戻る 進む
 
22.寛保期 高津銭 寛保元年(1741年)摂津国大阪高津新地 鋳造
この銭貨については素性がはっきりしており、背に元の一字を置くことから判別も容易です。ただ、銭径にかなりのばらつきがあり、文字も小さく見にくいのが収集者泣かせです。基本分類を以下に拡大掲示します。
なお、高津の地名は『こうづ』と発音し『たかつ』は誤りです。ご存知でしたか?
戻る 次へ
拡大画像サーフィン
【寛保期 高津銭:基本分類】
細字背元 中字接郭寶背元
文字繊細で、すっきりした感じがあります。穿が最も広く、永字の幅が広く、寶冠が右肩上がりです。
銭径のばらつきが多く24oを超えるものから22o程度のものまで存在します。

(掲示品は母銭です。)
中字は総じて文字がやや太く狭永になります。寶の尓がぎりぎりで郭に接することと、寶冠がわずかに右肩下がりで仰寶に見えます。
中字狭通背元 中字狭通背肥元
通字だけでなく寶字の長いのが目立ちます。とくに寶貝は類品中一番長くなります。
通頭は小さく、永フ画も小さくなるので狭永ぶりも目立ちます。また、仰フ永です。

もっとも狭穿になるため、寛目、通用、寶貝など文字の横幅が一番広くなります。通頭は俯し、しんにょうはやや直線的になります。背元も太く大きくなります。
小字背元 小字降寶背元
小字という名のとおり、文字がひとまわり小さくなります。細字に似ていますが永の幅が狭く、寶冠も水平です。
薄肉の制作も目立ちます。


文字がさらに小さくなり、縮字といっても良いと思います。通用が小さく、降寶というより昂通であり、かつ小寶です。永字は退永になります。また、背元の前足が長いのも特徴です。
この類は総じて非常に肉薄です。

 
小字背元と小字降寶背元の比較(マウスを当てると変化します。)
寛:全体の大きさ(小字の方が大きい)
永:永の位置(降寶は右寄り)
通:通頭と通用の大きさ(小字の方が大きい)
寶:寶の大きさ、足の付け根形状
元:足の長さ、高さ(降寶は前足が長い)
穿:大きさ(小字の方が大きい)
内径:大きさ(小字の方が大きい)
小字
→小字降寶
小字降寶→
小字
 
細字背元(大様) 【評価 8】
細字には直径が24oを超えるものがときおり見られます。肉厚も比較的たっぷりしていて、初期銭だと推定されます。掲示品の直径は24.30oで私の所持品中の最大様です。
細字背元 【評価 10】
細字には磨輪されて薄肉になったものも多く見られます。存在は最多クラス。
細字背元(純白銅母銭) 【評価 3】
高津の母銭は白いものが多いそうですが、掲示品は本当に真っ白です。
※勢いあまって売却してしまいました。それから純白のものにはなかなか出会えていません。
細字背元(面背逆製)          【評価 4】
砂型に母銭を置くときに表裏を間違えたもの。エラー銭の一種だが高津銭にときおりこのようなものを見かける。それでも存在数は極めて少ない。
中字接郭寶背元(大様) 【評価 8】
この銭も銭径の大小が目立ちます。掲示品は最大クラスで23.55oほどあるもの。23o以上で大様と言えます。

中字接郭寶背元 【評価 10】
上記銭の磨輪銭で存在は大変多い。
中字接郭寶背元(大錯笵) 【評価 3】
製作は本炉のつくりです。しかも直径23.5oでものすごく大きい。珍品には違いありませんが、作銭かも・・・でも確証はありません。本銭は貨幣誌でも紹介されていました。
中字狭通背元(大様) 【評価 8】
狭通の類は23oを超えると大様といえます。掲示品は直径23.3o。
中字狭通背元 【評価 10】
上記銭の磨輪銭です。
中字狭通背元(大様) 【評価 7】
掲示品の外径は23.2o。これでも大様です。背元は太く前足が長い。
中字狭通背肥元 【評価 10】
よく見かけるのはこのサイズくらいが多い。
小字背元 【評価 10】
文字細く細字に似ていますが永字の幅が狭い。
小字背元(母銭) 【評価 3】
小字は銭径のばらつきがほとんど見られません。ただ、総じて肉薄く、後期銭であることを物語っています。存在は非常に多い。
※画像は白銅質母銭
小字降寶背元(最大様母銭) 【評価 珍】
外径23.4o。穴銭入門で言う特別に大きな母銭です。平成17年の銀座コインオークションに出品されたもので、名品中の名品です。
小字降寶背元(最大様子銭) 【評価 ?】
外径23.3o。本品は横浜貨幣研究会での落札品。小字背元降寶の通用銭としては最大サイズです。
小字降寶背元               【評価 5】
降寶のほとんどが外径22o程度のもの。22.5oあればやや大振りで、22.7o以上は大様の部類である。掲示品は22.2o。

参考)俯尓背元
稟議銭とも贋造銭とも評価が一定しないものですが、銭譜を飾る有名品です。通頭小さく、尓とともに俯します。母銭作りです。

(平成15年銀座コインオークションカタログより)
参考)小頭通背元
俯尓背元と並び、母銭タイプのものしか世に出ていません。そして昔から贋作の噂の絶えないものになってしまっています。いわく寛永堂作・・・あるいは古楽堂作と・・・。
そんな小頭通背元が雑銭の中からひょっこりと姿を現したそうです。それも吸い寄せられるようにT氏の元へ。ただ、この雰囲気はなかなかよさげです。
寛永通寶打製背元六銭(赤銅質)
穴銭入門の第2版までは大銭類の項目に元文5年高津試鋳貨幣の可能性として掲載されていました。掲示品は平成17年の銀座コインオークションに出品されたもの。
かつて一度類品を見た事がありますが5円玉のような硬い真鍮質で、はたして打製でつくれたの・・・という印象でしたが、この品物はかなり柔らかい銅質のように見えました。
(平成17年銀座コインオークションカタログより)
寛永通寶打製背元六銭(真鍮質)
真鍮質のもの。麗真荘旧蔵品とのことですが、正しくは麗悳荘のことで、つまり昭和泉譜の平尾賛平氏旧蔵品だったようです。私がはじめて見たものはこいつでした。
大和文庫のホームページより)
細字背元無背(真鍮銭)
新寛永通寶図会原品です。真鍮質のもので京都商人が5文あるいは3文銭として通用させることを狙ってつくった稟議銭ということですが、推定の域を出ていません。古くから存在は知られているものですが、無背で許可が出たのか疑問と、手引きには記されています。大事なポイントは内径が母銭と同じ大きさであることだと聞いています。
大和文庫のホームページより)
※真鍮質の高津銭は安南寛永と間違えやすく、手を出すのがためらわれます。稟議銭であればそれなりの制作のはず・・・と思うのですが結構出来の甘いものが散見されます。ポイントの内径を良くお調べ下さい。
 
 
戻る 次のページへ