養老渓谷(梅ヶ瀬渓谷)のページ2020
 
2020.11.21(無修正の青空) 
2019年9月の台風15号で罹災し、1年以上閉鎖されていた梅ヶ瀬渓谷がようやく立ち入りできるようになりました。地形が変化してしまい川廻しなどが塞がってしまったところなどもありますし、尾根コースなどは未だに復旧のめどが立っていません。それでも立ち入りが可能になっただけよかったと思います。
この画像はスマホの機能だけの撮影で補正もしていません。これは奇跡の色だと思います。2015年の秋に初めてこの空の色を見てから毎年何度もチャレンジしてきましたが、5年ぶりに奇跡の色を再現できました。
2020.11.28 
本日大福山~月崎のルートに行きましたが、紅葉全くしていませんでした。場所によるばらつきがものすごくあります。大福山山頂の紅葉はあと1~2週間先かもしれません。
 
 秋の紅葉梅ヶ瀬渓谷編
癒しの滝めぐりコース編 
 謎の手掘り隧道探索編
 大福山尾根道と秘境編 
 浦白川の裏ドンドン探検編
 
新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
 
梅ヶ瀬に向かう道筋で・・・
日当たりの良いところのモミジは見事に色づきます。11月上旬に冷え込む日が続いたので今年の色づきは早いと感じます。色づきは木によって異なりますがこいつはとくに真赤でした。
空は快晴。風はやや強かったものの雲はありません。風があると霧が飛ばされてしまいますので、山全体が乾燥して色味が少し落ちるので、本当はもう少し早く入りたかった。 ベストなのは、朝霧が出る日の午前中の早い時間。もちろん快晴であること。それでも今年の撮影はものすごくよかった。ですから、ほとんどの写真は補正やトリミングはしていません。10日前にも来ていますがそのときは全然ダメでしたので1週間で激変しました。しかし、この色は数日しか持たないと思います。
山の中腹にある水路の穴
高さ2~30mほどの崖の下3分の1ほどに人工的な穴が見えます。おそらく地元の人もほとんど気が付いていないと思われるこの穴はおそらく江戸末期~明治期に作られた用水路の跡だと思います。この真下に梅ヶ瀬川が流れていて川はこの崖をぶち抜いた長さ100mほどのトンネルに吸い込まれてゆきます。この白い崖は手前の方に伸びていてその尾根の上を古道が走ります。房総の山は低いわりに険しく、昔の人は尾根に作った道で行き来していたんだと思います。(川の谷は深く河川敷がないため。)大きな杉の木の影に巨大トンネルがあるはずなのですけど鉄条網で塞がれていて近寄れません。手前の休耕田はイノシシの遊び場ですね。
おれ野お散歩日記から借用した画像
ネットサーフィンをしていて見つけたここの貴重な画像。今は近づけないのですけど5mぐらいの人工洞穴(川廻し)が崖を貫いています。重機を使わず人の手で掘ったんですよ。養老渓谷の駅を地図で調べると、集落そのものが川廻しによって生まれた台地上にあることが分かります。駅のすぐ近くにある黒沼が養老川の旧川筋です。川筋を変えた理由は治水と新田開発のため。あるいは沼を利用して養魚場をつくったのかもしれません。この崖の上の尾根道は折津・芋原地区を経由して上総大久保駅まで伸びていますが、ここがとんでもない秘境。今は養老川を越えて集落に通じる折津大橋という立派な橋があるのですけど、それがない時代は(深い谷に往来を阻まれて)大変だったと思います。芋原地区には現在も手掘りトンネルがいくつもあります。大久保までは車でも行けますがものすごく狭いのでお勧めできません。
火焔紅葉
良く見ると枝先は少し葉が枯れ始めていますけど、この木に限って言えば今が全盛です。
大駐車場の入り口
駐車場入口のところにあるモミジだけが素晴らしかったのでその下で撮影。右側は高さ30mぐらいある白亜の大岩壁。例年は駐車場にあるモミジが美しいのですけど、今年はもうかなり散ってしまって撮影の価値なし。10日あまり前もだめだったし、色づきの旬が特に短いのかなあ?太陽を透かして撮影するとものすごく映えます。
駐車場は有料と書いてありましたが、誰もいないので無料でした。駐車場までの道は悪路ですれ違いもほとんどできないので、運転に自信のない方はここには車まで来ない方が無難です。
大駐車場の紅葉
まだ、10時前だったので車はほとんどいません。管理人さんもいない。つまりタダ。ここには市が設置したトイレがあります。あまりきれいじゃないけど、女性はここで済ませておかないと後で大変な目に遭います。なお、理想としては朝もやがあるうちに入る方が良い写真が撮れます。
日光を透かして
安物のスマホできれいな写真を撮るのには工夫が必要です。逆光にならないように紅葉の下から空を見上げるのがベストポジション。この写真だと山全体が真っ赤になっているように感じますけど、種明かしすると真赤なのは駐車場の中では2本の紅葉だけ。他の紅葉は盛りを過ぎていると言うか色がいまいちでした。
太古の海の底の駐車場
空は快晴です。画像の空の色はほぼ奇跡の色。特に上空の色がきれい。崖の下から見上げるように撮影すると今日は奇跡の空になるかもしれません。このような条件の日はめったにありません。
この大駐車場を人工の切通しとか採石場跡などと考える方はたくさんいらっしゃると思いますが、崖は川の流れによる自然浸食なのです。つまり、この崖は川の大地の浸食の歴史そのもの。ただし、広場は川筋が変えられた結果できた耕作地跡の可能性がかなり高いのです。ここは野球場が入るくらいの広いスペースですけど周囲は崖と川に囲まれています。崖の高さは推定で30mぐらいかな。房総特有の柔らかい泥岩・砂岩・礫岩の白い地層でこの地の人々は古い時代からこの岩を削って川筋を変えて耕作地を広げていました。チバニアンはここから数キロ先ですけど、ここの方が地形変化に富んで見ていて面白いのです。
駐車場の紅葉は例年だともう少し真赤できれいなんですけど、今年は盛りを過ぎた感じで一部(この画像には映っていませんが画面の右端だけがきれいに発色)を除きかなり赤い色が褪せてきていました。日当たりや育成条件によって色づく時期が異なり、しかも旬の瞬間は短いのでなかなか良い写真が撮れません。それがこの渓谷の季節の写真を撮ることを難しくしています。なお、このあたり、鹿・猿・イノシシ・狸・鼬・キョン・雉・山鳥・鳶・フクロウなど房総の自然動物の宝庫でもあります。
V字峡谷
梅ヶ瀬川は養老川の支流で、小さな小川ですけど、峡谷はとても深いのです。この切通しのような場所は古い川筋で崩落防止で固めてあるだけで説明も何もないので地元の人も人工の切通しだと思っています。川廻しなどによって川筋そのものは移動していますので人工的な切通しのようなものと言えばそうなんですけど。それにしても良い空の色です。画像ではわかりませんが結構風が強く、一陣の風が吹くと落ち葉が空を舞い散ります。洛陽スピードも速く今年の旬も短そうです。
本日快晴・・・ただし風やや強し
渓谷に入ってしばらく行ったところ。元養魚場跡あたりの湿地帯。養魚場があったあたり・・・とは私の推定ですけどあながち間違いないと思います。白い岩壁は昔の川の浸食を示す地層で深いところでは30m以上になります。明治期に元延岡藩士の日高誠實(ひだかのぶざね)という人物が官吏を辞してこの山中に理想郷をつくるべく、果樹、紅葉を植え、養魚場や農地開墾も行ったとか。明治維新で職を失った多くの元武士たちが彼を慕い、上総の地に集まり、川廻しによる農地開拓・産業振興を行ったそうです。房総半島は佐幕派の藩がもともと多く、大政奉還のあとに駿河の水野家(菊間藩)や浜松の井上家(鶴舞藩)が慶喜に押し出される形で強制的に移封されました。見せしめのような冷遇ですね。したがってこの地域は上総の地でも最も辺鄙な地でありましたが、文化・歴史などが今の世にもわずかに残されていて面白いのです。
出発が少し遅れたため、霧が出ている時間に間に合わず、紅葉の発色は今一つながらも空の色は100点満点です。この辺りには猫じゃらしの群生地があり、朝日の中の猫じゃらしの大群落は幻想的なのですけど、早朝じゃないとこの光景は見られないし、それ以外の時間帯は通行の邪魔をする雑草の繁茂地にしか見えませんの、でかなりの部分が無残にも刈り取られてしまっていました。
なお、上総の山歩きをする場合、山は低くても谷は時にとんでもなく深いことに気を付けてください。散策をしていてうっかり道から外れて崖から落ちると運が悪けりゃまず助かりません。数年前に尾根のハイキングコースから滑落した方を偶然助けましたが、こんなところで・・・という場所でも遭難します。岩ももろいので落石も多いのです。ただ、この柔らかくて白い岩のおかげで、川廻しの文化が生まれました。崖は日光を反射しますので紅葉の色も奇麗に色づき、また空の色も映えるのです。
崖の上の紅葉
文化人だった日高誠實は開拓にあたって果樹や紅葉を植えたそうで、梅ヶ瀬の名称はそこから来ていると思われます。梅の木は見たことはありませんが、紅葉はあちこちに残っています。崖に生える紅葉はきれいですけど、急峻なので植えることも手入れすることも不可能。紅葉は風で種子を飛ばすので崖地でも繁茂できるのでしょう。2019年の台風で崖もあちこちで崩れていますが、しっかり根付いた紅葉は生き残りました。
落ち葉と苔
渓谷は紅葉の落ち葉の吹き溜まりになります。落ち葉の一番きれいな場所は日高邸です。日高邸の紅葉はそんなに鮮やかではないのですけど、緑の苔の上に降り積もる赤い紅葉と、日高邸の黄色く色づく紅葉が鮮やかなので人気があるのです。
渓谷は10月中旬を過ぎると山蛭もアブもいなくなります。つまり9月頃までは(防虫対策をしっかりしておかないと)うっとうしくて恐ろしくて近寄りがたい地なのです。山蛭は小さいものはホチキスの針ほどからいて、大きいものは小さめのミミズサイズまでいます。動きは想像以上に素早く、振動や音に反応して時に団体で押し寄せてきます。歩いているうちに靴底にはりついてからズボン、靴下の中に侵入し吸血します。引きはがそうとしても頑強に抵抗しますので、さながらべたべたした黒いナメクジ、細身のスライムのイメージかな?塩水が一番効きます。アブもしつこく顔周辺・耳元をぶんぶん飛び回りうっとおしい。私は刺されたことはないもののアブのしつこさには辟易します。
川底を歩く
正面は白壁、左右は緑の岩壁。鉄砲水が出たらこんな場所は逃げ場はありませんよね。したがって天気が悪いときは絶対近づかないことです。雨の日は絶対に入らないこと、天候が急激に悪化したら全速力で引き返すことがここでの正しい判断です。
このあたりは浅瀬が連続していて水音が耳に優しいパワースポットです。いやされますよ。
青空の流れ
良く見ると青空と山の紅葉が水面に映っています。昨年の台風で川底のぬめりがとれて水量は大したことはないものの清流です。ただし、倒木や土砂崩れの跡はあちこちに残ってますけど。せせらぎ程度の流れは深くありません。革靴はNGですけど、少々濡れることを覚悟すればスニーカー程度で十分。長靴を履いてくる方が結構いらっしゃいますけど、石がごろごろしている場所も多く、飛び石を渡る事も多く、距離を歩くのには適していないと思います。
生きている水
この地は湧き水の宝庫で、あちこちから小さな流れが生まれています。私のスマホのカメラ機能は本当に大したことがないのですけど水の流れをきれいにとらえることができました。 
音のパワースポット
ここは私が勝手に「ドボドボ沢」と名付けた場所。空気そのものがひんやりしてますし、ちょっと特別な気が流れている感じ。水はきれいでとても冷たいです。多分飲めるけど上流を歩いている人が多いから飲む人はさすがにいないです。
二五穴の小滝
台風の後に発見した川廻しの痕跡。通常の散策ルートから少し外れるので見落としやすい場所です。岩盤を貫いて梅ヶ瀬川に放流しています。高さは1m50㎝もないかな。崖の上の湧き水を何らかの理由で引いたもの・・・たぶん排水路だと思われます。穴の大きさは二尺五寸・・・ということから二五穴と呼ばれています。それより大きなものは川廻しといいますが、考え方・工法は同じ。梅ヶ瀬渓谷に日高誠實は養魚場をつくったそうですし、付近に小さなダムの痕跡が残ることからこれは養魚場への給排水に使用したもの(あるいは崖の上の農地の排水路)ではないかと推定。 
緑の壁
この壁の実際の高さは10mぐらいはありますし、苔の色は画像以上に濃い。そばによるとしぶきが落ちてきます。(逃げ場ないでしょ。)崖の上から落ちたらただじゃすみません。この渓谷は狭いけど垂直なんですよ。河原を見慣れた都会の人にはちょっと意外かもしれませんがこの峡谷には河原がほとんどありません。川そのものが地面に喰いこんでいる・・・グランドキャニオンの超縮小版なのです。川遊びという言葉を地元の人からあまり聞かないのはこの谷の形状が原因かもしれません。養老渓谷駅のすぐ近くにも見事な渓谷と川があるのですけど水面に近寄る道そのものがないのです。この地に住む農民は水は豊富にあるものの、田は崖の上にあるので田にひく水をくみ上げるのにものすごく苦労したそうです。山腹に空いた穴はそんな時代に湧き水から水を引くための努力の跡だと言います。この他にも上総掘りと呼ばれる井戸工法や藤原式揚水機といった独特の水利技術文化も誕生しています。
参考)上総掘りの自噴井戸(国本地区)
この写真は国本地区の集落内にあった自噴井戸。井戸を掘るには厚い岩盤を砕く必要がありますが、上総掘りは豊富にある竹を利用した世界に誇る掘削技術。水脈にたどり着くと岩盤の圧力で水が自噴します。つまりポンプ要らずなのです。私の生家にも昔は自噴泉があり、かけ流し状態で良く西瓜や野菜が浮いていました。冷蔵庫代わりなんですけど、昭和40年頃までで枯れてしまいました。
藤原式揚水機は深い谷底にある水を水流の力を利用して汲み上げる巨大な装置で、高さは15mぐらい・・・そんなお化けのような機械がかつては何台もこの地にあったようです。現在は高滝ダムに復元したものが一基存在しますが、巨大で威容を誇るものの誰もその存在に気が付きません。この発明はモーターエンジン式のポンプの普及で姿を消してしまったようです。
穴だらけの谷
良く見るとあちこちに人工的な水路の穴があります。川廻しはこんな小さな峡谷でも行われています。
 
幽玄の峡谷
歩いていると風の音、鳥の声とせせらぎしか聞こえず、異世界に迷い込んだような不思議な気分です。湿度は限りなく100%に近く夏は涼しく、冬もそんなに寒くありません。(転ばなければ・・・)
おぞましいほどいた山蛭もいなくなる11月から3月にかけての渓谷は歩くのにはちょうど良いのです。それでも、濡れるとやはり寒いから、ウォーキングシューズは防水タイプがお勧め。替え靴+靴下があるとパーフェクトです。
水神様近くの二五穴
私が勝手に水神様と呼んでいる場所近くに口を開けている二五穴。2019年9月の台風の前は半分埋もれていましたが、洪水発生で中の土砂がきれいに掃除されたのか向こう側がはっきり見えるようになりました。推定ですけどこの場所で川をせき止めて養魚場の池を作っていたんじゃないのかと思います。この穴は人工堰の排水路でしょう。川幅が狭く両岸が切り立っているから堰は作りやすいと思います。市はこういったところにきちんとした説明板を付けて欲しい。「危険、立ち入るな!」だけじゃ、芸がないでしょう?
おいしそう?毒???
湿気が高いので付近の森には菌類がたくさん。この白く輝くキノコは果たして食べられるのかな?それとも毒?大群生していました。くわばらくわばら・・・。
紅葉大白壁
梅ヶ瀬渓谷一番の紅葉スポット。白亜の大岩壁です。空の色はほぼ完ぺきで、紅葉もものすごくいい感じです。ここは谷底から首が痛くなるほど見上げて撮る感じ。昨年の台風で少々崖は崩れましたがよくぞ残ってくれました。ここから日高邸~尾根道~山頂までが本来の紅葉スポットです。今は尾根ルートは閉鎖されていますが昔は本当にきれいでした。
ちなみに見上げた山の尾根筋には林道が走っています。(落ちたら40~50mはあるので絶対に死にます。)
空の色は日の当たり方(高さ)などでずいぶん違った様相になります。白壁の反射によって見え方が多少変わるんだと思います。この岩壁の紅葉がきれいな理由は杉の植林があまりないこと。日高誠實は果樹や紅葉を植林したのに、のちの人々は杉ばかり植えてしまった・・・だから台風には弱いし花粉症を生み出すし・・・。2019年の台風でこの岩壁に生えていた樹木もいくらか被害を受け、白い部分が増えた気がします。場所が場所なだけに植林も難しいし・・・よくぞここまで残ってくれたと思います。
山頂付近の紅葉
スマホでアップにしてみましたが奇麗に色づいています。この色はたぶん一週間持たないと思います。
鳶の旋回・・・落ち葉かな?
谷からは上昇気流が生まれるので、鳶が悠々と舞飛ぶのにはちょうど良いでしょう。私も鳥になってこの大空を飛んでみたい。(風が強かったから落ち葉が映りこんだのかもしれません。)
奇跡の空
2015年に初めてこの空の色が撮れたとき、もう一度見るのは不可能だと思いました。スマホの機能でたまたま撮れたもので、補正ボタンを押してしまったので本当の色ではないかも・・・と疑ってもいました。この写真の色は補正なし、当時とスマホの機種も異なりますのでガチです。白壁に近づいて見上げるように撮ると上空の濃い青色がより強調されて白壁とのコントラストで鮮やかになります。撮影時間帯も午前10時以前が理想のようです。
台風災害の影響で崖の白い部分が広がって(木の一部が崩落して)いますが、よくぞここまでの姿を取り戻したものです。
日高邸に向かう
日高邸は立ち入り禁止の札があるのですけど、全く問題なく行けます。途中に順路看板があるのでたぶん、入り口の譜だのはがし忘れだと思います。こちらの紅葉は黄色く発色するものがやや多いのです。
日高邸跡
日高邸跡は渓谷の最深部の中洲のような場所・・・大きな岩盤の上にあります。周囲を沢に囲まれていますので地形を見る限り鉄砲水がものすごく怖い場所です。こんなところに住むなんて仙人です。邸宅跡の紅葉は黄色ですけど、落ち葉は赤い。紅葉の絨毯で敷地が覆われている感じです。ライトアップしたらたぶんものすごくきれいでしょうけど、真っ暗だしイノシシも多いし夜には絶対近づけない地です。昔、こんなところに邸宅があったというだけで、今は礎石程度しか残っていません。何もないのがここの魅力ですから、期待しないでください。
日高邸の紅葉
日高邸の紅葉は黄色い。周囲の紅葉が赤いので逆に新鮮です。落ち葉の絨毯という形容がぴったりでその上でお弁当を食べる家族のなんと多いことか・・・。ここの紅葉は白壁の場所より盛りが早いようで、周囲の山に紅葉の赤はあまり残っていません。そのかわり地面は赤い落ち葉でびっしり埋まっています。ここの紅葉の盛りは本当に短いようで、この場所の奇跡の一枚も撮ってみたい。
大福山ルートを見上げる
大福山は市原市最高峰の山で標高は292m。日高邸から山頂まで1.5㎞ほど(2020.11現在はルート閉鎖中)ですけど100mぐらいは一気に登る感じで、ハイキングとしてはかなり息が切れます。途中、急峻な尾根道などもあって面白いし紅葉もきれいなはずなんですけど・・・。こうしてみるとここが谷底だと分かります。山頂には大福院というお寺と白鳥神社があります。山頂に近いところに石塚(旧白鳥村)という集落があります。君津市との境で君津側には県内最後の分校の福野小学校がかつて存在しました。この分校には市原地区・君津地区両方の子供が通ったはずです。
落ち葉の池
日高邸の周囲はぐるり低地に囲まれています。低地は川筋で、雨が降ったら激流になっちゃうのではないかしら。深山幽谷の地であることは間違いないのですけど、人が住む地まで行くのは大変です。
帰路へ
名残惜しいものの今年の梅ヶ瀬渓谷はこれで終わり。日の当たり方で紅葉や空の色はかなり変わります。
見返りの紅葉
湿地帯にぽつんと一本だけある紅葉。風になびいてきらきらしていました。この付近に猫じゃらしの大群落があったのですけど、たぶん市の担当者はあまり興味がわかないらしく、通行の邪魔とばかり中央部が草刈り機で刈り取られてしまっていました。朝露のとき以外はたしかに風情はない雑草なんですけど・・・。 
 
浦白川の裏ドンドン 清流探索編

里山のパワースポット
浦白川のドンドンは永昌寺トンネルを抜けて50~60m先の林を右側に降り、さらに500mほど進むと藪の先の河原に現れます。正体は明治時代に作られた農業と治水用の川廻しトンネルだと思われますが、その規模は私が知る限り市原市内では最大最長、おそらく県内最大規模・・・川廻し文化そのものが千葉と新潟ぐらいにしか残ってないので、日本一にほぼ間違いない遺跡なのです。
手作り案内看板の「里山のパワースポット」なる謎のフレーズに惹かれ、ふらふらっと立ち寄ったのが2020年の春。それから私の探求心が爆発し、毎週のようにこの地を訪れるようになりました。
この一帯の川は谷が深く、水くみの作業が困難を極めたため、遠くの山から湧き水を田に引くためにも昔から山のあちこちに穴の水路を掘っていました。その技術を使って蛇行した川の軌道を短絡させて、新たな農地を作り出したり、ため池や養魚場を作ったり、治水にも役立てていたようです。市原市から君津にかけては比較的柔らかい泥岩の山が多いことから江戸時代末期から盛んにおこなわれていたそうで、ある研究者によると市内には大小400個所以上の遺構が残っているとか。
浦白川のドンドンは月崎の集落に作られた人口の水路トンネルでしたが、昭和40年代頃から農業が廃れ周囲が休耕田になってから訪れる人は誰もいなくなり、ついには林と藪に覆われてアンコールワットのように完全に忘れ去られた存在になっていました。
巨大な観音掘り(雌口:表門)
浦白川は柳川地区とクォードの森の湧き水を水源とする川で、月崎駅の先で養老川と合流します。トンネルの工法は「観音掘り」と呼ばれる将棋の駒に似た形。この工法は永昌寺トンネルと同じで、この水路隧道ができたのも同じ時代・・・明治末期だと推定されています。しかし、永昌寺トンネルの高さがせいぜい3mほどなのに対して、この水路トンネルの高さは3倍ぐらいはありそうです。人の大きさと比べれば落ちている岩の大きさもわかると思います。どうしてこんなに巨大な穴にしたのか・・・ある人によると川廻しの大きさは洪水時の最大水量に合わせて設計するということに加え、自然による浸食と崩落が影響しているようです。めったにないことなのですが温暖な房総半島でも年に1~2回ぐらいは氷点下に下がることがあります。するとたっぷり水を含んだ泥岩は内部から花が咲くように砕けるのです。現在の高さは少なくとも7m以上、10m弱はありそうです。
私はこちら側の口をドンドンの「雌口」、反対側を「雄口」と勝手に名づけ呼んでいます。
この洞窟を探検・突破した方のブログ(おざわ隊長)から写真を拝借しました。この方、5回目のチャレンジでようやく反対側まで抜けたという冒険野郎です。(ゴムボート使用)
地元の方に聞くと「中は真っ暗だし、ぬるぬるしていて深いところには泥がたまっている場所もある。落ちたらひとりでは這い上がれないので、絶対入っちゃいけないよ。」と諭されました。戦時中は防空壕代わりにもなっていたそうです。

画像は2019年の台風の(大風と大雨)前の画像で、今とは岩の配置がかなり違いますが、洞窟の巨大さ、落ちている岩の大きさが分かると思います。この事実はこの水路洞窟が治水のために現役であり、巨大である必然的理由を物語っていると思います。ちなみに洞窟の上には小湊線が走っていますので、時々列車の通過音や汽笛が聞こえます。
ここは水の流れ出る側ですけど、私が訪れたときだけなのかもしれませんが水はいつも濁った感じでした。浦白川は養老川の支流で普段の水量はさほどありません。上流は本当に小川という感じです。しかし、その上流の柳川地区の渓谷のスケールには本当に圧倒されます。小川が高さ40m以上、幅50m以上の大峡谷を作っているのです。こちら(柳川地区)も市原市の秘境なんですよ。

 
マップ確認
探索前に地図をもう一度確認。房総の里山をなめてはいけません。泥岩質の山は浸食されやすく、ものすごく深いのです。谷は垂直でまるで切通しです。その上に枯葉が積もっているので、うっかり足を滑らせると続くのは「死」です。(脅しではありません)崖の上にオーバーハングのように土がせり出している部分も多く、うかつに道なきところに近づくととても危ないのです。谷に迷い込んだら這い上がることができないことも考えられます。

赤矢印 到達可能な浦白川のドンドン 右上:雌口 中央:雄口 左下:第2の口
紫矢印 未到達の浦白川のドンドン
濃緑⇧ 永昌寺トンネル入口
濃緑⇦ 雌口への経路(里山のパワースポットの案内)
黄緑⇧ 第2の口への経路(カーブミラー)
※雌口、雄口、第二の口の名称は私がつけた仮称です。
 
雌口(裏ドンドン:裏門)へのルート
1.永昌寺トンネルを目指します。入り口には全面通行止の看板がありますが、観光客の車の侵入どめだと思います。地元の方は徒歩で普通に通っています。どうしても看板どおりに交通ルールを守りたい方は「日の崎大橋」を渡り「田淵旧日竹地区」から細い橋(たしか徒歩専用で車両は通行できません。)を渡りましょう。この橋近辺はとても風情があり、堰の付近には巨大な鯉がうじゃうじゃ集まっています。
2.永昌寺トンネルを出て50mほど先の杉林に手作りの案内がありますので、下の湿地帯に降ります。
「里山のパワースポット 浦白川のドンドン この先500m足元に注意」 この手作り案内は気になりますよね。このプレートを作った方のネーミングセンスで、浦白川は千葉県の秘境探検者の注目地になりました。
3.湿地帯をひたすら直進。滑るし5月以降は山ヒルがいるかもしれません。途中、雉や山鳥が飛び立つことも・・・。
まずはここでドンドンの規模を確認してください。これだけで十分満足できますが、裏側もなかなかなのです。
 
うなるドンドン(雌口:表門)
洞窟の出口付近までは岩を伝って歩いて伝って行くことができます。洞窟の奥からは水音がゴォーっと鳴り響いて聞こえます。ドンドンの名称の由来はこの水音から・・・。「とどろく」「とうとう」という言葉が語源らしいのです。洞窟の奥は見た目は真っ暗なのですが、反対側からの光が見えることもあるという話も聞きます。ただし、地図で見る限りこの洞窟の全長は(直線で少なくとも)100m以上はありますので・・・。この洞窟を通り抜けた強者はゴムボートを使って反対側に行ったそうです。
そして、2021年3月、新たなるチャレンジャーによって反対側の水路もGoogleに公開されました。これで私の探求心に火が付きました。
 
航空写真(国土地理院:現在)
この画像は現在閲覧できるもの。マークの位置は小湊鉄道でこの地下に水路が走っていると思われます。現在の浦白川の下流域に田畑はほとんど確認できず、うっそうとした森に囲まれています。
航空写真(国土地理院:1960年代)
ほぼ同じ地点の古い航空撮影写真。+マークの位置は小湊線。浦白川の流域にはまだ田畑がいくらか残っています。市原市ではこのころから急速に工業化が進み、田畑も急速に数を減らしています。ドンドン裏側はもう荒廃が始まっている感じがします。
長さは縮尺表示から計算すると150m以上になりますけどどうなんでしょうか?
 
 
第2の口、雄口(裏門)へのルート
地元の方に確認すると昭和40年代まではドンドンの周囲が農地だったため裏側にも行こうと思えば簡単に行けたとのこと。しかし、休耕田が増え周囲の木が育ってしまったことからここ40年ほどは誰も裏側に行くことはなくなったそうで・・・。地元の方にとっては当たり前の農村風景なんだそうで、こんなものが珍しがられるとは全く考えていなかったそうです。

1.起点は月崎駅、もしくは永昌寺駐車場。個人的には永昌寺を見学し、安全を祈願してから着替えて向かうのがおすすめです。もちろん、お賽銭は忘れずに!道幅は狭いので車はNGです。
2.駅前のYショップの脇道から行く方法と永昌寺の参道入り口から入るルートがありますが途中で合流します。ひたすら低い方へ歩きましょう。
3.しばらく歩くとかすかに水音が聞こえてきます。第2のドンドンの瀬音です。
4.急な下り坂をしばらく進むと前に白い岩壁が、そして右手にガードレールとカーブミラーが現れます。このミラーの先の藪が入口です。
5.降りて来た道に沿う形で草むらを進むと・・・藪の先に大地がえぐられ、その谷底を流れる川が突然現れます。これが第2の口から流れ出る浦白川です。右手奥を見ると青い水をたたえた四角い第2の口が見えるはずです。
6.降りられる場所を探し、川に沿って藪の中をかきわけ左手にしばらく進みます。焦らないで安全に降りられる場所を探しましょう。夏~秋は藪がきついと思いますので冬~春までがおすすめです。
7.浦白川の裏ドンドンの清流に到達。雄口までは200~300mほどですから、転ばないように進みましょう。
8.雄口前は深い。もうじゃぶじゃぶ川の中を行くしかありません。浅瀬を渡って反対側の藪から雄口に近づくのが安全です。
 
秘境への案内板
このカーブミラーが見えたら右手の藪の中へ勇気をもって飛び込みましょう。(本当はガードレールの先の方が入りやすい。こちらは近道ですけど・・・)藪の深い夏場はあまりお勧めできませんがきっと良い結果が待っていると信じてください。ほら、ミラーにも「注意」って書いてありますよね。足元に注意しましょうね。
※山ヒル・マダニ・マムシに注意。不用意に草むらには入らないこと。ヒルには濃い塩水スプレーが効きますが、見かけたら撤退する方が良いと思います。
 
第2の口がいきなり!(四角いドンドン)
藪の道を抜けるとだんだん水音が高くなります。そして密集した細い竹藪の先にはいきなりこの光景が目に飛び込んできます。水が青いのには驚きました。雌口の水は白濁していますがこちらは清流なんです。川に降りたいところですが、高さは4mぐらいはありそうですので、はやる気持ちを抑えて川沿いを歩きます。川に近づきすぎると足元が崩れる可能性があるので注意。
二五穴だらけ
この水路は初めからこんなに大きかったわけではないと思います。その証拠に水路の壁にいくつも小さなトンネルの痕跡が残っているからです。この地区の人は田に水を引くために山からの湧き水の水路をあちこちに掘っていました。大きさ二尺五寸が基本なので二五穴と呼ばれます。この用水路が発展して大きな川廻しに変化してゆきます。近隣の田を潤した水は再び二五穴から水路に戻されたのかもしれません。この付近の山を散策すると崖の中腹に二五穴が見つかることが良くあります。
二五穴の位置が昔の水路だと推定されますので、昔はここら一帯は低い地形を利用した大きなため池だったようです。それは雄口の脇に残る古い川筋の跡がかなり水面より高いことからも分かります。
清流!浦白川の裏ドンドン渓谷
この川は湧き水でほぼできていますし、生活排水を流すような人家も上流にはほとんどありません。川は泥岩の上をすべるように流れます。つまり、濁る理由がないのです。この画像はスマホの望遠で撮ったものなので粒子が粗いですね。
 
着地・・・探検開始!
第2の口の数十m先の藪がかなり低くなっていて無事川へ降り立つことができました。房総の川の特徴で河原がない、用水路のような川です。足を濡らしたくなくて河原の端をはじめ歩いていましたが、岩は滑るし、かなり斜めだし本当に危ない。ですから、ここを訪れる気のある方は初めからじゃぶじゃぶ川の中を歩くつもり出来てください。水は本当にきれいです。なお、写真では砂地があるように見えますが川全体がほとんどがむき出しの泥岩です。浅くて水遊びには最高・・・ヒルさえいなければ。
清流の連続
水はあくまでも透明で午後の日差しにキラキラしています。川底はところどころ小石によって丸く削られた深い釜穴が空いていますので、踏み込まないように気を付けて歩きましょう。防水機能のあるスニーカーを履いていたので、足を濡らさないように最初は気を付けていたのですが、転倒の危険が高いため意を決して川の平らな浅瀬を選んで私もじゃぶじゃぶ歩きはじめました。この方が安全ですこのような流れはあまり房総にはないかもしれません。粟又の滝を平らに流したようです。
ついに雄口を発見!
激しい水音が聞こえたら雄口が近づいてきた証拠です。目指す雄口は川がカーブするところの少し先。しかし・・・雄口前のカーブ付近から水深が急に深くなる。このままでは雄口は見えません。
腰以上の浸水覚悟か・・・いや、それは厳しい。一度断念しかけて歩みを戻したのですが、よく見ると右岸の林がとても低く簡単に登れそう。それに賭けました。
藪の中を50mほど進むと、幻の雄口が巨大な大口を空けて待っていました。
やはりでかい!
雄口は雌口のように将棋駒の形ではありません。たぶん、浸食で削られたんだと思います。何度も言いますけど、私は雄口、雌口と勝手に呼んでいますが、これが正しい名称ではありません。仮称です、仮称。
大きさはどうだろう・・・こちら側も6~7mはありそう。大きすぎて実感がわかない。そしてここでも水は青かった。
ちなみにこの穴のすぐ右手前側が昔の川の流れ・・・かなり高い位置にあるのが分かります。
改めて地図を見ると・・・
雄穴の右手に旧川筋が伸びています。それは小湊鉄道によって完全に遮断されています。遮断部分は盛り土でしょう。と、いうことは昔の川の面は今よりかなり高かったことになります。つまり、私が探検で歩いた浅瀬は昔はもっと深く、この清流の大昔はため池だったようです。だから第2の口の壁の上部に二五穴がいくつもあったのでしょう。この付近には江戸時代から木製の大規模堰を作った文化がありますので必要に応じて水位を調整していた可能性もあります。地元の方々もドンドンの反対側にはため池があったようなことも言っておりました。
残されたのは紫色の矢印の口。ここはさらに上流からアタックするか、藪の中を行くか・・・。
航空写真(国土地理院:1960年代)からの推測 第2の入口を探せ!
マークの位置が紫の矢印の辺り・・・第2のドンドンの謎の入口。カーブを描き森の中を走る筋は道で上の地図のの辺り。画像を見る限り坂を下りきったところから左手に田んぼが広がっています。地図で標高を調べると紫の辺りは51m弱。坂の最下部が58mほど。標高差約は7mですけど川の直前の標高が55m弱なので谷の深さが4mぐらいはあると推定されます。坂の最下部から左手の山際(実は旧川筋)に沿うように歩けば谷の手前・・・つまり謎の入口・・・につくはずなのですがこの休耕田部分は現在はうっそうとした雑草地&森のはず。入り込むのはかなり勇気がいりますね。上流から下る方法、洞窟を抜ける方法・・・いずれもかなりハードそうです。
現代の様子(Googleマップ)
黄色い矢印の辺りに第2のドンドンの入口があるはず。道のわきからすぐに行けそうに見えますけどおそらく切り立った崖状になっていると思いますから、上からのアプローチはものすごく危険です。標高差を国土地理院図で確認するとおおよそ25mほどありました。(道路75.9m、川べり50.9m)実際、瀬音はかなり下から聞こえる感じです。ここら辺の道は山の尾根を軸に走るのがお約束。房総丘陵の谷は深く垂直なので、尾根伝いに移動しないと深い谷に阻まれて目的地に到達できないのです。
古写真で昔は田畑であった場所は、今はうっそうとした雑木林(灌木に覆われた荒地)になっています。荒れた山谷は人工的な杉林と異なり入るのもためらわれます。昔の川筋は絶対低湿地ですし、いずれにしても探検するのは大変な勇気が必要です。耕作放棄されてから40年ぐらいは経っていますから全く風景が変わってしまっています。画面左側の侵入口と目的地の高低差も8mほどありますので道は結構険しいかもしれません。勇気いりますね。
 
市原百景

実は市原市はすごい市なんです。関東では最も早くから拓けた地で、関東の国分寺の本家は本当なら上総国分寺。東京の国分寺なんて場所は未開の部落だ!・・・と、放言できるほど。4~5世紀ごろから古墳群が作られ始めています。数だけだったら関東でも有数だったんですけど、全く保護されてなくて多くが鉄道の盛り土や住宅街の中に消滅してしまいました。日本武尊時代からの伝説が残り、上総国分寺にはかつて七重の塔がそびえていて(工場設備を除き)未だかつてこれより高い建造物は市内に存在していません。戦国時代には大きな戦いがあり、中世の山城もいくつもありました。徳川のおひざ元で、江戸時代は通算で4つの藩が存在し、戊辰戦争でも大きな戦場になりました。そのため独特の仏教文化が残っていますし、維新後は独自の農村文化が花開き、川廻しがたくさんつくられました。工業製品出荷高は愛知県豊田市に次いで全国2位、ゴルフ場の数は全国1位、芸能人も桐谷美玲やら小島瑠璃子、でんじろう、城島茂あたりもそうですけどみんななぜか隠している。そういえばJEFも逃げてしまったらJ2に落ちて這い上がれなくなってしまっています。人口もそこそこ多いのにSLも時々走るようなローカル線もあるし、見事な田舎風景もある。でもどこか中途半端で徹底しない・・・それが市原市です。その文化価値にみんな気が付かず保護すらされていません。そんな、もったいない文化をここで紹介します。