと言っても一人でいってしまうぐらいでしたが、歩行速度はめっきり遅くなっていました。
5月に受けた手術の経過が思わしくなく、退院後も体調不良を訴え続けていました。当初、ステージ1bと言われていた癌肉腫は手術前検査でステージ2となり、術後の説明でステージ3b・・・病理検査でステージ4bにまで上がりました。それでもあきらめることなく在宅復帰を目指し頑張りましたが、6月10日に体内転移が確認され自尿排泄ができなくなり入院し腎瘻になるとついに仕事をあきらめざるを得なくなりました。その決意が何を意味するのか・・・私には痛いほど分かりました。
八方手を尽くし、短期間で腎瘻の処理を学び介護体制を自宅につくると再入院から5日間で退院。腎瘻は一生抜けないから身障者になっちゃったと笑っていましたが、その一生もいつまで続くか分からないことも分かっていました。人生の終着駅がすぐそこにありました。最期は自宅で迎えたいと頑張りましたが苦しみに耐え切れず再入院。ようやくモルヒネ投与が始まりました。一時的に体調が戻り、穏やかになったものの長くは続きません。自尿排泄機能が再び低下し、食事水分の摂取ができなくなったのが6月後半。そして7月1日未明、泊まり込みをしていた私の隣で眠るように旅立ちました。
2019年に母を在宅で看取ったときは計画的に介護保険を使い行動して、母も見事に応えて人生を全うできたのですが、妻の場合の今は虚無感や喪失感ばかりに苛まれています。葬儀は小さく行おうとしたのですが周囲の意見で結局は大きくなってしまいましたので対応にも振り回されています。
本日は妻が家を出る日。昨日は弔問客が30人近く来たと思います。弔問客の言葉は優しくありがたいのですが、その優しさが刃になって悔悟している私の心に突き刺さって来ます。静かに妻と過ごしたかったのに対応で疲れ切り、それでもやらなければいけないことに追われ続けています。忙しさで悲しみを忘れるという言葉はありますが、虚しさが強く残ります。
一足先に妻は天国に行きましたがいずれ私もその横に行くと思います。それまでの間、しばらく古銭を楽しみたいと思います。妻もきっと呆れているでしょう。
 
6月19日【収穫】
入札誌銀座で久々の落札はオークション方式になってからあまり縁がありませんでした。私は競り合いにはめっぽう弱いのです。業者さんにとってはこの方が儲かるんでしょうけど・・・皆さん、弄ばれてますよ!。
さて、一番上の画像は秋田小様の細郭様。多くの秋田小様は嵌郭されていると思われますが中にはこのように郭が細いままのものも存在します。落札価格は手数料込みで36000円・・・つまりほぼ最低価格。秋田小様はかつて村上師が60枚以上保有していたと思います。そのコレクションが市場に出回ったため一時の熱気が落ち着いたように思います。
長径46.71㎜、短径31.41㎜、重量17.9gとサイズは模範的。先に書いたように細郭で、しかも未使用色が残る美銭。秋田小様銭は滑らかな手ずれ感の風合いの赤黒い品が好まれるためこの発色が逆に今回人気を集めなかったのかもしれません。

中段は明和期の俯永鋳放し銭。出品名に母銭の名前はなかったと思いますが、見ての通りの立派な母銭です。落札価格は17000円だったので鋳放し母銭としてのプレミアムは無しということ。画像映りがいまいち悪かったので落札できましたが、私自身も「ひょっとしたら通用銭」とか「贋作かも」と疑心暗鬼になってしまい降りようと思ったのですけど幸か不幸から落札してしまった。
郭内は見仕上げで側面は不完全ながら砥石仕上げ。湯道が残っています。外径は29.1㎜ほどとかなり大きい。関東のA様に言わせれば良い品で大ラッキーのようです。

最後の1枚は大分貨幣研究会の祥雲斎師からのご報告です。5キログラムの古寛永の雑銭の中から撰り出された「昴通背星」だそうです。一見、岡山銭の良恕手を思わせる書風ですけど永字が扁平。背に星があるものが発見されたことで水戸銭にされていますが、見ることも稀な一孔です。画像では星の存在がはっきりわかりますが、浅字で拓本にすると輪郭がぼやけてしまうので祥雲斎師も苦労されたようです。拓本より画像の方がわかりやすいという例外的な実例ですね。
 
6月14日【祥雲斎コレクション】
祥雲斎師からLINEを通じてメール画像が届きました。背景の明暗や画像の大きさや傾きなどがいろいろだったので画像を加工していますが、私の技術ではこれが限界ですのでお許しを・・・。
古寛永
①不知大永小通 
外径:24.45㎜ 
内径:19.50㎜
寛文期亀戸銭
②退点文大様母銭 
外径:25.95㎜
内径:20.50㎜
寛文期亀戸銭
③退点文の退点文母銭
外径:25.40㎜
内径:20.40㎜
寛文期亀戸銭
④退点文の退点文通用銭
外径:25.20㎜
内径:20.25㎜
寛文期亀戸銭
⑤退点文母銭 
外径:24.95㎜
内径:20.30㎜
寛文期亀戸銭
⑥退点文磨輪母銭 
外径:25.10㎜
内径:20.70㎜
延寶期亀戸銭(耳白銭)
⑦縮字無背大様母銭
外径:26.00㎜
内径:20.00㎜
延寶期亀戸銭
⑧縮字勁文無背大様母銭
外径:25.85㎜
内径:20.40㎜
①不知大永小通
不知としましたが、祥雲斎師は仙台大永に書風が似ていることから、大永小通として仙台に仮に籍を置かれています。御蔵銭の中から出てきたように御蔵銭風でもありますが背の雰囲気が大分違いますね。書風は似ていても御蔵銭にこんな書体はありません。永厘庵師は初期不知銭ではないかとおっしゃっているようで・・・的を射ている気がしますね。この画像を見れた方は幸せで、じかに見たら涎がきっと止まらず、掘り出したら叫びながらそのまま走り出してしまいそうです。

②退点文大様母銭
一般的に文銭は25㎜は普通に存在しますけど、25.5㎜を超えるとやや少なく、25.7㎜超はかなり希少。退点文はほんの少し銭径が小さいものが多いのですが、25.3㎜以上から大ぶりと言えますので25.5㎜あれば自慢できます。それなのに25.95mmですと???
そりゃ反則ですよ。まず見ることはできないです。0.1㎜違いで全然価値が異なる世界ですけど、皆さんわかりますか?島屋文以上に希少だと思います。

③退点文の退点文(母銭)
別名、退点文小文、最退点文ともいわれます。私は当初この分類が良くわからず、ずいぶん回り道をしました。これはその大珍品の母銭。どれぐらいの価値があるのかもよくわからない品。文も小さいけど郭も小さい。直一文に似ていますが離点文にはならない。

④退点文の退点文(通用銭)
上記の通用銭。やはり小郭なのが目立ちます。退点文の退点文とは言うもののもともと退点文なので肉眼での差異判断は慣れないと難しい。位置的に退くわけではなく、点の大きさとか全体的な印象の差のように思えます。

⑤退点文母銭
外径が25mmを切る母銭。内径も小さい。母銭であるという判断はおそらく文字や輪の立ち上がり穿内仕上げなどを含めた総合的な判断なのでしょう。文銭の母銭判断は本当に難しい。慣れないうちは手を出さないほうが良いと思います。

⑥退点文磨輪母銭
内径がわずかに大きいので細縁大字銭になっています。背文の足も痩せています。

⑦縮字無背大様母銭
一般的には耳白銭の通称で知られています。新規母銭によるものですけど書体的には区別が難しいので、私は銅色と製作で最初に判断します。すなわち見ての通り黄褐色で文字繊細
なものが多く、濶縁になります。(耳が広い→耳白の名称の由来)通の上二引き右端には鋳切れなく、刔輪もないので濶縁縮字ぶりは目立ちます。耳白銭は書体変化がほとんどないので雑銭扱いなのですけど26㎜サイズは聞いたことがありません。モンスター登場ですね。

⑧縮字勁文無背大様母銭
耳白銭に良く似ていますが、銅色が異なり文字やや太く、通用の二引きの上右端が玉状に鋳切れます。また、わずかに刔輪されているため輪幅は耳白銭ほど広くなりません。
 
6月12日【祥雲斎師より】
祥雲斎師からメールが入りました。拓図中段は師がこの2年間に御蔵銭として購入した1003枚の中から出現したものだそうで、安南寛永では断じてないとのこと。文久永寶周遊会メンバーのKさんの考えでは初期不知銭もありえるそうで・・・。そういえば広穿ですし異寛小永や魚尾寶にも見えてきました。画像をくださるそうで楽しみです。さらに25.95㎜の退点文の画像もお送りいただけるそうで・・・乞うご期待!
 
6月8日【古寛永の謎品】
古拓は昭和18年の「貨幣4月」の第289号に掲載された古寛永で島田尚泉堂師の出品です。状態悪く、穴も空いているようで安南寛永のような雰囲気もあります。師は高田笹手永仰頭通細字からの変化ではないかと記していましたが、こんな品が平成18年の収集の誌上入札に古寛永譜外品として突然出品されました。(画像最下段:奇品館参照)根性なしの私は追いかけることができず、四国の大家、寛泉堂師が入手されたようで平成古寛永泉譜にも掲載されています。
この一連の拓本は大分貨幣研究会5月例会コピーからの借拓でして、画像中央が久泉研究資料(御蔵銭)の見直し整理中に目についた拓本だそうで・・・これは美銭、珍銭の香りがプンプンします。平成古寛永銭譜においては仙台大永銭からの変化としていて、大永小通の仮称がつけられています。外径24.45㎜ 内径19.50㎜ 背内径17.80㎜ 肉厚1.25㎜。
小通で昴通、さらに縮寛にも見えます。島田尚泉堂師の品は削字もしくは陰起文といった様子ですけど私には本体の正体が全く分からない。書風的には仙台銭の雰囲気もありますが、このような激しい削字は高田の笹手永仰頭通細字にもありますけど、背の雰囲気はまるで違うような気がします。安南寛永のようにも見えますが銅色や製作は一体どうなっているのでしょうか?本当に謎の古寛永です
 
 
6月3日【投稿画像】
きれいな古寛永の画像を頂戴しました。投稿されたのは中国の方、Yさんとしておきます。古寛永は通用銭を鋳ざらって母銭にしたものが多く、新寛永のように専用の母銭ではないものばかりなので判断が難しいものが多いのです。
市場にある古寛永母銭の半数以上が「本当に母銭なの?」と言うようなものが多いのですが、御蔵銭とこの仙台銭に限って言えば製作的に間違いのない品が多いと思います。この品は地染めも美しく加刀も鮮やかで古い時代の古寛永を良く示しています。銭種:古寛永仙台濶字高頭通削辵(鋳ざらい母銭)
この画像を掲載した直後、関東のAさんから細分類名まで合致したメッセージを受け取りました。さすがです。
直径は24.3㎜、内径は18.3㎜だそうで、新寛永の文銭を見慣れていると小さく感じますが、この類は24㎜を切る通用銭が多いので、かなり使い込まれたと見えて文字の山が若干つぶれ気味ではあるもののこれでも立派な母銭です。
削辵の名称通り、通辵と郭の間がぐりぐり加刀されています。古銭としては絶対的に少ない品ではないものの、製作を知る上では貴重な資料。通用銭ではっきり削辵の分かるものはかなり少ないそうです。(関東Aさん談)

下段は私のリクエストに応じて関西のSさんが現物を送ってきてくださった小梅手風の絵銭です。背に七の文字こそないものの筆法はほぼ同じで同規格品に見えます。背に文字のあるこのタイプの品については過去に画像収集していたと思うのですが・・・見つかりません。一連の品は大和文庫さんに記事掲載される前後からメルカリ等に複数出現しているようですが・・・近代作の絵銭だと思います。Sさん、ありがとうございました。
※モトさんも画像を送ってくださいました。ありがとうございます。
 
退点文入文(画像提供:関東のAさん)
上段:退点文小文(退点文の退点文)
下左:退点文半欠叉文(小跋永)
下右:退点文大様銭(25.46㎜)
(画像提供:モトさん) 
6月1日【退点文】
青少年コレクターのモトさん経由でAさん自慢の退点文入文の画像が届きました。最近、濶字背ト刮去母銭を思い切って購入されたそうですけど、退点文入文はかなり以前からお持ちだったようです。Aさんは文源郷師の主催する珍銭探査のメンバーでもあったようで、その文源郷師に退点文入文を見せた際にたいそう驚かれたとか。
銭には鋳造変化があるのは当たり前・・・と書きましたが、この品は鋳造上と言うより明らかな加刀変化に見えますので何らかの意図のもとつくられたのではないかと妄想全開になります。これをお持ちなのはAさんのほか、Iさん、関西のSさん、そのほかに文源郷師が文銭目録に掲載された拓本1枚のほか、記憶が間違っていなければ過去にネットで見た覚えがかすかにあります。島屋文クラスの珍銭ですけど、はじめてみたら悪戯された品と勘違いするのも無理はありませんね。

モトさんからも自慢の退点文の画像3枚を頂戴しました。
退点文小文はかなり大ぶりの美銭に見えます。別名、退点文の退点文のとおり、文の第一画が小さく先端が陰起気味になり拓に現れません。郭がやや横広になる傾向にあると思います。これは良いですね。
退点文半欠叉文は、文源郷師の文銭図録の分類に従う分類名。画像を見て一瞬、退点文直一異文かと思いました。交叉部の先端が少し短いのと、永の跳ねが(陰起して)小さく、文源郷師は小跋永とも称しています。
退点文の大様銭ですけど、退点文で25.3㎜を超えるものはなかなかなく、25.4㎜超は相当立派です。画像でも濶縁ぶりが目立ちますね。これは十分に自慢できます。
文銭は美銭が多く、微細変化も多いワンダーランドです。選り出しも可能で、無理さえしなければお金もあまりかからない愉しみ方もできます。私の穴銭収集も、古銭ブームのさなかにお小遣いの範囲で楽しむ・・・と言うところから始まりました。穴銭は一度迷い込んだらなかなか抜け出せなくなる迷宮ですけど、モトさん良い楽しみ方をされていますね。
 
5月30日【雑銭掲示板アーカイブ】
旧雑銭掲示板の記事は8月1日13:00で消滅します。貴重な写真や発見もあるので救済を図りたいのですが2000近くの投稿記事があるうえ、技術的にサイトの丸ごとコピーはできないと思います。そこで、昨日からコツコツ移植を試みていますがまあ進みません。すべての記事救済は無理なので気になった記事だけ選んでいますが果たして間に合うのか・・・。多分間に合わないので皆様も今のうち記事や画像をコピーしておいてください。
→ 雑銭掲示板アーカイブ   
 
5月26日【負け犬の遠吠え】
ネットオークションに勝ち負けがあるのは致し方がないのですが、自分の入札額にちょい上乗せ負けが続くとちょっと悔しい。はリアルタイム勝負なので終わるまで気を抜くことなく観察し続け、相手が根負けするまでねちねち戦うと宣言されている方もいらっしゃいますが、時間がもったいないし、私はそんなに暇じゃない(つもり)です。
私のように「どうだあ」とばかり自分の精一杯の上限値を入れるやり方は目標にされやすいのですけど、楽しいことに忙しい私は見ていられないのです・・・値段が上がる現実を。おせっかいなヤフオク機能は値段が上がったとすぐに連絡してきます。本当はそんな連絡は見たくもないのです。入札のような一発勝負システムなら良いのですが、最近は入札をうたっている入札誌銀座もオークション方式になってしまいました。そこらにたむろしているのは金と暇を持て余している不届きな奴らばかり。こちとら汗水たらして小銭を稼いでいるというのに神は不公平です。
そこで私は正義の鉄拳よろしく札束で相手の横面をバシッと張り倒してやるつもり・・・なのですが、数倍の札束力で返されます。全く情けも容赦もない。少しは尊敬・忖度してくれっつーの。

昨日は短尾寛方冠寶通用銭の発見者のI氏の出品した天保通寶に小蠅のようにたかっていました。当然私も小蠅の一匹として群がります。
出品物は若干絵銭のような作りですが、48㎜を切り覆輪というのはなかなか味があり美しい。妻に言わせるとゴミのような古銭と非難されます。ですから多くの収集家の前世は蠅なのかもしれません。一寸の虫にも五分の魂・・・今回も頑張って突っ張りましたが土俵際できれいにうっちゃられました。実は最後まで見ていられなかったのですけど、終わってみればやはり悔しい敗戦です。今日も無事に妻の機嫌を守れた、浪費が無くなったということで何とか自分をなだめ、画像だけ収穫。たしかにあまり見ないタイプですね。

実はもう一枚応札していたものがあり、そちらはきれいな久留米正字濶縁です。なんてことない藩鋳銭のですが、私は久留米正字濶縁と会津濶縁、水戸接郭には妙に反応してしまう癖があります。覆輪銭でときに削字や刔輪もあったりする・・・不知銭だったらすごい変化ですよね。そんなすごいものが格安で手に入るのですから、手を出してしまうのはありでしょう?こんな雑銭でも見ていると幸せになれる私って変ですか?・・・そうですか。
しかし、私の些細な楽しみさえも打ち砕く新規感染者が現れました。病気の根源は私だという説もあるようですが、皆さん早く正気になってください。お大事に・・・。
 
5月26日【退点文欠叉文と入文】
最近は天保通寶は競争が厳しくて買えないし、古銭店や古銭会には職場の自粛規制が厳しくていけないので、もっぱら寛永通寶で無駄使いをしています。今回は退点文欠叉文というふれこみの品を頑張って落としてしまいました。実は私、文銭の細かな手替わりについてはあまりこだわっていない(???)ところがありまして、まあ、鋳造変化でどうにでもなると考えているところがあるからなんですね。年齢を重ねて目が悪くなってよく見えないという理由もあるのですけど・・・。要は面白いから集めている数寄者なのです
欠叉文は縮字背文が有名で、文銭コレクターなら必ず押さえるべきところなんですけど、退点文の欠叉文はあまり知られていません。文源郷師の文銭図譜には直一文からの変化のように見える拓が掲載されていますが、今回の入手品は蜒文の系統に見えますので鋳造上の偶然変化なのかもしれません。前所有者はヤフオクのプロフィールから見て古寛永収集家のHさんらしく、丁寧に入手先と入手日、価格までフォルダーに記載されていました。几帳面ですね。

今回の品の入手で思い出したのが2014年の12月5日の制作日記に取り上げた退点文の入文。一般的な?退点文入文は中段右の拓本のように交叉部分が陰起しているような雰囲気のもの。ちなみにこの拓本は小川青寶樓が主催していた東亜貨幣協会の会誌「古泉」に隷泉こと増尾富房師が寄稿したもの。一方、2014年に取り上げたものは仰文入文になるもので、全体が加刀されていてかなり変形しています。
最下段の2枚が該当品で左が関東のIさん、右が関西のSさんの蔵品です。この2枚、背郭の形状から見て兄弟と思しきものなんですけど・・・文源郷師は当初このタイプの入文を作りものとして見ていたようなのですが・・・その後の文銭図譜にも堂々掲載されているところを見ると存在を認めたようです。兄弟銭があるということは鋳造によるものに間違いないようで、そうなると後加工とは言えないというのが理由でしょうか?評価も200。島屋無背の評価が80ですからかなりの珍品度ですけど、やや抑えめのような気がします。そういう意味ではまだ警戒感が残っている気もしますね。参考までに天狗寛永が評価300、正字縮文が評価500で、島屋文系以外ではこの3種が突出しています。
※関東のAさんから入文の類品を所有しているという連絡が入りました。画像到着が楽しみです。評価上がりそうですね。
 
5月25日【泉中夢談】
試作銭の原母ということで大和文庫さんの駿河裏表紙に掲載されている拓本ですけど・・・違和感があります。これは絵銭じゃなかったかしら。最近、見た記憶があります。面白い画なのでとっておいて記事にしようかと思っていたこともあるのですが、おもちゃ感が強かったのでお蔵入りさせた気がします。
極細の筆法で、永が妙に扁平で・・・かなり薄肉の青銅銭だったと思いますが、画像は破棄してしまい私の記憶だけなのでかなりあいまいです。ただ、この書体は複数回見たことがあると思います。番銭だったかどうかは記憶は定かでないのですけど・・・。そもそも一般通用を意識した試作銭で背に文字を入れることはまずほとんどないと思います。入れるとしたら地名ぐらいで、七戸とか七尾だったら判るのですが、でもこれは通用銭の雰囲気ないと思います。個人的な感想ですが、過去に見た記憶が強烈なのです。画像とっておけば良かった。
ただ、現品はおそらくかなり立派なんでしょう。そういう意味ではかなり特異な品だと思います。 これについて記憶のある方・目撃情報・ご意見をください。
 

5月20日【進化した兄弟銭】
何度も書いていますが関西のTさんの兄弟銭を見抜く力は特異なレベルだと思います。才能というか異能、ひょっとしたら超能力なのかもしれません。
今回、ご投稿いただいた画像のうち➀と②はTさんから乞われて私から割譲したもの。こうやって並べてみると完全に兄弟銭であることは寶下の鋳だまりや背郭の右側のが同一であることからも判ります。つまりこの鋳だまり、母銭レベルからあるということになります。まあ、普通はそこまでで終わりなんですけど、Tさんの能力(眼力・嗅覚・記憶力)はここからすごかった。
➀の画像にある赤いポイントの位置に注目。これらはすべて小さな鋳だまりなんですが、➀と➁が合致するのは分かるとして・・・一見何の関係もなさそうな➂とも合致するのです。ブラウザに拡大機能があるのならご確認ください。保人偏の下に連なる連星や花押前の三つ星など無視できない合致ぶりです。
➂は➀、➁に比べて寶下の刔輪が強く、はっきりした覆輪もあります。寶下の刔輪は母銭の鋳だまりの修正とも言えます。(この銭は現在私の蔵品になっていると思います。)
さらに寶下強刔輪に進化した➃➄とも特徴が一致。すなわちベースになった母銭がこれらは同一のものであり、極印の類似性からすべてが同炉銭であるという結論です。砂目と極印の同一性からかつて私も「花桐極印」や「魚子地肌」銭など、同炉であると断じた不知銭はありますが、覆輪刔輪が加わっても同炉であると判定できたことは画期的です。百聞は一見に如かず、雑銭掲示板にも画像を載せますのでじっくり観察してみてください。 
 
➀  ➁ 
③ 
5月18日【寛永背錯笵銭】
ネットに背の大錯笵鉄母銭が出ています。お~!と、いう感じでつい飛びつきたくなります。本来は出品中のものにはコメントしない主義なのですが、過熱してますのであえて踏み込みます。こういうよく分からない品は手に取って観察したいのですけどたぶん無理でしょうね。

昨日もなんでも鑑定団にエラー貨幣収集家が出ていましたが、昭和22年の50銭のズレ打ち・・・あれはありえないよなあ~と思いながら見ていました。
エラー銭は昔から好奇の目で見られていたようで江戸時代の大名収集家の朽木公のコレクションに錯笵銭がたくさんあるのが良い例です。(朽木公のコレクションは大英博物館にあります。)近代貨幣のエラーはとても貴重なのですが、贋造技術も進化しているので穴ズレなどには注意が必要です。穴の埋め戻しと再穿孔の技術や放電加工による刻印そのもののコピー技術も相当進んでいるとか。そのため真贋判断そのものが難しいので冷静になって自制する心が必要なのです。穴銭の贋作は大正~昭和期に真鍮写しが流行した結果かなり増えたのですけど、製作的に矛盾があるため冷静になれば判断が可能です。ただし、おそらく後世に名を遺すと思われるO氏の贋作出現以降はかなり精巧になり、特に最近中国でコピーされているものについては書体だけなら完コピもあり得る技術になってきています。

ところで穴銭のエラー銭には3タイプあると私は考えています。
1.純粋なエラー銭 採算性を上げるために多少の錯笵には目をつぶったもの。
2.意図的なエラー銭 ふいご祭りの時などにわざと失敗銭を作り、作業の安全、成功と座の繁栄を祈った。
3.好事家を騙すための近代贋作・・・こいつは論外ですね。
銭座による鋳造では、一つの砂笵における鋳造の歩留まりは元文期で80%ぐらいしかなかったと翁草(銭座の記録)に書かれています。出荷できるのは5枚の内4枚ほどで、つまり5枚に1枚は不良品になるということ。鉄銭出現以降はかなり出来の悪い銭も流通させられていたことは、現物から見て良く分かります。
一方、
「完璧なものには魔が宿る」という思想から銭座にはあえて不完全なものを作り関係者に配布する・・・という風習が昔からあるようです。この思想の有名事例に、日光の陽明門の逆さ柱ががあります。逆さ柱は本来不吉なものなのですけど、崩壊は完成から始まるもの・・・あえて完成建築の中に不完全を組み込むことで陽明門はまだ完成していない・・・だから魔は宿らないと、魔除けにしているのだそうです。災い転じて福となす・・・と、いうことでしょうかね。(ですから面背逆製も意図的なものが多いのではないかしら。)画像に示した錯笵はその類ではないかと・・・。このお話、天保仙人様からの受け売りです。

➀~④は相当派手な錯笵ですけど、できるメカニズムが異なります。①は鋳型そのものがず(らさ)れています。主な可能性は3つ。
1.鋳型の組み合わせ、もしくは上下を違えた。     → 純粋なエラー銭&意図的なエラー銭
2.水蒸気爆発、砂笵の踏み固め不足で鋳型が崩れた。   → 純粋なエラー銭
3.このような形の母銭を作って(変造して)鋳造した。 → 近代贋作
➁はずれた銭の外周部に接する部分が薄くなりますので、鋳造技術的にはやや難しくなります。

それに対して➁~④は鋳型のずれはないものの、砂笵への母銭の二度押しもしくは置きなおしと思える工作があります。出来上がった鋳型(砂笵)にもう一度母銭を押し付けると、反作用で砂笵の一部(外周部や穿内)が普通は盛り上がります。盛り上がるということは鋳造すると凹むことになります。この凹み(つまり鋳型の盛り上がり)はデザイン的にも鋳造的にもマイナス要因なので意図的に除去される対象になります。逆に凹みが残っているということは意図しないエラーである可能性をも示唆します。
実際に意図的でないとなかなかここまできれいにはできないと思います。お守り的なものながら特殊な出来損ないですから現存数は少なく、ここに掲示しているものはお金を出しても決して入手できない一品ものです。(④はたしか小川青寶樓師の収集品だったという触れ込みで手に入れたものでした。)エラー銭と絵銭、記念銭との中間に位置しますが、当時の風習や技術が背景にあり、正品とされます。

さて、そういう意味で冷静になってネットの品を改めて見ると・・・あれっと思う所がいくつかあると思います。意図的であるのは間違いないのですがちょっと気になる所も多い・・・でも意図的な意匠品ですから真贋はなかなか分かりません。違和感の部分は自分で考えてください。これはチキンレースです。
ヤフオクに出た品(画像修正あり)
入手した方、側面の画像と感想をお寄せください。拡大画像だとアラが見えてしまいましたが、こうしてみると
意図的ながらそれなりに時代もありそうで良い雰囲気です。私の入手品にしても➁はかなり意図的で、それと比較してもこれはかなり座銭の雰囲気があります。本気で母銭を作ろうとしたわけではないのでしょうから、これもありかな。結論ではありませんけど。
気になる点の考察
1.背の銭形の
ずれた穿が埋められていて小町銭のようで不自然(注1)
2.背の地の深さに比べ、輪の周囲が盛り上がり浅く不自然。これは純粋な背ズレによるものではない。ここまで背ずれすると背側の外周部が極端に薄肉になってしまう。そのため意図的に盛り上げた(砂笵を掘り下げた)と考えるのが妥当か?
つまりこれはデザイン。
3.銭径が小さ過ぎる。輪の周囲が丸くない仕上げ。これは
鉄銭座母銭用のまじめな仕上げではないだろう。
4.同様に郭内の仕上げが下手で母銭の仕上げではない。
5.
銅質や製作は銭座関係者の関与である雰囲気がそれなりにある。もともと作銭であると考えれば不自然な点はあるものの十分に成立している。少なくとも大正期などに大量に作られた粗悪な絵銭ではなさそう。

(注1)通常の鋳型のずれなら穿内は凹になるはず。そうなっていないということはこれは型ずれではなく、平らにならした砂笵に再び母銭を押し付け、盛り上がった砂を除去したと考えられます。輪の外周部は盛り上がったままだと肉薄になりすぎるため銭の形に凹んだままにする必要があります。ですから私がもしこの錯笵銭を作るとしたら・・・
❶背側を削って平らにした母銭を作り、砂笵で面背を型どりをします。
❷その後に 背側の鋳型に改めて母銭を押し付けます。
❸凹み部分に盛り上がった余計な砂を除去。
➍勢いあまって穿の中央部の凸も削っちゃった?凸部・・・つまり穿の穴は鋳造すると肉薄になり大ス穴の原因になるためだと思います。私がこの古銭について躊躇したのはこの背ズレ銭が通常の型ずれでは作成されていないことに尽きます。とくに❶の理由があるとしたら「わざと失敗」ではなく、「創意工夫」によるものなのでちょっと道理が違うかなと、思ってしまいました。

※今思えば銭の鋳造にかかわった人物の関与が濃厚で時代のある絵銭と捉えればそれなりに価値はあると考えても良いかも。熱狂する程のものではないとしてもコメントにあった大変貴重なものという言葉は間違いないかもしれない。色調からして明和期に矛盾なく、時代がかっているので近代作ではないと願いたいです。側面の仕上げによって判断は変わると思いますけど、素直に応札すればよかったかなあ。私、チキンでした。 

※関東のAさんに意見を求めました。見た目に対するご意見ですが悪いものではなさそうだということ。正規の錯笵ではなくあくまでも戯作銭としての位置づけだと思います。銭座による絵銭・記念銭と考えても良いかもしれません。
 
発表年 書籍 掲載P  銭名 長径 短径 所有者
1976年  天保銭事典 366P 奇書 48.8㎜ 32.3㎜
1980年  月間天保銭21号 16P 長郭手母銭様 本庄時太郎
1983年  天保通寶母銭図録 126P 異書(銅母銭) 49.5㎜ 32.35㎜ 村上英太郎
1983年  天保銭の鑑定と分類 87P 異當百
(張天保)
1988年  不知天保通寶分類譜 下巻P198 異書銅母銭 49.65㎜ 32.5㎜
1995年  當百銭カタログ 110P 異書体 49.7㎜ 32.6㎜
1996年  英泉還暦記念泉譜 異當百異貝寶
1998年  村上英太郎
 天保通寶研究分類譜
4巻66P 異貝寶 49.0㎜ 32.37㎜
  
2013年  新寛永通寶分類譜 6/30~8/4 延尾通窄貝寶
異貝寶異当百
48.9㎜ 32.45㎜ 浩泉丸
月刊天保銭21号の拓図
(掲載のため編集あり)
2013年ヤフオク
(背景色を脱色)
 
骸字 蛇尾通 ではいかがでしょうか?
それとも朽字 骨天保 なんてね。

長径48.9㎜ 短径32.45㎜
銭文径41.3㎜ 重量22.3g


トンボのような形の逆打ち極印
(180度上下回転して撮影)
5月17日【まだ悩んでいます。】
2013年に入手してから名称が定まらない不知天保通寶です。異書覆輪延尾通とか異貝寶異当百とか覆輪延尾通窄貝寶とかHP上でも一定していません。
上の表が私の手持ち資料の中で確認できる発表経歴で、大きさも名称もバラバラですけど2013年に出現し私が入手できた品を除きすべて同一品だと思われます。1983年に本庄時太郎師が新年誌上交歓のコーナーに出品している拓本は天保銭事典の拓本と同一であることから、1980年代初頭までは本庄師が所有していたものと考えるのが自然。おそらく天保銭事典の計測値も本庄師によるもので、その後に同郷の収集家の村上師に譲渡されたものだと思います。1983-1995年の計測値がばらばらなのは瓜生師の悪戯でしょう。瓜生氏の文献は優れていますが時々数値や拓本の改ざんもあるのでご注意を。
この不知天保の特徴は加刀鐚の様な改造銭であること。保点などは小刀で削りだしたような雰囲気ですし、いわゆる張天保になります。通用はロクロで回した錐で穴を穿ったようですし、通尾の周囲は地の部分に加刀がされていて引き延ばされたように見えます。寶字も加刀が強く、寶貝が極端な下すぼみ。當の田の輪郭は歪み、百の日の横引きは縦画に接します。異書とか奇書、あるいは削字とか蝕字といった表現でも良いのですがありふれている。村上師の品は母銭とされていましたが原品を秋田まで出かけて観察したHさんのお話では、母銭のように鋳ざらいされた通用銭にほぼ間違いないとのこと。ヤフオクの写真を見てわかるように私の入手品も滑らかな肌で加刀痕跡も激しいので母銭様とまで行かなくてもそんな雰囲気も残っています。ただ、スキャナで撮ると実物より白っぽく写ってしまうのが不思議。桐極印はトンボのような形の桐が左右とも逆打ちされています。
なお、私が知る限りこの品は収集界に2品しか発表されていないと思います。
名称については延尾・燕尾・尖尾・長尾(通)+窄貝寶と特徴を羅列するか、それとも先師の名付けを尊重して異書や異貝寶異當百とするのが無難なのでしょうけど、あるいはまったく違う源氏名を考え
「朽字」「枯書体」「骸字」「骨天保」「蛇尾通」「蝕骸手」なんて格好良くないですか?
この天保通寶は先に発表されていたもう一枚の方が有名なんで、その所有者のご意見が優先されるでしょう。したがって私の書いていることは独り言のようなもの。ただ、こうして妄想するのも古銭は楽しみ方の一つなんですね。
 
5月11日【古寛永収集家の嗅覚】
古寛永のコレクターの目ってすごいと思います。画像は拡大していますが、実物の寛永通宝は2.5㎝ほどしかなく、こんなに拡大されているわけではありません。それを感覚的に分類してゆく・・・すごい特殊能力です。私は視力が衰えたので、以前の用にはスムーズな分類はできなくなりました。こうした特殊能力が、仕事や社会に役に立てば良いのですが、古寛永の収集家が世界の貢献した話は聞いたことがない。異能であるけど才能じゃないのかなあ。

ではまずは正解を・・・
➀称 井ノ宮銭縮寛
➁称 芝銭二草点(やや濶縁) でした。当たっていましたか?
細分類なんて書きましたが・・・なかったです。

今回、競鑑に画像を出したのは教材としてちょうど良いから・・・程よく似ているんですね。Hさんありがとうございました。
古寛永に興味のない人は同じ書体に見えてしまうと思います。それだけ古寛永は難しいし感覚的。

➀を見て、どこが縮寛なんだ・・・とむくれる方もいるでしょう。井ノ宮銭は覆輪されているのか芝銭に比べて輪幅が広く濶縁狭穿です。寛の文字は上から圧縮されています。それに比べると通、寶の文字は上からの圧縮がなく縦方向の縮みがない。狭穿を生かして横方向の縮みも少ない。縮寛としたのは古の師達です。ただ、見た目の印象は類似書体とほとんど変わりません。

では私がそれらで判断したかというと・・・じゃないんですね。
私がとらえたのは
・銅色が黒っぽい発色 ・永のフ画が柱に近く永尾が少しうねる(狭永) ・背郭が大きく反郭 の3つ
背や銅質に特徴のある古寛永はいくつかありますが、井ノ宮銭は萩銭と並び双璧で、極端に言うと背だけでも分類できる。このくっきりはっきりした背の反郭は覚えておきましょう。

一方➁はここを見ました。
・黄色くて作が良い ・草点の数が2つ ・草点の形状がはっきりしていて大きい 

大雑把な把握は私が最初に行うことで、おおよその銭種の目星をつけます。全体に文字が大きく(とくに通寶が目いっぱい大きく)、寶が前のめりの書体はいくつかに絞られます。また、草点が2つあるのは芝と沓谷だけで、よく似ていますが沓谷の方が文字が整い通用が長い。芝二草点とまでは泉譜なしでもわかります。細分類は泉譜で確認。

本当のことを言うと最初は送られてきたときの情報で芝二草点大字の画像をもらったと思い込んでいました。でもって良く良く観察すると、文字の太細が違う。それ以上の細かい分類は・・・私はあまりこだわりません。

しかし、よくよく泉譜を眺めると、水戸長永 長永手 仰永 浮永 流永 高田笹手永 吉田狭永 狭永小字 坂本正永 高頭通 沓谷大字 小字 正足寶 など皆同じ系統の書風。
和泉斎様の投稿画像は妙に立派で、長永系にも見えてしまう井ノ宮本体。自信がないなあ。つまり私も大したことない。古寛永収集は毎日泉譜をにらめっこするぐらいが必要です。
➀  ➁ 
 
5月6日【消えゆくサイト】
ひさびさにリンク関係を眺めていたら「古寛永のアナ」「コインコレクターのホームページ」がなくなっていました。また、「NUMISMATIC ROOM」も表示がおかしい。外部から壊されているようで閲覧は危険かもしれません。
この世界、私を含めて高齢化が進んでいるのでなかなか継続が厳しくなっています。「方泉處」「寺山さんの電脳古銭譜」「雑銭記」「(練馬)雑銭の会」と「日高見文化研究会」「銭の蔵」など、私がHPを作成するきっかけになったサイト、楽しみにしていたサイトが次々に閉鎖されていくの見てきましたので、私も果たしてあと何年頑張れるのか・・・いささか不安になってきました。
私のサイトも手直ししながら今日まで生き延びてきました。技術的にはちっとも高くないサイトで、セキュリティ面からも作り直しも考えたのですが、面倒くさいし余計なお金も時間もかかるので放置したままです。そのため何度か改ざんや中傷被害にさらされたこともあり疑心暗鬼奇になりがちです。サイトが肥大化すると毎月お金がかかりますし、何度か引っ越しもしていますからそれなりに維持は大変なのです。
消えてしまったサイトですが、どこかに引っ越ししていたらご連絡ください。

やがて私の収集物をどうするかの問題が出てくると思います。このサイトを発展させてコレクションを売りさばく夢というか野望もあるのですが、根がコレクターなので、いっこうに売却できないし、売ったら売ったで後悔している自分がいる。恋人を相手に渡すような気分。今はこの異常性愛を制御するのが大変です。しかも私の周りに同じ病に罹った変態が何人も現れています。誰か何とかしてください。
 
 
5月4日【容弱次鋳小様の発見!】
容弱に関しては錫母銭が存在すると言われ(大川天顕堂→佐倉歴史民族博物館)、母銭については通用銭を加工したものが存在するとされ、秋田の村上師がかつて保有されていました。かくいう私も天保仙人様から保有する1枚を通用母と認定されて舞い上がってしまい天保銭にのめりこんでしまったという歴史があります。
ただ、通用母と言われても銭文径的には0.3~0.4㎜ぐらいしか差がありません。比較している通用銭がまた非常に繊細で、郭内はきれいに仕上げてあるし。文字も地肌も超繊細なのでよく分からない。ひょっとしたらこいつこそが母銭なのかも・・・なんて思うぐらい。関連記事は2009年の5月9日の制作日記に書いてあります。そもそも容弱は総じて製作が非常に良い。錫母が本物だとしたら、その製法を知っている藩が鋳造先として有力で、紀州とか水戸だとかも考えられますし、仙人様は加賀藩あたりが怪しいとお考えのようでした。
その容弱に次鋳がある・・・と仙人様はさらりと申しておりましたが、絶対的なものを見たことがありません。2009年のときも結論が出ませんでした。
ところが、今回関西のSさんが細郭手狭長足寶と一緒にネットで落とした容弱がかなり小さいとの一報が入りました。容弱の通用銭の拓本は不知天保通寶分類譜と英泉天保通寶研究分類譜にそれぞれ13枚ずつ掲載されていますが(重複掲載含む)、すべて長径が49㎜以上。(ただし、不知天保通寶分類譜には容弱ではない拓本が1枚混じっています。)
Hさんの容弱の画像は同じサイズの天保銭に合わせて私が縮尺調整をしているので、単純比較はできないかもしれませんが、やはりかなり小さい・・・異常サイズと言えます。銅質も赤銅質。輪幅もわずかに広く、次鋳・・・少なくとも通用銭からの写しの品であることは間違いないと思います。
所有品が容弱の通用母だと言われて私が一番迷ったのは、該当する通用銭を見いだせていないのに母銭認定が先だったこと。私の所有品が正しく通用母銭であるかはともかく、仙人様の予言通り小さい容弱はたしかに存在したましたね。これで私の悩みは13年ぶりに解消しました。ところで・・・容弱の次鋳小様銭はかなり珍しい存在なのかもしれません。それとも見栄えがしないから世にあまり出ていないのかしら?このようなよう容弱をお持ちの方、ご一報ください。(画像もください。) 
長径48.04㎜ 短径32.19㎜
銭文径40.24㎜
長径49.3㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.9㎜ 重量20.6g
長径49.35㎜ 短径32.55㎜
銭文径41.2㎜ 重量18.8g
細郭手狭長足寶のサイズ比較 
狭長足寶 I氏 H氏➊ K❸ S氏❷ K➊ K❷
長径 50.4㎜  50.14㎜ 49.8㎜  49.7㎜ 49.5㎜  49.4㎜ 
短径 - 33.46㎜ 33.2㎜ 33.38㎜ 33.2㎜ 32.9㎜
銭文径 41.33㎜ 40.4㎜ 40.7㎜ 40.56㎜ 40.65㎜  40.6㎜
重量 - 22.60g 18.8g - 20.4g 19.5g
 
4月29日【細郭手狭長足寶の類】
不知天保銭のうち、強刔輪で長足寶になるものはなかなか入手が難しいものが多いと思います。
➊~❸は狭長足寶の類と私はしていますが、不知天保通寶分類譜などにはあちこち名前を変えて出てくる神出鬼没天保です。
➊が一番模範的な狭長足寶の形状。寶前足先端が陰起気味で輪に軽く接します。❷❸はわずかに前足が延びて輪に幅広く接しています。微差に過ぎないのですがこれから、この不知銭は刔輪や鋳走りの方向によって寶足が変化していって印象が変化していることが判ります。また、➊より❸の方がわずかに内径が大きくなっています。この画像だと3枚の印象がすごく似ているのですが、肉眼だと❸の方が宏足寶気味で全く異種に見えてしまうのは欲目のなせる業かしら。画像の印象以上に差を感じます。
共通の特徴はもちろん強刔輪、長足寶であることは別として、鋳肌に砂目があまりなくて滑らかで
保の右横の地肌に必ず小さな凹みがあること。パソコンやスマホに拡大機能があればよく観察してみてください。この特徴は短尾寛方冠寶通用銭を見出したIさんの指摘で、この類には必ずといって良いぐらい存在します。このことに気が付いた勉強会のときはIさんが長径50.4㎜の狭長足寶を持参してきてくれたので、私と仙人様のコレクションを並べて撮影しています。(夏の古銭会)鋳写を繰り返していても共通の特徴が残るのは不思議な気がします。滑らかな砂目と言い、通常の鋳銭とは違った再現性の高い鋳砂・砂笵が用いられたのかもしれません。
その他、
下すぼみの狭貝寶であるのも印象的です。

一方、❹~❽は別系統のものでこちらは短貝寶気味。類似カタログの名称と評価は「再覆輪刔輪:45,000~50,000円」ですけど、もう少しだけ評価されても良いと思います。少なくとも❹と❺は同炉系統だと思われますが、銭径の大きさが全然違いますね。狭長足寶もそうですけど、不知銭は鋳写を重ねているものが数多く見られます。そのため細かな変化があちこちに見られ、この類も寶足は覆輪刔輪後の鋳造過程で(鋳走りで)延びていった雰囲気です。ですから全く同じものがないといっても過言ではありません。❹はAさん所有のもので、長径49.9㎜の長径は得難いサイズで貴重だと思います。
一方、❻はかなり強刔輪で縮字なのですが覆輪による濶縁でもあります。背の花押が一回り小さく見え、銭形もやや卵型になってますね。初鋳の大様も良いのですが、写しを重ねた覆輪縮字もなかなか味があるものです。
❼はやはりAさんの持ち物で究極の強刔輪です。刔輪の結果、細郭手の不知銭としては一番足が長い逸品になっています。重量も重いし、50㎜を超えるサイズは天晴・・・モンスターと呼ぶのにふさわしい。
一方❽は今までの品の原点というべき品。刔輪はまだそれほど強烈ではないもののすでに「天横引」「寶足」が離輪しています。よく見ると寶前足が鋳走りでかすかに輪に接しています。❽が成長してゆくと❼に進化してゆく・・・のかもしれないと夢見ています。

❾は天保通寶マニアなら必携の細郭手張足寶。この不知銭は新規母銭によるもので、保点が湾曲して、いわゆる張点保になっています。堂々とした書体で、かなり力のある藩による製作だと思われます。 バランスの取れた書体なので今では細郭手に落ち着いていますが、當百銭カタログなどでは長郭の項に掲載されているなど紆余曲折があったようです。花押をはじめとする背の文字類がとても大きいですね。一方で天上・當上の刔輪はほとんど見られません。

秋田の村上師はかつて「長郭手張足寶の類は一つとして同じものがないので収集して楽しいがきりがない。」と仰っていました。細郭手の長足寶も実は同様で追い求め始めたら無限ループにはまることになります。果たして私は抜け出すことができるのでしょうか。ネットオークションを見ているとこの地獄に落ちている方、私以外にたくさんいらっしゃるような気がします。合掌・・・。

※先日の狭長足寶の実測値をお聞きしました。長径50.14mm 短径33.46mm 銭文径40.4mm 重量22.60g。やはり50㎜超えでした。これは大きいです。
➊  ❷  ❸ 
長径49.5㎜ 短径33.2㎜
銭文径40.65㎜ 重量20.4g
長径49.4㎜ 短径32.9㎜
銭文径40.6㎜ 重量19.5㎜
長径49.8㎜ 短径33.2㎜
銭文径40.7㎜ 重量18.8g
長径49.9㎜ 短径33.68㎜
銭文径40.95㎜ 重量17.8㎜
長径49.15㎜ 短径32.95㎜
銭文径40.65㎜ 重量20.1g
長径49.5㎜ 短径33.1㎜
銭文径40.8㎜ 重量21.7g
長径50.03㎜ 短径33.76㎜
銭文径41.51㎜ 重量24.1g
長径49.3㎜ 短径32.5㎜
銭文径40.75㎜ 重量20.7g
長径48.9㎜ 短径32.15㎜
銭文径40.2㎜ 重量20.8g
 
➊濶縁背上辺反郭  
長径50.14mm 短径33.46mm
銭文径40.4mm 重量22.60g

※入手者から実測値をお聞きしました。
❷模範的な狭長足寶(ネットに出現) 
長径49.7mm 短径33.38mm 銭文径40.56mm
※入手者から実測値をお聞きしました。
保点横の凹みは見当たらないとのことですがうっすら見えるような気がするのですが・・・
❸宏足寶風に変化したもの(直足寶) 
長径49.8㎜ 短径33.2㎜
重量18.8g 銭文径40.7㎜ 
 
4月28日【細郭手狭長足寶】
この天保通寶を見た時は久々に痺れました。(画像➊)
細郭手で強刔輪、強張足寶なのに輪の幅が広く見える、しかも50mmを超える大様銭・・・これはキュンです。
この出来過ぎな不知銭には思い当たる種が一つあり、しかも数日前にも出ていたと思います。(画像❷)
私が細郭手覆輪強刔輪狭長足寶と名付けているものです。細郭手の中でもトップクラスの強刔輪で、寶足の長さはチャンピオン級、しかも50mm前後の大様が多く、上作がすこぶる多いとまあ、誰もが大好きな顔をしています。ただ、今回の品は輪幅がかなり濶縁に見えて、刔輪前はきっと大濶縁だったんじゃないのかなと思うぐらい。だから同じ品に見えない。背も反郭ですし・・・。何度も見直し、シークレットマークである保点も右横輪寄りにある時のへこみを必死に探してみたのですが良く判らない。見ているうちに輪の幅がどんどん広く見えて完全に別物に見えてきました。
え~い、こうなったら購入して調べるしかない、毒食らわば皿までだ、清水の舞台から飛び降りちゃうぞ・・・で応札。「あなたが応札すると沸騰するから応札は最後のほうにしたほうが良いですよ。」と、良く言われるのですが我慢できるほど理性がありません。それに入札の終了時間に間に合わなくて悔しい思いをしたのは一度や二度ではありませんから。こうなったら焦土作戦だ、えい、自爆攻撃!!なんてお酒の力を借りて無茶をしていましたがすぐに白旗。シュンです。降参。
さて、改めて画像から検証をします。幸い、きわめてサイズの近い(長径49.8mm)狭長足寶系の類品を1枚保有しています。(画像❸)不知天保通寶分類譜の原品(上巻P94-4直足寶)で状態もすこぶる良い。ただ、発色がこの不知銭特有の淡茶褐色でして、画像写りがあまりよろしくない。寶足の形状がそれぞれ微妙に異なりますが、保横の凹みは❷❸にははっきり確認できます。ただし、寶足の形状がこれだけ違うと同類異種とも言えます。
では➊はどうなんだろう・・・結論はたぶん同じ類。濶縁に見える要因として画像の傾きの違いがあるのではないかと思うのですが・・・やはり実物を見ないと分かりませんね。サイズ的にはたかが0.1㎜の差、されど0.1㎜なんですね・・・病気ですかね?

※大きい、足が長いで関東のAさんの逸品を思い出しました。これについては次回記事でもう一度取り上げたいと思います。
 
4月19日【分からない延展銭】
多分密鋳で良いと思いたいのですけど自信が持てない品。ネットで見つけて福沢さんがサヨウナラの金額を支払ったのですが・・・。銅色はどうみても密鋳銭。そしていびつな銭形。このタイプの密鋳銭は延展系のものがほとんどで、これ自身も間違いない延展銭に見える。指先にかかる引っ掛かりもそれを物語っています。しかし、何か釈然としません。延展が輪部分の一部だけで強烈に行われているのです。表面はつるつるしていて砂磨きがほぼないのです。叩かれているのは輪の端だけ。
側面は横やすりと言いたいのですがかまぼこ状の砥石仕上げに見える。かすかに横方向に細かい傷が入っているものの、どうなんだろう。まるで明和に見えます。ただし、肉厚なのは密鋳ぽいところ。
祈るように内径を調べましたがほぼ明和と同じでわずかに小さい感じもしますが明確さがありません。微妙な縮小。傷のついている部位から見える地金の色は赤っぽく明和には見えません。明和の火中変色品を叩いたものかなあ、それとも火入れされながら叩いた密鋳銭かしら。企画した贋作であったとしたら恐ろしい着色技術です。こんな変造贋作があるとは思いたくなく、偶然の変化もしくは私の思い違いか?
いやあ分からない、ただ自分の違和感だけは間違いないと信じています。本物の密鋳銭のようなのですが全く自信が持てないのが気持ち悪いです。火入れ延展で内径が大きくなったのかしら。
外径27,77~27.82㎜ 内径21.03~20.57㎜(いびつ) 重量6.8g(重い)
背の画像はどう見ても密鋳銭ですよね。本当に分からない。でも、どこか気に入りません。多分側面の仕上げがおとなしすぎるんでしょうね。自分の中に密鋳はこうあるべきだという基準があり、やすり目と内径変化に違和感を覚えているだけだと思いますが・・・でも、こんな気持ち久しぶりです。画像だけ見たらなんで迷っているんだろうと皆さん思う気がします。

 
4月18日【中郭狂奏曲2】 ※この記事は私的見解に基づくものです。
「中郭は細郭の後ではなく、広郭のあとに出た。」
という知識をお持ちの方はたくさんいらっしゃると思います。ところが、どうしてそうなのかについて詳しくお分かりになる方はほとんどいらっしゃらないと思います。
実は私も分からない。なぜなら、中郭が最後に出てきたという根拠は、歴史的にも科学的にもはっきり示されていないのです。

【迷走の始まり】
明治政府によって金座が接収されて貨幣司に改組された後、難波大阪で天保通寶が作られたらしいことは間違いないのですが、どんな天保通寶なのかまでは不明でした。もともと貨幣収集者たちは今の薩摩広郭類を大阪銭として当てはめていたのですが、それが誤りであることが確定した際に中郭がそれに代えられた・・・というのがすべての発端です。
これは当時の収集界の権威、小川青寶樓師が唱えて新訂天保銭図譜に記し、瓜生有伸師が天保銭事典でその説を補完していたと思います。これらの作業によってそれ以前の泉譜では 
長郭 → 細郭 → 中郭 → 広郭 だったのが 長郭 → 細郭 → 広郭 → 中郭 の順番に並べ替えられました。新訂天保銭図譜にはこう説明が書かれています。「従来中郭は細郭の次としているが広郭の後のものである。母銭の内郭に広郭の内をヤスリにて仕上げた跡があるので判明した。」小川青寶樓師はこの泉譜で泉籍の大異動を大胆に行っていて賛否両論が沸き起こっていました。私も勢陽譜とのあまりの違いに混乱した泉譜好き少年の一人でしたから。

【二転三転】

しかし、青寶樓師が手にしていた(広郭の銅母の内郭を削って仕立て上げた)中郭母銭は変造品の可能性が極めて高い物でした。広郭の銅母の郭を削って母銭にした説が否定されると、すぐに新たな説が登場します。曰く、
「広郭の錫母の郭を削って中郭の銅母銭を作った。」さらに中郭の母銭に嵌郭痕跡がある物が存在することが判ると「細郭の錫母に嵌郭をして銅母銭を作った。」という説に転じて解説書をにぎわせます。これらの説の中に出てくるのが中郭錫母でなく、中郭銅母なのはどうやら中郭の錫母銭だけが見つかっていないという単純な理由のような気がするのですけど、ここでは深掘りはしません。
賢明な方はお分かりになると思いますが
「難波大阪座でつくられた天保通寶は中郭のままの方が都合が良い。」という理由が背景にあるようでして、ここにさらに強力な助っ人説が登場します。曰く「当時の大阪の地金相場が東京の地金相場より高く、原料節約する必要があったから。」というもの。でも、それならわざわざ細郭に嵌郭してまで中郭に作りかえる必要はありませんよね。
この話の背景には、
この時期に広郭母銭の郭を削った変造の中郭銅母銭が市場に大量に出てきており、瓜生師もそれにちょっとからんでいて、青寶樓師も泉譜に書いてしまったので引くに引けなくなっていたという事情が見え隠れしていて、ですから辻褄合わせのための不自然な解説が次々に出ては消えているような感じがするのです。一般的に中郭は広郭より製作が良いので、もとの順番のままの方が自然ですし、それに明治吹増の恩賜手はどう説明するの?
新訂天保銭図譜により中郭の格は飛躍的に上がりましたが、その説明は「初めの誤りを隠すため無理を重ねている」ように感じます。古泉界の不思議な一面です。

【素直に考えたら・・・】
中郭は細郭と広郭の間をつなぐものとして試行錯誤の結果できた、だから中郭と中郭手などの間にはきちんとした境界もなく、分類もあいまいなのが本来の姿なのだと思います。強いてその違いを定義するとしたら、①中郭とすべきものは郭内の傾斜がきつく②面より背の郭が大きく③背からのヤスリ入れによって郭内に屈折がみられるもの・・・であるべきだと思います。ただし、広郭の郭内をヤスリで削った変造品が母・子ともに存在します。錫母は銅母にやすり目を残さないためトクサで磨かれて仕上げられます。
銅母銭の郭内は砥石仕上げで目視できるようなヤスリ目は存在しません。また通用銭の郭内には必ず鋳肌(砂目)が存在します。筋目がはっきりしたべったりヤスリや火であぶられたような痕跡のあるものは変造の可能性が高いのでご注意を。(2014年6月27日の制作日記にも記述あり)
 



4月17日【中郭狂騒曲】
本座中郭は基本銭のはずで、評価も決して高くないのですが、私は拓本で良く見る ” 面郭が極細 ” の教科書通りの中郭なんて見たことがありません。ですから中郭っぽいものがあるとやたら手を出してしまいます。私の場合、本座中郭の収集は薩摩広郭白銅と並んで黒歴史なのです。
さて、ここにずらりと並んだ中郭候補者の面々・・・果たしてどれが中郭合格なのか皆様の目でご確認ください。注意点が2つ。
1つ目はスキャナー読み込みのため、面側は郭の内部の傾斜がわずかに映り込みます。したがって拓本よりほんの少し郭が太く見えることがあります。
2つ目として微妙なもの混じっています。
ちなみに、これらは私が中郭じゃないかと思って購入したものばかりです。平均7000円以上は支払っています。心してかかってください。私と意見が合う人はたぶんいないと思いますが・・・。回答は後日・・・。

➊HPの記事に未使用の中郭を見つけたと書いてしまいました。

❷はじめてお金を出して古銭店で購入した中郭です。

❸よく見ると郭の中央に嵌郭のようなものが見えるような見えないような。

❹入札誌銀座で競ったらとんでもない価格になってしまいました。

❺良い感じだけど背郭の周りが黒いのが気になりますよね。

❻古銭店で購入。郭内が歪んでいますね。

❼収集で落札した品。面背肥郭気味だなあ・・・。

❽「掘り出し物の記憶」にずっと掲載していました。

雑銭掲示板に投票コーナーを作りました。皆様のご意見をお聞きしたいです。

→ 中郭の分類(浩泉丸の見解)
 
4月13日【背盛アラカルト】
私は鉄銭や母銭は積極収集の対象にはしていません。ただ、南部藩銭は特別で、東北の密鋳銭の勉強になるし、実際にも母銭なんだか通用銭なんだかわからないものも多い。そういう意味で背盛と仰寶などの母銭の変わったものにはついてが出てしまいます。
➊背盛美制(背小ズレ)
4月11日の記事で紹介しましたが、よく見る赤黄色くて丸い茣蓙すれのあるいかにも鉄銭母・・・というものではなく、とげとげしいほどのかっちりした砥石の磨き仕上げ、横やすりの側面垂直仕上げ・・・と思っていたらわずかにテーパーがありました。それでいて背側がちょっとずれているのが愛嬌です。銅色は赤い黄色より濃く深い感じ。デジタルノギスで改めて計測。
外径28.42~28.52㎜ 
内径19.94㎜ 重量6.0g 

❷背盛異制(江刺風)
輪の肌が穴ぼこだらけで江刺銭のよう。側面は斜め方向にやすりが走りテーパーがあります。初めて見たのは2004年の江戸コインオークションの時。かなり良い値段を払ったと思います。それからしばらくして暴々鶏師から購入したのがこれ。ざらついていますが文字の切れは良い。29㎜は立派ですよね。
外径29.11~29.07㎜ 
内径19.94㎜ 重量5.9g

❸背盛銅替
使い込んだ感じのある大型の背盛。色は黒褐色。側面は縦やすり。大型銭で内径も少し大きいと思いますが、ノギスの引っ掛かりが少なく自信なし。
テーパーはしっかりあります。背波は大きい。一番下の波の幅、高さで比較してください。
外径29.05~29.07㎜ 
内径20.14~20.48㎜ 重量5.2g

❹背盛濶縁大様
②の覆輪次鋳じゃないかなと思います。砥石仕上げでテーパーはほぼなし。背盛コレクターの間では有名なものなんじゃないかしら。8.5gは重く、風貌からもモンスター級で、入手直後は踏潰様と呼んで愛でていましたが、こいつは延展ではなくて覆輪でしょうね。。ただし、面背の内径は明らかに小さい。
外径29.31~28.93㎜ 
内径19.25㎜ 重量8.5g

❺背盛異足寶
暴々鶏師から、寶足がカギ足状に曲がるものは古い山内通用銭の風貌を残しているのだと聞き、捜し出して購入したもの。ただし、古い山内の風貌というものがいかなるものかがいまだに分からない。誰か教えてください。やや茣蓙すれ風の砥石仕上げ。
外径27.98~28.02㎜ 
内径19.74㎜ 重量5.5g

❻背盛小様
初めて買った背盛の磨輪小様母銭。茣蓙すれ。これの大きいタイプはよく見かけます。小さい母銭は見栄えがしないので人気がないのですけど、実は普通品よりずっと少ないのです。通用銭に混ぜられてもかなり小さいので、目立つから使いづらいからだと思います。
外径26.00㎜ 内径19.78㎜ 重量4.1g


計測のためアルバムを探したところ複数枚が行方不明。焦って探しまくって、ようやくアルバム外で発見。100分の1㎜が測れる日本製デジタルノギスで計測しましたが何度測っても内径位置が安定しない。そのせいで古銭に小瑕がついてしまいました。もう測りたくないなあ。これなら多少誤差があってもカーボンノギスで十分だと思います。
 
4月11日【栗林座の色?】
盛岡藩鋳銭に本炉銭は果たしてあるのか・・・というと何言ってるのと思われるかもしれません。盛岡藩領内において鋳造が認められた銭貨は、基本的には當四文鉄銭であって、天保通寶はもちろん、寛永通寶の銅銭類鋳造は一切幕府に認められていません。したがって藩都の盛岡に近い地での本格的な銭貨鋳造事業は、原料調達、安全性の両面から考える限り実施しづらい気がします。
鉄銭はどこで作られたというと「釜石」近郊の「栗林」「橋野」等と、少し内陸部に入った「大迫」あたりが先進地になっていたはずです。いずれも鉄銭の原材料調達には恵まれていた地だと思います。
私は母銭の収集はあまり行っていないのですが、タイプの違いの多い南部藩だけは例外的にぽつぽつ収集しています。密鋳銭を考える上で観察が必要なんですね。

一番上の背盛は紫褐色の精美銭で画像以上に美しい物。直径は28.2㎜ほどで、輪側面は垂直で文字も切り立ってキレキレです。砂目もはっきりしていて地染めの雰囲気もあり、鉄母銭としては比較的古いタイプだと思います。雑銭の会の暴々鶏会長は母銭の製作や銅質を見て、これは栗林、これは橋野、軽米などと系統立てて分類されていて、私は地名と位置関係、製作との関連性が判らずただただ感心していただけ。もう少し熱心に質問しておけば良かったと思います。
背盛のつくり、銅質から、暴々鶏師が美制細字の銅山手(画像二枚目)を栗林座の可能性があると推定されたのはさすがの観察力だと思います。
参考に赤銅質の南部小字(八つ手桐極印)の画像を追加。なるほど銅色はそっくりです。ちなみに、暴々鶏会長はこれらを「あまり赤くない○○」と表現されており、南部藩銭をそれほど見ていない私にはその色彩感覚が今一つ習得できていません。この感覚は「黄色い」表現に対しても同じでして、私にはみんな同じような赤銅質に見えてしまうので困っています。余談ながら八つ手桐極印=六出星極印(東北の収集家の間の呼び名)で、これと同じ極印が盛岡銅山に見られる(らしい)ことから、小字が天保通寶としての初出、藩鋳として確定・位置づけられることになったようです。
 
4月11日【仰寶大字初鋳大様】
モトさん経由で関東のAさんから頂戴した画像です。
Aさん曰く「
小笠原白雲居の旧蔵品で29㎜超えで、背盛の30㎜超えもやはり同じ金質」だそうです。
銭径29.02mm、肉厚1.51mm、重量6.5g、面内径21.51mm、背内径21.17mm
「仰宝大字の母はかなり少ないと思いますが、背がゴサズレになったり、波が太くなったりしていないのは、特に少ないと思います。初鋳ですが、破寛になったり背の右上の輪に癖があるなどしています。になって仰宝大字鉄銭を数枚見てみたのですが、同じ癖は発見できませんでした。このレベルの母銭が何枚か存在する、若しくは、これから母銭を作った際に修正したのでしょうか・・・。」(モトさんの感想)
とのこと。モトさんは若いのにずいぶんよく観察していますね。でも母銭からの写しは数枚だけでは分からないと思います。この母銭はずいぶん使い込まれた雰囲気があるので、破損した後に摩耗したのかもしれませんし、兄弟銭が出現するかもしれません。ただ、鉄銭ですから発見するのは至難の業でしょうね。(写してからの修正はないと思います。)

南部仰寶母銭は比較的ありふれた銭ですが、ごくたまに出現するその大字母銭は別格。たまには普通の仰寶と間違えてネットオークションに出てこないかなあと、目を凝らすのですが、存在数そのものが少ないのか今まで遭遇したことはありません。

ところで・・・南部藩の天保通寶も初出の大型のものは銅色が紫褐色を呈している・・・これは盛岡銅山の金質にも通じる・・・と聞いたことがあります。下に平成17年の銀座コインオークションに出品された南部大字の初鋳とされる画像を掲載。見ての通り製作はあまりよくないのですが、新渡戸仙岳の記録によると、通用銭にこびりついた鋳砂の除去のため出来上がった通用銭を焼いたことなども影響しているのかも。(赤く発色しているものもあります。)見てくれが良くなかったため、たしかこのときのオークションではほとんど競りが起きなかったように記憶しています。

天保通寶と仰寶は鋳造地が異なる上、藩炉公鋳と民炉密鋳という大きな違いがあるので、銅色だけでは何とも言えないという意見もあろうかと思いますが、少なくともAさんの仰寶母銭は別格で、間違いなく初期のものだと思います。29㎜はバカでかいですよ。いいなあ~。
 
4月9日【恵比寿蓬莱手】
南部藩銭の話をしていてAさんから絵銭の恵比寿蓬莱手の画像を頂戴しました。Aさんは寛永通寶の大収集家でありながら絵銭も一通りやられているようで、かなり博識なようです。私は寛永通寶収集のおまけとして寛永絵銭類だけ細々と集めている程度。恵比寿蓬莱手についてはたしか寛永通寶の銘文絵銭はなかったと思いましたので絵銭譜あたりでなんとなく「蓬莱:ほうらい」の名前をうろ覚えていた程度・・・それも鶴が飛んでいるおめでたい図柄=蓬莱といういい加減な記憶です。
蓬莱は仙人が住むという海の仙境らしく、日本では「浦島伝説」や「富士山信仰」などにつながるらしい。恵比寿蓬莱手は大迫の鉄銭座職人が製作したという説があり、本来は鉄の絵銭がメインのようですが、ごくわずかに銅銭もあるそうです。銅質はいかにも東北製の鉛分の多い赤銅だそうで、なるほど東北の色ですね。
明治維新によって失職した東北地方の銭座職人が糊口をしのぐため、このようなお守り銭や飾り物、鍋敷きのような生活雑貨、お土産などの様々な形態の絵銭が作られたと思います。時代変化が急激だったころに、ごく短い期間咲いたあだ花ですね。この恵比寿蓬莱手の図柄は、恵比寿様と鯛が向き合って見つめ合ってにっこり微笑む図柄が斜めに配置されているなどなど、よく見るとかなり洗練されています。
 
4月8日【銅山手】
最近は新規入手がないので何度も出てきた品ですみませんが・・・先日掲示板で話題にした「銅山手」をとりあげます。
「銅山手」のことを東北地方の研究家は「大字」「小字」と比較して「中字」と呼んでいますが、「銅山手」という名称はとても分かりやすく良い名称だと思います。由来は「盛岡銅山」で、その背面に書かれた「百文通用」の通の文字と筆法がそっくりであるからです。
先に申し上げたように、南部藩の天保通寶は「大字」「小字」「銅山手」に分類されていて、製作の違いから研究家は「本炉」「山内」「浄法寺」のように分けたりもします。もともと「山内」については新渡戸仙岳の記述から出たようなのですが、いつしかこれらの言葉が独り歩きしていろいろ尾ひれがついてしまっています。「山内」は県北の浄法寺地区そのもののことで、藩が黙認して民間に鋳造させたものを「山内」、藩に隠れて民間が勝手に作ったものを「浄法寺」とし分類したものと思います。
「本炉」は盛岡・・・と言いたいところですが、鉄四文銭の幕許のあった「大迫銭座」の支座の「栗林座」において「盛岡銅山」と「小字」が作られたののではないかとされているようです。余談ながら、盛岡藩ではじめて密鋳天保通寶が作られたのではないかという記録(噂?)のある「梁川」は地図で見ると盛岡のすぐそば。栗林は釜石の近くで、盛岡からは115km、浄法寺とは180㎞ぐらい離れています。当時の交通事情から鑑みて浄法寺はまさに辺境の世界ですね。
そんな辺境の隔絶された地(山内)で民間によって試行錯誤の結果で作られた「大字」と「銅山手」は製作がバラエティに富んでいます。「大字」は仕上げ工程で火入れをした「(第一期)前期銭」と外川目銭座の指導を受け美銭の多い「(第一期)後期銭」があるとされ、さらに銭文径の小さな次鋳銭も存在するようです。(期の分類は新渡戸仙岳の記述による。)
上段画像の「銅山手」は非常に美しい細字で、雑銭の会の工藤会長からの分譲品です。同氏は小字の製作にも通じるこの銭は、あるいは「栗林座」の作の可能性すらある・・・と推測されていましたが、銭径、銭文径とも小さく、外川目銭座(花巻市大迫:浄法寺の120km南)の指導を受けたあとの「後期銭」もしくはガサ入れ後の「第二期銭」の可能性の方が私は高い気がします。ただ、この銅山手は短期間で何度も鋳写を重ねたとも考えられるので、単純に銭文径が小さいから初出ではないとも言い切れないところもあるのです。(長径47.9㎜ 短径31.8㎜ 銭文径40.4㎜)
続く白銅質の銅山手も工藤会長からの分譲品。「南部當百銭の謎」では鋳写の不知銭として紹介されていました。銭径47.2㎜と小さく細縁広穿で、肉厚は2㎜を切り重量は11.7gしかありません。工藤氏はこれを「反玉手」と名付けてていました。反玉の真偽は分かりませんが、砂目の雰囲気などなんとなく仙台銭をほうふつとさせます。銭文径は前銭に比べて大きく、極印もしっかり打たれていることから(末期であろうことは間違いないと思いますが)完全な不知というより藩が鋳造にかかわっている存在だと思うと天保仙人様は仰っていました。極薄ながらそれだけ鋳造技術はしっかりしているのです。この2枚は私の所有する銅山手の中でも異色の存在で、工藤会長からの分譲品ということもあり、自慢の品でもあります。はい、自慢ですね・・・すみません。
その下に比較用に山内銅山手の典型的?な(少なくとも私はそう思い込んでいます。)初出大様銭を掲示します。長径49.2㎜ 短径32.9㎜ 銭文径41.4㎜ 重量24.0g。後期銭の流れを汲み、肉厚で背浅く、横から見ると台形の形状はある種の密鋳寛永銭とそっくりなのです。
最下段の1枚は関東のA様から頂戴した画像。がっちりした山内の初鋳のつくりに見えますけど長径は48.2㎜ほどらしく、私は不勉強でこの発色と製作はあまり見かけた記憶がない気がします。銅山手は本当にいろいろなタイプがありますね。
なお、「浄法寺」については明治期から大正期にかけて民間で作られたもので、一部母銭も発見されています。通用銭に混ぜられて実際に流通させられたもの以外に絵銭として寺社境内で売られたものの、昭和時代につくられた悪意ある贋作も数多く含まれます。製作は粗く時に収集家の目を引く作りで、金質は固い。極印は桐というより十文字状の異極印で、鋳放し無極印のものの多くは時代が降ると思われます。
 
①通常撮影(光源は下)
②光源を上側に・・・ 
③光源を左側に・・・
④光源を右側に・・・
4月3日【スキャナーの限界】
結論から言うと、昨日の志津磨大字は本体で間違いありません。銭径は24.0㎜ですから決して大きくありませんが、状態はすこぶる良く申し分ありません。
そこで撮影方法を変えて4パターンの画像を掲載しました。
スキャナーは通常原稿を下から上方向に向かって読み込みます。読み取り機は下から上方向に移動するので光源は下方から照らされる・・・つまり①の通常の撮影方法では、影が文字の上部にできる形になります。画像だと不思議なことになぜか平面的に・・・本体ではなく平永に見えてしまいます。足元から照明が当たるというのは、人間の感覚からすると非日常的なんでしょうね。懐中電灯を顔の下から照らすとお化けのように見える現象と同じなのかもしれません。
そこで・・・スキャナーの上に古銭を逆さまにおいて撮影してから、画像を180度回転させると②の画像が撮れます。この画像では志津磨大字本体に間違いなく見えます。永尾のくねり、跳ねがよく分かるでしょう。
参考までに③光源左と④光源右も撮影してみましたが、印象的には④の方が自然でしょうか?
今回の件でスキャナー撮影は②がもっとも肉眼印象に近い(たぶん、光源が右上なら問題なし)ということが改めて分かりましたが、加工にひと手間かかります。
影に偏りのない拓本のような画像のとれるスキャナーはないものでしょうかね?この件についてはある程度は知っていましたが、改めて
老眼の進んだ自らの目を疑った出来事でした。
 
 
4月2日【もったいない志津麿】
古寛永の中の超有名銭に志津麿大字というものがあります。志津麿とは江戸初期の有名な書家の佐々木志津麿のことらしく、斜王寶で銭面いっぱいに素朴な書が踊るこの銭は迫力があり、古寛永収集家なら一枚は手に入れたいと思うはず。
この古寛永は別名柳斎大字と言い、1700年代初頭に活躍した古泉家の妹尾柳斎の名が冠せられることもあります。いずれにしても源氏名(いわゆるあだ名)で有名な古寛永で、とても格好が良いですね。「しづま」の発音は私の世代では「星飛雄馬:巨人の星」に通じるものがあり、そういえばアームストロング・オズマなんてキャラクターがいたな・・・サマーウォーズにも「かずま」ってキャラがいたななんて思いだしてしまいます。「○○ま」は私の世代の耳にはなんとなく格好良い、クールな印象があります。
ところで私の「志津磨」収集品はそれに反して画竜点睛を欠いています。

一番上の品の「志津磨大字平永」は、たしか入札誌銀座で手に入れたもの。大きさは24.9㎜とありますからかなりの大ぶり銭です。状態もまずます。ところが・・・すぐに手放してしまいました。当時は何か大きな出費をする際は手持ち品をヤフオク等に放出して心(出費)のバランスをとろうとしていた頃。妻と旅行で大出費してた頃ですし、子供も生まれたころだったかも。こいつは九州の泉家の方に格安でお嫁入をして、掲拓もされていたと思います。ああ、もったいなかった。

2枚目はもっと大ぶりの「志津磨大字平永」。なんと25.35㎜。たしか駿河で入手したんだと思います。これがすでにあったから先の品を手放してしまいましたが、火を被っている雰囲気です。背も小郭になっています。これを残して先のものを手放したことを失敗したなあと思ったものの後の祭り。贋作じゃないけどとにかく色が悪いですね。ああ、もったいない。

「志津磨大字」は大ぶりのものが多いのですが・・・
3枚目の「志津磨大字」は磨輪されていて24.0㎜ほどしかありません。本体と思って購入したものです。本体は別名の跳永のように両永尾が浮いて跳ねます・・・けど、改めて画像を眺めるとこいつは本体だとばかり思っていましたが平永との中間体のようにも見えてきました。どうなんだろう。ご意見をください。やっぱ平永かなあ。
(比較画像を追加・・・私の中で平永であるの可能性の方がが高くなってきました。)古寛永としては普通のサイズですし、紛れもない本物でしかも状態もすこぶる良いのですが、なんとも小さいのが磨輪もったいない。本体の存在は平永の半分以下しかないので、めったに見かけません。ひょっとしたらこのように小さいものは珍しいのかもしれませんが・・・。(さらに入手当時の拡大画像を追加・・・やっぱり本体だ!迷ってごめんなさい。でも縮小画像だと平永に見えます。不思議。)

最後の一枚は「不知狭穿小点永」のすこぶる美銭です。少し赤く発色していますが、伝世の美銭。筆法、似ていますね。御蔵銭も別名志津麿百手というそうで、この辺りの古寛永は皆素朴系の書体です。
今は古寛永収集を自重していますが、美銭の「志津磨大字」に出会ったら衝動を抑えられるかどうか・・・

※雑銭掲示板が海外でも閲覧できるようになったそうです。カウンターも設置してみました。HTMLの構文など久しくやっていなかったのですが、参考書を引っ張り出して見様見真似です。HPをもう一度勉強しなおしてみようかな。
 
3月30日【本座以外の吾が鏡】
ネットで玉塚天保を落としてしまいました。玉塚栄次郎は初代と2代目がいます。玉塚証券を創設し、天保銭主義を唱え、玉塚天保を作って配ったたのは初代です。 最近人気があるようですが、もともとは絵銭と言いますか商売人のお守りのようなもので、その昔は傷者扱いであまり人気がなかったのですが・・・天保仙人様をはじめとする複数の収集家が、誰も集めていないからという理由でこぞって集めはじめて盛り上げたため、現代の私たちはそれに踊らされているわけでして・・・困りました。ところで玉塚家は現代の日本社会もリードしている経済界のエリートなのです。皆様ご存知ですか?Googlで調べてみるとよく分かります。
玉塚証券は新光証券を経て現在のみずほ証券になり、玉塚栄次郎のひ孫の元一氏はユニクロ、リヴァンプ、ローソン、ロッテホールディングスとまあ、華々しい企業経営者人生です。実は年齢も近いし、大学も同じだし、最初に勤めていた会社は実家のすぐそばだし・・・うらやましいったらありゃしないです。
今回入手した玉塚天保は「久留米正字背異替の吾が鏡」でした。玉塚天保には「人の鏡」と「吾が鏡」刻印がありますが、感覚的には「人の鏡」が「吾が鏡」の倍以上あると思います。そしてほとんどが本座広郭で、細郭や長郭は少なく、藩鋳銭に刻印が打たれているものはさらに少ない。2012年の江戸コインオークションに秋田長郭の玉塚天保が出たことがありましたが、競りの発句が13万円、同年の銀座コインオークションでは久留米正字濶縁の玉塚天保が出品されて、あれよあれよという間に8万円を超えた価格になってしまったと、制作日記にありました。いくら何でもちょっと高すぎないかしら?
多くの収集家はもし、曳尾の玉塚天保があったら喜ぶと思います。しかし、奇天や薩摩小字の玉塚天保があったとしたら・・・この極印がなかったら・・・と言うに違いありません。珍しいけど余計なもの、今でも傷物なんですね。
当時の制作日記記事を読み返すとオークションでは4~5万円までは降りないなんて今では考えられないぶっ飛んだことが書いてありました。反省です。
かくいう私、本座広郭(人・吾・異・山)長郭(人・吾・異)、細郭(人)のほか、薩摩広郭(吾・異)、正字濶縁背異反足寶(異)、水戸繊字(人)、久留米深字(吾)と集めてきました。(人=人の鏡 吾=吾が鏡 異=人の鏡異書 山=山石刻印) 今回の入手品、玉塚天保としては珍しいタイプです。質素・倹約・精進を世に説いてきた玉塚栄次郎としては、自分の作った意匠品によって無駄遣いが行われていると知ったら・・・きっと嘆くでしょうねぇ。

雑銭掲示板Ⅱを有償版にアップグレード。毎月の費用は掛かりますが投稿者の編集機能は必要だと判断しました。よく分かっていない隠し機能がまだたくさんあるようです。また、リソースが向上するため、閲覧速度が上がるようです。海外の閲覧障害が若干解消するかも・・・。

 
3月28日【島屋細縁】
関東Aさん提供画像の島屋細縁(母銭式)と島屋細縁(通用式 )と島屋小頭通細縁。さすがAさんですね。母銭式と通用式はどちらも母銭の作りにしか見えないのです。のです。母銭式は郭内にテーパーがあるそうです。通用式はこうしてみると母銭を磨輪して格下げしたように見えますが、2枚とも完璧な品です。
一方、島屋小頭通細縁は摩耗が激しく特に背の出来が悪い。郭内は平らに仕上げられていて母銭の作り。輪は砥石で磨かれたように平ら・・・つまり摩耗させられていますので母銭としたら廃棄母銭です。
方泉處に鑑定をお願いをしたら大騒ぎになってしまいましたが、もともとは違和感を感じて鑑定をお願いしたのが真相です。Aさんの非の打ちどころのない島屋細縁に比べると、いくつも欠点がありますので異論が出るのも分かります。間違いないのは通常の島屋小頭通細縁より内径が大きいということと背が摩耗して作りが甘いものの郭内など母銭の仕上げであること。今まで見てきた島屋細縁は郭内に仕上げがあり銅質も通常銭とは異なってものすごく練れが良いものが多いので、この点はどうやらそんなに悲観することではなさそうなのです。ただ、表面に通常の通用銭のような砂磨きの瑕がないのも違和感のひとつですし、特に背は磨かれたように摩耗しています。真贋については数々の意見がありますが私にとってはこのサイトを作り始めるきっかけになった原点であり、記念の品です。それにしてもAさんの島屋細縁は何度見てもいいですね。この間のネットで出た島屋細縁・・・表面が荒れてましたけど、問題のない品に見えました。でもこれ見ちゃったら・・・脱帽です。銘品の隣には何も並べられないですね。
 
3月27日【密鋳銭延展系】
ヤフオクで4文密鋳銭俯永写を入手。(上画像)下の画像は比較用の手持ちの小字写ですけど、同じ系統とみています。
輪の形は歪んでいて横やすりです。銅質は黒味がかった黄銅質で、踏潰の系統じゃないかと勝手に思っています。
延展という言葉は金属加工の専門用語かと思っていたらさにあらず、繊維業界の専門用語で糸むらを防止するため綿の繊維を平らにしておくことだそうです。私は絶銭の会の工藤会長の説明でこの言葉の存在を知りましたが、本来の意味とは別の転用だったようです。同じように転用された古銭用語に「覆輪」があり、これは本来は刀の鍔などの加工や、転じて陶磁器の直しなどの技術に使われたのが本来。転じて古銭を大きく見せるための技術用語となり、さらに転じて着物や植物の花の柄の表現にまで使用されるようになったようです。
さて、鋳写し密鋳銭の最大の問題は、写すことによる銭径の縮小です。密鋳銭は贋金ですから受け取り拒否されたら一巻の終わり。少しでも見てくれを良くしようと事業者は工夫します。昔は挿しによる流通が予想以上に多かったようで、そうなると挿しにしたときの見た目の大きさはとても大事なのです。
延展はもっとも原始的な技術で、薄い銭の鋳造がうまくできなかった密鋳銭座において、分厚くできた銭を叩き延ばすことは、大きく見せて密鋳と見破られにくくすると同時に、原料節約にもなる一石二鳥の工程です。
上段の俯永写は輪に叩かれたような痕跡がところどころに残る(輪の厚みが不均一な)原始的なものだと思っています。ただし、通用銭を1枚ずつ延展することは大変手間なのでのちに母銭を延展し、新規大型母銭を作成したり、覆輪母銭を作るといった技術に移行したのでは・・・と思う次第。
 
3月23日【銭座のお話】
天保仙人様からお電話を頂戴していましたが、大変失礼なことに忙しさにかまけて中途半端になっています。(感染症対策と予算書づくりで最近まで気が狂いそうでした。)仙人様は芝・浅草の銭座について教えてくださいました。

ところで・・・
私の生まれ育った町(千葉県市原市姉崎)は歴史的に古い町で、地名に痕跡があちこち残っています。延喜式にも残る由緒ある神社のある地域には4~6世紀にかけての大きな古墳がいくつも残ります。町はそんな大きくはないものの、門前町「宮下」、宿場と商業地「上町」、武家屋敷の多い「本町」とそれに続く、庶民と漁民の暮らす「仲町」「下町(しもちょう)」とあり、港は「椎津」「今津」周辺部の農村は「○○新田」といった具合に地名できれいに色分けできます。地図で見ても藩邸(鶴牧城)の前には「大手橋」、周囲はぐるりと「大手川」が巡り、裏手の山は「勝望山」と名付けられていましたが、かつてはそこに連なる山に古代の砦があり、中世の大きな合戦(椎津合戦)の舞台にもなっています。

このような地でしたから、昭和のはじめまで地域による身分格差が隠然と残されていたようなのですけど、今ではそのことを知る人はほとんどいません。
ちなみに我が家のルーツを紐解くと、関ヶ原の戦いの後に「姉ヶ崎藩」が30年ほどありまして、そのときの家臣に私と同じ性の旗本がいて、所領を持っていました。藩主の転封により新潟に移住したとき、3人の子孫がこの地に残ったとか。その流れの一つが本家らしいのですけど、刀を鍬に持ち替えたのか明治時代は名主になっていました。(一連のことは市原郡史などの歴史書として残されています。)
明治末期から昭和初期にかけて・・・嫡男でなかった祖父は東京湾貿易(五大力船)や銀行を営む商人の家に丁稚奉公し、まじめな働きぶりが認められて酒販売部門の番頭になり、その後その業を受け継いで独立しましたが、「下町」に家を構えたことは都落ちのようで不本意だったと話していたことを最近父から聞かされています。町の中では「下町」地区が一番格下で、その中にもさらに地域差があり、婚姻などの縁組にも制約があったようです。

江戸時代の銭座はこういった下町地域につくられた経緯があります。農耕に不向きな荒れ地や低湿地が多く、火災に強く、水運に恵まれていること、仕事にあぶれた労務者がたくさんいたことも要因でしょう。
もともと渡来の技術だった鋳銭事業。渡来人の力の増大を恐れた権力者は、技術独占を認める代わりに居住地も制限をしたとも考えられます。このような地は、方角的には鬼門・裏鬼門にあたったり、刑場や焼き場などの不浄の地が近かったりもします。上野(鬼門)と芝(裏鬼門)には東照宮、大きなお寺(寛永寺・増上寺)もあります。これらは江戸城の邪気を払うために建てられたと考えられます。この点は仙人様からもご指導を受けて、なるほどと思った次第。

鋳銭技術については戦国末期からは河内鋳物師の系譜の下級公家真継(まつぎ)家が全国の職人を事実上統率していました。そのため大都市部を除き、鋳物を生業にするには真継家の許諾が必要でした。裏を返せば真継家の了承なしには職人は動けず、鋳造事業は行えなかったということになります。(真継家は後に斎部→忌部と改姓しています。)この絶対的権力を抑えるために、身分制度は利用されたとも考えられます。

ところで、大都市である江戸における鋳銭事業は、代々「長吏頭矢野弾座衛門」を名乗る人物が深く関係しています。この人物は源氏の流れを汲むともされていますが、古くは渡来系の波多(秦)氏の系譜だそうです。秦=織物の一族ですけど、鋳銭にも関与したのでしょう。弾座衛門は家康に認められて、江戸の下町のかなりの地と職人、芸人、遊女などを実質支配していたようです。この人物の歴史は調べるとなかなか面白そうです。歴史にはいろいろな見方がありますので、多方面から眺めると良いと思います。
お話が途中までになってしまっていますが、コロナ禍が一段落したら、仙人様には古銭を並べながらゆっくりお話をお聞きしたいと思っています。 
 
3月18日【雑銭掲示板Ⅱはじめました。】
GMO社の掲示板(ティーカップのBBS)閉鎖に伴う措置としてRaraという無料掲示板サイトに新しいサイトを作りました。HP本体は画像が増えてすごく重くなって反応が鈍くなり、直接書き込むと時々固まってしまうようになっています。その点、これらの掲示板はサクサク動くし、相互通信が簡単にできるのが良いです。ウィルスの心配もほとんどありませんし・・・。雑銭の会(旧:練馬雑銭の会)のサイト終了予告に伴い、2017年10月下旬にGMO社の無料掲示板に開設したのがはじまりですから、まもなくBBSも開設4年半になります。

基本ルールは以下の通り
1.個人攻撃、誹謗中傷にならないように配慮すること。
2.原則ニックネーム投稿です。なりすまし投稿厳禁。
3.古銭以外の投稿、宣伝行為、借用画像は控えめに。(私が一番危ない。)
  ※実際は近況報告、雑談でも何でもありです。個人情報の扱いにご注意ください。

追加ルール
※この掲示板の最大の欠点は投稿後の修正が管理人以外はできないこと。
1.誤字脱字、表現修正は管理人が行いますが、気が付かなかったらごめんなさい。
2.修正は削除→再投稿もしくは管理人にお知らせください。
3.お礼だけの返信はできるだけ控えてください。
4.迷惑投稿者と判断した場合は連絡なく出入り禁止とします。

BBSはその昔、パソコン通信と呼ばれていたと思います。最近は様々なSNSに押されて姿を消しつつありますが、旧式タイプながら私のようなアナログ型人間には使いやすいですね。LINEはうるさくて苦手です。

旧コンテンツは8月1日で閉鎖になります。記事・画像救出はお早めに
→ 雑銭掲示板(旧)
新コンテンツはこちら
→ 雑銭掲示板Ⅱ
 
 
3月16日【駿河落札】
大和文庫さんの入札誌、駿河の落札品が届きました。1枚目は会津濶縁離足寶です。はたして入手はこれで何枚目なんでしょうか。会津濶縁の類はなんとなく好きで、つい買ってしまいます。本当になんとなく。しかも、なんとなくの理由が自分でもわからなくなりつつある。たぶん、天保仙人様のご自宅で拝見した「会津濶縁離足寶の元になったかもしれない超厚肉の会津短貝寶(画像中段)」の印象が強烈で、それからだと思うのです。同じものを何枚も集中的に集めるのは私の流儀ではないのですが・・・もはや病気です。
長径49.4㎜ 短径32.9㎜ 
銭文径40.2㎜ 重量19.6g

もう一枚は不知長郭手の宏足寶の類。先ほどは濶縁短足寶でしたが、こんどは刔輪長足寶。おそらくHPで狭玉長足寶としているものの系統に近い。寶下の加刀がさらに強烈で手に取ると横方向の加刀痕跡がはっきり確認できます。また、寶王の加刀も強く陰起気味な狭玉寶になっていますが、掲示画像では分からないと思います。
この手の不知銭は何枚集めても完全合致することはめったにありません。関西のTさんのように兄弟銭を発掘する天才もおりますが、気が付かない凡才の方が幸せってことも結構あると思います。
長郭手覆輪強刔輪狭玉宏足寶
長径49.6㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径41.2㎜ 重量18.8g

 
3月9日【天保銭がいっぱい】
①から⑥まではHさんのもの。
①長径49.66mm、短径32.91mm、銭文径41.9mm、重量21.96g、内径44.1mm
②長径49.58mm、短径32.81mm、銭文径41.5mm、重量21.06g、内径43.7mm、玉持極印
③長径49.38mm、短径32.72mm、銭文径40.8mm、重量22.60g、内径42.9mm 

④長径49.96mm、短径33.04mm、銭文径41.8mm、重量26.39g
①離郭、②離郭玉持極印、③離郭濶縁、④離郭大ぶり厚肉銭。
③は私が記事に書いた結果刺激を受けたようで、離郭濶縁が欲しくなってたまたま出品されていたロット物を落としたとか。落とせる力がすごいです。内径や銭文径が異なるのがよく分かりますね。天保仙人様が天保通寶段位制度を発表されたとき、離郭10種類が課題にあり、攻略にかなり苦労しました。爪百、中郭、細郭に銅質違いなどを加えてギリギリという感じでした。仙人様の真意は製作の違いに気が付くように課題を与えてくれたと思っています。
④は離郭の細郭で良いですかと聞かれて困っています。実は微妙。本音を言うと中郭にしてしまうかもしれません。背郭があと少し小さいと細郭と言い切ってしまう・・・そんなレベル。あいの子ですね。私が持っている唯一の細郭は、平成22年半の「日本の貨幣・収集の手引き」の原品なのですけど、これとて本座に比べれば中郭というよりも広郭広穿と申した方が正確です。本座のように分かりやすい細郭は福岡離郭には存在しませんので確かに相対的には細郭で、特に面側はかなりいい線いっています。つまり判断は見た人が決めるものなのかもしれません。結論:細郭としても良いけれど、中郭に留めておいてさらに細郭のものを探しましょう。収集家の欲望は無限ですね。
なお、これかなりの大型銭です。離郭は大ぶり厚肉のものがもともと多いのですけど、こいつはあとわずかで50㎜に到達しそうで、重量も立派です。①②③も大ぶりなので目立ちませんけど、立派立派。50㎜超過だったらなおよろしい。探しましょう。

続く➄は未使用クラスの不知長郭手覆輪刔輪銭。刔輪により細縁になっていて天上、寶下、とくに背面側の當上の刔輪が素晴らしい。刔輪の結果、寶前足先端が鋳走り状に伸びて屈曲し輪に接しています。異足寶とか曲足寶とか名付けたくなる品。このまま足が順調に伸びれば宏足寶になりそうです。
⑤長径49.07mm、短径32.92mm、銭文径40.8mm、重量19.93g

⑥は磨きが入っていますが、砂目が粗く覆輪銭のように見え、不知銭かもということ。
⑥長径49.61mm、短径32.62mm、銭文径41.2mm、重量19.32g
サイズ的には本座異制、昔だったら秋田本座写と言われています。HPにはまだ残していますけど、本来は秋田じゃないですよね。(南部民鋳は復権していますけど。)これだけ砂磨きが強いと明治吹増の恩賜手とされるつくりですね。

⑦はクレイグさんからの画像です。米国貨幣協会の所蔵のラムスデンコレクションから頂いた画像だそうで、拓本集のものと同一品。クレイグさんは贋作だと考えています。掲示板に投稿してある土佐通寶も同様のものです。
たしかに土佐通寶の571番は全くダメなんですけど、570番とこの萬年通寶は直ちにだめだとは私には言えません。ラムスデンは贋作ブローカーでもありましたが収集研究家の一面もありました。贋作を作るために本物も集めたそうで、目録の中の天保通寶の拓本の中には本物も多数混じっているからです。それに土佐通寶、萬年通寶の鑑定ができるほどの実力は私にはまだまだ。画像だとさらに分かりません。これが判るのは天保仙人様クラスの大収集家だと思います。ご意見お待ちしております。
①  ②  ③ 
④  ⑤  ⑥ 
⑦     
萬年通寶
ラムスデン没後、米国内の収集家から米国貨幣協会に寄贈されたラムスデンコレクションの中の1枚。ラムスデンが最後まで手放さなかった品々で詳しくは昨年の制作日記8月末をお読みください。この画像はクレイグさんが米国貨幣協会に問い合わせ入手したもの。並びから見てラムスデン本人も本物として考えて収集していた可能性が高いと思われます。本当はクレイグさんが入手した目録の拓本も公開したいのですが、なにせ巨大でして・・・
 
「窈」の読みかた
(訓読み)
 ↓ 黒い部分を選択

あでやか
おくぶかい
おくゆかしい
かすか
のびやか
3月8日【投稿画像】
年度末が迫り、身動きがとれなくなりつつあります。コロナもウクライナも大変で、閉塞感がすごいですけど皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、中国の熱心な日本銭コレクターから頂戴した画像です。
一番上の画像は古寛永坂本高頭通背濶縁背星・・・普通は星はないんですけど・・・彼は手本銭の検証から「背星(称:水戸銭)は坂本である。」という話があったことをご存知でした。さて、古寛永にはときどきこのような見事な背星銭がみつかります。偶然の産ということにされていますが、私はいくつかは意図的なものであると考えています。これも大化けする可能性を秘めています。
2枚目は・・・とてもきれいな永楽、でも明の本銭ではありません。大きな画像にしたのは輪の際の刔輪などの加刀痕跡をはっきり見せるため。贋作の場合、歯科技工の道具を使用しますので旋回痕が観察できますがこれは大丈夫そう。鐚永楽の窈字です。
さてここで問題です。「窈」の文字の日本語としての読みと意味はなんでしょう?
ヒント:音読み「よう」
訓読みは 〇〇やか、〇〇〇〇い、〇〇〇〇しい、〇〇か、〇びやか の5種類があるそうで、大学・一般レベルの漢字だそうですけど・・・本当かなあ。
文久永寶は直永進点永。この類の本体は永点が削られて丸く小さくなっています。個体変化としては文横引きが俯しているように見えますね。数はかなり少ないものです。
最後の画像は安南寛永の元隆手、異置背文の系統で足が横置きされています。面文は混書とも言える書体ですけど寶足が隷書体でカギ状になっています。この画像の投稿者はモトさん・・・高校にこの春進学するようですけど、将来が楽しみな存在ですね。ただ、この時期は体力も勉強もドンドン伸びますから、古銭以外にも広い視野を持って活動してくださいね。
 
3月6日【安南寛永かも?】
いずれも密鋳銅一文の観察箱に掲載していますが、入手当初から違和感のあった品。日本国内の産とするには銅質・製作ともに類品が見当たらないのです。当初から安南寛永じゃないかと思っていたのですが、これぞという手類銭が専門外の私には分からないのです。安南銭は銅色や製作が分類上の重要ポイントなんですけど、白黒の拓本では分からないのが最大の理由。
日本における密鋳銅一文銭の鋳造が行われたのは寛永銭出始めの頃と幕末の一瞬だと思っています。もちろん、鉄一文銭鋳造のためにつくられた「母銭」もありますので数的にはある程度はありますが、天保通寶や4文銭に比べれば圧倒的に密鋳一文銅銭は少ないのです。
そんな違和感のあるものたち。先頭の文銭直写しは日本密鋳だとしたら九州方面なんですけど、やはり安南と見るべきか。ただ、真鍮質とも言えない。実は拓本の印象から裕民手という名前がはなから頭に浮かんでいたのですが、裕民手の手類銭考の説明には「銅色は赤褐色を帯びるが、古色黒褐色を呈し・・・」とあり、説明と合致しません。ただ、裕民通寶の銅色には黄色いものも散見されます。ですので、これ「裕民手」でも良いんじゃないかな・・・と思えるようになってきました。妄想かな?
2枚目・・・これ、よく見ると1枚目とすごく良く似ています。背のずれはさらに激しく、とんでもない錯笵です。
3枚目・・・これは母銭です。それも極肉厚で、側面は垂直仕上げの葛巻銭風。
おそらく鉄母銭ですから、日本銭でほぼ間違いないとは思うのですが、背のズレと元の歪みが安南風。こんな白銅質、日本銭にはまずないのですけど、さりとて安南銭でもあったでしょうか?

 
3月5日【青天の霹靂】
雑銭掲示板は自由に投稿できるし管理も楽・・・と最近は制作日記以上に更新していたのですが、本日掲示板の上部に「重要なお知らせ」と書かれているのに気づきました。開いてみると8月1日13:00でサービス終了とあります。頭を金づちで「が~ん」と殴られた思い。
今までこの掲示板から様々な知識も得られましたし、オープンな相互通信もなかなか良いものだと思っていましたから。これが無くなるのはつらい。
無料の掲示板は他にもあると思いますが、情報保持が無制限で読みやすい物が何かまだよく分かりません。情報募集します。
 
3月2日【安南寛永】
最近は新規入手品が滅多にないのですが・・・安南寛永は見たことのない品が残っている最後の聖地。安いのもありがたいですね。難点は見栄えがしないことと、参考文献があまりないこと。泉譜掲載のない品も多く、あ~でもない、こ~でもないと悩みながら楽しんでいます。
画像上段はかつて収集誌の特集で静岡いづみ会の穴銭入門に「大字千木永背文」掲載されていた品。(穴銭入門新寛永の部では上文長寶で掲載。)個人的には退足寶と言っても良いかなと思います。
寛文期亀戸銭を模したものですけど、書体は完全にオリジナル化しています。

下段は新寛永の直写しもしくは摸鋳によるもので書体的には延尾永かなと思います。輪は欠けていますしス穴がいくつも空いていてみすぼらしいのですけど、私が知る限り泉譜記載は見当たらない・・・珍品か???でも1000円もしないので安南寛永は面白い。きりがないと言ったらそうなんですねど。

そのきりのない安南寛永の変わり者たち。(左上から)
永利手二水永は手類銭の中の有名品。砂鑞質と呼ばれる、鉛・錫・亜鉛などの黒~白色金属で鋳造されていて劣化しやすいのですけど、この個性的な書体は一度見たら忘れられません。
異国唐国手の古寛永写しと思しきもの。あるいは開元手かもしれません。文字の削字変化があり、島銭のようです。
亀寶至道手背工は手類銭考下巻補遺原品です。たぶん、元方泉處の石川氏が採った拓本がまわりまわって掲載されたんじゃないかなあ・・・掲載にあたって名前を出すか否か聞かれたと思います。亀寶至道手そのものが少ないですからその有背銭は絶希ですよ。
異書大広穿背郭下文 も初めて見た品。異書大広穿無背は入手できなくもない品ですが、なぜか郭下に文の文字が正しく置かれています。
3段目の2枚は母銭だと思います。左は元隆手異置背文の類で、横浜古泉研究会の入札誌に母子で出品されていたと記憶しています。子銭の入手はかなわなかったのですけど、珍品の方が手に入れられました。
吉田縮字写背異文は催事の際に店頭で入手したもので、真鍮質の薄っぺらい品です。この類は広穿で背郭が反郭になる癖がありますが、一般のものより一回り大きく文字もはっきりしていますので母銭かなあと考えています。背の文字が陰起して文なんだか元なんだかよく分かりません。あるいはこれが理由で通用銭に格下げされたものかも。
最後の2枚は1992年の収集誌に掲載されていたのでご存知の方も多いかと・・・(秘宝館参照)
実はこの2枚、収集家の元から盗まれて行方不明になっていた品だそうで、ヤフオクに出た際に熱狂して文文(双文)を落札しました。後に文太異文も出品され、何も知らない私は七雄泉さんと大激戦を演じて敗れ去りました。七雄泉さんはこれらの品をいづみ会のある静岡に取り戻したいという強い思いがあったそうで、あとでその話を耳にしました。人を介して割譲を申し入れられたのですが文文(双文)はその後別の品がネット市場にもう一度現れ、七雄泉さんが無事入手されたようです。
永利手寛永二水永 異国唐国手?古寛永手建仁寺摸削字
亀寶至道手背工(手類銭考下巻補遺原品)   異書大広穿背郭下文 
元隆手背左倒元母銭   吉田縮字写背異文母銭 
四ツ寶広永写背双文(収集92年4月号原品) 猿江小字写背文太異文(収集92年4月号原品)  
    画像提供:七雄泉様 
 
2月26日【斜珎の人気】
1月以来2度目の登場の斜珎・・・人気銭です。分かりやすい特徴があると言えばそうなんですけど、奇天や長反足寶ほどの飛びぬけた特徴ではありません。かといって俯頭通や草点保のようなオリジナリティの高い書体でもないし、特段風格があるわけでもありません。
名称の「斜珎」は不知天保通寶分類譜で瓜生有伸師に「離貝寶」に変更提案されましたが、「斜珎」の名称が皆さん捨てがたかったようで、この名前で定着しています。
ただ、天保泉譜に記された「寶王の第三画横引の傾斜著しく、尓の柱が甚だしく仰ぐ」という特徴記述はどうなんだろうと思います。すなわち、この特徴だけで「斜珎」を拾い出すのはほぼ不可能に近い。つまり瓜生氏の言う「離貝寶」はまったくその通りなのです。名称付けは一番最初につけたときの印象が大きいのですね。名称と鋳造地が一致していない古寛永が大混乱している現状を見ると痛感します。
また、寶珎のバランスが悪いので、説明はともかく、なんとなく斜珎ぽく見えることが斜珎名称定着に一役買っていると思われます。
過去にいくつかの斜珎を拝見しましたが、その特徴は①中見切りの鋳造方法(鋳型の合わせ目が銭の厚みの中央部分)で②面背の型ずれが穿内に現れやすいこと。②寶王が貝から離れること、④天の第一画が削られる削る頭天、⑤大頭通、⑥覆輪刔輪銭で寶足が前に突き出し仰貝寶気味に見えること、⑦保点長く張点保気味になること、、⑧砂目が滑らかで鋳肌のぶつぶつが少ないこと、⑨花押降誕のカーブに加刀があること・・・などですが、これらとて削字変化が多く一定ではないと思います。
数は少ないものだと思いますが、書体より製作の違いを楽しむようなところがあり
、玄人受けする不知銭。そんな斜珎がネットに突然登場しています。ここに記しているということは私はもう戦意喪失です。
 
2月16日【浄法寺系】
大和文庫に出ていた品。好奇心に負けて思わず応札してしまいました。責任払いです。虎穴に入らずんば虎子を得ず、飛んで火に入る夏の虫を地で行く私。鉛分の多い金質で秋田小様を思わせます。厚みは2.9~3.4㎜、重量27.5gと厚肉ですけど長径48.2㎜ 短径31.8㎜ 銭文径41.15㎜という縮小の重量銭。穿内は背から軽くやすりが入る程度の仕上げ。面白いなとは思いましたが極印が丸く横打でとても桐には見えません。浄法寺のある種によく似ていますのでその系統のように思えます。やすり目も浅いので・・・。人によって評価は異なりますがこの系統は東北のSさんの方が良くご存知でしょう。こういったものを実際に見るのは勉強にはなります。毒食らわば皿まで。

※本日は養老渓谷の大多喜側から麻綿原高原まで往復16kmほどを走破。行きは2時間30分もかかりましたが、帰りは途中から小走りで1時間45分ほど。私らの行動を電線管理の仕事をされている方があちこちで見ていたらしく、ふもとで「麻綿原にいらっしゃいましたよね。ものすごく歩くのが速いのでびっくりしました。」と、わざわざ車を停めて褒められました。連れ合いがトイレに行きたかっただけなんですけど。
 
2月13日【星繰銭】
画像を提供してくださった関東のAさん所有のこのやや大型の絵銭は「星繰銭」や「指月」と呼ばれるとても古い物。「指月」とは月を指さすと愚かな人間は本質である月を見ずに指の方に気をとられてしまう・・・物事の本質を見ずに周囲のものに囚われてしまうことなかれ・・・という仏教の教えなんだそうです。星繰は江戸期の易占の九曜星繰・八卦占・太陰暦等が合体して生まれているらしく、起源・発祥は京都の東寺なんじゃないか・・・という曖昧なことまでしか分かりませんでした。
そもそも九曜は供養につながるらしいのですけど、それががなんで絵銭では六曜デザインになっているのかとか、通常は八が欠けている(八があるものも存在)理由がなぜなのか・・・もしかして八卦=はっけだから→はちかけ?・・・なのか、妄想は膨らむもののよく分かりません。丁半博打から来た「一か八か」という慣用句がありますが、サイコロの目が1から6までなので星が6つになったんじゃないのか・・・だからこれは博打のお守りで良く見ると星が丁半とサイコロの1の目を現しているなんてね・・・妄想です。
この画像のように背郭の周りが幅広く円形になるものは「日本の絵銭」にも掲載されています。ちなみに「日本の絵銭」では手偏の「星
銭」になっていますが、正しくは糸偏の繰の字だと思います。それにしてもこんな絵銭もお持ちとはAさんなかなか手広いですね。
※星繰は訓読みで「ほしくり」または音読みでは「せいそう」と読めます。古銭用語ではどちらが正しいのかよく分かりません。「指月」は「しげつ」がワープロで変換できるので一般的ですが、我が家にほど近い仏教系の学校の教えでは「しがつ」としてネット紹介されていますので、元は「しがつ」だったのかもしれません。日本語って難しいですね。
 
長径49.15㎜ 短径32.35㎜
銭文径41.35㎜ 重量22.2g 
内径43.75㎜
 
2月9日【離郭玉持極印】
大雑把に言うと福岡離郭の規格は3タイプあると思います。①内径が44㎜を超えるもの、②内径が43㎜後半のもの、③内径が43㎜前半のもの。これは秋田小様と似ていて、通用銭を母銭として覆輪して写したと考えられます。密鋳銭の鋳造においては短期間で大量鋳造をするため、通用銭を母銭に使用することは良くあったようで、銭文径の異なる・・・つまり鋳造段階が異なる鋳写製の通用母銭が同時に使用されたと思われる例が見られます。
ただし、福岡藩の場合サイズの異なる母銭を同時使用したのではなく、分けて使った可能性があります。それは玉持極印の存在で、この異極印はなぜか②の中間タイプ・・・つまり次鋳タイプに多く見つかるからなのです。だいたい福岡離郭の通用銭は大ぶりの細縁タイプの重量感のあるものが多く、初めから鋳写すことをを意識してつくられたように感じます。極印は私が「六角小桐」と呼んでいる一番下の画像のタイプが多く、はっきり深く打たれているものが良く見られます。一方、玉持極印は雑な打ち方のもの(手持ちの3枚)しか見たことがなく、大き目サイズの極印なのでそれらしいことは分かるものの、正直なところ玉なんだかよく分かりません。打たれる方向も雑です。そのせいか、瓜生氏著作の文献における福岡離郭の極印の上下は多分逆さまです。(桐の葉脈が上に向かうのはおかしい。離郭の極印に逆さ打ちが多いためじゃないかしら。)
じゃあ、有名な離隔濶縁はどうなんだと言われればこれはさらに雑なもの2枚しか手持ちがなく、どうやら小さい極印らしいのですが全く全容がつかめません。
②のタイプは一般に「濶縁手」と呼ばれているようで、本来なら「中濶縁」でも良さそうなのですが、「黄銅質の濶縁を中濶縁と呼んでいた」古銭界の習わしがあるようで、「濶縁は赤銅質の輪に鋳ホールのあるもの」とされているのですが、銅質や製作には発色の状態の差や中間的なものもあると思われますので、あまりとらわれ過ぎない方がよろしいような気がします。なお、「黄銅質の濶縁」すなわち中濶縁は離郭濶縁よりはるかに少ない・・・と天保仙人様が仰っておりました。当然私は持っておりません。

※離郭濶縁は小様のものが多いのですが48㎜を切るものはありません。俗に九州出とかM氏作と呼ばれる鋳写の贋作に出くわすことがあると思いますが、やや真鍮質で48㎜を切る小様になっています。同じ作品に会津の長貝寶もあるように聞いています。また、離郭濶縁には通のしんにょうと天の払いにシークレットマーク的な欠損があります。鋳物なのではっきりしないものもあると思いますが、たいてい通の特徴はよく観察できますので、お手持ちの品をご確認ください。

※離郭は含円郭になる癖がある・・・とよく聞きます。これは福岡藩銭の厚み重量が十分で、郭が外輪に比べ中高気味になる癖から、砥ぎでそのような形状になりやすいのではないかと考えています。画像の濶縁手はむしろ背反郭気味ですね。
 
1月27日【投稿画像】
オミクロンがやってきて大騒ぎ。オミクロンより強い奴も出たそうで引き籠り生活はまだまだ続きそうです。

さて、1~3枚目の古寛永は中国の貞観鬼市さんから。よく勉強されています。特徴的な古寛永で、水戸長永昂点通。通頭が大きく、長永大字に似ているとのこと。
実は私は古寛永はまだまだ勉強不足で、ぱっとみて大分類・中分類ぐらいで打ち切ってしまうことが多いのです。1枚目を見てのぱっと見は・・・黄色くて大きく濶縁広郭気味だな、寶が頭でっかちで大きく大王寶だな、永が洽水気味で幅が狭いな・・・で水戸長永類と吉田狭永が頭に浮かび、水戸を選びます。
でもって水戸長永の広郭濶縁で終わり・・・なんですけど、たしかに通点が昂がり、通頭も長い。私にはよく分からないのですが同じ特徴を持つものとして「長永長寛濶縁」があるのですけど、長寛に見えないかなあ。どなたかアドバイスください。
※関東のAさんによると長永長寛は一般的な長永類に比べて寛の点が進む特徴があるそうです。(寛点が左に寄って見える。)
2枚目も古寛永。これを私はどう見るかと言うと、黄銅質で王と尓のバランスが悪い・・・これは大体水戸系の特徴。そしてじっくり文字位置を見ると・・・文字がどちらかと言えば郭から離れて輪寄りに位置します。これって背星系の癖なんです。逆に文字が中央の郭に集まると正字系なんですね。問題は星刮去なのか星文手なのか。貞観鬼市さんは「寶王の幅が狭く小さい(星刮去の特徴) 寛字見画の第1画と第5画、寶字貝画の第1画と第5画が接しない(星文手の特徴)」と仰ってます。すごいなあ。寛後足の形状から星文手の本体系ですかね。寶王の特徴は陰起などでどうにでもなりますから。

3枚目は斜寶縮寶。ただし、寶冠がカクカク方折して抱冠寶になっています。譜外ですけど、鋳物ですから・・・。

続いては健仙童さんから頂いた画像。正直状態は良くありません。こんなもの拾って喜べる・・・収集家ってなんて幸せ者なんでしょうか?気が付くと私も百枚以上の拾いもののハーレムに囲まれ、猫アレルギーなのにに毎晩2匹の猫に囲まれて寝ています。(でも可愛い)寶足は太くたくましく、たしかに肥足寶。でも、肥足寶に分類されるものとは系統が異なりそうです。100枚のB級銭にお金を使うぐらいなら1枚の超A級銭にお金を使うべきなんでしょうけど、私の生き方は後者の方が性にあっています。この方が楽しい。ただし、やたらめったら女性に声をかけまくり、ちまちまお金を使うととろくなことがありませんのでご注意を。

でもって美女の登場です。天保銭事典P346、新訂天保銭図譜143図、不知天保通寶分類譜下巻P98の10、11(二重掲載)、英泉天保通寶研究分類譜1303などなど、各種銭譜を飾った小字長人偏のなかのスターです。持ち主はあのHさん。これほどしっかりしたつくりの小字長人偏は鉄人の所有品以来ひさびさです。長径49.16㎜、短径32.61㎜、銭文径40.9㎜、重量21.29gとのこと。小字長人偏には妖しい品がたくさんありますがこれなら納得できます。銘品であること間違いなしです。

比較のため不知小字短人偏の画像を並べました。上の長人偏もきれいだけど短人偏は繊細で芸術品だなあ。
自画自賛。さっきと言ってることが矛盾してますか?B級品も好きだけど美人も大好き。この浮気者!
長人偏と短人偏は初鋳と次鋳の関係のようにも見えます。輪幅が違いますし、おそらく内径も違うはず。Hさんの長人偏は49㎜以上あることから、次鋳のなかでも最初の方の作かな。これが並べられたら夢ですね。(Hさんは短人偏もお持ちなので並べてます。すごい人です。)

 
1月24日【貼り合わせと中見切り】
専門的な用語が飛び交ってよく分からない方に・・・。
「貼り合わせ」と言う技法は、母銭の表側と裏側を別々に作り、最後にニカワで貼り合わせる手法だと理解しています。実際にこの手法で鋳造されたものが、盛岡銅山の母銭と寛永通寶當4文鉄銭の津藩の縮字類。盛岡銅山は片面しか彫られていない彫母が残されているそうです。津藩は打製で作られた原母の母銭が元になっていると考えられていて、打製ですので面背を同時に打刻するのは当時の技術では難しく、貼り合わせて作られた原母銭から母銭が鋳造されたのではないかと推定されているようです。(このあたりは私の知ったかぶり知識なので、誤りがあるかもしれません。)
削頭天は面が細郭、背が長郭の書体。出来の良い通用銭の片面を削って、貼り合わせた母銭がつくられたという説が古銭界で流布されていますが・・・実物を見た人はいません。
個人的な仮説ですが、短期大量生産のためにはそのような手間をかけるのはちょっと疑問でして、例えば・・・天保銭の大きさの穴(深さは銭の厚みの半分)をたくさん空けた板の上に、母銭を複数枚並べて片側の型を採り、次に母銭を裏返して裏側の型を採る・・・あるいは母銭を複数板に埋め込み固定した専用の裏表の型を用意した・・・のかもしれません。この手法は古代の中国の銭の砂笵づくりに似ています。(あくまでも仮説です。)
私の仮説はさておいて、母銭の表裏を貼り合わせて作った(かもしれない)ということで、「貼り合わせ」と呼ばれています。

一方、「中見切り」とは、鋳型を採る際の技術の違いで生まれるもの。銭をきれいに鋳造するためには「化粧砂」というきめの細かい砂を使用します。母銭の鋳造を行うときは、複数の母銭を板の上に面を上側に並べてから化粧砂、鋳砂の順でかけて固め、次にひっくり返して背側の型を同じ手順で採ります。この手法は化粧砂を両面に使うため型はくっきり採れますが、重い鋳型をひっくり返すなど鋳造に手間がかかる。
大量生産のため一般的な通用銭鋳造では、あらかじめしっかりと固めた下側の砂笵に母銭を軽く押し付けて置き、面側のみに化粧砂を使用してから鋳砂をかぶせて鋳型を作成します。背側の化粧砂の工程とひっくり返す手間が省略されたわけです。この手法は見切り線=鋳型の境目は背側に偏り、背側の型は浅くなるため(背側の)出来はやや悪い銭になりますが、大量生産には向いています。この製法・及びこの製法による見切り線を「片見切り」と呼びます。
一方、「中見切り」は鋳型の合わせ目が銭の厚みの中央付近に来る鋳型によるもの。意識してそのように作ったのか、そうなってしまったのかは私にはよく分かりませんが・・・不知銭の場合は鋳造法がよく分からずそうなってしまった可能性を強く感じます。
中見切りの銭は(背側をくっきり採るため)鋳型に対する押し込みが強い場合、あるいは下側の砂笵の硬さが不足している場合等に(偶然)生じます。天保通寶は表面積が大きく重いため、鋳砂をかぶせて上型を採る際に圧力で母銭を強く押し込みがちになるということも考えられます。(あるいは先に申し上げた銅山手のように、片側しかない母銭から採った鋳型の表と裏を貼り合わせた場合も中見切りになります。)
削頭天や斜珎は砂目をあまり感じられず、鋳肌がべとついたような肌荒れが確認できるので・・・粘土質の柔らかい笵を使用したのではないかと私は考えています。幕末は良質な鋳砂が地方では入手しづらかったのも一因じゃないかと・・・。(最高の鋳砂は南房総産・・・当時は輸入品のような存在だったと思います。)
しかし、中見切りは銭の厚みの中央部に鋳型の境目ができるため鋳型を合わせる際のわずかなずれも(銭の厚みの半分位の)大きな段差になりやすいのです。寛永通寶のような薄い銭ならやすりがけで修正は簡単かもしれませんが、天保通寶のような分厚い銭の場合は致命的な段差となります。これはやすり掛けでの完全な修正は厳しい。これに対して、下側の砂型をしっかり固めた片見切りでは、見切り線が偏っているため背側の段差の鋳バリは薄くなりますから、除去はしやすくなります。背側のデザインは多少ズレることになりますが、廃棄するよりましです。

中見切りの鋳型で鋳造された銭は銭の面背が厚みの中央部でズレるように見えるため、あたかも面背を貼り合わせたようにも見えます。だから貼り合わせと呼ぶのか・・・・私の仮説のようにそれとも面と背の同じ厚みの鋳型を別々につくって合わせることで、中見切りの鋳型にしたのか・・・ まだ謎がありますけど、「貼り合わせ」と「中見切り」は概念が少々異なることはご理解いただけましたでしょうか?
ちなみに「削頭天」には面背のずれがあまり見られず、郭内の段差もそんなにひどくないと思いますが、「斜珎」に関しましてはずれが著しいようで、中には面背を別々に作って貼り合わせたように見えるような逸品も存在するようです。斜珎の場合出来が良い美品より、ズレの酷い出来損ないの方が一般的に好まれるようで・・・収集家の心理と言うものは不思議なものです。

(記事を書いていて矛盾を発見!書き直しました。推定がかなり入っています。)
 
左:細郭手削頭天
右:長郭手斜珎
1月22日【削頭天と斜珎】
雑銭掲示板で削頭天が爆裂していましたね。私はこれらの不知銭で貼り合わせという名称の存在を知りました。一方、斜珎に関しては泉譜などでは貼り合わせ製法で作られているとありますが、技術的には貼り合わせと言うより「中見切り」であり、銭の厚みの中央部に鋳造の見切り線が来ると、鋳型のずれの修正が非常に難しくなるという風貌についてを学んでいます。
すなわち私は「削頭天は貼り合わせ製法」であり、「斜珎は中見切り製法」であるという認識に目下落ち着いているのです。つまり、貼り合わせと中見切りは技術的には別物。ただ、改めてみると画像の2枚は類似点も多いですね。
斜珎は珍品で私は関東のIさんから分譲頂いた1枚しか所有していません。したがって比較観察はこれだけなのですが・・・
文字の加刀・・・とくに天の頭、天尾や花押のカーブへの加刀に類似点があり、鋳肌も砂目をあまり感じさせないぬめぬめ系で、さらに極印もちょっと似ている気がします。ここに「貼り合わせ」が加わればさらにTさん説を補強するのですが、申し上げた通り斜珎は貼り合わせと言うより中見切りと言うべき技術で、それに削頭天は銅色の異なる者が多いし、郭内の段差はあまりないのでは?
現段階では何とも言えませんが、それでも可能性としては否定できない・・・Tさんの観察力はすごいと思います。皆様のご意見もお聞かせください。

さて、最後に挙げた天保通寶は長郭手の覆輪離貝寶。瓜生氏は斜珎を離貝寶に改めるように提唱しましたが、実は離貝寶であって斜珎でない不知銭は時々見つかります。これはその1枚。寶王画は完全に離貝寶になっているでしょう?こんなものもあるということで・・・。

すっかり忘れていましたが、夏の古銭会で斜珎と削頭天を並べて比較をしていました。その結果、似ている点はあるけどやっぱり違うのかなあと自分の中で結論付けて思い込んでいました。いやあ、恥ずかしいです。Tさんは純粋に書体の癖や極印を比較されています。その観察眼は私も舌を巻きます。とくに「斜珎と削頭天の背は同じ」というTさんの言葉の意義は重いですね。

 
細郭手縮形厚肉美制異極印
長径47.7㎜ 短径31.8㎜
銭文径40.7㎜ 重量26.2g
細郭手小様白銅質異極印 
長径48.2㎜ 短径31.95㎜
銭文径40.9㎜ 重量23.3g
長郭手覆輪削字異極印
長径49.1㎜ 短径32.4㎜ 
銭文径40.95㎜ 重量21.5g 
1月21日【もしかして・・・】
短尾通細字の類を見ていると、その肉厚でしっかりしたつくりに魅了されてしまいます。感覚的なものですが、指ざわり的にこの類に近い謎の異極印天保銭をここに掲示します。いずれも本座に酷似していて、普通は見分けにはかなりの注意が必要なのですが、重量銭であることと異極印銭であることなど複数の特徴があるで、判定は比較的容易な方です。しかし、いずれも本当によくできています。

細郭手縮形厚肉美制異極印は入手したとき違和感を覚えながらも不知だという実感がつかめなかった品。細縁で異常に小さいのに乱れがないのです。この銭をつかんだ時、ふと短尾通細字の類を思い出しました。指先の記憶ですけど、重量感、肉厚感がなんとなく似ているのです。もちろん極印も同じだというわけではありません。他人の空似に過ぎないのかもしれません。

これを見ていてもう1枚思い出した品があります。前の所有者が背に「サツマ長郭小字」という朱書きを記している白銅質の不知銭で、細身のひし形状に尖って見える十字型桐極印が打たれています。この感触も実によく似ています。肉厚で、輪側面がきりっと立っています。切れが良いのです。この白味がかった硬さを覚える銅質と十字型の葉脈極印が「サツマ」と書かせたのだと思います。薩摩小字という有名な不知銭はありますがそれとは別物。でも、前の所有者がこれをサツマとしたくなった気持ちがなんとなく理解できます。

指先の思い出・・・でもう1枚
長郭手覆輪削字異極印としたもの。細郭手小様白銅質異極印を探していて、あれ?、これこんなに白かったっけと目がとまりました。手に取ってみると輪が立ち、極印も上の細郭手の極印によく似ていますし、指先の感覚もよく似ていますがあちらは細郭手の小様でこっちは長郭手の覆輪。共通点はあまりありませんけど、類似点は多い。とはいえ不知天保の白銅質はちょくちょく出会います。仏具や鏡を原料につくられたものだと思います。
名称に削字と付けてしまいましたがこの名前は不適切かも。HPの小さな画像ではもっと黄色く写っていますがそれよりは淡い黄白色ですけど、この画像は白すぎるかしら。

 
   
長径49.5㎜ 短径33.0㎜ 
銭文径40.8㎜ 重量23.3g
短尾通細字(仙人様蔵) 
短尾通細字(覆輪刔輪退口保) 
細字抱冠寶(異書体) 
短尾通細字濶縁
1月18日【Hさんより2】
3枚目の画像は、天保銭の小部屋の不知長郭手2ページ目(上から36番目の)覆輪異極印と同タイプのものではないでしょうか。極印の画像も添付しました。
ヤフオクのロット物に入っていたもので、若干増郭の跡も見て取れる気がします。
サイズは長径49.27mm、短径33.00mm、銭文径40.8㎜、重量24.04gです。

問題の私所有の長郭手覆輪異極印の画像を掲示しました。この不知銭、私の所有している不知天保銭のなかで群を抜いての濶縁です。重量もたっぷりありさらにすこぶる大きくて印象的な極印が打たれていたので記憶に刻まれていました。短尾通細字の極印を確認したとき、酷似
していると思うと同時に銅質や風合いにも類似点があることにも気が付きましたが、私の思い込みなのかもしれません。
Hさんの天保通寶の画像はやや荒れ気味なので「同一」と断ずるのは難しいのですけど、銭径や重さなどのデータなどを見る限り同炉と充分思えるだけのものがあります。白みを帯びた大ぶりの覆輪銭であると同時に大き目の変形極印、極印だけを取り上げると葉脈などの形状印象は異なりますが「若干、増郭の痕跡も見て取れる」というHさんの説明のくだりが気に入りました。
短尾通細字の類はいろいろな製作があるのですけど、肉厚のずっしりとしたものが多く、増郭気味のものが多いのです。
そもそも、類似カタログの短尾通細字と言う名称そのものが適当かどうかと言うこともあります。「覆輪強刔輪」「異書体」「崩字」「抱冠寶」「短尾通」「退口保」など個体差の激しさから様々な名称がこの類には付けられてきています。共通点は不定形ともいえる独特の葉脈を持った桐極印ぐらいで、やや厚肉で重量感のあるものが多いこと、銅質は本座に似た色調のものから白銅質気味のものまで見られます。また、細郭にしては郭幅があり郭内の仕上げは比較的しっかりしています。適切な共通名称がなかなか見つからず「細字」「短尾通」「抱冠寶」ともに中途半端感があり、「斜冠寶」とか「降点保」など、苦し紛れの名称を考えては付けたりして・・・。
「異書」「崩書」「奇(異)点保」+固有名詞あたりが良いかなと思いますが・・・。

ところでこの分類を編集していて、少し気になるものを
がいくつかありました。
書体の崩れもなく、異極印ですが同一とは言えません。いずれも錫色の勝った含白銅質で、輪の仕上げもきっちりとした美銭、しかも重量感があります。

(つづく)
 
 
1月17日【Hさんより】
浩泉丸様 私が所有する短尾通も同類なので、大点尓宝とは異なることがはっきり分かりました。

1枚目の画像はタグこそ付いていませんが、村上英太郎天保通寶研究分類譜(英泉譜)1116番と同品、もしくはかなり近い兄弟銭ですが、同譜に不知天保通寶分類譜大点尓宝と記してあったため大点尓宝と思っていました。村上師もそう思っていたのかもしれません。
サイズは長径49.47mm、短径32.80mm、銭文径41.4mm、重量16.98g、肉厚は約2mmの薄っぺらなものです。泉譜現品でも計測値が大きくなることが多いので不知天保通寶分類譜のは拓本を計測している様な気がします。

2枚目は英泉譜1060番、分類譜下巻P176の20、肥郭(増郭存痕)
サイズ:長径48.12mm、短径31.76mm、銭文径40.9mm、重量20.63g

(つづく・・・)

 
①新訂天保銭図譜133(大点尓) 
 天保銭辞典P343⑬(大点尓)
 當百銭カタログ229(大点尓寶)
 不知天保通寶分類譜P65-47(大点尓寶)
 長径49.75㎜ 短径32.3㎜
②天保通寶母銭図録157(肥点保母銭覆輪)
 不知天保通寶分類譜P22-2(肥点保母銭)

 長径49.30㎜ 短径32.80㎜
③勢陽天保泉譜233(肥点保母銭)
 天保通寶母銭図録157(肥点保母銭)
 不知天保通寶分類譜P21-1(肥点保母銭)

 長径49.65㎜ 短径32.40㎜
※王の柱の傾きなど、①にかなり近い。
④肥点保通用銭(厚肉小様)
 長径47.65㎜ 短径31.60㎜
 銭文径40.06㎜ 重量28.3g
 2020年10月31日制作日記参照
⑤大点尓寶濶縁
 長径49.09㎜短径32.57㎜
 銭文径40.66㎜ 重量18.0g
⑥短尾通大様
 長径49.2㎜ 短径33.1㎜ 
 銭文径41.3㎜ 重量20.9g 
⑦短尾通小様
 長径48.3㎜ 短径32.1㎜ 
 銭文径40.3㎜ 重量20.5g 
 
1月14日【大点尓寶の類似品】
恥ずかしながら私は泉譜における大点尓寶と短尾通の類を確信犯的に混同していました。改めて拓を見ると別物なんですけど、思い込みとは恐いもので・・・同じようなことは通寶小字の類でも分かっていても正すことができない頑固爺になりました。

大点尓寶は1975年に新訂天保銭図譜に大点尓の名称で掲載されているのが最初だと思います。その拓本は径が大きく文字繊細で、母銭ではないかと思うのですがそのような記述はありません。説明としては・・・黄褐色の精美銭で尓点が太く大きいとだけの説明があります。
泉譜に記述のない特徴としては
覆輪刔輪が強烈でとくに背側の刔輪が強烈であること、保の柱が長い長柱保になること、通点が下がる降点通で大頭通、高頭通になること、寶尓が王第3画に接し連玉尓であること、通尾に切れがあり短尾通になること、寶王の柱が前傾すること、寶足が長く歪むこと、通用第2画の縦画に切れがあること、通頭上の郭が反郭気味に削郭され降通し離郭すること、背郭にも加刀変化がみられること・・・などなど。個別変化もあると思いますが、概ねこんなところです。
特に赤字で示したポイントとても大事なので、それを念頭に②~③をご覧ください。
②③は肥天保の名称で天保通寶母銭図録に掲載されているもので、③と思しきものは勢陽譜(天保泉譜)に「大川」の印のある拓本で掲載されています。つまり天顕堂師の所蔵品。青寶樓→天顕堂と渡ったものに相違ないと思われますが、後から刊行された母銭図録では小川青寶樓の名前なので、泉譜発行順では逆の流れになっています。天保泉譜の解説では「本品も鋳浚母か。尓仰ぎその前点と玉の最下末横引き末端と連なる。保点肥大、破、通、冠は波局す。子銭の存否を不知。」とあります。
通頭の形状の違い、削郭の度合いの違いこそありますが、②③とも同じ系統・・・そして、同じ特徴が①にも見える・・・とくに①と②は激似・・・これは他人の空似なんかじゃありません。(ただ、②と③は寶王の形状や離郭の度合いは微妙に異なります。)これら一連のことは関西のTさんが見事に指摘してくださっています。
さらに④も③への類似特色があり、大点尓寶系であるとのこと。ものすごい慧眼・・・異能です。彼の画像に対する記憶力、比較観察力は天性のもので、私たちに見えないものが見えているとしか思えない能力です。私がはじめて⑥を入手したとき、拓本と照合する作業過程で①との類似性にとらわれて同類であると思い込むことになったのと、全く反対ですね。
見えすぎるがゆえの悩みもあるようですが、持っているものだけのぜいたくな悩みですね。
ただ、④は異様に小さく、また、異様に分厚く重い。47㎜台で28g超という重量は通常ではなかなか出会えないサイズなのです。さすがのTさんも異様な製作と独特の黄銅色から贋作じゃないかと疑われたようでして、私のところに送付されてその疑問をぶつけてきたことがありました。(つくりはものすごく丁寧で、異様な製作形状ながら、嫌味を感じないので問題ない品とお答えしました。)④は郭の加刀もあり、通用の瑕もかすかに残っています。④は①などから写しを重ねたものじゃないかと・・・。Tさん、手放すことも考えていたようですが、これは手放したらいけない(手放すぐらいなら私が買うぞ!)と申し渡してお返ししました。手元に長く置いていたら返したくなくなる一品でした。

そしてHさんからAさんの所有になった⑤大点尓寶濶縁・・・名称を大点尓から大点尓寶に変更して統一しました・・・の画像もモトさん経由で頂戴しました。仰ぎ撮りなので画像は多少歪んでいますけど雰囲気は分かると思います。何より覆輪が立派で背に痕跡がしっかり残っています。濶縁と言うより強覆輪なのですけど、④の周囲に紙テープを巻いて覆輪するとこんな感じになるんじゃないかしら。覆輪は金属を巻くのが正式なのでしょうけど、密鋳の覆輪は紙を巻くといういう発想はなかなか面白いです。平成26年の貨幣7月号に豊泉師が仮説として述べていますが、これはアリだと思います。(制作日記2014年8月18日参照)
①の類似点はたくさんありますが、濶縁であること、通用の切れがないことが異なります。ただし、系統は同じじゃないかしら。

さて、私が最近まで大点尓寶と思い込み称していたもの・・・それを最後に載せましょう。ちょっと恥ずかしい。⑥⑦は類似カタログで短尾通とされるもので、短径が大きく地の余白の多い独特の小判型の天保通寶で、保の柱長く、尓の後点大きく、降点通、短尾通、刔輪により天上、寶下、當上の隙間大きく、細縁になります。
大点尓寶と言う名称的にははむしろこちらの方がぴったりなんですけど、製作が大分違いますね。とくにこの横太りの小判型形状は薩摩小字によく似ていてものすごく目立ちますね。短尾通には大様と次鋳があり、並べてみると大きさだけでなく製作の雰囲気もだいぶ違います。大様の方は状態は今一つですけど、風格は素晴らしくあると思います。これを大点尓寶と間違えたのは今思うと不思議なんですけど、多分この風格に酔っていたんだと思います。それに一応書体が大点尓寶であるのは間違いはないので・・・。

ちなみに「尓」の読み方の分からない方・・・音読みで「シ」もしくは「ジ」、「ギ、キ、ニ」とも読むらしい。訓読みだと「なんじ」が一般的。ワープロだと「なんじ」もしくは「シ」で変換できます。したがって「大点尓寶」は(濁音の変化はあると思いますが)「ダイテンシホウ」と読むのが本来だと思います。ただし、和同開珎に「尓」が小さい「小尓」という手替わりがあり「しょうちん」と呼ばれていたと思います。青寶樓師が「大点尓」と名付けたのも「ダイテンチン」と読ませたかったのではないかと推しはかっています。ただし、漢字的には「尓」は「ちん」とは読めないのです。古銭界の慣習として「ちん」で押し通すことも可能なのでしょうけど、私は後世のためには間違いは正すべきと思っていますし、瓜生氏が「大点尓寶」に改めたのも読みの修正を意識したものじゃないかと思うのですが・・・考えすぎでしょうか。

大点尓寶と言う名称が果たして良いのかどうか、何とも言えません。本当は斜珍、連玉珍なんですけど、すでに別の種類に名付けられています。消去法でやはり大点尓寶しかないのかなあ・・・皆様良い名称ございませんでしょうか?

私がなぜ⑥を「大点尓寶」とした理由が分かりました。不知天保通寶分類譜下巻136P-16にそのものずばり大点尓寶の名称で拓図が掲載されているからでした。(133Pには短尾通で掲載。)これはまた村上英太郎天保通寶研究分類譜1116図として掲載されています。
 
1月13日【収集品と未整理品】
収集誌の落札品が届き、机の上がまたにぎやかになってきています。最近は撮影しただけで満足してしまい、フォルダーに入れない、分類名を書かない、アルバムに入れないの3重苦状態で、コインフォルダーも出番が少なくて箱の中で黄ばんでしまっている有様です。昨日は「打印寛永銭」が見当たらないのに気が付き、大捜査になりました。ゴミ箱に誤って落としたかもしれないと半ばあきらめたとき、ひょっこりと現れて一安心。でもって、そのまま・・・なので懲りていません。

①四ツ寶銭広永鋳写厚肉母銭(3.8g)
四ツ寶銭を写して鉄母に仕立てたもの。側面は葛巻銭風の垂直仕上げで、磨輪によりこれだけ小さいのに重量は1匁以上あります。肉厚は1.8~1.9㎜、直径は20.9~20.8㎜。材質は鉛質がかなり強そうです。密鋳銭の見分けは初心のうちは結構難しくて、焼け銭の画像を送ってこられて密鋳銭ではないでしょうかと質問してくる方がいます。正直なところ画像だけでの判断は難しいのですけど、90%はだめだと思っています。一文銭の密鋳銭はそれだけ少ないのです。理由ははっきりしていて採算が取れないから。銅の密鋳銭がまとまって作られたのは幕末の一瞬しかないと思っています。あとは鉄銭鋳造の母銭として通用銭改造もしくは鋳写されてから改造されたものばかり・・・それが分かっていないと焼け銭を密鋳と思い込んでしまいます。

②古寛永水戸銭二水永背星
言わずと知れた有名銭。寛永通寶を集める人の必須アイテムなんですけど、高級品なので私はほぼ手を出さない存在です。収集誌に格安で出ていたので2万円ほどの価格をつけて遊んでいたら落ちちゃった。

③古寛永沓谷銭大様25.5㎜
古寛永は25㎜を超えたら拾いましょう・・・ただし、竹田、建仁寺、沓谷、鳥越は大きいものが多いのでぬか喜びにならないように。沓谷の25.5㎜はそれでも大きい方ですね。広郭ぶりが良い感じです。

④古寛永長門銭麗書長足寶濶縁手本銭25.3㎜
これも収集誌の落札だったような・・・落札金額は3000円以下だったと思います。つまり冷やかし応札。大きさや製作から見てこれはきちんとした手本銭。送られてきたフォルダーの文字から・・・前所有者の方は横浜古銭研究会の出品物を落札されていた気がします。

こういった品物、格安で買えた儲かった幸せ・・・と考えるか、使えるお金を使えないお金に両替したと考えるかは気持ちの持ち方ひとつでして・・・私の場合はちょっと幸せ、でも家族の視線が怖い。
 
①長郭手覆輪広郭(嵌郭)
③長郭手大点尓寶濶縁 ④長郭手大点尓
新訂天保銭図譜133
⑤細郭手俯頭通 ⑥細郭手俯頭通
1月11日【顔面相似形】
①の画像は関西のTさんから頂いた画像です。そして②は私が所有している品。長郭手の覆輪で面背とも郭幅が広いことに加え書体や地の特徴、穿の変形まで見事に一致します。この不知銭は長郭手の2度写しタイプで嵌郭が行われた(可能性がある)もの。私は覆輪小字背広横郭(嵌郭)と名付けていましたが、横郭気味なのは鋳造変化のようです。
①との郭幅の差は微差で、これを肉眼で違うと感じられるのはかなりの異能だと思います。実際に画像から兄弟銭を見抜く能力は恐ろしささえ感じてしまうぐらいで、これは天性のものじゃないかと思います。一時期私も0.1㎜の差を感じられるほどだった頃もありましたが、今では0.5㎜の差が判らず、昨日覚えたことも忘れるぐらいでして・・・。嵌郭を行う理由は 1.郭の補強(覆輪時の歪み防止) 2.面背のズレ補正の際の余白 の可能性があると思っています。嵌郭で有名なのは寛永通寶の秋田阿仁銭で、秋田小様、仙台長足寶でも行われたように感じます。
秋田銭の場合、穿内の仕上げを行う際に面側から角棒(角錐?)を強く打ち込んだような変形(鋳バリが背側に飛び出す、銭の凹型変形)が見られます。仙台長足寶は覆輪変形の防止の可能性が高く、それは反郭になる癖からも推定できます。一方この不知銭は1に加え2の理由の可能性がかなりあるように感じます。あくまでも個人的な意見ですけど。
Tさんは断尾通陰起寶に着目されておりましたが、一般名称としては覆輪広郭(嵌郭)とすべきと見ました。狭穿になっているのも目立ちますね。この天保通寶・・・かなり珍しいタイプだと思っています。Tさんの異能ぶりの解説・・・とくとご覧ください。

さて、③の拓本・・・年賀状ギャラリーで出たので記憶に新しいところ。東北のHさんの持ち物でしたが、関東のAさんがおねだりして譲渡されたようです。Hさん、頼まれたら断れない良い人だなあ・・・と思います。
長郭手大点尓濶縁
長径49.09㎜、短径32.57㎜、銭文径40.66㎜、内径43.15㎜、肉厚2.16㎜、重量18.0g
離郭の特徴を持つ天保通寶は福岡藩銭に代表されますが、不知長郭手でこのような特徴を持つものはほとんど聞いたことがありません。調べてみると天保銭図譜の133番の④大点尓が唯一この特徴を持っています。拓本を並べてみると文字の細さや覆輪度合い、背の刔輪などに違いはありますが、基本的な筆法はほぼ同一で、同一系統のものであろうと推定できます。(あるいは母子の関係かしら?)通尾の先端部分に切れ目があることも同一ですね。郭の修正の過程でこうなったと思われますが文字は離郭していますが、とくに狭穿になっているわけではありません。とにかく不思議な不知銭です。なお、大点尓の名称は小川青寶樓師の命名だと思われますが、私が従来大点尓寶としていたものは離隔の特徴がなく別系統でしたので、私のHPの名称は短尾通に改めます。

⑤は侍古銭会のタジさんが年賀状に掲載した細郭俯頭通。次鋳のようですけど長径は48.7㎜なのでさほど小さいとも言い切れません。実は大きいと思われている俯頭通の長径はけっして大ぶりとは言えないものが多いと感じます。拓本を見る限りは画像以上に立派な作りのようです。
俯頭通は細縁に仕上げられているものが多く、そのため文字は巨大に見えるのですけど、銭径的にはごく普通・・・ただし、独特の角ばった・・・撫角型(なでかくがた)の形状のため、天保通寶のコインフォルダーにうまく納まりません。表面積的には大きいのでこれと文字の大きさもあいまって俯頭通が巨大というイメージが植え付けられたのではないかな・・・と思います。
さて、俯頭通ですけど、製作の整った黄褐色の精美なものが代表銭なのですけど、次鋳タイプのものも存在しており、色調もいろいろあると泉譜には書かれています。似たようなものとして「薩摩小字」とか「濶天保」など次鋳と思しきの色違いのものが多数存在します。中には妖しい物も混じっていると思いますが、それを絶対だめなものだと断じることは難しいかもしれません。したがって評価はそれぞれの個体に関して個々が判断するしかないと思うのです。
そしてタジさんの俯頭通ですけど面側の状態は決して良くありません。一方背側は砂目もきちんと出ていますし、良く見ると鋳皺(茣蓙目)のようなものも確認できます。これは正しい鋳造法に基づく痕跡だと私は思っています。一番残念なのは極印で破損しているのか、穴ぼこのものが深く打たれているようにしか見えません。これは大きなマイナスポイント。ただ、トータルすると真贋的には不明なんですが、拓本の雰囲気や背の形状から見て贋作的な変なものではない可能性の方が高いと思っています。状態がもったいないのです。是非上作なものの入手を目指してくださいね。

 
1月4日【年賀状ギャラリー】
メールが増えて年賀状は減る傾向にあります。私も生家を棄却して離れてしまったので年賀状が唯一といって良いつながりなんですけど、賀状もかなり減りました。それでも異様に多く、まだ200枚を超えています。かつて身内が選挙に出た名残なんですけど、減らせないものです。
そんな中で古銭の賀状は一服の清涼剤のようなもの。

①東北H氏:
長郭手覆輪離郭大点尓
見た瞬間反玉寶に見えてしまいましたが、どうやら長郭手の強覆輪のタイプ(2度写し)のようです。通の上の郭が反郭になり、降点通、高頭通、離郭になって尓も歪んでいます。天保銭図譜でいう大点尓と同じ特徴です。離郭大点尓としても良いかな。濶縁ぷりが良いですね。背側の画像も見たいですね。お待ちしております。

②健仙童氏:
細郭手俯頭通
説明不要の有名不知銭です。俯マ頭と平マ頭になるタイプがありますが微差で、これはどっちなんだろう。やや平マ頭かな。初鋳タイプと次鋳タイプがありますがかなり大きく立派に見えます。すごいものをご入手されたようでさすがです。サイズ教えてください。

③関東A氏:
正字背文最大様白銅母銭
拓本だけじゃ分からないけど白銅母銭です。文銭にはごくまれに白銅のものがありますが、これだけ大きくて白いものは稀で実は島屋文級の珍品だと言えます。(評価では島屋文にはかないませんが・・・)私は昨年中字の純白母銭を狂乱の末入手しましたが、正字にもあるのですね。白い母銭は良いですよ。画像もみたいです。外径25.95㎜、内径20.9㎜、背内径18.85㎜、肉厚1.40㎜

④四国O氏:
古寛永二水永長字
まるで手本銭みたいな端正な雰囲気です。この銭は短寶などと並び、他の二水永とは作りが整然としていて異なります。しかもこいつは別格の珍品なんですね。私にとっては手に取ってみたことがない品。皆のものひれ伏してご覧あれ。はは~・・・ってな感じ。特別感がぷんぷん香ります。

⑤鳳凰山師:
岩国寛永(銀一匁札)
ゼネラルコレクターの鳳凰山師。直球ではなく変化球できました。寛永通寶の図柄の藩札です。岩国と言えば山口県、長門の国。現代人にとっては岩国基地とか錦帯橋で知られていますが、古代においては鋳銭の地と言っても過言ではありません。ここから奈良に銭を送ったので奈良登り→長門になったのは有名な話。寛永通寶の絵柄は見た目は四文銭風ながら文銭かしら・・・うっすら文が見えるような・・・解説をよろしくお願いします。

⑥東北S氏:
栗林虎銭降兵鉄写
Sさんは今年の干支の虎で攻めてきました。しかも水戸虎銭の写し、さらに手替わりの降兵というおまけつきです。S氏いわく、たぶん絵銭だろうとのこと。でもこれは珍しいんじゃないかしら。幕末混乱期から明治にかけての作でしょうか。大切にしたい歴史的な品ですね。

⑦金弊塔氏:
天資元寶
これは知らなかった。見た瞬間天賛元寶かと思いました。え~改造銭でしょう・・・と無視してしまいそう。風貌は安南銭・・・と思ったらあたりのようで歴代銭の超珍品みたいです。安南歴代銭については泉譜を所有してなかったので知りませんでした。穴の細道で天賛、天顕は記事を読んだことがあるけれど天資とは・・・全然わからない。どなたか教えてください。

⑧天保仙人様:
中郭手勇文
天保通寶収集家なら知らないものはいない珍銭です。ずんぐりむっくりの幅広で、意外に長径は小さい。無極印銭で独特の白銅質から、九州あたり・・・少なくとも関西方面より西の生まれであろうことが分かります。したがって発見地も関西方面、北陸に多いようです。画像は拓本からの写しの写しなので歪んでしまいましたので、仙人様のお宅で直接撮影した画像を添付します。こうしてみるとつくりは会津じゃないですね。人偏の長さなんて異様です。古くから知られる銘品で、仙人様の所有品は遊泉斎鈴木中二→平尾賛平と渡り昭和泉譜に掲載されたものらしく、そこから大川天顕堂と渡った物らしい。不知天保通寶分類譜には文化庁蔵となっているのですが、民間に残っていたんですね。驚きました。造幣局博物館に勇文が展示されているのを見たことがありますがこれと同じ銅色でした。拝見できただけでラッキーな品の一つです。

①東北H氏 ②健仙童氏
③関東A氏 ④四国O氏
⑤鳳凰山氏 ⑥東北S氏
⑦金弊塔氏
⑧天保仙人様
⑨ 〃 原品画像
 
1月3日【紅白の寅】
雑銭掲示板には紅白で投稿掲載してくださっている方が多いようで・・・私も紅白の虎の尾寛を載せてみました。雑銭ですけど紅白の銅色で揃えるのは結構苦労します。虎の尾寛小字(下段右)の純白銅銭は私が白銅寛永収集にハマるきっかけとなった記念すべき品。虎の尾寛小字の白銅銭は探せば簡単に見つかると思います。対して虎の尾寛の本体の白銅はなかなか見つからなかった品でした。今探しているのは元文期十万坪銭の含二水永の白銅銭。佐渡は白銅質が当たり前なんですけど本体の白銅は未見です。

東北のS様からのお便り・・・
昨年末に猿江正字の大様銭を衝動買いしてしまいました。
銭径24.50㎜、内径19.50㎜、背内径16.90㎜、厚さ0.95㎜です。銭径が24㎜を越えるものは初めてです。内郭はヤスリ仕上げしてありますが、輪側の仕上げがいまいちです。母銭として購入しましたが、薄いことと鋳肌が少し粗いようで疑問ですが、通用銭にしては大きすぎます。こんなものもあるというご参考までに・・・。
※猿江銭には白銅の母銭があり、銭径も結構大きく立派です。当然ながら白銅でない大型の母銭も存在すると思います。なお、この猿江銭は銭籍がなかなか定まらず、古くは元文期猿江、宝永期丸屋、元文期十万坪など流浪状態で、さらに近年の遺跡調査により富士山の宝永火口噴火の火砕流よって埋もれた遺跡から正字と小字が出土していることから少なくとも宝永期以前、元禄期あたりまでさかのぼる可能性が指摘されています。
私は母銭は専門でないので分かりませんが、新寛永通宝カタログによると母銭の外径は24.1㎜とあります。つまり24㎜超えは存在するようなのですが、24.5㎜は巨大な方になります。正字には「濶縁・狭穿・背広郭」の一品もの(銭幣館旧蔵・・・今は造幣局博物館蔵か?)の存在が知られており、増尾富房編集の新寛永泉志には拓本と母一、通用一の位付けまでありますが、拓本が歪んでいてだらしなく見えるので、正規の品(特に通用銭)があるのかどうか疑われるところ。S様もいまひとつ納得がいかない点もあるようなので、猿江正字の大型母銭をお持ちの方の投稿、ご意見をお待ちしております。

 
1月1日【幽玄なる世界】
まるで映画のワンシーンみたいでしょう?これは梅ヶ瀬渓谷の奥地の日高邸跡と呼ばれる場所。日高は宮崎県の元高鍋藩士で、明治維新によって喰い詰めた武士のためにこの地に理想郷を作ろうとした人なのです。明治政府から広大な官有地(実際は未開の山林)の払い下げを受けて治水開墾し、梅や紅葉、果樹を植えたり、川筋を変えて水田を作り養魚場も作りました。彼を慕って各地から弟子入りするものが後を絶たず、多くの門下生に対して様々な教養を教える私塾的な場所になっていました。
養老渓谷の紅葉・・・というと、何かと粟又の滝(大多喜側)がTVに取り上げられますが、実はこの梅ヶ瀬渓谷こそ紅葉の名所としての発祥の地なんですね。大多喜側の紅葉は観光のため昭和後半に植えられたものが多いのです。(梅ヶ瀬の紅葉も明治期に植えられたものが多いので、あまり変わらないかな?目的は観光と言うより、日高は文化人として紅葉を愛したのではないかしら。)
日高邸跡は養老川の支流の梅ヶ瀬側の源流近い奥地にあり、養老渓谷駅からだと徒歩2~3時間ぐらいはかかります。 この場所は周囲を深い山と小川に囲まれていて小高い丘状の中州になっています。したがってここでは風に木の葉が擦れる音と鳥の声しか聞こえません。目の前には渓谷の絶壁が迫ります。晩秋になると周囲から落葉が降り注ぎ紅葉の絨毯が敷き詰められ、短期間このような鮮やかな状態になります。日高はここで書をしたため、琴を弾き、詩歌を詠んだとか・・・風流人ですね。日高の存在によってこの周辺は農村でありながら武家文化が色濃く残されています。と・・・新年早々古銭とは関係ない話になってしまいました。
コロナのせいで古銭会などには一切参加できず、人との交流もなくなってしまいました。無駄遣いはしていない・・・と思いきやそれなりに散財をしておりますが、古銭に出会う機会が限られているため、これぞと思う品にはなかなか出会えません。私のような俗物を日高はいったいどう思うのでしょうか。生きて食べられるだけで幸せですよね。
マイブーム散歩道のうち、お勧めポイント(2021年)
1.鴨川四方木の滝周辺(秘境地) 新緑、紅葉時期は最高の秘境。車で行くまでが大変。
2.鋸山の石切り場と日本寺 階段地獄が待ってます。夏場はNG。
3.高宕山(高宕大滝から登るルート) 奇岩が出迎える絶叫スポット。
4.伊予ヶ岳 初心者でも登れる岩登り登山。ただし、落ちたら命の保証なし。
5.梅ヶ瀬渓谷の紅葉 奇跡の写真を求めて・・・川渡りが楽しい。
6.真高寺~永昌寺の古道散歩、浦白川のドンドン マニアック手掘り隧道巡り
7.養老渓谷 滝巡りコース(粟又の滝) 千葉観光の定番、お手軽です。
8.麻綿原高原と内浦県民の森 紫陽花の季節以外の秋冬が静かで良いかも。入場制限もある秘境です。
もちろん、養老渓谷駅周辺は毎週のように出かけていました。滝探しをしてまして、Googleマップにかなり投稿しています。
 
中郭の分類
は中郭と思って拾いましたが、未使用の中郭手と見るべきでしょうね。実は細郭の未使用銭は極めて珍しいのですよ。探してみてください。

は天保通寶四天王の村上師に一目「違うよなあ」と言われてしまいました。

も人によって見解は変わると思いますが微妙。私は天保仙人様に見解を聞いて中郭手のラベルを貼っていたと思います。甘く見れば中郭かなあ・・・。

❹❺中郭として問題ない品だと思いますが、❷❸との差はごくわずかです。違いは背郭の幅が面より広いこと。このわずかな差がものを言います。の郭の黒ずみは挿しの紐が湿っていたのか青錆の跡。記述はひっかけでした。ごめんなさい。ただし、青錆は焼かれた銭に発生しやすいので重要な判断指標です。

変造品。郭内全体にやすり目があり郭が変形しています。拡大してみると面郭の隅の仕上げが下手糞です。普通は穿のやすりは背側から垂直気味に入り鋳バリだけを削ります。そのためやすり目は背郭付近だけで必ず鋳肌が郭内に残り屈折した段差になります。面にまで達するような穿内やすりが確認できるのでだめです。加工のため火も入っている雰囲気があります。

の郭幅は広く見えますが製作的には最も中郭らしい品だと私は判断しています。画像で面側の郭幅が広く見えるのは郭の内部が写っているから。それだけ郭内の傾斜がきついのです。これを選んだ皆さんはお目が高い。

は穿内の傾斜が少なく、屈折仕上げになっていないので残念、広郭広穿になります。村上師の見解もその通りでした。

中郭として私が所有している品はここにある品を含めても4品程度です。それだけ少ないのでもう少し評価が高くても良いのですが・・・
現代の中郭の分類はあくまでも中郭が広郭の後に出てきたことを前提とする分類法です。
感覚的な見分け方が中心でけっして科学的な分類法とは言えません。もし、中郭が細郭と広郭をつなぐものだとしたら絶対的な尺度がないので、贋作はともかく、深追いしてもあまり意味がないのかもしれません。

※中郭は細郭の錫母銭に嵌郭をして
母銭を作ったと言われています。じゃあ、広郭はというと細郭の錫母銭に嵌郭をして母銭を作ったと言われています。錫の金属縮小率はごくわずかなので見た目はほぼ同じなのですがそれでも広郭の錫母の銭文径は細郭よりわずかに小さいということが判明しているそうで・・・ただし、銅母銭レベルでの比較は修正されていて分からないとも。
と、いうことは中郭銅母が細郭の錫母銭に嵌郭をして作られたのだとしたら広郭の銅母銭と銭文径がわずかに異なるかもしれないのですが・・・そもそも細郭錫母銭に嵌郭をして中郭銅母銭を(直接)作ったという仮説からして眉唾なのです。自然に考えるのなら中郭母銭も広郭母銭も同じ製造工程だと考えるべきじゃないかしら。そして、たまたま中郭の錫母が発見されていないだけじゃないかしら。銅母の製造過程が広郭、中郭ともに同じなら、厳密な細分類はあまり意味をなさないのかもしれません。
 
→ 2021年の記事へ
新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道