養老渓谷(梅ヶ瀬渓谷)のページ
私の故郷の千葉県市原市に養老渓谷というマイナーな観光地があります。市もPRにあまり力が入っていないので整備も進まず、観光客もまばら。市境にあるのですけど粟又の滝がある大多喜町側に比べて市原市側は見劣りします。関東で最も遅い紅葉・・・がキャッチフレーズなのですけど、たいしたことがないという観光客の声を良く聞きます。たしかにたいしたことはないかもしれないのですけど・・・ここ数年私はこの渓谷にはまっています。
この写真は
2015年の12月9日の早朝に撮った奇跡の1枚です。普通のスマホ(ネクサス5)で撮影(補正あり)しただけなのですけど、二度とと忘れられない風景になっています。(なんだ!この青空は!)このときは紅葉の盛りは少し過ぎており、この一週間後に訪れたときは全然ダメでした。この渓谷の紅葉の期間は本当に短いのです。
このときはほぼ徹夜で仕事をした早朝、ナチュラルハイな気分で渓谷を訪れたときに撮れたもの。余りの色合いの美しさに目を見張りました。それから毎年、この時期になると渓谷に行くようになりましたが、なかなか奇跡の再現はかないません。
と、いうわけで地元の観光協会に代わってこの渓谷の魅力をお伝えします。(このページは古銭とは全く関係ありません。)

※私は市原市の人間ですから養老渓谷=市原市のイメージなんですけど、養老渓谷そのもののある地点は「大多喜町」なんですね。養老渓谷駅は市原市で私が養老渓谷と呼んでいるのはその駅周辺の場所なのですけど、温泉街の多くと遊歩道は大多喜町・・・。負けてるなあ。紅葉で有名なのは市原側の梅ヶ瀬渓谷なんですけどね。養老川もほとんどが市原側を流れているんです。
※この地を探索するには、4~5月の新緑シーズン、11月下旬~12月初旬がおすすめです。6~10月は山蛭が活発に活動しますし、夏から秋にはアブも出て付きまとわれますので対策(覚悟?)が必要です。皮膚露出の多い服装は注意。露出していなくても山蛭は潜り込んで吸血します。(さして痛くはないのですけど・・・靴に張り付いて靴下の中まで潜り込みます。)落ち葉の多いところや河原は要注意です。河原の石の上などで数十匹の山蛭が一斉に動くさま(人の動きに合わせて振り向きます)はおぞましいです。
秋の紅葉梅ヶ瀬渓谷編
秋の紅葉梅ヶ瀬渓谷編2020 
癒しの滝めぐりコース編
謎の手掘り隧道(浦白川のドンドン)探索編
浦白川の裏ドンドン探検編
大福山尾根道と秘境編 
 
新寛永通寶分類譜 古寛永基礎分類譜 赤錆の館
天保銭の小部屋 文久永寶の細道
 
 
秋の紅葉梅ヶ瀬渓谷編
 注意! 
2019年秋の台風被害のため2020年11月現在、梅ヶ瀬渓谷の大福山山頂からのルートは閉鎖されていますが、渓谷には入れるようになりました。急ピッチで回復が進められていますがこの地を探索する場合は地域の情報をよく調べてから行動してください。 
大福山山頂の駐車場(2015.12.9)
大福山山頂までは車がすれ違えないほどの細い道しかありませんが、30台ぐらい停められる無料駐車場があります。私は裏道(旧白鳥村)から入ってくることが多いのですけど、山頂近くで、もし、対向車が来ると延々バックをしなければならないのでいつもどきどきします。新緑の季節と紅葉の季節の土日祝日は車で山頂を目指さない方が安全かもしれません。ここの紅葉がきれいだとその日の景色は期待できます。紅葉の時期を外すと、駐車場が一番きれいだった・・・というという観光客の嘆きの声を良く聞きます。空の色を見て頂ければわかるようにこの日は雲一つない快晴。早朝の深い霧がすっかり晴れ、傷ひとつない抜けるような空色に変化しつつあります。(この1時間後に奇跡の写真が撮れました。)私はここを起点にすることが多いのです。
※養老渓谷付近には都会的な売店はほとんどなく、駅前に昔ながらのお店があるだけ。大手のコンビニエンスストアまでは7~8㎞ぐらい離れています。したがって、前もって準備はしておきましょう。高滝ダムのほとりにあるコンビニエンスストアを逃すと後は小さなお店しかありません。おにぎり、お菓子、ゴミ袋、手拭き、お茶2~3本もあれば十分です。雨具も入れておくと良いでしょう。温泉に入る気があるのなら着替えも必須です。万全を期すなら替えの靴も持って行きましょう。
※この駐車場の奥から出発する新しいハイキングコースもありますが、あまり人が入らないので荒れているのでお勧めはできません。
 
大福山山頂から車道を下る(2017.12.2)
山頂から梅ヶ瀬渓谷方面に降りてゆく方法と車道を下る方法がありますが私はいつも車道を下ります。山道を降る途中も、ところどころ紅葉が楽しめます。(あまり期待しないでください。)紅葉は日当たりの良いところがきれいに発色するようです。渓谷は高低差や日当たりの良し悪しの差が多いので、全体が色づくというより部分部分で紅葉の盛りが微妙に異なります。携帯で写真撮影しても光のあたり方で色が様々に変化します。
なお、この森には猪、猿、鹿、キョン、マムシ、ヒル、トンビなど様々な動物が生息しています。一度、バカでかい鹿に出くわしたことがありますが、ぶつかったら車はお釈迦になります。茂みをかき分け急峻な崖を飛び降りてきました。牛ぐらいの大きさの立派な雄鹿で、巨大なツノを持っていました。栄養が良いのか奈良公園の鹿とはスケールが異なります。トナカイか出たかと思った・・・という人もいますのであなどれません。
(2018.11.28)
 
大地の底の駐車場(2018.12.1)
山頂から30分ぐらい歩くとふもとにある有料大駐車場につきます。シーズン中の土日祝日だけ500円とられますが平日は無料の事が多い。近所の農家のおばちゃんの小遣い稼ぎの場になっているようです。東京方面から車で来る場合はここに停めるのが無難です。と、いうのもこの渓谷で良い景色を見ようと思ったら早朝に入るのが鉄則。できれば9時前にここにつきたいぐらいなのです。
ほとんど観光客は気が付かないのですが、ここは大昔の川底です。白い崖は人工的な切通ではなく、浸食された跡・・・房総キャニオンなのです。それを知らない観光客のなんと多いことか。
これから先は山頂までトイレはありませんので必ずここで用をたしておきましょう。日当たりが良いのでここの紅葉はかなり赤くなります。今年は塩害でダメと聞いていましたが、どうにか見れるぐらいの状態になっていました。
遠近感がないのであまり高く見えませんがこの崖は20メートルぐらいあります。なお、広場まで入る道もものすごく狭い。すれ違いは不可能なので、覚悟してください。心配ならトンネル手前の有料駐車場に止めて歩きましょう。
3日前・・・真っ赤でした!(2018.11.28)
一切補正などはしていません。アンドロイドの同じ機種で撮影したもの。このときは崖の上はほとんど赤くなっていませんでした。わずか3日で風景が一変してしまうのがここの特徴です。太陽の高さも微妙に影響していると思います。右端の紅葉は3日後にはほとんど散っていました。(上の写真参照)
 
ハイキングコース入り口の大地層(2018.12.1)
有名になった地磁気逆転のチバニアンが77万年前の地層ということですけど、この地層は果たして何万年前のものなのか。市原市観光協会さんはもう少しこういった所にも説明板を設置していただきたいものです。ハイキングコースの入り口にありますけど、誰も気にしないで通り過ぎてゆく地層です。でもよく見ると大迫力なのです。地層の下部に水たまりがあり、ここが太古の時代の川底だったことが分かります。
 
川廻しのトンネル(2018.12.1)
「川廻し」とは川の流れを変えて耕地等に変える開墾技術のことで、この養老渓谷にはとくにたくさんの遺構が残されていますが、説明書きのひとつもありません。ほとんどの人が気が付かずに見過ごします。ハートの光で有名になった濃溝ノ滝もこの川廻しの遺構だと思います。大型の掘削機もない時代に手彫りで岩をくりぬいて流れを変えているのですからたいしたものです。養老渓谷ではこうやって水田や植林の場、養魚場が作られたのだそうです。この川廻し跡は比較的良く保存されていて中には非常にきれいな水が流れていました。
せせらぎを渡って森の中へ(2018.11.28)
 
色とりどりの落ち葉(2018.12.1)
場所によって紅葉の落ち葉が絨毯のようになっています。今年は塩害で縮れた葉っぱが目立ちました。新聞紙上では全滅・・・なんて書かれましたが、どうにか見れる程度の紅葉は期待できそうです。
 
猫じゃらしの大群落(2018.11.28)
川廻しによってできた広場の水田跡地が干上がり、猫じゃらしの大群落に覆われていました。よく見る雑草だと思ってましたが、ここまで繁茂するとはよほど生育条件がぴったりなんでしょうね。ねこじゃらしの毛の房に朝もやの水滴がついてキラキラ光り幻想的です。この風景は霧のかかった日の早朝に来ないと見られません。なかなか神秘的でした。ただし、周囲はイノシシの掘り返した跡だらけですけど。
 
ガマ湿地の紅葉(2018.11.28)
ねこじゃらしの草原の反対側は広い低湿地帯。養魚場か田んぼの跡地じゃないかと思います。脇にある紅葉がきれいだったのでパチリ。ここは春先になると気持ちが悪いほどガマガエルがあつまり、繁殖行動をします。ガマの上にガマが乗り、押し合いへし合いぐちゃぐちゃにひしめき合っているのを見かけたこともありました。低湿地帯なので移動時は足元注意。猪の泥浴びの場でもあるのでぐちゃぐちゃぬかるみます。きれいな紅葉写真がこのときは撮れましたが、この3日後には全然ダメでした。とにかくこの渓谷の移ろいは早いのです。
地球の底を歩く(2017.12.2)
こうしてみるとここが渓谷の川底だということが分かります。用心して長靴で来る観光客も多いのですけど、石の上や石ころだらけの川岸を歩くのならスニーカーで十分です。長靴は山を登るのには不向きなのです。ただし、川を渡ることも多いので、多少濡れることは覚悟してください。山頂から梅ヶ瀬渓谷を一周するコースだとゆっくり歩いて3時間ぐらいかかります。川の中は滑るのでできれば入らない方が安全です。河原には浮石もたくさんあるので捻挫、転倒にはくれぐれも注意しましょう。
 
ドボドボ沢の流れ(2018.11.28)
ドボドボ沢という名称は私が勝手に付けて呼んでいるだけ。この瀬音を聞いていると本当に心が安らぎます。このあたりは泥岩の地層が幾重にも重なり、階段状に渓流を作っています。したがってこの付近にはドボドボという水が落ち込む音が常時響きます。(だからドボドボ沢)
ちなみにハイキングコースはこの薄い岩盤の上を流れる水流を避けながら渡り、対岸に行き来しなければなりません。したがって天気の悪い日は入山はやめましょう。水量は少ないものの渓谷感・涼味とも満点な場所です。
 
小川の飛び石を渡って(2018.11.28)
朝もやの中、小川の飛び石を渡って森の中に入ってゆきます。この渓谷のハイキングコースはせせらぎを渡るコースがたくさんあります。飛び石はハイキングのお客さんが自然石を川に投げ込んで作ったものが多いのです。
養老渓谷は岩石の谷もありますけどほとんどがこのような森の中に流れる小川に沿って歩くハイキングコースです。早朝の霧が日が昇るにつれどんどん消えてゆき青空に変化してゆきます。これが見られるのも午前中ならではのこと。早起きは3文の得なのです。さあ、深呼吸しましょう。
 
黒の小滝(2018.12.1)
渓谷の川にはいくつか支流が流れ込んでいます。この付近にはこういった小さな滝のような流れがいくつかありますが紅葉の時期はほとんど水は流れていません。ここらへんの水源は山からの湧水ですからね。梅雨時などはたぶんもっと水があると思いますが、天気が悪い日は危ないので渓谷には入らない方が良いでしょう。例によって名称は私が勝手に名付けたものです。
 
緑の大岩壁100万年前の地球へようこそ(2018.8.4)
15メートル以上ある垂直に切り立った地層を見ながら川底を歩きます。水の力だけでここまで谷が垂直に深くなるのには気の遠くなるような年月がかかっているのじゃないかしら。ここが大地の底であることを実感します。観光客の方々はほとんどこの凄さに気が付いていないと思います。
岩壁は緑の苔にびっしり覆われ、湧水がボタボタとしみ出し涼味満点。夏はひんやりします。
ここは私の好きなパワースポットです。声を上げるとあたりに反響するような場所です。
新緑の季節がここはおすすめです。
 
川廻しの洞窟(2018.12.1)
ハイキングコースの少し目立たないところに山肌をくりぬいた川廻しの遺跡が残っていました。こうやって流れを変えて耕作地を作ったのだと思います。昔は川面がもっと高く、ここには勢いよく水が流れていたと思われます。房総の岩盤は比較的柔らかいものが多いとはいえ、よく人力だけで掘ったものだと思います。
 
おっぱい岩もしくは夫婦岩(2018.12.1)
養魚場のダムの跡地(推定)付近にある双子の岩。このおっぱいの谷間と両脇に昔は水が勢いよく流れ滝になっていたのじゃないかしら。つまりこれも川の浸食の跡なんでしょう。昔の人はこんな山の中の川の流れを自在に変えていたんじゃないかと思うのです。これはたまたま見つけた地形ながらおっぱい好き?にはたまらない形状で、思わず写真を撮ってしまいました。不謹慎でしょうか?
 
水神様跡(2018.12.1)
今ではすっかり干上がっていますが左の穴は川廻しの跡。用水路として作られたものかもしれません。右のくぼみは崖上からきれいな湧き水がぼたぼたと落ち降りそそいでいます。くぼみが石仏や石碑を置くのにちょうど良い形で、ここには水神様を祭っていたんじゃないかと勝手に思っていますので、私はここを水神様跡と呼んでいます。ここまで来ると目的地はあと少しです。
 
紅葉大白壁(2018.12.1)
水神様跡からしばらく進んだ小さな河原が養老渓谷最大の紅葉絶景スポットです。50mほどの白亜の大岩壁の山頂付近が見事に紅葉するのです。白い崖とのコントラストがとても美しいので、ここは観光写真に良く使われます。あの奇跡の写真もここで撮れました。朝のうちはほぼ真正面から太陽が当たり、青空に紅葉が映えるのです。朝もやが晴れた直後はとびきりに素晴らしいと思います。ここでは観光客みんなが足を止めて見上げます。この写真のときはすでにわずかに日がかげってしまっていますが、写真を撮るなら10時30分前までにここにつくようにしましょう。お昼近くになると付近の山影が伸びてきてしまいます。
今回は快晴ではなかったものの、3日前よりかなり赤くきれいになっていました。空が青ければもっときれいでしょう。あの奇跡の1枚をもう一度見たいのです。この写真も補正などは一切加えていません。
トンビが一羽ゆうゆうと舞っていました。足を止めた観光客はみなさん良い所に来たと感心していました。3日前はほとんどの観光客が「思ったよりたいしたことなかった」とがっかりした様子で話していましたので、紅葉見ごろの瞬間は本当に短いと感じます。(そのかわり日高邸はなかなか良かったそうですけど。)
東京からハイキングに来るお客さんはほとんど大福山に登るだけで満足(?)してしまいます。あとはみんな粟又の滝に行ってしまいます。大福山や粟又の滝の紅葉はたいしたことがありません。養老渓谷の紅葉はここ梅ヶ瀬、旧日高邸跡の紅葉が本物なのです。ただ、ここまで来るのがなかなか大変なのと、旬の期間が短いので知られていないのです。
 
紅葉大白壁(2018.11.28)
3日前の様子。空の色は最高に近い。時間は午前10時30分。12月1日に比べ30分以上早く、奇跡の一枚に比べると30分遅い。下の画像を12月1日と比べると画面左側の赤みがまだ表れていません。ただし、空がきれいなので写真としては悪くありません。塩害がなければもっときれいだったと思います。
 
パークヒルズ(2018.12.1)
紅葉の絶景からしばし歩いたところ、大福山と旧日高邸跡への分岐点のすぐ近くに、苔むしたテーブルとベンチがありますが、一つを除き川の方へ崩壊してしまっています。周囲はイノシシに掘り返されているようです。ここは日当たりも良く、お弁当を食べるのに最適・・・と言いたいのですが、実は大量の山ヒルがこのあたりに生息しているので、休憩をする場合は覚悟が必要です。虫よけスプレーぐらいじゃ全然ダメ。やつらは靴下の中やズボンの中にまでぐんぐん這い登ってきます。気が付いたときは足が血だるまなんてことが良くあります。風も気持ちよいので、ヒルさえいなければ絶好の休憩所なんですけどね。
パークヒルズの名称はシャレです。夏から秋にかけては山ヒルの大群に襲われますので注意して下さい。
 
大福山分岐点(2018.12.1)
パークヒルズからほんの少し先へ進んだところに丸太橋と分岐点があります。右に行くと大福山山頂へ、まっすぐに進むと旧日高邸跡へ。ここまできたら、旧日高邸跡を目指しましょう。ここから歩いて10分ほどしかかかりません。いざ、深山幽谷の世界へ・・・。
 
旧日高邸跡(2018.12.1)
養老渓谷旅館組合のHPによると・・・日高誠実(のぶざね)は、明治19年、50歳になって陸軍省を辞し、官有地を無償で借り受け、理想郷梅ヶ瀬を建設すべくこの地に居を移しました。 そして近隣十ヵ村の人たちの協力を得て、植林・養魚・畜産等に力をつくすかたわら、梅ヶ瀬書堂を開校し、近郊在住の師弟に国漢・英数・書道・剣道等を教授し有為な人材を育成しました。 従学する人々は市原・君津・長生・山武・夷隅の五郡(当時)にわたり、数百人に達したといわれます。
いや~、大変な人ですね。ここまで大駐車場からほぼ1時間かかります。こんなところに家を建てて住むなんて凄いとしか言いようがありません。ここは養老川の源流の中州です。鉄砲水が来たらどうするんだろう。
 
旧日高邸跡・紅葉の絨毯(2018.12.1)
3日前、駐車場に向かう途中にすれ違った観光客の人に「日高邸は最高だったよ」と言われました。そのときは実は日高邸に行かずに山頂に上ってしまった後で、とてももう一度戻って見に行く気力・体力が残っていなかったのです。そこで3日後に再チャレンジ。しかし、残念ながら多くの紅葉はすでに落葉してしまったあとでした。来年チャレンジしてみよう。
紅い紅葉はほとんど残っていません。黄色い紅葉もわずかに残るだけ。それでも緑の苔と落葉のコントラストがきれいです。まさに深山幽谷の世界。3日前に来ればよかったなあ。
ここは赤い紅葉と黄色い紅葉があり、本来ならとてもきれいなはずなのです。ここの紅葉や梅の木は日高誠実が明治時代に植えたものです。あたり一面紅葉の落ち葉で真っ赤でした。最盛期に来てみたかったですね。邸宅跡の脇の小川にも紅葉が降り積もっていました。
 
山の中腹にある謎のトンネル(2018.12.1)
日高邸の近くの山の中腹に謎のトンネルらしきものがありました。川廻しにしては少し位置が高すぎますので、昔の貯蔵庫の跡地なんでしょうか?それとも用水路?
とにかくこの渓谷にはこのような明治の遺跡が沢山あります。日高邸は大正末期には廃墟になっていたようですから見捨てられてから100年近く経過しています。
 
大福山山頂を目指してひたすら登る!(2018.11.28)
分岐点から山頂を目指して細い山道をひたすら登ります。表示された距離は大したことがないのですけど、ものすごくきつい階段状の上り坂が延々と続きます。ときどき紅葉もありますが眺める余裕なんてほとんどありません。とにかくきつい。ぜいぜい言ってしまいます。膝を持ち上げるのが辛い。
 
根ばりの道(2015.12.15)
ほとんど景色なんか見てられないのですけど、木々の間からところどころきれいな紅葉が見えることも。この写真は以前撮影したときのもの。さすがに12月中旬は遅く、このときはこの谷付近鹿紅葉が残っていなかった。
足元は木の根っこだらけでかなり歩きづらく、すれ違うのも一苦労します。ここらあたりは体力的には最大の難所です。休憩時間にちょっと撮影した一コマです。
この辺りは別名「紅葉谷」とも呼ばれる場所。うまく時期が当たればかなり見事な紅葉が見られるはずなのですけど、2018年は塩害の影響なのかこの付近の紅葉は全滅でした。
 
風の尾根(2018.12.1)
ここは私がこの渓谷の中で最も好きな場所のひとつ。いつ来ても風が気持ちよく吹きぬけるスポットなのです。ですから私はここを風の尾根と呼んでいます。道幅がとても狭いので休憩スポットには向いていないのですけど佇んでいるだけでとても気持ちが良い場所です。汗がすうっと引いてゆく感じですね。
ただし、右側はほぼ垂直の断崖。よろめいたら命の保証はありません。危険防止のロープも実に頼りない。なお、右の崖下は本当ならきれいな紅葉スポットなんですけど、塩害の影響でしょうか、枯葉が目立ちました。3年前に撮影した上の写真と比べてみてください。
ここまで来たら急峻な坂道はあと少しで終わりです。ここを過ぎる上り坂の勾配が緩くなり歩きやすくなります。
 
天空への道(2018.12.1)
大福山山頂の青空が見えてきました。あと一息です。最後の難所の根っこだらけの尾根道、そして階段です。登りきると休憩場所があります。
 
幻分校:君津市立福野小学校(2018.12.1)
山頂にから左方向の細道を車で行くと、旧白鳥村(石塚地区)があります。ここは君津市との市境で、山頂を挟んで左側が君津市の福野・怒田地区、右側が市原市になります。ここは平地のほとんどない山の尾根の周りにつくられた集落でどうしてこんなところに人が住んでいるのか不思議な地域です。(失礼)
この地域にかつてあった小学校が君津市立福野小学校で、千葉県最後の分校と言われていたと思います。なにせ辺鄙な場所ですからここには君津地区だけでなく、市原地区の小学生も通った分校なのです。画像で見ると学校は平たんな地にあるように見えますけどここは山の中。石塚地区とふもとの菅野を結ぶ道はまるで天空を走る尾根の道。学校は君津地区にあっても、市原市の道を通らないと通えない・・・とにかく秘境です。この小学校を見つけるのにはちょっと苦労・・・そして感動しますよ。
集落はありますが、お店は一つもありませんし、ふもとまで行くのも一苦労です。昔はここにもたくさんの子供がいたのでしょうね。
写真はありませんがさらに下ったふもとの部落「月崎」の紅葉もなかなかきれいなのです。
 
大多喜町遊歩道 癒しの滝めぐりコース
2019年の台風被害のため、2020年の4月になっても梅ヶ瀬渓谷は閉鎖中。そこで、少し足を延ばして大多喜町側の滝めぐりコースへ。ここも養老川の源流に近いところ。ここも養老渓谷には違いありません。
同じ養老川ですけどこちらは観光地化が進んでいます。こちらのコースは非常に平坦で歩きやすいし、時間もそれほどかかりません。谷に降りる所までがちょっと苦労する程度ですから、スニーカーで十分です。渓谷は深いのですけど川幅もあって荒々しさはありません。ホテル滝見苑はごりやくの湯という日帰り温泉施設も運営していますし、食事もOK。一日の疲れが取れますよ。
粟又の滝(2020.4)

房総一の銘瀑布と言われますが、他県の滝に比べるとものすごくおとなしいです。渇水期のときは水がちょろちょろのときもありますが、昨年の台風以降、湧水量が増しているのと川底のぬめりが無くなっているので清流瀑布に変貌しています。典型的な滑滝で行こうと思えば滝つぼまでいけます。この画像からは滝は二股に分かれたものが合流しているのが分かります。
この写真はコロナ自粛要請が始まった直後の午前中もので、この後この遊歩道はしばらく閉鎖されました。こんな田舎なのに・・・。
粟又の滝(2020.4)

正面からの一枚。水上にある岩の上からの撮影。この時は特に水がきれいで、しかもあたりに人気はほぼなし。こんなことはまずない絶好の条件でした。まるでウォータースライダーのように水が滑り落ちる女性的な滝です。台風のおかげで水の中のぬめりが取れてものすごい清流になりました。ただ、この状態がいつまで持つのかは分かりません。水量も多いし、ね、透明でしょ?
万代の滝

2019年の台風で最も変化した滝かもしれません。水量が豊富になって滝らしくなりました。小さな滝なので滝つぼまで歩いてゆけます。
なお、地図には「昇竜の滝」という勇ましい名がこの先の対岸にあるはずなのですが、水が枯れてしまったのか見当たりません。
万代の滝は滝壺前が浅状なので目の前まで安全に行けます。結構流れはあるのですが迫力と清涼感満載の映えスポットです。
 
千代の滝

こちらは滝というには少々迫力が乏しいけど、房総では滝です。近くにも清涼な水の湧水場所があり、多分飲めます。(自己責任で)
滝めぐりコースは往復しても1時間少々程度の平坦なコース。谷に降りる坂道は少々傾斜はありますが、高齢者でなければ気楽に歩けるコースです。ただし、トイレはコース中にないので要注意です。
小沢又の滝(幻の滝)

本当のことを言えば滝めぐりコース一番の滝らしい滝なんですけど、地権者と大多喜町の仲が悪く現在は台風被害の影響もあって近寄れません。これは林の間から撮影した一枚。この滝の上部はトンネル状になっていて川廻しによる滝だと思われます。田植えの時期がおそらく水が一番豊富で対岸にも複数の滝が(おそらく田んぼの排水)かかる姿は圧巻ですよ。
なお、この滝を見るには入場料が必要なのです。景観を独占することの是非はありますが、元の状態に早く戻ってほしいと思います。
ネットから探した画像です。千葉県の滝の中では水量も多く一番滝らしいのですけど時期によって当たりはずれがあります。個人的にはベストは新緑の季節だと思います。
無名の滝
幻の滝のさらに下流にある無名の滝。高さは25mぐらいある立派なもの。遊歩道が延伸されて見学が可能になりました。
昇竜の滝が消滅しているので、こちらこそ相応しい滝。地名は小沢又と面白の境あたりなのでなので面白大滝でも良いかな。
 
月崎~飯給 謎の手掘り隧道探索の旅(2020.3~2020.5)
養老渓谷の数駅前に飯給(いたぶ)という難読地名があります。この地の歴史は古く、信仰の道が月崎にかけてのこされており、途中に手掘り隧道が複数残されていることから一部の秘境マニアによって取り上げられています。2020年5月現在、残念ながら道の一部が崩落していて現在は近寄れない場所が多くなってしまいました。(実は集落の中の道からは行けるのですけど分かりにくいのでお勧めできません。)
しかし、このコースは必見のパワースポット満載です。私は最近すっかりはまってしまいました。機会があったら是非訪れてみてください。観光地とはほぼ無縁の地ですけど、不思議な見どころがギュッと詰まっています。
このコースの見どころは3つ
1.真高寺、永昌寺をはじめとする里山に根付いた信仰文化。
2.房総の名物、手掘り隧道。
3.浦白川のドンドン。(現存する日本最大の川廻し隧道)
これは将来大化けするかもしれない秘蔵スポットです。
 
市内寺院山門の最高傑作(初代波の伊八の彫刻美を堪能!) 
最勝山 真高寺
飯給の駅からほど近いところにあります。田舎の山奥にあるお寺にしては異様なほど立派な山門です。実は市原市南部にあるお寺の多くが立派な山門や楼閣を持っています。ちょっとした山門文化なのですが地元の人はその価値に全く気が付いていません。ここには何度も行っているのですが不思議なぐらい参拝客の姿をみたことがありません。最勝山・・・カッコよくないですか?スポーツマンと受験生はお参りしてください。
この山門は市原市内ではもっとも素晴らしいもの。千葉県指定の文化財になっています。初代波の伊八の彫刻もあり一見の価値あり・・・いえ、必見です。
お散歩するにはこのお寺の駐車場とトイレをお借りするのが便利です。もちろん、きちんと拝観しましょう。珍しいカワラケ投げコーナーもありますよ。
※私は飯給をスタート点にしていますが、初めての方は月崎駅(車なら永昌寺)を起点にする方がおすすめです。
きしゃにちゅうい! 
集落の中の小湊鉄道の踏切
単線でこの辺りはどこまでもまっすぐです。私は地元に住んでいるのにこの鉄道には子供の頃に一度乗ったきりです。昔からこの列車は運賃が高くて日本で一番高い列車というありがたくない名称を頂いていました。無人駅も多く・・・というより有人駅は数えるほどしかないと思います。
それが逆に珍しくて鉄道ファンにとってはたまらない存在みたいなのですが、宣伝が下手で線路のつながっているいすみ鉄道に大きく水を変えられています。
踏切には「きしゃにちゅうい」と書いてありました。なんで汽車???とつっこみたくなります。
集落の中・・・としましたが、全く人気がない原野みたいなところです。鉄道ファンにとっては格好の撮影スポットのはずなんですけどやはり誰もいませんね。ひたすら長閑・・・そして静かです。この鉄道2006年、2013年、2019年と台風や集中豪雨で何度もひどい目に遭いましたが何とか復活しています。
 
タイムスリップ・・・明治の手掘り式隧道(観音掘り工法) 
柿木台第一トンネル
飯給の集落を過ぎ、道が分岐するところをまっすぐ進むとこのトンネルに出会えます。
房総半島は平らのイメージですけど、実は川の浸食で谷は垂直に切り立っているところが多く、道に迷って足を踏み外すと命を落としかねない場所があちこちにあります。このトンネルは永昌寺トンネルと同じ観音掘り工法でできています。観音掘りは将棋の駒の形に掘る工法。この形になったのは明治期だと思いますが道そのものは相当昔からあったと思われます。房総にある多くの手掘り隧道はその後の車文化の発達で拡幅・補強がされて昔の形を失っていますがここは人里離れた山奥なので昔の形がまだ残っています。
あたりは人気がほとんどないから夜にここを通ったら怖いですよ。蛍光灯が縞模様を壁に描いていて、異次元の世界に迷い込むような気分になれます。
 
大昔の信仰街道であった証拠 
道端の石仏
この街道が古くから存在する証拠として、道端の石仏(お墓の墓石?)に元禄十年の銘があり、その隣にある石碑には寛政五年安達郡横曽根村(埼玉県)並木長兵衛の名前が読み取れます。それだけ古い時代から信仰の道としてここは栄えていたわけでして、お寺の山門が立派なのもうなづけます。歴史的には壬申の乱のとき、大海人皇子に敗れた大友皇子がこの地に逃げてきて、住民が食事を与えたことから飯給(いいをあたふ→いいたふ→いたぶ)となったと言われます。大和朝廷の時代から上総の地は栄えていたので、歴史的に千葉県は関東ではもっとも古いのです。ただし、このあたりはとんでもなく山奥です。
 
集落の道しるべ・・・旧街道の証 
集落の入口にあった石地蔵
この地蔵のある道は柿木台地区の民家のわきにあります。細くて車も通れないような道ですがコンクリート舗装されていて歩きやすかったです。このお地蔵さまは自然の岩山を削ってつくったくぼみに鎮座していました。この地の住民の信仰の深さを感じます。ここは柿木台のトンネルがなかった頃の旧街道だったのかもしれません。柿木台から飯給方面に抜けることができる古い道です。

地図にない道
このあたりを歩こうとGoogleやYahooで検索しても道は出てきません。車が通れないような細い道だらけです。国土地理院の地図が最も頼りになりますが、こちらは詳しすぎて実際には消滅している道も示されます。赤い矢印がおそらく旧街道で下向きの赤い矢印のところに石地蔵があります。青い矢印が2020年5月現在で崩落通行止めの場所。その手前から左に折れて山の中に入ってゆく道がおそらく昔の道。くりかえしますがこの地図上にあっても今はない道があるから本当に注意が必要です。
中央の太い黒線は線路です。
 
山頂の異次元トンネル ・・・風はごちそうです!
柿木台第二トンネル
2020.5月現在、このトンネルの手前の道が崩れていて通行止めになっています。ちなみに分岐を右に行くと静叔の径からクォードの森(市民の森)の山頂展望台方面に行く道と、月崎駅に向かう山道につながります。トンネル内の気温は一定で夏はひんやりとても涼しくて気持ちが良いですよ。このあたりは養老川の河岸段丘の最も高いところで、表面は土に覆われていますが房総特有の柔らかい泥岩・砂岩の岩山です。この特有の岩盤と地形が房総半島独自の農業文化・・・川廻しを生み出しました。このトンネルはその技術を応用して作ったものと思われます。おそらく、当初は手掘りだったと思いますがその後に車が通れるように機械で拡張された・・・もしくは崩落した結果の修復がされたものではないでしょうか。
 
謎の手作りプレート発見! 
「里山のパワースポット 浦白川のドンドン」という手作りの看板が杉の木に結び付けられていました。以前、この道を歩いたときにも発見していて興味は引かれましたが、草が生い茂り足元がぬかるんでいるので途中で断念した経緯があります。とはいえ枝木が片づけられていてだれかが一生懸命整備しているらしい。この謎のプレートがネットで反響を呼び、この場所を有名にしつつあります。謎めいたネーミングもものすごく効果的でした。誰だってこれ見たら何だろうと思いますよね。こいつの仕掛人はすごいです。
 
忘れ去られた世界へ ・・・木々に隠された秘密
巨大水路洞窟
2020年、意を決して生い茂った草を踏み、湿った畦の様な踏み跡をたどりました。突然、足元からつがいのキジが飛び立ちました。むこうもこんなところに誰かが来るなんて全く思ってもなかったのでしょう。川に降りられそうなところもありましたが、滑りそうなので行けるとこまで行こうとまっすぐ進みます。すると今度こそ行き止まりで、藪の隙間から川へ下りてみました。すると生い茂った木々の先に大きな洞窟がぽっかりと空いています。これが「裏白川のドンドン」との初出会いでした。
5~10月は山蛭が発生しますので覚悟してください。食いつかれると傷口からの出血がなかなか止まりません。靴底から靴下の中まで潜り込みます。できるだけ足をとめず、ときおりくっついていないか確認してください。虫除けスプレーは全く効果なし。地元の人に聞くと塩が一番で濃い塩水スプレーを持参するとよいそうです。
マダニなどもいますので虫よけスプレーはやはり必須かな。先日、(血を吸っているのに)真っ白なダニを路上で見ました。イノシシについていたのが落ちたみたい。大きさは親指の爪大で巨大。新種かもしれません。(画像撮りましたが気持ち悪いので・・・)マムシもいるそうなのので藪が深かったらいかない方が安全かも。ここは秘境なんです。
迂回路
現在青矢印部分と永昌寺トンネルが通行止めになっていると思います。(2020年5月、永昌寺トンネルは歩行者は問題なく通れます。通行止めにしているのは車で行くと立ち往生してしまうから+コロナ自粛?だと思います。)
ここは田淵旧日竹集落から細い橋を渡ってくることもできます。橋はものすごく細く多分車は渡れません。緑の矢印が目的の場所。さすが国土地理院、地図に示されています。橋の下の部分に小さな堰があって透明な水の下を巨大な鯉が群れを成して泳いでいます。つかみどりができそうなぐらいです。これまた圧巻の里山風景ですよ。下流を見ると左手に養老川の河岸はは屏風のように切り立った崖になっています。ここの風景は好きですね。
 
でかっ!圧倒される大きさにサイズ感が破壊される! 
浦白川のドンドン
浦白川のドンドンは推定ですが明治時代につくられた大規模な川廻しでしょう。川廻しは房総半島特有の岩盤を削って川の流れを変える土木技術です。この技術は江戸時代後期から行われていたようで、おそらくはじめは山から水を引く用水路技術としてはじまり、やがて川筋そのものを変えて農地を増やしたり、養魚場や林業基地にするなどの目的でさかんに行われるようになったようです。
浦白川のドンドンは、現存するものとしてはおそらく県内最大、最長の水路トンネルだと思われます。浸食で形状は変わっていますが観音掘り工法であったことが伺えます。崩落した弘文洞(下図)に勝るとも劣らない水路洞窟(川廻し)です。私は市原市の出身で、郷土史も少しかじっていたのですけどこれはまったく知らなかった。エアポケット、盲点でした。
 
ここでちょっとお勉強・・・川廻しとは・・・
川廻しにより作り出された風景(養老温泉郷付近:戸面地区)
川を短絡させて蛇行部分をなくすことで農地を生み出します。江戸時代から行われてきた工法ですけど、千葉県の場合柔らかい岩質の山が多く、用水路を掘ったり、水路洞窟を掘るのが特徴的で、独特の文化・風景が生まれています。(画像は拝借:地図の旅愛好会)地元の人にとってはまったく珍しくもなんともないそうなんですけど、この風習は千葉県に特に多くみられる文化だそうで、残された数から見ても千葉の歴史的農業遺産と言っても過言ではないものです。
養老渓谷駅付近の大川廻し
国土地理院図とGooマップを並べてみました。地図左側に大きなトンネルがあり、旧川筋を干上がらせて新田にしているように見えます。ただし、この地形をじっと眺めていると、どうもここは本流そのものを短絡してつなげたように思われます。すなわち右図のアートハウスから左の朝生原の文字の先の合流点までの本流は掘削によるものじゃないかと。国土地理院の地図を見ると黒川地区の等高線がぶった切られたように見えますので太古の流れはこの地区をぐるりと取り囲むように流れていたんじゃないかと推定されるのです。Goo地図にある破線が元の川筋らしきものが描かれています。国土地理院にある細い川はおそらく用水路として残したものじゃないかしら。ちなみに地図右上にある宝林寺は「チコちゃんに叱られる」でおなじみの物知り住職の千葉さんのお寺です。ここにある川廻しも超巨大。しかも地区ごと川廻しの中にあるとはすごいな・・・まだ新たな川廻し遺構が再発見できるかもしれません。
 
たった月1回ゆるポタ乗りだけで、開運?…“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA
このトンネルの情報と画像を掲載しているサイトを発見。けっこう大きいです。
 
母なる出口・・・なんとなくエロチック 
浦白川のドンドン(雌口側)
私の画像だと大きさが分からないと思いますので、この洞窟を探検した方のブログ(おざわ隊長)から写真を拝借しました。私の写真と撮影日時が1年ほど違いますが、洞窟の巨大さ、落ちている岩の大きさが分かると思います。岩は2019年の台風・大雨でかなり配置が換わっていますが、この水路洞窟が現役であり、巨大な理由を物語っています。私の目視でもゆうに10m以上あると感じました。現在はアーチ部分が崩落していますが弘文洞に匹敵する口のサイズであり、長さは間違いなく最長です。ちなみに洞窟の上には小湊線が走っています。
ちょっと形がエロイ(なぜかは皆さんでお考え下さい)と評判なんですけどそれ以上に圧倒されるスケールです。長さは短くみても地図では120m以上・・・おそらく150mぐらいはあります。私はこちら側を雌口と名付けました。ここは水の流れ出る側です。なお、浦白川は養老川の支流で普段の水量はさほどありません。支流なのにこんなにすごいスケールなんですよ。人物の大きさと比べてください。そして、これが手掘りということも・・・。
 
最近、ネットで公開された幻の入り口側写真です! 
浦白川のドンドン(雄口側)
この洞窟は戦時中には防空壕代わりに利用されていたそうです。中はぬるぬる滑り、深いところも多く軽い気持ちでは探検できません。それと付近の草むらはヤマヒルとマダニが生息し、マムシとイノシシの巣窟になっています。公表されている以外のアプローチはかなり危険。崖の高さは15m以上あり、切り立っているので上部からアプローチをして落ちたらただではすみません。反対側が見たくて探検した方は5回目でやっと走破。目下のところこの画像が唯一公表されている反対側の入り口画像です。水は流入する側です。なんでこんなに大きな洞窟になったかというと、川の浸食もあったと思いますが、洪水時の最大水位をもとに設計して作ったかららしいのです。雌口のところにあった巨石は昨年秋の台風によって運ばれたもの。水の力は強大なんです。
Goo地図より(1)
赤いところが川廻し。よく見ると元の川筋が点線で残されていて、上流にも大きな川廻しがあります。Gooには元の川筋がなぜか描かれていてわかりやすいです。地元の人に聞くと元の川の一部はため池になっていたそうですが、航空写真を見ても樹木が繁茂していてわかりません。なお、ネット上の地図の道は現在の道筋とかなり異なっています。ネットの地図を信じると迷子になり危険ですからお気を付けください。
Goo地図より(2)
浦白川の図を見る限り、周辺には大小さまざまな川廻しが存在します。小さなものはその大きさからニ五穴(二尺五寸)と言われていたそうです。山の中腹にあるようなものは、湧水を引っ張るための穴で、ときには山の反対側の湧水を山に穴をあけて通すこともあったようです。月崎の川廻しの多くは、農地確保のためのもので、廃藩置県で食い詰めた元武士たちが入植した明治期にとくに盛んに作られたのではないでしょうか?
国土地理院地図
ネットで調べた道筋もかなり変化していてこちらの方が近い。ただし地図左上にわずかに見えるドンドンの裏側の盆地(河原)に行く道は捜しましたが藪に覆われて見えません。(痕跡らしきものはあり)標高差がかなりあるので道を間違うと大事故になります。等高線1本で10mぐらいあると思います。地元の方は「ずぅみ」のとこから入るとさかんに言っているように聞こえました。私も地場の人間なんだけど「ずぅみ」って何だろう。地名?隅?泉?
 
太古の川岸・・・第二のドンドンもこの先にあるはずなんですけど・・・ 
浦白川のドンドンの裏口への道?
地図で見る限り、この壁の手前に降りる道がありドンドンへつながるはず。 また降りた先のすぐ右手に謎の第二の巨大川廻しの出口があるかもしれないのですが、草が生い茂っていますし、等高線を確認するとこの先は10mぐらいの谷になっているはず。滑落したらただでは済まないからうかつには踏み込めません。このあたりにはこのような切り立った崖があちこちにそそり立っていますが、人工的な切通しではありません。これは河川による浸食、河岸段丘・・・房総キャニオンなのです。浦白川はこの壁に沿って右に大きく蛇行し永昌寺の小山の方に向かいます。この草むらの先は古代の川筋のはずで地図で見ると大きな窪地になっています。耕作放棄されて久しいのでこの付近は野生動物の宝庫になっています。クォードの森の管理者さんいわく、毛虫が体につくのが嫌なら山には入れないよ。でも、あんなものまだ可愛いよ。
この辺りには
3つの魔がいるんです。ムシ、ダニ、ヒル・・・ああ、やだやだ。

→ ついに発見!浦白川の裏ドンドン
ヒルに喰われたらごめんなさい。根性あれば貴方も目撃者になれるかも?スペシャル
 
手つかずのままの手掘りトンネル 
永昌寺トンネル
月崎駅からすぐ近くで永昌寺の真下を通っている手掘り隧道です。竣工が明治31年ということは途中にあった石仏よりかなり新しい。推定ですがトンネルができる前にはう回路があり、そのひとつが地蔵のあった地図にない道で、柿木台第二トンネルの手前から山越えの尾根道で月崎に向かったのではないでしょうか。このトンネル142mもあります。
浦白川のドンドンは国土地理院の地図で見ると150mぐらいありそうです。しかし、地図に書かれた永昌寺トンネルはもっと長い。
 
ひとまず休憩・・・上総の山門文化をご堪能あれ! 
霊窟山 永昌寺
月崎駅から少し先の小高い丘の上にあるお寺。ここの山門(楼門)も実に立派です。こんな田舎の山の中になんでこんなすごい山門があるのか不思議。お寺の下には観音掘りのトンネルがあり、永昌寺トンネルと呼ばれています。地図を見るとお寺が岩山の頂上大地にあること、お寺の先は急峻な断崖であろうことがなんとなくわかります。岩山からはきれいな水がこんこんとわいています。公衆トイレはウォシュレット付きで、ここを拠点に月崎周辺を散策するのも良いと思います。もちろん、きちんとお参りしてお賽銭をあげてください。この辺りはお寺探しをしていても面白い場所かもしれません。少し下がったところに大日堂と呼ばれる堂があり泉が滾々と湧き出していました。もしかしたら霊水かしら。
なつかしき里山の風景 
月崎の田園風景
月崎駅の周辺です。里山風景・・・それにしても長閑です。 
 
 
ほんの少し足を延ばせば・・・(浦白川の源流地)
クォードの森(市民の森)
月崎駅から少し行ったところにあります。昔は市民の森と言っていました。ここが浦白川の源流で深い峡谷になっていますが、何も知らない人々は切通しと勘違いしています。ハイキングコースがいくつかあり、キャンプ場や水遊びできるところ、手掘りトンネルなんかもあります。ここから山頂展望台まで行くと飯給へは案外近いです。
 
最近、インスタ映えすると評判です・・・。 
林道月崎1号線の双子トンネル
インスタ映えするということで秘境ファンの間で有名になったトンネル。道は細く車一台しか通れないので歩きましょう。静叔の径からクォードの森の展望台に行き、そこから500メートルぐらいで管理事務所。そこから2キロぐらいです。
林道月崎1号線の終点トンネル
トンネルの先は広場になっていてUターンできますが、何度も言いますが途中がすれ違い出来ない道なので、バイクで行くか歩くかです。なんか南国のシャングルの雰囲気。ここから先はクォードの森のきのこコース(登山道的なハイキングコース)が続きますが、昨年の秋の台風被害で封鎖されています。(2020年5月現在)
それにしても今の技術ならこんなトンネル作らず切通しにしますよね。昔の人は農地を少しでも確保するため農閑期にこつこつとトンネルを掘ったんでしょう。それともこれは林業のためのトンネルかしら?
 
白尾(びゃくび)の川廻し
昭和8年につくられた最期の川廻しと呼ばれる大規模水路隧道。この地にはかつて琵琶首館(びわくびやかた)とよばれる戦国時代の館の跡地。ここは戦国武将の里見義弘の子の梅王丸が里見義頼と家督を争い、敗れ、母と妹とともに幽閉された伝説の地です。養老川が白尾の山に遮られに急カーブを描いて蛇行している土地で、谷は数十mの深さがあり、周囲と隔絶された天然の要害です。要塞としては確かに難攻不落なんですけどあまりにも地形が厳しく周囲と隔絶されていますので、幽閉には好都合の場所だったでしょう。館のあった台地は西側の急峻な崖地とつながっていましたがこの山に大穴を穿ち、養老川の本流を通すという大土木事業が白尾の川廻しだったと思います。この工事は農地開発の意味もありますが治水(洪水)対策の意味が強かったと考えられます。白尾の川廻しは古写真にその姿を見ることができる程度で近隣住民の方々以外にはほとんど存在が知られていません。なお、白尾(びゃくび)の地名は琵琶首(びわくび)の音から転じたものだと思われます。
白尾の地形図の立体模型
緑色の部分が昔の川筋。琵琶首館はこの半島状の台地の付け根部分に近い場所にあったらしい。まさに琵琶の首部分です。養老川は急カーブを描いていて谷は切り立ってとんでもなく深い。等高線の細かさを見てください。こんな地形だからこのすぐ近くにチバニアンが露出しているのです。白尾の川廻しはこの緑のリングが切れているあたりに手掘りで作られたのでしょう。私は市原市に住んでいてこの川廻しの存在には気が付きませんでした。チバニアンもすぐ近くだし、観光資源としては素晴らしかったのですけど・・・。

市内の川廻しの痕跡図。地元の方の説明によると485ヶ所の存在が確認できたそうです。
 
 
大福山尾根道と秘境編(林道月崎大久保線)
2020年、新型コロナウィルス(猫)の影響で家にいられなくなった私は、時間ができたことをいいことに市の最深部の探検?をはじめました。もともと休日や夜間に歩き回るのは習慣でしたので私はすっかりこの行脚にはまってしまいました。ただ、一人きりで行くので危険な冒険じみたことはできませんので、藪の中の探査はあきらめ道のあるところ中心に歩いています。(本当は浦白川のドンドンの周辺をもっとを調べたかったのですが、藪と蛭が怖くてこの夏は断念。根性なしです。)
今回は地図にない道を含め月崎~大福山~石塚・柳川集落等を探査してみます。道は基本的に舗装された道なので命の危険があるような場所ではありませんが、途中お店も自販機も一切ありません。もちろん飲食店も皆無です。トイレもほぼなし。したがってある程度の事前準備・・・特に飲料水は必携です。飲料水は500㎜のペットボトル3本を事前購入、トイレも済ませておきましょう。
 
スタート地点は月崎駅裏側付近。永昌寺さんのトイレは奇麗ですし、駐車場もあるので便利。利用する場合はお参りしましょう。
今回は月崎駅のすぐ裏側の細い道から小港鉄道と養老川に挟まれた屏風状に切り立った河岸段丘上を大福山山頂まで一気に歩きます。標高差は200mもないのですけどアップダウンがけっこう続くので良い汗をかけます。実はこの道は車でも走行可能ですけど途中、すれ違いが厳しい場所が多いので個人的にはお勧めはできません。
月崎駅の裏側 市原市を代表する里山の景色♥
スタート直後の田園風景。快晴で風が気持ちいい日です。この写真は月崎駅から300mぐらい行ったところかな。相変わらず何もないのが気持ち良い田園風景で、雉やサギ、ウグイスが普通にいます。田植え時期は気持ちが良い田園風景が広がります。月崎駅は小湊鉄道の中でも田園風景がとくにきれいな駅。きれいに土手の下草刈りをしてある田畑が多く田舎の風景が本当にきれいに保存されています。ここからしばらくやや急な上り坂が続きますので覚悟してください。
 
本日の行程図・・・行きは怖くて帰りは良い良い・・・です。
全体図です。小港鉄道と養老川の間の小径は途中で鉄道の上を横切り大久保を目指します。(大久保の文字付近には民家はほぼなし。)行程は体力次第。行きは上り7割、下り3割、同じルートを帰れば帰りはその反対です。月崎から山頂(大久保と書かれた場所の左側)まで約7kmほどあります。往復で多少寄り道をして15~18kmというところでしょうか。山道なので平地よりはかなり疲れますが階段などはないので比較的歩きやすい道です。
上総大久保という駅は近くに民家が見えないので秘境駅としてしばしば登場することで有名なのですけど、実はそこから地図左側・・・3つ目の赤矢印の左側に行くと、市原市のさらに秘境中の秘境、柳川集落に行けます。柳川集落(32号線の道路沿いから見える地区以外の離れ集落は)の存在は私も長らく気が付きませんで、この地図でわかるように道が記されていません。また、記されていている地図も車で通れるとは限りませんし、めちゃくちゃ細かったりします。中には廃道・通行止めになっているケースもありますので無理はしないようにお願いします。私も探査前に複数のマップで確認をしておおよその位置関係を頭に叩き込んでいました。
月崎の別荘地・・・うわ、軽井沢かよ!
月崎駅からの上り坂がいったん終わると突然別荘地のような風景が・・・。ここは月崎駅からまだ1kmも行っていないところなんですけど駅周囲の農家・民家とは明らかに雰囲気が違う・・・。建物の雰囲気からして庶民の生活感が感じられないのです。薪が積んであったり、、オープンテラスがあったりロッジ風だったり・・・ほんの数軒の家並みなんですけどちょっと違う。ハイソサイェティで軽井沢みたい。なんかうらやましい。
きっと飛べるはず?…足元は断崖絶壁。
別荘地の理由は道路の反対側に広がるこの眺望でしょうね。このあたりは養老川が山道に一番迫り、チバニアンの渓谷にも近いところ。(行程図の黄色矢印のあたり)谷の深さは30mぐらいあるはずですからこの地点は100m近くは高地にあります。アップ撮影した画像ではそんなに高く見えませんが周囲に比べれば相当高い地点です。地図で確認して頂ければ判りますが断崖に川が急カーブで迫るぎりぎりの地域なんです。養老川の河岸段丘はほぼ垂直にきり立っていて、この道はその突端に張り出している形なんですね。だから見晴らしは最高なんです。ただ、道路際の樹木が高いので見通しが悪いところも多いと思います。家を建てて2階から見たら多分景色は独占状態でしょう。ここに別荘みたいな家が多く集まっているのはそのためだろうな。住んでみたいけど普通の生活をするにはめちゃくちゃ不便だと思います。はい、やっかみです。
養老川は房総特有の泥岩地帯を流れます。泥岩は柔らかく谷は水流によって深くえぐられています。川はものすごく蛇行が多く、蛇行先で氾濫を繰り返す暴れ川でした。水は豊富なのですけど田畑から水面が深く遠く、この付近の農民はものすごく苦労したそうです。そのため、遠く離れた水源から岩盤に穴を穿って用水路を作る技術が江戸時代から発展しました。また、藤原式揚水機といって水力で動く機械式の巨大な揚水機がこの付近には何台もあり、エンジン式ポンプが発明されるまで各地で働いていたそうです。藤原式揚水機の復元されたものが高滝ダムの湖畔美術館に屋外展示されていますがあまりにも大きすぎてかえってその存在意義に誰も気が付いていない。谷が深いのでとにかく巨大な揚水機が必要なのですけど、展示されている機器はオブジェにしか見えないと思います。
岩盤を掘って作った用水路の多くは穴の大きさから二五穴と呼ばれますが、中には浦白川のドンドンのように巨大なものがあり、川の流れを変えて治水を行ったり川を干上がらせて農地や作業場敷地を作ったりもしています。これが川廻しです。樹木がなければ川の蛇行が激しいこの辺りはさながらグランドキャニオンのような風景になると思います。
この林道は高い尾根の上を走っていますが、鉄道や県道は平地を、そして川は峡谷の底を流れています。それを念頭に地図を確認して頂ければ判ると思いますが、この道が薄っぺらい屏風のような断崖絶壁の上にあるのが分かると思います。
 
謎の標識発見
別荘地からさらにひたすら上り続けていたら林道わきの山の中に不思議な標識を発見。「東京電力木更津工務所 夷隅線46-47号に至る」とあり、かつても旧道のような道跡が・・・。調べましたが夷隅線46-47号という道路は現在存在しないので、この標識はこの林道が作られた当時のものかもしれません。けもの道のようなふみ跡が残っていますので、この先に行けないこともなさそうなのですけど、昨年の台風のこともありますし、万一河岸段段丘から転落したら命がないので本日は断念。 
もう一度地図を確認!
このあたりから林道は養老川から離れはじめ、県道32号線及び小港鉄道を越えて大福山山頂に向かいます。ちなみに地図左上の馬頭観音とある養老川がU字状に大きくカーブしている少し上あたりに戦国時代の伝説の残る琵琶首館跡があり、その付近に最後の川廻しと言われた白尾の川廻しがありました。地図の上の方、山道が逆くの字にカーブしている少し上付近から養老川をまたぐ形で川のトンネルのある尾根が張り出していたはずなのです。
地図の中央部に三角形を描いて複雑に交差する林道の分岐点がありますが、左手方面は柳川・石塚集落およびトンネルを通じて上総大久保駅につながります。ただし、地図では平面に見えますが道は超立体的に交差していて高低差がかなりあります。さらに左側の道は途中崩落している箇所(上向き矢印)があり、歩行通過は可能ですけど車両は通れません。(通行止めの看板があるかもしれません。)仮に通れたとしてもすれ違い不能のぐにゃぐにゃの急坂道で、私は車では通りたくありません。地図にはない道もけっこうあるようです。最も広い県道につながる集落の入口の道は昨年秋以来崩落していて人・車とも通れません。(私は工事現場の方々の計らいで通してくれましたが・・・)ここに来るには大福山山頂近くの石塚集落から細い山道を下るか、上総大久保駅からトンネルを通って来るしかありませんが、地図では広く見えるこの道は軽トラックが通れる程度の幅しかなく、車をよけるスペースもほとんどありませんので覚悟が必要です・・・というか、迷惑なので車で来ない方がよいと思います。この集落については後日また調べたいと思います。
この分岐までで山頂までの行程の3分の一程度。先はまだ長い!
白尾の川廻し
昔の川筋を書き足してみました。養老川は尾根から飛び出した岩塊によってヘアピンカーブを描き流れの速さを増してチバニアンの方向に流れます。当然、峡谷は深く断崖絶壁になります。このような地形ですから人質幽閉にはもってこいの地であり、かつ流域は洪水に悩まされた地でもあり、白尾の川廻しが昭和になって作られた理由がなんとなく分かります。養老川対岸とはこの川廻しの上の尾根で1980年頃までつながっていた記録があるので、標識の先の道はもうなくなっている可能性があると思います。
 
山頂に向かう山道
林道はアップダウンを繰り返します。この日は快晴で風もさわやか・・・ただし、汗はダラダラです。本来は房総半島一望と言いたいのですが木立が高く木々の合間からわずかに見える程度です。ここらあたりが市原市の観光施策の中途半端なところで、少し手を加えれば素晴らしい道になると思うのですけど草ぼうぼうだし・・・。
日当たり良好の道
ここさえ過ぎれば・・・ 
落石注意
尾根道の林道では珍しく切通しになっています。それだけ難所だということかしら。斜面はモルタルで固められていますが真新しい落石がちらほら。房総の岩山は岩質がもろく柔らかく、ブロック状に簡単に割れます。その上に関東特有の赤土や森の腐葉土が堆積しています。ですから2019年の台風であちこちで崩落、山津波が起こり、杉木立はバキバキに折れたり根を上にひっくり返っています。山頂付近の風通しの良い尾根はまるで爆撃にあったみたいなありさまで、その結果尾根道の日当たりがものすごくよくなりました。
画像を撮りそこなったのですが、この付近に「養老の森」というキャンプ場のような見晴らしの良い広場があります。最上部にコンテナハウスが一つだけおいてあり、オフロードバイクコースのような雰囲気ですけど、人気がなく全く謎。また、山の中に入ってゆく道らしきものも見えますが、鉄塔の管理のためのものかそれともバイカーたちのつくったコースなのか不明です。何もないけどベンチがあるので休憩するにはにはちょうど良い場所です。
 
ぽつんと一軒家・・・養老渓谷編
林道「大地蔵線」の標識
ここから林道名が変わるのかと思いきや山の斜面に草ぼうぼうの山道が存在します。一応、コンクリート固められていますが、幅員3mなんて絶対なさそうに見える。行くか行かないか迷うところなのですけど、一度下ると戻ってくるのが大変そうなので本日は断念。ちなみにパソコンの地図アプリの多くは車が通れない道を示しません。国土地理院図は逆に通れない道まで示すこともあり、複数の情報を複合する必要があります。ところが衛星写真で思わぬ発見をすることがあります。
Googleマップ(航空写真)より
Googleの画像の解析度は高く、道筋は示されていませんが大地蔵線の痕跡が分かります。黄色の横矢印あたりが林道の起点。途中の下向き黄色矢印は拡大すると民家らしく山の中の本当に一軒家。(上の右画像参照)某テレビ局の「ぽつんと一軒家」とかに出てきてもおかしくありません。道らしきものも見えますが、地図アプリにも示されない場合がありますので車で下ることは不可能なのだと思います。(Google画像だと道が沢のようになっていました。自転車で行ってストリートビュー撮影したようです。)
ちなみにオレンジの下矢印あたりには「芋原の滝」があるはず。「牛堀の奇岩」という岩壁の真下にあるようで一度は訪れてみたいところです。芋原の滝は車では上総大久保から行けるようですけど途中、車一台しか通れない手掘りトンネルが3つあるみたいです。この道と、林道大地蔵線はつながっている(いた?)らしいのですが、まだ未調査です。地図にない道がある(あった)可能性が高いです。
※Googleには柳川集落は存在がしっかり記されています。山間部に数か所に分散して家がありますが、道は細く険しいはずです。記されていない生活道路もあると思います。Googleの文字があるあたりの右側が石塚地区、左に行くと君津市の怒田地区。さらに下ると菅野集落になります。菅野と柳川がつながっていたという話もあるようなんですけど・・・。石塚地区から下って行った先に見晴らしのよさそうな山上に柳川上の台集落があるようです。柳川はとても広いですね。
林道大地蔵線の先(ちょっと寄り道)
2021年春、大地蔵線を探査。大地蔵の名前の由来はこの先にある牛堀の奇岩の男岩じゃないかと勝手に推定。
かなり崩れていますが、芋原地区まで徒歩で降りられます。ただし、最後は道がほぼなくなっています。謎の建物はダム建設時の廃墟じゃないかしら。山の発電所とか山のレストランと書かれたプレハブ小屋があります。ちなみに芋原地区にはたくさんの手掘り隧道と川廻し、山蛭がいます。芋原の滝や牛堀の奇岩と大壁もあり、川の上流には砂に埋まった市原4号ダムがあります。さらに奥には大福山につながる林道(廃道)があるはずなんですけど、崩れてしまっている可能性大です。名もない滝も存在します。これらは時間があるとき探査しましょう。芋原・牛堀地区は面白いです。
半分廃道
大地蔵線の下部。人の歩いた踏み跡が道を示します。途中、左右が切り立った尾根部分もあり滑りやすい場所もあります。最下部は道が崩れてほとんど分からなくなっていますが、何とか芋原地区に到着できます。最後は湿地帯を抜ける必要があるので山蛭対策は必須になります。
 
 大地蔵線の分岐を超えると・・・
ここまで来ると、大福山山頂までの行程は残り3分の1です。パーキングにはトイレがあり、手を洗うこともできますが、手洗い水を飲むのには抵抗がありますね。(飲めるとは思いますけど。)休憩はこの付近か梅ヶ瀬渓谷への入り口近くの休憩ベンチがおすすめです。山頂の展望台まで行ったら引き返すか山頂を回って石塚・怒田集落方面に行くかの選択です。石塚地区からは秘境柳川集落に降りる道があるはずで、大きな池のある怒田地区は市原市ではなく君津市になり、福野小学校という廃校になった分校があります。石塚地区のさらに先には菅野地区があり、ここもまた秘境です。柳川地区につながる山道があるかもしれませんが未確認です。
モミジの街道が見え始めれば山頂はあと少しです!
モミジの並木が見えてきたら大福山山頂はかなり近い。このモミジは植林されたものですけど秋にはきれいに紅葉すると思います。11月下旬から12月初旬の午前中がねらい目ですね。新緑も気持ちがいいですよ。
 
秘境 柳川集落
柳川集落は浦白川の本流の源流のある谷間に存在します。大福山の石塚地区側の尾根と林道月崎大久保線の尾根に挟まれた本当の谷間で、道の左右から絶壁が迫り、光もあまり当たらない地域なので湿度も高いように思われます。絶壁には巨大なシダが生い茂りさながらジュラシックパークのようです。なんとか上総大久保駅と石塚集落に続くトンネルが通じていますが、月崎駅側に通じる本道が崩落している現在は本当に秘境になってしまっています。県道近くの地元の人に聞くと、この地区は上の台、中の台、下の台に分かれているそうで、衛星写真で見ると山中に4か所ぐらいに分散して小集落がありいます。なお、下の台の紅葉はなかなか見事なので、秋にもう一度探索してみたいと思います。ひょっとしたら梅ヶ瀬以上かもしれません。
また、集落内に茂平の滝という小さな滝もありますが、それより岸壁の高さ、峡谷の深さに圧倒されますよ。(この画像は峡谷の終わりに近い茂平の滝付近の岩壁。深山幽谷の世界です。)
茂平の滝
水量は決して多くなく、打たせ湯のような雰囲気ですけど周囲の原始風景が素晴らしくてもう一度行ってみたいです。(画像は拝借)紅葉時期はきっときれいだと思います。 この付近は山頂に負けないぐらい奇麗に紅葉するはずですから。
二五穴
名前の由来は穴の大きさの二尺五寸から来ています。この穴は人がしゃがんでどうにかこうにか通れるサイズ。当然手掘り。この岩穴は集落のはずれの道脇の草地にありこの岩の右側には川の強い浸食跡があり、現在の川はさらに離れたところを流れています。草地にぽつんとある小高い丘の真ん中が貫通しているのです。奥に見える白い点の上側は反対側の出口、下の白点は中にたまった水に反射した光。つまりこの穴は直線で20mぐらいはあるのです。穴のある位置は周囲より高く、さんざん考えましたが何のためにあるのかが分からない。おそらく用水路だと思うのですが川筋がかなり変わっているようで、周囲の地形、今の川筋とのつながりが分からないのです。ここから流れ出た水は果たしてどこに行くんだろうか?
柳川は平地が少なく山に囲まれ日照も不足気味で農業のみの自活は非常に厳しいので、林業、炭焼き、畜産、養魚場などの運営が生業として考えられます。もしかしたら炭焼き窯の跡かもしれない。あるいは周囲が切り崩されてこの丘だけが残されたのか・・・・謎です。
柳川トンネルそばの湧き水 
浦白川の上流部
上の台集落の原風景です。この地域の戸数はせいぜい6~7軒。石神から徒歩で20分、中の台からもトンネル2つを超えて徒歩20分。四方を険しい山に囲まれた盆地で、私が知る限り市原市でも秘境中の秘境。台風で橋が壊れた折津・芋原地区もすごいけど、ここは道が通じていても秘境です。
 
芋原・牛堀のミニ隧道群
隧道「R」
上総大久保から折津に抜ける道は車一台がやっと通れる手掘り隧道がいくつも続きます。なかにはこの隧道がないと生活できないような隔絶された家も存在します。さらにその先には牛堀の奇岩群、牛堀の川廻し遺跡(手掘り隧道の嵐です。)が眠っています。滝も芋原の滝、大久保不動滝があって結構楽しいコースですけど、台風の爪痕が厳しく封鎖されているところもありますので・・・。
個人的には牛堀の奇岩群と牛堀の川廻し遺跡はぜひ復活整備してもらいたい場所なんですけど・・・。このトンネルは将棋の駒形に掘られている観音掘り。モルタルが吹き付けられていますが大昔の手掘りです。
 
隧道「ゴースト」
観音掘り(手掘り)の隧道だけにいろいろな顔を見せてくれます。このトンネルの入り口はなんとなくゴーストバスターズの出てくる食いしん坊の幽霊がおいでおいでと誘っているような雰囲気。一度侵入したら憑りつかれて食欲の悪魔になってしまいそう。入るか入らないかはあなた次第です。
 
隧道「死神」
白さ際立つ不思議な隧道。これを抜けた先に比較的最近無人になった家が一軒あるので、その家専用のトンネルだったと言っても過言ではありません。隧道名は私が勝手につけていますのですけど、こちらはデスノートに出てくるとあるキャラクターが出てきそうです。
 
緑の壁
この付近は湧き水が豊富で養老川支流の芋原川の瀬音も良く聞こえます。したがって苔の生育には最適な場所で緑の絨毯のように苔が岩肌をびっしり覆います。ふかふかでとても綺麗ですよ。
ただ、この付近は市原市の中でかつて(今でも)ももっとも不便な地区のひとつで、外部の集落に行くには川沿いの軽トラック1台がやっと通れる手掘りトンネル群を通り抜けないとたどり着けません。昭和50年代に御里津大橋という超立派な橋が上流部の折津地区にできましたが、それまでは上総大久保から延びるこの細い道と、養老渓谷から延びてくるとんでもない峠道を通らないとこの付近にはたどり着けません。折津には古い橋もあったようですけど、洪水で流されることが前提の「流れ橋」だったようです。御里津大橋は本当に大きくて立派。バブルですね~。
 
隧道「流砂」
芋原川に沿って牛堀と呼ばれる地区に向かう手掘り隧道。補強工事がされていないので自然崩落が激しいので、注意が必要です。この付近は湧き水で砂地の道が常に潤っているため山蛭の格好の巣窟です。このずっと上部に牛堀の奇岩群とGoogleマップで見つけた廃村があるはずです。地図で見るとここらは林道牛堀線です。ダートライダーには人気(だった?)の道らしいのですけど、放置されて年数が経過したため雑草が生い茂り獣道と化しています。日当たりは良さそうなので牧草地には良さそうなのですけど山蛭がねぇ~。おそらく川廻し遺跡の宝庫の地区で、探検観光地区としてもものすごく面白いのですけど山蛭がねぇ~。歩いていると鹿が勢い良く私の脇(と言っても数メートル離れていましたが)追い越してゆきました。ワイルドだろう? 
 
芋原の滝
この滝の前の隧道が封鎖されているので、現在(令和2年)は見られない芋原の滝です。(行こうと思えば簡単に行けますが)橋の上から観察できる滝の一部。落差4mの小さな滝です。近くで見るには雑草地帯を歩く必要がありますが、山蛭の宝庫で格好の餌食になります。滝の脇は柔らかい砂岩の岩壁で、古くは「牛堀の大壁」とか「牛堀の奇岩」と呼ばれていたみたいです。本来この付近は水田耕作地帯でこの川の上部には小さな集落があったはずです。また、林道大地蔵線はこの滝の下部に(大昔は)合流していたと思われます。
この先に養老渓谷の大福山山頂に向かうハイキングコースがあります。
蛭除けスプレー(飽和食塩水ミストスプレー)
蛭除けに猫用のノミ取り粉を靴下と靴にかけていたこともありますが、房総の山蛭はそんなものはものともせず向かってきます。地元の方々は塩が効くと言っておりましたので、濃塩水のスプレーを作って持ち歩いています。通常のスプレーではびしょ濡れになってしまうのですが、たまたま使用したスプレーが微細粒子になるミストタイプだったのが大正解で、これがものすごく役立っています。
①一回に出る量が少ないので1日使用し続けても大丈夫。
②すぐ乾燥して皮膚や靴・靴下の表面に小さな塩の結晶がたくさんできます。この効果が抜群。
③コストパフォーマンス最高。簡単に補充できます。自然にも影響が最小限ですみます。
短パンで歩いていると地元の方に「そんな恰好で歩いていたら山蛭の餌食だよ。」と、何度か注意されましたが下半身(特に靴と靴下)は塩の結晶でガードばっちりなので、、以来一度も吸血被害に遭っていません。ただ、藪漕ぎをするにはそれでも勇気がいります・・・というより怖いのでほぼできません。
蛭は振動や音に反応して一斉に押し寄せてきます。はじめは靴の裏側に張り付き、靴の表面から靴内部や靴下の中に侵入。草むらなどの場合は衣服の表面からも入りますので思わぬ場所に喰いつかれます。痛みは大したことはありませんが出血が止まらず、何よりも気持ちが悪い。
草むらにはもっと質の悪い「
ダニ」や「ムシ」も潜んでいますからうかつに入らない方がよいと思います。これらは「ヤヒル」と並び房総の三つの「魔」です。野焼きをしないと撲滅できないのではないかしら。
※写真の空ボトルを洗って飽和食塩水を入れました。女房が買っていた「地中海産の塩」なるものを黙って使ったので最初は高級な蛭除けになってしまいました。もったいないので食事に出されたサラダに試してかけていたら「お父さん、それトイレの芳香剤だよ!何やってんの!」と非難ごうごう。きれいに洗って塩水入れたと説明してもだめで、さらに蛭除けスプレーだと分かると「気持ち悪い!」と絶叫されて火に油を注ぎました。高血圧気味の私には塩分を摂りすぎない秘密兵器になりえるとも思うのですけど・・・やっぱりだめですか?
この区域を歩くのにはヒルよけとアブよけは必須です!
虫よけはマダニに喰いつかれないためには必要ですけど、マダニは藪の中に入らなければ問題なし。それ以上にアブにまとわりつかれないためにも虫よけは必要なのです。アブは初夏から秋口にかけて現れます。私は刺されたことはありませんが、汗をかくと耳元や顔付近をぶんぶん飛び回りますので、鬱陶しいことこの上ない。鬱陶しいので虫よけスプレーを頭にたっぷりふりかけて歩くことも多いのですけど、汗で目に入ると痛いです。味も辛い・・・ひょっとして毒?
殺虫剤を持ち歩くこともあるぐらいです。しかし、アブは実にしぶとい。追い払っても追い払ってもやってきます。顔付近のアブ除けのベストな方法は模索中です。